はてなキーワード: 歴史的とは
数年前の大学時代、クィアの講義でLGBTQの歴史と差別について色々学んだ結果として
「LGBTQは『社会が受け入れ』ればそれで済む問題で、実際そういう流れになってて羨ましい」と思ったのを思い出した
それは自分が多様性に興味を持つようになったきっかけはADHD当事者として悩んできたからで、
ADHDは永遠に治ることのない「マイナス」な特性を持っていて生きてるだけで損失や問題が起き続けることが確定してるから
他のマイノリティを学んだことで、「生きてることが罪」に近い自分のマイノリティの救いのなさがより明確にわかったようだった
この増田の話は、多分相談員の結論が「正しい」んだけど、いわゆる二次障害に対応できてないタイプの相談員なんだなと思った
(「LGBT相談」より「臨床心理カウンセラー」の方が向いてる人がいるか? そもそも個人的に、電話相談は繋がらなさすぎるしあまり信用はしてないけど)
LやGの例でも、キリスト教では明確に「罪」だから、敬虔なキリスト教徒かつ同性愛者の場合、生きてることが罪って二律背反に酷く苦しむケースを聞いた覚えがある
まぁ……結局、まずは自分を洗脳し直さなくちゃいけないんだろう
統一教会を脱退して反対派になって何年経っても、裏切者の自分は地獄に堕ちるんだという教えのイメージが決して消えないという人の話もあった
多分、幼少期に根付いた思想や感覚を完全に拭い去って自己洗脳することは不可能なのかもしれない
多様性についての現代の「進歩」は、あくまで「社会の側が多様性を受け入れる」ということに焦点が当たってる
まぁもちろん、歴史的には社会が徹底的に迫害と抑圧をしてたわけだから、何も間違ってはないし進歩なんだけど
(それ自体もそうとう難しいし、100%になることはそうそうない)
ただ、なんていうか、「自分自身が呪われた人」にとっては社会がいかに変わっても、それだけじゃ救われないこともあるよなぁと感じた
名画の凄さって何よ?って言うと、歴史的な位置づけがスゴイんだという人もいれば、理屈抜きの迫力があるという人もいるらしい。
おれが超うっすら聞き齧った方法論に、作者の意図に基づいて作品に設定された目的を想定して、その達成の度合いをなるべく客観的に吟味しつつ出来を評価するって考えもあるらしい。妥当といえば妥当な感じもするし、この理屈そのものの自明さを考えれば果たして客観的と言えるのかとも思う。
そもそも美術って明確な目的を持つ道具でしかないのかよ。そんな割り切っちゃっていいのかよおれたちはよ、みたいな素朴なアレも感じる。
この間どっかで贋作展みたいなのがあったらしいけど、純粋に絵としてのスゴさなるものがあるなら、精巧な偽物をまじまじと眺めた時の感動は本物から得られるそれと変わらないはずだよねって思う。
それはそれでスノビズムから距離を置いて感覚的なものと向き合っている感じがするし、どこか誠実にすら思う。ただその光景に一切マヌケさを感じないかと言えば嘘になるし、この違和感が名画の名画たる所以へのヒントの一つかもしれない。
金という物差しを持ち込むのも無粋だけれど、純粋にイラストそのもの、物質としての絵にだけ価値があるのならオリジナルもコピー品も同じ値段がついてないとおかしいしね。
ただこれは名だたる画家が直々に絵の具を乗せたキャンバスという物質込みでの話で。更に周縁を捨象して、純粋に視覚情報?にまで抽出した時、絵の価値を問うたらどうなってくるんだろう。
全然詳しくないけどNFTってこういう話をしてたりするんだろうか。
まあ素人がぱっと見でスゴイ作品だと思えるほどの何かを秘めているのなら、ゴッホだってもっと早く評価されてたでしょって思うよね。
素人が、とは言ったけど絵の専門家でもあんまり変わらないんじゃねって思う。
自分で絵を描いているから、沢山の絵を見てきたから正確な審美眼を持つ、というのは単に技術面における話に留まると思う。何を感じ取るかは鑑賞する主体の問題、客体との関係性が噛んでくるから、単に絵が持つ特性だけでは語りきれないものになるだろうし。この絵はこの辺がこうだという叙事的なディスクリプションまではある程度客観に立てても、名画かどうかまで踏み込めば一個人の感想になってしまう訳で。
絵の技法や歴史に詳しいから、真に感情を揺さぶる名画か否かのジャッジにも正当性があります。ってのは理屈としてあんまり成立してないよねって思う。これはおれが勝手に名画の要件を決めちゃってるけど、じゃあ誰が決めれば正当なんだよって話で。
ナイトホークスを見て「人をブチ殺して回りたいという作者の情熱を感じました」と思うのはズレてるかもしれんけど、孤独を感じるのと心安らぐ静けさを感じるのではどちらが正解とも言い切れんと思う。
素朴に良い作品だなと思えるか、そういう感覚的な部分以外で絵を語るのってなんか無粋な感じがしてあんま好きじゃない。言葉の先を期待してるからこそ言葉以外の媒体で表現しているのだろうし。
でもそうなってくると自動生成の絵も人が描いたものと全く対等で、やたら時間をかける分人間の方がカスですって話にもなるのかもしれないな。今まさになってるのかもしれんけど。
そう考えると、おれは人の手のヌクモリティがさァ!と言いたいかもしれない。歴史を踏まえた斬新さとかにはあんま興味ないけど。
カメラと写実主義とかで色々あった頃とかも新しい道を模索したんだろうし、今後も人が絵を描く事の意義というのは問われ続けていくんだろうか。
おれは別に絵を描かんけど、他人にどう言われようが本人にとって描く事に意味があると信じられるなら、それだけで価値がある事だと思う。その価値はその人だけのものだけど、人生なんて自分の信じる価値に従えるかどうかが全てだろうし。
この長文を書いている間にツイート主が自ら問題点に気付いたようなのですが、一応書いたので載せます。
公に相応しい言葉を使われた「夢をかなえるゾウ」の批評論文は普通に読みたい。
勢いに任せて書いていたら思いの外長文乱文になってしまった。歴史については細部に誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。
発端と一連のツイート↓
https://twitter.com/dfuz4/status/1672629861524062213?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672958086733250562?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672973973825650689?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672965101517955073?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
長いので要点まとめをしました。
この時点で既に長いですが、この下に本文があります。
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2.「公」における良書主義について
公による良書主義は、先の大戦で見られた悲惨な言論統制、思想弾圧に繋がる。
民主主義においては、全ての本、全ての人、全ての思想信条は法の下に平等に扱われるべきとされる。
また歴史的に見ても、本と人間(思想・信条)は密接に紐づいており、
公の姿勢としてその部分が守られているため、
特定の本を否定することで人格を否定されたと考える人が現れてもおかしくはない。
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3.「私」における良書主義について
公の立場からしても、本来良書・悪書の判断は個人に委ねられるべきとされている。
ただし、文字通り一人一派であり、そうでなくてはならないため、
当然、他人からも私人の立場から私人の言葉で反論される場合がある。これもまた自由であり、自然かつ健全である。
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4.「公」と「私」の混同
マッチングアプリを使っている1ツイッタラーは「私」の立場である。
前述の通り、私人の立場で、私人の言葉を使ったことが発端だが、
途中から研究者、批評・研究という公の立場を持ち出しているため、区別がついていないと思われる。
公の立場には公に相応しい言葉があり、当然集まる意見にもそれが反映される。
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余談.「全ての本は素晴らしい」と考えている人はいるのか?
いない。
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5.今回のまとめ
「私」の立場で発信したのであれば、他人の「私」の意見も受け入れるべき。
反論を受けてから「公」の立場を持ち出すのは、「公」に相応しくないという点で悪手である。
研究者であるならば、嫌いなどの私情を挟まない冷静で平等な視点で、相応しい言葉で論理的に批評しなければならない。
あくまでも私人としての意見であるならば、自らのためにも研究者の立場を途中で持ち出したりせず、最後まで私人の意見に留めたほうが無難。
個人的には発端のツイートの内容はあくまで私的な意見であり、さして騒ぐようなものではないと思う。が、意見を言いたくなる人がいてもおかしくない。
ただし、途中で研究者という公的な立場を持ち出したことで、認識として危険だと思ったためコレを書こうと思った。
ツイ主に敵意はない。出来れば本人に届いてほしいが、読みづらい文章で申し訳ない。本を愛する気持ちは勿論自分もそうなので、よくわかる。
ここから本文
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本人がこの視点の区別がついていないことが、一番の問題なのではないかと思う。
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2.「公」における良書主義について
まず前提として、日本には古く戦前に「良書主義」という考え方がある。
コレはざっくり言うと、
"世の中には(ツイ主の言葉を借りれば)「しょうもない」「薄っぺらい」=悪書が存在し、それらは教育および教養において価値を持たない。歴史的・文学的に意味を持った良書のみに価値がある。"という考え方である。
ただしコレは、例え「公」の立場が定めたものだとしても、突き詰めていけば、ツイ主も表明しているようにどこかの個人「私」の主観に基づくものである。
そのため「公」とされる場所においては、近年ではこの考え方が否定されている。
"絶歌問題"と言えば大々的にニュースにもなり、記憶にある方も多いと思う。
大筋は以下。
①「こういった内容の図書を図書館が置いて良いものか」と市民からクレームが入った
②クレームを受けた一部図書館が該当の図書を閉架=職員の出納が必要な場所に置いたり、除籍とした
論点としては、
・公的な自治体である図書館が、特定の出版物を市民の目に入らないように検閲・排除するのは正しいのか
・それは言論弾圧に繋がり、思想信条の自由に反するのではないか
議論の中、多くの図書館ではこの絶歌を特別扱いせず、他の一般図書と同じように取り扱った。つまり開架=誰でも手に取れる場所に置いた。
"本の評価は、読んだ各個人「私」に委ねられる。図書館「公」において、すべての本(すべての人間、すべての思想信条)は平等である"
民主主義に端を発する図書館の歴史を学んだ者であれば、この姿勢には拍手を送るだろう。
「公」においては、良書も悪書もあってはならない。
図書館ひいては司書職の人間が私的な判断で、特定の本への接続を薦めることまた同様に妨げることは越権行為であり絶対的なタブーである。(※2)
また、この対応からも分かるように、本というものは個人の思想・信条・人格と密接に紐付けられて考えられている。
一冊の本は一つの思想であり、一つの信条であり、一個の人である。
第二次対戦前夜のドイツの焚書に対するハイネの言葉である「本を焼く者は、いずれ人間も焼くようになる」からもそれがよく分かる。
「公」の場において、特定の本を特例として扱い肯定・否定することは、その本に書かれた思想およびその思想に同調する人を肯定・否定していることになる。
だからこそ、良書主義は言論統制や思想弾圧に繋がるとして廃れていった。
ただし、繰り返すが、コレは「公」における話である。
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3.「私」における良書主義について
前述の通り、評価は「私」に委ねられる。
司書職の人間に、職務外で好きな本・嫌いな本を聞けば全員がその両方を答えるだろう。コレは「私」の範疇であるため自由である。
本人も表明しているように、発端となるツイートした時点での立場は明確に「私」である。
マッチングアプリをしている私人としての発言でしかない。自由である。
そしてそこに、たくさんの「私」の反対意見が集まった。コレもまた自由であり、自然である。
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4.「公」と「私」の混同
問題はその後だ。
自然の摂理で発生した反対意見に不満を覚えたツイート主は、「批評」「研究」という言葉を持ち出して、文学研究をしている学生という立場から発言を始めた。
研究者は言わずもがな公の存在である。学生であっても、指導教員がおり、大学には国から補助金が出ている。
批評や研究はもちろん存在するが、公には公に相応しい言葉がある。
しょうもない、薄っぺらい、大嫌いという言葉で語られた批評は存在しない。(文芸商業誌にならあるかもしれないが、当然「私」である)
研究者は、特定の作者・文書を研究対象に選んだからといって、選ばなかった文書を見下しているかといえばそうではない。
(内心の「私」の部分ではそうであったとしても、それを「公」である研究の中で露悪的に表現することはない)
公に相応しい言葉を使って正しく批評していれば、反論であっても同じように公に相応しい言葉を使った建設的な意見が来ていただろう。
「個人としての発信なら問題ないが、研究者としての発信なら相応しい言葉ではない」
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余談.「全ての本が素晴らしい」と思っている人はいるのか?
これはハッキリ言うが、いない。
公の立場では「全ての本は平等」に過ぎない。コレは法の下において、そうでなければならない。
私の立場では「全ての本は平等ではない」。コレは法の下において、また民主主義において、そうでなければならない。
ツイ主にアレコレ言ってる人は全ての本が素晴らしいと思ってそう言っているのではなく、
好きな本を貶された、好きではないけどその言い方はないでしょう、お前の態度が気に食わない、なんとなく鼻につく等等、一個人の「私」の立場からの意見に過ぎない。
また途中から研究者の立場を持ち出したことに対して違和感を覚えたり、それはダメでしょうと思ったり、マウントを取ろうとしていると捉えて不快になった人もいるだろう。
何度も言うが「私」の立場からであれば自由で自然で健全である。
ただし、当然、誹謗中傷や現行の法に触れる発言は自由の範疇外なので、コレについては受け入れる必要はない。(警察に行ってください)
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5.今回の件のまとめ
「私」の立場から「私」の言葉で反論、不快感の表明、揶揄が集まった
(自然な流れ)
これに尽きる。
そして、後から「公」ぶるのは無理があり、「公」の在り方に照らせば悪手だ。
つまり公と私を混ぜるな危険。ということで一度冷静になって考えてほしい。
研究者のポーズを取って「批評という文化に馴染みがない…?」等と煽っているが、それこそ公に相応しい言葉を用いた批評という文化に対して失礼である。
「研究者であろうが、ツイッターで発言している時点で"私"の立場です。だから自由でしょ?」というなら納得できる。しかし、ならば他の人の「私」の意見が集まることも受け入れなければならない。
何度も言うが研究者という「公」の立場を取るのであれば、「私」の好き嫌いを挟むことは相応しくない。
この区別をはっきりさせて、「公」の姿勢を理解していないと、研究者としては危険すぎる。
※1) 公の最たるものには文書館もある。文書館は歴史的・文学的に保存価値があるものが選別され保管されている。そこには「公」=研究者による評価判断が下されている。
ただし、文書館および文書館職員は当然「文書館に所蔵されない本はしょうもない。薄っぺらい。大嫌い」等とは言わない。
あくまでも歴史的文学的な保存価値という一要素を選書基準としているに過ぎないからであり、良書・悪書を選別しているわけではないからである。
また、勿論そういった言葉が「公」に相応しい言葉ではないからである。
※2)近年ではCCC等一般企業の参入、指定管理、業務委託といった制度により、自社や関係各社に利益が上がるような本の取り扱い方をしている図書館もある。しかし本来の図書館の在り方としてはこの限りではない。実際に問題にもなっている。
ロシアのZ-スネークピット全体が今、その劇的な暴言に手をひねっているのが大好きだ
「祖国は危機に瀕し、ロシアの血が流され、内戦が進行している。」「圧倒的な襲撃の中、英雄的に前線を守り続けている正規軍に対する背後からの刺し傷である。」
「苦難と困難の陰惨な時にこそ、名誉ある男たちは誠実さを示し、最も邪悪な敵と神聖な防衛戦を繰り広げている共通の母なるロシアを救う必要がある」
「モスクワで今何が起ころうとも、親愛なる兄弟たちよ、手にしているものは何でも使って、ホラーたちを殺し続けろ。ロシアより大切なものは何もないのだから」。
哀れなエゴと愚かな似非歴史的陰謀論に取りつかれた妄想癖の独裁者が、アドルフ・ヒトラー以来のヨーロッパ最大の侵略戦争を引き起こしたのだ。
自分たちは世界を支配するためにここにいるのだから、欲しいものは何でも手に入れる権利があり、ノーと言って反撃する者は誰もいないと考えたからだ。
その結果、約16カ月前、ヨーロッパの大国に対する電撃作戦の試みとしては最もお粗末で、最も無能で、最も自信過剰なものであったにもかかわらず、あなた方は驚くべき屈辱的な敗北を喫した。
ルハンスク州のどこかで失われたまた別の養豚場を占領して「ナチスとNATOに対する大勝利」を主張し、「解放された」と宣言するためだけに都市を地上から掃討するという、最も不合理な方法を続けたのだ。
何カ月もの間、あなた方は無意味な10日間の「特別軍事作戦」を戦っていた。そのような利益を得る余裕など、どの軍事大国や国家にもないやり方だ。
決して負けを認めないために、あなたは21世紀にとって最も想像を絶することを行い、常態化させた。
残虐行為と集団墓地、肉挽き器による攻撃で死に追いやられた大量の自殺志願者、去勢、斬首、切断、民間人でいっぱいの大都市の平定、核の脅威、真冬のヨーロッパ諸国から暖房と電気を奪う爆撃作戦、チョルノブイリ以来最悪の人災である生態系災害、ヨーロッパ最大の原子力発電所の前例のない占領と軍事化。
あなたは、長年にわたる宣伝の虚勢と洗脳の根底にあったものを完全に明らかにするような、信じられないような失敗を続けた。
ドンバス一帯を、見渡す限りの廃墟と死体の散乱する過疎の砂漠と化した。
2014年にあなた方を信頼し歓迎するほど世間知らずで愚かだったドンバスの無数の強制動員された男たちを、あなた方は無分別に虐殺した。
プーチンを王座に座らせること以外に目標も計画もない愚かな戦争のために、あなたたちは怪物--巨大な傭兵軍団、今やあなたたちに対して顎を向けるのに十分な強さと大胆さを備えた肉挽きマシーン--を育てた。
哀れなナチスのクズどもよ、自ら作り出したクソの山に溺れるがいい。
お前たちは終わりだ。
自業自得だ。
そして、歴史はこれを史上最も非常識で愚かな戦争として記憶するだろう。
―イリア・ポノマレンコ
ピクミンってあるじゃない。
ピクミンの歩くやつはやってたけど歩いているうちに飽きちゃってそのままって感じ。
でもピクミンって惹かれるのよねー
以前体験版か何かをで遊んでみたけど、
なんかいまいちピンとこなかったんだけどその時は、
でも今度ピクミンの4出るじゃん、
そんで1も出るじゃん!
どうせなら1からできんじゃん!って思いつつ
私はその戦法で攻めていこうと思ったベヨネッタが1で頓挫している歴史は繰り返す中島みゆきさんの4時台の歌にならってまたそうなると思うんだけどなぁー。
ベヨネッタ面白いけど画面が派手で自分を見失ってしまってどこにいるか分からなくなる問題は放っておいて、
ストーリーがポップじゃなく重厚のある歴史的で難しくて重いというか
登場人物が多すぎて重いというか
アイテム合成が面倒くさくて重いというか
村人全員にはなしていかないと思うと重いというか
かと言って10時間ぐらいでサクッとクリア出来ちゃうゲームやってクリアするとこんなもの?ってまた文句言う自分がいそうな重さというか
あれはギャグなのかしら?
一応さー
一旦1冊とか1本とか二足でもサンダル三艘でもヨットとか四粒でもごま塩とか、
一旦始まったらとりあえずの終わりがあるじゃない。
あれゲームって終わりがないところがタチが悪いところが舘ひろしさんなのか柴田恭兵さんなのか危ないところなのよね。
終わりがないところが危ないわ。
延々とやり続けられるからね。
スプラトゥーン3もお馴染みであれ終わりないでしょ?
でもそれはそれでいいと思わない?
他のゲームできるし!
あ!思い出したけど
メトロイドのゲームも移植されたの遊ぶの忘れてるわ!メトロイドプライム!
ピクミンが気になるけど、
一向に終わらせられないものがたくさんある物語なので困ったわ。
てーかさ、
スプラトゥーン3が発売されてもうすぐ1年になるんじゃない?早くない?
うかうかしているとね。
毎日しっかり噛みしめて生きないと生きた感じがしないわよね。
仕方ない!
もう1つずつじっくりやるしかないわ。
うふふ。
ちょうど良い味の濃くもなく薄くもなくちょうどいいわ。
優しい味のする感じがして、
無くなったのでまたたくさんこしらえて作るわ!
暑くなったと思ったらまた一旦涼しくない?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今、この文章は新幹線の自由席で書いている。この自由席は本来であれば1週間後に乗っていたはずのものだ。今日とは言わずもう少し後に乗っていたはずだった。
大学を卒業してから新卒として入った会社に3年ほど勤め、退職を決意。
次の職場も何とか決まり、そこに移籍する前の有休消化期間。謂わば今は少し早めの夏休みだ。
そうなるとさすがに旅に出たくなるもの。
俺自身そんなアクティブな人間ではないと思っているが、有休消化期間が長ければ長いほど旅に出ないと勿体無いよねという風潮も何となくある気がする。
そうなってくると自分にはちょうど良い当てが1つあった。それは大学時代の友人。
かつて学科が同じだったそいつとは大学に入ってすぐに打ち解け、恐らく大学生活の中で一番一緒に遊んでいた。
大学1年からの付き合いで現在社会人3〜4年目辺りなのでもう何だかんだ7〜8年の付き合いにはなる。
そいつはと言うと、当初は俺と近しい地域で社会人をやりつつ彼女と同棲していたのだが、個人的な事情等もあってその仕事を退職。現在は彼女を連れて自身の故郷に帰り、そこで別の仕事をしている。
友人が前職を退いたのが今年の頭くらい。そして故郷に帰る直前の別れのタイミング、俺は友人にとある約束をした。
正直今言うとこれは冗談半分だった。その頃の自分の立場はと言うと、現職にブーブー文句を言いながらも怒られつつ何だかんだ仕事を辞める気配は無い人間。
転職活動はしていたものの、一向に次が見つかる気配が見えない。というか活動をする余裕もないくらいに精神を仕事にすり減らされていた。
そんな状況のため、転職できてももうしばらく先の話だろうなと考えていた。
春頃に次の会社とご縁があり、思いがけずに内定を頂いてしまった。本当にありがたい話。
そして現職から身を引く作戦も始動させる必要が出てきたため、何人かの人とお話をした後に退職手続きが完了。
立つ鳥跡を濁さずって言葉があるけど正直俺はその逆。割とウンコぶち撒けてその場を去るような辞め方をしたクソ害鳥だったが、それは今回の本題ではないので割愛。
とにかくにも有休や休日出勤をしていた分の代休が合計1ヶ月は溜まっていたため、さすがに何か特別めいたことをしないと勿体無いなという状況になった。
ここまで読んでお察しの方はいるかと思うが、俺には彼女がいない。悲しい悲しい独り身。
有休消化期間の旅に行こうぜ!なんてノリにフットワーク軽めで付き合ってくれる友人がすぐ見つかる程の陽キャでもない。
そこで先述の言葉に戻る訳だ。俺は友人にコンタクトを取り、そいつの地元に遊びに行かせていただく運びとなった。
この友人の彼女さんというのがすごい出来た性格の方で、俺なんかともニコニコ愛想良く仲良くしてくれる存在。
友人が引っ越す際に「遊びに来るなら新居の部屋は複数あるから是非泊まりに来てくれ」と言ってくれた際も彼女さんはその言葉に乗せて「楽しいんで是非来てください!」と言ってくれるほど。
もちろんそこには男女の一つ屋根の下での生活があるため、幾ら無神経クソ害鳥の自覚がある俺でも宿泊の予定を立てる前に最終確認の連絡をする。
それでも結局前向きな返事は変わらずだったのでお言葉に甘えさせて頂き、宿泊の用意をして友人の故郷に足を伸ばすことに決定。
大まかな遊びプランをLINEでグループ作成の上で話し合い、俺は1週間程度滞在させていただくことに。
滞在期間に友人カップルの休みである土日は計4日訪れるため、その4日で故郷と故郷近辺の地域を観光することになった。
休み期間の前半を家の片付けや家から足を伸ばした範囲で満たせる趣味、数少ない俺と飲んでくれる後輩等との食事、そして脳死ダラダラタイム等で消化。
そして月半ばくらいの金曜日に旅行の支度をし、家を飛び出して野暮用の買い物を済ませる。
電車→新幹線→電車というルートで友人宅を目指し、夜分遅くに何とか人生初めての地へ到着した。
早速快く出迎えてくれた友人カップルにささやかなお土産と引越し祝いを渡し、その日はチビチビとお酒を飲みながらボードゲームをして大いに盛り上がった空気感のまま就寝。
最初の土曜日は友人の故郷の有名な観光地を車で巡ろうということになっていたため、某動物園や海沿いの市場に出向いた。
動物園への道すがらの車内で音楽を流して楽しくお話しながら目的地を目指した。
動物園に到着するちょっと前には00年代のドラマの話題になってそのドラマたちの主題歌を流したり、友人の彼女さんが好きな00年代のジャニーズアイドルの曲を流してノスタルジックになったり。
彼女さんが鬼滅の刃が好きという話から現在の主題歌がそこまで評判良くないという話題にもなり、その曲を流したり。(俺は嫌いじゃないからね。マンウィズとmiletファンの方すみません。)
彼女さんは今の曲も別に嫌いじゃないけど私は遊郭編が好きで良い話だったからその時の主題歌がハードルとして高すぎた、みたいなことを言っていた。確かに。
到着した動物園では多種多様な生き物に目を輝かせ、もうしばらく人間以外の生き物は見なくてええわと言うくらい堪能した。ちなみに俺が一番好きな動物は体調不良でお休みだった。泣いた。
海沿いの市場でも買い物と簡単な食事をさせていただき、そこで実家や後輩に対してのお土産を送ったりもした。
その日の夜はみんなで酒を飲みながら楽しくゲーム。桃鉄をやって争いになりかけた。若干なっていた。友人がベロベロに酔って彼女を煽りすぎていた。
こればっかりは他人との仲を引き裂く桃鉄が全部悪いです。僕たちは何も悪くありません。
そして翌日。日曜日は友人故郷の隣の地域がその地区屈指の大都市であるため、電車で向かってそこの街をぶらぶらしての観光。
詳しい経緯は説明を省くが友人のお母様とも合流して食事をご一緒させていただいたり、有名な観光地を巡ったり。
そして繁華街の中にある有名なご当地のお店で晩御飯。某有名漫画家の方も度々訪れるというその店でご当地の味を楽しみ、「いや俺今旅人だわ〜〜〜」という心地良い感覚をビールの泡と共に胃に流し込む。
間違いなくその瞬間の俺は社会人としての苦しみ等嫌なことを全て忘れ、心地良い空気感の中に包まれていた。
友人と友人の彼女さんも翌日月曜日であるにも関わらず、俺の旅に付き合ってくれてご当地の飲食を堪能していた。良い旅のムードが確実に出来ていた。
出来ていたんですけどね。その時までは。
食事を終え、店を出る。時間的にもちょうど良い。このまま故郷に帰還し、お二人は翌日仕事等で外出。その時間帯俺は独りぼっちで外をブラつき、二人が帰ってくるまで外にいるという段取りの予定。
このまま帰っても良かったのだが、その考えは友人の悪魔の囁きによって打ち砕かれる。
「ここから徒歩で行ける距離に◯◯(日本屈指の風俗街)と××(日本屈指の趣がアレな地区)があるけど行ってみない?」
心踊った。全然金あるなら普通に1人で風俗行きたい。ただその時の俺はそうそう余裕がある訳ではなかった。だからそこの風俗街がどんな空気感なのか見るだけになるが、それでも心踊る。
後々調べたらそこって利用する気も無いヤツのひやかし歩き禁止らしい。マジで反省しています。
ただ、大きな問題がある。
友人の彼女を連れて行くのはいかがなものか。いかがなものかっていうか普通にダメだろ。
恐らく大多数の女性が見たら不快感を抱く光景であることは間違いないだろうし、同性愛者でもないその友人彼女さんに何のメリットも無いし。
ちなみにこちらも後で調べたら女性の方がひやかし目的で歩くことは禁止だったみたい。色々ダメじゃん俺たち。
後で振り返ればこういった妥当な判断を幾らでもできるのだが、その時はダメでした。酒ゲキ弱男の俺はアルコールに飲まれていました。
勇み足で◯◯と××に歩みを進める友人に向かって「Aちゃん(友人彼女)連れて行くのもアレだしさ、2人は帰って俺だけ見に行くか3人で見に行くか、Aちゃんの顔色見て判断した方がいいんじゃない??」と提案。
夜分遅くの繁華街から故郷までの電車での遠い道のりを女性1人で帰らせるのも宜しくないと思った俺と◯◯や××を見に行きたいという気持ちの俺が脳内で話し合った結果、そのような提案に。
ただ、そもそもこの見物の言い出しっぺは友人。友人がその勇み足を簡単に止めて「じゃあ、俺は彼女と先帰ってるわ。好きに見に行ってきな」と俺だけを送り出すはずもなく。普通に食い気味で「Aも連れて行きます」と判断。
というか何なら最低な話、アルコール飲まれモードの俺も普通にノリノリだったので「私は一応最低限の提案はしましたよ。その上で友人が彼女をこの俗人甚だしい歩みに付き合わせるのであればそれはお二人同士の問題です」というニュアンスを含んだ責任転嫁の丸投げ行為に等しい建前だけの薄っぺらい気遣いモドキな発言でしかなかった。
最低限の提案通り越してもうほぼ友人に3人で行くって言わせるための誘導尋問に近いよねもはや。
シラフの今思う正解は何かって?
そんなん「そんなもの見ずに3人で帰りましょう」に決まっておるじゃろ。
常連客どもの歌声がお構いなしに路上に響くスナック街を抜け、少し歩くとそれは見えてきた。
暗闇の中、幻想的にボヤァっと光る街灯。店の名前が書かれた質素な看板が通りに無数に連なっている。
風俗街って言うか遊郭って感じなのかな、表現としては。前日ちょうど鬼滅の刃の遊郭の話をしていたが、まさか翌日に本物を目にするとは。
そこの通りは各店オープンな感じで女の子が呼び込みをしている賑やかな空気感。その地域を知っている方はもうこの一文でどこに行ったのかお分かりだとは思う。
目を輝かせて首を激しく左右に振る俺。うわレベル高え〜、と高揚感が止まらない。性欲に対する行動がキショ中学生すぎる。死んだ方が良い。金無い社会人がこれやっているという状況がそもそも情けない。
ふと、横をチラッと見る。友人のテンションが意外と上がっていなかった。言い出しっぺの割におとなしいなと思った。その答えはすぐ横を見たら明白だった。
友人の彼女さんが怖い目をして俯いて歩いていた。
察した頃にはその通りも終盤に差し掛かる時。そして少しばかり歩いて完全にそこを抜けた後、彼女さんは友人に対してキレた。
「こういう場所とは思わなかった。何でこんなところ連れてくるのか。お前らだけで行けば良いだろこれ。」
そんな感じの内容でキレていた。前日に鬼滅の刃の遊郭編のことを嬉々として語っていた子が遊郭見させられてキレている。
それを聞いた時点で俺と友人は内心「風俗街ってことは今日の会話の中で何回も言ってたやん」とは思った。なんなら思ったというか友人は口に出して彼女にそう言った。
そしたらそんなこと聞いていない、私が認識していたのは××(趣がアレな地区)の方だけだとキレ返された。
そもそも悪ノリで女の子付き合わせてる時点で何言おうと俺と友人サイドが100%悪いんだけどね。100:0でこちらの過失だよ完全に。
気まずい空気のまま最寄りの駅まで歩みを進める。俺は友人に「××は行かないの?」と小声で聞いた。この空気で行くわけねえだろバカかこいつは。
道中、その地域の名物の建物があったので「そういやこの建物昔出張でこの都道府県来てた親父が嬉々として写真送って来たわ」的な話をした。
それが琴線に触れたのかその直後、友人彼女は俺に顔を向けて「増田さんも共犯ですからね!悪いのはコイツ(友人)ですけど!!」とキレてきた。初めてこの子にキレられた。怖い。
引き続き気まずい空気感の中、最寄り駅に到着。そしてそこで死の宣告に等しい一言が友人彼女の口から発せられた。
「増田さん。すみませんが今晩のところはどこかホテル泊まってくれませんか?私はコイツ(友人)に話があるので。」
俺は何も考えず二つ返事で「ハイ」と口にした。怖かった。普段怒らない人が怒ると怖いとはこのことか。
そして友人宅まで長い時間をかけて帰還し、何とかホテルを確保できた俺は一旦荷物をまとめるために一時的に寄らせてもらうことに。
ただ、俺は酔いが冷めてきていた帰り道すがらで考えていた。
多分もうこれ以上の滞在は無理だろうな、と。
きっとこの荷物まとめ作業は一時的な撤収のためのものでは無いだろう。完全なる帰り支度となるだろう。
友人は一応コッソリと「何とか説得するわ」とは言ってくれたものの、何となくここで旅はおしまいだなという空気感がその場にそこはかとなく漂っていた。
一応友人彼女も感情的になっていた先刻とは打って変わり、表面上は落ち着きを取り戻していた。そして俺に告げる。
「一応増田さんが旅を楽しんでくれるよう最大限考えて話し合いはしますけど…。すみません、正直もう帰ってもらう前提で考えといてください。」
完全に同じ認識でいたので逆にホッとした。間違いなく俺は帰ったほうがいい。
こちらが100%悪いのに終盤まで気遣いをして頂ける辺り、改めて性格良い方なんだなと実感する。ホンマ何でこの性格の人を怒らせられるねんこのバカ男2人は。
荷物をまとめ終わり、玄関のところで帰る前提の挨拶を2人に済ませる。一応念のため翌朝にでも話し合いの結果を報告ちょうだい、の一言も付け加えた。
仮に話し合いで状況が大逆転して予定通りもう少し泊まっていて良いですよとなったところで、もう俺にそこから更に1週間泊まるバイタリティは残されていなかったような気はするけど。
そしてホテルに向かい、フカフカで寝心地良いはずの布団で寝付きも悪く、翌朝5時台に目が覚めた。
寝ぼけ目で見たLINEでも状況を飲み込むことに迷いは無かった。やっぱ話し合いした結果、無理でしたの報告。
女性が性的な商品みたいになっている光景にショックを隠せなかったとのこと。
友人からは全部俺が悪い、お前はむしろ被害者だからごめんという謝罪の文章が書かれていた。お前が俺を許してくれるなら付き合いは切れないと思うので、と。
ただ、帰ることが決まった以上は電車と新幹線の時間、あと何より予算的にも遅くまでの滞在はできない。
俺もサシで飲んでその場の気持ちだけでも清算しておきたかったが、それは断念した。
その日、ホテルのチェックアウトを済ませた後に1人でその地域の歴史的なお城を少しばかり観光し、ご飯を軽く食べて立ち去った。
全ては自業自得故の裁断。そこに名残惜しいとか怒りとかそんな簡単に言語化できる気持ちは残っておらず、とりあえず家に早く帰りたいとの思いだけで電車に乗った。
そして新幹線に辿り着いてから書き始めたこの文章も終盤となった今。無事に自宅の最寄駅に到着した。
楽しさと罪悪感が入り混じった数奇な初夏の思い出がそこには残っている。
終盤が怒涛の展開すぎてもしかしたらこれは全部夢だったのかもとさえ思っている。俺はハナっから友人と遊んでなどいなかったのかもしれない。
でもそれでも良い。そんな悲しい結末だったとしても俺は耐えられる。何故なら俺は長男だから。厳密には姉がいるから炭治郎と違って一番上じゃないけど。
そういえば。帰りの新幹線で例の鬼滅の刃の主題歌を聴いていたが、曲が二番のサビに差し掛かるとマンウィズがこんな歌詞を歌っていた。
“解き放て今 僕らが起こした火を 舞い上げ走れば明日が変わるはず”
感想を補う。
ある種の後味の悪さについて。
バッドエンド気味になることは、事前に予期できる。現代の視点から語られる時点で、犬王は歴史的に何も残さない。琵琶法師がロックをやってました、も残ることはない。山田監督のアニメ、平家物語でも同じ。最終的な破滅に向かいながらも輝く人間の生き様が描かれることは予期できる。
ただ、2人の主人公の末路。1人は最後まで自分の名前と信念を曲げずに処刑され、1人は権力に従うことで生きながらえる。このとき、平家物語なら権力から追い落とされた権力が滅ぼされる、諸行無常。繰り返される人の業。犬王では権力に滅ぼされるのは文化だ。一世を風靡した文化が、権力者の一存で滅ぼされる。それがアニメ、映画という文化で描かれる。ジレンマ。
これをある種の比喩にも感じてしまう。何らかの滅びの予感か、全盛期を過ぎたことへの諦念か。または、多数派におもねらなければならないことへの皮肉か。どんなに優れた表現者にも限界があり、志を曲げて生き残るか、曲げずに消えるという選択を迫られてしまうのか。そういう現実的な風景が頭にちらつく。
アニメ映画の「犬王」、Amazonプライムで見れたから見た。ある程度前評判通り、良い部分もそうでない部分も。という感想。
湯浅監督のファンなので、相変わらずアニメでしか表現できないだろうイマジネーションの視覚化や、流動的な作画が多く見られるところは好き。動きのダイナミズムという点では文句がない。
一方で、室町時代の前衛的な音楽表現としてロックはどうなの?というミスマッチ感。べつにエレキギターの音が入っても全然いいんだけど、ロック自体がいま既に古いというか、やり尽くされたフォーマットになっていて、和楽器とのコラボも特に珍しくなくて、しかも過去のロックのオマージュ的な見せ方が多いとなると、なんだか気恥ずかしい感じがあるのは確か。
そういうロック歌劇シーンが大部分を占めているから、物語の情動部分、特に終盤、犬王がどういう思いや考えで足利義満にこうべを垂れるのか、踊り続けたのかは端折られた感が強かった。歴史的にわからないんだろうけど。
Twtitterで一部の漫画家やイラストレーターとそのファンネルがやってるあれ。
あれがやってるのは産業機械導入に反対してる手工業労働者みたいな感じで
最高にうまく反対運動して数年は押し留めたってどうもなりゃしない。
更に破格に上手く行って日本が反AI国家になっても他の国がやるだけ。
仮にAIが今のままでも活用法はどんどん進歩していくから引き出せるポテンシャルは日進月歩だし
実際にはAI自体がどんどん学習して人間には追い付けない速度で成長してしまう。
「チェスと違って将棋は複雑だからソフトが人間に勝てる日は来ない」なんて言われてた。
もう流れが読めるだろ。かろうじて人間と競ってるように見えるのすら今だけだよ。
AIは今まで見たことのない斬新な画像を生み出している(ゲち華道など)。
AIで100日チャレンジしてるアカウントが嘲笑されてるけどあのアスカのイラストも明らかに魅力的で
実際にアンチの声も注目度に代えて新作イラストが9万いいねとか叩き出してる。
あれに誰が勝てる?
そして漫画家もイラストレーターも第一線の人気作家は反AIに加わっていない。
熱心に反対運動してるのは本業パッとしないロートルや歳食ったアマチュア・ワナビーばっかりだ。
(日頃から思ったように評価されない不満と被害感情がAIに向けて噴き出していると見る)
人気で圧倒して世論を引き倒すという勝ち筋も期待できない。
AIにガンガン手を出してるのはファーストペンギン気質と銭ゲバだ。
こういう連中は知能かバイタリティの少なくともどっちかは異様に高い。
技術でどんどん突っ走ったりさっさとマネタイズスキームを組んだりできてしまう。
この手の人間と「古いやり方を守らせてほしい」というタイプの人間とで戦争したら前者が絶対に勝つ。
はっきり言って知能自体も違う気がするが、
なにより「軽薄さ」と「スピード」という戦争に重要な要素で全然能力が違う。
加速的に技術を蓄え金になるスキームを作り利益を分けて味方を増やせる側と
反対反対言ってるだけで発展もスキームもない分ける金もない側と
戦争でどっちが勝つかなんてわかりきってる。
AI側は晒されたり叩かれたりするのも受け入れて常に注目されて表示回数といいねを増やし続けてる。
反AI側は全賛同してくれないリプはどんどん感情的にブロックして表示回数を細らせ続けてる。
長年フォローしてるそんなに売れない漫画家さんが反AIになり、
正直負け戦だと思えたけどせめて善戦して何かの”戦った意義”を残してほしくて
「運動や世論戦で反対意見ブロックしてると絶対勝てないっす!」のようなことを送ってみた。
ブロックされた。
AIを利用したサービスは様々あるが、特に議論を巻き起こしている「イラスト生成AI」。
chatGPTやらbingAIやら、文章生成AIがかなり好意的に捉えられている中で「イラスト生成AI」だけがやたらに目の敵にされているのは何故か?
よく言われるのは、著作権。
まあ、これも色々言えるが今回の話題ではない。
もう一つの、そして主たるイラスト生成AIが蛇蝎のごとく嫌われる理由─それはイラスト生成AIの使い手のモラルだ。
イラスト生成AIを疑問視するイラストレーターに嫌がらせのようにi2iを使用しリプライしたり、ところ構わずレスバを仕掛けたりしている様子は、AIに期待している側の私から見ても中々に見苦しく、しかも炎上によって可視化されている分だけでもそれなりの数がいるように見える。
イラスト生成AIの使い手がわざわざ人に嫌われるような言動をとってしまう理由はとても単純で、嫉妬と復讐心である。
今でこそInstagramやTikTokによってネットは現実の拡張のような風潮があるが、Twitterは各種SNSの中では特に現実と切り離されている。それゆえ、オタクは大体Twitterにいる。
オタクにも色々種類があり、その中でも最も大きく分けたのが「持つ者」「持たざる者」だ。
「持つ者」は例えばイラストが上手だったり、小説を書いていたりする有産かコミュ強である。今回はイラストの話に絞るが、小説を書くオタクやコミュ強を含めた「持つ者」のオタクはそれぞれ居場所を持っている。
オタクの中で燦然と輝く才能、それがイラストが上手ということだ。小学生男子の最大モテ要素が足の速さなのと似たようなものである。イラストの上手いオタクは、オタクからは〇〇を描いてとリクエストされ、非オタクからは文化祭のポスターや遠足のしおりの挿絵なんかをリクエストされ、とにかく承認されやすい。
現実世界での承認が足りなくても、ネットに飛び出せば相当数のコミュニティがある。よく喋れば親しみやすいキャラとされ、あまり喋らなくてもミステリアスでカッコいいとされる。
もちろん、小説よりイラストが優れているとか、イラストを描けるオタクが無産より偉いとか、そういうわけではない。イラストは「分かりやすい」。文章の読めない人のために宗教が壁画を作ったように、歴史的に見てもイラストは基本的に誰でも分かるものなのだ。
イラストレーターが強いのは、イラストそのものの強さでもある。
さて、「持つ者」のオタクが現実世界やネットで承認される一方、現実世界でもネットでも承認されないオタクがいる。それが「持たざる者」のオタクだ。
「持たざる者」のオタクは割と悲惨で、まず仲間がいない。先ほど「持つ者」の例として挙げたコミュ強オタクは、陽キャ集団でなくともそれなりにオタクで寄り集まり、コミケに一緒に行ったり文化祭で合同紙を売ったりして楽しくやっている。(側から見ればコミュ障かも知れないが)
「持たざる者」はそれに入ることが出来ない、あるいは入ることを拒否したオタクである。
さらにその名の通り、「持つ者」のオタクが持つ才能や努力を持っていない。周りに人が集まらないのは当然なのだが、残念ながらそれを理解することができない。無産のコミュ障オタクなんか星の数ほどいるのだが、ある程度の学力や努力を持っている、あるいはコミュニティに迎合する柔軟性がある。それすらも持っていない「持たざる者」はひたすらに、あらゆる方向から弱い。
「持たざる者」のオタクは、オタクなのにオタクを基本的に見下している。というか人間が嫌いで、裏切りを恐れている。
「持たざる者」のオタクはオタク同士で語らう場もなく悶々としながら、欲求不満を募らせていく。そしてそれは「持つ者」のオタクに対する恨みとして蓄積されてしまう。何故なら同類であるはずのオタクが自分の知らないところで仲良くやっているのは、裏切りに他ならないからだ。特にイラストは「分かりやすい」ゆえに矛先が向きやすい。これは持論だが、イラストが上手い人は頭が良い。さらにたゆまぬ努力を続ける忍耐力もある。しかし「持たざる者」のオタクはそれが理解できず、目の前にあるモノに飛びついてしまう。そして、こんな絵自分でも描けると嘯きながら誰からも承認されず、自分とイラストが上手い「持つ者」のオタクの差に気づくことなく、さらに恨みは嫉妬と復讐心に増幅していく。
もう分かってもらえただろう。そんな「持たざる者」のオタクにとって、「イラスト生成AI」はエクスカリバーなのだ。自分を裏切った「持つ者」のオタクという悪の総本山、そしてそのボスであるイラストが上手いオタク、イラストレーターを痛めつけることが出来る唯一の手段なのだ。
だからこそ、今までの努力を踏み躙られたとイラストレーターが嘆くと指差して笑う。もうどうしようもない。
もちろん今回の話はあくまでも、「イラストレーターを目の敵にしている、イラスト生成AIの使い手」の話だ。
実際のところ、興味深さやちょっとした趣味のようなものとしてAIで遊んでいる人がほとんどだろう。あとは個人利用目的ついでにネットにアップしている人か、将来スタンダードな技術になることを見越して先行しようとしている人ぐらいか。
諸問題が整備されていけばAIを利用したイラストは当たり前になっていくと思う。その時はその時で問題が発生するだろうが、それはまた別の話だ。
結論。イラスト生成AIを使って煽り散らかす人たちは、基本的に可哀想な人間だ。いわゆる「無敵の人」に近い。これだけで、許してやることは出来なくとも、触れない方が良いということは分かるだろう。私たちは福祉課ではないからだ。
だからもし自分の好きなイラストレーターが粘着されていたら、そっと通報・ブロックしよう。間違っても酷い、消してくださいなどと言ってはいけない。それこそが彼らを気持ち良くさせるエネルギーとなっている。
また、もし自分がイラストを描いていていじめられたら。今後AIイラストの著作権に関してはもっと分かりやすく説明されるだろうし、特にi2iは普通に現行法で違反になるだろう。そっとスクショして、気が向いた時に通報できるという心持ちがあった方が精神健康に良いのでオススメだ。訴訟にお金がかかるとかは一旦置いて、証拠集めに徹しよう。彼らは貴方個人を恨んでいるのではないため、反応がなければ満たされない。
私はイラスト生成AIはそこまで触っていないが、AIそのものが好きなので、もっと発展してほしい。今の風潮だとAIそのものが嫌われそうなので、何故嫌われるのか?という点に念頭を置いて持論を展開してみた。長々と話して結論が弱いのは承知だが、理解不能な行動を取る人の向こう側について考えると、自分が取るべき行動も分かると思う。全部上手くいってほしい。
今から約160年前の北米地方で起きた南北戦争という名前の戦争がある。
アメリカ合衆国の北部と南部の内戦なのだが、現在のポリコレ問題を考える上で大きな教訓を学ぶことが出来るのではないか。
大変有名な戦争なので、私元増田が詳細を書くまでも無いんだけど要点を一つだけ。
当時の合衆国北部は工業化が進んでいて、工業製品を欧州に輸出するために保護貿易を望んでいた。
対する南部は奴隷を使ったプランテーション農業に依存していて、こちらは農業製品を輸出するために自由貿易を主張していた。
戦争に至る対立点は「保護貿易と自由貿易のどちらを選ぶか?」という経済問題に過ぎなかったのだ。
しかし保護貿易派である北部各州は、南部の農場で搾取されている黒人奴隷の人達を引き合いに出して自由貿易派を非難するキャンペーンを行った。
それで態度を硬化させた南部各州はアメリカ連合国を結成して分離独立を決め、北部との内乱(=南北戦争)に至った歴史的経緯がある。
このように弱者をダシに使った政治的主張は、相手との折り合いや融和を全部無力化させる効果がある。
今現在も自称リベラル政党やその取り巻きがやっていることと地続きなのである。
弱者保護や救済はいいことだしやるべきことだと思うが、自分たちの政治的主張の正当性を持たせるために弱者をダシにする行為は戦争を引き起こす、ということを覚えておいて欲しい。
話数 | サブタイトル | あらすじ |
1 | 三平、唐揚げ屋に就職する | 三平は唐揚げ屋に就職し、新たな仕事にワクワクしながら働き始める。初めての日は、店長から唐揚げ作りの基本を教わり、緊張と興奮が入り混じった一日となる。 |
2 | 三平、初めての配達に挑戦する | 三平は初めての配達に挑戦する。彼は自転車で街を駆け抜け、唐揚げを届けるために最善を尽くす。途中で迷ったり困難に遭遇するが、最終的には成功して喜びに満ちた配達を遂行する。 |
3 | 三平、唐揚げを落としてしまう | 三平は誤って唐揚げを落としてしまうミスを犯してしまう。彼は自分のミスに落胆し、後悔の念に駆られるが、仲間たちの励ましと協力により、立ち直ることができる。 |
4 | 三平、唐揚げを食べることができない | 三平はなぜか唐揚げを食べることができなくなってしまう。彼は困惑し、自分の味覚が変わったのかと心配するが、最終的には問題が解決し、再び美味しい唐揚げを楽しむことができる。 |
5 | 三平、唐揚げの秘密を知る | 三平は唐揚げに秘密があることを知る。彼はその秘密を追求し、さまざまな人や出来事と出会いながら、唐揚げの由来や特別な意味を解き明かしていく。 |
6 | 三平、唐揚げのレシピを盗む | 三平はライバルの唐揚げ屋から唐揚げのレシピを盗むことを決意する。彼は様々な策略を駆使し、困難に立ち向かいながらも、ついにレシピを手に入れる。しかし、彼は自分の行いに反省し、正々堂々と競争することを選ぶ。 |
7 | 三平、唐揚げのライバルと対決する | 三平は唐揚げ屋のライバルと対決することになる。彼は自分の唐揚げの腕を試し、お互いに競い合いながら、より良い味を追求する。結果はどちらが勝つのか、一触即発の緊迫した戦いが展開される。 |
8 | 三平、唐揚げの祭りに参加する | 三平は唐揚げの祭りに参加する。彼は祭りの中で様々なイベントや競技に挑戦し、地元の人々と交流を深めながら、唐揚げの祭りを楽しむ。 |
9 | 三平、唐揚げの恋人を見つける | 三平は唐揚げの恋人を見つける。彼はある日、唐揚げを注文した顧客と意気投合し、恋愛関係に発展する。二人はお互いに励まし合いながら、共に唐揚げの世界を楽しむ。 |
10 | 三平、唐揚げの危機に立ち向かう | 三平は唐揚げの危機に立ち向かう。彼は何か重大な問題が発生し、唐揚げの存在が脅かされる状況に直面する。しかし、彼は困難に立ち向かい、唐揚げを守るために奮闘する。 |
11 | 三平、唐揚げの伝説を聞く | 三平は唐揚げの伝説を聞く。彼は長老や先輩たちから古い伝説や物語を聞きながら、唐揚げの歴史と根深い意味を知る。その伝説は三平の心に深い感銘を与える。 |
12 | 三平、唐揚げの島に行く | 三平は唐揚げの島に行く。彼は唐揚げの原点であると言われる島を訪れ、そこで新たな出会いや冒険を経験する。島の人々と交流しながら、唐揚げのさらなる魅力を発見する。 |
13 | 三平、唐揚げの王になる | 三平は唐揚げの王になることを決意する。彼はさまざまな試練を乗り越え、唐揚げの世界で最高の地位を手に入れるために戦う。最終的には、彼は唐揚げの王として認められる。 |
14 | 三平、唐揚げの魔法を使う | 三平は唐揚げの魔法を使う。彼はある秘密のレシピを見つけ、それを用いて唐揚げに魔法をかけることができるようになる。魔法の唐揚げによって、彼は驚くべき出来事や冒険を経験する。 |
15 | 三平、唐揚げの罠にはまる | 三平は唐揚げの罠にはまってしまう。彼は敵の罠によって囚われ、唐揚げの世界から遠ざかってしまう。彼は自身の知恵と勇気を駆使して脱出を試みるが、容易には逃れられない苦境に立たされる。 |
16 | 三平、唐揚げの友達を作る | 三平は唐揚げの友達を作る。彼は唐揚げ屋やその他の場所でさまざまな人や唐揚げに出会い、友情を育んでいく。彼の友達との絆は、彼の唐揚げ人生において大きな支えとなる。 |
17 | 三平、唐揚げの敵を倒す | 三平は唐揚げの敵を倒すために立ち上がる。彼は強力なライバルや邪悪な勢力に立ち向かい、唐揚げの世界を守るために戦う。困難を乗り越え、彼は勝利を収める。 |
18 | 三平、唐揚げの夢を見る | 三平は唐揚げの夢を見る。彼は夢の中で様々な場所を旅し、美味しい唐揚げを堪能する。夢の中での冒険と経験は、彼の現実の人生に新たな希望と活力を与える。 |
19 | 三平、唐揚げの歌を歌う | 三平は唐揚げの歌を歌う。彼は心からの歌声で唐揚げの魅力を表現し、人々の心を打つ。彼の歌声は唐揚げの世界に広がり、多くの人々に感動と喜びを与える。 |
20 | 三平、唐揚げの旅に出る | 三平は唐揚げの旅に出る。彼はさまざまな地域や文化を訪れながら、唐揚げのさらなる可能性や多様性を追求する。旅の中で彼は新たな発見と体験をし、成長を遂げていく。 |
21 | 三平、唐揚げのゲームにはまる | 三平は唐揚げのゲームに夢中になる。彼は仲間たちと共に唐揚げの冒険ゲームを楽しむ中で、新たなスキルやアイテムを手に入れ、最高のプレイヤーになるために成長していく。 |
22 | 三平、唐揚げの本を書く | 三平は唐揚げに関する本を書くことに決める。彼は自身の経験や知識をもとに、唐揚げの魅力やレシピを伝えるための本を執筆する。彼の本は多くの人々に愛され、唐揚げの世界を広める役割を果たす。 |
23 | 三平、唐揚げの芸術家になる | 三平は唐揚げの芸術家として才能を開花させる。彼は唐揚げを美しいアート作品に変え、その魅力を表現する方法を探求する。彼の芸術は多くの人々に感動を与え、唐揚げの美しさを新たな形で伝える。 |
24 | 三平、唐揚げの探偵になる | 三平は唐揚げの探偵になることを決意する。彼は唐揚げの事件や謎を解き明かすために推理力と冷静な判断を駆使し、さまざまな事件に挑む。彼の探偵の才能は唐揚げの世界で高く評価される。 |
25 | 三平、唐揚げの忍者になる | 三平は唐揚げの忍者になる修行を始める。彼は忍者の技術と戦術を学び、その力を活かして唐揚げの世界を守る任務に就く。彼の忍者の腕前は見事であり、敵を倒し平和を守る。 |
26 | 三平、唐揚げの宇宙人と出会う | 三平は唐揚げの宇宙人と出会う。彼は宇宙からやってきた唐揚げ愛好家と友情を築き、宇宙の奇跡や新たな味覚を知る。彼の宇宙人との交流は唐揚げの世界をさらに広げる。 |
27 | 三平、唐揚げのタイムトラベルをする | 三平は唐揚げのタイムマシンに乗って過去や未来へと旅する。彼は歴史的な時代や未来の世界で唐揚げの進化や変遷を目撃し、その過程で新たな発見や冒険を経験する。 |
28 | 三平、唐揚げの恐竜と戦う | 三平は唐揚げの恐竜と対峙する。彼は勇気を持って恐竜との戦いに挑み、唐揚げの力を駆使して巨大な恐竜と対決する。彼の勇敢な行動は唐揚げの世界で称賛される。 |
29 | 三平、唐揚げの幽霊と話す | 三平は唐揚げの幽霊と出会い、交流する。彼は幽霊の物語や願いを聞き、彼らの心を癒す。彼の優しさと共感力は唐揚げの世界で多くの人々に感動を与える。 |
30 | 三平、唐揚げの神と対話する | 三平は唐揚げの神と対話する機会を得る。彼は神の知恵や啓示を受け取りながら、唐揚げの真の意味や使命を理解していく。彼の対話は唐揚げの世界に新たな啓示と希望をもたらす。 |
31 | 三平、唐揚げの悪魔と契約する | 三平は唐揚げの悪魔と契約する。彼は悪魔の力を借りて唐揚げの新たな可能性を追求するが、その力が彼を試し、彼の心に葛藤をもたらす。彼の選択は唐揚げの世界に大きな影響を与える。 |
32 | 三平、唐揚げの天使と恋に落ちる | 三平は唐揚げの天使と出会い、彼女に恋をする。彼らの純粋な愛は唐揚げの世界に幸せと祝福をもたらし、多くの人々の心を温かくする。彼らの恋は永遠の愛の象徴とされる。 |
33 | 三平、唐揚げの獣と仲良くなる | 三平は唐揚げの獣と友情を深める。彼は獣の特性や言葉を理解し、彼らと協力して唐揚げの世界を守る冒険に出る。彼の絆は唐揚げの世界における結束と調和を象徴する。 |
34 | 三平、唐揚げの植物と共生する | 三平は唐揚げの植物との共生を学ぶ。彼は植物の成長と栽培技術を理解し、美味しい唐揚げのために最高の食材を育てる。彼の知識と努力は唐揚げの世界の食文化を豊かにする。 |
35 | 三平、唐揚げのロボットと協力する | 三平は唐揚げのロボットと協力して新たな料理方法を開発する。彼はロボットの技術と自身の料理の知識を組み合わせ、革新的な唐揚げの作り方を実現する。彼の創造力は唐揚げの世界に革命をもたらす。 |
36 | 三平、唐揚げのゾンビと戦う | 三平は唐揚げのゾンビと対峙する。彼は勇気を持ってゾンビとの戦いに挑み、唐揚げの力と知恵を駆使して人々を守る。彼の闘いは唐揚げの世界における生命力と希望の象徴となる。 |
37 | 三平、唐揚げの吸血鬼と噛まれる | 三平は唐揚げの吸血鬼に噛まれ、吸血鬼の力を受け継ぐ。彼は唐揚げの力を吸血鬼の力と組み合わせ、新たな唐揚げの魅力を追求する。彼の変化は唐揚げの世界に新たな衝撃と驚きをもたらす。 |
38 | 三平、唐揚げの人魚と泳ぐ | 三平は唐揚げの人魚と出会い、彼女と一緒に泳ぐ。彼は唐揚げの世界の海で人魚の美しさと秘密を知り、新たな感動と冒険を経験する。彼らの交流は唐揚げの世界に新たな魅力を加える。 |
39 | 三平、唐揚げの竜と戦う | 三平は唐揚げの竜と対峙する。彼は勇気を持って竜との戦いに挑み、唐揚げの力と勇気を駆使して竜を倒す。彼の勝利は唐揚げの世界における困難の克服と栄光の象徴となる。 |
40 | 三平、唐揚げの王に即位する | 三平は唐揚げの王に即位する。彼は唐揚げの世界の統治者として民を導き、唐揚げの文化と美味しさを広める使命を果たす。彼の王としての在り方は唐揚げの世界に調和と繁栄をもたらす。 |
41 | 三平、唐揚げの巨人と戯れる | 三平は唐揚げの巨人と出会い、彼と友情を深める。彼は巨人との遊びや競争を通じて成長し、唐揚げの世界における友情と勇気の大切さを学ぶ。 |
42 | 三平、唐揚げの小人と暮らす | 三平は唐揚げの小人たちと共同生活を始める。彼は小人たちの文化や生活様式に触れながら、お互いを尊重し合いながら共に暮らす方法を学ぶ。彼の経験は唐揚げの世界における共生と協力の意義を示す。 |
43 | 三平、唐揚げの魔女と魔法を学ぶ | 三平は唐揚げの魔女に出会い、彼女から魔法を学ぶ。彼は魔法の力を使って唐揚げをより美味しくする方法を追求し、唐揚げの世界に新たな驚きと魅力をもたらす。 |
44 | 三平、唐揚げの騎士と冒険する | 三平は唐揚げの騎士と共に冒険に出る。彼は騎士としての勇気と正義を示し、唐揚げの世界の平和と安全を守るために戦う。彼の冒険は唐揚げの世界における勇敢さと信念の象徴となる。 |
45 | 三平、唐揚げの王子と結婚する | 三平は唐揚げの王子と出会い、彼と深い愛を育む。彼らの結婚は唐揚げの世界における愛と絆の象徴となり、新たな希望と幸せをもたらす。 |
46 | 三平、唐揚げの姫と救出する | 三平は唐揚げの姫を救出するために冒険に出る。彼は困難を乗り越え、姫を救い出すことに成功する。彼の勇敢さと決断力は唐揚げの世界における英雄的な行為として称えられる。 |
47 | 三平、唐揚げの英雄と讃えられる | 三平の活躍と勇気が唐揚げの世界で広まり、彼は英雄として称えられる。彼の勇気と努力は唐揚げの世界における希望と勇気の象徴となり、人々の心を奮い立たせる。 |
48 | 三平、唐揚げの伝説となる | 三平の物語が唐揚げの世界中に広がり、彼は唐揚げの伝説となる。彼の冒険と成長は唐揚げの世界における永遠の話として語り継がれ、多くの人々に勇気と希望を与える。 |
「フィンランド1.32、ノルウェー 1.41…」北欧の出生率激減 「高福祉」で「ジェンダー平等」なのになぜ? 日本が教科書にすべきはイスラエル?
大学でフェミニズム国際開発の先生が北欧を持ち上げていたから、すっかり信じ込んでしまっていた。
「イスラエルの合計特殊出生率は“3.00”と高く、子どもが多い。宗教的な理由や国の歴史的背景の中で、国を存続することに対する思いが非常に強いという理由もあるようだ。朝日新聞の高久潤記者が書いた「『出生率3.0』は幸せか」という連載記事では、イスラエルを『文句を言い合える社会だから』と分析していた。子どもや大人が自由に文句を言って対等に付き合える社会なので、何かに困ったら打ち明け、支えてくれる。子育てにはインフラや経済的支援が大事だが、それとは別に社会的な制度、ネットワークがある。子どもを産みたい社会とは、『子どもが生まれたくなる社会』だと思う」
これ、本当にイスラエルがうらやましい。
朝日新聞の記事の孫引きになるけど、イスラエルでは人々がお互いに文句を言い合える社会だから、出生率がSDGs要求レベル、つまり社会が持続可能なレベルに達しているらしい。