はてなキーワード: 平野耕太とは
エロマンガも一時期はそういう流れがあったんだけどね
ペンギンクラブ山賊版とかパペポとかが出て、その後にエロ表現に厳しい規制が入ってしばらくあたりは
平野耕太なんか、逃亡している元ナチスの戦犯将校が難民を助けるために戦うなんてエロ漫画を描いていたり(エロもまま濃かった)w
そういうストーリーとエロの両方取りを目指すような漫画雑誌も出てきたんだけど、どこかのタイミングでエロとシリアスが互いに拒否反応を起こすような感じになって
結局今のような、ヤング○○的なお色気入り漫画雑誌と完全なエロマンガ路線の雑誌の2系統が残って今にいたってるわけで
アニメだと、例えばシリアスな作品に無意味にパンチラが入るような作品は叩かれる傾向があるけど、ゲームだと例えばYU-NOなんかそういう意味ではスゲーヒドい感じだったんだけど当時殆どそのあたりの事に言及する人はなく
いやまあTwitterしてる時点でオジサンオバサンなわけですけども。ともかく、文章から滲み出る加齢臭ってあるじゃないですか。使用単語や文章の組み方で年齢が推察できるというか。Twitterの投稿で、以下の特徴に当てはまれば、青春時代をニコニコ動画で過ごした29歳~35歳の男性である可能性が高いと思います。
・2009(~2012)年からTwitterを利用しています
・フォロワー数2000超
・フォロー数2000超
・~に空目した
・~は神
・語尾に「ゾ」
・オッツオッツ
・~して差し上げろ
・~してはいけない(戒め)
・~なんですがそれは
・~なんだよなぁ
・あく
・(○○並みの感想)
・(ドン引き)
・(困惑)
・(白目)
・(ぐるぐる目)
・(真顔)
・(偏見)
・(鼻ホジ
・あっ(察し)
・クッソ○○
・○○ォ…
・やったぜ。
・ お ま た せ
・ 伝 統 芸 能
・ 敗 戦 国 の 末 路
・~してナス!
・丘People!?
・~くんさぁ…
・~キメた
・~で草
・劣等○○ッパリ
・ヘ、ヘイトスピーチ…
・いかんのか?
・ええんやで
・ヒエッ…
・なん…だと…
・○○、嘘だよな…?
・やめたれ
・それ以上いけない
・○○なのはお前だけ
・I'm at ~
・(質問に対し)まず○○(質問者の意図をわざと汲まないもの)を用意します(例:Q「課金せずにソシャゲで強くなりたいです」まず大量のお金を用意します)
・何とは言わんが
・これはいけない
・ワイ
・ワオ
・ワア
・【悲報】
・【朗報】
・~ニキ
・プニキ
・ポチー
・グイー
・サンジハン!
・よるほー
・ほかってくる
・ほかてら
・クラスタ
・>RT
・鍵RT
・おはよう
・おやすみ
・しごおわ
・キマシ
・ぽんぺ
・○○ェ…
・○○(地名など)から車で○○時間、ここが○○(建物など)である
・○○ #とは
・○○ is 何
・もうやだこの○○
・○…○○(例:は…羽毛)
・○○、~
・クソデカ
・クソバカ
・(そこに気づくとは)やはり○○
・w
・www
・(
・倍文字(例:身寸米青)
・これはなに
・これは罠で
・大声で泣いちゃった
・怖くて泣いちゃった
・これすき
・大声でた
・これになってる
・Dappiをリツイートしている
・ファッションとかボーカロイドとかyoutuber(東海オンエアやコレコレみたいな)の話題が一切無い(ツイートするときは不祥事が発生したときだけ)
・下ネタは多いのに女性関係の話は皆無(チンチンマンマンや射精とかオ○ニーの話はするのに女体に関してはゼロ)
・ゲームや漫画の事細かなツイートはできるのに酒のことは漠然としている
・女装がすき
・女装している
・紅蓮華とかうっせぇわをイジる(当て擦る)
・コンギョ(攻撃戦だ!)
思いついたから書いてみました。記憶をもとに書いているので間違いがあるかもしれない。
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その他のノミネート作…岳(石塚真一)、大奥(よしながふみ)、ママはテンパリスト(東村アキコ)、ハイスコアガール(押切蓮介)、童夢(大友克洋)
「全てのマンガに1巻はあるわけですから、当然のことながら最激戦区。中でも『面白い1巻』というのは、どうしてもインパクト勝負になります。その中でも『テルマエ・ロマエ』の衝撃は群を抜いていました」
「1冊の短編として完成度の高い『大奥』や『ハイスコアガール』、ギャグ漫画としてのインパクトの高い『ママはテンパリスト』等、ノミネート作品を見ると、マンガ大賞候補作が圧倒的に強いという結果になりましたね。『岳』は全巻面白いです」
「良識ある大人は『童夢』か『AKIRA』を選ぶと思います。もちろんどちらも最高に面白い」
「ノミネートはしてないけど個人的には『黒執事』1巻の出オチ感めちゃくちゃ好き」
その他のノミネート作…三月のライオン(羽海野チカ)、プラネテス(幸村誠)
「これはもう、世代ですよね。キン肉マン世代、聖闘士星矢世代、ドラゴンボール世代、スラムダンク世代。色々ありますけど増田はヘルシング世代なんです」
「一度でいいから言ってみたい、『小便は済ませたか? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK?』」
「『三月のライオン』と『プラネテス』の2巻は魂が震えます。主人公が悪役みたいなことを言うところって燃えますよね」
その他のノミネート作…なし
「『稲中』の古谷実がギャグ漫画から離れはじめた巻です。この巻のギャグとシリアスの混ざり具合が一番好きです。もちろん地獄の4巻も最高」
「他のノミネート作はなし。正直圧倒的じゃないですか?世界のポンジュノが『映画化したい』って言ってるんすよ」
その他のノミネート作…団地ともお(小田扉)、花田少年史(一色まこと)
「とにかく『ジャイアント』4巻に収録されている『第35撃 野球が好きでよかった。』は全人類に《紙で》読んでいただきたい。見開きという快感。ページをめくるという快感。誇張された表現。マンガを読んで得られる快感が全て詰まっています」
「『団地ともお』4巻は傑作揃い。人気エピソードが異常な密度で詰まっています。『花田少年史』4巻で涙ぐまない奴は人間じゃない」
その他のノミネート作…僕のヒーローアカデミア (堀越耕平)、バキ(板垣恵介)
「《デビルマン 5巻》は全マンガ中で一番面白い巻です。先の展開を何も知らずに読んだ過去の自分を褒めてやりたい」
「どうやら少年マンガは5巻で一度最初のピークがくるらしく、特にジャンプの人気作はだいたい面白いです。中でも『僕のヒーローアカデミア 』の『轟焦凍:オリジン』の盛り上がりはすごい」
「『バキ』の5巻は花山スペック戦の決着巻。はたして《バキ 5巻》とカウントしていいものか?という当然の疑問をねじ伏せる面白さがあります」
その他のノミネート作…なし
「屈指の名エピソード《レゼ編》収録。リアルタイムで読めたことに感謝しています。アニメ期待してます」
その他のノミネート作…なし
「屈指の名エピソード《ピアノソナタ『月光』殺人事件》収録巻です。この巻がなければ『名探偵コナン』は国民的アニメになっていないのではないかと思います」
その他のノミネート作…ワンピース(尾田栄一郎)、カイジ(福本伸行)
「少年マンガの最初のピークが5巻とすると、二度目のピークは8巻にあるらしく、どの作品も盛り上がりがすごい。中でも『鬼滅の刃』8巻は《無限列車編》クライマックス。煉獄さん…!」
「なお『ワンピース』は《海上レストラン編》クライマックス。『カイジ』は《鉄骨渡り》クライマックス。連載1周年を迎え、安定した人気を得たあとに描かれる気合の入った長編のクライマックスが8巻にまとまっている気がします」
「6巻7巻の『その他のノミネート作…なし』はその皺寄せのような気もする」
その他のノミネート…寄生獣(岩明均)、へうげもの(山田芳裕)
「この手の記事の暗黙の了解として『同じマンガ・同じ作者はなるべく避ける』とか『最近の作品は避ける」ってあるじゃないですか。ミーハーにみえるし、馬鹿にみえるから」
「でもねえ、仕方ないよねえ」
「『寄生獣』9巻は実質的な最終エピソード(9巻はエピローグだと思っています)もちろんめちゃくちゃ面白いです」
「『へうげもの』は利休の死が描かれる巻。『ジャイアント』4巻同様、マンガにおける快楽が詰まっています」
その他のノミネート…なし
「『ナニワトモアレ』は走り屋『環状族』を描いたマンガです。《ザ・ヤンマガ》的なクルマとケンカとオンナと下品な冗談を経てこの10巻では丸々1巻かけて引退パレード中に起きた交通事故とその顛末が描かれる」
「実際に環状族だった作者の経験が下敷きにされていると思われます。この巻にだけ《作者によるあとがき》があります」
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疲れてきたのでこのへんで。
以降は
13巻 ベルセルク(蝕)
と続きます。
同業者に対して生放送でヘイトをぶちまける奴の事を好きになれる訳が無い。
所謂池袋組。こいつらの書いたラノベは評判が良くても読んでない。あざの耕平とか好きだったのにこいつらの仲間ってだけで印象悪くなった。
曲自体は好き。中村イネ時代のやらかしが今でも大嫌い。未来永劫嫌い。
こいつの事も大嫌いだった。消えたと思ったらまだ細々活動しているらしい。何度もやらかしたんだからもう消えろよ、おまえ。
自分の事を面白いと思っている漫画を描かない毒舌おじさん。漫画自体は好き。本人は嫌い。
それぞれ偉大な漫画家だと思うけどある一点において好きになれない。
大嫌い。名前も見たくない。
大嫌い。嫌いだなあこいつ。ロボット関連の話題ですぐチヤホヤされる。
地獄に落ちろ。くたばれ→と思っていたけどゴールデンカムイ読破して印象変わった。
声質と演技自体は嫌いじゃなかった。ハルヒやってた頃は好きだった。今は嫌い。
嫌いじゃないつもりだったんだけど何かなぁ。
イジメコネクトの件で未だに引っかかってる。→まあ昔の事だし…で流せるくらいにはなった
川上とも子の恋人寝取りおばさん。そのエピソード知る前はイリヤの声だし好きだったよ。
Wはガンダムのパイロットやレディも好きじゃないけど閣下は特に好きじゃない。悪人のくせに神格化されすぎ。それはそれとしてFTのトレーズ閣下パート好き。
大嫌いではないけど不殺キャラの代名詞として持ち上げられすぎ。他人の敵討ちまで邪魔するのは胸糞悪い。あそこまで強くなれたのは人間じゃない事が大きかろうに。
唯一ペルソナを付け替えられる天才カリスマ漢でリーダー。親しい女全員に手を出すヤリチン。持ち上げられすぎてて嫌いな主人公。
本気で拒絶反応が出るくらい嫌いなキャラ。かぐや様は告らせたいは好きだけど、こいつが出演する場面は総スキップするだろうなってくらい嫌いだった。
作家本人は嫌いじゃないけど、ジョジョのノベライズを書いてから乙一作品全般が嫌いになった。
これも作家本人の事は好きでも嫌いでもない。ただ話が胸糞悪くて読んだ事を後悔した。
今まで触れた作品の中で一番嫌いな物がこれ。腐女子さん女体化BLはノクターンノベルズじゃなくてムーンライトノベルズでやってください。作者のコメント返信も最悪だった。くたばれユサギ。
アクション描くの下手だし泥臭い戦いやってる筈なのにやたら小奇麗だなこいつらくらいしか思ってなかったけど、ファンの民度がこれまで触れた作品の中で最低クラスだったから作者も読者も全員死ねレベルで嫌いになりました。死ね
…と思っていたけど実際読み終えたら面白かった
こんな客観的に見たらヘイトぶちまけてるだけの日記を書いてる俺の事だって嫌いだよ。書くけどね。
特定の作品粘着で有名な場所。最近利用者が一気に数千人単位で増えた。とにかく他人を口汚く罵る奴とそういうレスにそうだねを入れる奴が大嫌い。ここを見てるとどんどん心が腐っていく感じがする。
10年単位で何かに粘着する狂人を見る事が出来る稀有なコミュニティ。やたら攻撃的で他人に噛み付く奴のIDを検索したらこいつこんな前から居るのかよ…という感覚を味わえる。
他人とのコミュニケーションが苦手なので付き合い方が分からない。ヘイト系創作のクリエイターをフォローしてるアカウントが何十何百万人も居る事実に心が沈む。今度からどんどんブロックしていこう。
最近日記って体裁を忘れた政治語りとトラックバックが多すぎる。時期が悪いだけかもしれないけど何か加速的にどんどん嫌な場所になっていってるのを感じる。
今の段階で頭に浮かんだのはこれくらいだけど他にももっとありそう。
9/18に追記した。
更に追記した
2022 6/15 更に追記した
2022 7/13 更に追記した
ネット記事記事:韓国、女性徴兵に29万人賛同 男性の不満反映か | 2021/5/24 - 共同通信 https://this.kiji.is/769447893882552320
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:韓国は徴兵制ほったらかして欧米型のフェミニズムやってたらかまあそうなるだろな……。そもそも徴兵制自体が現代にはそぐわないわけだがねえ / “韓国、女性徴兵に29万人賛同 男性の不満反映か | 共同通信”
SEAHAL:北朝鮮がいる韓国にそれを言うのは酷すぎる。仮に統一しても、ロシアと中国がいるので、彼の地では徴兵制を廃止は無理でしょう。
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:軍備が30〜40年前のまんまならそうだろうけど 現代戦争の本質は「爆発物を敵陣に運ぶこと」なので、ミサイルやら無人機やら発達した現代戦にそんな大量の陸軍兵士はいらんのですよ
tropic:個人的には、「現代戦に歩兵は不要」は「飽和攻撃に対応できないから弾道ミサイル防衛は無意味」と同じくらいの暴論だと思います。北朝鮮の特殊部隊による非対称戦に対抗するためには、大量の歩兵はどうしても必要と韓国軍は考えているのでは。https://google.com/amp/s/milirepo.sabatech.jp/%25E5%258C%2597%25E6%259C%259D%25E9%25AE%25AE%25E3%2581%25AE%25E7%2589%25B9%25E6%25AE%258A%25E9%2583%25A8%25E9%259A%258A%25E3%2581%25AF%25E4%25B8%2596%25E7%2595%258C%25E3%2581%25A7%25E3%2582%2582%25E6%259C%2580%25E5%25BC%25B7%25E3%2582%2589%25E3%2581%2597%25E3%2581%2584/%3ftype=AMP
(Ǝ)ɐsıɥıɥso⅄ ouɐɓnS:俺の文読んで「歩兵は不要」が出てくるの、日本語能力から見直したほうがいいぞ
tropic:すいませんでした
私のツッコミ:日本語能力というよりは歩兵の定義のズレの様な気が……「少数だげ必要」と「不要」をごっちゃにする乱暴な読解力も問題ですけどね。
今文章をコピーして改めて読んでみると、30~40年前 自衛隊発足は67年前(日本人目線でまともな軍備を始めつつも徴兵ではない体制) 恐らく「韓国目線の軍備」を考慮しての徴兵不要論でもあったのでしょう。
歩兵は少数だけ必要を不要と勘違いした上に軍備についても自衛隊の軍備を基準にしてしまっているという点でもアウトでしょうね。
tropicがどういう立場かわかりませんが、ミリオタの知識マウントは「丁髷が絶滅しているだけで日本通と勘違いしているバカじゃないのか?」という疑心暗鬼で出来ているんですよ。
実は言うと、エアガンの試し撃ちが出来る酒場で「なんか雑談を始めたぞ」という事があったのですが、後で店員さんが「我々の会話を理解していただけましたか?」と聞いたんですよ。
「エアガンの試し撃ちだから仕方がない」と反論したくなるのでしょうが、それでも「ああ、知識マウントは人間不信で出来ているんだ」と認識したくなります。
「指トリガー指摘おじさんガー」という被害者面もあるぐらいですから「自分はちゃんと軍事を理解している」と自信満々の人間は基本的に腫物扱いです。
平野耕太でさえ「実銃やモデルガンはともかく漫画やイラストで指トリガー指摘おじさんを回避する方法は誤射の恐れ以前に対面する奴は全部撃ち殺すし暴発しても死なない不死身のバケモンが銃振り回せばいいんすよ」と言っちゃうぐらいですしね。
ヒラコーこと漫画家の平野耕太の事が好きだった。とても面白い漫画を描く人だと思っていた。
ヘルシングはとても面白かった。独特の言語感覚も、個性のある画風も、厨二をとことん煮詰めたような設定も、何もかも魅力的だった。
あまり筆が早い方では無かったが平均的に1年に1冊単行本を出すというペースをキッチリと守っていた。新刊に待ち焦がれた。待ちに待った新刊を読むと本当に面白かった。
2006年からはOVAも発売された。こちらも半年から1年の間に1本というペースでリリースされた。中々良い出来で原作新刊の発売までの楽しみにしていた。
2008年にヘルシングは完結し2009年に最終巻が発売された。終わってしまう事がとても寂しかったが、既に新作の連載が決定していたのでそちらに期待していた。
同時期に発売された「以下略。」というコメディ漫画も面白かった。ヘルシングにしてもグロテスクな内容も多い本編とあまりにも落差がある単行本書下ろしのくだらないギャグがとても笑えた。
ヘルシングの最終巻が発売されて数ヵ月後、「ドリフターズ」の連載が始まった。あのヒラコーの新作という事もあり瞬く間にヤングキングアワーズの看板漫画になった。
こちらもとにかく面白かった。面白かったが、単行本が発売するペースが遅かった。4巻が発売される頃には作品に対する熱が冷めていた。
5巻が発売されたのは4巻が発売されてから20ヶ月経っての事だった。6巻が発売されたのはその30ヶ月後。漫画を2冊出すのに、4年以上かかった。
内容が幾ら面白くても、この続きを読めるのはどうせ大分先だろうと思ってしまった。OVAのように熱を持続させてくれる展開があった訳でも無い。
熱が冷めると、これまで面白いと思えた所の全てが癇に障った。ヒラコーは毎日精力的にTwitterを利用していた。もう「その時間を使って漫画を描けよ」としか思えなかった。
こちらが新刊を待ち焦がれている時に、ゲームをしているヒラコーが嫌いだった。ふざけた事を呟いているヒラコーが嫌いだった。誰かと絡んでいるヒラコーが嫌いだった。
こんな人の描いた漫画を面白がっていた事が嫌だった。尖った面白いオタクなのかと勝手に思っていた。「自分の事を尖った面白いオタクだと思っている人」にしか思えなかった。
進め聖学電脳研究部で、ヒラコーはスクウェアと、ファイナルファンタジーと、スクウェアファンの事を心底嫌っていた。ネット上の作品アンチのような事を誌面でやっていた。今はこちらがその気分だった。この人の事が大嫌いだ。
今でも「2巻ってニカーンってのばして書くとなんかハマーンみたいでステキですね」というネタはくだらなくて好きだ。ルークとヤンのガンダム売るヨ!!月光蝶!!も好き。他のガンダムネタは全部嫌い。何もかも趣味が合わない。
こんなに嫌いな所があってもドリフターズの新刊が発売されれば読む。嫌いだと思いながら、面白いから読む。ドリフターズの6巻が発売されて1年半以上経つ。俺は平野先生の執筆と、ドリフターズの新刊を待っている。
可哀そうに あなたはなぜ そんなにもひもじく飢えているの?
何かと思えば…妾がひもじい?飢えている?
「ええ あなたは飢えている」
いくら食べてもいくら手に入れてもいくら上りつめても満たされない
可哀そうに 哀れだわ 本当は何が欲しかったの? 何を恐れているの?
足りていると感じることさえできたなら 別の未来もあったでしょうに
(中略)
鬼は何者にもなれるが何者でもない
飢えが怖い 退化が怖ろしい
長く生きてさえたまにわからなくなる
殺し続けていた
私の中で 私の命を
三百四二万四千八百六十七 一匹以外は 全員殺して殺し尽くしてきた
もう私はここにいる
もう私はどこにもにいるし どこにでもいれる
だからここにいる
私にはね インテグラ
ひどく哀れな 哀れな弱々しく泣き伏せる童に見える」
「おまえはおれだ!!」
「お ま え は お れ だ !!」
「おれもこの通りの有様だった 俺もこの通りの様だったんだ!!」
「カッ カハ… カハッ… カハ…ッ カハハ…ッ カハッ」
「鬼が泣くなよ 童に追われたか」
鬼が泣くな 泣きたくないから鬼になったのだろう
人は泣いて涙が枯れて果てるから
鬼になり化け物に成り果て 成って果てるのだ
ならば笑え 傲岸に不遜に笑え いつもの様に
哀れなお前はいつまで生きねばならぬ?
なに 直ぐだ 宿敵よ いずれ地獄で
きっと吸血鬼になれば素晴らしいのだろう
だが私はそれはできない それだけはけっして
不死は素晴らしい 能力は眩しい
失 せ ろ !!
俺の心も魂も命も 俺だけのものだ
何と素晴らしい それはきっと素晴らしいのだろう
きっとそれは歓喜に違いない
だが冗談じゃない 真 っ 平 御 免 だ ね
私は私だ
私は私だ
私は私だ!!
うらやましいね
眩しい 美しい
だからこそお前は私の敵だ 敵に値する
遂に私は宿敵を見つけたぞ
私の戦争の
そして我々はそのための準備を営々とはじめた
50年かけて
私は永遠が何かを知っている
「これきりなのね…………」
「いや そうじゃない」
「この瞬間は永遠なんだ」
やろうと思えば刑務所くらい俺も出られる。
ただ俺は今たいした不自由を感じちゃいないんでね。外出する必要もない
さ、戻ろうや所長。バカバカしい…
なんて不自由な男だい
あの虫は我我巨大で頭のいい人間にところかまわず攻撃を仕掛けて 戦いを挑んでくるなあ!
巨大な敵に立ち向かうノミ…これは『勇気』と呼べるだろうかねェ
「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
タイトルと引用だけで9割が伝わる人もいるだろうから、これ以後はもはや蛇足である
冒頭で引用した、鬼の女王レグラヴァリマのとの会話が印象的だった
餓鬼は、三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つ。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる
鑊身:私利私欲で動物を殺し、少しも悔いなかった者がなる。眼と口がなく、身体は人間の二倍ほども大きい。手足が非常に細く、常に火の中で焼かれている。
誰が地獄を作るか、それはまさに仏教的な意味での「縁起」や「十二因縁」である
人は足るを知らなければならない
人を知る者は智、自ら知る者は明なり
人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し
足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り
その所を失わざる者は久し
死して而も亡びざる者は寿し
――老子
逆説的というか、皮肉にもというか
「欲しい」と思い込んでいるものを求め、望み、手に入れれば入れるほどそこから遠くなっていく
詳しい解説は松本俊彦の著書でも引用すれば良いが、そうなのである
そも、依存を引き起こすのは何か、何を求めてそれだけの執着になるか
冒頭で引用したセリフにあるように、「何を求めているのか」が掏り替わっているのだ
掏り替わり続け、世界と擦れ違い続けた結果、その主体者の主観的世界は地獄に生まれ変わる
潔癖症の人間が、自らの認識作用を総動員してその主観的世界を汚物で席巻するように
それは、人間というシステムが原理的に持ち得てしまうある種のエラーである
その救いとして、この世界では「自分の意思」というものを一つの解答とすることが多い
恐怖や不安を直視し、良いものも悪い物も等しく自分の中に置き、「曇りなき眼」で見続ける
倒すことはできない、消すこともできない、「ただそこに在るだけ」をそのままにしておくこと
ACTは従来型のCBTと異なり、クライアントに自分自身の思考や感情、感覚、記憶など私的出来事のよりよいコントロール方法を教えるということはしない。むしろ、ACTでクライアントに教示されるのは、「ただ気づいていること」、受容すること、私的出来事を思ったままにすることである。特に、自らにとって望ましくない事柄についてそうすることが求められる。
最後に、くり返しになってしまうがまとめておこう。他者はいつでも私にとっては「理解できぬ不気味な存在」でありえる。その不気味さが同じチームのなかで突然浮かび上がることがあるし、理解という手法でそれを解決することはできない。むしろ、その「理解できなさ」こそが、一種の救いなのだ。他人の心に踏み込んでいったり、他人と自分を同じ存在だと思ってしまったりすると、正常な距離は失われることになってしまう。
だから、互いに「理解できない不気味な他者」として関わり、そしてそれゆえに「共にいる」こと。わたしたちはそうした関係に満足しているべきだし、そうした関係にこそ価値がある。
――ティッシュ専用ゴミ箱2 「女児向けアニメで描かれる「他者の理解できなさ」について。あるいは、女児向けアニメは家族の問題とどのように向き合ってきたか。-『プリティーリズム』『プリパラ』を一例にして」
黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか?
森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ!人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ!お前にサンを救えるか!?
分からぬ……だが共に生きることはできる!
フハハハ!どうやって生きるのだ?サンと共に人間と戦うと言うのか?
違う!それでは憎しみを増やすだけだ!
ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものにしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。ゲドはそのような人間になったのだった。
同じこと述べてる人は他にもいるけど、ヤンキー的メンタリティのオタは昔からいましたよ
(1980~90年代当時ならプロレス・格闘技オタ、ここ10年くらいなら、ニコ動の歌ってみたでオタク自嘲ネタラップとか挙げてる層が特にそう)
平野耕太とかヤンキー的ノリ大好きだよね。平野のドリフターズみたいに、世界観設定はファンタジーとかSFだけどキャラのメンタリティは不良、という作品を描く人も多い
思うに、一部のオタがヤンキー的メンタリティを示す理由のひとつは、ある種の背伸び
「強そう」「ナメられない」「大人っぽい」という人物像の類型事例をヤンキーしか知らないから、その真似をしちゃうパターン
たとえば表現規制派みたいなオタにとっての「外部の敵」と接する場合は、とくにそういう態度になるのではないか
さらに言えば、リベラル派によく見られるインテリ的気取りへの嫌悪感もあるのかも知れない
現実に身体を動かしたりきびしい上下関係の中で生きる体育会系になるのは無理だが、ミリタリー物は大好きなオタには、その傾向があるのではないかと思われる
で、不良が大人になってからいじめ武勇伝を気取るメンタリティなのだが
これは案外、ネット普及以来のアングラ気取り、1990年代末に大流行した高卒差別のマミー石田(「ドキュン」という語句を広めた人)とか
2ちゃんねる開設後に広まった差別ブーム(在日叩きとか)と、相通じるものがあると感じる
かつて1990年代中期、小山田圭吾が雑誌の『クイックジャパン』で、ドヤ顔で高校時代のいじめ体験を語っていた
当時の小山田と『クイックジャパン』編集部は、半ば本気で、そういうのが「いじめはよくない」という良識にあえて逆らう過激な本音主義カッコイイ、とか思ってたわけだ
それが10年ぐらい経ってネット普及後になってから発掘されて、小山田はぼろかすに叩かれたわけだが
90年代当時の小山田のメンタリティと、「在日や女をタブーなく叩ける俺たちスゲー」と盛り上がっていた2ちゃんねらって、根底は同じだと感じてる
それは不良もオタクも同じなんだ
先に言っておくと、100%邪推。
けものフレンズ2に悪意があったかどうかという話をする前に確認が必要な3点がある。
1つは「誰の悪意か」もう1つは「誰に対する悪意か」そして最後に「悪意とはそもそも何なのか」だ。
順を追って考察していく。
まず「誰の」。
これはもっともわかりづらい。情報が少なすぎるからだ。内部の、それもかなり上流の意思決定を観測できる立場の人間でないと、これを多少なりとも正しく認識することは不可能だろう。
だが、一般論としてプロジェクトそのものに対して作家性を出せるほど最上流に近い立場がどこなのかはわかる。監督、プロデューサー、原作者、出資者だ。これは大雑把には後になるほど上流にいる、と考えて差し支えない。
じゃあ後の方が…と考えるのはまだ早い。上流に行けば行くほどプロジェクト全体の舵取りができる立場になるのは事実だが、それは個々の部分に手を出すことができないほど図体がでかい、という意味でもあるからだ。原作者にある権利は全てを無に帰すボタンを持っているというだけ、と平野耕太も言っている。
次に「誰に」
これは悪意の存在そのものを否定するのでもなければ論を待たず、「アニメ一期」だろう。ここに「一期のファン」を含める向きもないではないが、流石にそれは被害妄想、というよりは加害者存在妄想と言っていい。そこまでを悪意の射程に収める意味がない、というか入れなくてもそれくらいの被害は出せるからだ。
その上で、考慮に入れなければならないのは一期のさらに前…すなわちNEXON時代のけものフレンズだろう。言うまでもないがNEXONアプリのけものフレンズはなんだかんだであまり成功とは言えず、無料化からのサービス終了という結果になった。この経緯の悪あがき感、そして終了後に放送されるアニメというのを見ても関係者のデターミネイションはかなり強かったと言えるだろう。最初に立ち上げた時点での絵図自体がかなり大きかったというだけなのかもしれないが、だとしてもそれは原因であって否定要素にはならない。
ここで最後っ屁として出てきたアニメ一期が、まったく予想もしない形でとんでもないブレイクを起こした。この誤算はできれば立て直したい(夢物語)であろうプロジェクトにとっての嬉しい誤算かと思いきや、それを主軸にプロジェクト自体を立て直そうとしたら主軸にできなかった、という最悪の誤算が重なる。このたつきヤオヨロズ降板騒動に関しては詳細が全く不明瞭なので言及を避けるが、結果としてユーザーのほとんどの求心力を一手に引き受けるアニメ一期は外様に置かざるを得なくなってしまった。「悪意の矛先」はこのようにして発生した。
そしで最後、「悪意とは何か」
前段の締めで違和感を感じた人もいるだろう。ここでいう「悪意」というのは、「憎悪」「害意」よりはむしろ「恣意」に近い。法律用語の「悪意」であればさらに近いだろう。もちろん法的な話ではないのだが。
すなわち、「座組の上でけものフレンズのアニメ1期を埋葬する必要があった」これがプロジェクトの最上流においてなされた「悪意」の正体だと私は睨んでいる。この必要性の根拠は単純に言って、たつきの代わりは誰にもできないというただそれだけの話だ。たつきを外した穴を埋められるアニメ1期のようなものは(探したのかもしれないが)無かったので、別のもので蓋をしなければならなかったのである。
が、にもかかわらず「サーバルはプロジェクトのシンボルなので絶対に主役で出せ」「一期で得られたメリットは引き継げ」というおそらくは出資者レベルからの要望を取り入れざるを得なかったのだろう。特にサーバルに関する要求は確実にあったと断言できる。その結果として埋葬は生き埋めのリアルタイム実況中継となり、悪意は憎悪に化けた(ように見えた)のである。
そう見えたのはおそらく視聴者だけではない。末端の現場スタッフもそうだったのではないだろうか。セルリアンが絵から現れる実験をした時にハカセのセリフ(としか思えない口調)をかばんちゃんが言っていた、という事案があったが、これは収録が別録りになった時など、間をはかるためにその場にいる人が代わりに台詞を言うなどの手法をとることがあり、その際に発生した音声素材ではないかという説がある。これが実放送レベルで出てくるというのは、相当チェックがザルであったことがうかがわれる。つまりそのくらい現場のモチベーションは低かったのだろう。これを上流視点で見ると、「誰も言うことを聞かない」という表現になる。現場の混乱を理由に挙げる人もいるが、その現場の混乱の理由としては無理なスケジュールよりもこちらの方が大きかったのではないだろうか(というか、厳しいスケジュールが無理なスケジュールになった原因と呼ぶべきか)。
まとめると、けものフレンズ2で起きていたことの背景は「けものフレンズという企画の中核を巡るお家騒動」ということになる。あくまでもここで争っている主体はコンセプトであって、人が、つまり吉崎・たつき・木村・細谷がお家騒動をしていたわけではない。人間がそれをやっていたのはたつき降板以前の段階で、今話しているのはその後の話だからだ。悪意説と悪意否定説が入り乱れている理由も半分はここにあるだろう。「悪意」と呼ぶかどうかが怪しいラインなのだ。私はこれを「悪意」と呼ぶにふさわしいと思うが、そうではない人も多い。
なんか、よくある異世界ファンタジーだと、人間族は無力で魅力も乏しく、エルフとか人外の種族ばっかり魅力的に描かれる気がする
たとえば平野耕太のドリフターズでは、人間族のメガネ役人(童貞人間)はエルフ族からぼろかすに罵られ、人間族の武将は主人公を裏切るけど、エルフもドワーフも裏切らず敵にならない
ゲートでもエルフ族や魔法使いは可愛いヒロイン枠で、現実世界にはいない人外や特殊能力者の類が全員一致団結して外の世界から来た自衛隊に反抗したりはしない、自衛隊の敵はあの世界の主流の人間族の帝国だったよな
アニメやゲームでは、人魚やら宇宙人やら妖精やらサキュバスやらフレンズやら、人外の美少女キャラはたいてい普通の人間族のキャラクターより魅力的に描かれるのが通例
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そういや、涼宮ハルヒは堂々と言ってたな「ただの人間には興味ありません」て
日本人のオタクの多数はかような作品に日常的に接しているわけだから、「普通の人間=魅力がない/日本における少数民族や身体障害者やLGBTなど『特殊な人間』=魅力的」という価値観になってもおかしくなのではないかという気がするが、なかなかそうはならないのはなぜか?
話をややこしくするが「不良ノリが大好きなオタク」は普通に存在する
えーと、平野耕太とか、北斗の拳や進撃の巨人みたいなのが好きな奴な
が、そいつらが実際に不良や体育会系に向いているかといえばそうとは限らない
*
元田が記していなかった論点を挙げると、オタとヤンキーには身内ノリを優先するなどの共通性はあるが、元田が挙げた以外の相違点として
・ヤンキーは家族や地元つながり(先天的属性での仲間)を重んじる
・ヤンキーは身体を使う仕事向き/良い意味でも悪い意味でもハキハキしている
・オタは部活の先輩後輩のような束縛を嫌う
・オタは遠方在住の他人でも同趣味という後天的属性での仲間を重んじる
吉本興業に所属するお笑い芸人・キングコングの西野亮廣氏の界隈が燃えている。
彼がプロデュースした絵本「えんとつ町のプペル」についてである。最近の西野氏は声優の明坂聡美を名指しで吊し上げたり、
みんなの心が一つにならないと倒せないのだ
— 平野耕太 (@hiranokohta) 2017年1月21日”
と表現した。
たしかに批判的にであっても西野氏を話題にすることで、「えんとつ町のプペル」にはパブリシティ効果が生まれてしまい、
それは西野氏を経済的に利することになる。吉本興業という大企業に守られた彼の立場もまた安泰だ。
西野氏が経済的利益を目的にしているのなら、彼に対する対処は確かに大変に難しい。
金銭的メリットで見た場合、西野氏にとって、ましてや吉本興業にとって、絵本の売上やクラウドファンディングから
上がる利益はそれほど莫大とは言えない。
彼がお笑い芸人・タレントとして積み上げていくであろう利益と、繰り返される騒動の中で生まれた彼に対する面倒くさ
そうなイメージ、負の印象がもたらす長期的不利益を天秤にかければ、収支としてはマイナスも大きい。
最近コンプライアンスや芸人教育に神経をとがらせている吉本からしてみれば、ほどほどにしておけよ、いい加減にしろよ、
それでもなお西野氏がこの道を邁進するのは、彼が欲するのが金銭ではないからだ。
西野亮廣という妖怪を一言で分類するなら、肥大化した虚栄心の化物である。
彼が焦がれるほどに欲しているのは、知的でウィットに富んだ、唯一無二の優れた芸術家という他者からの評価と喝采なのだ。
西野氏の対応は常に後手後手で、その時々に批判された内容に愚直なまでに対応している。
無料公開で広告収益をあげていると言われれば寄付を発表するし、外注イラストレーターたちの処遇が批判されれば特別
ボーナスを出すと吹聴する。
西野氏が本当にビジネスとして割り切って炎上を狙っているのであれば、ここまで右往左往する必要などないのだ。
それほどに彼は、小銭稼ぎに長けた絵本商売人、と見られることを恐れている。
西野氏が明坂聡美を槍玉に挙げたのは、マウントを取る相手として手頃だった…ということもあるだろうが、一番大きい理由
その点に論点が向かう限り、革新的なビジネスに挑戦するアーティストと、旧態依然とした者たちの無理解の戦いという図式
では彼が向かってほしくない方向がどちらかは明らかで、
クラウドファンディングという他人の金で、
作り上げた成果を持って世のクリエイター、購買者を「金の奴隷」と嘲った西野亮廣の尊大さ、あさましさの是非を問われる
ことを彼は一番恐れているのである。
彼の手元に何千万か残ったところで、絵本商売人がアーティストを搾取してうまいこと稼ぎましたね、という評価では西野氏
「なんだ、偉そうなこと言って自分で描いてないんじゃん」
といった個々の評価は、ダメージを与えている手応えはないかもしれないが、エゴサに余念のない西野氏にはちゃんと届いている。
いや、全く同感。伊集院光とか平野耕太とか、自分たち不細工の仲間くらいに考えている、そこらへんのウダツの上がらない素人のおめでたさったるや無い。芸能人の「○○大好きなんです~(ハート)」みたいのが、それをテコにファンとしての仕事を得ようとするのが「○○ファン営業」なら、彼らのは、不細工営業だからな。自分らの仲間だと思ったら、大間違いだから!
自分の可愛さに自信があって、出たがりで、褒められたがり、承認欲求の塊で、大手事務所に所属してるプロコスプレイヤーだぞ。面倒くさいだろう…結婚相手として、素晴らしいとは思えないなぁ…そういうのが好きな人にはいいけど。オレには無理。お互いムリだろうから、双方にとっていい選択だし。
90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。
本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。
第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年、中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。
「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))
中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテのコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。
ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年、宮崎勤の連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラー、アニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュでインドアなブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。
「オタク、かっこ悪い?」
そういう問い自体出なかった
「オタクは格好の悪い生き物だ」
侮蔑され諦観し
故に侮蔑され故に諦観し
数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする
(中略)
おい あれ
プッ
ぎゃはははは
オイロリコン部ーッ
ぎゃははははははは
世間は宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。
当時の高校生オタクにこうした罵声に反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。
岡田は現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養と分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集と理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。
80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価に意見交換できる場は、不特定多数のオタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。
そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である中高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察や解釈を求めてネットが活用された。ネット黎明期、オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタクの存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互に自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットとオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタクを自称する者のズレは拡大していくことになる。
エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者のオタク化を助長し続けた。
他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲのベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。
コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードやフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原はアキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。
そして2005年、TVドラマ『電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客がオタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。
珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。
2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法問わず大量のアニメやゲームといったオタク系コンテンツを抱え込んでいく。
アニメは放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイトに投稿された動画に必要な手間はクリックするのみである。オタク系コンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。
またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメ系アフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報やスキャンダルを把握する。その情報はあくまでアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定のオタク的知識を有していることはまぎれもない事実である。
こうした層はアニメやマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタク系コンテンツの情報収集に必要なコストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。
「非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテ、コミュ障等と細分化し始める。
誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタクと自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークルや同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタクと自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。
一方で2007年以降、AKB48が握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。
細田守監督の映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。
2011年、アエルラ、アイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガ・アニメ・ゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。
筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田がオタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメの話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク的趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク的趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタクと自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である。
他方、携帯ゲームの課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメの興隆などから、グッズその他のオタク的趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。
アイドルオタクとアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及は本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。
また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差の可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である。
ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティに所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。