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はてなキーワード: スタンスとは

2018-11-06

女性基本的人権存在しない

女性障碍者への人権など生来存在しているものではなく、男性健常者が与えてやるもの。って言うのが日本人基本的スタンス

から男性が与えたくない権利まで女性が求めたりすると途端に腹を立てて非難し始める。

煩雑なので女性だけに話を絞る)

そもそも他人基本的人権口を出す筋合いなど全くないのだが、男性はそれを与えているのが自分達だと思っているから許認可できると思ってるし、気に食わなければ否定出来て口を出せると思っている。

同じ理屈で、多くの女性は自立など求めていない等と、まるで保護者のような的外れ理屈女性人権を求めることを否定できると考えている。

何故なら人権を与えるのは男性であり、それは「男性女性幸せにしてあげる」ためのものだけであって、女性を(男性判定で)幸せにしない権利を認める必要はないと考えているし、そもそも女性自身に決める権限があるとはつゆとも思っていない。

そう言った意味で、日本女性に「生来存在しているもの」と言う意味での基本的人権存在していない。条件付きで与えられた人権けが存在している。

anond:20181106065610

古典的物理学はいつかはすべての因果関係がわかるというスタンスだったな。

量子力学が入ってそうじゃなくなったが。

生きてはいけるんじゃない?

2018-11-05

ゴリラみたいな彼氏女装させたい

2年付き合っている彼氏にロングスカートメイド女装をさせたい。

相手美白細身小柄の美人顔というわけではない。体つきも大きく身長は183cmある。

ゴリラほどではないけれどゴツい顔立ちで、ファッションやおしゃれなど見た目にあまり興味がない。

3年着古して穴の空いたTシャツを「穴が空いたからここから手が出せて便利」と喜んでデートで着てくるような人だ。

髪型邪魔になったから切るスタンスで、目指すスタイリングがあるわけでもないようだ。

から女装した彼の美しさを楽しみたいわけではない。

この前ネット広告男性用のロングスカートメイド服を見かけた瞬間、彼が着ている姿を見たいと思った。

直感的に「彼はロングスカートメイド服が似合う」と感じた。

彼の友人や彼自身はそう思わないかもしれないが、私はそう思う。

化粧もウィッグもなくていい。普段通りの彼にメイド服をドッキングさせたい。

もし着てくれたら泣いてしまうかもしれない。そして沢山可愛いと言いたい。(彼は時々わざと可愛こぶるところがあるのできっと嫌ではないと思う)

着てくれるなら土下座だってしたい。

同じ願望をもつはいいか検索してみるも、化粧やウィッグを施したパス度の高い女装をさせたい彼女たちしか見つからなかった。

増田の皆様、どうか彼にメイド服を着てもらうためのアイデアをお貸しください。

今のところクリスマスに酒の勢いでメイド服を差し出して土下座するしか案がありません。

追記

読んでくださった、またコメントしてくださった皆様ありがとうございます

メイド服を発見した当時は単純に「彼に最高に似合う服を見つけた!」と思っていましたが、

コメントを読んで、改めて「これは特殊性癖に含まれるのだなあ」と実感しました。

一般女性に置き換えれば、彼氏からいきなり「頼むからこのトランクス(新品)を履いてくれないか」と頼まれるようなものだと思います

女性メンズファッションを身につけることはほぼ一般化しているので、異性装でもフェティッシュ度の高いアンダーウェアに変換しています

もちろん、彼がメイド服を着てくれるのであれば、需要があるのかはともかく私はトランクス(新品)を履く程度の心づもりは出来ています

ブコメで「酒は不誠実だ」とのお言葉いただき、たしかそうかもしれないとおもいました。

私は、お酒を飲むことで「あのときは酔ってたから」と覚めた言い訳をするつもりではないし、

あとはメイド服を写真に撮るなど記録に残してあとでいじったりするようなこともしたいわけではありません。

ただ一番の不安は、彼とお互いの性癖話題はほぼしたことがなく、私自身がお酒の力でも借りないと告白をできる自信がないのです。

彼は私より圧倒的にお酒に強いので、お酒に飲まれることは無いと思っているというところもあります

でもお酒の力を借りたいのは後ろめたさもあるからなのかもしれません。状況を選びつつストレートに彼に伝えられる勇気を持ちたいです。

バーチャルYoutuberリアルタイム配信)って3Dより2Dの方がよくない?

本当は両方あればあるに越したことはないが、どちらかといえばの話をする。

趣味程度にVtuberアバター配信をやる者だが、やる側としては正直2Dが羨ましいのである

まずiPhoneX以降に搭載の顔認識機能(TrueDepth)すげぇ!って思う。

にじさんじ、あにまーれ両系列の表情表現スゴイって。あのキメ細やかさは現状零細VR勢には出せない。

我輩弱小VR勢はHTC viveなどのヘッドマウントディスプレイを装着する以上、手足関節をトレースできても顔はノータッチだ。

表情は手動入力による物であり、どうしてもパターン化は免れないしやはり操作で気が散る。

そして何よりHMDは果てしなく邪魔だ。

装着したままの行動力は著しく減衰する。ゲームするのにも一工夫がいる。

パソコンリソースも多く消費するし、さながら重装騎士のようである

潤沢な投資があり、強力な支援を受け、使い所を間違えず投入されれば最強ではあるが、なかなかに望めないのが実情である

小回りの効く2Dが羨ましいのねんという話でした。

ここから業界の話。

アイドル部(.live)について(にじさんじを含めるかは難しいところ)、企業ですら重装騎士の取扱に難儀している現状がある。

月ノ美兎委員長は各所でドワンゴREALITYなどの媒体側の支援を受けて活動出来ているが、先行者の彼らでさえ3Dは決戦兵器という立ち位置には変わりがない。

ユーザーは望んでいる(ことになっている)しサービサーも望まれている(ということになっている)スタンスだが、安易煽りは誰も幸せにしないんじゃねーのと思います

前述した委員長、ヒメヒナ田中ヒメ、鈴木ヒナ田中工務店)や織田信姫殿のように二刀流で当然としないと何も回らなくなるんじゃないかなあと勝手心配をしています

3D開発中の因幡はねる組長(あにまーれ)とか毎日配信やるのに3Dは多分無理でしょうから使い分けるでしょうし。

3D2D上位互換ではなく、戦場に応じて武器を使い分けるような発展をしていただきたいものであります

あと天開司さん革命おめでとうございます

よっぱっぱ。

2018-11-04

anond:20181104184637

相思相愛というより

相手女性が「こいつと結婚」の「こいつ」であるぶぶんが、読んでてしんどかったけど。

最初から自分が選んで」ファン結婚してやった、みたいなスタンスでしょ。

手塚治虫作品無料公開されてるから色々読んで感想を書く 1日目

https://www.ebookjapan.jp/ebj/free/campaign/tezuka/

おいおい2日目の今日11/3)きづいたよ。誰か早く言ってくれたら良かったのに!

ってわけで色々読んだ。

 

きりひと讃歌

人が獣人になってしまう奇病「モンモウ病」。青年医師小山内桐人はそれを風土病と考え、同僚の占部とともに研究を進めていた。一方、日本医師会会長への選出を目指す竜ヶ浦教授伝染病と考え、対立する小山内の排除を目論んでいた。竜ヶ浦の指示によりモンモウ病患者出身地に赴任することになった小山内はその奇病の餌食となってしまい……。

獣人という差別から逃れられない存在になった主人公を通し、中身ではなく外見ですべて判断される虚しさ、あるいは判断する愚かさを力強く訴える。医者として確かな腕を振るっても、ただ犬の顔というだけで結果が信頼されないのはまー辛い。

ヒロインは3人いるが、行動にいちいち生々しさがある麗花ちゃんお気に入り。拾った赤ちゃんに対するスタンスには彼女生き様を感じた。

悪役に対してはわりと因果応報モンモウ病を受け入れる層に囲まれるシーンもあって小気味よさは感じるが、その分、ヌルい結末だなーという感じ。

見た目だけでなく、生肉ガツガツわずにいられないことによって人間尊厳を奪われてしまうのがモンモウ病の特徴であり作品の中でも重きをなしていたと思うのだが、中盤以降そういうのがなくなってしまったのもヌルさに拍車をかける

 

アドルフに告ぐ

第二次世界大戦におけるナチスドイツの興亡を背景に、「ヒットラーユダヤ人の血が流れているという(ナチスにとっての)大スキャンダル」を巡って世界が、そしてふたりのアドル少年稀有友情翻弄される様を描く。

めっちゃ面白かったー。物語の展開のさせかたがチビるほど上手い。もうひとりの主人公である峠草平の弟がドイツで殺された理由はなんなのか、何を草平にたくそうとしていたのか、なぜ草平はなぞの組織特高から襲われ続けるのかーといった感じで話がグイグイ進む。ヒットラー秘密を軸に、いろんな人物が入り乱れ、運命が捻じ曲げられていく。

特に、アドルフ・カミルユダヤ人と見下すことなくむしろ尊敬を持って接していたアドルフ・カウフマンが、ドイツ本国学校に入ったあとナチズムに染まっていく描写が圧巻。無垢な魂も環境が容易に堕落させえることを、手塚先生は容赦のない筆致でえぐり出していく。

そして訪れるふたりのアドルフの友情の結末とタイトル回収。どこを切り取っても隙なし。文句なしの傑作。

ちなエリザちゃん初登場時の顔面偏差値の高さすごい。あれは一目惚れするわ。手塚先生が描く美少女2018年でも十分通用すると思う(そしてその子が老婆になった姿もしっかり描くところが手塚先生エゲツない)。

 

奇子

復員後、GHQ秘密工作員として働く天外仁朗。久しぶりに戻った実家では、父親が兄嫁と不義の娘・奇子(あやこ)をもうけるなど、人間関係が汚れきっていた。仁朗はGHQから命令で、殺しの後始末を手伝うが、返り血を浴びたシャツの始末を奇子に目撃される。一族から犯罪者が出ることを恐れた天外家は奇子を地下牢に幽閉するが……。

タイトルの割に、戦後直後の地主一家の腐りっぷりが話の中心。肉欲に金欲、そして一族の体面最優先な感じがキツい。一見まともに見える人物も後々おかしくなったりするのでそういった家の宿痾を巧みに描いているとは言える。

タイトルになっている奇子も、幼少時は純粋で可愛らしいと言えるが、幽閉され常識モラルがないまま長じてしまった後は性的に成長した外見と非常識内面ギャップがかなりキツいキャラになってる。外見も童顔なのに高身長グラマラスグロテスク、という感じがこう……(たぶんわざと)。

というわけでヒロインにゐば(仁朗の母)で決定。夫が息子の嫁に手を出すのを止められなかったとはいえ作品良心ともいえる存在(息子の嫁は純粋被害者)で、話が進むにつれだいたいおかしくなっていく面々に対し最後までまともかつたまに元気な姿を見せてくれる一服の清涼剤であった。かーちゃんかわいいよかーちゃん

 

アポロの歌』

幾人もの男と関係を持つふしだらな母に虐待されて育った近石昭吾。彼は愛し合う生き物を見ると衝動的に殺してしま性格に成長した。ある時、警察現場を見られ、彼は精神病院送致される。催眠治療過程女神像に「女性を愛するが、結ばれる前に女性自分死ぬ」という悲劇体験し続けろと宣告されるが……。

重たいテーマを扱った手塚作品は緻密かつ重厚世界観になりがちで、話を把握するのが大変。だけど、これは主人公トラウマも設定も最初にぜんぶ開示されるため非常にわかやすい。かつ、それらの体験を重ねていくと大きな物語が浮かび上がる仕組みにもなっていて、かんたんなわりに厚みもあって楽しめた。

ある女性を愛するけど毎回悲劇的な結末を迎えるという構造に関しては『ゼノギアス』を思い出した。フェイとエリィに幸せな結末が訪れたように、いつかこふたりにも……と期待してやまない。

 

海のトリトン

漁師の息子・矢崎和也トリトン族の赤ん坊トリトン」を拾う。直後に津波漁村を襲い、和也の父は死亡。トリトンを忌み子と見た祖母に捨てるよう言われるが、和也は母を説得し、トリトンを含めた3人で東京へ。長じたトリトンは、己が人間でなくトリトン族であり、一族の大半はポセイドン族に殺されたことを知る。トリトンポセイドン大王を倒すために海へと出るが……。

今まで読んだことはなかったけど、いわゆる衝撃のラストについては知っていた。けどそういう展開にならずアレーと思ってwikipedia見るとそれは富野監督をしたアニメ版オリジナル展開だったという……。

衝撃のラストに比べれば、漫画版はひどく平凡な出来って感じかなー(それでも冒険活劇としては読めるけど)。テーマとして憎い敵であっても許すの大事ってのがあると思うんだけど、けっきょくそうならないしね。

あと今の感覚で言うのはアレだけど、今まで子ども扱いしていたピピ子が美少女に成長したとたん「洋子ちゃんよりずーっときれいだよ」とか平気で言ってしまトリトン普通にない。

 

リボンの騎士

おしゃま天使チンクのいたずらで男の子女の子の心を持って生まれ王女サファイア。出生のとき王子と誤って発表されたことにより、一日の半分を王子、もう半分を王女として育てられることに。サファイア排除して息子に王位を継がせたいジェラルミン大公や、サファイア女の子の心を奪おうとする魔女の魔の手が迫る。

戦闘美少女男装令嬢、女装少年(「亜麻色の髪の乙女」に変装するため)など今現在おおきな勢力を誇る萌え要素の先駆けであり、実際それらの要素に期待して読んだけどとても楽しめた。

お話的にはピンチピンチ連続で、けっこうハラハラキドキ。ただ、ヒーローであるフランツ王子に中身がないせいで、こいつと結ばれるためにサファイアは頑張ってるのかと思うとかなりしらけるものが……。

キャラとしては魔女の娘であるヘケートが魅力的。奔放な性格ながら自分というものを持ち、それに反することなら母ですら出し抜いてみせるところが小気味いい。フランツ好意を抱きながらもそれを黙ったまま迎えるラストは心が動いた。ヘケート→フランツの逆でサファイア好意を抱く海賊ブラッドというキャラがいるけどこいつも同様の魅力がある。

キャラはいいのに主役ふたりの中身がしょぼいのは本当になんなのか……。

あと魔女はいい悪役だったけど、後釜のビーナス微妙すぎる。魔女ポジションがまったくいっしょだった上にキャラの厚みがゼロ

いいところと悪いところが極端という印象。

ちななかよし版のあと少女クラブ版をちらっと読んでみたけど、コマ割りのレベルが低すぎてさすがに読めなかった。漫画神様も昔はこうだったのかと思うと妙に安心する。

 

※続き

https://anond.hatelabo.jp/20181104153709

2018-11-01

南京大虐殺アメリカ人に指摘されたときの返し方がわからない

南京大虐殺で実際に虐殺された数字というのは、中国政府がかなり盛っている、というのが通説で、数的な史実は闇の中というのが現在共通認識

(500万〜1400万人という幅で博物館では書かれているらしい!)

実際のところ、南京大虐殺プロパガンダとして使われている可能性が高く、中国サイドだけの話を鵜呑みにしないでほしい、ということを、南京博物館で感化されてしまったアメリカ人に伝えたい。

でも、大なり小なり、日本人虐殺をおそらくしてるわけで、虐殺数が1400万人が50万人になったところで、日本人は最低なわけで、何も強く出れない。

ただ、1400万人を殺すなんて、当時の南京で、物理的に不可能だろうし、明らかにおかしいんだよね。原発を何発落としたら、1000万人も殺せるんだ?いや、それが500万でも、50万でも、相当大変な殺人数だ。

一方で、「そもそも南京大虐殺なんてなかった」という意見日本人もいる。そこまでいくと、(虐殺捏造論が正しいかどうかは別として)歴史をひん曲げて自己正当化しているという印象になってしまうので、そこまでのスタンス個人的には取れない。(←中国プロパガンダ勝利なのか、史実から仕方ないのかも、もはや俺にはわからない)

当時の武器方法で、現実的に殺せる人数を考えたら、数千人から数万人程度だろう、と思う。1400万人と、一部の過激派が数千人殺した、というだけというのは全く違うけど、うまく伝えられない。

このモヤモヤはどうしたらいいのか。アメリカ人に、日本人には短期間で1400万人も虐殺できるクレージー国民性がある、と思われ続けていいのか?

2018-10-30

ある役者マネージャーファンになった

私は舞台役者が多く所属する芸能事務所で働いている。マネージャーではなく、内勤のスタッフだ。

業界のことをあまり知らない状態就職したが、業務上ある程度の知識をつける必要があった。そこで業界役者個人のことを調べ、実際に舞台を見に行くうち、ある役者(以下、Aさんとする)のファンになった。

予め断っておくと、Aさんは弊社の役者ではない。と言うより、私の立場で弊社の役者ファンになってしまうのはいろいろと問題がある。公平な気持ち業務に当たれなくなってしまうかもしれないし、役者との繋がりどうこうで疲弊したり、他のファンをピリピリさせたりするのは本意ではない。

話を戻す。私がAさんを好きになった理由の一つに、強い個性がある。Aさんは舞台上での振る舞いやネット上での発言が少々突飛で、賛否両論がある(が、炎上はしないくらいには加減されているのがすごい)。私はそんなところも含めてAさんが好きなのだが、合わない人には本当に合わないようだ。突飛な言動に惑わされずに彼の演技を見て! というファン心理の一方、合わないと思う気持ち理解できないわけではない。それくらい強烈な個性を放っているのだ。

そんな彼をうまく制御しているのが担当マネージャーさん(以下、Bさんとする)だ。彼の言動個性と認め、ある程度自由に振る舞わせつつも、やりすぎそうになってしまったときにはギュッ手綱を締めてくださっている。

本来マネージャーという立場黒子なのだろうが、Aさんのファンの間では、BさんのTwitterアカウントは有名だ。プロフィール会社名や肩書きが書かれているわけではないが、担当している役者宣伝をしているので、分かる人が見れば分かるというやつだ。

そんな折、Bさんが地元のご友人と思われる方とリプライでやり取りされているのを見た。詳しい会話の内容は割愛するが、やり取りの中でBさんは自身仕事への向き合い方について語っていて、その姿勢ファンとしても、同業界で働く者としても深く感銘を受けるような内容だった。

自分も同業界にいるので何となく分かるのだが、いくらAさんに優れた演技力があろうとも、癖の強い言動の彼を売り出すのはきっと難しい。おそらく弊社なら持て余してしまうだろう。しかしAさんは近頃大きな役を演じる機会が少しずつ増えてきている。あの事務所で、そして担当マネージャーがBさんで良かったね……などと思ってしまう。お前はいったいどの立場なんだ? というセルフツッコミを入れながら。

Aさんのファンにならなければ、Bさんの存在はまず知り得なかった。しかし今やAさん関係なく、同業者としてBさんにお会いしてお話してみたいという気持ちがある。仕事へのスタンスや、実際に出されている結果を本当に尊敬しているのだ。まさかBさんもこんな風に思われているとは露ほどにも思わないだろう。

Aさん宛てにならいくらでもファンレターを書くのだが、こういった場合はどうすればいいのだろうか。

なんて相談の体を取りつつも、迷惑をかけないためにも、たぶん秘めておくのが正解なんだろうなぁ。

2018-10-27

anond:20181027195805

子供指導する必要はなくただ肯定して愛してあげれば良いというスタンスだとしたら、それは楽天的すぎるだろう。

フェミ否定する必要はなくただ肯定して規制してあげれば良いというスタンスよりはよほど現実的だし論理的な態度だが

2018-10-25

結婚なんかは、本当に気があってお互いが大事にしあえるならすると良い

タイトルの通り。それ以外はしないほうが賢明だと思うよ。

とにかく女性側は年収旦那の束縛・自分自由・金の使い方も自由ばかり。

ちょっとした接客業を15年近くやってて、本当そればかりだった。

昨今になって、年収はー仕事がーなんていうので信じられないような事を希望を言う女性話題TVネットであがってるけど

実際はもっともっとから、そんな感じだ。

とにかく男はATMなんだよ。引き出せなくなったら外に出始めるから浮気可能性が高い。

電話メールLINEが多くなった頃には、ほぼやってる。

一般的スマホなんかのプライバシーは親しき仲にも礼儀あり…って感じだけど、

やたらと関係ないときでもプライバシーがーと言い始めたら、浮気中なので疑っていい。

話は逸れたけど、ホント増田タイトルくらいお互いが思えない限りは結婚オススメしない。

今の時代は苦しむのは女性よりも男。

ATM扱いされる事を怒ると男尊女卑がどうのこうのと逆ギレされるし、ホント理不尽な事が増えた。

昔は、一家大黒柱が家庭を支えるっていうスタンスだった時代があったけど、それは暗黙での話であって女性側が言うことでは無い話。

なのに、引き合いに出してくるから少子化って言われようが結婚は、よく考えたほうがいい。

どっちかっていうと日本女性結婚するよりも外国人結婚したほうが良いかなと。

当たり外れは当然居るけどね、今の日本よりはよっぽど当たりが多い。

今の時代日本女性結婚することはマイナスしかならない。

好きなグループメンバー炎上した

ただの愚痴です

炎上といっても、もともと大した人気グループでもないのでファンが騒いでるだけなんだけど

渦中のメンバーは私の推しではないんだけど、昔からなんとなく信念を持ってアイドルやってるんだろうな、って好感を持ってたメンバーだった。

炎上理由はよくある彼女匂わせで、婦女暴行かに比べたら本当に大したことないんだけど、なんかがっくりきてしまった。

ファンになったのは5年くらい前で、割と長く続いているグループなんだけどなかなか日の目を見なくて、細々と活動するのをのんびり応援するのが心地よかった。最近メンバーほとんどが30代になって、グループ雰囲気も変わってきたけど、それも味が出てきていいな〜なんて思ってた。

少し前からそのメンバーの女の噂はあって、自分自身アイドルとて人なのだから彼女くらいいたっていいだろうというスタンスだったので特に気にしていなかったんだけど、ちょっとしたきっかけで彼女インスタグラムを見て、あまり露骨な匂わせに辟易してしまった

もう30過ぎなのに、彼女匂わせなんてダセエことしてんじゃねえよと

彼女のこと隠さないなら隠さないで、もっと堂々としてほしかったし、そういうプロ意識のある人だと(勝手に)思ってた

いい歳して恋愛に関わる自己顕示欲すらコントロールできない人だったのかとがっかりしてしまった

私の好きなグループの中にそんな奴がいるのかと

グループのことが好きだったけどもう推し以外を応援する気持ちが薄れてしまった

結局ファン勝手アイドルに期待して、それが現実とは違かったというだけの話なんだけどね

見る人が見たらグループのこともバレバレなんだろうけどもういいや

Vtuberを追っていて失望を味わった

最初に断っておくと、この話はVtuberというものに対して一視聴者立場であり、面白いものではない。

私がVtuberという存在を知ったのは2017年末頃、ちょうどバーチャルのじゃロリ狐娘おじさんなるワードパワーワードとして捉えられ俄かに周知を帯びたこである

当初、そういった存在があると知りキズナアイミライアカリ、ちょうどその頃活動開始した輝夜月の動画をひとしきり漁り、そういうものかと認識だけして捨て置いたのは記憶に新しい。

Vtuberというものにハマったきっかけとなるのはそれから数月の後になってだった。

配信主体という性格はともかく、奇天烈言動や強烈な個性を表に出したそのVtuberに心は奪われた。

映画という共通趣味がありながら、まるでその好みは違ったのも一因ではあった(私はアクションサスペンスを好んだが、彼女ヒューマンドラマを好んだ。)

ただ、きっかけと言えばそういった表層的な面の浮き出るまとめ動画ではあったが、本当は異なっていた。

彼女の同僚である同じくVtuber、その子配信で曝け出した強烈な嫉妬心を切り出した動画によるものというのが真相であった。

もちろん、彼女(ら)がVtuberというキャラクターでありながら、その実配信者という側面をもついわゆる「nmmn(ナマモノ)」という面を持つのは当時の私でも理解できた。

私は、いわゆる百合といったコンテンツを好みながらもあくまで「現実人間関係」を楽しむという罪はあくま意識したつもりだった。

そういった前提を踏まえて密かに応援しながらも、彼女らがVtuberという活動を通じて親密になっていく過程を楽しんでいた。

母体であるグループpixivでfanboxを開設したとなればすぐさまに登録し、配信ではスパチャ(俗にいえば投げ銭)をして、ボイス販売があれば買うことが応援であると信じた。

一方で、その更なる母体である企業と言えば少しばかり怪しい面は覗かせていた。

本来ならあくま配信ツール提供であると、意図しないバズであるから仕方ないと同情の念はあった。

事情が変わってきたのは半年ばかり経ってか徐々にリアイベの開催を行うようになってきてからだった。

そういったスタンスも認めていたつもりだったし、2人が中心となるトークイベントでは事前の「一部配信」の表記を信じて、抽選の倍率を通り抜けて遥々遠征計画を立てた。

当日、新幹線に乗っていた昼下がりにTwitterを開いた瞬間、公式による「全編配信を行います」の文字列が飛び込んできた。

「これは一体何だ?何のために私は遥々東京へ行く計画を立てたのだ?」

そういった疑問を思い浮かべつつも、"配信されない部分がある"ことを悲しんでいた人々のことを喜んでみせた。腑に落ちないものを感じながら。

その企業イベント限定販売と称しながら、脈絡なく再販する真似をその後も繰り返した。

2人という"コンテンツ"(あえてそう呼ぶならば)を追い続けて半年以上が経った。その中で同期のメンバーとも親しくなりコラボ配信を行うようにもなり、それも私にとっては楽しみだった。

しかし、楽しみにしていたコラボの中の雑談の内でそれは現れた。

(以下引用。仮にA,B,Cと置く。)

A「スタッフさん、最近酷いよね」

B「え、何が?」

A「稼ぎ頭とかめっちゃ弄ってくる」

B「そう。私のことめっちゃ弄ってくるんだよね」

A「凄い弄るよね」

C「そう。食べた割り箸がーとか」

B「あれでしょ。私が食べた弁当の後とか"この割り箸いくらいくらで売れますよ”とか」

A「うそぉみたいな」

C「うざぁっ…。こらこら」

B「一々ね。なんでも鑑定団みたいな…」

A「○○ちゃんがよだれこぼした毛布売れますよ、みたいな」

あくまで、当人(=B)による被害意識はそれほど無いという口ぶりの中であった雑談ではあったが、有り体に言えばショックであった。

ショックの理由としては3人とも自分推しであったこともあるし、その彼女らが明らかにセクハラ的な言動を受けてることもあったし、

彼女らに対して行ってきたスパチャやグッズ購入等の収益の一部がそういった言動をした人間の懐に入ったこともあった。

今まで、輝かしいばかりの活躍を見せてきた彼女らに対して感謝の思いを込めて金を落としてきたのは事実だ。

そこには(恐らく)偽りなどなくて、多分、一人のファンとしての行動としては間違いなかったのだろう。

けれど、今になってはそれらの金銭の一部がそういった言動をした(あるいはそういう物言いが許される企業の)下に行った事実がどうしても頭を占領するのだ。

眩いばかりの彼女たちのきらめきを思い返す度に、下卑た笑みを浮かべた名もないだれかが札束を数えている姿が思い浮かぶのだ。

恐らくそれを騒ぎ立てたとしても、そのスタッフが辞任にまで追い込まれるようなことはないだろう。

(Vtuberである当人らもそれを望んでないかもしれない)

結局、ファンである個人としてはFanboxを解約し、スパチャを辞めて、彼女らの配信を眺めながらも「セクハラ加害者協調するか」「彼女らの活躍応援しないか」の2択を迫られるのだった。

Vtuberという存在を知った時や、彼女を知った時、確かに生きる喜びを味わったけれど、その輝かしさは凡人によって永遠に拭い去られてしまった。

私は今後、その同グループのライバー応援する人々を見ても「セクハラ容認する企業応援するのだ」という思いがちらついてならないし、

自分の好きな2人に対しては更なるジレンマを抱くしかないのだろう。

結局、Vtuberという珍奇な存在の到来に対して、凡庸な一個人によるセクハラだけで酷く幻滅させられた今が、ただただ疎ましく悲しい。

2018-10-24

なんか言ってあげなよ

腐女子ツイッターでの炎上とか学級会とか感想来ない系の嘆きとか見てて、何でちゃんと言ってやらんかな、と思います
空リプ感想とか絡みツイートすんのも、フォロワーが起こした/巻き込まれ問題無視してんのも、何にもならないです。

特に炎上匿名とか空リプじゃなく、直接声掛けてあげたら何か変わるかもしれないのに。
言われないから気付けない、言われたら気付くって人は案外多い。これは経験談です。

匿名とか捨て垢ダメです。「誰に言われてるかわからない、私の敵かもしれない」で頭が固くなってるから聞き入れられない。
でも普段繋がりがある人間からちょっと言えばコロッと聞き入れてもらえたりする。
言ったことが受け入れられなければ縁切り案件だけど、おかしいこと言ってる人と付き合い続けることないですよ。

何のアクションもしない内から「静観が大人対応」みたいな顔で事態の沈静化を待つってスタンスは本当に何にもならないです。
繋がった以上、「静観する」を選択したことにも、責任は発生します。

仕事学校でもないのに何で労力払わにゃならんのかと思われるかもしれません。
でも人と関わってる以上、労力ゼロで楽しみ続けるってことは無理です。
他人アクセサリーじゃないです。
月並みですが、画面の向こうには生身の人間がいます
人との繋がりはクリック一つでどうにかなるものじゃありません。

2018-10-23

例のイベントから

今日lessonの日だった。

予想通り親密度アップ!自分半端ない疎外感。

その方々これからプライベートで会うことが増えてくるでしょう。

羨ましいと思う反面、自分コミュ障

そこは割りが必要

また、

仲良くなれば情がさらに沸き曖昧な部分が

出てきて線引きが難しくなる。

自分は今のスタンスが丁度良い。

割りきっていこう!

2018-10-22

自称ブラック企業」の恐ろしさ

 少し遅くなったがビ・ハイア関連の諸々を読んで思い出したことがあったので。

 今回の件で話題に上がったものの一つが清水氏本人によって書かれた会社説明である。その文章ではハードワークであることを前面に打ち出し、残業のことを隠そうともしていない。その文章を見たとき今回の件とは全く関係ない会社のことを思い出したのである

 といっても増田はその会社に関わりのある人間ではない。その会社(A社とする)はビハイアと同じようにYOUTUBE等で配信積極的に行っており、増田が当時ファンだった人物がその配信に出演したこと存在を知ることになる。

 A社は自虐的に「うちはブラック企業」を繰り返し、採用情報にもそれを前面に打ち出した文章だった。社長はいかにも「出たがり」な人物で、社員はそれにつき合わされているような雰囲気だった。夜10時過ぎに社長配信のために社員を居残りさせる姿は今考えると異常でしかない。その上その会社はみなし残業制度採用していた(配信の中で社長がはっきりといっていた)ので配信のための居残りには対価もなかったはずであるさら仕事中もずっと社内を生配信していた(視聴者数はもちろん少なかった)。一部屋だけとはいえ監視に近い状況である

 配信を見始めたとき、「この会社は異常だな」と思ったのは事実であるしかしそのことを積極的問題視しようという気にもなれなかった。A社が「ブラック企業」を明言した会社である以上、社員も居残りに喜びを感じて生きている酔狂人間なのではないか、と思えてしまたかであるブラック企業に自ら飛び込んでいく人間仕事が生きがいのすべてで、それを問題とすることは逆に彼らの生を奪ってしまうのでは?とすら思えたのである

 というか社長も同じ事を考えていたのではないか。彼は典型的仕事人間で、仕事のためなら何でもできる、社員も同じ気持ちでいてほしい、というようなことを言っていた。彼にとって社員は「自分スタンス賛同してくれた人たち」であり、「自分目標のための指示には無条件で従う人」だったのだろう。

 ビハイアの社長も、「ブラック企業」を打ち出すことで同志を集めたかったのだと思う。実際に「仕事人間」を集め(もしくは仕事人間になるよう洗脳し)、常軌を逸した労働を強いていたのだろう。 (余談だが個人的会社側が主張する「被害者毒親育ち」という話は本当ではないかと思っている。そういう人に「君の存在価値は仕事しかない」と植え付けるのはたやすいだろう)

 やがて自分の目当てはA社の配信に出なくなったが、増田のA社への興味はしばらく続いた。社長とある大きなチャレンジ会社をここではぼかしたいから詳しいことは書かないが)に挑戦し、社員を巻き込んだうえで失敗し(社長的に失敗だったのかは知らないがはたから見れば失敗だった)、それと前後してその会社から20代社員がいなくなった。辞めた理由は本人しかからないが、個人の推測だとその「チャレンジ」と、社内配信によって小さなコミュニティの中でアイドル化された女性社員へのネットでの罵詈雑言コメントが原因だったのではないかと思っている。今思えば「辞める」という形で抜け出せた彼らはまだ幸運だったのかもしれない、と今回の件を受けて思う。

 社員たちが辞めたあたりで完全に興味をなくしていたA社を今回の件で思い出し久しぶりに社長Twitterを見に行ったが、ビハイアについては一つも触れられていなかった。HPには相変わらず「ブラック企業」の文字があり、社長酔狂しか思えない新たなプロジェクトも始まっていた。社員は増えてないみたいだ。増田が見ていたころはパワハラらしきものは見えなかったが、実際はどうだったのだろう、今はどうなっているのだろう。ただのウォッチャーとしては「これから死者がでませんように」としか言えない。社長よ、あまり社員を巻き込みすぎないであげてくれ。

anond:20181022181451

言及どうもです。

彼らは、単純にphilosopher(=知恵を愛する者)ということでいいんじゃなかろうか?

『「知」に対して極めて能動的な人間』、というより、『新しいことを知ることが好き』、ただ単に好きって感じで。

から、はたから見ると、増田も『知らない話題に対しては、無知な者として、目を輝かせて知識を吸収する』スタンスで行けるといいのではないか?と思う。

そう、そこなんだよね。

俺が「怪獣映画を見ること」を苦に感じたことないように、彼らにとって

『新しいことを知ること』はまったく苦じゃなくて、むしろ何よりも楽しいことなんだろうな。

から知識毎日のように流し込んでも頭でっかちにならずに教養として心身に身に付くのだろうな。

彼らにとってはソルジェニーツィンを読むのもゴジラを観るのも同じ『新しいことを知ること』なのかもしれない。

コンプレックス邪魔になるのは、良く理解できる。

自然体で「philosopher(=知恵を愛する者)」として振る舞えてる人達への劣等感や羨望みたいなのは正直あるよね(笑)

ああ、彼らには「おし、勉強するぞ!」って喝を入れる感覚すらなくてこれが自然体なんだ!って気付いた時には震えたね。

多分、「地下室の手記」を読むとハマると思うが、それが上のような態度を身につける為に良いのかは、考えてしまうところ。

実はこの土日で奮起して古本屋で有名な哲学書やらロシア文学をしこたま買い占めてきたよ(笑)

地下室の手記」はなかったけど、カラマーゾフの兄弟罪と罰は買ってきた。

ソルジェニーツィンも何冊か買ったし、デカルトやらカントやらあるだけ買ってみた。

古本屋の店主はすげえ偏屈そうなオッサンだったが、購入ラインナップを見たら笑顔になってた。

何度もお礼を言って店を送り出してくれた。彼も「philosopher(=知恵を愛する者)」なのかもしれない。

手始めに薄いゴーゴリ外套」を読んだけど、思ったより易しくてすぐ読了した。

すっげーヘンテコな話だったけど、不思議な後味が残って楽しめたよ。どんどん読むぞ。

anond:20181022125454

既存勢力での立場を強化したいだけ

自分容姿に自信があって他人が嫌いだけど、容姿差別公言できないから「公がお前に苦しんでいる」と被害者スタンスで言い換える

anond:20181022180106

結構気持ちわかるかもしれん。

 

といったような感じで社会問題ゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列簡単に話した。

すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。

彼らは、単純にphilosopher(=知恵を愛する者)ということでいいんじゃなかろうか?

『「知」に対して極めて能動的な人間』、というより、『新しいことを知ることが好き』、ただ単に好きって感じで。

から、はたから見ると、増田も『知らない話題に対しては、無知な者として、目を輝かせて知識を吸収する』スタンスで行けるといいのではないか?と思う。

 

コンプレックス邪魔になるのは、良く理解できる。

多分、「地下室の手記」を読むとハマると思うが、それが上のような態度を身につける為に良いのかは、考えてしまうところ。

教養の有無と人生の充実

社会人になって数年。最近痛感するのが教養の有無と人生の充実の相関だ。

年収が高く役職持ちな人はみな教養持ちだ」、といった次元が低いことが言いたいのではない。

教養のある人物はなんというか、充実感に満ちており有意義に生きていて感性も見た目も若い気がする。

趣味も多いし、フットワークも軽い。何歳になっても好奇心知的探求心が衰えないのだろう。

少しでも気になった事があればその日の帰り道で専門書を買って熟読、海外だろうが平気で現地に赴いたりする。

常に勉強を欠かさないし、当人は「勉強」を苦を伴うものと思っておらず、むしろ楽しんでいるのだ。

類は友を呼ぶのか、周囲の家族や友人も相応に知的な人が多く、頽廃的だったり怠惰人間はあまり見受けられない。

当然、教養のある人はそれ相応の社会的地位についていることも多い。

社会的地位を獲得した後に付け焼き刃で教養を身に付けたのだろうか?いや違う、幼少期からの習慣の積み重ねだろう。

こういった知的な態度を有する人たちに接すると、無教養・無学な自分コンプレックスを非常に刺激される。

教養のある人達の会話はありきたりな雑談の途中で話題が予想しない箇所に飛ぶのだ。

姫路城改修から池田輝政の功績に飛んだり、クリミア半島からソルジェニーツィン著作に飛んだり。

ベラスケスやらサルトル、後期コルトレーンの話が出たこともあったが、無学な自分ではちんぷんかんぷんだ。

こちらが話題に参加できないでいると「あ、興味ないよね〜。うんちく晒してごめんごめん。」とすぐに平謝りし、

それ以降はグッと敷居を下げた会話(ワールドカップやらジブリアニメ、近所の旨いラーメン屋の話など)を展開してくれる。

こういう出来事が何度かあると、彼らはそのことを覚えているようで配慮からハードル高めな話をあまりしてこなくなる。

その「優しい配慮」が、かえって悲しいような悔しいような不思議感覚自分の中に呼び起こさせた。

上記の行動は、彼らの衒学趣味由来の嫌味や当てこすりだろうか?私にはあまりそう思えない。(ゼロではないだろうが。)

第一、こんな何処の馬の骨分からん小僧マウンティングしたところでなんの得もない。

なんというか彼らの「知」に対する基本的スタンスは、自分のそれと一から十まで

まるで異なっていて、そのほころびに自分勝手につまづいて痛がっているだけなのだろう。

痛がっている自分を見て彼らは「まずい!」と察し、ほころびを取り除くために

平易な話題シフトしてくれいているのだ。その気遣いが余計に胸に刺さった。

加えて彼らの凄いところはジャンルの垣根を設けずに、気になったら徹底的に探究する姿勢だ。

自分子供の頃から怪獣映画が好きなので彼らとの酒の席でシンゴジラ話題が出た際に、

第五福竜丸被爆事件からゴジラ誕生した、田子の浦港ヘドロ公害からヘドラが生まれ

バイオテクノロジーの隆盛からビオランテが生まれた、シンゴジラは言うまでもなく津波原発である

といったような感じで社会問題ゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列簡単に話した。

すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。

ありがとう勉強になった。もう少し調べる。」とその場でアマゾンを使い、DVD解説本の購入を済ませていた。

うーむ、この人たちには逆立ちしても敵わないなぁ、と帰りのタクシーで溜め息が漏れた。

(次に会った時には彼は初代ゴジラはもちろん、宇宙大戦争やらサンダ対ガイラまで鑑賞済だった。これには舌を巻いた。)

彼らは目の回る忙しさの合間を塗って絶えず教養を身に付けているのだ。多忙な彼らの何倍も時間を有している自分には教養がない。

自分も彼らのような「知」に対して極めて能動的な人間になりたいが、どうやったら彼らに少しでも追い付けるのだろう。

なんにでも興味を持つ知的探究心。古典から新書まで常に読書を怠らない継続力。そして読書で得た知見をすぐに実行してしまう行動力

自分のように怠惰で流されるままに生きているような人間では彼らの足元にも近付けそうもないが頑張ってみよう。

ソルジェニーツィン、読んでみますね。あ、ドストエフスキーすら読んだ事ないからまずはそこからか。

定型発達児育児ツイッタラー見るのがつらい

子育て様相子どもの数だけ存在し、どうであれ固有の苦労があるから子育て中に感じた苦労について誰でも「大変だった」と言っていい。

と頭ではわかっているけど、「ものすごくお利口な定型発達児に恵まれてよかったですね」としか言いようのない子育てエピソード毎日のように能天気ツイートしてるやつが「こんなに大変だけどママやってます!」というスタンスでいるのを見ると、やはり感情的にはムカムカくる。

2018-10-21

切断処理信者は全員知能が低く卑怯例外はない

何かネット炎上した案件があると、必ず出てくる「切断処理信者。特徴的な発言は以下のとおり。

このような主旨の発言をしたやつらは、ぜったいに、かならず、一人の例外もなく知能が低く卑怯者です。

間違いはありません。

なぜ彼らは知能が低いと言えるか

切断処理」という言葉に明確な定義はありません。

しかしこの言葉を好んで使う人たちから推察するに、切断処理とは、

ある属性思想趣味・主張――ここから簡単に「グループ」と呼びます――に属する一部の人を、「この人は私のグループではない」「この人の行動はグループ全体の意向とは異なる」と表明し、あるいは攻撃することだと思われます

さて、この時点で知能の低くない皆さんはお気づきかと思います

一体、誰が、どの立場で「同じグループか否か」「このグループ意向は何か」を決めるのでしょう。

男、女といった属性はいうまでもなく、フェミニズムヴィーガニズムなどの思想だってスタンス解釈多種多様です。

たとえ宗教であっても、教典を定めているにも関わらず、解釈時代によって多くの派生が生まれますし、その派生のなかでもどれだけ敬虔かに個人差があるでしょう。

例えば企業社長のような、メンバーのはっきりした集団の長でもない限り、あるグループ代表して意向を述べたり、あるグループメンバーかどうかを他人が決めることは不可能です。

こんなこと、おそらく知能の高い皆さんには当たり前のことと思いますが、

切断処理他人に迫る人たちというのは、こんな当たり前のことさえわかっていないのです。

かわいそうですね。

でも、もしかしたら切断処理信者はいうかもしれません。

「何もグループ代表して言えというんじゃない、お前自身が何に賛同するか/何に反対するかを言え、俺が求めている切断処理とはそれだ」と。

でも彼らは気づかないのです。

その「個人個人主義主張」は、彼らの目の届かない範囲で日々無数に当たり前に行われていることに、

そしてそれを「切断処理信者」の目の前でやれ、と強要する大義などどこにもないことに。

いえ、その切断処理信者が、たとえばものすごい影響力のあるジャーナリストだとか、何万人にも発信できるメディアをもっているとか、そういうことであれば、「個人主義主張」を伝えることに、人によっては意味を見いだせるかもしれません。

しかし、「切断処理しろよ」と喚いているのはただのブックマーカーとかただの増田かせいぜいただのブロガーです。

そんなただの人に、「私個人はこう考えている」となんの代表でもない個人が伝えること。

それの、どこが、「切断」なのでしょう?

ある個人が、個人の主張を言うことを強要した。残った事実はそれだけだというのに。

けれど彼らはわからないのです、そんな程度のことが考えられないのです。

彼らは、ひとつの「グループ」に見えるものでも、実際には色々な立場と考え方があるということに耐えられないのです。

そういう処理能力の弱さを、知能が低いと言わずしてなんと言いましょう。

なぜ彼らは卑怯者だと言えるか

そんな知能の低い彼らは、どうして他人切断処理を迫るのでしょう?

それは、彼らが卑怯からに他なりません。

前述のとおり、ひとつの「グループ」に見えるものでもそのなかには無数の考えと立場があります。当たり前ですね。

しかしそんな当たり前のことを、切断処理信者理解できません。

それは知能が低いのが理由だとお伝えしましたが、もうひとつ理由があります

彼らは、本当はその「グループ」に興味がないのです。

炎上した案件に飛び付いただけで、

炎上する問題が出た背景も、その「グループ」にどんな考えの人たちがいるかも、全然興味がないのです。

彼らは、ただ炎上した案件に飛び付き、気持ちよく叩ける相手を叩きたいだけなのです。

しかし、その「グループ」をまるごと叩いてしまうと、他の人から自分が叩かれるのは目に見えています

から彼らはいうのです。

「いっしょくたに叩かれたくないのなら、問題を起こしたやつらを内部批判して別の名前をつけろ」と。

まり気持ちよく叩いても誰にも非難されない、そういうサンドバッグを作って自分差し出せ、と言いたいのです。

それが彼らのいう「切断処理しろ」の正体です。

他人を叩きたい、けれど自分は叩かれたくない。

差別をしたい、けれど差別主義者と言われたくない。

から同じ「グループ」に見える人たちに、「叩いていいグループ」の切断を迫るのです。

本当に卑怯気持ちの悪い考え方ですね。

なお、実際にはそんなことは不可能です。

前述のように、なにかを代表して発言することは、現実組織でない限りはほとんどすべての人にとって不可能からです。

また、炎上案件というのは傍目には分かりやすく誰かが悪者でも、その「グループ」に近しい人にとっては非常に複雑で簡単には解決できない問題が絡んでいたりします。

あるグループについて深く知れば知るほど、簡単に誰かを「切断」すれば済む問題など存在しないことに気づきます

大抵の問題は、まったく興味のない人間勝手断罪できるようなものではないのです。

これも、知能が高くできうる限り公正であろうとする善男善女のみなさんには当たり前のことなのですが、切断処理信者にはわからないのです。

悲しい生き物ですね。

切断処理をしたつもり」の人たち

しかし、切断処理信者バカ卑怯なくせに声だけは大きいので、

時に哀れな人たちが騙されて、言われるがまま「切断処理をした」と言おうとします。

たとえば以下の増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20181015091744

オタク普段からオタクに悪い人はいない」と言ってるけど

徹夜組に対する対応を見る限り既に切断処理してる

コミケ禁止されている「徹夜組」、つまり前日から会場に列を作り並ぶ行為禁止されています

深夜に大量の人がたむろすることで近隣住民不安煽り、また現金精算が基本の即売会に並んでいるとあって犯罪の温床にもなりやすいからです。

しかし毎年徹夜で並ぶ人たちはあとを絶たず、これには毎年ネット上でも批判の声が上がります

まだ13日なのにコミケ徹夜組大量発生か!? 徹夜組へのメッセージが(画像で)集まる - Togetter https://togetter.com/li/860094

では、これでオタクコミケ参加者の「切断処理」は終了しているのでしょうか。

答えは「お前んなかではそうなんだろう、お前んなかではな」です。

もうちょっというと「は? だから???」です。

いくら画像大喜利徹夜組批判してみたところで徹夜組はいなくなっていませんし、近隣住民不安は消えません。

徹夜組対策のために実際に汗をかいているコミケ運営についたは畏敬の念に堪えませんが、

コミケ徹夜待機が「オタク」というグループが起こしている問題だということに一切変わりはありません。

彼らの大事な「切断処理」なんてその程度のものです。

仮に「切断処理をした!」と主張したところで、せいぜいがインターネット議論ごっこ武器程度にしかなりません。

そもそもがくだらないのです。

誤解しないでいただきたいのは、ルールについての草の根啓蒙否定するわけではないということです。

明確で正統なルールがある場合においては、みんなで少しずつ意識を高めていけるのはいいことです。

しかしそれを「切断処理」と呼ぶの馬鹿げていますオタク関係ないことになるわけでは、ありません。

知能が低く卑怯者のはてなユーザーをどうするか

このように、切断処理信者は頭が悪く卑怯インターネット上の議論しか興味のない、大変残念な人たちです。

では、同じ「はてなユーザー」というグループにそのような残念な人たちを抱えてる善男善女の読者の皆さんは、いったいどうしたらいいのでしょう?

答えは簡単です。

どうもしなくて、いいのです。

だって単にたまたま同じサービス使ってるだけの他人です。

あなたは、あなた主義主張を、あなたのしたい場所あなたのしたい相手にしていけばいい。

あなた賛同したいと思った意見賛同し、反対したいと思った意見に反対し、発言したくなければ発言しなければいい。

他人に「切断処理しろ」などと迫られる必要はありません。

切断処理信者のような残念な人たちを放っておいては、はてなユーザー全体がレベルが低いと思われ」ますか?

もし万一そんなやつがいたら、そいつもおろかな切断処理信者というだけです。

オタクも、フェミニストも、男も女もみな同様です。

ただ、ルールや法に抵触していたら、善男善女義務として粛々と通報しましょう。

また、あなた自身批判したいと思った場合はいつでも遠慮なく批判しましょう。

我々に必要なのはたったそれだけです。

ビ・ハイ騒動考察

私はT式コーチングというものが本物かどうかを入念に調べながら実践し、それに関わるコーチング理論にも徹底的に手を出し、当然一月万冊にも辿り着いた。

彼らが主催するセミナーのようなものにも時々顔を出していたので、ビ・ハイアの従業員も知っていた。

私自身はコーチとしての資格などは持ってはいないが、T式コーチング理論はそれ自体は決して悪いものではない。

私は100%盲信している訳でもないが、本来の使い方をすれば素晴らしい効果を発揮するものであると感じている。

しかし、S社長(以下S)の解説するコーチング理論を精査したところ、T式のものとは少し違い、独自解釈理論で展開されている。

だがそれ自体コーチング理論からすれば大きな勘違いという程でもなく、本人すらも気づいていないかもしれないが、根源がT式とは違うコーチングをやってるなーといった感じだ。

実際、いまいち腑に落ちなかった部分をSの解説理解できた事もあり、彼にネット経由で直接感謝を述べたのだが、私の予想とは違うリアクションが返ってきた。

それは異様なまでの自画自賛である

これを機に、その内容とは裏腹に、私は彼に対し人格的な違和感を抱く事になった。

私の見解では、Sはめちゃくちゃ外ヅラは良いのたが、その本性は超自己中心的人間

自分天才だと思い込んでいる人物であり、普段から発言は嘘と本当の事を混ぜ込んであるので、非常に巧妙にまるで全てが本当の事だと思わせる話術もある。

更に、上手いことをやれば何をやっても許されると思っている。

知識人コーチ連中も含め、恐らく周りのほぼ全ての人間が彼を信用し、凄く良い人だと思っていた事だろう。

よって知識人と言えども、今回の事態を受け入れられず、混乱したまま擁護に回ってしまったのではないか

その点、コーチのU氏のスタンスはとても冷静で、元々今回の騒動の主要な人間関係を知っていた私は、彼の主張によりほぼ全容を理解できた。

この度の大下氏の主張は、恐らく社内でのSは彼の言う通りの人物なのだろう。

コーチング知識があるにも関わらず、事実それとはかけ離れた非人道的なSの振る舞いは、決して許されるものではない。

相互監視などはストックホルム症候群を応用した手法にすら思えるし、他にも読書で学んだ洗脳手法従業員に多用していたのだろう。

また、報道はされていないが、Sと大下氏は大学時代から20年来の友人でもあるはずなのにこのような仕打ちとは、Sの非道さが際立つ。

そして、ただでさえ怪し気な雰囲気が付き纏うコーチング業界にとっては、これは大変な痛手であり、大きな誤解も生まれる。

もちろん世の中にはコーチングと謳ってはいるが、インチキ紛いの連中も実際にいる。

たが、Sのやっていた事は当然それ以下で、彼が勝手に師と仰ぐT氏にとっても大きな迷惑である

事実独自理論を称えていたのでT式とも呼べないのだが、彼の巧妙さの真骨頂はそこではない。

本物のT式のコーチ交流を持っていた事にある。

Sにとっては権威付けのようなものだろう。

その並外れた営業スキル(外ヅラの良さ)で彼らに近づき、友人としてすっかり信用させていた。

私はそのコーチの方々とも会った事があるが、人間的に信頼もできる方達だと感じた。

私が唯一違和感を覚えたのは、やはりSだけだ。

また、T氏の一番弟子と言われるAコーチが、ビ・ハイアへコーポレートコーチングを行っていたという。

しかし、その最中従業員自殺が起きた。

残念ながら防ぐ事はできなかったが、これを機にA氏は流石にSの本性を見抜き、離れたのではないかと推察する。

しかしたらそれに加え、Sがコーポレートコーチング契約に反した行動なども露見したのかもしれない。

A氏のコーチングを受けていたにも関わらず従業員自殺するなど、その通りに実践していればどう考えても起き得ない状況だからである

今回の件で、A氏以外のSに関わったコーチ公式認定コーチから排除された問題は、T氏からすれば謹慎のようなものではないかと思う。

勿論除名は謹慎と比べるまでもなく重い処分ではあるが、やはりT氏としては動かない訳にもいかないだろうと、同情の余地もある。

とは言え、私は関わったコーチにも非があったとは思えない。

やはりSがずば抜けて良い人を演じるのが上手いのだと思う。

表向きには良い人、裏の顔は冷酷、もしかしたら本物のサイコパスなのかもしれない。

それを見抜けなかったコーチ知識人ある意味被害者でもあるが、それに反し彼らの社会的影響責任は大きい。

ただ、その現実を受け入れられず擁護に回っているとしたら、そこには同情の余地はない。

今回の騒動は、本来民事裁判などではなく刑事事件となるべきだと私は感じるのだが、その行く末を見届けたい。

それとともに、他のコーチング理論ならいざ知らず、少なくとも利他的である事を取り入れているはずのT式のコーチングには罪がない事も加えて主張したい。

2018-10-20

千田有紀はどう会話すべきだったか

anond:20181020130536

こちらの分析を見て、千田有紀はどこを間違ってしまったのか考えてみたい。

 

仮定を前提にしたモデル議論だと強調していない

多くの人はここで引っかかると思う

(1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください

キズナアイは相槌ばかり」という言説の真偽はとりあえず真としてほしいみたいな話とみた

つい最近の最善の相の議論でも話題になったけど、とりあえず仮定を真として議論を進めましょうみたいなの

多くの人は利害が絡むから無理なので、千田は「あくまでも仮定です!ここが受け入れられない場合読み飛ばしてください!」と

しつこく語りかけるべきだった

手打ちEXCELで回数数えるとか悪手もいいとこ。そこは前提なんだから

キズナアイは話のマクラにすぎないことを言ってない

これが元増田趣旨で、この点については俺も同意できる

しかし、であるなら世の中がマルクス主義フェミニズムの指摘するところの資本主義と家父長制で構築されているのだから

キズナアイにかかわらず世の中の表現のいたるところに同様の分析ができるはずだ

 

そうならそれで「今回のキズナアイは世の中一般に比べてことさら悪いわけではないです」など言って

早々に敵対モードを解除し、資本主義や家父長制一般の話に持っていくべきだった

 

なんだったら自分Twitterの会話も分析してみて

「私にも家父長制を再生産している部分もあります。それは私が不徹底なのではなく世の中の構造が原因なのです」

みたいに言って沈静化させることもできたはず

始終キズナアイに対するリスペクトがなかった

今回炎上が加速したのは、いつものアンチフェミニズム表現の自由戦士の他に

キズナアイVTuberファンまで敵に回してしまったのが原因かと思う

彼らは「キズナアイには魂がある」などと主張していることからかるとおり表現の自由戦士軍団とはことなクラスタに生きている

そして本来フェミニズムにもマルクス主義にも敵対的な集団ではなかったはずだ

 

彼らを怒らせてしまったのは千田があのインタビューを「シナリオライターが入念に作り上げた作劇だと扱った」ことであり

それはすなわちキズナアイを終始「企業が作り出した操り人形」だとみなしていたのだと思う

 

例えばこれが生身のYoutuber女性で、受け答えが相槌だらけだったとしたら

「まともに受け答えしていない、女子エンパワーメントできない」などと切って捨てられるだろうか

必死に頑張ったかもしれない一個人に対してそこまで酷評できないのでは?

というか普通の人があの場にでてキズナアイ以上の受け答えできる?

 

  

などなど、いろいろ隙のある対話スタンス炎上してしまたことがわかった

今回の件は大変残念なので、次回以降「自分敵対心ないよ」というスタンスをもうちょっと強く押し出して頑張って欲しい

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-10-19

anond:20181019173317

共和党保守だろ

アメリカ芸能人って普通に政治的スタンスを表に出してる人多い(んでリベラル率が高い)イメージだけど

そんなに驚かれるようなものなのかあれ

日本芸能人はその辺表に出さんけど

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