はてなキーワード: アイドルマスターとは
まず前提としてこの場での“アイドルマスター”(以下、アイマス)という言葉は765ASのことではなく、コンテンツの総称として扱う。
アイマスのライブに行ったことがある人、プロデューサーさん(以下、P)たちはいるだろうか?LVでもよし、現地でもよし。あの場の空気感は良い意味で異様で、確かにアイドルたちに心奪われてしまうのがよく分かるだろう。
かくいう私も数年前、デレのライブに初めて現地に行って感動したのを今でも覚えている。担当アイドル役の声優さんが歌って、踊って...まるでそこに本当に担当アイドルがいるかのようなそんな素敵な錯覚を味わった。
会場はステージに立つ彼女たちの色のペンライトで染まり、「あの色を持っているということは○○担当なのだろう」など様々な色のペンライトから読み取れる。
Pとなって、初めての現地。その時は当たり前のように周囲のPに合わせていたが、数年経ってふと疑問に思った。
公式が販売している各アイドルのコンサートライトを使えば良いと言えばそうなのだが、それでも探すのに手間取ったりすることもあるだろう。なにせ、会場で初披露するユニット曲や、オリメンではないメンバーでの曲など様々な理由があるからだ。Pでありながら、我々はセットリストを把握していないから。
アイドルと声優さん、彼女たちの味方だとファンだとPなんだと知ってもらうにはその子の色を振ればいい。そうする事で彼女たちは少なからず安心してくれるのだろうとは思う。なのでペンライトを振る時は振る。
だが色変えや持ち替えが上記の理由で面倒なのだ。こちらがライブに行くのは応援するためだけではない。自分自身も歌や音楽、彼女たちのパフォーマンスを観て楽しみたいから行っているのだ。
Pは舞台装置とはよく言ったもので、いわゆるペンライト芸がある。比較的新規層であってもおそらく有名なのはデレにおけるトワスカの青とオレンジだろう。確かに綺麗だ。一人の観客、Pとして、人間として「ステージの上でこの景色を見たらどんな風なのだろう。見てみたい」と思うくらいに。
前置きが長くなり過ぎたが私個人の本題としているのが“属性曲”と呼ばれる楽曲でのペンライトのことだ。
いわゆる赤曲だとか青曲と呼ばれるアレで、今回のはご存知の方もいるだろう、FTじゃいのことだ。
という言葉を多く見かけた。それを見た個人の感想は「他人が何振ろうがよくない?」だった。弁明というわけではないが、私は色変えや持ち替えが面倒なので担当アイドルが参加していない曲は基本的にペンライトを持っていないからUO擁護派というわけではない。
そもそもUOの後処理も面倒なので使ってすらいないし、別にペンライトを振らないからといって厄介というわけでもない。純粋に担当アイドルの味方だと大まかに知ってもらえるだけで十分で、ただ単にあの空間での生の音楽を楽しみたいだけなのだ。
私はそこで初めてPさんの中には会場を彩ることに誇りを持っている人がいるのが分かったのだ。度重なるペンライトの彩りを重視する彼らを見て「私のライブの楽しみ方は間違っていたのか?」とすら思う時期があった。むしろ今でも考えている。
他人の楽しみ方に異を唱える彼らを見て、「窮屈そうだな」と思うこともしばしば。私には私の楽しみ方がある。彼らには彼らの楽しみ方がある。それは重々承知しているが、彩りに重きを置いている彼らは何を楽しみにライブに行っているのだろうかと疑問に思っている。会場にいるPやLVにいるPのためにとレッスンを積み重ねたパフォーマンスを観ないで色変えや持ち替えに必死になりそれを見逃したり...何を楽しみに行っているのだろうか。
Pになって初めての現地で「あの子は何色で、この子は何色」と必死になって覚えて、誰かが登場する度に周囲を見渡して色を変える。その間の彼女たちのパフォーマンスはしっかりと観れていないし歌も右から左へ受け流すかのように意識の外。初めての現地の感動は嘘ではないが、自分は本当に楽しめていたのかと考えると疑問ばかりになる。
彼らは何を目的にライブに行き、何を楽しみにしているのか、他のPさんたちに何を求めているのかを私にはとてもじゃないが理解が及ばない。
言葉が悪くなるが、己のエゴを他人に強要するのはクソだと思っている。私自身のライブに対するこの考え方もエゴでしかないので同じ穴のムジナだとは思う。ただ、あなた達の当たり前は他人にとっても当たり前だと思わないでいて欲しい。
郷に入っては郷に従え。その通りだとは思うが、何が楽しくてあんな長文スクショ4枚のお気持ちツイートや青曲でUO振りやがってと怒るのだろうか。彩ること以外にも楽しみ方はあるだろうに何故そんな感情を終演後すぐに持つのだろうか、根に持つのだろうかと私は思うのだが...
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」という映画をご存知でしょうか。20年以上続くシリーズの中でも傑作と名高い作品です。20世紀も終わり2001年、「20世紀博」というテーマパークにはまる大人達。ある日しんのすけ達子どもを置き去りに失踪してしまう。残されたしんのすけ達は大人を救うため20世紀博へ向かう…という映画です。
若干ネタバレですが大人達は結社イエスタディ・ワンスモア(敵)が発明した"なつかしいニオイ"に影響され幼児退行し文字通り「子ども」に戻っていきます。
立ち位置的にイエスタディ・ワンスモア=P、「大人」=ノクチルに近いのでは無いかと思います。(あくまで立ち位置的な話)
Pは透の中に過去の思い出を回想し、「輝き」としてノクチルの大人として見た時決して褒められた物ではない行為に拍手し、またノクチルもPの中に昔の憧れ(ジャングルジム?)を見た透とその後ろ姿から懐かしさを求め、挙げ句子どもじみた反抗をする姿に近しさを感じます。
オトナ帝国では敵とされた「過去に立ち戻らせようとする大人」が主役となっている訳です。
要するにノクチルの「青春」というのはPという大人の望むその掌の上の出来事で、反抗的なある種幼稚な行動もPの期待する所な訳です。そしてPは彼女達を罰を与えず始末書を書かせる程度で済ませてしまいます。敢えて大人として振舞わない事で子どもを自身の願望の自己投影の手段とする作中のP引いてはライターのエゴを強く感じました。
イエスタディ・ワンスモアのボスであるケンの台詞「夕焼けは人を振り返らせる。だからここはいつも夕方だ。」
子どもとして大人への反抗を遂げたノクチルを夕焼けが照らし出します。遠い過去や子ども時代への回帰の象徴としての輝きなのでしょう。日暮れへの感傷は万人共通のものなのだと思います。
最後は野原一家対イエスタディ・ワンスモアの戦いになります。過去に拘泥し時間を巻き戻し過去という殻に閉じ籠ろうとする敵と未来に向かってひたすら走り続け未来を手に入れようとする一家の戦いです。
先程も述べましたがノクチルに対するPは大人の責務を放棄し、彼女たちの良く言えば純粋な、悪く言えば子ども染みた行為を称賛します。
こういった構図は特に青春モノなどではありふれたものとも言えます。ただ私が気になったのはそれが「大人の主観」でありそれを美化し正当化するような筋書きであることです。
系統として古典で言えば「ぼくらの7日間戦争」のような純粋で爽やかな青春と大人への反逆を描こうとしたのだと思います。ですがPという大人の恣意が前提にあることで純粋さは薄れ「俺たちの7日間戦争」とでも言うべきものになってしまっています。一言で言えば"理想的なクソガキ"でしょうか。青春の1ページという描写も陳腐な物に成り下がります。
今の所のノクチルにおけるPというのは彼女達の成長を阻む存在であり、必ずそこと向き合うべきであると思います。
そこに向き合えない限り"売り物"と"売る者"のエゴ、ノクチルというアイドルがPの自己満足と大人としての子どもへの傲慢の上に成り立つ存在でしか無いからです。
割と悪く書いてる気がしますがまだ1ページ目、最初のコミュまでの感想でしかありません。またそう言った関係性や意識の変化も描かれていくものと思います。
個人的に驚いたのは天塵のコミュを徹頭徹尾称賛する人が割りといた事でしょうか。オレの人生はつまらなくなんかない!(ryと言えるような大人は意外と少ないのかもしれません。
現状の彼女達というのはPに泳がされているだけの存在であると思います。そこに自身から向き合い、殻を破り、誰の定義でも無い私へと変化していく方が健全だとは思いますね。
僕はアイドルマスターにそこまで真剣ではないからライブも行けるときに行ける分だけだし、イベランもしないし、誇れるほどの歴もないけれど、人並みにアイドルマスターと星井美希が好きだったので当然配信を見た。
見る前は特別配信に対して何かを求めていたつもりはなかった。この配信はMRが中止になってしまったことの補填のようなものだと発表された時から理解していた。MRは一度見に行った時に十分満足したから特別新しい思いはなかった。しかしキャラクターによる生配信という形態、そしてShowroomという媒体が無意識的に僕の期待を膨らませてしまっていたのだと思う。
僕は広く浅くオタクをしている。二次元では漫画やラノベを嗜み、三次元でもアイドルを追っている。二次元には二次元の良さがあって、三次元には三次元の良さがあると思っている。今回の星井美希の配信がなぜ虚無だったのかについて語る前に、まずそれについて少し話さなければならない。
二次元に対して求めるもの、それは文脈だ。二次元は所詮創作であり、現実ではない。だからこそそこには理想を追い求め、究極を追求する意味がある、必要がある。なんの必然性もない理不尽が存在してしまうのであればそれは三次元と同じ、あるいはそれ以下でしかない。キャラクターには一貫性が求められ、物語には起承転結(正しくは三幕構成なども含む物語が面白くなるための何かしらの構成・努力、わかりやすさを重視して起承転結と表現)が求められる。三次元には存在しないものを僕は二次元に求める。これは別に僕だけじゃなく二次元オタクなら誰しもが心の底で思っていることだと僕は思っている。
一方三次元に求めるもの、それは生だ。対象が生きているという実感。所詮虚構でしかない二次元では絶対に得られない感覚。生きている人間と物語の登場人物では情報量があまりに違う。その情報量の違いが自然と生の実感につながっていると僕は思う。中にはその情報量を文脈に結びつけるタイプの三次元オタクもいるらしいが、僕はそこまではしないのでここでは省略。
普段僕がアイドルマスターにもとめているのは当然前者だ。キャラクターの成長、物語の文脈を楽しむ。もちろん衣装を着せ好きな曲を聴くなど単に造形美を楽しむときがある。でも本質は文脈だ。ライブに行くときも演者の演技を通じてキャラクターの文脈を感じ取ることが出来る瞬間が最も気持ちいい。
しかし唯一僕がアイドルマスターに対して三次元の生をほんの少しだが感じたことがある。それはMRだった。
目の前で二次元であるはずのアイドルが踊っていること、トークをしていることに確かに生に近いものを当時の僕は感じていた。
そして今回のShowroom配信、おそらく僕はその微かに感じた生をさらに感じられることを強く期待してしまったのだと思う。ただMRの代替であればそこまでの期待はなかったかもしれない。Showroomという普段自分が3次元のアイドルを見るために利用している媒体を通して生配信が行われるという事実が僕を煽動してしまったのだろう。
だが実際行われた配信は生の欠片も感じさせない、二次元ですらない虚無配信だった。
あの配信の目的はユーザーに生を感じさせることで間違いはないと思う。わざわざShowroomを選んでいることが何よりもの証拠だ。だから二次元に求められる文脈などは当然配信に存在しない。それは予想通りだったし配信を見るにあたって一切求めていなかったのでそこに不満はない。
しかし肝心の生はどうだろう。芝居がかったトーク、台本が透けて見える配信の流れ、最後はあくまでリスナーをプロデューサーとして扱う。そこにいたのは星井美希というアイドルではなくアイドルマスターの星井美希というキャラクターだった。誰かが書いた文字通りに動くキャラクターだった。所詮二次元は二次元なんだと、三次元に昇華することなど不可能なんだと。僕がMRで感じた生は所詮ライブという限定された空間だからこそ成り立っているものだった。その成り立ちすらも不安定だったのだろう。きっと何回も行けば途中から生を感じることは減っていったように思う。
別に二次元を三次元に昇華してほしいと常日頃から思っているなんてことはない。二次元に求めるものと三次元に求めるものはそもそも違うのだから今のままで十分なのだ。しかし今回僕は期待させられてしまった。星井美希が生きている可能性を提示されてしまった。その結果僕は思い知る、所詮二次元は虚構でしかないのだと。二次元に生を求めるのはお門違いなんだと。
星井美希は生きていない。
アイドルマスターシャイニーカラーズで直近に実装された4人組の幼馴染によるユニット「ノクチル」の空気感およびそのメンバーが苦手だ。
彼女たち一人ずつのSSRTrueシナリオ、現在開催しているノクチルが主役のイベントも読み終えたが、この感情が変わることはなかった。
①自分がおっさんになってしまって、今風のいわゆる「自分が最優先」という感情を隠そうともしないような彼女たちの空気感が癪に障る
②よくゲームのキャラにあるようなコミュ障ではなく、「自らの意思により、周囲からどう見えるかではなく自分のポリシーにあわせた態度をとっている、たとえシニカルやシュールであっても」というように見受けられてしまう
③アイドルになろうとして自分を磨いていくのではなく、自分を磨いていく、もしくは自分が目指した生き方を手に入れることの一つの手段としてアイドルというスタイルを選んでいるように見受けられてしまう
このあたりのような理解の仕方になってしまう為、自分には合わないなと感じた。
③はシンデレラガールズの一部にも見受けられるように思えるが、自分はシンデレラ詳しくないのでパス。
自分の解釈としては、リアルでもバーチャルでも現在のアイドルという言葉は「そう、自分の思う姿であろうとする意思」のことを指すと考えている。
そういう意味ではどれだけ過激なパフォーマンスをしても未熟であっても奇抜であっても、それぞれがそれぞれに考える
自分にとって最高のアイドルであろうとする姿なら、そこに練度やスキルや知名度の上下はあっても貴賎はないと思っている。
だけどノクチルのメンバーは、それぞれそうあろうとする意思が少なくともアイドル活動の範疇には存在しないのではないかと、シナリオを読んで思えた。
それこそ名前の通り夜光虫のように、外部からの刺激に反応してアイドル活動という光を(自らの意思とは関係なしに)放出しながら青春時代の不安定な衝動により自らをゆらゆら漂わせているだけのようだ。
それはそれで良いと思うし、選ばれしものにしかできない生き方だと思う。ただ、自分が疑似体験として彼女たちのその生き方の為に
貢献し労力を割きメタ的な意味でいえば課金を行いアイドルとプロデューサーというアイマスにおける共犯関係を築きたいかと言われればNoだ。
これからこの情緒不安定に漂っている彼女たちが、決定的に異なる生き方をしている他のアイドル達と絡んで一悶着起こしたりするのだろうか。
それは本当にほんとうに勘弁して欲しい。彼女たちのスタイルを積極的に否定するつもりはないが、お願いだから自分が好きな他のアイドル達と関わらないでくれ。
まずもって操作のやり方がわからん。コントローラーに書いてある記号をどうすればどう動くかがわからん。そもそもろくに握ったことがない。
マリオカートもドンキーコングもポケモンもわからん。ファイナルファンタジーもドラゴンクエストもウィザードリィもタクティクスオウガもわからん。テトリスくらいはわかる。
『ダンジョン飯』を読んでゲラゲラ笑ってはいるが、それはそれとして知らない単語やちっとも馴染みのない前提知識が出てきて困惑することがある。ゲームの常識がわからん。
当然、あつ森もFGOもやってない。スプラトゥーンにも無縁だ。艦これ? アズールレーン? アイドルマスター? 知らない子ですね。
高校・大学でノベルゲーにはまったけど、それって要するに本読んでるのと同じで、ドラクエやFFとは似て非なるものだからな。
『うたわれるもの』内のミニゲームすらクリアできずに友達に泣きついたのはいい思い出だ。だってどうやってもクリアできなかったもん。
クリアできないと続きが読めないゲームは苦手だ。スポーツの試合に勝たないと続きが読めない本なんてこの世にあるだろうか?
だからストーリーがついてるゲームがいかに名作かという話を滔々と語られても、それは自分には読めないことがわかっているので悲しい気持ちになるだけ。
選択肢をクリックするだけで続きが読めるゲームならいいんだけどね。『魔法使いの夜』の続きはいつ出るんですか……『月姫リメイク』にさつき√は実装されるんですか……
ということで、親の禁止によってゲーオタにはならなかった実例がここにあるぞ、ということが言いたかった。
なお、成人後にプリキュアにはまった俺を見た親は言った。
「妹ちゃんは高いグッズとかを欲しがるから、こういうのにはまらせないように気をつけていたんだけど、まさかお兄ちゃんがはまるなんてねえ……」
うるさい、余計なお世話だ。ぷいきゅあ、がんばえー!
【最初】
このダイアリーは【前提】【本編①】【本編②】【閑話休題】【つまりなんだってんだよ】で成り立っています。
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【前提】
皆様は「TDR」をご存じだろうか。
そう、日本が誇る大型テーマパーク「東京ディズニーリゾート」である。
その中にある「東京ディズニーランド」「東京ディズニーシー」は開園より多くのお客さんで賑わう、日本に無くてはならない施設となった。
ミッキーやミニーといったメインキャラに加え、プリンセスといった等身の高いキャラ。クララベルといった初期作品のキャラに出会えることが良い。
アトラクションも豊富で、その背景であるバックストーリーも魅力の1つ。
何よりキャストさんたちの「ゲストを精一杯おもてなししたい!」という気持ちがひしひしと伝わる。
一度行けば疲れ果てて帰っても「ああ、また行きたい」と思ってしまう素晴らしい施設だ。
さて、一方の黒馬こと「ツイステ」をご存じだろうか。
「ツイステットワンダーランド」という今年頭に配信されたディズニーの看板を背負ったアニプレックス発のゲームだ。
TDRに行く東京民なら必ず通るあの動く歩道の傍にある大きな看板。
配信前からプッシュを続けた為、存在を知っているDオタ民は多いだろう。私もその1人だ。
私は正直言って、乙女ゲーに興味がない。正直カワイイ女の子がダンスしたり敵船を撃破したりといったゲームが好きだった。筆者は女性である。
だが、Twitterのフォロワーがやっているのを見て。「何だろう、面白いのか?」と思ってダウンロードした。
最初の推しなどは居なかった。声を聴いて1時間くらい誰にするか悩んだ。
ツイステは「リズム」と「バトル」を組み合わせたゲーム。アイドルマスターやポップンミュージックのような正確さは求められない。バトルもFGOのような難易度を求められることは無い。
だが……初期のころは正直言って「クソゲー」だった。
リズムゲームはズレまくっている。音を聞いて押すとGOODになる。バトルに関しても何も連絡がないままじゃんけんバトルだと気づくのに多少時間が掛かった。ごり押しした。
昨今は調整され、音も聞きやすくなった。最近リズムマークの速度調整に気付いた。いつからあったんだ。
ディズニーヴィランズを”インスパイア”されたキャラクターが複数存在する。ここら辺は公式サイトを見てもらおう。
文字通り十人十色のキャラが存在し、それぞれめちゃくちゃ個性の強いキャラが居る。
前提として、「各寮にはそれぞれ寮に入るために持ち合わせた信念が云々」といった、いわば某魔法使い映画のような世界にやってきた主人公。
そこで元の世界に戻るために寮生たちと過ごしていく……という設定だ。
ネタバレになってしまうかもしれないが、キャラクターは全て文字通り「ツイステッド」、「歪む」。
自分の信じていた前提が覆されるとキャラクターは「闇落ちバーサーカー(本編での呼び名)」である「ブロット堕ち」になる。
そういった彼らの「バッドエンド」を「ハッピーエンド」に変えていく……といったストーリー。
ところどころ散りばめられたディズニー映画を彷彿とさせるセリフ回し、本編は全てボイス付きである。
デザインは有名漫画家を起用。私はリドル君を見た時に「あ、赤い……〇〇〇くんだ……」というのが最初の印象。ここら辺は多分ググればわかると思う。
ツイステの人気はやはりここにあると思う。キャラクターの良さとストーリーの面白さ。
誰一人「嫌い」と呼べるキャラが居ないのはとてもいい。
また、ゲーム内容は「育成放置可」のため某ゲームの様に育成の度にいちいちコマンド入力しなくてもいいのだ。リズムゲームもある程度やれば放置で構わない。優秀。
以上が、ツイステの魅力である。
解ってるよこんなもんよぉ!って人は飛ばせばいいと思う。今更だが。
【本編①】
さて、前提としてTDRとツイステの話をした。
昨今問題視されていることがある。それはDオタとツイステ民の衝突だ。
Dオタはともかく、ツイステ民は民度が低い、など言われがちだ。言ってしまえばハマる年齢が相応のため、仕方ないと言えば仕方ない。まだ花も笑う年齢の方は多いだろう。箸が転げても笑う年齢も。
最近は「公式に二次創作の事を聞きました」なんていう物があるが、古のオタクとしては「公式に……二次創作をしているなど知られれば……!!」と危機感を抱く事がある。そういう事例がたくさんあったから。
じゃあDオタはいいのかという話。Dオタ、詳細に言えば「TDRオタ」というのが正しいのだろう。
TDRに来て、各々の発見した楽しみ方を実践する、いわゆる「プロTDRマニア」というべきだろう。正直尊敬する。
ショーパレを見る人、キャラグリを楽しむ人、1人のキャラに愛を注ぐ人、景色を見る人、花々の変化を楽しむ人。様々。
こう見ると「なんだ、ただのオタクと変わらないじゃないか」と思うがその通りである。
皆様は「ディズニー・アトモスフィア」をご存じだろうか。多分これを言った瞬間何人かは「あっ!」と思うはず。
アトモスフィアとは元々「大気」を表す単語だが、ディズニーでは「キャストによる突然のショー」の総称である。
何処からともなく現れては音楽やダンスを披露し、ゲストたちを楽しませる彼らの演目の1種である。
基本的にアトモスフィアはいつ行われるかのリストはない。が、何度か言っている人であれば何となくこの時間…といったことが解るらしい。すごい。
その中でディズニーらしからぬ異質を纏ったアトモスフィアが、あったことをご存じの方は多いはず。
ディズニーヴィランズの手下たちをイメージした手下たちが歌やダンス、観客に近づくと言った中々心くすぐられそうな存在である。
死ぬほど画像などが転がっているので見てほしい。イケメン美女がダンスしたり悪いことしたりする魅力的な作品だ。
ちなみに筆者は2015年ごろに今は離れてしまった友人がこのアトモスのために年パスを買い、2018年には先輩が見たいと言ってなぜか2日連続ディズニーを経験した。
皆が見ている間近辺で行われていたシェリー・メイのグリに並んでいた。シェリーちゃんはカワイイ。一度グリしてほしい。
この手下たちは余りの人気で2018年までほぼ毎日やっていた。
大体これが行われるタワーオブテラーの前には行列や人だかりができていた。
手下を求める女子の黄色い悲鳴の背後ではホテルハイタワーによる呪いで恐怖の叫びが木霊している。非常にシュールな図ではある。
大人気を勝ち取った手下たちだったが、一部のDオタからは白い目で見られることとなってしまった。
お気づきの方は多いだろうが、「手下目的」の人が多く来てしまった事である。
「いや、たかだかアトモスでしょ?!その間他のアトラクとか行くんでしょ?」という声が上がりそうだが違う。
手下ガチ勢は朝から終了まで、ずっと手下を見ていたという声がちらほら上がる。
なんというか……すごい。そこまでの待てる熱量というのはやはりオタク。ライブやイベントでの待ち時間と比べると大差ないのかもしれない。
1日に何人もの人だかりを見たことがある。その度に「人気だなあ」と感じていた。
エレクトリックレールウェイから見える時、ものすごい人だかりの中で頑張る手下たち。正直すごい。
ディズニーの暗黙の了解として「走らない」というのはご存じだろうか。否もはや暗黙でもない。
開園直後にキャストさんが必死に「走らないで下さい!!」と叫んでいる。毎日見る光景だ。
私も一緒に来た人には「ボスケテの精神で行こう」と提案している。それは「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」に登場する文字である。
「ボス助けて」を略してしまったため、「ボス 決して走らず 急いで歩いてきて そして早く僕らを 助けて」と勘違いされたあの名言。
この「決して焦らず 急いで 歩いてきて」というのを心に我々は歩いてディズニーを回る。
まず手下に対してこの条件が当てはまっていなかった。
席は抽選ではない。いい席で見るために誰よりも先に前に行き、席を取ることに必死になった。
こんな情景実はどこでも見るところだが、ディズニーは異質中の異質である。
「席を取られた」と言って殺気立つ客が現れることとなる。本来ディズニーには無い空気が漂う。
走って席を取るのも他のゲストにとってストレスになる。走ることで他のゲストが触発されて走ることが多くなる。
まだその時はアプリでFPを取ることが出来なかったため、「彼らが何処に向かっているか解らないゲスト」たちが「乗り物のFPを取るために急がなきゃ」と走る。
誰も歩かなくなり、こける子供も多発する。来て早々泣く子供に親は困り果てる。悪循環がいっぱいできる。
まあ、既に終わったことではある。現に2018年を終えて手下は終了した。
このほかにもマナーの悪さなどが際立ち、「ハロウィンの時期にはディズニー控える」といったDオタが増えている。
……多分以前よりこういうことは多々あったのだろうが、Dオタたちが揃って「やばい」と感じたのはこの手下が私の認識では初めてだった気がする。
なお、筆者はイケメンを見ると心がざわついてしまうので手下は見なかった。
近辺のベンチで座って先輩たちを待っていたら、目の前で帰っていく瞬間を見ただけである。
ちなみに帰り際の待ち伏せも手下好きの人はやっているが、グリ目的のマナーの良いDオタもやるのでここは触れないでおく。
この案件と懸念が行きつく先は、「ツイステの人気にあやかって手下の復活が…あるかどうか?」である。
正直、この件に対しては余り考えていなかった。どちらかというと本編②で話すことが若干懸念。
だが、今このツイステブーム。コロナによる自粛によって開園出来ない事を踏まえると「客足が多かった手下が復活する可能性」は否めない。
そうなると再び、Dオタと手下沼の人たちによる溝が出来てしまう。
純粋にディズニーを楽しみたい人、純粋に手下を楽しみたい人。どちらも楽しみたい気持ちは一緒なのにマナーの違いで大きく出てしまう。
なんかそれは……嫌だなぁって感じ。TDRはみんなで楽しみたいですからね。
【閑話休題①】
描くことに疲れてきたので何か話をしよう。
ディズニーは飯が美味い。
兎に角飯が美味い。ワンコインでめちゃくちゃ美味い物が食える。
ちなみに筆者のおすすめはTDSで販売されている「ホットドッグ」と「ユカタンソーセージドッグ」である。
なんと筆者はパンが嫌いである。口内の水分を取られる感覚が嫌いすぎる。
まずホットドッグ。こちらは400円か500円くらいで食べれる。
ホカホカのパンとそこそこあったかいソーセージ。まずソーセージがデカい。
パンの1.5倍の長さはある。そしてとてもジューシー。めちゃくちゃ美味い。
お好みでケチャップマスタードを掛けて食べる。腹にたまる。片手食べれる。
食べ終わった後は包み紙を見て、その店をアメフロ内で探すのがディズニーに行った時の習慣になっている。
ユカタンソーセージドッグはフランスパンのような硬めの記事の間にあらびきの長ウインナーが1本入ったものである。
一口食べれば肉汁がじゅわり。だが安心してほしい。肉汁は全てフランスパンが吸い取る。
もう滅茶苦茶うまい。ビックリするほどうまい。そして早々に売り切れる印象がある。
タダの見た目も映えないパンダと思わず、買って食べてほしい。500円。
今は多分もう食べれない。
【本題②】
言い方がひどいが、正直Dオタにしてみれば間違ってない……と思っている。
まず、ディズニーヴィランズのモチーフという事はそのディズニーのメインストーリーがある。「白雪姫」「不思議の国のアリス」「リトルマーメイド」など。
特に「リトルマーメイド」「アラジン」はディズニーにもしっかりテーマエリアがある。「不思議の国のアリス」はレストランがある。
ツイステは正直グッズ展開がめちゃくちゃ早い。あと戦争。私も好きなキャラのグッズを買おうとしたらドコも鯖落ちして「今の時期珍しいな」と思うくらいだ。
鯖落ち戦争に勝ち抜いてグッズを買わねばらなず、更に転売が息づく世界だ。再販も早い。
オタクというのはグッズを置いて写真を撮ることもする。なぜか。単純に「推しとその世界」を撮影したいからだ。
ディズニーはツイステ民にとって格好の的、というかほぼそこしかない。
ありとあらゆるところでツイステを見ることになる可能性はほぼ100%に近いと思う。
ちなみに古のオタクは好きな物を公表することが恐ろしいと感じる傾向がある。
日常でもオタクとバレたくない人はそのグッズを付けたりはしない、家で楽しむことが多い。と思ってる。
私の見解なのでこれが100%ではない。今でもオタクグッズを付けて外に出る古のオタクもいるだろう。すごいぞ。私にはできないぞ。
まず、ディズニーはツイステ民だけではなく一般の人も来るというのはお察しだろう。
Dオタだけの世界ではない、遠くから来た人、子供連れの人など老若男女様々だ。
正直、そんな方々に引かれないかとおずおずしている。他人の事なので自分に降りかかるわけではない。
例えるとしたら人がいっぱいいるのでその場からすぐに退散したいイデアの気分になる。なぜか自分に降りかかると思ってしまうオタク。厄介である。
撮影が「ダッフィー」やら「ミッキー」やらのぬいぐるみやアクスタならまだしも、どこぞのイケメンの写真を撮ってるのは案外異質な光景かもしれない。
私もたぶんツイステを知らなかったら「あんスタのキャラかな?」と思うかもしれない。ちなみに筆者はあんスタでは渉推しである。
いたるところでツイステキャラと写真を撮るのは、オタク特有だが周りを見れば一般人もいる。
一概に「それはマナー違反だ、やめろ!」とは言わない。し、やってもいい事だと思う。ディズニーはそういうの禁止してないし。
ツイステ民の私の心は「解る、解るよ…!」でありますが
ただDオタの私の心は「なんか、痛いなあ…!」と思ってしまうので許してほしい。許して……。
家族でアナ雪のコスプレをしたり、全員ピーターパンとか結構ありがち。
皆さんはご存じだろうか……Dハロの許容の深さを。
ディズニー作品ではなく、ディズニーチャンネルキャラですらOKである。
悪魔バスター★スター・バタフライ、怪奇ゾーン グラビティフォールズ、キム・ポッシブル、マイロ・マーフィーの法則 などといったアメコミキャラはオールオッケーなのだ。
更に日本を代表する人気作品「キングダムハーツ」よりソラ、リク、カイリはOKをもらっている、マーベルはNGである。
「ゲームに登場する他社キャラクターは認められていない」とのことなのでクラウドやエアリスといったFFキャラ、そのほかオリジナルキャラやシャドウはNG。
看板に「ディズニー」を背負っているツイステは入る可能性が高い。
つまり下手をするとどこでもツイステのキャラを嫌でも目に入れなければならない。此れにはツイステ苦手なDオタの方は憤慨すると思う。
私はコスプレは好きだ。見るのが好き。コミケとかもコスプレ目当てで行くことがある。
だがDハロの場合は別だ。ディズニー映画のキャラやディズニーチャンネルのキャラを見たい。小さい子がアリスの格好してるとほのぼのするが、ほぼ毎回見る。
Dハロは「ディズニー映画のキャラを中心にコスプレする」人が多い。
その中にツイステが混じると「えっ、このキャラ……何のキャラ?」と思う人が多いかもしれない。
人はそれに対して言及はしないけれど、「ディズニーのキャラかな…?」と思わされることは多い。
ディセンタントというディズニー映画は知っているが一般の人はほとんど知らない映画だろう。ツイステ好きの人は是非見て。キャメロン・ボイスに最高の感謝と喝采を。
彼女たちを見た時に「あ、ディセンタントだ。」と思う人は少ない。
じゃあツイステだっていいじゃん!って思うだろう。書いてて私もそう思う。悪い事じゃないじゃん。そう思う。それな。
ただDハロの時にツイステを見るのは正直言ってしまって「秋葉原でコスプレをして歩くオタク」のような感覚が強い。
なんだろう、イケメンだからかな?ディセンタントやキム・ポッシブルといった映画やアニメは「実写!」「カートゥーン!」といった色彩が強いからだろうか。
ツイステでは恐らく「イケメンのコスプレ…!!」と感じるのだろう。イケメンを見ると心がドキドキする。
(恐らくツイステのコスプレがOKになったとして、オンボロ寮主人公はNGだと思うのでお気を付けください。あくまでキャラ対象だと思うんですよ……。)
懸念してる事なのでこれが現実になるかは分からない、ならないかもしれない。むしろなってもならなくても節度ある方がコスプレしているだろうから、特に問題はないと思う。
磐田忍
ダビスタブリーダーズバトルというファミ通ブロスでやっていた漫画のヒロイン?
プレステのダビスタと連動する架空のアーケードゲームを題材にした青春漫画。
架空のゲームを題材にしているが、あまり無茶な設定はなく、ありそうでありえないギリギリのラインをついており、ゲーム漫画としてとても面白い。
ダビスタにおける血統の概念をうまく漫画ライズしており、競走馬の血統の脈々つながる面白さがゲームをかいいして感じられる。
さらにこの漫画の両輪となるのが、ゲームを通じてのボーイミーツボーイものかと思わせておいてのボーイミーツガールで当時の僕の男性同士の恋愛を求める気持ちはズタズタに引き裂かれた。
ただ、そんなボーイミーツボーイを引き裂くだけあって、彼女のゲームを楽しむ姿勢、恋愛を怖がる態度など魅力的ないシーンが多く、ゲーム漫画としての側面も青春漫画としての側面も楽しめるこの作品の青春漫画側面を一手担う魅力的なヒロイン。
作中で明言はされないものの、どこか百合を匂わせるシーンもあり、一様に表現しきれないジェンダーの深みなんかもとてもとても面白かった。
物語はどうも中途半端なところで終わっているが、この作者の漫画は常に中途半端なところで終わるので作風なのか打ち切りなのかはさっぱりわからない。
なお作者は現在、難病を患いながらもマリーのアトリエの半公式漫画を描き続けており、そこに過去の打ち切り作品のキャラクタをクロスオーバーさせる手法をとっているため、いつかこのキャラも再登場することを願う。
こんな感じで忍って名前のキャラを語って、アイドルマスター系赤裸々まとめブログにまとめてもらおうよ!
(赤裸々まとめブログとは?
「ジレるハートに火をつけて」は最初は琴葉がいて、途中離脱して5人で歌えなくて、戻ってきて遂に揃ったー! ってなるのは分かるんよ。
分かるんだけども。
「赤い世界が消える頃」では、そんなんなかったやん?
あっちは収録前に離脱していて代役を立てたから、ってのも分かる。分かるが琴葉がいた場合どうなってたか、ホントの投票結果のメンバーで聴きたい、と思うやん。
可奈ちゃんが悪いとかではなく、あるべき姿として。そう思うんだが、どうだろうか。
「リフレインキス」の方はフルメンバーになるんだろうか。 それともあれも3人が完成形ということでゲームでも実装してしまうのか。
増田はどう思う。
俺はそれでは奇麗な〇にはなれないと思うんだ。
SPや2の頃からキャラ可愛いな〜と思い始め、ゆるく動向を追っかけながら今はミリシタやってる生半可Pだが、
twitter見てると熱量の高いPが多くて感心させられている。
特に、アイマスはキャラと声優の親和性が高く、キャラのファンはもれなく声優も応援している印象がある。
もちろんキャラクターと声優個人の活動は別物であるとPも理解している訳だが、
先日は中止になったミリオン7thライブの代わりに行われた配信番組を見た。
初期メンバーのいわゆるASで13人だったが、ミリオンは総勢39人(ミリシタからの新キャラ2人を含む)。
ミリオンの声優陣が2日間の配信で半分ずつに分かれて出演(参加)していた訳だが、あの和気藹々とした雰囲気は視聴者も楽しんでいたことだろう。
また、twitterを利用している声優も多く、日頃からtwitter上でも共演者と仲良くしているやり取りをしている人達もいる。
確かに出演キャストが仲良くしている様子はファンを喜ばせるものであるし、当人達も楽しく仕事ができる人と共演したいだろう。
ただ、これを見て思ったのは「会社って学校じゃん」の匿名エントリである。
※https://anond.hatelabo.jp/20190223150633
ミリオンライブは同時期にサービス開始したシンデレラガールズと違って最初から全キャラにボイスがついていた。
※https://www.famitsu.com/news/201302/26029422.html
自分はこの頃、シンデレラガールズの方を「新しいアイマスのゲームか」と思って遊んでいた。
個人的には当時ASのイラストを描いていた杏仁豆腐さんの絵柄が好きだったし、
アニメ・グリマスの絵柄は好きになれなかったからというのもある。
デレは今でこそキャラにボイスがついて音楽ゲームになり、ライブまで開催されるほどのゲームとなったが、
サービス開始当初は、見たこともない新キャラのイラスト(声なし)を愛でながら課金アイテムで殴り合うだけのシンプルなブラウザゲームだった。
(しばらく遊んだが愛着が湧かず「なんかアイマスじゃないな」となってしまい、自分はモバゲーごと退会してしまったのは余談である。)
アイドルがただのイラストでしかなかったデレとは違い、グリマスは最初から全アイドルに声優がついている。
さらに、サービス開始当初からCDがリリースされ、ゲーム内容もストーリー性が重視されたものであった。
アイドル一人一人が人格を持ったキャラクターとして具体的に描かれ、かつ、そのアイドル同士は同じ世界を生きて切磋琢磨する。
こうなってしまうと何が起こるかと言えば「一人も手放さないone team」化なのである。
デレがここまでの勢力となったのは、ユーザーの民意(という名の課金)で
担当をトップアイドルにできたりボイスを獲得できたりすることが可能な「人気投票」システムのおかげだろうと思っているが、
同じことをグリマスでやってしまうと、必ず「傷つく人」が出てきてしまう。
もちろんあれだけ多くのキャラクターがいれば人気は分かれるし、ニッチすぎるキャラ設定のアイドルもいる。
だが、それによって出番を人気アイドルに偏らせたり、ファンが(相対的に)少ないアイドルをリストラするわけにはいかない。
たとえ自分の担当アイドルをトップアイドルにしたくても、アイドルの友達であり仲間である他のアイドルを蹴落とすような真似はできない。
本当の芸能界なら人気がないアイドルはCDも出せないしテレビにも出られないが、この世界はそうではないのである。
それに、声優たちはバンナムの社員ではないとはいえ「ミリオンライブ」というコンテンツを作る「構成員」としての役割もある。
あくまで自分の演じるアイドルのキャライメージを守り、立ち位置をわきまえて行動しなくてはならない。
ミリオンの中で「声優として目立ちたい」とか「自分の人気を集めたい」とかそういうことを態度に出してはならないのである。
また、リアルイベントもやるようになると他の声優たちとも一緒に活動するわけで、そこでの人間関係もうまくやっていかなくてはならない。
これに限らず、アイマスという「ハコ」を維持するためにバンナムや声優、その他の外部協力者が気を使い合っている様子を見るにつけ、
「声優もサラリーマンみたいなところあるよなぁ」と思ってしまうのである。
アイマスがただの「担当アイドルプロデュースゲーム」から「メディアミックスコンテンツ」になってしまったがために、
キャラの台詞を読んで収録するだけでよかった声優の役割が増えてしまい、
可愛い女の子が目的でゲームをプレイする1人のオタクの答えとしては「否」である。
が、プロデューサー(アイドルマスターを嗜む人の呼称)(言ってしまえば内輪ネタ)の答えとしては「悪になりかねない」である。
(この文章内では「容姿、ないしは言動が好み」の意図で「可愛い」という単語を使用している。これは決して女の子はフリフリ可愛いものを着なくては、といった女の子らしさの強要ではない。
また、「絵アド」も担当イラストレーター等は関係なく、いかに描きこまれてるかのクオリティーに関するものとする)
アイドルマスターシンデレラガールズ(以下デレマスと略)、そして派生アプリであるスターライトステージ(以下デレステと略)をご存知だろうか。
モバマスはその名の通りモバゲーで展開されており(運営より更新縮小が告知されているが、新カードやイベントの更新は続いている。ガチャに関してはデレステからのカードが流用されていることも少なくない)、そこから「音ゲー」として開拓されたアプリゲームである。
アイドル総勢190人の3Dモデルが用意され、楽曲に合わせて踊らせたり個人のカードを育ててアイドルの一面を知ることができる。
元の「アイドルマスター(以下アイマスと略)」シリーズが有名なのもあって、いわゆる美少女動物園コンテンツの中でもかなり大きい部類だといっていい。
キャラクターを売りにした基本無料アプリゲームの宿命、ガチャシステムも勿論搭載している。
250個の石で1回、2500個の石で10回連続で回せる。10回連続で回せばSRというレアリティのカードが1枚確定。
しかし有償で購入した石ならば60個で1回回せる。(1日1回限定ではあるが)
そういったゲームでは最上級のレアリティSSRがだいたい必須になり、インストールしたユーザーのだいたいがリセマラ(目当てのカードが序盤で出るまでインストール⇔アンインストールを繰り返すこと)をする。
一般的に想像される「キャラクターがたくさん出てくるゲームのガチャ」だろう。
皆が求めるSSRにも実は分類がある。
そのうちの片割れ、恒常SSRは「いつでも出てくる」SSRだ。追加から数日間だいたいピックアップされ、その期間が終わると確率は他のSSRと同じになる。
上記の恒常と異なるのが限定SSRだ。追加から数日間ピックアップされるのは一緒だが、その後はガチャから出なくなる。とはいっても、一定期間経てば期間限定ガチャが再度設置&ピックアップされることが多い。
限定SSRが追加されるガチャは定期的に開催され、その度に対象となったキャラクターを好きなユーザーは喜んだり爆死(ガチャ用の石を使い切っても目当てのカードを引けない現象。基準は人それぞれだが一般的に有償石を購入→購入分をすべて投入するも出ない状態をさす)して涙で枕を濡らしたりするのだ。
たかがカードに、とアプリゲームや課金行為に思う人もいるかもしれないが、デレステのSSRは特定のアイドルの3Dモデルに特別なドレスを着せられるようになるのだ。デレステの醍醐味といってもいい。可愛い子のカードに、その子だけの可愛い服を着せて踊らせる。可愛い子が好きなオタクとしては垂涎ものだ。
とあるタイミングでスターライトステージのガチャ回数に上限が設置されてからは決定的な爆死もかなり緩和された。
さて、本題。
2020年のブライダルテーマガチャで、とあるキャラクター3人の新たな限定SSRが追加された。
メンバーは黒埼ちとせ、川島瑞樹、イヴ・サンタクロースの3人である。
限定ガチャは話題性が強く(人は期間限定という単語に弱い)、イラストに気合が入っていることも多い。季節モノであれば花びらが舞ったり、海が抜けるような青空を反射している。1枚の絵として見たときに「特定のシーン(季節と場所が組み合わさって特別感を演出している)」であることを連想させるものがほとんどだ。
ブライダルテーマである。「俺の嫁(古い表現にはなるが)」という観点でアイドルを愛するユーザーも少なくはない。むしろアイドルの中でPラブ勢(ユーザーの分身である作中のプロデューサーに想いを馳せているアイドル達のこと。もちろんあくまでビジネスパートナーとしての関係を望むアイドルも多くいる)が今か今かとチャンスを狙っているといってもいい。
そんなユーザーにとってもアイドルにとっても関心が集まりやすいブライダル限定ガチャのラインナップが物議を醸した。
メンバーのうちの1人、黒埼ちとせの絵アド(同じレアリティ、性能である場合かなりの確率で絵が上手いほうが好まれる。これはデレステに限らない話)が異常に高いのだ。
よくあるアプリゲームらしくカードにはイラストが2種類用意されており、デレステでは強化前を「特訓前」・強化後を「特訓後」と呼ぶ。
現在音ゲープレイ時の編成表示は特訓状態に依存している為、結果的に特訓後のイラストを見ることの方が多くなる。尚、アルバム機能以外ではアプリ内ホーム画面に固定して表示することもできる。
イラストは大事だ。自分が元々好きな子なら大体可愛く見えるというのも勿論あるが、せっかく新しいカードが発表されるのであれば純粋に可愛く描いてほしい。その子だけの表情で、その子だけの特徴を活かした綺麗な1枚がほしい。
そう、絵アドは大事なのである。絵アドが高いに越したことはない。まず好きな子の綺麗な絵が見られることが嬉しいし、好きな子が周りから「可愛い!」と褒められたらそうでしょうそうでしょう、この子とっても可愛いんですよと誇らしい気分になる人も多いだろう。
では今回一部で話題に"なってしまった"黒埼ちとせの絵アドも同じように捉えていいのか。
問題になってくるのがまさかの「デレマスというコンテンツのスタンス」そのものなのだ。
現在190人のアイドルを擁するこのコンテンツの売りであり異常でもある(自分はそう思っている)のが「誰もがシンデレラになれる」というテーマである。
どんなジャンルでも大抵「最推し」という文化があるものだが、デレマスはそれを越えた「シンデレラ」にすることをユーザーに委ねている。
ステージもアイドルもこちらで準備できています。あとはあなたがどの子に声をかけるか。そういうストーリーがまずプレイヤーに課せられるのだ。顔はもちろん体型も趣味も違うアイドルのうち、誰をシンデレラにしたいのか。ガラスの靴を履かせて、舞踏会で周りの人が皆見惚れてしまうぐらい輝かせたいのは誰なのか。
プレイヤー(プロデューサー)はそのうちから1人(場合によってはそれ以上も)の手を取り、ともに歩みだす。
同時期に同じ目的で作られたイラストを複数を並べたときに1人だけ異様に絵アドが高いというのは、定食屋のメニューみたいに「おすすめ」とか「人気」とかを公式自らつけているようなものだ。結果、「誰もがシンデレラになれるんですよ」というコンテンツの売りが死ぬ。
勿論大人の事情もあるだろう。たまたま特定のアイドルをおすすめしてしまうことになる可能性だってある。偶然が重なった結果なら仕方ない?
仕方ないとユーザーが擁護してしまった瞬間、皮肉にも守りたかったはずのコンテンツの売りが死ぬのだ。お金が関わるから、今が時期だから、太客がいるから…そういった擁護は「誰もがシンデレラになれる」と売るコンテンツに対してのある種の冒涜とも言える。
「誰もがシンデレラになれる」を売りにしている以上、そもそもユーザーに「キャラクターAに与えられたチャンスが他のキャラクターより優れている」と気付かせて(言わせて)はいけないのだ。「誰もがシンデレラ」ならユーザー(から選ばれたアイドル)に与えるチャンスそのものが等しくないと成り立たない。
もしコンテンツ側から「公式側の推しとお前の推しで殴り合うゲーム」と明言されていれば公式が特定のアイドルを優遇しても理論上は問題ない。道徳とかそういうものは問題ありそうだが。
だがデレマスならびにデレステはそんなことは言ってくれない。あくまで「誰もがシンデレラになれる」、希望に満ちた世界観なのである。これは一周回って残酷と捉えていいだろう。
さて、ここまで読んでくれた人は「同じ限定ガチャで1人だけ絵アドが高い」という現象について改めて考えてほしい。
公式やこの文章そのものに文句がある人もいるだろうし、渦中となった限定SSRの黒埼ちとせを擁護したい人もいるだろう。その行動が完全一致することよりも、言葉の行き先に意味はあるか(何の歪みが原因で騒ぎになったか自分なりに理解しているか)を重視する方が自分は大切だと思う。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 70 | 13363 | 190.9 | 58 |
01 | 62 | 13115 | 211.5 | 72 |
02 | 49 | 3892 | 79.4 | 51 |
03 | 39 | 9731 | 249.5 | 77 |
04 | 24 | 4044 | 168.5 | 79.5 |
05 | 29 | 3244 | 111.9 | 77 |
06 | 35 | 5689 | 162.5 | 44 |
07 | 57 | 6834 | 119.9 | 69 |
08 | 89 | 8887 | 99.9 | 40 |
09 | 135 | 15943 | 118.1 | 54 |
10 | 139 | 14980 | 107.8 | 48 |
11 | 111 | 11533 | 103.9 | 46 |
12 | 110 | 14312 | 130.1 | 38 |
13 | 104 | 11057 | 106.3 | 51.5 |
14 | 126 | 11019 | 87.5 | 47.5 |
15 | 164 | 13262 | 80.9 | 36 |
16 | 129 | 17353 | 134.5 | 56 |
17 | 98 | 17692 | 180.5 | 46 |
18 | 129 | 13701 | 106.2 | 43 |
19 | 137 | 21581 | 157.5 | 47 |
20 | 203 | 19562 | 96.4 | 43 |
21 | 130 | 15633 | 120.3 | 39 |
22 | 142 | 13920 | 98.0 | 39.5 |
23 | 166 | 20336 | 122.5 | 43.5 |
1日 | 2477 | 300683 | 121.4 | 47 |
女性関係(29), 1600万円(6), ニコマス(3), クルド人(4), クーラーボックス(5), 4人(3), 再分配(3), 注文住宅(3), シャンデリア(4), ダリフラ(6), 学資保険(4), 4LDK(3), ユニクロ(41), 1000万(65), 貯蓄(31), 暴動(19), 在住(32), ファッション(39), 1000万円(15), 年収(158), 家賃(49), 外食(32), 飲み会(40), 1万円(15), 黒人(28), 資産(29), 買い物(39), リアル(67), 貯金(37), 高級(21), 投資(29), 都内(22)
■年収1000万のリアルを教えよう /20200530164357(52), ■年収1600万円のリアル /20200531081711(23), ■彼氏の東京転勤が決まった /20200530191853(16), ■「紫電改」の発音を聞くとイラっとしてしまう /20200531083634(11), ■ブクマカの大村好きは異常 /20200529091042(10), ■オタクが気持ち悪い /20200531120012(10), ■ラーメンのトッピングの海苔の存在意義と美味しい食べ方 /20200530213403(9), ■もっと早くアイドルマスターを知りたかった /20200530162811(9), ■プログラミングを独学して、労働組合2.0としてのwebサイトを作ってみた。 /20200531122017(9), ■anond:20200530164357 /20200530165832(9), ■キャンプが趣味とか原始人かよ /20200530060910(8), ■ /20200531213302(6), ■日本も暴動やるべきじゃね? /20200531222320(6), ■anond:20200530191853 /20200531130500(6), ■警官が拘束した黒人が死亡したからデモ→わかる、お店を襲う→わからない /20200531192658(6), ■ /20200530225852(5), ■毒貧困家庭に生まれた瞬間に人生終わり /20200531025722(5), ■釣りを始めようと思ったけれど /20200531103906(5), ■ドラゴンうんちがあるなら /20200530222011(5), ■頭が悪くて伝えられる文章がかけない /20200531214205(5)
これは謝罪でも案内でも挨拶ですらないただの後悔の吐き出しなので増田はこれを読まなくていいし読んでもいい。
5年ほど昔に辞めてしまったが、「アイドルマスターを多くの人に知ってもらう!」と妄想して活動をしていたことがある。
主な活動はブログ。それこそニコマス動画をテーマに沿って紹介してみたり、アニメの感想を書いてみたり、ゲームそのものについて語ってみたりしていた。今は亡きはてなダイアリーに書いてみたり、ページごと消えてしまったがTumblrで書いてみたり、当時は期待が持てていたニコニコブロマガに書いてみたり……。他にも今で言う「アイドルダイマ」のための動画を作ったりしたことも。
8年ほどそれらの活動を続けてみたが、結果は「完全に無意味」だった。ブログのPVは全ての記事において0かほぼ0だった。何本も作った動画も尽く再生数0だった。誰にも何も届かなかった。増田にも。
俺は当時のアイマス界隈というものを「石でできた大きなドーム」のように考えていた。増田のように外側から見ると何を盛り上がっているのか分かりづらい。しかし良くも悪くも声が反響しやすい環境なので何かが盛り上がっているのはわかりやすい。ドームの中ではそれぞれがめいめいにグループの輪を作って座って楽しんでいて、中心に行くほど華やかだ。しかし入り口は分かりづらい上に狭い(実際「アイマスの敷居は高い」という人は結構いた)。
俺はそこに入り口を作りたかった。華やかに盛り上がっている皆の声を背中に、外へ向かって穴を掘りたかった。橋をかけたかった。その傍に立って「旦那、ここから先は地獄ですぜ……へっへっへ……」と嘯く死神になりたかった。
俺は結局何もできなかった。入り口や橋なら、有名なユーザーや公式がちゃんと綺麗で大きく派手なものを作ってくれた。俺は石の壁に何の傷もつけられなかった。結局、8年続けても何も生みだせない虚無に耐えられなくなって辞めた。こんな虚無と後悔を味わうくらいなら最初から何もしないほうが良かった。
最初に「これは謝罪ではない」と言ったのは、もし俺が今でも活動を続けていたなら、傲慢にも「増田に届けられなくて申し訳ない」と謝っていただろうからだ。この挫折でそのくらいは学んだ。
結局何を言いたいのかというと、言いたいことは別に何も無い。どうせ何を言っても誰も聞かない。ただ、増田によって舞い上がった後悔の記憶の澱を掬って味わうためにこの文章を書いた。もし増田がこの文章をここまで読んだなら、こういう後悔をしている増田もいるということだけ覚えておいてくれ。
お気持ち表明になってるのかすら怪しいが吐き捨てる。
結論から言えばこれを書いている動機は単純に「何故自分だけが嫌な思いをしなければならないのか」「何故他人は自分のように感じないのか」という嫉妬と我儘に尽きる。
私はデレマスが嫌いだ。ある時期からアイドル以外のユーザー、界隈、運営といったその他あらゆるものが嫌いになったし気に入らなかった。
運営にも多くの不満があるが、商業である以上自分は気に入らないが納得はできるものも少なくないので、以下はユーザーと界隈への不満を綴る。
ただしこれも自分が勝手に理想を押し付けたり求めたりしてる事は否定しない。
デレマスにおいて私はPではない。自分の事をPだと思っている精神異常者だった時期はあったがそれだけである。
直訳すれば生産や制作をする人間を指すが、ユーザーでそんな事をやってる人間なんかごく一部で、クリエイターか何かしらの企画をやってる人ぐらいしか当てはまらないではないか。
では他の連中は何なのか。こいつらが生産するのは愚痴と使用済みティッシュぐらいではないのか。
加えて無駄に界隈の民度や意識が高いと思い込んでいる辺りが嫌いだった。
二次創作でクソコラだの腹パンだのドラム缶だの言ってるどの辺りが民度が良かったのか。
一体今まで何回声優を中傷してきたと思っているのか。確かに微妙に思った事は自分も少なくなかったが、民度どうこう言うならなぜそこで黙って様子を見ていられないのか。
その癖に自分の言動を反省せずにあっさり掌を返すのが嫌いだった。
ふひひ★騒動の時は、声優が言及する以前にそれを咎める雰囲気は少なくとも自分は見なかったが、直後に自分が正義と言わんばかりに暴走して吊し上げる状態だった。
橘ありすの場合は声優がアニメ、ライブで実力でやり返したとも言えるが、実装当初の有様は酷かった。
声優に「人生で一番辛いクリスマスだった」と言わせる界隈のどこが民度が良いのか。
またデレステでもあんなに白黒を批判しておいて双子では掌を返して推すユーザーが少なくなかった事が不満だった。
自分のアイドルが不人気である現実を自覚できないユーザーが嫌いだった。
今回は楓Pが金で順位を動かした画像が話題になったが、あんなのは成果が見えるほうが稀である。
担当はモブであり、自分が革命やブームを起こして情勢を動かす天才ではないと理解すべきだ。
やらないよりはと、凡人がSNS上や現実で二番煎じの企画ばかりしている事、それで飽和している現状を見るべきだ。
ダイマ乞食に餌を与える連中が気に入らなかった。あれは乞食の自意識を満たすだけのものである。
そもそもアイドルの名前をツイートしたら担当にRTされて囲まれるという文化は何年も前からあった。なぜ今更ダイマ乞食なのか。
自分の担当アイドルを安売りしてるようなものではないか。何故総選挙で投票先を決められないようなユーザーに委ねてしまうのか。
また死票になるのが嫌なのは分かるが総選挙でぐらい自分の担当を信じるべきなんじゃないのか。
だらだらと、長々と書いたが、結論としては
「プロデューサーを自称する、担当アイドルの名前を出す割には、節度もプライドもないユーザーが多すぎる事が気に食わない」
「自分はこんなにも悩んでいるのに、未だに大半の節操無しがのうのうとPを名乗っているのか不満で仕方が無い」
以上である。
[追記]
文章化して、また増田からのコメントを見て気付いた所があったので追記しておく。
まず自分が意識他界系と評価されたのはショックだった、自覚がなかったので尚更だった。
また、なぜ自分がここまで1ユーザーの名称に過ぎないはずの「プロデューサー」という単語に、ロールプレイに拘るのかが、書いてる最中も考えていたがずっと分からなかった。
答えとして、おそらくだが「(本家)アイドルマスター及びそのユーザーに対する負い目や引け目」と「アイドルマスターという看板を持ちながらゲーム内におけるアイドルをプロデュースする要素の少なさ(に対する不満)」がコンプレックスになっていたと考えられる。
アニマスやムビマスで泣いてしまったのがコンテンツにハマる動機の1つだったため過大評価かあるいは夢を持ちすぎていたのだろう。リスペクトは大事だと思うが、増田の言うとおり確かにアイドルにセクハラできるゲームだった、そんな大層なものでもなかった。
ぼくはプロデューサー業をやっている。
アイドルマスターの、だが。
今回はシンデレラガールズの方の話をしようと思う。
別に世間の皆の反応などにどうこう言いたいわけではないことを心に留めておいてほしい。
夢見りあむ、というアイドルについて。
ぼくは夢見りあむのPだ、と胸を張って言いたい。
でも、最近少し言いにくくなってきた。
ぼくは夢見りあむというひとりのアイドルをとても誇りに思っている。
そりゃなんだこいつって思うこともあるけど。
それでも、アイドルというものに対する価値観のようなものがぼくにとっては
「ああ、この子はぼくだ。ぼくがなれなかった存在だ。夢見りあむは、ぼくなんだ。」
と思わされた。アイドルをなによりも尊び、そのステージに己も立っているという感情。
ぼくは夢見りあむを心底応援したい、と思って生きている。
ぼくは、夢見りあむに過剰に炎上してほしいわけでもない、悪目立ちなんてしてほしくない。
ソロ曲、すごくうれしかった。うれしいよ。でも、ああいう風じゃなくてもよかったんじゃないかなあ。
夢見りあむはああいう扱いをしていいんだ、って公式が示してしまったから。
今後もそういう役割を振られていくんだろうなあ。
今後のことはあまり考えたくない。ぼくは、自分が尊いと思う存在を汚されることが嫌だ。
佐藤心Pの妹に自己投影の件は省いて夢見りあむの扱いについての話をした。
「自分の推しがそんな歌詞歌わされるのってちょっと厳しいよね」
のような言葉をいただいた。
そうなんだよ。
あんずのうたとはまた違うじゃん。
極論かもしれないが最初に聞いて思ったのはそういうことだった。
もちろん好きだよ。曲とかすごく好き。
アーバンギャルドの浜崎容子様が歌ってくださったのも奇跡だと思っている。
でもぼくは、夢見りあむの扱いがもう少しどうにかなることを望んでいる。
生憎知り合いの中に夢見りあむPがいないため、ほかのPサマは何を考えているのか知ることができない。
もしあなたがデレPで夢見りあむPなら、考えを聞かせてほしい。
もしあなたがデレPで他担なら、それはそれで考えを聞かせてほしい。
アイドルマスターシンデレラガールズにというゲームに上条春菜というキャラクターがいる。
彼女は眼鏡が好きで、眼鏡に対して人一倍熱い思いを持っている。
私はそこに惹かれた。
アイドルマスターシンデレラガールズというゲームは自分の好きなキャラクターをプロデュースさせるゲームだ。
プロデュースする理由はいろいろあるが、一様にして好きなキャラクターを輝かせるため、と言って差し支えないだろう。
初めて少ししてから上条春菜が好きな人をTwitterでいっぱいフォローした。
とても楽しかった。
最初のうちは。
春菜が好きな人は同じアイドルマスターシリーズの秋月律子というキャラクターも好きであることが多かった。
自分もアニメのアイドルマスターを見ていたので、名前やどんなキャラクターなのかは知っていた。
ゲーム内で上条春菜と秋月律子の関係を匂わすようなシーンがほんの少しだけある。
しかしどれも明確に名前が出てきているわけではない。ただの匂わせである。
これを見て「春菜は秋月律子に憧れてアイドルを始めた」という人も多い。
は?
確かにそう匂わせるような表現がゲーム内に存在しているのだから。
なにを言ってるんだ??
どうして春菜というキャラクターを秋月律子というフィルターをかけて見ているんだ?
関係ねーよ
別のアイドルだろ?
なんでこのタイミングでこのことを書いたのかというと、春菜のソロ曲「初恋フレーム」が実装されてからというもの、見受けられた感想が流石に我慢できなかったからである。
どいつもこいつもこんな感想ばっかり言いやがる
なんでもかんでも律子に結び付けて何がしたいんだ??
それで春菜は喜ぶのか??
自分のための曲をほかのアイドルと結び付けられて、勝手に比較されるんだぞ??
どうして自分の曲なのに別のアイドルの話をしてるんだろうってならないか???
ならないよな。こいつらは。
だって春菜のことを律子の後継者だと思ってるし、春菜は律子に憧れてるって思ってるんだもんな。
春菜は憧れの先輩と同じような曲を歌えて幸せ者だなぁとか思ってるんだろうな。
ふざけんなよ
そんなフィルター越しにしか見てない奴らは全員春菜の担当やめてくれ。
愛していた昔の女の面影を重ねて今別の人を愛していているようなもんだぞ??
どう思うんだよ今の人は。
自分を通して別の人を見てるんだぞ??
最低な野郎だろ??
そんなことお前らはやってるんだからな?
そんな奴らがツイートに春菜の名前を入れてツイートするもんだから、純粋に上条春菜が好きな人の話とか初恋フレームの感想がみたいのに、あっちもこっちも律子律子律子・・・
もううんざりなんだよ
春菜の憧れの先輩でもない。
そんなに律子が好きならそっちに帰ってくれよ。
※この駄文にはゲーム「アイドルマスターシャイニーカラーズ」で現在開催中のイベント「ストーリー・ストーリー」のネタバレを含みます。
アンティーカを救ってくれ。
他のユニットと同じくらい読んでて「面白い!」と思えるシナリオを彼女たちにも与えてくれ頼む。
正直に言いますと、
まっっっっっっったく面白くなかった。
なんだあれ。あそこまで面白くないシナリオ作れるの才能か?????
お餅をつくやつも正直面白くなかたったけどまさかあれを更新するシナリオなんてある???なんで???
一回落ち着きます。
私は一応アンティーカの幽谷霧子ちゃんを推してます。最初期からずっと彼女と「W.I.N.G」で勝つために戦ってきました。カードも少ない頃のシャニマスを何周もやって、初めてのW.I.N.G優勝もTrueEndも彼女でした。それくらい愛着がある子が所属してるということでアンティーカのシナリオも追ってきました。
ユニットメンバーのシナリオは流石に引けてない限定P-SSRも沢山あるのでその辺りは触れず、基本的に全ユーザーが平等に見れる「アンティーカ」のシナリオを見た上で話を進めようと思います。
そもそも基本無料のガチャゲームで「限定SSRを見てないと面白くない、全ユーザーが見れるイベントシナリオ」を入れるのはナンセンスだろ。だったら月額制とかにしろって話なんですけどね。「見てた方がシナリオに深みが出る」とかならまだわかりますけど。
話がそれました戻ります。
まず導入が面白くない。読み手に続きを読ませようという熱意がまるで感じない。なんだあのギャグ??あれだけ不穏()な予告したのに??
何が全米が泣いた映画じゃしょうもな。あの導入で「これから面白くなるから読んでくれ」ってさせるのは正直厳しいものがある。
正直この時点で読むモチベがほとんど消失したし「あぁ前回(お餅をつこう)みたいになんとも言えないシナリオなんだろなぁ」という気持ちになったので知り合いを通話に付き合わせて読むことに。今思えば完全に巻き込み事故でしたねこれ。
ここからアンティーカのテラスハウスみたいな生活の話が始まるんですが、まぁ正直にいうと見どころは特にない。4話まで本当になにもない。無。虚無。最後の重要な伏線なんかも当然ない。
ざっくり言っちゃえば
「恋鐘と三峰の次の仕事の為になるべく長く収録できるように頑張ろうーおー!でも番組側ががまみみと咲耶と霧子があんまりウケないからテコ入れかさっさと終わらせようとしてるみたい!いったい私たちの共同生活、どうなっちゃうの~!?」
こんな感じ。ここまで全体の半分を使ってるのにほぼ進展なし。なんだこれ。一応フォローするなら4話の最後あたりでようやく話が動き出すがあまりに遅い。普通のアニメだったらとっくに切られてるぞお前。
まぁ咲耶がちゃんと「番組の取れ高のために頑張ってみたけどダメだった」と正直にメンバーに言えて相談できた点は良かったと思う。いや感謝祭シナリオ後と考えればそうであって当然なんだけども。
さて5話。先ほど述べた咲耶とまみみ、霧子たちが行ってた取れ高(取れ高にはなってない)の映像を見て三峰がアドバイスをする。ただこれがあまりに正直かつストレートだったため番組側に意図しない方向に編集、放送されてしまう。おまけに三峰が真のリーダーなんて意見もSNSで現れてどうしましょう、というのが大まかなあらすじ。
ここが正直、今回のイベントで一番やらかしたポイントだと思う。恐らく書き手側としては感謝祭シナリオの咲耶にように三峰を切り崩したかったのだろう。そして今回は意図しない番組側の編集とSNSの話題という2つの外的要因で崩そうとしたのだと思われる。
ただ悲しいかな、アンティーカには絶対無敵の最強ポジティブリーダー・月岡恋鐘がいる。彼女がいる以上アンティーカが外的要因で切り崩されることはまずない。言われない中傷だろうが意図しない編集だろうが彼女がいる以上「それはなにも知らない人が勝手に言ってるだけ。ウチらはウチら。」と間違いなく言うしメンバーもそれに付いていくのは、今までのシナリオ及び月岡恋鐘というキャラクターを考えれば容易に想像がつく。
そもそも感謝祭シナリオが面白かったのは咲耶が1人で抱え込みすぎた結果起きたすれ違いであり、内的要因では月岡恋鐘の対応は後手になってしまうことを考えれば三峰もその方面で切り崩すほうが面白いシナリオになったと思われる。三峰結華という人物にも切り崩せそうな素材は沢山あるわけですし。(未だに信用してるはずのメンバーにさえオタクを隠そうとしてる性格とか。)
前と違ったアプローチで切り崩したかったというのもわからなくはないが、それでシナリオが面白くなかったら意味がない。特殊な調理法を使って美味しくない料理ができるならシンプルで美味しい料理の方が絶対いい。
そんなこんなで6話と最終話。アンティーカは「この家でアンティーカで居れないならこの場所にいる必要がない」と家出を決意し、その後なんやかんやで戻って番組の方向性を自分たちなりの「ストーリー」として舵を切り直し、収録は上手くいくのでしたお終い。
なにこれ。
やろうとしてたこともなんとなくわかる。わかるのだけど、ただただ面白くない。
ここも一応フォローするのなら霧子が「絵本のときみたいにストーリーを作ろう」「嘘があっても”本当”のアンティーカがないのは寂しいから」等の台詞は良かったと思う。(特に後者は、変わらない本当の自分を受け入れて進む決意をしたW.I.N.Gシナリオの後の幽谷霧子だからこそ説得力が増す台詞だった。まぁ今までそういう台詞がほぼなかったのも問題だが。)
さて、終盤の展開だがどうもどうも私のなかで言い当て妙な表現が思いつかなかった。それくらいの虚無で読んでいた。
そのためここではTwitterの感想でよく見かけた「VS世界」という表現を使わせてもらう。
「VS世界」。行き過ぎた編集をした番組側の想定する「ストーリー」を自分たちなりの「ストーリー」にしてやろうということなのだろう。
は?
いや仮にそうだとして演出下手か?そもそもその「VS世界」みたいなやつは「薄桃色にこんがらがって」で既にやったし、もっと言えば「Straylight.run()」の時点で既にやっている。そして、前者は個々人の想いと、たとえ敵わないと思っても「それでも」と自分に正直に心のままに挑むシナリオ、後者は「世界」側が想定してる理不尽なフィールドで時には自分の想いとは違うこともある、それでもそんな理不尽に勝つために戦うための始まりのシナリオ、という形できれいに、そして「面白い」シナリオだった。
「ストーリ・ストーリー」にはそれがない。いや無くはないが正確にいえば「薄桃色」と似た切り口で「薄桃色」の焼き増しのようなシナリオになっている。
正直、「アンティーカの内的要因による切り崩し」は感謝祭と被るから避けたのに、「VS世界」の構図は焼き増しというのはちぐはぐな印象が強い。おまけに焼き増し元のシナリオより全く面白くない。最悪の2番煎じである。(そもそも2番煎じというのも「薄桃色」に失礼である)
別に「VS世界」という構図のシナリオが悪いとは言わない。同じ構図で面白いシナリオのゲームは沢山ある。結局は調理の仕方が恐ろしく下手なので、どこかで見たような面白くないシナリオになってしまう。今回の「ストーリー・ストーリー」がまさしくそれだった。これでシナリオには2重、3重でチェックが入っている(2周年記念インタビュー参照)というのだから驚きを隠せない。なぜ通した。もっとやりようはなかったのか。他のユニットが話題になるほど面白いシナリオをもらっているなかで、アンティーカが好きなユーザーはどうすればいいんだ。
私は恐らく今後アンティーカのシナリオには一切の期待をしないと思うし、なんなら今回のシナリオで愛想がつきた。(もともと「お餅をつこう」が微妙だったことと、幽谷霧子ちゃんのシナリオがあまりにも酷い内容が多いので冷めかけてはいた)
なのでこれを期に他に好きなアイドルとユニットの方を優先すると思う。いくら愛着があるアイドルでもいつまでも面白くないシナリオばかり見続けるのは苦しい。別のアイマスシリーズで似た経験をしたのでもう沢山だ。
アンティーカを救って欲しい。きちんと「面白い」と言えるようなシナリオを書いて、他のユニットと並ぶくらいにしてほしい。
最後に
言いたいことはタイトルのまんま。
俺はアイドルマスタースターリットシーズンにサイドM(以下M)が出なくて心底良かったと思っている。
発表があった時からMが出ないことにブチ切れてる人たちに対して俺はブチ切れていた。
この気持ちもいったんは口に出すこともないかと思っていたのだけれど
最近になってまたそんなことを言っている人間を目にしてしまって再燃したのと
Mが出ないことに憤ってる人間ばかりだと思われても癪だなと思ったので
お気持ち表明することにした。
じゃあ何でMに出てほしくないかってことだけど
“アイドル”と恋愛を想起させやすい“異性関係”の相容れなさなんて
正直今更言及するまでもない。
そういう"普通の女の子"としての気持ちと"アイドル"という存在であり続けることの苦悩の描写もあったよ、アイマスには。
それこそコンテンツ代表格の天海春香がエンディングで告白して振られたり、恋愛感情より"アイドルとプロデューサー"なんだって話をしたこともある。
「同じブランドなんで」とか「この世界では受け入れられてるってことで」とか言って無視してしまうなら、もう真面目に“アイドル”を描く気はないんだって感じるよ。
それに悩んできた過去のアイドルたちはなんだったんだってなるよ。
そんな都合のいい世界ならもう全部ご都合主義で解決したらいいじゃないってなって、二度とアイドルの、どんな悩みにも寄り添えなくなるよ。
でもそうじゃなかったからよかった。
発表の中で他のブランドのアイドルの姿が見えたとき正直背筋が凍ったし、Mが出ないってわかって心底安心した。
お気に入りのリボン結ぶのか?グロスを塗ってアヒルの練習するのか?
水嶋だけ参戦するならともかく5人選抜されたとして全員それでいいのか?
おれは女性のための表現を追求したダンスなんて、男性アイドルに踊ってほしくない。
逆だってそう。お互いにメリットがなさすぎる。まさに百害あって一利なし。
なんでMだけって言ってる奴
仕方ないだろ、こんだけ違うんだから
まず家庭用はAS13人は出さなきゃってところがあって
他のブランドどうするかって話をしていったんだよ
スターリットシーズンに挑むために、女性アイドルしかいない765プロが主導したプロジェクトルミナスにMが入ったってどうしようもない。
それで勝てると思ってる高木社長から765プロを乗っ取る戦略SLGパートが必要になるだけ。
ここまで書いてつくづく思う。
去年の秋辺りからなんとなく気配を感じてはいたが、寛解していた鬱病が冬になった事によりまた本格的に再発してきて、好きだった色々な物事に再び興味を持てなくなってきた。
その興味を持てない事の一番の影響が私が長年好きなアイドルマスターというコンテンツに興味が持てなくなってきた。
去年の秋のデレマスのライブを見た時にイマイチ楽しめず、私の問題かコンテンツ側の問題か悩んだけど、昨日確認も含めてライブをまた見に行ったが8~9割方自分の問題だと自覚した。
(デレマスのライブも昔から何回も見ているので1~2割方思う所はあるけど、なんだかんだ言っても元気な状態で見たら楽しんでいると思う)
というよりも、ライブを見に行くかどうか悩みに悩んだ挙げ句、一日だけ行ってみようかと判断下して申し込んだのはいいけど、当選して当日に近づけば近づくほど「嫌だ」「行きたくない」「チケットを売ってしまおうか」と頭を抱えた。
なんでこうなったかって、以前ライブ当日に人生で初めて味わうレベルの具合悪さを経験して、それがトラウマになっているというのもあって、未だにライブとかイベントあると不安で落ち着かなくなってくる。
(とはいえ、その後数回ライブやらイベント参戦して体調面はなんとか済んでいるので、自分なりに徐々にトラウマを緩和していっている)
そういう事もあり、前日は睡眠薬を飲んでもロクに寝れなかったりとあまりよろしくない状態というのもあったけど、とりあえず参戦した。
ライブ見た感想を言うと、ライブの内容がどうのこうのというよりも「好きな楽曲や担当のソロを聞いても全く気分がノらない」という自分自身に対する事実にとてもショックを受けた。
正直、ここまで精神的にダメになっているとは思わなかったので尚更ショックだった。
普通、多少気分が後ろ向きでも好きな曲とか楽しくなるようなものを見たり聞いたりすれば和んだり気分が昂揚して、ある程度は精神が回復するけど、そういうのが一切無いから本格的に精神がやられていると悟った。
今後あるアイマスのコンテンツのライブとかイベント関係どうしようか悩んでいたけど、また寛解して精神状態が回復するまで一切行かない事にした。
他にも別のジャンルで好きなものは色々あるけど、アイマスは10年以上関わっているだけに病気が理由で興味持てなくなってしまうというのはなんだかツラい。