はてなキーワード: 南酒々井駅とは
一つたしかに言えることがある。
あの日、千葉県立東金病院にて亥鼻が差し向けた医局員たちは私にプロポフォールを投与した。本来麻酔科医がいなければ使用できない薬剤で私の意識を奪った。
そして、癌性腹膜炎によって苦しむ彼女にステロイドを過剰投与し、夫と幼い子供の前で彼女を殺したことである。
薄れゆく意識の中でさまざまなことを思い出した。酒々井中学校の卒業式で彼女から詰襟のボタンを求められたこと。休日には成田参道を共に歩いたこと。南酒々井駅で初めて口づけを交わしたこと。私が好きだった成東駅近くの和菓子屋の最中を学校帰りによく買ってきてくれたこと。
千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進み、栄養士として社会に貢献し、夫からも子供からも愛され続ける筈だった彼女の人生はストックホルム貴族達によって閉じられた。
私が医局を追放される前(思えばあの頃から教授たちは私の査問の準備をしていたのであろう。いつも私に良くしてくれた講師がやけによそよそ態度を取った時期である)、彼女と電話した。彼女から泣きながら言われた言葉は「あなたは頭がおかしくなってる」であった。その一言で彼女は電話を切った。
思えば、彼女は皮膚病があった。肉も好きだった。消化器と皮膚の炎症がマクロファージからのサイトカイン放出を促し、予防接種を通じて肝細胞に仕組まれたシステムが既に作動していたのではないか。一種のせん妄状態であったのであろう。
千葉県立佐倉高等学校に在学していた時に親しくしていた部活の先輩も、執拗に私をサナトリウムに拘束しようとしていた。彼もやはり持病によってCRPは上昇しやすい傾向にあった。
もし、一橋大学商学部在学中にスウェーデンへ行くことがなければ、私も彼らのように何も知らず、怒りを感じず、穏やかに酒々井で仮初の幸福を享受することができたのであろうか。
しかし、知ってしまった限り動かねばならない。ストックホルム貴族達をはじめとした白人至上主義者どもの醜悪な計画を挫かねばならない。
私は千葉県の酒々井町で育ったが、都内で生まれ都内で育った代ゼミの学友とも一橋の学友とも文化的な差を感じたことはなかった。
千葉県立佐倉高等学校在学中、当時付き合っていた千葉県立成東高等学校に通う女性を南酒々井駅まで迎えに行き、ひぐらしの鳴き声を聞きながら畦道を歩いたものだが、そのような経験をしないまま灼熱のコンクリートに脳をやられてきた学友達には同情したものだ。
彼らの中には厚生労働省で働く者もいる。一橋のゼミナールで共に学んだある学友は商学部を卒業後に法学部に編入し、そこから厚生労働省に進んだ。
私にとって彼はストックホルム貴族達の有色人種虐殺計画に与する悪党であるが、私にサナトリウムを紹介しそこに軟禁しようとしてきた。
負い目のようなものがあるのであろう。