はてなキーワード: ティングとは
https://anond.hatelabo.jp/20170625093637
アンカーというブリヂストンのスポーツ自転車ブランドのものが個人的にはおすすめです。
ブリヂストンは長年まじめに自転車に取り組んできた国内企業ですから。もちろん、海外にも良いブランドはたくさんありますので、そちらを選ぶのも良いでしょう。好みのデザインのものであれば、より愛着も湧きますから。
また、どの自転車に乗るにせよ。
などで検索して自分の体格に最も適した形状に自転車を調整し、ギアチェンジを駆使しして常に軽めのギアでくるくる回す走法だと疲れ知らずで走り続けられます。
「自転車」の部分を適宜「ロードバイク」や「クロスバイク」に変えてみて下さい。
http://www.cb-asahi.co.jp/html/ride-first.html
http://jitensha-hoken.jp/blog/2014/11/bicycle-fit/
http://crossbike-first.com/176/
http://ameblo.jp/44100x16bit-arts/entry-11497989834.html
GoogleのAIちゃんが毎日教えてくれる豆知識か本当なのかしら?
ってその文言についてググってみると
一切全く何のひとかけらの情報も出てこない、
一体どうなってるのかしら?
猫はニャーンと鳴きません!
そんなことより、
多分閉めたと思うんだけど、
そのもやもやな感じ、
開けて、閉めて、開けて、閉めたら入れない!!!
でお馴染み、
彼のこと知らない人がいてビックリだわ。
開けて閉めての人を知らないなんて。
でも、だいたいは鍵閉めたかどうかって、
たいていは、閉まってるのよね。
なんかそう言った些細なこと
確認出来たら嬉しいわね。
最近ずっと見なかったので、
朝はちゃんとしっかり食べた方がいいわよ、
そんな気がする!
やっぱりまだまだ茶葉の具合が多すぎるようね。
よっぽど少なくてもいいのかしら?
まだちょっと渋みを感じる。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
グラビティデイズ2、1よりも気が利くようになってるな
話しかけるときは四角ボタンだから丸ボタン押して重力グラブを間違えて発動させることがないし
重力スライドもL2+Lスティックだけでよくなったからめっちゃ快適だわ
1はL2R2同時押ししないといけなくて間違えて緊急回避が頻発してめっちゃいらいらさせられたしな
とくに逃げ足はやいやつを追跡するときに重力スライドしたいのに回避出るとめっちゃむかついた
オートターゲッティングもゆるくなったし、空中での回避も1よりはっきりできるようになった
あと今まだ序盤も序盤だけど、それでもサイドミッションがストーリーミッションと同じ段階で出てきて、1よりサイドも多そうって感じた
石ぶっこんで終わりとかじゃなくておつかいだけど
はやく写真とりたいとおもったけど十字キー上が全然反応しなくてなんだこれと思ってぐぐったらある場所でカメラもらうまではとれないのねなーんだ
1作めの方
サブクエ軍隊は敵かわしながら人助けするところで死にすぎるから諦めた
モンハンの卵運びクエストで感じたイライラを久しぶりに思い出したわ・・・
んー★3.5くらい
2がでた今となってはいいけどストーリーが中途半端に終わってる
自分が下手なだけとも言えるけど
止まってるのか落ちてるのかがわかりづらい
攻撃くらった後の無敵時間がないから当たった後体勢立て直そうとして続けざまにホーミング弾くらうってのが多すぎ
視界ぐるぐるで敵の位置が全然わかんなくなるのに頼りないカーソルで敵の方向示すだけでオートターゲッティングもないから戦闘がすげー大変
能力upはデビルメイクライとかゴッド・オブ・ウォーに似てた
町の人々の性格が悪すぎる
あまりにも横暴っつーかむかつきすぎる
元増田です。なぜか消えてしまってオダミツオさんとかに心配していただいているみたいなんで再掲します。
まあ、私が元増田かどうかも、どうでもいいじゃないですか。「CC BY 4.0」宣言しているんだし。
5/20の再掲が字数オーバーだったのかもしれませんし、捨てアドでアカウントとられたのを、はてなさんが怒っているのかも。
結論:
アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、流通改善に名目を借りた正味戦争の宣戦布告である。この戦争に敗北し、多くの出版社が個別直接取引(e託)に応じてアマゾンのみに特恵条件を与えることは、破壊的な状況をもたらす。
また、直接取引をしたところで流通が改善するという保証はない。アマゾン依存度が上がるほどに、苛烈な「ご提案」に逆らえない状態となる。
在庫ステータス管理の問題は、業界が抱えつづける課題ではあるが、このアマゾンの施策とはほぼ関係ない。
長くなってしまったので、結論を先に書いた。これに納得できた人は、この先は読まなくてもいい。そうでない人、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。
取引正味の現状
出版社から取次への引渡 69%(-2~+10数%)
取次から書店への引渡 77%(-5~+数%)
一般に、老舗ほどよい条件を持っている。(大手がすごくいいというわけでもなく、特に正味が高いのは法学・医学などの高額専門書出版社である)
正味以外にも新興出版社は上記条件のほかに歩戻し(新刊委託手数料)を支払い、新刊の代金支払いは納入の7か月後、さらに3か月から1年の支払い保留を課されるケースもある。
一方で、老舗出版社は新刊でも搬入翌月に代金の半額の内払いを受けるなど有利な取引条件を有している。
かつては出版社ごとの正味の違いは書店への卸正味に反映されていたが、取次間の書店獲得競争の結果「一本正味」が増えている。その結果、老舗出版社の高額商品を卸すと取次が赤字になるという「逆ザヤ」も生じている。
大手出版社が取次の株式を保有しているという背景もあり、こうした取引条件が改定されることはめったにない。
アマゾンの直接取引(e託)は、これを年会費9000円、正味60%の直接取引に一本化しようという提案である。
https://www.amazon.co.jp/gp/seller-account/mm-product-page.html?topic=201463220
ある意味で平等に見えるが、背面では個別に違った取引条件が出版社に持ちかけられている。漏れ聞いたところでは66%の提示までは確認したし、中堅以上からはそれ以上の条件で取引しているという示唆も受けた。
しかし公式以外の取引条件はあくまで特約であり、アマゾンの提示する「条件」が守られなかったと判断された場合は一方的に破棄される。また、契約書をよく読んだ人は、その条件が数年間の時限であることに気づいたはずだ。
アマゾンはこれまで(おそらく)73%くらいで仕入れていた本を、60%で仕入れるようにしたい。まずのところ、「取次に在庫を置いてもらえていない本」から。いきなり60%と言っても受け入れてもらえないから、短期的には優遇条件や集荷などのエサを出す。
なぜこのタイミングで言ってきたのか
アマゾンはアフィリエイトにしてもマーケットプレイスにしても、市場占有率が上がるにつれ、取引条件を何度も改定してきた。取次からの卸を「73%」と推察したのも、天秤をかけられている取次がギリギリ呑めるラインを推察しての話だ。日本上陸時の大阪屋との取引正味が75%で、そこからコンマ5%刻みで4回、計2%下げただろうというのが筆者の読みである。取次のアマゾンに対する態度が「あんな条件では積極的には欲しくない」に年々変わってきたというのが傍証となっている。
それにしても今回の「バックオーダー発注廃止」は急で乱暴な施策に見える。通告メールの文面にも焦りが垣間見え、「3月期の利益が取次対応の遅れによる売り逃しで毀損された」からだと主張している。
3月は新刊が多く、セット搬入等も含めラインは輻輳する。アマゾンと日販の蜜月が終わり、日販が「こんな粗利のところに便宜を図っていられない」と気づいたのもあるかもしれないが、今日に始まったことではない。
より説得的な答えは、「配送料の値上げにより利益が圧迫されるので、別途利益を上げる見込みを立てて早急に本社に報告しないと、日本法人の評価が下がるから」だろう。
アマゾンは、租税回避や配送・資材・仕分の業者を徹底して継続的に買い叩くことに不断の努力を払い、設備投資の源泉を得てきた。そうした抜け道は徐々に塞がれてきたが、その間に無視できないシェアを得た。その買い叩きの対象が、いよいよ本格的に出版社にまわってきたということだ。
アマゾンで品切が頻発する理由
さて、「話題になった本がアマゾンに行ったら品切になっていた」が、なぜ頻発するかの考察に移る。
アマゾンの発注の仕組みは以下の記事に詳しい。
アマゾンのバックオーダー発注の件について小零細出版社が考えるべきこと
このバックオーダーの発生してからのこれまでの流れについては、以下の5年前の記事が(ちょっと出版社が鈍すぎだが)おおむね正しい。そして、この流れは一般書店も変わらない。
amazonの本の補充はなぜ遅いのか
精力的な書店は、発注を出版社に直接行ない入庫処理も迅速なので、出版社に在庫があるもののバックオーダー後の入荷はアマゾンより4営業日以上早い。
このバックオーダー発注を7月1日から「取次を介してやらない。e託しない出版社の取次に在庫のない商品は扱いを中止する」というのが今回の通告である。
そして、高島氏の言うように在庫状態を開示して搬入を早くしても、問題は解決されない。
ベンダーセントラル(VC)でチェックするとわかるのだが、アマゾンの発注は間歇的になされる。たとえば、週に10冊需要のある本は、2か月に1度、100冊の注文が来る。
その冊数の在庫を日販が準備していなければ、大阪屋栗田の在庫を見に行って、それでなければ翌日繰り返す。そんなことをされたところで、それに対応して発注される可能性のある品目を網羅的に取次が在庫することは不可能である。日販にしてみれば、その照会は大阪屋栗田で充足されたかもしれず、明日発注されるかもわからないのに、その数を即仕入れろというのも無理な話だ。
なぜコンスタントに補充をやらないのかという疑問が起こるだろう。在庫が少ないタイミングで受注の波が来たら、アマゾンにしても機会損失になるからだ。
しかし、実際にこの十数年、定番書であっても同じアイテムの「バックオーダー発注」の短冊が数週間に一度、同じ日に何枚も「市川13,6,4、小田原9,5,2、堺20,7、鳥栖6,5,2」というようにまわってきて、その前後でアマゾンで品切になり、回復まで10日間というような事態が繰り返されてきた。
ベンダーセントラルを見ると、受注は多少の波はあれどコンスタントであり、アマゾン自身の「需要予測」もおおむね頷ける値になっている。しかし、発注だけがすさまじく間歇的なのだ。
最初は倉庫の入荷オペレーションのためかと考えていた。しかし、倉庫が各地に増えた現在では、各倉庫の発注時期をずらせば、品切を回避できるはず。アマゾンの優秀な人たちがそれに気づかないはずはないが、折に触れてその点は提案してきた。
「発注時期を倉庫毎にずらせませんか」「バックオーダーの発注を版元に直接送りませんか」
しかし、そのたびに返ってくる返事は「当社独自の計算にもとづき、在庫量・発注時期は最適なかたちでおこなわれています」「流通にご不満がある場合は、e託契約をご検討ください」だった。
いま筆者が持っている仮説は2つ。
「倉庫ごとに時期をずらすと、北海道の発注が佐賀に飛ぶような高コスト事例が頻発しかねないので、各倉庫の在庫を平準化したい」
「在庫についてつねに不安定にすることで、出版社と取次に対して取引カードにしている」
それが穿ちすぎであるにしても、アマゾンの在庫が過小であり、それを解消する意思がないのはあきらかだ。
過少な在庫量と倉庫の人手、発注遅延、そして入荷時期への過大な要求
「アマゾンの在庫が過小だ」と指摘すると、返ってくるのは「市川や小田原や川崎に、あんなに巨大な倉庫を持っているのに、あれ以上投資しろというのは無理」という反応だ。
しかし、あの倉庫は流通のためのスペースが大きく、書籍以外のものも大量に扱っている。書籍の在庫量が売上に対してひどく少ないのは、厳然たる事実である。
業界紙『新文化』 の2017年1月12日号に成毛眞氏がアマゾンのキャッシュフローについて述べている(以下リンクは小田光雄氏の要約)。
http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20170201/1485874803]
それによれば、顧客から代金を回収し、納入業者たちに支払う期間のキャッシュコンバージョンサイクルはマイナス18・86日だという。仕入は月締め翌月払いの平均45日サイクルとみて、顧客回収サイクルはどんなに短くみても10日あるだろうから、平均在庫期間は17日、年間在庫回転数21強ということになる。この値は、筆者が複数の出版社から確認しているVC上の在庫/売上比とも整合する。
これは、書店としては驚異的な値で、駅売り雑誌スタンドかと見紛うばかり。ちょっと話題になるだけで「品切御免」となるのも、致し方ないことだ。
話題の週刊文春が売り切れだからとスタンドを責める人は、まあどうかしている。アマゾンは、そういう在庫量でやっていくことを選択しているということだ。
そして、取次から入荷後に出荷可能になるまでの期日も遅い。通常の書店でも、入荷後に配架担当者がいなくて1~2日寝る場合はあるが、アマゾンは入荷から出荷まで3日寝るのがデフォルトである。これは、現場の人員と設備を慢性的に不足させて、100%以上の稼働率を維持しているからだろう。そのため、繁忙期や天候不良時には業務がさらに停滞する。
アマゾンの発注判断は遅い。判断に人間を介さないため、需要が急激に伸びた場合にもその要因がパブリシティなのか、ネットのバズりなのか、その需要はいつまで続くのかという読みを外部情報に求めることをしていない。したがって、自サイトでの顧客の行動を見て、「売り逃し」が続いてから発注を増やすという行動になる。
この入荷遅れと発注遅延という行動様式は、e託を導入しても基本的に解決しない。
「いま寄越せすぐ寄越せ、寄越さないならペナルティだ」とクレームする先が、取次から出版社になるだけである。
在庫ステータス22(重版中)のものも、アマゾンは同様の行動様式で発注する。即出荷できないものは発注せず、11になったら最前列に割り込ませろと言う。割り込ませなかったら、特恵条件は破棄される。
新刊については改善しつつある
問題がここ1年で飛躍的に改善したのが新刊である。新刊については、情報が出てから発売までに時間があるので、アマゾンの遅い発注判断でも、じゅうぶんな量の入手が可能になる。そのうえ、アマゾンも「新刊の追っかけ発注は入手しにくい」ということを学習したのか、発注量も多くなった。
新刊委託配本をしない出版社でも、取次とコミュニケーションを密にとれば発売即品切れを回避しやすくなった。
とはいえ、発注タイミングはやはり遅い。「発売前重版」になるような本がアマゾンで入手できず、一般書店には平積みになるようなことは多い。それは、書店としてのアマゾンの能力が低いということの証左だ。発売4週間前に発注しても入手できない個人書店の事情とは問題のレベルが違う。
一方で、アマゾンの利用はどんどん広がっているし、検索順位は高い。話題書をスマホで検索して即注文しようとすると、アマゾンがトップに出てきて「2~3週間後出荷」となっている。そういうときに出てくるのが転売業者だ。
マーケットプレイスで3倍程度の価格をつけ、「希少品につきプレミアム価格です」と説明している。そして、その業者のページを見ると、数十万点の出品物がある。もちろん商品を仕入れているわけではない。受注があってから、hontoや紀伊國屋やヨドバシに発注し、届いたものを転送するのだ。
商品登録から値付けまですべてbotを活用した、「他の書店を探すのが面倒な人」から無知税を搾り取るためのビジネスモデルである。
転売業者も栄枯盛衰が激しいが、いまは「ブックマーケティング」や「メディアフロント」が勢いがあるようだ。関心ある人は探してみてほしい。
彼らの最大利益を追求する商魂や、ネガティブなコメントを即流しにかかる熱意など、学ぶところは多い。
トップ企業であるということは、いちばん情報に疎い人がやってくる場だということでもある。だからアマゾンを偏愛する利用者は他の書店利用者より平均的に無知で、流行に流されやすく、堪え性がない。したがって配送関係でトラブルを起こすことも多い。発送に時間がかかれば、カジュアルにキャンセルしてくる。この層を相手にするのはコストがかかる。だから、アマゾンはそのコストの負担を要求しているのである。
そういう人へ売り伸ばすのは商売の勘所でもある。
どこまでやればいいのか
アマゾンの要求は単純だ。「扱ってほしければ情報を出せ。情報を出したらカネを出せ。カネを出したらもっと出せ」ということだ。
出版社、ディスカバー21の干場社長の証言がある。2014年10月のものだ。
>https://newspicks.com/news/654047>
「これまでは大型パブや広告がある場合、前持って出版社の方で手動で在庫を増やすように指示できたのですが、10月1日より、今後、全てそれまでの平均売り上げによる自動補充にするという通知が10月を過ぎてからただ1通ポーンと送られてきました。
それが嫌なら、去年からアマゾンが出版社に持ちかけているパートナー契約を結べと。つまり年間600万円以上の契約料を払えと。
それはアマゾンによる一方的な評価基準により価格が決まるもので、売り上げに準じたものではない。今回の処置は、パートナー契約を結ばない出版社への締め付けとも受け取れます。」
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この書きぶりからすると、ディスカバー21はおそらくe託を利用しているのだろう。というか、取次を利用せず書店と直接取引するのが、柳原書店破綻以降の同社のスタンスである。「在庫を増やすように指示」などが出来たところからすると、導入当初はあるていど優遇されていたようだ。
しかし、依存度が高くなったとみると掌を返す。大変合理的な行動だ。e託の正味60%もいつまでも固定されるとも限らない。
こうした「パートナー契約」によってサイト内の表示順序も左右されているのが現在の状況だ。
都合が悪くなったら出口があるのか?
「e託で条件が切り下げられたら、取次取引に戻せばいい」。そういう意見もあるだろう。
「みんながそうやったあと、取次は数年後も残っているのか」という問題はまず措く。
それにしても、アマゾンは裏切り者を許さない。海外での事例は、反目した出版社の商品に対して注文ボタンの撤去や検索結果への非表示など、アマゾンが自社サイトの優位性を最大限に活用した実力行使を辞さず、読者の利益を損ねることをものともしないことを我々に教えてくれる。
「e託やってたんだけどさ、不利になってきたからやめたよ。e託しなくてもそんなに不都合ないよ」などと公言する出版社の存在が、アマゾンの戦略にとってどれだけ目障りかを考えてみよう。個別取引の合理性などかなぐり捨てて「アマゾンから離れた出版社は倒産した」という事例をつくりにくることは覚悟しなければならない。
複数の出版社でこの問題を訴えようにも「e託契約」も「パートナー契約」も、すべて明細は秘密保持契約(NDA)の向こう側にあり、その訴訟リスクが情報共有と連帯を阻む。今回、筆者が匿名で書かざるを得ないのもそのためだ。
現在でもアマゾンは不定期にポイント付与率の上げ下げを実施している。対抗馬のhontoがもっと派手にポイントをバラまいているので、日本の出版界はそれを非難することもできない。
現在のe託では販売価格の主導権は出版社にあるが、市場を更に占有したところで契約更改は再販廃止が条件となり、「プロモーション」「正味下げ」「値下げ」の3点セットの「ご提案」がつぎつぎに舞い込むことになるだろう。
アマゾンで買えばほかより安いとなれば、消費者はなお雪崩を打ち、発言力はさらに高まる。
電子書籍では、入金額分配契約の出版社の場合、「アマゾンで本を買うと、他の手段より著者への支払いが少ない」という事態は、すでに起きている。これから紙の本にも普及してくる可能性が高い。
アマゾン1社を優遇するなら、出版社は縮小均衡の果てに「アマゾン制作部門の下請け」となる道を選ぶしかなくなるだろう。
もうひとつの解は、アマゾンの条件を呑むのなら、その条件をオープンにし、他の書店にも同様の扱いをするということではないだろうか。60%条件ならば書店を起こせる人は多くなる。1社独占になりさえしなければ、安すぎる正味だとは思わない。本の価格は上がるだろうが、この正味戦争に建設的な出口を探すとすれば、そういう方向しかない気もする。
アマゾンがやっていることは、「すべてのお客様のために」ある。アマゾンが考えるお客様の希望は「手軽で安価な入手」だ。だから、「手軽で安価」な入手に協力する者は優先するし、それに協力しない者を悪く見せるために努力をいとわない。
「ほかの書店はともかくアマゾンで品切れするなんて」「売っていないなんて」という読者と著者の態度が、それを後押しする。
「業界が絶望へ相転移するときのエネルギーを利益に変えている」と言ってもいい。
だから、折りに触れ現れ、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁くあの提案書を追いかけまわして、「そいつの言うことに耳を貸さないで!」と叫ぶ。
あなたが、すべての絶望を希望に変える奇跡の道を見つけるまでは、契約してはいけない。
2017.5.20--追記
思いのほかたくさんの反響をいただきました。
匿名の身ですので、本記事は「CC BY 4.0」転載・再配布・翻案自由とします。
とだけ宣言しに舞い戻ってきたのですが、せっかくなのでもう少し蛇足を。
取次の擁護ウザい。
→擁護していない。取次が硬直的な差別取引で出版社が新しく出てくる芽を潰していることは既述の通り。
→まっぱだかの資本主義が野蛮で不合理な結果をもたらしてきたということくらいは、10代のうちに学んでおこう。消費者利益もエシカルでなければ持続可能にならない。いいからパンツくらい穿け。見ているこっちが恥ずかしい。
独禁法と公取は仕事するべき。
→アマゾンは公取と密接に連絡を取って、アウトにならないギリギリの線を見極めて活動している。そして、紙の本はもちろん、電子書籍においてさえアマゾンは圧倒的な独占を未だ手にしてはいないので、公取は様子見。まあ、ケータイ相手のコミック商売をしている国内勢がまだ大きいからなのだが。
パトレイバーの後藤隊長みたいな言いかたになるけど、役所が動くのは常に手遅れで犠牲が多数出てからだし、そうでなくてはならない。文化的な公害のおそれには予防原則を持ち込むべきではない。
国内勢力を糾合して対抗するべき。
→それこそ公取の出番になる。出版界は笛吹けど踊らない者が多様にいるからこそ、自由でいられる場。そのメリットを手放すのは下策。テーマは変わるが、軽減税率ほしさに政府に嘆願する業界団体は恥を知れ。おまえらは出版界全体を代表してなんかいない。業界が一丸になどなったらあっという間に規制され、規制団体に天下りを送り込まれる。
→流通は改善している。アマゾンで入手できるような本なら、たいがいの書店でさほど待たずに注文できる。アマゾンが1週間以上になっているならば、多くのケースで書店やコンビニのほうが早い。というか、ド田舎以外で入手を急ぐならまずはhonto withでチェックするべき。
書店で取り寄せできないと書店のせい、アマゾンで取り寄せできないと出版社のせいにする読者をネット上で散見するが、実際は逆。アマゾンは出版社に連絡をする労すら惜しむ。
とはいえ、取り寄せを渋ったり、TONETSやNOCSの在庫情報の見方を教育されていなくて「この本は取り寄せできません」とウソをついたりする書店員も、たしかにいる
ーーーーー
なんて書いたんだっけ。
「。社員に流通教育もできない書店はつぶれればいいのに。」までは確かなんだけど。
ラストはガンジーの糸車と塩の行進にからめてなんか書いた記憶がある。だれかとっといてくれてないかなあ。
今日のところはここまでで。
2017.6.18 続きを書きました。
それでは計算いたしませう
あれは去年の冬、僕が22歳の時だった。大学が嫌になってしまって実家に帰省していた僕は地元でバイトをしたりしながら、フラフラしていた。課題もたまっていたしやるべきことが溜まっていたけれど、そう言うことから逃げるために実家に帰っていた。そして毎日毎日意味もなくバイトをする中でインターネットだけが僕の癒しで、特にSNSを楽しんでいた。
そんなある日、僕の元に知らないアカウントから連絡が来た。なんでも自分の高校の5つ下、17歳の後輩の女子らしかったけども、プロフィールに出身校など書いていない僕をどこで知ってなぜ連絡が来たのかはっきりわからなかった。けれども、とりあえず連絡を取り合って見た。
そして彼女から話を聞いていく中で、僕は驚きの事実を知った。高校の同期の非リア非モテ童貞だと思っていた友人が実はその5つ下の後輩と付き合っていた上にすでにセックスをしていたと言うことが明らかになったのだ。リア充非童貞だったわけだ。ただ彼は彼女に対し自分の高校時代について多くを語ろうとしなかった。だから親友である僕に彼の高校時代などについて一度話を聞いて見たいと連絡が来たのだ。
正直彼は容姿がいいわけではなく、オタクの権化みたいな見た目で、彼自身も非リア芸をSNSで展開していたし、それは疑うことのない事実だと思っていた。しかしそうではなかったんだ。正直裏切られたと同時に、やることやってんだな、とも思った。
高校の同期が女子高生と交際している上にセックスまでしている、それだけなら同期で集まった時にみんなで話して盛り上がるゴシップの一つに過ぎなかったのかもしれない。でも話を聞いていくと同期のクズっぷりが少しずつ明らかになった。
初のセックスに関しても彼の童貞卒業、そして彼女の初体験にもかかわらず全く愛がないセックスでげんなりしてそれ以来セックスはしていないと聞いたし、記念日にプレゼントもなければ普段の愛情表現もなくて、一方的に彼女が彼に奉仕している、そういう関係だった。髪型も彼氏の指定する髪型を強制させられていて、彼女はなぜ自分が彼氏のことを好きなのか理解できないとすら言っていた。それを聞いた僕は奴隷だな、と言うのが素直な感想で、僕は義憤に駆られたけれども、どうすればいいかわからなかった。そんな折、彼女から二人でカラオケにでも行って一度彼氏の愚痴を聞いて欲しいとの誘いが来た。
行くべきか悩んだ末、興味本位で僕は行くことにした。
カラオケボックスで彼女から話を聞くにつれ、彼女の健気さに僕は惹かれた。正直可愛かった。可愛いと言う感情は弱い生き物に対して抱く感情のそれであると以前聞いたことがあるんだが、まさにそれだ。それに僕と彼女は本当に馬が合った。本当に盛り上がって、かなり長時間カラオケボックスに居たものの全く飽きることなく、そしてカラオケにもかかわらず全く歌を歌うことなく終わった。
でもその中で、彼女と僕は盛り上がりすぎた。最初ソファの端と端に座っていた僕らは少しずつ距離が縮まっていって、いつしか隣同士になった。健気な彼女の努力と、彼氏の愚痴を聞いていく中で彼女の努力を褒めるために彼女の頭を撫でると、彼女は甘えた声を出し始めて、一気に触れ合う面積が増えた。少しずつ彼女の息も荒くなって、彼女は「キスしよ?」と禁断の提案をして来た。
その頃僕は東京に彼女が居た。でもその彼女とはただ単に互いに異性が欲しいから仕方なく繋がっていただけの、愛のない関係だった。実際実家に帰省していたからといって寂しいと言う感情もなく、こまめに連絡を取り合うこともなかった。そういうある意味冷めた距離感というのが居心地が良かったのでもあるが、まあとにかくそういう関係だった。
それでも僕は彼女持ちだ。僕は迷うべきだっただろう。しかし僕は全く迷わなかった。正直に言うが全く迷うことなく、僕は彼女と唇を重ねた。彼女は小刻みに震えながら、僕と濃密なキスをした。いろんな女性とキスをして来たが、今までで最高のキスだった。もう僕は止まることはできなかった。彼女の小さな体を抱きしめ、何度も何度もキスをした。
22歳にして、17歳の女子高生をカラオケボックスで抱きしめ、キスをした。彼女は親友の恋人でもある。でも僕はもう、彼女が好きになっていた。たった数時間会っただけにもかかわらず。禁断の関係だった。もはや漫画か小説かと言うレベルの話である。
そして彼女も、「もし先輩に先に出会っていたら、先輩を好きになってたと思う」と言って来た。もう僕たちは停車位置を大きくオーバーランして、暴走していた。
最後に彼女は「これは『共犯』だからね」と言って、互いに今日のカラオケボックスで何があったかは互いの恋人に対してだけでなく、多くの関係者や友人に対しても秘密にすることを約束した。
そして僕たちは『共犯』という名の元に、互いに恋人がいるにもかかわらず、いわば「セックス抜きのセフレ」として、今後もイチャイチャして行くことにした。僕たちは互いに本命の恋人がいるから本気にならないようにしながらも、イチャイチャしていこうという約束だった。でも僕はすでに本気だった。しかし同時に彼女は親友の彼女でもある。
この感情を相談するのに適切な人間はなかなかいない。高校同期の友人に相談しても手を出すことを制止されるに決まっている。そんなわかりきった綺麗事なんて僕は欲してないんだ。ただ、この複雑な状況において、この僕の走り出した熱情に対し、手を出しちゃいけないならなぜいけないのかを納得させてくれる、そう言う人間が必要だった。
だから僕は恋愛経験の豊富な年上の知人男性にどうすべきかを聞いた。その時その人は「その女子高生を落とすしかない」と言った。その知人は僕と東京の彼女の冷めた関係についても知っていたので、そこまで本気で好きになったのなら、いくところまでいくべきだと言った。そして両方を目指すのはダメだ、どっちかにしないといけないとも言われた。
僕はそれを聞いた数日後に、東京の彼女に対して別れ話を提示した。色々あったけれども、互いに冷めた関係でもあったので大きく揉めることもなく、すんなりと別れた。
また同じ時期に東京で飲み会に参加した時のこと。普段占いなんて気にしない僕だったけれども、飲みの席で占いを勉強していると言うとある女性に自分の運勢を占ってもらった。すると、恋愛運はあまり良くない。そして運命の人とはまだ出会っていないと出た。ちょっと参ったな、と思いつつもその時はあまり気にしなかった。
そして実家に戻った僕は、「高校同期と彼女の関係の健全化を図る」という名目のもと、彼女と会合を重ねた。その時の僕は同期との友情も維持しつつ、あわよくばJKと仲良くしたい、付き合いたい、そういう感情だった。ただ僕はまだ本気で彼女のことを狙っていることを明かしていないのでそこまでガツガツ行くこともなかった。
JKの彼氏(そして僕の高校同期)のことをここでKと呼ぶことにする。
バイトの合間を縫って彼女の家に行ったり、カフェで待ち合わせしたりして僕は彼女の愚痴を聞いたり、彼女がKにどういうことを求めているのかなどを聞いて、Kと彼女の関係を取り持とうとした。とにかく僕は目的だけは真面目だったので彼女の家に行く際もマナーや態度にも最大限を気を使っていて、彼女のご両親からも認められていた。今の彼氏(K)よりも僕の方がいいんじゃないか、みたいなジョークすら言われていた。
そんな後ろ盾を得た状況だったので今思えばKに対してなかなかひどいことも言って、申し訳ないことをしたとは思う。でもあの時僕は義憤に駆られていたし、間違ったことを言ったとは思っていない。ただもう少し表現の方法は色々あったかもしれないなと今反省している。
しかし僕はいずれ彼女のことを本気で好きであることを明かさねばならないとは思っていた。そして彼女もある程度察していたのか素直に自分の欲求を言ってみて、と聞いてきた。だから僕は素直に彼女のことが好きであると言うこと、そして東京の彼女と別れたことを説明した。彼女は特に驚くことはなく、「それなら奪い取るために頑張ってみて」と、対立構造を明確化させた。こうなった以上僕も男だ。やるしかない。
僕は彼女の家にしょっちゅう通った。行くのは彼女から来て欲しいと言う相談がある時だけで、僕から行きたいと言い出すことはない。もちろん目的は彼女と話をしてKのどういうところが問題なのかを聞き、そしてより良いKと彼女の関係の構築を目指してどこを着地点にするのかということを僕が第三者的視点から検討するという目的だった。
役人が出会い系バーに行って問題になったりもしているけれど、僕の場合は本当に調査目的だった。それは事実。
でもカラオケボックスで燃え上がった僕と彼女の関係は簡単に消え去るほど弱い火ではなかった。
彼女と会うたびに僕は彼女を抱いた。とにかく抱いた。それは彼女から求めて来た。僕が先に手を出すのは良心の呵責に堪えなかったからだ。でも僕が彼女に求めていたことでもある。互いに『共犯』という名目のもと、とにかくイチャイチャした。それに僕は少なくともKよりはセックスが上手いという自信があった。実際彼女は僕とイチャイチャしてる時、ものすごく感じていた。そしてある時には一緒にホテルに泊まってイチャイチャすらした。
体の相性って存在するんだな、と思った。多分体の相性が良かったんだと思う。とにかく楽しくて、正直離れられそうになかった。
肉体関係だけじゃなく、普通に喋っていても楽しかった。しょうもないことから大事なことまで、いろんなことを話している中で僕と彼女の考えは非常に近かったし、話していて本当に楽しかった。ここまで女性と話していて楽しかったことはない。彼女は聡明で年上の僕の話にもついてきて自分なりの考えを臆することなく話すので、話していて楽しかった。女の子と話しているのではなく、一人の大人と会話している感覚だった。正直尊敬の念すら抱いた。
イマドキのJKみたいなくだらないこと、当たり障りのないことをグダグダ喋るようなタイプではなかった。例えるならPulp Fictionのミアみたいな女性だった。気まずい沈黙は嫌うけれど、それを回避するためのつまらない話も好まない。そう言う、少しめんどくさいタイプではあったけれど、考えが近かったぶん色々話しやすかった。
やがて僕は彼女とKと僕の3人で集まって話す機会を何度かセッティングし、関係改善の突破口としようとした。表向き僕はレフェリーとしてその場に存在していた。その中でKは幾度となく彼女を泣かせた。僕の目の前で僕の好きになった女を泣かせるKという男が僕は憎かった。幾度となく傷つけ、そして傷つけたことへのリカバリーも十分ではなく、それがまた彼女を傷つけた。なんで、なぜ、そんなにも無神経になれるんだと。なぜわかってあげることができないんだと。本当に僕は怒りで体が震えた。
そんな状況だから僕と彼女は本当の意味で互いに好きになり始めていた。最初は僕が一方的に本気になっていただけなのに、彼女の方も本気になりかけていた。本当に幸せな時間だったし、僕は彼女のあらゆるものを欲した。
そうして僕たちは幸せにイチャイチャし続けていた。でもそれと同時に僕はKと彼女の関係改善のための努力も続けていて、Kは確実に良い方向へと変化し始めていた。僕は完全な悪にはなりきれなかったから、Kと僕との関係も守りたかったし、Kと彼女の関係も最初の対等じゃない関係を改めて改善するつもりだったし、僕と彼女の関係に関してもこのまま幸せになりたいと思っていた。
しかしその3つは最初からどうあがいても両立できないものだと今ならわかる。でもあの時の僕はとにかく今Kと彼女の関係がマイナスになっているのでそれを僕の努力で0にまで戻してやり、その間に僕が彼女との関係で大きくプラスを稼げば彼女は確実に僕を好きになるだろうと。そしてその結果僕とKとの関係が多少冷え込んだとしても僕の努力についてKは僕に感謝するだろうし、長い付き合いだから関係が切れることはないと考えていた。それにもしKとの関係が切れたとしても彼女を手に入れることができればそれでいいとすら思っていた。
そうして僕の計画が軌道に乗り始めたところで僕は年度末が迫って来て忙しくなり、東京に戻って大学や職場関連の手続きなどに追われ、彼女にあまり会えなくなった。それでも僕はずっと彼女のことは好きだったし、片時も忘れることはなかった。
そして僕がつらい時期を乗り越えることができたのも、彼女のおかげだと今も思う。彼女からもらった励ましの言葉や時には彼女に叱責されたことも思い出して、そうして僕はつらい時期を乗り越えた。ただ優しくするだけなら誰にでもできる。僕のためを思って叱ってすらくれる彼女を僕は本当に心の支えにして、必死に生きた。必死だった。
僕はその頃メンタル面に問題を抱えていて、父からもそのことについてよく怒られていた中で、彼女が本当に僕のメンタル面の改善において決め手となる後押しをしてくれた。これが僕の中では本当に嬉しくて、Kも変わっただろうけども僕も変わったぞと、はっきり胸を張って言えると思っていた。
そうしていつしか冬が終わり、春になった頃。Kと彼女の関係改善に関しては僕の努力によりある程度目処が立って、一時かなり冷え込んでいた二人の関係も多少回復していた。
それでも僕は絶対に彼女が選ぶのは僕に違いないと信じていた。そこに根拠はない。でも僕は絶対にKよりも僕の方が彼女を幸せにできると確信していた。それは内面もそうだし、就職も決まっていて収入もそこそこ確保されていて、より現実的な選択肢だと自分のことを思っていたからだ。
しばらく会えなかった中で彼女と3月末に久々に会うことになり、一緒に花見をしながら互いの話をする中で僕と彼女はやっぱり馬が合うなと確信したし、彼女も公園であるにもかかわらず僕にすり寄ってきて、僕のことを好きだと言った。僕はほぼ勝利を確信した。
そして新年度が始まり、ある程度忙しさの峠を越えて、先日僕が久々に彼女とまとまった時間話す機会を得た。と言うより彼女から話したいと言って来た。久しぶりだ。「今話しても大丈夫?」と聞いて来たので僕は少し嫌な予感がした。でも僕は大丈夫だと答えた。
↓続き
仕事は、他部署から仕事を受け付けて、自分のところで作業をしたあと隣の課に引き渡す。
色々あって、隣の課がやっていた事を、請負に任せる事になった。
隣の課と請負の間で取り決めが曖昧だったのが原因のようなんだけれど、自分が引き渡した仕事を全部「対応できない」と言われて突き返された。
昨日までそれで流れていた仕事が、今日から突然受け付けられないなんて困ると隣の課に抗議したが取り合ってくれない。
請負に直接言ってみたけれど「知りません(失笑)」という感じ。お前に言われる筋合いはないというのはわかるが、だからと言って他人が言ってくれるわけでもない。
うちの課長は「話し合いの場を持とう」とは言ってくれたけど、今日明日の仕事も止まったら困るんだこっちは。
そこで、方々に要求をして回った。
まず隣の課には、早急に話し合いの場を持ってほしいとお願いする。打ち合わせ日もセッティングした。
請負の人達には、話し合いの場を設けるから、それまでは前任者と同じ手順で仕事をしてくれるようお願いした。わからなければ聞いてくれと依頼。
「お前の仕事ばかり優先でやるわけにはいかないんだから」というのが理由である。
依頼部署にもそう説明してくれるなら待つんだけど、そんな事はしてくれない。むしろ依頼部署からの依頼書に。○日までに対応ということで当の部長がハンコ押してる。
何の権限で平社員が「今日からしばらく仕事対応できません」なんて相手部署に対して言えるってんだ。
そんな事言ったらまた怒られるだけなのに。
この仕事の話をするだけでみんな嫌な顔をする。
いちどだけ自殺しようと思ったことがある。中2の時。俺はクラスでかなりハードなイジメに遇ってた。家に帰れば両親は離婚寸前でもめてるし、とにかく最悪だった。
当時、神奈川県の中学では2年次にAテストというのがあって、高校入試にめちゃめちゃ影響する重要なテストと言われてた。俺はその結果も散々だった。勉強なんかできる精神状態じゃなかったのだ。3才から一緒に暮らしてた犬も死んじゃうし、かわいいなと思ってた女子から「バイ菌」と呼ばれるし、もう死ぬしかねえと思った。
文学にかぶれていた俺は、太宰治にあやかって鎌倉のこゆるぎ岬で死のうと思った。太宰が心中に失敗した場所だ。
俺は太宰みたいに睡眠薬を持ってなかったので、家中の薬をかき集めて持って行った。でたらめに飲んでやるつもりだった。
こゆるぎ岬に着いて岩畳の上でぼんやり突っ立ってたら「おい」と呼ぶ声がした。
振り返ると、ネプチューン名倉みたいな妙に濃い顔のおっさんが立ってた。片手にでかいビデオカメラを抱え、もう片方の手で缶ビールを握ってた。赤ら顔。完全に酔ってた。
おっさんは映画の撮影中だと言う。それだけならまだしも、俺に協力を仰いできた。浜辺でのカンフーシーンを撮りたいから、ぜひ闘ってくれという。完全にヤバイ奴だと思った。
断ってその場から走り去ることもできたが、おっさんはすぐに三脚を用意してカメラのセッティングを始めた。その様子をぼーっと眺めていると、おっさんが「よーい、スタート!」と叫んでいきなり俺に飛び蹴りをかましてきた。蹴りは俺まで届かず、おっさんは勝手に転んで派手に尻餅を付いた。俺はなぜか爆笑してしまった。おっさんがうずくまりながら「撮影は中止だ」と呟いた。
それからおっさんはなぜか俺にもビールを勧めてきた。おっさんはクーラーボックスを持参していて、中に大量のビールが入っていた。
俺は生まれてはじめて酒というものを飲んだ。ぐでんぐでんに酔った。泣きながらおっさんに洗いざらい喋った。勉強のこと、いじめのこと、両親のこと。おっさんがどんなリアクションだったかはおぼえてない。
おっさんはなぜか別れ際にヌンチャクをくれた。そして、浜から見える大きな病院の方に帰って行った。
あのおっさんは何者だったのだろうか。ひとりで酔っぱらってカメラを持ってうろついてた。中学生の俺にいきなり飛び蹴りを仕掛け、そのあとがんがんビールを飲ませた。まったくろくなもんじゃない。
でも俺は自殺を免れた。それに今もこうして生きてる。おっさんは世間的には不審者と呼ばれる部類の人だったのかもしれないが、俺にとっちゃ救いの神ってことになる。
あの暗黒時代をどうやってくぐり抜けたのか、今となってはさっぱりわからない。ヌンチャクはとっくに無くしてしまった。でもたまにおっさんのことは思い出す。こゆるぎ岬のおっさん。
付き合ったきっかけは、その子の自宅に誘われて、自分がフロ入って出てきたら裸でその子がベッドで待っていて、
そのままの流れで、セックスしたこと。
次の日、オレから告白したけれど、そんなの形式上の話。実質は向こうから来たようなもんだ。情けないけど。
で、付き合ってみて気づいたんだが、その子はセックスが大好き。
会うたびにセックスするのはもちろんなんだが、やる場所がエロい。
来客いる時に、リビングのソファーでペッティング求めてきたり(声殺してイクまでやった)、
フロの中で、壁ドンされながらアソコを欲しがって、汗だくになりながらやりまくったり、
寝る時はチラチラと乳首が見え隠れするヨレヨレなネグリジェ着ていて、しかもパンツは絶対履かない主義。それで朝気づいたらオレのアソコなめてたりする。
そんなことあるんだあと思いながら、オレもセックス好きだから楽しんでる。
ところで、彼女とは生でしかやったことなくて、「ゴムつけて」なんて言われたこともないし、彼女はそんなそぶりすらもみせたこともない。
オレだって、生の方が気持ちいいし、正直彼女とは結婚してもいいと思っているから、状況に甘えて常に生でしてる。
で、最近セックスしていて、彼女が「中で出して」って言ってきて、
と思ったりはしたのだが、
思わず
「それはまだ早いよ」って言っちゃった。
あーかっこ悪かったなあ。
自分は40代のおっさんだが、いまさらながら会社でおならをしたいとなった時のセーフアウトラインがわからない。
何言ってるんだとは思うだろうが会社で指導されたこともなければ、マナー本でも見かけたことはない。
面倒だとは思うが40代のおっさんが書いてるんだけど、将来入社してくるであろうJKやJDに教えるつもりで考えてくれるとありがたい。
さて、自分の席でするのはもちろんアウトだ。廊下だって無理だ。漂わしてはいけない空間である。
じゃぁトイレはどうか?
人によってはトイレ空間ならどこでもセーフかと思うかもしれないがトイレの中にもレベル感がある。
トイレのレベルを以下に示すが、どのあたりからセーフなのか教えてほしい。
先週木曜日(間違えた)総務委員会。籾井さんのときの質疑と比べて、別に新しい情報があったわけではなかったんだけど、高井議員はNHKと政権との距離の問題はかなりしつこく聞いてきています。学生時代NHKの集金のアルバイトをして生活の足しにしていたとか。指摘するのは大事だけど、特段有効打は出せてない感じですね。
こういう、政権の意向に反した奴を左遷させる、というある種の忖度のようなものは、かなり省庁、NHKなどの中で広がってるんだろうと思うんだけど、いかんせん証拠がないので、そういう例がどれだけあるのか、ということを示していくしかないんでしょうが。魚住昭さんが書いた、月刊現代に中川昭一、安倍晋三の両議員からのNHKに対する圧力についての朝日新聞記者の取材テープとされるものの中で、松尾武氏が答えていたようなNHKの内情からするとだいぶ変容してるんだろうな、と思います。
岩田明子さんは、NHKの解説委員で、今井尚哉首相秘書官のお気に入りとされる人で、田崎史郎、山口敬之氏らとならんだいわずと知れた寿司友ですが、週刊誌的には、彼女は政治部内での発言権が非常に大きく、人事にまで口出ししている、と噂されているところです。最近で言えば、籠池理事長の会見の最中に、安倍総理のぶら下がり開始の10分前にご登場あそばして、南スーダンPKO撤退について、政府見解のご解説をなさっていらっしゃったことが記憶に新しいところ。まぁそれに関する質疑もありましたが、唯一新味のあった話だったのが、前任の政治部長(山下毅熊本放送局局長)が、岩田さんの文芸春秋への寄稿に対していかがなものかと異議を申し立てたらしい、ということで、籾井氏の粛清とされる昨年4月25日発令人事で、通例2年の政治部長職ですが、1年で熊本に異動になった、という話が、どうもNHK内部では、岩田さんのインタビュー記事が原因なのではないかとされているというところでしょうか。
これももう何回も聞いてるけど、何を聞いてもまったく答えないので、ほんと聞いててむなしいだろうな、と。昨年11月のAPECでの日露首脳会談の事前協議の映像が、内容をNHKがスクープドキュメント北方領土の中で流れたことに対して、いったい誰が撮影して、どうやってNHKが放送することになったのか、という話。これを外務省や内閣官房に映像を撮影したのかと聞いても、「お答えを差し控えさせていただきます」、NHKに聞いても個々の取材についてのお答えは差し控えさせていただきます。という流れなんですが、撮影の事実があるかないかも答えられない理由が、「政府内部の協議は一般には公開していないから、撮影の有無を含めて答えることはできない」といってるんだけれども、放送の中で、「外交機密が含まれているから音声は流せない」といいながらNHKで放送されるというのなんでそんなもんが流出してんのっていう疑問に繋がるのは当然じゃないかしら。NHKにだけ撮影に入らせてるっていうのであれば、政府の機密的事項を話し合う場面にNHK記者が入っている、という時点で、コンプライアンスがぶっ壊れてるし、官邸が撮影して提供してるんなら、NHKに提供できるものを誰が撮影したのかについて、政府側が答えないっていうのは、国民の代表たる国会議員なめてる案件なわけで、どっち方面に転んでも頭おかしいとしか、っていう話なんだよね。(NHKがニュースソースを答えないのは仕方ないけど、政府は答えない理由はないはず。だってNHKに提供してんだから。)
「NHKが政権と距離を接近させすぎてまで、特ダネ、スクープを追い求める必要性はあるのか、政権が流したいものを、スクープをあげるから、ということで流す、というのは税金が入っている公共放送としてあってはならないと思うがいかがか」
「NHKは報道機関として、視聴者の判断のよりどころとなる情報を、正確に、そしてより早く提供することが重要であると考えております。そのためにも、取材や報道のあらゆる段階で、真実に迫ろうとする姿勢を徹底することが、大切と考えております。今後も社会に必要とされる情報をいちはやく伝えてまいりたいと考えております。」
「いちはやく、ということは否定しないが、NHKが、独占的に、他社が入手していない情報を追い求める、これ自体を否定はしないが、相手が政権の場合、当然見返りがあるから問題だと思っている」
この上田さんの答弁も、もう何回目、という感じで、ただの作文読み上げだけど、籾井がやめてもNHKの本質は変わってないなというのは思いますね。籾井に反抗するような幹部は粛清済みみたいだからしかたないのだろうけども。確か、オバマ大統領との首脳会談がセッティングできなかったときに批判の声があがったときも、NHKは独占映像として、オバマ大統領と安倍さんが2人で話してる映像を流してたよね。G7の首脳会合には海外勢含めてメディアは入れないからどこから出たっていわれたら官邸からしかないわけだけどね。
http://webronza.asahi.com/journalism/articles/2017021700004.html
これね。これを読んで会長の感想を求めるが、「感想は差し控える」
「感想はいえないということでしたら、もう少し具体的に聞きますが、私はこの中にはちょっと問題だと思うところがいくつかあるんです。
(略)永田町での取材を通して思うのは、記者と取材対象者の関係においては、権力のチェックという側面と、信頼関係の確立の側面の絶妙なバランスが大切だということです”その通りだと思いますね。バランスが大事なんです。”取材相手に誠意と情熱を持って全人格で向き合い、その一方で私を超えた公の立場でチェックをする、と同時に情報はよい意味で、ギブアンドテイクであるべきだと実感をしました。権力主体が隠したい事実がわかり、それが不正だった場合、外交上やむをえない場合を除き、この事実を報じなければなりません”報じなければなりません、ってか報じる、当たり前ですよね。報じるに決まってるじゃないですか。”そのためには、日ごろから取材対象に肉薄し、情報を取る力と交渉をする力が不可欠です”こう書いてるんですね。つまり今回のスクープドキュメントNHKスペシャルの話もそうです、あるいは国会で何度か取り上げてきた、南スーダンから撤退するときの、情報をいちはやく入手して、しかし、その見返りというんでしょうか。夕方の放送でですね、ちょうどあのとき、籠池理事長の記者会見とあえてぶつける形で、記者会見をした、その後すぐにですね(事実誤認、記者会見がはじまる前です)、岩田明子さんが出てきて、長々と政府の立場を解説する。やはり。情報をとる、ということに対してですね、どうしても、政権よりの放送に、どうしてもなる、と。だからこそ政府も情報を出すんじゃないですか。ですからバランスが大事だといいながらですね、私は権力のチェックこそマスメディアの使命だと、ましてや受信料で成り立つ、NHK、公共放送として、大事な使命だと思いますが、会長、NHKとして、こういう考え方、この考え方、これでいいと思いますか。」(質問がわかりにくい、もっとストレートに、コレは癒着だと思いませんかとか聞いたほうがいいよ。岩田明子氏が権力のチェックを果たして、政権の思惑と違うことをしゃべったことがこの5年で何回あるか知らんけど、外見からは、政府のスピーカーとしての機能しか果たしてないと思うけどね。)
「NHKの姿勢に関しましては、取材・政策のルールブックであります、放送ガイドラインがありまして、そのなかで、取材相手との関係については、放送倫理や公平・公正な姿勢を意識し、節度ある距離を保たなければならないと定めております。また国民の知る権利や、公共の利益のために、密着取材が必要な場合でも、相手の利益を図ったり、癒着と受け取られる行動を取ってはならない、と定めております。この冊子を全職員に配布いたしまして、周知の徹底をいたしております。また真実を明らかにするために、取材相手に食い込むことと、いっぽうで、取材相手と一定の距離を保つことは、ジャーナリストが必ずわきまえなければならないことであると認識しておりまして、現場ではこのことを十分に踏まえて、日々の取材・制作に取り組んでいるものと承知しております。」
「会長まだ就任されたばかりでね、まだ、まぁ監査委員やっておられましたけども、昔のNHKはそれを守っていたかもしれませんが、そうじゃない実態が、だんだんそうじゃなくなってきているということを、皆さん、NHKの内部からも、皆さん危惧されて私のところにも情報を下さる方がいる。この委員会でも取り上げました。去年ですかね(5月24日衆院総務委員会)、あのーこれもまた岩田明子さんが、文藝春秋に安倍総理のお母さんのロングインタビュー、4時間半のインタビューを書いたと。これも内部ではですね、なぜNHKの記者が、解説委員が、文藝春秋に、自分たちが集めたリソース(NHK記者として安倍洋子氏との人脈を築いたわけだからね)を使って、集めた情報を、文藝春秋に出すんだと、反対した方がね、部内にもいらっしゃるそうですよ。しかしその方はね、定期じゃない人事異動で地方にいってしまったそうですよ、政治部長がね。異動になったと、これはもうNHKの内部では有名な話ですが、会長がご存じなかったというのなら、この機会に是非知っておいて頂きたいと思います。結局、NHKの組織が権力をチェックするというバランスに対して、鈍感になってしまっているのではないか、これは前の会長の籾井さんの体制の悪い影響がでているんではないかと思います。これ以上聞いても堂々巡りの議論に・・・(略)
高井さんはここでとまっちゃだめだよ。わざわざNHKが籠池理事長の記者会見に合わせて、前から持っていた情報を流し始めるというのは癒着だと思いませんか、岩田さんが会長賞を受賞されたそうですが、彼女のどの報道を評価されたんですかってしつこくしつこく聞いて欲しいわ。この、寿司ともを利用して適度にスクープを読売、産経、日テレ、フジテレビとかに与えながらやっているメディアコントロールと、桜井充さんの質疑で出てきたような、国家戦略特区に関して、変に便宜を図るようなことはしないほうがいいって発言したら、次官経験者から脅しの電話がかかってきて、地方の大学に飛ばされた、みたいな人事権を使った官僚コントロールが安倍政権を磐石にしてるものだと思うから、ここをしつこく突っつくのは、ホントに大事なとこだと思うんで、ここでやめちゃいけない。、
一応時系列を整理しておくと、岩田氏のインタビュー記事、「晋三は「宿命の子」です」の取材は当該記事によると取材の申し込みは昨年3月、当該記事の出版が5月10日、NHKの定期人事は例年6月で山下毅氏を含む籾井氏の粛清人事があったのが4月25日、山下毅氏の熊本異動後の記事によると、内示を受けたのは、熊本地震の前日、4月13日ということです。まぁ一応筋道としては通った話なのかな。真偽は知らんけど、こういう話は、この政権ではごろごろ聞く話ではある。
今日の法務委員会は、開始10分ほどで、野党議員からの鈴木淳司法務院長への不信任動議(追記:よく考えたら解任決議案の提出ですね。不信任動議しろってずっと思ってたからタイトルから間違ってら)で、おそらく9日の本会議でその採決を行うまでは、「暫時休憩」となります。これを与党議員やネトサポが「審議拒否」といっていますが、ちゃんちゃらおかしいですね。審議拒否っつーならまずお前らの親分どもの答弁拒否をなんとかしろ。
民進党が現在対応を求めているのは以下の三点のはずです。GW中に開催するなとかいう話じゃない。
(2) 1を解決しないまま委員長が職権で委員会を開催し続けること
第四十五条の二 委員会が審査又は調査を行うときは、政府に対する委員の質疑は、国務大臣又は内閣官房副長官、副大臣若しくは大臣政務官に対して行う。
第四十五条の三 委員会は、前条の規定にかかわらず、行政に関する細目的又は技術的事項について審査又は調査を行う場合において、必要があると認めるときは、政府参考人の出頭を求め、その説明を聴く。
階猛議員が、立法趣旨や、立法事実、捜査の開始時期といった、法案の骨子、基本的事項について、政務三役への質疑を行ったところ、林刑事局長を指名する、ということを繰り返し行っています。45条の2の主語は委員会ですので、政府参考人の登録までは、当然、委員会、つまり多数決、委員長職権で決めることはまぁ仕方がないかな、と思いますが、基本的に質疑は政務三役が答弁する、を無視するならばは衆議院規則違反との批判は妥当だと思います。さらに、政府参考人の登録は、毎回委員会の合議で決めてきていたところを、審議期間中ずっと登録することとする、というやり方も姑息です。なぜ政務三役が答えないといけないのか、というのは、それが議会制民主主義の根幹だからです。官僚はあくまで、政治家の意思決定に基づいて、その意志を具現化するための機構にすぎません。政治家が、その法案の骨子について説明できないという法案は、もうその時点でだめなんですよ。実際には、法改正や法整備は議員立法や、重要法案を除けば、そのほとんどを、課長補佐クラスでなされる弾出しを元に作られます。しかし、大臣はじめ、政治家がそれをチェックし、問題ないことを確認するからこそ、大臣名で署名し、公布するんでしょうが。大臣がわかってない法律を通す、ということは、建前ですら、議会制民主主義を放棄するということを意味するから、大臣が理解しているか、説明する能力があるかどうか、ということそのものが、審議マターになるんでしょう。
前に書いたように、この法案の理解をし、説明をすることに関しては、盛山副大臣>井野政務官>金田大臣の順です。金田大臣の答弁をまずさせると、それが政府参考人の答弁とも矛盾するし、盛山副大臣が質疑にまじめに答えると、それも金田大臣や安倍総理大臣の答弁と矛盾する、という事態が起きています。これをさらしたくないから、安倍さんは、通告がないから答弁しない、とか民進党の批判、自分の支持率の話とかで話をそらす、といったことを繰り返すし、金田大臣は成案が出た後にと先送りしてきたのにも関わらず成案が得られてもまともに答弁できない、刑事局長にまず答弁させて、「○○議員にお答えをいたします。××××とのご質問でございましたが、ただいま刑事局長が答弁したとおり、△△△△であります。」という時間稼ぎをしてるんですよ。これを正常化しないまま、審議がつくされた、とされたらたまったもんじゃないよ、という民進党、共産党の主張は真っ当そのものではないですか。
(2)について言えば、委員会の開催は、基本的に与野党の合意によって行われます。委員長は議事運営を公平中立に行うこと、というのは、与野党の申し合わせにおいて確認されていることです。まぁ委員長も人間ですから、そりゃあ完全な公平中立なんて幻想だということはお互いにわかってるわけですが、ものには限度というものがあるでしょう。求めてもいない答弁者がたって、政治家とは違う答弁をする(「一般の方々が捜査の対象とはならない」とかね)、政府参考人の登録は必要に応じて最低限行われるべきものという原則に反した通期での登録、土屋正忠議員の不規則発言の説明を求める階猛議員の要求を退ける等、とにかく早く委員会採決に入りたいという欲求しか見えませんよ。
(3)の土屋正忠議員の不規則発言、階猛議員の質疑中、呼んでもいない林刑事局長が答弁しだしたので、質疑を終了し、次の質疑者である枝野幸男議員と階猛議員が質疑の打ち合わせをしていたら、土屋正忠議員(法務委員会理事)が「テロ準備行為じゃないか」といったことに、階猛議員が激昂し「誰だ今言ったのは、誰に向かっていったんだ」と土屋議員の肩をついて、つめよった件です。この土屋議員の肩をついたことに関しては、階猛議員は先週金曜の質疑の中で正式に謝罪をしています。私は、今日の法務委員会がセッティングされてるのをみたので、せめて理事会の中でぐらい謝罪してるのかと思ったら、民進党のブリーフィングによると、謝罪どころか、「階議員がやったことそのものがテロ等準備行為なんだと、ご本人も発言されていた」(逢坂誠二・談)だそうで。微塵も反省しとらんどころか、「林局長の机をたたいたので、やりすぎと思い、発言したが、内容は覚えてない」というコメントも嘘じゃねぇか。この発言が出たのは、階議員が、枝野議員とこそこそ話していた場面なので、要は「こそこそ話しているからテロ等準備行為だ」というアホみたいな主張をこの段階でも引っ込めてないってことでしょう。当然、委員会の場なり、院外でも結構ですが、何らかの謝罪があってしかるべきでしょうが、どうもご本人が反省していないということの模様。
もし、私が書いてきた共謀罪に関する記事なり、共謀罪関連の委員会質疑をご覧になっていれば、この共謀罪に対する政府側答弁ですら安定していないことはご理解いただけるかと思うんですが、東京新聞によると、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201705/CK2017050102000116.html
「共謀罪」法案は、四月末までに衆院法務委員会で参考人質疑を含め約二十二時間の審議を行った。与党は同法案を採決するには、三十~四十時間の審議時間が必要だとみている。
ということでした。実質審議入りの前の段階で、与党議員が「衆院では30時間も審議すれば十分」と発言していたと報道され、また逢坂議員もそういう発言をされていましたので、これはまぁ多分事実でしょう。私の個人的な予想では、GW前に、この法案を衆議院で採決してしまいたかったんだろうと思っていました。どんなに強引なやり方でも、皆さんすぐ忘れてくださるので。今日の審議予定時間9:00-12:00、13:00-17:00ということで、7時間の予定でした。これまた私の勝手な予想では、今日の審議が終わったら、採決の動議がされてたんじゃないのかな、と思っています。大体30時間なので。わざわざ5月2日に職権開催したのは、ここで強行採決すれば、一番目立たないと考えたからじゃないのかなと。単なる予想ですが、参考人質疑も終わっていますから、この、政権側がまともに答弁もできない状況でも、もうほんとにいつでも採決されうる状況だということはどうぞ知っておいて欲しいです。
どっか遠くにアウェーイ行きたいのよね、私。
道中を楽しみたい感じ。
そんなゴールデンウィーク目前、
寝てて深夜いきなり100万倍太陽券を喰らったと思ったら、
超眩しいったらありゃしないわ。
目が眩むぼんばりにビックリよ。
このゴールデンウィーク的なウィークは
いろいろ映画も観に行きたいし、
録りたまってるビデオも見て消化しなくっちゃだし、
なんか急に平日より休日の方が忙しくなる感じない?
普通逆なんだけど、
予定の時間を教えてくれるんだけど、
そういえば、
鴨川シーワールド的なところのやつよ。
あれ一度見たらイルカショーなんて、
濡れていい格好して
水がかかるってレヴェルじゃ泣くって
風呂桶ひっくり返した水が全かかりみたいに、
半端なく全身濡れるのよ、
正に文字通りに。
そういえば、
もっぱら、
飲み放題よ。
そんな、想い出をはせながら
つなげるとき、
どうしてもフーフーしてしまうわね。
うふふ。
水出し緑茶ね。
すいすいすいようび~
今日頑張りましょう!
大麻の記事を見て、過去に日常的に大麻を摂取していた人の話を思い出した。
海外に住んでた時の話。
合法ではないが罰則はなく、持ってるのを警察に注意されたら捨てさせられる程度。現地の人の感覚としては、大麻を吸うのは子供かだらしない大人、まともな人間はワインや葉巻を嗜む。大っぴらに大麻が好きだと言うと怪訝な顔をされる。といった感じ。特に女性は。
どっかから仕入れてきた乾燥大麻を、プッシャーと呼ばれる小売人が売る。プッシャーによって、その時によって、扱っている品種が違ったり値段に違いがあったり、デリバリーしてくれたり、一緒にマリカーやったりする。具体的な値段は、約7グラムで15ビッグマックくらい。ポットヘッドの彼は、2週間で約14グラムを吸っていた。大型の水ボング(友達が来たとき用)と、小型の水ボング、ジョイント(紙タバコみたいに巻く)で吸う。品種によって匂いが全く違う。ジョイントの場合、匂い付きの紙があったり(邪道)、吸い口にフィルターを挟む挟まないで派閥がある(現地人はフィルター入れるのを軟弱扱いするが葉っぱが口に入って嫌だ)。ボングの場合は水に匂いをつける液体があったりする(邪道)。ボングを洗う用にアルコールや綿棒、塩などを常備していた(女子力)。
LSDなんかもそうだけど、吸う時は安心できる環境(セッティング)が大切で、へこんでるときや不安が強いと、いわゆる「ばっとび」(badな飛び)になる。喋れなくなる、動けなくなる、目が回る(アルコール酔いに似てる)、過去の嫌な思い出などがフラッシュバックする(彼は性的虐待の記憶が出たらしい)など。ばっとびして病院に行くと呆れた顔して帰らされたうえ、お前あの時病院に行ったよねプークスクスと何年もバカにされる。まじめな人や偏見がある人はばっとびしやすいだろう。
できる限りリラックスして、かっこつけず、悪ぶらず使用すれば、精神的な安定効果はとても高い。また、ヨガなどの運動や瞑想と相性が良いと思う。睡眠と野菜とも合うんじゃないかな?分からんけど。当時は戦国BASARAのアニメやってて、大麻を吸ってバサラを見ると、アツいものがさらにアツく感じ、臭い展開が臭く感じない。普段、無意識のうちに感性にブレーキがかかっているのを外す感じ。よく言われてるのは、ご飯が美味しく感じる、色が鮮やかになる、など。
大麻がないからといって病むことはない。欲しいけど。シャワーみたいな感じ。毎日シャワー浴びたいし、浴びないと気持ち悪いけど、依存症かと言われると???ってなる。なくなったデメリットは、くだらないことを深刻に悩むこと。体調は変わらない。体重や生理周期も変わらない。
車の運転は割と平気。むしろ集中力が高くなって上手くなったりする。目的地に行くのがどうでもよくなって、近くの川辺とかで一本つけて帰って来ちゃったりする。個人的には車の運転はオススメしない。ここの規制をどうするかが合法化の鍵な気がする。
自分のブログに書くとなんだか炎上しそうなのでここに書くことにする。
けもフレ人気が各地で大爆発を起こしているが、さすがに褒められすぎ、評価されすぎ、持てはやされすぎである。
この作品はどう評価しても100点満点中あげられるのはせいぜい30~50点くらいである。
アニオタ界隈のけもフレを評価する声として「安心してみていられる」「脚本がよくまとまってる」「やさしいキャラが魅力」などという言葉が交わされているが、これらは全て嘘っぱちのように聞こえてならない。
こんな薄い言葉で表現される毒にも薬にもならない作品は、「よくできましたね」くらいの評価を得ることはありえるが、猛烈に人を惹き付けて心を揺さぶる名作にはなりえない。
本当に人の心をガッツリと射貫く作品というのは、たとえガタガタでブサイクな出来だとしても、何か一つくらい魂に響く「核」のようなものがあるはずだ。
「けもフレ」に心を揺さぶられた人間などきっとほとんどいない。そう言っている人間がいたとしたら、熱狂的な空気につられて思い込んでいるだけなのだ。
その証拠にきっと「けもフレ」はすぐ忘れ去られる。あと一か月もしたら、おそらくこの作品には誰一人言及しなくなるだろう。
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「けもフレ」人気のインフレーションの理由は、基本的にネット空間における「極性化現象」であるといえる。
アニオタ・コミュニティという空間の中では、アニメ評価を巡ってぐるぐると再帰的な「言語ゲーム」を続けていく内に、しだいに表現に尾ひれがついて妄想が膨らんでいく傾向がある。
その中では、凡百のストーリーが「絶巧の脚本」になり、平坦な芝居が「神演技」になり、チープな謎が「深遠な哲学」になる。
このような現象は、ネット炎上などでよく観測されるメカニズムである。
ちょっといたずらをしただけの大学生や、何気ない発言をしただけの女性が、集団極性化した暴徒によって糾弾されまくる構図は、ネット上で毎日のように見られる風景である。
ネット上の言語ゲームというのは、往々にしてこのような「過剰」に至るのだ。
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基本的にアニオタというのは、他者を媒介しないと何も考えられない、何も感じられない存在である。
どんなアニメが面白いのか、どんなアニメを自分が好きなのか、そのアニメが自分にとってどういう価値を持つのか、一人では判断がおぼつかず何かを基点としないとリアリティを感じられない。
人間とは多かれ少なかれこういう側面を持つ動物だが、アニオタはこの性質がむき出しの形で露わになった存在である。
アニオタは、基本的に自分が欲望することを欲望している。アニメを楽しみたいというよりは、アニメを楽しんでいる自分を楽しみたいのである。
なのでアニオタにとって重要なのは、作品そのものではなくてその作品を取り巻く「人々」や「言葉」や「その評価」、いわば「アニメ・コミュニティ」という場そのものである。
この「場」に埋め込まれることによって、アニオタは初めて作品に対して欲望を抱くことが可能になるのだ。
このことは、アニオタを語る上で押さえておきたい重要なポイントである。
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アニオタたちが「けもフレ」を担ぎ上げる理由、「けもフレ運動」の意図を強引に深読みしようとすれば、次のようにも解釈できる。
そこで上位を占めているものは、メディアがSNSを通じてステマ的に人気を煽り、ブーストを仕掛けた「張りぼて」の作品ばかりと言っていい。
アニオタたちはこのランキング市場にどっぷりと身を浸し、どっぷりと依存しつつもキレている。
メディアに対してももちろんキレているが、それにまんまと乗せられている自分自身にもキレている。
その鬱々と溜め込んだ感情が、今回突発的に「けもフレ」を通じて連結した。
「けもフレ」という作品は、徹底的に薄味で、徹底的に無難で、徹底的に空っぽであり、「本当に売れたいのか?」と問いかけたくなるような、いかにも「ステマーケティング」と縁のなさそうな装いをしている。
「神輿は軽いほど良い」という言葉があるが、「けもフレ」こそはアンチ・ステマ運動のアイコンに相応しい空虚な作品であった。
アニオタたちは「けもフレ」を神輿として担ぎ上げて、自分たちを操縦しようとするランキング市場のかく乱を目指すための意味不明な舞踏を開始した。
これは江戸時代に流行したとされる「ええじゃないか運動」を彷彿とさせるものである。
アニオタたちの目論みは、自分たちに向けられた圧力を全く同じ方法で相手にオウム返しにすること、「張りぼて」に対して「別の張りぼて」を擁立して推し上げることであり、これは俗にいうミラーリング作戦というものである。
この作戦は幸か不幸か一定の成果を上げていて、アニメ関係者や一部のマーケッターたちは、なぜ「けもフレ」がこれほどまでにウケているのかを理解できずに、困惑の表情を見せているという。
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アニオタたちがもし上記の行動を「自覚的」にやっているのだとしたら、それはいかにもオタクらしく捻くれていて、しかし少々のユーモアも感じさせる、気の利いたいたずらのようにも思える。
しかしもし無自覚的・無意識的にそれをやっているのだとしたら、それは鬱々とした大衆の暗い感情が病理的に発露してしまったかのような、なんだかこれから先が心配になってしまう「症状」だともいえる。