はてなキーワード: オペラとは
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080779271.html
の記事に対して否定的なコメントをツイートしたら落合氏本人からレスがついた。
せっかくなので補足をしてみようと思う。
①サッカーのたとえについて
サッカーのたとえが安易だと思ったのは、ここであげられている例示に違和感を覚えたからだ。
「このオケはマンUのようだ」「この曲はレアルのようだ」という時には、サッカーとクラシック両方に対するリテラシーがいる。
「神奈川フィルは地域密着で有名なプレイヤーは少なくてもど根性プレイを見せるからVファーレン長崎のようだ」とか「ラ・ヴァルスは構造が技巧的でデコラティブだからレアルのようだ」とか、双方をつなぐリテラシーが必要なはずだ。
そこを「感覚」というあいまいな言葉で接続するのは無理がある。
このような安易な例えでクラシックへのハードルが低くなるというのは飛躍しすぎだろう。凄く雑な議論だ。読んでいて話者の「僕はサッカーもクラシックも知っているよ」という「ぼくはAKBもリンキンパークも聴くよ」みたいなスノッブさを感じた。
この対談は日フィルが落合陽一と組んで行う新しい取り組みにたいして以下の2点を目的としているはずだ。
・こうした新しい取り組みに批判的であろう、旧来のクラヲタへの目くばせ
まず前者だが、クラヲタはこの対談で言われるほど理屈っぽくはない。私のまわりのアマオケの友人をみても、音楽史や楽典に精通している人は少数派だ。だいたい当の音楽業界の音楽批評こそが「感性」にたよったポエムみたいのばっかりで、しっかり楽曲の構造分析や演奏技術について記載された記事の方がまれじゃないか。そっちが大丈夫かと思うがそれはここでは関係ないか。また、守破離のくだりでいわれるようにクラヲタは保守的でもない。先日の渋谷慶一郎の科学未来館のロボットAIオペラが盛況だったように、むしろ新しいものが歓迎される素地がある。私だって金さえあればこのイベントに行ってみたい。落合陽一がどんな「挿絵」を曲に添えるのかみてみたい。こうしたクラヲタの新しいものへの「感性」に目をつぶって彼らを見くびるような対談をプロモーションに使う日フィル大丈夫か。
対談の後半くだりは落合陽一をアイコンにするような「アーリーアダプター」だったら興味をもって読むだろう。だが、「のだめ」でクラシックに興味をもったライトな層だったり、そもそも普段クラシックに興味があまりない新規層をとりこみたいのなら「意識高い系が西麻布で美味い飯食いながら<楽しいからこっち来いよ>言ってるみたい」な感じのこの対談がフックになるとは思えない。90年代に流行った空間ディレクターみたいな人たちがウェイウェイ言ってるだけで、全然クラシックへのハードルが低くなっているようには思えない。
私はこういうプロオケの新しい試みはどんどんやっていけばいいと思うけど、この対談にはイラだちしか感じなかった。クラシックへのハードルを下げているのは、主催者が汗水たらしてるラフォルジュルネだったり、プレイヤーがチャレンジしている反田の新しいフェスだったり、そもそも神奈川フィルが地べたを這いながらやっている地域貢献であって、わたしの「感性」ではこの対談に「内輪の軽さ」しか感じなかった。
あと、蛇足だが、落合陽一のファンらしき人から落合氏は凄い人だからおまえも学べとか尊敬しろみたいなリプが複数きた。落合氏もこんなのに普段から囲まれているなら不幸だと思った。頑張れ准教授。
セリフの和訳も多い。それだけじゃなく、固有名詞も解説されてる。例えば第一話、webster's roomという言葉が出てくる。調べてみると、フルハウス放送前にあったドラマに出てくるwebsterくんの部屋を意味しているとのことだ。このレベルの解説なんて他のドラマにない。
ゲーム・オブ・スローンズのような今をときめく人気ドラマも悪くはないんだが、やっぱり時代劇なので古めかしく堅い表現も多い。現代の一般会話には使い難い。それにウィンターフェルか壁の登場人物は北欧訛りの英語を話しているらしい。自分には分からんけど、ウェールズ出身の重度GoTオタクの知り合いが言ってたからそうなんだろう。つまり勉強には向かないって事だな。
最初は舐めた態度で視聴してたんだけど、意外に作り手が本気だったことに気づき途中から正座視聴させられるやつー! だった。
SNSを見渡しても基本ポジティブな感想が多くて、成功裏に終わったと言っていいと思うけど、それは作り手がアニメに対しても競馬に対しても真面目だったからかな、と。
舐めてた俺が最初に「おっ」と思ったのはOPを見たとき。ゴルシワープ(2012年皐月賞。道中ほぼ最後方に居たゴールドシップは、最終コーナーで他馬が避けるほど荒れていた内ラチ沿いを猛然と突っ切って15頭ごぼう抜き。直線を向いたときは3番手に躍り出ていた。ゴルシを語る上で外せないレースのひとつ)が描かれていて、「ひょっとして……」と思って見返すとサビに入ってからの映像は各ウマ娘の名レース集になっていた(ダスカ:右回りかつ他馬をちぎっているので2008年有馬記念、ウオッカ:左回りで他馬を縫うように進んでいるので2009年安田記念、ゴルシ:前述どおり、テイオー:右回りかつ後ろにハヤヒデ+歓喜の涙で1993年有馬記念、マックイーン:右回りかつ雨ということで1990年の菊花賞か1993年の宝塚記念、スズカ:左回りかつ4角先頭+2番手3番手の勝負服から1998年天皇賞秋(の夢の向こう側))。
ただまあモデルとなった馬の有名レースぐらいはチェックするか、とその場は納得したんだけど、1話のラストで「日本一のウマ娘とは?」と問われたスズカが「見ている人に夢を与えられるような、そんなウマ娘」と答えたとき、これはひょっとして、と初めて期待を抱いた。
ところでウマ娘はコミカライズもされているが、アニメに先駆けて始まったそっちはレースメインじゃなくキャラの内面を掘り下げるような内容になっている(『STARTING GATE!』)。オグリが怖い先輩として誤解されたり、スズカやスペがエアグルーヴと模擬レースをしたりと史実からも離れている。アニメもそういったオリジナル色の強いコンテンツに仕上げる方向もあっただろうが、おそらくいろんな考えがあって98-99年の競馬界に即した内容となった。結果的に大正解だったわけだけど、アニメファンと競馬ファンの双方を満足させることが必達というかなり難しいお題に制作スタッフは挑むことにもなった。
1-3話、つまりスペがスピカに入って皐月賞に負けるまでかなりスピーディに展開する。1話スピカ加入まで、2話は新馬戦、3話ではきさらぎ賞と弥生、そしてなんと皐月まで行ってしまう。そして穴に向かって「お母ちゃんに勝ったところを見せてあげたかったのに……!」。競馬ファンとしては「ずいぶんと早いな」、「でもアニメとして考えるなら妥当なスピード感かな」、という感触。
新作アニメが毎クール大量に作られる昨今、3話までに一つの山ぐらいないと切られてしまうだろう(遅いぐらいか?)。ウマ娘はテンポよく世界観を示し、キャラとその目標を示し、初の挫折と復活を期す姿でそれに応えた。いずれもクオリティが高く見ていて純粋に楽しめた(1話のラストのように「来週デビュー戦だ」「ふぇ? え? え? うぇ!? う"ぇ!? えーっっっ!?」のように笑いとストーリーを混ぜ込みながら話を進行させる手腕は高く評価されていいと思う)。まずはアニメとして純粋に楽しめる代物を、という制作側の意気込みをしっかりと感じられた。
なら競馬ファンとして見た時どうだったのか。これも意外や意外、思わず反応したくなる小ネタ満載でしっかり満足できる出来だった。スペが初めてナマで目撃するレースはサイレンススズカ伝説の幕開けとなる1998年のバレンタインSで「分かってるじゃないか」と思わず愉悦顔になってしまうチョイス。解説は元中央ジョッキーで日曜の15時に競馬番組をつければだいたいパドック解説をやってるホソジュンこと細江純子がまさかの本人登場での担当だし、主人公たちが話している後ろではオグリが大食いを披露する。19世紀の伝説的名馬エクリプスをぶっこんできたと思えば、タイキがプール調教で鍛えたネタをしっかりと拾う。NHKマイルCにエルコンが出走するニュースはJRAのブランドCMを意識した作りだったし、スペシャルウィークが他のウマ娘を見たことがなかったという設定も母馬キャンペンガールが出産直後に亡くなったエピソードをしっかりと踏まえてきた(育ての親が外国人ぽいのは育成を担当したスタッフがニュージーランド人だったかららしい)。
しかもただエピソードを引っ張ってきて終わりではなく、しっかりとアニメのストーリーラインに落とし込むところが好感度大。特に良かったのは1999年の京都大賞典。スペシャルウィークは7着だったから無視するかなと思ったのにちゃんと取り込んだのを見たとき、思わず唸ってしまった。
先だって描かれた1999年宝塚記念。ここでスペシャルウィークはグラスワンダーの2着に敗れる。怪我から復帰したスズカにかかりっきりで上の空だったスペはグラスワンダーの本気の前に屈してしまうのだ。これは実際に凱旋門賞への挑戦を検討していたことやグラスワンダー主戦の的場のヒットマンぶりと連動しており、このネタの取り込みっぷりもすごいのだが、もっと凄いのはこのレースに敗れたスペが2度目の挫折と復活を穴に向かって叫んだ直後のレースが京都大賞典だ、という点だ。
復活を期すスペシャルウィーク。アニメ的な展開を考えれば、ここから上り調子で大願を成就するのが普通だろう。しかし史実では単勝1.8倍のまさかの7着。スペシャルウィークが唯一複勝圏はおろか掲示板も外したレースであり、アニメの流れの中では非常に扱いづらい。だから当然なかったことになるだろうと思っていた。と同時に、スペはお母ちゃんお母ちゃん言うけれど、基本的には実家でスペの応援してるだけだよなあでもまあトレセン学園に来るわけでもなし出番ないよなあと思っていた。そこにまさかの合わせ技。スペがやる気を出しすぎでオーバーワークになって敗れた、それを見たトレーナーはスペを実家へ放牧に出した――という展開になってそうきたか、と。アニメのストーリーと相性の悪い史実もちゃんと取り込んで必然とも言えるストーリーラインに昇華していく。アニメとしても競馬としても良いものにしたい。スタッフが知恵を絞ったから両方から見て納得の展開に仕上がったのだろう。
ここまでやられてはもう認めざるを得ない。むしろ舐めてかかったみずからの不明を恥じるばかりだ。
そしてそんな魂のこもった仕事に、「夢」を見た。ここまでやってくれるスタッフなら、競馬ファンの見果てぬ夢を、見せてくれるんじゃないか――と。
そんなこちらの高ぶった感情を見抜いているかのように、トレーナーが折に触れて「夢」を叫ぶ。
「お前、日本一のウマ娘になるのが目標だと言っていたな。日本一のウマ娘ってなんだ」
「俺はお前たちがレースに出て先頭争いをしているところが見たい! それが今の俺の夢なんだ!」
「俺は全力で走るあいつらが好きだ! これからもずっと見ていたい!」
そう、夢。
牝馬でありながらG1通算7勝、そして何より64年ぶりに牝馬のダービー制覇という常識はずれをやってのけたウオッカ。
驚異的な二枚腰で数々の牡馬を屠り、生涯連対と37年ぶりの牝馬の有馬記念勝利を達成したダイワスカーレット。
配合からローテーションから馬主の情熱が注ぎ込まれた結果、世界の頂にあと一歩まで迫ったエルコンドルパサー。
夫の遺志をついだメジロのおばあちゃんの下、春の盾・親子三代制覇という前人未到の偉業を成し遂げたターフの名優メジロマックイーン。
年間8戦全勝というレジェンド。世紀末にターフへと降り立った覇王ことハナ差圧勝テイエムオペラオー。
偉大なるサンデーサイレンスの初年度産駒であり幻の三冠馬と言われたフジキセキ。
無敗で三冠という偉大すぎる戦績。強すぎて退屈とさえ言われた皇帝シンボリルドルフ。
父子三冠という夢に挑み無敗で二冠を達成するも骨折に泣き、勝つか着外かという好不調の波に悩まされ続けた末に中364日の有馬記念で奇跡の復活を果たしたトウカイテイオー。
シンボリルドルフ以来10年ぶりに誕生した三冠馬。皐月賞を3馬身1/2差、東京優駿を5馬身差、菊花賞を7馬身差と同期をまったく相手にしなかったシャドーロールの怪物ナリタブライアン。
新・平成三強の一角でデビュー以来15戦連続連対という離れ業をやってのけた、顔デカ兄貴と書いて何でもできると読むビワハヤヒデ
3歳から6歳までG1戦線で活躍し、親子二代の優駿牝馬制覇、17年ぶりの牝馬による天皇賞優勝、年度代表馬選出とウオッカ/ダイワスカーレット時代に先鞭をつけた女帝エアグルーヴ。
3歳戦を無敗で制するも骨折から始まった低迷と復活を繰り返しながらスペシャルウィークやエルコンドルパサーといった同期としのぎを削り、グランプリ三連覇を達成したワンダーホース・グラスワンダー。
世界的種牡馬の代表産駒として8戦8勝、3歳王者戦を大差勝ち、2着馬につけた着差の合計は61馬身など数々の伝説を打ち立てるも持込馬という生い立ちからクラシックに参戦できなかったスーパーカー・マルゼンスキー。
クラシック初戦は荒れた内馬場を通ってワープし、春の盾は2角からというまさかの超々ロングスパートで勝ってしまい、三連覇に挑んだ春のグランプリではゲートで立ち上がり信じられないほど出遅れとターフ内外での茶目っ気でファンを魅了した新・芦毛の怪物ゴールドシップ。
牝馬は牡馬に勝てないという時代にあって対等以上に渡り合い、94年の有馬記念では絶頂期のナリタブライアンに真っ向勝負を挑んだ脅威の追込馬・女傑ヒシアマゾン。
地方笠松から殴り込んで中央競馬界を席巻。先輩タマモクロスとの競演で芦毛伝説をつくり、連闘(!)で挑んだジャパンカップにて2分22秒2という世界レコードの前にタイム差なしのクビ差2着に敗れるなど数々の死闘で身体をボロボロにしながらも有馬記念で見事に引退の花道を飾って多くのファンに大きな夢を見せたスーパーアイドルホース・オグリキャップ。
武豊もダービーだけは勝てない。そう言われていた天才に悲願のダービー制覇をもたらし、凱旋門賞馬モンジューも降した日本総大将スペシャルウィーク。
そして、サイレンススズカ。
1000mを57秒台という無謀とも言えるラップで逃げながらもそれが本馬のペースとジョッキーに言わしめた異次元の逃亡者。
しかし大欅の向こう側に散って悲運の最期を遂げてしまったサイレンススズカ……。
ウマ娘は、1998年の競馬ファンが抱いた夢、志半ばで霧散したその夢にまっこうから挑んだ。始まる前の俺なら「いやいやスズカの伝説ってのはそんな簡単なもんじゃないんだ」と言っただろう。しかしウマ娘のアニメとしての面白さ、そして制作陣の競馬に対する真摯な態度の前に「夢」を見せてくれることを期待するようになった。
そしてウマ娘は見せてくれた。競馬ゲームで生産した「サイレンススズカ」を走らせ、ひとりこっそりそして虚しく見ていた夢ではない、ある意味で本物の夢の続きを。
いや分かってる。所詮アニメじゃないか、それこそ本物のサイレンススズカは大欅の向こうで散ったじゃないか。その通りだ。それがまごうことない真実だ。でもあの時に涙を流した競馬ファンみんながいっしょにサイレンススズカの夢の続きを見られるとしたら、これが最初で最後じゃないか――そんなふうにも思える。
それぐらいアニメウマ娘は馬鹿正直に、大真面目に、こっ恥ずかしいほどに競馬が見せる「夢」に挑み、そしてやり遂げてくれた。
トレーナーは夢を叫ぶ。そしてときには叱り、ときには励ましながらウマ娘たちを応援する。「俺がついてるぞー! どこまでも走れー!」
競馬ファンが自分の好きな馬を応援するときの気持ちをトレーナーは代弁してくれた。彼は競馬ファンそのものだった。そして競馬を知らないアニメファンにも競馬を好きになってもらえるんじゃないかという期待を抱かせるほどカッコ良かった。
こんな未来があるなんて、大欅の向こうに散ったスズカを見たとき思いもしなかった。
そして何より、オタクであってもちょっと引いてしまうようなアレなコンテンツに愛馬の出走を許した権利者の皆様に心からの感謝を。
あなたたちの勇気ある決断のおかげで本当にいいものが見れました。ありがとうございました。
※おまけ
あんまり競馬に詳しくない人がもしここまで読んでいるのなら以下の動画をぜひ見ていってください。もうちょっとウマ娘と競馬が好きになれるかもしれないから。
[ウマ娘]OPにプロの実況と解説を付けてみた - nicovideo.jp/watch/sm33239562 ※サビにご注目。東日本G1ファンファーレで始まる構成も秀逸
ブランドCM 「夢の第11レース」 120秒編 - youtube.com/watch?v=kcv3D26GjWA ※最終話WDTの元ネタ
【ウマ娘】JRA・CM 夢の第11レース ウマ娘Ver. - nicovideo.jp/watch/sm33399077 ※この人の動画ほんと好きなんだ……
【ガチ実況】ウマ娘:ウィンタードリームトロフィー - nicovideo.jp/watch/sm33385387 ※最終話ネタバレ
【THE WINNER】グラスワンダー ウマ娘ver. - nicovideo.jp/watch/sm33232892 ※かっちょいい
【ウマ娘】JRA・CM キングヘイロー ウマ娘Ver. - nicovideo.jp/watch/sm33252425 ※かっちょいい
【競馬CM】2012年JRA G1レースCM上半期総まとめ - nicovideo.jp/watch/sm18106839 ※↑2つの元ネタ。そしてライスシャワーがかっこよすぎて痺れる
【競馬CM】2013年JRA G1レースCM上半期総まとめ - nicovideo.jp/watch/sm21202474 ※テスコガビーが曲のマッチ具合も含めて最高。ちなこれと↓はポプテピピックの神風動画制作
【競馬CM】2013年JRA G1レースCM下半期総まとめ - nicovideo.jp/watch/sm22387914 ※オペラオーの「その馬は完全に包囲された。道は、消えたはずだった」からの流れが激熱
【競馬】第49回毎日王冠 サイレンススズカ - nicovideo.jp/watch/sm4584692 ※あのエルコンに影も踏ませないスズカ
1999年 第78回凱旋門賞 日本語実況版 - youtube.com/watch?v=IrIH0SNUt2M ※世界の頂への挑戦
1999年(平成11年) ジャパンカップ スペシャルウィーク - nicovideo.jp/watch/sm16283421 ※エルを降したモンジューを、日本総大将が迎え撃つ
【競馬】第44回有馬記念 グラスワンダー(画質向上) - nicovideo.jp/watch/sm4026592 ※最後は最強の二頭
2008.11.02 第138回 天皇賞(GI) - nicovideo.jp/watch/sm5198792 ※ダイワスカーレットが差し返すところ泣いてしまう……
(競馬) トウカイテイオー 1993第38回 有馬記念 (奇跡の復活) - nicovideo.jp/watch/sm5913 ※364日(1年)ぶりのレースでG1制覇は史上初
【競馬】1990年 有馬記念(オグリキャップ) - nicovideo.jp/watch/sm1170176 ※オグリ燃え尽き……からの復活ラストラン。なんてご褒美だよまったく
※おまけのおまけ
【競馬】根岸S ブロードアピール - nicovideo.jp/watch/sm998264 ※すごい追込+青嶋バクシンオー渾身の実況
1997 エリザベス女王杯 エリモシック - youtube.com/watch?v=Q0R2cQ2kJ1E&feature=youtu.be&t=249 ※グラス主戦の的場のすごいレース+馬場さんの実況がかっちょいい
※ https://t.co/7nm90VRdnT からの続きです
(CM)
徹「そうそうそう、あなたお婆さまから形見の指輪をおもらいになったって?」
カ「ハァイ、もらったっていうか取ったんで、取ったっていうかまぁ(笑)取ったんですけど。今日着てきたのがコレです(指輪を見せる)」
徹「あらそう〜随分不思議な色のね、なんかきっと良い石なんでしょうね。」
カ「これはどっかの拾ってきたやつを入れたんだと思うんですけれども、これは、おばあちゃんがロシアの旅行に行った時に自分で買った、そして、今日他に2つも持ってきたんですけども、これは、おじお爺ちゃんが・・お爺ちゃんなので、お婆ちゃんの夫。が、あの・・タイに旅行に行ったときの初めてのお婆ちゃんのお土産・・これペンダントって言って買ってきたんですけど、この首の・・そのなんて・・回る根っこのとこ(※チェーンのこと?)が無いので、ちょっと」
徹「あらきれいね〜なんかこういう、中に女の人が踊ってる感じがね」
カ「あ、そうなんですか?」
徹「でもこれ鎖通せばね、あなたもお出来になると思いますけど、大事な」
カ「そうです、まぁでもこのまま・・一生することはなかった・・で、これが、全部同じ色の(笑)指輪なんですけど。ちょっとよくわかんないですけど。これはただ、残ってたので私が何かあればってことで」
徹「これお婆さまのなの?素敵ね〜何かとっても素敵ですよね、年代物って感じがするじゃない?ねぇこれしかもこれをおもらいになった時のお婆さまがとっても嬉しいっていうね、気持ちがあったとしたら、なんて素敵だと思いますよね。。お爺さまからおもらいになったものだと思う?」
カ「あ、違うと思います。これはホントにただ買ってきたものだと」
徹「お婆さまが買った(苦笑)そうですか」
カ「お婆さまはね、ほとんど自分で買っちゃう人なんで(笑)私があげたブローチも、気に入らないと奥底にしまっちゃうタイプで」
徹「でもあなたあれですよね、全部こういうものはあなた人にお見せになったこと無いんですってね」
カ「1回も無いです〜もちろんですよ〜もう泣いてると思います(天を指して)おばぁ」
カ「もちろんですよ〜(天に向って)あ〜良かったね〜!」
徹「(指輪をはめて)これお婆さまの指輪です。なんか素敵じゃない?・・ちょっと・・凄く素敵だと思いますあたくし。あの・・ちょっと質素なんだけれども、気持ちがこもってて、なんかね、素敵だっ」
徹「いいわよ泣いちゃって・・・」
徹「じゃあお返ししますね。。。」
カ「(指輪を受け取って袋に入れる)ごめんなさいちょっと、あの感極ゴホッ感極まっちゃっました・・」
徹「でもお婆さまきっと良いお婆さまだったんでしょうきっとね・・ねぇ、そんな風に泣くほど、お祖母様が、好きだった方がいらっしゃったのは幸せな事ですよねあなたね」
カ「どういう意味ですか?」
(スタジオどよめき)
カ・徹「(笑)」
徹「(笑)そうやって泣くほど、考えると涙が出るほど好きな方がいらっしゃったこと」
カ「あたしがですよね!もうホントに・・お婆ちゃんの子供・・・お婆ちゃんの子供じゃないですけど、血が繋がってるんですけど、繋がってて良かったなって思いました」
徹「でも、今、お婆さまがどっかにいらっしゃるとしたら、お婆さまに何て言いたい?」
カ「うーん・・・(右肩をポンポンと叩きながら)ぜっったいここらへんに居るんですけども、でもやっぱり、今は何も言いたくないというか(笑)やっぱり徹子さんだけを見ててほしいので、今ここ(右肩)で会話する必要は無いです。【徹子「ああじゃあおうちに帰ってから」】(笑)お家帰ってからハイ」
徹「じゃあお家に帰ってからお婆さまと、四字熟語でも何でもなさってください(笑)」
(CM)
徹「でも今あなたは本当に素敵でいらっしゃると思うんだけど、昔から自分に凄くコンプレックスがあったんですって?」
カ「はい、そのとおりです。あのこの、身長が、嫌だったんですけども、今はとっても嬉しいですけど、やっぱりその、髪も茶色いですし、目も茶色い・・・」
徹「これねぇ、ビックリしたんですけど大きい1人だけ大きいこれあーたなの」
カ「もちろんです!この、一番はじっこの人たちが同じ人たちなんですけども」
徹「すっごい違うわね」
カ「あたしもうこの身長で小学生から来てるので、小5小6でここまできちゃって」
徹「168cmだそうですけども」
カ「171〜2で、小6を卒業させていただいたので、もうランドセルこれでピチパチッピチッピツっ」
徹「そ〜おなの〜ねぇ〜ピチピチ、うん」
カ「も〜運転手さん、っていうかあの〜電車の横に居る人とかにも、あのピョピヨッピヨッとか鳴っちゃうんですね、切符入れると小学生なんで、それが駅中に広まっちゃって、いっつも、顔覚えてんのに呼び止められ呼び止められて何歳なんだとか言われたりして、急いでるっていうのにもうよく話した思い出があるんですけど、っていうのも嫌だったですし、あと2個めは髪が茶色かったので、髪を濡らして学校に行ってました」
徹「(髪を指差して)そういう色だったの元々」
カ「あのこれよりも、、もっと、あの、もっと暗い色、ほぼ黒なんですけど、でもあの時の黒って全然黒じゃないじゃないですか。ほぼ茶色になっちゃうじゃないですか。だから茶色からちょっとでも真っ黒にしたかったので、いつも髪を濡らしてね、学校に行って水をピトピト・・したらせながら行ったり、努力してましたけど今はどうも思ってないんで、今ではなぁって感じで」
徹「でもそれで何か言われた事はないの?お友達に」
カ「あの、ダース・ベイダーっていうあだ名でやってたんですけど」
徹「ダース・ベイダー?」
カ「お知りですか?あのダース・ベイダーっていう、外国の生き物が居るんですけど【スタジオどよめく】(笑)なんかそのなんていうかソレでいつも言われてて、なんか私もその時は知らなかったんでダース・ベイダーって何だろう?ってずっと、何のお話をしてんのかなって調べたら真っ黒の、生き物みたいなやつだったんで、それに似てる似てるって言われて、そん時は嫌だったんですけど今思えばなんか良い・・良いこと言われたなと思って、ラッキーです。」
徹「お母さまにそういう事こぼしたりはなさらなかった」
カ「こぼしましたし、毎日、毎晩ママが帰ってきたらママ呼び出して、もう下向きになっちゃってるママに、言ってたんでだから、ごめんね〜っみたいな、ママはすぐ言ったら言われちゃう人なんで、私も今となっては大大大反省なんですけど、今はもう産んでくれてありがとう、こんな、感じで、ありがとうっていう感じなんで、ハーフで、嬉しいです今では。」
徹「でもお父様は背が2mくらいおありだったんですって?」
カ「そうです、このお母さんは153cmしかなくて、ウチのお父さんが2mぐらいの男だったみたいなんで、ホントその間をとった、間の、ちゃんとして間を割ってるので、ハイ」
カ「もっのすごい見てきますし、ものすごい言ってきますし、メールとかでも、やっぱり俳句の番組を、請け負・・受け持ってる(笑)受け持ってるっていうか(笑)あのラッキー、奇跡的にあの、あるんですけども、そん時とかも、あの、俳句の才能が光ってるとか、なんかそういう事をよく言ってくれるので、趣味が似てる人ですね・・」
徹「でもあなたホント俳句がお出来になるなんてことは、お母さまにとっては嬉しいことよね」
カ「やっぱりハーフに見えても、日本の心でこっちはやっているんで、あの日本の事を全て知ってやってるので、楽しんでます」
徹「いいですよね〜あたしも俳句やってるんですけどね、もうね30年くらいやってるけどぜっんぜん上手にならないのよ」
カ「え〜!なんでですか〜?」
徹「ぜんぜんね、才能が無いのよ(笑)それでね、五・七・五に入んないの(笑)」
カ「エヘヘへ(笑)」
徹「大きいこと考えちゃって、それを詰め込もうとするから、そういうもんじゃないのね俳句ってね」
カ「(超真顔)そうです、、よくある、間違いですねうん【スタジオどよめく】(笑)」
徹「よくある(笑)間違い」
(CM)
徹「お婆さまはそういうオペラの方だけど、オシャレで厳しい方。」
カ「物凄いオシャレで、もちろん厳しい(前出の写真を見て)なんかあったらスカーフをくれって言ってるお婆ちゃんだったんで、誕生日には困らず、スカーフだけ買ってれば良かっ(笑)買ってれば良かっていうか(笑)・・一番のスカーフの使い方が巧い人でした」
徹「お怒りになる時はどんな時に叱られるの?」
カ「やっぱり、礼儀が。一番のうるささで、もうママとかにも、ちょっとでも、うるさい!とか、あの〜その時、やっぱ暴力的言葉があの、ドラマとかが流行ってた時に皆んな真似しちゃうじゃないですか、うるさい!とか黙れ!とか、ざけんなよとか、まさにそこに産まれちゃった女の子だったんで、もう毎日TV観て友達と言い合って、それのあの〜なんてすか、流れでママにも言っちゃったりすると、も〜お婆ちゃんは立ち上がって、玄関先まであのパタパタ追いかけてくる女の人だったんで、、、ママにあんな事言っちゃダメでしょ!みたいな感じで、家から出されて鍵かかられて。あのー入れてもらえない家です。だからごめんなさい、本当に反省してますって」
徹「そうでしょうね、、でも本当に反省したでしょその時はね」
カ「とっても反省しましたし、だからこそ今、逆に、そうやって、お前とか、言う・・人間たち・・人間たちが人間が凄く気になっちゃいます」
徹「そういう人多いですもんねぇ・・それから親のことクソババァとかねぇ」
カ「ッフッフフ(笑)」
徹「とっても信じられないんですけど、、今言っちゃったけど」
徹「どうしてそんな事を親に対して言うんだろうって思いますけどね」
カ「今ではちょっと・・ブキミな感じになっちゃうので、言えないです」
徹「私たち子供の時はお母様って言ってね、やっぱりきちんと・・(エンディングテーマが流れ出す)あら、もう終わっちゃう」
カ「(ニコニコしながら)ええ〜〜〜〜?」
徹「あっという間でしたね〜」
カ「はい?」
徹「あっという間」
カ「あっという間でしたね〜(ニコニコ)」
徹「今の気持ちをちょっと、よんじ熟語で、、何でもいいんで俳句でも何でも」
カ「(指折りし考えて)えっと・・サイコー、サイコー!(笑)」
(全員爆笑)
(書き起こし終わり)
(書き起こし始まり)
徹子「今日のお客様はとっても可愛い方でいらっしゃいます、雑誌JJのモデルでいらっしゃいまして、何といってもその日本語が、お可愛らしい・・えっとね(資料を見る)独特の「四字熟語」よんじ・・じょく熟語っていうんですか(笑)あたくしも今日これから伺ってみようと思いますけど、あたくしにもとても素敵な、あのそういうので付けてくださいました、後で伺います。滝沢カレンさん今日のお客様です。」
(ドアが開き滝沢入場)
徹「どうぞお入り下さい。去年の番組出演本数が200本以上を越すという大変な人気者でいらっしゃいます。どうぞお座り下さい・・あ、素敵なお洋服。ね、なんて素敵なんでしょう。・・・さっきも申しましたように、雑誌JJの人気モデルさんでいらっしゃいます(雑誌の表紙写真を見て)あ、こんなね、こういう感じなんですけど。お父様がウクライナの方でお母さんは日本の方で、で日本にお住まいになって。」
カレン「もうずっと、あの〜おも、生まれてからもずっと日本ですし、ウクライナに別にどうも思ってるわけじゃなくて、あの日本でしか生きてないんで」
徹「ウフフ・・・どうも思ってない(笑)でも言葉は日本語の他に何かお出来になる」
徹「ウクライナ語もお出来にならない」
カ「もちろんです」
徹「で、あなたはお生まれになる前に、もうご両親がお別れになってらしたの?」
カ「そうなんです、お腹の中でそういう事があったので。離婚して、で、産まれた時はママしか、逆に良かったというか。逆に・・お父さんという存在を、知ら、分からなかったというか、居る事も分からなければ居ないことも分からないから、そういう人間なので・・なんか欲しいとも思ったこと無いですし、もう、お爺ちゃんが男のパパ、みたいな」
徹「あ、お爺さまが居らしたから。お爺さまは甘くて良い方だったんでしょ?」
カ「ほんっとにもぅ・・目ぇ見れば500円くれるような男だったので」
徹「あら良い〜(笑)良いわね〜そんな人居ないわよ見るだけで500円くれるなんて」
徹「さて、あなたは今日は念願の徹子の部屋初出演でいらっしゃるんですけど、大好きでらしたんですって?」
カ「そうなんです!あの〜こんなとこで言う話でもないんですけど、あの、ホント小学生から、お婆ちゃんと見てたぐらい」
徹「あ〜そうなの。お婆さまと一緒に」
カ「お婆さま・・お婆ちゃんなんですけど、あの私がずっとお婆ちゃんに育てられた娘でして、ここまで来たんですけど」
徹「(祖父母と写っている幼少期の写真を見ながら)お祖母様?この方?」
徹「何処でしょうね〜これ白樺があって、素敵な所ね」
カ「これは北海道の方です。で、この下向き加減な人がお爺ちゃん(笑)なんですけど、このお爺ちゃんとお婆ちゃんに育てられて。もちろんお母さんも居るんですけど、あのお婆ちゃんがほぼお母さんみたいな人でやってました。」
徹「だからまたそういう方で育つと、色んな事を覚えるでしょうね」
カ「あのホントに・・昔の人なので、あの・・色んな事を知っていて、テレビの事もやっぱり、徹子さん、の部屋をずっと二人で横並びで見てたりとか、であの。ここには凄いあの・・歌の方とか女優さんの方とかが・・すぐお婆ちゃんそういうのであのアガっちゃう人なので、それでキャッキャ言いながら」
徹「ホントに。でも残念ですね、なんかお亡くなりになったんですってね」
カ「そう〜あの、もちろん、ァもちろんじゃなくてあの、寂しいことに亡くなってしまったんですけど、でも全然寂しくないというかそのまぁ全てをやりきって、あそこまで生きたっていう女は居ないので」
徹「女は居ない(笑)うん」
カ「なかなかその・・引き止める訳にもいかないので自然なので」
徹「まぁねぇ・・80歳で3年前にお亡くなりになったそうですけど」
カ「そうですね・・・」
徹「そうですか」
カ「はい」
徹「あの、四字熟語、というのを駆使なさいまして、ええ・・ホントに(笑)お可愛らしい、それでまた有名になって。なんか私の事も付けてくだすって、あたし嬉しいと思ったの「早口国宝」って言うんだって?」
徹「これはどういうフッフッフ」
カ「フフフ・・あの、申し訳ないぐらい、あのやっぱり早口なので(笑)やはりそういう事をずっと私はちっちゃいながらも、徹子の部屋・・さんっていうんですか、こういう所を観てて、この方すごい早口だなぁと思いながら、でも全部を、巻き込む。力強さとか、あのこく、国並み、くに。国宝並みだなぁっていう、やっぱり普通の早口とは違うっていうのをやっぱ分からせたかったので、やっぱり早口、の国宝で、たか・・あたしはもうホントに、何かあったら徹子さんっていうぐらい、あの、気付いちゃう(※築いちゃう?)人なので、やっぱり徹子さんは国宝だなっていう、みんなが思っている事を言いました。」
徹「ありがとう存じます・・そんな事言われたことないのよあたし。だから本当に嬉しいと思います。でも面白いのでは、出川哲朗さん。あの方の事をやはり四字熟語で仰ると」
カ「あの人は、えと「職業激痛」って言わせて頂いてるんですけど(笑)あのフッフ・・ホントに痛い事しかしてない。。【徹子「熱いお湯の中に飛び込むとか」】そうです!そうです、泥・・食べたりとか・・ッフッフあの分かんないけど(笑)そういう事ばっかされているので、それをやっぱり、尊敬をしました、あたしには絶対しないですし、出来もしないことをひとがやるって」
徹「ビックリしますよねぇ・・・そうそう。それから私あれが面白いと思うのは、梅沢富美男さん。フッフッフ」
徹「(笑)本業不明。あの方さぁ、300年に一度の俳優だって言ってるわよ自分のこと」
カ「そう!そうなんですご自分では、そう仰ってたんですけどやっぱりその、何をされてるのかやっぱあの色んな所で、こうこう・・あのトコトコ出てるので、なにしてるんだろうっていっつも・・なにしてもまぁ出来てるかもしれないですけど、全部が100点すぎて、ホントの話がわかんなかったです」
徹「ハッハ・・・そう。。ただその四字熟語というのは自分で研究したの?」
カ「研究ってか(笑)あの、ただの思いつきでやってますけど、あの〜あたし漢字がずっと好きだったんですよね。大好きで・・もう何かあったら漢字。書く、漢字ドリルっていうのがあの時はあったんですけど、あの時から大好きで、漢字ドリル、の、授業ばっかりをやる、っていう女の子でした」
徹「じゃあ漢字がお出来になると随分表現法がね・・。お子さんの時はどんなお子さんだったの?」
カ「子供ん時は、あの・・私の子供の時は、凄い、人見知りが無い、女の子でした。いっぱい人に話しかけちゃうし」
徹「あっそうなの〜(子供時代の写真を見て)あらかわいい〜これあなた?かわいい〜健康そう。目が大きくて」
カ「そうなんですちょっと何か大型な感じで」
徹「でもあなたは昭和の家庭で育ったということなんですけど、どういう家庭なの昭和の家庭って」
カ「そうなんです!本当に、ビックリするくらいあの〜家の中は綺麗なんですけども、お婆ちゃんが全部ホコリひとつ、ひとつもこうやってペタペタ自分の指で確かめて、あの〜家を周るっていうヘンな・・人だったんですけども、他にもあのすっごい厳しくて、靴、ゲタ・・靴箱の、下駄箱とかも、一足以上出してたら絶対ダメですし、そして教科書も床にちょっと置いて、トイレに行こうなんて思おうが、もう思った瞬間に捨てられてしまうので・・・【徹子「大変・・・」】ゴミ箱とトイレ・・・、ゴミ箱→トイレ、ゴミ箱→トイレ、っていう感じです。置いとくとすぐゴミ箱・・・ホントにバケツのゴミ箱を買ってきてるんで、あそこは。ウチのあのお婆ちゃんは」
徹「お母さまは通訳の仕事でお忙しくてらっしゃるんですってね」
カ「そうです、今でも通訳をさせまし、させてますけど(母と写っている幼少期の写真を見て)そうです、これが母です上の人が。旅行のときの・・いつも旅行をしたら写真を撮る、っていう前向きな家族だったので」
徹「素敵だなと思うのは、あなたのお家ではお食事の時にオペラの音楽をいつもお婆さまがかけてらっしゃって」
カ「そうです〜(笑顔)」
カ「そうですぃ・・」
徹「まぁ色々あるけども、マダム・バタフライとかこういう(「蝶々夫人」がかかる)」
徹「そうです」
カ「へぇ〜」
徹「どんな話をしながら食べるのそれで」
カ「あの〜会話というより、この時は会話っていうよりは、お婆ちゃんだけが鼻唄を食事中この許されてたので、ず〜とそんな感じで歌って、私達に聴かせてたし、もうこの曲が鳴っている間は私達は喋っちゃいけないタイムなので(笑)お婆ちゃんの聞き入りタイムなので、私たちは無言でご飯を・・」
徹「でもお婆さまはオペラ歌手になりたかった訳じゃあないの?べつに」
カ「ま・・・そこまでの話はしたことないんですけど、でもオペラ教室に、習ってました」
徹「じゃあやっぱりお好きなんだわね」
カ「年に一回、落葉松の歌とか歌いに行ったのを私は見に行きました」
徹「あらそうなの。いい声だった?お婆さま」
カ「んもうお婆ちゃんはほんっとに歌が上手で、もう、電話に出る音からしてホントに、誰この声?!って思うくらいの、私の自慢の声だったんで」
徹「あ〜そうなの、じゃあ普段の声もお綺麗だったんでしょうねぇ」
カ「もうホントに、怒鳴る時だけ(顎をグッと引いて)あの、グォッ、グォ〜、みたいな(笑)鬼みたいな、鬼のような声で」
徹「アッハッハ・・でもなんかお爺様は俳句をなさる?」
カ「あ、そだお爺ちゃんは、おか、お婆ちゃんも俳句するんですけど、あの私もその繋がりで俳句仲間になったんですけども、お爺ちゃんは、絵を書きます。」
徹「・・あ、お爺様絵をお書きになる。そいでっで俳句作ったりして」
カ「あの〜そうです、おば、俳句は、あのホントにふとした瞬間にしか作らないので、あの俳句作るぞっっていうことじゃないです」
カ「えっともうかなりの数を作ってきたので、今でもいつでも作れるくらい・・あの俳句は」
徹子さん 思っていたのと 全く同じ
(スタジオどよめく)
徹「アッハ・・・ありがとうございます(笑)徹子さん思っていたのと全く同じ。この方の今日の俳句でございます。大事にしておきましょオッフフ・・そうですか。おんなじだった?」
カ「あの・・やっぱり、凄く想像を膨らませて・・生きていたので、今日来てしまった、来てしまったというか(笑)あのホントに、自分の思っていたとおりの、人だなぁっていう人で良かったと思います。安心しました。」
(CM)
池永、野口を買わないのは何故か? に対する俺の美人画云々~への言及だとして、だ。(そう考えないと話が噛み合わない)
その上で、
>高尚とか低俗なんて言ってない、単純に永く続くものをリスペクトしなくて、すぐに廃れるものをオタクは消費するのに違和感がある、その理由を教えて欲しい。
でいいんだな?
他の言及と、それに納得している意見もあるが俺の意見は違う。少し長いけどじっくり読んでくれ。
まず一言でいえば「そういう風に報道されてるのを信じてる奴が多いから」だ。
反論ではなく、違和感の説明の為に必要なんだが、どうして骨董品収集家は骨董品オタクと言わないんだ? そう言っちゃいけない決まりがあるのか?
報道されてないだけで昭和30年、40年代のアニメや特撮を好きな人はたくさんいるし、そういうのが好きだからって美術品をDisるオタクは非常に少ない。
寧ろ、絵師に至っては尊敬する画家や好きな絵画が少ない人間の方が少ないかもしれない。
ゲーム制作では今は関わる人間がとても多くなったせいもあるだろうけど、オペラや美術、古典音楽や芸能に通じてる人も大勢いて、よく見ればそういう影響は至る所にある。
あまり語らないし、語られないのは単純に言うと反発が大きくて面倒だからだ。
って言う人が多いからね。
にも関わらず、どうして豚のように与えられた消費コンテンツだけを食い漁って古い物を尊敬しないように感じるか、ってのは"感じ方が間違ってる"んだよ。
だって、オタクが古い物を馬鹿にしてるの見た事ないだろう? 尊敬してないんじゃなくて、馬鹿にされるから語る奴が少ないだけなんだ。
それに加えてネットでは流行の新しいものを話題にした方が人気が出るから、新しいコンテンツを語る若い人の方が多いし、目立つんだ。ステマもあるかもしれないけどね。
そして更に、テレビや新聞では権威を保つためにそう新しいものには触れ辛い。
ここでは省くけどオタクを軽蔑した書き方にならざるを得ない理由があって、「馬鹿がバカなものばっかり追ってる」*ように報道するんだ。
そうするとどうなるか?
今のところ、過半数かそれに近い人の目にしている新聞やテレビでは古典がリスペクトされているのが目につき、そういう場所でDisられてるオタクはネットで発言する事が増え、更に話題になって欲しいから新しいものは語るけど、バカにされるから古典には触れない、って事になるだろう? すごく分かりやすいじゃないか。
まだまだ他の要因はあるし語りたい部分もあるけどやめとくよ。
音楽で例えるとこんな感じだな。
「HipHopのMCってなんでクソ左翼で反体制のヤク中ばっかなの?」
みてーなw
「流行りのlyricばっか消費してんのにballadeとかvillanelleやらねーし、John DonneもAndrew Marvellも語らないとか違和感あんだけど?」
ってな。
要は「オタク以外の奴の承認欲求がオタクがうるせぇから満たされない」*って言ってるっぽいけどな。
もし仮に詩をやるんだったら、自分の感じ方もたまには疑ってみるのも大切だぜ? …よけいなお世話かもしれないけどな。
* *
A.リップティントの生産には原料手配を含め数か月を要すること、また全体の生産数量キャパシティの課題を解決しなくてはならないことから、この冬季中の再販につきましては、実現が難しい状況にございます。将来的には復刻の可能性もございますが、確定はしておりません。
Q.限定色の発売日前日に販売していたお店があったのはどうして?
A.当社は、発売日(1/26)の前日(1/25)までに販売店様に届くよう製品を発送しており、届いた製品を店頭に陳列するタイミングは販売店様に委ねられております。ブランド直営店での販売とは異なり、徹底が困難なことではございますが、この度お寄せいただいたお客様からのお声を販売店様にもお伝えし、今後は発売日の遵守により一層のご協力をお願いする所存です。
Q.発売日にお店に行ったのに限定色がまだ販売されていませんでしたが?
A.大雪の影響により、一部販売店様には発売日までに製品をお届けすることが叶いませんでした。天候によるアクシデントによるものであることをご理解いただけますと幸いです。
Q.イミュのWEB通販での取り扱いがないのはなぜ?限定色の転売対策はしないの?
A.限定色のWEB通販につきましては、現時点では生産数量に限りがあるためお応えすることが出来ず、申し訳ありません。
将来的にはWEB通販でも十分な数量を販売できるよう、増産体制の強化に尽力いたします。
転売につきましては、当社も非常に心を痛めております。直接的な規制の手立てがございませんが、こちらにつきましても増産体制を整えることで解決に努めます。
(引用ここまで)
オペラのリップが発売される話は知ってた。もちろんあったら買おうと思ってた。
でも、私はそれより前に発売されてたリンメルのアイカラー(http://www.rimmellondon.jp/product/eyes/eyes_50.html)の3番の限定ブラシ付きが欲しくて、出足遅かったもんだからもうあっちこっちのロフトとかバラエティショップうろうろしてたんだけど、3番だけどこにも売ってなくて、立川グランデュオのハンズビーならあるかもな、って思って見に行ったのが25日の19時ごろ。そうしたらもう出てる。
ここでテスターやって、ここ数日バタバタしててたから、色味だけタッチアップして落ち着いてからもっとポイントがつくロフトとかで買おうとした私が馬鹿だった。
次にコスメ見にいけたのは土曜日午後、武蔵境ロフト。ティントリップのバーガンディキス(8番)だけ完売してて「まじか……」って思う。
その後もしや……と思って、焦りながら立川ロフト2軒、プラザ、立川ハンズビー回る。シアーリップカラーや7番はあったりしたところもあるけど、リップの8番は当然ない。ハンズビーはご丁寧に「完売しました」とのポップ。販売日前日に出してたのにこういうところだけご丁寧な対応するんだね。
普段全然降りない国分寺のロフトにも行く。ここはシアーリップカラーは両方あった。ちょうど探してたリンメルのアイカラー3番見つかって、それとこれとは別なんだけどな……と思いながら、シアーリップの色の薄い方だけとりあえず一緒に確保。そりゃあるなら全部1本ずつは買っておきたかったけど、8番完売してるから正直揃える気は失せた。
やっぱり探してる子達がいて、その子たちの話題に上がってた吉祥寺ロフトにも行ってみる。ほとんどもうなにもなかった。
ちなみに近くの子が在庫聞いてたけど、土曜時点で再入荷すら未定、メーカー在庫も不明だそうです。
一足遅れると、都会でも6軒回ってもなにも買えなかった。本当に残念。
木曜の夜、立川ハンズビーで色味見た時に買っておけばよかったのもあって、余計に悔しい。
販売日前日に出すような店もある一方で、大雪で発売日に届かないところもあるとかさ、明らか経済不均衡じゃん。ほんとどうなってんの。
あとこれ読む限り、いまのところ転売対策仕様がない、ってことは、実質転売し放題、ってことじゃん。ふざけんなよ。デパコスやクリスマスコフレじゃないんだから。
あと原料手配に時間がかかるってことは、多分3月の限定色でも今回と同じような事態が起きるんでしょ…… 今から想像して、ただただ萎えるわ。
2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。
そのことについて思うところがある。
誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。
私は、ペンライトやうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイルの作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである。
作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。
ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。
ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台やミュージカルではないとも思わない。
うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。
客席に降りてきたキャストにファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトのカラーはすぐに揺らいで、軽率にブロマイドを買ってしまう。
界隈にはよくいるオタクだ。
ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。
あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解と共感ができてしまうのである。
例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。
なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。
先ほど、この応援スタイルの作品は苦手だが、舞台やミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイルに出会っていたのが根源にあるのではと思う。
舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感があるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。
例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。
1部と2部で分けられた構成で、似たようなものが存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。
それから、四季のマンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。
2.5次元作品で名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。
劇作家であるピーター・キルターの作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。
これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。
(ペンライトを持ってくることについて公式からのアナウンスがあった)
少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。
歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。
例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。
こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。
ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルのコンサートと一体化しているようなものが乱立している。
2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。
おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台・コンサート・イベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るもの」なのだ。
ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。
だから、舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出のひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在や要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。
少々暴力的な言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。
あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。
けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっとと要求までされているのものだから、困惑するのだろう。
どうして、と思う。
そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。
パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店はパイナップル入りばかりを提供しているのだ。
こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである。
私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。
2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストのライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。
回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。
けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画やアニメの作品が、うちわを持って応援するスタイルの舞台になってしまったら。
「楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。
きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。
とにもかくにも、最近このドルステタイプの作品が多いのは紛れもない事実だ。
少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルかストレートかといった分類だったように思う。
それを証拠に、ある作品が舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。
この新たなジャンルは、確かに舞台作品の範疇ではあるが、独特な応援スタイルが存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。
2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。
テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?
はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。
けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。
決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることなく3rdシーズン。
その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画を原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉が自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。
今この時代、チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。
映画などとは違い、舞台は初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。
当たり前だが、その通りだ。
先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。
実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。
私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。
だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。
少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルとフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。
そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。
苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラ・キャストを応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。
知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元のアイドルを応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作のプロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイルの舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま。
舞台を観たことがない人を、いかに劇場に来させるか。そんなことを、制作側から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。
きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである。
だからそろそろ、この新しいスタイルの演劇に名前をつけませんか。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。
これを当たり前にするために。
オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんなもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式と市民権を得たミュージカルのように、いつかこのスタイルの演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。
卒業論文を提出したら「これでは単位を認められない」と指導教官(教授)に言われた。
わたしは哲学を専攻していたが、学ぶうちに「おもしろいけど意味あるんかなー」みたいな疑問が湧いてきた。
そのうち2年になり3年からのゼミと研究テーマも決める必要がでてきた。
わたしは少し考えて一番世の中に役立っていないと思われる研究をしている先生を指導教官に選んだ。
特定されそうだが、その先生は中世イタリアオペラの美学みたいな、
「それ日本人が研究する必要ある?」みたいな誰もが疑問に思うテーマを研究していた。
4年生になり、自分の卒論テーマを「日本にやってきたオペラと大衆芸能との関連性」とし、
あとは推敲、校正して出すだけでよい段になり、ふとこんな無意味なことをやってていいのかな
という当初の疑問をもっていたことを思い出した。
年末年始の間に、「いかに日本人がイタリア文化を研究することに無駄が多いか」
そこで1行目にもどることになる。
話し合っても、認めない教授には、
「ここでわたしの卒論を認めないと、2年間のあなたの指導が役に立たなかった証明になりますよ」
と言ってやった。無言だった。
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曖昧さ回避 「ベートーヴェン、ベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。
Beethoven.jpg
別名 楽聖
生誕 1770年12月16日頃
死没 1827年3月26日(56歳没)
活動期間 1792 - 1827
ベートーヴェンのサイン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。
目次 [非表示]
1 生涯
2 作風
2.1 初期
2.2 中期
2.3 後期
3 後世の音楽家への影響と評価
4 芸術観
5 思想
6 人物
6.1 名前
7 死因また健康について
7.1 聴覚障害について
8 親族
9 弟子
10 代表作
10.1 交響曲(全9曲)
10.2 管弦楽曲
10.3 協奏曲、協奏的作品
10.4 室内楽曲
10.5 ピアノ曲
10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品
10.7 宗教曲
10.8 歌曲
11 著作
12 伝記
13 脚注
14 参考文献
15 関連項目
16 外部リンク
16.1 録音ファイル
16.2 伝記
生涯
ベートーヴェン(1803年)
1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。
1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。
1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。
20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。
1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。
40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。
1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。
作風
初期
作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドン、モーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。
中期
1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。
中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。
これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。
後期
1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。
後世の音楽家への影響と評価
ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。
ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。
中でもワーグナーは、ベートーヴェンの交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。
一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークやチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルク、バルトーク、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ラッヘンマンにまで影響を与えている。
芸術観
同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルやモーツァルトなどから影響を受けた[7]。
ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。
思想
ベートーヴェンはカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスやプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。
また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。
政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒのウィーン体制では反体制分子と見られた。
その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。
人物
身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。
基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者と誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。
当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。
潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。
性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。
師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。
パトロンのカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。
テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。
交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントン・シンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。
聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。
死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。
これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。
メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番やハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。
彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。
パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。
コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。
名前
原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。
日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナー、ヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。
姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラント(フランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。
vanはドイツ語、オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。
偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。
詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照
死因また健康について
慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。
ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。
1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。
聴覚障害について
難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。
耳硬化症説
伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。
又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。
先天性梅毒説
「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。
鉛中毒説
上載の死因また健康についてを参照。
メッテルニヒ政権説
ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。
有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。
デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。
完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。
親族
フランドル地方・メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンス・アウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。
祖母:マリア・ヨゼファ
父:ヨハン
母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版) ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。
甥:カール(ドイツ語版) カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。
弟:ニコラウス・ヨーハン
同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。
弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。
弟子
カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。
フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。
ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。
ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。
アントン・シンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。
代表作
詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照
交響曲(全9曲)
第1番 ハ長調 op.21
第2番 ニ長調 op.36
第3番 変ホ長調 『エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]
第4番 変ロ長調 op.60
第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]
第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]
第7番 イ長調 op.92
第8番 ヘ長調 op.93
第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]
『レオノーレ』序曲第1番 op.138
『レオノーレ』序曲第3番 op.72b
序曲『コリオラン』ハ短調 op.62
交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91
『命名祝日』序曲 op.115
『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113
『献堂式』序曲 ハ長調op.124
協奏曲、協奏的作品
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61
ロマンス第1番 ト長調 op.40
ロマンス第2番 ヘ長調 op.50
三重協奏曲(ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56
合唱幻想曲 ハ短調 op.80
弦楽四重奏曲(全16曲)
第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1
第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2
第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3
第10番 変ホ長調(ハープ) op.74
第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95
第12番 変ホ長調 op.127
第13番 変ロ長調 op.130
大フーガ 変ロ長調 op.133
第14番 嬰ハ短調 op.131
第15番 イ短調 op.132
第16番 ヘ長調 op.135
弦楽五重奏曲 (全3曲)
ヴァイオリンソナタ(全10曲)
第5番 ヘ長調 『春』 op.24
第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47
チェロソナタ(全5曲)
ピアノ三重奏曲(全7曲)
第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1
第7番 変ロ長調『大公』 op.97
その他の室内楽曲
ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17
六重奏曲 op.81b
七重奏曲 変ホ長調 op.20
管楽八重奏曲 op.103
ピアノソナタ(全32曲)
第8番 ハ短調『悲愴』 op.13
第15番 ニ長調 『田園』
第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2
第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53
第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]
第26番 変ホ長調『告別』 op.81a
第30番 ホ長調 op.109
第31番 変イ長調 op.110
第32番 ハ短調 op.111
その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)
創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34
創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35
『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78
『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79
創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80
創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76
ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120
アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57
幻想曲 op.77
ポロネーズ ハ長調 op.89
7つのバガテル op.33
11の新しいバガテル op.119
6つのバガテル op.126
バガテル『エリーゼのために』 WoO.59
本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。
オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品
歌劇『フィデリオ』 op.72c
劇付随音楽『エグモント』op.84
劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113
宗教曲
ミサ曲 ハ長調 op.86
ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]
修道僧の歌
歌曲
アデライーデ op.46
汝を愛す
鶉の鳴き声
新しい愛、新しい生
口づけ
追憶
懺悔の歌
エルトン…ジョン
コルトン…千葉にあるショッピングセンター、ブルゴーニュ地方にある特級ブドウ畑(ブコメより)
セルトン…発泡剤の分解を促進する尿素系助剤、作曲家、雨が極端に降らない地域、など該当多数
チルトン…イギリスのレーシングドライバー、羊たちの沈黙の登場人物(ブコメより)
テルトン…埋蔵宝典発掘者
ニルトン…柔術家
フルトン…傘メーカー、目標に気球をつけて航空機で回収するシステム(ブコメより)、蒸気船フラーモント号の発明者(ブコメより)
ヘルトン…元メジャーリーグ選手
ミルトン…失楽園、消毒液(ブコメより)、カルピスみたいなやつ(ブコメより)、バナナ(ボサノヴァドラマー、ブコメより)
ヤルトン…ネパールの祭り
ユルトン…南アメリカ大陸にある湖
ワルトン…胃腸や鼻、目の表面といった粘膜などを覆っているどろっとした物質
ンルトン…該当なし
ザルトン…FF13LRに出てくる人物
ジルトン…豚汁屋
ゼルトン…釣具の一種
ゾルトン…ワージ
ダルトン…インテリアメーカー、クロノトリガーの登場人物(ブコメより)、銀座の老舗バー(ブコメより)、イギリスの俳優(ブコメより)、分子量の単位、(ブコメより)実験機器メーカー(ブコメより)
ヂルトン…人名として稀に見られる
ヅルトン…該当なし
デルトン…ベーキングパウダーの種類、アメリカにある湖の名前、ホテルの名前、など
――追記――
ポルトン…ダンボール戦機ウォーズに出てくる仮想国家
――追記2――
――追記3――
イャルトン…該当なし
イュルトン…該当なし
イョルトン…該当なし
ウァルトン…水路測量書
キェルトン…正真正銘の該当なし
キャルトン…金台紙
キュルトン…フランスにある城
キョルトン…相槌の向こう側へ
スァルトン…該当なし
スォルトン…該当なし
チョルトン…韓国語で頑固の意
ツォルトン…Your search - "ツォルトン" - did not match any documents.
ニョルトン…該当なし
ヌァルトン…該当なし
ヌォルトン…該当なし
ヒェルトン…該当なし
ヒュルトン…リモンスター
ヒョルトン…該当な(ry
フェルトン…マルフォイ
ミャルトン…該当(ry
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ムァルトン…(ry
ムォルトン…(r
リェルトン…(
リャルトン……
リョルトン………
ルァルトン…Your search - "ルァルトン" - did not match any documents.
ルォルトン…No results found for "ルォルトン"
ーー追記3.5ーー
クィルトン…サッカー選手
クェルトン…材木の種類
スィルトン…決定的なものなし
スェルトン…格闘家
ツィルトン…Your search - "ツィルトン" - did not match any documents.
ヌィルトン…該当なし
ヌェルトン…該当なし
ムィルトン…該当なし
ムェルトン…該当なし
リィルトン…該当なし
リェルトン…該当なし
――追記4――
ギョルトン…ホン・ギョルトン?
グァルトン…該当なし
グェルトン…該当なし
グォルトン…該当なし
ズァルトン…該当なし
ズィルトン…ウーって口を尖らせてズィルトン↑ って語尾を上げるとパリジャンっぽく発音できる
ズェルトン…該当なし
ズォルトン…該当なし
ーー追記5ーー
ヱルトン…倫理学概論
ーー追記6ーー
ピェルトン…該当なし
ピャルトン…該当なし
ピュルトン…該当なし
ピョルトン…該当なし
プァルトン…該当なし
プィルトン…該当なし
プォルトン…該当なし
15年前に読んだときはyoutubeとかなかったしわざわざきくまでもないとおもって きいたことなかった
youtubeできいたけどそこまで印象に残るもんでもなかった
タイトルはかっこいい
印象的ではあるけど好きになるほどではなかった
最高
単体でも好き
作中で使われたときも、夜道を妹と歩きながら何気なく歌うか口笛吹くかする、っていうシーンも相まって、
マジで最高だった
こんなくだらないエロゲ―で何気ないセンスのよさを見せつけられた感じがして嫉妬した
リズム外して歌ったりしてるからちょっとカラオケとかで歌いにくいのが玉にきずだけど
マジで好き
ボレロ自体は知ってたけど、そのむずかしさとか奥深さの一端に、昴っていうバレエ漫画で触れて、単純に見えるけどなんかすごいんだなと思った
後者はこないだNHKであった1,2話みて、なんかすげー、まさにスペース「オペラ」って感じしたなあ
忘れてた
確かにあれは印象的だった
ヒャダイン系というか
でんぱ組inc系というか
明るくかけあいながらすごく細かい譜割りを怒涛のスピードで歌い上げていくタイプの曲
で名曲を知りたいのです
「ガヴリールドロップアウト」「つぐもも」も好き
こういうのでほかに名曲あったら教えてください
探しようがなくて困ってます
【追記】
三者三葉のOP、機巧少女は傷つかないed、うらら迷路帖OP、涼宮ハルヒちゃんの憂鬱OP、ちくわパフェだよ☆CKP、ホーンテッド★メイドランチ
みつどもえ1,2期のOP、繰繰れ!コックリさん OP、WWW.WORKING!! OP、じょしらくOP、ED、ゆるゆりOP、けものフレンズOP
これらがそうかなと
掛け合いやテンポチェンジなどのオペラというかミュージカルというかそういう要素が入ってるのが望みだったのがわかりました
現時点で書かれてないので発見したのだと、あんハピ♪opとか、キルミーベイベーとかあと、上記のだと、やっぱり前山田健一強いなあと認識を新たにしました
アニメーターの生活が苦しいって話が出てるところで、昔の雑誌にこんな記事を見つけた。
何しろ日本という文化国を表看板にしている国の主脳階級は、未だにオペラなどに金をかけるより、芸者の「○○おどり」を助ける方がよつぽど良いと思っているばかりでなく、美術や文学関係に比べてずつと苦しい生活をしているオペラ関係者のほうに、ずつと高率の税金を取立りて平気なんだから、お話にならない。だからでもなかろうが、音楽界に生きている人でさえ、「オペラをやる連中は道楽でやつてるんだから――」などと、とんでもない冷水を浴びせるようなことを言うのも出て来る仕末なんだ。
個人的に0から1を生み出す「くりえいたー」になりたい。憧れてる。
そういう人結構多いと思う。
でも多いからか、何か「くりえいたー」じゃないのに「くりえいたー」的な事言いはる偽物も多い。
純血を貶める、なんちゃって「くりえいたー」ども。
純血の「くりえいたー」と一緒にしてはいけない。
歌うだけのヤツは偽物。純血ではない。作詞だけ、作曲だけも同じ。
最終アウトプットが歌である以上、一人でそれを構成しなくてはいけない。
曲も歌にするなインストで売れ、歌うだけの奴はオペラとか古典歌って歌声だけで戦え。
それができない格下だから徒党を組んでいるのに純血ヅラするな。
・漫画家
こちらも同じく最終アウトプットが漫画なので、一人でそれを構成してこそ純血。
原作が純血ヅラしたければ小説家になれ。作画家は絵描きになれ。
一人で漫画家になれないから徒党を組んでるくせに純血ヅラしてはいけない。
また、一人で書いていたとしても企画先行モノは論外。
受注制作しているものは純血ではない。ビジネスに飼われた負け犬。
・絵描き
最近数多いる有象無象の商業イラストレーターの多くは純血ではない。
二次創作は純血どころか、かなりの劣等種。なぜかそのくせ声はでかい。
その多くが純血。
0から自分の体だけで感動を生み出しているので「くりえいたー」と言っていい。
己の体をくりえいとしている。
・写真家
どちらかと言えば「くりえいたー」の成果を掠め取る、「ぷろでゅーさー」に近い。
シャッター押して出来合いのフィルタかけるだけで作った気になれちゃうインスタグラムがいい例。
・映画屋
・アニメ屋
・ゲーム屋
勘違いされがちだがこいつらも偽物。
なぜならば、これら全て産業が巨大で一人で作り上げるのが不可能だから。
商業に染まり、多人数で創るものはどうあがいても純血ではない。
ただ、産業が巨大なので中にいる人間のプライドは高く純血ヅラするものが多い。
でもたまに一人で作っている人も少なからずいる。
純血の定義は一つ。
それ以外は すべて偽物。まがいもの。
純血ヅラしている人間は、今一度胸に手を当てて考えてもらいたい。
そして、
純血は純血のみとしか通じ合えない。
尊敬と畏怖と共に、肝に銘じなければいけない。