今年の8月ごろから電車の通勤時間には『魔の山』を読んでいる。第一次世界大戦前のサナトリウムでの話で、話はゆっくりと進み、上下の文庫本はかなり分厚い。一日2ページしか読まないときもあれば、40ページ読むときもある。今日は、しおりの挟んであるところページを見開いて、眠かったので、右から左に2ページだけ読んで、本を閉じた。朝は下りの電車なので電車はすいている。座席は二人がけのシートが右側と左側にあって、今日は左側の窓側の席に一人で座っていた。この席についてから10分だけ本を読んで、あとは駅につくまでたった20分なのだろうけど、窓辺に肘を置いてうつらうつらしていると1時間以上あるように感じる。ふと、『魔の山』の風景が私の意識に混濁する。「こんなに遠いところに来たのだから、つぎにきっと戻るのは随分先になるのかもしれない……。」これはまったく間違った直感だ。私は通勤のために、毎日20分おきに出ている電車に乗って、乗り過ごしたのなら次の電車に乗って。この電車は、朝は私が起きる前から、夜は私がお風呂に入る時間まで動いていて、まったく時間的にも遠い場所ではないのに。でもそのときはどうしても、こんな遠くに来たのだから何日も滞在するのが普通で、むしろ、普段こんな遠くに来たのに一日も居ないで帰宅して次の日になるというのが不思議なことに思えたのだった。