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はてなキーワード: 諦観とは

2016-04-29

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海を見る人を読んだ。世界のありようを計算提示可能ハードSF自分にはちょっとしかった。技術からアプローチした作品ならまだ想像やすいんだけど。

そんなわけだから時計の中のレンズはよくわかんなかった。天獄と地国に隠されたオチ解説読むまで考えもしなかった。

解説読んでからもほーんって感じで、いままでやったことのない読書スタイルだったから新鮮だった。文章を読み、ストーリーを追うだけじゃなく、考証することも読書の楽しみなんだと思う。

一方で、独裁者の掟とキャッシュ叙述トリックがあったり探偵が出てきたりと、短編ミステリとして親しみやす面白かった。

時計の中のレンズ世界観の構築が一番の優先事項な上に複雑で、なおかつ微妙な結末を迎えたもんだから、上記二編は素直に良い進められた。

内容に関して言えば、表題作の海を見る人と門も良かった。特に海を見る人は間幕のやりとりを読むと味わい深くなる。絶望喪失感を乗り越えたような諦観がぐっとくる。

母と子と渦をめぐる冒険は一番良くわかんなかった。生殖に関わる寓話かなと思ってたんだけど、なんか違う気がする。純一郎君はなんかキモいし、お母さんは怖かった。

いろんなSFが読める短編集だった。難しいところもあったけど、読後感は良かったので読んで良かったと思う。

2016-04-05

痴漢セクハラで騒ぎ立てるのは大抵ブス」理論について

性犯罪関連のニュースが出ると絶対に言われるテンプレ理論

ブスが美人よりもごちゃごちゃ言ってるように見えるのは、生まれつき容姿の良い人は物心ついたときから親戚とか同級生からセクハラまがいの扱いを受け続けているか大人になる前には諦観が出来上がってるんだよ。

ブスは大人になってから突然にモテないキモ男たちから自分性的対象になるんだという事実を知るからショックが大きいだけ。

美人は寛容であるのではないということをどこまで理解してるんだろう。

2016-03-03

ワーキングクラス諦観

労働者階級の子供は芸能人にもサッカー選手にもなれない時代

http://bylines.news.yahoo.co.jp/bradymikako/20150226-00043362/

日本のことかと思った。増田の住む中核市周辺では、ここの所フットサルコートとそれに付随するスクールものすごい勢いで増えている。

経済力のある保護者達は公文式語学教室と同列に各スクールの育成について熱心に情報交換を行い、4種(小学生)強豪チームのあの子はどこのスクールだったとか、今3種(中学生)Jリーグジュニアユースにはあのチームから行っただの育成シーンにおいては、かなりマニアックな展開を呈している。

昔ながらの小学校に1つずつあった少年団チームは、各スクール運営されるNPO法人格のクラブチームやその市の最強チームに、主だった選手たちが集まるので今や複数小学校区で1つのチームをなんとか維持し、ようよう8人制にエントリーできるかどうかくらいの縮小や、チーム統合でしのいでいる状況。JFAを頂点とする協会組織は、くまなく草の根にも広がっていてこれは功績だと思うのだが、市内の各チーム指導者も割と細かく情報交換や指導技術研鑽を行っている。

しかしだ、少年団チームには、専任指導者を置けるところがほぼ無い。月5千円以下の会費で細々やってるチームの財政的な理由が大きいのだ。当たり前のことだが、「増田のお父さん」達が集まって細々運営してるチームだから。いわんや、指導の内容も、よほどアツい、競技経験のあるコーチが在籍しない限り推して知るべしの内容。週末や祝日日中大会や対外試合が入れば、練習はお休み

一方で強豪チームや、NPOクラブはそれなりのコストをかけながら、競技経験のある人材を確保し、平日の日中、夜間を練習時間に宛て、休日地方遠征など充実した育成内容。同じ年の子どもで、こんなに違うのかと愕然とさせられたこともしばしば。もちろん、それなりの技術を持っていなければ試合にも出られない選手層の厚さがあるので、それなりのスクールに通わせられる世帯収入可処分所得のあるご家庭がそこに行ける資格を持てる。選手本人の気持ちや、持って生まれた才能、たゆまない努力、これを大切にできる環境と言う意味を含めて。

レベルの高いサッカーをするチームにはより選手が集まる。スタメンを確保するために、スクールに通って更に技術を高めないと。日本代表に、プレミアへ。リーガへ。子どもが描く夢のために、経済力のある保護者たちは力の限り応援する。否定しない。どんどんやってくれ。指導者ホント良い人ばかりで羨ましい。オレもワールドカップを掲げる日本(男子)を見たい!!

さて、増田の子所属する少年団も、いよいよ学年で1チーム作るのが厳しく最近は2学年合同で毎週活動している。こちらは、以下のご家庭から選手構成されている。基本的には、競技レベルでの選手育成までは考えていない。

①→身体機能発達を促したい(ダイエット、足が遅い、全身運動etc)

②→中学受験前提の、高学年時は休部見込みのレクリエーション

③→学校休日も両親勤務あり、体よく預かってくれそうなので

④→よく分かっていないけど、地元サッカーチームで一番近かった

まさに玉石混淆。ここがお父さんコーチの楽しみ、楽しさではあるのだけど。

ここにサッカーというスポーツ面白さを伝える醍醐味があるわけで、だからハマってるんだけど。しかし、ごくたまに、1学年に1人か2人は「玉」が。当然のように高学年時には上記のクラブチームステップアップしていくわけだけど、ここでもワーキングクラスかそうでないかで展開が違う。

結論:金持ってなけりゃ少年サッカーは勝てない。

(小さなローカル大会や、フットサル大会なら、可能性くらいはある)

さっきの、①~③に該当するご家庭の選手たち、勝てないけど上手くはなれないかも知れないけど、楽しそうに通ってきてくれてる。この子たちは日本代表にはなれないと思う。10年後、20年後にまたチームの父親コーチに戻ってきてくれるくらいが良いトコだろう。それですらたぶん、「良かった例」。

混雑するターミナル駅の夜。某Jリーグ下部組織のバッグを背負った高学年の選手たちがくたびれた大人の列を無視してかきわけバスに乗り込む。大人たちも、もうこのチームの選手たちの振る舞いには諦めて声もかけない。それとも、おらが街のJチームを応援する気持ちなのかな?そのわりには視線は冷たいけど。彼らは座席を確保して、周囲を無視したような振る舞いで過ごしている。そうだね、あんたたち勝ち組だもんね、将来のJリーガー日本代表だもんね。特別扱いは当たり前だよね。嘆息

貧困、とまでは行かないにしても、L系ワーキングクラス連鎖諦観している。

2016-02-17

世の中が変わらないということ

僕は正義感が強い人間だが、同時に正義行使を諦めた人間でもある。自分がどんなに頑張っても、世の中は変わらない、人々が変わらないという諦観を僕は既に受け入れてしまっている。


中高生とき人種差別反対活動女性運動などは当時の人々の意識刷新したものだと思っていた。しかし、現実には今でもそうした差別意識は多くの人の根底にあって、結局「差別はいけないんだよ」という社会上面が整備されただけのことであった。

人の本質は変わらなかった。だから、そうした上面がまだ整っていないものへの差別攻撃は依然として行われ続けている。「いじめっ子は殺せ」「不倫者は死ね」みたいなのが典型例だが、今の世でも「攻撃していいもの」を見つけて集団でその認識を共有し袋叩きにする光景は珍しくもなんともない。人々は社会上面を借り自分上面にして「自分差別などしない人間だ」という自意識を持つが、一方で「これは差別ではなく正当な区別だ」というように、己の行いにそうした上面適用することはない。


畢竟世の中は変わらないのであって、だからこそ社会ルールなどの上面を形として整えることが大事なのかもしれない。まあ上面を整えるにしても少なから他者を説得しなければならないのではあるが、全体の意識を変えるよりは格段に実現可能性が高いだろう。

あるいは、世の中は変わると信じ、人々への説法や啓蒙を諦めないことが結果に繋がるのかもしれない。だが、その夢は幻想にも等しいものであって、夢への長い道のりを挫けずに歩み続けることはとても難しいように思える。


現に世の中を変えようと頑張っている人たちは、「こいつらはどうせ言っても変わらない」という絶望に身を染めながら上面ルール作りに奔走しているのだろうか。

それとも、「(ごく一部の猛反対者は無理だとしても)きっと多くの人がわかってくれる」という希望を胸に抱きながら遠い夢を追っているのだろうか。

2016-01-20

メディアクリエイターVS旧村民(?)の話って、

ブログあくまでも手段の一つとして扱っているかブログにこだわっているか

みたいなことじゃなくて、他者との向き合い方の違いに思える。

少なくともコミュニケーション方法世代間で変わってきた、みたいな世代論で片付ける話ではない。

まず、メディアクリエイターを

自身の人脈拡大またはマネタイズが最終目的に、その手段としてブログ活用している人」

定義すると、他者存在あくまでも上記目的を満たすためのツールしかない。

この世界には「自身」「仲間」「他者」という枠組みしかなく、

 自身…この物語主人公だ。

 仲間…冒険サポートしてくれる頼もしい仲間だ。

 他者アイテム

という基本概念のもとに物語が進行していってる。

この記事はそういうのがわかりやすい。

http://www.jimpei.net/entry/aiseki

「相席屋」というロケーションも、そこに登場する女性も、彼らを修飾するための要素の一つでしかなくて、そこにあるのは、仲間を増やすための「ぼく」を中心とした愉快な物語だ。

で、村民

はてなというツール一定愛着を持ち、自身情報発信意思表明)及び他者から情報意見共有を目的としている人」

定義すると、他者存在ツール存在意義に等しく、他者から干渉のもの目的としているため、かなりウェイトが高い。

ウィットに富んだ冗談が通じて、適度に大人な話もできる」という村民たちが好きだからここにいるという人たち。

例えば仲の良い友だちとはできるだけ対等な関係でありたいと考えるように、読者にも自身と同等の一発信者であって欲しいと考えるのが村民の特徴だと感じていて、増田というサービスで蠢いている人たちも「どうせ匿名なんだからもっと皆好き勝手意見言えばいいのに」と思っていて、それはモヒカン族の鉞が親愛に満ちたコミュニケーションだったように、親愛を感じている友人と一緒に踊りたいだけというのが本心にあるのではないかと推測している。そもそも鉞に親愛とか無いけど。

比べると、メディクリの世界自身主人公とした楽しいRPGだったのに対して、村民世界はただ友達がほしいという極めてリアルな嘆きの谷である

村民の憤りや違和感の源泉はここにあるのではないかと考えていて、仲間ではない自分アイテム扱いされていることや親愛なる人(ここでは村民)たちがアイテム扱いされていることは、普通に考えれば嫌だし気持ち悪いと思う。

マネタイズ自己啓発のためにブログというツール活用することについて、それほど批判している人がいないのは、皆なんだかんだ言っても生きていく上でお金大事だとわかるくらいには大人だからだと思うが、一方で何らかの批判が絶えないのはこういう「他者アイテム扱いする姿勢」が気持ち悪いし、無礼だと映るからじゃないかと。メディクリからするとそんなつもりはなくても、そういう風に見えてることはもう少し真摯に捉えるべきで、これを「意識低いやつらの同調圧力」や「行動できないやつらの僻み」だとして否定するのであれば、他者アイテムとしてしか見ていないことを証明することにしかならない。

まあそれが善か悪かは別の話だけど、少なくとも「自分とその仲間、あとアイテム」という世界観賛同してくれる人は、想像力のないバカビジネスとはそういうものだと諦観した商売上手な大人だけだ。

2016-01-18

30代童貞飛田新地へ行く

 30代、童貞デブ容姿性格ともにお世辞にも優良とは言えず、この年まで女性付き合いは全くない。女性に限らずそもそも他人コミュニケーションを取る事が全くなく、限られた一部の友人としか会話が出来ない。そんな人間が何かの気まぐれで生まれてはじめて風俗に行った。しか飛田新地

 詳細な説明を行っているサイトが多数あるため概要だけに留めるが、まず飛田新地とは、大阪にある遊郭で、美女が並んで座って微笑みかけてくるので、セックスしたい子を見つけたら近づいてお金を払う事でセックスが出来る空間である

 念のため補足しておくと、あくま飛田新地にあるのは「料亭」であり、大義名分としては「料亭に入ったら、店の女の子と愛が芽生え、性行為にまで発展した」というような感じになっている。

 料金は15分11000円、20分16000円、延長は1分1000円と決して安くはない。ただ、皆それで納得しているという事は、飛田というブランド価値お金を払っているのではないか、その価値があるならば有象無象風俗に頼るよりはずっと良いのではないか、という考えに至った。

 さて、飛田新地という概念存在する事は以前から知っており、断片的な情報だけでもその異様さに興味をひかれていた。俺自身は性に無関心なわけでも二次元しか抜けないわけでもなく、街を歩いている女性の乳や足や尻につい目を向けてしまうので、それが遊郭だった場合好みの子を見つけたら即セックス出来るというのは凄いブレイクスルーがあるのではないかという思いがあった。AVと比べて自分のチンポに自信が無い気持ちはあるので、風俗チンコを見せるのに抵抗感があり今まで行かなかったが、ここまで来て恥だのなんだのは無いだろう。

 飛田新地に向かったのは夜だった。駅を出て、やや閑散としたアーケードを抜けた瞬間空気が変わるのを感じた。人の波があり、熱気があり、どこかふわふわとした異質な空間に入り込んだという認識があった。旅行で来たと思しき男性、知人同士で来たのだろう話しながら歩いている集団仕事帰りのようなツナギの男たちなどなど、色々な人が居たが歩いているのは男性ばっかりで、一様に料亭の中の女性たちを覗き込んでは通り過ぎていく。俗世からの浮遊感があった。

 居並ぶ料亭から客引きのおばちゃんが声をかけてくる。声の方向を振り向くと、様々な美女がこちらを笑顔で見てくる。女の子衣装は様々で、水着露出の激しいコスプレ(バニーナース)のような、いかにもこれからセックスするぞという風体の物から浴衣スーツ、ブレザー、ユニフォーム等の日常のワンシーンを切り取ったものもあった。

 色々な服装の、しかも非常に秀麗容姿の子ばかりが、すぐにセックス出来る状態で居並んでいる。かなり異常な光景だと思った。飛田空気にあてられて、手は震えだすし、足元はふらふらするし、顔に張り付いた笑顔は取れないし、結構大変な感じになった。

 個人的には、トレーナーのような「ちょっとコンビニに買い物にでも行こうかな」みたいな普段着っぽい凄く私生活感の出ている子がただジッとセックスするのを待っている様子が特にツボだったらしく、そういう子を見るとがくっと下半身の力が抜けて、目が釘付けになったりもした。

 それと、セーラー服を着るのはNGらしいという話をネットで見かけていたのだが、実際にセーラー服のような服のコスプレをしている子はちらほら居たものセーラー服を着ていた人は今回一人もいなかった。女子高生然とした若い女性セックスしたい気持ちはあるものの、あまり学校に良い思い出がなく、記号としてのセーラー服にはあまり興味がわかないので俺には大きな問題ではなかった。

 飛田女の子を選ぶ時は、即断即決が是とされている。優柔不断に決めかねて、この子凄くいいんだけど別の所を見て後でまた戻ってこよう、という動きをするともうお客さんが付いて居なくなっている事がほとんどの場合で起こる。かく言う俺もその事象が起こった。目移りはするし、なにぶん俺は童貞なので急に選べと言われても全く自分カンがあてにならない。

 凄く良い子が居り、この子にしようと思いつつも念の為一周するという甘えた動きをしたら当然次に来た時には居なくなっており心底辛い気持ちになった。違う子を選ぶか……と思いつつももう二周ほど決めあぐねる素人ムーブでうろうろしていたら、都合よくその子が戻ってきていた為、迷わず料亭に入り込んだ。決めた理由コスチュームだった。

 初めてなんです、などという簡単挨拶を交わしたのち、靴を脱いで2階に上がるように指示される。先んじて上っていたら後ろから嬢に腹を揉まれた(繰り返すが、俺はひどいデブである)。恐らくサービス精神のようなものだと思ったのだが、ボディタッチに対してどういうリアクションをすれば良いのか窮してしまい、とりあえず「うわーびっくりしたー」などと言った。

 部屋に上がると時間と料金を説明され、20分のコース選択した。お金を渡すと、「準備してくるから服を脱いで待っててね」と言われ、部屋に取り残された。飛田撮影ご法度で、カメラなど持ってうろついていたら怖いお兄さんが飛んでくるという話なのだが、なるほど、飛田料亭撮影している人たちはこの瞬間に撮影しているのか、と納得が行く程度の時間の余裕はあった。というか、これから始まる事に気を巡らせすぎているのか、非常に長い時間に感じられた。

 嬢が戻ってきた際、すでに嬢も半分脱いでおり、そのままお互い全裸になった。あぁそうか脱ぐんだよな。そりゃそうだ。この時点でコスチュームで選んだのを若干後悔した。全裸になってしまったらコス意味はないのでは。コスAV全裸になるのに憤っていたのになぜ気が巡らなかったのか。これなら私服などの方が全裸になるという記号的な性質の変遷にときめいたのではないか。次があったらそのように配慮したいと思う。この辺りで諦観みたいな物が生まれてきて、飛田の通りを歩いていた時の熱に浮かされる様子はすっかりなりを潜め、晩飯食った後そのまま来たから息がくせぇなとか、一日歩き通しだったから足を初めとして体中くせぇなとか考えていた。

 さておき、布団に横になるように言われ、行為が始まった。最初に嬢が寒さと緊張で萎縮しきった俺のチンコを手で弄り始め、その間どこを見れば良いのかわからなかったので壁を眺めていた。とりあえず勃起しないとゲームが始まらないと思った為、相当な回数抜いた個人的クリーンヒットエロ動画を詳細に思い出して勃起幇助を行う。少し勃った辺りで感触が変わったので嬢を見てみたら、俺のチンコゴムを被せて口にくわえていた。なるほどこれがフェラか、と思った。特に気持ち良いとかはなく、何か、なるほど、という感じだった。

 すっかり勃起した辺りで、嬢が「体位はどうする? 正常位? バック?」と聞いてきたけれど完全にわからないのでわかりやすい奴を頼んだら騎乗位になった。じゃあ入れるね……などと言いチンコマンコに入ったと思うのだがこれも特に感慨とかはなく、納得感。こうやって入るのかという感じ。

 この辺りから緊張で針が振り切れたのか、自分が置かれている状況と、やっている事を可能な限り詳細に見ていたのではないか。胸を触って良いのか訪ねたら乳くらい触ってええよ、と言われ、手を添えられて胸を揉ませて貰ったが、小ぶりな胸だったからか、自分脂肪を触る感じとあまり変わらないなとか、俺の方が胸が大きいなとか(再三になるが、俺はひどいデブである)の感想を得た。体の色々な所を触ってみたが感動するような感触はなく、これらも全てある種の納得、合点、理解のようなものを得ていった。他方、お尻の触り心地は結構良かった。恥骨体重を掛けられると痛かった。

 一通り触るのに満足した辺りで、次は視線問題が出てきた。どこを見れば良いのかわからず、とりあえず嬢の顔を見てみたがぴったり貼り付けた笑顔でこっちを見てくるので、怖くなってすぐに視線を外した。結合部を見てみたいと思ったが騎乗位だと自分の腹でよくわからなかった。結局なんとなく胸の辺りや壁などを見る事にしたのだけれど、どうにも居心地が良くない。これは実生活においても同じで、人の顔を連続して見ることが出来ず、よく視線を外して机の傷や壁の模様などを見ているたちなのでその延長線上にあるものかもしれない。

 嬢が「体位を変えてみる?」と言ったので正常位を試してみる事にした。よくエロマンガで「入れる穴がわからない……」というようなカットがあるが、俺も案の定そういう感じになった。嬢に誘導される形でとりあえず入れる事は出来たものの、すぐ抜けてしまう。何とか腰を振れる段階になったものの、デブ特有下半身の肉圧で正常位の姿勢を作るのがとても辛く、無理に挿入の姿勢を作ったら足がつったのでそれを誤魔化しつつ、あと正常位自体が難しいので後背位に移ってもらう事にした。

 後背位でもピストンをしようとしたらチンコが抜ける事がしばしばあり、俺のチンコが小さいのではないかと嬢にたずねたら「サイズではなく角度の問題」と返答され、なるほど角度の問題というのもあるのか、と思ったが、それはそれとして、自分チンコサイズについて一般的な水準に比べてどうなのかくらいは尋ねておいても良かったかもしれない。今回唯一やり残した事と言えよう。嬢の背中には小さなシミがあった。

 色々な体位を試したが射精するという感じは全く無かった。試した感じ、後背位は人の顔を見なくていいし、お尻の触り心地は存外良く、お尻を撫ぜながら腰を振っていると凄く間抜けな感じはしたもののこれが一番気持ち良い感じがして、悪くはないかもなと思った。思ったが、普通にチンコ萎え、俗に言う中折れという状態か、なるほど、と思っていたらちょうど時間が終わった。

 途中から20分で絶頂に達するのは完全に無理だろうなという確信があったので色々な事を確認してみようという気持ちに切り替わって、焦りなどは無かった。嬢も「はじめての人なら良くある事」と言っていたので、まぁよくあるんだろうなと納得した。色々な知見があったし、実際に行為は発生したわけなので射精できなくて16000円損したとは思わなかった。期待していたような人生ブレイクスルーは無かったが、もしかしたら知らない所で結構変わっている可能性もある。

 ほかに気になった事としては、ピストンをしたタイミングに合わせて嬢が「あん……あん……」と言うので、エロFLASHのようだな、と思った事が挙げられるくらいだろうか。セックスは初だったので嬢に対して誠実であろうと心がけたが、行為最中に「気持ち良い?」と聞かれた時だけは「うっ! うう~! 気持ち良いです!」等と心にも無い事を言ってしまった。

 ところで、2chの有名なコピペで以下のようなものがある。

 1 名前:1投稿日:02/04/05 02:29 ID:YZVneEEk

僕には彼女がいます

そして週に1回~2回くらいセクースするんですが、ひとつ気になる事があるんです・・。

セクースしてるとき彼女が「あんあん・・」とか言いますよね。

でも彼女絶頂に達してくると「ああ、ああ~!! ああ~~~!!!

なるほどなるほど!!!ああ、ああ~~~~!!!なるほどーーーー!!!!!」

と言っていくんです。

本人は大真面目なようなんですが、僕はこんな彼女ダイキライなんです。

 これは笑い話として語り継がれているものの、俺は勝手に妙な共感を抱いてしまった。チンコを入れたり、体を触ったり、腰を振ったりするという行為に様々な納得があって、「なるほど……」という気持ちが体中に張り巡らされ続けていた中で、このコピペが思い起こされた。

 飛田は通りを歩いて、嬢を選ぶのに代金の大半が含まれているのではないかな、という認識も得た。風俗のものはまだ俺には難しいと思ったが(一般的時間の長い性サービスならまた感想は変わるかもしれないが)、あの体験は得がたい非日常性があり、その経験が新鮮であるうちに、2度3度と大阪に通いたい。

2015-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20151123155724

テロみて何とも思わないのは、

どーせ平和になっても日本みたいになるんでしょ?

とか

まだやってんのオタクラ?年千年やるつもりよ?

という感じの諦観・定款・貞観政要西洋

2015-10-27

誰がオタクと呼ばれ、誰がオタク自称たかオタク史で振り返る

はじめに

90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネット個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。

本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタク自称したのか、その変遷を整理することである

おたく」の誕生

第一回コミケ1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニア自称しており、オタクではなかった。もっと二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。

運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))

中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。

世間的な「おたく」の誕生

ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年宮崎勤連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラーアニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュインドアブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。

この時高校生だったあるオタクは次のように当時を述懐する。

オタク、かっこ悪い?」

そういう問い自体出なかった

オタクは格好の悪い生き物だ」

侮蔑され諦観

故に侮蔑され故に諦観

数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする

(中略)

おい あれ

アニメコミックだって

プッ

オタクだよオタク

ぎゃはははは

宮崎だよ宮崎

オイロリコン部ーッ

幼女さらうんじゃねーぞーッ

ぎゃははははははは

平野耕太, "すすめけん", 月刊少年エース10月号増刊 エース桃組(2004))

世間宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。

当時の高校生オタクにこうした罵声反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。

技術革新と濃度差の可視化

岡田現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。

80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価意見交換できる場は、不特定多数オタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。

そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察解釈を求めてネット活用された。ネット黎明期オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタク存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタク自称する者のズレは拡大していくことになる。

秋葉原聖地

エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者オタク化を助長し続けた。

他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。

コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原アキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。

そして2005年TVドラマ電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客オタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。

珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。

動画サイトによるオタク人口の拡大

2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法わず大量のアニメゲームといったオタクコンテンツを抱え込んでいく。

アニメ放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイト投稿された動画に必要な手間はクリックするのみであるオタクコンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。

またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメアフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報スキャンダルを把握する。その情報あくまアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定オタク的知識を有していることはまぎれもない事実である

こうした層はアニメマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタクコンテンツ情報収集必要コストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。

非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテコミュ障等と細分化し始める。

誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタク自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークル同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタク自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。

一方で2007年以降、AKB48握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。

オタク向け婚活パーティの登場から現在へ

細田守監督映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。

2011年アエルラアイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガアニメゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。

筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田オタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメ話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタク自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である

他方、携帯ゲーム課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメ興隆などから、グッズその他のオタク趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。

おわりに

アイドルオタクアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。

また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である

ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティ所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。

オタク論は死んだが、オタクが絶滅したわけではない。

オタク同士の相互理解の一助に、本稿が幾ばくかでも寄与できれば幸いである。

2015-09-26

違う世界へ行きたくて

今また新しいところに行きたいと思う気持ちと、結局どこに行っても変わらないという諦観との間でゆれている。

  

結構な歳まで日本を出たことがなかった。

そもそも18まで地元からでたことがなかった。

地元はどんどん窮屈になっていった。

そして最後まで好きになれない場所だった。

ここを出たいと思った。

そうすることができるような進路、仕事を選んだ。

最初東京、今は四カ国目の海外

  

この間この地域では一番高い山に登った。

山小屋、というよりも土産屋と飯屋とガイドの待機所、のようなところで、そのオーナーから色々話を聞いた。

その山の歴史、どうしてこういう名前になったのか、伝説のようなウソのような言い伝え、これからの天気がどうかわるか・・・きっと話にはよどみなく、分からない言葉も沢山あったが、彼の身振り手振りと顔の表情で話の内容がそのまま頭に伝わってくるような、そんな洗練された、名人落語のような話術だった。

天気の回復を待って山をみている独り者の旅行者を捕まえては、毎日のように話をしているのだろう。

 

「最高の女がいるのに、浮気したら取られちまうかもしれないだろ。それと同じだ」

面白がって聞いてくれたので、自分旅行の話もしたが、オーナー自身旅行しないのかと聞いたら、そう答えてくれた。

「表情も毎日違う。来る人も違うし、その人たちが来た理由も、お前さんがしてくれたような昔話も全部違う。毎日が新しいし、ここにいれば世界中のことが分かる」

  

そんな山を探したいと思っていたはずなのに、自分には見つかっていない。

なぜだろう。

違った世界を見たいのに、結局同じものを多少エフェクトの違うフィルターを通して見ていただけだった気がする。

  

今また新しいところに行きたいと思う気持ちと、結局どこに行っても変わらないという諦観との間でゆれている。

2015-09-20

にんげんだもの」とヒューマニズム

欧米古典を読んでいると、ギリシャローマ時代偉人格言引用に頻繁に出会う。

先日読んでいた本で引用されていたのが、

"et nihil humanum"

という言葉で、紀元前2世紀ローマのテレンティウスが書いた喜劇の冒頭の一節だそうだ。

「エット・ニヒル・フムマム……人間的なことはどんなことでも自分とは無縁ではない」

という意味だという。


まり、酒を呑むことも恋をすることも、他人を羨ましく思うことも誰かを助けてやりたいと思うことも、

すべてひっくるめて人間行為であり、それは自分とは無縁のことだとは思ってはならないという、

人間性への信頼感、諦観意味している。

この言葉は、ヒューマニズム人間主義モットーとして欧米でよく知られているという。


それを知って思い出したのが、相田みつをのあの詩である


「つまづいたって

 いいじゃ

 ないか

 にんげんだ

 もの


相田みつをのこの言葉も、近年よく日本人引用するようになった。

日本人にはギリシャローマ古典は身近ではない。

そこに、一時期もてはやされた相田みつをのこの詩が日本流ヒューマニズムモットーとして

利用されるようになった機縁がある。

西洋から移植されたヒューマニズム日本人の中に根付き、そこに相田みつを言葉がピッタリとはまるようになったのだろう。


欧米人をうらやましいと思うのは、そんなときだ。

彼等の根っこには、ギリシャローマという、合理主義的で民主主義的な、今の時代を覆う思想の花開いた文明がある。


から、今の時代に二千年前の格言がそのまま使える。

彼等の文明は、古代文明の延長上にある。

から深みがあり、強い。


それに対して、日本人、いや、韓国人中国人ベトナム人も、王による独裁的な支配を当然とする思想

二千年間信奉してきたために、近代までの思想に、現代思想に利用できるものが少ない。

よって深みがなく皮相的だ。


相田みつをの詩がたびたび引用される日本の現状には、ヒューマニズム歴史に欠けた東洋文明貧困が現れている。

2015-08-29

やっぱ自分にとって楽園に近い環境ってのは存在するもので、大抵そこに身を置くためには何かしらの努力をしなければならないものである

実際にそういった場所に昨日行ってきて、自分が思い描いていた以上の美しさを感じて、でも自分がそこに身を置くことは叶わないのだなと思って少し諦観に似たような気持ちを抱きながら帰ってきた

いい人生経験をしたと思って割り切るしかないかもしれない。

またその場所を目指せるだけの人間になれれば、それ以上のことはないのだが。

港町の美しい景色に、乾杯

2015-08-10

終了間際のネトゲをやったときの話

さて随分前の話になるが終了告知されたMMOを数日だけプレイしたときの話.

当時やっているゲームに飽きて手持ち無沙汰になったところに,数年続いたあるネトゲが終了すると聞いて冷やかしがてらやってみた.

なぜ人が多く実績のあるネトゲでなく,人が去り終了に追い込まれネトゲをやったのかって,興味があったからだ.

盛り上がってるネトゲはそんなに早く終了しないけど,終了告知されたネトゲは数ヶ月で消えてしまう.

まり希少価値があるんだ.ほとんどの人には無意味価値だけれど.

華々しいキャラクターが踊る公式サイトプレイヤーを誘う大きなゲーム開始アイコン中央にあるゲーム終了告知の赤文字が不釣合いだ.

起動するとオープニングムービーが流れ,PS時代かと見まがうほどのクオリティの低さだが冒険の始まり雰囲気はする.

変化に乏しいキャラクタークリエイト.職は戦士魔術師とヒーラーがあり,とりあえず戦士

最初はただ移動やクリックするだけで経験値やお金がもらえる.

読み込みが早いのでストレスは感じない.新規育成キャンペーンだとかで追加のアイテムがどんどん入ってくる.

そのうちクエストで狩りをすることになる.でも敵をクリックしてたまにスキルボタンを押すだけ.とても簡単.

この程度ならいくらでも続けられるぞ!

しかだんだん飽きてくる.同じようなマップで同じようなクエスト,同じような狩り.

キャンペーンでもらったポーションのおかげで回復は有り余っていて戦闘に緊張感がない.

もちろんここまで他のプレイヤーとは全く遭遇しない.

チャット欄には楽しげな口調でシステムの告知が連なる.「レベル11達成! 新規キャンペーン報酬確認してください」

しばらくやっているとそこそこ大きな街に着いた.

ここからはサブクエストPvPコンテンツが開放されてある程度自由に動けるらしい.

キャンペーンでもらった素材をぽちぽちやると装備を強化できた.

とりあえずサブクエストドラゴンの討伐に向かう.強化した強さを見せてやる!

あっけなく殺される.どうやらPT専用のクエストだったらしい.

数日が過ぎ,どうにも人恋しくなってきた.

毎日ログインするとアイテムがもらえるのだが,これが価値のあるものなのかわからない.

自分のやっている強化やクエストが正しいのかわからない.目標もない.

メニューからギルド検索すると,メンバー募集中のギルドがあった.

規模もそこそこ大きく貢献度も高い.さっそく申請すると自動承認された.

複数カンストキャラ登録されているが,最終ログインが3ヶ月前.

ギルド告知にはこうある.「ギルド休止につき出入り自由倉庫のもの自由に使ってください」

倉庫を見ると空だった.

しばらく広場でぼーっとしていると,初めて他のプレイヤーに会うことができた.

天使の羽のようなアバターをつけてチョコボみたいな乗り物にのっている.いかにも強そう.

嬉しくて近づいてみたが,相手はこちらに気づかないかのように通り過ぎていなくなってしまった.チョコボは足が速いので徒歩では追いつけない.

考えてみると,彼はこのネトゲにそこそこ人がいたこからやっていたはずで,何百人もの新規プレイヤーを横目に通り過ぎてきたのだから,今更一介の低レベルプレイヤーを相手にする感情はわかないだろう.

終了を看取ろうとする古参プレイヤーとの間に超えられない壁を感じ,そして気づく.ここはディストピアだと.

システム新規プレイヤーを歓迎する.しかしかつていたプレイヤーほとんどはいなくなってしまった.

その原因はわからない.PvPバランス崩壊か,アップデートの失敗か.

何人かの新規プレイヤーがここに来て人々がいなくなった原因について考えを巡らすかもしれない.

何人かは過去掲示板書き込みを見て理由を察するかもしれないが,その理由があってるかどうかはわからない.

確固たる事実は,サービス終了が決まっているということだ.

このネトゲ最後まで歓迎を続けるシステムと,諦観しつつ終焉を待つ古参プレイヤーとともに残り少ない日々を過ごすのだ.

かつてはここで大規模な戦争や,大人数のモンスター討伐,数々の人間ドラマ存在したのだろう.

街に存在するあらゆるオブジェクト過去にたくさんのプレイヤーが見て,操作し,さまざまな思いを抱いたのだろう.

たかデータだとしてもその歴史は揺るがない.

しかほとんどのプレイヤーはいなくなってしまった.

ここには過去存在するが,未来はない.

システムがどんな美辞麗句で虚飾しようとも,その事実は覆せない.

閉ざされた未来という厳正な事実が重くのしかかり,そっとログアウトしてアンインストールした.

なんか星新一が題材にしそうだ.星に残った数人の人間たちの最後の行動とかね.

最近ネトゲを題材にしたラノベアニメも増えてる一方で,人がいなくなったネトゲサービス終了も相次いでいる.

こういうサービス終了時の退廃的な雰囲気を題材にすると面白いのができるかもと思ったり.物好きにしか受けないか.

2015-06-07

狂人イラストレータ人生を狂わされた話

昔、ネットで知り合った絵師に、動画サイトに使用するイラスト有償発注した。

きちんと契約書を作成して契約を結び、こちらもしっかり支払いをした。

その後、その動画の人気が出てくると、

「私、この動画もっと貢献したいんで、新しいイラスト描きました!」

と言われ、数点のイラストが送られてきた。

私はありがたく思いそれを使用したが、後日そのイラストの請求が来た。

こちらとしては依頼していないイラストだったが、確かに相手の時間コストを使って描いてもらったものから、とりあえず支払った。

「支払いますが、今後金銭的なやりとりが発生する場合イラスト作成前に私と相談して下さい」

と伝えた。

しかし翌月もイラストと請求が来た。しか勝手にその絵師の友人を巻き込み、イラストや音素材や動画アイデアなど送りつけてきた。それも有償

さすがに私も勝手な振る舞いにキレて相手にやめて欲しい旨を伝えたところ発狂

私の動画荒らしまくり絵師サイトで私の根も葉もない誹謗中傷を書き、イラスト投稿サイト誹謗中傷イラストを載せ、私の職場嫌がらせ電話をかけてくるというマジキチな行動をとられる。

会社電話がかかってきた時点で社内会議となってしまい、

弁護士を入れて早急に問題解決しろ

会社から言われる。

弁護士相談したが、相手がナマポと分かり、

今上がっている誹謗中傷逐次消したところでまた上がるイタチごっこであるし、金銭的にも勝ってもなんにもならないし…」

などと言われ、諦観することになる(弁護士やる気0)。

その後も誹謗中傷エスカレートし、弁護士からサイト削除依頼をするもマトモに取り合われず。

長い時間をかけて少しづつだけ削除される。

その後私の会社には「1週間以内に金を振り込まなければ訴える」という、絵師が依頼した弁護士から手紙が届く(支払っていないが)。

私は会社から日々その件で詰められ、居心地が悪くなり退職

弁護士には俺が個人で金を支払い続けている。

2015-06-06

2chとかで寿命話題になると

ロシア科学者不老不死予測」みたいな寿命ヨタ記事スレが立つと「そんなに長生きしたくねえ」とか「早く死にたい」みたいな書き込みがいっぱいあるんだけど、あれって「諦観してる俺かっこいい」みたいな感性だよな。

俺は120歳まで生きるのを目標に全力をつくしてるわ。

だいたい生まれるのが100年早かったわ。100年後には寿命500歳とか実現してるはず。

2015-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20150604022308

弱肉強食を主張する人が増えるのは、現実社会抗うことに疲れた人が増えるからだと思う。

今の現実社会はどう言ったところで弱肉強食の傾向が強い。

それは不満だ、それはよくない、と抗うために弱肉強食シバキ主義を叩くわけだけど、

生活が辛くなったのか、論戦に疲れたのか、他にも個々人事情はあるだろうが、

「あっこの現実に抗っても辛いだけだわ」と諦観ちゃう人がちょいちょい出てきたのでは。

そうなった人にとっては、反シバキ主義自分が捨てた立場なので、

それにこだわって主張する人が愚かに、もしくは不快に見えたりするんだよね(俺も経験ある)。

から現実的」な弱肉強食を訴える声が増えたりするんじゃない

(ごめん派生の他のエントリに一回トラバしちゃった)

2015-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20150529082634

君は女性の性欲を自分の性欲の延長で捉えてるんだろうね

私の経験から言えば女性の性欲は対象美的価値よりも対象自身との関係から出る場合の方が多い

まり愛している相手だから欲情するというのが女性には珍しくない

君は誰かに愛されればいろいろな事が解決するよ

協調や協力や信頼や友情諦観や、様々な入口から人は人を愛するようになるよ。

2015-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20150407221851

寂しさはカネで紛らわすことが出来る、

などと思ってしまうと余計ドツボにはまるので、

寂しさと一緒に暮らす、

くらいの諦観力を身につけたいもんだな。

個人的にはどうやっても個人プレイしかならないスポーツをやってみるといいんじゃないかと思います

いいよ、水泳とか。

2015-02-24

就活面接のコツ

就活に限らず、何か面談とか面接とかするときは常に楽しげな表情を浮かべていたらいい。

笑えって事じゃない。ニヤニヤしてもダメだ。

なんというか、ゲームをする直前のような顔だ。好きなスポーツとか、楽しみにしていた書籍音楽聴く前の顔でもいい。もっと直線的に言うと、今からいい女とセックスするって時はどんな心理でどんな表情かやってみろ。それだ。

とにかく、自分に「今から楽しいことをするんだ」と軽く言い聞かせる。

それだけで過度の緊張とは無縁になる。

対面するものには何となく頼もしい印象を与える。

問答に窮したら素直に困ったと言え。黙るな。

それで少し照れ笑いしろ北野映画で武が笑っている顔を見て、少し練習してみればいい。ちょっとした諦観と照れが混じった笑いだ。

ただし、間違っても千葉真一の笑いを覚えるな。あの笑いは好戦的すぎる。

まあ、普通にスポーツをやってる人には簡単にできるメンタルコントロールだ。

2015-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20150129093636

私はとにかく句点が嫌いだ。文中での句点の使用は、文章作成における怠惰だと思っている。一つのことを表現したい場合は、潔く一つの文で実現すべきである。それを疎かにするがごとく、澄ました顔で現れる句点を見ていると、本文の内容にかかわらずそのことだけで筆者の底が知れる気分になってしまう。長い文章を、長く、しかし読みづらくなることなく、すとんと頭に入ってくるようリズムよく紡ぎ出せる、そのことが即ち文章力といえるのではないか。当然、表現方法の一つとしての句点否定するわけではない。ここぞというときに、それまでの流れの一切を断ち切るように現れる句点の使い方には、頭が下がる。私が言いたいことは、終わりもしない、変化もしない文章のつながりに現れる句点がどうしても許せないということだ。大げさにいえば、句点を打つということはその文の流れに死を与えるもの同意なのだ。その覚悟がないまま、水気とコシのない蕎麦のようにぶつぶつと途切れ途切れに登場する句点、それを見ていると、ストレスで気が狂いそうになる。いま一度、句点意味を考えてほしい。文章を途切れさせることの意味を考えてみてほしい。自身文章力諦観するのではなく、長く書くことが難しいからこそそこに挑み、そしてその長文を紡ぎきった際に得られる達成感を、じっくり噛み締めてほしい。視認性、可読性などという言葉に躍らされ、句点・改行が溢れる文章を垂れ流すことをただちに省み、流暢な日本語の美しさが響く文章を紡ぐ楽しみについて、見つめ直してほしい。それこそが文章を紡ぐことの純粋な楽しさなのだから。そんな怠惰存在であるくせに、ブコメであと一文字足りない時にも、句点は一丁前に一文字分カウントされていやがるのだ。私にはそれがどうしても許せない。だから私はとにかく句点が嫌いだ。

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.13 『Treating2U~ふたりラストショー』

■その1。

 久しぶりに会った友達から、『ツグナヒ』を猛烈に薦められた。「最強の妹ゲーっすよ!」と言われたんだけど、筆者はひねくれているので、同じメーカーの『Treating2U』をプレイしてみることにしました。まあ、巷の評価がかなり二分しているゲームだったので、結構、気になっていたのもあるんですが。

 ……まず、プレイしていて気になったのは、ストーリー重視型のゲームが陥りやすい罠なんだけども、ほのぼのとした雰囲気ハートフル人情もの志向するあまりに、美しい描写にこだわりすぎて、物語の勢いが一本調子になってしまっていることだ。テンポの良い会話のおかげで、キャラクター個性は際立っているのだけど、骨格となるストーリー相対的に弱く、物語バランスを崩してしまった。会話が上手く流れている時は気にならないのだが、会話の回転が狂うと、途端に物語は停滞してしまう。

 しかも、この作品場合は、その停滞が主に、Hシーンで起こっているのだ。物語方向性として、杏菜シナリオを除けば、女の子が心をさらけ出し、伊之助がそれを受け容れる構図になっているのだが、心のキャッチボールが表層だけで流れてしまっているところもあった。キャッチボールには、力任せに投げる速球もあるだろうし、わざとコースを外して投げることだってある。けれども、会話の回転が狂うことを避けようとしたのか、Hシーンでも、他のシーンと同じように、ボールを投げてしまっている感じがした。Hシーンを物語転回点として位置づけるならば、女の子たちは伊之助に向かって、あえてビーンボールを投げるべきだったし、伊之助もそれを望むべきだったろう。Hシーンに限って言えば、伊之助はもっとお節介であっても、良かったのかも……。

 しかし、登場人物たちとの交流恋愛描写に関しては、非常に上手い部類に属すると思う。この作品評価している人は、おそらく、この部分が特化されていることを評価しているのだろう。だけども、転回点で互いの深層にもっと踏み込んでいたら、最後の[Treating2U]は、更に効果的になったと思うのだ。はじけるような笑顔の向こう側を見たいよ……某人気ドラマ主題歌じゃないけども、良い歌には、物語を凝縮して、感情を呼び起こす力があるのだから、思い切って、もっと歌の力に頼ってしまうのも、一つのやり方だったかも知れない。

 あと、ゲームとしての自由度が低いのも気になった。これは、伊之助のキャラクターイメージが際立っていることの弊害だと思う。ストーリーに没入するためには、プレイヤーが【堤 伊之助】を演じるという段階を踏まなければならないし、まあ、それ自体はいいとしても、その敷居は若干高いような気がした。媒介となる選択肢方向性が似たものが多く、プレイヤーストーリーに介入できる場所も少ない。それが、キャラクターの幅を、良くも悪くも制限してしまっているし、個人的なことを言えば、ストーリーは楽しかったけど、伊之助の生活俯瞰的に観ている感じは拭えなかった。

■その2。

 この点については、最初からノベルとして割り切ってしまえば、問題はなかったと思う。しかし、このゲームは、基本的AVGシステムで作られているので、その辺の違和感最後まで気になってしまった。

 全体としては、ストレート物語志向しているはずなのに、細部でボタンの掛け違いが起きているので、一つの作品として考えると、どうもバランスが良くない。この辺が、評価が二分している理由なんだと思う。

 冒頭から苦言ばかり書いてしまったけれど、長所短所の差が極端だということは、当然、長所もズバ抜けている。ただ、その長所が分かりづらいという欠点があった。どちらかと言えば、[泣き]系のゲームでありながら、それを売りにしなかったというのは、個人的には好感を持ったけど、広告や紹介記事を見て、作品コンセプトが絞れてないな、と思ったのも確かだった。

 また、[エロゲー主人公]に関しては、以前、『夜勤病棟』をレビューした際にも触れたのだが、伊之助のキャラクターが、女の子たちの存在を霞ませる程に強烈だったのは、鬼畜系ではない、この作品ではマイナスに働いてしまった気もする。

 また、伊之助はニヒリズムとは無縁のキャラクターだ。これも、最近エロゲーでは異色と言えるだろう。しかし、そんな伊之助にも、ニヒリズムの影が忍び寄るシナリオがある。

 先に書いた通り、杏菜シナリオは、他のシナリオとは異なる構造を持っている。受け容れる存在としての伊之助は、このシナリオでは病気のために成立せず、杏菜にその役割を肩代わりさせる。そして、霞夜シナリオでの主題がそのまま反転して、伊之助に選択を強いるのだ。

 霞夜シナリオを先にプレイした場合、この選択肢に直面することで、今度は生きることを強要される側の苦しみを味わうことになる。そして、ニヒリズムを持たない伊之助の格好良さ=完璧さも、無自覚なナルシズムの上に成り立っていて、一歩間違えれば、愛シナリオでの志摩先生と同じ過ちを犯しかねない、不安定な人間であることを悟るのだ。

 その選択肢から分岐する伊之助シナリオは、己の美学を優先した結果、杏菜を伊之助の幻影に縛り付ける結末となる。伊之助に拒絶された杏菜は、受け容れる存在としての役割を全うできず、それゆえに、伊之助を理解することが出来ない。

 看護婦としての職業意識で、心の眼鏡を曇らせ、ロマンティックな美学に殉じようとする伊之助を、曇った眼鏡を通して傍観することで、達成されない役割を続けていた杏菜は、伊之助シナリオ最後で、既に舞台から消えた伊之助に、幸せだったか、と問う。だが、己の美学に殉じることができた伊之助は幸せだったはずであり、そういう意味では、バッドエンドではないが……。

 しかし、諦観怨嗟交錯した、杏菜の問いが、既に消えてしまった伊之助=プレイヤー自身に向けられることで、もう一つの選択肢である、杏菜シナリオでのエンディングが、強い印象を持ったのは確かだろう。

 [生を肯定すること]をテーマに据え、病院舞台に選んだのは、正しいと思う。だけども、同時に死も肯定しなければ、生も浮かび上がってこないような気がする……。また、杏菜&伊之助シナリオ以外では、死の予兆はあるが、全体的に、死は隠蔽されている傾向が強い。このことが、一本調子という印象を感じた、大きな原因になっている。

 総合的な感想としては、全体的に素質は高いが、細かい駆け引きでの、経験不足は否めない。しかし、長所を殺さず、短所を克服できれば、次回作以降、大きく伸びる可能性を感じた作品だったのも確かだ。

■忍び寄る総括。

 個人的意見。えっ、紅葉ラブラブにはなれんのですか? そうですか……がく。このゲーム、脇役な方々がいい味出しているんだけども、後半の分岐後は、影が薄くなってしまうのが残念かも。もっとも、舞台病院から次々と消えていく寂しさは、祭りの終わりを感じさせて、それはそれでいい感じなんだけど。という訳で、今回は珍しくゲームレビューしてたような気が。ダメですか……そうですか。でもって、今回は連載一周年なのでした。

Natural Color Phantasm Vol.08 『Kanon~残された者のために祈りを』

■その1。

 発端は、とあるまんが家と喫茶店で打ち合わせている時だった。お互い、ヘビーな美少女ゲーマーだったので、自然最近ゲームの話になったのだけど、『Kanon』の話になった途端、そのまんが家は激昂し、強硬に『Kanon』を否定したのだ。激昂の理由は後述するけど、普段は温厚なそのまんが家を激昂させた、『Kanon』というゲームはどんなゲームなんだろうか……という興味が(本人には悪いが)沸いたし、何よりも、巷では大人気のはずなのに、筆者の周辺でプレイした人が、まるでいなかったのも気になっていた。

 『Kanon』というゲームが、恋愛ゲームに興味の薄い人間にとって、敷居が高いのは確かだ。コアなファンは多いのに、その面白さはプレイしていない人には、なかなか伝わって来ない。実際、雑誌の紹介記事を読んでも、「今泉伸二のまんがより泣ける!」程度しかからないし(すまん、古いギャグで)、何より、雑誌ごとに扱いの大きさが極端に違っていた。しかも、筆者は『MOON.』も『ONE輝く季節へ~』もプレイしていなかったので尚更だ。

 ……さて、ゲームプレイしての印象だけども、音楽を含めた演出面は素晴らしいし、シナリオも読んでいて引き込まれる力は十分にある。そういう意味では良質の作品なのかも知れない。でも、正直言って、全体にバランスが悪すぎる……というか、凡庸な部分と突出した部分の落差が激しすぎるのだ。

 まず、シナリオに関して、引き込まれつつも、違和感を感じていた。何故なら、どのシナリオ不条理が剥き出しの状態で、そこにあるからだ。この物語での不条理とは、主に[祈り]と[奇蹟]にまつわる部分で、物語の根幹を成す部分なのだけど、物語形成する要素としての世界観や、恋愛に至る過程といった場所での論理がどれもこれも飛躍し過ぎている。それは、意図的なのかも知れないが、結果、説明不足に陥っている場所が大量に存在するのはどんなものか……と思っていた。

 ……更に本質的問題として、エロゲーとしては全く成立していないのだ。これについてはもう論外としか言いようがないし、ゲームとして見た場合、『Kanon』は、整合性というものが全く欠けていた。

 しかし……そんな欠点ゴロゴロしているにも関わらず、筆者の評価は悪くない。悪くないどころか、個人的には極めて面白かったのだ。じゃあ、何で面白かったのか……それが最大の問題だった。

 話は逸れるが、物語を構築する要素というのは、ウラジミール・プロップの「26のカード」以降、現在では分析され、かなり法則化されている。更に、近代化に伴って、スピリチュアル曖昧だった物語要素は、更に表層的な記号解体され、方程式を組むように商品を作ることができるようになったし、記号の選択と方程式の組み方さえ間違えなければ、ユーザーを「泣き」や「萌え」の状態に導くのも、割と簡単にできる。実際、ほとんどのおたく向けヒット商品作品はそういう計算の上で作られている。逆に、ヒットしない商品のヒットしない理由とは、作り手の創作性……悪く言えば、偏執的なこだわりがノイズになってしまったケースが大半だったりする。

 そして、全ての事象が表層的な記号へ分解されていくこの状況が、この連載で何度も書いてきた[オブジェクト嗜好]の正体で、別の場所では[ポストモダン]と呼ばれていた状況だったのだ。

■その2。

 商品として成立させるために、計算によって整合性を高めると、計算できない要素はノイズとして排除されてしまう。例えば、スピリチュアル物語要素の代表である[奇蹟]は、近年は「陳腐もの」として、扱うことを避ける傾向にある。

 何故なら、ロボットならいざ知らず、人の生死に関する[奇蹟]は極めて不条理で、論理的な説明が困難だからだ。確かに、『To Heart』でも、いくつかの[奇蹟]は存在したが、論理的に説明できる程度に抑え、逸脱することを防いでいた。これは、日常性の維持=普遍性を、物語世界の根幹に据えていたからだろう。

 ところが、『Kanon』の場合は、[奇蹟]を、物語世界の根幹に据えてしまった。作り手が日常から逸脱してしまうことを覚悟していたかどうかは分からない。しかし、『Kanon』は表層的な設定よりも、ドラマトゥルギー的な主義主張が先に立っている作品で、キャラクター記号性で、その綻びを強引に追補していた。それでも、原初的物語要素……スピリチュアルな展開、に対する思い入れが強すぎて、全体のバランスが崩れることは食い止められなかった。

 これではどう見ても、物語として完結させるのは困難で、ああ、このまま破綻したまま終わるのかな……と思いきや、[奇蹟]によって力づくで完結させてしまったのだ。これはとても希有なことだと思う。

 だけども、同時にこの作品は、表層的にも、「泣き」や「萌え」という要素を達成して、商品としても成立している。いわば、作品が二重構造になっており、そのことが先に述べた敷居の高さの原因になっているのだろう。しかし、記号の組み合わせにも、緻密な計算や、意図的ものが、いまいち感じられないのだ。

 肝心の文章のものにしてもそうだ。シナリオ構成自体は随所で破綻しているにも関わらず、文章が独特のリズム感と情念を持っていて、物語に引き込まれしまう。キャラクター描写ストーリー展開で、同じパターンを反復している箇所も多く、もちろん、ある程度の計算は感じさせるのだけど、全体としては緻密な計算より、感覚を優先したように見える。こういう文章を昔、読んだことがあるな……と思ったら、思い出した。平井和正小説……それも、『幻魔大戦』や『地球樹の女神』あたりの感覚に近い。

 平井和正は、自身の紡ぐ物語を「言霊が降りてくる」と表現していたが、それが結果として、[天然の美]となっていた。単純に比べるには抵抗はあるが、『Kanon』についても同じことが言えるだろう。そして、計算だけでは超えられなかった、魔術めいた部分が、このゲームの最大の魅力なのだと思った。

 更に、私見ではあるが、ファンの心性も似た傾向があるように思う。これは、どちらにも共通するのだが、作り手はいざ知らず、ユーザー側が全員、[ポストモダン]という状況を肯定している訳ではない。その状況に戸惑ったり、諦観していたりする人々も存在する。そして、そんな最先端から取り残された人々の存在に思いを馳せなければ見えないものも、また存在するのだ。

 本誌(カラフルピュアガール)の若い読者は、最先端の絵柄で上手いという理由だけで美少女ゲームを買うかも知れないが、そういう人には、『Kanon』が売れる理由は多分、分からないだろう。

 絵描きにしてもそうだけど、[作り手]と呼ばれる人々は、常に最先端を追い続ける義務感を持っている。そういう人々が、立ち止まることを肯定してしまうような作品否定するのは、無理もない。冒頭の出来事の原因もまた、そういうことだったし、筆者も、順調に本業だけ続けていれば=最先端を追いかけていれば、こういう視点は持たなかったろう。けれども、筆者にとっては、最先端の行き着くところは[ポストモダン]という名の絶望だったのだ……。

 しかし、今回のプレイでの教訓は、[真・善・美]が最先端の中にあるとは限らない、ということだ。問題は、突き進むにしても、立ち止まるにしても、そこで何を成すか、想像力限界を拡げることができるかどうか、なのだと思う。

■複雑な気分の総括。

 真琴シナリオプレイしていたら、ネームに詰まったかかしあさひろが遊びに来た。そして、後半の反復する連鎖コンボのような展開を見ながら「ああ、こりゃルネッサンスだな」と言った。おそらく、タイトルから何か連想して言ったのだろう。

 しかし、これは面白い発言だ。エヴァ以降、完結しない物語が当たり前になり、影響を受けた若い世代は、技術至上主義ビジュアル志向に走り、物語という概念すら放棄しかねないという状況……そんな、進化による閉塞から逃れるための、前近代への回帰として考えると、『Kanon』という、無謀極まりない物語は、微妙な可能性を秘めていると思う。まあ、それは別の閉塞なのかも知れないけど……。

2014-12-05

経済失速に対し「怒る」パワーすら失うくらいに、高齢化した日本有権者

例によってツイート転載なので、読みにくいのはご容赦

★元々自分は、選挙直前GDPショックを見て、当初は「自公は過半数は維持するものの、現有議席を減らす」と予想していた。

 しかし、GDPショックでも一向に政党支持率は落ちず、直近調査では「自民300」と各紙予想している。

★つまり国民GDPショックがあっても、「野党だって経済をうまく回せる訳がない」と冷めた目で見ている、ということだろう。

 「不景気与党に不利」の法則すら、日本選挙では通用しなくなった。

★今まで日本選挙では、「政策次第で、日本は良くなる」という淡い夢につられて投票していた。

 今回の選挙は、「もう日本の衰退は、どんな政策を講じても不可避だ」という諦観有権者根付いてしまった、ということではないか?

 だから与党でも野党でも「どっちでもいい」となる。

政権交代は、それ自体エネルギーを消耗する。

 「どうあがいたって、没落は不可避、没落逃れの政策を追い求めるだけムダ」と諦観した日本有権者は、

 政権交代無駄エネルギー消耗を避け、消極的与党支持に回る。緩やかな安楽死を穏やかに迎えたい。

・・・ツイートしたら、「ワイマールドイツと同じ諦観状態。次に来るのはナチス」とのリプライが来た。

 でも、ワイマールドイツ根本的に違うのは、日本有権者平均年齢は、圧倒的に高齢化してる点。

 日本ナチスドイツになる体力すら残ってない。

 たぶんワイマールドイツ有権者平均年齢は30代でしょう。今の日本有権者平均年齢は50代、下手すれば60代

結構、今回の直近世調査の「自民の高支持率」は自分には衝撃。

 経済失策に対して「怒る」元気さすら失われるくらいに、日本有権者高齢化してしまった。

 ある程度の人口を抱えた国家の中では、日本有権者平均年齢は、最高齢なんだろうなあ。

★ちなみにウソみたいな本当の話ですが、日本女性の平均年齢は、「赤ちゃん子供を含めても」50歳を越しているらしい。

 思いっきセクハラツイートをすれば、女性機能卒業してしまった女性が、日本女性の過半数を占めている

民主主義という制度は、元々は「有権者の平均年齢が30代~40代」という前提で制度設計されていると思う。

 だからこそ、健全な「怒り」が、民主主義機能させるエネルギーになっていた。

 今の日本のような、「有権者の平均年齢が、下手すれば60代」という状況は、民主主義想定外では?

★これで選挙自民党が「大勝」しても、たぶん社会に高揚感は湧かないだろう。 

 自分見立てが外れて自民が「敗北」しても、たぶん社会に高揚感が湧かない。

 「選挙で、政策で、社会が変えられる」と無邪気に信じることが出来なくなったのが、老人大国日本の現状

イランとか、フィリピンとか、インドネシアとか、有権者の年齢が恐ろしく若いんですよ。下手したら平均年齢が30歳行ってないかもしれない。

 そういう国は、良きにつけ悪きにつけ、有権者の怒りのパワーが政治を動かしている。

2014-10-13

吾輩は女である、胸はでかい

秋冬になって、セーターの購入を検討していたらふと巨乳について考察がはじまっていました。

我、巨乳なり。世に生を受けて26年。

巨乳であることのデメリットコンプレックスを、はてだで読んで共感しながら、メリットであることを考えるに至って。

結論としては巨乳であることにあまりメリットはないですね。

なんでかと言うと、自分おっぱいは切り離せたことが無いので「こっからここまでが女だから優しくされて、こっからここまでは巨乳分だな」

なんて定量的観測はできないわけですよね。

からであるメリットはあっても、巨乳メリットは正直よくわかりません。

自分の魅力の底上げになってんだろうなとは考えるけど、その部分を実感したことは正直ない。

わたしは顔面偏差値は高くはないですが、低くもないです。

化粧にも服にも人並に気を使っているので、クラスにいたら4~5番目というところでしょうか。

容姿をほめられることもあるが「可愛い」であって「美人」と言われたことはない。

おっぱい大きいね!」を「スタイルいいね!」と言い換えてもらえることはある。

からふつう容姿の女であると思います


前置きなげーな。

昔は巨乳コンプと、「女」であることを受け入れられない自分にすごく悩んでいました。

性的対象と見られることへの拒否感と、実際女であることを自分自意識との共存が難しかった。

わかりやすく言えば、こじらせてた。こじらせ系女子大生だった。

今は別にいいや~と思えて、わたしって女だし、女以外として生きられないし。

「女らしいとか、エロいとか、好きなようにとらえて下さい」と素直に思えます

別に他人がどう自分を見ようと、それに私が付き合う必要が無いということを実践できるようになりました。

異性からセクハラも、同性から貧乳コンプサンドバックになることも、容姿的特徴をネタにされることも流せます

でも同時に、「自覚的に女をやる」ことで昔は感じなかった弊害を感じるようになりました。

わたしは男と同じ土俵で何かをやる必要を感じていない、その分、女として意識的にふるまいます

男性からは受け入れられるけど、同性と異性の一部からは「媚びてる」とたまに思われるようです。

ユニセックスな爽やかさが私に足りないことは自覚しているので、そうだなあ、もっと爽やかに振舞おうと思います

であることを自覚して、肯定してますけど、、女の武器を使って得しようとまでは思っていません。

セックスアピールだけしまくって、実力や内面が伴わないなんて、下品じゃないですか。

わたしには、別に二子ちゃんみたいなキャラクターも、美貌ものないのは知っているし。だからもっと自然体で良いと思います

でも巨乳と言うオプションがついている限り、女として見られないで生きるのは難しいです。

からユニセックスな爽やかさに憧れつつ、それは手に入らなかったので、ある種の諦観を持って、いまの位置に落ち着いるんですよね。

なんていうかつまり巨乳と言うオプションは魅力かどうかは置いておいて、「女」って部分を強調しすぎてやっかいです。

から私が「媚びなくても」=(性別関係無いと言うスタンスユニセックスな考え)を貫いても、

そうはいかなかったと言うことを嫌と言うほど実体験的に知っているし。

じゃあ、肯定的に女であることを受け入れようと思えば(まあわたしのやり方の杜撰さもあるのでしょうが)陰口言われるし。



・・・なんていうかおっぱい大好きな素敵男子に好かれたいですよね。

それで巨乳で良かった!って快哉をあげたいもんだ、と思う今日この頃です。


長々と申し訳ありませんでした。巨乳コンプカタルシスについて考察したくって、肝心のおっぱいは70Hです。

2014-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20140904130549

産んだ後も上の子の世話が待ってたり、亭主は激務/実家は遠方で頼れる人がいなかったり、産休育休がロクに取れなくてみっちり養生してる暇がない人間にとっては、産後回復死活問題なんだけどね。

和痛分娩を無痛と嘘コイてるモグリのエセ無痛産科ならともかく、ちゃんと無痛を掲げてる病院なら胎児モニターがつくので急変→帝王切開にもすぐ対応でき、痛みによる血圧の上昇が少ないために高齢妊婦には普通分娩より安全性が高くなるメリットもある(そういうちゃんとしたところは費用がすごい高いのに大人気だから分娩予約も大変と聞く)。


まーコレでも「無痛分娩で産むと自閉症が産まれる」なんて医学的根拠皆無の寝言垂れ流してる母性神話狂よりは遥かにマシなんだよなあ……(諦観

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