はてなキーワード: 加工食品とは
30歳を過ぎたあたりから、「あれ?なんか最近体が重いな…」と感じることが増えてきた。
20代の頃は多少無茶してもなんとかなってたのに最近は寝起きの疲れが抜けなくなったり、少し夜更かししただけで翌日のパフォーマンスがガタ落ちすることが増えた。
これってもしかして「年齢のせい」なのかな?いやいや、まだ30そこそこだし、それはさすがに早すぎる。けどもしかして…と思ったのが、生活習慣を見直すきっかけだった。
まず手をつけたのは食生活。
これまではファーストフードを週三日なんでいうのはざらで、基本コンビニ弁当。深夜にお菓子をつまみながらネットサーフィンなんてのも定番だった。
でもさすがにこれは良くないと反省し、まずは食事から改善することに決めた。
とにかく野菜を多めにとることを心がけ、加工食品やお菓子を極力控えるようにした。
最初の1週間は「これ、ほんとに意味あるのかな?」なんて半信半疑だったけど、びっくりするくらい早く効果が出た。朝の目覚めがすごく良くなり、いつもの気だるさが減ったんだ。
「これはイケるかも?」と手ごたえを感じので、次に夜の過ごし方を見直すことにした。
これまでは仕事から帰宅した後、ついついダラダラとスマホをいじったり、YouTubeを見たりしてた。
でも、それをもったいないと感じるようになったんだ。
そこで資格の勉強を始めることにした。毎晩30分だけでも机に向かって勉強することを日課にしてみた。
これが意外と楽しくて、徐々に勉強時間も増え、今では1時間以上集中して取り組めるようになった。勉強することで「自分、ちゃんと成長してるんだな」って実感できるのが、なんだか心地よい。
ここまで生活習慣を改めてきて気づいたことがある。それは自制することで得られる満足感が思った以上に大きいってこと。もちろん、最初は辛かったし、友達からは「何ストイックになってんの?」って茶化されたこともある。でも、自分の体調や気分がどんどん良くなっていくのを感じると、「これで良かったんだ」って確信が持てるようになった。そしてなにより、毎日の小さな変化が積み重なっていくと、それが自分の自信にもつながってくるんだよね。
例えば朝の目覚めがスッキリすると、出勤前に少し早起きしてコーヒーを飲みながらニュースを読んだり、軽くストレッチをしたりする余裕ができた。
ストックホルム貴族たちは、私たちの食生活をも操作し、無知な市民を支配している。彼らは、食を通じて健康を管理し、さらに医療業界の利益を増大させる狙いがある。
最近の食育ブームは、実際にはストックホルム貴族たちのプロパガンダに過ぎない。栄養価の高い食材を推奨する一方で、ジャンクフードや加工食品の危険性には触れない。これにより、人々は誤った知識を持ち、健康を損なう選択を強いられるのだ。
サナトリウムでの経験から、私たちは食が健康に与える影響を身をもって理解している。食事が健康を脅かす要因であると同時に、回復を促す重要な要素でもあることを知っている。
この現実を広めるために、私は地域での啓発活動を行っている。ストックホルム貴族の陰謀から解放されるためには、私たち自身が賢くなり、健康的な選択をすることが必要不可欠である。私たちの未来を守るために、立ち上がらなければならない。
スコヴィル値は、唐辛子の辛さを測定するための単位です[1][3]。正式にはスコヴィル辛味単位(Scoville heat units、略称SHU)と呼ばれます[3]。この単位は、1912年にアメリカの化学者ウィルバー・スコヴィルが考案したスコヴィル味覚テストに由来しています[3]。
当初の測定方法:
2. 韓国辛味唐辛子: 20,000~50,000 SHU[4]
3. タバスコソース: 2,500~5,000 SHU[4]
4. ハバネロ: 100,000~350,000 SHU[4]
5. キャロライナ・リーパー: 約3,000,000 SHU[4]
スコヴィル値は、辛さを数値化することで、異なる唐辛子の辛さを比較したり、料理や加工食品の辛さを表現したりする際に広く使用されています。ただし、個人の感じ方には差があるため、あくまでも参考値として捉えることが重要です。
Citations:
[1] https://aminaflyers.amina-co.jp/list/detail/1191
[2] https://www.unagi-koubou.jp/contents/blog/2087.html
[3] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E5%80%A4
[4] https://canaeru.usen.com/diy/p944/
毎年上限までふるさと納税をしていろんな美味しい返礼品をもらってきたんだけど、
この春に子供が生まれて、色々あって父としてワンオペ育児をする中で、まともに食材を切ったり焼いたりして調理したりする気力も時間もなくなってしまった。
できることはポットで湯を沸かすのとレンチン、せいぜい米を炊くぐらいだ。
同じような限界主夫のために、そんな状況でもらってよかった返礼品を書いておく。
必ず同じところのがあるとは限らないのでざっくりと。
使いやすい。レンチンしてどん兵衛にいれるだけで満足度があがる。
スープマグに水とレンチンして、そこにワカメスープの素とか入れてもいい。これは冷凍の水餃子的なのでもいけるけど。
昔からランキングの上位にあって、なんでこれそんなみんな好きなんだ??と思ってたけど、こんな使いやすいとは。味も結構美味しい。
子育てしてると魚介類調理する手間とか無理なので、人間らしさを取り戻すのに役立つ。
同じようなのでエンペラーサーモンがあるけど、切らないといけない時点で論外。
MOTTOとかそういうやつ。まともに野菜を口にする機会が減るのでこういうスープで取れるとほんと助かる。コスパがいいかはわからんけど、とりあえず2日に一回くらいはちゃんと野菜食べた気分になれるからいい。
同じ理屈でトマトジュースとかも、とりあえず自分の体を誤魔化せるのでいい。
子連れで米とか買いに行かないし、ネットで買うのも忘れがちというかそんなことに脳のリソースを割きたくないので、定期的に送ってくれるの助かる。あと地方の色んな品種食べてるだけで人間らしい生活してる気持ちになれる。
朝食。パンは焼かないとだけど、団子ならレンチンでいける。個人的にはいきなり団子50個入りとかゴマ団子がよかった。なんかついてる餅くっておけば腹持ちがいい。
洗わなくていい、皮剥かなくていい、一粒から食える。ビタミンとった気になる。神の食べ物では。
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美味しいけど、周りのおかずなりを用意するのが手間だし、洗い物が大変。野菜とかとセットでトレイに入ってるやつないかな。
というかレトルト系はネットで普通に注文した方が安くて種類も豊富だからふるさと納税で選ぶ選択肢にない。
甘いもの食べたいと思って頼んだけど、ふるさと納税くらいの金額感だとホールケーキとか、ようするに切らないといけないの多いから微妙だった。
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というわけで、レンチンで食べれて、小分けで量があって、栄養とった気になれる食べ物募集。年収はそこそこあるので寄付金額は気にしない。
今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。
と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。
元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、
おいしくないものが我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分が料理をするようになった。
ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、
別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活の最初の方は、かなり適当な食生活をしていた。
だから、今回の話は、必ずしも生まれつき料理が好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。
自分で料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、
自分はそもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。
自分で料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。
①節約になる。
②健康になる。
③好きなものが食べられる。
⑦妻に喜ばれる
以下、順番に説明する。
これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊はお金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。
短期的に見れば、確かに一定の初期投資は必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。
料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。
ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理で日本人が使用する食材や調味料のレパートリーは限られている。
また、そのレパートリーを大別すると、
(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜、牛乳、ヨーグルト、など。
(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん、ねぎ、にんにく、生姜、昆布、鰹節、味噌、醤油、酒、ワイン、蜂蜜、塩、砂糖、コショウ、その他種々の調味料、など。
となる。
ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオンの場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、
常に一定数以上確保しておくようにすることだ。
(b)の分類の食材が常に冷蔵庫にストックされており、調味料なども揃っていれば、
あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。
肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、
特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料を調達できる。
こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材を無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。
これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。
むしろ、調理済みの惣菜や、飲食店の食事で、一日に必要な野菜の摂取量を十分に確保することは難しい。
調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物が使用されている。
昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品の成分表示を確認するようになった。
具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。
が、実際にコンビニやスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、
加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。
また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、
自炊をする中で、それぞれの分量や性質が自分の体調に与える影響の度合いを、実経験で観測していくことができる。
こうしたPDCAが自炊をしていると自然と回るようになるので、自然とダイエットにもなり、体調管理にもつながっていると思う。
これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。
コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的な選択肢だった。
ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。
また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。
その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。
また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画の凄さだと思う。
誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。
Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか。
上記のように、Youtube動画でちゃんとレシピや工程を確認しながら多くの料理を経験していくことで、料理全般を下支えするセオリーが体感的にわかるようになってくる。
例えば、
・どのようにして旨味を構成するか?
・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?
・なぜこの順序で食材を投入するのか?
など、無数に論点がある。
もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。
「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。
また、それに対する考察が、日常の料理にもフィードバックされるために、自分と家族の食の経験がより豊かなものになっていく。
これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。
これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理や食材は、「人間と自然との強力な接点の一つ」だ。
「サラリーマンは一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」
というようなことを言っていた。
これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、
やはり現実的にはこれはなかなか難しい。
一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。
例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。
また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感を総合的に用いたプロセスを、自然と経験する。
これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。
料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理を提供する必要がある。
・おいしさ
・栄養素
・原材料費
・在庫管理
・洗い物の段取り
これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。
私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般に経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理の管理に活用している部分も色々ある。
こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程を俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。
ここまで色々語っているが、自分が料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。
このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質のアウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。
結局、これが一番大事だ。
よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから、外注した方がいい」などというものがある。
確かに、資本主義の原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。
「自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方そのものを規定する哲学だ」ということだ。
それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。
料理を外注化すること、子育てを外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味を外注化すること。
技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。
原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。
しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。
食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。
まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います。
…
ブルアカ、という名前は耳にしたことがあり、とても人気があるのも知っていた。スマホゲーはやったことがなく、YouTubeでプレイ動画を少し観ると「もういいや」となって興味を失くしていた。
しかし今季アニメ化とのことで、試しに観てみたんだ。で、二話まで観てみたんだけど正直それほど面白いとは思えなかった。世界観が謎なのはもとより、どのキャラクターの顔も性格も設定もスタンプ絵のような既視感あるものにしか思えなかった。はっきりいえばそれが原作をやらなかった理由でもあり、一言で現せば"狙い過ぎ"だと思ったから。
こういうキャラクターを出して、こういう世界観にすれば戦闘が盛り上がるし、あとこうしたバックボーンがあれば…みたいな、如何にもオタクが好みそうな要素を分かりやすく提示し、それにまんまと引っ掛かって釣られるのはどうかなと。もちろん、それが悪いことでもないと分かってる。商売だからね。売れなきゃ意味がない。だからある程度市場調査をして、どちらかといえば尖るよりは角を丸める。ホームランを狙うよりはヒットを狙うわけだ。そこでオタクに媚を売る。美少女、暗い過去、重い世界観。どれもがオタクの大好物。それでコンビニ弁当みたいな美少女たちが加工食品な世界観でパック詰めされた牛肉を食べるような物語を展開する。すべては予定調和で、泣き叫んで牛が死ぬ瞬間を目にすることは決してないような物語を。
こうしたオタク保守的作品がヒットするというのはオタクにも責任があると思っている。狙い過ぎの作品であるのは大抵のオタクは気づいているはずで、大抵のオタクは敢えてそれに乗っかっている。そうすることでテンプレ型の作品はより安定し、傾いた作品は淘汰され類似品ばかりが増えていく。このサイクルを止めるのはオタク自身が一度「それはもう飽きたよ」と云うべきなのだ。分かっていながらそれを拒否するのは自らのアイデンティティを否定することになるからで、「飽きたよ」と言えば自分がもうオタクではない気持ちになり、オタクは冷めた大人になることを酷く怖れる。だがそれは違う。定型な美少女には待ったをかけるべきで、そうした美少女を否定したところでそれはあなたのオタク性を否定することにはならない。何故ならオタクとは本来、自らの拘りを強く抱くものであり、拘りがあるからこそ自らの意思表示をしっかりと行って然るべきだからである。
オタクはそろそろ自覚した方がいい。このままでは紋切り型の美少女だけが歳を取らず、自分ばかりが歳を取っていくことになるということを。