はてなキーワード: 主の言葉とは
この長文を書いている間にツイート主が自ら問題点に気付いたようなのですが、一応書いたので載せます。
公に相応しい言葉を使われた「夢をかなえるゾウ」の批評論文は普通に読みたい。
勢いに任せて書いていたら思いの外長文乱文になってしまった。歴史については細部に誤りがあるかもしれません。ご容赦ください。
発端と一連のツイート↓
https://twitter.com/dfuz4/status/1672629861524062213?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672958086733250562?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672973973825650689?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
https://twitter.com/dfuz4/status/1672965101517955073?s=46&t=RfgMyrvtZQTMi53tj0NN1A
長いので要点まとめをしました。
この時点で既に長いですが、この下に本文があります。
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2.「公」における良書主義について
公による良書主義は、先の大戦で見られた悲惨な言論統制、思想弾圧に繋がる。
民主主義においては、全ての本、全ての人、全ての思想信条は法の下に平等に扱われるべきとされる。
また歴史的に見ても、本と人間(思想・信条)は密接に紐づいており、
公の姿勢としてその部分が守られているため、
特定の本を否定することで人格を否定されたと考える人が現れてもおかしくはない。
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3.「私」における良書主義について
公の立場からしても、本来良書・悪書の判断は個人に委ねられるべきとされている。
ただし、文字通り一人一派であり、そうでなくてはならないため、
当然、他人からも私人の立場から私人の言葉で反論される場合がある。これもまた自由であり、自然かつ健全である。
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4.「公」と「私」の混同
マッチングアプリを使っている1ツイッタラーは「私」の立場である。
前述の通り、私人の立場で、私人の言葉を使ったことが発端だが、
途中から研究者、批評・研究という公の立場を持ち出しているため、区別がついていないと思われる。
公の立場には公に相応しい言葉があり、当然集まる意見にもそれが反映される。
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余談.「全ての本は素晴らしい」と考えている人はいるのか?
いない。
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5.今回のまとめ
「私」の立場で発信したのであれば、他人の「私」の意見も受け入れるべき。
反論を受けてから「公」の立場を持ち出すのは、「公」に相応しくないという点で悪手である。
研究者であるならば、嫌いなどの私情を挟まない冷静で平等な視点で、相応しい言葉で論理的に批評しなければならない。
あくまでも私人としての意見であるならば、自らのためにも研究者の立場を途中で持ち出したりせず、最後まで私人の意見に留めたほうが無難。
個人的には発端のツイートの内容はあくまで私的な意見であり、さして騒ぐようなものではないと思う。が、意見を言いたくなる人がいてもおかしくない。
ただし、途中で研究者という公的な立場を持ち出したことで、認識として危険だと思ったためコレを書こうと思った。
ツイ主に敵意はない。出来れば本人に届いてほしいが、読みづらい文章で申し訳ない。本を愛する気持ちは勿論自分もそうなので、よくわかる。
ここから本文
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本人がこの視点の区別がついていないことが、一番の問題なのではないかと思う。
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2.「公」における良書主義について
まず前提として、日本には古く戦前に「良書主義」という考え方がある。
コレはざっくり言うと、
"世の中には(ツイ主の言葉を借りれば)「しょうもない」「薄っぺらい」=悪書が存在し、それらは教育および教養において価値を持たない。歴史的・文学的に意味を持った良書のみに価値がある。"という考え方である。
ただしコレは、例え「公」の立場が定めたものだとしても、突き詰めていけば、ツイ主も表明しているようにどこかの個人「私」の主観に基づくものである。
そのため「公」とされる場所においては、近年ではこの考え方が否定されている。
"絶歌問題"と言えば大々的にニュースにもなり、記憶にある方も多いと思う。
大筋は以下。
①「こういった内容の図書を図書館が置いて良いものか」と市民からクレームが入った
②クレームを受けた一部図書館が該当の図書を閉架=職員の出納が必要な場所に置いたり、除籍とした
論点としては、
・公的な自治体である図書館が、特定の出版物を市民の目に入らないように検閲・排除するのは正しいのか
・それは言論弾圧に繋がり、思想信条の自由に反するのではないか
議論の中、多くの図書館ではこの絶歌を特別扱いせず、他の一般図書と同じように取り扱った。つまり開架=誰でも手に取れる場所に置いた。
"本の評価は、読んだ各個人「私」に委ねられる。図書館「公」において、すべての本(すべての人間、すべての思想信条)は平等である"
民主主義に端を発する図書館の歴史を学んだ者であれば、この姿勢には拍手を送るだろう。
「公」においては、良書も悪書もあってはならない。
図書館ひいては司書職の人間が私的な判断で、特定の本への接続を薦めることまた同様に妨げることは越権行為であり絶対的なタブーである。(※2)
また、この対応からも分かるように、本というものは個人の思想・信条・人格と密接に紐付けられて考えられている。
一冊の本は一つの思想であり、一つの信条であり、一個の人である。
第二次対戦前夜のドイツの焚書に対するハイネの言葉である「本を焼く者は、いずれ人間も焼くようになる」からもそれがよく分かる。
「公」の場において、特定の本を特例として扱い肯定・否定することは、その本に書かれた思想およびその思想に同調する人を肯定・否定していることになる。
だからこそ、良書主義は言論統制や思想弾圧に繋がるとして廃れていった。
ただし、繰り返すが、コレは「公」における話である。
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3.「私」における良書主義について
前述の通り、評価は「私」に委ねられる。
司書職の人間に、職務外で好きな本・嫌いな本を聞けば全員がその両方を答えるだろう。コレは「私」の範疇であるため自由である。
本人も表明しているように、発端となるツイートした時点での立場は明確に「私」である。
マッチングアプリをしている私人としての発言でしかない。自由である。
そしてそこに、たくさんの「私」の反対意見が集まった。コレもまた自由であり、自然である。
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4.「公」と「私」の混同
問題はその後だ。
自然の摂理で発生した反対意見に不満を覚えたツイート主は、「批評」「研究」という言葉を持ち出して、文学研究をしている学生という立場から発言を始めた。
研究者は言わずもがな公の存在である。学生であっても、指導教員がおり、大学には国から補助金が出ている。
批評や研究はもちろん存在するが、公には公に相応しい言葉がある。
しょうもない、薄っぺらい、大嫌いという言葉で語られた批評は存在しない。(文芸商業誌にならあるかもしれないが、当然「私」である)
研究者は、特定の作者・文書を研究対象に選んだからといって、選ばなかった文書を見下しているかといえばそうではない。
(内心の「私」の部分ではそうであったとしても、それを「公」である研究の中で露悪的に表現することはない)
公に相応しい言葉を使って正しく批評していれば、反論であっても同じように公に相応しい言葉を使った建設的な意見が来ていただろう。
「個人としての発信なら問題ないが、研究者としての発信なら相応しい言葉ではない」
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余談.「全ての本が素晴らしい」と思っている人はいるのか?
これはハッキリ言うが、いない。
公の立場では「全ての本は平等」に過ぎない。コレは法の下において、そうでなければならない。
私の立場では「全ての本は平等ではない」。コレは法の下において、また民主主義において、そうでなければならない。
ツイ主にアレコレ言ってる人は全ての本が素晴らしいと思ってそう言っているのではなく、
好きな本を貶された、好きではないけどその言い方はないでしょう、お前の態度が気に食わない、なんとなく鼻につく等等、一個人の「私」の立場からの意見に過ぎない。
また途中から研究者の立場を持ち出したことに対して違和感を覚えたり、それはダメでしょうと思ったり、マウントを取ろうとしていると捉えて不快になった人もいるだろう。
何度も言うが「私」の立場からであれば自由で自然で健全である。
ただし、当然、誹謗中傷や現行の法に触れる発言は自由の範疇外なので、コレについては受け入れる必要はない。(警察に行ってください)
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5.今回の件のまとめ
「私」の立場から「私」の言葉で反論、不快感の表明、揶揄が集まった
(自然な流れ)
これに尽きる。
そして、後から「公」ぶるのは無理があり、「公」の在り方に照らせば悪手だ。
つまり公と私を混ぜるな危険。ということで一度冷静になって考えてほしい。
研究者のポーズを取って「批評という文化に馴染みがない…?」等と煽っているが、それこそ公に相応しい言葉を用いた批評という文化に対して失礼である。
「研究者であろうが、ツイッターで発言している時点で"私"の立場です。だから自由でしょ?」というなら納得できる。しかし、ならば他の人の「私」の意見が集まることも受け入れなければならない。
何度も言うが研究者という「公」の立場を取るのであれば、「私」の好き嫌いを挟むことは相応しくない。
この区別をはっきりさせて、「公」の姿勢を理解していないと、研究者としては危険すぎる。
※1) 公の最たるものには文書館もある。文書館は歴史的・文学的に保存価値があるものが選別され保管されている。そこには「公」=研究者による評価判断が下されている。
ただし、文書館および文書館職員は当然「文書館に所蔵されない本はしょうもない。薄っぺらい。大嫌い」等とは言わない。
あくまでも歴史的文学的な保存価値という一要素を選書基準としているに過ぎないからであり、良書・悪書を選別しているわけではないからである。
また、勿論そういった言葉が「公」に相応しい言葉ではないからである。
※2)近年ではCCC等一般企業の参入、指定管理、業務委託といった制度により、自社や関係各社に利益が上がるような本の取り扱い方をしている図書館もある。しかし本来の図書館の在り方としてはこの限りではない。実際に問題にもなっている。
主の言葉借りてるだけなのに何いってんだ?
とされる理由は
1、種も仕掛けもあることが半ば周知である
2、仮に超能力等だと誤認されても実害が少ない
だと思う。
では某メンタリストはどうか?
まだ売出し中の頃、明らかに物理的なトリックのある手品を「メンタリズム」という言葉で脚色して、まるで心理学的なアプローチのみで成功させているかのように演出していた。
あれが「(物理的な)種も仕掛けもある」マジックであったことは、ある程度リテラシーのある人間にとっては自明だったと思われるが、一方で本気で「メンタリズム」を信じ込んだ層も少なくなかったように思われる。
つまり、そういった層に対しては1は成立していない。
さらに彼はそのメンタリズムで高めた名声をベースにして、あれやこれやと動画を発信して金を集めている。
彼のメンタリズムが単なるマジックだと理解した上でお布施をする人間については好きにすればいいが、もしも「【まるで手品のような】心理学的技量の持ち主の言葉は信頼に値する」と考えて彼を支持している人がいたとすれば、その人は誤認によって実害を被っていることにならないだろうか。
もちろん1と2の両方が成立していないからといって、それがそのまま厳密な意味での「詐欺」であるとは言い切れないと思うが、悪質な詐称行為であるとはいえるだろう。
問題なのはメンタリズムが「種も仕掛けもある」とも「種も仕掛けもない」とも明言されていないことである。
それがその場のショーで終わるならばボヤかして済ませても構わないが、自分の発言の信頼性の基盤とするならば、そこをはっきりとさせておく義務が彼にはあるはずだ。
「種も仕掛けもある」ならば、そう明言すれば問題ない。
万が一「種も仕掛けもない」のであっても、やはりそれを明確に断言すべきだろう。
実害を伴う可能性のあることなのだから、場合によっては徹底的な検証が為されることになるだろう。
いずれにしても、今の彼のやり方が誠実であるとは私は思えない。
三月の機械室は寒い。ビル全体に快適な空調を提供するための機械が詰め込まれ、常に忙しく稼働しているが、地下三階のこの部屋自体は空調の対象外だ。本来人間のいる部屋ではないから当然である。
束の間静かになったかと思うと、あちらの機器が動き、こちらの機器が唸る。遥か上層まで温風を送るための、巨大な機械の稼働音。出入口の重たい鉄の扉には、騒音の漏れ出しを防ぐためだろう、「開放厳禁」のプレートが貼られている。
その扉の横には、在室者表示パネルがあるのだが、あまり意味はないのかも知れない。人がいると表示されているにも関わらず、全ての照明をオフにして出てゆく人が時々いる。後に残るのは機械が動く音と、非常誘導灯の光だけ。
私はその、地下三階の機械室で働いていた。申し訳程度に置かれたストーブは、部屋の寒さと広さに対してあまりに貧弱で、温かいと感じたことはなかった。仕事中もコートは脱がず、ヒートテックの腰と肩と下腹部に、貼るタイプのカイロを仕込む。電気ポットも電子レンジももちろんないので、温かい飲み物を一日に二本は買いに行く。それだけやっても、夕方には体が氷のように冷たくなる。大きな音をずっと聞いているためか、外に出ると全ての音が遠く小さく聞こえた。
ここまでの文章を読めば、そういう場で働く職業の人か、と思われるだろう。だが、実際はタイトルの通りである。Excelや専用ソフトを用いた書類作成が主な仕事であり、その他コピー取りや備品の注文といった雑務も行う、私はただの「派遣の事務の女性」だ。機械室の奥の、気休めのようにパーテーションで区切られた広場という就業場所以外は。
そこに常駐しているのは私一人だった。他の人は打ち合わせで外に出たり、営業所に出向いたり、同じ建物内の別の事務所で仕事をしていた。
ただの事務のくせに、スマートフォンは常に手元に置いていた。心証が悪いのは分かっていた。それでも手放せなかった。一人きりで機械室に置かれた心細さも多分にあったが、在室表示を見落とした誰かに照明を落とされてしまったら、光源は非常灯とパソコンのモニターだけになる。そうなると私はスマートフォンのLEDライトを点けて、機器の間の通路を通り抜け、自分で照明スイッチの所まで行かなくてはならない。そういう事態が、一日に三度は発生する。昔、自分で懐中電灯を持って歩くお化け屋敷に入ったことがあるが、今は何故あんなものにお金を出していたのかと不思議に思う。機械室に、脅かしに来るお化けはいない。誰も居ない。こちらの方がずっと怖い。
そんな環境で三日ほど働いた。たったの三日。その三日間で、私の心は駄目になった。四日目の朝、起き上がれなくなった。
目は覚めているのに体が動かない。スマートフォンの目覚ましアラームが鳴っている、うるさい、止めなければ。頭では分かっているのに、全身が鉛のように重く、手を伸ばすのも一苦労だった。起き上がることはもちろん出来なかった。
毛布にくるまったまま、体調が悪いので休みます、と派遣元と派遣先にそれぞれ電話を入れた。そのまましばらくぼんやりしていた。食事を摂るべきだと思い至って、ベッドの上を這い、落ちるようにして床に降りた。その姿勢のまま、壁を見つめて泣いた。
休むつもりなんかなかった。少なくとも昨日の終業の時点では。テキスト形式のToDoリストに、明日の作業に使うはずのファイルのパスを貼り付け、紙の資料は机の上に出しておいた。温かい飲み物を毎回買うのはお金がかかり過ぎると思い、買い物リストに魔法瓶と書き込んだ。小腹が空いた時のための飴のストックも、どの職場にも持ってゆく自作のマニュアルも、引き出しの中に入っていた。明日もここで仕事をするのだと信じて疑わなかった。
最後の一藁が積まれたのは、おそらく退勤後、帰りの電車に乗った時だ。運よく空いた座席に座ることが出来た私は、鞄から文庫本を取り出したものの、読む気になれず膝の上に置いてしまった。凍え切っていた体が、車内の暖房に温められて緩むのを感じた。それを自覚した時、ああ、今の私はホームレスの人みたいだ、と思った。
ローカルな現象かも知れないので補足しておくと、私が利用している普通電車には、時々ホームレスが乗ってくる。全財産であろう荷物を抱え、申し訳なさそうに体を縮めている。彼らが乗ってくるのは、決まって冷え込みの厳しい早朝や深夜だ。深夜営業のマクドナルドも、地下街もない田舎だから、初乗り料金の切符を買って電車の中で暖を取るのである。
彼らのほとんどは、きっと悪いことをしたわけではないのだろう。好き好んでそうしているわけでもないのだろう。私も同じだ。それなりに一生懸命やってきたつもりだった。そうして勝ち取ったものが、この労働環境と、冷え切った体だった。
心の背骨が、音を立てて折れた。
たった三日で、と書いたが、実際はそうではない。実は夏から、私は似たような環境で働いていた。
そこはとあるビルの、やはり本来は機械室で、冷房機器がなかった。もちろん窓もなく、日差しに焼き殺されることこそなかったが、這い上がってくる湿気に蒸し焼きにされるような、座っているだけで体力を削り取られるような環境だった。
体調を崩して病院に行くと、熱中症と診断された。冷房を付けないと体に毒ですよと医師に言われ、冷房機器自体が職場にないと伝えると絶句された。月の医療費は一万円近くに上り、休んだ分の給与はもちろん出ず、家計は逼迫した。冷房なしでも平気な鋼の肉体ではない私が悪いのか、と理不尽に感じた。
それでも働き続けたのは、頑張れば良くなると信じていたからだ。冷房は今手配してるから、という雇用主の言葉を信じていた。臨時の事務所と言えどここまでひどいことはそうそうない、とも聞かされていた。認められれば営業所への配属も叶うと思っていた。結局、夏も終わる頃になって馬力不足のエアコンが付いた。そんなものが要らない秋が来て、防寒着とカイロとヒートテックで武装するしかない冬が来た。
なんとかそこでの仕事を二月いっぱいまで勤め上げ、三月からの配属先も機械室の臨時事務所だと聞かされた。今度はきちんとした事務所でしょうね、と私は確認した。ちゃんとした事務所の体裁になっている、という言葉を信じて、契約更新の書類に判を押した。
ちゃんとした事務所。
机とパソコンが置かれ、電話と通信環境さえあれば、それは「ちゃんとした事務所」ということになるのだろうか。パーテーションを暴力的に乗り越えてくる冷気と騒音は、ないものと見做すのが一般的なのだろうか。私には分からない。
ただ、体を壊し、薄給にも耐えて、それでも次は良くなると信じて頑張った結果がこれか、と絶望を噛み締めるには十分だった。新しい事務所の環境も、三日間という時間も。
仕事に行こうとして起き上がれなかったあの日から一週間、ずっと泣いて過ごしている。正確に言うと、何をしても涙が出て止まらないのだ。あの機械室で過ごした時間よりも、自室の壁を見つめて泣いている時間の方が長いというのはどういうことか、自分でもおかしいと思う。
年甲斐もなく泣きじゃくりながら関係者に電話をして(泣き止んでいる時間がほとんどないのだからやむを得まい)、とりあえず休職することが決まった。仕事が休みになったらやりたいと思っていたことは沢山あったはずなのに、旅行はおろか、買ったままになっていた本を開く気力もまだ湧かない。せめて気持ちを整理しようと、布団に潜り込んだままタブレットを使ってこの文章を書いている。
まだ耐えられる、という考え方は危ない。自分の限界と、改善の時期を正確に見極められるのならその限りではないが、少なくとも私には無理だった。まだ働けると思っていた。自分の限界は、思っていたよりも小さかった。
雇用主の人は、どうか労働環境に気を使って欲しい。口では耐えられると言いながら、無自覚のダメージでボロボロになっている、私のような人もいるかも知れない。同じ環境に置かれても、年に八百万円貰っている管理職と、四百万円貰っている社員と、二百万円貰っている派遣社員と、仕事が大好きで報酬なんか気にならないという人では、耐えられる限界がそれぞれ違う。
もし望まずに似たような環境に置かれている人がいたら、出来れば逃げて欲しい。次の仕事も見付けられていない私が、逃げても大丈夫だよ、とは到底言えないから、「出来れば」としか言えないのだけれど。朝から晩まで涙が止まらず、食べ物を買いに出れば道行く人や店員にぎょっとされ、転職活動をしようにも履歴書に貼る写真が撮れない、自分の好きなことも楽しめない、友人からの電話を受けてもロクに話せない──こんな状態になるくらいなら、もっと早く逃げておくべきだったのだと思う。
涙が止まったら、仕事を探しに行くつもりだ。最低限の空調機器の備わった居室で働かせてくれる転職先が、見つかるといいのだが。
【同月16日23時 追記】
勢いのまま書いて投稿したものに、多少の加筆修正を行った。面白くもない話題の長文なのに、予想よりもブクマ数が多くて驚いている。目を通してくださった方、ありがとう。その程度で休むのか、とのお叱りも覚悟してコメント欄を開いたはずが、今は世界の優しさを痛感している。
子供の頃の夢は作家だったので、文章力を褒められたり、覆面作家じゃないかと疑われるのは面映ゆい。私が本当に作家だったら、有名なジョークよろしく「良かった、可哀想な派遣社員はいないんだ……!」となって、それはそれで良かった気もする。
現実の私は、ボイラー技士の資格は持っていないが、その類の業界の専用ソフトの扱いに慣れている。派遣会社は業界経験者優先で仕事を紹介するし、少人数の臨時事務所は特に教育不要の経験者を欲しがるわけで、私が同じ業界の似たような職場に続けて派遣されたのはさほど不思議なことではない。
この労働環境が法に触れるものであることは、私も承知している。ただ、同じ事務所に出入りする他の社員たちは、不満は言っても我慢は出来るという様子だった。性別も給与も、滞在時間も違うのだから仕方がない。
私が一人で告発したとして、正社員ならふてぶてしく居座ることも出来るだろうが、派遣社員の場合はそれが原因で(表向きは「経営上のやむを得ない事情」で)即座に切られる可能性がある。自分の就業中にはとても出来なかった。逆に今の私は失うもののない身なので、後任が同じ目に遭う前に一言言っておきたいとは思っている。
本文中にも書いた通り、もしこれを読んでいる中に環境を作る側の人がいらしたら、少しの配慮をお願いしたい。この記事へのブクマコメントだけでも、「私より辛かったんじゃ……?」と思うような書き込みが複数あった。それらは全て、改善されるべきものだ。改善出来ない立場の人は、どうか自分の身と心を守って欲しいと願う。
幸いだったのは、今回の派遣先が短期契約で、私も近々次の仕事を探す心積もりであったこと。転職情報を集めたり、職務経歴書を作り始めた矢先だった。自分の心が折れたのは計算外だったものの、少し休んで五月くらいに次の仕事を見付けられれば大体予定通りだな、と結構気楽に構えている。
収入が絶えることだけが不安だったので、傷病手当金を貰える可能性があると教えて頂けたのは助かった。貰えないとしても、自分のメンタルケアのためにも明日は病院に行くつもりだ。
名も顔も知らぬ私の文章を読んで、心配してくれる人がいる。それだけで心が軽くなった。本当にありがとう。
ストレス要因はなくなったので、たっぷり寝て美味しいもの食べて、あとはジョギングしてプール行って本読んで映画観てカラオケに八時間くらい篭もれば回復すると思う。今はまだ泣いてるけど。私の今後のことは、どうかご心配なく。
バイトで生まれて初めて「バカ野郎」「うざい」「猿以下」などの言葉を面と向かって言われてかなりショックを受けた。会って数ヶ月の店主といちアルバイト、個人的な恨みがあるわけでも何でもなくただイラつきに任せているだけなのはわかっているのに、暴言に心は敏感に反応するのだなと驚いた。同時に、心理的物理的に近いところにいて離れられない人から日常的にこのような言葉を投げつけられている人の心の状態はどうなってしまうのだろう、と思わずにはいられなかった。
で、思ったのだが、感情が込められていないとわかっている、アンドロイドから同じ言葉を投げつけられたらどう思うのだろう?おそらく口癖であろう店主の言葉とそんなには変わらないはずだが、人であるかないかで何か変わるのだろうか。
「イタリアン入店拒否について」って何だよ。乙武入店拒否だし1・2
「イタリアン入店拒否について」って何だよ。乙武入店拒否だし1はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130522190526
「イタリアン入店拒否について」って何だよ。乙武入店拒否だし2はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130523164558
では
私は全車いすユーザー(というか乙武さん)のため一生懸命戦いました。たぶん。
私は泣いてなんかない、涙があふれただけ。
店主の対応は絶対間違っていると思うのに、なぜ問題が大きくなっていったのか。
ということで以下言い分。
軽率だった。かもしれない私。
では、なぜあの時私はお店の方が「予約の時に車いすですって伝えてもらってますか?」という質問に対し、予約をした乙武さんに一応確認するなり、「伝えるの忘れてたかもしれません。申し訳ありません。なのでお手すきの時にでもお手伝いいただけませんか」という気の利いた返しをせず、つい「車いすの人は入れないんですか?」と当日の乙武さんと私の話ではなく、全車いすユーザーを代表するような言葉を発してしまったのか。
ここに記しておきます。
久しぶりに乙武さんから連絡を受け、今度食事にでも行きましょうと言うことになりました。
お店は乙武さんが「銀座にいいお店があるから、僕が予約しておくね」ということでお任せしました。
これまでにも友人らとともに乙武さんと食事をすることもあり、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。
乙武さんが誘ってくれるお店はいつも素晴らしく、とても心地よいサービスをして頂けます。ひとえに乙武さんの人徳、お人柄によるものと思います。
この日もとても楽しみにお店に向かいました。
お店のある通りを歩いている時、ほんの少し違和感を覚えました。
お店の入っているビルの前に着いたとき、その違和感がふっと蘇りました。
ビルの入り口に大きな段差がある。これまではこんな段差のあるお店に行く際は、乙武さんのスタッフが店まで送迎されてました。
あれ?今日はスタッフがいない2人きりの食事って聞いてたけど。
身長150㎝台の非力な私じゃ店内まで連れて行くことは困難だな。と思いましたが、乙武さんは全く気にしている様子はありません。
「ごめんね(私)ちゃん。お店2階にあるから、店のスタッフに、予約した乙武が来たんで、ちょっと下まで迎えに来てほしいって伝えてくれる」
ああ、そうか。そうよね。いつも気が利く乙武さんが店の前まで来て立ち往生するようなドジはしないよね。お店の人が知り合いかもしれない。しかも乙武さんが予約したんだった。連絡してるよね。「手伝って」と。
何の気も留めず私はお店に上がっていきました。
お店はすでに予約のお客様で混雑していて、店主の方はキッチンで忙しそう。
スタッフもタイミングを考えなきゃ声を掛けるのも申し訳ない雰囲気。
でも外には乙武さんを待たせてる。あの有名な乙武さんを銀座の路上に長く待たせるわけにはいかない。人目に付きすぎるし、私と2人でお店に入るところを見られたらどんな噂を立てられるか分からない。私はいいけど乙武さんに迷惑をかける。早くしなくっちゃ。
思い切ってスタッフに声を掛けました。
「いらっしゃいませ」
「2名で予約してた乙武です」
「お席の方にご案内します」
店主は?忙しそう・・・
まあ知らなくても、車いすの乙武ですって言ったら、どこでもすぐに気が付いて快く手伝ってくれるから問題ないはず。
「連れの友人、車いすなんで」
この日本に車いすの乙武ですって言って知らない人がいるのかしら。
人は悪くなさそうだけどこんな愚鈍な人に聞いて、知らないなんて言われたら乙武さんの名誉に傷がつく。
でも早くしなきゃ乙武さんに何話してたの?って聞かれて
私ウソつかなきゃならなくなる。
何でもいいから早くしなさいよ。とは言えない。
「え?車いすの人は入れないんですか?」
あれ?何で車いすの人の話にしちゃったの私?
私とあの乙武さんが入れればいいんだけど。
まあこの言葉を言えば断る人いないし。
「いや、そういう訳じゃないんですが」
でしょ。そりゃそうよね。そう答えるわよね。
「じゃあ、いいでしょ。お願いします」
自分が問題を全車いすユーザーの話にすり替えてしまった過ちを気付かれまいとして、つい厳しい口調で言っちゃった。
でも言ってることは間違ってない。絶対間違ってない。
「予約の時に車いすって連絡されました?」
何よこの人。自分のサービス精神のなさを棚に上げて乙武さんのせいにするつもりっ。
私が予約したんじゃないんだし、そんなこと今聞かれても分からないし。
下に降りて乙武さんに確認する・・・言えない。乙武さんを責めてるみたいだから。
今日は2人きりの食事なんだから恥をかかせたら気まずくなるかもしれない。
よしっこれでどうだ。
「今まで、そんなこと言わなくても、他のお店の方はみんな快く対応してもらってるんですが」
そうよ。他の店では乙武ですって言ったら皆満面の笑みで手伝ってくれるのよ。
ええっ、何でこの人ひるまないの。ほとんどの日本人がひれ伏すて魔法の言葉「みんなが~」
だいたい、こんなやり取りしてる間に連れてこれたはずよ。
「本人の体だけですからお手間は取らせません」
あなたのような大きな体なら一人でもできるはず。
「ちょっと今忙しいから、手が空いたら下まで迎えに行くんで待ってください」
やっとやるきになったのね。あんまり時間をかけられても困るんだけど。なんたって外に待たせてるのあの乙武さんだから。
でも何か無理やりおしつけたみたいになってやな感じ。どうせやってくれるんなら初めからそう言えばいいのに。
私は店を出て、乙武さんの元へ。
「長かったね。どうしたの?」
予約のときに車いすって伝えたかなんて、乙武さんを傷つけるやり取りは言えない。
「・・・中々話しかけ辛くって。でもすぐに来るから待っててくださいって」
「そっか」
私は尊敬する乙武さんを待たせることが悔しくって。待っている間の乙武さんとの会話も頭に入らない。
「ちょっと、上がって様子を見てくるね」
店の扉を開ける。
面倒くさいから忘れたふりするつもり?
でも催促するのもはしたない女と思われそう。
スタッフがしばらくして気が付き
「ようやくひと段落したので」と、階下に向かおうとしたとき、店主がキッチンから出てきた。
この人が乙武さんの知り合いなのかしら。
待たせたことのお詫びにわざわざ出てきたのかな。
「車いすのお客様は、事前にご連絡いただかないと対応でき・・・」
えっ、何なの?
いまさら、お店に入れないって言うの?
さっき乙武さんに「店の人がすぐに迎えに来るから」って伝えたのよ。
困る。今更そんなこと言われたら私が困る。
私はもう頭が混乱していました。
これまで乙武さんといてこんな対応を受けたことがなかったから。
なんて聞きたくない。聞くわけにはいかない。
私は店主が話し終わらないうちに遮るように
「あ、でも、車いすは置きっぱなしで、友人の体を抱えていただくだけでいいんですけど」と口にした。
だいたい乙武さんが車いすなの当たり前でしょ。知り合いじゃないの?知り合いじゃなくってももうわかってるでしょ。スタッフから聞いてないの?予約の車いすの乙武ですって。
車いすは店内にいれないわよ。出来るでしょ。本人だけなら。
え?何で?
そのあとは「お引き取り下さい」なのもしかして。
それだけは言わせない。乙武さんがそんな扱い受けることは許されない。
乙武さんに恥をかかせた女として私も恥をかくことになるのよ。
そんなの許さない。
私は再度店主の言葉を遮り
「そういうわけじゃ……」
でしょ。そうでしょ。これで断ったらあなた全車いすユーザーを敵に回すことになるのよ。そんなことできるの?あなたが断ろうとしてるのは、乙武さんなのよ。もう私と乙武さんとあなたの問題じゃないのよ。私たちの後ろには全車いすユーザーがついてるのよ。そして60万人を超えるフォロワーも。
「とにかく、うちは店も狭いですし、対応できません」
あ
あぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・
言いやがったコイツ。とうとう言いやがった。
絶対に言ってはならない。否定の言葉を。
もうダメだ。
私はあの乙武さんに恥をかかせた女になる。
ねえ。何で。
私が最初に行ったときに断ってくれてたら、少なくとも私のせいじゃなかったのに。
乙武さんが予約の時に車いすって伝えなかったからって言えたのに。
あとで迎えに行きますなんて言っておいて、何で今断るわけ?
私が交渉に失敗したみたいじゃない。
何で私に言うのよ。
私間違ってない。絶対間違ってない。
全部あんたたちが悪いのよ。
私は悲しくなった。
自然に涙が出てきた。何でこの人たちは分かってくれないの。
私と一緒にいるのはあの乙武さんなのよ。
私が乙武さんを傷つけた女になるのよ。
私は乙武さんに恥をかかせた女になるのよ。
乙武さんがだめなんじゃないのよね。
車いすが悪いのよね。
うん絶対そう。
こんな時に乙武さんが隣にいてくれたら、いつものユーモアと知性あふれる返しで、この人たちを納得させることが出来るのに。
私は目に涙を浮かべ階下に降り、感じ悪い店主が私達の入店を拒否した。と伝えた。車いすの人を排除しようとしているような感じだったと。
乙武さんもこんなことは初めてだったようで、何があったのか分からないようなきょとんとした顔をしてた。
そりゃそうよね。車いすってことはさっき伝えて、それで迎えに来てくれるって言ったんだから。
と2人で茫然としている時に、店主が降りてきた。
私は、入店を拒否したお詫びしてくれるんだろうなと思った。
店主
「エレベーターが 2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどね」
え?何でそういうこと今言うの。乙武さんがそんなことに気が付かないはずないでしょ。だいいちエレベーターの問題じゃないんだし。ちょっと抱えるだけって言ってるでしょ。ねえ乙武さんそう言ってやってよ。
「ああ、そうでしたか。僕、今回は『食べログ』を見てお電話したので……」
やっぱり乙武さんは素敵。私と違って冷静に見てないことを認め、それからにっこり笑ってスマートに対応するのよね。きっと。
「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?」
何この店主。喧嘩腰じゃない。確かにこんな入りにくい店に行くなら予約の時に伝えといたほうが問題は無いけど、そんな言い方ないじゃない。
ここからが乙武さんの本領発揮よ。いつものようにユーモアと知性で、この店主をやっつけて。
「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
えっ、あまりにストレートな返しじゃない。それじゃ私のやり取りと一緒じゃない。
もっと知性あふれる、ユーモアの効いた返しを期待していた私はなんだか取り残された感じがした。
「いや、常識でしょ」
何で店主もそのノリで買っちゃうわけ。
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
え?何広く世に問うって。そんな大きな問題なの。確かに店主の言い方は腹が立つけど。
「ええ、どうぞ」
あー、言っちゃった。あなた知らないわよ。60万人のフォロワーをもつあの乙武さんよ。
これが当日の私が知る事実です。
ここだけは誤解されたくないので、繰り替えさせてください。私はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけ、それが受け入れられなかったから逆切れしたんじゃありません。
ネット上の声には、私のコミュニケーションの取り方に問題があると言うような批判もありますが、私は乙武さんと一緒にいてこれまで今回のような対応を受けたことはありません。
乙武さんの言ってることは間違ってません。
PS
でも時計の針を戻すことが出来るなら店側の「予約の時に車いすですって伝えてもらってますか?」という質問に対し、「伝えるの忘れてたかもしれません。申し訳ありません。お手すきの時にでもお手伝いいただけませんか」という気の利いた対応したり、お店の忙しさに気遣って通行人に手伝ってもらったりしたいです。そっちの方がいい感じでしょ。やっぱり。だって私は乙武さんから2人きりで食事に誘われるほどの女なんですから。
えー
当たり前ですが、これ全部創作です。
私はこの女性のことは何ら知りません。
2人きりで銀座の隠れ家的イタリアンレストランで食事をする仲であること。
この日、最初にお店に交渉に行き、一度は迎えに降りてもらえることを取り付け、後になって店主に断られたかもしれないこと。
断られて泣きながら店から降りてきたこと。
乙武さん(たぶん全車いすユーザー)のために一生懸命交渉したこと。
そこから私は彼女が非常にセンシティブで責任感の強い女性であることを想像して書きました。
本文では、乙武さんを友人に持つことを鼻にかけた、嫌な女のように感じられるかもしれませんが、私は彼女を中傷するつもりで書いたのではありません。
乙武さんという非常に有名な方を友人に持てば、当人が意識するしないにかかわらず、どこかにそのような意識はあると思います。悪い意味じゃありません。乙武さんを大切に思えば思うほどそうなるでしょう。
今回の件も、本当の友人であれば、乙武さんに対し泣きながら店の対応をチクるだけじゃなく、乙武さんが予約の時に車いすですって伝えなかったことも笑って非難できるでしょう。
店が忙しそうだからと、店のスタッフにお願いするのではなく、通行人にお願いすることもできたでしょう。
(女性の性格にもよりますが、少なくとも乙武さんと2人きりで食事に行くならばその位の意識は持つべきです。何かあった時、きっと自分だけじゃ助けられないから)
お手伝いしてくれる方はいると思います。ましてあの乙武さんですから。
そして通行人に抱えられ入店した乙武さんを断る店主ではないと思います。
乙武さんにとっては友人なのかもしれません。
傷つけたりしちゃいけない。って
彼女自身気が付かないうちに畏怖してんだと思います。乙武さんを
私の勝手な想像ですが、店主はやはり車いすだから拒否したのではなく、何らかのコミュニケーション上の行き違いによって意地を張ったと思います。
店主にこんな意地を張らせてしまったこと、「これがうちのスタイル」です。なんて言わせてしまったことを乙武さんに少し考えてもらいたいです。
本文で私が言いたかったことは、彼女が泣かなければならないような事態になった原因として、乙武さんの日常の気配りが足りなかったのではないか。ということです。
車いすの人は常にそんなに気を使って生きなきゃならないのか。って問題じゃないです。
乙武さんはやっぱり有名人です。多かれ少なかれ接する人は常に気を使っています。そして乙武さんと行動を共にする人も、同様に気を使ってもらうことに慣れすぎているのだと思います。
だから「僕はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけて、それが受け入れられなかったから逆ギレしたのではない。」なんて言葉が出るんです。ここは逆ギレってのは変ですが、まあそれは置いといて。
無理難題かどうかは、その時の背景事情、対応する人の能力、個人的主観によって変わります。
事実だけを記せば
乙武さん側は、いきなり訪れて通常ではない対応を求めた。(予約時に伝えてないのだから)
店主側からすれば、いきなり通常ではない対応を、さも当然の如く求められた。だから断った。
確率の問題とでも言うんでしょうか。
お恥ずかしながら私は日本に車いすユーザーがどれ位いるのか分かりません。
ちょっと調べてみましたがはっきりした数字がありませんでした。
私も飲食店に携わって20年以上になります。車いすでのお客様が来店されたことは記憶にある限り2~3度だけです。日常生活でも1日に何度も車いすの方を見かけることは有りません。
それだけ車いすの人が外出するのが困難な社会だから問題だと言うのが争点じゃないんです。(大事なことかもしれませんが、本件には関係ないです)
それだけ確率の低い特別な出来事なんです。車いすの方をお店で迎えることは。
これがお店側の事実です。車いすだから面倒だとかじゃないんです。
絶対的な経験地が足りない。誰にでもあると思います。経験したことが無い問題には上手く対応できないってこと。
乙武さんは自らを障がいではなく個性であると言ってました。たぶん
個性なら、そんな個性的な客はうちの店には向かないから帰ってくれといわれることも受忍すべきでしょう。
いきなり全車いすユーザー代表のようなことを言うから問題になるんです。
個人的にはちわげんかだと思います。
でもちわげんかで相手の人生を左右するかもしれないようなことは、ちょっとかんべんです。
あと、乙武さんに接する人の気持ちは、障がいを持つ人に接するのではなく、あの乙武さんに接するのだ。と思っている。と受け止めた方が間違いないと思います。
一つ気になることがあるんですが、乙武さんは日ごろから、この度のようなときに店の人に抱えてもらうための道具かなんか常備されてるんでしょうか。
私がこの場に遭遇したときどうするだろうと想像しました。ネットでは誤って怪我をさせたときの訴訟リスクだとか騒がれてますが、小さな飲食店の経営者の立場から見ると、ちょっと手伝ってといわれたら、そんなこと考えません。手が空いてれば、ああハイハイ。ってな具合です。ただ、おんぶするのも難しそうですし、2人で抱えるとしても、やはりおんぶ紐、なりだっこ紐、あるいは丈夫な袋のようなものがあった方が安全だろうなと思いました。
万が一(こけたり、落としたり)の時に、健常者であれば手や足を使い防御、あるいは多少クッションになりますが、いきなり頭や内臓を有する胴体だけってのは抱える方も不安です。特に階段では。
これはすぐに訴訟リスクだとかじゃなく、相手を傷つけちゃいけないって単純な本能です。
介助に不慣れな人に手伝ってもらうからには、負担を少なくしてあげるのが気遣いだと思います。
でなきゃ、手伝ってほしいと言われたときに、ちょっと不安なんでと断ったら「障がい者だから差別するのか」って言われそうで、きっとどこかで見かけても目をそらしてしまいます。
だから
「かわいい女の子と一緒だったから、ちょっと引くに引けなくなっちゃったんです。
申し訳ありませんでした。」って店主に心から謝罪してほしいです。
60万人のフォロワーやどれくらいいるか分からないアンチ向けの釈明じゃなく。
そしてお店、店主を最大限に守ってあげてください。
たとえ店主が悪い奴だったとしても、今度のことで万が一お店がなくなったら寝覚めがわるいでしょ。
これじゃあ駄目だろ。
中学の頃、あだ名が赤ペン先生だった俺様が、アンチを味方にする文章術とやらを教えてやるぜ。
軽率だった。自分でも、冷静さを欠いた行為だったと思う。では、なぜ僕はあのときこのときあのばしょで、店名
を挙げるという、多くの方からお叱りを受けるような愚挙に至ったのか。ここに記しておきたい。
その前に、ぼくのことは「五体不満足」に書かれているからよく読むように。550万部を売ったベストセラーだ。
1,680円×550万部×0.1で、印税にして9億2,400万円を手にした名著さ。
え、凄いって?君の生涯獲得賃金よりちょっと高いぐらいさ、HAHAHA。
19時過ぎ、一週間ほど前に予約していた店に到着した。奥にエレベーターが見えたが、ビルの入口に三段ほどの段差があり、
車いすではビルに入ることさえできない。しかも、エレベーターも店舗のある2階には止まらないようだった。
僕の使用する電動車いすは100000gの重量があるため、こういう場合は歩道に“路駐”して、僕の体だけ店内に向かうしかない。
さすがのぼくでも、幽体離脱して精神だけ向かうことはできないからね、HAHAHA。
お恥ずかしい話だが、自分で店を予約する際、あまりバリアフリー状況を下調べしたことがない。
さらに、店舗に対して、こちらが車いすであることを伝えたことも記憶にない。
それは、とくにポリシーがあってそうしているわけではなく、これまで困ったことがなかったのだ。
ぼくレベルになると、いわゆる顔パスってやつさ。HAHAHA、大したことないよ。
普段は、金で雇った事務所の男性スタッフが店まで送迎してくれることが多い。だから、たとえ段差だらけの店であっても座席まで抱えてくれる。
スタッフが不在の場合でも、友人たちが代わりに抱えてくれる。また、店のスタッフが抱えてくださることも少なくない。
いざとなれば、僕は自力で階段をのぼることもできるので、デニムを履いている日などは自分で上がっていってしまうこともある。
ワイルドだろぅ~?
だが、この日はすべてタイミングが悪かった。事務所のスタッフは仕事の都合で来れず、
身長15,000mm台の彼女が、僕を抱えて2階まで上がることはまず不可能だ。そんなことしたら彼女のおっぱいに顔をうずめちゃうじゃないか、HAHAHA。
自力で歩いていこうかとも思ったが、あいにくこの日は仕事の都合でアルマーニのスーツを着ていた。10mほど先の階段まで歩き、
さらにそこから尻を擦るようにして階段の上り下りをすれば、アルマーニのスーツは泥まみれになるだろうし、下手すれば破れてしまうかもしれない。
もちろん、すべてこちらの事情なのだが、ここまで悪条件が重なってしまうと、どうしてもお店のスタッフにお手伝わせるしかない。
僕は路上で待機し、巨乳だけがお店に向かい、様子を聞いてきてくれることとなった。
店内は、僕らが想像していた以上にこじんまりとした造りだったようだ。食べログのレビューをちゃんと読んでおけば良かった。
スタッフは、店主と思しきシェフがキッチンを一人で切り盛りし、もうひとりの大柄な男性スタッフがホールを担当していたという。
土曜日の夜ということもあり、店はずいぶん繁盛していたようで、おふたりとも忙しく立ち働かれていたという。
ま、ぼくなら顔パスでいけるだろうと思ったのが、砂糖の分量を間違えたショートケーキのように甘かった。
巨乳はホールスタッフの男性にこちらの事情を伝え、階下で待つ僕の体だけを店内まで抱えてもらうことができないかと頼んでくれた。
彼は「いまは手が離せないので難しいけれど、手が空き次第、迎えに行きます」と言ってくださったそうだ。
その言葉に安堵した巨乳は、そのことを伝えるため、路上で待つ僕のところに戻ってきてくれた。
しかし、60分マイナス50分ほどお待ちしていてもスタッフが来られなかったため、巨乳がもう一度、様子をうかがいに店まで行ってくれた。
しばらくして彼女の存在に気づいたホールスタッフの男性が、「ようやくひと段落したので」と階下に向かってくださろうとした。
そのとき、店主がキッチンから出てきて、巨乳にこう伝えたのだそうだ。
「車いすのお客様は、事前にご連絡いただかないと対応できません。すいま千円」
「あ、でも、車いすは置きっぱなしで、大作家先生の体を抱えていただくだけでいいんですけど」
おそらく、店主は「ひとりの客を抱えるためにスタッフが数分でも不在になると、せっかく作った料理が最高のタイミングで提供できなくなる恐れがある。そうなれば、ほかのお客様にご迷惑がアフォー!!!」ということが言いたかったのかもしれない。
だが、彼の表情や言葉のチョイスはそうしたニュアンスを伝えられなかったようで、巨乳はひどくショックを受けてしまったようだ。
「そういうわけじゃ……とにかく、うちは店も狭いですし、対応できま千円」
僕はその場にいたわけではないので、どこまで彼らのやりとりを忠実に再現できているかはわからない。
だが、とにかく巨乳は店主の言葉や態度から「排除されているし、帰れやボケ」という感覚を強く受けたという。
巨乳ならではの感性かもしれない。このやりとりに傷ついた巨乳は、泣きながら階段を駆けおりてきた。泣きながら階段を駆けおりてきたって、
ドラマかよwwwwww。さて、僕は予期せぬ出来事に目をパンダのように白黒させていたが、話を聞くうち、ひさしぶりに会った巨乳が、僕のせいでこれだけ悲しい思いをしてしまったことに、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。男としてはこのまま引くわけにはいかねぇ。
チョメチョメしてぇwwwww。
ふたりでその場に口笛を吹きながらたたずんでいると、40代くらいの屈強で筋肉隆々の店主が階段を下りてこられた。
僕の姿を確認すると、一瞬ギョッ(魚)としたようだったが、すぐに気を取り直し、僕に向かってこう口にした。
「エレベーターが2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどねェェェェ、無駄無駄無駄ァァァ!!!!」
「ああ、そうでしたか。僕、今回は『匿名ダイアリー』を見てお電話したので……」
「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車いすって言っとくのが常識じゃないですか?オラ、わくわくすっぞ!」
キョトン(巨根じゃないYO)としてしまった。僕は、いまなぜこの人にケンカを売られているのだろう?
いや、もしかしたら彼にはケンカを売っているつもりなどないのかもしれない。
でも、それはどう考えても初対面の相手に放つべき言葉ではないと思うし、あきらかにケンカを吹っかけているようにしか思えない口ぶりだった。
「そうですよね。事前にお知らせもせず、失礼しました」
この状況でも、こんなセリフが素直に口をついて出てくる大人に、僕はなりたい。
でも、僕はなれなかった。愚かなことに、そのケンカ調の言い草に、ケンカ調で返してしまったのだ。
それは、僕の僕による僕のための巨乳を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあったかもしれない。
「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
「いや、常識でしょォォォォォォォォォ、ウオッホオオオジャオアオガモファオウmixi潰れろホウガウオウ」
他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる店主に、ますます僕は頭に血がのぼってしまった。
「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ。」
「ええ、どうぞ、銅像。ぷぎゃー。」
もう、この頃になると、僕は激昂状態だった。こんなに冷静さを失ったのは、いったい何年ぶりだろう。
昨日、足の小指をぶつけて以来かもしれない。
あ、足の小指なかった(こんな時に冗談を言えるぼくって、Coolだと思わないか?)
このあと、二言三言四言五言六言七言やりとりがあったかと思うが、残念ながら記憶が定かではない。
その言葉はとても冷たく、これ以上のコミュニケーションを拒むひとことだった。扉を、閉ざされた思いがした。この時点で、僕は完全に思考停止となってしまった。とりあえず、開けゴマ~。
彼はTwitterで、「うちのスタイルだなんて言ってない」と否定しているが、なぜそんなウソをつくのか。
もしくは、記憶から抜け落ちてしまったのか。だけど、僕は絶対に忘れない。絶対に負けらない戦いがここにある、日本!日本!
ついさっき、巨乳ならではの感性かも――と書いたが、けっしてそんなことはない。僕
もいま、この瞬間、はっきりと彼によって排除されたような腹立たしさと情けなさとを感じとった。仮に彼にその意図がなかったとしても、彼の態度は、言葉は、表情は、残念ながら僕らふたりに、整形したのかよってぐらいの二重のようにくっきりとそのような印象を与えた。
ネット上の声を見るかぎり、僕は「店側に抱えてもらえなかったことに逆ギレした」となっている。でも、それはまったくの誤解だ。
それは、偏差値の低い人間だから、誤解しているだけだ。早稲田以上の学歴なら誤解するわけがないからだ。
これまで何とかなってきたことで必要性を感じていなかったとはいえ、事前に連絡をしていればスムーズにご案内いただけたかもしれない。これは、僕の矮小な落ち度。だから、お店の状況によっては対応が難しく、結果的に入店が難しいと言われても、「じゃあ、またの機会にお願いします」と笑顔でその店を後にすることができる。僕にだって、それくらいの理性と常識はアルジャーノンに花束と札束を。
相手が、理性と常識あるコミュニケーションを図ってくださるなら。
ここだけは誤解されたくないので、繰り返させてほしい。僕はいきなり訪れた店で無理難題を吹っかけて、それが受け入れられなかったから逆ギレしたのではない。客とか、店主とか、そんな関係性を抜きにして、はなから相手を小馬鹿にしたような、見下したような、あの態度が許せなかったのだ。彼の本意がどこにあるにせよ、こちらにそう受け取らせるコミュニケーションに、僕は深く傷つき、腹を立ててしまったのだ。チンコは勃ってないぞ。
僕はあのお店の料理に惹かれ、ひさしぶりに会う巨乳との会食を楽しみに、お店へと向かった。でも、そんなワクワク感もぺしゃんこになってしまった。わずかでもいい。「何かできることはないか」「どうにか店の料理を味わってもらうことはできないか」――そんな心意気が少しでも感じられたなら、結果的に入店がかなわなくとも、僕は気持ちよくその店をあとにすることができたと思うのだ。だが、彼の態度から、そうした心はまるで感じられなかった。僕らは、刺々しい扉のまえで門前払いをされたような、とてもさみしい気持ちになってしまった。開けゴマ~。
そんな思いが、店名を公開するという安直な行為に結びついたことには、深く恥じ入るしかない。「こんなひどい対応をされた」と、普段から応援してくださっているみなさんに泣きつきたかったのだ。愚痴りたかったのだ。そうでもしなければ、とてもやりきれなかったのだ。っていうか、ぶっちゃけ
潰したかったんだよね。アリを踏むゾウのように。俺様を敵に回したことを後悔サセテヤリタカッタンダヨォォォォ!!!!
当日夜のTwitterでは、店名を公開した理由として「僕のように、こんな悲しい、人間としての尊厳を傷つけられるような車いすユーザーが一人でも減るように」と書いたが、その思いにウソはない。だが、あの日の僕は、あきらかに正常な判断能力を失っていたことも、あわせて告白しなければならない。
僕が公開したことによって店側に抗議の電話などが行き、業務に支障などきたしていたら、…ぼくの計算通りだ。僕がみずから蒔いた種だ、みなさんには絶対にそうした行為は行わないでほしいの反対の反対の反対。
もし、僕があのとき冷静さを保っていられたなら、店名を伏せて、「じつは、こんなことがあったのですが」という形で報告できていたなら、それは「飲食店のバリアフリーを問う」といったテーマで広くみなさんに議論していただくことが可能だったかもしれない。それが、ひとえに僕の未熟さにより、その機会をつくれなかったこと、猛省しています。っていうか、ぶっ潰したカッタンダヨォォォォ。
もしかしたら、あの店主も、ただ不器用で、人づきあいがうまくないだけなのかもしれない。もしそうだとしたら、もう一度、あの店に行って、カウンター席にすわって、「シェフ、この料理おいしいですね」なんて会話を交わしながら、舌鼓を打てたらいい。そこでふたりで写真を取って、Twitterでアップでもしたら、今回の幕引きとしては美しいのかもしれない。
でも、ダメだった。あの日の夜のことを思うと、どうしてもそうした気分になれないのだ。そんな未熟な自分が、いまはただ腹立たしい。まだまだ、僕は人間が小さいのだと痛感させられる。9億を越える印税を手にしたぼくでもこんなに小さいのだ。君たちはもっと小さいはず、HAHAHA。
今回の件で僕に対して批判的なみなさんが、このブログを読んで考えを変えてくださるとは思っていません。でも、ウソをついてまで、何かを偽ってまで釈明しようという気にはどうしてもなれませんでした。ここまで書いたことが、あの夜に思ったことすべて。これ以上でも、以下でもありません。
巨乳の前で恥をかかされたから、ぼくの力をもってぶっ潰したカッタンダヨォォォォ。
P.S.でも、やっぱり、店主がお許しくださるのなら、いつの日か再訪してみたいな。だって、お店の料理、本当においしそうだったから、HAHAHA。
僕の使用する電動車いすは100kgの重量があるため、こういう場合は歩道に“路駐”して、僕の体だけ店内に向かうしかない。
身長150cm台の彼女が、僕を抱えて2階まで上がることはまず不可能だ。
店主と思しきシェフがキッチンを一人で切り盛りし、もうひとりの大柄な男性スタッフがホールを担当していたという。
「いまは手が離せないので難しいけれど、手が空き次第、迎えに行きます」と言ってくださったそうだ。
僕はその場にいたわけではないので、どこまで彼らのやりとりを忠実に再現できているかはわからない。だが、とにかく彼女は店主の言葉や態度から「排除されている」という感覚を強く受けたという。
女性ならではの感性かもしれない。このやりとりに傷ついた友人は、泣きながら階段を駆けおりてきた。
店主みずから階下まで降りてきて、こちらの非をなじられたことにも驚きました。
「そうですよね。事前にお知らせもせず、失礼しました」
この状況でも、こんなセリフが素直に口をついて出てくる大人に、僕はなりたい。でも、僕はなれなかった。愚かなことに、そのケンカ調の言い草に、ケンカ調で返してしまったのだ。それは、僕の友人を泣かせるような対応をしたことに対する憤りもあったかもしれない。
他人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる店主→よしりんもよく使う印象操作。
このあと、二言三言やりとりがあったかと思うが、残念ながら記憶が定かではない。だが、店主が最後に言った言葉だけは絶対に忘れない。
「これがうちのスタイルなんで」
P.S.でも、やっぱり、店主がお許しくださるのなら、いつの日か再訪してみたいな→ここまで一度も店主に謝罪すらしてないのにお許しもなにも…。
だって、お店の料理、本当においしそうだったから。