はてなキーワード: 登場人物とは
自分はそのマンガやアニメを現実と区別して大人が楽しむ分にはいいというスタンスではあるけど…
男性主人公vs女性登場人物の構図でセクハラがないというのは、ちょっととぼけてない?って思うわ。
そっちじゃなくて、作者という神vs女性登場人物の間にセクハラめいたものがあるということでしょ?
ラッキースケベとかって結局そのラッキー起こしてんの作者じゃん。
それに、そのラッキーを見ることで享受してんの主人公というより読者なんだよね。(主人公は別にラッキーと思ってないまである)
読者をたくさん味方につけるのが神である作者で、そのためにラッキーを起こしまくってる図って、まぁ強権的だよね。
あ、女性登場人物は非実在存在だからセクハラには当たらないとか言われそうだけど、元増田がセクハラって使ってたらからその流れでワードを使ってます。
もし女性登場人物が生きている存在であったら、強い風が吹く度にパンチラさせられて、傍で男子が転ぶたびに胸に突っ込んできて…ってしてたらもう神によるセクハラじゃん…。
主人公がわりと
「これは見たら完全にセクハラなので目をそらそう」とか
きちんと(きちんと?)ラッキースケベに抗ったり、回避行動をとる作品が多いし、
完全なセクハラ行為の描写でも、必ず相手に報復されたり、なんらかの報いを受ける描写があると思うんだけど。
【追記】
そのうえで、ふとしたきっかけで女主人公が男性ヒーロー(って書くとなんか違和感があるが)の
「予期せぬ要因で密着して肌が触れ合う」
といったラッキースケベの描写は頻度の程度はあれ当然に存在するし、
所謂”サービスシーン”としてそういった描写を楽しみにしている女性読者は多い。
(有名どころだとはめフラとか薬屋とか本好きにもある)
加えて創作物における、所謂『イヤよイヤよも好きのうち』的な描写は
読者はもちろん登場人物の性別・ジャンル問わず存在するわりと人気の定型描写なので、
アマランなんかを観るとエッチ有の女性向けやBLなんかは、強引系が令和でもそれなりに人気なのが伺える。
わりと話題になった書籍【Everybody Lies(日本題:誰もが嘘をついている)】だと、
アメリカの世論調査で「AVを見ることがある」と答えたのは、男性が25パーセントに対し、女性はわずか8パーセント。
ところが実際にはインターネットでAVを見ている女性の数は意外なほど多く、とくに暴力的なAVの女性視聴者は男性の2倍にもなるそうで、
ネット上では建前として「エロなんてけしからん!」と言っている女性でも裏ではそこそこエロを嗜んでいる事実は大いにあると思う。
ここらへんは女性が「はしたない」とエロ方面を不当に抑制されてきたことが一因な気がするが、
これも男性から一方的にというわけではなく、女性が女性を不当な正しさの枠に嵌めたがっていたりもするので問題は根深い。
”恋愛興味ありません系”とか”鈍感系”が多すぎませんかね……。
(まあ純粋に強引系のエロを描きたい場合はモブオジやヤリチンウェイ系で代用できるのでいらないのかも? BLなんかも最近はモブオジ作品そこそこ人気だし)
あとネットでよく目にする一部の尖鋭的なフェミニストが良く使う
「女性のモノ化」
みたいな描写って、創作物定型描写として女性にも人気のあることが多い。
「男性向けのヒロインは自意識の無い傀儡。女性は常に男をサポートしなければならないのか!」
……とかよく言われているけど、
女性向け創作だと自分は戦わず男性をサポートして活躍するパターンはそれなりに人気のある定型描写だし、
男性向けで描写される場合も、主人公に強要されているわけではなく自発的にサポートに回っている場合が圧倒的多数だと思う。
要するに『登場人物である女性が好きでやってる行動』であったり、
それが『読者の女性が好んでいる、人気の設定や描写』である場合もそれなりにあるので、
あんまり雑に批判しないで欲しいと思う。(そう言うと”名誉男性”とか言われそうだけど)
男に頼らず恋愛せず、自立した女性が不遜な男性をバッタバッタと打ちのめし大活躍する作品があっても良いが、
王子様に恋して玉の輿にのるのも、寿退社して御曹司と結婚するのも、美形の魔王に飼われて酒池肉林の自堕落生活を送るのも、
あと女性向けだと男性キャラは”美形”か”金持ち”か”権力者”か”有能”じゃないと恋愛対象にならないし、
モブ男性は幼児か老人か既婚者(性欲を匂わせない性格&年齢層)で、
悪役男性だと性格やおつむに難のある美形(王子の場合多し)かヒヒ爺かなので、男性も相当にモノ化されている。
まぁ性別にかかわらず、なんだかんだ人類は娯楽としてのエロを求めるイキモノだし、登場人物にはある程度の華が無いと話が転がらない。
大衆に人気のある設定や展開は求められているだけにテンプレート化しやすく目につきやすいものなので、
フィクションをフィクションとして楽しめる想像力と判断力に乏しいひとは、ジャンル自体に触れない方が無難だと思う。
ちなみにRPS(韓国で人気の実在の男性を題材としたBL創作)が、
”デジタル性犯罪”や”女性の男性に対する性的搾取”として問題になった例もあるので、
というか実際のサイトを見ると非実在青少年における創作のあれこれを問題にしているのが児戯に思えるくらい
実在の人間の尊厳を凌辱しまくりなので検索する場合はご注意を。
と思う。
ポケモンのアニメのルージュラを観て、同級生にチューしにいくフリをしていた。
コロコロコミックに載ってた漫画にM字開脚というギャグがあった。インリンオブジョイトイかっ!と登場人物がツッコんで、どっ!と湧く描写があった。
よくわからないけどコマネチやアイーンのようなギャグだろうと思って、公園で披露したら、同級生の男子に真顔でやめた方がいい…と言われてやめた。
走る時は大抵みんな忍者走りだった。
少年ジャンプに載ってたある漫画が好きといったら、あのえっちなやつ?!と従兄弟に言われてビックリした。途中から読み始めたからかそういう認識がなかった。でもパンチラ多かった気がする。
同級生の男子たちは、女の子の前で性的な話を一切しなかったと思うし、性的な悪戯も無かったと思う。もしかしたら男子だけの場ではそういう話をしてたのかもしれないけど、私は聞いたことがなかった。
ムジュラの仮面のオドルワの台詞が、エロッパイパイに聞こえるよね?って話ぐらい。
ある日帰り道変質者に出くわして、外に出るのが怖くなってしまった。
変質者は春になると毎年出るものという認識で(妖怪かなんかだと思ってた)、丸裸で自転車に乗った男に追いかけられたと言ってた男子も居た。そういう冗談だったかもしれないけど。
エロ漫画は草むらを歩いてるとたまに落ちてるもので、大抵ページが雨でぐっしょりしてるか、カペカペになって張り付いてるもの…の認識だった。
コンビニやブックオフのエロ本コーナーは目の前通る時気まずかったのでビデオ屋や本屋みたいにカーテンの奥にするか、奥まった場所に設置してくれ〜〜と思ってた。
創作物に影響されて行動することは確かにあるけど結局教育の問題なんだろなと思う。嫌がることを人にしないとか。良いことと悪いことの分別とか。
あと変質者は逮捕してくれーー。
なんか一冊だったら『人間 この信じやすきもの』をおススメするよ
何でこれをおススメするかと言うと単純に読み物として面白い本だからだよ
ああいうの信じちゃう人がいるけど、こういう理由だからだよと根拠を示しながら、ばっさばっさと誤認あるあるを切り捨てていく様は読んでいて痛快で楽しい
また、なんとなくあれって胡散臭いと思うけど、その理由が言語化できないなあってことを平易な言葉で説明してくれて、ぼくとしては腑に落ちる感じがすごくしたよ
一冊限りでこの本をおススメする理由としては、この本を読むことで他の本の説明が理にかなっているか考えることができるようになるからだよ
この本は誤認を認知的・社会的側面からとらえた本でしかないから、そもそも科学を科学ってだけで妄信していいの?って思う人には『科学哲学の冒険』がおススメだよ
『科学哲学の冒険』を読むと、文系でも科学とは云々が語れるようになるし、疑似科学と科学の線引きができるようになるよ
哲学って難しいって思う人もいるだろうけど、この本はセンセイと文系のテツオくんと理系のリカちゃんの会話形式で話が進んでいくのでとても読みやすいんだ
『チ。』っていう漫画が最近話題になってたけど、『チ。』の登場人物のセリフの中には科学哲学の考えを元ネタにしてるものがあるから、『科学哲学の冒険』を読むと『チ。』について科学哲学的な話題がだせるようになるかも
ぼく自身は『チ。』の舞台は中世なのに、登場人物が自分が思いついたこととして、1900年代のポパーの反証可能性っぽいことを言及することについていまだに上手く気持ちの整理がついてないよ
父親が娘をステーションワゴン(サイド木目=70~80年代のアメ車の代表)に乗せて走っていると、「その娘」が目前に現れスリップ事故。
娘を探して霧にけぶる古いリゾート地、サイレントヒルをウロウロするが異形の怪物が現れ、やがてサイレンが響くと世界が真っ暗で錆びと血だらけの世界に反転。懐中電灯の視界だけで探し回る。
やがてこの異常事態の原因がサイレントヒルの土着カルト宗教にある事、娘の失踪に関わっている事を知っていく。
車の前に現れた娘’はカルト司祭の娘で自分の娘を儀式の生贄として使用し神を産もうとしていた。この為娘’は虐待され生死の境を長く彷徨っていた。
娘’は死に、半分が転生したのが娘だった。要するに娘はサイレントヒルの半身に呼ばれて行方知れずになっていた。
娘と娘’が娘++に合一化したのでカルトの秘儀は遂げられて神が生まれたがどう見ても悪魔にしか見えない。
主人公がそれをブチ殺すと娘++が赤子を託した。ここは彼岸でこの赤子は此岸で生きられる転生体。これが3の主人公。
開発陣が当時非常に寂れて廃墟だらけだった熱海(今なら鬼怒川温泉が近い)に投宿した際に構想されたという逸話がある。熱海は静岡だからサイレントヒル。また、熱海は急斜面にあり、坂を上った先の箱根は濃霧で有名。
サイレンが鳴ると錆と血と臓器が散らばる世界になるっていうのは映画『ジェイコブスラダー』が元ネタ。
死んだはずの妻から手紙が届き昔二人で訪れたサイレントヒルに赴く。
異常世界の景色は登場人物の精神が投影されている。その為に艶めかしい脚だけの怪物などエロと悪趣味が合一された世界が展開される。途中に何度も底の見えない穴があり、そこに飛び込む。
その筋では人気のレッドピラミッドシングが登場するのもこれ。
強迫観念のメタファが多用され、例えばレイプされ続けていた父を殺した女性にはベッドと合一化した男が襲い掛かり、その周りには常に火が見えている。これは贖罪意識である事は容易に判るが、主人公にも火が見えている。これによりどうも彼女と同じ罪を背負っていると察せられる。
ホテルで主人公と妻の忘れ物とされるビデオテープを渡され、再生すると看護に疲れた自分が妻を殺した事を思い出す。
過去が判ってくると妻の手紙は白紙になってしまい異常世界で妻に再会すると殺害を咎められ、これを打倒し、贖罪意識の元になっている妻を再度殺す羽目になってしまう。
カルトの秘儀を行い妻を再生する為に男は霧の湖をボートを漕いでいく。
JKがイオンに居ると異世界に突入し白髪の三浦瑠璃のようなカルト狂信者に遭う。
家に帰ると父が殺されていた。この男の邪魔で神の降臨が妨げられた、再び神を降臨させ神の国を作りましょう、サイレントヒルで待つと。
JKは自分の輪廻を絶ち、父の仇の狂信者をぶっ殺す為にサイレントヒルに向かった。
落ちていた週刊誌から、JK転生前の娘’が居たのはカルト二世を収容する児童養護院で、教義に基づいた虐待と洗脳が行われていた事を知る。
錆と血とグロと暗闇の異常世界で色々あってカルトの教会に着くとさっきの女に会うが、身ごもっていた神が産まれそうになる。
神が生まれたが、どう見ても神じゃない。これが神なら文鮮明もメシアだ。神をぶっ殺してJKは輪廻の運命を自分の意志で断ち切った。
たかがホラーゲームと侮れないのは、メタファが多用されているところ。
例えば同じところに戻ってきたり、怪物が丸いハンドルを回していたりする。これは主人公の輪廻を表している。
日本のTVしか見ない人には判り難いが、洋画を見る人には結構刺さるものがあると思う。
グラフィックは大変悪趣味なグロで、懐中電灯で廃墟探検をしていて何年もタイルに流れた血を洗わず腐っていて瓶漬け臓器が転がっているような地下の霊安室、解剖室を歩いているのを想像すると良い。錆と汚れと血が乾いた梯子を素手で上るとか。怖いというより精神的に参ってしまう。
ストーリー的には自分の意志で決着をつけるという物語なので怖さはない。
件の事件との関係では、親族の仇に復讐する、殺人で己の運命を断ち切るというのはありきたりな話だから特別な関係はないんじゃないか?
ただ、美術史には図像学(イコノグラフィー)というのがあり、キリスト教美術のこの部分はこのモチーフを表すという暗号解読みたいな絵の見方があるのだが、そういうのに素養があると「あれはこういう意味じゃないか?」というのが気になる作りになっている。
ただ宗教教義の中でそういう勉強はないと思うので、特にインチキカルトである統一教会にもないと思われる。
ただ、2→3と連続でやると、強迫観念のメタファが多い2を引きずったままでメタファ多用の3をやる事になり、強迫観念増幅効果があるかもしれない。
また運命を断ち切る当為の最中にカルト二世児童養護院での洗脳虐待が出てくるって事情はある。
2では底が見えない穴に落ちるという行為が連続していて、これは哲学的投企を表している事明白だ。死を暗示する行為が今の自分からあらまほし自分への前進という訳で、ちょっとファシズムやテロルっぽいところもある。
ただこの程度で事件を決意するなら増田もスコセッシのタクシードライバー見て殺人事件起こしてるはずなので、結構心を動かされた程度の可能性だと思われる。
https://anond.hatelabo.jp/20220713203406
ただ輪るピングドラムは完全ネタバレしていくともう少しいろんな事象を混ぜている。
視聴者層が若かったのではないか。今年開かれた原画イベントに行くと当時十代後半だった層が殆どだったので…多分見終わってから調べた層が殆どではないかと。
しかし2021年になってしまい、新規視聴者が増えても、時代背景からの作品理解がどんどん難しくなっていて、当時のブログや考察もなかなかたどり着きにくいなと感じている。
一応ピンドラ考察代表例としてだされている「ピンドラがモチーフにしたもの」についていくつか触れておくので、全くわからなかった人はこのあたりをヒントにしたらいいと思う。
■95というモチーフ
1995年のことだ。バブルは崩壊したが残り香がある時期。世間は2022年のように混沌としている。当時の混沌から勢力を拡大したのがオウムとする意見が主流だ。
モデルの事件として地下鉄サリン事件、は勿論なのだが、この年にはその前に「阪神淡路大震災」が起こっている。
村上春樹の「かえるくん、東京を救う」が劇中に出てくるが、これは短編集「地震のあとで」に収録されているその震災の話だ。
同じく村上春樹の「アンダーグラウンド」というサリン事件被害者インタビューの本がある。
この2冊は作品構造とも密接に関わっているので、考察するには要チェックだ。
作中で出てくるキーワードだ。
これは神戸児童連続殺傷事件(1997年)の犯人が出した犯行声明に書かれていたキーワードだ。
この件に関しては同監督作品の「ユリ熊嵐」の方が直球で投げていたかも。
■カレー
98年に起きた和歌山毒物カレー事件について思わせるシーンがいくつかある。
アニメ冒頭から語られる話であり、ピンドラを考察するならまずこれを読めというものでもある。
登場人物の名前から、関係性、台詞などアニメの構成自体のベースにあるものだ。
ただもう一つ踏み込むと、宮沢賢治が宗教観で父親と対立していたこと、岩手に「ユートピア」を作ろうとしていたこと、病弱な妹を溺愛していたことなど、彼の人生も重なる部分があるので調べてみてほしい。「自己犠牲」についても同じくだ。
聖書などを匂わせる描写もあるが、それも宮沢賢治の独特な宗教ルーツから連想したと思われる。
幾原監督の根本的な怒りの部分がここにある思われる。1964年生まれの監督なので、そのあたりを踏まえてみるともっと考察が生まれるはずだ。むしろその世代に語ってほしいとさえ思う。
■南極物語
銀河鉄道の夜と並行してこのストーリーが組み込まれている。こちらも登場人物に名前に注目してみてほしい。
■リンゴの受け渡し
この辺は有名な考察なのだが今から視聴する人がこの考察にたどり着けるか心配なので、一応触れておく。検索したら出てきます。最終回後にどうぞ。
まあまだ考察は山ほどある作品だが、このあたりを検索していけば他の考察も目にするだろう。youtubeとかにもあがってたりするので。
本作の見方で個人的におすすめなのは「分からなければ一旦ネット上で溢れている考察を鵜呑みにして見直すこと」で、その上で「それは違うんじゃないかなー」ってなっていくから…
やっぱ「生存戦略ー!ハイレグ!」で釣られて気軽に見れる作品ではないなという印象はずっとあります。導入すげー軽いんだけどな。怖いんだよなそこが。愛の話で片付けちゃうと宗教っぽいよね。総括すると愛の話なんだけどね。
あと総集編の新録パートがまたどう転ぶのか難しくて、そのへんも考察を待っている。この記事見るのはこのアニメのファンだろうから「それは違うよ」という意見ならどうぞ語ってほしい。議論こそピンドラだ。
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
孤独な主人公。学費滞納のために大学から除籍され、サンクトペテルブルクの粗末なアパートに下宿している。
マルメラードフの娘。家族を飢餓から救うため、売春婦となった。ラスコーリニコフが犯罪を告白する最初の人物である。
予審判事。ラスコーリニコフを心理的証拠だけで追い詰め、鬼気迫る論戦を展開する。
兄や母の事を考え裕福な結婚をするため、ルージンと婚約するが、ルージンの横柄さに憤慨し、破局する。
以前家庭教師をしていた家の主人スヴィドリガイロフに好意を持たれている。
ドゥーニャを家庭教師として雇っていた家の主人。ラスコーリニコフのソーニャへの告白を立ち聞きする。
マルメラードフの遺児を孤児院に入れ、ソーニャと自身の婚約者へは金銭を与えている。
妻のマルファ・ペトローヴナは3,000ルーブルの遺産を残して他界。
ラスコーリニコフの友人。ラズミーヒンと呼ばれる。変わり者だが誠実な青年。ドゥーニャに好意を抱く。
居酒屋でラスコーリニコフと知り合う、飲んだくれの九等官の退職官吏。ソーニャの父。
仕事を貰ってもすぐに辞めて家の金を飲み代に使ってしまうという悪癖のため、一家を不幸に陥れる。最期は馬車に轢かれ、ソーニャの腕の中で息を引き取る。
マルメラードフの2人目の妻。良家出身で、気位が高い。肺病と極貧にあえぐ。夫の葬儀はラスコーリニコフの援助によって行われた。
7等文官の弁護士。45歳。ドゥーニャの婚約者。ドゥーニャと結婚しようとするが、ドゥーニャを支配しようとする高慢さが明らかになり、ラスコーリニコフと決裂し、破局する。
ラスコーリニコフへの当て付けにソーニャを罠にかけ、窃盗の冤罪をかぶせようとするが失敗する。
役人。サンクトペテルブルクでルージンを間借りさせている。ルージンのソーニャへの冤罪を晴らした。
高利貸しの老婆。14等官未亡人。悪徳なことで有名。ラスコーリニコフに殺害され金品を奪われる。
アリョーナの義理の妹。気が弱く、義姉の言いなりになっている。ラスコーリニコフに殺害される。ソーニャとは友人であった。
彼女の娘であるナターリヤ・エゴーロヴナ・ザルニーツィナはラスコーリニコフと婚約していたが、病死している。
ラスコーリニコフが住む区の警察署の副署長。かんしゃく持ちで、「火薬中尉」とあだ名される。
※以下、30年くらい前の話なので記憶があいまいなところもある。間違えていたら許してほしい。
※なお、壮絶な話は何もないので、期待しないでほしい。
20歳そこそこの頃、タウン誌の掲示板コーナー的なところに「社会人英会話サークル」の案内を見つけて連絡したことがある。
無料というのがかえって怪しかったが、好奇心から指定の場所に行ってみたところ、
そこは三軒茶屋の小ぎれいな一軒家で、20代前半から中頃くらいの物腰の柔らかい感じの男性が数人いた。
どんな会話があったかほとんど覚えていないが、少なくとも英会話の話はほとんどなかったはず。
途中で宗教法人の登録証?のようなものを見せられ、そこには「○○弥勒○○」(弥勒しか記憶にない)みたいな団体名が書かれていた。
後で揉めないように先に情報を開示しておくということかなと思ったが、後に調べてみたらその宗教団体は統一教会の隠れ蓑団体のようだった。
ともかく、その時点で宗教であることは明白だったが、当時の俺はとあるインドのグルに熱中していたのでむしろ面白くなってきて、
瞑想について熱弁した。連中は穏やかに「うんうん」と微笑みながら聞いてくれるので、調子に乗っていたかもしれない。
そのうち、「ビデオでも見ませんか」とビデオテープがずらっと並んだ棚へ誘導された。
今にして思うと怪しいテープもあったかもしれないが、1961年の日本映画「釈迦」を見つけた俺は迷わずそれを選んだ。そしてみんなで一緒に鑑賞した。
「釈迦」といっても日本映画だから登場人物はほとんど日本人で、ダイバダッタは勝新太郎だし、アショカ王は中村鴈治郎である。釈迦は本郷功次郎。
そのほか、京マチ子、川崎敬三、東野英治郎、市川雷蔵、山本富士子、月丘夢路、中村玉緒なども出演している。
極めて真面目に作られた映画だが、あの勝新太郎がダイバダッタとして登場した段階で俺は笑いを禁じえなかった。
周りのみんなも俺につられて苦笑していた。
そして、そのままなんとなくグダグダな雰囲気になり、特に勧誘らしきものはないままお開きとなった。
とまあ、特に何もなかったという話なんだけど、後で正体は統一教会だったと知り、いろんな姿をとって忍び寄ってくるんだなあと驚いた次第である。
急にネタバレするんだけど、この映画を見た人は呪われるでヤンスって映画なのね
ホラー系Youtuberの主人公が妊娠中に秘境の儀式に乗り込んで子供に呪いをかけられて
その呪いを弱めるにはその呪いの印と呪文を他人に知らせなければならない
みたいな感じで、作中ではドゥンドゥン人が死んでいくファウンドフッテージもの
映画の冒頭で「娘の命を助けるために呪文の印を覚えて呪文を唱えてクレメンス!」って
主人公が頼んで
映画の最後で「呪文の印と呪文を唱えると呪われるでヤンス、ごめんねテヘペロ」って終わる
で、この感想でやれ「リング」だ、やれ「呪怨」だってのが出てくるんだけど
シライサンはシライサンを知っている人のところに三日に一回ランダムで来る。
シライサンの出勤は三日に一回で一人限定なので、10人知っていると来る確率が10分の1になる。
映画内でも「世界中の人にシライサンの存在を発表しようZE!」という解決策が提示される(破棄される)
で、この映画のエンドロールで脚本家の名前が作中の登場人物の名前になっていて
「この映画は作中の物語と地続きです。これを見たお前もシライサンを知ってしまいましたね^^;」
というオチがついて終わる。
似ている(確信)。
少なくともリングよりも映画の作りとしては似ている(強い確信)
呪詛は先に述べた通りファウンドフッテージもの(作中のカメラで撮影されたドキュメンタリー風の映像で構成される作品)なんだけど、他の作品同様に「いや、このカメラ何のために回してるねーん」ってカットがけっこうあってそこが引っかかる人にはつらいのと、
モロに蓮コラが出てくるので集合体恐怖症の人には相当つらいのと、虫さんとグロがいっぱい出てくるのでそういうのが苦手な人にはつらいのと、なんか時間が行ったり来たりするのでそういうのを整理するのが苦手な人にはつらいのを除けば万人にオススメできる作品
主人公も人生に疲れたあんまりかわいくない竹内結子みたいでイイ
お暇なときにでもどうぞ
ばい菌扱いされて避けられるとか、駅のホームからつき落とされたりとか,,,,以前にはアジア人のピアニストが理由もなく暴力を受けて、指がぐちゃぐちゃになってしまうことがあった。
あと、ひろゆきさんが配信中フランスの町中を歩いているときに「Go Chinese!(中国に帰れ!)」って言われたりとか
アジア人が差別される原因はよく分からないけれど、多分、コロナの発生地がアジアであることや、欧米その他諸国が、経済的にアジアに負けようとしている焦りや恐怖からアジア人が差別されやすくなっているのだろう。
そしてもちろんこのことは、アジア人である日本人にも決して無関係ではない。
海外に旅行や仕事にいったら酷い差別に直面することだってあるだろう。アジア人差別は日本人にとって、グローバル化が進む現代で、切実な問題となってくるのだ。
差別に対抗する手段として、すぐに思いつくのが、差別を受けたことに対して「声を上げる」ことだ。たとえば、黒人差別に対抗して、BLM(黒人にも生きる権利がある)や女性差別に対抗してMe too運動がある。
ただ、このような「声を上げる」というやり方はリスクが大きい。なぜなら、一部が過激な主張をし出して、反発を生んでしまうからだ。
BLMでは平和的なデモがある中、暴力的デモが発生してしまった。これが黒人に対するイメージを悪化させ、黒人への差別感情が生まれてしまった。
Me too運動では一部の過激なフェミニストが攻撃的な発信をしてしまったことで、女性の権利を主張する人たち全体のイメージが悪化してしまった。
このように、差別に対しては「声を上げる」ことが、逆効果であることが少なからずある。
では差別が起こらないようにするための抜本的な解決策はあるんだろうか?
私はひとつの解決策を導き出すことができたがそれを言う前に、まず差別が起こる構造を分析してみる。
たとえば、白人は差別を受ける対象にならないことが多いのだけれど、それはなぜなんだろうか?
白人に対する差別がない(あるいは少ない)ということは、白人の立場が強い、つまりいろいろな人種がいるこの地球上で、トップカーストの一軍人種だということだ。
なぜそうなっているのかというと、おそらくは、白人の文化の発信がスゴイ強いからだと思う。
文化の最大発信地であるアメリカでは、白人を登場人物に、映画や音楽、アニメ、ゲームなどほぼすべてのエンタメで世界の一番をとっている。
誰しもが、アメリカのエンタメを通して、白人文化に憧れを抱いたことがあるだろうし、ハリウッド映画や洋楽に影響されて、英語がかっこいいって思ってるはずだ。
(ちなみに私は、日本人が中国語ではなく英語を学ぶのは、英語の実用性以上にアメリカのエンタメの影響による物がおおきいと考えている。)
そして、アメリカのエンタメを見る世界中の人々は、白人に対して差別感情を持つどころか、憧れをもつのだ。
「差別は無知から生まれる」というが、エンタメを通して、白人文化を知り親しみを覚えるため、差別感情を持たなくなるのだろう。
また、韓国がドラマや音楽で成功して、韓国に良い印象をもつ日本人も増えてきたと思う。
韓国に向かっていたヘイトが、エンタメによって緩和されたのだ。
つまりこのことから、エンタメ(文化の発信)を世界中に発信することによって、文化発信地に対する差別がなくなるのだといえる。
ということで結論は、アジア人が協力してエンタメを成長させて、アジアのエンタメが世界を獲ることができれば、アジア人差別はなくなる!ということだ。
今日、最近できた推しの記事が週刊誌に載ったらしい。しかも、ポジティブな内容ではなくネガティブな内容で。正直、真偽は定かではなく、彼の発言を悪いように捻じ曲げたり都合の良い解釈をされたりした可能性もあるが、とりあえず載ったということは確かである。
ここでふと思った。
色々と悲しくなったので、推しの週刊誌遍歴をジャンルごとに振り返っていこうと思う。
まずは音楽関連。
私は中学生で邦ロックに目覚め、色々と聴くようになった。そんな中、人生で初めて好きになったバンドのボーカルが不倫したという報道が入った。有名タレントとの不倫ということで世間的にとても話題になったことを覚えている。次は、2番目に好きになったバンドのベース担当の不倫。これは数年前の出来事で、1年ほど前に彼は復帰したが、それでも姿を見ると思い出してしまう節がある。
次は声優関連。
私は某ラップバトル作品が大好きで、この作品の主な登場人物はみな3人1組のチームに別れている。その中で、私が一番好きなチームのメンバー3人の声優が全員すっぱ抜かれた。まずは私の最推しのキャラの声を務める声優の不倫報道。彼はとても明るくて良い人そうに思えていたので軽くショックを受けた。正直、相手の勘違い説なども浮上し、うやむやなままフェードアウトしていった感じがある。続いて、チームのリーダーの声を務める声優。彼は不祥事関連ではなく前に結婚していて今は既に離婚してます、というだけであった。たったそれだけなので、だから何ですかとしか思わなかった。今、ファンの子と云々みたいな疑惑があるとかないとか言われているらしいが、真偽は定かでは無いので、とりあえず今回は触れないでおこう。最後にもう1人の声優だ。彼は最初アイドルとの交際報道が出た。私は某皇族の方のファンと同じように幸せならOKです派の人間なので、単純に祝福の気持ちが湧き出ていただけであった。にも関わらず、彼は浮気したらしい。全くイメージがわかなかったのでかなり驚いた。
次は野球関連。
私は関西の某球団のファンである。最初に目にしたのは監督の不倫報道。チュッ♡と文面に記載されているメールはかなり印象に残った人も多いだろう。続いて、現在は解説者となった内野手、現在は別球団で活躍している外野手、FAで移籍したエースピッチャーの不倫報道。あとは数人のピッチャー陣がゲーセンで遊びまくっているという報道もあった。
もう、私が好きになったら報道される呪いでもかかってるのかなと思うようになってきた。
辛い……………
書籍側が対応する必要があるが、KindleにはX-rayという機能があって、そのページの登場人物や地名などの説明や初出場所、言及場所一覧なんかが参照できる機能が既にある
漫画じゃねぇけど、昔、100均で夏目漱石とかの文豪作品をよく買ってた。
そのシリーズは本文の下に単語とか登場人物とかの解説欄があったんだよ。
くっそ読みやすかった。
最近悲しいニュースが多い増田にキモ文章で上塗りするよごめんね。内容もぐちゃぐちゃだよ。
大学の先生、例の先生⇒一人のヤバい女子学生にコクハラされ4年くらい執着されたアラフィフ先生。かわいそう。
最近大学の近くに寄る機会があったことに加えて、ゼミ担教授にめっちゃ迷惑かけた割には挨拶に行ってないことを思い出す。
急遽お菓子を購入。その日は日曜日だったので、ゼミ担教授はいないだろうけど、お菓子は扉に掛けておけばいいだろうと謎にポジティブ思考で向かう。
大学に到着する。すっかり校舎が新しくなっており、軽く迷う。
コクハラをした女子学生として不審者リストに載っているかもしれないので、念のため警備室へ挨拶へ行く。
出禁を言い渡されると思っていたけれど、警備員のおじちゃんが愛想よく迎えてくれた。
あろうことか、ゼミ担の先生にお菓子を渡したいことを伝えると、新校舎の地図を見せてくれる。感謝。
警備員のおじちゃんが教えてくれた通りに進むと、ゼミ担教授の研究室が見えた。電気は点いておらず誰もいないよう。
なのに、なのに何故か例の先生の研究室は明るい。日曜日なのに。思わず立ちすくんでしまった。
汗が止まらない。
早足でお世話になったゼミ担教授の研究室へ向かい、お菓子を扉に掛けて帰る。
例の先生に挨拶したい気持ちもあったけれど、教授会で「あいつ来ましたよ~」と取り上げられるか通報されると思ったので、何もせずに帰ることを選択。
先生の研究室から水を流す音が聞こえて、名残惜しくなる。学生に大人気の先生だったからゼミ生が勉強に来ているのだろうな、と色々考える。
この時は先生本人を不快にさせたくない気持ちが勝つ。この思いやりを学生時代に身につけていれば。後悔先に立たず。
足早に階段を下りる。誰もいない大学内、自販機前で立ち止まりクールダウン。
本当は帰った方が良いのだけれども、如何せん心臓がバクバク鳴りっぱなしだったので、一刻も早く休みたかった。
たった一人の恋愛が上手く行かないことは、人類史上数え切れないほどあった。
当たり前のことだと自分に言い聞かせる。
会いに行ける状況なのに、常識的にしない方がいいからできない、好意を伝えられないことが悲しかった。
今も好きなだけに。
先生に告白した時に「3年ぐらいで収まるよ」と言われて「普通の恋愛もそうだ」と言い返したけれど、(この時点でキチガイ)
教員は職業柄、自分のようにおかしな学生から言い寄られることも知っている。
そして立場上学生からの好意を受けることは出来ないことも分かる。
過去の片想いにしがみついて、執着しているだけなのかもしれない。
振られた相手にアプローチする根性がある訳でもなく、諦めらほど切り替えが早い人間ではないので、これからも引きずりながら生きていくのだと思う。
まあ、アイドル的に好きなくらいならキモいだけで手を出す訳じゃないから良いよね、とポジティブに考えていけたらいいなあ。
最近悲しいニュースが多い増田にキモ文章で上塗りするよごめんね。内容もぐちゃぐちゃだよ。
大学の先生、例の先生⇒一人のヤバい女子学生にコクハラされ4年くらい執着されたアラフィフ先生。かわいそう。
最近大学の近くに寄る機会があったことに加えて、ゼミ担教授にめっちゃ迷惑かけた割には挨拶に行ってないことを思い出す。
急遽お菓子を購入。その日は日曜日だったので、ゼミ担教授はいないだろうけど、お菓子は扉に掛けておけばいいだろうと謎にポジティブ思考で向かう。
大学に到着する。すっかり校舎が新しくなっており、軽く迷う。
コクハラをした女子学生として不審者リストに載っているかもしれないので、念のため警備室へ挨拶へ行く。
出禁を言い渡されると思っていたけれど、警備員のおじちゃんが愛想よく迎えてくれた。
あろうことか、ゼミ担の先生にお菓子を渡したいことを伝えると、新校舎の地図を見せてくれる。感謝。
警備員のおじちゃんが教えてくれた通りに進むと、ゼミ担教授の研究室が見えた。電気は点いておらず誰もいないよう。
なのに、なのに何故か例の先生の研究室は明るい。日曜日なのに。思わず立ちすくんでしまった。
汗が止まらない。
早足でお世話になったゼミ担教授の研究室へ向かい、お菓子を扉に掛けて帰る。
例の先生に挨拶したい気持ちもあったけれど、教授会で「あいつ来ましたよ~」と取り上げられるか通報されると思ったので、何もせずに帰ることを選択。
先生の研究室から水を流す音が聞こえて、名残惜しくなる。学生に大人気の先生だったからゼミ生が勉強に来ているのだろうな、と色々考える。
この時は先生本人を不快にさせたくない気持ちが勝つ。この思いやりを学生時代に身につけていれば。後悔先に立たず。
足早に階段を下りる。誰もいない大学内、自販機前で立ち止まりクールダウン。
本当は帰った方が良いのだけれども、如何せん心臓がバクバク鳴りっぱなしだったので、一刻も早く休みたかった。
たった一人の恋愛が上手く行かないことは、人類史上数え切れないほどあった。
当たり前のことだと自分に言い聞かせる。
会いに行ける状況なのに、常識的にしない方がいいからできない、好意を伝えられないことが悲しかった。
今も好きなだけに。
先生に告白した時に「3年ぐらいで収まるよ」と言われて「普通の恋愛もそうだ」と言い返したけれど、(この時点でキチガイ)
教員は職業柄、自分のようにおかしな学生から言い寄られることも知っている。
そして立場上学生からの好意を受けることは出来ないことも分かる。
過去の片想いにしがみついて、執着しているだけなのかもしれない。
振られた相手にアプローチする根性がある訳でもなく、諦めらほど切り替えが早い人間ではないので、これからも引きずりながら生きていくのだと思う。
まあ、アイドル的に好きなくらいならキモいだけで手を出す訳じゃないから良いよね、とポジティブに考えていけたらいいなあ。
この増田を先生自身が読んでくれたらいいのに。(でも時間がもったいないし恥ずかしいから教授会で上げないでね先生。)
たかが教授に告白しただけで不審者リストに載ってるとか出禁とか自意識過剰がすごいな。⇒出禁にはならなくても、会議で取り上げられたりしそうじゃない?
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、少し落ち着いた。
マスターのMP2000代まで行けた。
困ったらアビスドゥームロードさんがなんとかしてくれるので楽しい。
○リトルノア
クリア。
ゲームとしての感想は日曜日に書いた通りなのでストーリーについていつものフォーマットでいくぜ。
・5段階評価:3
・あらすじ
方舟で父親を探す旅をするノアは、突如嵐に巻き込まれて不時着した遺跡で、そこに住んでいた猫のキャラクターによからぬことをするグレイと出会う。
記憶が無い猫にジッパーと名前を付け、グレイの企みを阻止するために遺跡を踏破していくノア。
遺跡は天候を操る兵器であり、グレイの正体がノアの父親に作られたキャラクターで、父親がノアが誕生したことで諦めた「全ての人類に錬金術の叡智を授ける」という天命を歪んだ形で実現しようとすることを知る。
グレイの天命という考え方を変わることの尊さによって否定し、ジッパーの力も借りてグレイを倒すのだった。
・印象に残ったセリフ
なのだけど、これは一種ゲーム外の情報である、リトルノアのスマホゲーはサービス終了しており、この楽園の後継者はその前日談に当たることを踏まえると、なんだか妙にしんみりしてしまうセリフだった。
・印象に残ったキャラ
グレイ。
主人公である女の子のノアの目的が父親探しで、その父親が錬金術で生み出した存在がこのグレイ。
ある意味ではノアの兄妹とも言える関係なのが面白いし、短いシナリオの中でグレイの視点からは父親に裏切られたこと、変われないことなどが丁寧に描かれてて敵役ながら大好き。
見た目が研究者っぽい中年男性なのも、主人公のノアが小さい女の子なのとの差があって良いと思った。
・感想
錬金術師の少女ノア、遺跡を作った人に遺跡と同じく作られた猫のジッパー、ノアの父親によって作られたグレイの三人しか登場人物がいないこじんまりとしたストーリーだった。
しかし、それだけに造られた命の意味とか、創造主が命を産んだ意味から自由意志で変わっていくことの尊さなど、短い文章ながら丁寧にテーマ性が伝わってきてとても良かった。
それとサービス終了しているゲームの前日談であることを踏まえるとうるっと来るものがあったけど、僕はそのスマホゲーのリトルノアを遊んでいないのでそこの感慨を全部受け止めれなかったのがもどかしい。
・愛野アイリ(あいのアイリ) / キュアアガペー / キュアビッチマンコ
本作のメインヒロイン。元々は愛の戦士キュアアガペーとして正義の味方をしていた美少女中学生だが、洗脳され、悪の秘密結社「淫魔帝国」の首領「サキュバスクイーン」の忠実な下僕「キュアビッチマンコ」にされてしまう。
洗脳されて以降、元々の清楚な姿からは想像できないような卑猥な言葉を連発して敵を誘惑したり、触手や媚薬の力を悪用して仲間であるはずの少女たちを犯してしまうこともある。
最終回では、遂に本来の自分を取り戻し、仲間たちと協力して「淫魔帝国」を壊滅させることに成功。その後は元の平和な日常に戻っていく。
本作におけるもう一人の主人公。もともとは普通の女子中学生だったが、ある日突然謎の男に襲われ拉致監禁されてしまう。その挙げ句、レイプされそうになるが、その時、不思議な光に包まれ、気がつけばキュアフィリアへと変身していた。
アイリに恋心を抱いていたが、洗脳された彼女に犯され、処女を奪われてしまう。その際の快楽が忘れられず、彼女は正義と快楽の間で葛藤しながら「淫魔帝国」との戦いに身を投じていくことになる。
美少女アイドルとして芸能界で活躍する一方、正義の魔法少女キュアエロスとして「淫魔帝国」と戦う裏の顔を持つ美少女。普段はクールな性格をしているが、実は隠れドスケベマゾ女。
戦いの最中、「淫魔帝国」の戦闘員たちに輪姦されながら「もっと私をめちゃくちゃにして……っ!!」と懇願するほどの変態ぶりを見せつけ、あまりの性欲の強さのため、逆に「淫魔帝国」の戦闘員が逃げ出すという展開がお決まりになっている。
最終決戦の際にはアイリたちと一緒にサキュバスクイーンと戦い、「淫魔帝国」を壊滅させることに貢献。その後、美少女アイドルからアダルトビデオ女優に転身する。