はてなキーワード: ファンファーレとは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/politics/news/200526/plt2005260016-n1.html
ネット上のひぼうや中傷 投稿者特定の仕組み見直しへ 総務相 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200526/k10012445171000.html
これほどまでに戸惑いを隠せないブコメ群が過去にあっただろうか。
全く同じプロジェクトを根拠に左派が右派を皮肉り、右派が左派を皮肉り、右派が懸念を表明し、左派が懸念を表明する。
過去何十年にも渡り反目しあってきた与党と野党にも、遂に令和新協調体制を構築する時が来た。
とぅたら、とぅたらららら。
あくまで自分個人だけのことであり、日本全体のことは考慮してません
・プロ野球が見られない(ただ競馬と違って無ければ無いでそれほどは困らなかった 競馬が無いと土日やることがない)
・来期以降の会社の業績が不透明(飲食や小売ほどの打撃はない 夏のボーナスはほぼ前期並みの予定)
■メリット
・競馬が無観客開催なので、騎手に対する罵声やファンファーレに合わせたバカみたいな手拍子掛け声を聞かずに済む
・往復2時間かかってた通勤時間がゼロになったので、家でいろいろ出来る
・社内の飲み会や接待がなくなったので、金銭的にも時間的にもムダがなくなった
・前日までに予約が埋まっていたような人気風俗嬢が当日でも予約できるようになった
一ヶ月半くらい土日も休まず働いていたのだけど、今朝になって何もかも億劫になってしまった。会社に「風邪引いたんで休みます」と伝えて一日寝て過ごした。
心の風邪を引いた理由は明白だ。自分は何かインパクトの大きい物事をしようとする時に尻込みしてしまう。この一ヶ月半、自分がプロジェクトリーダーとして抱えていたいくつかの案件があって、そのコントロールに勤しんでいたわけだけど、あらかたのリサーチが済んで次は実装だという段階になって、すごく怖くなっている。大きい物事を成し遂げようとするときに、そのことに対する批判はつきものだ。それを受け止め切れる自信がない。今以上に心を痛めてしまう気がする。そんなところだ。
思えば自分の人生、高校生くらいの頃からそれを繰り返している。「ここはこうした方が良いんじゃないか」と思いはするものの、その改善案が実現しそうになると、ただただ怖くて逃げ出してしまう。側から見たらそれも相当の迷惑だろうと思いつつ、どうすることもできない。
今、1964年の東京オリンピック特番を見ている。開会式、選手達の行進に使われた紅いブレザーやファンファーレ。その作者達のエピソードがならぶ。さまざまな艱難辛苦の果てにいまの名誉があるのだろう。自分と彼らの間にどんな違いがあるのだろう?
⻑い⻑い文になってしまった。
と文に続いて画像が送られてくる。
だいぶ彼も慌てていたのだろう。
ブラウザのタブに、xvideoの名が残っているのに気づかずに私に送ってきたのが微笑ましい。
Facebookの投稿は、もう1年近く会っていない私の友人、しおり(仮名)のものだった。
そして、墓参りなどは心遣いのみで良いこと。
LINEに「Facebook見てなかったから気づかなかった」と返信をした。
とはいえ、彼女のフォ ローをやめていた私はFacebookを見たとしても気づけなかっただろう。
彼の重い声色と対比するように、私の声はうわずって震えていた。
その震えが、まるで泣きそうな声であるかのように演じながら私は密かに、笑みを浮かべてい た。
本当は大笑いしたかったのだ。
私と亡くなった彼女と、そして連絡をとった彼が出会ったのは、数年前のことだった。
当時私たちは二十歳を過ぎたばかりの頃合いで、バイト仲間として付き合ううちに3人でつる むことが多くなっていた。
そして若かったから、それが恋愛感情を伴う三角関係に移ろうのも自然な流れだった。
彼に片思いをする私たちと、その間でのらりくらりと気付いてるのか気付いてないのか分から ないようなふりで友人関係を保とうとする彼。
そういう微妙なバランスで成り立つ私たちは、バイト先の閉店と共に徐々に疎遠になった。
そしてそこから二年越しで私たちはまた出会う。バイト先の同窓会だ。
まるで三人で喋っているかのような雰囲気で、私は彼女へ話を振っているのに、自然な流れで 私は彼女から完璧に無視されていた。
理系の大学に入り直すの、と彼女が言った時だけ私のことを見てニヤッと笑ったのを覚えてい る。
大学を中退した私への、当て付けであるのは確かだった。(それにダメージを受けるかはとも かくとして)
ただの恋敵から、マウンティングまで始めた彼女を見て、私は小さく、死ねばいいのにと呟い た。
その願いは数年後に叶うとも知らずに。
その同窓会から私と彼はまたつるむようになり、彼から、彼女の近況を時折聞くような日々が続いた。
大学へ入るまでにメンタル的に崩してしまい、入学後もそれを引きずったままであること。
そういう、彼女が不幸な話を聞くたびに、心の中で喝采をあげたいような朗らかな気持ちと、 悲劇のシンデレラを演じて興味を引こうとする彼女のやり口の汚さに辟易する気持ちの二つが 入り混じる。
私はこのまま拒食症になり骨だけの姿になってしまえと思っていた。 もちろんこれも今は叶っている。
彼女の肉は燃え、今は墓の下で骨だけになり壺に押し込められている。
そうして、今回の訃報に至る。
彼は、ここまで来てもずっと私たち三人は良い友達関係であると信じ、私だけに電話をして、 私だけに彼女の死への思いを吐露してきたのだ。
勝った、と思った。
私の心は汚いな、と諫める自分もいたがそれ以上に、祝祭の最中のように心躍る自分の方が強 かった。
後日、私たちは二人だけで、彼女の家へ向かった。 彼が遺族と連絡をとり、仏壇に線香をあげさせてもらうことになったのだ。
多分私は、あの日の、駅から彼女の家までの会話と景色を一生忘れない。 その日は雲が多いけれど晴れていた。 雲の中で光が複雑に揺らめいていて、それはまるで世界の全てが、私の仄暗い歓びを肯定する かのように綺麗だった。
駅から離れた彼女の家まで歩く最中、彼は謝りながら、隠し事を打ち明けてきた。
バイト先が閉店した頃、三人で会うことがほぼ無かったあの時期、実は三ヶ月だけ、あいつと付き合ってたんだよね、と。
彼女が生きてたら、私はその場で自殺したくなるほどの衝撃を受けていただろう。
けれど、今の私には、むしろファンファーレのような爽やかさを伴う言葉に聞こえた。
穏やかな顔で私は嘘をついた。
割とあの子悩んでたよー?なんて、軽口を装い私は更に話を聞き出そうとする。
何だ知ってたのか、とホッとする彼は気を緩めて色々と話してくれた。
どうしても彼女を恋愛対象として見れず、ぎこちない付き合いだったこと。
そのどれもが、私にとっては甘美な言葉たちだった。
これで彼女が生きてたら、この過去の付き合いが再度交際に至る伏線として機能してしまうこ とに怯えていただろう。
そして彼女への殺意が行き場をなくして私の中でいつまでも燻っていたのだと思う。
けれど、彼女は死んでいる。
だからこそ私は安心して、彼女が、彼からきちんとお前は付き合うに値しない存在であると言 い渡され死んでいった事実を喜ぶことができる。
そして、その喜びを表すかのように、世界は輝いているように見えた。
草木はいつもよりもその葉の濃さを増し、空は雲を煌めかせているのだった。
それが私の、高揚感を煽る一番のポイントだった。
あんなに学歴や彼との距離感でマウントをとっていた彼女が、今やただの骨となったことに私 は今までの人生で得たことのない種類の喜びを得ていた。
もう彼女には何もない。
入った大学のキャリアを活かした輝かしい未来なんてもう彼女にはない。
そして、彼のこれから先の人生を眺めることも、彼女にはもう出来ない。
何よりもそれが嬉しい。
彼女の家は、ドラマに出てくるような、「いいところ」の家だった。
リビングには薔薇のドライフラワーが飾られ、テーブルにはレースのクロスが敷かれていた。
演技で涙も出るもんだな、と私は仏壇に手を合わせながら自分自身に感心した。
くっ、くっ、と声が出るのは、昂るからだ。
悲しみにではなく、喜びに、であることは隠せたと思う。
仏壇に手を合わせる彼の面持ちは神妙そうで、私が感情を露わにしているからこそ自分は我慢 しよう、という気概を感じ取れた。
男子だからこそ、気を張らねばという彼のいじらしさがどうにも可愛くて、ああ、やはり私は 彼のことが好きなんだな、と改めて思ってしまった。
リビングへと移り彼女の母と思い出話などをしながらふわりと伺う。
「本当に明るくて(空気が読めないだけ)楽しそうに笑顔を(彼にだけ)見せる子で...だからこそ急な話で驚いてしまって...病気とのことでしたが...」
彼女の母と、私は目で訴え合う。
それを聞くのか?という母親の目と、
死因を教えて楽しませろという私の目。
たった一秒にも満たない僅かな時間で、私はやはりこの女はあいつの親なのだと感じてしまっ た。
あの、喰えない女を産んだ女だ。
「...脳浮腫、でして。...だから、本当に急な死で私も、本当にショックでした」
脳浮腫、というワード以外は一切出さないという意思を読み取り私は、彼と共にいるこの瞬間 を汚さぬように詮索をやめた。
ハッキリとしない死因で、私を楽しませるにはパンチが足りなかった。
けれどその最後は安ら かなものでは無かったであろうことを窺えたことは一つの収穫だ。
彼女の家を早々にお暇し、私たちはまたひたすらに駅を目指し歩く。
話すことも尽きたような振りで彼の話を空返事で返しながら私はGoogle検索で脳浮腫を延々と 調べていた。
脳浮腫。とっさに、本来の死因を隠すために出たワードにしては具体的であり、嘘のようにも思えなかった。
けれども、脳浮腫は医学知識のない私が検索で調べた結果を読解する限り、直接的な死因であるようにも思えない。
脳浮腫とは脳に水分が溜まり脳が圧迫されている状態を指す言葉である。
それを死因として挙げるのは、やや話が飛んでいるように見える。
たとえば、交通事故で全身強打し、内臓破裂で死亡した、というのを、内臓破裂で死んだ、と 表現するような感覚である。
そう、私には、母親はとっさに嘘をつけなかったため、「脳浮腫に至るきっかけ」を伏せると いう形で娘を守ったのではないかと、そう感じた。
まだ何も知らない、違和感に気付いてもいない彼の横顔を見ながら、私は、彼女の今際の際に 想いを馳せて、うっとりとするのであった。
脳浮腫に至るきっかけでありなおかつFacebookの文や母の言葉にあるように急死に繋がるよう な死因はくも膜下出血などが挙げられる。
けれども、そうだとしたら、母親は病名を伏せる必要があるのだろうか? くも膜下出血で亡くなった、という話なら、伏せる必要なんて何もない。
だから、私は、もう一つの、限りなく低い可能性の方に賭けている。
脳浮腫は、多くは脳出血が原因で起きるものである。くも膜下出血などのように身体の内部か ら急にエラーを起こし脳浮腫に至る場合もある。だが外傷により脳出血が起きた結果でも脳浮腫はできる。
そして、私はふと思い出すのだ。
彼女は大学入学前からメンタルが不調になり、夏頃にはアルバイトすらもやめてしまうほどに 追い詰められていたということを。
そして、親が必死で隠す死因と言ったら、一つだろう。
もちろん七割は、私の願望なのであるが。
帰り道は雲も晴れ、傾いた日差しが強く、どこまでも世界は煌めいているような気になってし まうほどだった。
その煌めきの中に、彼も共にいる。
その事実もまた、光の儚さを強調するように感じられてまた私の中で歓びが増えていく。
だから、いいのだ。
彼の口から、今の彼女との結婚のプランの話が出てきたとしても。
彼女が白無垢を着たがって、お金がかかりそう、なんてのろけをされたって。
この世界の美しさの中では、何もかもが許せそうな、そんな気がしたのだ。
だから、その今の彼女の名前を、今回死んだ彼女の仮名に使うくらいのお茶目さは、私だって 許してくれてもいいだろう。
来年の今頃、彼は式を挙げる。
彼の姿が和服になるのかタキシードになるのかは知らないが、彼の最高の笑顔を私は目に焼き 付けることになるんだろう。
それは、恐ろしく悲しく、残酷なことのように思える。けれども私は耐えられる。あの女が、 もうこの世に居なく、そしてあの子は、幸せそうな彼の姿をもう見ることなんてできないのだ と、そう思うだけで痛みに耐えることができるような気がする。
そして、もうひとつ、彼女の死の瞬間を想像するだけで、心が昂り、苦を感じなくなるように 思えた。
彼女は、どのように死んだのだろう。
微妙な高さからコンクリートに叩きつけられるも、脳をぶちまけることなく、脳浮腫という形 で苦しんで死んだのだろうか?
それとも、首に索条痕を残し、その細い骨をパキャリと砕いて亡くなったのだろうか。
ただの私の願望である、 「自殺の上で付随して脳浮腫が出来た」という死因を想像しては、愉快な気持ちが止まらずに 居られない。
けれど、メンタルが追い詰められていた人が亡くなり、その死因を遺族がぼかすとしたら、自 殺しかないんじゃないだろうか。
首吊りや飛び降りなどの脳への外傷が出来そうな死に方をした上でなら、脳浮腫も出来るだろ う。
ああ、彼女は、世界に絶望しながら自分の手で命を落としていて欲しいな、と心からそう思 う。
今までの努力が全て無駄になった上、 彼からは彼女として見れないという烙印を押されたまま、絶望の最中で彼女には死んでいってもらえたらどんなに愉快だろう。
そんな想像をしては、私は笑みを浮かべる。
駅に着き、ひとしきりのろけを聴き終わったところで私たちは別れることにした。 白無垢のために頑張ってお金貯めなよ、なんて笑ってあげた。
「式の時は、俺の白ネクタイ貸してやるよ」と。
来年の今ごろ、私は、礼服姿に、彼が過去に使ったネクタイを纏い彼の人生最高の瞬間を見届 けることになりそうだ。
そう言い聞かせながらも、私は、結婚という幸せな人生を歩んでいく彼の姿を見なくて済む、 死んだあの子を少しだけ羨ましく思う。
死んだら死んだで、それもまた幸せなのかもしれないな、という感情も湧きでてしまい、私は 慌ててその思考に蓋をする。
やっぱりこの世は美しいが、生き地獄だ。
その生き地獄よりも下層の、死の世界へと消えていった彼女を蔑むことでしか、今の私は心を保てない。
この歓びや哀しみやそのほかの色々なものがないまぜになった心持ちに、何かの決着がつくの はまだまだ当分先のことなのだとは思う。
こんな恋愛、二度とできないし、もうしたくない。
普段音楽を聴かないけど去年キャッチコピーにひかれてHey! Say! JUMPの SENSE or LOVEを買った。
でもアルバム全部を聴いても感覚で繋がってるのか愛で繋がってるのかわからんかった。
一年経って新アルバムが出るというのを知ったのでリベンジしたくなった。
テーマがはっきりしてるっぽいから音楽初心者でもわかるだろうと思ってまじめに聴いた。
以下思ったことを吐き出す。
※歌詞カードは見ていない。曲を耳で聴いただけ。タイトルは読んだ。
某大学内の南北を縦断する学内の道路を、自転車で縦断中、とあるロードバイク乗りの男女2人組が、前方にいた。
彼らは、かなり遅めの速度で運転していたので、何気なく追い抜きをした。
この追い抜きに煽りの意図は特になく、純粋に遅めだったので、追い抜きをしただけなのである。
自転車で運転していれば、これは良くある光景なのである。抜かすこともあるが、抜かされることもある。
その瞬間、ロードバイク2台が後方から凄まじい速度で、自分の自転車を遥か後方に置き去りにした。
「おれたちは、お前のようなシティサイクルには負けませんよーーーっ!!!(笑)」
という心の声が吹き出しとなり、彼らの頭上に現れるのを、自分は確かに見たのだった。
「ださっっっっ!!!」
何てダサいやつらだ。例えるならこちらは普段着の民間人。あちらは、フル装備の軍人だ。
何て、ダサいやつらなんだ。
瞬間、あのような「いきりロード」勢に負けたくないという意識がメラメラと湧き出した。
まだ、本気を出せばロードに追いつけるかもしれない。
抜かされてから追いついてやると決意するまでに、この間数秒。
フルスロットルでペダルを漕ぎ、シティサイクルを爆走させる自分。
正直なところ、あいつらは速い。フル装備のガチ勢に勝つのは至難の技。
前方を爆走するロード2人組を観察していると、男は女よりも遥か前方に位置し、女の方はそれよりも後ろに位置していた。
正直なところ、男に追いつくのはもう無理だと思ってしまった。
本当は2台とも追い抜かしたいのだが、もはや心拍は異常なほど高まり、太ももは悲鳴をあげていた。
「女だ、女に追いつきさえすれば良い!」
グループの誰か一人でも追い抜かすことが出来れば、この出来事が彼らの中で共有化される。
ロード乗りがシティサイクルに負けた、という屈辱を与えてやるのだ。
街中でシティサイクルを見かけるたびに、自分たちは敗者であるという、トラウマを植えつける。
これは勝てるっっっ!!!
息も足も限界。意地だけでシティサイクルを漕ぎ続け、ついに女を捉えた!
そして、抜かした!!!
おまえらがダサいと思うもの(シティサイクル)に、おまえらは負けたのだ。
こんな、ダサいお前らに煽られ、無駄な体力を消耗している自分もダサいのだが、それ以上に、お前らはダサい。
人を見下し、フルスペックでオーバーキルして、いきっているやつほどダサいものはない。
決して、ロードがダサいのではなく、またシティサイクルがダサいのではない。
お前らの性根がダサいのだ。
『リズと青い鳥』への寄り道を経てTV版2期のその後を描いた正統後継作品。いつもの『ユーフォ』であり、それはつまりすっげー良かったと言い換えていい。
最初に細かいところなんだけど、久美子麗奈がめちゃくちゃ良かった。
いやーほんと好きだあの距離感。見てるだけで幸せな気分になった。気の置けない関係を映像にするとこうなるのかって感じ。無闇矢鱈と近いし、遠慮なく蹴るし、ほんとに来るとは思わなかったとか言っちゃうし。そして何より声がいい。どこまでも自然体な、相手との友情を信じ切った声。人間関係がヒリついたり、腹の中を探り合ったり、外面と内面の温度差が激しかったりする『ユーフォ』(やや語弊のある表現だがw)においてあの気の置けない声はただそれだけで音楽のように心地いい。
久美子と麗奈が急接近したのは1期#8――つまりはあの大吉山でのことがあってからだが、あの時の麗奈は抜き身の日本刀のようだった。久美子を試していたし、久美子の特別になりたいという気負いが見え隠れしていた(麗奈が言った「特別になりたい」は久美子の、ではないが、それをわざわざ久美子の前で宣言したり「愛の告白」という強いワードを使ったりする意味は当然あったんだろうと思う)。今はそれがもうない。互いが互いの特別であるという自覚は声から一切の緊張を奪うし、麗奈が「いいよ」と優しく言ったあのトーンを耳にできるのは久美子だけという確信がある。そういうところが好きだ。
話が脇道にそれてしまった。
話を本筋に戻すと、今回もコンクールの描写が圧巻で最高だった。『ユーフォ』の華といえばやはりコンクールだが、何が素晴らしいって久美子たちの努力に音と映像が全力で応えてくれるところだ。『響け!ユーフォニアム』は努力の物語。努力に努力を重ねて汗をかいて涙を流して奏者たちはあの舞台に立つ。そして『響け!ユーフォニアム』はその成果を、結果を、観客のリアクションを描くことなしに表現しきる。今回もまたそうだった。
曲目は「リズと青い鳥」。「三日月の舞」は華やかでキラキラしていて聞いているだけで心が躍るような曲だったが、「リズと青い鳥」は童話をモチーフにした組曲ということもあって物語性や感情の波を感じられる構成になっている。どの楽章も映像が浮かんできそうなほど叙情的で良いのだが、やはり大空を自由に羽ばたく青い鳥を表現したオーボエのソロ、そしてそこから始まる希望に満ちた明日を表現した第四楽章は「リズ鳥」のふたりだけじゃなく北宇治の音とがんばりも表現する構成で本当にたまらなかった。特に終盤、金管の高らかなファンファーレに合わせてそれぞれの表情を映し出していくシーンはみんなの努力がこの音を作り上げてきたんだと叫んでいるようで感極まってしまった。終わったときは映画館なのに拍手しそうになるほどだった。
今作のテーマは「がんばるってなんですか?」「わたしはがんばれば何かがあるって信じてる。それはぜったい無駄じゃない」。そのとおりだし、付け加える点は何もない。ただひとつ言うなら努力は夢を叶えてくれるかどうかを保証しない、だけど努力は努力をした分だけ見せてくれる景色を変えるってのはあると思ってる。「悔しくて死にそう」と涙を流せるのはそれだけの努力をしてきたからだし、その末に紡いだ最高の音もキラキラした舞台も万雷の拍手もそれ自体が価値だと思う。そういう『ユーフォ』の持ってる基本的な価値観を改めて見せてもらったな、と満足満足でした。
というわけでこの続きも見たい! 3年生編も絶対やってくれ! ってことでまだ劇場で見てない人はGWだし行ってくれるようお願い申し上げます。よろしく頼むぞよ。
なおほんの少しだけ水着シーンがありました。で、久美子と麗奈が色違いのおそろだったんだけど!! マジかコイツら!! これ絶対、ふたりで水着買いに行っただろ!!(原作未読なのでそういうシーンがあったのかは知らないが!!)
ということは当然こんな会話があったに違いない!! 「久美子、どれにするの?」「わたしは……これにしようかな」「ふーん。じゃ、私はこれ」「え!? お揃い?」「いいでしょ別に」「うーんでも高校生にもなってお揃いっていうのはちょっと恥ずかしいっていうか……」「気にしすぎ。誰もそんなとこ見ないわよ」「そうかなあ……」みたいな!! あーーー!!(ゴロゴロゴロゴロ)。
延々と続く2本のレールには力強い鼓動がある。このレールは、知らない町と町をしっかり結びつけ、多くの人々を運んでいる。
しかし、その役割は、「人を運ぶ」ことだけではないのだ。単に「国鉄は人間と荷物を運ぶだけ」なんて考える人には、決して力強い国鉄の鼓動は伝わってこないだろう。
鉄道を愛し、多くの鉄道知識を持っている人でも、本当にこの鼓動をはだで感じたことは少ないはずだ。
確かに鉄道は知識として知れば知るほど楽しいことが出てくるだろう。
でも、「20,000㎞にチャレンジする」……それは、すばらしさの再発見につながっているのだ。知識から体験へ。今、その鼓動を求めて、未来に続く2本のレールにチャレンジしてみよう。
終わることのないロマン、それが列車の旅だ。部屋にじっとこもっていては、自分の心にカビが生えるだけ。部屋の窓から見えるいつもの風景は、ただ立ち止まり、決してなにも話しかけてはこない。とにかく出会いを求めて旅に出る。
ひょっとすると列車の座席に隣り合わせたことから何かが生まれるかもしれない。ある日見たり、聞いたりするもののすべてが出会いなのだ。
たとえば、車窓にそよぐ風の音、新鮮な潮の香り。これほどすばらしいものはないのではないか。
こんな新しい自然な出会いが旅と鉄道の心につながっていく。そんな時、心は少しもひからびていず、いつもいきいきしているのだ。
チャレンジとは、自分で考え、自分で動く、自分自身のための行動といえる。この精神こそ、スポーツと呼ぶにふさわしいものだ。
列車の旅には、楽しさとロマンがある。その上踏破をめざすチャレンジャーにはスポーツという楽しさがプラスされるのだ。
時にはマラソンのように、そして100m競争のように踏破の旅はチャレンジの楽しさを教えてくれる。
踏破ルートは3,000m障害や10種競技と同様に、バラエティに富んでいる。ルートの選択も実行するのもチャレンジャー自身だ。
チャレンジャーは、それぞれの方法で完全踏破への道を切り開いていくことに心を燃やしているのだ。
そこには、自分自身の問題として果たさなければならいことがある。
責任ある行動、多くの義務、これらをすべて実行したチャレンジャーのみが誇り高き名誉を獲得できるのだ。
いわば、人生のドラマがそこにある。よりすばらしいものを手にしたチャレンジャーには限りない自由と可能性があたえられているのだ。
チャレンジしていくと、各自それぞれのスタイルが生まれてくる。
列車待ちのホームで洒落た服装に身を包み、小首をかしげて詩集をひろげているちょっと気どった人。
おもしろいことを探しに出かける娯楽追求派の人などいろいろだ。
どんなスタイルの人でもチャレンジすることの中に、何かを見出しているのだ。
体験という言葉のまえには、どんな耳学問も色あせてしまうように、チャレンジする中で、自分のスタイルを作り出してみよう。
"停車場に、そを聴きに行く"と啄木がうたったように駅にはさまざまの土地から人々が集まり、またさまざまな土地へと旅立っていく。
始発駅…駅員さんに何か尋ねている人がいる。売店でお土産を買っている人。家族連れ。新婚さん。そして、カメラ片手に20,000㎞にチャレンジする人。通りがかりの人に頼んで、自分と駅名表示板が一緒に写るようにシャッターを切ってもらう。これで始発駅の証明写真ができたわけだ。
ふと、駅の大きな時計を見あげる。発車案内表示板がカチャリと変って、次の列車案内を示す。やがて、駅のアナウンスが構内に響きわたる。こうしてチャレンジの旅が始まる。
日本中には、いったい何本の列車が走っているのだろうか。もし、そのすべてに乗ることができたなら、これはすばらしいことだ。時刻表をうめつくす駅名のひとつひとつが語りかけてくるにちがいない。
手に握られた1枚のキップには、いま通りすぎてきた駅の余韻が残っている。改札口でキップにパンチが入れられた時から、自分だけの旅の世界が大きく広がっていくのだ。この瞬間の心のときめきこそチャレンジャーに贈られるファンファーレなのだ。
EL、DL、EC、DC、そしてSL。特急の場合もあるし、急行、普通列車の場合もあるだろう。旅は始まり、心がはずんでいく。流れ変わっていく車窓風景。春なら満開の山桜のトンネルをくぐり、夏はふりしきる蝉時雨の中を、秋は祭りのお囃子の響き、冬は凍てつく空気の中をひたすらに列車は走る。車窓に黄昏が迫り、黄昏は夜をひきつれてくる。寝台車でからだをやすめて聞くレールの音はなつかしい旅の子守唄だ。
日本列島を東西に長く走ったり、日本海と太平洋を結んだり、1線区1線区がつながり日本中を網羅していく。
いかにも郷土色(おくにがら)をあらわしていたいう楽しい線区名もあれば、少々読むのに骨が折れる難読名の線区もある。
こういう線区名がどうしてついたのかを考えてみるのも頭の体操になるだろう。走る場所や列車の種類で線区ごとの印象も、まったくちがってくる。
それらをひとつひとつ味わいながら踏破するのも楽しみのひとつだ。
駅にはいろいろな趣がある。その中でも、終着駅は、心ときめくムードを持っている。大都会の終着駅、ひなびた寒村をひかえた終着駅、高原の終着駅など、それぞれの良さがある。
しかし、どの終着駅も、どこかしら似た雰囲気をもっている。そこから先は、列車が行かないという、キッパリとしたいさぎよさと寂しさが待っているのだ。終着駅の長いホームを口笛をふきながら大股にしかもゆっくりと歩いてみる。改札口で駅名表示板にもたれながら、通りがかった人に写真を撮ってもらい駅を出る。1線区が無事踏破し終ったのだ。
色鉛筆で踏破した線区を塗りつぶす。チャレンジャーの心ときめく一瞬なのだ。
どの線区でもいいから、始発駅~終着駅まで、列車に乗ろう。けれども、踏破認定を受けるには、乗車(踏破)したという証明が必要になる。それが始発駅と終着駅の写真だ。写真と会員申込書などを"いい旅チャレンジ20,000㎞。推進協議会"事務局宛に送る。そうすれば、事務局からチャレンジカードが送られてくる。これでチャレンジの
最初は舐めた態度で視聴してたんだけど、意外に作り手が本気だったことに気づき途中から正座視聴させられるやつー! だった。
SNSを見渡しても基本ポジティブな感想が多くて、成功裏に終わったと言っていいと思うけど、それは作り手がアニメに対しても競馬に対しても真面目だったからかな、と。
舐めてた俺が最初に「おっ」と思ったのはOPを見たとき。ゴルシワープ(2012年皐月賞。道中ほぼ最後方に居たゴールドシップは、最終コーナーで他馬が避けるほど荒れていた内ラチ沿いを猛然と突っ切って15頭ごぼう抜き。直線を向いたときは3番手に躍り出ていた。ゴルシを語る上で外せないレースのひとつ)が描かれていて、「ひょっとして……」と思って見返すとサビに入ってからの映像は各ウマ娘の名レース集になっていた(ダスカ:右回りかつ他馬をちぎっているので2008年有馬記念、ウオッカ:左回りで他馬を縫うように進んでいるので2009年安田記念、ゴルシ:前述どおり、テイオー:右回りかつ後ろにハヤヒデ+歓喜の涙で1993年有馬記念、マックイーン:右回りかつ雨ということで1990年の菊花賞か1993年の宝塚記念、スズカ:左回りかつ4角先頭+2番手3番手の勝負服から1998年天皇賞秋(の夢の向こう側))。
ただまあモデルとなった馬の有名レースぐらいはチェックするか、とその場は納得したんだけど、1話のラストで「日本一のウマ娘とは?」と問われたスズカが「見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」と答えたとき、これはひょっとして、と初めて期待を抱いた。
ところでウマ娘はコミカライズもされているが、アニメに先駆けて始まったそっちはレースメインじゃなくキャラの内面を掘り下げるような内容になっている(『STARTING GATE!』)。オグリが怖い先輩として誤解されたり、スズカやスペがエアグルーヴと模擬レースをしたりと史実からも離れている。アニメもそういったオリジナル色の強いコンテンツに仕上げる方向もあっただろうが、おそらくいろんな考えがあって98-99年の競馬界に即した内容となった。結果的に大正解だったわけだけど、アニメファンと競馬ファンの双方を満足させることが必達というかなり難しいお題に制作スタッフは挑むことにもなった。
1-3話、つまりスペがスピカに入って皐月賞に負けるまでかなりスピーディに展開する。1話スピカ加入まで、2話は新馬戦、3話ではきさらぎ賞と弥生、そしてなんと皐月まで行ってしまう。そして穴に向かって「お母ちゃんに勝ったところを見せてあげたかったのに……!」。競馬ファンとしては「ずいぶんと早いな」、「でもアニメとして考えるなら妥当なスピード感かな」、という感触。
新作アニメが毎クール大量に作られる昨今、3話までに一つの山ぐらいないと切られてしまうだろう(遅いぐらいか?)。ウマ娘はテンポよく世界観を示し、キャラとその目標を示し、初の挫折と復活を期す姿でそれに応えた。いずれもクオリティが高く見ていて純粋に楽しめた(1話のラストのように「来週デビュー戦だ」「ふぇ? え? え? うぇ!? う"ぇ!? えーっっっ!?」のように笑いとストーリーを混ぜ込みながら話を進行させる手腕は高く評価されていいと思う)。まずはアニメとして純粋に楽しめる代物を、という制作側の意気込みをしっかりと感じられた。
なら競馬ファンとして見た時どうだったのか。これも意外や意外、思わず反応したくなる小ネタ満載でしっかり満足できる出来だった。スペが初めてナマで目撃するレースはサイレンススズカ伝説の幕開けとなる1998年のバレンタインSで「分かってるじゃないか」と思わず愉悦顔になってしまうチョイス。解説は元中央ジョッキーで日曜の15時に競馬番組をつければだいたいパドック解説をやってるホソジュンこと細江純子がまさかの本人登場での担当だし、主人公たちが話している後ろではオグリが大食いを披露する。19世紀の伝説的名馬エクリプスをぶっこんできたと思えば、タイキがプール調教で鍛えたネタをしっかりと拾う。NHKマイルCにエルコンが出走するニュースはJRAのブランドCMを意識した作りだったし、スペシャルウィークが他のウマ娘を見たことがなかったという設定も母馬キャンペンガールが出産直後に亡くなったエピソードをしっかりと踏まえてきた(育ての親が外国人ぽいのは育成を担当したスタッフがニュージーランド人だったかららしい)。
しかもただエピソードを引っ張ってきて終わりではなく、しっかりとアニメのストーリーラインに落とし込むところが好感度大。特に良かったのは1999年の京都大賞典。スペシャルウィークは7着だったから無視するかなと思ったのにちゃんと取り込んだのを見たとき、思わず唸ってしまった。
先だって描かれた1999年宝塚記念。ここでスペシャルウィークはグラスワンダーの2着に敗れる。怪我から復帰したスズカにかかりっきりで上の空だったスペはグラスワンダーの本気の前に屈してしまうのだ。これは実際に凱旋門賞への挑戦を検討していたことやグラスワンダー主戦の的場のヒットマンぶりと連動しており、このネタの取り込みっぷりもすごいのだが、もっと凄いのはこのレースに敗れたスペが2度目の挫折と復活を穴に向かって叫んだ直後のレースが京都大賞典だ、という点だ。
復活を期すスペシャルウィーク。アニメ的な展開を考えれば、ここから上り調子で大願を成就するのが普通だろう。しかし史実では単勝1.8倍のまさかの7着。スペシャルウィークが唯一複勝圏はおろか掲示板も外したレースであり、アニメの流れの中では非常に扱いづらい。だから当然なかったことになるだろうと思っていた。と同時に、スペはお母ちゃんお母ちゃん言うけれど、基本的には実家でスペの応援してるだけだよなあでもまあトレセン学園に来るわけでもなし出番ないよなあと思っていた。そこにまさかの合わせ技。スペがやる気を出しすぎでオーバーワークになって敗れた、それを見たトレーナーはスペを実家へ放牧に出した――という展開になってそうきたか、と。アニメのストーリーと相性の悪い史実もちゃんと取り込んで必然とも言えるストーリーラインに昇華していく。アニメとしても競馬としても良いものにしたい。スタッフが知恵を絞ったから両方から見て納得の展開に仕上がったのだろう。
ここまでやられてはもう認めざるを得ない。むしろ舐めてかかったみずからの不明を恥じるばかりだ。
そしてそんな魂のこもった仕事に、「夢」を見た。ここまでやってくれるスタッフなら、競馬ファンの見果てぬ夢を、見せてくれるんじゃないか――と。
そんなこちらの高ぶった感情を見抜いているかのように、トレーナーが折に触れて「夢」を叫ぶ。
「お前、日本一のウマ娘になるのが目標だと言っていたな。日本一のウマ娘ってなんだ」
「俺はお前たちがレースに出て先頭争いをしているところが見たい! それが今の俺の夢なんだ!」
「俺は全力で走るあいつらが好きだ! これからもずっと見ていたい!」
そう、夢。
牝馬でありながらG1通算7勝、そして何より64年ぶりに牝馬のダービー制覇という常識はずれをやってのけたウオッカ。
驚異的な二枚腰で数々の牡馬を屠り、生涯連対と37年ぶりの牝馬の有馬記念勝利を達成したダイワスカーレット。
配合からローテーションから馬主の情熱が注ぎ込まれた結果、世界の頂にあと一歩まで迫ったエルコンドルパサー。
夫の遺志をついだメジロのおばあちゃんの下、春の盾・親子三代制覇という前人未到の偉業を成し遂げたターフの名優メジロマックイーン。
年間8戦全勝というレジェンド。世紀末にターフへと降り立った覇王ことハナ差圧勝テイエムオペラオー。
偉大なるサンデーサイレンスの初年度産駒であり幻の三冠馬と言われたフジキセキ。
無敗で三冠という偉大すぎる戦績。強すぎて退屈とさえ言われた皇帝シンボリルドルフ。
父子三冠という夢に挑み無敗で二冠を達成するも骨折に泣き、勝つか着外かという好不調の波に悩まされ続けた末に中364日の有馬記念で奇跡の復活を果たしたトウカイテイオー。
シンボリルドルフ以来10年ぶりに誕生した三冠馬。皐月賞を3馬身1/2差、東京優駿を5馬身差、菊花賞を7馬身差と同期をまったく相手にしなかったシャドーロールの怪物ナリタブライアン。
新・平成三強の一角でデビュー以来15戦連続連対という離れ業をやってのけた、顔デカ兄貴と書いて何でもできると読むビワハヤヒデ
3歳から6歳までG1戦線で活躍し、親子二代の優駿牝馬制覇、17年ぶりの牝馬による天皇賞優勝、年度代表馬選出とウオッカ/ダイワスカーレット時代に先鞭をつけた女帝エアグルーヴ。
3歳戦を無敗で制するも骨折から始まった低迷と復活を繰り返しながらスペシャルウィークやエルコンドルパサーといった同期としのぎを削り、グランプリ三連覇を達成したワンダーホース・グラスワンダー。
世界的種牡馬の代表産駒として8戦8勝、3歳王者戦を大差勝ち、2着馬につけた着差の合計は61馬身など数々の伝説を打ち立てるも持込馬という生い立ちからクラシックに参戦できなかったスーパーカー・マルゼンスキー。
クラシック初戦は荒れた内馬場を通ってワープし、春の盾は2角からというまさかの超々ロングスパートで勝ってしまい、三連覇に挑んだ春のグランプリではゲートで立ち上がり信じられないほど出遅れとターフ内外での茶目っ気でファンを魅了した新・芦毛の怪物ゴールドシップ。
牝馬は牡馬に勝てないという時代にあって対等以上に渡り合い、94年の有馬記念では絶頂期のナリタブライアンに真っ向勝負を挑んだ脅威の追込馬・女傑ヒシアマゾン。
地方笠松から殴り込んで中央競馬界を席巻。先輩タマモクロスとの競演で芦毛伝説をつくり、連闘(!)で挑んだジャパンカップにて2分22秒2という世界レコードの前にタイム差なしのクビ差2着に敗れるなど数々の死闘で身体をボロボロにしながらも有馬記念で見事に引退の花道を飾って多くのファンに大きな夢を見せたスーパーアイドルホース・オグリキャップ。
武豊もダービーだけは勝てない。そう言われていた天才に悲願のダービー制覇をもたらし、凱旋門賞馬モンジューも降した日本総大将スペシャルウィーク。
そして、サイレンススズカ。
1000mを57秒台という無謀とも言えるラップで逃げながらもそれが本馬のペースとジョッキーに言わしめた異次元の逃亡者。
しかし大欅の向こう側に散って悲運の最期を遂げてしまったサイレンススズカ……。
ウマ娘は、1998年の競馬ファンが抱いた夢、志半ばで霧散したその夢にまっこうから挑んだ。始まる前の俺なら「いやいやスズカの伝説ってのはそんな簡単なもんじゃないんだ」と言っただろう。しかしウマ娘のアニメとしての面白さ、そして制作陣の競馬に対する真摯な態度の前に「夢」を見せてくれることを期待するようになった。
そしてウマ娘は見せてくれた。競馬ゲームで生産した「サイレンススズカ」を走らせ、ひとりこっそりそして虚しく見ていた夢ではない、ある意味で本物の夢の続きを。
いや分かってる。所詮アニメじゃないか、それこそ本物のサイレンススズカは大欅の向こうで散ったじゃないか。その通りだ。それがまごうことない真実だ。でもあの時に涙を流した競馬ファンみんながいっしょにサイレンススズカの夢の続きを見られるとしたら、これが最初で最後じゃないか――そんなふうにも思える。
それぐらいアニメウマ娘は馬鹿正直に、大真面目に、こっ恥ずかしいほどに競馬が見せる「夢」に挑み、そしてやり遂げてくれた。
トレーナーは夢を叫ぶ。そしてときには叱り、ときには励ましながらウマ娘たちを応援する。「俺がついてるぞー! どこまでも走れー!」
競馬ファンが自分の好きな馬を応援するときの気持ちをトレーナーは代弁してくれた。彼は競馬ファンそのものだった。そして競馬を知らないアニメファンにも競馬を好きになってもらえるんじゃないかという期待を抱かせるほどカッコ良かった。
こんな未来があるなんて、大欅の向こうに散ったスズカを見たとき思いもしなかった。
そして何より、オタクであってもちょっと引いてしまうようなアレなコンテンツに愛馬の出走を許した権利者の皆様に心からの感謝を。
あなたたちの勇気ある決断のおかげで本当にいいものが見れました。ありがとうございました。
※おまけ
あんまり競馬に詳しくない人がもしここまで読んでいるのなら以下の動画をぜひ見ていってください。もうちょっとウマ娘と競馬が好きになれるかもしれないから。
[ウマ娘]OPにプロの実況と解説を付けてみた - nicovideo.jp/watch/sm33239562 ※サビにご注目。東日本G1ファンファーレで始まる構成も秀逸
ブランドCM 「夢の第11レース」 120秒編 - youtube.com/watch?v=kcv3D26GjWA ※最終話WDTの元ネタ
【ウマ娘】JRA・CM 夢の第11レース ウマ娘Ver. - nicovideo.jp/watch/sm33399077 ※この人の動画ほんと好きなんだ……
【ガチ実況】ウマ娘:ウィンタードリームトロフィー - nicovideo.jp/watch/sm33385387 ※最終話ネタバレ
【THE WINNER】グラスワンダー ウマ娘ver. - nicovideo.jp/watch/sm33232892 ※かっちょいい
【ウマ娘】JRA・CM キングヘイロー ウマ娘Ver. - nicovideo.jp/watch/sm33252425 ※かっちょいい
【競馬CM】2012年JRA G1レースCM上半期総まとめ - nicovideo.jp/watch/sm18106839 ※↑2つの元ネタ。そしてライスシャワーがかっこよすぎて痺れる
【競馬CM】2013年JRA G1レースCM上半期総まとめ - nicovideo.jp/watch/sm21202474 ※テスコガビーが曲のマッチ具合も含めて最高。ちなこれと↓はポプテピピックの神風動画制作
【競馬CM】2013年JRA G1レースCM下半期総まとめ - nicovideo.jp/watch/sm22387914 ※オペラオーの「その馬は完全に包囲された。道は、消えたはずだった」からの流れが激熱
【競馬】第49回毎日王冠 サイレンススズカ - nicovideo.jp/watch/sm4584692 ※あのエルコンに影も踏ませないスズカ
1999年 第78回凱旋門賞 日本語実況版 - youtube.com/watch?v=IrIH0SNUt2M ※世界の頂への挑戦
1999年(平成11年) ジャパンカップ スペシャルウィーク - nicovideo.jp/watch/sm16283421 ※エルを降したモンジューを、日本総大将が迎え撃つ
【競馬】第44回有馬記念 グラスワンダー(画質向上) - nicovideo.jp/watch/sm4026592 ※最後は最強の二頭
2008.11.02 第138回 天皇賞(GI) - nicovideo.jp/watch/sm5198792 ※ダイワスカーレットが差し返すところ泣いてしまう……
(競馬) トウカイテイオー 1993第38回 有馬記念 (奇跡の復活) - nicovideo.jp/watch/sm5913 ※364日(1年)ぶりのレースでG1制覇は史上初
【競馬】1990年 有馬記念(オグリキャップ) - nicovideo.jp/watch/sm1170176 ※オグリ燃え尽き……からの復活ラストラン。なんてご褒美だよまったく
※おまけのおまけ
【競馬】根岸S ブロードアピール - nicovideo.jp/watch/sm998264 ※すごい追込+青嶋バクシンオー渾身の実況
1997 エリザベス女王杯 エリモシック - youtube.com/watch?v=Q0R2cQ2kJ1E&feature=youtu.be&t=249 ※グラス主戦の的場のすごいレース+馬場さんの実況がかっちょいい
堕天翅族がアトランディアの地(南極)に高度な文明を築いていた(創聖のアクエリオン)
プレデター南極に降り立つ。人類に建築技術を与え神として崇められた
神殿を建造させ100年ごとに成人の儀式のために地球を訪れ、エイリアンの宿主となる生贄を求めた。しかしある時繁殖しすぎたエイリアンによって敗北し、全てをリセットするため自爆装置を用い南極の文明を消滅させた(エイリアンVSプレデター)
全盛期のキスショットが南極大陸から日本に渡る。衝撃で南極大陸を破壊しかける(鬼物語)
アーサー・ゴードン・ピム、友人オーガスタスの協力のもと帆船グランプス号に密航する
様々なトラブルを乗り越え辛くも南洋を目指す貿易船ジェイン・ガイ号に救出される
そのまま南極探検に向かい「テケリ・リ」と鳴く動物に遭遇する(ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語)
ノーチラス号は資材補給のため南極の秘密基地へ向かう。基地は南極の地下にある大空洞に、2万年前に古代アトランティス人が建造した巨大なドックだった(ふしぎの海のナディア)
ミスカトニック大学のダイアー教授率いる探検隊、南極大陸に向かう
生物学者のレイク率いる分隊が狂気山脈を発見。「古のもの」の化石を数体発見するがショゴスの襲撃を受ける。最終的にたった2名の隊員のみが帰還する(狂気の山脈にて)
ナチスの残党が宇宙人との戦闘に勝利し、遺跡から聖杯を手に入れ新たな帝国を南極に築く(ADVANCED WORLD WAR 〜千年帝国の興亡〜、難局!ED)
昭和30年代、敗戦からの復興を進める日本は戦勝国を中心とした国際地球観測年による南極観測への参加を表明する。しかし、他の参加国からは敗戦国であることを理由に罵倒される。そして日本に割り当てられた観測場所は「inaccessible(接岸不可能)」とされていたプリンス・ハラルド海岸であり日本は全く期待されていなかった。その中で倉持たちは日本が世界と肩を並べる時が来たとして南極観測のために尽力する(テレビドラマ「南極大陸 」)
第二次越冬隊を乗せた南極観測船・宗谷が例年にない悪天候と氷河に阻まれ立ち往生してしまう
その4ヶ月後、往生したままの観測船から飛行機が基地に降り立ち本日中に全員が昭和基地から撤退し帰国するよう命令が下る。しかし犬達を連れていくことは許されず、潮田達は苦渋の決断で数日分の餌を与え南極に犬たちを置き去りにして帰国する
犬達は鎖から逃れ、1年後に生き残っていた兄弟犬タロとジロに再会する(南極物語)
南極に生息する怪獣ペギラが南極観測隊の基地を襲撃したが、南極の苔から取れる物質ペギミンHが弱点であることがわかり、それを搭載した気象観測ロケットで迎撃されると黒煙を吹きながらどこかへ飛び去る(ウルトラQ)
イギリスの細菌研究所で開発されたウイルスがスパイによって盗み出されたが、スパイの乗ったセスナはアルプス山中で吹雪のため墜落しウィルスは流出してしまった
ウイルスは全世界に蔓延し半年後には35億人の人類を含み地球上の脊椎動物がほとんど絶滅してしまう
わずかに生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた原子力潜水艦ネーレイド号やT-232号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界がウイルスの活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。隊員らは国家の壁を越えて「南極連邦委員会」を結成し絶望の中から再建の道を模索する(復活の日)
南極の奥地にある機械の城ネオグラードを拠点とする、メカ人間の帝国「新帝国ギア」が人類への攻撃を開始する(超電子バイオマン)
「私」が氷男と結婚、南極旅行を持ちかける(村上春樹「氷男」)
学会で使うテープを間違って娘たちに送ってしまった江崎教授のために両津勘吉と中川圭一が協力して世界中を駆け巡る。冬子がいた南極で両さんは制服のまま海に落ちたり白熊と格闘する(こちら葛飾区亀有公園前派出所「絵崎教授80時間世界の旅の巻」)
西村淳、昭和基地からも遠く離れた陸の孤島、南極ドームふじ基地に料理人として派遣される(南極料理人)
セカンドインパクトで南極大陸が消滅する(新世紀エヴァンゲリオン)
南極の氷山から生まれた極寒爆竜コンビを、アバレンジャーと正義の爆竜たちが迎え撃つ(爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!)
新人サファーのペンギン「コディ」がサーフィン・ワールドカップで優勝を目指す(サーフズ・アップ)
オルタンス、南極のフランス観測基地で料理人となり1年間の任期を無事に終える(大統領の料理人)
碇ゲンドウ・冬月コウゾウ両名が南極に出向きロンギヌスの槍を回収。NERV本部地下のリリスに零号機によって刺された(新世紀エヴァンゲリオン)
18歳のジン・カイザワは、南極海の氷山曳航を計画するシンディバード号にオーストラリアから密航する。乗船を許されたジンは厨房で働く一方、クルーや研究者たちのために船内新聞をつくることに(氷山の南)
戦士としてヒイロとの決戦を望むゼクス。ノインはヒイロとトロワを連れゼクスの待つ南極へと向かう(新機動戦記ガンダムW 第15話「決戦の場所南極へ」)
昨日の帰り道、誰かが落としたであろうパスケースが”落とし物です”と書かれた紙と一緒に電信柱に貼られていた。
先日にも、子供のものと思われる手提げ袋が立て看板に吊るされていた。
こういうことをする人たちは自分が落とし物をしたことがあるのだろうか。
落とし物をした人が血眼になって探しているのは足元だ。
以前に家の鍵を落とした時、3時間以上探し回って見つけられず途方に暮れた帰り道に街路樹の枝にぶら下げられている鍵を見つけたときは安堵感よりも怒りのほうが大きかった。
その街路樹の前なら少なくとも3回は往復している。それなのに気づかなかったのは、落としたのだから足元にあると思い込んでいたからだ。
それを吊るした人はそれで親切心が満たされたのだろうか。
本当に親切をしたいなら少なくとも交番までは届けて欲しい。
むしろ何の気なしに歩く人の目に止まりやすくなっていることで、悪意にさらされる危険性が増しているということがどうしてわからなかったのだろうか。
最近のネットを眺めていると、これと似たようなことばかりだということに気付いた。
彼らは問題を解決したいのでも困っている人を助けたいのでもない。
自分の自己肯定感を満たしたいがために、問題や困っている人を探しているのだ。
そこには解決も救済もない。
これからの世の中は、そうした消費のされ方がより一層進んでいくだろう。
SNSの普及によって世界中が即座につながることができるようになったことで、今や彼らの自慰行為は世界規模にまで展開が可能になったのだから。
お互いがお互いの人生の物語をお互いの自慰行為のために消費し合う世界がすでに始まっているのだ。
薄汚い欺瞞という手垢に塗れたパスケースを電信柱から引き剥がして地面に叩きつけると、高らかに響いたその音が、新たな戦いの始まりを告げるファンファーレに聞こえた気がした。