「歴史の真実を明らかにしようとしていることは評価するけど、それを客室に置くのは評価しない」って考えを持った人があまりいない件。
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、ツナ缶、しうまい
○調子
できるとかできないとかじゃなくて、一緒に仕事してる人とウマが合わない感じ。
まあ、この人と仕事するのは来週いっぱいまでだから、適当にいなして、適当に時が過ぎ去るのを待とう。
こういうときに、無理してわかりあおうとか、無理して理解しようとか、無理して理解してもらおうとか、気負いすぎるのが僕の良くない癖なので、ちゃんと相手を理解できないことと、相手が僕を理解してくれない、ということを理解してあくまで程よい距離感で適度にこなそう。
●DS
2Fを攻略中。
ちょっとよくわかってなかったんだけど、アリアドネの糸ってアイテムを使うとダンジョンの中からイキナリ街に戻ってこれることに気づいた。
おお、これ、すごい楽だな。
今までは、もどり道のことも考えてリソースを配分してたんだけど、これからは少し突っ張っても問題ないわけだ。
そこで覚えさせた、バードっていう歌を歌ってサポートする職業につかせたカノコちゃんの「氷劇の序曲」というスキルが超強い。
これは、通常攻撃に属性ダメージを追加するスキルなんだけど、サポート専門のバードにもかかわらず、このスキルを使えば使ってない戦士的な職業のソードマンと同等の攻撃力になる。
もちろん、攻撃力がもともと高いソードマンに使えばより一層強くなる。
今まで、アルケミストのヤマちゃんと、ソードマンのコオニちゃん以外は、ダメージがしょぼかったんだけど、このスキルでサポートすればそこそこには戦えるようになった。
そんなわけで、この間ボコボコにされた中ボス的な鹿に再チャレンジ!
パーティーの五人中三人が死ぬという激戦ながらも、なんとか撃破。
ボロボロになってもアリアドネの糸で戻れるので、点在してる鹿や牛と戦いまくって、レベルをあげた。
そろそろ2Fも終わりっぽいので、3Fの攻略を目指そう。
●3DS
楽しいんだけど、1日にプレイできる回数が決まってるのがもどかしくて、むずむずする。
ログボのみ。
○ポケとる
・ポケモンサファリ攻略中(コイキング(いろちがい)、ギャラドス(いろちがい)、ユキワラシ(ウィンク)、の4匹を捕獲。昨日はシェルダー、オニゴーリ(ウィンク)、マメパト、ハトーボー、ケンホロウを捕獲してるので、残りはパルシェンのみ)
今回のサファリのレア枠の金色コイキングや赤色ギャラドスは、メガ進化のメガギャラドスが本編ではあくタイプなこともあり、僕の愛好対象として絶対捕獲したかったので、捕獲できてよかった、よかった。
残りのパルシェン、そもそもまだ遭遇すらしてない。
ログボのみ。
激務に加えて会社のお姉様(婉曲表現)ににらまれてひどくいじめられ、メンタルのヘルスをやってしまった。
とはいっても二週に一回精神科に通い弱い(らしい)薬を就寝前に服用するだけのぬるいやつである。
それでも今まで精神科どころか病院にほとんど縁のなかった私には大事件だった。
しごとがうまくいかないのが一番つらいのだから、それが解決するまでは意味がないだろうと思っていたのだが
早朝6時に出勤し、ひとりぼっちで仕事をしながら声をあげて号泣してしまったところで
駆け込むように精神科を予約した。
初対面の人相手に号泣しながら自分の辛さを話すのはなかなかおかしな経験だった。でももうあのときは無理だった。
ひとしきり話したあと、
「どうしようか。休む? やめるために休むってのもあるよ?」
ともかく、泣いたり喚いたりびくびくせずに仕事がしたいと伝えて弱い薬を出してもらい今に至る。
それにしてもなんで私はやめないのだろう。
たぶん、だれか友人が私の境遇にいたら、私はすぐにやめろと言うと思う。
でも、なんで自分にはそう言えないんだろう。
私は友人に対してやめろといえるのは、親身に考えていないからか。
それとも、お金も職歴も、健康には変えられないとおもうからか。
友人ならきっと次が見つかると信じるからか。
お礼を言うべきはお前だろ
そんなとこじゃない?
そろそろ結婚したいなあって思ってるけど、見た目とか性格の前に、家事とか子供が好きっていう家庭的?な女性が本当にいないんだよなあ
俺は家事は苦手だ
育児も手伝う気持ちはあるけど、子供に好かれたという経験は殆どない
家庭料理?っていうのが作れて、掃除とか俺みたいに嫌いじゃなくて、子供が好きな人と結婚したい
時代錯誤なんだろうな きっと
お礼の連絡が一切無い。「ご利用ありがとうございました。」と来ない。淡々とし過ぎ。完済のメールも来ない。別にお礼を言われたいわけじゃないけどさ、完済したらそれはそれで一つ大きな取引が終了したということで、何かのメッセージをくれてもいいんじゃない?まぁ、貸してくれたことは感謝してるけどさ、何か最後に締まりがなかったよなぁ。
人と会うのが嫌いだ。
だから働くのも嫌いだ。
生きるために働かないといけないというけれど、だったら今日死んだほうがいい。
そう思わない人のほうが多いことが心底不思議でならない。
そこそこいい会社に入って、たぶん同年代よりも給料をもらっていて、ブラックというほど労働環境が悪いわけではなくて。
ただ根本的に同じ時間に職場に行き、愛想を使い、好きな服も着れず、嫌いな人間と会話をするのがどうしても耐えられない。
奨学金返さないとと思って働こうと思った時もあるけど、なんでこんなに頑張ってるのに私は奨学金の返済もあるし税金も納めなきゃいけないんだろうっていう疑問もある。
働いてない人こそむしろ金払ってくれよー。
迷惑はかけたくないので、死に方だけは考えたい。
元増田です。
参考になるご指摘、ありがとうございます。
私は、
と役割分けの解釈をしましたが、このようにパッキリと分けられるものでもないかもしれないですね。
おっしゃるように、主体的に行動していくのはプペルの方だし、ルビッチはそれに引っ張られていく傍観者の立場ですね。
特にルビッチが「架空の物語と読者を繋ぐ役割」というのは、鋭いご指摘だと思いました。
とあるので「ダブル主人公」だし、作者の西野氏はこの2人のキャラクターに自身を投影させている、と思い直しました。
ただ、いずれにしましても、「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺」と書いていて、西野氏が2人の主人公に自身を投影させているのならば、
西野氏に起こる色んな炎上の原因は「夢を語り、行動するから、笑われ、叩かれてる」という自己認識なのだと思います。
でも、現実世界で西野氏が炎上する原因は、それではないような気がします。
元の評文で、炎上の原因を「自分の実力以上に、上から目線の物言いをするから」とキツめの口調で書いてしまいましたが、基本的にあのような大言壮語な物言い、振る舞いが炎上の原因だと私は思います。
まあ、ご本人は意図的に炎上させている部分もそれなりにあると思いますが、燃やしたら燃えますよね。当たり前ですが。
私は、この絵本を読むまで、西野氏はかなり意識的に炎上をねらってる「炎上キャラ」なのかと思っていましたが、この本で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺」などと書いているので、天然なのか、わざとなのか、分からなくなってきました・・。
「まぁね、そういうこともあるかと思いますしね、みんな頑張っているということはね、素晴らしいことだと思いますね。」最後の「ね」はいいとして、途中の「ね」を高飛車に感じてしまうのは何故なのだろうか。
今まで生きてきて、「親友」が出来たことのない私です。
一貫校だった中学・高校ではそこそこ仲のいい女の子がいました。確か中学2年のときに同じクラスになった子だったかな?
そこそこ仲良くなって、年頃だから「わたし、○○君が好きなんだ〜」なんて話をしたり。
仲良く、仲良くしていたはずでした。
そんな彼女がその時期に○○君と付き合って別れて、をしていた事実を私が知ったのは、高校を卒業した後だったんですけど。
せめて教えててくれたなら、私の今の彼女への気持ちが変わっていたかもしれないのに、と思うのは、私のエゴでしょうか。
今でも彼女は私にそれを言うことはないし、私も彼女に「知っている」と話すことはありません。
そこそこショックだったんだけどなあ。
そんな彼女の一面を知っているからこそ、私は彼女を深い意味で信用することも、これから先に以前「仲が良かった」と思っていた頃のように遊ぼうと思えることもないのですが、彼女は何故か色々な人と仲が良くて、今でも時々中高の時代の友人と遊んでいるのを目にします。
何でみんな彼女とそんなに仲良く出来るのかな、と、思いつつも、それを遠巻きに見ているだけの私です。
と、まあ、これは昔の友人へのただの恨み言なのですが、言いたいことは本題の通り、
「私の友達には私より仲のいい誰かがいる」
です。
ネットが発達して、主にツイッターなんかではオタク同士のコミュニティがものすごく以前に比べて出来やすく、作りやすくなってますよね。
リアルではオタク趣味をそれなりに隠している(人より漫画を読むオタクであることは伝えていますが、コスプレをしたり、2.5次元舞台を観ていたり、若手俳優のオタクをしていることは隠しています)私にとって、ものすごくありがたいことだと思います。
で、中学・高校・果ては大学時代も「友人はいるけど、親友はいない」を過ごしてきた私にも、有難いことに普通の友人と呼ぶには少しばかり仲のいいお友達がツイッターで出来ました。
おうちに泊まりに行かせてもらったり、来てもらったり、一緒に海外旅行へ行ったりとか、今までそういうことの出来る間柄の人がいなかった私に、ものすごく貴重な経験をさせてもらったと思っています。
他には舞台を一緒に観に行く人であったり、季節中始発でテーマパークに付き合ってくれる人であったり、一緒にコスプレをしてくれる人であったり。
「オタク趣味」を媒介とする友人は、こんなに出来やすいんだなあ、ということをツイッターに登録して6、7年経ちましたが、改めて実感しています。
そんな中でようやく1つ気付いたのは、
例えば一緒に海外旅行に行った友人Aが悩みごとを一番に相談するのは別の共通の友人Bだし、我が家に泊まりに来た友人Cがふらっと「あそびにいこ〜」と誘うのは、私ではなく共通の友人Dなのです。
で、そういえばAに海外旅行へ行こうと誘ったのは確か私だったなあと気が付き、泊まりにおいでよとBに言ったのも私の方からだったなあと気が付きました。
大袈裟な言い方なのかもしれないんですが、友人ABCDと私は全員顔見知りです。多分、年月が過ぎていって、そのなかで、Aにとっての親友はBであり、私ではなくて、Cにとっての親友もきっとDで、彼女のそのカテゴリーの中に私の姿は多分ないのだと思います。
まあ、被害妄想と言われれば全く言い返す言葉もないんですが、とにかく私は時分に自信がなくて、寂しくて、いつも私からだなあと気が付いていても皆に「遊びにいこう」と声をかけ、声をかけては貰えないのです。
AがBに遊びにいこうと声をかけ、「じゃあ増田も誘っとくか」はあっても、AやBやCやDが「増田と遊びたいんだけど、いつ暇?」と声をかけてくることはないのです。
なんか、めっちゃさみしい。
そういうABCD私のコミュニティがバイト中心とかオタク趣味中心とか大学友人中心とかでいくつかあって、その中で常に私だけ浮いてるのを感じるであったり、私と友人Eは仲がいいけど、友人EにはEと誰それのコミュニティがあって、私よりそのコミュニティの人たちの方が付き合いが長くて仲がいい、とか。
そういうのが結構積み重なって、
「あー、私が一方的に親友だとおもってるだけであって、私を親友だと思ってる人はきっといないんだろうなあ」
と、思ってしまうのでありました。
どんだけ人付き合いが下手なの、って話なんですが、結構こういうメンヘラの人って沢山いると思うんですよね。しかも、そんなの相手に「私のこと親友だと思ってる?」とか、聞けないじゃないですか。どんだけ重いんだよって。ちょっとキモいわって普通はなるじゃないですか?多分なりますよね?
だから悶々として悩むしかなくて、結局耐えきれずにこーーやってこういうとこで吐き出すんですよ。気持ち悪い人間だなあ。
嫌なことがない訳じゃないけど、普通に人生楽しいし、友達はみんな好きだけど、その友達には別の親友がいるんだなってふとした瞬間に気付いてしまうと少しだけ虚しくなって泣きたくなる、そんな真冬の話でした。
何十年も幼児のままだと思ってるの?
昔、神奈川県の藤沢市に「すゞノや」というラーメン屋があった。個人的に好きな味だった。あと店員さんも。店員さんは常に男性2人。実直な感じの人たちだった。そこがしばらく前に閉店になっていた。行っていたのは十数年前だけど、何故か急に思い出して寂しくなった。