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2022-10-10

anond:20221010172924

物価スライドあるやん(マクロ経済スライド適用しても数分の一とかまで激減はせん)という話

ワートリ胸カップ増田へのレスポンス

ワールドトリガーは胸のカップ表記をやめてほしいという話

https://anond.hatelabo.jp/20221008200247

どうかと感じるポイントをまとめた。

長い文に長いレスを付けたから読むのは3まででも十分。

  

  

  

1.「徹頭徹尾私のお気持ち」→「結局は倫理観問題

ワールドトリガーは胸のカップ数(バストサイズ表記をやめてほしい。

これから文章はただ上の事を言いたいがために書いたものであり、

私の主観に基づく、徹頭徹尾お気持ち』だ。

最初ここ読んで期待した。

ようやくこの手のこと「自分感情」として整理してきちんと言える人が出てきたのかなと。

   

けどすぐにずっこけさせてくれる。

結局、この件は倫理観価値観問題なのだろう。

倫理観

 

なんやこいつ結局は自分感情が「倫理」かよ。

自分感情と「自明万民が従うべき正義」みたいな妄想区別しておくことが出来ない。  

なら最初から自明倫理に沿って葦原大介糾弾する!」って書き出しをすればいいのに、たぶん表現規制派のお気持ち規制への批判見て表面的に学習して対応したんだろう元増田は。

  

でも本当のところで何言われてるのか全然理解出来てなくて

自分気持ち」→「これは議論余地なき倫理」といういつもの規制スライドをキメてしまう。

  

でもせっかくだし読んでいく。

  

  

2.自分お気持ちをアウトソースする卑怯

私は『ワールドトリガー』という作品が読み継がれて欲しい。

本筋と関係ない、バストサイズ表記などで弾かれてしまって欲しくない。

(弾いてるのはお前だろ? という指摘を頂くかもしれないが、『倫理観的に良くない』という評価がどれほどマイナスになるかは皆さんご存知かと思う)

「私の気に入らぬ当該描写は「非倫理的」ー

 私はいいけどキャンセルされてしまうぞー?損だぞー?

 それでいいのかなー?」

だってさ。

  

カスが。

 

 

『昔の価値観のままで出力したもの』と、『今の価値観理解して、その上で出力するもの』には天と地ほどの差がある。

結局自分要求と主張の論拠を全部アウトソース

  

自分お気持ちと同方向の「価値観の変化」というものがあり(それ貴方妄想ですよね)

その変化に追従しないことは許されないのであり

葦原は変化に追従せずに自分の『性癖』で描いてるからダメなんだってさw

    

このカスが。

 

結局自分意見要求を表明するうえで

一番卑怯で腐ったやり方を選んじゃうんだよね。

いっつもそうなんだこの人達

 

この「世間がそうなっている!」「未来はそうなっていく!」的な言い方すれば

自分責任回避できるし表現規制の誹りも回避できるはずだという

そういう甘い考えで何度も何度も見え透いた同じトライを繰り返してる。

  

どうしてもこの責任逃れしながら表現規制するという誘惑から逃れられねーみたいなんだよな。

 

    

3.自分気持ちに人が従うべきだと無邪気に信じ込んでいる  

葦原大介先生がいわゆる『性癖』のままに描いているのか、または現在価値観ジェンダー観を考慮した上で好みと天秤にかけ、

その上でバストサイズなどの描写を行っているのかは一読者の私にはわからない。しかし、私には前者のように思えてならない。

葦原大介が『性癖』のままに描いてたら何が悪いの?

そのお前が主張している「価値観の変化」や「今の価値観」の方が優位で従うべきだって言う根拠は何なの?

  

しかもさあ

仮にそういう「価値観の変化」「今の価値観」が閣議決定された実在法令であってもそんなもんクソだと思うけど

実際のところはそんなもんないっつうか、お前が自分お気持ち正当化権威化するためにそう言い張ってるだけだよな?

アホが。  

    

で、改めて、   

なんでおめーみたいな頭悪いカスお気持ち

作者の葦原のシュミより優先されるんだよ?

「葦原のシュミでは?」とか言い出すなら全てがとっくに葦原のシュミじゃねーか。

隊員を未成年にすること自体葦原のシュミじゃねーか。

未成年が戦って緊張し喜び悩み恐怖し挫折や成長するところを描きたい。

未成年の肉体が躍動したり傷ついたりするところを描きたい。

どこまでも葦原が選ぶ葦原のシュミじゃねーか。

 

好き好んで葦原のシュミを何十巻と読んできたくせに

一か所気に入らないところがあったら

「これ葦原のシュミで描かれてない?」って言いだすのなに?

どんな草キメてたらそこまでマヌケ発言できるの?   

 

「葦原のシュミで描いてないか?」「価値観の変化に従え!」 

ってのは本当に、ワートリを何だと思ってる発言なんだろうか?

    

たとえば北朝鮮刊行物に載ってる漫画ならそういう指弾はありだ。

「これ作者の趣味で描いてないか?」「党の価値観に従え!」ってな。

お前はそのレベルバカなことを言っている。

  

何故創作物で作者のシュミよりお前の気持ちが優先される?

独裁者幼稚園児にしか持てないはずのマインドをいい歳こいて開陳しないでほしいんだよな。

プーチンフレンズならさっさと義勇兵に行ってクリミアウクライナの魔の手から救って来いよ。

  

     

    

4 「差別助長する」と示唆する

当然表現規制十八番差別助長する!」も実績解除してくれてる。

そして、少年漫画であり、今から大人なる子どもたちが読む漫画からこそ

ジェンダー差別ルッキズムに繋がりかねない描写には細心の注意を払うべきではないだろうか。

「繋がりかねない」って何?

 

漫画表現からどういう機序ジェンダー差別ルッキズムに繋がると主張するかの論立て

漫画表現による悪影響を確認できるエビデンスデータ

ぐらい揃えてから規制根拠にしてくれっていつもいつも言われてるよな?

  

ボンヤリ「差別に繋がりかねない」で規制唱えていいの?

じゃおめーの好きなもん並べてみせろよ。

全部に同レベルの難癖を見事に付けて見せてやるから

そんなガバでいいなら1個につき1秒で捻りだしてやるよ。

 

お前がお前の好きな物を楽しめてるのは

お前みたいなモノ考えるの苦手なバカ規制権力さないよう先人が抵抗してきたおかげだぞ。 

 

 

5.よく考えず「ルッキズム批判

というかさあ

お前は本当にお前が楽しんでるものルッキズムがないと信じてるのか?

 

例えば、

本当にルッキズム的な要素を「細心の注意」払って取り除くなら

なんでお前はバストサイズは狩って身長データは狩らないの?

 

あの世界では体格は強さに繋がらないか

バトルを楽しむのに身長データ必要ない。

 

なぜ事細かに身長が設定され公開されてる?わかりきってるよな?

「このキャラは背が高くて格好いい」

「このキャラは背が小さくて可愛い

「このキャラとこのキャラが話すとこれくらいの目線差が出て萌え

なんてこと作者も読者も楽しんでるからだろ?

   

お前も絶対キャラに好きな容姿ってものがあるだろ?

なんでそれは取り締まり対象じゃないんだ?

身長データ萌えるなんてまさに「ルッキズムに繋がりかねない」んじゃねーか?

    

お前のガバ論法に従えばキャラの見た目は削除すべき。

コナン犯人みたいに描こうぜ。それか隊服を男女ともブルカにする。

   

なあ。 

お前が気軽に言うルッキズム正味本当に考えてる?って話なんだよ。

全然真面目に考えてる痕跡が見られないから。

  

イスラム教仏教は真面目に考えてるよ。

ムスリムは女に布被せて容姿わかんなくするし

出家比丘は髪剃って糞掃衣まとって見た目を放棄する。  

 

結局それぐらいにやらない人の言うルッキズム批判というのは

自分容姿の好みを楽しむけど自分の気に入らない好みは取り締まりたいっつー恣意的バカ妄言だろ?

  

お前が好みのキャラの細かい設定読みたいのと同じ次元バストサイズ読みたい奴もどっかにいる。そこに上下も貴賤もねーだろが。

     

なるほど、実際にいわゆる『腐女子である私は、男女ともにキャラクターを性的な目で見ることもある。

だが、バストサイズ表記が無いだけでキャラクターを性的な目で見ることが全くできなくなるのだろうか。

その程度の劣情なのか。読者が勝手キャラクターを性的に見る楽しみ方が根本から否定されるのだろうか。私はそうは思わない。

かっけーw

 

じゃあ烏丸かいちいちイケメンに描く必要もなくね?

マジでキャラコナン犯人でもブルカでもいいわけだ。

ブサメンに描いてもラクガキで描いてもいいな?

ルッキズムに細心の注意を払った表現です。各々心の中で想像で頑張ってください」

おめーそれでもワートリ買うのか?

買わねーくせによ。

 

人に要求する時だけ高い水準の努力と「細心の注意」を求めるけど自分欲望快楽にはノータッチ、それどころかちょっとでも嫌なことあればピーピーいう。

 

こういうダブスタ自分で気にならないの?

自省や自発言の反転チェックみたいなことって表現規制派の精神活動には存在しないわけ? 

  

 

6 「推奨してるから

 私がワールドトリガー女子の胸のカップ表記をやめてほしい理由は、

キャラクターを、たとえ未成年でも性的に見ることを『作者が推奨しているようで』】嫌だからだ。

そこに『推奨してる』と因縁付けるなら

作者はあらゆるキャラに対し読者が欲情することを『推奨してる』と思うよ。

 

お前は違うの?

お前の推しキャラへの感情性的ものが無いと言える?言えねーだろ?

作者の提供する絵、エピソード、設定、描写、すべてがキャラ欲望を持つことを『推奨』していてそこには性的感情も含まれてるよな?

 

 

お前の論理ならワートリに細かいクレーム付ける迂遠方法よりもっと簡単根本的な解決方法がある。

未成年キャラ禁止したらいい。

全ての漫画において。

  

どうしたってぜってーキャラ萌える奴は出るんだからさ。

キャラ萌え実在社会未成年への性犯罪みたいなもの区別つけられないお前みたいな人は、未成年が出る漫画を一切楽しむべきではない。

未成年が出る漫画の一切はお前の言う「未成年性的に見ることを推奨する漫画」そのものだ。

 

お前がお前の論理を本当に信じてるなら

お前の目から見て殆ど漫画が汚らわしい罪に満ちた汚物のはずなんだ。

 

実際そういう宗教の人は結構いるから。

原理主義イスラム教とか統一教会かに既に入ってるならお前の話わかるよ。

  

でもそうじゃないだろ?色々楽しんでるんだろ?

まりお前の論理は口先だけ、因縁付けの為に後から捻りだした浅い屁理屈であって、「細心の注意」なんかどこにもねーんだよ。

  

ただただ自分の気に入らない物を抹殺できないかって無い知恵絞って理屈をこねたというだけ。

もっと人の役に立つことに脳使えよ)

   

   

未成年問題にする時お前の論理だと「葦原は14歳戦争に行くことを推奨している」とかも言えるはずなのにそこにも反応しない。

屁理屈なりに自分でチェックして「上手く行くかな?」ぐらい考えることもしねーのかお前は。

 

 

7.「ジェンダー観が遅れているから」

ワールドトリガー作者・葦原大介先生ジェンダー観の遅れについては度々ファンからも指摘されている。

結局「我々の進歩についてきていない反動である!」というバカ進歩派のテンプレが始まる。

ジェンダー観とは何か、何故正しいか、何故従わせることが許されるか、

論理一切なし。

     

自分と同じ意見だけを「ファン」とし自分と違う意見自分意見に反対する意見無視し「ファン」に勘定せず客観的データはない。

から何までいつもの仕草だ。

   

ならなんで最初だけ、自分の頭と責任発言する人間の振りをした?

バカでーすって最初から書け。

 

8.「キャラ性的に見ることがワートリの主題なのか!」

 ワールドトリガーの『良さ』は綿密に錬られた世界観や読者の発想のさらに上を行く展開、

しっかり個性がある一人ひとりのキャラクターなどなど多岐にわたる。

バストサイズ表記が無くとも十二分に面白いのだ。

バストサイズが無くても面白い」が事実でも

バストサイズをなくすべき」という主張の論拠にならない。

無意味発言をするな。

   

四肢欠損描写が無くても鬼滅は面白い」が事実でも

「だから四肢欠損描写をなくすべき」ということにはならんし余計なお世話だ。

  

  

しかし、ワールドトリガー主題はそこではないと思うのだ。

少なくとも私は、「ワールドトリガーキャラクターを性的に見ることにも重きを置く漫画である」というメッセージを受け取れない。

単行本カバー裏バストサイズ記載されてたら

ワールドトリガーキャラ性的に見ることが主題漫画」になるのか。

 

言ってる意味が分からねえ。

  

ウソも下手なんだからせめて正直に書けよ 

単行本の片隅に記載されてるのすら我慢ならなくて抹殺したいんです!」って。

何が「主題」だこのアホタレが。

 

 

9.結局腐女子学級会文化の持ち込み

ワールドトリガーは『何でも許せる方向け』『嫌な方はブラウザバック』などの注意書きがある二次創作ではない。

うへっ。  

  

あのさあ!

そういう腐女子学級会特有受け手不快感絶対視で

すぐアヤつけてリンチするのが正義

攻撃側超有利で調整ミスったクソゲーみたいなルール

腐女子界の外に持ち出してくんのやめよう?

ねえ!女子中学生じゃねえんだから!!!

   

なんだただのバカ腐女子じゃねーか。

    

お前みたいに越境干渉していいなら俺はむしろその胸糞わりい腐女子ワールドに攻め込んでクソみたいなお気持ちリンチ慣習滅ぼしてーわ。

 

なんでお前みたいなカス支離滅裂で非論理的なお気持ちクレームが通って

漫画やら書いてる側がそれに屈して頭下げる?ほんと創作腐女子には同情する。

 

お前が絶対視してるその不潔なルール、少しも自明でも普遍的でもねーからな?

本当にバカもいい加減にしてくれよ。

頭悪さが天元突破してんだよ。

 

 

ワートリを腐女子が読むのはいい。

キャラホモ化して楽しむのも自由だ。

けどお前等のその腐れ腐女子学級会ルール作品ファンや作者を支配しようとするな。

  

そもそも女性向けや腐女子感性からは出てこない少し外れたものが欲しくて少年漫画を見るんじゃないのか?

そこに腐女子感性クレーム入れてどんどん自分達に同化させたら結局当初目当の差異うまみもなくならね?

  

全てを腐女子感性ルールに塗り潰すのって腐女子幸せになるか?

 

 

10.まとめ

今回勇気をだしてこの文章をアップする。

勢いのままに書き殴ったので、論理的な不足・破綻、誤字脱字等あるだろう。(中略)ご容赦願いたい。

時間が無かったのでラクガキです;;」って言いながら絵を出す奴か?

     

お前は自作絵アップしてんじゃなくて葦原大介とワートリにここまでアヤ付ける文を公開している。

差別助長する」みたいなことまで示唆した文だ。

せめて「私の全力でチェックし全能力を込めました!」が礼儀じゃね?

   

 

そもそもここまで見てきたお前のカス責任回避とアウトソースと0エビデンス因縁付けの、

どのあたりに「勇気」なんか示されてたんだ?

 

まさか自分の文がボコボコ反論される可能性の恐怖に耐えましゅうぅ」なんてことを勇気とか言っちゃってんの?

 

本当に徹頭徹尾自分のことしか考えない、

世界自分しかいないのな。

  

好きだと言うワールドトリガーやその作者のことすら本当のところお前の世界の中に他者として実在しない。

好きな物自分同化し異物は許せない世界

 

から気に喰わない要素見たら不正義だと確信して

赤ちゃんみたいなお気持ち発表に至る。

 

けど自分しかいない世界に生きてるので他者通用するプロトコル論理なぞ操れず、

どんなに頑張っても支離滅裂な非論理お気持ち長文になって

なんやこいつアホなんか」と読む人を呆れさせる。

この繰り返し。

  

ずーっとずーっとそういうことやってるよな。

2022-10-09

そこでごめんなさいできないのがリベラルの悪いところ

リベラル反論が「20分だろうが座り込み座り込みなんですぅー」から

沖縄がどれだけひどい目に遭ったかを考えろ!」にスライドしていったのは

リベラル的にも20分で座り込みちょっと・・・と思ってたんだろうな

2022-10-08

配偶者同人活動を見られた話

夫の帰宅毎日遅く、料理も外で食べてくる。

入浴して子育て以外にやることのない私は、毎晩クロッキー帳に西洋ファンタジーBL落書きし、スマホ写真を撮って彩色していた。

夫もオタク自分腐女子であることは公言していた…つもりだった。子を放棄してシャニマスウマ娘に夢中になっていて、こっちの事など興味すらないと思っていた

ある日、大量の落書きが夫に見つかった。

「何これ」

ドン引きする夫。うっかりpixivアカウントもみられた。

そこには、屈強な男がひ弱な男性をあすなろ抱きしている絵。あすなろ抱きから手の位置スライドさせていくシチュヤバいくらい好きで、具現化してしまった。

ネット上にあげれば多少評価が貰えると捨てられずにいたのだ。

妄想を膨らませて、毎日性癖に従った絵ばかり描いていた

キスは描けないのであすなろ抱きが自分には精一杯だった。

PC履歴18禁ばかり。ひ弱な受が涙を浮かべて懇願するのが好きで好きで堪らなかった…

しかいつまでも平穏は続かない。

バレてしまたからには夫も同じ羞恥心を味わせなければならない。

そう考えた私は通販貞操帯を購入した。とにかく辱めて自分屈辱を忘れたかった。それを装着するように言うと、あっさりと断られた。ついでに別れも切り出された。どうしよう。困った。

2022-10-04

anond:20221003195039

山本太郎スライドを使いながら演説する

→聴衆から口汚いヤジが飛ぶ

→なぜか次のスライドにそのヤジに完璧に答えるスライドがある

→聴衆大歓声

・・・この演説見て感動しちゃう人間カルトにはまる素養あるよね

2022-09-30

anond:20220930141053

これまで弱者だということにされてたやつを人間未満のゴミムシにスライドさせれば用語問題解決

2022-09-22

anond:20220922132213

公的年金私的なやつか知らんけど、前者なら物価スライドするだろうし、後者なら資産価格の上昇でキャピタルゲインが入るから、そう酷いことにはならんだろ。

そもそも、大雑把に言って、相対的により多く持ってるやつが相対的により困る事態なんてそうは起こらない。

物価上昇で困るのは収入物価を下回ってしか上がらない人間、たとえばリーマンだよ。

2022-09-20

スライド論文の表をそのまま貼るな高校校歌

朝日が昇る丘の上

10行以上の表は読めない

若き生命を息吹と燃やし

フォントを20pt未満にするな

提案手法か最も良かった数値を目立たせろ

1ページ1分程度で計算しろ

おぉ 我らがスライド論文の表をそのまま貼るな高校

スライド論文の表をそのまま貼るな高校

2022-09-18

社会派ポエマーいい加減にしろ

NHK歌舞伎町メンズコンカフェ特集でみる未成年が身を持ち崩すリアル依存して金使ってパパ活する地獄ループ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1945908

中高生が金を払わなければ自分を認めて貰えないと当たり前のように考えている。

そこを狙った悪質な商売問題彼女たちの自己肯定感の低さ。

「親の無償の愛」があてにならない今誰が、何が彼女たちをケアするのか。

2022/09/18

どう考えたってちげーだろw

 

1.問題を見極められない

・「今」なにか特別に親子関係破壊されてるみたいなデータとかあるんですか?

・なんで100文字中でも「中高生が」から彼女たち」に主語スライドするんですか?

・その理論では男子中高生自己肯定感が低いはずなのに、なんで女子中高生にだけコンカフェ問題問題が発生すんだろうね?

 

これに関しては自己肯定感なんて話じゃなくて

十代の子供なんて馬鹿からこの手の恋愛的な刺激のある搾取スキーム簡単にはまっちゃうってだけ

でもガキからたいした金とれないので男のガキは積極的にはめ込もうとしない

女のガキは売れるものがあるからはめ込もうとする業者がいる 

   

これだけよ

原理的には超あり触れた普遍的スキームしかない

被害者ガッツリ性差があるのもそのため

「今」とか「親の無償の愛」とか関係あるかい

データもねえポエム書いてんじゃねえぞ

  

女子中高生だけ自己肯定感が低いんではなく

女子中高生搾取価値があるのでカモとして狙われるってだけ

自己肯定感問題なんかではなく性的価値とヤカラビネススキーム問題だろうが

 

 

2.バカ論法問題点に気付けない

お前等さあ、こんなんを「自己肯定感喪失」みたいな話にしてヤカラスキーから目を背けるならさあ

それこそ統一教会だってだって同じような処理に出来ちゃうってわかってる?

 

信者人達教会にはまり込んでお布施をする以外に居場所が無かったんだ

自己肯定感を持てない社会で今誰が、何が信者たちをケアするのか」

こんなんどう考えたってトンチンカンなの分かるよな?

教会バカみたいなお布施を回収できるのは信者自己肯定感にそれだけ巨大な穴が開いてるからではなく

そう仕向けるはめ込みスキームが回ってるだけだわ。わかるだろ?それは。

  

統一教会問題への対処自己肯定感についてポエム書くことか?

えげつない金集めスキーム摘発規制とそれを妨害するような政治家調査だろ。

  

  

3,解決ソリューションを真面目に考えない

×「問題彼女たちの自己肯定感の低さ。」

○「問題はガキ相手に色恋営業して高額売掛つけて回収を図るビジネススキーム

 

こんなん手を変え品を変え発生するんだから 

どんな社会でもそういうのにはめこまれ若い女というのも一定数発生する。

それを激減させたいとか撲滅したいとかなら

ホストクラブ的なものは広く規制」または「ガキ相手営業した店一発取り潰し」で終わりよ。

 

「巨額売掛をかぶせる」「売掛払うために自分を売らせる」

この2つを実行する際の摩擦係数が少ないほど若い女を食い物にするスキームは肥える

害が大きくなっていて(というデータはあるのかもしらんけど)減らしたいなという事なら

上の2つの摩擦係数を高めりゃいいだけ。百合子に頼め。

 

0にはなんないから程度やバランス問題だと思うけど

摩擦係数を高めりゃ若い女を食い物にするダニ痩せるし数も減る

構造の話な 

 

 

4,下劣欲望から目を背ける

中高生が金を払わなければ自分を認めて貰えないと当たり前のように考えている。

かに相手してほしいなら「今」はいっくらでもそんな相手は見つかるわいな

特に女子中高生なんて友達募集すりゃ幾らでも寄ってくる

それで刺激が足りなきゃ変な配信で姫でもやってりゃいいじゃんよ

もっと行方正がいいならふつーーーに勉強部活を頑張ってりゃ手ごたえのある人間関係ぐらいいくらでも作れるよ

人とうまくやれないならネットでいちびっててもいいし、一方通行推し活もアイドルからvまでよりどりみどり

   

わざわざメンズコンカフェだのホストクラブだの行くのは家庭状況がどうあれ

「独特の容姿とノリと対応をしてくれる若い男」相手してほしいから行くんだわ

ソープに行くおっさんだって誰でもいいか相手してほしいんじゃなくて

「手軽にセックスしてくれる女」に相手してほしいかソープ行くんだろ

つまんねえ欲望大仰なポエムにするんじゃねえ

   

なんだろう要するにこういうポエマーって自分感情移入する相手

そういうつまんない下品な物への消費欲をもってること肯定したくないんじゃねーの

から自己肯定感のフンダララ」みたいな別の論点を作り出したい

それで話がどんどん現実から乖離した見当外れポエムになっていく 

 

 

5.ポエムに☆を集めるお前等は頭も人格もクソ  

俺がこういうコメントに☆付けて1位にするコミュニティの何がムカつくってさあ

お前等は真面目に考える気が全くないんだよ。

ひどい目に遭う子のこと真面目に心配する気なんか一ミリもない。

 

なのになんかポーズだけ取りたがるじゃん?そしてその欺瞞自覚ぼんやりしている。

死ぬほど頭が悪いし心も冷たいってことなんだよね。

人としてよいとこが1個もないやんけ。   

 

中高生が金を払わなければ自分を認めて貰えないと当たり前のように考えている。

そこを狙った悪質な商売問題彼女たちの自己肯定感の低さ。

「親の無償の愛」があてにならない今誰が、何が彼女たちをケアするのか。

改めて見てみろよこれ。ひでーだろ。内容空疎根拠ゼロ現実ソリューションゼロ

「今誰が、何が彼女達をケアするのか。」←明らかにポエムやんこれ。

ぜってーこれ書いてる時気持ちよかったんだぜこいつ。 ☆付けてる奴等もな。

 

人間が何かを切実な問題として考えてたら、たとえ結構頭が悪い人間でも絶対にこうはならない。

から真面目に考える気が無い人間特有思慮深げ意味深社会派仕立てのポエムなんだわこれ。

 

 

6.うぜーこと言われりゃ耳塞ぐ

はいはいわかってる。

こういう腐れポエムを書く人間それを賞賛する人間が「良心的ないい人」で、

それらを唾棄して罵る俺みたいなのは根性の悪い荒らし」なんだろ。

  

いい人気分で集団オナニーしてたところにこんなん書かれると超気分悪いので

相手悪人扱いにして罵ったり論点そらしのブコメで言い返したり増田で書いたからどーちゃらこーちゃらって喚くんだろ?

  

ほんとに頭も人格絶望的に悪いんだよなこのコミュニティ。 

心配する気もない女の子のこと心配してるふりする暇があったら自分のおつむと性格心配をしたほうがいいぞ。

どんなちょっとしたことであれモノ考えたり書いたりする時はもっと真剣に考えたらどうなんだ?

くそんな眠ったみたいな脳味噌で一生過ごせるもんだよな。

  

…っていうこれも悪意の罵倒扱いで耳塞げばいいんだろ?

バカ世界ラクチン極まりねーな。

2022-09-14

結局ワイはデュアルに落ち着く

あのスライドは唯一無二や

2022-09-09

ポルシェ買ったお隣さん

いつも結局奥さん軽自動車に乗ってる

スライドドアが便利なんだって

2022-08-09

あんさんぶるスターズ立ち食いそば

仕事帰り、駅のホームに降り立つと、ガタガタと騒がしく走る反対車線の電車を横目に疲れた足取りを進める。やがて正面に見えるのはホーム雑然と建てられた小さな建物。『あんスタ』とだけ書かれたシンプル看板一瞥すると、横開きのドアをスライドさせて中に入る。入り口横に備えられている薄汚れた食券機で「ぶっかけひいあい」の食券を購入すると、カウンター向こうにいる店主へ無言で受け渡す。
注文品が出来るまでの少しの合間、半分閉じかけた瞼で店内を見渡すと、大方いつもいるような層ばかり。一人でなにかぶつぶつと呟いているくたびれたコートを着たらびおじ、イヤホンで何かの音楽を聴きながら涙を流している流星隊Pの女子大生、高いヒールをカツカツと不機嫌そうにならすOL風のUNDEAD担。
何かを考える気力もないまま立ち尽くしていると、ドン、とカウンターに丼が置かれる。その丼を手に取って、私も無気力有象無象の一人になることにする。
ただ木の板が壁から張り出しているだけの席へ着くと、備え付けの割り箸から無造作に一本選ぶ。たいした力も入れなかったため、割り箸は綺麗に割れなかった。
ささくれた木の棒を手に、ひいあい攻略を始めることとする。僕の行為を気に留める誰かもいない今、わざわざ食事挨拶をする必要もない。
箸で一つまみひいあいをすくい上げると、湯気が出ているわけでもないのに、なんとなく食べるときのくせでふうふうと息を吹きかけてしまう。そして口元へ運ぶと、ずるりと音を立てながらすすり上げる。
しょっぱい、と感じる。おいしいおいしくない以前に、味付けが濃くて判別できない。こんなもの、きっと家でゆったり家族団欒を楽しみながら口にするものではない。
ただ、座る席もないような立ち食いの店で、時間をかけずに食べるにはちょうどいい。疲れた心、疲れた体ではきっと舌も麻痺していて、繊細な味付けなんかされたところでどうせ今の僕には理解できないだろう。
僕は無心でひたすらひいあいを口に運んだ。



ーーあんさんぶるスターズを一言で表すと何? と友人から聞かれたとき、僕の脳裏によぎったのはありもしない立ち食いそば屋での記憶だった。
ありもしないという通り、実際には立ち食いそば屋なんて一度も入ったことがない。すべて妄想であるため、立ち食いそばの実情と大分食い違う点があるだろうことをご留意いただきたい。

そもそもどうして友人があんさんぶるスターズについて僕に聞いてきたかというと、僕があんスタに沼ってるからとか、推しいるからとか、そういう類の理由ではない。
しろその逆で、仲間内では「あんスタアンチ」で通っているためである

僕はことあるごとに「最近オタクが軟弱なのはあんスタのせい」と口にしている。
友人は、逆にあんスタ沼へ落ちている人と話す機会ができたから、僕のあんスタに対する意見も聞かせて欲しいという塩梅だった。
その質問に対して僕はこう答えた。

一言で表すならあんスタは立ち食いそば、と。

あんさんぶるスターズの味付けは濃い

僕があんさんぶるスターズを初プレイしたのはリリース当日だった。キャラクターデザインも美麗で見目が好みのキャラもいたため、プレイ前は期待を抱いていたように思う。
けれど実際にサービスが始まりプレイして感じた違和感


どいつもキャラが濃い

奇抜な口調、過剰な趣味人間味のない受け答え。
まあでも、多キャラものを通ってきた身としてはキャラが尖るのはよくあることだよなと思う。
そのときの僕は、まあ自分向けじゃないよな、程度に収めてプレイを止めた。

ただし、皆さんご存じの通りあんさんぶるスターズの勢いはすごいもので、周囲にあんスタ好きの人は多数いたし、積極的摂取しなくとも副流煙ストーリー理解できる程度には定期的に何かしらの情報が流れて来ていた。
また、同居人あんさんぶるスターズのとあるカプに沼ったことで、身近に触れることにもなった(当の同居人現在あんスタと袂を分けている)。
僕もmusicが始まった際は再びインスコしてALKALOIDにうつつを抜かしたりもした(今でもたまにカプ検索はする)。

けれど人間関係と一緒で、一緒にいる時間が長くなればなるほど嫌いな側面というのは見えてくるもので、嫌な部分が過剰に見えてくると耐えられなくなってくるものだ。
やがてただの一ジャンルから嫌悪対象へとあんスタを昇格させた僕は、自分あんスタを受け入れられない理由を求めて考察するようになった。

実際に以前よりあんスタに触れてみて、考察してみて分かったことは、濃いのはキャラクターだけではないということだった。

ストーリーは大味で、基本的に繊細さはない
まずそもそも、改めて考えてみるとどうしてみんなアイドルを目指しているのかが分からないストーリー上で明かされない。さらに、アイドル活動らしいことをストーリー中でほとんどしていない
ライブステージが始まったかと思えば、急に時空が歪んだのかと思うくらいステージ上でめちゃくちゃ喋ってる

女性向けゲームといえばキャラクター同士の人間関係も重視されるかと思うが、その人間関係においてもカレーケーキを乗っけたみたいな料理提供される
あんスタ制作人はどうもカップリングを乱立させるのが好きなようで、いたるところで男同士を絡ませて地雷持ちカプ厨の息の根を止めていく
新しく形成された二人の関係精巧に描かれていればまだいいものの、実験を楽しむマッドサイエンティストみたいな気分でシナリオ提供されるため、キャラクターを元あるグループと別ユニット所属させるなど、ファン不安にさせることに余念がない。

また、新しく激重感情が交わされる人間関係が構築される場合基本的他の人間関係をすべて無視した上で行われるため、一人の人間が人によって仮面を使い分けているというよりは、パラレルワールド二重人格様相を呈する。

まりあんさんぶるスターズは細かな調味料の調整によってストーリーが作られているのではなく、砂糖唐辛子と塩を混ぜ合わせて作った味付けの濃いコンテンツ、だと僕は認識している。

けれどその大味のコンテンツが、流行しているのも事実だ。

あんさんぶるスターズは戯曲である

視点から見るとクソみたいなコンテンツだったとしても、見る人によってその価値は変わってくる。

例えば、あんさんぶるスターズを舞台上で演出される戯曲だと解釈する。<br<br>>ストーリーが大味なのも、会話がやたら長いのも、キャラクター設定が繊細でないのも、すべて舞台から観客に届けるための演出である

細かな仕草で伝えても見えない観客もいるかもしれないし、細々した心理描写を入れるのは舞台には適さないため必然と会話は多くなる。俳優藤原竜也は演技が過剰でそれがネットミーム化することもあるが、あの演技は舞台で育ったからに他ならない。

我々は舞台上の彼らのやり取りを鑑賞しているのだ、と考えれば過剰な演出おかしくはない。

時代に適した形態ではある

ではどうして戯曲的な大味コンテンツ流行しているかという問題になってくる。

結論から言うと、あんさんぶるスターズは今の時代に適した形態提供されているからこそ、人の心を捉えているといえる。

時間がなくても楽しめる

今の時代、世の中にアニメゲームをはじめとしたサブカルチャーコンテンツなんていくらでも溢れていて、一つのコンテンツに多大な時間集中力意識を割けないと考えている人は多い。
他にも、ストレス社会と言われる現代ジャンルに沼っていたとしても私生活問題時間が取れないこともある。

そもそも立ち食いそばの味付けが濃い理由は、立ち食いそばは舌の上に食材がのっている時間が短く、一瞬でも満足感を得られるようにするためだ、と記憶している。
あんスタも同様に、味付けが濃いので舌の上にのっている時間が短くても満足感が得られる

深く味を吟味するには向いていないが、短時間で楽しめるアトラクションではあるといえる。

②すべて追う必要がない

あんスタは基本的に、一人のキャラクターが他のキャラクターとフラグを建てているときに、他のフラグをすべて忘失する傾向にある。
例えば、真白友也は氷鷹北斗の前にいるとき日々樹渉の存在が消えるし、逆に日々樹渉の前にいるとき氷鷹北斗存在消失する。瀬名泉において、月永レオと遊木真をそれぞれ相手にしているときも同様である

逆に捉えれば、例えば特定カップリングを追っているだけであれば、他のキャラクターとの関係性を一切履修する必要がないのだ。

その分他のコンテンツ時間をさけるし、キャラ理解を深めるために地雷カプへ突入する必要がない(公式PV爆撃で地雷を踏むことはあるが)。

二次創作自由

あんスタくんは公式が常に二次創作してるようなものなので、よく燃える。それゆえに、ファン二次創作するにあたって公式以上に悪目立ちすることはあまりない

また、キャラクター性は特に味付けが濃いため、二次創作する上で多少の改変が行われても紛れて悟られづらい

要するに、公式キャラクターに見た目や口調が相似していれば全部そのキャラクターっぽくなる、という二次創作における最大の強みを持っている。

ただしnot for me

極論、つまりあんさんぶるスターズは今の世間に向いたコンテンツではあっても、僕向きではないという話である

以前、僕は運営会社を同じくするエリオスライジンヒーローズに片足突っ込んでいたこともあるのだけれど、ジャンルを離れた理由「設定が雑」「運営が信じられない」「キャラが守られていない」だった。

まり詳細に書くと長くなるので割愛すると、つまり自分が求めている作品には、世界観がしっかりしていて噛めば噛むほど味が出るようなキャラクターやシナリオ必須である認識している。
カップリング前提で見ているのではなく、そのキャラクターや仲間、背景を知りたいと思うしさまざまな関係性によってその「推し」が形作られていく過程吟味したいと思う。

自分オタク志向的に、あんスタは合っていない、と感じた。

ただ、not for meなだけなら、ここまであんスタアンチに近い発言を繰り返すこともなかった。

すべてあんスタのせい

あんさんぶるスターズは確かに現代に適した形態コンテンツ提供されているだろう。一瞬舌に乗っただけでアトラクションが楽しめる大味なあんスタというジャンルは、簡単に「オタクしてる」感が味わえる。

ただしそれは同時に、味音痴」を作り上げる結果になっているのだ、と僕は主張したい。

あんスタは一大ジャンルなわけで、あんスタを通ってきた人は非常に多い。
ただしあんスタに慣れてしまった人にとって、作品キャラクターを吟味するという行為推しを推すために必要行為ではない。濃い味付けに慣れきってしまって、自分から味わいに行くことはしない。味わわなくても楽しめるし、そもそもよく噛んでも良い味がしないという学習をしてしまっている。むしろ二次創作においてはセルフで醬油やわさびを足して自分好みに都合よく改変しても、元がカレーケーキを乗っけてるようなものなので違和感を覚えない。

周囲を観測したり、色々なジャンル渡り歩いていると、明らかに味音痴オタクが増えてきたと感じる。繊細な味付けがからないため、その作品キャラクターに対して食レポができない。二次創作しても、キャラクターの見た目や名前や特徴的な口調だけが一緒の何かになりさがってしまっている。

ジャンルキャラ乖離が激しい・キャラ解釈がない人の過去ジャンルを見てあんさんぶるスターズがあったとき、何とも言えない気持ちになる。
そんな周囲の状況を見ていると、僕はどうしても「すべてあんスタのせい」と言いたくなってしまのだ。

作品推し方、作品との接し方というのは人それぞれだと思う。こうしろ強制するつもりはない。時代の移り変わりであり、この流れを受け入れるべきなのかもしれない。

ただ、一オタクとして小言を許してもらえるのなら、たまにはその作品あなたなりに深く味わってみてほしいと思う。
そしてその料理がなにで構成されているのか、自分なりに考察してあなた解釈を深めて欲しい。他人と同じ解釈にならなくて良い、正解なんてない。人の数だけ解釈があり性癖がある。

大多数のオタク味音痴にならないで欲しいと、強く願う。

清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう

前置きの前置き

この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ

前置き

清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口Twitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので

代わりにそれっぽいものを書いてみる練習

具体的には江口先生

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。

続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」を書くかは未定。

まり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが

最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。

とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ


前提

を先に見ていることが前提。

特に江口先生ブログに書かれている5つの定義

説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。



学問の自由辞書定義

まず、清水先生スライド提示するのが

1998年 国際大学協会(IAU)声明学問の自由大学自治社会的責任」による定義です。

学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由

これは明らかに 辞書定義 ですね。

人びとがその言葉をどう使っているか国語辞典の載っているような形で説明している。

そして次に清水先生は、

一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」

「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」

自分言葉でも「学問の自由」を定義します。

世間一般用法という文脈なわけですから、当然、スライド引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、

同じく 辞書定義 が与えられようとしているもの解釈されます

実際に与えられた定義を見てみましょう。

ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります

IAU声明では「外部から圧力」となっているところが、

と非常に具体的な形になっています

世間一般用法として紹介される割には、議論のあり得るところで

「こういうのは多数派も少数派もない、学問独立って話なんですが、多数派から圧力特に抵抗しにくいので」

というふうに説明するほうが世間認識とあっているように思える。

とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部から圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書定義のままだと受け取ることもできる。

学問の自由」の濫用としての「学問の自由侵害」への説得的定義

次に清水先生は「学問の自由」の濫用の話を始めます

ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います

今は、とりあえず定義の話をしましょう。

現代の誰かが主張している「学問の自由侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生定義していると読める箇所を、少し文言修正の上、抜き出します。

見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生ブログで挙がっている

中絶とは、罪のない子供の容赦ない殺人である

中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全外科処置である

などと同じ形式となっている。

ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、

中絶の例ならば、中絶辞書定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、

清水先生は、この文脈での「学問の自由侵害」とは 辞書定義 学問の自由侵害とは全く異なるものだと論じていることです。


(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリック解説なので

批判の要点が掴みたいだけの忙しい人は飛ばしても良い。

どう辛いのかについては、「批判対象曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)


辞書定義明確化定義として使用することを目的とした約定定義へのすり替え

最初の節辞書定義から

これらは学問の自由侵害定義として読むことができるものであり、

先に導入された説得的定義社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。

ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書定義)」学問の自由ではない、という論証。

しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。

先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書定義と認めました。

逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生独自見解です。

すなわち、この時点で辞書定義として導入された学問の自由という概念

学問の自由を〜と私は定義します!」という約定定義へとすり替えられているのです。

一旦まとめると、

「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、

「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的定義の中に紛れこませる(定義すり替え)」

これが清水先生レトリックです。

定義を縦横に駆使するレトリック

付け加えていえば、ここですり替えられた約定定義根拠

学問の自由とは

「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの

という説得的定義の導入も行っています

まさに、

うまい人びとは、前に書いた辞書定義約定定義明確化定義理論定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます

のものですね。

じゃあ、5つの分類の最後理論定義はどうか、

憲法23条保障する学問の自由

この一節は憲法学理論を援用しているため、少し強引ですが理論定義を示したものとも言えるでしょう。

実際、この定義根拠に「学問の自由侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し

これは日本国憲法保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

否定しています

なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、

要は憲法学理論憲法原則としては国家権力監督するものであり、私人間効力の議論私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。

権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、

そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。

批判対象曖昧さ、具体性の欠如

ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、

正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で

直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります

ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。


清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、

書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、

Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。

ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセルカルチャー」の事例が話されているのですが

これも抽象的な定義操作時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。

詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、

これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセルカルチャーってなんだろう」に譲り、

記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります

議論余地はない」ほど明らかなものだけ議論される

清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、

とりあえずここは論点にせず、清水先生解説をそのまま採用します。

ABORの主張は、

ナチス政治哲学擁護であるとか、あるいは進化論否定であるとか、 そういうもの学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」

「実際にそういうような授業になっているかどうかを、 授業内容を調査する仕組みっていうのを大学は作るべき」

学問の自由とはそういった環境で成立する。

ぶっとんでますよね。これ肯定する自由主義者いるんですか?

ナチス肯定論文を学問の自由擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?

しろ、何が相手だろうと自由である肯定する、過激自由論者ほど否定する内容です。

大学ナチス擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか

まとめると、

最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論余地のないことしか言っていません。

じゃあなんで議論になるのか。

清水先生立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が

ある意味辞書定義のように暗黙に共有されているからです。

千田有紀と呉座勇一

清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります

このちょうどいい2人については講演では全く触れない。

特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、

ちょっとからない」「詳しくない」「法律専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」

との返事。

「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。

訴訟原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば

この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。


たこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。

理論物理学者の性暴力学問の自由擁護することはできない」

何を当たり前の話をしているのでしょうか。関係ありますか?

せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラパワハラを長年犯してきた超一流哲学者大学から追放されたことを、学問の自由擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。

まとめ

文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しかさない。

それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書定義には触れないで、

何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。

暗黙の辞書定義説得的定義の関連は、聴衆が勝手勘違いしてくれることに任せる。

これが、学問の自由についての、清水先生の講演の構造です。

2022-08-06

亀頭ワレメに紙をスライドさせる」の女バージョンは何?

想像しただけで死にそうになるけど女に共感してもらうにはどうすれば良いか分からんので教えて女さん

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part6 〜質疑応答

前置き

音声の品質が悪く、ところどころうまく聞き取れなかったところがあった。その箇所は●●●と表記した。

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー 」Part6 〜質疑応答

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=9613s

2:40:13~2:45:40


私いくつか頂いていて割とまとまらないというか散発的な感じなので、すごく短くお答えしたいと思います

最初に「日本政府ジェンダーバッシングの背景に宗教団体ロビー活動がありますか」ということなんですけど、

これはあります。詳しいことは、っていうかご存知の方はご存知だと思いますけど、

先週末かな、にモンタナ山口さんと富山斉藤さんが、これ出していいのかな、

どっかで、延々と何か全部で見ると4時間か何かの番組お話になっているので、そちらを見ていただければいいと思うんですが、

ジェンダーバッシングの背景に宗教団体は確実にあります統一教会ちょっと新しくって、

もともとあったのは、どちらかというと日本会議系だったりとか、そっちにいたんですけれども、

仏教団体とか神道団体ですが、あるということですね。


それと関係して「今日出てきたABORの背後に●●●主義がありますか」ということですが、

ちょっとそこはわからないです、ぱっと見はないですが、

ただ問題はいろんな議論が直接、原理主義とか宗教から出てきているかどうかではなくて、

そういうところと結びつくようになってきている、ていうところのほうがジェンダー系では大きな問題だ、

ということはお伝えしておきたいなと思います


次ですが、

フェミ科研裁判と同じく京都地裁係争中の呉座勇一さんも学問の自由●●●を求める裁判をされています」ということなんですが、

ちょっとよくわからないんですが、これ詳しくないんですが、

私は呉座さんの裁判労働争議だと思っているので、学問の自由ではないんじゃないかなぁと思います

ちょっとわかんないんですけど私も、きちんと法律専門家じゃないので、

他の●●●の裁判をはっきりきちんと見ているわけではないんですが、労働争議ということではないかなというふうに思ってはいます

学問の自由っていうのは、研究者だったら何を言っても大丈夫ということではなくて、例えばある人が、

この場合は「女性蔑視問題になっていますが、学問の自由は守られるべきだと思われますか」っていうのがあるんですが、

ここすごく大事なところなんですけど、

ある研究者女性蔑視発言をしたから、その発言

あるいは非常に女性蔑視的であったりとか、

あるいはそれを超えて性暴力に至るようなことがあったりとかていうときに、

それは当然、性暴力って考えたらわかると思うんですけど、学問の自由では守られないです。

学問の自由っていうのは、保障するのはあるその研究者が、

今言ったような、今おっしゃていただけたような、あるコミュニティの中の、学問コミュニティの中の手続きであるとか、

そこで積み重ねられてきた知見に則って、どういうような議論するか何を考えるか、

ということに関してはそれは自由だということなんですね。

それの外には学問の自由というのは別に適用されないので、

例えばすごく離れた領域っていうのを考えてみると、何でもいいんですけど、理論物理学研究者がいて、

その研究者が非常に女性差別的なあるいは人種差別的なことを言ってそれが問題になった。

「いや学問の自由だよ」と言われたら学問の自由じゃないんですよ。

その人が女性差別的なことに言ったりとか人種差別的なことを言ったりとかっていうのは、

それは学問とは全く関係ないということなので、それは学問の自由では守られない。

そこら辺ちょっと、この件がそうだということではないんですが、

学問の自由っていうのが適用されるのは、そういう意味では結構狭いことになるので、

こはちょっと注意したほうがいいんじゃないかなというふうには思いました。


次なんですが、「キャンセルカルチャーという言葉を初めて聞いたんですが」、

何か今回のフェミ科研裁判とどう関係があるのかというご質問かなと思ったんですが、

一つは●●●さんもおっしゃってくださったように基本的には、その今●●●さんがおっしゃったこととも関係するんですが、

学問の自由ということ自体がそんなに、

今回はすごく大事なんですね、この文脈では学問の自由は非常に大事なんですが、

学問の自由っていうのをとりあえず出しておけばいいということではなくて、

一体学問の自由っていうのが何を守ろうとしているのかとか、どういうふうに使われようとしているのかとかていうのを、

1回1回読み解いていく必要がある。

それを忘れて学問の自由なんだよという話をしていると結構足を掬われるって話を、

から実際に英語圏ではそれで足を掬われてきている。

日本語圏はそもそもさっき「学問と見られていない」とおっしゃっていたのは、ほんとそのとおりだと思うんですけど、

そもそも日本語圏では学問の自由以前に、例えばジェンダーとかセクシュアリティとかそういう問題に関しては、

気にしようとも思っていない人たちが圧倒的に多いんですけど、でもその人たちが「気にしたほうがいいよ」って言われた瞬間に、

学問の自由」って言い出す可能性は逆に言うとめちゃくちゃ高いと私は思っていて、すでに言い出している人たちはいっぱいいます

なのでそこはやっぱり気を付けた方がいいよね、っていうふうに私は思いますし、

そのことっていうのは、例えば今回この学問の自由大事だっていうのと、

それからある特定の別の学問の自由の使われ方に問題があるっていうのを、

同じ地平の上で、だけど、こっちは大事でこっちはまずいということを言えるような、

私たちが言説上の力をつけておかないと、ふらふらと引っ張られる可能性があって、それは非常に危険だってふうに思ってます

編集後記

つの講演に対し、知る限りこの増田を含め三つの文字起こしが乱立している。

先行文字起こしが二つがあるなか、あえてもう一つを公開したのは以下の理由のためである

なお、作業自体は滝本の文字起こしの公開前、Togetterまとめの文字起こしが中途で止まっている時から始めていた。

8/7追記

石畑隆氏版文字起こしhttps://note.com/philo_radi/n/ne2da785c938c)が加わって乱立四つとなった。

質疑応答部がなく、またここではカットしたフィラーや言い誤りの訂正等も比較再現されている。

小見出しを適宜挟んでいるところはここと近い。

公開先のnote組版の方がはてな匿名ダイアリーより読みやすい人はいるかもしれない。

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3428s

57:08~1:05:19

抑圧側と被抑圧側との逆転の構図

抑圧側と被抑圧側とのこのような逆転の構図というのは、2010年代にはオルト・ライトと呼ばれる新興右派

あるいはそれとも重なるミソジニーに満ちたオンライン男性主義の主張などにおいて、幅広く利用されるようになっていきます

もちろんマイノリティを、かぎかっこ付きの「私たち」の外部にある敵というふうに認定する、

その敵の攻撃から身を守らなくてはいけないという形で、当該のマイノリティへの抑圧や暴力正当化していくっていう、

その形というのはもちろんその以前から

例えば排外主義において、あるいはモラルパニックにおいて広く見られてきたものではあります

9.11同時多発テロの後、対テロ戦争期の欧米各国におけるイスラムフォビア暴力っていうのはこういうものだったわけですし、

あるいは70年代80年代に、同性愛者とりわけゲイバイセクシャル男性というのを、

当時は性的捕食者、セクシャルプレデターっていうんですけれども、性的捕食者あるいはHIVウイルス拡散元として、

非常に激しくバッシングしたのが英米モラルパニックっていうのになるんですが、これなんかがすぐ念頭に浮かぶと。

じゃあそのオルト・ライト勢力オンラインミソジニーアカウント群を巻き込んだ、2010年代の特徴っていうのは何かっていうと、

これ単にマイノリティ側を、自分たちを脅かす敵なんだというふうに認定するだけではなくって、

マジョリティ側が力のある側が、自分たちを「差別されている」「抑圧されている」、あるいは「自由侵害されている」という形で、

はっきりと、私たちこそが「被害者である」「被抑圧者である」という形で、語り始める点にあると言えるかもしれません。

そういう語りのこの後もいろいろ出てくると思うんですが、

今のところ最新の形がいわゆる「キャンセルカルチャー批判」というものになります

キャンセルカルチャーとは

CAMBRIDGE DICTIONARY

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱する (offend) ようなことを言った人を完全に拒絶したり、その人の支持をやめたりする振る舞い方

MERRIAM-WEBSTER

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為(公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること)をするような実践

ピュー・リサーチセンター(2020)

リベラル寄りの人々は「ある人に自分の行動に対する責任を取らせるためのアクション」と捉える

保守派よりの人ほど「検閲」と捉える

キャンセルカルチャーという語が急激に知られるようになってきたのは、

2010年代後半のことで、したがってだから、数年なんですよね、

キャンセルカルチャー意味とか語法も、現時点で完全に固まってるとは言い難いところがあります

実際、例えば辞書定義を見ても、Cambridge Dictionaryだと、

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱すること」、offendという言葉ですが、

自分を傷つけたり侮辱したりするようなことを言った人を完全に拒絶したりとか、

あるいはその人への支持をやめたりする振る舞い方」、いうふうに定義している。

それに対して、もう一つ別の有名な辞書でMerriam-Websterなんかを見ると、

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為」、

このキャンセル行為というのは「公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること」なんですが、

集団キャンセル行為を行う実践」っていうふうにしていて、だから重点がちょっと異なってるんですね。

またピュー・リサーチセンターによる2020年時点の調査では、

リベラル寄りの人々は、

キャンセルカルチャーというのは、ある人に自分言動に対する責任を取らせるためのアクションと捉える傾向が強い。

それに対して保守派に寄っていく人ほど、

同じキャンセルカルチャー検閲であるというふうに捉える傾向があるということが明らかになってます

まりある人々が、差別的だったり暴力的だったりするなど社会的・文化的問題があると思われる言動を、

放置しないために取るアクションだ、ってふうに考えているものが、

より保守的な別の人々にとっては、これがつまりキャンセルカルチャー批判」の文脈になるわけですけど、

そちらの人々にとっては、それが集団での圧力とか検閲とかっていう形で理解されている。

言い換えれば、「キャンセルカルチャー批判」という形でのキャンセルカルチャーってのは、そもそも最初から

しばしば多数派である括弧付きの「私たち」の言動を、差別的とか抑圧的などと非難することで、

私たち」の言動検閲する抑圧する、あるいは「私たち」を差別する圧力というふうに定義することができる。

から先ほどからお話ししている逆転の構図を含み込んだ用語っていうのが、キャンセルカルチャーだと言えると思います

正義と開かれた議論についての書簡」(通称ハーパーズ・レター」2020)

153の署名: ノーム・チョムスキーサルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど

若い左派から批判キャンセルカルチャーキャンセル

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような「必要過去清算(reckoning)が、同時に、開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」

保守派による「キャンセルカルチャー批判」の事例というのは、とりわけ2020年代になってからほとんど枚挙にいとまがない。

毎月のように何か出てくるんですが、ただ時間がないので、

ここでは学問の自由に関わる、そして最も知られた例の一つを挙げておきたいと思います

何かというと、2020年に公開された「正義と開かれた議論についての書簡」というものです。

一般的にはハーパーズ・レターと呼ばれるんですが、その公開書簡なんですけども、

この公開書簡は、当時のトランプ大統領代表される右派の動きというのは民主主義の脅威であるというふうに位置付ける一方で、

同時に右派はまずいと、だけど同時に左派の間にも異なる見解に対する不寛容がまん延しつつあるというふうにして、

より開かれた議論必要性を説くんですね。

ここの何か不寛容とかそういう表現が、先ほどちょっとお示ししたブッシュ・シニアポリコレ評価と、

用語としてこう微妙に近似しているのは非常に興味深いところなんですが、

とにかくただこれだけ見ると何でもない主張に見えるんですけれども、

この公開書簡、例えばノーム・チョムスキーとか、サルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど、

非常に有名な人たちを含む153名の研究者作家ジャーナリスト署名しているんですけども、

この公開書簡、何でもない、割とこう、どうでもいいというか普通のこと言ってるように見えるにもかかわらず、

公開されるとすぐに「キャンセルカルチャー自体キャンセルしようとする公開書簡である」っていう形で、

人種的性的マイノリティを中心とする若い左派から大きな批判を受けることになります

実際のところただこの公開書簡自体を見ると、

キャンセルカルチャーという用語は、それどころかキャンセルっていう用語も1回も使われてないんですね。

じゃ何で批判が来るのかっていうと、ここ(=スライド)にあるんですけども、

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や

「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような

必要過去清算」、この清算というのはReckoningという言葉を使うんですが、これが同時にそれは必要だと、

だけど同時にそれが「開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、

一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」というふうに言うと、

この表現が、とりわけBlack Lives Matterを通じて、

Racial Reckoningって人種的過去清算の盛り上がりを迎えていた英米両国においては、

人種主義への批判のもの不寛容だと見なすキャンセルカルチャー批判」の文脈につながる書簡だというふうに受け止められた。

同時に、キャンパスにおけるポリティカル・コレクトネス批判者として知られていた、

言語学者スティーブン・ピンカーであるとか、

ハーヴェイ・ワインスタインの弁護を引き受けたことで、学生から抗議を受けてハーバードロースクール学部長職を退くことになった、

法学者のロナルド・S・サリヴァンであるとか、

この公開書簡の公開時にはトランス排除言説の支持者として知られていて、その言動批判が集まっていた、

作家J・K・ローリングとか、

そういう人たちが名前を連ねていたということももちろん、

この公開書簡が「キャンセルカルチャー批判」の一翼をなすものと受け取られた一因ではあったと思います

この書簡は、先ほどもちょっと申し上げたように、例えば左派代表知識人と見られてきたチョムスキー署名をしている。

同時に、ネオコンサバティブの論者である、例えばフランシス・フクヤマみたいな人も署名してるんですね。

まり従来の分け方で言えば、まさに右も左もなく同意できる原則を語っているように見える。

にもかかわらず先ほどから申し上げているように、

実際には、より若手のマイノリティライターとか研究者から強い批判が出る結果になった。何でか。

恐らくこれは、後者に当たるより若いマイノリティの人たちというのは、

学問の自由とか言論の自由擁護というのが、

近年では力のある地位にある人々が、自分たち差別的・抑圧的な言説の責任を問われたときに、

その批判糾弾を振り払うために使う枠組みになってしまっている、ということを感じ取っているのに対して、

フクヤマにしてもチョムスキーにしても、ある程度は地位が固まった偉い人たちっていうのは、

その事実をあまりきちんと把握できてなかった、いうことではないかと思います

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

前置き

2022.7.24 一般公開シンポジウムフェミ科研と学問の自由

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI

より、清水晶子氏発言部の文字起こしである

長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。

分割の境界スライドにある番号に従うが、副題は増田判断である

スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。

講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしベースに、

増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。

質疑応答部、スライド部の文字起こしはすべて増田が行った。


批判記事の紹介

まず、江口先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。

加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセルカルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生記事

なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルタイプ言論の自由擁護」として紹介されている。

また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、

他、法学専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、

(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part1 〜学問の自由とその濫用

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s

40:57~48:23

2022/7/24

学問の自由キャンセルカルチャー

清水晶子(東京大学

菅野優香

はい、お二人目は清水晶子さんです。

清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています

フェミニズム・クィア理論をご専門とされ、

研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体他者性、自己表象生存戦略可視性を巡る問題などがあります

最近英語圏フェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。

主な著作に、

Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision英語の本です、2008年

「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィアポリティクスのために」、2019年

フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」、2020年

フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります

清水さん、どうぞよろしくお願いいたします。



清水晶子:

はい、ご紹介ありがとうございます清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、

本日は「学問の自由キャンセルカルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います

少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。

学問の自由とは

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者、教員学生が、倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」

1998年 国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任

学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。

一般的には、大学だったり研究機関とかっていうものが、

政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的権力だったりというところから圧力を受けることなく、

さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学経営陣あるいは多数派社会的通念・経済的要請などから

不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問良心手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。

例えば、1998年国際大学協会声明学問の自由大学自治社会的責任」という文書があるんですが、これによると

学問の自由という原則は、学術コミュニティ構成員、すなわち、研究者・教員学生が、

倫理的規則国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、

そして外部から圧力を受けることなく、学術活動を追求する自由定義できる」というふうにされています

学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判文脈における学問の自由の主張というのは、

ある意味まさにここに相当するもの王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います

2000年代前半:ジェンダーバックラッシュ

過激性教育ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム

2014年広島大学でのいわゆる「従軍慰安婦」に関する講義

産経新聞による吊し上げ↑ 日本科学者会議広島支部幹事会による抗議

2020年日本学術会議会員任命拒否

日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」提出(日弁連

残念ながら、日本フェミニズムとかマイノリティ政治に関わる研究者にとって、

今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。

からこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。

今世紀に入ってから過去20年に限定しても、

2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、

ここでは与党自民党プロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体使用疑義提示されたりしている。

2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学研究者の授業というのが、

先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、

批判や抗議が大学殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由侵害であるというふうにして、

産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。

もちろんさら記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、

日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。

この任命拒否については、憲法23条保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、

2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否違法状態是正を求める意見書」というもの総理大臣に提出をしていると。

これらの事例での学問の自由というのは、この重要性、

この意味での学問の自由重要性というのは、本日シンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます

学問の自由」の濫用

差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由侵害」とする言説

その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、

もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います

今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、

国家とか、強力な宗教団体、経済団体多数派社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、

研究者の社会的通念と研究手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています

その意味では学問の自由という枠組みは、

力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、

研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。

ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。

すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、

これは「学問の自由侵害であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。

これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。

けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。

二面での闘い

国家による学問の自由の明白な侵害

②現状を追認し被抑圧側の異議申し立てを封じるための口実としての学問の自由の動員

結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、

私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。

けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、

抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。

学問の自由を巡っては、フェミニストには現在ういういわば両面での闘いというもの要請されている。

この現状は忘れるべきではないと思います

実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、

ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、

こういうタイプの、マイノリティ権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由侵害」という枠組み、

この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、

これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

2022-08-04

少女漫画に限らず当て馬キャラやサブキャラって明らかに作者の筆が乗ってることがある

なんかの漫画自分性癖のっけもりのキャラヒロインにしたら

編集からヒロインもっと正統派なやつでいきましょう」ってボツにされたので

ヒロイン昔ながらの政党ヒロインで、当て馬のサブキャラに当初のヒロイン予定の性癖キャラスライドしたら

当て馬キャラのほうが圧倒的に人気が出たって話があった

 

どうしても正ヒロイン/ヒーローストライクゾーンを大きくとる必要があるし

物語を正しく推進するために行動にも規制が多い

作者としても「作品のためのキャラとして書かないといけない」ことが多くて筆が乗らないこともあるらしい

当て馬キャラはある程度ディープに書き込めるので楽しいという話を何度か巻末漫画とかで見たことがある

2022-07-30

anond:20220730140054

あぁ、そこで、「その話はしてない」とするのではなく

わざわざ、そこに乗って「批判何が悪いー」に、そのままスライドしたわけね

2022-07-21

anond:20220719021526

>「サクラを忍ばせて、疑問を投げかけさせます、そしてその人間を説得、納得させると周りも流されます」的なことも書いてあって

某党の街頭演説手法じゃん

突然大声でヤジを一言だけ言う人間と、なぜかそいつを「論破」するスライドが次のページにある奴

2022-07-20

大学新入生を対象としたカルト宗教の勧誘洗脳について - 大阪大学藤田教授

https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1549380484190597120

元首相の襲撃犯の動機として、にわかクローズアップされているカルト宗教団体問題は、大学教員には長年にわたり身近な問題である

彼らの主要なリクルートターゲット大学新入生だからだ。

阪大では、新入生の入学ガイダンスで詳しく説明し、また一年生の授業担当教員は授業の中でも注意を喚起することになっている。

私は昨年まで過去20年以上、 一年生の細胞分子生物学の授業を担当していたので、その中で必ず夏休み前にこの件に関する注意をする習慣になっていた。というのは、夏休みの初期に、 彼らは合宿と称して洗脳の会を開催するからだ。

写真に示すようなスライドを使って注意を喚起するのだが、 ある年、授業が終わって部屋に戻ると受講生の一人から電話がかかってきた。

自分が参加しているサークル活動が、先生が例にあげた活動のものなので心配になった」というのだ。

私の部屋にすぐに来るように指示し、 学生が来るまでの間に、学生相談担当教授電話を入れ、 サークル名を伝えると、 「藤田先生ドンピシャです。 ○○○○が関わると私どものリストに載っている(非公認) サークルです。学生携帯電話を電源オフにし、 先生同伴で学生を私のところへ案内してください。 私に引き渡すまで、 トイレを含めて学生が一人になることがないようにお願いします」 という返事だった。

その後、 サークルから脱会(もちろん、教員が行い、本人がサークルメンバー接触しないようにする)、携帯電話の番号変更、アパート引越しなど様々な対策がとられた。 聞けば、 その学生が私に連絡をしてきた一週間後に、当該サークルによる 「聖書勉強会」と称した数日間泊まり込みの合宿が予定されていたのだった。

一旦、洗脳が成立すると、 彼らは「向こうの世界」へ行ってしまい、元に戻すことが家族や友人をもってしても困難であることは、 オウ○の例を見ても、今回の襲撃犯の母親の例を見ても明らか

であり、本当に危機一髪だった。

20年の間に、こういうことが他にももう一回あった。

そのような年齢のお子さんをお持ちの方はご注意を。

anond:20220720032714

乗れるだけならね

さな子供いるとそれこそ広さや安全装備が必須なの

電動スライドドアは欲しいし、荷物積めないときつい

孫がいるような世代は、はっきり言ってガソリンで動くものならどれも変わらないのよ

何乗っても事故起こすし、昔の車の知識しかいから装備が整っている方がむしろ危険だし

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