はてなキーワード: オペラとは
その通りですね、気になる時がありますね。
考えてみたら、いろんな補正の仕方あると思うんですよね。
描かれた描写を捻じ曲げるぐらい強引なやり方とか、例えば噛む直前に描かれてて変なタイミングに見えても、実は噛む直前ではなくて作画が間違ってたんだとか時間と予算がないから省略したんだとか無理矢理な解釈したり。
あとはアニメは具象ではなく抽象なので、人間の脳を騙すように面白い表現を考え出してくれてるという視点で、能や狂言やお芝居やオペラみたいなものと同レベルで、
現実に考えたらどう考えたって歌ってる暇なんかないだろって事しか無いけど、それはフィクションだと「見ればわかる」。
作る側も見る側もそれが分かってるから後はその表現にどこまで乗れるかって感じです。全く乗れないなら嗜好に合わないから諦めるしかない。
人を騙すというより錯覚させるという事で、それが面白さにつながればいいと思う。
だから脳内補正できれば見ていけるけど、出来なくてつまらない時は、そもそも向いてないから違うものを見るか、脳内補正力を高める訓練をしてレベルを上げなければならないのだ。
その他にもフィクションだとみんな分かった上の事を敢えてそれを芸にしていく人もすごいね。
沢山ある表現の中でも、ある表現を受け入れられる人と拒絶する人がいるのも、それだけの事だから。だからフィクションに限って言えば楽しめるとこだけ楽しんでいける。
失敗したり下手だったりして乗れないって事もあるのは、作る方と見る方のお見合い的な運かな。
今どき90秒のMVしかYouTubeにアップできないとか、どうかしてる。機会の損失でしかない。— Gotch (@gotch_akg) 2019年4月16日
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新曲『解放区』のMVがYouTubeにアップされた。
『解放区』は、アジカンが2019年5月15日に発売する両A面シングル「Dororo / 解放区」のうちの1曲である。
『Dororo』のMVもShort ver.で公開(https://youtu.be/Bwq8ntbzPxs)されたのだが、こちらのときはまだ許せた。
なぜならば『Dororo』はTVアニメ「どろろ」のOP主題歌として書き下ろされた楽曲であり、アニメOPの90秒の尺で使われることが前提にあったからである。(とはいえ許しがたくはある)
しかし、『解放区』のMVがShort ver.で公開されたとき、私は流石にキレたね。これは許されない。
まず第一の理由として、このMVが200名のエキストラを公募して撮影されたものであるというのが挙げられる。
http://www.sonymusic.co.jp/event/101474
ファンを集めて制作したにもかかわらず、出来上がったMVを一部しか公開しないというのは少々不親切である。
スペースシャワーTV等の有料チャンネルで放映されるのを待てというのであろうか。
このMVはShort ver.であるが、タチの悪いことに楽曲の後半部分を切り取ったものになっているのだ。
すでにサブスクで配信されてるから是非フルで聞いてほしいのだが、この楽曲はJ-POPでよくある定番の構成にはなっていない。
アジカン節の炸裂した王道のギターロックが展開された後、ポエトリーリーディングパートが入り、最後の大サビでシンガロングに結びつくという構成になっている。
そしてこのShort ver.でのMVは、事もあろうに後半のポエトリーリーディングのパートからを切り取ったものになっている。
……アホか。
「おいしいところを切り取ってみました」みたいな顔してそんなの出されても「は?」としか言えない。
Short ver.しか公開しないのは「全部聴きたい人は曲を買ってね」というレコード会社の思惑があるからなのだろう。
無料で全部聴けちゃうとみんな買わないから、という考えである。
その考えは一理あるのかもしれないが、冒頭でなくなぜ後半を切り取るのか。
ボヘミアンラプソディのMVがいきなりオペラパートから入るShort ver.でしか公開されなかったとしたらキレるね。
『解放区』という楽曲の構成上、Short ver.で公開するというのは楽曲への冒涜にしかならないのである。
そして、楽曲の魅力を損なった状態でプロモーションをしてしまうことにより、楽曲が広まっていく機会が損なわれる。
どう考えても失敗でしかない。
学校の椅子を持ち出して国道沿いを歩いてた。途中にめっちゃでかいツイッターのロゴの看板があったから近寄った。中学校らしくて、中では体育祭をやっていた。クラス対抗ドッヂボールだった。僕は観客席から見ていた。生徒たちは皆僕が中学生の同級生で、過去に戻ったような気持ちだったけど皆俺のことは知らないようだった。俺だけが皆との思い出を感じてるだけで皆は俺のことを知らない。ドッヂボールは凄かった。どういう効果があるのか知らないけど、チームの真ん中で太った女がオペラを歌って、他の人がそれを囲いながらぐるぐる回っていた。これでボールに当たりにくくなるとでもいうのか。途中一人の生徒が鼻血を出して保健室に行くことになったので俺がついていきます!と名乗りを上げた。向こうからしたら、誰だこいつと思っていたのかもしれないけど、俺は少しでも関わりを持ちたかった。保健室に連れて行って、グラウンドに戻るとそこには閉会式を終えて皆帰る準備をしていた。昔俺が好きだった杉浦が田口に告白したようだ。俺は何故かもうどうでもいいやとなって杉浦にずっと好きでした、付き合ってくださいと土下座した。誰こいつって感じだった。そりゃそうだよね、皆の事は俺しか知らない。皆は俺のことを知らない。
イギリスのヘリオット・ワット大学による研究で示された、好きな音楽のジャンル別の性格の特徴
ブルース好き:自己評価が高く、クリエイティブかつ外向的で穏やか。親しみやすい
ジャズ好き:自己評価が高く、クリエイティブかつ外向的で、親しみやすい
クラシック好き:自己評価が高く、クリエイティブ。内向的だが親しみやすい
カントリー&ウエスタン好き:努力家でクリエイティブかつ外向的で自己評価が高い
レゲエ好き:自己評価が高く、クリエイティブだが努力するタイプではなく自己評価が高い。外向的でおとなしく、親しみやすい。
ダンスミュージック好き:クリエイティブで外向的だが、自己評価が高く、穏やかとは言えないタイプ
インディーミュージック好き:自己評価が低く、クリエイティブだが努力家ではなく、穏やかでもない
ロック/ヘビーメタル好き:自己評価が低く、クリエイティブだが努力家ではなく、外向的でもない。穏やかで親しみやすい
普通に家族でオペラとか海外旅行とかテニスとかするし流行りのおもちゃも持ってたし衣食住のレベルも高いが?
せやで?
ご存知だと思うけど、日本の平均世帯所得は560.2万円、平均所得以下の世帯は61.5%
1馬力で600万以上稼ぐには「市場価値の高いスキルがある」か「大企業(連結万規模)に入る」か「士業をする」かと限られる
しかもこの600万は当人にとっては不足の額で「節約すれば」とか「一時的なら」とか満足じゃなくて耐えることができるって額なのよね
なので、
生家の経済レベルより以下でも暮らせる反骨心モリモリの人って少ない
父ちゃん母ちゃんに現時点の学費を含めた生活維持費を聞いてみるといい
そしてその生活維持費の額 と 業種/職業別 で得られる給与と照らし合わせて
「なにしても余裕そうだな」なら のんべんだらりとすればいいし
https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。
ねとらぼの本キャンペーン記事のブクマでオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシーが舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄がひとつもない完成品。
他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫が天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。
父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたりの少年はどう生き抜くのか。
ブコメでオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。
ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場のキャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どものときに出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。
北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者と情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?
これもブコメから。ホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。
これもブコメより。手塚治虫の自伝的な作品を集めた短編集。悲惨な戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。
特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年はオペラ歌手を目指す美少女と出会う。
戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎も終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿な戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨なものとされているように思う。
そしてラストが特に辛い。仮に――戦争で手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本の漫画界はどうなっていたであろうか。
悲惨な戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。
人類が退化し、代わりに鳥類が惑星の支配者になった世界を描く。その新たな世界で鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンスは鳥人の家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。
短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。
ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンス(ブラック・バード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。
とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。
時は幕末。世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎と女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたりは腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件がきっかけで出世街道を上り、一方の良庵は大坂の適塾を経て江戸の種痘所開設に尽力する。ふたりの青年と、日本の未来はいかに。
うーん、感想の言いにくい作品。面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎を主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。
人生に思い残しがある者は死に場所でしか生きた証を残せない、という話はあって、彼女(名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。
お気に入りのキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。
2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから。火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)
全体的な感想を言えば、俺がおっさんだからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。
大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。
短編のイチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。
今回よんだ中で一番好きなのは『新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。
一番好きなキャラクターは『リボンの騎士』からヘケート。容姿、性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹』からお品さん。
それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。
https://www.sankei.com/affairs/news/180926/afr1809260011-n1.html
この記事のブコメ見て、愕然とした。なんか大喜利のネタができたみたいな反応が多い(もちろん真摯なコメントもあるけど)いくらなんでも女性のトラウマを軽視しすぎてはないか?
この女性はムチャクチャ怖かったと思うよ。だって下手したら加害者の男性にレイプされて殺されてたかもしれないんだから(男性はレイプされて殺される、ってのにいまいちリアリティが沸かないのかもしれない。爪を一枚一枚剥がされながら殺されるとか歯を一本一本折られながら殺されるとか想像してほしい)
こんなことされたら、これから夜道なんて怖くて歩けない。下手したら携帯から音声が流れるだけでフラッシュバックするかもしれない。怖い思いをしなくていいように駅前で安全なところに住むために、とてもお金がかかるかもしれないし、就ける仕事も制限されるかもしれない。そういうことが起こった事件なんだよ。そういうことだという想像力が欠けてる人が多くいる。それが怖いし愕然とする。
例えば、会社で男性社員が凄まじいパワハラを受けて鬱になりましたって記事で「今年のパワハラ番付上位だな」とか「大声を上げて怒鳴るなんてオペラ歌手の進化系か?」なんてブコメにこんなに沢山のスターがつかないでしょ?少なくとも自分は見たことない。殺人事件でも一緒だよ。なんで女性に対する性的暴力はネタにしていい、と思ってる人がたくさんいるのかわかんない。