https://i-d.vice.com/jp/article/8xeg4b/does-it-matter-who-writes-queer-stories
欧米におけるヤングアダルト小説(こちらでいうライトノベルのような枠組みだろうか?)で、LGBTQを取り扱った作品が隆盛していることについての話だ。
そういうポップカルチャーで多様性が描かれるのって、良いことじゃない?
多くの腐女子はそう思うのではないだろうか。
売れたLGBTQ小説は、ストレートの女性によって書かれたものが多いそうだ。
そのことについて「また女性作家がゲイの少年モノという流行に乗っかって利益を得ようとしている。本物のゲイ作家もいるのに、その人たちは取り沙汰されない」という批判が起こっているという。
いつも描かれるのは「シスジェンダーの性的マジョリティが同じマジョリティの読者に向けて描いたセクシャルマイノリティ」。
これが問題だという。
ようは同性愛描写が単なるコンテンツとしてマジョリティに消費されているということを言いたたいのだろう。
これを読んで思ったのは、これって日本でも議論できることだなぁということ。
日本の腐女子って自分のことを「マイノリティ」かのように認識してる人が多い気がする。
自分がBL好きという"特殊性癖"を持っていると自己認識して、たまにBLを嫌う人をミソジニストと呼んで戦ってたりする。
腐女子の描くBLは「性的マジョリティがマジョリティに向けて描いたセクシャルマイノリティ」というものが大半だと思う。
私は二次創作BL作品は極力隠れたほうがいいと思っていて、その理由は上記の一点に尽きる。
「BL作品好きを腐女子と呼ぶのはゲイの人に対する差別だからshipperを自称する」という運動が一時期起こっていたが、私にはそれもできない。
私自身はたぶんストレートだし、専門的にその方面の勉強もしてないし、マイノリティの人たちに関する活動をなにかしてるわけでもない。
おそらくヘテロであろう作者がヘテロとして描いたのであろうキャラクターを、その解釈の範疇から大きく逸脱しない範囲内でセクシャルマイノリティに改変して創作してる(例えば普段はヘテロだけど相手にだけはゲイということにしたり)。
この創作がゲイの人への理解を促進するとか心を救うとも思わない。
ゲイに向けたものではない作品群を肯定することが、ゲイを肯定することとはイコールで結ばれない。
話はそれるが、でもBLが好きという自分の趣味を肯定したい、だから腐女子という貶めた呼び方ではなくshipperと呼びたいという気持ちなのであればそれは共感できる…
自分たちのために自分たちを肯定するのはとても良い事だし、そこにゲイの人達への配慮みたいなものを挟むのは筋が違うと思う。
ああいう動きってマイノリティに専売特許を与えるみたいで、行きつく先は中世のギルド制かよって感じなんだよな ただ腐の分際で社会派面すんなってのは正直言いたい きらら系で多様...