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はてなキーワード: 引揚者とは

2018-07-11

anond:20180711015443

村社会的な人のとても良いサンプル。

「地の人間」「他の郡出身」「新住民団地」「貧乏引揚者」あたりの先住者が偉いというような言葉えらび。

「何も知らないでバカだなあ」「これ書いてる今も水に浸かりっぱなし」「今回の被災者みたいな目に遭いたくなければ」と被害者にも落ち度があるという精神

狡賢さを誇るような下品な知性はイヤだなぁ。

家を建てる前に地の人間災害リスクを聞かないからこうなる

今回の水害で俺の故郷被災してるんだけど、車がダメになった・二階まで浸水したみたいな被害を受けてるのは軒並み新住民団地なのね。

あの辺りの土地10年毎とは言わないけど30-50年置きぐらいにこれぐらいの洪水が起こる。

戦後貧乏引揚者が住み着いたけど洪水で全部流されたという話は、地の人間ならみんな知ってる。

から地の人間は家を建てたりしないんだけど、同じ県内でも他の郡出身だと普通に知らなかったりする。

最近あの辺に家が建つようになった。何も知らないでバカだなあ」と毎年帰省するたびに地元家族や友人から聞かされた。

開発業者は小中学校に至近で子供の通学の負担が軽いのも売り文句にしてたそうな。知っててやってたなら悪辣だと思う。

俺も通ったその小中学校土地田舎でよくある地元土地持ちが寄付した物なんだけど、道徳教科書に載るような立派な人でもなかったので、家や畑に向かない水捌けの悪い土地寄付したのね。

前日に雨が降ったら翌日いっぱいはグラウンドぐちゃぐちゃで球技とかやってられないみたいな。

そんなわけで新住民団地はこれ書いてる今も水に浸かりっぱなし。溜池を潰した土地なんかも混じってるし、いつ水が引いて家が片付けられるかは神のみぞ知るって状況。

タイトルで「地の人間災害リスクを聞くべし」みたいなこと書いたけど、よく考えると普通に聞いても教えてくれんわ。

よその人間に知られたら宅地用に売れなくなるし、自分土地だけじゃなく、他人土地価値が下がる情報を広めるのもタブーね。

聞くとしたら地元にもうしがらみの無い俺みたいな人間だな。

まり知らない土地に家を建てる予定の人は、今回の被災者みたいな目に遭いたくなければ頑張って俺みたいな人間をみつけて情報収集して欲しい。

2018-04-20

anond:20180420090300

わしの親父が子どものころは犬食べてたよ。

大陸から引揚者農地に向かない土地にすんでて犬を食べるのが普通だったところも多い。

2017-03-14

自分幸せ時代に生まれたこと

満州から引揚者中国残留孤児体験談等を読んでいたのだけど、あまりにも悲惨で、辛くて。

自分は何て幸せ時代に生まれたんだろうと申し訳ない気持ちになる。

社会は、世界は、昔よりも幸せ進化しているのだ、とも思ったのだけど、今だって世界には同じくらい悲惨な目に遭っている人、紛争地域に暮らす人はたくさんいるんだな、と思い直して。日本だって福島から避難してる子供達は幸せ時代に生まれたなんて多分思ってないだろう。

これまで健康に大きなトラブルなく生まれ育ったことって、本当に幸運だとしか言いようがない。もちろん未来のことは分からないし、病気になったり震災が起きたりする可能性もあるけれど。

自分ラッキーなことの罪悪感ってどうしたらいいんだろう。フェアトレード商品を買うとかボランティアをしたりするべきなんだろうな。どっちもしたことないけど。

この罪悪感、いつまでもつんだろう。すぐ忘れちゃいそうだ。

2016-12-04

いとうせいこうトーキングセッション2014夏

2年前の敗戦の日ころにNHKラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。

誰かフルで持っていませんかね。

作家五木寛之さんをお迎えしております

まぁ、僕はもちろん戦争体験年代ではないのですけど、五木さんは?

はいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど

少年飛行兵とか

僕らの世代は、ちょっと前で、終戦ときは、中学1年生でしたか

平壌の一中に通ってました。

で、引き上げていらっしゃって

戦争体験にもいろいろありましてね。

大本営とか通信部とか

丸々太って引き揚げてきて、村の人が

出ていってときと別人のようでなんて人もいた。

インパール作戦とか

いろんな悲惨体験した人もいるし、

僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど

荒廃した国土に何百万って人が帰ってきたら迷惑なんですよ

から当時の内閣閣議決定でね

海外にいる残留日本人たちは、

そのままにしておきたい

シベリア復員兵もひっくるめて

方針があったみたいですね

僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね

38度線を徒歩で越えた口ですから

脱北者として、逃亡してきた

から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない

あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、

棄民のようなかたち?

完全な棄民ですね。

捨てられてしまたかたち

内地のほうで、迎える日本の側でも

ほんとにあの時期に勝手外地に行って

戦争の真っ最中日本では麦のカスを食べていたとき

平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね

上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたか

そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、

引揚者って言葉は、当時は差別語でした。

そのことみたいなものだんだんだんだん、伝えられなくなって

粗雑なお話になって、

あるいは美しい物語になってね

アカシア大連なんてね。うらやましいなと思って

かつての植民地いたことを懐かしいと思える先輩たちのね

五木さんはそうではなかった

僕なんかまだいいほうでね

北朝鮮の北のほうの豆満国境ソ連

近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて

デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、

見るも無残な行列

避難民か引揚者かと同情しながら見てたんですけど

その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というもの惨禍を受けてね

ボロボロになって、やってきてるんですから

引き揚げにしても戦争体験にしても千差万別ですよ

ひとことには絶対いえないですよ

それがもう伝わらなくなってきている

帰国子女だという人がいるということ

五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないか

今、話すのは無駄だと思っているんですよ。

虚無感というかむなしさの中で

沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。

早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない

昭和史のかんどうさんも歴史を人は学ばない

僕は伝わらないと思う

言っても言ってもね、実感というのは伝わらない

僕はもう半ば諦めている

その人が

そうなるまでは、

体験というものは美化して伝わる

物語化して伝わったり

そういうクッションを経て伝わるんだ

と、悪いんですけど、嘆いているんですよ

しかし、まぁ、それが実感なのだろうと

マンツーマンで向かってお話をしていればね

なんとなく、口ごもる

話の中にもその人が語りたくない

っていう感じが伝わってくるでしょ

本当のことは語りたくないわけでしょ

引き揚げ体験にしても戦争体験にしても

本当の自分に対してやましさを持っている人たちは

語りたくないんですよ

から、僕も本当のことは語らない

ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。

そんなもの書いてね、おーなかなかい作品だねなんて

言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない

確かにそうですね。

以上の内容から読み取れることは、戦争体験千差万別であること。

修学旅行原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国基地も見て、バランスをとっておくべき。

沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。

空爆でやられたところとそうでないところ。日本都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実

やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。

赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島大陸に渡った人もいた。

そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20161204184643

 
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