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はてなキーワード: ストレートとは

2020-07-15

陳腐感想じゃ喜べない腐女子によるお気持ち表明


「『最高でした』の一言でも感想もらえたら嬉しい」という主張をTwitterなどでたまに見かける。

感想ほしい」系の話題になったとき、「シンプルに『読みました、良かったです』だけでもめちゃくちゃありがたい」とツイートしているフォロワーもいた。

私はそう思わない。

「最高でした」とか「良かったです」とか、ほんの一言しかコメントがこなかったら、がっかりする。


2015年から2017年ごろ、私はpixiv小説を書いていた。漫画もたまに描いた。

覇権というほどではないけど、その時期放映していたアニメの中ではかなり人気のあるジャンルだった。

流行さなか、投稿した小説は最高5,000、漫画は4,000程度のブックマークがついた。

もちろん流行ジャンルの力があってこそだけど、それにしても、かなり読んでもらえていた方だと思う。

たくさんの人に読まれるのは素直に嬉しかった。

目にとめてもらえるだけでもありがたいのに、気に入ってブックマークまでしてもらえるなんて、書き手冥利に尽きる。

たくさんのブクマがつく中、感想もたくさんもらえた。

ただその多くが

「最高でした」

「良かった…」

尊い…」

といった、ほんの一言コメントだった。

いやぁ……

これがねぇ、驚くほど嬉しくない。



オタクならわかってくれると思うけど、アニメで好きなキャラ達が動いて喋っているのを見ると、うおああああ…と悶絶してしまう。

愛しさとか憧憬かいじらしさとか切なさとか、ありていに言えば萌えとか、いろんな感情が胸にきて、どうしようもなくなる。

そんな気持ち昇華するために小説を書いていた。

うんうん頭をひねって、自分の中のあらゆる引き出しを開けて、ぴったりくる表現を探しながら書く。

ああでもない、こうでもないと試行錯誤する。思うように表現できずに苦しい時もある。

「なんで私、苦しんでまでこんなことしてるんだろ…」と冷静になりそうな自分を「好きだからだろ!」と激励して書く。

書いているうちに「死ぬほどつまんないな」と思って、ダーーーッと文章を消して、また1から書き直したりする。

そうやって原作へ抱いた情熱を、粗削りながらも形にした作品

時には3万文字だったり5万文字だったり7万文字だったり、本が出せるほどの長文になった(本も出した)。


そんな感情の塊を投稿して、返ってくる反応が

「最高でした」

「良かった…」

尊い…」

…………。

なんていうのかな、肩透かしって言ったらいいのかな?

pixivアクセスして、通知が届いてて。

「(作品名)にコメントがつきました」って表示されて。

クワクしながら確認したら、安っぽいコメントが、たった一言しか書き込まれてない。

えっ?それだけ??? と思う。

もっとこう…あったでしょ? って。

何も400字詰め原稿用紙3枚以上の感想文をよこせって言ってるんじゃない。

長文感想以外認めない!ってわけでもない。

ただ、もう少し具体的に

「あのシーンの〇〇のセリフにこれまでのすべてが詰まっていて最高でした」とか。

ハッピーエンドで良かった…最後に2人が結ばれて本当に良かった…」とか。

「読み終わった今、胸がいっぱいで言葉にならないです…。尊い…」とか。

せめてそれくらいほしい。

マジの一言しかないと、「あんなに必死で書いたのにそれだけかい」と思う。

さらにひどい場合pixivコメント欄で使えるスタンプだけポンと送って来られたりする。

一時期本当にスタンプしか送ってもらえない時があって、ゾウが鼻血出してる絵を見ると未だにげんなりする)


「神」「最高オブ最高」「てえてえ(尊いを崩した言い方らしい)」など、オタクが使いがちなネットスラングが便利なのはわかる。

昂った気持ちを端的に表せるから使いやすいんだろう。

でも、あまりにも脳みそ使ってなさすぎる。

あちこちで使われすぎて手垢まみれだし、薄っぺらくて陳腐だし。

そもそもそれって、自分言葉じゃないでしょ。


オタク各位、創作物を読んで抱いたご自身お気持ちは、もっと大切にされた方が良いかと思います

感想を送ろうと思い立った際には、そのお気持ちを、もう少しだけ丁寧に言語化していただけないでしょうか。


気持ち言語化するのが苦手」という人もたくさんいるだろう。

言語化はできるけど、情熱込めた感想送って、気持ち悪いと思われたら嫌」って人もいるはずだ。

でも、使い古された脳死コメントや、pixiv運営が万人向けに用意したスタンプを送られるくらいなら、

Twitter作品リンク張って「これ最高だった!読んで!」って宣伝してもらえる方が、私はずっとずっと嬉しい。


感想もらえるだけありがたいと思え」と言われればその通り。

世の中、一言コメントどころかスタンプさえもらえない創作者がいるのはわかってる。

だけどやっぱり、

コメント欄に気持ちのこもった感想を書き込んでもらったり、

1万文字まで送信できるメッセージからビッシリ長文で感想を送ってもらったり、

イベント会場で感想がつづられた手書きのお手紙を対面で渡してもらったりして、贅沢を覚えた身としては、

一言コメントを送られると「それだけかよ…」と思ってしまうわけだ。


しかし「一言しか感想もらえないとがっかりする」なんて発言したら普通に引かれるだろう。

こいつ性格悪っ!誰が感想なんて送ってやるかよ!となって、一言コメントさえもらえなくなるだろう。

あまつさえ陳腐コメントよりしっかりした感想送ってくれ」「スタンプ送るくらいならTwitter宣伝してくれ」なんて言おうもんなら学級会案件になってしまう。

拡散力のある人が拡散してつるし上げられたら大炎上して、ジャンルにいられなくなるかもしれない。

そんなわけで今回、匿名でのお気持ち表明とあいなりました。


インターネットを使い慣れたオタクの皆さんなら承知の上と思いますが、念のために言っておきますと、この記事に記した内容はすべて個人的意見です。

冒頭に書いたとおり、たった一言コメントでも嬉しいという創作者さんの方が多数派だと思われます

こんな贅沢でワガママなヤツもいるんだな~くらいの気持ちで受け取ってください。

ここまで読んでくださってありがとうございました。




~以下余談~

そのジャンルでの二次創作には区切りをつけて、2018年現在、別のジャンル活動している。

2010~2013年ごろ流行していたけれど、今はピークを過ぎており、公式から情報が途切れて久しい。

ストレートにいうと斜陽ジャンル(そのためか年齢層もやや高めに感じる)。

このジャンル小説投稿すると、驚くほど濃密な感想文が送られてくる。

「〇〇の場面で××が△△したのは伏線だったんですね」とか

「この行動には□□に対する作者の皮肉が込められていると思う」とか

ラストシーン安易に〇〇にしなかったのが逆に感動的だった」とか。

感想だけじゃなく、考察評論コメント欄で交わされていて、とても面白い

ブックマークは多くても300~400程度だけど、コメント率がとても高い。こうなると書き甲斐が段違いだ。

感想をもらえると創作意欲がメラメ燃えるタイプオタクにぴったりのジャンルだと思う。

相性のいいジャンルにはまれ幸せだ。

お気持ち長文バズきっかけで増田を使うようになったオタクだけど、こういう自分みたいな人が嫌煙されてる気持ちもわかる 新参者だしね 私もお気持ち投稿したことあるし....でも最近は親にも友達にもツイッターにも言えない悩みを書き記しておける増田ちょっと楽しくなってきた

あと期待しなくていいかストレート意見が貰えるのも嬉しい

2020-07-13

書き留めておきたかたこ

好きな人がいたんです。初恋といってもいい。

もう記憶あやふやなくらい遠い昔、同じゲームが好きで話すようになった女の子のことをひたすらに大好きだったんです。

その女の子が他の子と遊んでいたらその子達が死ぬほど憎くなるくらい、その女の子プール自由時間に一緒に遊んでくれなくてガチ泣きするくらい、それを気に病んで髪をハサミで切るくらいには大好きでした。当時の幼い恋ですから自分勝手気持ちです。ただただ彼女が好きというだけで、特段彼女側の視点に想いを馳せない身勝手な恋をしていました。

あの頃を思い返してはっきり仲が良かったと言える子はもうひとりいました。その子に対してはフラット友情を抱いていたのです。今でも親友、盟友と自負しています。お互いに。だからこそ、初恋の子への想いはくっきりと友情から区別されるものだとわかったのです。

何故この恋が特別だったかというと、これを10年くらい引き摺ったからです。中学別になったので、彼女と一緒に過ごしたのは2年ぽっちでした。それでも中学の頃はやたら長い電話をかけたり地域お祭りで会ったりしていましたが、高校生になると私も部活で忙しくなり接点はなくなりました。あの頃はLINEがなく電話メールしかないし、そうなると連絡は自然億劫になります。それでも心の奥底で好きだったんです。ずっと。毎日最低一度は彼女名前を思い出しました。時には彼女の顔や言葉を思い返してきゅんと締まる胸を押さえました。事あるごとに彼女名前を呟いては思い返していました。今思えば執着みたいなものだったのだろうと思いますが。

人生色んなことがあります中学の頃は部活の女の先輩が大好きで年中ひっついてましたし、大学生の時は短い期間ながら彼氏がいました。だから初恋は執着に形を変えて心の奥底に寝そべっているような感触であったのです。大きなかたまり感情はあれど、彼女名前毎日思い返せど、それでも終わった恋だと思っていました。

大学何年生だったか彼氏なる存在と別れてしばらくした頃、ふとLINE友達を整理していて心臓が飛び出そうな感触を味わいました。電話番号による自動追加か、友達欄に「彼女」の名前があったのです。震える手でメッセージ作りました。なんでもないような感じで、「やっほー!もしかして○○ちゃん?」と。そんな些細なメッセージを作ったはいいが、いざ送るのにはまる1日かけて悩みました。軽いノリで行くべきか丁寧に行くべきか、怪しまれない言い訳をどう盛り込むか、そう考えている時点で下心ありありなのではなどと、様々な思いが去来していました。

ええいままよとLINE送信ボタンを押した時の手の震えと、返信が来た時の高揚感をまだ覚えています。「彼女」と現状の話をぽつぽつと送り合うたびにときめきが胸を吹き荒れていました。まだ、好きになれたんだなと実感されました。

雑談を続けていたらトントン拍子に「今度の休みに遊ぼう」という話になっていました。しかも向こうからの持ちかけで。もう有頂天でした。色々と忙しい時期だったのですが、テンションMAXで浮かれていました。

遊ぶ日の当日は、めちゃくちゃ服を悩んだりメイクを調整したりと、恋する乙女のものでした。ハイテンションにこれまでの年月について語らい、私にとってのデートを心から楽しんでいました。私より背の高い彼女を隣から見上げる時の、甘酸っぱいような感覚をまだ忘れていません。

このような浮かれ方をしていたので、まさかその日のうちにこの恋が冷めるとは思ってもみませんでした。2人とも少し歩き疲れ、お茶にしようと喫茶店に入りました。様々な話題をぽつりぽつりと話すうち、人生の話がちらほらと混じり始めました。何故かこの年頃の女性と長く話すと、なりがちな話題です。私は当時学生でしたが、彼女はもう働いていました。かなりハード職種、悩まされる人間関係、今後の人生方向性。話を聞いているうちに、恋愛観の話題になりました。「好きな人に男も女も無いんだよね」と彼女自然に言った時、私は踏み込まれたような気持ちになりました。彼女のことを一方的に好いている自分に後ろめたさを感じるような、そんな感情です。私は彼女の眼中に入らないからこそ、好きでいたのでは?とまで思考が回るほど、私は混乱していました。ただ、彼女言葉を続けました。「でも女の子は『やりたい』って気持ちになれない。そこが大事だと思うんだよね。だから恋愛では無いかな」と。

ドライアイスが溶けて昇華されるような、心臓の奥にたまっていた愛着の塊が、10年かけて作られた塊がその一言で一瞬のうちに消えました。

自分でも動揺するくらいあっさりと、彼女に対する恋愛的な「好き」の気持ちが消えたのです。

ああ、相手範疇にないなら、その可能性すらないなら私は色恋として好きにならないのだなと、瞬間的な悟りを得ました。「そうなんだね」とあくまストレート(用語)のふりをしながら、私は相槌をうっていました。バイの私にとって「恋愛対象の」女の子全然「やれる」相手であることも、そう彼女を思ってきたことも、ひた隠しにしてただ当たり障りのない会話を続けました。

決定的な溝を前に恋愛的な「好き」が消え、彼女に対する気持ちにはもう1人の親友とまったく同等の「友情」だけが残っていました。

また遊ぼうと軽く言い交わして別れた後、私は全くフラットになった自分の心のうちに困惑していました。これまでの毎日、本当に、彼女名前を忘れたことはなかったのです。10年以上執着を持ち続けて凝り固まった感情が、こんなにもあっさりとなくなってしまうとは。このようなことを人生の中に予測したことはありませんでした。たった一言で私の見る世界は一転し、拠り所のないふわふわとした気持ちで、帰路を歩んでいました。

こうして私の初恋は終止符を打たれたのでした。

構ってもらえなくて泣くくらい、LINEの返信を心臓の高鳴り抱えて待つくらい、10年以上その想いを抱え込むくらい大好きだった彼女への恋愛的な「好き」が、一瞬で跡形もなく消え去りました。

未だにその子に対して恋愛感情を持っていた記憶は残っています。未練のようなものではなく、さっぱり消え失せてしまいはしましたが、思春期青年期にかけて私の心にぽたぽたと垂れ続けて形作られた雨だれが作ったあとが、埋めるものもなくその形が残っています彼女を愛した記憶ごと、最早私の人生であったわけです。

今後、私が生き続ける限り、彼女を愛した年月は人生の中に占める割合を減らしていくことになります。それでも私を形作るにあたり基礎の部分に混ぜ込まれたことに変わりはありません。石を穿った雨だれはもうなく、ただその跡を残したまま、その上に今後の人生を積み上げてゆくのだろうと思います

彼女への想いが消えて暫く経って、私の人生の半分を形作ってきたこの思いについて書き留めたくなったため、ここに記します。

今はただひとりの友人として、彼女の前途に幸あらんことを祈ります

anond:20200713173427

公務員上級だったらストレート自民だろ

昔だったら犯罪しない限り解雇されないのが公務員メリットだったけど今は犯罪しても合法から

anond:20200713112436

>歳相応な落ち着いたファッションをしたい

就活目前ってことは22,3か24,5くらい?

ならセンスオブプレイスとかどう?アーバンリサーチ系列の安いところ。流行を取り入れつつ色味とかほどよく落ち着いてて便利。

オフィスカジュアルならユニクロ一択。有名なロペピクニックは生地ペラいから骨格診断ウェーブじゃないと死ぬ

ちょっと高くなるけどナチュラルビューティーベーシックウェーブストレートミックス向けっぽい。Nナチュラルの方は完全ストレート向け。どっちもオフィスカジュアル!って感じ。

でも新卒ならもっと落ち着いてなくていいと思うなあ。入社後にメンターとか先輩に聞くか、まわりの服装見てよさげなの着てる人に聞いたらいいと思うよ。

2020-07-12

けいおん自分黄金時間再確認した話

日曜にめずらしく妻も子供も早々にぐっすり寝て自分時間ができた。

Youtubeでだらだた動画を観るのにも飽きて、久しぶりに昔のものでもみるかーと、クローゼットの奥に眠っているブルーレイDVDを漁っていた。

目に留まったのは、けいおんの1st Liveブルーレイだった。

もう10年前、当時は時間はあるけど金はない大学生で、けいおん一期の第四話にぐらいか何気なく見始めて衝撃を受けて、今でいう沼にハマったのを少し思い出した。

ブルーレイを50型のテレビ再生して、家族は寝ているので仕事で使うAir pods proを使用して観始めた。

――――よくわからない気持ちが溢れ出してきた。

そして同時に当時の自分熱狂とも言える想いが次々に蘇ってきた。

とにかくけいおんブルーレイが欲しくて、ブルーレイ搭載のBTO PCを買うために死ぬほどバイトしたこと

とにかくけいおんブルーレイが欲しくて、バイトしまくって留年かも?が留年確実となったこと(そして実際留年した)

けいおん1st Live抽選にことごとく外れ、絶望的な気持ちのなか、mixiけいおんコミュ相方が行けなくなったという方に自分けいおんへの想いをストレートに綴ったら、チケットを譲ってくれたこと。

譲ってくれた方は社会人で、ライブの二期発表に二人で心から喜んで抱き合って発狂したこと、そのあと横アリの近くのうなぎ屋でうなぎ奢ってもらってライブの想いや自分の考え熱く語ったこと。クソ大学生だった自分からすると神様のような目上の方で、心の底から楽しい時間だったこと。

崩れなかった豊崎愛生最後ふわふわ時間で泣いた瞬間、自分もその社会人の人も泣いた、それぐらいの一体感だった。

ふわふわ時間の紬(寿美菜子)のキーボードと顔に絶頂気持ちを迎えたのは社会人の人も一緒だった。それが楽しかった。

二期に向けて気持ちが最高に高まっていたこと。

TBSアニメフェスタ行ったり、Merumoでメルマガ配信し始めたり、彼女が出来そうなチャンスをけいおんに全振りしたり、バイト仲間とけいおん勉強会したり、したり、したり。

GO! GO! MANIACを初めて聞いた瞬間の衝撃、OP映像のすばらしさにひっくり返った記憶

二期の作画クオリティに舌を巻き、じっくりと描く3年生編に胸が高鳴り、一話一話のすばらしさに毎話毎話マジで正座して観ていたこと(正座待機、マジであるんですわ)

GO! GO! MANIACCD発売前にニコニコでみんながFULLバージョン自作していたとき。FULLじゃなくてFULIなんですよね。Cagayake!GIRLSから音引っ張ってくる人とか天才かなと思った。

終盤、最後文化祭ライブの会は本当に涙が止まらなかったし、こんなに素晴らしい作品を生み出してくれた全ての人に感謝するメタ思考と、HTTみんなに感情移入する目線がごっちゃになってぐしゃぐしゃになっていた。

この時泣いてなかった梓が最後天使にふれたよで大粒の涙をこぼすのはもうだめだった。自分の中の何かが変わる気がした。

2nd Liveは規模が大きくなったし、雰囲気も1stと違ったけど、自分にとって大切なライブだったなと思った。ときめきシュガーで澪(日笠陽子)がセンターステージリズム取れなくなってぐちゃった時に唯(豊崎愛生)がフォローしてるのとか最高だったし、最初から最後まで(マジで早朝の物販列からさいたま新都心魚民での打ち上げまで)最高だった。

余談ですが、自分ライブ後のさいたま新都心魚民生ビール世界で一番うまいと当時思ってました。



その後一ヶ月もしないうちに東日本大震災生活環境が一気に変わり、就職、働きだすと不思議とそのときの熱い思いや1日が72時間あったような感覚は失せ、映画版けいおんにもそれほど熱中できずサラリーマンとして頑張る日々になっていきましたとさ。



今考えれば不思議など、自分時間の中心がけいおんで、でも充実した日常生活を送っていて、今の自分からすると1日72時間ぐらいあったんじゃない?ぐらい濃い日々を送っていたなと思いだした。

テレビなんか持ってなかったし、素晴らしいノイズキャンセリングイヤホンも持ってなかったし、金も全然なかったし、勉強全然ダメで、女にもモテなかったのになんであんなに楽しかったんだろう。実家生活していて家族との折り合いをつけつつ深夜アニメ見るのも大変だった(実家から大学通っていた)。

あの時「自分はこれがないなー」と思っていたものが全部手元にあるのに、それと対価にならないほど素晴らしい熱い思いや素晴らしい作品は今ないなと、思ってしまサラリーマンなわけです。

あの時はクラウドバックアップもなくて、写真も思い出もメールガラケーiphone4と一緒に消えてしまったけど、こうやって昔の映像を観ることで思い出せるのっておもしろいなとおもった30代でした。人間こうやって大人になっていくんですかね?昔の思い出にすがるのダセーよなwwwとか20代のころ思ってたんですけど、すみません、こんな輝かしい思い出、自分には捨てることができませんでした。他の人に熱く語りたいけどそうもいかないのではてな匿名ダイアリーにぶちまけるんですけどね!

コロナ流行って転職を考えるもの家族がいる中で悶々としている今の自分にとって、約10年前の熱い思いをおもいださせてもらったのでぶちまけてみたわけですが、気持ちが前向きになったとか自分の心の支えはけいおんとか、そんな陳腐なことばの前に、けいおんたことないひとはみた方がいいですって。あなたに合わないかもしれないけど、もしあったらあの時の自分のような、もしくは今の自分のような前向きな気持ちを持てるかもしれないので!!!!!

けいおんだいすき。

性的マジョリティBLを愛してはいけないか

先日、Twitterでこんな記事を読んだ。

https://i-d.vice.com/jp/article/8xeg4b/does-it-matter-who-writes-queer-stories

欧米におけるヤングアダルト小説(こちらでいうライトノベルのような枠組みだろうか?)で、LGBTQを取り扱った作品が隆盛していることについての話だ。

そういうポップカルチャー多様性が描かれるのって、良いことじゃない?

多くの腐女子はそう思うのではないだろうか。

しか問題はこのように続く。

売れたLGBTQ小説は、ストレート女性によって書かれたものが多いそうだ。

そのことについて「また女性作家ゲイ少年モノという流行に乗っかって利益を得ようとしている。本物のゲイ作家もいるのに、その人たちは取り沙汰されない」という批判が起こっているという。

いつも描かれるのは「シスジェンダー性的マジョリティが同じマジョリティの読者に向けて描いたセクシャルマイノリティ」。

これが問題だという。

ようは同性愛描写が単なるコンテンツとしてマジョリティに消費されているということを言いたたいのだろう。

これを読んで思ったのは、これって日本でも議論できることだなぁということ。

日本腐女子って自分のことを「マイノリティ」かのように認識してる人が多い気がする。

自分BL好きという"特殊性癖"を持っていると自己認識して、たまにBLを嫌う人をミソジニストと呼んで戦ってたりする。

でもだいたいの場合自分自身はストレートなのだ

腐女子の描くBLは「性的マジョリティマジョリティに向けて描いたセクシャルマイノリティ」というものが大半だと思う。

私は腐女子で、普段二次創作中心のBLを取り扱っている。

私は二次創作BL作品は極力隠れたほうがいいと思っていて、その理由上記の一点に尽きる。

BL作品好きを腐女子と呼ぶのはゲイの人に対する差別からshipperを自称する」という運動が一時期起こっていたが、私にはそれもできない。

私自身はたぶんストレートだし、専門的にその方面勉強もしてないし、マイノリティの人たちに関する活動をなにかしてるわけでもない。

おそらくヘテロであろう作者がヘテロとして描いたのであろうキャラクターを、その解釈範疇から大きく逸脱しない範囲内でセクシャルマイノリティに改変して創作してる(例えば普段ヘテロだけど相手にだけはゲイということにしたり)。

この創作ゲイの人への理解を促進するとか心を救うとも思わない。

同じ腐女子に向けた作品しか描いてないから。

ゲイに向けたものではない作品群を肯定することが、ゲイ肯定することとはイコールで結ばれない。

‪話はそれるが、でもBLが好きという自分趣味肯定したい、だから腐女子という貶めた呼び方ではなくshipperと呼びたいという気持ちなのであればそれは共感できる…

自分たちのために自分たちを肯定するのはとても良い事だし、そこにゲイ人達への配慮みたいなものを挟むのは筋が違うと思う。‬

多様化が描かれる中で、私たちは「性的マジョリティ」だ。

その私たちBLを愛していくにはどういう姿勢で向き合っていけばいいのだろう。

働きたくないか死にたい

あ〜死にたい

特にいじめられているだとか

ブラック企業に勤めているだとか

恋人とうまくいってないとか

そういう事柄で病んでいるのではなく

ただ単に死にたい毎日思って

中途半端に失敗して後遺症が残るのが嫌なので

確実にスパッと死ね方法模索しながら、

あとは身辺整理をしたりしている。

仕事は辞めた。

理由は単純、働きたくない

週5で8時間最低働かないと生きていけないの

めんどくさいか死にたい

たぶんここの時点で色々思い浮かんだ人がいると思うのでそれに対して自分の思うことを書いておこうと思う。

まず普通の人はだって生活していけないから、とかいうけども私は感覚がズレているのか、「働いてまで生きたくない」としか思えない。

なんでみんなまずそこまでして生きようと思うの?そこが理解できない。

親が悲しむだとか命を大切にとかよく聞く言葉はこの問いの答えにならないと思うし、また綺麗事なんか言ってんなぁ、どうでもいいなぁとしか思えない。

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・親が悲しむ

そりゃ欲しいと思って子供つくって産んだんだろうし育ててきたんだろうけど、(なんなら望まれない子だっているわけで)生まれ人生約80年勤労納税罰ゲームをさせるってやばくない?

サイコ大事に思ってるとか本気で言ってる?

自分には存在しないけど"我が子"を本当に大切に想うならうみ出さないことが一番の愛だと思ってしまう。楽しいこともあるだろうけどやっぱり悲しいこと辛いことのほうがどう考えたって多い世の中じゃないか

「生まれてこなかったら楽しいことも何もなくなるんだよ」と言われてもうん。無くていいですとしか思いませんねぇ。トータルしてめんどくさいことの方が多いんだから無の方が良い。そういう人もいるんですよ。

で、そのワードGoogle検索をすると、同じことを思う人は沢山いるわけで、Yahoo!知恵袋とかを見るとそれに対して様々な解答が書かれている。

だいたいまあ親のエゴであることはみんな認めていて、でもその分大事にしてきただとか、上記の謎の命を大事しろ論だとか、色々書かれているけど「結局産んでしまったんだから許してくれ」と逃避しているようにしか見えない。こっちは産まれたいとか一言も言ってない。本当に迷惑

生きたい人は生きればいいし、死にたい人は死ねばいいだろう。人にお互い押しつけず自己選択させて欲しい。生まれ権利があるなら死ぬ権利だってあるだろうよ。積極的安楽死を越えて超積極的安楽死も早く可能になって欲しい。

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・命を大切に

いやまあわかりますよ?命は尊い、五体満足で生まれてくるのだって奇跡ですよ。でも生まれから自分のもの自分の体も自分のもの自分ペンを捨てるのは自由なのに自分の体や生命のこととなると急に親から貰っ命なのに親不孝者だとか「親」というワードが出てくる。整形とかもそう。親が悲しむとか体に傷つけて酷い子だとか。

いや親関係なくない?大丈夫

エゴ自分のために産んでだから責任があって

育てて、そのために仕事とか色々頑張って。

うん。わかったわかった。でもそれ自分が産むという選択肢を採ったからであって勝手に生み出されたこっちが文句言われないといけないの?したくなければ産まなきゃいいだけの話ですよ。

倫理的にはクソだけど。きちんと避妊はしよう!

子供を産んだ人間自分は悪くないと理由をつけたいが故にそうやってズレた、死ぬのがダメ理由を主張するんだろうと思っている。

もう一度言う。産んで育てたのが親でも

子の身体生命はその人のもの

本人の人生は本人のもの、どうやって生きて死ぬかも本人が決めていいこと。

悲しむかもしれない。けど見返りを求めて育児はするものでないだろうし無償の愛を捧げられない人間はやっぱり子供をつくるべきではないよ。

感謝勝手にされるものであって、してもらうものではないだろうし。

親のために親より遅く死ななきゃいけないなら

存在せず無の状態の方が気楽でいいと思うんだよなぁ。親だってまともな親もいればクズだっていて子は選べないんだから。いつだって綺麗事言うのは恵まれた人だ。

はい次。

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ブログやら投資やら会社に行かなくてもゆるく稼げる方法があるんだから働くのが嫌で死ぬなんてバカだ!とか書いてるブログ系の人。

これが一番論外。

会社で働くより少ない労力で多く稼げる。

うん、わかった、魅力的だよ。

けど結局勤労をしているわけです。

それが嫌だって言ってんの!!!

そもそも人種が違うんだと思う。

この人たちはそれらに費やす労力を労力とみなさず楽しく無意識に頑張れた人か、労力だけど会社で働くよりマシだ、けど死にたいとはおもって思っていない人だ。

こっちは1mmも勤労に関わることをしたくないんだよ。さようなら

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死にたい意味

私は死にたいと言ったがこれを細かく解釈すると、

私は常に寝ていたい。体質もあってあまり長く起きていられない。ロングスリーパーどころの話ではない。長く寝たとて、起きていられないのだ。体力もない。病気もよくかかる。生まれつきだ。

健康保険証は友達保険料払うより回収した額の方が多い。万歳

その時点で普通の人より

普通に頑張ることのハードルが高い。

とにかく身体しんどい

元が弱いか運動して健康的に!とかいやいや

その運動を軽くするための体力がないんですよ。

治せるなら治してるって。何年この身体で生きてると思ってるの?

ニワトリと卵的な話になるが、

体が弱いからなのかそもそもただ単にそうなのかは知らないが、精神も弱い。過食をしたり拒食になったり色んなもの依存したり精神系の薬飲んだりそこらへんは一通り経験した。それでも学校不登校にならず通い、ストレートでそこそこ名の知れた大学まで卒業し、就職までした。世間理想のレールにはのってきた。

なんなら気合いはなんだかんだあった方なんじゃなかろうか。

もう良くないか親孝行はしただろう。

自慢の子どもとして生きてきた。死ぬほど上記自傷行為?系やらなんやらしながらでもこなしてきた。今度は結婚と孫かな?知るか。私は体が弱いし上記のように反出生主義だし無理です。

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・では何が幸せなのか?

ずっと寝て意識がない状態がとにかく幸せで仕方がない。買い物をするよりも誰かと遊ぶよりもなによりも。うとうとしている時も心地よいけど

無で記憶がなかったと起きた後に気づくのが一番嬉しく、それと同時に目覚めてしまったという事実で鬱になる。起きたくない。なので次の瞬間からまた寝る。寝れる体質なので。のび太と眠りにつくまで選手権でいい勝負ができそうである

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何回も無という言葉が出てきたが

この何もないことがいちばん幸せなのである

何もないというのは、意識感覚自我が何もないの意味である

たまにトンチンカンな人がじゃあ

ホームレスにでもなったらいい!とか

お金がなくても楽しく生きている人がいますよ!

とか言うけど普通に衛生上嫌だわ。

うそういうわけのわからん対処法にならんような案を出すのはやめてほしい。

ずっと眠っていられるなら別に生きていてもいい。ただ植物人間ってコストかかるし迷惑もかかるので、それならサクッと死んだほうがコスパ良くない?

どうせ死ぬとき自殺だろうと他殺だろうと事故病気だろうと誰かに迷惑をかけて、悲しませるのは変わらない。時期の違いだけだ。

それならはやく若い間に死にたい

若くて綺麗な間に死にたい

若かったらまだ若いのに、綺麗なのにって夏目雅子とかダイアナ妃のように惜しまれることはあっても、歳とったら悲しくはあっても結局まあ長く生きたもんだなぁ、と淡々と思われるくらいだろう。

年齢で死の価値すら変わるように感じる。

別にしまれたい惜しまれたいわけではないけど

死んだ価値がある方が死んだ甲斐があるなとふと思ったまでである。それこそ死ぬだって労力をかけるのだから

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それはそうと、

身辺整理、地味にめんどくさい。

部屋の片付け、多い服を捨て、今の時代なんか

Web上のあらゆるものまで消さないといけない。

いろんなサイトアカウントを消し、

LINEを消し、Twitterのリア垢も消した。

まずは周囲の人の中から存在を消したかった。

あと普通親族に見られたくない。

インスタも最後に消す予定だ。

なぜ残しているかというと、もしも何かあった際、DMで最悪連絡が取れるからである

まあそれももうないだろうから消そうかな。

ちなみに余談だがこの増田を書くためにわざわざはてなアカウント作成した。まあこれは残したまま死んだとて問題はないだろう。

クレカ水道光熱費も解約しよう、と思ったのだが、調べてみると死後、片付けや清掃をする際に電気がつかなかったりすると不便だと書いてあったので、なるほど、、、と感動し、仕方なく残しておくことにした。

できる限り自分でなくしておくほうが良いものは無くし、消していく。それらの行為を重ねるたび、確実に世間から自分が消えていっている実感が湧き、嬉しく思うのである

とりあえずこれらのことをなんとなく最後に記録しておきたくなった。文才はないけど書く分には幾分か楽しかった。

それでは健やかなる夜を、おやすみなさい。

2020-07-11

最近差別撤廃の動きに関して思うこと

匿名ならでは、無知晒すような自分愚痴を聞いて欲しい。Twitterでは言えない愚痴を。

差別撤廃する動きが何年も各所で起こってる。それ自体はいいことだと思う。

性別人種性的嗜好国籍等でその人の生活を妨げることは許されない。現代では当たり前の話だ。それが平等だと私は思う。

から特定性別の人が、特定の肌の色の人が、特定の国の人が、特定宗教の人が、特定性別を好む人が不当な扱いを受けた時、それに待ったをかけられる今は昔に比べたらいい世の中だと思う。

だけども、所謂「ツイフェミ」と呼ばれる過激フェミニストをはじめ、ポリコレポリコレと声高々に叫ぶ人たちに少し疑問を覚えている。

例えば、黒人の役を白人がやってはいけない。それが声優であっても。

なんて馬鹿げた話だろうと思う。黒人差別反対というのは、例えば黒人という理由で不当な扱いをすることを反対するという話で、黒人サマになろうとする白人なんて、という話では決してない筈だ。それは、白人がやるべき役を黒人がやるなんて白人に失礼なので黒人役者はその役を降りろと言うことと本質的には何も違わないのではないか。そういう行為果たして平等と言うのか。

LGBT差別はよくない。当たり前だ。愛に貴賤はない。だからLGBTの人はカミングアウトしましょうと所謂ストレートの人が促すのは違うだろう。フィクション作品中に必ずLGBTキャラを入れろというのも違うだろう。別にストレートの人もわざわざ「私は異性が好きです」なんて言わないだろう。作中でわざわざ「私は男が好き/女が好き」などと言うキャラばかりではないだろう。目の前にいるその人がどの性を好いていても、もしくは恋愛をしない人であっても「そうなんだ」とただ受け入れるだけでいい。同性愛や無性愛者という理由で不当な扱いをするなという"だけ"の話だと思うのだ。

目の前の相手差別される側の人間だと分かったとき、求められてもいないのに必要以上にその人に気を使って、頼まれてもいないおせっかいをするのは、それは思いやりなどではない。ただの自己満足で、ポーズだ。偽善ですらない。

必要サポートをすることと、勝手に思い遣るフリをするのは全く別だ。駅で出会った車椅子の人にエレベーターを譲るまではするだろうが、その人の家まで送るのは送られる側は恐怖だろう。ストーカーから守る為に女の子の後ろをついて歩くコピペネタのような行為は実際にやれば通報ものだ。

被差別者待遇を上げることと、現状強者(と便宜上表記する。白人男性ストレートなど)の待遇を下げることはイコールではない。それは強者弱者が入れ替わるだけで何も解決しない。

もっと単純に考えてはダメなのだろうか。

異性愛者の私は、同性に恋愛感情を持つ人の気持ちを「分かる」とは言えない。

黒人ではない私は、黒人であるという理由差別を受けた人の気持ちを完全に理解は出来ない。

外国アジア人差別出会たことのない私は、実際にアジア人差別に遭った人の気持ち理解することはできない。

そもそも、私は家族であっても他者気持ちに対して軽々しく「分かる」などと言えない。

人の気持ちは分からない。されて嫌だったことが概ね共通していても、どの程度嫌だったかまでは同じじゃない。

自分と異なるもの全ては「分からない」ものなのだ、という前提のもと「でもそういう人もいるよね」とただ受け入れる、ということはそんなに難しいことなのだろうか。

別に嫌いでもいいのだ。無理に好きになる必要はない。同じ人種であっても同じ性別であっても嫌いな人はいるのだから、嫌いであること自体は悪いことじゃない。

ただ、だからといって権利侵害してはならない。それだけの話だ。

それだけの話だと、私は思うのだ。

2020-07-10

ノースピン・ファストボール

よく晴れた7月下旬の午前11時、駅に向かう途中のただっ広い公園

早朝の冷たい空気が強い日差しに当てられて暖まりゆっくりと上昇しながら刈られた芝生の上を移動していく。

4歳の息子は、木陰からさな石を拾っては、ポイと投げる遊びに夢中だ。

危ないよ、気をつけて。と周りを見渡しながら、誰もいないことが分かると少し静観することにする。

子どもの興味に対して自由にさせてあげたいからだ。

息子は、少し大きい石を見つける。

彼にとっての拳大、手に握るのが精一杯というサイズだ。

あ、それはどうだろう。投げるのは危険ではないか

声をかけて近寄ろうと、一歩を踏み出した瞬間。

彼が上に向けた掌の上の石が、ふいと空中に浮き上がる。

投げた、という表現があたらない、力をかけていないのに彼の手を離れ、わずか数センチ空中へ浮き上がる。

息子は目を大きく見開いて、石を見つめる。何が起きているのかを観察する。

わたしは踏み出した一歩が芝生に着地したまま、動くことができない。

石が浮き上がった角度、午前から午後に向かう空気の流れ、息子と石を観察できる角度。

そのすべてが絶妙ものであり、崩すことができない、崩してはならないものに思えて、そこから動くことができない。

掌の上数センチ滞在するかに見えた石は、そこから上にさらに浮き上がる。

わぁ、と母音がちな声を上げてそれを追う手をかわすように、浮上のスピードが上がる。

無回転のストレート、ノースピン・ファストボール

それが投手の掌を離れる瞬間。力を受けて加速し、空中へ投げ出された瞬間をスローモーションで眺めるように。

息が止まり心臓が動いていることを忘れる。

しか時間の停止は長くは続かない。

数秒後には、ボールキャッチャーミットに突進する直線的な陰影を残し、青空の彼方に消えていった。

なんでそんな体型なん?w

これが普通の体型やぞww

筋トレ頑張り過ぎやろww

ラガーマンみたいな体型やなww

って煽るんだけど、ストレートに痩せろよデブキモイって言った方が効く?

2020-07-09

追記】32歳腐女子自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなる

33歳になった近況報告→https://anond.hatelabo.jp/20201226180141

昨年にあった話。

私(A)は32歳のオタク腐女子である

学生の頃から10年以上の付き合いのある同じくオタク腐女子の友人が3人いるが、久しぶりにみんなと会って自分がとても32歳とは思えない子供っぽさであることを思い知って恥ずかしくなった。

●私のオタ活

ずっとオタクだったが数年前に過去最高にどっぷりハマるジャンル出会った。ゲーム原作アニメ2.5次元など様々な展開のあるジャンルで、そのどれにもお金を使いまくった。ゲームへの課金アニメ視聴、グッズを買い漁る、2.5次元に何公演も参戦する、2.5次元のグッズも買い漁る、2.5次元俳優自体にもハマる、様々なコラボ商品を買う等した。

二次創作も大好きで同人誌の大量買い、キャライメージアクセの大量買い、即売会参加もしていた。同人誌作家同人アクセサリー作家コスプレーヤーともツイッターで仲良くなり、オフ会をしたりそれはそれはオタクとして充実して楽しく過ごしていた。

その頃から人達子育て仕事で忙しくなかなか全員で会うことができなかったが、昨年久しぶりに全員の予定が合い会うことになった。ここで私は自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなったのだ。恥ずかしいと思ったのは主にファッションメイクに関すること、お金の使い方、落ち着きのなさの3つだ。

最初の気付き~ファッション

一番に待ち合わせ場所に着いた私はみんなを待った。最初に現れたのはBちゃん。そこであれ?なんか綺麗というか大人っぽいなと思った。次にCちゃん、Dちゃんが来たが、その時も同じようなことを感じた。

みんな容姿はごくごく普通という感じで特別可愛いとか美人てわけじゃないんだけど、雰囲気がとても綺麗になっていた。

その日のみんなのコーデは細かい色や柄は忘れたけど多分こんな感じ。何でそんなこと覚えているのかというとこの日が恥ずかしさの気づきの日で忘れられないかである

Bちゃんコートドルマンスリーブカットソーにミモレ丈のスカート、黒タイツブーティハンドバッグ。ケバすぎないばっちりメイク、薄いピンクネイル、小ぶりでシンプルネックレスブレスレット

Cちゃんジャケット、白シャツストレートパンツヒールパンプス、肩かけバッグ。濃いめかっこいいメイク、がっつり濃いネイル、大振りだけどデザインシンプルネックレスバングル

Dちゃんは唯一既婚子持ちだけど、ママって感じがしつつもオシャレだった。コート、膝下丈ニットワンピ、黒タイツショートブーツ、大きめなオシャレなトートバッグナチュラルメイクトップコートのみっぽいピカピカネイル結婚指輪と小ぶりでシンプルイヤリング

 

そして私Aはこうだ。

ダウンジャケットボーダーTシャツに着古したジーンズ、はきつぶしたスニーカーサコッシュ

薄すぎメイク下地フェイスパウダーのみ)、ボロボロの爪、、推しキャライメージアクセサリー(イヤリングネックレスブレスレットリングフル装備・同人グッズ含む)

三人の友人と比べるととんでもなくダサくてやばい32歳だ。なのにずっと自分オタクなのにファッションに気を遣うしメイクもするオシャレさんだと思っていた。(やばすぎ)

服が適当なのにアクセサリーは着けられるもの全部着けてて、しか推しキャラ二人分のイメージアクセから色もデザインバラバラで悪い意味で派手。うるさい。同人アクセプチプラアクセしかいか子供おもちゃみたいに見える。(同人アクセは本当にキャライメージ大事にして丁寧に作られた素晴らしい作品です。私の使い方が悪い)

だって近所のコンビニスーパーアウトドアを楽しむくらいならいいと思うけど今日は予めオシャレなカフェレストランにも行くと分かっていたのにこれはいけないだろう。

メイクに関しては厚塗りすると毛穴の開きが分かるからナチュラルにするとか言ってほんとに薄くしか下地フェイスパウダーも着けてなくて毛穴の開きも黒ずみも丸わかり。

眉毛は自眉がしっかり生えてるから描く必要ないと思ってた。でもみんなみたいに綺麗な眉じゃなかった。眉毛薄い子はしっかり綺麗に自然に描けてるし、私と同じく自眉がしっかり生えてる子でも、形を整えて長さを調整して、足りないとこは描いて、私みたいなゲジゲジじゃなかった。

リップは元の唇の色が赤いかリップクリームでツヤ出すだけでいいと思ってたけどそんな綺麗な赤でもなかった。くすんでる。

どんどんあれ?私超ダサい子供っぽい?あれ?という気持ちが大きくなって恥ずかしくなってきた。みんな優しいかダサいとかそういうこと全然言われないけど勝手に恥ずかしくなってた。


●第2の気付き~お金の使い方~

全員揃ったのでまずレストランランチを食べた。

その時にみんなの今好きなジャンルやオタ活の話をした。上記で書いたようなオタ活の話をすると、みんなはすごいね~と反応してくれる。

同じくグッズやゲーム課金しまくってたBちゃんは「Aちゃんすごいね~私はもうそんなにできないかな。通院してるし親も歳だし何があるかわかんないから程々にしてる。他にもお金使いたいことあるしね」と言った。

Cちゃんも「分かる~何か前は出されるグッズは全部買わなきゃ、イベントは全部参加しなきゃって必死になってたけど将来のこと考えて貯蓄するために程々にしてみたら案外苦じゃなかった」と言った。

Dちゃんは「私も今は子供優先だから気になるアニメを見るくらいかな~」と言った。

BちゃんCちゃんは未だにゲーム課金もするけど推しにだけだし、推しを手に入れられなくても最初に設定した金額で出なかったら撤退するし、グッズはよく考えて本当に欲しいと思うものだけを、イベントは無理しない程度で行けなかったら円盤を買うとか、とても落ち着いたオタ活だった。


それに対して私は「へ~ちゃんと考えてるんだね。私なんかもう推しに夢中すぎてさっき言ったみたいなのがやめらんなくて貯蓄なんてないよwwwカードあるから未来自分に頑張ってもらってる!wカードの締め日が来たらまた新しいの買うんだ~!^^」と言った。ウケ狙いで、みんな笑ってくれるだろうなと思って。

だがみんなちょっと引いたみたいな苦笑いをした。「すごいね…」と。そこでやっともしかして私のお金の使い方やばいのか?と気づいて、それを笑い話として嬉々として話した自分に恥ずかしくなった。でもみんな優しいから、好きなことに全力でいきいきしてるねとか言ってくれる。泣きそうになった。(優しさと恥ずかしさで)

でも少し考えて、もしかして馬鹿にされてんのかなと思った。私はオタ活にお金使うから服も化粧品イベントオフ会の時くらいしか買わないしどれもプチプラばかり、みんなは服や化粧品にもお金かけてそうでオタクお金使わなくてもそっちに使ってんじゃんとちょっとムッとした。(最悪)

みんなにそれとなく今日メイクファッションいいねって言ったら使ってる化粧品や着てる服の話になった。みんな別に全身ブランド物とか全身高額品てわけではなくて、プチプラと高額品をバランスよく使っていた。プチプラの服でもきちんと手入れしてきちんとアイロンかければよく見えるし、化粧品スキンケアベースメイクはデパコスアイメイクリッププチプラとか考えられてた。どうせ金かけてんだろ、金かけりゃそんくらいにはなるよねとか嫌味なこと考えた自分が更に恥ずかしい。


そしてBちゃんの肌が綺麗だという話題に変わった。

Cちゃんは一時期毛穴の開きと黒ずみに悩んでいると言って、一緒に悩んでいた。(会えない間もツイッターラインでは話してた)Cちゃんとあるデパコスカウンターで肌を見てもらい、いいスキンケア出会えたのだと言った。

ツイッターで嬉々としてこれいいよ!(ドヤ)とプチプラ化粧水投稿していた自分が恥ずかしくなった。ツイッターでバズったプチプラのものだけを試しまくってちょっとしか改善されなかったのをドヤ顔投稿していたのだ。そのプチプラのものだって悪い商品じゃないし合う人には合うのだろうけど、私は自分がどういう肌かもよく理解してなくて、とにかくバズった色んなプチプラのものを試してどれも効果は出なかった。

Cちゃん20代の頃はとあるプチプラのものが肌にすごく合っていて大好きだったけどだんだん合わなくなって、本当に肌を綺麗にしたいと思ってお金をかけた。なのに私は毛穴消えない消えないとうだうだ言いながら、若い頃と同じことの繰り返しでお金も使わなかった。使うお金がなかった。とても情けなかった。

Bちゃんも同じような感じだったし、Dちゃんは今は昔ほどお金使えないし子育て忙しいかオールインワンなっちゃってると言いながらもデパコスまでとはいかないがそれなりのものを使っていたし綺麗な肌をしていた。


この話題だんだん辛くなった頃(自分からふったくせに)、レストランを出て買い物に向かった。アニメショップで私は大量買い、みんなは1つだけ買うか買わないかだった。

その後みんなは化粧品雑貨をいくつか買っていたけど私は何も買わなかった。欲しいものがなかった。というのは強がりで、本当はお金がなかった。アニメショップで使ってしまっていた。

最後カフェに行くことは決まっていたので、そこで使うドリンク1杯分くらいは絶対に残しておかなければならない。また情けなさと恥ずかしさに襲われた。ATMで下ろすのもなんだか恥ずかしかった。


●第3の気付き~落ち着きのなさ~

そして最後に予定していたカフェに来た。私はコーヒー1杯くらいしか頼めないけどみんなはケーキも頼むだろうか、みんなケーキを頼むのに一人だけ頼まなかったら感じ悪いかなとビクビクしていた。みんなそんなの気にするような子じゃないのに。結局みんなドリンクだけでホッとした。

今度はファッション金銭感覚のことで恥ずかしさを感じたくなかったので推しを語ることを自ら提案した。

私「推しがね~もう最高で!かっこいいし可愛いし!もう推しのことしか考えられないw夢も腐も好きだからもう大変w推し普段は超可愛くてやばいんだけど、シリアスではっこよくて頼もしくて~wギャップがもうたまんないの!エッチだし~!シリアスときの色気がはんぱなくて素敵なのwキャッキャキャッキャ!」(小声ではある)

Bちゃん推し一見性格悪そうに見えるけどほんとは優しくてそれが隠しきれない子なんだ。その優しさが好きなの」

Cちゃん推しは天然なんだけど自分のことキレものだと思っててそこが可愛いんだよね」

Dちゃん「私は最近推しって感じの人はいないけど最近みたアニメのあの人がかっこいいなって気になってるかな」


お分かり頂けただろうか。

私の落ち着きのなさ、テンションの高さ、子供っぽさ。私は本当に「!」とか「w」とか着いてるみたいなテンションで喋る。この文章もなんとかぶっきらぼうな感じでテンションを抑えようと必死で書いてる。本当は「w」いっぱい着けたい。

みんなも学生時代とか20代前半くらいまではこんな感じ…だったと思うけどすっかり落ち着いている。誰か一人としか会えなかったときは、相手が落ち着いていても気にならなかったのに、4人で集まったら私だけ若い頃のテンションのままで急に気になり始めた。

ツイッターラインでもみんな「!」とか「w」とか絵文字スタンプが減っていっていたけどそれはあくまSNS上でのことだったので全く気にしてなかった。

ジャンルで仲良くなったフォロワーの方がリア友より圧倒的に人数が多かったし、その人たちとはハイテンションで話していたからというのもあったと思う。

ジャンルで仲良くなった人たちは20代前半~半ばの人が多くて、みんなテンションが高くて自然と私もそうなっていったというか、そういう人に囲まれていてみんなが自然に落ち着いていく過程を歩まなかった。

若い子とキャッキャキャッキャハイテンション推しの尊さとエッチさを語り、鍵垢なのをいいことにおちん〇ん!お〇んちん!と叫びまくっていた。他にも色んな下ネタ沢山。

実際会って遊んだフォロワーには「Aちゃん全然32歳に見えない若くて可愛いよ。小さい子みたい」とか言われて、私まだまだ若いんだ~!と喜んでいたし、「もう、私小さい子なんかじゃないよぅ(o`з’*)32ちゃいの大人のお姉さんなんだからね!みんなよりとちうえなの٩(๑òωó๑)۶あたちセクシーボイン大人のお姉さん!(๑ơ ₃ ơ)♥」とリプを送っていた。

やばい恥ずかしい死にたい

フォロワーは本当に若いと思って褒めてくれたのかもしれないけど、言動が幼稚なところと、薄すぎる化粧と手入れされてない髪や爪、チープな服や持ち物が垢ぬけてなくて年齢不詳の子供おばさんぽくてそう感じたのかもしれないと震えた。

フォロワー空リプで会話してよちよちぎゅっぎゅしたり、さっきみたいな私大人のお姉さん♥みたいなことを沢山言ってたし、昔若いツイッターではよく見られたような、フォロワーと仲良しなアテクアピールみたいなやり取りを未だに続けていたのだ。

久しぶりに同い年の友人と会って本当に本当に恥ずかしくなった。

考えなしに推しお金を使いまくることも、ファッションのことも、テンションのことも、決して悪じゃないし、それが楽しくてずっとやり続けるんだって強く思ってる人はそれでいいと思う。でも私は自分の現状がとても32歳には思えなくて恥ずかしくなってしまった。どうにかしたいと思った。

どうにかしたいと思ったのに私はまた推しにジャブジャブお金を使い、着古した服ばかりを着て、フォロワーハイテンションで話している。その時は楽しいのに、夜一日の行動等を思い返すと恥ずかしくて死にたくなる。

今度友人に相談してみようか。そしたら変われるだろうか。




追記

読んでくれた人たちから様々な意見が出ていたけど、これは『変わりたいと思った自分』の話にすぎない。




もう話題に上げる人も少なくなったみたいだけど、ちょっと進展があったので追記する。

進展というより変わろうと決めた段階だが。

長くなりそうなのでまずは簡潔に。

これを書いたのは自分だと友人にバレた。正確には自分からバラした。

そして相談したりみんなの話を聞いて変わろうと決めた。

この追記を書くことは友人から許可を得ている。

詳しくは下記




投稿

バズるなんて思ってなかったから、フェイクは入れてたけどバレるんじゃないかと思った。勝手に色々書いて友人を誤解されるような書き方もあったかもしれないか申し訳なくなった。(前にも書いたが友人は自分ファッションや振る舞いについて言ってきたことはない)

友人がこれを読んだのかどうか分からなかったが、自分が書いたと言うか言うまいか悩んだ。

悩んだ結果、謝罪をしたいしやっぱり変わりたいという気持ちもあったので友人たちに声をかけてスカイプをすることになった。

フェイクの為に存在を消してしまっていた友人Eちゃんも呼んで。




32歳腐女子って知ってるかと聞くと、知ってたり知らなかったりだったので知らない人には読んでもらった。そして書いたのは自分だと打ち明けた。

みんなはよく聞くような話だしフェイクも入ってるからからない、そもそもこんなバズる記事を友人が書いてるとは想像もしなかったそう。そういうものか。




で、勝手に書いたことを謝罪すると、個人特定できるようなものじゃないし悪口を書かれたわけでもないし怒ってないと言ってくれた。

Bちゃんはミモレ丈が何したっていうんだと笑ってくれたし、Eちゃんも抹消するなんて酷いじゃん~と笑ってくれた。



●変わりたいのか

Dちゃん子供さんが起きてしまったので離脱したがそのままスカイプは続いた。

合わせたいだけなのか本当に変わりたいのかと問われて、よく分からないけどあの日すごく恥ずかしく感じたしそれと同時に素敵だな、いいな、ああなれたらなとは思ったことを伝えた。





●具体的にどうするか

色々話して、テンション下ネタ発言は鍵垢だしいいんじゃないかと言われた。みんなツイートする気力がないだけで頭の中では常に推し推しがおちん〇んフィーバーしているらしい。

ただお店なんかで小声で話してるつもりでも案外隣のテーブルには聞こえてたりするからもう少しボリューム下げた方がいいかもとアドバイスをもらった。

あと小声でも身振り手振りがけっこう激しいらしい。これは全く気付いてなかったから聞けて良かった。

カラオケとか個室、こうしたスカイプなんかではテンション上げて語ろうと言ってくれた。ツイッターではしゃいでるの楽しそうで微笑ましいとまで。




ファッションを変えたりメイクももっとしてみたいとなったが、何せ金銭的に厳しいのでまずはそこを解決するといいかもという話になった。

前はここまで派手にお金使ってなかったのにどうしたのかと聞かれ、確かにと思った。

ただ運命ジャンル出会ってしまっただけかもしれないが、ハマってしばらくして急にお金を使いだした印象だと言われた。

今は仕事が減ったりしてないみたいだけどこのご時世だし災害もあるしどうなるか分からいから本当に貯蓄0だったら今後困ることもあるかもと心配してくれた。確かに少し怖かったが気付かないふりをしていたところはある……


よくよく考えてみると、フォロワーが言ったのかRTで見たのか忘れたが、「課金してジャンルを支えなきゃ」「課金してこそ愛」「推し無限回収するもの」といった趣旨ツイートを見て、そうかそうだよねもっとお金使わなきゃとお金を使い出したような気がする。

勿論そういう考えも大事だしできる人はどんどんやったらいいと思うが、自分はいるいらないとかよく考えず反射的にグッズ買うし、何個も同じ物を買ってる。既に何個も持ってるグッズをアニメショップで見かけたら「自分に買われるのを待っていたんだ」と思うし、それがブラインド商品なら「これで推しが引けたら運命」等と言ってとにかく買っている。(運命とは)推し以外のガチャにもじゃぶじゃぶ突っ込んだりするし。

買っただけで満足してダン箱に入ったままで積み上げられた物も沢山ある。(倉庫かな)

番付き合いの長いBちゃんは「Aちゃんは良くも悪くも素直というか流されやすいとこあるしね」と言った。そうかもしれない

本当に自分が納得してお金を使っているのならいいけど、少しでも負担に感じたり、周りがそうだから自分もという気持ちで使ってるなら一度よ

2020-07-07

anond:20200707110844

思考実験だったとして、男女入れ替えてみてもあまり賛否は変わらなそう。

              

男女を「戻して」、さら増田に有利な条件つけて、「夫はパチンコに出かけて身重の自分は川向こうの夫実家からぜひこっちに来て避難しなさいとプレッシャーかけられてて」みたいな状況で、はてなより女性視点バイアスの強い発言小町での投稿だったとしても、「とにかく自分の身は自分で守れ」という論調は変わらなそうに思う。

              

そうではなくて、「仕事している夫が、仕事中にウザいラインしてきた妻のことを愚痴りたいが、自分視点で書くと妻擁護の謎理論クソリプが来てしまうと考えて、男女入れ替えて立場も入れ替えて投稿した」…とか?

その方が可能あるかな

奥さん不安だったんですよ」「仕事奥さんと天秤にかけてあなた仕事を取った、その結果奥さんパニックになったのでは」「パニックになってる人にあなたの言い方はキツすぎる、もっと不安に寄り添ってあげて」とかいブコメが付きそうではある。

…いや、発言小町ならありそうだけど、はてなではブコメ散見される「パニックになったら人間なんてこんなもんでしょ」

程度にとどまるかな。

しかし、仕事してる側が立場を入れ替えた投稿したとすれば、あまりにもパニクってる側の混乱と無自覚さの描写が上手いような気もする。この仮説は弱い気がしてきた。

              

個人は、元増田投稿のままでも、増田の妻はあまりストレートでない物言い も してると思う。

誰かのトラバにあったけど、この夫婦は二人とも会話が一対一で対応してないんだよね。そして相手にしてほしいことを直接的に言わない。

「〇〇した方がいいんじゃない?」みたいな言い方ばかりに感じて、私はそれがイライラした。増田にも増田配偶者思考実験だとすると妻だか夫だか知らんけど)にも、どっちにも。

              

前に鬼滅の刃感想で、日常パートは会話がすれ違ってる、というのを読んだ。鬼滅は読んだことないけど、この夫婦みたいな会話なのかなあ?

とか思った。(もはや災害時の避難から遠く離れて違う話題を書いてるな自分…まあいいや)

2020-07-05

anond:20180403003916

図書館にその手の罪悪感を持つのストレート図書館迷惑からやめてくれ

気の使い方が真逆

子供の頃に流行った某有名ゲーム差別的を通り抜けて

ちょっとした社会現象にもなったタイトルから、みんな憶えてと思うけど、タイトルは書かない。

オープニングがさあ、ビルの立ち並ぶ大都会路上黒人白人が構えたまま向かい合っててんのね。

黒人の背後からカメラ視点から黒人の顔は見えない。

2人はボクサーっぽい構えで向かい合ってる。

で、白人の右ストレート黒人ノックアウトして、黒人が崩れ落ちるの。

そこからカメラが上に上がり、背景のビルタイトルが浮かぶってやつ。

そんだけ。

ストーリー説明があるでもなく、白人黒人ノックアウトするだけ。

子供ながらに、これ倫理的にアウトじゃね?って思った。

流石にアウトだったんだろうなあ。家庭用版だとオープニングアニメ削られてた。

オーガズムアニメに出てた白人黒人、結局本編に出なかったし。

本編はもっとヤバかった。

ロシア人レスラーは裸のクマみたいな男で、エンディング大統領コサックダンスするの。

大統領が明らかに誰かわかる顔立ちでさあ。

アーケード版が出る直前か直後あたりにソビエト崩壊しててさ、微妙な時期だったし、あの人出していいの?って感じだったし。

日本人歌舞伎役者みたいに隈取りした相撲レスラーだし、まあこれは日本ゲームから日本文化をパロディにするのは許されるのかなって感じだけど(この会社の当時のタイトルはそういうのが多かった。ござる口調の忍者末裔スラム街を進む横スクロールとか)。

他国、他の人種パロディにするのは、子供ながらにアウトかなって思ったよ。

中国ステージ自転車に乗る中国人が背景で、チャイナ服の中国人は足を大きく開いてヘリコプターみたいに空を飛ぶ。

インド人ガリガリで手足を伸ばして火を吐く。

なんだろうなあ、キン肉マンに出てくるキャラステレオタイプだったけど、それにも増して小馬鹿にしてる感じがあった。

ラスボス警官の格好してるのも悪意的だと感じた。

2020-07-04

おパ島嫉妬民に嫉妬する私

TLに流れるおけパ・おパ島への楽しそうなお気持ち文を読んで、私も真田(@sanada_jp)さんの『秀才字書きと天才字書き』『神字書きがジャンル移動する話』を読んできた。以下は私の長文お気持ち読書感想文である

結論から言うと、私にはTL上でみなさんが呟いていたような悲鳴はあげられなかった。作中の登場人物全員の気持ちを推察したうえで誰にも強い感情を持つことはなかった。私も悲鳴をあげたかったのに。

私だけが作品にのめり込めなかったという状態になるとなんだか悔しいので、せめて私がこの作品特別感情を持てなかった理由を考えてみたい。

まずは主人公だ。『秀才字書きと天才字書き』の主人公である七瀬から見ていこう。彼女は綾城の二次創作に心を打たれて文字書きとしての努力を重ねたが、おけけパワー中島と綾城の交流を見て何かが切れたかのように創作に専念するようになってしまった。

初めて読んだときから自分はこうはならないな』とハッキリ思った。自分文字書きではあるがそれ以前に、人並みに努力をすると3日で体調を崩すような人間からだ。しかし一方で交流が苦手な人種でもあるので、互いに話したことがない推し作家と知らん奴が仲良さそうに喋る光景は何度か遭遇している。そんな二人を大した感情を抱くこともなく見守っているのが私である。そういうときの知らん奴は大抵推し作家の昔からの知人か推し作家のめちゃくちゃなファンである。つまり同じ作家を推す者、同志だ。敵対感情はない。それに嫉妬感情から生み出した作品は虚しい。読む側にとってはそれを神作品と感じることもあるし、私も嫉妬全面的に出た作品を称賛したことがある。だが作品を書く際はせめて作中人物に集中したいものだといつも思っている。ゆえに七瀬には共感できない。

『神字書きがジャンル移動する話』の主人公・友川はどうだろうか。彼女は綾城の書く小説でA×BのCPにハマったが、当の綾城は流行りのジャンルに移動していた。その後おけけパワー中島流行ジャンルを綾城に布教していたことが分かり、友川は自分がA×B作品を書くことで綾城に戻ってきてもらおうと画策する。

友川の考え方はよく分かる。私も自ジャンルから一次創作へ、別ジャンルへ行く者を何人か見てきた。もしかしたら数年付き合ったフォロワーさんが別ジャンルに移動するとき、私も同じ行動を……取らないな。そういう人がいたとき、私は引き留めない。沼に落ちるのは一瞬だ。外部の人間ときに助けられるようなものではない。下手したら自分も引き込まれる。そういうものだ。

だが、それでフォロワーとの関係は終わりではない。なかには『もう自ジャンルで書かないのなら興味ない』という人もいるかもしれないが、私はフォロワージャンル移動しても見守るタイプである。その理由は人柄だったり絵柄だったり言葉選びだったりと、多くはジャンルではなくフォロワー本人の魅力に惹き付けられているかである。友川が不幸だったのは、綾城の書く特定CP描写に惹き付けられてしまたことではないだろうか。あくまで『綾城が』『このジャンルで』書かなければ、友川が幸せになることはない。なんとなく哀れだ。とは言え、私の中ではその程度だ。

次に綾城。天才字書きである。私もこうなりたい。他に何か書くことはない。

最後におけけパワー中島(以下おパ島)。綾城に二次創作感想を述べる、流行ジャンル布教するなどの行為をする。綾城とは通話をするほどの仲である。綾城との会話では砕けた言葉使いと敬語が入り交じっているため、綾城へのストレート好意尊敬をともに持つ人間であることが分かる。もちろんおパ島自身創作である。七瀬・友川を狂わせたきっかけになった人物だ。

私のTLにはおパ島に嫉妬する人間や綾おパ過激派人間など、おパ島周辺への強い感情を持つ方がたくさん現れた。作品を読む前からおパ島に関する考察はいくつか読んだが、ピンと来なかった。原作を読んでいないからかと思ったが、原作読了後もピンと来なかった。おパ島は推し作家交流して感想を送りあっている、文字を書く能力もある人だ。すごい。私もこうなりたい。でも同時に、私もおパ島に嫉妬して狂ってみたかった。自ジャンルが超大手だったらそういうこともあったのだろうか。私が特定CPに何年もハマるような人間だったら嫉妬できたのだろうか。

そうだとすれば、おパ島嫉妬民はきっと何年も夢中になれるようなジャンルを見つけているのだろう。とても羨ましい。私もこうなりたい。

anond:20200704110100

ただ単に無神経なだけだと思う。我慢する必要は無いのでは?

我慢できそうなら言われていやなことだけストレートに伝えればいいと思う

2020-07-01

女子とは

とある水族館飼育員が紹介されたニュースを見て、イケメン飼育はいいのに◯◯女子は駄目なのか!と紛糾している人がいるが

イケメン対義語美女美少女であって女子ではない

女子対義語男子でありイケメンではない

女子」はただ単に性別女性という意味しか持たないはずなのに清楚で可憐美少女という意味内包しているイメージがついてしまっている

なので「◯◯女子」というのはそのラベルを貼られることにより、自分がブスだという自覚ちゃんとある人まで勝手に「あなたミスコンに選ばれました!!」と無理やりステージに上げられ、じろじろ見回されて「何がミスコンだ!全然美女じゃねえだろ!!身の程を知れ!!」と罵倒されるような居心地の悪さがあるのだ

美少女コンテストエントリーするなんておこがましいことなんか一切考えていないのに、美術館に絵を見に来ただけなのに、「美術館女子」というラベルを貼られることにより「美術館キャンペーンガールコンテストエントリーしに来た女」のように見られ審査対象になることへの不快感

美術館女子に限らず「◯◯女子」への反発はそういう心理から来ているのではないだろうか

少なくとも私はそうだ

私が女子高生の時はブスなのに女子高生という肩書きを背負うのが苦痛で仕方なかった

女子高生というのは長い睫毛を少し伏せて気だるげに携帯ポチポチしてミニスカ黒髪ロングストレートの似合う美少女でなければならないはずで私のようなキモヲタデブスが名乗っていいものではないのに高校に進学したら女子高生にならなければならない

大学生になり制服を着なくてよくなった時は心底ほっとした

◯◯女子だけではなくて女性にまつわる色々な言葉、例えば巨乳なんかもそうだと思う

胸の大きい人向けのブラジャーシャツを扱った専門店ができたというニュースを見て、巨乳美女を見放題!と反応していた人がいたが

なぜ美女が来ると思うのだろう

ボディービルダー努力を重ね胸板をパンプアップさせるのと違ってほとんどの巨乳は言ってみればただ「生まれつき胸の腫瘍が大きい」だけの人であり、大きなサイズのブラを求めるのも足が大きすぎる和田アキ子がわざわざ大柄な外国人男性用のブランド靴を取り寄せるようなものと同じである

から巨乳と言ってもとんでもないデブやブス、おばあさん、レズビアン幸せな家庭を築いている二児の母とか、しまむらに靴下を買いに行くのと同じでただ単に買い物をしたいだけの色々な人間が客として来店するだけなのに勝手巨乳=自らの意思で男を誘うイキモノ、ナンパOK美女、などのイメージを付随させる

そもそも「女」と聞けば勝手に美しいもの勘違いする男性が多すぎる

増田でも投稿者女性と分かれば自分が抱けるレベル容姿認定してちんぽ騎士団がいきり立つ

「◯◯女子なんてどうせブスばっかりだろ」「この増田画面越しでもブスなのが伝わってくる」私はそう言われた方がずっといい

コロナ不況や暗いムードが続いています巨人ヤクルト戦が開幕 巨人先 だったとして 開幕 どストレート ド直球できたばあい

9回表は 巨人何点xヤクルト何点だと思いますか?

なんで都知事選街頭演説やってんの?

びっくりした

東京めっちゃ感染者増えてるのになんで普通に街頭演説やってんの?

てっきりリモートでやってるかと思ってたわ

コロナ広げるリスク犯しても権力欲しいってのは欲望ストレート過ぎでは?

2020-06-29

であるが故の連帯みたいなものに対する羨望と冷笑

世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分思考言語化する目的表題について考えてみることにする。

冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。

かなり幼い頃から自分不細工だと認識していたし、運動からきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。

ほとんどの男子児童小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。

ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。

とはいえ別に女子になりたいわけでもなかった。

口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手複数になると大体泣かされて帰宅していた。

男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。

私は中高一貫校入学した。

やや特殊環境で、中学は完全に男子校、高校女子もいたが全体の10前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)

高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリークラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。

そんな理由で、高校男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。

ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。

私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。

恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまネタとして捉えているオタク自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。

ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分男子出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。

クラス対抗競技女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしま自分にも気づいていた。

総括すると、ややマイルドホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。

男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。

そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。

そういう懐の広さが男子校の良さだった。

男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。

ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。

一定の人々は、そういう排他的感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。

もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。

さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。

社会メジャー領域において女性男性よりも不利な立場にあることは理解している。

しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。

日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。

男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。

からメジャー領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストわずかな瑕疵オタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。

女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニスト批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。

多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰からである)。

そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性ホモソーシャル攻撃していることにも。

怒り、嫉妬冷笑、およそ穏やかとは言えない感情が渦巻いた。

第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義しかないのだと考えた。

私のフェミニズム思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。

(ちなみに私はシスストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情女性しか持ったことがない)

まり身体から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。

みんな男でも女でもない存在になりたいものだと思っていた。

から、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。

私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。

第二に、女性けが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。

私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである

そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性けが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。

何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。

弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。

実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。

相手女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。

性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。

男性の多くはセルフケア能力性的に興味がない他人ケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。

基本的男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。

から、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。

もちろん、ケアをする能力というもの女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性相談するという女性も多いのだろう。

それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。

しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。

男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。

自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。

結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものしかないのだ。

自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。

お前達のようなポジティブ人間に救われてなるものか。

少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性GLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。

ストレート人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。

男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーしかない。

男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。

あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルインコレクトで不健全ものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)

なんというか、男性であるということに手詰まり感がある。

愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。

私はやっぱり異性の恋人が欲しい。

生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。

男の連帯にも女の連帯にも馴染めなかった恋人が欲しい。

何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。

大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業たころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。

年代の男女に比べれば遥かに遅れてはいるが、成長していないわけではないはずだ。

この話はこれきりにして、まずは毎日きちんと肌の手入れをするところから努力したい。

男性の苦しみって結局理解されないよね

タイトル煽りです。

これ↓を読んで、結局この人は元増田の苦しみに寄り添えてないよなって話(そもそも寄り添う記事ではないのかもしれないが)。


女性は高い外見レベルを求められ、外見レベルが高い人の苦悩は無視される

https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2020/06/28/134939


先にいうと、私も毒親育ち&女性から性的イジメにあったレア人材

元増田とは別人。


>「女捨ててる」と言うことはあっても、「男捨ててる」とは言わない。


男だとストレートに「キモい」と言われる。

…というか元増田女性からキモい」と思われるのが怖い、ってはっきり書いてあったでしょ。



女性は高い外見レベルを求められ――外見レベルを高くすると、抱えている苦悩はないもの扱いされる。社会からレイプ被害苦痛理解されない理由ひとつとして、「一見普通に見える」というのがあった。


前述のように女性から被害受けたときは死にたくて死にたくて死にたくてしょうがなかったので、

それを態度に丸出しにしてたけど、単にキモいと思われただけでした。


おそらくこれは女性レイプ被害者も同様。外見は関係ない。


女性の性被害は周囲からある程度同情や共感を得るけど、男性の性被害はそれすらないから、当時は周囲から理解を得られる女性が憎くてたまらなかった。



>おしゃれはカースト上位層に許されたもので、いじめられている下位層がやろうものなら、途端に「生意気」と見なされて、嘲笑対象にされるような空気存在することは多い。


スクールカーストが低い男性がおしゃれしたら、やはり男性から嘲笑される。そればかりか女性からも「キモいやつがおしゃれwww」とか言われる。



> 実際に「ひきこもりに見えないよね」と言われたこともある。それは、たまたま私がファッションに興味があるタイプ人間だったからというのも大きいと思う。


これはファッションひきこもりから脱出できたサクセスストーリーだよね。大半の男性/女性はこれができずに苦しんでるわけで。


内面の苦しみが理解されない」というけど、ファッションが苦手なやつは外見の悪さで内面すらキモいと思われて攻撃される。

自分感情に嘘をついても苦しみだけで特にリターンないよね

好き嫌いストレートに表明してる人はそういう点で生きやすそうだしそういう生き方の方が良いと思うよ

誰が何と言われようと俺が好きな物は好きだし嫌いな物は嫌いだし、その個人感覚にまでケチを付けて攻撃してくるのは何かもう違うと思う

「お前がそれを嫌うのは間違ってる、それは素晴らしい物なんだから好きになれ」って強制するのは間違ってるよ…別にそういう主張をする人が居るのも自由だけど内心そういう人の事を嫌いまくるよ俺は

2020-06-28

新人ぼやき

4月から社会人になった。若干古臭いけど多分ホワイト職場。そして同僚や上司が優しい…今のところは。

当然だけど、自分には上司がいる。めちゃくちゃ偉い人からまぁまぁ偉い人まで何人もいる。

その中の1人、Aさんは別の部署の偉い人だ。部署が違うので自分からしかけに行くことはほとんどないが、同期とセットで時々向こうから声をかけてもらっている。「今日暑いね」とか「分からないことある?遠慮なく聞けよ。」とか、そういう感じ。Aさんは明るくて若い子とお酒が大好きなおじさんで、若手の、特に女性社員を中心として、色々な人にあれこれ声をかけている姿をよく目にする。

(自分研修中なので)Aさんの仕事ぶりは全く知らないが、コミュニケーションノミニュケーション大事にしていて明るい上司

ある人がこう言っていた。「Aさんって良い人だよね」と。

本当にそうなのだろうか?

Aさんは入社3ヶ月の自分から見てもハッキリと分かるくらい露骨に、何人かの「お気に入り」がいる。もちろん「お気に入り以外」に対して露骨に冷たく当たったり、意地悪をしたりすることはない。だが、「お気に入り」がいる以上は当然「お気に入り以外」が生まれるわけだ。そして「お気に入り以外」から見るAさんは、「自分お気に入りを作って囲う人」だ。(ここで言う「お気に入り以外」は自分のこと。なんとなく「お気に入り以外」というより、同期も含めて「研修中に辞められると困るから今は気を使っておこう枠」な気もするが…。)

人間誰しも好き嫌いがあるのは当たり前。お気に入りもいれば気に入らないやつもいるし、何の興味もわかない人もいる。自分だってそうだ。

でも、ここは職場なのに。職場なのに、「お気に入り」を作って、それを隠しもしなくて、多分みんな知ってて、そんな人が「良い人」なのかなぁ。

正直ストレートにムカつく上司も、何となく関わりづらい上司も、怖い上司いるから、そういう人に比べたら断然Aさんは「良い人」なんだと思うけど…。

それとも、自分が「お気に入り」じゃないか嫉妬してるだけなんだろうか。

一応付け加えておくが、自分はAさんのことが嫌いなわけではない。好きでもないけど。それはあの陽キャオーラが苦手なだけで、決して性格問題ではないとここに明記しておこう。

2020-06-27

性癖の話

夏の、肌を露出して、

分かりやすく色気が出ている女の子よりも、

冬の、完全防備女の子のほうがかわいい

かわいいだけで済んでれば良いのだけど、

どこでどうこじらせたかエロいとすら思う。

ミニスカートよりもロングスカートのほうが良いし、

スカートよりもパンツ(ズボン)のほうが良い。

ずっと水着以外のグラビアをやってた女の子

水着グラビアを解禁したりすると、

嬉しさよりがっかりのほうが勝ってしまう。

メジャーアイドルでいうと、

AKB系は水着グラビアやるけど、

坂道系は基本的写真集しか水着をやらないので、

断然坂道系のほうが好き。

露出度以外にも自分の中で指標があって、

総じて「防御力高そう系女子」と呼んでいる。

あと、最近なぜか性癖に刺さったのは、

デニムのつなぎ姿の女の子

そういえば「つなぎ姿の女の子エロ」って

たことないし(あるのかもしれないけど)、

ストレートエロに結びつかないところが

良いのかもしれない……と分析している。

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