https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080779271.html
の記事に対して否定的なコメントをツイートしたら落合氏本人からレスがついた。
せっかくなので補足をしてみようと思う。
①サッカーのたとえについて
サッカーのたとえが安易だと思ったのは、ここであげられている例示に違和感を覚えたからだ。
「このオケはマンUのようだ」「この曲はレアルのようだ」という時には、サッカーとクラシック両方に対するリテラシーがいる。
「神奈川フィルは地域密着で有名なプレイヤーは少なくてもど根性プレイを見せるからVファーレン長崎のようだ」とか「ラ・ヴァルスは構造が技巧的でデコラティブだからレアルのようだ」とか、双方をつなぐリテラシーが必要なはずだ。
そこを「感覚」というあいまいな言葉で接続するのは無理がある。
このような安易な例えでクラシックへのハードルが低くなるというのは飛躍しすぎだろう。凄く雑な議論だ。読んでいて話者の「僕はサッカーもクラシックも知っているよ」という「ぼくはAKBもリンキンパークも聴くよ」みたいなスノッブさを感じた。
この対談は日フィルが落合陽一と組んで行う新しい取り組みにたいして以下の2点を目的としているはずだ。
・こうした新しい取り組みに批判的であろう、旧来のクラヲタへの目くばせ
まず前者だが、クラヲタはこの対談で言われるほど理屈っぽくはない。私のまわりのアマオケの友人をみても、音楽史や楽典に精通している人は少数派だ。だいたい当の音楽業界の音楽批評こそが「感性」にたよったポエムみたいのばっかりで、しっかり楽曲の構造分析や演奏技術について記載された記事の方がまれじゃないか。そっちが大丈夫かと思うがそれはここでは関係ないか。また、守破離のくだりでいわれるようにクラヲタは保守的でもない。先日の渋谷慶一郎の科学未来館のロボットAIオペラが盛況だったように、むしろ新しいものが歓迎される素地がある。私だって金さえあればこのイベントに行ってみたい。落合陽一がどんな「挿絵」を曲に添えるのかみてみたい。こうしたクラヲタの新しいものへの「感性」に目をつぶって彼らを見くびるような対談をプロモーションに使う日フィル大丈夫か。
対談の後半くだりは落合陽一をアイコンにするような「アーリーアダプター」だったら興味をもって読むだろう。だが、「のだめ」でクラシックに興味をもったライトな層だったり、そもそも普段クラシックに興味があまりない新規層をとりこみたいのなら「意識高い系が西麻布で美味い飯食いながら<楽しいからこっち来いよ>言ってるみたい」な感じのこの対談がフックになるとは思えない。90年代に流行った空間ディレクターみたいな人たちがウェイウェイ言ってるだけで、全然クラシックへのハードルが低くなっているようには思えない。
私はこういうプロオケの新しい試みはどんどんやっていけばいいと思うけど、この対談にはイラだちしか感じなかった。クラシックへのハードルを下げているのは、主催者が汗水たらしてるラフォルジュルネだったり、プレイヤーがチャレンジしている反田の新しいフェスだったり、そもそも神奈川フィルが地べたを這いながらやっている地域貢献であって、わたしの「感性」ではこの対談に「内輪の軽さ」しか感じなかった。
あと、蛇足だが、落合陽一のファンらしき人から落合氏は凄い人だからおまえも学べとか尊敬しろみたいなリプが複数きた。落合氏もこんなのに普段から囲まれているなら不幸だと思った。頑張れ准教授。
割と個バレしそうなw
日本フィル、幼稚園に出張コンサートとかやってる
Twitter見てきたけど一問一答で全レスみたいなのやってると取り巻き感がすごいな。
ノビーは好きだけど息子はきらい。なんで狼の息子が魔法使いなんだ?
お前も落合のケツの穴なめろよwww駄賃くらいくれるかもよwww
落合陽一、最近全然ダメだね。 メディアアーティストとして落合陽一が出てきた時は、凄いのがきたと思った アリスの時間とかモナドロジーあたり やっと藤幡正樹に対抗できるファイ...
話と全然関係ないんだけど特に理由がなければanond:形式のリンクでトラバしてほしいなー。 元記事右下の「言及する」リンクを踏むだけで済むからURLコピペの手間もないし、 [言及先エ...
その程度で読む気が失せる雑魚は読まなくていい
ノビーもきらい