はてなキーワード: 詰襟とは
苅野勉三
かりのべんぞう
木手家の隣人の浪人生(高卒)で、キテレツからは勉三さんと呼ばれている。詰襟の学生服を着用し、レンズの分厚い牛乳ビンの底のような眼鏡をかけている。
残念ながら要領が悪く不器用な人で、バイトもしているも中々勤まらない。自分で自分の事を「自分はなんてダメなんだ~」とボヤいているシーンがある。
こんな感じでなんだか情けない・さえない印象を受けるヒトだが、なんと彼女持ち(上原友紀。原作では「上原君子」)で、仲は比較的良好。
浪人生の時に当時デビューしたての寝台特急北斗星に乗って札幌の大学を受験しに行ったこともある。
アニメ版では六浪の末無事に高尾大学経済学部に入学した。ちなみに六浪なので、順調に卒業しても新卒で三十路になる。
正直アニメ放映時の時代を考えると、その人生は決して楽観視できるものではない(むしろ大卒であるがゆえに絶望しかない)のだが、そのあたりは特に触れられていない。
勉三さん
本名は「苅野勉三(かりの べんぞう)」。山形県出身の25才。
東北訛りの喋り方で、常に敬語。一人称は「ワス」で語尾に「~だす」とつける。
高尾大学経済学部に入学する為に上京したが、6浪している苦労人。
が、毎回尋常じゃないミスをしてクビになる為、様々なアルバイトを経験している。
分厚いビン底メガネをかけ、無精髭が生えている。
メガネの下は藤子メガネキャラクターおなじみの3ではなく、とてもつぶらな綺麗な瞳。
キテレツやコロ助と関わる事も多いが、トラブルの原因にもなっている。
にも関わらず、嫌われてなくむしろ好かれている。
意外と博識な為、頼りにされる事もある。
ドラえもんの作風に馴れてると、少年少女がメインの中、彼らと共に積極的に事件に巻き込まれていく彼のような大人のキャラクターは中々新鮮に見えるだろう。
上原君子(アニメでは上原友紀)という顔良し・性格良し・スタイル良し・高学歴・高収入(アニメでは客室乗務員になる)の五拍子揃った彼女がいる。
当初は嫌われていたが段々と勉三さんの優しい一面に惹かれ、交際が始まった。
中盤にて、念願の運転免許を取得。
ハンドルを握ると性格が変わるスピード狂であり、横断歩道や歩道橋まで走ってしまう。
浪人生のイメージが強いが、7回目の受験にて念願の高尾大学経済学部に合格。
勉強も真面目にしておらず、レポートは提出期限ギリギリまで放置し、試験には落第する有様である。
アニメでは顔がそっくりの母親(CV.花沢さん→カレーパンマン)が登場した。
NHKで放送された実写ドラマでは、山本耕史が勉三さんを演じた。
ちなみにこの勉三さんは東京大学を目指していた。
余談
勉三とは、漫画・アニメ『キテレツ大百科』に登場するキャラクターの一人である。
勉三(生放送主) - ユーザー生放送の配信者兼歌ってみたカテゴリの男性投稿者(歌い手)。
主人公である木手英一(キテレツ)の家のとなりに住む浪人生。季節を問わない学生服とビン底メガネがトレードマーク。
山形出身で、アニメ版では東北弁で喋る。山形の実家には勉三そっくりの顔の母親、苅野ヨネ(CV:山本圭子→遠藤晴→柳沢三千代)が住んでおり、時折上京しては勉三の様子を伺いに来ている。
何度も浪人を繰り返しており、その着古した学生服には風格さえ漂っている。
アニメ版では、途中で高尾大学に合格しており、それ以降は浪人生ではなく大学生となっている。ただし、大学にまじめに通っているかというとそうでもない模様。
何気に彼女持ち。原作では上原君子、アニメ版では上原友紀(CV:吉田菜穂→遠藤みやこ)という名前で、アニメ版では最終的に客室乗務員に就職している。
ニコニコ動画において
ニコニコ動画に限ったことではないが、キテレツ大百科のメインキャラクターであるコロ助+4名の子供たちに劣らぬ知名度を持っており、あちこちでパロディの対象とされる。
ニコニコ動画においてはそのようなパロディ作品のひとつ「野性の闘牌 鰻」での登場が最も多いと思われる。あるいはキャラ差し替えで投稿者コメントに名前だけ載っていることも多い。「勉三」でキーワード検索するとそのような動画が多数ヒットする。
生まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。
特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。
小学校は田舎の公立だったので、制服等はなく、着るものは特に苦労はしなかった。
問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎の公立の中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校は男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟の学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。
端的に言って、クソだった。校長はこちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。
といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。
それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。
学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由を説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由も説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールだから」と強制してくる。
小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。
まず、毎週火曜日に実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。
次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室の先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。
保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。
授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。
そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。
受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服が存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。
私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科を選択する必要がある。
が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。
そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。
幸いにも、理科と数学だけが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。
その言葉の通り、大丈夫で普通に合格した。中学校の同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。
一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪は普通にいる。
制服の呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。
授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校が死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。
その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。
最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。
だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代に自分が中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。
ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピーの悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。
マア、何を読んでいらっしゃるの。
本から顔を上げると、コオヒィを運んできた女給のマチコが本を覗き込んでいる。
これはフェニミ神という古代オリエントの神の言葉をまとめた本で、現在まで続くフェニミズムという神秘主義の原典にあたるのだ、これに後世の学者の解釈文をあわせて、一般的にはディルドオと呼ばれているのだよ、と私は講釈をぶったものである。
この小さく爪で引っ掻いたような痕が文字なのねえ、と彼女はコオヒィをテエブルに置きながら不思議そうに眺める。
これはシュメエル語と言って、古代の人がもともとは粘土に刻んだもので、後の世代に宗教思想や儀式を記録するために使われたのだ、人類の歴史の中でも最も古い言語の一つだが、それを使って書かれたディルドオに現れている思想は、きっと君でも驚くような先端的なものなのさ、と私はますます得意になってまくしたてる。
すごいわねえ、フェニミズムって、どんな思想なの。
ひとことでいえば、徹底した自然法則の崇拝だね。人権などというものは存在しない。すべては自然が司っているという思想さ。人間が勝手に作り上げた「思いなし」を洗い流して極限まで自然に従って生きるようにすれば救済が待っているという思想さ。
つまり人間がそれぞれ自然に定められた動きに従って生きよということさ。それに従えば女は産む機械だから、どんどん性交してどんどん子を産むがいい、だが母子の愛情とはじつは人為的なものだから、作った子供を必ずしも愛情を持って育てる必要はないということさ。現代の日本でも赤ちゃんポストというものがあるらしいが、古代にはもっと進んでいて、男も女も育児院という場所に自由に子供を置いていけば、あとは国家が大量に子育てを行っていたのさ。そこに来て子供を労働力として買っていくこともまた自由だった。
それならなんだか私にもわかる気がするわ。最近、もっと自由になって、ここではないどこかに行ってしまいたいって、思ってばかりいるのですもの。マチコは隣に腰掛けて潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。
扉が開いて、詰襟制服の学生たちが入ってくる。我が物顔で奥に陣取ると、ウインナアコオヒイなどと大声を上げている。マチコは立ち上がって注文を取りに行った。
窓の外を見ると、灰色の空にまた雪がちらつきはじめていた。
女性差別の根源に「おっさんの女装はキモい」があると気付いたのでメモ
キズナアイの服装を批判するフェミババア見て「あの衣装はお前らババアが着てもキモいだけだ妬みかよ」と思ったが、フェミババアも俺のような金のないキモいおっさんに言われたく無いだろう、俺だってあの衣装着てもキモいだけだなと苦笑し、そして、キズナアイの衣装はジジイやババアが着たら何故キモいか考えてみた。
キズナアイの衣装は若い女性の衣装である。若い女性の衣装は着る人を選ぶ。制服でも詰襟の学生服とセーラー服では詰め襟をハゲで小太りのおっさんが着ても哀れではあるがキモさは無い。詰め襟を着たおばさんはキモいか?キモくない気がする。セーラー服はどうだろう。おっさんは当然キモい、それにブスでデブのおばさんが着もキモいだろう。その姿はキモく呪われていようである。否、実は呪われているのだ(と考える)。
この時、呪いの主体はジジイやババアではなく、若い女性の衣装ではないだろか?何故ならジジイやババアも普通の格好ではそんなにキモくは無い。若い女性の可愛い衣装を着るとキモくなるのだ。呪いの正体が見えた気がした。セーラー服は呪われているのだ。
ではこのキモい女装のおっさんを1番キモがり嫌うのは誰だろうと考えてみる。キモい気持も呪いの筈だ。キモいいうのは若い女性だろう。思春期前の子供なら単に笑い飛ばすだろうし、老人なら不謹慎と怒るかもしれない。俺なら同情するし、哀れみ羨むだろう。
キモいが呪いなら、呪いはどこから生まれるのか?若い女性がおっさんをキモく思うのは女装に限らない。思春期になれば自分の下着を父親の下着と別けて洗い、父親を汚物の様に扱う。女性は思春期になるとおっさんを強烈に拒否する様になっていく。この心理は一体なんだろうか?この心理と女装のおっさんをキモく感じる心理は同質では無いだろうか?
実は、この思春期に中年男性をキモく感じる女性心理こそが、将来に渡って女性を(中年男性中心の)社会から隔離し、女性の社会進出を妨げ、女性差別を生んでいる呪いの原因では無いだろうか?
眠くなったのでまとめるが、根拠は無いが、この日本特有の心理が女性を呪い、日本女性の社会進出が進まない根本原因だ。
当たり前の事だが、男性側にも女性を劣っているとして差別する意識は当然ある。しかし、女性が進出が進んだ業界に限れば、例えば小学校教師などは女性が劣っていると意識は少ない。実際は女性の能力は劣っていない、もしくは優秀なので女性進出が進めば偏見は改善される。しかし実態として限られた業界でしか女性進出は進まない。政治家など制度上は差別が無くても女性自身が選びたがらない業界が多い。呪いが原因だ。
解決するには思春期になっても娘は父親と一緒にお風呂に入り、中年男性でも女性と何ら変わる事のない1人の人間である事を学ぶ必要があると思う。明日から頑張ろう。
自分は鼻が高いオッサンなので、立体型やらなんやらのマスクを買っても盛大に曇る。
今日みたいに寒く小雨がパラつく天気の時は最悪で、電車に乗ると勉三さんになってしまう。
「うー何も見えん」
と心の中で呟いていると、
「あの人眼鏡曇ってる」
「本当だーウケるー」
窓が曇ってもウケないのに。
うーんと考えていてふと思い出した。
眼鏡をかけていなかった学生時代に、自分も眼鏡を曇らせた友人を見て、
「ウケるー」
と言っていたことを。
その時自分が何故笑ったかはちゃんと覚えていて、曇らせた友人は先程出て来た勉三さんに似ていたからだった。
詰襟の学生服を着用し、レンズの分厚い牛乳ビンの底のような眼鏡をかけている。
初めは浪人生であったが、六浪の末に高尾大学経済学部に入学する。夏冬問わず詰襟の学生服を普段着としている。
出身は山形県で、純朴な性格。物語中盤頃から東北弁口調になる。キテレツをはじめとする子供たちには優しく、ちょっと頼りないお兄さん的存在。
こんな感じの人。
今は全く面白いと思わないけど、
6浪
ビン底眼鏡
東北の訛り
という極端な設定が小学生の頃は笑えたのだ。
これがきっかけで、
眼鏡曇る=勉三さん
という単純な式が出来上がった。
でも、今の若い娘達は勉三を知っているとも思えないので、誰をイメージしてウケると言ったのかが気になった朝の電車。
『中学校に入ったら詰襟の制服を毎日着なさいと言われる。この詰襟というのが、内側にプラスチック製のカラーというのがついていて、これが何とも気持ちが悪いんです。
僕は暑がりで汗かきなんですが、このカラーに汗が付くとベタベタしてひじょーに気持ちが悪い。その気持ち悪さに耐えながら授業を受けるもんだから、全然集中できない。せめてもう少し清潔な綿の繊維とかでできた衣類が肌に接触してくれれば、授業にも集中できるのに、ベトベトプラスチックが気になって気持ちが悪くて仕方が無いのです。全く機能的ではないわけです。』
http://www.mishimaga.com/nameraka/001.html
近藤さんがもし女だったとしたら、ワイヤー入りブラが苦手なスポブラ愛用者になっていただろうなと思いました。