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はてなキーワード: 五大老とは

2024-09-23

Shogun全部観た感想(長文・ほぼネタバレなし)

原作は75年に出たアメリカベストセラー小説。作者のジェームズ・クラベル映画脚本家メインのとして有名だったたらしく、「蝿男」とか、見た事ないけど「大脱走」「いつも心に太陽を」の脚本家らしい。

ゲースロなど大河物好きとしては、「真田広之と一部以外の人間みんな頭良くなさすぎね?」とか、全体的に各登場人物の野望や思惑が深掘りされないのが気になったけど、

原作者がハラハラキドキの名手(多分)だし、「これはある種の冒険ものなんだ!」と思い直したら非常に納得できてすんなり入り込めた。

戦国時代架空日本舞台で、時代としては秀吉っぽい人が亡くなり、その部下の五大公(五大老)の覇権争いが勃発した時代。五大公の一人の家康っぽい人(真田広之)が「俺は天下なんてほしくねーのにやれやれ他の欲深い奴らには任せらんねーな」しながら様々なピンチを切り抜け天下を掌握するまでの話。

ハラハラキドキしながら見れたのだが、基本暗い。誰がいつ死ぬか分からない時代からか”宿命”という「無常感」に似た考えが全体を支配していて、死にたがり多いし大層暗い。

日本人らしい死生観から、「まあいいか」的な明るさや忘れっぽさを取り除いたような思想なので、「合ってるけどなんかちょっとだけ違う」感じもする。時代のせいかもしれない。

神道」「天皇」が出てこないせいか、「守ったり立てたりする相手がいないから五大公達も目的意識希薄なんじゃ?」と思ってしまったりしたが、その代わりにShogun征夷大将軍)がなんかド偉い「人類の最高地点」みたいにナレーションで言われてて、海賊王か何かみたいな言われようだった。そのわりに前Shogunだった大公殿下秀吉)も、大した奴っぽくない描写もあったけど…。淀殿ももちろん出てきます

で、シンプルドラマかとおもいきや人物感情は繊細に描かれていて、マリコ様(第二の主人公たるこの人が暗いか雰囲気が暗い)とか、マリコ様の夫の文太郎浅野忠信演じる荒くれ武将の甥っ子あたりの複雑な思いに「んんん・・」となりながら観るのが良かった。

プロットのご都合感やシンプルさと、「それはそれとして人間感情はしっかり描きますよ」感は、なんかアメリカっぽい。アメリカ小説を読んだりしてて時々感じるのだが「話自体を難しくすると幅広い層の人が楽しめないから・・」という配慮はあるような気がする。スタトレ(TVドラマの方)をみてても思うが、わりと”視聴者共感させてヒーローを作ること”を大事にする文化はある気がする。

みんな演技が上手いし、全体的に自然な演技という印象。安針(家康の部下のイギリス人船乗り)も若者らしさが溢れててある意味一番フツーでよかったし、若いクリスチャン役の人がいい味だしてた。

ちょっと設定にやりすぎ感があるものの、浅野忠信キャラもとても味があってチャーミングだった。(ラムジーボルトンだけど。)

太郎役の人(阿部進之介)がイケメンすぎるし、マリコ様も美しいが、藤様役の若い女優さんもいかにも日本人らしい風貌で美しい。

日本庭園とか衣装も美しくてさすがハリウッド

演技的な一番の見どころは、真田広之西岡徳馬の二人のシーンかもしれない。このシーンで「このドラマみて良かったな」と思った。

まとまらないけど総じて素敵なドラマで観てよかったです。

2024-09-20

追記ありSHOGUN勘違いしているブクマカ説明してみる

はてなの多くがディズニー嫌いなので宗教上の理由SHOGUNをみれなくて空想で語っていると思うんだ。

なのでブクマカ人達ちょっと変な感想を指摘してみる。

歴史に忠実な物語ではない

まずこの話はフィクションなのでキャラクター架空人物である

「このドラマ歴史的に正しいのであって政治的に正しいわけじゃない」というコメントがみられたが歴史的に全然正しくない。

秀吉の死後家康が大阪城幽閉され、三浦按針を切り札キリシタン五大老の仲を切り崩す。

全員架空名前ではあるが日本人なら細部描写からモデルとなった歴史上の人物想像できるようになっている。

歴史がわかる人なら「ん?」となる話だがアメリカ人原作なんだからしょうがない。

家康(ここでは虎永)は由緒正しき美濃原の血筋とか訳の分からん言説も出てくる。源氏のことだろうか?

ハンセン病キリスト教帰依した大老が登場するなど日本舞台ファンタジー小説を読んでいるような気分だ。

正直フィクション具合はラストサムライと大差はないと思う。

話の筋としてはプロテスタントの按針がカトリックを蹴散らし関ヶ原趨勢に影響を与えるというアングロサクソンが喜びそうなお話となっている。

本当にコレクトネス作品か?

劇中ポルトガル語を話している体のシーンは全て英語で話している。

これは展開重視だったり、配信の視聴成績を考慮してだろうがちょっと変ではある。

細部にこだわった日本人スタッフがどう感じたか気になるところだ。

当たり前のように英語で話し白人文化にそれほど興味がない本作はとても「ポリコレ的」であると言えなくもない。

そもそも原作白人万歳70年代歴史ファンタジー日本描写適当だったら大炎上した可能性さえある。

いわゆる白人酋長モノ(アバターなどがわかりやすい。未開人の破滅運命賢明白人様が救うお話)で昨今ではわかりやす差別的表現と言われているが今作では白人日本人も互いに野蛮と罵り合っていてバランスを取ろうとする試みが窺える。

ハリウッドで何か賞を受賞する場合マイノリティ要素が大きく影響するのは最近トレンドであるが本作の場合日本描写が丁寧だった点が評価されたのは想像に難くない。

追記

少々イジワルな言い方だがあなたの習った歴史では五大老五奉行に「大谷吉継」がいたのかな?

インパクト重視の人物配置をして異国情緒意識した、日本を「異世界」として扱うファンタジー作品と評しているんだよ。

実在大老前田利家織田家からここまできて悲喜交々物語があるが架空人物を置いたらもったいないじゃないか

プロットははっきり言って微妙だと思う。

囚われの身→安針の活躍脱出地震で大ピンチ→また囚われの身…

都合の良すぎる展開も去ることながら日本版ゲースロと称されるだけあって無駄三角関係作ったりノイズになる。

史実から引っ張ってきたエピソード適当に作った話の混ぜこぜで歴史がわかる日本人には特殊体験になったと思う。

それでもこの作品の魅力が足り得ているのは俳優陣の引き締まった所作小道具やセットの作り込み、ロケーションの良さ、落ち着いたCGIの使い方などがあるためだと思う。

偏見にまみれた原作からこれだけの視聴体験をつむぎ出したのはハリウッドでのマイノリティにあたる日本人の描かれ方や起用に疑問を呈し、日本人役は日本人日本語劇、日本スタッフによる文化監修の賜物。

将軍ポリコレがわからない人は自身名誉白人だと思っているという評があったけれど国外に出ないでいたら差別的な扱いを受けた事がないので自分のことをマイノリティ認識できていないのかもしれない。

2024-02-12

再掲

2018年に書いたトップXの代名詞案に解説を足したよ

頂点--
双璧--
御三家家康の子のうち格別に家格が高かった三藩主徳川義直・頼宣・頼房
四天王仏法において帝釈天に仕える守護神四天持国天増長天広目天多聞天
五大老豊臣政権末期の政務にあたった五大名徳川家康前田利家毛利輝元宇喜多秀家小早川隆景
六卿西周王朝行政組織における六名の最高官職冢宰・司徒・宗伯・司寇・司馬・司空
七賢人古代ギリシアの優れた七人の統治者クレオブロス・ペリアンドロス・ピッタコスビアスタレスキロン・ソロ
八部衆仏法守護する八尊の護法善神天衆・龍衆・夜叉衆・乾闥婆衆・
阿修羅衆・迦楼羅衆・緊那羅衆・摩睺羅伽
偉人中世ヨーロッパ騎士道体現した九人の英雄ヘクトール/アレクサンドロス大王/カエサル/ヨシュア/ダビデ/
ユダ・マカバイ/アーサー王/シャルルマーニュ/ゴドフロワ・ド・ブイヨン
十傑史実元ネタなし(強いて言うと維新の十傑?)-

 

フィクションのは挙げてないけど有名っぽい代替案は、六神将(テイルズ オブ ジ アビス)、七英雄(ロマンシングサガ2)、十天衆(グランブルーファンタジー)あたりかな。

3に関して、頭に数字をつける縛りなら、三羽烏または単に三傑とも呼ばれるね。十傑と被るから避けたいけど。

5に関しては、五大老しわしわすぎて合わない場合は、五賢帝汎用性高そうだね。古代ローマの。うん、その方が文明コンプ感高まっていいと思う。仏法はまだ被ってるけど。

2023-07-13

日本宗教国家しろ!でも天皇崇めたりとかその辺の生臭坊主の説法聞くのも嫌だ

なので悟りを開いた聖人である格ゲーウメハラを頂点とした宗教国教しろ

教えは

一  1日1つだけ強くなる(1日1回些細な事でも良いから新しい事をしたり変化をつけろ)

二  2D神は神として認めない(嫌韓国粋主義

三  仏の顔は三度まで(気に入らない事があってもすぐブチギレるな)

四  毎年必ず寄付をする(毎年のTOPANGAチャリティーとか)

五  格ゲー五神じゃなくて五大老とかなんだよね俺は唯一神一神教

六  攻略を隠したりはしない(隠さず嘘をつかず、協力して高め合い海外勢力に対抗する)

七  ドリブルをするな(厚かましいのはやめろ調和大事しろ) 

八  太刀魚天ぷら最後の1つを無断で食べてはいけない(強欲はやめろ皆に分け与えよ)

九  おばあちゃんから金を騙し取らない(祖母じゃなくてもやめろ。戒め)

十  コミュニティに貢献せよ(自分の出来ることで貢献しろ

この十戒大事にした生活を送れば日本は復活する

2023-05-04

anond:20230504172853

結果的朝鮮出兵免れて五大老筆頭になったしな

小田原もらってたら秀吉から目をつけられてワンチャン潰されてた

2023-04-06

anond:20230406191540

秀吉死亡時、五大老の年齢は、

前田利家 59歳

徳川家康 55歳

毛利輝元 45歳

上杉景勝 42歳

宇喜多秀家26歳

という感じで、まあ秀家はどう考えても若すぎるんだけど、

から実務を期待されてたというより「次世代の中心として秀頼を支える立場」を宣言された感じだよな。

ここに秀家の代わりに伊達政宗(当時31歳)とかを入れると、

どう考えても上の世代が死んだあと乗っ取られちゃうじゃん。

そもそも秀吉および豊臣家の弱点は一門衆が手薄なことで、

の子供たちだとか、妻ねねの甥(=小早川秀秋)だとか親戚をかき集めたけど、

そいつらは生まれながらの武士ではないし若くて頼りない。

秀頼が成人してもそいつらがちゃんサポートできるかわからない。

そこで秀吉は有力大名の息子を人質代わりに養子にして、

そいつらを懐柔して疑似一門衆にしようとしていたと思われる。

宇喜多秀家結城秀康伊達秀宗あたりな。

その中でも秀家は実家を継いで大名になったし、

豊臣家にも従順大坂に近い岡山57万石を与えられていた。

秀家はほとんど「豊臣一門の若頭」みたいなポジションなんだったと思うよ。

宇喜多秀家ってなんで五大老の一人に選ばれたの?

徳川→当然 前田織田政権からの重鎮 毛利西国最有力 上杉越後の龍の後継だしわかる

喜多→えっ誰君??

 

マジで急に現れた感がすごい。バランス的に西からもう一人選ぶにしても島津だろ。せめて長宗我部

東なら伊達がいるし、佐竹とかもいるじゃん。

子飼い福島ダブル加藤黒田細川あたりから選んだってよかったじゃん。なんなら幽斎でも。

喜多ってマジで誰なのよ。誰が秀吉に推薦したのよ。そんで何が秀吉眼鏡にかなってオーディション通ったのよ。

戦国ガチ勢教えてください。

 

ちなみにChatGPTの答え

質問宇喜多秀家は、島津氏や伊達氏などの有力大名をおさえてなぜ五大老の一人に選ばれたのでしょうか?

GPT宇喜多秀家は、豊臣秀吉が行った天下分け目の戦いであ山崎の戦い賤ヶ岳の戦いなどに参加し、功績を挙げました。そのため、秀吉からの信頼が厚く、豊臣政権下において重要役割を果たすことができました。

また、宇喜多秀家は、豊臣秀吉に対して忠誠心が強く、秀吉命令には絶対に背かなかったことが知られています。そのため、秀吉からの信任も厚く、五大老の一人に選ばれることができたとされています

さらに、宇喜多秀家は、紀州征伐や文禄・慶長の役など、豊臣政権重要な戦役に参加し、活躍したこと評価されたとも言われています

以上のように、宇喜多秀家秀吉からの信頼が厚く、忠誠心が強く、また多くの戦功を挙げたことが理由として挙げられます

 

嘘ばっかじゃねーかChatGPT

2022-03-16

anond:20220316154849

豊臣秀吉が死なずに、

五大老が明の北京まで攻め取っておけば良かったんだよ。

2020-11-07

ゆるキャン△大垣城の思い出と堺屋太一世界観団塊の世代

 ドラマゆるキャン△2期の制作が決定したので、記念に大垣城の思い出を書く。ドラマ版の大垣があまりにもアニメ大垣そのままだったことに感動して、大垣関係するものを何かしてみようと思い、大垣観光しようと大垣城へ行った。今年の3月のことだった。

 岐阜県大垣市のJR大垣から歩いて10分で大垣城に到着した。当時は児童・生徒の入場はコロナ禍により制限されていたが、そうでない私は特に問題なく入場できた。大垣城関ヶ原古戦場に近く、最上階の天守閣から西の方を眺めると、南北山地で囲まれ関ヶ原琵琶湖方面への通り道のように見える。もちろん大垣城内の展示では関ヶ原の戦いを売りにしており、戦いの様子を表現したジオラマの展示、当時用いられていた当世具足の展示、武器を手に取って体験できるコーナー、ビデオコーナーがあった。

 私がその中でも気に入ったのはビデオコーナーであった。入口の立て札には「SEKIGAHARA」というタイトル劇画調の石田三成徳川家康の精悍な顔が描かれており、「関ヶ原の戦いはただの権力争いではなく、後世の武士価値観を決定するイデオロギー闘争であった」みたいな感じ(注:正確な文章は忘れた)の煽り文が異彩を放っていた。中を見ると、公立図書館の様な一人再生用の視聴ブースが5つほどあり、映像は全部で2時間説明文にあった。大垣城以外にも「奥の細道むすびの地記念館」など市内をいくつか観光するつもりだったので、10分ほど軽く見るつもりでヘッドホンを装着してDVD再生ボタンを押した。結論から言うととても面白くて、1時間ほど見てもまだ続きが見たかったけど、泣く泣く中断したほどだった。

 私は高校日本史を履修しておらず大河ドラマの類も見たことが無く、石田三成を見ても「誰だっけ?」と思ったほどである関ヶ原の戦いは豊臣と徳川の争いであるとは漠然とは知っていたが、関ヶ原の戦いの時には豊臣秀吉がすでに故人だったことも知らなかった。そんな私でもDVDに夢中になった。

 映像豊臣秀吉の死から始まる。秀吉を豊臣財閥筆頭株主社長に例えて、五大老秀吉にM&Aで吸収合併された競合他社の社長としていた。五大老は自社の株式の全てを秀吉に売り、代わりに秀吉会社から株式を譲り受けて豊臣財閥取締役になったという設定である五奉行執行役員部長秀吉生え抜き社員だという。それぞれの大名石高数は、豊臣財閥の持ち株数で表していた。

 秀吉の跡を息子秀頼が継いだもの未成年で実権がないので、成人するまでは取締役である五大老が秀頼を補佐するようにというのが秀吉遺言である遺言に反して株式保有第二位副社長徳川家康クーデターを企て、それを社長室長企画部長石田三成が阻止するというのが「SEKIGAHARA」の大きな流れだ。250万石もの大資本を持つ取締役副社長家康に対して、わずか18万石の部長に過ぎない三成がどのように対抗するのか。この会社組織で例えた設定がナレーションや図表でわかりやす解説されたので、歴史に詳しくない私でも現代ドラマを見るように楽しむことができた。

 時間がなかったので飛ばしながら見たが、それでも全部見終わることはできなかった。この「SEKIGAHARA」は「原作堺屋太一」とあったので、帰宅後に原作を読んで関ヶ原の戦いを調べることにした。原作小説の「大いなる企て」でも、五大老五奉行会社組織で例えており秀吉の死から物語が始まる。しかし、映像版と原作小説ではストーリー構成が大きく異なっていた。映像版では秀吉の死後に関ヶ原の戦いが始まり合戦の様子を三成と家康のそれぞれの視点で描くのがメインであった。それに対して上下構成になっている原作小説では、朝鮮出兵の和平交渉撤退に三成が中間管理職として苦労する描写に長尺が割かれている。朝鮮出兵から帰還した大名に対して三成が秀吉葬儀を取り仕切り、それがようやく一段落いたころには上巻が終わるという具合だった。関ヶ原の戦いはいつ始まるんだと思っていたが、残念ながら原作小説関ヶ原の戦いが始まる前に完結してしまう。

 原作小説は私の期待に反して関ヶ原の戦いは描かれなかったけれども面白かった。それにしても、原作では三成が中間管理職として苦労する地味なサラリーマン小説であるのに対して、映像ではドラマのようなエンタメに仕上がっているのはどういうことだろうか。気になって原作者を調べてみたが、堺屋太一がただの小説家ではないことが分かった。

 堺屋太一は元通産省官僚であり、大きな業績として大阪万博企画立案に携わったことがある。通産省を退官後は、小説家・博覧会プロデュースドラマなどテレビ番組プロデュース大臣学者政治運動マルチ活躍しており、どれをとっても大きな功績といえるだろう。「SEKIGAHARA」のプロデュース堺屋太一活動の一つだ。「SEKIGAHARA」では単に原作ストーリーをなぞることにこだわらず、大垣城の展示作品としても、エンタメとしても楽しめる物を意識してプロデュースしてきたことだろう。

 堺屋太一を知らない人でも、「団塊の世代」という言葉は知っているだろう。「団塊の世代」は元々堺屋太一小説タイトルで、当時「戦後っ子」と呼ばれた戦後まれ世代が、将来社会でどのような役割を担わされるのかを予想した近未来小説である。この小説も私は最近読了したので感想を述べてみる。

 1970年代中頃に連載した当作は80年代90年代バブル景気とその崩壊予測できなかったものの、団塊世代出世頭打ちになること、無駄役職者が高い人ばかりになり組織ピラミッドが歪になること、人余りの団塊世代関連企業へ出向されるなど、年功序列型の賃金上昇や終身雇用が維持できなくなる現在予測している。

 団塊世代は今でこそ巨悪と描かれることが多い。昨今話題になったドラマ半沢直樹もその一つだ。ドラマでは銀行マン無双というタイトルが似つかわしいほどの勧善懲悪痛快劇であるが、原作小説では「オレたちバブル入行組」のタイトルの通り、バブル世代である半沢直樹らが団塊世代復讐をする世代対立物語である。ただ、原作でも世代対立の色合いは作品を経る毎に薄くなり、三作目で「ロスジェネの逆襲」というタイトルで半沢らより下のロスジェネ世代人物を多く登場させながら、ロスジェネ世代バブル世代や団世代に逆襲をするというわけでもなくタイトルに反して半沢直樹無双となっている。四作目ではとうとう世代対立関係なく、その時話題になっていたJAL再生タスクフォース民主党事業仕分けネタにして半沢直樹無双をやるだけになってしまった。ドラマ2期で過剰な演技や顔芸ばかりが取りざたされることに批判もあるが、原作もこの様なものである

 閑話休題しかし、「団塊の世代」を連載した1970年代中頃では、団塊世代はまだ二十代の若造である。その頃から戦後っ子が老害へと変貌する未来予測したのは流石としかいえない。「団塊の世代」の4話では1999年舞台になっており作中では、団塊世代既得権益をむさぼりレジャーうつつを抜かして経済技術の発展を妨げた、と批判がなされている。大阪万博など一大レジャーを築いた堺屋太一自らがこのように評するのは痛快にして皮肉でもある。

 ちなみに、堺屋太一1935年まれ2019年に故人となっている。多くの業績を残したすごい人を亡くなって1年も経ってから私が知ることになるとは何て残念なことだろうと思ったが、それで堺屋太一小説面白さが色あせることもないので今も読んでいる。

 ゆるキャン△ドラマ2期決定を機に大垣城の思い出を述べてきたが、関係ない話が長くなってしまったので、この辺で筆を折ることにする。

2018-06-25

決定版だよー

頂点

双璧

御三家

四天王

五大老

六卿 (六神将)

七賢人 (七英雄)

八部衆

偉人

十傑

 

()はフィクション呼び名だがそっちの方が通りが良さそうなもの

異論は認める

2017-05-19

増田 長盛(ました ながもり)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名。豊臣政権五奉行の第三席。父母は不詳、弟に増田長俊、子に盛次、長勝、新兵衛。官位従五位下・右衛門少尉

目次 [非表示]

1 生涯

1.1 仕官以前

1.2 秀吉近臣時代

1.3 郡山城時代

1.4 秀吉没後、関ヶ原合戦での転身、以後

2 子孫

3 主な家臣

3.1 一門衆

3.2 重臣

3.3 その他

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典

5 関連項目

生涯[編集]

増田長盛邸址(愛知県稲沢市増田町

増田長盛屋敷跡(滋賀県長浜市朝日町

生地は2つの説があり、1つは尾張国中島郡増田村(現在愛知県稲沢市増田町)[注釈 1]だったという説、もう1つは近江国浅井郡益田郷(現在滋賀県長浜市益田町)[注釈 2]だったという説がある。上野国存在した増田氏との関係不明である

仕官以前[編集]

秀吉仕官する以前の経歴は明らかでないが、一向宗徒であったという説がある。永禄7年(1564年)側室との間に長男・長勝を儲けている。

秀吉近臣時代[編集]

天正元年(1573年)、28歳の長盛は、まだ織田信長の家臣であった羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に召し出され[注釈 3]200石で仕えた[1]が、この時期に正室を迎えたと見え、天正8年(1580年)、嫡男・盛次が誕生している。盛次の誕生に際し、銘吉光九寸五分の短刀を与えたことが盛次討死後、乳母の口から語られて記録に残されている。

秀吉の麾下で中国攻めをはじめ多くの戦に従軍し、鳥取城攻めでは「陣中萬の物商の奉行」を命じられた。天正10年(1582年)には奏者に任じられ、上杉景勝との外交交渉などを担当した。同年の吉田兼見日記名前が登場している。

天正12年(1584年)3月小牧・長久手の戦いでは先陣を務めて兜首二つを取る功を上げ、この功績で2万石に加増され、翌天正13年(1585年)3月紀州攻めでは、大谷吉継と共に2,000の兵を率いて従軍根来衆津田監物、西谷延命院を斬った武功があったとされ(『根来寺焼討太田責細記』)、従五位下・右衛門尉に叙任されている。

天正18年(1590年)の小田原征伐においては里見義康担当の申次となり、安房国で差出検地の施行知行宛行状の発給を行っており[2][3]、後北条氏が滅亡すると、さら下野常陸安房大名に対する豊臣政権の取次となった[4]。この年、中村一氏駿河国駿府14万石に移封になったのを受け、近江国水口6万石を拝領している。

太閤検地では石田三成長束正家らと共に中心的な役割を担い、近江国美濃国越後国などの要地の検地奉行を務めた。普請積極的で、京都では鴨川に架かる三条大橋五条大橋改修工事にもあたり、三条大橋には今も長盛の名が刻まれる。伏見城の改修も分担した。

文禄元年(1592年)から文禄の役では、石田三成大谷吉継とともに朝鮮に渡って漢城駐留し、奉行として占領統治兵站に携わった他、碧蹄館の戦いや幸州山城の戦いにも参加している。

文禄4年(1595年、豊臣秀次秀吉の命で切腹する「秀次事件」が起きると、長束正家と共に秀吉との間に対立が生じた豊臣秀次の老臣を糾問するなどしている。文禄5年(1596年)にはサン=フェリペ号事件の処理で土佐に赴き、このとき対応秀吉によるキリスト教フランシスコ会)の弾圧日本二十六聖人殉教)の端緒を開いた。

郡山城時代[編集]

文禄4年(1595年)、豊臣秀長の後を継いだ豊臣秀保が没すると7月大和国郡山城20万石の所領を与えられる。高田一英・浅井井頼ら大和大納言家の旧臣の多くは長盛が召抱えた。長盛はまた郡山城に総堀をめぐらす大掛かりな普請を行った。東では秋篠川の流れを東に変えて水流を佐保川に落とし、西に多数の溜池を繋いで堀となすなどした。この普請のために大和から夫役徴発され、普請は翌文禄5年(1596年)に完成を見た。慶長元年(1596年)には紀伊国和泉国の蔵入地管理を委ねられている。秀吉晩年には五奉行となる。慶長2年(1597年)には再び安房国を訪れて、総検地を施行している[2][3]。

慶長の役では開戦後国内にいたが、慶長4年(1599年)に予定されていた大規模攻勢では福島正則石田三成とともに出征軍の大将となることが決定していた[5]。しかし、慶長3年(1598年)8月秀吉が没したためこの計画は実現しなかった。

秀吉没後、関ヶ原合戦での転身、以後[編集]

慶長3年(1598年)に秀吉が没すると、石田三成は反徳川家康立場を鮮明にし、長盛もこれに与して打倒家康の謀議に参加。慶長5年(1600年)には長束正家前田玄以など五奉行連判で家康悪事糾弾する弾劾書を示し、五大老毛利輝元宇喜多秀家擁立して挙兵西国大名西軍加担を要請する文書を送るなど精力的に活動した。

伏見城攻めには自ら参加し[注釈 4]、重臣・福原左衛門をして城内に籠る甲賀衆に寝返りを促し、落城に導いている(甲賀郡志)。大津城の戦いには一門の増田左衛門を陣代として軍勢派遣し、増田勢は大津城の湖水方面から城壁を越えて乗り込み攻撃した。同城の戦いではまた、家臣・中村金六が敵方勇士・浅見藤右衛門と組み打ちし功名をあげた。 しかし、一方で家康に三成の挙兵を内通し、また三成の資金援助要請も渋るなど対東軍への保身工作も講じている。9月15日に行われた関ヶ原の戦いには参加せず、毛利輝元とともに大坂城守備部隊として西の丸に兵3,000を率いて駐屯戦後9月25日出家して謝罪し、9月27日大坂城西の丸にて沙汰を申し渡され改易となる。その身柄は高野山に預けられた。

後に高野山を出て岩槻城主・高力清長預かりとなる。慶長19年(1614年)8月家康より召喚され大坂方への和睦の仲介を依頼されるもこれを断る。元和元年(1615年)、尾張藩主・徳川義直に仕えていた息子の増田盛次が長盛との相談の上で義直の了解を取り大坂夏の陣尾張家を出奔して豊臣氏に与したが、戦後この責任を問われ自害を命じられた。享年71。

三白眼であり豊臣家を滅ぼした元凶ではないかと後世に語り継がれている。安藤英男は、長盛が三成失脚後に100万石以上に相当する豊臣氏の蔵入地を一括管理していた点を指摘し、長盛が家康に通じずに蔵入地100万石がもたらす資金人員を豊臣家及び西軍のために振り向けたならば、関ヶ原の戦況も西軍有利に転じた可能性があったとして輝元とともに西軍敗戦の原因と分析している。

墓所埼玉県新座市の金鳳山平林寺。当初、騎西郡金重村にあった平林寺に葬られたが、松平信綱によって平林寺が移転された際、新座郡野火止に移った平林寺の境内に移された。明治年間、子孫が墓石を再度移転している。

 
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