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2022-04-04

anond:20220404132158

欠史八代はね、いないよ

天皇という概念ができたのは天武天皇の頃で、日本書紀古事記もその頃に作られたのだ

その天武天皇王朝6世紀継体天皇から始まってるんだ

それ以前はかなり潤飾されている

2022-03-08

anond:20220308133124

私たちはいから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説

https://intojapanwaraku.com/culture/48024/

疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができますしかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。

日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授中澤克昭先生お話をもとに追ってみました。

うつりかわる肉食への考え方

日本史教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜労働力提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。

3世紀ごろの日本ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避タブー)につながっていくのです。

中澤克昭著『肉食の社会史』(山川出版社

しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代遺跡から出土した木簡からわかっています中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地所有権確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。

貴族メインディッシュはあの鳥

古代には禁欲対象だったお肉も、平安時代になると禁忌まり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。

天神さま(菅原道真)の牛のように、神話伝承世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。

新鮮な馬肉

では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。

なお、近代以前に肉を地方から京都江戸へ運ぶとき塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカイノシシでしたが、貴族社会宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお現在味噌醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています

殺生禁止と生贄とのあいだで揺れた「鷹狩り」

肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家食事マナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別作法があったようです。

江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料確認できますが、その後しばらく姿を消してしまます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗徳川家康尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名特権ではなくなりました。明治天皇御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野鷹狩りをして以来のことでした。天皇800年ものあい狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士時代と重なっているのが興味深いところです。

明治天皇1872年牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後まれ世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥ちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。

ジンギスカン用のラム肉

一方で2030年ごろには、世界人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。

動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ち自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。

2021-12-22

やっぱ継体天皇でしょ

崇神天皇が「実在した可能性のある最初天皇」って言われてるけど、やっぱ初代って継体天皇でしょ。

紀元前1世紀

BC97年-BC30年(日本長暦) 崇神天皇

BC37年頃 高句麗が成立

BC29年-70年(日本長暦) 垂仁天皇

弥生文化関東地方に波及する。

近畿地方を中心に銅鐸、西日本青銅武器形祭器による祭祀が行われる。

階層の秩序化すすむ。

関東地方東北地方南部縄文時代の一墓制である再葬墓が見られる。

北部九州では甕棺墓が盛行し、その中の一部のものが多くの前漢鏡を副葬する。

北部九州では、鉄器や鉄製農具が使用される。また吉野ヶ里遺跡のような巨大集落現れる。

北部九州勢力畿内勢力の間で、鉄の獲得のための軍事的緊張が高まる

1世紀

8年 前漢の滅亡

25年 後漢の成立

57年 倭の奴国王が後漢に朝献して倭奴国王印を授けられる

71年-130年(日本長暦)景行天皇

漢書地理志 倭は百余国に分かれており、その一部は前漢楽浪郡に朝献をする

弥生文化東北地方に波及する

2世紀

107年 倭国王帥升らが後漢の安帝に生口160人を献上する

131年-190年(日本長暦) 成務天皇

147年頃-189年頃 倭国大乱

192年-200年(日本長暦) 仲哀天皇

日本で石器が消滅し、鉄器が普及する(弥生時代後期)

魏志倭人伝倭国乱れ、互いに攻伐しあい倭国大乱)、長い間盟主なし

3世紀

201年-269年(日本長暦) 神功皇后 三韓征伐

220年 後漢の滅亡

239年 邪馬台国卑弥呼帯方郡使者を送り、魏の明帝への奉献を願う

248年頃 女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または台与)が女王となる

3世紀中頃 古墳時代が始まる

266年 倭の女王が晋に使節派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)

270年-310年(日本長暦) 応神天皇

3世紀後半 大和王権誕生する

3世紀後半 箸墓古墳

日本では弥生時代末期から古墳時代初期にあたる。

樺太西端北海道北端オホーツク文化(初期)が成立する。

日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓首長墓)が現れる。

4世紀

313年 楽浪郡高句麗に滅ぼされる

313年-399年(日本長暦) 仁徳天皇

316年 西晋が滅亡

4世紀半ば 百済建国

399年-404年 好太王高句麗と倭の戦い

空白の4世紀

5世紀

400年-405年(日本長暦) 履中天皇

406年-410年(日本長暦) 反正天皇

412年-453年(日本長暦) 允恭天皇

454年-456年(日本長暦) 安康天皇

463年 吉備氏の乱

457年-479年(日本長暦) 雄略天皇 考古学的に実在実証される最古の天皇

478年 倭の五王の武が宋(南朝)に使者を送る

479年 星川皇子の乱

480年-484年(日本長暦) 清寧天皇

485年-487年(日本長暦) 顕宗天皇

488年-498年(日本長暦) 仁賢天皇

大王クラス大形前方後円墳奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。

日本では倭国古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方ヤマト王権中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王東晋から南朝にかけての江南王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史記述に残されており、倭の五王として知られている。

北海道北部東部では続縄文文化とは異質な海獣漁労民のオホーツク文化(中期)が拡大する。

6世紀

499年-506年(日本長暦) 武烈天皇

507年-531年 継体天皇

512年 倭が百済に対し任那の四県二郡を割譲する

527年 磐井の乱

531年-535年 安閑天皇

538年 仏教伝来(552年説あり)

536年-539年 宣化天皇

539年-571年 欽明天皇

562年 任那地方を含む加羅諸国新羅に滅ぼされる

572年-585年 敏達天皇

581年 隋の建国

585年-587年 用明天皇

587年 丁未の乱 蘇我馬子物部守屋を滅ぼす

587年-592年 崇峻天皇

593年 聖徳太子(厩戸王)が摂政となる

598年 隋の高句麗遠征

それまでのヤマト王権王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の応神天皇)五世の子孫とされ越前近江地盤を持ち尾張連草香の娘を妃としていた男大迹王(後の継体天皇)が、大伴氏物部氏巨勢氏らにより畿内に迎えられて前王統手白香皇女皇后に迎え、治天下大王として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の蘇我氏と結びつき、武川軍閥系の政権によって大陸華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「倭の五王」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。

考古学の発掘研究によればこの世紀の半ばになって日本列島での鉄鉱石からの製鉄遺構が初めて出現する。同時期に大陸では倭国弥生時代以来鉄素材の供給源としていた弁韓の後身加羅諸国新羅併合されている。

前世紀に九州などで造られ始めていた古墳の横穴式石室が全国規模で普及する。

この世紀の後期になると畿内では前方後円墳がつくられなくなり、前方後円墳伝統を保持していた天皇陵含む大型古墳も渟中倉太珠敷大王(後の敏達天皇)の陵墓を最後に以後方墳となる。関東でも群集墳が盛んに造られるようになる。ヤマト王権中央さらには地方首長統治下でも仏教の導入が進行し、前方後円墳と結びついていた首長祭祀は以後氏寺における仏教儀礼が担うようになる。

7世紀

593年-628年 推古天皇

603年 冠位十二階を制定

604年 十七条憲法を制定

618年 隋の滅亡、唐の建国

629年-641年 舒明天皇

642年-645年 皇極天皇

643年 蘇我入鹿山背大兄王一家(上宮王家)を滅ぼす

645年 乙巳の変

645年-654年 孝徳天皇

646年 大化の改新

655年-661年 斉明天皇

660年 百済滅亡

663年 白村江の戦い

668年 高句麗滅亡

668年-672年 天智天皇

672年-672年 弘文天皇

672年 壬申の乱

673年-686年 天武天皇

2021-08-21

古代経済史を考えてみた

飛鳥に29、40、41代天皇の墓があって大阪奈良に16代天皇家族の墓があるのは変だなと思って経済史的に考えてみた。

4世紀帯方郡卑弥呼が滅び、渡来人が辰砂利用技術を持ってきて、初代天皇が立つ。天照・卑弥呼から曾孫の代は出雲にも進出

5世紀貿易成功した15〜16代天皇大阪奈良盆地に進出して栄える。巨大古墳を作る。

6世紀、29代のとき任那が滅びて百済貿易が中心になる。渡来人が増えたので32代までに飛鳥京が開発される。それで銀山も開発されたが、場所秘密

7世紀33代は遣隋使を送り、34代は遣唐使を送ってまた大陸貿易栄える。36代のとき百済が滅びて渡来人が増えたので38〜41代が奈良再開発飛鳥京は国内統一のための機関になり、統一後は廃止

8世紀渡来人がいるので43代に古事記(たぶん百済系)、44代に日本書紀(たぶん漢人系)ができる。45代が奈良大仏。47〜49代あたりに続日本紀ができる。50代(平家祖のひとり)が長岡京平安京を開発。しばらくすると、インフレが酷くなりしばしばデノミをする。

平安時代は長いので飛ばし11世紀、唐と平家が滅びて道教公家が衰退、仏教武家が台頭。大陸日本諸国分立時代

古墳年代が正しいなら、天皇4世紀からで、5世紀大阪奈良時代が始まり任那滅亡のあとしばらく飛鳥京がある。飛鳥京の謎の石造物は任那渡来人が来る前のものだろう。そもそも2世紀福岡伊都国に千如寺が建ったとき天皇がいないだろうし、新羅渡来人鉱山開発をしてる。

天皇陵のある奈良飛鳥古墳作りがが廃れたのは、国内統一し終わって割の良い古墳作りを村人にさせる必要がなくなったとか、そのあたりの銀山が閉山したとか、任那百済が滅びて古墳流行らなくなったとか、産廃の利用方法古墳作りの他に見つけたとか、唐辛子香辛料が入ってきて、料理に忙しくなったとか。

追記

初代天皇父親の墓が鹿児島にあるとされているが、だったら隼人の反乱が起きるはずがないと思う。

だいたい古墳の主は仮託もできるし、もしかすれば戦争の死者が埋められてるかもしれないわけだ。律令制のあとは古墳がないんだろ。

2020-06-06

anond:20200606130237

ただトマトが普及したのが15、6世紀で、先ほども書いたように14世紀画像の時点で細長い麺だし、

手づかみで食べてた頃はチーズくらいしかかけてなかったrしいかトマトソース普及の前だと思うんだよね。

そこからパスタの発展とか普及はトマトソースと関わりが強いんだろうけど、細長い麺は元々っぽい。

2020-05-03

FGO剽窃疑惑擁護名言

FGOに歴史書からの剽窃が発覚?「文章がほぼ一致してる」「Fateに今更言うの?」 - Togetter

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673065

そもそもキャラ含めて実在人物説明が何かしらから引用されてなければおかしいし今更問題

そのまま引用しなくても、資料の内容を消化して自分言葉に直すことはできますそもそも件のプロフィールは出典の明記などの引用要件を満たしていません)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673129

どの辺が剽窃なのか理解に苦しむ。線引かれている部分がほぼほぼ歴史的に用いられてきた名称じゃん....。逆に、これに独創性を加えてどうするんだよ。

固有名詞以外の部分の言い回し酷似しているか問題になっています(「歴史的に用いられてきた名称」に関しても、「足速き馬駆る者たち」といった訳は日本でそこまで一般的なんでしょうか?)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673164

ゲーム解説文に何言ってんだ、って感じ。 これが論文などの、後に定説として広まりそうな文書や有料の書籍についての事ならわかるけどさ。 基本無料ゲーでパロディオマージュネタいっぱいのFGO解説文を「定説」にする奴がいたらそっちが笑われるだろ。

定説」にならないか他人文章を借用しても問題無し、とは……?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673278

史実伝承を書いただけで剽窃と言われてもね。

史実伝承」そのものと、「史実伝承について解説した文章」は違います

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673286

これは剽窃じゃなくね、指摘されてる言い回しは他でも使うでしょ。

たぶんここでの「言い回し」はやはり固有名詞等のことだと思いますが、たとえば「聖エルモの火」自体一般的名称だとしても、「嵐のさなかに船のマストなどに(で)見られる〜」という説明がここまで一致するのは偶然とは考えにくいです。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673351

まあ、引用元が何かアクションを起こしたら、出典明記すればいいってだけで、他人が大騒ぎして炎上させるほどのこととは思えない。

他人が大騒ぎして炎上させる」ことの是非はともかく、引用の出典は文句を言われたら書けばいいというようなものではありません(そもそも件のプロフィールでは、引用部分が「」でくくられてなかったり中途半端に改変されたりしてるので、出典明記以外にも「引用」の形式として不十分です)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673352

パクリ」と「被り」の区別出来ない人っぽい印象。該当部分が剽窃元とされる文献独自解釈でないのなら、本件は「パクリ」ではなく、「被り」の可能性が高いと感じる。

解釈自体一般的ものだとしても、「元来〜として崇拝され」「顕現(だ)と信じられるようになった」「さまざまな危難から緊急に人々を救う神として崇められ」といった言い回しが偶然「被る」可能性はどの程度あるんでしょうか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673587

日露戦争小説漫画を描いたら「司馬遼太郎許可をもらったのか?」「江川達也許可をもらったのか?」と外野が騒ぐみたいな案件ですね。

日露戦争を描いた完全新作小説が、なんの説明もなく「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」で始まったらビックリしませんか(このぐらい有名なフレーズならパロディで通るかもしれないが)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673661

しかし、これ剽窃というには抜き出し個所は固有名詞がらみが多くてむしろ「改変するほうがさすがに問題だろ」という発想しか持てないところ。聖エルモの火も説明必要だしアルゴナウティカもカストルボルックスという固有名を出すためには避けられない話だし、正直糾弾するにも微妙ラインしかえんなぁ。

たとえば「聖エルモの火」自体一般的名称だとしても(略)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7673821

FGOの『「A」「B」の通称を持ち』が 書籍の『「A」または「B」と呼ばれ』の剽窃だと言うなら 「A」「B」は筆者のオリジナルで、実際には呼ばれてないってことになるんじゃないのか…。 通称が「剽窃だ!」って何ぞ。

「二人の王たち」「二柱の神」自体剽窃だという話ではなく、「固有の名をも(持)っていなかった」まで含めた流れが酷似しているということじゃないでしょうか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674088

これ本の方は、『ホメーロス風讃歌』と呼ばれる紀元前7から6世紀歴史的ものだぞ、日本語訳こそ何度目かの翻訳2004年なだけで。 個別具体的に内容を知ってるかは別としても、無断転載も何も常識的範疇の内容だぞ。

FGOが参照したと思われるのは、翻訳ではなく訳者自身による注釈・解題の部分です(そもそも、たとえ保護期間の切れた古典翻訳だったとしても訳者著作権は発生します)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674211

「この織田信長逸話歴史教科書から剽窃だ!!」レベル言いがかりしか見えん

ttps://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89-135228

天正 10 (1582) 年6月2日京都本能寺宿泊中の織田信長が,家臣明智光秀の謀反にあって襲撃され自殺した事件

天正10年(1582明智光秀織田信長京都本能寺に襲い、滅ぼした事件

1582明智光秀がその主織田信長京都本能寺に襲撃した事件

1582年(天正10)6月2日明智光秀京都四条西洞院本能寺織田信長を急襲して自殺させた事件

1582年、毛利氏と対戦中の羽柴(豊臣)秀吉救援のため本能寺宿泊中の織田信長が、やはり中国攻めのため丹波亀山城まで先発していた明智光秀に襲われ自害した事件

本能寺の変ぐらいメジャー事件説明でも、このぐらいの言い回しの違いはふつうに発生するようですね。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674244

こういうのは基本「オリジナルにあらざるもの即ち悪」位のフワッとしたバイアス以上のものではないんだけど(件の箇所にオリジナル性があるかって前提になる話すら無いし)、

オリジナルにあらざるもの即ち悪」とは言いませんが、オリジナルでないのなら引用であることを明確にした方がいいんじゃないでしょうか(「件の箇所にオリジナル性があるかって前提になる話すら無い」というのは、ディオスロイ説明は誰が書いてもああい文章になる可能性がある、ということですか?)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674257

クッソめんどくさそう。教科書に同じこと言えるの?

教科書が何らかの著作物文章を(出典を明記せず著者に無断で)これと同じぐらいそのまんま使ってることが見つかれば、この件と同じかそれ以上に問題になると思いますよ。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674514

本の方、中身を確認してきたけど、1990年平凡社から2004年単行本化。正直、この パクられ になって本の方も解題や注の大元は『Dictionnaire de la Mythologie Grecque et Romaine』とかかなり多数の本による物だが、引用明記はしてないでしょ....。(referenceで一括しては乗って居るけど。)

他人著作物を参考にするのと、他人著作物の一部をそのままの形で使用する引用混同してませんか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674518

ただ単に元ネタ解説必要な事項を抜き出してUIの枠内に収まるようにしたようにしかみえないけど、それって剽窃

しかに「必要な事項を抜き出してUIの枠内に収まるようにした」だけかもしれませんが、それはつまり、参考にした著作物存在が明らかな上で自分言葉への変換が不十分、ということになりませんか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674600

ゲーム画面に引用元とか貼られても現実に引き戻されるだけなんで、シナリオ公開後にTwitter公式垢が「なお今回の○○はこちらの方々の協力で完成しました!」て公表すればいいと思う。 ん? 違う? 著作権への対価を支払えって話までやる?

FGOプレイヤー満足度って、引用の際の出典明記より優先されるものなんですか?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7674681

noah34266899 確実に70年以上前の古い歴史書には著作権ないよ。

著作権保護期間は、出版ではなく著作者の死後から70年です。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7676622

基本的Fateメガテン系みたいな明確な原典のあるものでなくとも、今時大規模なゲーム作りや映画作りをやろうとすれば植生とか建造物とか諸々で膨大な参考資料を使うわけですけど。クレジット書籍名なんて早々見ないでしょ?大体こういうのは「考証」とか「監修」として、そういう諸々を纏めた担当者が載るわけ

他人著作物を参考にするのと、他人著作物の一部をそのままの形で使用する引用混同してませんか。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7676920

百田尚樹剽窃だと騒がれたときにも思ったけど、引用元の文章そもそも何かの引用だと思わないのかな。歴史的事実だよね。元の文章オリジナルだということがかなり恥ずかしいんだけど。

しかに「引用元の文章そもそも何かの引用である可能性もありますね。元ネタが見つかったら教えてください(それから、「歴史的事実」と「歴史的事実について解説した文章」を混同してませんか)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677420

仮に、出典を明記するとして、どこに明記すれば良いんだろうね? 部の終了毎にスタッフロールに入れるとしてもそれをみれるようになるまでに何ヶ月かかかるわけで

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677424

キャラごとに明記しようとすると文字数が足りんぞ。

あのプロフィール?の下に、(沓掛良彦訳『ホメーロスの諸神讚歌』 (ちくま学芸文庫)より)とでも入れるだけの余裕もないんですか?スクロールバーが見えてるから字数制限特になさそうな印象ですが(もちろん出典書いても引用部分をカッコで括ったりする必要はある)

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677603

というかこれ一部のプロフィール神話ディオスロイとは、というあれなんですよねで別のプロフィール覧ではこの物語(fate)、サーヴァントとしてのディオスロイが語られてるのですのよね

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677626

物語上での型月世界にも実在する神話史実物語から型月のエッセンスを加えているのでこうややこしくなるんだなぁと、(あとギャグやパロはやりますがこういう世界解説大事にするみたいなんで尚更

神話伝説歴史由来のFGOキャラクターに、FGOオリジナルの要素が含まれている(FGOに限らずフィクションなので当たり前)ことは、今回の件とは何の関係もありませんね。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7677666

あと他の出典かかない伝奇作品に飛び火はアウトで。ジャンルが消し飛びかねない。

参考と引用混同

ttps://togetter.com/li/1501534#c7678351

元ネタ解説に参考文献があるのは明白だから参考文献として記載しろっていう意見ならわかるけど、パクリ云々は伝承歴史解説だと似たような感じになるんじゃねって気もするしうーん…。

「似たような感じ」にはなるかもしれませんが、細かい言い回しが一致するのは別問題です。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7679688

taiheyou 引用がどうたらならパソコンゲームのころから言わないとおかしいんでねえの。そもそも文章コピペとか以前になんらかの文献を参考に設定作った時点で引用必要な代物なら引用必須たべ?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7679708

単語コピペが雑って叩く位ならええけどね。引用要求するならアーサー王説明した時点で必要だわ。参考文献がないわけないもん。

引用と参考の混同

ttps://togetter.com/li/1501534#c7681687

tastasto パクり扱いで訴訟ならまだしも創作物論文レポート基準要求すんのガチでやめてほしいんだが。

論文レポートでも創作物でも、適切な「引用」の要件基本的に同じです。

ttps://togetter.com/li/1501534#c7682349

翻訳における文章オリジナル性ってどれくらい? I love you.を「月が綺麗ですね」くらいやればオリジナルだと思うけども。

ハードル高くないですか……?

ttps://togetter.com/li/1501534#c7682850

そもそも古代の神や人物なんてそもそも文献が少ないし ロクに記述がないのでちゃんとした訳文も少ないから 同じ出展を当たったがゆえに同じような文章になるなんてよくあること

まりFGO担当ライター沓掛良彦氏の『ホメーロスの諸神讃歌』(の注釈・解題)を参照したわけではなく、さらにその大元資料に当たってあのプロフィールを書いた、という主張でしょうか。それで細かい言い回しまで酷似するとは考えにくいのですが。


正直、この人たちがファンのフリしたアンチに見えてきた。

2019-10-30

宇宙の謎が不明なのが悔しくてならない

26世紀まれならすべて解明されてるだろうに

2019-09-15

anond:20190915012629

ググったけど、少なくとも第26代の継体天皇から実在が立証されてるんだよな?

6世紀日本ってイギリスとの交流なんかあったっけ?

日本はまだ発見すらされてない時代じゃなかったか

2017-09-17

anond:20170917124244

石油産業敵利用が始まったのが19世紀イスラム教が始まったのが6世紀

原油が出ないと持たないのに12000年ぐらい何で継続してんのイスラム教

2016-09-06

[] トビリシ

トビリシグルジア語: თბილისი, Tbilisi [tʰb̥ilisi] ( 聞く))はグルジアジョージア)の首都ときティフリス(Tiflis)とも呼ばれる。

トビリシは「あたたかい」を意味するトビリに由来し、温泉関係あるとされている。元史には梯弗里斯とも呼ばれる。

人口は約120万人。

  

5世紀古代カルト王国(後にイベリア王国とも言われた)の王ワフタング・ゴルガサリ(ワフタン1世)がここに町をつくり、

王の死後、息子のダチが遺訓に従い、6世紀の初めにムツヘタから遷都した。

統一したグルジア王国の都ではなく、コルキスを含まない東グルジア(カルトリ)の都であった。ワフタング・ゴルガサリ王が

この地を発見したのには、有名な言い伝えが残っている。王が狩に出かけ、鷹を飛ばした。鷹は雉を追いかけて飛んでいったが、

鷹も雉も行方不明となった。従者たちが探し回ると鷹も雉も温泉の中に落ちていた。温泉発見したワフタング・ゴルガサリは

それをとても気に入り、この地に町を作るように命じた、という。グルジア語の古語で"Tpili"とは「暖かい」という意味で、

それがトビリシ語源である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B7

2016-06-21

宇多田ヒカルAutomatic』の「7回目のベルで~」云々のtogetterを見て

2001年宇宙の旅とか磁気テープ使ってなかったっけ

ガンダムseed二期(2004年放送、作中設定22世紀ぐらい?)でガラケー主人公?の妹の遺品として出てたのが印象に残ってるがアレは「レトロ趣味」みたいなエクスキューズが作中にあったっけ

まあ要するに「人類は手近な記録媒体として紙以上のものをついぞ発明出来なかった」とか書いちゃう銀英伝(作中設定で36世紀ぐらい)は傑作

 
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