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2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-05-25

音楽遍歴の紹介

中学校を3ヶ月で行かなくなって、不登校と呼ばれる部類に属した。毎日体調が悪かったので、病院へ行っていた。特に悪いところはなかったので精神系のなにかだということになった。家では音楽を聴いて過ごしていた。毎日同じCDばかり聴いていておなかいっぱいになってきたときは、FMラジオを聴いた。親は音楽を聴いているだけじゃよくない、楽器演奏するのはどうかと言ってきたが、やる気にはならなかった。中学時代はこうして終わり、高校通信制に行った。高校の頃も音楽を聴いていた。聴いていたジャンルふつうヒットチャートに入っているものは聴かなかったが、変に通ぶったものも聴かなかった。ちょっと前に流行ったものや、ロック名盤ガイドみたいな本を買ってそれに載っているもので気になるものを聴いていた。大学生になったても音楽を聴いていた。音楽系のサークルには属さずひとりで音楽を聴いていた。ロック名盤ガイドに載っている多くのアルバムが揃ってきた。CDショップたまたまジャズのコーナーに迷いこんだの機にジャズを聴き始めた。ここでもジャズ名盤みたいな本を買ってそれに載っているもので気になるものを聴いていた。それと前後して読んだ小説のなかでクラシック音楽キーになっているものがあった。クラシックも聴いてみた。なんとなくピアノの曲がいいと思ったので、ピアノ曲ピアノ協奏曲を聴いていた。大人になっても音楽を聴いている。車に乗るようになって、信号待ちで隣に止まった車がズンズンズンと車体が揺れるような低音を振りまいていた。それに感化されてそういう電子的なダンスミュージックも聴いてみようと思っている。

2017-01-02

曲を探してる

便乗

【Amazon】5000円差し上げるので、このピアノ曲名前を教えて下さい!【ギフト券】 - ピピピピピの爽やかな日記帳

http://pipipipipi-www.hatenablog.com/entry/2017/01/01/204232

もう二十年以上も前に、多分FM横浜水曜日にやっていた谷村有美番組で紹介されていた曲を探し続けてる。

ハイトーンだけど優しい女性ボーカルで、うろ覚えなんだけど

freedom

when I wake up ... morning,

what a wonderful day ... celebrate the day

oh what a feeling

といった単語フレーズが入っていたように記憶してる。でも検索しても行き当たらない。何も差し上げられないけど、休日の素敵な朝を迎えられる曲を共有できたらなあと思って。

2015-07-07

結婚式バイトがなかなかエクサティングだった話

大学時代結婚式短期バイトをしていた。5時間たちっぱなし、その間トイレ休憩もなし、というなかなかハードバイトだったけど個人的おもしろかった。

バイトをしていた式場は、ジャズとかシックスタイルで規模も小さい。週末に1組~3組くらい結婚式をしていたから、成功している方だったと思う。だけど、結構ハード仕事内容だったらしく、春には10人くらいいた新入社員が、正月明けには3人とかになっていたり。正社員の平均年齢は、27.8歳。平均年齢を釣り上げているのは、あんまり仕事をしない3人のお局様たちだったり。アルバイトもとっかえひっかえかわっていった。

結婚式の間中のバイト仕事は、給仕で、空になったグラスにビールを注いで回ったり、ドリンクのオーダーをとることだった。

それからバイトのもう一つの大きな仕事は「酔っ払いの相手をすること」だった。「酔っ払ってる人がいたから、行って」と正社員に言われたら、バイトはその人まで走っていって、外へご案内する。結婚式酔っ払いとは不必要存在からだ。ちなみに、その時声をかけられるバイトは、その場で一番足を引っ張っている、もしくはブサイクバイトだった。酔っ払いの相手は結構屈辱的な仕事である

結婚式が終わった後は、戦場だった。最大3組の結婚式をこなすために、結婚式結婚式の間の時間わずか1時間しかなかった。最後お客様をお送りした後、BGMジャズからメタルとかパンクロック系の曲に変わる。さっきまで木村カエラの「バタフライ」のお洒落げなピアノ曲が流れていたのに、お客様がいなくなり、エレベーターの扉が閉まった次の瞬間、メタリカが流れる。それから、「走れぇー!」って正社員の人が怒鳴って、バイトは常に駆け足で清掃する時間突入する。流れているBGMの音量も半端じゃなく大きいから正社員の人は常に怒鳴っていた。そこは戦場だった。

1回、走っている途中に大きな花瓶を割ってしまった女の子がいた。仕方がないので、バイト全員でわれた花瓶の破片を集めて片づけをしていたら、うっかり自分の手のひらをざっくり切ってしまった。それで、「血が出てるんで、救急箱かなんかかして下さい」って正社員の人にお願いしたら「うちが危ないみたいじゃん!」「テーブルクロスに血がついたら大変なんだからね!」ってめっちゃ怒られたことがある。あれは今思っても理不尽だと思う。お言葉ですけれど、御社結構危ない職場です、と言いたいのをぐっと我慢して渡されたばんそうこで乗り切った。

そんなこんなで、結婚式バイト結構きつかったんだけど、5時間で8千円、即現金払いという好条件につられてだらだらと続けていた。そしたら、ホテルの偉い人から一番良い部屋に呼び出されて、「君、うちに来ない?」って言われた。「もう、別の会社内定もらってるんで」って丁重にお断りした。

その後、正社員の人にキッチンに呼び出されて、「今から冷蔵庫はいって、写真撮ってSNSにアップして、炎上して、内定取り消されようよ」って笑顔で言われた。美人なお姉さんで心がぐらっときたけど、全力で丁重にお断りした。

結婚式バイト絶対お勧めしないけど、個人的には楽しかったので、忘備録としてエントリ

2015-06-22

ハッピーエンド大好き王道至上主義の皆様へ愛をこめて

王道から外れたもの、どちらかというと暗くて救いようがない話が好き。寝取られ三角関係、良かれと思った行動で破滅していく話が好き。訳がわからないのが好き。演出をこってこって話が破綻している話が好き。

そういうと「信じられない」「玄人ぶってる」「王道から外れたものが好きな俺KAKKEEEEEEEなんでしょ?」「なんでそんなスレてるの」と、よく言われます

なんでじゃあああああああああああああうあうああうあうあうああうあうあ!!!!!!!!!

王道素晴らしいね!!友情努力勝利!人に夢を与えてくれる作品は勿論素晴らしい。

努力して報われる話は、心をぽっかぽかにしてくれます

人を幸せにする技術は高度なもので、一言王道といえど、そこには製作者の血の滲むような考え抜かれた構成演出があると存じています

だけどぅ!!!!!!!!!!それでも私は!!!!!!捻くれた話が好きなんだ!!!!!!!!玄人ぶってる? 違う!!!!!俺かっけー? 違う!!!!!!

ぶっちゃけていうと、性癖!!!!!!画面の向こうの可愛らしいキャラ現実自分と同じぐらいの苦痛を味わっている姿を見て、安心感を覚えるんだ!!感情移入できるんだ!!ゾクゾクゾクソクってするんだ!!

王道でかつ明るい話ってのは、私のなかではポップソングみたいなもので、捻くれた話はピアノ曲のようなものなんだ。聞いていて安心する。流しておきたい。聞いていると深くふかく眠れそうな気がする。

から好きなんだ。悔しいぐらいに。

2014-10-05

ホンモノより本質を捉えてると思うニセモノ芸術作品10

http://anond.hatelabo.jp/20141003100544

ブコメ好きな物評価されるよう啓蒙するか、そうじゃないもの評価を下げようとするか」に触発されて。

どちらかというと、自分は高次なものを読んで、低次なもの共通点を見いだして一人悦に入るタイプだとわかったので、記録してみることにする。

ここでのホンモノ=より高く評価されているジャンル、およびオリジナル、ニセモノ=より低く評価されているジャンル、およびコピーとする。

ちなみに嫌いなホンモノやニセモノも当然ながらある。映画自分にとっては舞台のニセモノで、基本、CGが多用されたアクション映画しか受け付けない。

文学の場合

好きなホンモノはシェイクスピアドスト。嫌いなホンモノは伊坂幸太郎。嫌いなニセモノは特にないが、ラノベは読んだことがない。

1.ソローキン「ロマン

 望月哲男曰く、“19世紀ロシア小説の百科事典ともいうべき体裁をなしている。プーシキン『オネーギン』、トゥルゲーネフ『猟人日記』、トルストイ戦争と平和』、ドストエフスキー罪と罰』、チェーホフ『黒衣の僧』『桜の園からのアリュージョン。また、19世紀ロシアの小説に現れるモチーフを混ぜ合わせた一種のカタログ的な側面がある”という本作。高次なものの高次なコピーなので一般受けするかどうかというと違うと思うが、割と読みやす大衆的ではあると思う。途中までは。途中からは文学を殺している。早稲田文学の力もあって、作者ソローキンは、最終的には篠山紀信グラビアを撮られる程の人気を獲得した。


2.ティメール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー

 ヒトラーに関連する作品は、どうも反省や真面目さを持ち合わせたものが多い。ヒトラーを嗤う。ヒトラーと笑う。この恐怖体験を面白く思ってしまうのは何故だ?もちろんヒトラーパロディならミュージカルプロデューサーズ」の中でも見られる。しかし、あの作品ではヒトラーゲイが演じていた。今回はヒトラーのものが、緻密なリサーチの上に、いかにも言いそうなことをくっちゃべる。それがなんだかおかしくて笑えてしまう。彼が目指した理想の方が、現状のドイツ極右政党移民問題に揺れる)より良く見えてしまうことがあるのは気のせいか?



絵の場合

好きなホンモノは17〜19世紀はだいたい。嫌いなホンモノはフェルメール。嫌いなニセモノはあまりいないが、村上隆には興味がない。メインカルチャーすぎてニセモノがホンモノっぽい。

3. エドゥワール・マネ『フォリー=ベルジェール劇場のバー』

 マネがゴヤベラスケスティツィアーノなどのポーズをそのまま借りてきたことは有名。エル・グレコの影響も指摘される。正直言ってゴヤ『1808年5月3日、 プリンシペ・ピオの丘での銃殺』の模倣である『皇帝マクシミリアンの処刑』はとてもじゃないがホンモノに敵うとは思わない、マネがマネなりの政治的美術的な意図作品に込めたことを加味しても、だ。しかしながら、総合的に過去画家たちを再構築したことに加え、何と言ってもベラスケスの『ラス・メニーナス』を解釈した絵、『フォリー=ベルジェール劇場のバー』が素晴らしい。『ラス・メニーナス』にまつわる作品は、ピカソダリも多数残しているが、そのいずれもがマネには及ばない。他の拝借作品に比べ、鏡のある構成・見つめられる人の不在の2つ以外、共通点がないマネ独自構成が光る。

4.ジェフ・クーンズハルク

NYホイットニー美術館で回顧展。バルーンを模したいくつかのアートがあるが、明らかにビニールしか見えないチープな質感の『ハルク』は実はブロンズ製。ブロンズバルーン特有の皺を模すという、高価で難しいものを使って、安価で簡単なものを再現する試みを行なっている。写真で見ただけでは決して分からないだろう、その意味のない凄さが凄い。1億6千万の値がついたというマイケル・ジャクソン陶器も、スキャンダラス話題性ではなく、実はアートとしては失われつつある高度な陶器制作技術をつぎ込んである、と考えることもできる。



ミュージカル歌手場合

ミュージカルのものが、オペラバレエ下位互換である。という風潮は、ある程度あるように思える。

この場合複雑で、自分はホンモノに興味が持てない。高い金払ってオペラを見てもあんまり感動しないのである

一方、ロイヤルバレエを出てミュージカルスターになることを選んだアダム・クーパー(今度来日)のように、この世界ではクラシックトレーニングを積んだ人が続々出て着ている。

5.ジェロニモ・ラッチ

現在ロンドンオペラ座の怪人ファントムを演じているが、将来ジョン・オーウェン=ジョーンズや、ラミン・カリムルーに次ぐ世界的なスターになるに違いない逸材。アルゼンチンクラシックトレーニングを受けてきた。なぜミュージカル界に進出したのかはよくわからない、しかも英国。ファントムの前はレ・ミズでJVJ役をやっていた。

6.シエラ・ボーゲス

今更だが、やはり彼女ソプラノミュージカル女優としては別格。彼女オペラトレーニングを積んでいるが、あのサラ・ブライトマン比較しても、こっちが怖くなるくらいの情念の込め方で、単なる美しい歌を、心を締め付ける歌に昇華させる無二の能力を持っている。サラのオペラ座の怪人比較すると、ああ、シエラがオペラ歌手にならなくて本当よかった、と思うのである。鼻とかぐじゅぐじゅで、めちゃめちゃになっても歌い続けるような、そういう地に足がついた役者根性を感じる。


ミュージカル場合


7.Avenue Q

こんなトニー賞を取ったような超メジャー作品を挙げるのも何だが、ブロードウェイ代表作として。パロディミュージカルは数多くあり、今年も50 shades! The Musicalなどが上演されていたが、その中でも珠玉の出来を誇り、オフブロードウェイで今も上演されている。ジム・ヘンソンマペットを使いセサミ・ストリートを思わせる設定と楽曲で、普段はクチにできない本音をぶちまける。その後作曲家はもう1つトニー賞を取った後「Let It Go」でアカデミー賞受賞。


バレエ場合

バレエオペラにとっては添え物、現代ダンスにとっては堅苦しい教科書的な物と見なされる、難しいポジションにある。

8.クランコ「オネーギン」

オネーギンはコピーなのか?オリジナルなのか?翻案なのか?単なるアダプテーションではないか、マンガアニメ化するのと同じじゃないか、ニセモノと呼ぶとは何事だ、と、きっとあなたは言うだろうが、オネーギンには本来の作品にあるべき重要な要素が2つ欠けている。まず、オネーギンは韻文小説であって、詩のような形態で描かれている。ダンテ神曲と同じく、単なる小説ではないのだ、とはいえ我ら凡人が、ロシア語を学び本来の魅力を解することはおそらく一生ないであろう。というわけでバレエにしてくれるととっても有り難い訳だが、ここでつけられた音楽は、他の物語バレエ作品と違って書き下ろされたものですらなく、チャイコフスキーが奥様向けに月刊誌に書いたピアノ曲オーケストラアレンジしたものである。このように、他のバレエ作品に比べて若干不利になる要素を持っている本作だが……結果はどうだ。シュツットガルトけが持つこの演目を、自らのレパートリーに加えようと、世界中の著名ダンサー客演にくるような、まさにワン&オンリー珠玉の名作に仕上がっている。人々の所作振り付けにしてしまうのは、この時代バレエの特徴で、クランコはその名手。昔はストーリーダンスが完全に分離されていて、ストーリーマイムで進んでいた。


ファッション場合


9.モスキーノ

ジェレミー・スコットの就任で、故・モスキーノを上回る直接的すぎるパロディファッションを世に送り出したモスキーノ。就任直後の2014a/wコレクションマクドナルド元ネタだった。

http://youpouch.com/2014/02/25/174143/

モスキーノ自身が持ち合わせていた反骨精神、批判精神、風刺の能力を彼がどこまで発揮できるかが見物。


漫画場合


10.冨樫義博

作品の中でいくつか画像トレースしたことで知られるが、28、29巻の表紙ではマネよろしく古代美術ポーズを借り、また30巻表紙では2年越しの伏線を仕込んでいるなど無駄に芸が細かい作者。マネは足がなくなり、ゴヤは耳が聞こえなくなっても描き続けていたのに……という気がしなくもないが、やはり彼の行動原理は極めて特異だと言えよう。それは、野火ノビタも指摘する、「強制された身体のマイナスへの変化と、強さに相関がある女性」への異様な執着である玄海、躯、ビスケパームコムギカイトキメラアントになったレイナも、もしかしたらアルカも。玄海以外は皆、見た目がマイナスに変化する方が強くなるという特性を備えている。そこに共通するのは、極端なまでの女性の“自立”であり、“私はわたしである”というぞんざいな主張形態である。好みの女性タイプとして、「見た目がいかつくて、強くて、自分を持っている人」と答える人は、「見た目が華奢で、守ってあげたくて、頼ってくれる人」と答える人に比べると圧倒的に少ないと思われるが、冨樫は、冨樫だけは、なぜか前者に“変化させられる”女性大好物なのである

そして、怪物の戦いを描く時、冨樫は必ず怪物の味方をする。更に言えば、怪物の味方をしてくれるから、もしくは自分も怪物であることに気付いたから、という理由しか人間を肯定できない。それは「君と僕はおなじだ」という同質性への反応であり、「私とあなた全然違う、私はわたしだ」という状況に身体的に追い込まれた玄海、躯、パームなどと対極をなす。そして、男性は、(女性に比べればよっぽど自分の意思で、積極的に)怪物化する。幽助も、目の移植を受けた飛影も、ゴンもだ。さらに、怪物化した男性は、“自立”した女性に縛られ、ある種“依存”する。戸愚呂の玄海への、飛影の妹への感情が形を変えた躯への、メルエムからコムギへの、コルトレイナ(とカイト)への、ゴンコアラカイトへの、キルアアルカへの“依存”は、このように示される。「お前があって自分がある」。こうした究極の女←男の関係性を何度も描き続けているのが冨樫義博であり、男性作家のこういった表現への執着は世界でも類を見ない。いや、そんなことないか。なんか、ヒラリー・スワンクはいつもそんな役どころな気もする。まあどうでもいいや、出来るだけ多くの芸術を見てこようとしたけれど、その一つ一つが冨樫義博をより特別存在にしていく。たか漫画たか漫画なのだけどね。「あたちに謝りながらあたちの言うとおりに働いて あたちのために生きるんだ」と蟲になっちゃった女性が男性に言い放つ、これが冨樫イズム。



終わりに

もちろんホンモノ/ニセモノなんて区切りはこのエントリしか通じない区分けで、世間には通用しません。

ここではあえて、ラノベみたいに「くだらねー」「所詮○○」ってレッテルを貼られそうなものを、「ニセモノ」と書いてみました。

ただ、いろいろな芸術を見て思ったこと。ライトノベル純文学より面白いとか、そんな逆転はありとあらゆる場所で起こっている。じゃないとバンクシーとかどうすんのさ。

入れようと思ったけど、仮にも「ニセモノ」と呼ぶのがおこがましいと思ったインスピレーション作品高橋源一郎日本文学盛衰史」。あれは評論として受け止めるのが正しいかと思って。

正直「元ネタ」と「パクリ」の区分自分でも難しかった。ま、とにかく自分パロディが大好きなのであるラップサンプリングとかも好き。圧倒的にオリジナル好きな物もあるけどね(高慢と偏見ブリジット・ジョーンズとか)。あと冨樫義博が好き。

2013-09-09

ちょっとだけきちんとする

仕事の用事が終わり4日間は休日を満喫できる(急用がなければ)

家の中の乱れようったら無いわ

食器洗い 洗濯 床掃除 ゴミ捨てぐらいは毎日してるけど

細々した部分に手を入れるのはやはり休日

シューズを洗って、花瓶の萎れた花は取り替え、布団を干して

家具の細かい部分の埃を取る 水周り掃除 書類を整理

カバーを洗い ピアノ曲を流し心を落ち着け 

ヴィヨンの詩集や借りてきた本、今日買ってきた増田総理の新刊

等計11冊を読み、また増田も読み、日記を綴る

増田に書くのもいいけど文具コーナーで見つけたピンクの装飾の凝った

日記帳にも心惹かれる 

ピアノの鍵盤アプリダウンロードして遊ぶ

ダンスの練習もしたいしフランス語学習必要

テーブルコーディネイトやお茶にも興味ある

ダメだ、4日じゃ全然足りないー

やりたいことが何も見つからないという人に少し分けてあげたいぐらいだ

休みの日に家事の行き届いて無いところにできる範囲でちょっとだけ手を

ちょこちょこ入れたり生活に華やかさや楽しさゆとりを加えるのは

仕事で疲れた魂のリズムを戻すのに効果的なライフハック

 
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