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はてなキーワード: 閉架とは

2024-08-17

anond:20240817222652

国会図書館閉架式なのがビミョいよな

あらかじめ知ってる本しか借りられない

2024-03-22

anond:20240322193850

閉架に置くのをゾーニングとは言わないんじゃ

年齢制限かけて上級生だけとかならわかるけど

戦禍の描写党派性って意味わからん

先の大戦は我らに正義ありみたいな本だけ置けってのか

グロ描写がだめなら火の鳥閉架しなきゃ

2023-06-26

夢をかなえるゾウ」に関するツイートについて

この長文を書いている間にツイート主が自ら問題点に気付いたようなのですが、一応書いたので載せます

公に相応しい言葉を使われた「夢をかなえるゾウ」の批評論文普通に読みたい。




勢いに任せて書いていたら思いの外長文乱文になってしまった。歴史については細部に誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。

発端と一連のツイート

https://twitter.com/dfuz4/status/1672629861524062213?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

https://twitter.com/dfuz4/status/1672958086733250562?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

https://twitter.com/dfuz4/status/1672973973825650689?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

https://twitter.com/dfuz4/status/1672965101517955073?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A

長いので要点まとめをしました。

この時点で既に長いですが、この下に本文があります

--------------

1.筆者の思うツイート主の問題点

「公」と「私」の視点および言葉遣いの混同

--------------

2.「公」における良書主義について

ツイ主の考え方は所謂「良書主義」であり、

公の場では良書主義否定されている。

公による良書主義は、先の大戦で見られた悲惨言論統制思想弾圧に繋がる。

民主主義においては、全ての本、全ての人、全ての思想信条は法の下に平等に扱われるべきとされる。

また歴史的に見ても、本と人間(思想信条)は密接に紐づいており、

公の姿勢としてその部分が守られているため、

特定の本を否定することで人格否定されたと考える人が現れてもおかしくはない。

--------------

3.「私」における良書主義について

私の場では(各個人における)良書主義は認められている。

公の立場からしても、本来良書・悪書判断個人に委ねられるべきとされている。

ただし、文字通り一人一派であり、そうでなくてはならないため、

私人立場から私人言葉特定の本を肯定否定すれば、

当然、他人から私人立場から私人言葉反論される場合がある。これもまた自由であり、自然かつ健全である

--------------

4.「公」と「私」の混同

マッチングアプリを使っている1ツイッタラーは「私」の立場である

大学指導を受けている文学研究者は「公」の立場である

前述の通り、私人立場で、私人言葉を使ったことが発端だが、

途中から研究者批評研究という公の立場を持ち出しているため、区別がついていないと思われる。

公の立場には公に相応しい言葉があり、当然集まる意見にもそれが反映される。

--------------

余談.「全ての本は素晴らしい」と考えている人はいるのか?

いない。

公の立場では「全ての本は平等」に過ぎず、

私の立場では「全ての本は平等ではない」。

--------------

5.今回のまとめ

「私」の立場で発信したのであれば、他人の「私」の意見も受け入れるべき。

反論を受けてから「公」の立場を持ち出すのは、「公」に相応しくないという点で悪手である

また、その二つの視点は明確に区別しなければならず、

研究者であるならば、嫌いなどの私情を挟まない冷静で平等視点で、相応しい言葉論理的批評しなければならない。

あくまでも私人としての意見であるならば、自らのためにも研究者立場を途中で持ち出したりせず、最後まで私人意見に留めたほうが無難

個人的には発端のツイートの内容はあくま私的意見であり、さして騒ぐようなものではないと思う。が、意見を言いたくなる人がいてもおかしくない。

ただし、途中で研究者という公的立場を持ち出したことで、認識として危険だと思ったためコレを書こうと思った。

ツイ主に敵意はない。出来れば本人に届いてほしいが、読みづらい文章申し訳ない。本を愛する気持ちは勿論自分もそうなので、よくわかる。




ここから本文

〜〜〜〜〜〜〜〜

1.筆者の思うツイート主の問題点

ツイート主のツイート及び意識問題点として以下がある。

・「公」と「私」の視点及び言葉遣いの混同

本人がこの視点区別がついていないことが、一番の問題なのではないかと思う。

--------------

2.「公」における良書主義について

まず前提として、日本には古く戦前に「良書主義」という考え方がある。

コレはざっくり言うと、

"世の中には(ツイ主の言葉を借りれば)「しょうもない」「薄っぺらい」=悪書存在し、それらは教育および教養において価値を持たない。歴史的・文学的に意味を持った良書のみに価値がある。"という考え方である

ただしコレは、例え「公」の立場が定めたものだとしても、突き詰めていけば、ツイ主も表明しているようにどこかの個人「私」の主観に基づくものである

そのため「公」とされる場所においては、近年ではこの考え方が否定されている。

「公」の最たる例が図書館(※1)である

"絶歌問題"と言えば大々的にニュースにもなり、記憶にある方も多いと思う。

大筋は以下。

①「こういった内容の図書図書館が置いて良いものか」と市民からクレームが入った

クレームを受けた一部図書館が該当の図書閉架=職員の出納が必要場所に置いたり、除籍とした

図書館対応として正しいのか議論が起こった

論点としては、

公的自治体である図書館が、特定出版物市民の目に入らないように検閲排除するのは正しいのか

・それは言論弾圧に繋がり、思想信条自由に反するのではないか

といったものである

議論の中、多くの図書館ではこの絶歌特別扱いせず、他の一般図書と同じように取り扱った。つまり開架=誰でも手に取れる場所に置いた。

この対応は良書主義への抵抗であり、

"本の評価は、読んだ各個人「私」に委ねられる。図書館「公」において、すべての本(すべての人間、すべての思想信条)は平等である"

という姿勢を強く示したものである

民主主義に端を発する図書館歴史を学んだ者であれば、この姿勢には拍手を送るだろう。

「公」においては、良書も悪書もあってはならない。

図書館ひいては司書職の人間私的判断で、特定の本への接続を薦めることまた同様に妨げることは越権行為であり絶対的タブーである。(※2)

また、この対応からも分かるように、本というもの個人思想信条人格と密接に紐付けられて考えられている。

一冊の本は一つの思想であり、一つの信条であり、一個の人である

二次戦前夜のドイツ焚書に対するハイネ言葉である「本を焼く者は、いずれ人間も焼くようになる」からもそれがよく分かる。

「公」の場において、特定の本を特例として扱い肯定否定することは、その本に書かれた思想およびその思想同調する人を肯定否定していることになる。

からこそ、良書主義言論統制思想弾圧に繋がるとして廃れていった。

ただし、繰り返すが、コレは「公」における話である

--------------

3.「私」における良書主義について

前述の通り、評価は「私」に委ねられる。

司書職の人間に、職務外で好きな本・嫌いな本を聞けば全員がその両方を答えるだろう。コレは「私」の範疇であるため自由である

ツイート主の発言に戻ると、

本人も表明しているように、発端となるツイートした時点での立場は明確に「私」である

マッチングアプリをしている私人としての発言しかない。自由である

そしてそこに、たくさんの「私」の反対意見が集まった。コレもまた自由であり、自然である

--------------

4.「公」と「私」の混同

問題はその後だ。

自然の摂理で発生した反対意見に不満を覚えたツイート主は、「批評」「研究」という言葉を持ち出して、文学研究をしている学生という立場から発言を始めた。

研究者言わずもがな公の存在である学生であっても、指導教員がおり、大学には国から補助金が出ている。

批評研究はもちろん存在するが、公には公に相応しい言葉がある。

しょうもない薄っぺらい、大嫌いという言葉で語られた批評存在しない。(文芸商業誌にならあるかもしれないが、当然「私」である)

研究者は、特定の作者・文書研究対象に選んだからといって、選ばなかった文書を見下しているかといえばそうではない。

(内心の「私」の部分ではそうであったとしても、それを「公」である研究の中で露悪的に表現することはない)

それが「公」における平等である

公に相応しい言葉を使って正しく批評していれば、反論であっても同じように公に相応しい言葉を使った建設的な意見が来ていただろう。

指導教員に聞いてみてほしいが、以下のように言われるはずだ。

個人としての発信なら問題ないが、研究者としての発信なら相応しい言葉ではない」

--------------

余談.「全ての本が素晴らしい」と思っている人はいるのか?

これはハッキリ言うが、いない。

公の立場では「全ての本は平等」に過ぎない。コレは法の下において、そうでなければならない。

私の立場では「全ての本は平等ではない」。コレは法の下において、また民主主義において、そうでなければならない。

ツイ主にアレコレ言ってる人は全ての本が素晴らしいと思ってそう言っているのではなく、

好きな本を貶された、好きではないけどその言い方はないでしょう、お前の態度が気に食わない、なんとなく鼻につく等等、一個人の「私」の立場から意見に過ぎない。

また途中から研究者立場を持ち出したことに対して違和感を覚えたり、それはダメでしょうと思ったり、マウントを取ろうとしていると捉えて不快になった人もいるだろう。

何度も言うが「私」の立場からであれば自由自然健全である

ただし、当然、誹謗中傷や現行の法に触れる発言自由範疇外なので、コレについては受け入れる必要はない。(警察に行ってください)

--------------

5.今回の件のまとめ

ツイート主は「私」の立場で「私」の言葉を使い、

特定の本およびその本を好む人を選別・選民したために、

「私」の立場から「私」の言葉反論不快感の表明、揶揄が集まった

(自然な流れ)

これに尽きる。

「私」の言葉を使った時点で、「私」の言葉は集まってくる。

そして、後から「公」ぶるのは無理があり、「公」の在り方に照らせば悪手だ。

まり公と私を混ぜるな危険。ということで一度冷静になって考えてほしい。

研究者ポーズを取って「批評という文化に馴染みがない…?」等と煽っているが、それこそ公に相応しい言葉を用いた批評という文化に対して失礼である

研究者であろうが、ツイッター発言している時点で"私"の立場です。だから自由でしょ?」というなら納得できる。しかし、ならば他の人の「私」の意見が集まることも受け入れなければならない。

何度も言うが研究者という「公」の立場を取るのであれば、「私」の好き嫌いを挟むことは相応しくない。

この区別をはっきりさせて、「公」の姿勢理解していないと、研究者としては危険すぎる。

※1) 公の最たるものには文書館もある。文書館は歴史的・文学的に保存価値があるものが選別され保管されている。そこには「公」=研究者による評価判断が下されている。

ただし、文書館および文書職員は当然「文書館に所蔵されない本はしょうもない薄っぺらい。大嫌い」等とは言わない。

あくまでも歴史文学的な保存価値という一要素を選書基準としているに過ぎないからであり、良書・悪書を選別しているわけではないかである

また、勿論そういった言葉が「公」に相応しい言葉ではないかである


※2)近年ではCCC一般企業の参入、指定管理業務委託といった制度により、自社や関係各社に利益が上がるような本の取り扱い方をしている図書館もある。しか本来図書館の在り方としてはこの限りではない。実際に問題にもなっている。

2023-06-10

anond:20230610124926

アメリカでは、今まで見て見ぬふりされてきた図書館の本を総合チェックする取り組みを始めたらしいね

アンネの日記聖書といった、名著扱いされてきた本も平等審査を受けており、問題があれば閉架になるんだって

日本でもはだしのゲンとか、あたらしい歴史教科書つくる会の本を図書館から外す動きがこれまでもあった。

今後は世界中で取り組みが進んでいくんだろうな。

anond:20230610124750

すでにそうなりつつあるよ、廃棄されなくても閉架とか

2023-05-11

anond:20230511225334

スーパーで棚から取ったものを元の場所に戻すとか大草

バレなければ床に投げつけたっていいだろ?甘い管理でザルにやってるんだから。不満なら閉架式にすればいい。それをしないスーパー問題がある

私は床に投げつけるようなことはしないが野菜だろうが魚だろうが要らなくなったらそこが味噌売り場だろうが冷凍食品売場だろうがその棚に置くわ

2022-11-20

anond:20221120112016

本を大事にしたいなら全て閉架にして、検索機でも置いとけばいいのにね。

2022-08-27

anond:20220826184237

から、それ専用にすればよいのにってこと。図書館全体を閉架扱いにするっていう意味

2021-09-20

フェミニズム議連の抗議の件

抗議はしてもいい、というかするべきだと思う。

ただ、団体としてしかもそれなりに公的要素をもって、なおかつきちんと学習機会のある集団なんだから、理路はきちんとしておけと。

フェミニズムは、どんな人でも声をあげられるようにする運動だと思うからこそ、そう思う。

学がなくたっていい、知恵がなくなたっていい、倫理すら、反社の人だって、痛いことを痛いって言える運動で、今まで声を上げられなかった人に声をあげられるようにする力を与える運動なんだから

そういう本当に弱い人たちが、声をあげられる道筋を立てろよと思うのよ。

いや、弱くなくたって、言えない立場であるだって、言えるようにする運動だって思うし。

そもそもこういう行為を反撃的に使われだしたのが2000年前後代表的なのははだしのゲン閉架問い合わせだったりしたわけで、そういう時代も知っているだろうに、何やっているのと。

あれが警察機関としてPRに使うのはどうか、というのは確かにありうる視点だし、あの服装や造形が女性への差別性の再生産性を持っているというのは、確かにいかけるに値する問題だとは思う。

まあ正直それを言い出したら、将来的に整形だとか、もっと未来的に考えれば、義体としての顔や体が作られる時代になってきたら、どうなのかとか、個人的には思うけれども。

その上での話をしてほしいんだよなぁ。

率直に言えば、抗議の仕方も価値観も、昭和だなぁとは思う。

世間の反発の最大は、たぶん、その時代遅れにもある。

2021-08-03

本を勝手に移動しないでほしいわあ。

タイトルじゃなくて並びで覚えてたんだもん。読みたい本。

このコーナーにあの本があってえ、その右隣りの何番目か横にあの本があってえって感じ。

興味のジャンルが固ってると読みたい本もだいたい一つの場所に固まってるからね。

それが単に移動したんじゃなくてある棚の何段目の本がまるごと閉架されちゃったんだよねえ。

移動させられた本の相対的な配置関係は多分変わってないから見せてもらえれば読みたい本探せるのに、閉架されちゃってそれが敵わないのはがゆい

本の配置いじるならそれまでにタイトルメモっとくから予告してよ。

2021-02-09

anond:20210209101313

茅野市民館の平面図を見て、併せて「市民管理運営計画」を走り読みして推察してみた。間違ってたらごめんなさい。

組織計画基本方針で「3部門」=ホール機能美術館機能コミュニティ機能が挙げられており、図書室は挙げられていない(設計概要建築用途には図書室の記載あり)。

美術館部門には、付属する収蔵庫があり、展示室と同じくらいの面積が確保され、コンクリートらしき壁で閉鎖されている。対して、近い機能が求められる閉架書庫は(作ろうと思えば可能だったはずが)見当たらない。

普通図書館では、日焼けや虫食いを避ける貴重本は閉架式の書庫で保存し、貸し出しも制限される。また開架式の書庫でも、閲覧ゾーンは日当たりの良い窓辺に計画されることも多いが、本棚自体空間中央付近に固められるのが一般的

美術館には収蔵庫という似たような機能設備付属させたのに、図書室にまともな書庫が見当たらないのは、発注者設計者とも書庫不要だと判断したと考えられる。というか、そもそも図書館を造るつもりが無かったのだと。

図書「館」の機能収集・整理・保存・提供のうち、ココの図書室では提供けが行われている、つまり図書「館」の機能は当初から求められていないと考えられる。ガラスの箱の部屋に本棚を作っている時点で、図書館としての保存機能は切り捨てたのだろう。

開かれたコミュニティを目指し、開放感のあるガラスの箱が造られ、その中で本に自由に触れられるスペース=図書室が設けられた、と考えるべき。

anond:20210209152132

何度言ったら分かるんだろう。これは図書館じゃなくて図書室。図書コーナーなの。閉架もないの。重要書物なんて置いてないのよ。そういうところすっ飛ばして「図書館」というワードでギャおる人って普段本読んでる意味あるの?w

2018-08-18

高知県立大焚書記事問題を元大学図書館の人視点から

高知新聞記事見出しを見たときツタヤ図書館的なことを

大学図書館がやるなんて世も末だなと衝撃受けたけど

記事読んだら通常業務してるだけじゃねーか!と二度びっくりしたので

図書館私立大学)の中の人として補足を書くことにした。

蔵書を廃棄するまで

図書館書架が有限である以上、図書は買った分だけ捨てないと書架に収まらない。

購入・整備と同じように廃棄も定常業務ひとつ

購入→開架閉架検討→廃棄

通常、図書を購入して廃棄するまでは上記の流れを辿る。

  1. 購入図書は新着図書コーナーを経て開架配架
  2. 開架配架されている図書のうち一定期間(うちは3年)貸出利用されていない図書閉架に移動。
  3. 閉架配架された図書で閲覧申請があったもの開架に戻す。
  4. 閉架配架された図書さら一定期間(うちは5年~20年)閲覧申請がない図書図書館職員が廃棄リスト作成※。
  5. 大学図書館委員会(各学科図書担当教員)に廃棄リストを提出し承認を得る。
  6. 研究室に廃棄リストを配布し、欲しい本があれば研究室譲渡
  7. 廃棄。

オプション

 ※図書館職員の廃棄選定基準

  複本、新訂版有無、電子版有無、利用頻度、連携図書館国立国会図書館所蔵有無

図書価値を決めるもの

 大学にもよるだろうけど、本当の貴重書・重要度の高い図書図書館にはなく研究室にあったりする。

 特定専門分野の第一人者定年退職し、後任研究者がいないと研究室所蔵図書価値がわかる人がいなくなり、あえなく廃棄処分になるケースも何回か経験してきた。

 大学図書館にとって図書価値基準教育研究対象関連であるか否かである程度決まってくる。 

大学図書館役割はなにか

 そもそも大学図書館図書館法下の図書館ではなく、学校教育法下の図書館である

 大学図書館役割第一研究者学生のための図書雑誌等を所蔵し供与することであり今後も変わらないだろう。

 郷土資料の保存や収集公立図書館博物館役割で、県立であっても大学図書館が担う必要はないように思う。

 ただ、郷土資料を大量に廃棄するときは、公立図書館博物館に一声かけ配慮はあってよかったようには思う。

大学図書館収蔵能力減少の原因

 最近は偉大なる文科省中教審様の御宣託であったり千葉大成功事例であったりで大学図書館

 「主体的学修を支える図書館の充実や開館時間の延長、学生による協働学修の場の充実」を求められるようになった。

 以降、大学図書館を新設・改修するとラーニングコモンズとしてグループ学習設備内装予算とスペースが割かれるようになった。

 既存改修で閉架書架を潰してグループ学習室設置した大学図書館もある。

 余談だけど、千葉大西千葉猿真似ラーニングコモンズ作ってる多くの大学図書館ファミレス化してて残念な気持ちになる。

蛇足:一部のネットdeワイドショーな方へ

 ただただ自分信条感想を断言してスター稼ぐ前に、ご自身周辺情報をある程度把握をした上でコメントしませんか。

 ネット検索しても周辺情報に辿り着けない場合は最寄りの公共図書館にご相談ください。

 司書レファレンスサービス提供しています

2017-09-15

anond:20170914235144

タグアクセス制御ではない。タグゾーニング機能でもない。タグコンテンツ属性を列挙したもので、コンテンツ客観的中立的機械的に分類するためにある。"一松(おそ松さん)"が適切なタグだ。注意タグが欲しければ別に足せ。入れられるタグの数が足りなければ運営に言え。国内サービスは大体足りてないが。

検索避け記号文脈を持ち込む。媒体が受け持つべき内容を管理情報領域にはみ出させている。文脈はいずれ失われ、検索避けタグ意味をなさなくなる。タグ自体コンテンツ性が失われることには問題はないかもしれないが、コンテンツの分類情報は失われる。図書館閉架だって番号は振られている。そこに番号体系から外れた勝手な付番をすれば索引意味がなくなってしまう。誰かがそれをやり直さねばならないし、そうなれば勝手ゾーニング意味をなさない。

よく機械処理する様式があって「この部分には何も書かないでください」なんて書かれた枠があるだろう。検索避け遊びはあの部分へのいたずら書きだ。うまく書けばその用紙は見て面白いかもしれないが、いたずら書きをした紙をシステムへ読み込ませ、あまつさえ他人に推奨するのは迷惑行為しかない。

2015-11-19

電子図書館についての提言

全ての本を電子化して、電子データ国立電子図書館管理して、ネット経由で貸し出せばいい。

データ形式pdfDRMはかけない。(図書館で借りた本をコピーできないなんて事は無いわけだし)

未返却と除籍、汚損・破損

未返却のまま除籍される図書館の本は全国でものすごい量に登る。そんな未返却問題が一斉に解決する。

図書館員の憂鬱仕事の一つにその督促業務がある。それも一切無くなる。

また、本が破損したとか、汚れたとか、そういうことが一切起きない。

児童書ボロボロなのを見たことある人もいるだろう。

それを補修するのも図書館員仕事だが、これ一切無くなる。

またそれに伴い、貴重な閉架図書もガンガン貸し出せるし、高額な本も余裕で貸し出しOKとなる。

利用者の利便

図書館の大きな役割の一つに、知を広く市民に広めるというものがある。

だが、図書館は基本日しか開いていない。サラリーマンは土日しか知に触れられない。

多くの図書館月曜日が定休だ。月曜日市民は知に触れられない。

人気のある本は何百人も貸出を待っている。待っている間はその本には触れられない。

図書館が遠くにある人は、図書館までわざわざ出向かないと知に触れられない。

運転免許が無かったら? 怪我をしていたら? 悪天候だったら?

そんな問題も一気に解決だ。

そして何より、「借りたいと思っていた本が図書館にない」なんてことがなくなる。

借りたい本が具体的に決まってるなら、他のどこよりも、この国立電子図書館にある確率が高い。

当然、借りたいと思い立ったらすぐに借りられる。

文化や知識の保存

図書館の大きな役割の一つに、文化や知識の保存というものがある。

この役割に大きな足かせとなっている問題が二点。

まず一点目は図書購入予算。二点目は図書館物理空間だ。

電子図書館ができれば、全国の図書館で同じ本を買う必要がなくなる。ここでまず購入予算が大幅に浮く。

そして、物理的な空間も一切不要となる。棚も不要。そもそも図書館という建物不要になる。

全国にある公共図書館は3200以上。これらのほとんどがいらなくなるのだ。司書も大いに減らせる。

都道府県に一つ中央図書館くらいは残しておくべきだとは思うが)

ただ、これまで日本全国で図書館に使われていた予算のうち相当な部分が浮くことになるのは間違いない。

そのお金で、世界中の本、地方の零細出版社の本、昔の本などをガンガン電子化していこう。

知識の森はどんどん豊かになる。

メディア

CDDVD(やBD)も、一部は図書館にあり、貸し出されている。

少ししかない理由は図書購入予算円盤は高い。

だがそんな制約ももう無くなる。全国に一つだけの国立電子図書館で購入すればいいからだ。

これでまた知識の森が豊かになる。

レファレンス

図書館司書が大量に余る。

が、これで彼ら彼女らは本来業務レファレンスサービスだけに特化できるようになる。

pdfデータOCRしておけば検索が極めて楽になる。

Yahoo!知恵袋みたいな形でレファレンス履歴を蓄積していけば、優秀な司書も分かるようになるだろう。

そのうち、利用者レファレンス履歴検索すれば望む本にたどり着けることも多くなるはず。

本来レファレンス業務がぜんぜんできない」などと嘆いている司書の皆様には、

是非競争原理のなかで切磋琢磨して生き残りを目指していただきたい。

その他

書店死ぬ出版社死ぬ、そして著者が死ぬ問題

この文章は、「図書館役割を究極的に考えた場合」の思考実験なので、このあたりはスルー

公共貸与権を設けるなり、一年猶予を設けるなり、対策必要だろう。

2015-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20151010083240

実家の町には丸善紀伊国屋もなかったから、あのころ図書館には世話になった。

でも、今はAmazonで事足りる。

絶版でも、だいたいの本はマーケットプレイスヤフオクで手に入る。

もちろん、それでも手に入らないものは、図書館でほうぼうの図書館から探して取り寄せてもらうしかないんだが。

図書館が好き、というのは、雰囲気が好きということなんだろ?

わからんでもない。

でも、好き嫌いというレベルであって、本当に困るか困らないかといったら、全部閉架でも困らない。

国会図書館にもないような地方郷土資料あったらいいなとは思う。

俺の小学校は過疎で廃校になったから、小学校歴史が辿れる資料があったらと思うが、小学校同窓会誌など、名前も住所も載ってる個人情報の塊のようなものなので、なかなかそうもいくまい。

日頃ろくに図書館を利用してない俺がいうのもあれだが、今までの利用者には不評でも、利用者数が増えたなら、受け入れるしかないじゃないか。

お前らのためだけの図書館じゃないわけだし。

自分たちお金を出し合って、会員制の図書館でも作るしかない。

市の体育館トレーニングルームが、ダンベルやバーベルだけのガチマッチョ向けの無骨な部屋からマシンゴムチューブバランスボールだらけの老人向けの施設に変わっても、文句はいえないだろ?

2015-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20151003222152

国民資料を利用できる権利。わかる。

資料収集すべき。わかる。

人気本が誰でも無料で読めるべき。わからない。

書籍購入のインフラが整ってなかった頃は、新刊だって貸し出す必要はあったと思う。

今でも田舎では本屋さんがない町はたくさんある。

私の実家のある町だって本屋さんはあるものの、教科書学習参考書と人気漫画雑誌くらいしか置いてなかった。

一部のベストセラー本以外は、基本的に本は取り寄せだった。

ブックオフゲオみたいな中古本屋も、レンタルビデオも、CDショップもなかった。

本は個人で購入するものじゃなくて、図書館で借りたり、友人同士で回し読みしたりする共有財産としての性格が強かった。

漫画も、CDも、ゲームも。

そういう時代じゃないでしょ?

Amazonでも紀伊国屋でもセブンBOOKでも、田舎でも2日で届く。

Amazonマーケットプレイスヤフオク古書だってだいたい手に入る。

都会なら、ベストセラー本なら半年も待てばブックオフに並ぶ。

新刊本は全部閉架にしても乞食以外は誰も困らない。

2014-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20140814201458

1.借りて帰って家で読めばよい

2.買って読めばよい

個人的には、買わない本は身にならないと考えてる派なので2の一択

普通に考えりゃ借りて帰りゃいいんじゃ、あんな本、閉架なわけないし

あの学校の魅力は、勉強ばっかりしてる馬鹿も、本物の馬鹿も、等しく「馬鹿」として尊重されるというところなので

たまたま図書館で本を読みました、面白くて止まらなくなって夜階段で本読んでたら警備員に怒られたでござる、興ざめでござる

程度のことで差別化が図れると思ってたら、自意識けが肥大した孤独で達成感もない残念な学生生活になる

そういう人たちもたくさん生み出している

2014-05-16

美味しんぼ店頭販売自粛の件

ビッグコミック・スピリッツは、事実上の『閉架処置』で 『販売粛清』 - JUNSKY blog 2014

ブコメではデマ扱いされてるけど、俺の働いてる大手書店チェーンでは「スピリッツ」を店頭から引き下げるように本部から指示があった。

返品するのではなく問い合わせがあれば販売する点も同じ。次号についてはとりあえず通常販売とのことだった。

ただし「もっと上の協会か協議会」なんて出てこない。風評被害助長する内容だから、みたいな説明で自社の判断だ。

帝都新聞社社主あたりからウチの社長に直接要請があったのを隠してるのかもしれないけどな。

2014-05-02

東京23区と政令市地方との図書館格差

http://anond.hatelabo.jp/20140502221658

読破したのは、薬師院はるみ「名古屋市の1区1館がたどった道」という本だが、

 このタイトル自体東京23区居住者には違和感がある。

 というのは、名古屋横浜大阪のような政令市では「1つの区に1~2館」というのが実情だが、東京23区では

 「区内で7館とか10館」というのが、ごく当たり前の状況になっている。

 

 政令市だと「図書館から半径1キロ圏内の人口より、半径1キロ圏外の人口の方が多い」、

 つまり図書館が徒歩圏外にしか存在しないエリアの住民の方が多い」のだが、

 東京23区では「図書館から半径1キロ圏内の人口の方が、半径1キロ圏外の人口より多い、

 それだけ図書館網が区内をくまなくカバーしている」状況である。 

 東京23区の図書館環境に慣れてしまった身には、政令市図書館状況というのは「まことにお寒い状況」に見えてしまうし、

 おそらく図書館利用率も、徒歩で図書館アクセスできる23区と、そうでない政令市では、全然違っていると思う。

 ましてや、図書館が整備されてない通常の市、或は郡部とでは、利用率は月とスッポンだろう。

 多分、23区住まいの方が、読書欲が多く、かつ経済的にも余裕があって、

 本来なら「小説家にとって、お客様を多数抱えているハズの商圏」なんだが、

 そういうエリアでくまなく図書館ネットワークが構築されちゃっているから、小説家の怒りも相当なんだろう。

★あと、「住民1人当たりの図書館館数1位は富山県だ、だから富山が進んでいる」という言説があったが、

 これには違和感がある。

 

 利用者にとっては、人口当たりの館数なんていう数値はあまり意味がなく、

 「徒歩圏内に図書館があるかどうか?」それが大きいと思う。

 

 クルマを運転できる大人なら徒歩圏云々はあまり関係ないが、クルマ自力で運転できない小中学生にとっては、

 「徒歩圏内に図書館があるか否か?」は、「図書館を気軽に利用するようになるか、否か?」の分水嶺になってしまう。

 その意味では「徒歩圏内に図書館サービスが行き届いている23区が、圧倒的に進んでいる」と思う。

名古屋図書館整備の歴史より、

 「なぜ東京23区は、ここまで図書館王国になったのか?歴史的背景は何か?」

 という歴史の方が、はるかに興味深い。

図書館プロって、この「徒歩アクセスできるかどうか?」の観点をあまり重視してないような気がする。

 図書館関係者って、「図書館が果たすリファレンス役割」とか、とかく大上段に構えがち。

 でも、図書館利用者の9割は、そういうことを気にせずに、「タダで本を読める、読書欲を満たせる」という単純な理由で

 利用していて、図書館関係者の高尚な想いと、ズレてる気がする。

 だから図書館関係者が「図書館役割向上」という場合

 「リファレンス機能の向上云々」という話に飛んでいくが、

 利用者目線だと「徒歩圏内にサテライト館が欲しい、貸出冊数・期間を拡大してほしい、開館時間を延長してほしい」

 という利便性の話になっちゃう。

 この辺の意識のずれは、何とかならないか?

★そもそもレファレンス機能アーカイブ機能は、国会図書館都道府県中央図書館が主に担えばいい話であって、

 市区町村図書館、それもサテライト館は、とにかく利便性向上につとめればいいのでは、とも思う。

 本を読む、という場合

 1.明確な目的意識で、何等かの調査をする場合

 2.なんとなく、読書欲を満たしたい

 という2つがあって、1.の場合レファレンス機能アーカイブ機能重要になる。

 また、蔵書数は多ければ多い方がいい。

 (逆に利便性はさほど問われない。閉架や禁帯出でも仕方ない)

 でも2.の場合は、他館からの取り寄せ機能さえしっかりさせておけば、

 蔵書数にはこだわることはない。リファレンス機能もあまりいらない。

 それより利便性が命になる。

 プロは1.ばかり見て、市民は2.を渇望している。

2014-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20140223160837

ごめん、閉架じゃなくて「禁帯出」というんだっけ?

名称は忘れたが、「貸し出しはできません、図書館内でのみ閲覧可能です」という本が結構区立中央図書館では多くて、悔しい思いをしている。

人間蔵書共有サービスアイデア、「ヤマトライブラリー

以前「神保町古本を、有料レンタルするサービスツタヤが作ってくれれば、自分は利用するのに」というエントリ増田投稿したが、

その変形のビジネスアイデアを思いついた。

喫茶店や待合室の蔵書リストを、スマホで共有化する」というサービスはあるようだが、

自分アイデアは、個人が持っているプライベート蔵書を、セミパブリックにする、というもの

★有料会員制。入会時に会費1万円は払うが、それ以外の会費はゼロ

 退会時に会費は返却。つまり1万円はデポジット

★会員は、まず入会金をデポジットしたうえで、自宅にある蔵書で「共用してもいい本」を最低10冊以上登録する。

 (確証として、写真をアップする)

★他の会員の本を「借りたい」人は、その旨を会員に伝える。

 →貸主の会員は、借主へ本をヤマト特別便、「料金受取人払」で送る。

 

★借主は読み終えたら、貸してくれた人へ料金差出人払いのヤマト特別便で送る。

 つまりヤマト運輸の往復送料は「借りる人」が負担する。

 

★貸す人の経済負担はないが、特に収入もない。

 貸す側はボランティアで本を貸す。

★貸出期間は最長1か月とする。

 万一、1か月以内に本を返却しなかったり、今回のアンネの日記みたく本が破損された場合は、

 ペナルティとしてデポジットの1万円を没収して、強制退会となる。

 被害を受けた側は、この1万円を弁償代として受領

 (最初に本の写真をアップさせるのは、初期時の本が破損されてないことを状況確認するためでもある)

★また、「貸してくれ」とリクエスト受けたのに、一向に本を貸さないような会員も強制退会

安全のため、会員は同時に2冊以上の本は借りれない。

 次の本を読みたければ、まず今借りている本を返す。

実名・実住所での発送には抵抗感あるだろうから

 一部ネットオークションにあるような仮名発送を認める。

 会員は実名実住所と、「ペンネーム」をヤマト運輸に届け出る。

 ヤマト運輸は、ペンネームで書かれた発送先を、自社内の照合リストに従って、実名実住所にコンバートして発送する・

活性化のため、「読書感想」をサイト内に投稿できるようにする。

 多くの貸出をした人、多くの貸出を受けた人、多くの感想をアップした人には、ポイントを与えて、

 最多ポイントの人には賞品を与える。

★「最初に10冊の本を登録する」というのは、「それなりに、本が好きな人」というハードルを設定した、ということ。

 本好きが、互いの本棚を見てみたい、互いの蔵書を交換することでコミュニティーを作りたい、というのがこのサービスの根幹。

★会員になることで、「他の人の本を千円程度で読める」というメリットと、「読書愛好家同士と交流できる」というメリットがある。

★想定ターゲット団塊世代

 彼らが家に持っている蔵書は、70年代・80年代の蔵書で、国会図書館にはあっても、市民図書館では既に廃棄されていたり、閉架扱いになってたりして、

 「自宅で70年代の懐かしい本を熟読する」ということが、なかなかできない。

 その夢をかなえることができる。

★仮に100万人が10冊を登録すると、その累計蔵書数は1,000万冊になる。これは国会図書館匹敵する蔵書数。

★このサービスは、趣旨ボランティアに支えられているのだが、そうはいっても運営にある程度のコストはかかる。

 誰がこのコスト負担するか?が問題だが、自分は「ヤマト運輸自身が、このサービス提供する」ことで、このネックは解決すると思う。

 つまりヤマト運輸は、このサイト運営で少しコストが出て行ってしまうが、一方で配送料収入を得ることができる。

 電子書籍じゃない、「リアルな紙書籍」を物流交換させることで、輸送需要喚起されることになる。

 このサービスのネーミングはシンプルに、「ヤマトライブラリー」でいいと思う。

こういうサービスがあれば即刻会員登録しまからヤマトさんサービス作ってください。

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