はてなキーワード: 居住者とは
もうやめちゃったけどさ。
基本的にホームセンターは原価ぎりぎりの安いものと原価が安くて高く売りつけるものの2種類しか置いてないんだけれど、オレは「原価が安くて高く売りつける」のを専門的にやってたのさ。
だからさ、覚えておいてほしいんだよ。
家の部品って恐ろしいぐらい種類あるんだ。
それを一つ一つ調べて発注とかしてた。
だから、覚えておいてほしい。
調べることができるのなら調べておけと。
家のドアノブや便器、鍵や照明器具は紙コップやコンドームに比べれば丈夫だけれどいつかは壊れるんだ。
だから壊れるってことを頭のどこかに置いておいてほしい。
壊れた時、頼りになるのは賃貸だと大家さんや不動産屋になるんだけど、この大家さんも基本的に壊れないって思ってます。
不動産屋なんかは「家の中の事はあなたが原因」なんて文句を言ってきます。
(実際玄関のドアやサッシの外側は大家さんが管理して、その内側の故障は居住者の負担になるんだよね)
動くのならこれだけは覚えておいてほしい。
壊れた部品をとにかくホームセンターに持ってきて「コレと同じ部品!」というのは正直バカのすることです。
窓なんかについている鍵(クレセント錠といいます)は、外すと裏板がとれちゃって再起不能になるヤツもあります。
メーカーが分かったら、その部品の品番があるか確認しましょうよ。
無いのならその部品全体、サッシならサッシ、便器なら便器の型番を調べましょう。
この日記を見ることができるのなら、グーグルで検索する位できるでしょう。
…型番が書かれていないっていうのは、賃貸だったらその前の人とかが「汚れているからとっちゃえー」みたいな感じで取ったんだよ。
残念ながらその時点で難しいゲームになってる。コンボイの謎以上の難しいゲームだ。
そうそう、TOTOの商品はステッカーにも「そのステッカーの型番」が書かれているんだ。
TOTOの場合は調べるなら全部の型番を調べてくれ。
だから、基本部品についているステッカーは剥がさないでほしい。というか剥がすな。
リクシルは基本的に弱者連合だから、リクシル総合お問い合わせセンターなんてものはない。
便器は便器のお問い合わせセンター、網戸は網戸のお問い合わせセンターに連絡だ。
ましてや、リクシルはコロコロ規格を変えてくれる、本人たちも把握できないぐらいに。
手間だよね。
置いていたら「よかったね」って思うぐらいの心意気でいかないとダメ。
大抵「取り寄せ」って言われる。
ここで取り寄せたほうがいいなんて思わないで。
値段が高いとか文句を言う人は、その時点で維持管理に向いていないと思うからとっととやめたほうがいい。
それにね、ホームセンターの店員も基本はググって値段をモノタロウで調べるの。
仕入れ先に最先端の機器「FAX」を使って問い合わせて、返答を「まだかなまだかなー、学研のおばさんまだかなー」って言いながら待ってんの。
言われた金額に相当な暴利をぶち込んで(大抵モノタロウと同じにする)、売上してんの。
だから、結局のところ時間をかけて依頼するんだったら、自分たちで調べて結論を出して買ったほうがいい。
あと、元の部品の会社によっては部品の生産が終了してたりする。
倒産したり、運営をやめたり、さまざまな事情があるんだけれど一番多いのは「新しい商品に切り替えたい」ってことなんだ。
その時は素直に新しいヤツを付けるか、地元の工務店や金物屋に行ってほしい。
ここはホームセンターで注文するよりパナソニック電工のハイ・パーツショップ(https://sumai.panasonic.jp/parts/)で調べてほしい。
大抵ホームセンターもこの店経由で買ってる。だからそっちのほうが早いし、安い。
そこで注文できないやつはそのまま修理依頼もかけられるから、結構便利なんだよね。
だから、とにかく入居が決まったらまずは「家の使用部品一覧」を書くこと。
何もない空間だからこそ、その部品がどこの会社の製品なのかを調べるんだ。
調べたらソレを賃貸なら契約書、新築なら売買契約書の中にセットしておけ。
その部品がつぶれたら、それを開いて確認するようにすれば何とかなる。
調べることができないのなら、賃貸なら不動産屋か大家、建て売りなら工務店に聞け。
これから家を建てるのなら「使っている部品の一覧ってもらえますか?」って聞け。
そういう情報が出ないのなら、そこまでの会社だと思ったほうがいい。
家を建てるなら完成直前の引き渡し前に自分で調べろ。
引き渡すまでは他人の持ち物だから、相手も調べることができるハズだ。
(つづき)
三ツ目が発射した「超クリック音」を、まともに食らってよろめいたところへ、突進してきたオーシャン・ハチェットに激突されて気絶、水面を漂うゴジラ。象用の麻酔弾を打ち込んだうえ、二艘トロールで回収するG国。
航行不能になった船舶も曳航されていく。無人デバイス2機を帰投させ、落雷機やハイドロメデューサも回収して後を追うオーシャン・ハチェット。海軍巡視艇の乗員を全て救助し、最後尾を勤めるMYキャニー・ロデル。
資源探査用の大型トレーラーが用意され、クレーンで載せられて、ガリバー-in-リリパット状態に縛り付けられるゴジラ。軍用車両に前後を固められ、首都へ向け搬送されていく。
「三ツ目たちとしては、本当は引き渡して欲しいんだよな?」
「随分ものわかりがいいな?」
『ヒトのルールでやってほしい、と』
「……え、何を?」
「は…?」
「ええ~?今、中継してませんよ。嗚呼、しくじったぁ。」
「待ってくれ、それだと俺たちも当事者になるんじゃ?」
「そうだろうな。お誂え向きにも、全員そろっている。」
「シンユウマルもか?」
『協定違反を罰するときは、両方の種族?…の代表がいないとダメ、と言ってます。』
「三ツ目が代表者なのか?」
『既に呼びかけをしている、だそうです。』
「はー。貴方も、こっち来た方が良くない?」
逆叉側に訴訟提起の意向があることは、翌日シー・リカオンの本部からG国へ伝えられた。しかし、G国が原告をやるとしても、ゴジラを被告として認めることは、被告の「不法行為地」が国外であることだけでなく、CBD名古屋議定書でいう遺伝資源にゴジラは該当しない…と解釈する余地が生じる。だから、環境NPOの間では「G国は認めないだろう」という予想が大半であった。それに…
「そもそも、都合が良すぎんだよ。」
何となく馴染めない朝食を頂きながら、シンユウマルの乗員も、この話題に乗ってきていた。港のシー・リカオン達とは離れて、首都のホテルを提供されており、軟禁されていた砲手長たちとも合流していたが、後者のグループは「大使館へ行かなくては」「修理の手配とかあるから」と早々に外出、ホテルの朝食には出てきていない。
「何の都合?大鯱の側は八つ裂きにしたいの我慢してるんだろ?」
「あれは、シー・リカオンが飼い慣らした鯱だろうが。普通そう思うぞ?」
「鯱の言ったふりをして、どうぶつ団が訴訟をしたがってる?何でだ?」
「だから、人間の通り魔とかと同じ扱いにしてやりたいんだろ?」
「なるほどな、ゴジラが鯨だからか。シー・リカオンの都合で訴訟をするというわけだ。」
オーシャン・ハチェットの甲板で、朝食をとっていたシー・リカオン達の間でも。
「でも、確かに。よく考えると、うちとして他に選択肢がないな。いかに暴れたとして野生動物。G国の”財産”を収穫してあげました、というわけにもいくまい。オルカ側の権利主張も無碍にできないしな。」
「でも、この構図まずくありませんか?」と記者。
「なんで?」
「最初から、裁判をしたがっていたのはシー・リカオンだ…という話になりはしないかと。オルカの言うこととは信じられないでしょうから。」
「そうだったんですか?でも、外から見れば一緒でしょ?」
「……」
「………。」
「あれ、急に無口に?何でです?何か、あるんですよね~」
「それはそうと。三ツ目の奴、ええかっこしいじゃねえ?」
「…何でです?」
「若いオルカの素行の悪さ。うちにいるとよく聞くだろ。ちょっとしたギャングみたいだって。あいつらがルールとやらに従ってると思うか?相応の罰をもらってると?絶対そんなことない。」
「他のオルカも、ゴジラの扱いを聞いたら頭にくる奴もいるんじゃね?」
「まあ、そのあたりも含めて人間ぽいところだな…」
「オルカのことはまあ。それより、シンユウマルに感謝の意を示すというのがな…どうなっちゃったの本部は?」
「”ゴジラによるIUU”を協力して阻止した…という理屈らしいぞ。」
「でも、シンユウマルが自ら”囮”になってくれなかったら、捕獲できなかったろうからな。確かに、そのあたりが落としどころだろう。」
シー・リカオンの本部はともかく、MYキャニー・ロデルやオーシャン・ハチェットなど現場側は、G国の目当てが「遺伝資源」の権利であると思っていなかったので、まんまと利用されたのが非常にこたえていて、その点でも裁判をやる方に傾いていた。
意外なことに、G国は裁判を認めるという。
要は、国際社会が納得するまで、ゴジラの処分を控えるということらしい。
三ツ目の側は、個別の傷害事件ではなく、あくまで「国家」として訴訟をすることを主張。「協定」に基づいてゴジラ側に呼びかけを行っているとのこと。
『一ヶ月前からだそうですね』
『今は裁判の場所を伝えるように、あちこちの……ハブ?……に交代で赴いてるとのことですが、まだ接触できてないようです』
「そのまま接触できないと、どうなるんだ?」
『協定では……30日間応答がなければ、代表者抜きでやれるようになってる、と言ってますね』
「ふーん、じゃもうできるのか。」
港にて三ツ目との会見を行うG国大統領。
「貴殿、オルカの国を代表しているというお話ですが、その証拠はありますかな?」
「?…かまわんとも。」
海洋学者が自前のシステムで了承の意を水中音声にした瞬間、見えない影が沖合にすっ飛んでいったような…
「何だ?今の。」「忍者オルカ?」
待たされて苛つき始める大統領。三ツ目に厳しいことを言おうとした瞬間、海面に異変が生じる。無数の三角形が海上でひしめきあっている。鳴き声などはいっさい無く、黒い体に波の音すら黙らされる。静寂が、かえって恐ろしい。
「すごい…数……ですな。」
『ほんの一部、だそうです。公海で待機している者たちの。』
「なんと、EEZの境界がわかると?……まあ、いいでしょう。国連などの見解も同じだといいですな。」
そのころ、大使館へ来たシンユウマル船長から電話で報告を受けている鯨研内では、現場よりも強い危機感が生じていた。
「そんなのはどうでもいい!公海上のことだ。訴えられても、受理しなければいい。」
「では、何が?」
「ゴジラでも鯱でも、訴訟の当事者になれるとなれば…どうなる?」
「あっ……!」
「我々は終わりだよ。すぐにUNCLOS加盟国筋へ働きかけねばなるまい…」
「しかし、あの……ITLOS行きは避けられても、ICJのほうへ来たらどうなるんで…」
「うるさいぃ!!」
結果から言うと、鯨研側の心配は杞憂に終わった。「通訳」である海洋学者が”失踪”したのである。おそらく原因はスキャンダル。シー・リカオンと海洋学者との過去の因縁がネットニュースで「暴露」されたのだ。
金銭のつながり等ではなく、その真逆。大学で研究予算や優秀な学生達を奪われたのどうので、かなり争った過去があり、今でも犬猿の仲だというのだ。
「有名な話だと思ってたんだが…昔のことだからな。」
「知りませんよ。でも、道理で…いくら誘っても、来てくれなかったわけです。」
「というか、よく今まで協力してくれたなあ。」
「うちじゃなくて、”三ツ目に”協力してたんだろ。」
「まあ、オルカ達には、ヒトのシステムなんかなくても、勝手に争ってもらえばいいわけだしな。」
「G国としては、よくないだろ。」
「あっ、そうか。」
当の三ツ目はといえば、人間側へ何ら挨拶もなくスパッと立ち去った。それを知った記者の落胆ぶりは気の毒なほどで……とまあ、色々あったが。シー・リカオンとしても本件から手を引く理由ができたし、G国とは本来の協力関係に戻ろう…という方針になった、そのときであった。
突然。厳重な拘束にも関わらず、自らが縛り付けられていたトレーラーを「背負い投げ」し、丁度観察に来ていた政府要人たちを「ぺちゃんこ」にしてから、ボロボロになった前脚を戦利品よろしく掲げた軍人たちの写真が公表されるまで、12時間ほどを要した。
首都の居住者たちがアップロードする映像から、ゴジラの「足取り」を再構成するのがネット上で流行したが、それで視覚化された被害も恐ろしいものであった。
陸軍からは「意外とあっけなかった」との談話が公表されていたが、炎上する基地を背景に、横転した戦車や、降着装置をまっぷたつにされてつんのめっている航空機の写真などが出ていると、やせ我慢にしか見えない。
後脚にもナイフが仕込まれていたのを見落としていたのでは?武装テロが仕掛けられたのでは?前脚の写真しか公表しないのは、ゴジラの戦闘力に軍事的な価値が生じたためではないか?…と、色々な憶測も呼んだ。
もっとも、環境相が真っ先にトレーラーの下敷きになっており、遺伝資源としての価値を主張する者がG国に居なくなったというのもあるのかもしれない。
三ツ目たちの呼びかけに応じる者が現れなかったというのは、要するに…あれが最後のゴジラなのだろう。
大型種の最後。「協定」の当事者たる種族が消滅した。三ツ目達の引き際は、そういうことなのだろう。そして。
「ゴジラが現れなければ、キラー・ホエール…すなわち逆叉と”話”をする機会もなかったというのも、また真実であろう。」
テンポはとてもいいんだけど、細かいところが気になっちゃって、今一つ嵌れなかった。
まあそうはいっても、正直なところ「原子力(微)生物」ってどんな描写にしたらいいのか想像つかない…。
自分で考えようとすると、「原子力」抜きでエメリッヒ版みたいな「ありそう路線」になってしまう。
↓こんな感じ
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グリーンランドのバイキング居住地の遺跡。逆叉の骨が大量に散らばる中に、奇妙な足跡が発見される。
氷河期の巨獣たちが生き残っていたのか? バイキングは何のために逆叉を、危険を冒してまで捕っていたのか?
…訝る学者達。
(生き物としての逆叉の凄さが語られる)
そのころのカナダ。
逆叉の「聖地」で、鯨類の研究……特に、逆叉の「会話」を傍受・研究してきた海洋学者が、パニックを起こしていた。
「とにかく、様子が尋常じゃないんだ!」
…と、報道記者やDFO、さらにNOAAへ必死にアピールするが、禄にとりあってもらえない。
「減ってるって言うけど、ここから移動したのかもしれないでしょ」
「オルカに迫る危機…って線なら良いと思いますが、”人類への脅威”みたいな言い方は疑問ですね。恐れながら、入れ込みすぎでは?」
しかし、すぐに。「北大西洋では、逆叉の個体数は急速に減少している」との見解を、別の科学者も示す。
明らかに何らかの異変が起きている。学会やNGOなどに緊張が走るなか、さらに身近なところで事件が起きる。海洋娯楽施設「マリナーワールド」のスターである逆叉達が。一匹、また一匹と、痕跡も残さずに飼育プールから「消えて」いってるというではないか。
通報を受け、マリナーワールドに張り込むTV局や警察の目前で。10m以上に及ぶ“何か“が「突入」してきて、最後の逆叉が瞬時に両断される。その様子や、警察のライトに驚いて?凄まじいスピードで逃げる「何か」の不明瞭な映像が放映された。
こいつは一体何だ? いったいどうやって海水導入溝の多段鉄柵を越えているのか? 全世界の注目を集め、前後まっぷたつにされた逆叉や現場の遺留物から、様々な「正体予想」が氾濫する状況に。
そして、報道・学者・環境保護団体「シー・リカオン」などが州軍とともに詰めかけるのをあざ笑うかのように、100km以上南にある別のマリナーワールドが襲撃される。今度は一夜にして12尾の逆叉を全滅させ…たのみならず、施設の大規模な損壊・火災に行方不明者を出す事態。
「KWK、ヒトの味を覚えたか?」
騒動が大きくなって、最初の海洋学者に再びスポットがあたるが…。
「頭おかしくなっていたんだ、きっとそうだ…だって、ありえないんだ!」
「どういうことです、あなたは何を見たんです?」
「うぁあっ…勘弁してくれ!」
今度は、西南アフリカ…。とあるマグロ密漁船が、環境保護団体シー・リカオンのIUU監視阻止船「MYキャニー・ロデル」からの逃走中に突然、沈み始めたのである。余りに速く沈んでいき、誰も浮かび上がってこない。
マリナーワールドからは余りに遠く、KWKと結びつける材料もなかったので、現地国家「G国」海軍に対鑑武装を疑われるMYキャニー・ロデルの乗組員たち。調査で乗り込んできた軍人たちの目前で、軍艦のほうが襲われる。船尾の舵が壊されたのち、水中から飛び出して甲板に跳び乗ってきた”それ”は、あの特徴的な背鰭と禍々しい皮膚を備えていた。
「あれは?…あの、KWKじゃないのか?……しかも、脚があるぞ!」
軍人達は銃撃を浴びせるが殆ど利いてない。シー・リカオン側の船長は、とっさにMYキャニー・ロデルの封印装備…「爆発電気銛」を使い、KWKを追い払う。そうこの船は、嘗てノルウェーの捕鯨船だったのだ。シー・リカオンとして決して使ってはならない装備を……苦悩する船長。
そのころ、マリナーワールドの遺留品を調査していた学者達は驚くべき事実を突き止めていた。DNA解析によれば、KWKに最も近縁な生き物は、鯨類だというのである!
(昔は鯨にも脚や頸があった、現世の鯨類からン万年前に分岐した…などの蘊蓄が語られる)
「KWKの正体は鯨類と判明。即ち、キラー・ホエール・キラー・ホエール!」
「ゴンドウ・クジラ類にもっとも近いとされたことから、米NOAAは”ゴジラ”と命名。」
「遺留物の分析から、ゴジラの表皮や背鰭には鯨類が放つ声…音波を吸収ないし散乱させる性質があると判明した。つまり、逆叉はゴジラの待ち伏せを探知することができない。おそらくはソナーも…」
「ゴジラは待ち伏せ型の捕食者であり、ゼロダッシュの加速は凄まじいものがある。」
「頭部の唾液腺のような器官からは、着火性のある炭化水素類を噴出できると思われる…!」
「あのとき私が見たのは、陸へ打ち上げられるオルカ…を追って、このゴジラも上がってきて。オルカをあの後脚で押さえつけて、前足から飛び出したナイフで……おおぉお!」
さて当のG国では、EEZ内でも出没するゴジラに正規の漁船が入漁を見合わせるなど損失が拡大、洒落にならなくなってきた。他国の組織からの介入を強く牽制するが、ゴジラに対応できる改装を行うこともままならない。
一方、シー・リカオンに対しては、G海軍と密漁対策で連携していた経緯から、またKWKが野生動物と判明したことから、G国政府はさらなる協力を求めてくる。
しかし、結果的にせよ”鯨類”に銛を向けてしまったMYキャニー・ロデルは、船長も乗組員も動揺が激しく、身動きがとれない状態であった。
一方。
極東の「鯨類研究所」は、ゴジラを”害鯨”と認定、「調査捕鯨に乗り出す」と公表。インド洋上の目視採集船「シンユウマル」が、喜望峰を回って大西洋に入る。衛星の合成開口レーダーで同船の動きを追うシー・リカオン。シンユウマルは、かつて南氷洋で調査母船シンニチマルとともに、MYキャニー・ロデルを挟み撃ちにして、癒えない傷を追わせた仇敵である。
しかし。G国が箝口令を強いているため、シンユウマルは、ゴジラがどうやって軍艦を航行不能に陥れているか知らない。
そんな中でG国は、シー・リカオンの新造IUU阻止高速船「オーシャン・ハチェット」の派遣を正式に要請した。
「ゴジラはヒトを”密漁”しているのです。それで十分ではないでしょうか? それに、貴団体の新造鑑には色々”特殊な装備”があると伺います。殺処分なら時間をかければ私達でも、あるいはシンユウマルでもできるかもしれませんが…」
実は、G国は。ゴジラを公海などへ追い出してシンユウマルにしとめられるよりも、EEZ内で”確保”するのが望ましいと考えていた。
CBD名古屋議定書に基づき、ゴジラを”遺伝資源”として研究・収益化をもくろむであろうグローバル企業達を呼び寄せ「公正かつ衡平な利益配分」を受けられる、「ゴジラ遺伝資源ライセンサー」としての地位を確固たるものにするのだ。米国などで確保した断片程度の”遺伝資源”よりも、生きているほうが価値が高い。そのためにもシー・リカオンは利用できる、と。
そんなG国の本音を知らないまま。G国沖EEZへと急ぐオーシャン・ハチェットは、ゴジラ「捕獲」の任務を果たせるのか?
その少し後。
G国沖、公海上に停泊するシンユウマルを後目に、海軍のヘリに先導され、EEZへ入ることを許されたオーシャン・ハチェットであったが……そのあとを巨大な影が追ってきた。シー・リカオン側がそれに気づいたのは、G国の港湾に入った後であった。
もう、ゴジラに追われていた?…身構える乗組員。既に接岸していた同船が、回頭できなくなるほど近くまで、巨体が寄ってきている。
しかし、「ピヨオウアッ!」…という鳴き声で甲板の緊張が解け、興奮へと変わった。
「オルカだよ!本当に大きい…すごい…」
それは20mにもなるかという巨大な逆叉。シー・リカオン等では、通常の逆叉が子供サイズに見える望遠写真で有名な個体だ。頭頂部にも、目の後ろのアイパッチと似た白い紋様があるため、「三ツ目」というコードが与えられている。
「三ツ目が、一頭だけ?」
「南から、シンユウマルを追ってか?あいつら、オルカの群に何かしたのか?」
北から来たオーシャン・ハチェットについてきた筈はないから、ある意味当然の発想であったが。レーダーの履歴は、シンユウマルが脇目もふらずにやって来たことを示していた。
「やたらとアピールするな…」
「野生のオルカが一頭で港へ来て、こういうのって…とっても珍しいですよね」
「やっぱり、ゴジラのことじゃないですか?」
最後の質問をしたのは、同船に同乗していた記者である。既にG国のモバイル通信網を経由して、映像の送信を開始していた。
そのわずか5分後。記者のスマホに着信があった。例の海洋学者からである。
『三ツ目が来てますよね?』
『これ、見せられますか?』
海洋学者は、G国検閲済みゴジラ画像のプリントを抱えている。甲板に大型ディスプレイが引き出され、大写しにして、色を少しずつ調整していくと…
「パアアアアアアア!!!」と、すごい大声。
「ほんとかよ。」
「ほら、そうでしょう?」
『発音や解析の環境も一式用意していますので、画像を併用すればある程度通じるかと』
「え、ここでやるの?」
港へ出てきたG国政府の面々も、この状況に驚いたものの。三ツ目がゴジラと接触したがっていることを、すぐ納得した。
『”わたしが囮をやる”と言ってますね…戦闘態勢に入ったオルカには手出ししてこないから、と。』
「何だ、古馴染みなのか?」
『大昔からのつきあいで、協定のようなものがあるそうです。それを破ったのだと。』
「あれだけ狼藉働けば、そうだろう…というか異種間のコミュニケーション、初めてじゃないんだ?」
『北のオルカはエコロケーションに頼りすぎ、だそうです。』
こんな感じで。ディスプレイの中から、図版を沢山抱えた海洋学者が色々言うのに、誰もが半信半疑になりつつ。ともかく大逆叉の意向にそって「作戦」を組み立てることになった。
翌日。MYキャニー・ロデルが舷側に大布を吊し、そこに仮病の三ツ目を「収納」して、囮の役割を担う。かなり距離をとって、「ゴジラ対策」を施したオーシャン・ハチェットと海軍の巡視艇2隻が追っていく。誘いを掛けるために、三ツ目は自らの血液までも提供した。
ゴジラは巡視艇の後方から現れた。急拵えの「枠」に阻まれて舵を壊せなかったものの、舷側に前脚を掛けて甲板に飛び乗ってきて、自重でロールを抑える。もう一隻のほうの甲板に軍人達が現れ、速度を落として併走しながら銃撃を加え始める。ゴジラは音もなく跳躍するが、足場になった側の船は強烈にロールしてひっくり返った。
ゴジラは、もう一隻の舳先に「着地」したかと思うと、そのまま海へ走り抜ける。その反動で急激な回頭が生じ、底を見せた一隻目に激突。軍人達も海に落ち、海軍は脱落を余儀なくされた。
「あれ、助けなくていいのですか?」と記者。
「ある意味、予想通りだろう。後方から救助が来るので、こちらは海岸に沿って遠ざかった方がいい。」
『もう外してくれ、だそうです。』
三ツ目の鼻先、海上すれすれにあるディスプレイの中で海洋学者が「通訳」した。一旦リリースすれば、意志疎通は難しくなるだろう。
「き、来たぞ…?…来たぞォオ!!」
三ツ目の巨体が音もなく沈み、MYキャニー・ロデルの起こした波だけが広がっていく。
「どうなりましたか?」
「あれ…?」
三ツ目の役割は疲れさせるだけ、の筈だが。水中で決着がついてしまったのか?…と全員が思い始めたとき、もつれあった巨大な塊が海面から飛び出したのは…
「あんな後ろで!」
「というか、さっきの軍のほうに向かってる?」
オーシャン・ハチェットは、搭載の無人デバイス類を離鑑させていたが、標的に「無視」されてしまったので回頭を始めていた。
「三ツ目に戻ってくるよう伝えられないか?」
「もう無理だろう」
「こっちに誘導してくれないと、まずいぞ?」
実際、流され続ける巡視艇は公海に近づいていた。ゴジラはその「障害物」を巧みに利用して、三ツ目と渡り合っている様子である。巡視艇の乗員は救命具でひとかたまりになって、二体の闘争から距離をとっていた。
そして、それを観測しているのはシー・リカオンだけではない。「調査」と書かれたブルーグレーの船体に白いブリッヂ……軍艦じみた奇妙な船の操舵室でも、どよめきが広がっていた。
「わざわざ足場を作ってあげてるとは…」
「何とやりあってるんだ、ゴジラさんは?」
「あれ、鯱じゃないか?」
「上を飛んでいるのは何だ?どうぶつ団の連中のか?」
既に公海上であり、シンユウマルが接近していた。乗員達があわただしく動き、捕鯨砲の準備を行っている。
その鑑影を見て、シー・リカオン側に殺気が走った。
「キャッチャーボート接近。シン……ユウ……マル……あれは"シンユウマル"だ!」
「こっちくんな、ポーチャー。」
「雷落としてやれ!」
オーシャン・ハチェットから操られる飛行ドローン「フリゲートバード」は上空で落雷装置を吊り下げたまま、ゴジラの疲れを待っている。同じく潜水ドローン「バスケットスター」も特殊装備「ハイドロメデューサ」を解放するチャンスを伺っていたが、目まぐるしく移り変わる二体の戦いに手を出す隙がない。
そこへ、速度を上げたシンユウマルが突進してきた。
「ああ、下がってくれ!」
「無理だ!手を出すなぁ!」
…と、若干芝居がかった嘆き声が響きわたるMYキャニー・ロデル船内。公海に出たので、例の記者がTV中継を開始したためだ。シンユウマルへの罵声は(なるべく)控えている。
「いやぁ、下がりませんとも。」
「情報戦だなあ。うちも南アに寄って記者でも乗せればよかったかな?」
「よしましょうよ。」
…と、余裕を見せるシンユウマル側では、少し前に”クーデター”が起きていた。
共倒れを狙い待機する方針を打ち出した砲手長が、大逆叉に畏敬の念を抱いていることを、若手の乗員達に見抜かれたのだ。
鯨研の「情報戦」に晒されて育った世代にとって、鯨類へ「食品」や「天然資源」以上の評価を与えようとするのは許し難い裏切りであった。
そして「鯱」はある意味、シー・リカオンの象徴であった。この状況は、シー・リカオンが逆叉を操っているようにも、逆叉がシー・リカオンを操っているようにも見える。
ゴジラと大逆叉。どちらに銛が刺さっても別に問題はなかろう?…この方針に反対する「年寄り」達は、船底の一室に軟禁されることとなった。
迷いの無くなったシンユウマルが急速に二体へ接近する。三ツ目は深度をとっているのか、ゴジラはひっくり返った巡視艇の側で小休止している。
絶好のチャンスに食らいつこうとするシンユウマルは、ゴジラを挑発しようと高度を下げていたフリゲートバードの直下に入ってしまい、軽く「落雷」を食らってしまう。落ちた先がライトニング・ロッドではなかったため、諸々のシステムが停止し行動不能になったところをゴジラに襲われ、舵を破壊されてしまうシンユウマル。
「いや、チャンスだ……シンユウマルの向こう側へ”手”を掛けようとする筈。急げ!」
これまでのゴジラの船舶襲撃パターンから、先を読んだ指示が乱れ飛ぶ。水中ドローンから無数の「浮き袋」が密集状態で放たれた。膨らみながら急速に浮上していく。ゴジラ側の選択肢を制限し、空中ドローンの「雷」を当てやすくするのだ。しかし…この状況では、またシンユウマルの側へ落ちるかもしれない。
しかも、ゴジラは先程の「落雷」をちゃんと見ていた。舷側から上がろうとせず、上方を警戒して、すぐ潜行しようとする。そこにハイドロメデューサが、相互に繋がった無数の「浮き袋」が浮き上がってきた。このまま押し上げられるとまずい…そう判断したのか、ゴジラはシンユウマルを蹴って距離をとろうとした。
「今だ。」「落雷機、投下ァ!!」
フリゲートバードは、ゴジラの進行方向をふさぐように落雷機を落下させる。着水間際に相当なショックが走る筈…しかしその所要時間を見切り、逆に加速するゴジラ。
「全速かけろ!ハチェット!」
「嗚呼これは…間に合わない…」
「光った!落ちたのか?」
「ゴジラ、頭を出したぞ!」
「畜生…」
MYキャニー・ロデルに広がる落胆の呻き声は、途中から歓喜の驚きに変わる。
「あそこ、三ツ目が!」
「痺れてるな…うまく泳げてない」
「ぶちあてろ…ハチェット!!」
三ツ目が発射した「超クリック音」を
何年も前の記事だけど、ふと思い出して訳してみた。
ノーセックス・イン・ザ・シティ:日本に住む外国人女性の気持ち
Reannon Muth
「女性教師に長くいてもらうのは大変なことなんだ。」東京で英語教師になって初出勤の日、私の上司はこう告げてきた。「大抵の場合、6ヶ月以上はもたない。」私は驚いて、登録教師のリスト(30人―全て男性)から目を上げた。
「いや。日本で、という意味だ…。」彼は肩をすくめた。「東京は独り身にはつらい街なんだ…西洋人の女性にとってはね。分かるよね…。」
彼の後ろの壁にかかっていた写真をちらりと見た。四人の中年の白人男性。みんなひげを生やして禿げかかっていた。同じような歳の取り方で、垂れ下がった髪がメタリカのメンバーに似ていた。そして全員が、モデルのようにほっそりした身体の、厚化粧をした美人の日本人女性に抱きつかれていた。
問題を抱えることになるとは思えないけど、と私は思った。
私が魅力的な美人だったからそう思ったのではない。私は美人からは程遠い。スリムで中背、薄茶色の目とそばかす。良く言えばかわいい、悪く言っても並程度。でも私は競争相手が持っていないものを持っていた。長くて自然なウェーブのかかったブロンドの髪。その上私はバイリンガルで、旅行にも慣れていて、大卒だった。
でも日本に来てから数週間の内に、不可解なほどに、もどかしいほどに、自分自身が透明人間になっていることに気がついた。
スターバックスのかわいいバリスタ達は私に見向きもしなかった。自転車に乗ったビジネスマン達は私を無視して走り去っていった。大学生達はボソボソと謝りながら急いで私から遠ざかって行った。天気のことを話したり、道を聞いたり、何か話すきっかけを持とうとした時はいつもこうだった。彼らは挨拶すらしてくれなかったのだ。本当に。
「積極的にならないと。」と日本人女性の友達はアドバイスをくれた。「日本の男はシャイだから、あなたから行かないとダメよ。」だから私はバーでもバスでも、男性達には誘いかけるように微笑んだ。レストランのメニューや、地下鉄の案内の読み方を聞いたりした。
「何かおすすめの本/ドリンクはありますか?」本屋で隣に立った時や、バーで隣に座った時には、このおなじみの台詞で男性達に尋ねていた。でも魅惑の眼差しや会話のきっかけなんてものは、相手が私を見てくれなければ効果がない。彼らが私と完全に目が合うのは、うろたえた表情を向ける時だけだった。まるで「私が将来産む子供達の父親になって。」と、たった今私がお願いしたかのような表情だった。上司が言っていたことは正しかった。独り身の西洋人女性が日本に住むのはつらい。でもどうしてなんだろう?
アドバイスを求めてインターネットを見てみると、デートできない西洋人女性というのは国外居住者の間ではおなじみのキャラなのだと知って驚いた。国外居住者が集う掲示板での、孤独な独身女性の書き込みの多さを見た限りでも明らかだった。
深刻な問題のように思えたのだけれど、多くの女性が話すのをためらっていた。議論するには難しいテーマであるのも無理はない。その国の50%の人たちを極端に一般化することになるし、より悪く言うと、レイシストか男嫌いの俗物女のように思われてしまうからだ。
国外居住者と日本人との間で同じように広まっている見解なのだが、実のところ日本人男性は西洋人女性に魅力を感じてはいるのだ。付き合うために行動する度胸がないだけで。国外居住者達の間では、アジアにいる西洋人女性はジェニファー・アニストンのようなものだった。強くて、自立していて、積極的で、はっきり物を言う。遠くから見とれるには興味深い存在だが、実際に話しかけてみようとする男性はいない。西洋人女性は違いすぎて、異国すぎて、デートの相手にするのは事実上不可能と思われていた。
Y染色体を持つ国外居住者達にとっては話は別だ。女性の国外居住者達が土曜の夜を一人で、ラーメンのどんぶりに涙をこぼしながら過ごす一方で、男性達はキープしている女性達と我が物顔で飲み歩く。彼らはそうやって過ごしていた。
アジアに行ったことのある人ならば、弱々しくてガリガリに痩せたベトベトの髪の白人少年が、完璧にメイクしてミニスカートをはいたアジア人の女の子と手をつないで歩いているのを見たことがあると思う。こんなことは世界の他の地域では決して起こらない。アジア以外の場所では、バービーはケンと結ばれることになっている。不完全雇用で人付き合いの苦手な、日本刀コレクターの隣人、ケビンとではないのだ。でもアジアでは、デートのルールがあらゆる論理や進化の法則に反している。アジアでは、オタクは王様なのだ。
立場が違っていたらよかったのにと願ったとか、そういうことではない。ほとんどの場合で、私は彼らを喜ばしく思っていた。彼らは自分の国にいた時にはデートの予定を書き込むこともできなかっただろう。でもアジアでは高嶺の花を勝ち取ったのだ。彼らはまさにサクセス・ストーリーそのものだ。魔法の抜け道を使って、有利な条件の元で高根の花とデートしているとはいえ、誰がそのことを非難できるだろうか?西洋人女性にとってのそのような涅槃の地が存在するならば、きっと私もそこへ移住するだろう。
時折、カップルを見て「彼女は本当にあの男と付き合っているのだろうか?」という疑問がかき立てられることはあったが、なぜ日本人女性が西洋人男性を(オタクっぽいのでさえ)魅力的なデートの相手候補と見ていたのかを理解するのは簡単だった。彼らは一つの物事に対して、真っ直ぐで広い心を持っていた。彼らはメガネ越しの西洋の目で、恋愛関係を対等な協力関係として見ていた。それは、昔ながらの了見の狭い日本人男性には、まだできていないことだった。西洋人男性達がガールフレンドを大切に扱って、お互いが二人の関係に満足しているのを見て、それが分かってきた。彼らの思いがけない行動や奇妙な言葉遣いが、翻訳で多少失われて、伝わらなかったとしても何の問題があるだろうか?社交的でない人も、愛し愛されてしかるべきなのだ。
でもうらやましいと感じないようにするのは大変だった。私が毎週末、クラブのダンスフロアに一人で立ち向かっている一方で、バカっぽい外国人男性達が上手にナンパして電話番号を交換し、最初のデートの予定を決めているのを見た時は、特につらかった。彼らは駄菓子屋ではしゃぐ子供達のようだった。日本人女性はグルメ向きのトリュフチョコレート。一方で西洋人女性は、容器の底に溶けてこびりついた三年物のトッツィー・ロール。日本人男性達はたぶん私達に気後れしていた。外国人男性達は私達を気兼ねなく無視するだけだった。
でも私は出会いを求めてアジアに来たわけではないのだ。いつもそう自分自身に言い聞かせていた。ここに来たのは、日本語をマスターして、自分の国とは大きく異なる文化を楽しみたかったからだ。でも生活を日本に移すことが、恋愛生活を故郷に置いてくることを意味するとは予想もしていなかった。東京での生活を存分に楽しんでいたとはいえ、公平な取引だったとは思えなかった。
外国人女性の恋愛には成功話がほとんどないと言っているわけではない。知人の何人かは日本に来た後、夫または婚約者を連れて帰国して行った。でも彼女達は少数派だ。ほとんどの西洋人女性は一人で日本に来て、ずっとそのままだった。
とある金曜の夜、仕事からの帰り道の途中、自分がもう日本に九ヶ月いることに気がついた。この逆境に打ち勝ったことを内心喜んだ。上司が間違っていたと証明したのだ。でも重い足取りで帰宅し、『The Office』の再放送を見ながらセブン・イレブンの寿司の残りを食べるという、いつも通りの夜を過ごしていた時、何のために頑張ってきたんだろうと疑問に思った。魅力がなくて、誰からも求められない、最低で、女性扱いすらされない。ずっとそう感じてきた。短いスカートをはいた時や、ぴったりとしたトップスを着た時でさえ、男性達はちらりと見るだけだった。いやらしい目を向けるような建設作業員でさえ、私に対しては退屈そうで無反応だった。自分が火星人になってしまったように感じた。そしてすごく、すごく寂しかった。外国人女性達を、デートのチャンスがある輝かしい境地へ連れて行ってくれる最後の船に乗らなかったのは、もしかすると間違いだったのかもしれない。
元記事:No Sex in the City: What It's Like to Be Female and Foreign in Japan - Vagabondish
古いマンションは、建て替えるか、そのままずっと修繕をしながら騙し騙し暮らし続けていくかのどちらか。
建て替えがスムースに行く例は、一部の価値の高い場所に限られると思った方がいい。
建て替える金が出せる居住者はほとんどいないから、建て替えの合意形成が難しいから。
建て替えがうまく行ってるケースはほとんど全部が、建て替えによって、現状より大きい建物が建てられるような都市部で、
現状より増えた部分を不動産屋が分譲する代わりに、建物建て替える金を出してもらうというパターンしか、現実的には解決ができない。
なので、容積率が高い場所や、新築マンションが高い値段で売れるような都会じゃないと成立しにくい。
場所がどこかにもよるけど、駅徒歩10分の住宅地だと、まず難しいと思う。
年間40万って、家賃が月3万円ぐらいってこと?それとも管理費とか税金払った後ってこと?
それによってかなり違うけど、管理費と税金払う前でその値段だったら、買い手がつくうちにとっとと売った方がいいと思う。
平成27年度末をもって高卒採用22年で退職したのでぶちまけたい。
昔話をするつもりはないが、一時期盛んに行われていた公務員バッシングのあおりもあってこの十年で随分と苦労が増えたんだよ。
採用された頃からすると職員数は30%ほど減ってるが仕事は倍以上に増えた。
8年前に昇任試験に受かって3年間の昇任待ちを経て、係長になったのは5年前のことだが、その時に税金の徴収の仕事を拝命したんだ。
採用直後のぬるま湯時代に一度やったことのある仕事だったが、なによりキツかったのが郵便の誤配による個人情報漏洩。
私の部下だけでも数千人単位の滞納者を抱える中で、アパートの新居住者が名前も確認せずに開封してしまう。
結果それは個人情報、しかも税金の滞納というデリケートな情報の漏洩ということで、そのたびにマスコミ発表や関係者への謝罪に忙殺された。
税金を滞納するような輩は住民票も異動せずに転居しまくるので、アパートの新居住者が手紙を開封しちゃうなんてのは昔からずっとあったんだが、
個人情報以外に何の財産も無いような底辺な輩ほどそれを騒ぎ立てる。
昨年は4回もその手の話で滞納者に延々と数時間なじられて脅され、上層部や市長からは個人情報の流出を防げと無理難題を言われる。
その上に、通常教務で税金を差押すればDQNが怒鳴りこんできてその対応もやらなきゃならない。
そして俺はうつ病と診断されて一ヶ月休業し、その後延長して都合三ヶ月休んだ。
正常な思考回路じゃないかもしれないが、もう公務員をこれ以上づづけたくなかったんだよ。
どんな仕事にだって感謝されて自分の仕事を肯定される場面ってあるだろ?
でも俺の仕事にはそんなこと一つもないんだ。毎日苦情とトラブルの発生を恐れて、上層部からは数字を出せと求められて、それでも残業はするなと無茶を言われ、
市民に接すれば税金泥棒だの、公務員は楽でいいだのとなじられる。
確かに俺のピーク年収だった一昨年の源泉徴収票は額面720万あるが、それに見合った仕事をしてきたつもりだ。誰にも恥じることはない。
でもな、四十年以上男をやってきて初めて人前で泣いたんだ。
この前滞納者と面談してる最中に不意に涙が止まらなくなったんだよ。
そいつはこう言ったんだ「お前ら役人は高い給料貰って貧乏人をいじめて税金ばっかりむしり取りやがる!お前らそれでも人間なのか!」
いつも言われてることだが、もう心のシールドがなくなってた俺にはもう耐えられなかった。
客に初めて言い返して洗いざらいぶち撒けて止めに入った課長に徽章をぶん投げて家に帰ったんだ。
もう俺は公務員を続けたくなかった。
でも駄目だ。
(以下、ずっと探してた記事を掘り起こしたので再掲)
新◎町の大◎戸ポイントのすぐ裏に通称幽霊マンションという賃貸マンションがあります。
昼は薄暗く、夜は闇深く非常に心細い思いをしたものです。
普通、アパートなどでは、隣近所との接触があまり無いようですが、
オープン当初のここは違いました。
当初は各部屋に風呂が無く、2階の共同浴場で入浴する事になっていたのですが、
なかなか夜中に1人で大浴場に入るのは怖くて勇気が必要でした。
特にシャンプーする時はなるべく目をつぶらずに洗っていたほどです。
怖くないように誘い合ってお風呂に行き、
ここでは言えないような情報を交換をするという図式が完成しておりました。
それでもある日、二人で大浴場で入浴後、揃って(置いてけ堀は許されない!)大浴場のドアを閉めると、誰も居ない筈の真っ暗な大浴場からリアルな物音が聞こえ、二人で凍りついた事がありました。
その恐怖で、すっかり湯冷めしてしまいましたが、また入浴して温まり直そうなんて勇気が出る筈もありませんでした。
入居して1年位は居住者がなかなか増えませんでした。
ある日、ロングボーダーが入居してきたのですが、
直ぐに出ていってしまいました。
何か有ったのでしょうか?
本人はここでは言えないような事を言っておりましたが…。
しかし、入居したその階は我々御局の中ではある事で噂になっている階でした。
………やはり予感は的中してしまい、その子も引っ越して行くのでありました。
またまたある日、隣の部屋からアダルトビデオの音声が漏れてきました。
しかし、隣の部屋は女の人が住んでいたような…。
と思っていたのですが、もうしばらくすると、
廊下でその女の人と男の人の話し声が聞こえてきました。
…・・と、言う事はエッチしていたのね。
ここの部屋の壁は薄いですね〜。。。
小生は入居当初は、その噂の階に住んでいたのですが、
運良く上の階へ部屋換えする事が出来、あまり変な体験をする事無く済みました。
一つだけ言うならば、ここのマンションは襖などの戸は無く、
全てドアなのですが、真夜中になると、襖を開け閉めする音がちょくちょく聞こえました。
上の階に行くと、さすがに景色が良く、部屋から波が見える好環境でした。
ある日、エレベーター内が紙の切れ端だらけだった時が有りました。
管理人に聞くと、御払いがあったとの事。
御払いの事実を知るのはその時で2,3回目。
こんなに御払いしている共同住宅は珍しいです。
またまたある日、
部屋で彼女とまったりしていると救急車のサイレンが聞こえてきました。
「またバイパスで事故かな?」と思ったのですが、明かにそれと比べて音が近い。
もしかしたらここの建物に用事かもしれないと思い、下に下りていきました……。すると……。
更に上を見上げると8階の窓が空いているのでありました。
その倒れていた人は見るも無残な一目で解る即死でした。
落ちるのは勝手ですが、下を確認してから落ちてもらいたいものです。
ぶん殴ってやりたいです。
ブッ殺してやりたいです。(もう死んでますが…)
その人は身元不明で終わってしまって、お金も請求出来ず終いでした。
死ぬ時も人に迷惑を掛けるなんて最低な奴です。姉○建築士以下です。
翌日、管理人が駐車場にこびり付いた血液や脳の拾い損ないをデッキブラシでゴシゴシやってましたが、地面を濯ぐために流した水が何故か小生の車の方向に流れており、その汚水がタイヤに付いているのを見た時はショックでした。
結局車は車両保険で修理してから事故のことは秘密にして買取センターのガリバーに持っていったら50万円で買いとってくれました。あの車、今は誰かが乗っているのでしょうか。
しばらくして、また御払いの人達がやってきました。今回は御払いセットが豪華でした。最初からそうして欲しいです。
2005年、3月。一番見晴らしのよかったE◎01号室とお別れの日。
片付いで何も無くなった、もうじき他人が借りるであろう部屋にお礼を大声で言い別れを告げました。
ここで過ごした約4年間での出来事、、、同じマンションでのサーファーとの出会い、
全てが刺激的で忘れる事が出来ません………。ありがとう。もう戻らない日々よ。
はてブに時折ホッテントリされる英語勉強法エントリ。最近は海外居住者も増えたりフィリピン英語留学学校の煽りもありより多いように感じる。そこでお前はそろそろ英語勉強しないとな、と言ってブクマして、記事の下のアフェリエイトリンクを押したり、本屋に行ったら英語コーナーに立ち寄ったりして、一冊買ってみて、はじめに、だけ読んで、おしまい。また今回のお前の英語ブームも一週間もせずに終わってしまった。知ってるよ。俺がそうだったからな。
はっきり言っておく。お前は今の環境にいる限り、何度やっても失敗する。考えてほしい。今日のお前が今後の未来において一番若い。今日できなければ脳が老いてくる未来においてもやり遂げることはできない。
俺は精神論を言いたいのではない。俺が死んだときに葬式で周りの人にどんな人だったと言われたいか考えてを目標に行動しろ、なんて自己啓発書みたいなことは言わねえよ。できると思ってないからな。なんでお前が続かないのかを伝えたいのだ。それは、目標が明確でないからだ。英語ができるようになる、という目標は漠然としすぎている。TOEICのスコアなら数値だからわかりやすい思うが、体調で100点くらいのブレがあったり、何よりも「このスコアが取れたからといって俺はどうなるのか」というゴールがないから、目標が達成できてもできなくても何も残らない。なぜこうなるのか。今、お前に英語は必要ないからだ。ただお前はそれに気づいていない、もしくはそのその決断に不安があるだけだ。よく考えろ、今できないのならば今後もできない。英語もやもやがあれば今すぐ、英語ができるようになりたいという緩い目標みたいなのを捨てろ。一言でいう。英語を諦めろ!
といっても心配があるだろうから俺の話を聞いてほしい。俺は会社の辞令によって英語圏での生活を余儀なくされた時期があった。英文書かせたら動詞が抜けているようなレベルの俺であったが、行ってしまえば生きるしかないのだ。家を借りる、苦情を言う、仕事をする、英語を使わなければいけない状況になる。英語圏サバイバルの環境下においてコミュ障の俺でも専門分野の単語を並べて仕事はなんとかできるようになったのだ。必要に迫られれば誰だって低いレベルであってもできるようになるのだ。そして思う、今必要なのは英語力ではない。思考のフレームワークだったり、専門分野の知識が最も必要なのだ。今、お前は英語が必要に迫られていない、ならやらなくていい。中途半端に始めるくらいなら自分の専門分野の知識を深めるべきであって英語なんて必要に迫られたその日が来るまで忘れててよいのだ。お前は煽りに負けているだけだ。
一つ付け加えたい。わかっていると思うが日本語圏の人口より英語圏の人口のほうが多い(中国語圏の人口のほうが多いけどおいといて)。お前の今の仕事ができる人間は日本語ができないだけで世界にはごまんといる。お前に専門性のスキルがあろうがなかろうが同じだ。同じ勉強してきたやつは世界にもっといる。うちはブラック企業だ!と叫んでいる場合ではない。お前の工場のラインの仕事、レジ打ちの仕事、システム保守の仕事、半分の賃金でもやりたいという外国人は必ずいる。ただ今の日本は日本語しか使えないという鎖国によって俺たちの雇用が守られているにすぎないのだ。そこで俺たちはどうするべきか? 英語を勉強することではない。俺たちは専門性を高めて日本語圏ダムが決壊したときに備えて俺たちは個々の専門性を高めることを優先すべきなのだ。だから英語はやんなくていい。諦めろ。
予備校講師の安河内はCMでこう言った。英語なんて言葉なんだ、こんなもんやれば誰だってできるようになる。荻野は俺にこう叫ぶ。安心して君たちはぁ、今の仕事に打ち込めばいいんだよぉ。俺は決めたんだ。いつもの仕事をそのまま続けて、そこから少しずつ専門性を高めようと。だって資格を取得して専門性高めよ!って言ってもできないでしょ? 英語勉強法なんて読んでも俺の英語は上達しなかったんだから。
神に讃えあれ
国民よ
この「緑の行進」四十周年記念式典は、いつもの行事や通過的祝典ではありません。それどころか、王国の領土保全を完成させる過程における重要な局面なのです。
我が国土の解放、そして平和と安全の強化の大いなる達成に続いて、我が国はサハラの人々がれっきとした国民となり威厳のある生活を楽しめるようにしようとしてきました。
今日、「緑の行進」の40年の後、我々は、その有利不利にかかわらず、サハラ問題についてこれまで対処されてきたやり方からの、金利生活者経済や特権からの、民間部門の参加が貧弱であることからの、そして中央集権的なメンタリティからの、根本的な決別を求めます。
何故今日、40年の後なのでしょう?
そう、何年もの犠牲と、政治的かつ開発志向の努力の後に、我々は成熟を達成しました。
今、国家の一体性統合過程における新時代の夜明けと、我々の南部地域の祖国への完全なる統合の達成のために、機は熟しています。
「南部地域開発モデル」の実行と進歩的地方分権化の適用は、その過程の一部です。
国民よ、
私は是が非でも、南部地域の我が国民達へ彼ら自身の仕事をこなすのに必要なすべての手段を与えて、彼らが彼らの地域を開発できることを確かめたいのです。
太古の時代から、このサハラの人々は学者や季節的交易者として知られてきました。彼らは額に汗をして生計を立て、威厳と誇りを持って暮らしていました。厳しい生活環境にも関わらず、誰からの助力も期待していません。
私が話しておりますのは真のサハラウィ、彼らの祖先とモロッコの王との間にいつも存在していた忠誠の絆へと身を捧げて続けてきた本物の愛国者のことです。
我等が敵たちのものの見方に乗せられて彼らを支持する少数の者についていえば、それらを許す余地は我々の間にはないのです。しかしながら、本心に立ち返り悔い改めた者に祖国は、概ね寛容かつ寛大であります。
国民よ、
「南部地域開発モデル」を実行することは、これらの地域の我が同国民への我等の義務を果たすことに我々がどれほど身を粉にするかを示すもので、それゆえに統合的開発のモデルとなるでしょう。
我々はこの「開発モデル」に、統一祖国へとこれら地域を統合すること、そして、経済的ハブとして、またモロッコとそのアフリカのルーツとの間の決定的な絆として、サハラ地域の影響力を拡大することを望んでいます。
そのために私は、利用できる全ての手段を集めること、全能の神の御恵みにより、ラユーン=サキア・エル=ハムラ、ダフラ=オウド・エッダハブとゲルミム=オウド・ヌーンの諸地域にて社会・医療・そして教育のプログラムとともに、多数の主要計画を遂行することを決断しています。
インフラに関しては、この地域の道路ネットワークが拡大されるとともに、国際標準に準拠した二車線道路がティズニットとラユーン、ダフラを繋ぐために建設されることになります。
私はまた、アフリカ各地とを結ぶハブ空港を南部地域に設ける検討をすることも、政府に求めました。
私の念願の一つに、アフリカ他地域とモロッコを繋ぐためにタンジエとラグイラを結ぶ鉄道を実現することがあります。今日のマラケシューラグイラ線完成のために今必要となっている資金の確保に助力いただけるよう、全能なる神に祈ります。
我々にはまた、「偉大なるダフラ大西洋港」を建設し、南部にて主要太陽光及び風力エネルギー・プロジェクトを遂行して、ダフラと国立送電網とを接続する意思があります。
我々の目標の一つは、これらのネットワークとインフラをアフリカ諸国へと繋げて、これにより諸国の発展に寄与することであります。
もちろん私は、これらのインフラが、それ自体では、国民の生活状況を向上させることができないと理解しています。それゆえ私は経済発展を推進し、人間開発計画にてこの行程をサポートすることを切望しているのです。
強調しておきたいのは、この点について天然資源からの収入は、この地域の人々の便益の為、そして彼らとの協議と協力にて、この地域へと投資され続けるであろうということです。
地域の資源と製品の利用と振興のために、ダフラの主要海水脱塩プラントや、ラユーン、エル・マーサ、ボジュドーの産業区と施設類の設立のような、幾つかの計画が遂行されるでしょう。
これらのイニシアチブをサポートするために、国内及び海外の投資家のために明快さと競争力とが共存して、彼らがこの地域の発展に貢献できるよう、投資しやすい法的枠組みが制定されることを切望しております。
経済構造を拡大し、事業と社会経済をサポートし、定収入を発生させ、特に若い人々の雇用を創出するために、経済発展基金も立ち上げることになりましょう。
国民よ、
私にとって、最も重要なこととは、サハラにおける我々の同国民の尊厳…とりわけ、若い世代の尊厳…が保護されることを確実とし、彼らの愛国心と祖国への傾倒を強めることであります。
よって私は、人口の殆どのセグメントで要求されている公平と社会的正義の原則を維持するため、社会保障システムに立ち戻り、これをさらに透明で公平なものとするよう、政府に求めています。
さらに、サハラの人々の心臓と心の中で特別な位置を占めているハッサーニ文化を考慮して、サハラの伝統の保存と推進のために必要となるメカニズムを、とりわけ、この国の南部に劇場、美術館、カルチャーセンターを建設して、強化することを切望しております。
人権についてですが、モロッコは、全能の神のお恵みにより、国家の動員、良好な治安統制、そして国民社会組織との建設的連携を通して、たくみに我が敵の目論見を打ち砕きました。
そのうえ、憲法にて定められた機関であります国家人権協議会とその地域委員会は、権利と自由の保護を任務としておりますが、如何なる違背があろうとも、これに対し、公的機関、市民社会組織、そして国民との対話と協力を通じ、取り組んでおります。
国民よ、
進歩的地方分権化を遂行して、モロッコの信用を強化するとともに、公約を重んじる国であることを示すのです。
私が国会開会式で強調したように、この地域で選ばれたオフィシャル達は、国民によって民主的に与えられた正当性により、国家機関だけでなく国際社会とも向かい合う、南部地区居住者の真なる代表者となります。
進歩的地方分権化の遂行は南部地域が最優先であることを確かなものとするために、一連のプログラム契約が、中央政府と本地域との間で、開発プロジェクトの実行に関する其々の義務をはっきりさせるために、締結されることになりましょう。
私はそれゆえ、王国の他の地域の経験が繰り返されることを期待して、権限委譲の立法文書の採択を急ぐこと、適任な人的資源と資金とを移転してこれをサポートすることを、政府に対し命じています。
我々はまた、地域部局に対し、この地域の物事を地方レベルで動かしていくのに必要な特権を与えるための、本当の行政権限移譲勅許状の準備を急がねばなりません。
私はそれゆえ、我々の南部地域の居住者とその代表者達が、彼らの責務を遵守することを期待します。今や、彼らが自らの物事を執り行って自身の要求を満たすために、制度化された開発関連のメカニズムを設定しているのですから。
国民よ、
モロッコが何かを約束するときは、言行をともにします。我が国は、履行できないことは公約しません。
ですから、我々は世界に向けてこう言いたいのです:他とは違って、我々、モロッコに居る者は、空疎なスローガンを使うこともなければ、幻想を売ることもしないのだと。我々が何かを公約するときは、その内容を履行して、大地の上で物事を執り行うのだと。
今日、モロッコは「モロッコのサハラ」をサブーサハラのアフリカ諸国との通信及び通商のハブとすること、そしてそれを達成するのに必要なインフラを建設することを誓いました。そして今一度になりますが、我が国はこの約束を守るでしょう…敵たちが好むと好まざるとにかかわらず。
ところで、ティンドウフでは…アルジェリアのですが…人々が、貧困や、絶望、収奪そして基本的人権の侵害に苦しみ続けています。ですから、私はこう問うべきと思うのです:
「何百万ドルもの人道的な援助はどこに行ってしまっているのか…一年あたり6千万ユーロも?…分離主義者たちの装備、プロパガンダ、そして弾圧に費やされる莫大なユーロについては言うに及ばず。」
「分離主義者の主導者たちが腹立たしくも裕福で、欧州やラテンアメリカに不動産や銀行口座を所有しているという事実を、どう説明できるのか?」
「どうしてアルジェリアは、人口がせいぜい四万人のティンドウフ・キャンプの生活条件を…例えば、アルジェの中程度の人口の区域と同程度にまで…向上させようとしないのか?」
これはつまり、彼らの威厳を守る住宅6,000軒を、アルジェリアは建てることができていない…もしくは建てるつもりがないのだ、40年にも及ぶのに…ということなのです。
どうしてアルジェリアは…モロッコに軍事・外交で対抗するために莫大な額を費やしているのに…ティンドウフの住人達をあのような恐ろしい、非人間的な状態で生活させておくのでしょうか?
かのサハラの、自由で立派な息子たち・娘たちを、人道援助を乞う者に変えてしまった者どもには、歴史が裁きを下すでしょう。
彼らがサハラの女性や子供たちの集団の悲劇を利用して、彼らを戦利品に変えてしまっており、違法な商業活用だけでなく外交的論争のための道具としても使っているという事実を、歴史は物語ることになるでしょう。
ティンドウフのキャンプに居られる人々に問います:ご自分たちの生活状況がすさまじいというのに、あなた方はそれで良いのでしょうか?このキャンプに居られる女性は、息子さんたちや娘さんたちの間に広がっている絶望と落胆の意味を理解しておられるのでしょうか…期待できる展望も未来もないというのに?
あなた方は、このような非人間的な状態などよりも良い扱いを受けるに値するものと、私としては信じております。あなた方がこういったことに耐えるのだというなら、誰を責めるわけにもいかないでしょう。そうしている間にも、あなた方の目前でモロッコは、その南部地域の発展を強力に推進していき、この地域の居住者が自由で威厳のある人生を楽しむのを確実にしていくのです。
国民よ、
この「サハラ問題」は、モロッコがその歴史のなかで初めて直面した問題ではありません。この国はシバ(無法)と混沌を知っています…保護領統治のもとで生きながらえ、占領を耐え抜きました。この国は、現代国家を築こうとして独立を勝ち取るうえで、不和と争いの時季も経験しました。
困難な状況に直面する度に、モロッコがいつも昂然として、強固であり団結していることが判ります。何故かといえば、モロッコ人は、自分たちが同じ運命のもとにあると信じ、自らの普遍の価値と領土の保全を維持しており、この王と民との間にある密接な絆と団結へと、全面的に委ねているからです。
進歩的地方分権化の遂行と開発モデルの適用を開始することにより、モロッコは、我々の領土保全に係る不自然な論争に対する不変の解決策を見出す機会が多くなることを望んでおります。
そのように信ずる理由はただひとつ、2007年にモロッコは、国際社会の呼びかけに積極的に応じ、この袋小路から出る道を見出すための案を編み出したからです。
そうして我々は「南部地域の為の自治イニシアチブ」を提案しました。その国際団体からは、真剣で信頼できる提案であるとの判断が出ております。
昨年私が「緑の行進」の記念日を祝う式辞にて指摘したように、このイニシアチブは、モロッコが提供できる精一杯のところなのです。その遂行は、国際連合機構の枠組みでの最終的な政治的解決の達成にかかることとなります。
モロッコの一部について何か別の譲歩を待っている者たちは、思い違いをしています。それどころか、モロッコはそこで与えるべき全てを与えています。モロッコは、このサハラを守るために、自らの息子たちの血を惜しみなく捧げています。
我々は、それ以上の譲歩をしなければならないのでしょうか?一部の国際非政府組織たちが、我々に望んでいるような?
我々は、こういった敵対的態度の裏にある理由を知っています。彼らの狙いは、この国を分割することなのです。しかし当の彼らには我々のことに干渉する権利などないことも、我々は知っています。
これは、国際組織内のある団体がモロッコの歴史を知らないままシナリオを創り出そうとするのに対処するうえで、我々が支持しているのと同じ原則です。そうしたシナリオは、エアコンの効いたオフィスで創り出され、現実から遠く離れて、モロッコ・サハラに係る地域紛争の解決のための提案として示されているのです。
モロッコは、如何なるものであれ、深刻な結末をもたらしかねない愚かで危険な行動方針も、「自治イニシアチブ」で生まれた前向きな趨勢を転覆することが狙いでしかない実行不可能な提案も、いずれもお断りいたします。
モロッコ製品への敵対的キャンペーンに対しても、モロッコの団結と不変の価値を守る政治と防衛のセクターで発揮されたのと同じ、犠牲と献身の精神に則って、立ち向かっていくことになります。我々の製品のボイコットを求める者たちについては、歴然とした国際法違反でありますが、彼らにはそうさせておきなさい。とはいえ、彼らは自ら決めたことの責任を執らなければならなくなるでしょう。
モロッコには、立ち上がるであろう大規模プロジェクトの恩恵で、この地域に生まれる投資機会から利益を得るために、自らのパートナーを…国家も、グローバル・カンパニーも…招待する権利があります。
丁度、我々がモロッコの北部と南部とを何ら区別していないように、トマトにおいてアガディール産とダフラ産の間でも、イワシにおいてララシュ産とボジュドー産の間でも、燐鉱においてコウリブガ産とボウクラア産の間でも…広く知られるデータで裏付けられているように後者が我が国の埋蔵量の2%に満たないとしても…我々の目には何らの違いも、みとめられないのです。
同様に強固な意志と揺るぎなさをもって、モロッコ・サハラの法的状態を疑おうとする企てにも、この国の北部地域でと全く同じように、この土地、この南部地域にて力と特権の完全なる行使を行う我が国の権利へ疑問を投げかける企てにも、モロッコは立ち向かっていきます。
これはつまり、我々の正当性を良く知らしめ、我が国がなしている進歩をスポットライトで照らし、我々の敵のもくろみに対抗するための、取り組みの強化と警戒の維持、これら全てを、我々は総動員で行っていかなければならないということです。
国民よ、
緑の行進を特徴づけたのと同じ献身と犠牲の精神を保ちつつ、我々の南部地域の開発を推し進め、その地方の息子たちや娘たちの尊厳を護ること、そしてこの国家の領土保全を維持することは、我々の集団的責務です。
そのようにすることが、「緑の行進」の考案者…私の尊敬する父であって後の王ハッサン二世陛下…安らかにお眠り下さい…と、この国の栄誉ある殉教者たちへの、忠節の証しとなる筈です。
アッサラーム・アライクム・ワロマツロー・ワバラカア-トゥ
両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。
そのときの話を書こうと思う。
いつの間にか沖縄の梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。
梅雨だというのに2週間も降らない。
庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。
やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。
もー、夏ってことでいいですかね?
西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。
窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。
それで午前中に作業をしていたら、隣家のMさん(主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。
「うちにも付けられたらなぁー」
父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓のかつおのたたきをつつきながら言った。
「あの家はどうにもならんじゃろうねー」
そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。
うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。
床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父はリビングをペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。
建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。
風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油のタンクを入れて、ボイラーで沸かしている。
屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。
細かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。
祖父が死んでから、わたし達家族は祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。
増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。
具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。
母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内のマンションやアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。
ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテが必要になったこともあるし、
帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落た木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。
建って4年目の夏のことだ。
このとき初めて、裸の木材が湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。
別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたからトラブルが起きた、というわけでもないと思う。
ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。
そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。
一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。
わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。
父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。
さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。
数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこが砂場や自転車でよく遊んでいる。
道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。
庭というか、地面はコンクリートでまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。
パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格を勝手に想像してしまったりしていた。
夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。
そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。
母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。
グリーンカーテンを作るには、やはり上方にネットを留めるところがない。
サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。
物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。
毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。
家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。
もちろん、これはぜんぶ他人の勝手な意見であって、Mさんを交えた会話ではない。
昔、システム屋に勤めていた時、会社の上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカーに発注していて、既製のユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIerの提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。
何か出来るように機能を考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。
これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的なビジネスアイデアだと思う。
メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。
ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。
注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカーの提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。