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はてなキーワード: 水軍とは

2023-03-06

anond:20230306000505

四国も中堅クラス回転寿司はありますよ!

・すしえもん(愛媛★、東京兵庫福岡

天天丸(香川★、愛媛高知

愛媛県民の自分が思いつくのはこれくらい。今治のすし水軍も書こうかと思ったけどあそこは数年前から寿司が回ってないからやめました。

2022-05-31

海保の一斉捜索壮観だな

水軍のようだ

2022-05-10

私に刺さったマンガ超厳選5作

元ネタの通り30作品選ぼうとしたけど、みんなが読んで納得する面白いマンガを30作選ぶより、私が本当に納得する作品を出した方がいいなと思った。基準は、私に刺さっていて抜けないこと。

面白いと思うマンガは数多いけれど、刺さるものは少ないし、その上刺さったまま抜けないものもっと少ない。そういうマンガを5作品、厳選してみた。

エスリダスオード:堤抄子

人間と魔族、勇者魔王の戦いという題材に真正から取り組んでいる作品勇者魔王の間の因縁の作り方がすごくいいしヒロイン立場も非常に面白いのだけれど、未完。

沈夫人の料理人深巳琳子

性格は悪いが根はさっぱりしている奥様が、要領は悪いが凄腕の料理人の李三においしい料理を作らせるために無理難題押し付ける様がとにかく面白い一作。多分ものすごく人を選ぶ。

・海鶴:森秀樹

戦国時代にひとり世界を夢見ていた三島水軍の姫、鶴を主人公にした歴史ifもの。鶴の最後決断がいい。

レベルE冨樫義博

絵も話も最高レベルマンガ。これ描いたんだからもう仕事しなくていいよ冨樫。それほどの名作だよ。

半神萩尾望都

これ以上のマンガってもう世の中に出てこないのでは?と思うくらい鮮烈な一作。全人類が読むべき。

2021-06-08

anond:20210607234817

満寵

出典: フリー百科事典ウィキペディアWikipedia)』

満 寵(まん ちょう、? - 242年3月)は、中国後漢末期から三国時代の魏の武将政治家。字は伯寧。兗州山陽郡昌邑県の人。子は満偉・満炳・満氏 (司馬榦の妻)。孫は満長武・満奮。『三国志魏志「満田牽郭伝」に伝がある。

目次

1 生涯

1.1 酷吏として出世

1.2 軍人として活躍

1.3 呉との攻防

2 三国志演義

3 脚注

生涯

酷吏として出世

身長は8尺(約190cm)あったと伝えられる。18歳の時に県の役人(督郵)になった。郡内で私兵を率いて乱暴していた李朔という人物は、二度と乱暴しなくなったという。高平県令を代行した際、督郵張苞張飛の子とは別人)の横暴を見てこれを逮捕し、その場で拷竟(=拷問致死)した上で、そのまま自ら官職を捨てて帰郷したという逸話を持つ。

その後、曹操に仕えた。曹洪配下の将が曹氏の権勢を笠に着て略奪を行った時、満寵は速やかにこれを逮捕した。そして曹洪から曹操への働きかけがあった事を知ると、直ちに処刑した。この行為曹操に大いに賞賛された。

楊彪逮捕された際、荀彧孔融に手心を加えるよう頼まれたが、満寵は規則通り(注によると、笞打ち)に訊問した上で、曹操に「処罰するなら罪を明確にすべきである」と直言した。このため曹操楊彪赦免した。

これらの事からわかるように、満寵は于禁と同様に誰に対しても公明正大で法に厳しかったが、傲慢ではなかったので人からまれることはなかった。

軍人として活躍

官渡の戦いの時期には、袁紹郷里である汝南太守を務め、袁氏与党の軍を滅ぼし、農耕に従事させた。

曹操荊州征伐に従い、曹操が帰還すると奮威将軍兼務し当陽県に駐屯した。

孫権国境に攻め入ると、曹操は満寵を召し還して再び汝南太守とし、関内侯の爵位を与えた。

後に、曹仁参謀として樊城に駐屯した。219年、劉備軍の関羽が攻めて来た時は、救援に来た于禁ら七軍が洪水により壊滅し、樊城も水没して崩壊しつつあった。ある人が曹仁降伏を進言したが、満寵は「山の水は引くのが速く、この状況は長くは続かない」と反対した。曹仁は満寵の意見を良しとした。徐晃の援軍を得て関羽撃退されると、満寵は安昌亭侯に進封された。

呉との攻防

曹丕(文帝)の時代には揚武将軍となり、三方から呉を攻撃したときも、それに従軍した。呉との江陵での戦いで功績を挙げて伏波将軍に任命され、新野に駐屯し仮節鉞となった。半年曹真・夏侯尚・徐晃張郃・文聘らとともに朱然交戦したが、戦死者も数多となり、江陵を攻められなかったので撤退した。また、曹丕の南征に従って、敵の夜襲を見破り散々に打ち破ると、南郷侯に進封されたが、最終的に魏軍は呉に敗れた。224年には前将軍に昇進した。

曹叡(明帝)が即位すると昌邑侯に進封された。

228年、曹休司馬懿・賈逵が揚州荊州豫州雍州涼州の五軍の指揮を執り、石亭・江陵・濡須東関三方から侵攻した。満寵は賈逵の軍に胡質達と共に監軍として従軍し、武昌を目指し進撃していたが、揚州方面の軍の指揮を執っていた曹休孫権の計略にかかり大敗したため、犠牲者も数万人以上となり、敗れている(石亭の戦い・「賈逵伝」[1])。また、司馬懿張郃らも江陵を攻め落れずに退却した。

同年、曹叡は濡須東関に賈逵・満寵らを命じて再び攻めてきたが、陥落させることができずに負けた[2]。

曹叡は呉・蜀漢に対して完全に専守防衛に行い、賈逵の死後に豫州刺史兼任し、曹休の死後に都督揚州軍事となった。揚州への転勤の際、汝南の民や兵士の多くが満寵を慕って勝手についていったため問題になり、詔勅により親衛兵千人を率いていく事が許され、その他一斉が不問とされた。

230年には征東将軍となった。冬に再び孫権合肥に攻め寄せる気配があったため、兗州豫州の軍を召集する事を上奏し侵攻に備えた。孫権撤退する気配を見せたので、こちらも撤退するよう詔勅が下ったが、満寵は孫権撤退偽装と読み、引き続き備えを怠らなかった。孫権10日ほどしてから再び来襲したが、合肥を攻められなかったので無事に撤退した。

231年、呉の孫布という武将投降を申し入れてきた。王淩がこれを出迎えたいと申し出たが、満寵は投降偽装と読んだため、王淩に自重を求めた。偶然入朝する用事ができたため、留府長史には王淩が兵士要求しても与えてはならないと厳命しておいたが、王淩は自らの督将軍に僅かな手勢だけを与えて孫布を出迎えに行かせた。王淩は呉に敗れ、孫布の夜襲により兵の多く失うことになった。

満寵と王淩はこれ以前から対立しており、満寵が召喚されたのも、王淩の息のかかった者が満寵を老いと疲れにより耄碌していると讒言たからであった。満寵と目通りした曹叡は、満寵が壮健なことを確認できたため[3]、任地に返そうとした。しかし満寵はこのまま朝廷に留まることを願った。曹叡は満寵を馬援・廉頗に準え鼓舞した。

232年、呉の陸遜が廬江に侵攻してきた。部下達がすぐに救援に赴くよう勧めたが、満寵は落ち着いて対処すれば良いとした。軍を整え、陽宜口まで赴いたところで呉軍は既に撤退した。

233年、孫権は毎年のように合肥侵攻を企てていた。合肥城は寿春の遠く南にあり、江湖に近接した位置にあったため、過去の攻防戦においては呉の水軍の機動力の有利さが発揮されやすい展開が多くあった。満寵は上表し、合肥城の立地の欠点を指摘した上で、北西に30里の地に新たに城を築くことを進言した。蔣済がこれを弱気作戦であり、味方の士気を削ぐことになると反対したが、満寵は重ねて上奏し、兵法道理を引きながら築城長所を重ねて主張した。尚書の趙咨は満寵の意見を支持し、曹叡の聴許を得た。こうして合肥新城が築かれた。建設に莫大な費用がかかることもあって、合肥城ともども廃れていった。

同年、孫権合肥に攻め寄せたが、合肥新城が岸から遠い場所にあったため、敢えて上陸しようとしなかった。しかし満寵は、孫権武威を振るっているので、必ず陸に上がることに違いないと判断した。伏兵として歩騎兵を6千用意したところ、果たして孫権上陸したため、伏兵により百人の首を斬った。

234年、孫権は十万の軍勢である呼称合肥新城に攻め寄せてきた(「明帝紀」)。蜀漢諸葛亮の北伐(五丈原の戦い)は孫権呼応して(「満寵伝」)、二十万の軍勢である呼称し祁山に攻め寄せてきた。合肥魏軍が苦戦に陥り、これを恐れていた満寵は合肥新城放棄し寿春へ撤退する作戦を願い出たが、曹叡に拒絶されている(「明帝紀」)。満寵は、合肥新城へ救援に赴き、数十人の義勇兵を募り、松と麻の油を用いて風上より火をかけ、呉軍の攻城兵器を焼き払った上、さら曹操孫権の甥孫泰を射殺した。張穎達とともに力を尽くして戦ったが、呉軍は依然として頑強に猛攻した。魏の中央大軍が迫ったので、孫権は大損害を受ける事を避けて、曹叡の援軍が到着する前に撤退した(合肥新城の戦い)。

235年春、孫権江北に兵を送り屯田を始めさせた。満寵は、収穫の時期に屯衛兵達が各地に点在し、陣が伸びきったのを見て、これを襲撃すべきと判断した。また各地の県長に軍を率いて東上させた。さらに各地の屯衛を撃破させ、穀物を焼き払った。詔勅により軍功が称され、鹵獲品は全て将兵恩賞とされた。

曹叡が没し曹芳(斉王)の時代になった238年3月[4]、老年のため中央召喚され太尉となった。家には余財がなかったため、詔勅により特別物資が下賜された。加増による領邑は9600戸になり、子と孫2人が亭侯とされた。

242年3月[5]死去した。景侯の諡号を贈られた。

子孫の満偉(子)・満長武(孫)・満奮(孫)もまた、身長が8尺あったと伝わる。満偉は人品に優れており衛尉まで上り、満長武は満寵の風格を有していたという。しかし、司馬昭に疎まれ殺害され、父の満偉もまた失脚し、平民に落された。満奮は満偉の弟の子であり、やはり満寵の風格があったという(『晋諸公賛』)。西晋時代尚書司隷校尉となった。

また、満寵のもう一人の子満炳は別部司馬となった[6]。

三国志演義

小説三国志演義』では、劉曄の推薦を受けて曹操の家臣となり、楊奉配下だった旧知の徐晃曹操陣営に引き入れることに成功するなど、物語の初期においては弁舌の士という描かれ方がされている。

2021-01-28

[]狡兎が去る!?

「うきは皆 落ち穂還らぬ むつきかな」

 これは幌生家の足軽大将、凹田米国衛門が直参の部下限定で開催した連歌会で詠んだ歌である

 非公開といえども彼は非常に多くの部下を抱え、その中には「草」も混じっていた(むしろ大草原は凹田家の常だった)から

その内容はあっさりと漏れ武威ノ本で話題を呼ぶことになった。

季節や農業を詠んでいる歌に見せかけて、主家への不満を漏らしたと受け取られたのである

 知らせを聞いた中にはあの楠永玉秀の悪夢脳裏をよぎった者もいたという。

 出世頭の発言に、かたちの上では非公開とはいえ、幌生家中には動揺が広がっていた。

 野次馬の中には、このような事態になった背景には、幌生家の家風があると指摘する軍配者もいた。

 いまや武威ノ本最大の威勢を誇る幌生家が勢力を急速に拡張したのは、家臣同士を競わせる方針寄与している。

 その方針の厳しさは一時期などは目標以上に石高を伸ばせなかった家臣の人相書きを辻に張り出して屈辱を与えていたほどのものだ。

 ゆえに武将たちは切磋琢磨し、兵たちも大将に恥をかかせないため必死に働いた。

それをいちおうプラスの側面とすれば、マイナスの側面として幌生家の家臣同士が出し抜くべきライバルに近い関係になってしまい、

お互いに支え合うことが難しくなる点があげられる。

 それでも古参であり同じ戦場をいくつもくぐり抜けた戦友の関係ならまだ助け合うこともできるようが、

途中参加の家臣にとっては、いくら成果をあげていても、心細く不満を溜め込みやすい家風といえる。

 もちろん、その家臣による性格の影響も大きい。

 凹田米国衛門が相談できる相手としては同時期に幌生家に仕え始めた藍水軍の船大将、藍玉鈴が挙げられるが、

相談できる相手が極少数では相談して頼みの綱を失う恐怖もあり、ガス抜き簡単ではない。

 幌生家が厳しい負担に見合った厚遇を与えているつもりでも、傭兵上がりで経験豊富武将の多い家臣たちがどう受け取るかはわからない。

 よって競争を煽られているような家臣が不満を爆発させるときは、いきなり刃を主家に向けることにもなりかねないのである

https://anond.hatelabo.jp/20200825185224

2019-06-07

anond:20190607145440

ディスクは量産品でもソフトウェアの部分が増田っていうクソキモヲタ専用にチューンされとるがや。ジオン水軍で言う所のズゴックEみたいなもんだろ。

それと一般量産品のゴッグだったりズゴックだったりのコスパと比べるなゆーてんねん。

2018-02-21

東アジア東南アジア諸国歴史的英雄

日本織田信長坂本龍馬か。戦前なら楠木正成とか。他国と比べて「民族独立英雄」「侵略者撃退した英雄」が少ないのが日本の特徴か。北条時宗もそれほど人気ないし。
韓国李舜臣(1545-1598)李氏朝鮮の名将。文禄・慶長の役では水軍を率いてゲリラ的に戦いを進め日本軍を苦しめた。一度は更迭され一兵卒にまで身を落とすも後に復帰し、露梁海戦戦死した。
中国岳飛(1103-1142)南宋の名将。農民出身ながら、私兵を率いて金に対抗し、幾度も勝利を収めた。しか岳飛存在が和議の邪魔になると危惧され、罪を着せられて処刑された。
モンゴルチンギス・カン(1162-1227)言わずと知れた世界史上最凶の侵略者
ベトナム李常傑(1019-1105)大越の名将。特に北宋との戦いに勝利したことで有名。また国政にも関わってその手腕を讃えられ、後に神格化されて崇敬されている。
フィリピンラプ=ラプ(1491-1542)クタン島の領主イスラム教徒世界一周中のマゼランフィリピン上陸し、各部族にスペインへの朝貢キリスト教改宗要求したとき、ラプ=ラプだけがそれを拒否し、その後の戦闘マゼランを討ち取った。ヨーロッパ侵略に対抗した最初フィリピン人であるとされる。
インドネシアガジャ・マダ(?-1364)マジャパヒト王国の名宰相で、その領土現在インドネシアのほぼ全域にまで広げた。そのためインドネシア諸島統合象徴と見なされている。
マレーシアハン・トゥア(?-?)マラッカ王国に仕える無双勇士だったが、冤罪死刑を宣告された。ハン・トゥアが処刑されたと聞いた彼の親友は怒り狂って反乱を起こしたが、実は密かに生き延びていたハン・トゥアによって討たれた。死刑を宣告されても、親友を殺すように命じられても王に従った、ハン・トゥアの絶対的忠誠心が称賛される。
タイレースワン(1555-1605)アユタヤ朝の王にしてタイ大王の一人。ビルマ属国となっていたタイ連戦連勝で独立へと導き、「軍神」として崇められるようになった。ムエタイ創始者とも言われる。
ミャンマーバインナウン(1516-1581)タウングー朝の王。当時の王の乳母兄弟で、その崩御のあとに分裂したビルマ統一した。タイアユタヤ兵糧攻め降伏させて支配下に置いた。ナレースワンの台頭はバインナウンの死後より始まる。
ラオスアヌウォン(1767-1831)ヴィエンチャン王国最盛期の王にして最後の王。当時、ラオス属国としていたタイ独立戦争を仕掛けたが、敗れて獄死した。メコン川岸辺タイに向かって銅像が建てられている。

東南アジアで終わるつもりはなかったんだけど、面白くて掘り下げてたら疲れてしまった。またこんど。

ちなみにホー・チ・ミンスカルノアウン・サン、カイソーン、などの近現代の人は敢えて除外しています

2017-06-30

与謝野晶子DQN伝説

女子校教師時代に二人の生徒に手を出し孕ませ二人と連続結婚したほどに見境の無い女好き与謝野鉄幹に惚れて不倫、鉄幹編集で赤裸々に不倫エロを綴ったみだれ髪デビュー

略奪婚成功し三人目の妻になる。

鉄幹がバナナを晶子の性器に突っ込んで翌日取り出して食べたなどエロエピソード披露

日露戦争に行った弟を悲しみ君死にたまふことなかれを発表するが、表現への取り締まりが厳しくなった第一次世界大戦からは今は戦うべき時と手の平クルーさせて「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」など戦意高揚系の歌を発表、四男が戦争に行った際に詠んだ「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」は内容が君死にと真逆

結婚後全く詩が売れなくなった鉄幹が腐ってヨーロッパに行きたいと言い出し、7人の子供を抱えて生活が苦しい中金を捻出し送り出す、その後鉄幹に会いたくなり森鴎外資金を工面してもらいヨーロッパへ飛び子供達を放って二人で四ヶ月の旅行満喫

子供12出産するが、四男アウギュストや五女エレンヌなどDQNネームをつける。

赤貧の鉄幹を養い鉄幹は不倫しまくりでも生涯情熱的に愛していたのはマジ凄いとは思う。

2016-06-09

[]9:増田陰謀

 増田家(二)の人材増田家(一)に降伏したため、仇敵本拠地、増湊に人質を取られ働かされていた。旧増田領が占領されてから特に肩身が狭い。

 そんな増田一族の一人に「本拠地が落ちた。増田死ね」と深い怨念を抱え込んでいる人物がいた。

彼は元当主の息子にあたる。あるとき彼に、増田家(三)の当主から密書が届いた。

 そこには、こう書いてあった。

「旧増田領(二)の民は貴公の帰りを待っている。だが、それは増田家(一)が、ゆるさない」

増田家じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

「そんな事をすると、増田からひどいめに逢うぞ」

増田家じゃない。あなたでしょう?)

「いまに増田から葬られる」

増田家じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

 肉染みは深くても聡明な元当主の息子は主張の裏まで理解したが、このまま座して増田家(一)の滅亡を待つよりは、

何らかの手柄をあげたほうがマシなのも事実だった。

 しょうじき、増湊より少しだけ暖かくて雪の少ない故郷に帰りたい

 それに近隣との婚姻政策が多い増田家(二)の旧当主の息子は前増田家(三)の当主義理の息子に当たった。

 そこまで悪いようにはされないだろう。彼は決断した。

 かくして劣勢の増田南部戦線は部下の返り忠によって東側から崩壊増田東北の三家は増田家(三)の元に統一された。

 増田家の人質増田(三)水軍の手引によって(増田(三)の血縁者優先で)一部が救出されたが、混乱の中、犠牲になった者も多数にのぼった。

前回

http://anond.hatelabo.jp/20160608191431

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2016-06-07

[]:00 増田の路傍

 かつて十一を数えた増田家のうち、すでに四家が領土喪失した。

 明日は我が身に同じ苦難が降りかかることを恐れず、あるいはその恐怖から逃れるために

残る七家は自分以外の増田家を滅ぼす方途を探っていた。

 最北の増田家(一)は、せっかく手に入れた増田領(二)を増田家(三)に奪われ、増田島の北に押し込まれている。

 そこで、ゆいいつ残された海路増田家(四)と連絡し、増田家を挟撃することを目標にしている。

 だが、増田家(四)は他方面も抱えており、なかなか色よい返事をしてこない。

 増田家は足りない兵力を補うため、豊富資金放出して北方異民族傭兵にしはじめた。

だが、それは家中火種を増やす危険行為でもあった。

 主な戦力:譜代衆、旧増田(二)衆、傭兵軍

 滅びた増田家(二)であるが、落城前に降伏したため、当主以下おおくの人物が生き延びている。

 現時点の増田島では城主切腹の代わりに城兵を助命する風習はさいわい存在していない。

そもそも攻めた増田家と守った増田家も親戚なので、あまり目覚めの悪いことはできなかった。

 旧増田領が失陥したあとも、旧増田衆の大半は人質がいるために、増田家(一)で働かされている。

しかし、根無し草使い走り状態に耐えかね出奔するものが後を絶たない。

 サバイバル成功した増田家(三)は、被害をおさえて増田家(一)を確実に詰め、

背後を安全にしてから南進する方針である

地道に南北軸の鯖街道を一層整備して増田家(四)の急襲や北方三家統一後の兵力移動に備えている。

 現状では増田家(一)との海上での戦いが最も激しかったりする。

 主な戦力:譜代衆、カラトラヴァ騎士団、旧増田家(二)国人衆水軍

 恐ろしき当主がひきいる増田家(四)であるが、周辺諸国に比べると勢力の伸張に劣る結果になっている。

 最初につぶして手に入れた増田家(六)領は四方に通じる土地であり、

狭隘土地から得られる利益に比べて防衛コストが高くついた

はてな騎兵の一部が使える状況は維持している)。

 土地交易路に活かせればよいのだが増田家(七)が潰れてしまったことで、その意味も失われてしまった。

増田家(八)が商売相手なら大量輸送可能海路を使えばいいのである

 仇敵である増田家(五)との休戦を何とか成立させたが、敵意は残留しているため、

まだ北にも南にも進めずにいる。

 主な戦力:譜代衆、国人衆増田騎馬軍団水軍

 プリンセスめいキング定評のある(新情報増田家(五)は、はやばやと地方勢力としての生き残りを模索しはじめた。

 彼らが陰に依る大樹に有望視しているのは前から繋がりのある増田家(三)であるが、

国力差が大きくなりすぎたら家臣扱いされてしまう。発言力を確保するためにも戦力増強は必要なのであった。

 しかし、現実は西で接する増田家(八)からの散髪的な攻撃を受けはじめ、領土は守り通しているものの、

消耗戦により頭が寂しくなりはじめている。

 主な戦力、一門衆、譜代衆、足軽軍団、旧増田家(六)国人衆

 無惨にも最初に滅びた増田家(六)の名跡はいちおう姫を捜し出した増田家(四)が継いだ形になっている。

だが、増田家(五)も縁のない土地こじつけで治めるノウハウ豊富なので、内政状況は悪くない。

いずれ旧増田領が大規模な戦場になることが多くの島民に予想されていて、人口流出が進んでいる。

 主な流出先であった増田家(七)が先に戦場になったのは皮肉であるが、そこから人が戻ってきているわけでもない。

 占領されたて増田家(七)領では、増田家に保護されていた宗教が水面下で一揆の準備を進行させている。

領主自分たち既得権益に少しでも手を入れられたら実力を誇示する構えだ。

それどころか、領主が変わったのを奇貨として、権益ではなかったものまで既得権益に組み込もうと図った。

 さいわい増田家(七)の公文書が無事だったため、それには失敗したが、

頭の弱い雑魚ナメクジ当主を言いくるめて増田領(八)での布教活動を認めさせた。

 軍事方面では北方国境要塞には占領軍支配に抵抗する旧増田家(七)の武将も一部に存在する。

しかし、皮肉にも旧主が地方軍の反乱をおそれて中央集権体制を構築していたため、

独自補給する組織のない地方軍の抵抗は長続きしないもの観測されている。

 増田家(八)成功体験によって妙な自信をえた。それがプラスに働くか、マイナスに働くかはまだ未知数である

占領行政関係もあり、元々強かった文官人材(ただし彼らも戦場に立つ)の力がいや増している。

 当主は「領内の全公衆便所に紙運動」をはじめた。財政的に無理なので相伴衆当主に先回りして誤魔化している。

 「東に進み、西は防御」の方針だけは当主が便所でうなりながら確定させた。

 主な戦力:官軍譜代衆、地侍衆(草を含む)、傭兵軍団、水軍

 主な家臣:増田大学増田出羽守増田金吾、増田中弐(元増田家(十)当主)ほか

 動きの鈍い増田家(九)であるが、増田家(士)の圧力が刻々と増しており、

東での火遊びをする余裕が失われつつある。

 彼らには戦力を集中して決戦に勝利するしか生き残る道はない。

国力の差を領内で戦い補給を円滑にすることと、内線作戦による各個撃破で埋める計画である

 主な戦力:一門衆、国人衆水軍

 主な家臣:増田うこん

 陥落した増田家(十)領地は、剽悍で飢えた増田軍(士)が賢者モードに入るまで散々劫掠された。

 中心地の増屋を筆頭に先進地域ダメージはきわめて大きく、他の地方へ散っていった住民も多数にのぼる。

 だが、増田(十)領といえども人口の大半を占める層は他の地域と大差のない一次生産者の人々であり、

彼らは日々、増田家(士)の支配に組み込まれていった。

 増田家(士)も一度破壊しているが、全体が文明価値に暗いわけではなく、

いから生き残った文物の利用を図っている。

 元当主増田家(八)に加わり再起を図っている。後から彼の元につどう旧臣も多い。

 増田家(士)に迷いはなかった。彼らにとって天下統一とは目の前に現れる敵を倒し続ければ自然成るものなのだ

 主な戦力:一門衆、譜代衆、増田領(十)国人衆

前回

http://anond.hatelabo.jp/20160606192640

次回

http://anond.hatelabo.jp/20160608191431

開始時点

http://anond.hatelabo.jp/20160529195407

増田地図(勢力色塗り分け品はこちら(外部)

                           増田

                           /\

                         増田 増田

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                      増田-増田-増田

                    /  \ /

              増田増田   増田

               \  /

                増田

2016-06-06

[]7:増田の草茫々

 周囲に舐められまくっていた増田家(八)の大勝利は、増田島に激震を走らせた。

 元々人口文化が豊かだった上に、産業の優れた増田家(七)領を併合したことで、増田家の国力は飛躍的に上昇。

 十一増田家の中のまごうことなき第一勢力、すなわちアルファマスダとなった。

ただし遠征軍は奇跡的勝利の喜びが強すぎて、戦勝祝いのあと茫然自失状態にある。

 豊富脱糞で茫然自失を人より多く経験してきた当主がやっと現実復帰したところだ。

 この状況にもっとも焦りを覚えたのは西隣の増田である

 彼らは西南での増田家(士)による勢力拡大の状況を睨み、増田家(士)が新しい領土支配を安定させる前の攻撃を計画していたのだが、

急遽東への小規模な侵攻を計画に組み込んだ。

増田家(八)のむちゃくちゃな動員状態から考えて西の守りはがら空きになっているはずだ。

ゆえに、少数の兵力でも大きな成果が期待できる。

 自分たちの焼き払い攻撃から攻める気がないことを見透かされた怒りが増田家(九)が両面作戦に走る動機になったことも否めない。

 ところが、部将の増田うこんが率いる増田軍五千の控えめな領地拡大行動は思うようには進展しなかった。

かつて増田軍(九)が焼き払った土地さらに東でも、弱体の増田家(八)西部方面軍は村々を引き払い焦土戦術を展開していたのだ。

 現地に補給物資がないため、遠征軍は多くの人員物資輸送に割かなければならなかった。

そのため、もともと少ない正面戦力がさらに減少し、占領地を広く確保することができない。

 沿岸支配権については陸軍より戻りの早い増田(八)水軍がしっかり押さえている。

あまつさえ増田々軍は増田家(九)がおさえる陸橋部への攻撃を行い、物資輸送妨害を試みた。

 それでも増田軍に占領される拠点は少しずつ増えていく。

占領時には藁人形しか立っていなかったある山城もその一つだった。

 夜間その山城を警備していた増田兵は怪しい物音を聞いた。咄嗟に槍を構える。

「なにやつ!?……なんだ、♂アナ グマか」

 だが、よくよくみるとそのアナグマは、アナグマにしては大きすぎた。

「ウェーイ!」

 奇声とともにアナグマは青いスター型の手裏剣を打ち、警備の兵を抹殺した。

これぞ、増田忍法セルクマの術!似「せる」アナ「グマ」から来た名前で、隠形術のひとつである

 なお、後の時代に青いスター手裏剣を使うのは上忍、緑は中忍、黄色下忍、赤は抜け忍、

そして紫はニンジャマスダーであると言われるが、良質な同時代資料からは上中下の分類すら確認することができない。

 侵入したセルクマは全部で三人いた。

 山城放棄する前からつくってあった抜け道から城内に潜り込んだセルクマたちは、

敵兵に片づけられた藁人形や粗末な建物に次々と火を放った。

「「「ウェーイ」」」

 火種をばらまかれパチパチと延焼をはじめた赤い山城を背後にセルクマたちは闇の中へ消えていった。

 こうして増田遠征軍は限られた戦力と物資さらに失った。

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2016-06-04

[]6:増田希望

 このころ、みやこの河原には、こんな戯れ歌が流行した。

藁人形カラスを追い払う。

カラス雑魚ナメクジより強い。

ゆえに、藁人形増田(八)兵よりなお強い。

 これを藁人形論法と呼ぶ。

 だが、ナメクジも数万を集めれば、ギザギザの舌歯によって藁人形を食い尽くしてしまう。

 負け続き、不祥事続きの増田家が希望をたくしたのは、この圧倒的な数のパワーであった。なにせ人口だけは有り余っている。

社会全体が不安定時代だけに職をもとめて都にあがってくる人間も多かった。

 そんな連中にも声をかけて増田家があつめた兵力は八万!国力の限界に迫る根こそぎ動員に、他の方面をまったく無視した兵力集中で増田軍は鉄壁で知られる増田家(七)に攻め込んだ。

 西の国境を接する増田家(九)は、みやこに関心がなく、北東の増田家は複雑に絡み合った東国の戦いに手を取られている。

 その好機をついた侵攻だった。

 攻められた増田家には自慢の国境城塞群があったが、その配置は西以外にも北や東に及んでおり、守備兵は広く分散している。

 しかも近年何度も撃退されている増田家を甘くみて西側は大規模な攻勢への警戒が甘くなっていた。

 だが、人の海となった増田軍は落とせない城は迂回し、落とせる小さな城だけを攻めつぶした。

増田家領内が増田家でも随一の豊かさを誇るのをいいことに、現地調達で兵糧を補いながらどんどん奥地に進んでいく。

 余力のある国境城塞は出撃して、敵の小部隊をいくつも撃破したが、続々と送り込まれる敵増援部隊なかにいつしか埋没していった。周囲を敵に満たされた恐怖に脱走する兵もあいつぐ。

 さすがに今度は増田軍が勝ちそうだとみた野武士勢力までもが掠奪の果実をもとめて勝手に加わり、増田軍はその司令官にも把握できない状態に膨れ上がった

――最初から把握するつもりなどなかったのかもしれない。

 増田家(七)は多くの兵を国境に張り付けていたことが完全に徒となった。

 想像以上の規模で攻撃を受けてしまったため、国境要塞地帯を超えて浸透してきた敵を各個撃破できるのは、本拠地の親衛部隊しかない。

 当主は豊かな領地を守るためには一刻を争うと判断した。そこで機動防御部隊を送り出すと同時に、比較的安定している東方国境地帯から守備兵を本拠地に呼び寄せる。

 だが、この判断は大失敗だった。本拠地が手薄になった絶妙タイミングで海から増田水軍が現れたのだ。

 それはほとんど偶然だったけど、防衛側の士気を阻喪させるのに十分だった。まるですべての手が敵に読まれしまっているように感じたのだ。

 築城にこだわりのある増田家の本拠地は豪華絢爛大規模すぎて少数の兵で守るにはまったく向いていなかった。

 なお、増田水軍には滅亡した増田家(十)の船団が加わっている。根拠地をうしなった元当主はうまく潜り込んで家を乗っ取ってやろうと、増田家に入り込んだ。

 ところが計画には誤算があった。

当主肛門にゆるみきった増田家中には同じ野心を抱く人間が多すぎて、

誰もがどうにも身動きがとれない状態になっていたのだ。

(これでは脱糞するのも無理はない)と元当主は妙に納得したのだった。

 しかたがないので家中での地位を地道にあげるべく、戦働きをしている。

桟橋にせまる増田軍(士)から逃げる地獄をくぐり抜けた増田船団は上陸作戦手際もよく、

増田島最高の格式をほこる六層七階のメタブ天主に、いの一番に取り付いた。

 そして自慢の手銃を撃ちまくる。メタブ天主漆喰がつぎつぎと砕けて飛び散った。

 いつもはそろばん勘定にいそしんでいる死の商人も流石に観念した。

「是非もなし……火を放て。雑魚ナメクジを侮りすぎたわ。やんぬるかな」

 増田当主白装束に着替えると、最後の詩を詠んだ。

 人生雑魚ナメクジ 下痢のうんちに比ぶれば 雪マシュマロのごときなり

 かくして増田本拠地増津は落城

 増田島の戦国時代は新しい段階に突入した。

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2014-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20140908101850

朝貢のもつれがそもそもの発端で朝鮮日本との和平に消極的だった中で日本軍朝鮮に対して仕方ないから宣戦布告した。

第一次大戦ベルギーにも同じこと言えんの?

そうであるなら、今韓国秀吉恨むのは分かるけど小西行長はむしろ朝鮮救おうとした救世主から称賛して欲しいね

朝鮮を救おうとしたんじゃなく日本にとって益が少ないと思って止めさせようとしただけだろ。

つかどうしたって日本水軍トップだった事実は変わらん。

2014-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20140328111627

ちょっと妄想してみたけど、大沖縄島の地形次第、だな。

沖縄をそのまま大きくしたような土地だと、台湾史が中国史ほとんど影響与えてなかったことから分かるように、土着政権が大きくならないので、それほど違わない率が高い。

これだとつまらないので日本史というか日中関係から妄想してみる。

とりあえず遣隋使遣唐使が多少捗る気がするけど、武家台頭あたりまでは大差ないはず。

大陸南宋が成立して、日本武家政権の時期になると、流石に大琉球重要性に気付くことになる。

妄想的には奥州藤原氏みたいな形の琉球藤原氏(始祖は藤原純友?)か、琉球源氏(始祖はもちろん鎮西八郎こと源為朝)がいて、日宋貿易仲介して巨万の富を築いていると面白そう。

交易の規模が拡大し、平家政権の力は多少増す。それで頼朝の攻撃を跳ね返せるかは分からないが、足利尊氏よろしく都から追い落とされても九州で再起を図るシナリオがあり得る。

妄想なので、貿易チャンネルを握っている強みを生かし、瀬戸内水軍を調略で一挙に寝返らせる逆転攻撃があれば、源氏の攻撃を阻止できる、はず。

日本東西に分裂したままになるか、平家主導で再統合されるのかは謎だが、琉球存在感は増す。奥州よりも征服難しそうな相手なので、本土の政権がどうなろうとも、半独立を維持したままモンゴルの台頭を迎えることになる。

この後の展開はおそらく、

「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

「おれは『海嘯』を読んでいたと思ったら いつのまにか『国性爺合戦』を読んでいた」

だと思われる。

2013-04-18

anond:20130417230138

韓国に対して自分は悪感情は持ってないよ。

ただ、一方で愛国心というのはあるので韓国国策なんだかしらないけど日本の地位を貶めるような

発言を世界に向けていたりするのは腹が立つし、Youtube動画にも文句つける。

それから領土云々というのがなかったとしても韓国人には、「どうしてあそこまで見栄をはるのか」という

嫌悪感はある。整形のはなしだけどね。はいはい、全員が全員じゃないんでしょうし、韓国では顔が良くないと評価されない社会だとか

は一応話としては知ってますけど、なんか自分を大きく見せようとして見苦しい嘘で塗りたくるのを見るのは嫌いなんだ。

虚栄心や虚偽というのは勿論韓国人だけのものではないし、そういう様子は同じ国の人間であっても見苦しくて嫌いだけどね。

例えば、日本万世一系世界最古の王朝を維持してるすごい国なんだとかそういう空疎お国自慢は心底バカバカしいと思う。

陛下陛下といってる日本人のことは正直好きになれない。ただ、酒なんかと同じでそれに頼るしか心の拠り所がない人ってのはいから匿名ダイアリーしか表明できないわけだが。

あと、ついでに言うと天皇のことも個人的にはまったく尊敬してない。(ただし、天皇をバカにされたときにはなんか適当なことを必ず言い返すことにしてる)。

整形の話に戻るけど、あなた韓国人だとしたら六割ぐらいの確率キリスト教徒だよね。キリスト教だとして話を進めるけどキリスト教では整形ってどうなの?

カトリックでは自殺禁止なのから憶測すると、キリスト教って神が創った人間の姿を勝手にのこぎりで切り貼りして顔を整形するのを推奨する感じじゃないんだけど。

正直、自分には韓国人友達もいるし、ちょっと韓国に興味を持ってもいる。けれど日本占領される前の韓国が立派だったとかそういう嘘はいけないと思う。

友達の一人を問い詰めた時は、悔しそうに「国が腐敗していたかある意味日本にやられて当然だった、そう言えなくもない」と言っていた。

思い出したけど、なんとなく韓国併合時の事ばかり日本人意識しがちだけど、韓国から見ると秀吉朝鮮出兵のことが結構ウェイト大きいらしいね

ああ、でもこれもその友達が言っていただけだから韓国全体でどういう印象なのかはわからんか。自分朝鮮出兵って小さなギャグぐらいにしか思ってなくて、半島人口が1/3に

まで減ったとか知らなかったなぁ。日本軍を追い返した水軍の将、李舜臣が今でも韓国英雄なのだと教えてくれたのも彼だった。

まあ日本人同士でもご近所ってのはなかなか難しい。

ご近所同士で仲良くやるためには「隣の家にくちばしを出さない」ことだと思うんだね。

gdgdですが、韓国も、自分が立派な国だと思うなら見栄を張ったり整形アイドルゴリ押しするのをやめて、自分の国をまともにすることに精を出したらいいんじゃないかと思いました。

 
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