はてなキーワード: 分散とは
何かと話題のシン・ゴジラ。サヨク側から見ると、え?これ自民党の広報映画?自衛隊の広報?緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。
以下、シン・ゴジラのネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的なものを説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね。
<立ち位置>
僕は自称サヨクの保守派です。政治的な信条をいえば、九条は守る派。自衛隊は基本的に違憲。災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国の尖閣とかどうしよう。
安保はアメリカがお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。
原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論の時間を稼ごう派です。
まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!
と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズがドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバー。ミレニアムシリーズは大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。
以上前置き。
さて、そんな頭の中お花畑で庵野フォロワーな私なので、最初にシン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権の宣伝・・・?自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下
前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ・自衛隊・放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。
ほいで、比較の対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハードな作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケットを意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画としか比較しません。
ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりドキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジックな組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラが現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます。
まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係は必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線を東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊の宣伝映画。でも、この映画の主題は、芹沢博士(眼帯)が自分の技術を軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条の精神を体現した英雄的な行動ですね。
自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士が技術の軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクをスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます。
1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子(大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン)映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断と交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使とソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい。
あと、散々首都を蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島の火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想を体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃を提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから核攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。
えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときだから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。
まあどんだけ自衛隊を活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨクは安心するわけですよ。
自衛隊が活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則を宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすいガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!
ところがそのようなバランスはシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。
お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン
→アベ首相が中途半端に英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。
○石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ」
→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな
でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります。
○自衛隊員が最初の品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」
→ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!
あと全体的に手続きに時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口と矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!
ってなる気がする。
と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党の政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的なメッセージが内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!
蛇足ですが。
上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨクは現実との乖離を認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。
の、三点です。
○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野は現実の制度とスタッフを忠実にトレースして東日本大震災の成功パターンを描いただけなので、別に誰かのことをほめたりする意図はまったくない。国会前デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的な意図はない。
○2点目、あべ政権くそ、死ね、自衛隊は違憲!って思っているサヨクのあり方そのものがものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画の見方のズレから認識するべき。野党の共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合かボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。
○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後のポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的に庵野はセカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なものの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。
東大女子は入れないサークルや東大美女図鑑 ジェンダー論が専門の東大教授はどう見る - 東大新聞オンライン http://www.todaishimbun.org/gender20160805/
に対しての回答が全く想像でしかない。「女子的役割を積極的に引き受けようとする他大女子と、そんなつもりはないという東大女子の間に亀裂」という点に思い至ったのは偉いと思うが(前述のように幻滅したのでウエメセでいくぜ)、サークル勧誘の面からみると、ある大学のメンバーが一定数いることが女子の安心につながるので、複数のサークルに分散しすぎることは、各サークルでの女性の居心地を低下させるとかもあるだろ。言葉レベルのセクハラをする男子学生が研究室にいたときに、もちろん大学の相談機関を使うのも大事だけど、女子会が相談の場として機能するのと同じ理屈な。
もし、東大女子を参加させないサークルが so stupid だというのが問題の本質なら、東大女子を受け入れる2つのサークルはまともなサークルとして東大女子を多数受け入れ so smart な地位を確立するはずだろ。でも、そうはなっていない。そりゃ誕生日研究会とかいうサークルのあんなクソ事件が起こるほど東大生の統計的なレベルが so stupid だし(あれは極端だけど外れ値ではないからな)、2つのサークルだって別にジェンダー的観点からまともってわけじゃないんだよ。
20中2という数字についてだけれど、(1)テニサーが出会い系としてのレッテルを張られている存在であること(2)東大の男女人数比 の2点を考えるとそこまで編ではない。むしろ、どちらもセレクのあるサークルだったと思うけど(2って数字はJOKER含まずTOMATOとスポ愛だよね?)、顔選な部分があるとかの実態も問題だろ、定量しにくいから問題にしにくいだけで。別に女子だけじゃなく男子も顔がある(イケメンいたほうが女子集まるし)。また、これら2つは大きめのサークル。弱小サークルがコート取れないので、Alternative 育たないよね。
こういうこというと、Aが問題だって言ってるんだから、BやCの問題を持ち出す前にAの解決策をって言うのがお決まりなようですが、わざわざ別問題持ち出してきてるのは、本質はジェンダー観が云々とかじゃなくて、リア充提供機能の部分なわけで、その点において大学のサークルにリア充提供機能を求めている学生たちに別の観点であるジェンダー問題持ち込んでるのが元記事だからな。
先進的なジェンダー観を持った人々がリア充になれる仕組みを考えることが、東大生男子の家事情をくさすよりずっと意味があるだろう。
中規模のインカレノーセレクションサークルで東大女子を受け入れて、この問題への対処を謳ってみたら(絶対社会運動感出すなよ、ダセーから)トマトやスポ愛から新歓奪えるのではないか。結果、女子比率が高くなればサークルの活性化にもつながる。ノーセレクでリア充ブランディング維持するのはノウハウいるから、もとからノーセレクで中規模。
東大生女子はなんとなくリア充をめざしてテニサーだけを選ばないで欲しい。これは就活でも婚活でも言えることだけど、初めのお試し期間のうちにいろいろ試して絞っていくこと。そもそも女子の比率が低すぎる問題はあるので、テニサーに限らず居心地の良いサークルは少ないだろう。POLAのCMでも見て奮起するしかない。あと、サークル以外にも、アルバイトとか、NPO参加とか、ビジコンとか、インターンとか、キラキラした出会いの機会は存在する。主体的な女性で、特にそれまでテニス部だったとかじゃなければ、テニサーを積極的に選ぶ理由は少ない。ジェンダー系の記事を見て「そうだそうだ」と思えるならば、なんとなく流されるのはやめて、ちゃんと選びましょう。
トップページに巨大不明生物に関するポータルサイトへのリンクが登場し、寄付金を集めるサイトも登場。
この世の終わりという事で盛り上がる、自衛隊関連のスレッドが多く生まれる。
興味のない人々が専門板に逃げるも、「こんな時に○○とか」というやり取りで煽り合いが生まれ消耗、専門板ユーザー数が減少。
大手ゲームまとめブログが巨大不明生物まとめブログとなり信者に批判される。元々SFや宇宙関連をまとめていたブログの
ほとんどが巨大不明生物関連のツイートになる。興味のない人はTwitterを見なくなる。
避難ツイートを最後にツイートしなくなった人々がリストアップされる。有名絵師が巨大不明生物を描くも炎上案件となり、避難にまつわる絵や動画が出回る。
Twitterで批判を受けた絵師たちが続々と巨大不明生物を描く場として利用する、Pixiv内で巨大不明生物に関する名称が付けられたりしてタグになるも、人気になりすぎて外部から批判される。
背景に巨大不明生物が描かれた2次画像が多く出回る様になり、現実路線の画像を投稿していたユーザーが人気になる。
トップページのほとんどが巨大不明生物関連のエントリで埋まる。『フィクション作品に出てくる怪物10選』や『まだ巨大不明生物で消耗しているの?』といったネタ記事が出回る様になり
トップページがほとんど巨大不明生物に関する記事でいっぱいになるため、新たに「巨大不明生物」カテゴリが設けられるも、はてなの遅い対応に批判が相次ぐ。カテゴリが分けられてからは
陰謀論の巣窟扱いで見る人が減り、だんだん関連エントリが減少傾向となる。
一旦PV数が落ち込むも、避難先での食事に関するレシピが増加傾向に。避難民に重宝されるレシピがSNSでも出回る。
公式側も技術エントリから避難関連エントリへと移行。避難食としてオススメする記事をアップするなど順調にPVを伸ばす結果となる。
『巨大不明生物が半径200km以内に現れたらSlackに通知する』『巨大不明生物に関する警報が発令されたらRaspiを使って家にも警報音を流す』といったエントリで盛り上がるも
「こんな事してないで逃げろ」と突っ込まれる。「巨大不明生物」というタグが人気になる中で、『GoogleMAPで巨大不明生物の位置情報を共有しよう』といった便利なエントリも登場し、
事案解決後にマスコミなどのドキュメンタリーで英雄の一端として取り上げられる。
省庁関連サイト
気象庁サイトでは巨大不明生物に関する情報のポータルサイトが登場、防衛省でも巨大不明生物に関する情報、また避難情報に関するサイトが出来る。
サイト自体は既に分散型となっているのでサイトが落ちない事から、巨大不明生物が現れてもサイトが落ちないなんて凄いなーと言われる。
飽きた。
ポケモンGOが出てからは、自分も少しやったり、普段ゲームしない嫁もやってたので、すごいゲームだなぁと思っていた。
ポケモントラブルのニュースは、他人事のように「すごいなー」と思ってみていたのだけど、一時的とは言え、まさか自分の生活に影響あるとは思ってもなかった。
ので、近隣住民として感じたことを書く。
ネットでバズってはいたけど、個人的には、あまりこれは感じなかった。
確かにゴミが目立ったし、普段から公園つかってる人からしたら単純に邪魔にはなっていた。
ランニングコースにも人がたくさんいたし、散歩もする気にならない状態だった。
けど、これは単に「人が集まりすぎた」というだけな気がしている。
世田谷公園のゴミ箱は、少しあふれたりしてることは元々あったし。
(もちろん、ところかまわずポイ捨てもかなりあったから、マナー悪い人も混じってはいたと思うが。。。)
世田谷公園は、週末にもなると、昼間から楽しくお酒のんでたり、日焼けしてる人たちもいる。
人によっては嫌な人もいるかもしれない。
けれど距離感を保ててるので、お互いが譲り合えていた。
ポケモンのプレイヤーもあんなに大挙してこなければ、距離感を保てたんじゃないかと思う。
公園というのは、みんなの場所なので、ポケモンGOだろうが、なんだろうが、「おまえだけの場所じゃねぇだろ」と言われればそれまでなのかもしれない。
きてる人は誰もわるくないんじゃないのかな?とおもいつつ(ごみ捨てる人とかは駄目だけど)
一方でポケモンGOの提供会社はそれでいいのか?という疑問はわいてきた。
普通、企業が撮影だとか、イベントだとかを公園なんかでやろうとすると許可はとらなきゃいけないんじゃないの?と
人が集まってメリットがある場所は喜ばれるとおもう。商業施設と観光地とか。
今日の選挙とかも、投票場にポケモン出せばいいのにとかおもったし。
けど、今回の公園の件は、ポケモンに興味のない住民からしたらデメリットしかなかった。
公園つかわないで、企業がスペース買い取って、そこに配置してよとすら思っていた。
サッカーの日本代表戦とか、ハロウィンのときのお祭り騒ぎのときも、やだなーって思う近隣住民の人はいると思う。
自分も今回、(たぶん)そんな気持ちになった。しかも一日で終わらず毎日続くっていうのが気が重かった。
はやくブーム終わってくれないかなとも思った。(今日は少し落ち着いたようだ)
ポケモンGOは、これだけ話題になるってことは、イノベーションを起こしているのだろうとも一方で思う。
それで、まだ(暗黙にしろ)ルールとかが追いついてないんだろうなと。
開発会社も想定してなかっただろうし。ルールでガチガチに縛られて、しずんでいくサービスはたくさんあって、そうはならないで欲しい。
レアで強い?ポケモンがちゃんと分散したり、いろんな場所に出たりするとか、解決策はいろいろないのかな?
(やりこんでないので、よくわからない。ファンの間からいろいろアイディアが出てくるといいな)
「ランニングしてる人もいて、犬の散歩してる人もいる、ポケモンGOしてる人もいる。今日も平和やなぁ」っていう公園になるといいなと思う。
大差とはいえ宇都宮が連続で2位で今回自民が分裂してるんだから宇都宮押すべきだったと思うが
参議院だと野党共闘で却って票が割れた所もあったし(例えば兵庫は共産と民進の得票足せばトップだったけど分散して両方落ちた)統一候補ということで身を引いたんだろうけど
今話題の全能全知!
全チャンネル1週間全部録りの
欲張りテレビサーバーってあるじゃない。
ほんとすごいわよね。
時代はパーシャル!
録ってあるとついつい観ちゃうわよね。
ところ変わって、
私って本当はラジオが好きなんだけど、
どうしても、
聞きたいラジオ番組があって、
それこそ今はスマートフォンでラジオアプリがあるから聞くのは超便利なんだけど、
録音できないじゃない!!!
どうしても聞きたいラジオ番組だったので、
なんてダサいのかしら。
で、放送が終わったら
ロマンチックね!
そうこうして、
こんな一昔前の
さて、
ってこれ、
曲の冒頭!!!
さまぁ~ずの三村さんの単語だけしか言わない雑なツッコミ好きだわ。
よっぽどうまく作らないと出来ないんだけど、
素敵!
当分ハマりそうよ!
久しぶりにグレープフルーツを輪切りにして
水に浮かべてみました。
ミントも添えたら、
すっかり爽やか夏気分よ。
仕込み時間なしなら
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
http://b.hatena.ne.jp/entry/kabumatome.doorblog.jp/archives/65866751.html
GPIFが5兆円の損失を出したことに関して、投資の基本も知らず損失を出したことを批判している人が多すぎて不安になる。
長期の資産運用で重要なのはトータルで大きな利益を確保することであって、必ずしも毎年継続して利益を出すことではない。
一般に、リスク(不確実性)と期待リターンは相関があり、より高いリターン(利益)を得るためにはリスクを積極的に取る必要があると言われている。
しかしながら、むやみにリスクを取ると破たんしかねないので、重要になってくるのがアセットアロケーション(資産配分)である。
必要な期待リターンを確保しながらリスクを抑えるためには、投資先を分散させることが有効である。
当然、株式の割合を大きくすれば高いリターンが期待でき、債券やキャッシュの割合を増やせば期待リターンは低くなる。
具体的には国内株式の期待リターンが年間4~5%程度、国内債券なら1%といったところだろうか。
今回はリスクを取っていたために、円高や株安の影響で収益がマイナスになっただけで、長期的にはこれまで以上の利益が出る可能性のほうが高い。
「将来的に株安になりそうだから安全資産の割合を増やして~」とかは、やる人はやるんだろうけど、予想が外れた際の機会損失が痛いのでやるべきではない。
どう考えても非効率極まりない意見でも感情論で支持されることが多い
そしてそれを否定しようにも多数決で負けるために押しとおってしまう恐怖
責任の所在も数が多いだけに分散されて反省も後悔もなく同じことを繰り返す
まだ否決される上に発言者が記憶しているノイジーマイノリティの方が健全だと思うわ
東京だけひょっこりひょうたん島にして北朝鮮に送ってくれ
はぁ?
その便利な交通機関が充実してるのも
新しいスポットができたのも、全部東京に人が多いおかげなんですけど?
お魚は食べるけど骨は全部取ってくださいみたいな幼稚なわがままですね。
自分は明治の初めくらいから東京と地方を往復している家で、育ちは東京だから
本当昨今の人口の増え方町のキャパ超えてるし、すごく気持ちはわかるんだけど、
じゃあなんで東京に皆こぞって集まってくるか考えてみた。
東京に動きづらい人間でも余暇が楽しめるものが集中しすぎているからなんじゃないか。コンサートしかり、舞台しかり、美術展しかり。
例えばアメリカなら、国土があれだけ広くても、NYとLAで同じ催し物を、先にLAがやったりNYがやったりするし、
他の州にそれぞれよい施設があったりするし、
他の国でも首都にこそいろいろ集まっていたりするけど、首都以上に楽しめるような環境が出来てたりするし。
(イタリアならローマ以外にミラノとか。中国なら北京じゃなくて、上海や深圳とか。)
あと、日本の場合一度移動してしまうと戻りにくい動線の弱さとかも問題だと思う。
今度文化庁が京都にうつるから、これから10年位で一気にそういう楽しみが関西なり東北なり九州なりに分散して、
余暇施設が東京に過密に集まってるアホみたいな状態が変わると少しそういう意味で住まう場所の選択肢も変わってくると、いいなあ。
ホッテントリメーカーで作るような煽りタイトルって、みなさんもう見飽きてると思うんですよね。
今調べたらホッテントリメーカー2008年だそうで。どうりでねー。古臭いなーと思いましたよー。
「一から学ぶJava」ってのをね、1.0にするだけでこんなに素敵なタイトルになるんだから面白いですねー。
タイトルを思いついただけだったんですけど、思いついたらやっぱりちゃんと中身も書かないと行けないじゃないですか。やだー
面倒くさいんですけどね。ちょっと1.0から学んでみましょうか。
Javaの1.0がリリースされたのは1996年1月23日ですね。発表されたのが1995年5月23日でJavaの誕生日といった場合にどちらを取るかで揉めることがあります。
かれこれ20年前なわけで、当時のパソコンというとハードウェアはCPU が Pentium 133MHz メモリ16M とかそんな感じだったかなあ。今どきの携帯電話の例としてiPhone 6sを挙げるとCPUが1.85GHz メモリ 2G ってんだから凄いですね。OSは1995年11月23日にリリースされたWindows95とかそんな時代背景です。インターネットがようやく一般に普及し始めたところでしょうか。
今から思うと相当弱いハードウェアですけども、そろそろVM方式を採用しても良さそうな、そんな時代でした。インタープリタだと流石に遅い、でもC言語のようなコンパイル言語だと"Write once, run anywhere"とはいかない、という判断もあったのだろうと思います。Javaが純粋なオブジェクト指向言語ではなくintなどのプリミティブ型を持つというのは、当時のマシンスペックを考えた場合、ある程度妥当な判断だったと言えるでしょう。これが後々苦しくなってくるわけなのですが。
Javaを作った会社はSun Microsystems(サン・マイクロシステムズ)というアメリカの会社で、2010年1月27日にオラクルにより吸収合併され今はありません。SolarisというOSとSPARCプロセッサでUNIXサーバーの販売で90年代後半までは一人勝ちのような状況だったと聞きます。当時にすでに「ネットワークこそがコンピュータ」(The Network is the Computer)というモットーを掲げてたんだからおかしい。1996年リリースのJavaが標準でネットワーク機能を備えていたのもこのあたりの思想から来ているのかもしれませんね。
当時のプログラミング言語としてC++が挙げられますが、C++でのプログラマへの負担といいますか、ヒューマンエラーの起きやすさといいますか、その辺を改善する目的で開発されたのがJavaだったわけです。
1996年の時点にこんな言語が登場したのですから革新的でした。
いろんな企業がJavaに賛同します。その中にはMicrosoftもありました。この時期、Microsoftは次期のWindows開発用のプラットフォームにJavaを据えようと考えていました。その後、袂を分かつことになるのですが……。
プログラム言語として構文などを見ると、C++を強く意識した構文なのは間違いなく、しかしポインタ演算を廃してポインタを機能を限定した「参照」に置き換えるなど簡素化が多く見られます。C++からはいろんな機能が削られています。関数ポインタ、構造体、演算子オーバーロード、テンプレート((テンプレートについては実装が間に合わなかったという話を聞きます))などなど。そのためC++の劣化であるように揶揄する人もいますが、こうしたものを捨てて言語仕様を比較的小さくシンプルに抑えた点は評価に値すると思います。しかし、今でもこうした削減された機能を愛する人からはJavaを腐す要素として挙げられてしまうのでした。
Wikipediaからピックアップすると1.1での大きな機能追加は
といったところです。当初よりJavaの内部文字コードはUnicodeで文字を表すchar型は16bitで設計されていました。Unicodeは当時それほど普及しておらず、Unicode対応のテキストエディタさえ少なかったと記憶しています。時代を先取りしていると言えますが、大きな誤算はUnicodeが当初16bitのコードポイントに世界のあらゆる文字を格納しようとしていたことで、漢字圏の我々からすると16bit=65,536程度の空間に文字が全部入るわけないだろ!というものだったが故に早々に破綻し、Unicodeは21bitのコードポイントに拡張されることになるのです。これはまた後の話。
なんにせよ、日本語が対応されたのは1.1からで、日本でのJavaの採用が始まったのはこの頃からと言えましょう。
当時のJavaのGUIはAWTというものでしたが、これを用いたGUIの開発は当時は結構行われていたイメージですね。Visual BASIC でGUIを作るプロダクトも結構あったと思います。GUIのためのオブジェクト指向言語としてJavaが使われていたイメージがありますね。JavaBeansもそのための仕様でした。件のsetter/getterの話題に繋がっていくのですが。
JDBCはJavaとデータベースをつなぐインターフェースです。RMIではあるJava VMから別のJava VMにオブジェクトを送って実行する、といったことができます。こうした機能が用意されたことで、ソフトウェアのフロントとしてのGUI、裏方の実装のためのネットワーク機能、データベース機能、さらにはソフトウェアを配布するためのJava Appletという布陣でJavaでのソフトウェア開発が加速していた時代といえます。
Microsoft Visual J++ もこの時代ですよ。
Java 1.1以降のバージョンのものは互換性確認のためにOracle Java Archiveからダウンロードすることができ、今でも入手することができます。もちろん、Java7ですら2015年4月にEOL(End of Life,サポート終了)となっているので、通常利用するのはJava8としてください(本稿執筆時点)。
当時のドキュメントを見るのも一興です。現在と比べると標準APIがかなり小さい。なお、当時のjavadocは今とはデザインが大きく異なります。
この時代であれば、全パッケージを舐めて標準APIを学ぶこともそう難しくはありませんでした。この時代から触っている人間は新バージョンが出るたびに増えるAPIを順に学んでいけたのです。しかし、現代にJavaを学ぶ場合、どのバージョンでは何があって……というのをいちいち学ぶ必要はほぼありません。Java5以前は一緒くたでいいと思いますし、一部のAPIで歴史的経緯があってねーというのを知っていればおそらく十分ではないでしょうか。
strictfpキーワードは浮動小数点演算をやる人は覚えておきましょう。JavaはパフォーマンスのためにCPUの浮動小数点演算を扱うことが許されており、そのため実行するCPUによって精度が異なることがあるんですね。まあ今時のCPUだと大丈夫だとは思うんですが。
リフレクション機能ではJavaのクラスを抽象的に扱うことができます。設定ファイルに書かれたクラス名のclassをロードして実行する……みたいなことができるんですね。フレームワーク的なものを作る場合には多用することになります。
1.2からは新しいGUIのSwingが採用されました。AWTがOSごとのGUIパーツを用いていたためデザインに違いがあったのに対し、Swingでは統一的なルック・アンド・フィールが用いられるようになりました。まぁ今ならJavaFXを使うのが良いと思います。
初期のJavaはやはりVM方式の実行速度の遅さが指摘されていました。実行時の構文解析を伴わないだけインタープリタよりは早いものの、実行バイナリを作るC/C++よりは遅い、そうした評価です。ここではサン・マイクロシステムズのVMにJIT(ジャストインタイムコンパイラ)が乗ったことが挙げられていますが、JIT自体は別の会社が先駆けて開発していたことは記しておきたいと思います。
JITコンパイラは実行時にJavaのバイトコードを環境のネイティブコードにコンパイルして動かす技術です。この後、JITコンパイラ、動的再コンパイル技術、世代別ガベージコレクションを備えたHotspotといった様にJavaVMは進化していきます。現代では実行時の最適化が進み、大きなスケールで見た場合、Javaの実行速度はC/C++での実装と比べてそれほど遅れるものではありません。遅くても倍の時間は掛からない程度といったところでしょうか。
あとは特記すべきはコレクションフレームワークです。皆が多用しているであろうjava.util.Listやjava.util.Mapといったライブラリが整備されたのがこの時なのです。それ以前はjava.util.Vectorやjava.util.Hachtableというクラスが可変長配列の機能を一手に担っていました。今ではVectorやHashtableは使うべきではありません。
Java の開発はSun Microsystems が主導していたけども、すべてがSunのものだったというわけでもなく。Javaには多くの会社が出資していてその中のひとつがMicrosoftだったわけですね。
Microsoft の Visual J++ では delegate とか独自機能拡張もありましたけど、裁判で問題になったのは J++ でコンパイルしたclassファイルはMicrosoftのVMでしか動かないという部分ですね(他社製のVMで動くclassファイルを作ることもできる)。classファイルがどこのVMでも動くの大事だろ、"Write once, run anywhere"だろ、お前何してくれてんの!と喧嘩になったわけです。当時のMicrosoftはブラウザまわりでも独自拡張がやりたい放題、標準規格?なにそれ美味しいの?みたいなスタンスをあちこちで見せていたものです。
結局、この事件でMicrosoftのJavaはバージョン1.1相当でストップ。好き勝手にやれないなら独自に言語作るわーとばかりに.NET フレームワークと C# といった方向に舵を取ります。
JavaがPC上でのUI開発の主力になろうとした勢いはここで潰えます。
Java SE とは別にこの時代に Java EEがリリースされていることは特記しておきたいですね。これ以後、それまでのCGIに取って代わって、JavaはWebサービスの開発のプラットフォームとして多用されるようになります。
2000年あたりからはJavaはGUI開発というよりは、Webサービスの開発が主流という流れになっていきます。インターネットのサービスが非常に発達していった時代、背後ではとてつもない量のJavaのプログラムが支えていたわけです。ただまあ、こうした産業利用は一般的なユーザーの目にはあまり入らないわけです。一般人からすればJavaといえばJava Appletみたいなイメージはずっと残っていたでしょうが、実体としてはJavaといえばServletという時代になっていたわけです。
企業で用いられる社内システムにもServletは多く採用されました。
理由はいろいろ挙げれると思うのですが
というのが大きな理由だろうと思います。JSPというテンプレートエンジンを用いてHTMLを整形してWebページを作り出す、というアーキテクチャはある意味では便利で簡単でした。
もっともHTMLの表現力に足を引きずられるため、GUIの機能性という点では後退したわけなのですが。それでもメリットが大きいと判断されたのでしょう。というか、まともにGUIを組めるプログラマがほとんどいないから、GUIのシステム開発がなかなか成功しないってのもあったんでしょうけどね。
2000年あたりというと携帯電話の普及も取り上げなければなりません。現代のスマホ、ガラケーに比べれば非常に機能は貧弱で、まさに携帯「電話」でした。要するに電話とメールぐらいしかできなかったんですね。
そこにdocomoのiアプリ、Jフォン(ボーダフォンを経て現ソフトバンク)のJavaアプリ、auのEZアプリという携帯電話上でちょっとしたアプリが動くよ!というのが乗るようになってきたんです。これがJavaを組込み用途にコンパクトにしたJava MEというものが土台となっていて(正確にはiアプリはちょっと違う)Servletと並ぶJava言語の大きなもうひとつの領域となっていました。
iアプリは当初は容量が10k byteまでといった制約があり、容量制限が非常に厳しかったのですが、新機種が出るたびに容量は緩和されていきました。
docomoはiアプリ含めiモードによって一世を風靡します。こうした土台を作ると、その上で商売をしたい人がたくさんやってきて、勝手にコンテンツを作ってくれる。docomoはそれらから手数料を取るので労せずして大金を稼げるというわけです。賭場の胴元というわけです。
この賭場が、将来にAppleのiPhone, GoogleのAndroidに荒らされることになります。docomoがなかなかiPhoneを出さなかったのもiモードという自前の賭場を失うことを良しとしなかったためです。金づるを失ったdocomoはSamsungと組んで独自の携帯向けOSであるTizenの開発に乗り出します。そんなTizenですが鳴かず飛ばず。噂ではインドあたりではリリースされたとか、なんとか。
話を2001年に戻しましょう。
Microsoft離反でGUIのプラットフォームとしてのJavaというものは存在感を弱めていました。この分野の復権に寄与したのはJava 1.4 (2002年2月6日)で導入されたJava Web Startです。
Java Appletがブラウザ埋め込みで動作したのに対し、Java Web Startではブラウザから起動しつつも独立したアプリとして起動するのです。
Webシステムが企業の社内システムに採用された話は先に述べたとおりですが、やはりWebシステムのGUIというのはHTMLに引きずられて貧弱だったんですね。
端的に言えば入力値が数字かどうか?みたいなチェックがなかなか難しい。HTML上でJavaScriptでやるわけなんですが、なかなか気持よく入力できるような感じにはならなかったんですね。
また、Ajaxによるブラウザのページ遷移を伴わない通信というのが出てきたのも2005年ぐらいなので、入力値に対してサーバ問い合わせするようなことはできなかった。当時だと一旦画面遷移させないとできなかったわけです。
こうした事情から、クライアントサイド、要するにPC側でもっとリッチなUIが使いたい!という要望があったわけです。Webシステム使いにくい!という不満の噴出と言ってもいい。そこで出てきたのがRIA (Rich Internet Applications)というわけです。
Javaは1.0時代のAppletからそうですが、ネットワークを介して別のPCにプログラムを送り込み、そこで動作させるという能力を持っていました。それこそまさにRIAに求められる機能性だったわけですね。
RIAの代表とされるのは
あたりです。三つ巴の戦い、どこに軍配が上がるのか!?と注目されましたが、勝利したのはHTML / JavaScriptでした。
Google MAP で注目を浴びたAjax技術、それまでブラウザでは不可能と思われていた高級なGUIをHTML / JavaScriptで実現させました。もうやめて欲しいですよね。せっかく脱ブラウザの流れが来たと思ったのにまたWebシステムに逆戻りですよ。
RIAが失速した理由として考慮して置かなければいけないのはスマートフォンの台頭です。RIAでは端末を選ばずどこでも同じアプリが動かせる点がポイントのひとつでしたが、スマートフォンではそうは行かない。"Write once, run anywhere"を破壊したのはスマートフォンだったというわけです。
しかし、先日インストールなしでアプリを実行するAndroid Instant Appsが発表されたりしまして、結局RIAの思想といいますか、要求というのは今でも息づいているのだなと思った次第です。
1.3 / 1.4 では機能追加はあっても言語構文が大きく変わることはありませんでした。大きく変わったのはJava 5です。この時からバージョニングが変わって1.5ではなく5と表記されるようになりました。
Java5の特徴はなんといってもジェネリクス。それまでjava.util.Listにデータを出し入れするのにはキャストが必須だったわけですが、ようやくキャストから開放され型の安全度がぐっと高まりました。その他に以下のような変更があります。
言語としては随分変わっったわけですが、もうかれこれ10年以上前のことですからこれらの機能が「Java5から導入された」という知識は今となってはあまり必要とされません。これらの機能が使えないJava 1.4で開発をする事案が殆ど無いからです。0ではないのが悲しいところではありますが。
Java 6 (2006年12月11日)がリリースされた後、Java 7 (2011年7月28日) が出るまでJavaは停滞してしまいます。その間にSun Microsystemsという会社がなくなってしまったためです。
Sun Microsystems の経営状況が悪化しており、ついに身売りをすることになりました。身売り先はIBMともGoogleとも噂されましたが結局2010年1月27日にオラクルに吸収合併されました。
Javaの停滞中にはJava VM上で動く非Java言語も台頭してきました。Scalaなどですね。
やや戻って2007年にAndroidが発表されます。Androidの開発言語にはJavaが採用されていますが、実行環境はJava VMではなく、ライセンス的な事情でJava(TM)は名乗らない微妙な位置関係にあります。
Java 5 以降で大きく言語仕様に手が入るのは Java 8 (2014年3月18日)です。並列処理を行うためのStream APIと、そのために簡易に関数を定義するためのラムダ式が導入された点が大きいですね。日付APIも刷新されました。
このように、Javaは1.1の黄金時代から今に至るまで利用ジャンルを転戦しながら産業の土台となって支えてきた歴史があります。ジャンルの趨勢により浮き沈みもあります。今後についても決して楽観視はできないでしょう。Javaを学ぶことはプログラミングを学ぶステップとしては意義はあると思いますが、Javaを学べばゴールというわけではありません。プログラム言語も次世代へと移りつつあります。業界動向には注視していきましょう。
地元が戦場となっただけに背走する軍隊からは大量の脱落者が生じる。
だが、その一方で増田家は致命的な一撃を敵にむけて放っていた。
増田中弐にひきいられた船団は、彼の旧領をめざして一路、西進。
途中で嵐に遭い、三万人のうち一万人しか残らなかったが、
指揮官の不屈の闘志に牽引され、満月の大潮を活かし軍勢を増屋近くに上陸させた。
このことを増田家(士)東征軍はまったく察知していなかった。
老兵ばかりの居残り部隊が送った急使は旧増田家(九)の陸橋部分で片っ端から始末された。
これは、忍びたちの働きによるものだ。また、占領されて日の浅い現地住民も増田家(士)に非協力的であった。
そして、西方での驚くべき活動が、当主たちの耳に入る頃には、みやこ周辺の情勢も、のっぴきならないものに化けていた。
増田軍の手癖の悪さが原因である。常に文明の先進的地域を占領し続けてきた増田軍には略奪癖がついていた。
それがみやこを前にしても発揮されてしまい人々の恨みを買った。
最悪なのは宗教施設にまで手を出してしまったことで、増田軍は強烈な反発を招いた。
前の支配者向けに用意されていた一揆が新しい支配者向けに発動され、占領軍に出血と分散を強いる。
しかも、旧増田(七)領の西方国境城塞群は整備しなおされ、一揆勢を招き入れて強力な迎撃体制を整えていた。
増田軍は進退窮まった。一度も負けていないのに、増田島の覇権をめぐる戦争を失おうとしていた。
逡巡の後、現実を認められない家臣たちを物理的に排除して、増田家の当主はみやこからの撤退を決意する。
だが、すべては遅すぎた。
今度は増田家(八)の南海岸側の船団が三万の上陸部隊を満載して陸橋部に突進、かつての経験を活かして上陸を成功させたのだ。
そこに増田家(九)の旧臣が続々とあつまり、臨時の砦を築き、破却された山城を修繕した。
本領を回復した増田中弐も援軍を送り込んできた。彼の船団から嵐ではぐれた二万から合流する者もあった。
本拠への帰還をいそぐ増田軍は一揆勢の追撃を受けながら、この足止め部隊と衝突した。
彼は八万から五万に減った敵の鋭鋒を受け止めず、陣地を活用して逸らし続けた。
勇猛で後のない敵の攻撃で陣地は次々と陥落したが、そのかわりに敵は貴重な時間を失った。
しかも、陸橋の後方では新しい陣地が建設されつづけていた。さながらアキレスと亀の状態である。
武具が傷つき、腹を減らした増田軍(士)の有様は無惨なもので、ついにやせ我慢の限界を超えた。
陣地ではインフレが発生し、ひとにぎりの食料が非常な高値で取り引きされた。
ちょっとしたことでの諍いから殺し合いが発生するのも日常と化してしまう。
そんな有様も増田同盟軍の忍者は逐一上司に「ウェーイ」「キィヤー」☆報告「……」等と報告した。
「そろそろか……」
増田大学は増田中弐から送ってもらったある部隊に連絡を取った。増田匿兵衛に授けられた計略を実行するときだ。
その夜、前線の陣地からは増田家(士)が多用する戦闘用熊、武熊の雄叫びが繰り返し響いた。
こうして、彼らの本拠地が占領され、帰る場所もないことを敵に知らしめたのだ。
実際はまだ縁辺部を侵しただけだったのだが、心理的な効果は絶大だった。
ちなみに本来武熊を使役する立場の増田軍では武熊は食料に化けてしまっていた。
絶望した増田軍からは自殺者や脱走者が続出し、当主も弟に後をたくして腹を斬った。
一週間後、増田家は完全に降伏した。最弱の将と軍が、最強の将と軍を倒したのだ。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160616041243
次回
意識高い系の代名詞としてすっかりインターネット上で定着してしまったTehu君。改めて、現在の彼のインターネット上における立ち位置を再確認してみようと思う。
Tehu君が意識高い系に落ちるまでの経緯は、以前書いた
「Tehu君に学ぶ傷だらけのセルフブランディング」を読んでくれれば大体わかると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20150901202400
あれから、10ヶ月近く経過し、現在もまだTehu君は意識高い系として扱われ、日々、ネット上で嘲笑されている。
それどころか、ネットにおける彼の立ち位置は去年よりも更に悪くなっていると言える。
2016年の初頭から「意識高い系速報」という2chまとめサイトが誕生する。
このブログでは、主に意識高い系に関するスレッドが扱われるがその中でもTehu君に関するスレッドはすぐにまとめられてしまう。このブログではTehu君以外にも、堀江貴文や女子高生社長の椎木里佳なども扱われる。とりわけ、Tehu君の愛弟子の椎木里佳もTehu君同様痛い発言&ネタの宝庫ではあるものの、Tehu君にはまだまだ敵わない。
将来的にはTehu君同様ひとつ大きなまとめが作れそうなキャラクターではあるが、そこまで詳しく知らないので、今はやめておくことにする。
また、「意識高い系速報」以外にも「もみあげチャ~シュ~」や「あじゃじゃしたー」などでも度々Tehu君が取り上げられており、そうしたブログなどでTehuくんを知る人も増えると同時にTehu君アンチも大量に増殖し続けている状況である。
数ヶ月前、はてぶでもホットエントリーとして紹介された意識高い系をテーマにした記事
朝日新聞の原田朱美氏が書いた「意識高い系をたどる」という連載記事の中で"「意識高い系」標的、Tehuさんの本音「僕は遊び道具なんですよ」"
というTehuくんを炎上被害者として特集した記事が出るとTehuアンチに更に火をつけてしまった。
「意識高い系」標的、Tehuさんの本音「僕は遊び道具なんですよ」
http://withnews.jp/article/f0160402003qq000000000000000W03j10101qq000013222A
記事の内容としては、Tehu君が炎上してきた過去にスポット当てた記事なのだが、小4なりすまし事件や数々の虚言疑惑に対するツッコミが甘い記事だったため、記事の内容を赤ペンで添削した人物(通称・赤ペン先生)が2chに現れ記事の内容をボロカスに否定。その添削画像が上記のまとめブログなどで転載されることになり、炎上は更に加速。その中で誕生したTehuアンチ(通称・Tehuer)がTwitterに流れ、Tehu君がツイートする度に罵詈雑言を浴びせるという事態が現在もなお続いている。
しかし、この記事の中身が甘かったのはある意味当然で、小4なりすまし事件を起こした青木大和と記事の執筆者である原田朱美氏は騒動前からの知り合いである。また、原田朱美氏自身も「小4なりすまし事件」の一部関与が疑われている人物のため、事件について触れた記事を書くわけがないのである。彼らにとっては消えて欲しい過去の物なのだから当然といえば当然だろう。
身内が身内を擁護したこの記事はアンチ達には開き直りと取られたのだ。原田氏としてはTehu君の炎上を鎮火させていく方向に持って行きたかったようだが、自身の記事が原因で火が大きくなるとはなんとも皮肉な話である。
補足しておくと、記事を書いた原田氏は一部右寄りの方々から「小4なりすまし事件」についての疑惑を指摘をされたが、ノーリアクションを貫き通しているようだ。
ここ数ヶ月のTehu君の行動の中でも際立っているのが、この自伝放り投げ事件である。「二十歳になったばかりの人間が自伝書くのってどうなのよ?」というツッコミはここではスルーする。
現在、インターネット上に氾濫するTehu君に関する情報はお世辞にも良い物とは言えない。はっきり言ってしまえば、ネガティブな情報ばかりである。そんな状況に我慢ができなくなったTehu君はネット上にはデマが多いという理由でオフィシャルな情報を有料のnoteに全20回(1話200円)にわけて生い立ち時から毎週連載していくと高らかに宣言する。Tehuer達は震えた。Tehuが数ある噂を自身の口から公式に否定すると宣言したのだから。
しかし、待っても待っても、第1回目の連載がスタートしない。当初、2月の中旬に1回目の連載がスタートする予定だったが、延期に延期を重ね、宣言からおよそ3週間後、Tehu君の自伝の1回目が公開された。しかし、1回目の無料の冒頭部分がまたしても、赤ペン先生にほって文章力を中心に添削されてしまい、待望の連載はこの1回でストップすることになる。
また、1回目のコメントがほとんどついていない点などから考えると、この有料noteの売上もほとんどなかった事が容易に推測できる。Tehu君が多数抱えているTwitterのフォロワーすらも買ってくれないというなんとも悲しいものであるが、宣言した20回の自伝をいきなり放り投げたのは回を重ねるごとに増していくであろうツッコミに恐怖してしまったのだろう。連載を続けていけば、過去のツイートやニュース記事のキャッシュなどから矛盾を突きつけられる可能性は極めて高い。
それなら、そもそも連載なんかしなければいいのでは?と思うだろうが、彼は先読みができないタイプなので、こうやって、失敗するパターンが多い。自分の発言が後でどういう影響を及ぼすかあまり考えていないのだ。
そんなこんなで、自身で宣言した20回の連載も宣伝の固定ツイートもいつの間にか無かったことになりnoteは放置されることになった。
東大よりもぶっとんだ人が多いという理由で、AO入試で慶応義塾大学のSFCに入学したTehu君。
わかっていたことではあるが、僕がもともと志望していたT大に比べれば平均は圧倒的に低い。
それでも僕がこの学校を選んだ理由は、数%のぶっとんだ人間が、T大とは比べ物にならないからだ。
しかし、彼は現在、留年と休学を重ね、今年で3度目の1年生として慶応義塾大学に籍を置いている。別に深刻な病気や怪我をしたわけではない。
あれほど東大を貶してSFCを持ち上げていたにも関わらず、肝心の大学には顔を出していないらしい。たとえ、本人が決めることとはいえ、AOで入れてもらったのだから、流石に3度目の1年生に対していい加減、周りの大人も本気で怒るべきだと思うが、怒られている様子もない。どうも周りの大人達はTehu君にはあまり関心がないようだ。
慶応の校則についてはそこまでよく知らないが、大学に来ない状態がこれ以上続くと「放塾」という扱いになり慶応に在籍していたという事実も消えるとかで、「中退」扱いにはならないらしい。要は高卒である。これでいいのか?Tehu君。
しかし、まだ、慶應に在籍していると本人は言っているので、おそらく、次も1年生だったら、アウトなのだろう。個人的には、せっかく勉強できる環境があるのだから、お仕事ごっこなんかしてないで、普通に大学に行って、勉強すればいいと思うが、Tehu君的にはまだまだ大人たちと戯れていたいのだろう。
Tehu君が現在向けられている疑惑の一つが株式会社TTTT問題である。昨年11月「ORF2015」という慶応義塾大学が主催するこれからの未来について話し合うイベントの中でIT、デザイン、人文、芸能などの未来について話し合うトークセッションにTehu君は学生の一人として参加。他の学生らもロボットクリエイターやバイオ研究者など様々な肩書で登場する中、Tehu君も負けじと、新しい肩書をひっさけで登場する。
「株式会社TTTT 代表取締役CEO & クリエイティブディレクター」
クリエイティブディレクターは以前から各所で名乗ってはいたが、いつの間にか社長になってたらしい。もちろん、この肩書についても2chでスレッドが建てられる事になるのだが、肝心の株式会社TTTTの詳細は一切不明。
そもそもTTTTとは一体何なのか?
Tehu君が以前、ホンダ車のNシリーズのキャッチコピー「New Next Nippon Norimono」に類似したアート作品が「Tたとえば、Tときどき、Tちょっと、Tときめき」なのだが、これが一体何のために作られた作品なのかこれまた不明。謎が深まるばかりだ。
謎のアート作品:http://livedoor.blogimg.jp/ishikitakaikeis/imgs/7/9/792463d0.jpg
なんであれ、この株式会社TTTTが本当に実在するのか?これが重要である。
サイバー法人台帳ROBINSという法人情報を検索できる便利サイトで「株式会社TTTT」を「株式会社TTTT」などで検索を試みたが、2016年6月時点ではヒットせず。
去年立ち上げたばかりの会社なので、情報が反映されていない可能性はあるものの、2015年11月より以前に登記済みならば、2chの誰かが法人番号を特定していてもおかしくはないが、株式会社TTTTの法人番号を割り出した人間はまだいない。これで本当に存在しなければ、エア社長確定となってしまう。
大方の見方としては、周りの学生のガチっぷりにビビってついプロフィールを盛ってしまったという説が有力視されているが、Tehu君自身が株式会社TTTTについて一切言及していないため、本当に会社を設立したのか疑惑が深まるばかりだ。
普段、「リツイート」も「いいね」も1桁のTehu君のツイートに珍しく大反響のツイートが投稿される。
ご飯の詳しい時間と場所がいろんなゴタゴタで前日まで決まらず、キレられてフラれました。
今だに「申し訳ないけどそんなにキレる案件か?」とおもってる。
不満積もってたんだろうなぁごめんなさい
ハッシュタグ#元カレ元カノを思い出してツイートという衝撃に普段無反応のフォロワーたちも一斉に反応する。ツイートは拡散されまとめサイトにも転載される事態になった。
本人曰く3~4年ほど前の話だというが、3~4年のTehu君は灘高生で彼女が出来ないと嘆きのツイートを頻繁にしていた頃だ。それどころかTwitterで彼女を募集するなどもしていた。応募があった可能性もゼロではないが、Tehu君の性格上、それをTwitterで報告しないのは考えにくい。
また、Tehu君が「ヒネクレ星雲 第4惑星 モノモース」というバラエティ番組で特集された際、悪意の塊でもあるこの番組のスタッフは、Tehu君が貪欲に彼女を欲しがっているツイートを確認した上で女性との交際経験を尋ねる。すると、Tehu君は以下のように答えてしまうのだ。
Tehu「フッフフ・・・・。今はいないです。中途半端な関係を除いてしっかりお付き合いしたのだったら、たぶん4人位です。」
もう訳がわからないし、いろいろと辻褄も合わない。
「しっかりとしたお付き合い」「たぶん4人位」という相反するフレーズにTehuer達は困惑。
荒れるツイート。
とはいえ、「人脈」や「知り合い」という概念も結構ガバガバなTehu君なので、交際という概念が普通の人のそれとは違う可能性も十分あるので、Tehu君の言ってることを全否定するのは違うのかもしれない。もはや常人には理解できない領域に到達してしまったTehu君であった。
Tehu君の数ある肩書の中で確かなものの一つが現代ビジネスCTOという肩書である。
「ヒネクレ星雲 第4惑星 モノモース」放送前の2015年の春頃、講談社の現代ビジネスの当時の編集長であった瀬尾傑氏が、世間的にはまだ天才プログラマーとして認識されていたTehu君を現代ビジネスの最高技術責任者(CTO)として任命。
彼の主な役割としては、現代ビジネスのUI/UXの改善、新しいコンテンツの創造の手助けなどを行い、より一層素晴らしい物にしていくというもの。早い話がWebサイトの改修である。
編集長の瀬尾氏は相当期待していたようで、Tehu君のために現代ビジネス内に「Tehu Lab.」という特設カテゴリを開設。Tehu君がWebに関する様々な実験を行い、Tehu Labの中で経過報告をしていくというものだった。編集長の瀬尾氏から好きなように使ってくれていいとまで言われたが、Tehu君はTehu Labを全く利用しなかった。2015年の3月に編集長の瀬尾氏とTehu君がWebメディアの有り方について対談形式の記事が前後編に分かれて掲載されただけで、Tehu君自身が執筆した記事は2016年6月現在、1本もない。
就任当初のTehu君は直ちにサイト改修に取り掛かると宣言し、大風呂敷を広げるが、いつまで経っても、サイトに変化は表れない。またこのパターンである。自伝の時と同様に延期に延期を重ねて、宣言から1年以上が経過し、当時編集長だった瀬尾氏は講談社のGMに昇格、いつの間にかサイトの改修の話はなかった事になったかと思われたが、2016年5月、リニューアルに関する告知ページが登場。
どうやら、リニューアルは確定したらしい。
流石に、講談社も大規模サイトの運用経験とスキルに乏しいTehu君一人にリニューアルを任せるという大博打には打って出ないだろうが、それでも、今までの経緯を考えると、本当に夏までにリニューアルが完了するかどうかかなり懐疑的である。仮に夏頃に本当にリニューアルされたとしても、多数のTehuer達によってサイトの脆弱性や負荷分散などが正常に機能しているか等を徹底的に粗探しされてしまうのが容易に想像できてしまうため、本当のリニューアル担当のエンジニア達はがんばって、なんとか夏を乗り越えて欲しいと思う。
Tehu君の2015年から2016年6月までを振り返ってみたが、現在のTehu君はかなり端から見て、いろんな意味で崖っぷちといえる
Tehu君が失敗するのは大抵このパターンである。まだ、結果が出そうにないうちから、盛大に予告して、結局グダグダになる。仕事は黙々とやって、ある程度、見通しがついた段階で発表した方いいだろう。有言不実行と叩かれて信用を失うだけでいい事は何一つない。
Tehu=小4事件を連想する人は多いため、Tehu君が政治的な発言をしようものなら、徹底的に袋叩きにされる可能性がある。
よって、政治的な発言は極力さけた方が無難である。加えて、原田朱美氏や青木大和のような政治色の強い人間とは関わらないほうがいいだろう。たぶん、良いことはない。
Tehuくんに絡むツイッターアカウントには心ない中傷を投げかける者も多い。
「Debu」とか「デブ」とか「ブタハット」などだ。これはTehu君に対する批判ではなく単なる誹謗中傷であり悪口である。
しかしながら、ここ数年ぶくぶくと太ってきている印象も否めない。太ってしまったせいで、「BMIアプリ作った人が太っている」とか「意識高いくせに健康意識は低い」などの皮肉を言われてしまう状況だ。しかし、チビやハゲはどうにもならないが、デブは本人の努力次第でどうにでもなるので、がんばって、痩せれば、こういった罵詈雑言は減っていくだろう。
ついでに言えば、帽子もあまり似合っていないので、取ったほうがいいだろう。君の周りの人間は似合ってると言ってくれるだろうが、大人は平気で残酷と思えるような嘘をつくので、相手の言葉の裏を必ず読むようにしよう。
例:女「モテそうだよね!」=「おまえなんかとは絶対に付き合いたくない!」という具合だ。
褒め言葉をそのまま受け取ってはいけない。大人ってのは基本嘘つきだ。
数あるTehuerのアカウントの中で、株式会社TTTTの存在をしつこく質問し続けるアカウントがある。
この問題が解消されない限り、ずっと絡まれ続けるだろう。
では、どうやって解決するか?
答えは簡単で、あるならあるで法人番号でも出して証明すればいいし、無ければ、実際に作ってしまえばいい。
会社そのものはペーパーカンパニーのような存在にして、登記に関わる諸経費がかかるが、Tehu君なら余裕で捻出できるはずだ。
設立時期については、「手続きが少し遅れた」とかそれっぽい事を言って乗り切ればいい。これでエア社長疑惑が、名実ともに本当の社長になるわけだから、安い投資だと考えればいい。あまり好ましい方法だとは言えないが、作った会社は、いずれTehu君が本気を出して事業をする気になったら使えばいいだけだ。
SFCのカリキュラムを見たら、とても面白そうな授業が多い。Tehu君にとってプラスになる物も必ずあるはず。やはり、せっかくAOで入れてもらった慶応義塾大学に行かないのは勿体無いと言わざるをえない。Tehuerの中には退学を期待する者も数多くいるため、退学は最悪の選択肢であるだろう。退学は彼らを喜ばせるだけだ。
このままだとTehu君は「意識高い系」または「ワナビー」で終わってしまう。そうならないためにも、お仕事ごっこは極力控えて、本業であるはずの学業に専念して欲しいし、周りの大人も少しでいいから協力してあげて欲しい。
とにかく学校行ってがんばれTehu君!。
これを藁人形論法と呼ぶ。
だが、ナメクジも数万を集めれば、ギザギザの舌歯によって藁人形を食い尽くしてしまう。
負け続き、不祥事続きの増田家が希望をたくしたのは、この圧倒的な数のパワーであった。なにせ人口だけは有り余っている。
社会全体が不安定な時代だけに職をもとめて都にあがってくる人間も多かった。
そんな連中にも声をかけて増田家があつめた兵力は八万!国力の限界に迫る根こそぎ動員に、他の方面をまったく無視した兵力集中で増田軍は鉄壁で知られる増田家(七)に攻め込んだ。
西の国境を接する増田家(九)は、みやこに関心がなく、北東の増田家は複雑に絡み合った東国の戦いに手を取られている。
その好機をついた侵攻だった。
攻められた増田家には自慢の国境城塞群があったが、その配置は西以外にも北や東に及んでおり、守備兵は広く分散している。
しかも近年何度も撃退されている増田家を甘くみて西側は大規模な攻勢への警戒が甘くなっていた。
だが、人の海となった増田軍は落とせない城は迂回し、落とせる小さな城だけを攻めつぶした。
増田家領内が増田家でも随一の豊かさを誇るのをいいことに、現地調達で兵糧を補いながらどんどん奥地に進んでいく。
余力のある国境城塞は出撃して、敵の小部隊をいくつも撃破したが、続々と送り込まれる敵増援部隊のなかにいつしか埋没していった。周囲を敵に満たされた恐怖に脱走する兵もあいつぐ。
さすがに今度は増田軍が勝ちそうだとみた野武士勢力までもが掠奪の果実をもとめて勝手に加わり、増田軍はその司令官にも把握できない状態に膨れ上がった
増田家(七)は多くの兵を国境に張り付けていたことが完全に徒となった。
想像以上の規模で攻撃を受けてしまったため、国境要塞地帯を超えて浸透してきた敵を各個撃破できるのは、本拠地の親衛部隊しかない。
当主は豊かな領地を守るためには一刻を争うと判断した。そこで機動防御部隊を送り出すと同時に、比較的安定している東方の国境地帯から守備兵を本拠地に呼び寄せる。
だが、この判断は大失敗だった。本拠地が手薄になった絶妙なタイミングで海から増田水軍が現れたのだ。
それはほとんど偶然だったけど、防衛側の士気を阻喪させるのに十分だった。まるですべての手が敵に読まれてしまっているように感じたのだ。
築城にこだわりのある増田家の本拠地は豪華絢爛大規模すぎて少数の兵で守るにはまったく向いていなかった。
なお、増田水軍には滅亡した増田家(十)の船団が加わっている。根拠地をうしなった元当主はうまく潜り込んで家を乗っ取ってやろうと、増田家に入り込んだ。
ところが計画には誤算があった。
当主の肛門並にゆるみきった増田家中には同じ野心を抱く人間が多すぎて、
誰もがどうにも身動きがとれない状態になっていたのだ。
(これでは脱糞するのも無理はない)と元当主は妙に納得したのだった。
しかたがないので家中での地位を地道にあげるべく、戦働きをしている。
桟橋にせまる増田軍(士)から逃げる地獄をくぐり抜けた増田船団は上陸作戦の手際もよく、
増田島最高の格式をほこる六層七階のメタブ天主に、いの一番に取り付いた。
そして自慢の手銃を撃ちまくる。メタブ天主の漆喰がつぎつぎと砕けて飛び散った。
いつもはそろばん勘定にいそしんでいる死の商人も流石に観念した。
「是非もなし……火を放て。雑魚ナメクジを侮りすぎたわ。やんぬるかな」
人生雑魚ナメクジ 下痢のうんちに比ぶれば 雪マシュマロのごときなり
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160603183156
次回
増田家(二)は、領内に古くから根付く某氏族に小九年間ほど粘着していた(これを右九年の役と呼ぶ)。
その結果、力の分散を招き、見せ場もなく滅亡の瀬戸際に立たされた。
北の国からやってきた増田家(一)によって本拠を包囲されていたのだ。
籠城軍は粘り強く戦ったが、食糧は底をつき、城内ははてなーの人生並みに悲惨な状況に陥っていた。
そこで増田家(一)はあるはてなーを使者に送った。傘を棒の先に掲げた足軽を背後に、そのはてなーは言った。
「食糧にたいへんお困りのようだね」
「よけいなお世話だ。帰れ!」
「いい方法があるよ。人間永久機関になるんだ。まずは、胃腸を守るために~~」
「」
「~~~……~~~――」
はてなーはひどく残念そうな顔をした。
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160531120901
次回