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2017-08-20

僕たちがやりました」の音楽はこれで良かったのか問題

OP曲とED曲。

Mrs. GREEN APPLEDISH//

この2つのバンドアイドルバンドかと思いきや、ライブパフォーマンスも凄い巧い、人気があるの納得!と、僕やりナイトに行って感じた。

普段聞かないタイプ音楽にも関わらず実際めっちゃしかった。

ただ、このドラマに本当に合ってるのか、というと、?んー?って思う。

受注者側(バンド)としてはコンセプト通りにバッチリ作ってるんだろう。

問題はその「発注そもそも」が果たして正解だったのかどうか。

インターゲット層は高校生ではなくもっと上の層が正解だったんじゃないのか。

なにしろやらかししまった人」たちの罪と罰物語だ。

やらかし真っ最中」または「これからやらかす」層ではなく人を傷つけて自分も苦しんだ経験をした人たち…、30代以降の大人ターゲットにするべきだったんじゃないのかなと。簡単に言うと、カルテットを見ていた層で良かったんじゃないのかなと。

あとこのヤンキー校の感じ、今もあるの?

荒れたヤンキー校設定の漫画はおそらく80年代ごろに発生して色んな作品が作られて、90年代以降も松本大洋青い春」、ドラマにもなった「ごくせん」とかあったけども、今、ヤンキー存在ってリアル存在なんだろうか、教えて高校生

まぁ、今30代〜50代は自分の周りにリアルヤンキーがいたはず(地域性もあると思うけど)なので、やはりターゲティング大人にするべきだったんじゃないかと(しつこい)。

まぁ、走り出した後のプロモーションを見て勝手にやんややんや言うのってダサいしほんとに勝手なんだけど。

ドラマOPED曲は、じゃあ何が正解だったのか私なりに考えてみた。

30〜50代がぐっときて、もっと苦悩を感じる音楽。泥臭くて汗臭くて、なんなら血の匂いもするような音楽

OP曲をINU「メシ喰うな」(俺の存在を頭から否定してくれ♪)、ED曲をザ・スターリン「メシ喰わせろ」(俺の存在を頭から輝かさせてくれ♪)か「ロマンチスト」(何でも良いのさ壊してしまえばお前はいつでもアナーキスト壊れていくのはテメエばかり♪)なんてどうだろう。

年齢層少し下げて、大森靖子の「私は悪くない」(私は絶対悪くない生きていて本当にごめんなさい♪)、アーバンギャルドノンフィクションソング」(生きろこれは命令形死ぬなこれは命令形だ消せないノンフィクション♪)なんてのも良いのではとひとしきり妄想…してみたけど、

うん、違うね。

違うわ。

違うよねー!

9時台のドラマですもんね。

やはりこの2つのバンドで良かったんや…と思い直す。

ED曲はドラマをそのまま歌詞にしたど直球、曲調もヒリヒリしていて心地いい。キャストとのコラボMVも緊張感のある仕上がりでやたらかっこいい。窪田正孝の歌の巧さ、今野浩喜の声の良さにもグッときた。

疾走感ある爽やかなOP曲も、人の心の黒い部分に触れるドラマゆえに、逆に視聴者気持ちを軽くする役割を担ってくれているように思う。

もしこれが映画だったら違う音楽にしたのかもしれない。

9時というメリットデメリットの中でいろいろ葛藤した結果の最適解。

シナリオエロ暴力表現キャストの演技も9時というメリットデメリットの中でめちゃくちゃ闘っていると思う。

窪田正孝映画東京喰種見てきた。この映画主人公自分の背負った罪に苦しむという共通点があるんだけど、(僕やり単体で見ると分からなかったが)明らかに演技の「トーン」を変えてる。狙って変えている印象で、狙って変える事ができる窪田の実力ハンパないっすね。

川栄とのエロシーンも制約があっただろうに、窪田と川栄の表現力で相当エロかった。男性の言う着衣の方が寧ろエロいというのが良く分かった。

各所ですでに言われているがキャスティングが良い。

特にメインキャスト4人が完璧だと思う。暴力とか人の狡さとか胸糞な内容をこの4人が苦い薬の糖衣のように「魅せる」ものにしてくれている。個体でいうと、マルがダントツ。どクズ胸糞キャラなのに葉山の可愛らしさが「憎みきれないろくでなし」と視聴者に思わせて、感情移入らすることも。川栄もバッチリハマってる。そして、パイセンドラマ全体を糖衣で包む。これは今野しか演じられない、というか今野ありきでこのドラマ立案されたんじゃないのかと思うレベル

視聴率イマイチのようだが、単純に「親と見れねー!」「子供と見れねー!」って人が多いのだと思う。録画視聴率は高いのでは。

もうすでに折り返し地点だが、今シーズンドラマの中で、抜群に面白いし深い。

【9時台の制約】と闘うスタッフキャストの志にも注目しています(イヤな視聴者だなオイ)。

映画化して、この制約を取っ払った状態の僕やりも見てみたい。

2014-11-03

応援ソング男と女の歌も聴くことがない

なんかポップで禍々しい曲ばっかり歌ってる人いない?

ロックとかヘビメタ以外で それ以外ならジャンルは問わない

あとメンヘラみたいのは無理

おしいと思った曲

面影ラッキーホール おかあさんといっしょう大好き 音楽普通バラードだったりするから笑える

平沢進 歌う曲歌詞メロディー共にカオスだがアンチビストロンって曲は綺麗にまとまってて大好きパーフェクツ。シェヴロンって曲もイントロ?が禍々しくて好き

恵比寿マスカッツ ばーななーまんごーハーイスクール

電撃ネットワーク 俺はもうダメだ!みたいな曲いっぱい聞きたい

アーバンギャルド メンヘラにみせかけてメンヘラ皮肉ってる気がしてよい

在日ファンク 名前のせいなのかあんまり有名になってないきがするあ

デーモン小暮 聖飢魔IIの人だしヘビメタジャンルの人かと思えばいろんな曲うたってる カツ丼糸井重里作詞したのか(笑)

椎名林檎 おしゃれに皮肉ってて好き たまにダサいとこがかわいい

追記 べつにドライブ中に聞くわけじゃない。そんな禍々しいドライブしない

2011-09-30

ただ淡々と、ぼくにはその資格がないと思う。

早すぎる一般化は危険だ。

それに言葉自分を縛ってしまうこともあるかもしれない。

あとで意味を解説するが、そのことを踏まえた上でぼくは仮説を立てよう。

「ぼくは人が好きなわけではないかもしれない」という仮説だ。

1,「好きなアーティスト」の違和感

ぼくは坂本龍一の書いたDNA/Introという曲が気に入っていて、見つけたその時からほとんど毎日この曲を聴いている。半年の間ずっと。

いつも飽きっぽいぼくがたった11分ほどの一曲をそうまでして愛でるようになったのは、これまでの人生史上かつてないことだった。

音楽とは、ぼくにとってはほぼ純粋空気の振動であった。

から入ってくるそのふるえこそが、ぼくにとっての音楽のほぼ100%を占めていて、それ以外の情報は瑣末なものとしてしか扱っていなかった。

みんな誰もが知っているであろうクラシックの名曲、古典と言われる振動。

あなたがそれに感心があるのならおそらく作曲者の名前や曲名は知ってるだろう。

ベートーヴェン交響曲第九番とか、ラヴェルの水の戯れとか、エリック・サティのグノシエンヌとか、バッハの小フーガト短調とか。

熱心な人なら作曲者の略歴とかその曲がなにを表さんとしているかかいつ書かれた曲であるとかどこで生まれた曲であるかいうことも知っているかもしれない。

そして繰り返しになるが、ぼくにとってはそういう情報はどうでもいい。

坂本龍一がどういう人で、いつ書かれた曲で、表題はどういう意味で、どんな思想的意図があったかもどうでもいい。

「この曲はべつに坂本龍一が書かなくてもよかった」

誰が書いていてもぼくはこの曲を聴いていたのだろう。ぼくが坂本龍一という作曲者と曲名を知っているのは、それを知らないと探せなかったからだ。

同じふるえであるならぜんぜん別の作曲者にぜんぜん別の曲名でもよかった。

さっきの話は別にクラシック愛好家だけに適用される事柄ではない。

あなたプロフィールには「好きな音楽」になにが書かれていますか?

ちょっと今テキトーにマイミクのみんなから抜き出してみる。

KARAサカナクション凛として時雨アーバンギャルドヒャダインDragon AshELLEGARDENChris BrownJagged Edge、Alton Elis、Peter ToshMondo Grosso安室奈美恵宇多田ヒカル鬼束ちひろ東京事変菅野よう子サンホラレッチリ

あなたは好きなその「人」をどこまで知っているんだろう。

ぼくには好きな「曲」はたくさんあるけど、好きな「人」は別にいない。

理解できないのだ。

その人のアルバムなら全部持っているとか、ライブは年に一回は必ず観に行くとか、その人の曲なら全部好きだとかい感覚が。

ぼくが好きなのはその人のヴィジュアルではない。その人の話し方や考え方ではない。その人のダンスではない。その人の美貌ではない。

ぼくが好きなのは曲だ。空気の振動だ。

そしてこのことは何も音楽に限ったことではない。芸術なら全部そうだ。

ぼくが好きな絵は「雨・蒸気・速度」であって、ターナーではない。

ターナーのことなんて1mmも知らん。

ぼくが好きな色はIKBであって、イブクラインではない。

映画だって監督や役者が好きなのではない。その映像が好きなのだ。

AVだってその女優が好きなのではない。そのプレイシチュエーション映像自体が好きなのだ。

飽くまで作品が好きなのであって、人はいだって二の次だ。ぼくにとっては。

ずっと前から芸能人でだれが好き?」という類の質問に疑問を持っている。

当然のごとく誰もいない。

しかしまた、当然のごとく質問される。

なんでだろう。

なんでみんなそんなに人間に興味を持てるのだろう。

幾度となく現実とのギャップを意識させられる。

ぼくみたいな人が他にいるんだろうか?

ぼくは感覚普通の人とまるで違っているのではないか

そんなことどうでもいいとは思いつつも、ことあるごとに「好きなバンドは?」とか聞かれれるといつも虚無感に襲われる。

ほら、面接でも聞かれるでしょう、「尊敬する人は誰ですか?」って。なんのことだかさっぱりだ。

ぼくのことをよく知っている人には、ぼくが人に興味がないのをとっくに見透かされていて、それでぼくは「自分に一番興味がある」ということにしている。

実際はたぶんそれも違う。相対的に見ると自分が一番大事であるというだけだ。そんなのは誰にとっても当たり前の話だ。自分の命より他人の命が大事だと心の底から思っている人はそんなに多くはないと思う。

ぼくが立てようとしている仮説はいま書いた事実から憶測したものだ。

人に興味が持てないという事実が、音楽や絵なんかのアーティストとか、芸能人とか、そのレベルに留まっていたなら別に問題はない。

そんなもんは人が好きであろうが、作品とか活動だけが好きであろうがどっちでもいい。

問題は、この事実が友情や恋愛にまで及んでいるかもしれないということだ。



2.許されることならみんなと恋人になりたい。

前のmixi日記に書いたことを自分で読み返して検証してみた。

日記にはこう書いてある。

『もしぼくに彼女がいたら彼女のことをたくさん知りたいと思います。たくさん話したいと思います

彼女の好きなこと、嫌いなこと、毎日欠かさないこと、これだけは譲れないもの、どうでもいいとおもってること、無意識にしてしまうこと…(続く)』

ぼくは特定の誰かと付き合いたいのではない。

たぶんそういう「付き合い方」に憧れているのであって、相手はぶっちゃけだれだっていいのだ。

友だちだってそうかもしれない。

その人ではなくて、友だちとしてのあり方が心地よいのであって、それが実現するのなら誰でもいいのかもしれない。

でも慎重に考えたほうがいい。

アーティスト芸能人が好きになれないからといって、友情や恋愛においても人が好きになれないとは限らない。

AがCなんだから、Aとよく似たBもCなんだろうと決め付けるのは早すぎてはいけない。そういうのを早すぎる一般化というらしい。

それに、言葉自分を縛ってしまものだ。

簡単に言うと人間はわりと自己暗示にかかりやすくて、「自分はどうしようもない人間だ」と思っていると、ほんとにそういう人間に近づいていく…こともあるらしいということだ。

人を好きになることができないわけではないと思う。

少なくとも元カノのことは好きだった。これ以上ないくらい愛していたと思う。

その元カノのことだって付き合う前は別に好きでもなんでもなかった。

基本的に恋仲になる相手は誰でもいい。動機はない。

良く言えば付き合ってみないと好きかどうかわからないのだし、「どんな人がタイプなの?」という質問には「好きな人タイプ」ということだ。そうとしか言えないんだけどね。

これが正直な気持ち。

思うのは、ぼくは付き合いさえすれば誰でも好きになれそうだということだ。

いや、高確率で好きになるはずだ。というか「人が嫌い」という感覚を今まで味わったことがないし、これからも味わうことはないと思う。急に人が嫌いになったりすることなんてないと思う。

で、それは好きって言っていいの?

誰でも好きになるかもしれんのに?

「嫌いじゃない」ってだけじゃないの?

だって、ぼくはもしかしたら彼女という人が好きなんじゃなくて、彼女とのやりとりが好きなだけかもしれないから。

友だちだって、友だちとのやりとりだけが好きなのかもしれない。

だとしたら、ぼくには誰かのことを好きと言う資格があるの?

誰でもいいから付きあいたいと言って、それにYESという人は存在するの?

そういう自分の正直な気持ちを知っているから、なおさら恋人が欲しいなどとは言えない。

恋人がいたその時々で、その人が自分にとっての100%だった。

でもその理由は、「まさにその人だったから」ではないような気がする。

さっき言葉自分を縛ると言ってたけど、ぼくはもう随分前から縛られてる。

ずっと人に興味がないことにほんのささいな劣等感というか罪悪感というものを持っている。

「どんな人がタイプ?」「好きな芸能人は?」「尊敬する人は?」「誰が好き?」という質問を何回も何回もされて、それで正直に「いない」と答えると「えーなんで?」と返ってくる。どうもこの世界では誰かに興味を持ってなきゃいけないようだ。

そりゃあおかしいのは、間違ってるのはきっとぼくのほうだとか思ったりもする。

からぼくは自分で友だちや恋人を選んだりする権利がないと思ってる。

それが先鋭化して、ヒマであっても誰かを遊びに誘えないまでに至る。

「そんなのは責任を避けたいだけだろう」と罵られても別にいい。

2年ほど彼女がいないという話をするとよく、そのうち好きな人が現れると言われるのだけど、その可能性は限りなく低いと思う。

簡単な話じゃない。異性として好きかどうかだけでなく、ぼくは人間全体にそれほど興味がない。

なんでその状態で急に好きな人が現れるというのか。

付き合わない限り好きな人など現れない。

そしてぼくには「付き合ってください」などと言える資格がない。

別に付き合うなら誰でもいいと思ってるからだ。

どうしようもない。

そのことに悲観視も楽観視もしていない。

ただ淡々と、ぼくにはその資格がないと思う。

 
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