はてなキーワード: 目白通りとは
私は千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた。在学中ストックホルム商科大学に留学し、ローベン島の離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの有色人種虐殺計画を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授達から医局と学会を追放。サナトリウムにて亥鼻の工作員たちから拘束される屈辱を受けた。
現在、ストックホルム貴族達との決戦を決意しリクスダーゲンに向け、私をベルナドッテ王朝に代わるスウェーデン国王に推戴するよう働きかけている。
数日前に諸事情があり東京へ赴いた。ストックホルム貴族達による有色人種虐殺計画に対し、国王陛下の行政府がどのように対応しようとしているのか、或いはしていないのかを確認するためであったが、結果的にペールエリック・ヘーグベリ大使閣下にお会いすることは叶わなかった。急に伺ったこちらにも非礼はあるが非常に残念である。
せっかく東京まで来たのにこのまま帰るのはあまりにもつまらない。六本木の蔦屋にて東京医学社と慶應義塾出版会の雑誌や書籍を数冊買い込むと、そのままタクシーに乗ってしばらく東京を流し、面影橋のあたりで降りた。
かつて日本女子大学の女性と交際していた学生時代、雑司ヶ谷、早稲田、高田のあたりをよく散策したものである。
しばらく神田川沿い、目白通りをふらついてからリーガロイヤルホテル東京に向かいガーデンラウンジで買い込んだ雑誌を読むことに。
大塚……なし
巣鴨……巣鴨地蔵通り(金田たつえ)
駒込……駒込バースト(グループ魂)
田端……なし
西日暮里……西日暮里の夜(キセル)
日暮里……日暮里挽歌(半田浩二)
鶯谷……うぐいすだにミュージックホール(笑福亭鶴光)
上野……あゝ上野駅(井沢八郎)
御徒町……MOTOR MAN ユニクロ御徒町(SUPER BELL"Z)
秋葉原……カオス秋葉原(まにきゅあ団)
神田……神田川(かぐや姫)
東京……東京(マイ・ペース)
有楽町……有楽町で逢いましょう(フランク永井)
新橋……クラシック新橋(エイジアエンジニア)
浜松町……浜松町ナイトクラブ(タブレット純)
田町……なし
品川……品川ナンバー(相対性理論)
大崎……なし
五反田……逢いたくて五反田(西野亮廣とおかめシスターズ)
目黒……目黒川(奥井亜紀)
恵比寿……大漁恵比寿節(私立恵比寿中学)
渋谷……渋谷で5時(鈴木雅之&菊池桃子)
原宿……原宿6:00集合(モーニング娘。)
代々木……代々木にて(サンボマスター)
新宿……中野から新宿までの間にカバンを電車に忘れた!(チャラン・ポ・ランタン)
新大久保……新大久保パーリー(JacKs)
高田馬場……決闘高田馬場(島津亜矢)
目白……目白通りいつも通り(東京60WATTS)
池袋……池袋タイガー(ギターウルフ)
目黒を追加
深夜残業代が付く時間、バス代をケチって目白通りを椿山荘の方に向かって歩いていたら
二人ともガタイがよくて狭い歩道を横並びに走ってきたので少し怖いな、右と左どちらに避けようと、考えたら少し足が竦んだ。
そしたらあちらの方で率先と道を譲ってくれた紳士方だったので、軽く会釈をして通り過ぎた。その時。
「ゴリラ」「ら...ラッパ」「パイナップルしかねーじゃん」「あはははは」
半ズボンから伸びる二人のすね毛を思わずガン見してしまった。ふくらはぎがイカのはんぺらだ、こいつら。
カーテン越しに外から影になって見える、カーテンレールに干してある洗濯物が
キャミかタンクトップか気になる程度には、友人か恋人か少し二人の関係が気になって
シャワー浴びても眠れない。
〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。
父は木挽町で生まれ泰明小学校、銀座中、塾高から慶應大学に行った。
だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣は家族揃って鉄砲洲に行っている。
また、父と仲の良い小学校の同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツは銀座の同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである。
目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである。
母から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。
僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町、恵比寿、一番町、南青山、東麻布と都内を転々としている。
転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。
また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。
家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉、三島などもいた。
住んでる所が一緒、ではなく学校や習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。
たしかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、
授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、
南青山のみゆき通りに外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、
軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。
でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、
いつの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。
また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。
そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。
東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。
よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。
白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気、後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気、一番町は空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。
マチの空気はそうそう変わらない。(表参道の同潤会を壊したのは駄目だと思うが)
東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。