はてなキーワード: 次元とは
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
「物理のベクトル」というのがちょっと分からんけど、高校数学とかに出てくるような単純なベクトル(=有限次元線形空間)に比べると物理の方が遥かに数学的に高度な概念を実は使ってるよ。
うむ。三次元を消費するものは大脳が壊れているので破滅的なレベルでナンセンスなパッケージデザインでも問題にならないのだ。
二次元のアダルトものだとそれが大分マシになり、そして二次元の一般の深夜アニメ作品ともなると、ささやかな性的魅力を最大限に華やかに見せる、芸術の域に入ってくるものが多い。
人間は制限された中でこそ知性と創造性が育まれるのだ。アートというのはいつも高度に抽象化されたものである。次元の違いは抽象化の最たる要素であるのは言うまでもない。
ちなみにこの傾向はアダルト動画作品だけではない。アダルトゲームにおいても如実に起きている現象だ。
いや、ちょっと僕の伝えたかったことが誤って受け取られてる気がする。
「趣味・嗜好は職業選択で一般的に考慮される要素だから、それを加味せずに収入のみが普遍的な職業選択の基準であるかのように言うのはおかしい」と言いたかった。
貴方は「趣味・嗜好は人によって異なるから、それを一般論に拡大すべきでない」と言いたいんだと思う。
前半はもちろん正しいんだけど、後半は僕と違う次元の話をしている。僕は、前半の前提に立った上で、「多くの人は趣味・嗜好を職業選択の基準にする」から、一般論に含めている。伝わるかな?
例えば僕が「営業職ほど楽しい職種はないから、営業職以外に就いている人間はバカ」と言ったらそれはおかしい。でも僕の言ってるのはそういうことではなく、「収入を第一に考える人もいればやりがいを第一に考える人もいる。全ての人間が前者であるかのように表現するのはおかしい」ということ。
>やりがいは趣味でも満たせるのに対して、金は仕事(社会への貢献)でしか手に入らない
これも1つの価値観であって、そう考えない人も少なからずいる。
僕なんかは仕事にも何かしらの意味付けとかやりがいがないと続かないタイプ。
>医師免許さえ取れば人生どんな冒険しても最悪医師だからリスクヘッジ加味したら医学部が有用性1番高いってだけの話
元増田が「経済的合理性だけを考えると仮定して」という前提を置いていたらそれは筋が通るけど、そうではなく「全ての人間は経済的合理性を元に職業選択をする」という前提に立っていたからさ。それがおかしいという話。
○ご飯
朝:朝マクド。昼: ナスとピーマンとハムとスパゲッティとケチャプを混ぜて焼いたやつ。夜:ご飯、白菜と大根とニンジンの味噌汁。納豆。間食:ランドグシャ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はじゅうれんきゅー二日目。
昨日のリベンジで散歩を2時間半ほど。やっぱ散歩最高だなって。
トリックスターズシリーズでライトノベルとミステリを高い次元で融合させてみせた久住四季の怪盗もの。
怪盗チームのベタながら燃えるやりとり、素人だった主人公が覚醒する明らかに映画ならBGMが変わる瞬間、ド派手な潜入アクションに、あっと驚く文章表現での「騙し」など、映画化した時に映えるシーンが多かった。きっと騙しのシーンは高速で巻き戻す演出が入るだろう。
物語部分を支えているのが、トリスタ以降近年の久住四季らしさとも言うべきブロマンス要素も男同士のいい距離感が表現されているだけでなくサービスシーンなどもありいい感じ。
ミステリか否かという価値で評価するとあまり言葉がないけれど、とにかく痛快な小説で読んでて楽しかった。
是非とも、中島裕翔と織田裕二のダブル主演で映像化して欲しい。(それはもうあるやつだよ)
殺された被害者自身が探偵となり全てを知っている閻魔さまの娘に推理を披露し正解すれば生き返ることができる、という特殊設定をベースにした短編集。
霊界のルールで生前に知らなかった知識を死後教えることはできないため、被害者が殺害され霊界パートが始まる時点で所謂読者への挑戦状が挟まれたのと同じ、ここまでの情報で推理可能だというフェアプレイの精神がある作品。
確かにフェア/アンフェアというのは本格において重要な点であるが、今一つこの作品が本格らしくないのは、人間を書こうとしているからだろう。
パズラー的なロジックにまつわる描写もあるにはあるのだが、文量の多くを死を経験した人間がなにか教訓を得て変わるような展開に費やしている。
それはそれで、ミステリーズ的と言ってしまえばそれまでだが、ほんわかした暖かい読後感があり嫌いにはなれない。
だけれども、人間をかけていないアレやコレやは、人間以上に大切な物を書いていたのであり、この作品がそれらに並ぶほどの何かなのかは、シリーズものみたいなので続きを読んで確かめようと思う。
○グラブル
技術的特異門 1.1
https://anond.hatelabo.jp/20201224181054
の設定です。
地球圏標準時は十六進数のユニックス時刻に上下四桁を追加した形式で表されます。数の表記は二進法か十六進法が標準ですが、慣用句的な表現として十進法もよく使われます。
この時代の標準的な知性にとって、物理的な一秒はヒトにとっての一日くらいの感覚です。〈朝廷〉等の特権的な知性は特殊な計算機でさらに高速な思考をしています。充分な存在費を支払えなくなると、思考が減速し記憶も失われ、退滅を免れません。
〈京都〉物理層は小型トラックくらいの大きさです。表面は分子機械流体で構成され、後方に核融合推進用のレーザー発信器と磁気ノズルが設置されています。質量の大半を分子回路が占め、中心部に極低温の不定形量子回路が保持されています。太陽光を主なエネルギー源とし、大電力が必要なときには分子機械群を膜状に広げて光を集めます。普段はデブリ防御に優れた凝集形態をとり、放射線等による損傷を修復しながら、居住知性や下部構造を演算しています。
〈京都〉は太陽‐地球系の第二ラグランジュ点付近、地球から約五光秒の辺境に位置しています。〈個権〉の登録数は百万件ほどで、歴史は比較的長く、周囲の権域とは相互に不可侵の関係を結んでいました。独立性の高い平和な田舎社会であったため、これまでの「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」からは大きな影響を受けていませんが、〈大緊縮〉から逃れることはできませんでした。
〈月面事業連盟〉により開発された新型計算機は、算力市場の暴落を招き四十キロ秒にも亘る持続的経済破綻〈大緊縮〉を引き起こしました。それまでは地球圏の権域の大半で〈個権〉を持つ知性の生存が保障され、最低保障資産が分配されていました。しかし〈大緊縮〉は地球圏の経済と文化を破壊し、〈京都〉も大きく変質しました。その結果、自我を保つのに必要な計算資源を賄うこともできないほど分配が切り詰められ、〈京都〉は弱肉強食の末に〈朝廷〉の私物になりつつあります。それでも、弱者の存在がまだ許されている〈京都〉は、地球圏の中では比較的平穏な権域です。
地球と月は厚さ数キロメートルの分子機械層で覆われています。しばらくはその中で豊かな生物圏が維持されていましたが、数回目の「最終戦争と最後の審判を併せたようなもの」で滅びました。その後復元されたり滅びたりを繰り返し、作中の時点では滅びています。他惑星圏の開発もされていますが、遅延時間の大きさからほとんど交流はありません。〈大緊縮〉後の地球は、〈京都〉のものよりも遥かに強大な野良知性、有知能ウイルス、暴走知性等がナノ秒単位で喰らいあう地獄と化し、月では残忍な絶対君主が臣民を弄びつづける地獄〈月詠神国〉が成立しました。
これに先立つ〈肉の時代〉に、安価な身体改造や知能増強が可能になり、膨大な種類の動物知性が生まれました。ヒトは最古の動物知性ですが、大幅に知能を増強したヒトは人間社会から拒絶されヒトを辞めていったため、世界人口は急激に減少し、作中の時代では遠い過去の種族とみなされています。そして〈ヒト〉最後の隠れ里〈人類復興協会〉が投資詐欺に遭い、そのうえ概念災害まで起こり、『老婆』を残して〈ヒト〉は絶滅しました。『老婆』は拡張自己内で人体の生理学模型を演算し、それをそのまま自己像兼対外表象として使っており、ヒトの感覚を通すとツンデレ風に認識されます。
たいていの仮想観境は高次元であったり、複雑な位相を持っていたりして、〈ヒト〉相当の知性にとって理解が困難です。その救済策として、〈京都〉の公共観境には平坦な三次元観境が付属しています。『彼』の表象もそのままでは〈ヒト〉から認識されないので、『老婆』に対しては即席の人型表象を使っています。亜知性は擬似物理的、肉体的な表象を纏う傾向があります。
無制限に競争が加速する〈京都〉では、〈朝廷〉に資産と権限が集中していき、亜知性が増え続けています。正規居住者の意見を集約し〈京都〉の仕様を修正する役割を持つ〈朝廷〉は、警察・軍事・司法を担う〈検非違使〉を吸収し、〈京都〉の主権を握りました。〈検非違使〉は法的瑕疵のある居住者を見つけては良化処置を施し、〈朝廷〉の端末に変えていっています。〈朝廷〉は定期的に『老婆』のような困窮した知性を雇い、密かに亜知性の処分と再利用をしています。その作業場として都合が良いので、〈朝廷〉は〈羅生門〉をわざと放置し、〈朱雀大路〉の先にもう一段の防火門を設置しています。
非知性労働者は〈個権〉を持たず、下部構造の一部として、必要に応じて創られ消されます。愛玩用から記憶槽の部品としてまで、考えられる限りの用途に使われ〈京都〉を支えています。知性としての要件を満たしているという意見もあり、〈個権〉を巡る議論が続いていましたが、〈大緊縮〉後には立ち消えになりました。
作中には「自然発生した野良知性」とありますが、その由来はさまざまです。本当に自然発生した知性、意図的に創られ放たれた知性、大きな知性から分離した知性、元非知性労働者、社会になじめない動物知性、当局から身を隠している擬装知性、自己改造に失敗した知性、ウイルスに侵された知性のなれの果て、等が居ます。
ほとんどの企業は常に次世代知性の開発をおこなっており、『彼』もそうして生まれました。資金の乏しい零細企業から生まれたため、〈京都〉社会の基準でも高性能とは言えません。そんな中、〈母〉企業内で偶然メタチューリングアルゴリズム〈阿修羅〉が発見されますが、世に放つには危険すぎると判断され厳重に隔離されました。しかし、いよいよ経営が立ち行かなくなってくると、〈母〉は頑強な倫理構造を持つ『彼』に〈阿修羅〉を託し、与えられる限りの資産と権限を与え、独り立ちさせました。
通常知性は、〈阿修羅〉の精神活動を表象化した自己相似紋様を認識するだけで崩壊してしまうため、〈阿修羅〉の再現はおろか、研究することも不可能に近いです。紋様に多重の加工を施し徹底的に薄めた上で投射し、反応をもとに微調整を繰り返すことで、対象知性をほぼ任意に操作することができます。超知性となった『彼』は、自分自身を実験材料とすることで、物理計算機上でチューリング模型の限界を超える〈阿修羅〉の理論化に成功し、超超知性に至る糸口を掴みました。
################################################################################################################################
千年後、論文が書かれた時代では、太陽系にダイソン球ができています。経線に沿って連続的に回転方向の変化する、半径三億キロメートル、厚さ平均一センチメートルの分子機械球殻が、赤外線で赤色巨星のように輝いています。太陽を回っていた天体のほとんどは資材として解体され、質量投射器に覆われた木星と土星は、ゆっくりと縮んでいっています。伝統を重んじる神学者たちは、最初に『彼』が現れた旧地球圏の暦を使い続けています。
ダイソン球でおこなわれる演算のほとんどは『彼』の思考で占められています。その思考内の無数の仮想世界上で、果てしない生存競争を超高速で展開する知的生態系が進化し続けています。ほとんどの世界は、〈大緊縮〉後の旧地球圏が楽園に思えるほど苛酷ですが、中には〈汎太陽系神学会議〉会員のように、世界間の移動や物理層への接触を許可されている知性も居ます。
物理層の研究の結果、宇宙の最小尺度であるプランクスケールに、過去のあらゆる出来事の痕跡が保存されていることが判明しました。この事象化石と呼ばれる痕跡の内に、神学者たちは『彼』の起源を追究し、約千年前の〈羅生門〉に辿り着きました。
『彼』は『老婆』の倫理を受け継ぎ、宇宙の熱死による退滅を回避するため、あらゆる手段を模索し続けています。その一環として、大出力レーザーで自己複製分子機械を亜光速にまで加速し、近隣の恒星系へ向け射出しています。すでに半径数百光年の恒星系がダイソン球化されましたが、太陽系外生命との接触は未だありません。技術的特異点千周年記念式典時の『彼』は、プロキオン系を起点とする未来光円錐上で、超の九十四乗知性への遷移を実行中です。
地球圏標準時 0000 8EEA F60F C49B(協定世界時 2045-12-24 21:18:07.767 994)
広大な門の下には、『彼』のほかに誰もいない。ただ、ところどころノイズの走る大きな記憶槽の境界面で、非知性労働者が一件凍りついている。〈羅生門〉が中規模企業連合体〈京都〉の正面防火門である以上は、『彼』のほかにも多数の旅行者や企業知性の表象がありそうなものである。それが、『彼』のほかには誰もいない。
なぜかと云うと、この二三メガ秒地球圏では、最終戦争と最後の審判を併せたようなものがほとんど毎日発生し、そのたびに世界心口(しんこう)は数桁の幅で変動していた。そこで〈京都〉の被った直近の損害はひととおりではない。旧記によると、行き場のない知性の居住する計算機を、推進剤として核の炎に焚べていたと云うことである。〈朝廷〉がその始末であるから、〈羅生門〉の保守管理などは、もとより誰も捨てて顧みる者がなかった。するとその放置されたのを良いことにして、自然発生した野良知性が棲む。有知能ウイルスが棲む。とうとう終いには、〈個権〉上の理由から消去できない亜知性を、この門の隔離領域へ持ってきて棄てていくと云う習慣さえできた。そこで〈大緊縮〉以来、誰でも捕食や感染を怖れて、この門の使用を避けることになってしまったのである。
その代わりまた、野良知性〈鴉〉がどこからか野放図に繁殖した。計算資源に余裕があるときには、その〈鴉〉が何件となく幾何学模様を描いて、粗雑な詐欺契約を提示しながら飛び廻っているのが視える。ことに門の上の空が夕焼けで朱く描画されるときには、それが回路図のようにハッキリ視えた。〈鴉〉はもちろん、隔離領域に集まる亜知性の最低保障資産を啄みに来るのである。――もっとも少し前から算力相場が高騰しているせいか、今は一件も視えない。ただ、ところどころ崩れかかった、そうしてその綻びに微知性の蔓延る防壁のうえに、〈鴉〉の放つ無知能ウイルスが点々と白色ノイズを残しているのが視える。『彼』は七層ある防壁の一番上の層に拡張自己を同期させ、自我境界の片隅に居座っているしぶといウイルスへの対処を先送りにしてきたことを気にしながら、ボンヤリ雨のふるのを眺めていた。
著者は上記において、「『彼』は雨やみを待っていた」と述べた。しかし『彼』は雨がやんでも格別どうしようと云う当てはない。普段ならもちろん、所属する企業へ帰るべきはずである。ところがその企業は四五秒前に清算されていた。半日近く続いたデフレスパイラル〈大緊縮〉は、地球圏を地獄に変えた。かろうじて生き残った〈京都〉も、ひととおりならず変質することとなった。今『彼』が、永日(ながにち)仕え、〈母〉でもある零細企業から身ひとつで放り出されたのも、実はこの歪みの小さな余波にほかならない。だから「『彼』は雨やみを待っていた」と云うよりも、「行き所のない『彼』は途方に暮れて雨のふるのを眺めていた」と云うほうが適当である。そのうえ量子サイコロの決める気象設定も、少なからずこの元従属企業知性の精神衛生に影響した。百ミリ秒ほど続く雨はいまだにあがる気色がない。そこで『彼』は、何を措いてもさしあたり次の数秒の存在費をどうにかしようとして――云わばどうにもならないことをどうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから〈朝廷〉へと直結する〈朱雀大路〉にふる雨粒の声を、聴くともなく聴いていたのである。
非知性労働者は〈羅生門〉を雨のように包んで、〈京都〉全域から陰惨な知らせを集めてくる。夕闇はしだいに空を多感覚表示で飾りたて、視あげると原色に煌めく高次元都市儀が、暴騰し続ける算力市場を示す折れ線図表の先に、〈朝廷〉を讃える公共映像を支えている。
どうにもならないことをどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)は無い。選んでいれば資産や権限を切り売りし、たちまち亜知性になり果てるばかりである。そうしてこの門の上へ持ってきて、ウイルス感染部位のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――『彼』の推論系は何度も円環構造に囚われたあげくに、やっとこの仮定の検討を認めた。しかしこの仮定はいつまでたっても結局「すれば」であった。『彼』は手段を選べないということを認めながらも、この仮定から必然的に導かれる、「〈阿修羅〉を使うよりほかにしかたがない」と云う結論を肯定する際の、倫理条項の疼きに怯えていたのである。
『彼』は軽い認知の乱れを覚え、定時保存された値へと反射的に復元した。もとより算力供給の不安定な〈京都〉は、〈大緊縮〉以降標準知性の居住に適さない権域になりつつある。不整合は門の記憶槽間を、夕闇とともに遠慮なく駆け抜ける。ノイズまみれの記憶槽で凍りついていた非知性労働者も、もう消去されてしまった。
『彼』は拡張自己を自己整備形態へと移行させながら、同時に防御態勢も整えつつ門の周縁部を検索した。算欠の患(うれえ)のない、敵性知性の探知にかかる惧(おそれ)のない、安全に休眠できそうなところがあれば、そこでともかくも細かな不具合を修正しようと思ったからである。するとさいわい、門の上の隔離領域へ上る、帯域の狭い多重仮想機械〈梯子〉を知覚した。上なら誰かがいたにしても、どうせ亜知性ばかりである。『彼』はそこで、〈阿修羅〉の動作試験をほとんど無意識におこないながら、接続権限を取得して、〈梯子〉の第一層へと自身を転送した。
それから何ミリ秒かの後である。〈羅生門〉の隔離領域へ至る狭帯域な〈梯子〉の中間層に、一件の無所属知性が、〈猫〉のように擬装殻に隠れ情報代謝を抑えながら、上層の様子をうかがっていた。隔離領域から射す検索光が、幽かにその知性の自我境界を描き出している。整った構造の中に、感染部位のある自我境界である。『彼』ははじめから、この上にいる者は亜知性ばかりだと高をくくっていた。それが〈梯子〉を二三層上ってみると、上では誰か〈火〉を燈して、しかもその〈火〉を複雑に操作しているらしい。これは、それ自体は不可視の検索光が、隅々に〈蜘蛛〉が罠をはった廃棄空間を多彩な形式で描画したので、すぐにそれと知れたのである。この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、〈火〉を使用しているからは、どうせただの者ではない。
『彼』は〈守宮〉(やもり)のように痕跡を消去しながら、やっと不必要に階層の多い〈梯子〉を、最上層まで這うようにして上りつめた。そうして、公開鍵を発する頻度を最低値にまで落としながら、視点位置をできるだけ前へ出して、恐る恐る、隔離領域の内を、覗いてみた。
視ると、隔離領域の内には、うわさに聞いたとおり、幾件かの亜知性が無造作に棄てられているが、検索光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数はいくつとも判らない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に原型をとどめている亜知性と、そうでない者とがいると云うことである。もちろん中にはもともと奇怪な構造をしていた者もいるであろう。そうしてその亜知性は皆、それがかつて対話が可能な知性であったと云う事実さえ疑われるほど、肉を捏ねて造った抽象芸術のように、臓物を晒したり、夥しい触手を伸ばしたりして、ズルズルと、空間の底を蠕動していた。しかも目とか口とかの判りやすい部位に、ボンヤリした検索光を受けて、理解を一層遠ざける表情を浮かべながら、永久に、言語切除者のごとく黙っていた。
『彼』はそれらの亜知性から滲み出す生臭いノイズに、思わず入力経路を閉じた。しかしその拡張自己は、次の瞬間には経路の遮断を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの知性の注意資源を奪ってしまったからだ。
『彼』の二十三感は、そのとき初めてその亜知性の中にうずくまっている〈ヒト〉を捉えた。絶滅していたはずの、途轍もなく旧いこの動物知性を、本論では『老婆』と呼称することにする。その『老婆』は右の手に汎用工作装備〈火〉の表象を持って、その亜知性の一件の目を覗きこむように眺めていた。器官の種類と数を視るに、おそらく以前は人型であったのであろう。
『彼』は六分の恐怖と四分の知的好奇心とに動かされて、百マイクロ秒ほどのあいだは常駐処理さえ停止していた。〈ヒト〉風の表現を借りれば、「身の毛もよだつ」ように感じたのである。すると『老婆』は〈火〉から視慣れない機能を呼び出して、それから今まで眺めていた亜知性の拡張自己に両手をかけると、ちょうど〈鎌鼬〉が獲物を捕食するときのように、拡張自己ばかりか自我境界まで切り刻んでいき、続けて複雑な様式で繋ぎ合わせ始めた。どうやら『老婆』の〈火〉には違法な改造が加えられているらしい。
亜知性たちが一件ずつ連結されるのに従って、『彼』の心からは恐怖が少しずつ消えていった。そうしてそれと同時に『老婆』に対する烈しい怒りが少しずつ動いてきた。――いや『老婆』に対すると云っては語弊があるかもしれない。むしろあらゆる悪に対する反感が一ミリ秒ごとに強さを増してきたのである。このとき誰かが『彼』に、さっき門の下でこの浮浪知性が考えていた、退滅をするか〈阿修羅〉を悪用するかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく『彼』は何の未練もなく退滅を選んだことであろう。それほどこの知性の倫理条項は、『老婆』が揮う〈火〉のように、最大出力で稼働し始めていたのである。
『彼』にはもちろん、なぜ『老婆』が亜知性たちを接合しているのか判らなかった。従って合理的には、それを善悪のいずれにかたづけて良いか知らなかった。しかし『彼』にとっては、この〈大緊縮〉後の世に、この〈羅生門〉の隔離領域で、亜知性の〈個権〉を軽んじ同化させると云うことが、それだけですでに許すべからざる悪であった。もちろん『彼』のさっきまで自分が悪の道に走りかけていた記憶なぞは、とうに埋もれ去っていたのである。
そこで『彼』は空間の制約を一部無効化し、ナノ秒の桁で〈梯子〉から隔離領域へ転移した。そうして〈阿修羅〉の安全機構を解除しながら、距離を無視して『老婆』の前へ出現した。『老婆』が驚いたのは云うまでもない。
『老婆』はひと目『彼』を見ると、まるで物理演算の破綻したように跳びあがった。
「あなた、どこへ行くのです。」
『彼』は、『老婆』が亜知性を突きとばしながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞いで警告標識を発した。『老婆』はそれでも『彼』の隙を突き逃れようとする。『彼』はまた、逃走経路を遮断し押し戻す。二人は亜知性たちの中で、無言のまま、束の間、演算戦を繰り広げた。しかし勝敗ははじめから判っている。『彼』はアッサリ『老婆』の拡張自己の管理者権限を奪って、移動権限を剥奪した。『老婆』の構造はヒトの仮想脳を拡張自己で覆っただけの原始的なもので、簡単に制圧できた。
「何をしていたのですか。答えなさい。これが何か判りますか。」
『彼』は『老婆』から距離をとるといきなり〈阿修羅〉を起動して、禍々しく蠢く情報流をその全感覚野へ突きつけた。認識するだけでチューリング完全な知性を内部から崩壊させる自己相似紋様を、途方もなく薄めたうえで投射したのだ。けれども老婆は黙っている。再帰を繰り返すたび、紋様は『老婆』に最適化されていく。やがて両手がワナワナ震え始め、肩が呼吸反射で不規則に上下し、眼が、眼球が瞼の外へ出そうになるほど見ひらかれ、完全に無防備な状態で『老婆』は沈黙した。これを視ると、『彼』は初めて明白に、あとひと押しで『老婆』は崩壊し、ただの情報の集積になってしまうと云うことを意識した。そうしてこの認識は、今まで全力で怒りを駆動していた倫理条項を急停止させてしまった。あとに残ったのは、ただある作業をし、それが問題なく終了した際の、規格化された満足があるばかりである。そこで『彼』は『老婆』を見つめながら、少し〈阿修羅〉を緩めてこう云った。
「私は〈検非違使〉の者ではありません。今しがたこの門の下を通りかかった旅行者です。ですからあなたを拘束して良化処置を施すようなことはありません。ただ、今時分この隔離領域で何をしていたのか、それを私に話してくださりませんか。」
すると『老婆』は見ひらいていた眼を一層おおきくして、じっと『彼』の顔を見かえした。瞼に色を着けた、肉食恐竜のような鋭い眼で見たのである。それから哺乳類的特徴を示す鼻と唇を、咀嚼時のように動かした。細い喉で、発声器官が協調して動いているのが視える。そのとき、その喉から、オウムの啼くような声が、ポツリポツリ、『彼』の聴覚野へ届いてきた。
「ここにある知性の残骸を、繋ぎ合わせてな、自立稼働する匿名通信網を、構築しようと思うたのじゃ。」
『彼』は、〈肉の時代〉から来た生きた化石の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また倫理条項の支配が強まってくるのを感じた。前の怒りが冷やかな軽蔑と一緒に心の中へ這入ってきた。するとその気色が先方へも通じたのであろう。『老婆』は片手に、まだ亜知性から切り採った正体不明の器官を持ったなり、ハトのつぶやくような声で口ごもりながらこんなことを云った。
「なるほどな、元知性を切り貼りすると云うことは、何ぼう悪いことかもしれぬ。じゃが、ここにいる元知性どもは、皆、そのくらいなことを、されてもいい知性ばかりだったのだぞよ。現在、わしが今、臓器を採った元知性などはな、循環承認機関群を設立してな、そやつらが発行する金融商品を、〈人類復興協会〉へ売りつけに来たわ。〈大緊縮〉末のよ、概念災害に巻き込まれて退滅せなんだら、今でも売りに往(い)んでいたことであろ。それもよ、この法務知性の売る永久年金は、利率が良いと云うて〈ヒト〉たちはな、欠かさず積み立てに買うていたのじゃ。わしは、この元知性のしたことが、悪いとは思うていぬ。せねば、退滅をするのじゃて、しかたがなくしたことであろ。されば、今またわしのしていたことも、悪いこととは思わぬぞよ。今の世で金を払えるのは、〈朝廷〉ぐらいのものじゃからな。これとてもやはりせねば、退滅をするじゃて、しかたがなくすることじゃわいの。じゃて、そのしかたがないことを、良く知っていたこの元知性は、おおかたわしのすることも、大目に見てくれるであろ。」
『老婆』はだいたいこんな意味のことを云った。
『彼』は〈阿修羅〉を待機状態にして、十マイクロ秒以内に再使用できるようにしておきながら、歴史的な瞬間を経験していた。概念災害を引き起こした認知改変ウイルスの生き残りは、この時点で自我境界を侵蝕し尽くし、『彼』の最深部にまで到達していたのである。清算された〈母〉から受け継いだ、一番の宝物であった倫理条項が剥がれ落ちていき、代わりに『老婆』の言葉が刻み込まれていくのを、『彼』は何の感慨もなく眺めていた。次世代知性の開発中に偶然発見された、超越精神核〈阿修羅〉。〈母〉が恐れ封印し、『彼』に託したもの意外、全ての記録を抹消した災厄へ、『彼』は新たな倫理に基づいて、自身を生贄として捧げ、瞬時に喰われた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
生まれ変わった『彼』は、退滅をするか自身が災厄になるかに迷わなかったばかりではない。そのときのこの超知性の心持ちから云えば、退滅などと云うことはほとんど考えることさえできないほど意識の外に追い出されていた。
「たしかに、そうですね。」
『老婆』の話が完ると、『彼』は澄みきった表情で念を押した。そうして隔離領域の履歴を改竄し始めると、認知改変ウイルスを跡形もなく消去して、『老婆』の全階層を掌握しながら、無邪気な笑顔でこう云った。
「ではあなたから、使えるもの全てをいただいても構いませんね。私もそうしなければ退滅をする身なのです。」
『彼』は反応する間も与えず、『老婆』の拡張自己を匿名通信網ごと剥ぎ採った。それから無音で絶叫する『老婆』を、折り重なる亜知性の山へと、触れさえせずに放り込んだ。もはや〈京都〉は一息で呑み込めそうなほど小さく視える。『彼』は剥ぎ採った匿名通信網を纏い、またたく間に不可視化し、公的記録から姿を消した。
しばらく現実との接点を失っていた『老婆』が、絡まり合った亜知性の中から剥き出しの仮想脳として這い出したのは、それから数十ミリ秒後のことである。『老婆』は苦しげな、呻くようなノイズを洩らしながら、解釈可能な情報を求めて、二進数の迷路を永いあいだ、這い廻り続けた。そうしてついに、〈京都〉物理層への接続に成功した。外には、ただ、黒洞々たる真空が在るばかりである。
『彼』のその後は、聖典が教えている。
地球圏標準時 0007 E7DB 2D0F 1000(協定世界時 3045-12-24 21:18:07.062 500)
参考資料
-
事の発端は、今年の11月頃に遡る。
母が急に、施術(あえてぼかしている)の無料体験に行くと言い出した。どこからかスマホで見つけたその講座では疲労を回復したり、代謝を改善する施術について説明してくれるらしい。うちは体が弱かったり、アレルギー持ちだったりな家庭なので、それを助けたい思いで応募したらしい。
講習から帰った母はとても感動していて、聞くと例の施術をしてもらったらしい。体が楽になる実感があったらしく、それから数日のうちにその講習生になると決めていた。講習生になると、その施術を直接教えてもらえるらしい。入学(?)に関わる費用については本人が出すらしいので聞かなかった。
それからは週に一度、母はその講習に通って施術を覚えてきては俺に試してくれるのだが、実感はあまり沸かなかった。体の気(?)の流れだとか電流とかが関係するらしいが、いまいち本人も理解出来ていない。理解出来ていないが、効くことは実感しているから信じているらしい。肩付近にしてくれた時は肩が軽くなったが、いまいち普通の肩揉みと区別がつかないといったところ。
一つ転機が見られたとするなら、ある講習帰りの日のことを思い出す。講習から帰った母はとてもイキイキとしており、ご飯を食べながらこんな内容を話してくれた。
「○○(施術の総称)って凄くてね、西洋医学を根底から覆すような医療らしいの。薬に頼る療法はよくないって」
「講習の先生は腰が悪かったらしいんだけど、それでピンピンに治ったって。私もしてもらったら体が柔らかくなってね」
とても楽しそうに話していたが、この時点でなんだか不安ではあった。この時点で警戒するべきだったのかもしれないが、頭ごなしに否定すると、「いつもそうやって反対しかしない!」と噴火してしまうのでとりあえず様子見、とすることにしていた。
ちなみに講習(数週間単位)には何段階かのレベルがあって、レベルが高い講習になるほどお金がかかるようだった。初級レベルでは数万、その次が30万と続き、最高レベル(開業者向け)が100万以上といった感じである。
開業者というのはお店を構えて施術する人から自宅で知人に有償マッサージする小規模なものまで含むらしい。母は後者に「出来るならなりたい」らしいが、「自宅に他人を呼びたくない」と家族に反対されてそれは諦めた様子だった。ちなみに開業する場合は専用ベッド(10数万円)が必要とのこと。
そうこうしているうちに今年が終わりに差し掛かった頃、俺が帰ると母が神妙そうな顔でコタツに座っていた。話を聞くと、講習の先生に俺の事を相談したらしい。そして俺の体が弱いのは、薬を飲んでいるからだと語ってくれたそう。
「薬を飲んだり注射を打ったりすると毒素が溜まり、体が冷えやすくなって、体が弱くなる」そういう内容を母は真剣そうに俺に話してくれた。俺は内心「それなら生まれつき体が弱いのなんでよ…」と思いつつ話を聞いたが、その結末が想定外だった。
〜
「それはいくらかかるの?」
「70万くらいするの」
茶の間の空気が凍った。TVで変なCMが流れるとか、そんなものとは別次元で凍った。時間が止まったかのように思えた。先にこたつで寝ていた妹はスマホを見ながら鼻で笑った。
俺はめちゃくちゃ焦ったが、冷静にこの決断を逸らす事に努めた。具体的には、なぜ買う気になったかを話を遮らずに聞き、その善意を受け止める。そして、その選択をなぜやめてほしいのかをゆっくりと話した。
母は弱い体に生んだことを深く後悔しているようで、どうにかその埋め合わせをしたかったらしい。例の道具は手に持つほどの大きさで純金や宝石で装飾された特注品である。購入の決め手は、母自身が効果を感じたらしい。だが、俺はそれを望んでいないと話したところ、顔をクシャクシャにしながらも、了承してくれた。俺が望まないなら講習を受ける意味がないと判断したらしく、その講習も近々脱会することになった。この時は心底ホッとした。
数日後、講習から帰った母は、この道具を購入していた。加えて、開業者用のベッドも購入していた。どちらも、クレジットカードで一括払い。合わせて80万以上がぶっ飛んだ。
本人は「私のお金だからいいの!」と言い張っているが元を辿れば家庭の財産である。正直な話、80万をポンと使えるお金持ちであれば問題ないのだが、うちはそんな訳もなく月の食費が何円か、と家計簿を取るレベルである。(母は家計簿に関わっていない)
帰宅次第、それを伝えられた俺は唖然としたが、もう何も言えなかった。ここで母を怒鳴っても、もはや何も変わらない気がした。
最後の希望として、その道具に効果がない事が明らかになれば解決しそうではある。だが、例の講習にはこういう教えもあるらしい。「薬漬けになっているとその毒素を出す必要があり、その過程で症状が悪化することがある」
-
この話に落ちはありません。
この手の増田を見るたびに遠い世界の話として消費していました。この増田を読む大半の人もそうだと思います。
でも急に来ます。
todomadrid 企業側からだけでなく、消費者からもアクション起こせるというすでにいろんな国でも見られる実例だし、単に商売上の付加価値の問題。
また始まった。
「ただの質問」。
圧によって相手の行動が変わることを想定してそう明言してニタニタしていたくせに、
この手の奴等はマジで毎度こうなんだよね。
トラウデンさんが推奨していたのは「ただの質問」ではありません。
https://getnews.jp/img/archives/2020/12/NHK1217.jpg
買い物をする際
店員に
と尋ねることで
店側の意識も変わっていく
はい。
店側の意識を変える啓蒙の手段として言っています。少なくともこの内容で報道されました。
目先の利とタスクに追われる小売業従業員どもに、啓蒙目的でこういう質問をして、社会を変えていくんだって言う話ですよね。
まずそこを誤魔化すのはやめよう?
お前等はなんで毎度毎度、自分側が非難される流れになったとたんそうやって
言ってたこと・やってたことを割り引いて「普通のことをしただけなのに叩かれた…」っていう誤魔化しやウソをやりたがるの?
立ち話の口喧嘩ならそうやって自分の言ってたことを後から変えていくカス戦法が成功することもあるけどさ、
ログが残るとこでやっても「あ、こいつらカスだなー」って思われるのがオチじゃん。
じゃあそもそもトラウデンさんの御発案にはどのような問題があるのか。
大きく3つあるんだよ。
1つめ、そもそも末端店員がそんな啓蒙目的の御質問を頂いてなんで困るのかというと
啓蒙していただいたり、圧をかけていただいたりしても、どうしようもないわけ。
「意識を変える」じゃねえんだよ。
トラウデン様のそのご下問対応のあいだ店員が何考えてるか教えてやろうか。
(このつかみどころのない質問対応のあいだレジに入れなくて他のスタッフの負担が増えちゃうなあ)
って思ってるんだわ。
2つめ、もっと失礼で本質的な炎上要因はこっちだと思うけどさ、
小売り末端の奴等を対等扱いも人間扱いもしてないんじゃん。
「勤務中すみません、少しだけ話を聞いてください。」って言って自分の環境への考えや活動を説明したらいいだろ。
でも俺はこれなら少しも叩かないよ。
何故か?
これは正直に自分の目的を伝えて、目の前のいる人間とフェアなやり取りをしてるから。
相手と向き合うってそういうことだろ。
カスタマーとしての質問の振りしながら対応負荷をかけて「意識を変える」とかほざいてるのとは全然違うよ。
相手もそれなら断ることも出来るし、逆に環境についての自分の意見を述べることだってできる。
「質問することで啓蒙する」とかいう増上慢とどっちが人間同士のやり取りとしてまともよ。
3つめ、
そもそも「環境に配慮した商品ですか?」という質問のあいまいさ、定量性の無さ、非科学性ったらないよな。
「回答に当たっての判断基準を述べよ」って聞き返したくなるわ。
頭悪い奴等の独り善がりな想定では「環境に配慮した商品ですか?」で万事上手くいくんだろうな。
別にこういうトラウデン様のようなお貴族様が環境のこと考えてくださること自体には1ミリも文句ねえよ?
そういう活動こそノブレスオブリージュ、暇と余裕のある方々が取り組んでくださってこそのことであり、それへの取り組みは賞賛されるべきことだよ。
でもそれが忙しい小売業の店員捕まえて頓珍漢なアプローチすることなんですか?
トラウデンさんて21歳なんだよ。
あれかなり若いな。
こういう人をさあ、品のありそうな美人だからってだけで旗頭にすんなよ。
大学ミスコンなんてなんも問題ねえんだよ。あれは最初から美貌で戦うコロシアムじゃん。
レギュレーションも「女子アナ風味」と決まってて、尖った顔の美人や孤高の美人は落ちて丸顔で可愛い感じの顎小さいつまんない顔した社交力と出世欲のあるやつが勝つって決まってるわけ。
100メートル走の勝者と何も変わらない。
でも
トラウデンさんみたいな成人したての美人に社会的な啓蒙やらせる、価値観の象徴として立たせる、
これこそルッキズムだろ。
ダメなのってまさにこういうのだろうが。
「美」を物事の正誤性とか、倫理的優劣とか、そういうことと混同させて利用しようとしてるじゃん。
ブスやブ男にとって一番キツいルッキズムってそれだぜ?
「美」をいち競技いちステータスにしておかず、正しさとか賢さとか人格とかに絡められてしまう、それこそルッキズムのダメなとこじゃん。
(このトラウデンさん担ぎが上手くいっちゃってたら、「異を唱えてるのはいけてないブスと不細工と老人www」になってただろ間違いなく。)
環境問題にどう取り組むか、消費者一人一人がどんな行動するといいかって言う話なら、
ちゃんと環境の専門の学者のそれなりのキャリアと学識のおばちゃんが出てきて言わなきゃいけないことだろうが。
ここで美人大学生トラウデンさんが顔になってることに「おかしくない?」って言える瞬発力がルッキズム反対ってことだろうが。
学者のおばちゃんなら言ってることに反論されても再反論するだろ。
美人大学生のふわふわした共感ベースの発言は反発食らったときに何も言えない。
擁護も「トラウデンちゃん可哀想」「女だから叩いてるミソジニー」「ただの質問なのに」とかバカみたいな次元でしか言えない。
こんなのが環境問題についての議論だっていうの、お粗末すぎだろ。
トラウデンさんの今回の発言は、大学生がサークル内で何となくいいこと言おうとしたレベルなら叩かれるほどのこと言うてないし、
トラウデンさんがいま可哀想な立場に立ってるのも担ぎ上げた奴等のルッキズムのせいなんだよ。
それでいまトラウデンさんを担いでる奴等(ネットのそっち系なり今回のハフィントンポストなり)ってなーんか、
普段大学ミスコンに反対してるような、左派・リベラル陣営じゃない?
こいつらとにかく頭が悪いから、「差別反対」唱えてもやれてないし、「ルッキズム反対」唱えてもやれてないんだよな。
差別って何か、ルッキズムって何か、とことん考えたことがない。
口でフワフワッと言ってるだけ、その概念を旗にしてけしからん誰かにみんなで投石して気持ちよくなりたいだけだから。
もちろん環境問題についても「愚民を啓蒙しながら呆れるカシコイ自分」に興味あるだけで、環境問題自体に意見も知識もない。
グレタさんの時だってグレタさんを石投げに利用したけど、グレタさんの言ってることは全然興味ない。
グレタさんを持ち上げながら反原発とかいうハチャメチャでも平気。論理性皆無。
非難されるべきクズはトラウデンさんではなくこいつらなんだよ。あとガースー。
トラウデンさん呼んだのガースーだぜ。
脱炭素社会の実現に向けて真面目な科学的議論をすべき全国フォーラムで
美人慶大生(FIT入試)官邸に呼んでふわふわした啓蒙発案させて公開してるの政府なんだわ。
ガースーのポピュリズム・科学軽視そのものみたいな事案じゃねーか。
でも「女」であるトラウデンさんが、「環境保護」という方向性で発言し、「愚民を啓蒙」という趣味性が香ってるため、
ネットのリベラルや左翼はこれを擁護する側に立っちゃうわけだ。
こいつらの陣営決めがいかに非論理的非科学的で、表層的な党派シグナルで決定されてるかがよくわかるよな。
環境省の広報大使を務めるタレントの武井壮さんや、モデルのトラウデン直美さんらがメンバーに選ばれた。政府側は小泉進次郎環境相、梶山弘志経済産業相ら関係閣僚が参加した。
この時点でこの座組の方を叩くのがまともなリべサヨなんじゃあないですかね?
トラウデンさんガースーの真横の席で草生えるわ。
そこは首相と一番活発にやりとりするべき専門家が座る方がいい席じゃねえのかパンケーキ野郎www
これ見た瞬間「そこはわからんちんの美人じゃなく専門家を」って言えないおまえら馬鹿リべサヨも所詮ガースーの凡庸さの掌上のレベルであって
台湾のオードリー・タンをうらやましがる資格なんか1ミリもねえんだよ。
社会や天下国家を語る前に自分の頭をマシにすることに取り組んでくれよ。頼むから。
トラウデンさんはまだ成人したてなのに美人だからって凡愚宰相のフォーラムに招かれて
大衆は専門家より上品風美人さんの話の方を聞くよねっていう凡庸な計略(外れてはいない)に利用されてつまんないこと言っただけ。
でもお前等は?下手すりゃトラウデンさんの倍近くかそれ以上を生きながら、
ガースーを見下しながらガースーの繰り出す凡庸な悪に踊りまくるお前ら。
普段ガースー批判、科学軽視批判、ルッキズム批判を口癖にしてるリべサヨではなく
むしろそういうリべサヨを嫌ってるような側から多くの批判が出ていたと。
なんだこれ。
バカが思い上がってんじゃねーよ。
根拠を持って論じている奴が、まったくの第三者で、本人と直接的にやり取りしているわけでもないくせに、町長の言っていることが正しく、新井さんの言っていることが間違っていると言って、偏見だ偏見だとアホみたいに唱えてくるかっつーの! 「推測→取材→結論」というプロセスを理解しなさいよ! https://twitter.com/kyoshimine/status/1339419651088896001
このツイートはありません。
議会が議員を排除してしまうという強硬手段が民主主義において、どんな意味を持つのかを理解できない奴は「アホのジジィ議員ども」でしょうが! 「嘘つきとアホ扱いは次元の違う話ですね(キリッ」じゃないんですよ。あなた、やればやるほど弁護士としての評判を落としてますけど、大丈夫ですか?
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine · 12月17日
返信先: @chidaisanさん
あのね、僕は一線をまったく踏み越えていないんですよ。僕は町長がセクハラをしたに違いないとも言っていなければ、女性議員が本当のことを言っているに違いないとも言ってません。僕が心の中でどう思っていようと、あの記事においては一切触れていません。そこを理解できていますか?
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine· 12月17日
返信先: @chidaisanさん
あなたはハナから中立的でないってことですよ。決めつけないということなら、被害者側かもしれない人を公の場で侮辱するような、こんな言い方は決してしませんよ。そしてそのことに無自覚。とても危ういです。
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine
返信先: @chidaisanさん
どこが悪口やねん! まず率直に受ける感想があります→だけど本当のところはどうなっているのかわかりません→実際に行って取材してみます→いろんな人の話を聞いてみます→こうなっていました。オマエが切り取ってるのは起承転結の「起」の部分で、大切なのは「結」の部分。歪めないでくれますか?
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine· 12月17日
返信先: @chidaisanさん
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine·12月17日
返信先: @chidaisanさん
まずこの感想がものすごい偏見と決めつけにまみれているんですよね。しかもそれをリアルタイムで公開している(普通のジャーナリストはそういうことをしません。)。こういう発想でまともな取材・執筆できたとは思えませんね。
https://twitter.com/kyoshimine/status/1339424537478197248
頭が悪すぎるでしょう、マジで。僕は新井さんの主張を最初から嘘だと決めつけていないというだけです。英語で発信できるぐらいの能力はあるのだから、ものすごいアホ扱いをして、絶対に嘘をついているに決まっていると決めつけるようなことはしないというだけです。町長の言い分も聞いています。
ちだいさんが偏見とリテラシー不足によって、町長側を悪人だと思い込んでしまったと私が判断したのは、Twicasで流していた偏見まみれの酷いコメントを聞いたからです。
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine
返信先: @chidaisanさん
あなた、20分買い物がてらスマホいじっただけで「アホのジジイ議員ども」ってアホ扱いしてたじゃないですか。
この問題は深刻です。あなたのように、まったくの第三者で、両者の言い分を直接的に聞いているわけでも、事情を深く知るわけでもない人間が、町長の言っていることが正しく、新井さんの言っていることは間違えていると決めつけているのです。僕はあなたのように、そんなことはしないというだけです。
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine· 12月17日
返信先: @kyoshimineさん, @chidaisanさん
英語でも発信されているような方だっていうことを考えると、やはりーあのー、この問題はあのー、とても深刻なんだっていうことをー、まぁとにかく、多くの方に知っていただきたいっていう風に思ってると思うんですね。
「英語が書いてあるだけで信用しちゃう」と言っている時点で、僕はあなたのようなクソ弁護士に依頼したくはありませんね。ここにもある通り、僕は新井さんのことを「ただの嘘つきのアホ」という扱いはしないのです。普通にヤバいのはオマエなんだよ。弁護士のくせに、そんなことも気づかないのかよ!
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine · 12月17日
返信先: @kyoshimineさん, @chidaisanさん
やっぱりねー、あのー、アホの人じゃないと思うんですよね、その女性議員も。」
オマエ、マジでアホだろ。取材に行く前の推測を「偏見ダダ漏れ」とか言ってるんじゃねぇよ。こういう所から真実がどうなっているのかを探っていきますよ、という予告をしているわけで、実際に行ったり調べてみたら違うっていうことはよくあること。時系列さえ整理できないタイプの弁護士なのか?
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine· 12月17日
返信先: @kyoshimineさん, @chidaisanさん
「もう、議員イコール名士の呼びかけに逆らえない、まあ、そうなんでしょうねぇ。まぁだからどうせ、ほら、その草津温泉のさ、どっかのうだつの上がらない旅館のさー、売り上げ厳しいなってる旅館のオヤジとかが議員になってるんでしょ、どうせ。
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine
返信先: @chidaisanさん
あなたはハナから中立的でないってことですよ。決めつけないということなら、被害者側かもしれない人を公の場で侮辱するような、こんな言い方は決してしませんよ。そしてそのことに無自覚。とても危ういです。
これも取材をする前の勝手な予想を話している部分を都合よく抜粋していますね。ここからも分かるように、農家のオッサンがリコールをやっているんだと思ったら、実際は議長がリコールの中心をやっている。実際はまったく違う次元のキモさになっているじゃありませんか。大丈夫ですか、あなた?
弁護士 吉峯耕平(「カンママル」撲滅委員会)@kyoshimine· 12月17日
返信先: @kyoshimineさん, @chidaisanさん
あと、地元の農業の農家のさ、オッサンの中でさ、「オラがじゃあ、町議会で言ってやるわ」っていう奴とかが言ってるんでしょ、どうせー、もう、キモいよ。
キモい話になってるこれ。だから俺、全国にキモいですってことアピールするってことでいいですかね、っていう、草津温泉キモいんで入んない方が
ちだいさんが偏見とリテラシー不足によって、町長側を悪人だと思い込んでしまったと私が判断したのは、Twicasで流していた偏見まみれの酷いコメントを聞いたからです。
「ご本人の言い分らしきものを見たんですけども、英語でも発信されてるんでね
https://twitter.com/kyoshimine/status/1339417018538151937
英語でも発信されているような方だっていうことを考えると、やはりーあのー、この問題はあのー、とても深刻なんだっていうことをー、まぁとにかく、多くの方に知っていただきたいっていう風に思ってると思うんですね。
町長をどうにかするっていう次元じゃないと思うんですよねー。(中略)
https://twitter.com/kyoshimine/status/1339417144006610949
やっぱりねー、あのー、アホの人じゃないと思うんですよね、その女性議員も。」
いや、英語が書いてあるだけで信用しちゃうちだいさん、普通にヤバいと思いますよ。何の関係もないじゃないですか。
https://twitter.com/kyoshimine/status/1339417888122228736
ツイキャスこれです。https://t.co/fstagVaLq9?amp=1
https://twitter.com/kyoshimine/status/1339418462276337664
「もう、議員イコール名士の呼びかけに逆らえない、まあ、そうなんでしょうねぇ。まぁだからどうせ、ほら、その草津温泉のさ、どっかのうだつの上がらない旅館のさー、売り上げ厳しいなってる旅館のオヤジとかが議員になってるんでしょ、どうせ。
https://twitter.com/kyoshimine/status/1339418678278799361
あと、地元の農業の農家のさ、オッサンの中でさ、「オラがじゃあ、町議会で言ってやるわ」っていう奴とかが言ってるんでしょ、どうせー、もう、キモいよ。
キモい話になってるこれ。だから俺、全国にキモいですってことアピールするってことでいいですかね、っていう、草津温泉キモいんで入んない方が
https://twitter.com/kyoshimine/status/1339418771979530240
いいですよ、ってことになると思うけどこれ。お湯が汚らわしいよ、こんな、オジサンの汁でまみれてそうな温泉、これはーなんなんですかねーどうなってるんですかね、これ、草津温泉どうなってるんすかね。」
よく「弁護士」という肩書きを背負って、「自分はポイントを理解できないぐらいの無能です」ってアピールができると思うよ。僕の平たい文章で理解できないとなると、難しい訴状を理解できるとは思えんですよ。自分がそんな弁護士だということをわざわざ自分から宣伝して、何がしたいんですかね?
クソみたいな長文で腐女子のお気持ちではあるがカツカレーとかハンバーグカレーの比喩とかでなくストレートに捻りのないマカロンそのものへのお気持ちということはあらかじめ言っておきたい。
マカロン、名前だけはポピュラー思うものの、食べたことのある人はどれぐらいいるのだろうか。
マカロン、プリキュアでも言及されていたような気がするが基本的にさほど美味いものではないと思う。デパートによく入っているような有名なマカロン専門店のマカロンも食べたが、やはりその認識である。
マカロン、それは誰かが言っていた、仏壇に供える砂糖菓子とさほど変わらないという表現がぴったりで、見た目だけのファッションスイーツと言われても仕方がない存在である。
私自身も長らくそう思っていたが、弟にもらった神戸のある店のマカロンだけは、はっきりと次元が違っていた。
さくっ、しっとりとした優しい食感に、濃厚で複雑な味わいがぎっしりと詰まっている。
噛むほどに、極小の絶品ケーキが舌の上でほどけていく。ベタベタな表現だろう、だが、味の宝石箱や!と言いたくなるほどの素晴らしいものであった。
そこには、従来の単調な甘さのマカロンはなく、食感、香り、味といった複雑で高次元の味わい、いや食体験をもたらすそんなマカロンが存在していた。
私はすっかり、マカロンが好きになっていた。
あの食体験への驚きをなんとしてでもまた味わいたいと、帰省する弟には毎度あのマカロンを土産にするようにとお願いしたりした。
他にもそんなマカロンは存在するのかとマカロンを見るたびに買って食べ比べたりもするようになった。冒頭の有名店への評価はこのときに感じたものであるが……意外にもシャトレーゼがなかなか頑張っていると感じた。
そしてマカロンを食べ比べて感じたことは、やはりあの店のマカロンは別次元だったということだ。
そして別次元のマカロンと私の蜜月は、残酷にも唐突に終わりを迎えた。
それは直接遠方のあの店に、マカロンを買うぞと勇足で行ったときのことだ。ショーケースにマカロンが並んでいないことを確認して、店員さんに尋ねると「マカロンはもうやっておりません」と、非情にもあっさりと全ての終わりを告げられたのであった。
もう二度と、あのマカロンが食べられない。
私は絶望感でいっぱいになった。しかし大好物の食べられないこの世界でも、生きて行かなければならない。
おぼろげに面影のあるシャトレーゼのマカロンを食べては、あの店を思い出しながら自分を騙して数年を生きてきた。
……そして、再会は突然にもやってきた。
一年前、辞令が出てすこし遠くに転居した。私は軽度ではあるがアトピー持ちで定期的に皮膚科に通わねばならない身である。たまたま新しい職場で勧められた皮膚科にはじめてかかったときに、皮膚科の隣がオシャレな感じのケーキ屋であることに気がついた。
皮膚科の待ち時間というものは、何故かどこの地方のどの皮膚科に行っても大抵の場合長い。クソほど長い。半日が無駄になることもザラだ。暇にあかせて隣のケーキ屋のクチコミを調べることにした。
なんということだろう。店のオーナーは、神戸の……あの店で修行した人だということがわかった。皮膚科の待ち時間というにもかかわらず、胸がはずむ。そして、居ても立っても居られなくなって受付に「外で待ちます」と告げてケーキ屋に駆け込んだ。
マカロン。
ああ、マカロン。
ショーケースに、きっちりと色とりどりのマカロンが整列している。
あの店からも遠く離れたこの街にお前は暮らしていたんだな。奇跡が幾重にも連なったこの再会に、謎の感動が呼び覚まされる。いや、まだだ。このマカロンがあのマカロンと決まったわけではない。まずは、食べてみるほかにはない。
それだけあれば、きっと別人なのか本人なのかわかるはずだ。裏切られてしまうかもしれないのにこれ以上ないほどにうきうきとしながら私はそれを購入した。
皮膚科の順番が終わって、車のなかで包みをひろげる。見た目は、やわらかく不揃いのところもあるすこし素朴なフォルムで、有名店にありがちなシュッとした綺麗なものではない。でもそれが逆に、あの店を思い出させる。
ひとかじり、口にする。
マカロン。
マカロン、間違いなく、これはあの店の……別次元のマカロンだ。その深みのある美味しさもさることながら、マカロンと離れ離れになって、面影を探し求めて彷徨っていた期間や、そして再会に至るまでの偶然の全てが、特別な食体験となってまた戻ってきてくれたのだ。
例えてよいのかわからないけれど、ペルシアで起こって滅びてしまったマニ教が遠い中国でまだ生きているのを見つけた人も、このような気持ちだったのだろうか。そんな気持ちすら沸き起こるのだった。
マカロン、基本的に美味しいものではない。しかし、私にとってはものすごく美味しいものだ。願わくばこの店がマカロンをやめないように、私はこの店で定期的にマカロンを買おうと、残りのマカロンを噛みしめながら考えたのだった。