「集団極性化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 集団極性化とは

2018-09-15

悪意か正義を予断して他人言動解釈する人たち

もうちょっと悪意を持つな、正義として称賛するなとはいうけれど、その感情を保留して言動解釈したらいいと思う。

ネット議論がひどいことになるのって、他人を許さないことと、悪意を予断して解釈して悪意をぶつけているからだよね。


それが集団極性化最近流行語だとエコーチェンバーになってどうしようもなくなるんだよね。

ただ、実際にその悪意を持つ人間がいろいろ捻じ曲げようとしているのも見えてげんなりするけど。

2017-04-02

けものフレンズ考察を装ったアニオタ批判

自分ブログに書くとなんだか炎上しそうなのでここに書くことにする。

けもフレ人気が各地で大爆発を起こしているが、さすがに褒められすぎ、評価されすぎ、持てはやされすぎである

この作品はどう評価しても100点満点中あげられるのはせいぜい30~50点くらいである。

アニオタ界隈のけもフレを評価する声として「安心してみていられる」「脚本がよくまとまってる」「やさしいキャラが魅力」などという言葉が交わされているが、これらは全て嘘っぱちのように聞こえてならない。

こんな薄い言葉表現される毒にも薬にもならない作品は、「よくできましたね」くらいの評価を得ることはありえるが、猛烈に人を惹き付けて心を揺さぶる名作にはなりえない。

本当に人の心をガッツリと射貫く作品というのは、たとえガタガタでブサイクな出来だとしても、何か一つくらい魂に響く「核」のようなものがあるはずだ。

「けもフレ」に心を揺さぶられた人間などきっとほとんどいない。そう言っている人間がいたとしたら、熱狂的な空気につられて思い込んでいるだけなのだ

その証拠にきっと「けもフレ」はすぐ忘れ去られる。あと一か月もしたら、おそらくこの作品には誰一人言及しなくなるだろう。

***

「けもフレ」人気のインフレーション理由は、基本的ネット空間における「極性化現象」であるといえる。

アニオタコミュニティという空間の中では、アニメ評価を巡ってぐるぐると再帰的な「言語ゲーム」を続けていく内に、しだいに表現に尾ひれがついて妄想が膨らんでいく傾向がある。

その中では、凡百のストーリーが「絶巧の脚本」になり、平坦な芝居が「神演技」になり、チープな謎が「深遠な哲学」になる。

このような現象は、ネット炎上などでよく観測されるメカニズムである

ちょっといたずらをしただけの大学生や、何気ない発言をしただけの女性が、集団極性化した暴徒によって糾弾されまくる構図は、ネット上で毎日のように見られる風景である

ネット上の言語ゲームというのは、往々にしてこのような「過剰」に至るのだ。

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基本的アニオタというのは、他者媒介しないと何も考えられない、何も感じられない存在である

どんなアニメ面白いのか、どんなアニメ自分が好きなのか、そのアニメ自分にとってどういう価値を持つのか、一人では判断がおぼつかず何かを基点としないとリアリティを感じられない。

人間とは多かれ少なかれこういう側面を持つ動物だが、アニオタはこの性質がむき出しの形で露わになった存在である

アニオタは、基本的自分欲望することを欲望している。アニメを楽しみたいというよりは、アニメを楽しんでいる自分を楽しみたいのである

なのでアニオタにとって重要なのは作品のものではなくてその作品を取り巻く「人々」や「言葉」や「その評価」、いわば「アニメコミュニティ」という場そのものである

この「場」に埋め込まれることによって、アニオタは初めて作品に対して欲望を抱くことが可能になるのだ。

このことは、アニオタを語る上で押さえておきたい重要ポイントである

***

アニオタたちが「けもフレ」を担ぎ上げる理由、「けもフレ運動」の意図を強引に深読みしようとすれば、次のようにも解釈できる。

昨今のランキング市場は狂っている。

そこで上位を占めているものは、メディアSNSを通じてステマ的に人気を煽りブーストを仕掛けた「張りぼて」の作品ばかりと言っていい。

アニオタたちはこのランキング市場にどっぷりと身を浸し、どっぷりと依存しつつもキレている。

メディアに対してももちろんキレているが、それにまんまと乗せられている自分自身にもキレている。

その鬱々と溜め込んだ感情が、今回突発的に「けもフレ」を通じて連結した。

「けもフレ」という作品は、徹底的に薄味で、徹底的に無難で、徹底的に空っぽであり、「本当に売れたいのか?」と問いかけたくなるような、いかにも「ステマーケティング」と縁のなさそうな装いをしている。

神輿は軽いほど良い」という言葉があるが、「けもフレ」こそはアンチステマ運動アイコンに相応しい空虚作品であった。

アニオタたちは「けもフレ」を神輿として担ぎ上げて、自分たちを操縦しようとするランキング市場のかく乱を目指すための意味不明舞踏を開始した。

これは江戸時代流行したとされる「ええじゃないか運動」を彷彿とさせるものである

アニメ評価をかく乱せよ」

アニオタたちの目論みは、自分たちに向けられた圧力を全く同じ方法相手オウム返しにすること、「張りぼて」に対して「別の張りぼて」を擁立して推し上げることであり、これは俗にいうミラーリング作戦というものである

この作戦は幸か不幸か一定の成果を上げていて、アニメ関係者や一部のマーケッターたちは、なぜ「けもフレ」がこれほどまでにウケているのかを理解できずに、困惑の表情を見せているという。

真実などどこにもない。ウソを倒すのはまた別のウソ

ポスト真実時代の戦い方が、まさにここにはある。

***

アニオタたちがもし上記の行動を「自覚的」にやっているのだとしたら、それはいかにもオタクらしく捻くれていて、しかし少々のユーモアも感じさせる、気の利いたいたずらのようにも思える。

しかしもし無自覚的・無意識的にそれをやっているのだとしたら、それは鬱々とした大衆の暗い感情病理的に発露してしまたかのような、なんだかこれから先が心配になってしまう「症状」だともいえる。

このような運動は秩序を打ち壊しカオスしか生み出さない。

このような運動アニメ界隈を通じて別の空間に波及してしまわないことを祈っている。

2011-07-24

ネット上で何か/誰かを批判するのってそんなに意味あることなの?

対面での批判なら、そこから議論が生まれ、物事が建設的な方向に進む可能性があるから分かるけど、

ネット上で批判を繰り広げても、その行動コストに見合うだけの効果が得られにくい気がする。

反論意見が排除される集団極性化機能しやすいから、議論に関しても生まれにくいし。


「ただのストレス発散だから別に効果なんてどうでもいいんだよ!」とか言われそうだけど、

批判することによって対象が改善されるケースなんて実はそんなにないわけで、

逆に批判しても批判しても対象が改善されなかったら増々ストレスたまるものじゃないの?


もし本当に今の自分の境遇に不満があるなら、何かを批判して不満を解消させるんじゃなくて、

その境遇に陥ってしまった自分自身の甘さを省みて、現実的な抜け出す努力をしたほうがきっといい。

社会に対する不満だって、自身の境遇の変化によって意外にどうでもよくなるかもよ?


最近ネット上の文章って批判と見え見えのポジショントークばっかりで飽きちゃうよね。

やっぱ日本社会は足を引っ張り合う文化が影にあるからネット上も同じ空気なっちゃうの?

そんなのやだなぁ。

2010-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20100107024607

人間いろいろ、出会いもいろいろ。

増田の場合、出会っている人間と取り巻く環境

ことごとく増田の胸に対するネガティブ感情を増幅させて

コンプレックスを飛び越え憎悪の対象にすらなっている気がする。

 

で、増田自身もそういうコンプレックスをもっている人たちとの間で

言葉は悪いけど傷のなめあいをするとともに集団極性化が進んで

負のスパイラルが進んでいるわけだ。

 

まあこればかりは劇的な出会いや心情変化がないとどうしようもないよね。

 
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