はてなキーワード: カーンとは
今回は裏サンデー
ある意味で核心的な部分をついたな。
市場クロガネの人を見る目は確かだけれども、相手がそれを分かることはできない。
だから、そう見える相手からすれば「分かっていない」という印象になる。
その時点で、いくら歩み寄ったところで、本質的な相互理解は不可能。
つまり、大事なのは「相手を知ろうとすること」よりも、「相手に知ってもらうこと」だったと。
さて、後半。
だが、クロガネの反応を見る限り、キースが何かを仕組んだ模様。
しかも敵役のシロガネに対して「なぜ気づかない」ということから、何だか双方にとってよろしくないことが起きているようだ。
うーん、何だろう。
全然、響かないなあ。
背景の絵と、キャラクターの絵の画力に差がありすぎて浮いているし。
少女漫画雑誌に載っているホラーとかのほうが、遥かに創意工夫を凝らしていて面白いよ。
作品に影響されやすい人格は如何にも子供なのに、すぐに実行に移す行動力と経済力は大人ならではって感じだな。
なんか今回の話は、トップクラスに可笑しくて、好きだな。
シンドバッドが加勢せずに、二人だけで解決した展開なのはよかったかと。
八神将たちの掘り下げもやってほしいから、いくら主人公だからってでしゃばられてもナンだし。
シャルルカーンのハジケっぷりは、ギャグとしてみれば面白いけれども、唐突すぎるよなあ。
シンドバッドたちと触れ合っていくなかで、徐々に軟化していくならまだしも、今まで宮廷暮らしばかりで言動も穏やかなキャラが、こうも激変するのは強引。
仮にも、スピンオフ元の「マギ」にも登場するキャラクターなのだから、人格形成は慎重にやってほしかった。
心情描写がやや陳腐になったキライはあるが、まあ悪くない展開かと。
ただ、まあちょっと話の進みが早すぎる気もするなあ。
それが余計にメインキャラ同士の信頼関係が浅く見えてしまう要因でもあるのだが。
終わるの早いな。
いや、まあ、そんな長々と見せられても不愉快な気持ちのほうが強くなりやすい作風だから、間延びしなかったのはいいけれども。
私にトーチャーポルノの趣味がないからということもあるが、総括としてはイマイチだったかなあ。
ただ人が無惨に殺されるところ位しか見所がないし、それだって好まれる創作ジャンルとはいえない。
仮にそのジャンルを真面目に評価するにしても、大したことがないレベルだといえるし。
最近の「SAW」シリーズだって海外とかではトーチャポルノだなんていわれることもあるが、それだってゲームという要素と惨殺シーンに創意工夫を凝らすことで魅せているわけで。
この漫画が扱うテーマに対して、そのテーマで語られる内容がとても陳腐だったり退屈なのが原因だろうね。
ホラー漫画雑誌とかなら読み切りで、しっかり纏められる内容だぞ。
数話かけて、キャラクターも物語設定とかもまるで掘り下げられないで、あの程度のオチとか。
ほんと、裏サンデーという場でトーチャーポルノというジャンルを取り扱ったという点以外は、ほとんど評価できない漫画だったな。
当然、そういう評価になるということはトーチャポルノというジャンルを取り扱える漫画家であれば誰でもよかったということになるわけで、この漫画の作者自身の手柄ではない。
海から来る怪獣で、なんか水爆実験が関係してて、悪いだけのやつじゃないっぽい・・・とか、それくらい。
ガメラは2と3だけテレビでやってたの観たけど、あんまり覚えてない。
庵野監督のことも「エヴァの人」ということはわかるけどエヴァは観たことない。
使徒と戦うとか、シンクロが云々とか、「逃げちゃダメだ」とか「ありがとう」とか、なんとなくは知ってる。
特撮は日曜朝の戦隊ものをたまに観るくらい。ゴーバスターズは良いぞ。
(今、私が同じ映画を何度も観たり、映画館に年20回以上行ってるのも、すべてはパシリムがあったから)
そんな思いに駈られて、行ってきました、シン・ゴジラ。
最後列やや下手より。一席あけて右にはおじさん、左には若いカップル。
全体的な客層は男の人が多いような気がした。
「思ってたんと違う!!!!」
これにつきる。
断っておくけど、良い意味で。
良い意味で予想と期待を裏切られまくった。
以下、ネタバレ注意の覚書。
とはいうもののすでに記憶がかなり曖昧なので、間違ってるところもあるかもしれない。
シン・ゴジラのゴジラは、第一形態から第四形態まで「進化」する。
それを全く知らなかった私は、初めて巨大不明生物(=ゴジラ)がその姿を現したとき、驚いた。
なんかもうひたすらキモい!
目玉ぎょろぎょろで、エラから赤い液体ドバドバさせて、不格好に地面を這いずる姿は、キモいとしか言えなかった。
私の知ってるゴジラは二足歩行で、もっと無骨な、かっこいい怪獣というイメージがあったからだ。
「このキモい変なやつを倒しに来るのがゴジラなのかな」とか思ってた。
そんな私の目の前で、ゴジラは突然「進化」した。前足が生え、直立して、吠えた。
そんな私の想いをスクリーンの中で口にしてくれたのが長谷川博己演ずる矢口だ。
進化する未知のゴジラは、そんな両者の溝を埋めてくれた気がする。
あの瞬間の「そんなんありかよ」という気持ちは、間違いなく私と映画の中の人々との間で一致していた。
そして完全に「私の知っているゴジラ」になった瞬間に流れるゴジラのテーマ!これにはめちゃくちゃ興奮した。
ゴジラだ!ゴジラがやってきた!!!!うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
応援上映とか絶叫上映とかなら確実に叫んでた。
というか叫びたいからどこかの映画館でやってほしい。やってくれると信じてる。
ゴジラに対する「何だそれ、すごい・・・」の瞬間は、完全体の第四形態になってからも何度も訪れる。
まずこのゴジラめちゃくちゃ硬い。
完全にノーダメージかつノーリアクションで、なんかもう絶望感がすごい。
そんな絶望がさらに増すのが、火炎放射からのレーザー光線発射のシーンだ。
米軍の攻撃が効いた!これでゴジラを倒せる!と思った瞬間、ゴジラは口から火を噴く。
この瞬間まで私はゴジラが火を噴くことを完全に忘れていた。
やはりここでも、ゴジラのことを何も知らない映画の中の人々と同じ驚愕と絶望を味わうことになる。
しかもゴジラは口からだけでなく背面から無数のレーザー光線を発射。
なぎ倒され爆発するビル群、あっさり撃墜される米軍機、理解の範疇を越えた圧倒的攻撃力。
もう東京は・・・日本は・・・人類はおしまいだ・・・という気持ちになってくる。
思ってたんと違う姿で現れたゴジラは、私が知らず知らずの内に抱いていた「ゴジラってこういうもので、きっとこういう話で、こういう映画でしょ」という先入観を完全に破壊した。
私はシン・ゴジラを、パシフィック・リムやマッド・マックス 怒りのデスロードを観に行くのと同じような気持ちで観に行った。
ドーンってなって、バーンってなってズダダダドカーンってなるのを楽しみにしていた。
そしたら、全然違った。
シン・ゴジラの破壊シーンや戦闘シーンは、全体的にとても地味だと感じた。
最初に上陸した第二形態のゴジラはずるずる移動するだけだし、第四形態のゴジラも積極的に街を破壊している印象はなかったし、対する人間の方にも必殺技や秘密兵器があるわけでもない。
というかそもそもゴジラは、そういうアクションがメインの映画ではなかった。
ド派手なアクションで魅せる洋画とは全く違う、上手く言えないけれど、とても「日本の映画」だった。
でもそれは決して悪い意味ではない。むしろめちゃくちゃ良かった。
東京に巨大不明生物が現れた。そんなとき動き出すのは巨大ロボでも特殊戦隊でもなく、日本政府。
「はやくドギャーンってなるとこ見せてくれよぉ」と思いながらも、堅苦しい言葉と、面倒くさい思惑が飛び交う会議シーンに釘付けだった。
正直、政治には明るくないし、次々と表示される役職名は全然頭に入って来ないし、聞き取れなかった台詞もあったが、でも入って来なかった情報はきっとなくてもいい情報だったんだと思う。
大事なのは、「今の東京に本当にゴジラ(のような巨大不明生物)が現れたらきっとこうなるぞ」という感覚だと思う。
前例のない事態に混乱しながらも結論を急ぐべく無理やり型に嵌めようとして結局対応が後手に回ったりして、そういう「上手くいかない」「そうじゃない」ってとこも含めて、リアルでとても良かった。
でも、もたもたして見える政治家たちも、みんな事態を解決し、東京(日本、国民)を救うために全力を尽くしている点は皆同じである。
そうして面倒な会議を経て、ゴジラの脅威を一通り目の当たりにして、ようやく立ち上がるのが、巨大不明生物災害特設対策本部、通称・巨災対だ。
この巨災対はいわゆるオタクや変人の集まりで個性派ぞろいなのだが、みんな論理的なことしか言わないのがとても良い。
きっとこんな事態じゃなければ日の目を見ることのなかった厄介者たちが活躍するロマン。
アツいのは現場で戦う者だけじゃないのだ。
だからと言って、現場で戦う者たちがカッコ良くないわけがない。
だからこそ、隊列を組んで飛ぶヘリや、次々と持ち場につく戦車のかっこ良さが際立つ。
作戦を練り「確実にやります」と言い切る自衛官や、黙々と遂行する自衛隊員たちのストイックさにも惚れる。
戦闘シーンといえば、私が一番興奮したのが新幹線爆撃と在来線爆撃だ。
ここでまたゴジラの有名な曲(曲名思い出せない)が流れるのもアツい。
とくに在来線爆撃は、色とりどりの在来線が同じタイミングでゴジラに突撃し、爆発と共に宙を舞うのが最高だった。
リアルを追求した今作の中で、実際にあるものを使ったありえそうな攻撃ながらいったい誰が思いついたんだというこの攻撃。
戦闘シーンで最も「思ってたんと違う!!!!」のは、ヤシオリ作戦だ。
物語の終盤、核兵器による解決をなんとか回避しようと急ピッチで進められたこの作戦。
無人機による攻撃や在来線爆撃、ビルの爆破によるゴジラの保定を成功させる流れは堅実ながら華があり、とても良かった。
工事用車両(建設機械)が好きな私としては、コンクリートポンプ車の活躍も嬉しかった。
そうしてゴジラの活動を完全に停止させ、ヤシオリ作戦は大成功に終わるのだが、何が「思ってたんと違う」かって、この作戦終了の瞬間が地味なのだ。
観ている側としては、
「やったーーーーーー成功だあああああああああああああああ!!!!!!」
と飛び上がってハイタッチして抱き合いたいくらいの気持ちなのに、映画の中の人々は一切そういうことはしない。
でも、あとから思うと、この映画の中ではそれで正解だったのだと思う。誰もが想像もしなかった巨大不明生物の来襲。大きすぎる被害、多すぎる犠牲者を出しながら、成功するかわからない作戦にかけた結果なのだ。
現実感がない中で、静かに「俺たちはやった・・・やりきったのだ・・・」と噛みしめるのが、似つかわしいような気がする。
「倒したぞやったああああああ」は、きっと、ゴジラが虚構だと知っている側の感想なのだと思う。
シン・ゴジラに対して言いたいこと、話したいことはまだまだたくさんある。
豪華すぎる出演陣どこにいたのか全くわからなかった、とか。
石原さとみやっぱりめちゃくちゃ美しい可愛いZARAはどこ?、とか。
巨災対のメンバーの活躍だけにクローズアップしてもう2時間観たい、とか。
でもまとまらないのでこれくらいにしておく。
そもそもこうして書き殴っているのは、こういうことを話したくても話せる相手が周りにいなかったからだ。
劇場を観たあと、複数人で来ていた人たちが口々に感想を言い合っているのが、とても羨ましかった。
その物足りなさを埋めるように、今まで封印していたネタバレブログやレビューを漁って、それでますます我慢できなくなって、この文章を書いている。
ネタバレブログを読んでいて気になったのが、「万人受けはしなさそう」とか「知らない人はわからないんじゃない?」みたいな意見だ。
とくに昔からゴジラが大好きで、新作公開を待ち望んでいた人たちが、よくこう書いていた。
とりあえず私は少なくともあと2回は観たい。
そして売り切れていたパンフをなんとかして手に入れたい。
何も知らなくても、なんかよくわからなくても、ゴジラはすごかったです。
おわり。
鯱
イルカの仲間では最大の種.
世界中に存在するし,サメよりも肉食のくせに人間を襲う例はかなり少ない.
頭がトラで体が魚.背中には何重ものトゲを持つ.尾ひれは常に空を向く.
地中海でも見られる.
二人の人間がボクシンググローブなどを拳に装着せずに素手で対戦する。
19世紀のイギリスではじめてボクシングの競技にグローブ着用などを義務づけた.
ounce
ジョン・ローレンス・サリバン.
耳噛み事件などが有名.
テクス・メクス料理の一つ.
一般的にはメキシコ風のアメリカ料理を表す際に使われる言葉である。
など
1609m
4の2乗と3の2乗と覚えればいいのだろうか.
両親を失い大学を辞めて姉妹の生活を支えるために働きだしたお姉ちゃん。
しかし、どうしても妹の大学進学のための費用が足りず、妹には自分のようなキツい仕事はさせたくない、という思いから、思わず強盗をしてしまう。
さらに家主に見つかってしまい押し倒し、当たりどころが悪く家主を殺してしまった。
当然、警察に捕まり罰せられるお姉ちゃんだったが、妹の苦労はここから始まる。
最初はただただ姉を罵倒するだけだった妹だったが、1年、2年、10年とたち、姉妹での手紙のやり取りが続く中、
姉のとった行動は間違いだったが、それでも姉は妹である自分のことを愛しているし、自分は姉のことを愛していると、いつまでも家族であると誓う。
けれども、人生の節目節目に、姉の犯した罪により出ばなをくじかれ上手く行かない日々が続く。
犯罪者は被害者を不幸にするのはもちろん、自分自身を、そして自分の家族をも不幸にしてしまうのだ。
だから、やっぱり、姉の事を愛していけないのだ、姉は1人で孤独に立ち向かわないといけないのだ、それが罪を犯すということなのだから……
被害者家族の死んだお爺さんのことを全く覚えていない女子高生に一目惚れされ、
家族が人を殺したことと、家族に人を殺されたことと、誰かが誰かを好きになることに関係なんてないし、
そもそも、そういう責任論を押し付けてくる輩を片っ端から自分の愛の輪に取り込んでいけばいいのだ、
と言う独自の宗教観とも言える女子高生の愛の素晴らしさを語る姿に打ちのめされ、
でもまあ、それはそれとして、服役を終えた姉との縁を切り、
メビウスの輪から抜け出せず、いくつもの罪を繰り返している人間にとって、
平和とか自由とか正しさなんかより、ただただ君を望むだけの人生でありたい、と
今後も繰り返されるアースノイドとスペースノイドの戦争は決して止める事はできず、それは歴史が証明してしまっていることの儚さに思いを馳せ、
マハラジャ・カーンの隠し子であり、ハマーンの妹に当たる妹と、ギギは末永く、一緒にラブラブし、彼女達なりの「黄金の秋」を迎える場合、
妹は日高のり子さん、
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
今日は自身をモデルにした数々の戦争映画が作られた「ヒトミ・イトウ」と「シズカ・メタバーナ」のカップル、あの宇宙世紀のロミオとジュリエットに直接話を聞いた。
ヒトミ「れんPOW!」
シズカ「Gオン!」
ヒトミ・シズカ「「ラーブラブ!」」
突然始まりましたけど、なんですか?
ヒトミ「これは今度やる一年戦争記念館を応援する番組『連邦とジオンのラブラブレイディオ』の挨拶です」
シズカ「ラーブラブ!」
は?
ヒトミ「ええとですね、宇宙世紀の前、西暦の時代に子供向けのアニメーションに声を当てていた、声優と呼ばれる職業の方々やっていたアニラジという文化がありまして」
は、はあ。
ヒトミ「そのアニラジでは、番組独自の挨拶を作っていたんですよ」
そうですか、どうでもいいですね。
シズカ「どうでもやくないやい!」
すいません。
ヒトミ「『連邦とジオンのラブラブレイディオ』は、サイド3FMで、一年戦争を知らない子供達から、ラプラス事件を生で見た老人まで、幅広い年齢層に向けてお送りしています」
ヒトミ「地球の人たちには、日本の地方FM番組『ムラサメ研究所のムラムラしない夜はコレを聞け! 』のスポンサーでお馴染みの、スジャータさんです」
えー、スジャータ凄すぎない?
ヒトミ「スジャータさんは、仏教を通じてニュータイプ思想を解釈していて、かの第二次ネオジオン戦争では、スジャータさんがインドで開催した「ニュータイプ修行ツアー」でニュータイプに覚醒した、少女が巨大MAで活躍したって噂があるぐらい、地球にいながらも、アースノイドやニュータイプに詳しいんですよ」
本当っぽいけど嘘ですよね?
シズカ「嘘じゃないよ! あの百式とか作ったナガノ博士が「俺の嫁のクェスって子がね」って言ってたもん!」
お前その理屈だと、ベルトーチカもナガノ博士の嫁になるじゃねえか、この記事はマフティーの動乱が起こってるらしきことを最後に示唆して終わるんだから、ベルトーチカチルドレンと繋がらなくなるネタフリ辞めろや。
はい、仕切り直しです。
ヒトミ「すいません」
シズカ「ごめんね、ごめんねー」
まず、お二人が何故「宇宙世紀のロミオとジュリエット」と呼ばれているのか?
シズカ「あの映画のヒトミちゃん可愛かった! けど、本物のヒトミちゃんの方が可愛い!」
ヒトミ「もーシズカーも、本物の方が可愛いよ」
あれ、今気づきましたけど、この再現映画って設定、ジレン暗殺計画と被ってますね。
ヒトミ「あのごめんなさい、いちゃつかないのでメタネタ辞めてください」
わかりました。
では、お二人の出会いについて教えてください。
ヒトミ「えーっと、83年の11月のことです」
えーっと、あれですねデラーズ紛争と呼ばれる、ジオン軍の残党がコンペイトウで行われていた観艦式を襲撃した戦闘。
シズカ「シズカもでーす!」
えー! そうなんですか? 映画だとお二人の出会いはグリプス戦役だと描写されていたんですが?
ヒトミ「あれ、地球だとまだあのガンダムの話って禁句なんですか?」
シズカ「持たず、作らず、持ち込ませず」
ガンダム? ちょっとよくわからないですが、その戦争でお二人は出会うんですよね。
ヒトミ「はい、私は観艦式の護衛として、ジム・ガードカスタムに搭乗していました。索敵任務中でした」
ええと、モビルスーツの名前が色々出ましたが、ジム・ガードカスタムは、ジムのカスタマイズ機ですよね?
ヒトミ「そうですね、当時も色々とジムのカスタマイズ機は生産されてたんですが、私みたいなのに回ってくるのは、一年戦争当時の残り物でした。
ガードカスタムという名の通り、体が隠れるぐらいの大きいシールドが特徴的ですね」
それは、やはり女性という立場から、そのような被弾しても問題ない丈夫なジムを振られた?
ヒトミ「いやー、関係ないでしょ。さっきのニュータイプの女の子の話じゃないけど、モビルスーツの操作技術と性差は関係ないと思いますよ」
は?
ヒトミ「ごめんなさい」
シズカ「ごめんちゃい」
で、シズカさんが乗っていたのが、ドガッシャ。
シズカ「ドガー! シャア!」
どんなモビルスーツなんですか?
シズカ「ハンマー!」
ヒトミ「ガッシャっていう、水中専用MSを宇宙対応したものなんだよね」
シズカ「そなの?」
それで、連邦軍とジオン残党という、敵同士の関係がお二人のファーストインプレッションだったんですね。
具体的にはそれぞれどう感じました? よく戦争映画では「このプレッシャー…… あいつか?」みたいな、やり取りが描かれますが。
ヒトミ「戦闘中のことは覚えてません」
シズカ「おなじくー」
えー。
シズカ「おなじくー」
それもそうですね。
そして、その戦闘でシズカさんを鹵獲したヒトミさん、お二人の恋はそれから始まるんですよね。
ヒトミ「可愛かったから?」
シズカ「ぐへへー、かわいいーって言われたー」
顔が?
ヒトミ「顔がですね」
シズカ「ぐへへー、顔かわいいー」
ただその、シズカさんは所謂デザインベビーで、いわば作られた美なわけですよね。
その点や、そういうった少女を戦争の道具に使うジオンへの嫌悪感などはなかったんですか?
ヒトミ「ないなあ」
そういうもんですか?
ヒトミ「そういうもんでしょ。デザインベビーっていう、生命に人の手が入る事への嫌悪感とか言い出したら、そもそもこうして地球から離れて宇宙で暮らす事自体おかしいでしょ」
うーむ。
ヒトミ「所謂『ありのまま』とか『自然が良い』みたいな思想はアースノイドだけじゃなく、スペースノイドの人にもいます。
ただそれって、アースノイドとかスペースノイドとか関係なく、地球を知ってる人の意見なんですよね」
知っているとは?
ヒトミ「ようするに、地球にお世話してもらってた人ってことかなあ」
ヒトミ「酸素であるとか、水であるとか、そういうものをお世話してもらってるのは事実でしょ。宇宙じゃ全部自分でやらないと」
シズカ「食べ物もねー」
ああ、なるほど。
つまり、アースノイドよりもスペースノイドの方が優れていると?
ヒトミ「それはないでしょ。お世話してもらえるならお世話してもらえばいい、苦労しないにこしたことはないよ」
シズカ「私もヒトミちゃんにお世話してもらってるー」
ヒトミ「うん、それといっしょで、役割分担が違うだけなんですよね。アースノイドにはアースノイドの、スペースノイドにはスペースノイドの長所と短所があるんですから」
でも、ジオンはスペースノイドの方が優位だと掲げていましたよね。
ヒトミ「私は思想家でも政治家でもなくて、ただのジオンの軍人と結婚した連邦の軍人で、しかももう軍を辞めてて、責任を追わなくていい立場だから、好きに言っちゃうけど、
例えば、ハマーンカーンがアクシズで暗黒の世界に居るのが嫌だったのは、彼女がアクシズで暮らし始めたのが、自分の選択じゃないからだと、思うんだよね」
それは、棄民政策でスペースコロニーという宇宙での暮らしを強制された、初期の宇宙移民たち、つまりジオンズムダイクンにも通じると?
ヒトミ「そうだね。自分の環境が変化したとき、それが自分の選択によるものじゃないとき、人はその変化に反発消化しないといけないんだよ」
変化に反発?
ヒトミ「そう、変化。サイド3で政治家の娘として暮らしていたが、突如アクシズで寒い宇宙に放り出されたハマーンカーンも、首総の息子であったために内紛に巻き込まれたキャスバルも、それが受け入れられない変化だから反発したんだと、私は思ってる」
シズカ「ミネバちゃん」
ミネバ? 確かにザビ家の遺児でありながら、先の戦争で彼女はネオジオン側についていなかったようですね。
ヒトミ「そう、それは彼女が物心ついたころから、あの立場だったからじゃないかなあ。彼女にとって、ハマーンが耐えられない暗黒の世界は、日常だったんだよ」
なんとなくわかってきました。
ヒトミ「宇宙世紀になって、人が宇宙で住み始めてもう100年です。
こうして私たちみたいな『女同士のカップル』が異常だ、マイノリティだ、と騒がれていたんです」
なぜ? 今じゃあ至って普通のことですよね?
ヒトミ「ね、何故? って思うでしょ」
シズカ「ふつうなのにねー」
ヒトミ「それは、人間が生殖以外の目的を持っても良いぐらい豊になったからかもしれないし、科学の進歩により同姓でも子供が作られるようになったからもしれないし、他者への寛容が進化したからかもしれないし、その逆に無関心なだけかもしれないし」
ヒトミ「どんどんコロニーが広がって行って、いつか地球のことを知りもしない子供たちが増えて、もう別の太陽系で暮らすようになったら、
きっと、また別の理由を見つけて争いが始まるんじゃないかなあ」
争い自体は無くならないと、思っているわけですね。
ヒトミ「理屈は何にもでもくっつくからね、女同士の恋愛が異端であることも、普通であることも、どっちにも理屈はくっつく。正しいか正しくないかは別として。
事実、こうしてサイド3では戦争が終わってウン十年を祝ってるのに、
地球じゃ特権階級をもつ政治家を粛正しようと、マフティーなんてテロリストが暴れてる。
そして、何年先になるかはわからないけど、きっとまた独立を掲げるコロニーは出てくる。
もちろん中には、もう地球を見捨てて、コロニーだけで暮らして行く人たちも出てくる。
もうそれすらも嫌になって、別の太陽系を目指す人も居るんだと思う。
でね、私はそんな苦労を、レコンギスタし続けることを、辞められないんです」
シズカ「辞めたくないよねー」
それは何故?
ヒトミ「地球って重力があるから、オッパイが垂れるんですって」
シズカ「ヒトミちゃんはオッパイ大きいから、重力の影響も大きい。シズカは小さいから良いけど、ヒトミちゃんは死活問題。40代特有の肉の付きやすさもあるし」
ヤックデカルチャー!
シズカ「メタいよー」
一年戦争という、人類の種としての存続が危ぶまれるような戦争を経て、人間がどう変わっていくのか、どこが変わらなくてもよいのか。
そんな「人らしさ」を強く感じられるインタビューだったと思います。
それじゃあ、最後に何かあればどうぞ。
ヒトミ「えー『連邦とジオンのラブラブレイディオ』以外にもラジオを中心に活動しています。詳しくは、Twitterを見てください」
彼と東京に行った。
高いビルと行き交う人の多さに大はしゃぎの彼。
ビカーンと目が光りコアファイターが飛んできてドッキングしたらドギュュューン!
って手を後ろに回しビームサーベル振りかざしたらダイバーシティが真っ二つに。。
海からホワイトベースが出てきて大砲がうなりを上げると観覧車が爆破された。
空からすごい速度で赤いザクが来てガンダムと近接戦闘始めたから私達は急いでゆりかもめで新橋まで逃げた。
今は群馬でミヤネヤ観てる。
グッディでは
ニュータイプではないか、ともてはやされているアムロ・レイの戦歴が2ちゃんまとめで神格化されてる、連邦軍の兵士勧誘提灯記事とも知らずに。
噂ではジオン軍の強制収容所に入れられた連邦側の日本人はジオン軍の新兵器実験体や新モビルスーツ工場など劣悪な環境で奴隷化されているらしい。
連邦軍の情勢はヤバイとネットで話題だけど、NHKは完勝だの優勢だの押せ押せの社会誘導が見て取れる。
戦争の時代に産まれた運命を呪いつつ、生き延びるため、お国のために上を向くしかない。
【追記】
ネタバレです。
最近、効率的に優秀なプログラマを潰していく方法が解ったので、書いとく。こうすると、なんと本人も気がつかないうちにダメなプログラマに変貌だ!
これは必殺技です。きっと優秀なプログラマは、いろんな人から当てにされて、一見幸せそうに見えるのですが、アウトプットとインプットは目に見えて低下していきます。1年もすると、本人が幸せなあいだに、社内でも便利屋としての地位を確立し、気がついたらアウトプットの低い、普通(下手すると普通以下)のプログラマにクラスチェンジ出来ます。上司がマネジメントパワー発揮して、困ったら奴に聞けという重鎮な立場に彼をしてしまうと完全に死亡フラグ立ちまくりです。死兆星ピカーンです。
自分で考えろよと言いたいのですが、ヒントだけ。プログラマは、技術のインプットとアウトプットをバランス良く行う必要があります。ついでに、インプット/アウトプットに集中する時間も結構な時間が必要です。なお、そもそも彼らがプログラマとして優秀と評価されるのは、その役目から彼らの生み出すコードが拠り所です。
先の環境にぶっこむと、プログラマにとって一番大事な集中する時間が全部が断たれ、十分なインプットもアウトプットの時間も絶たれるので、あれよあれよという間にダメになります。ところが、本人も、いろいろな人から重宝がられて、いい気分なので、知らないうちに取り返しがつかないぐらいダメになっていきます。
まあ、不可逆な感じでダメになるので、最後は、「君はこんな実績があるから手放すには惜しい;_;」とかおだてて解雇して、ライバル会社が採用するように工作するのが吉。
爆弾爆発してボッカーン、建物バラバラーそこらじゅう血だらけーみたいなやつ
サリンがあったから、そういうある意味スタイリッシュ?東京の構造に合ってる?テロは起きる可能性はあるだろうなぁ
平和ボケなんかなぁとも思うけど、そういう人いないかな
自分も別ジャンル(世間ではとうに終わったとおもわれている)で経験あるのでいうけど
それはある! 人気ジャンルだ、見てくれる人がどこかに必ず居るジャンルだとおもえばやる気もおこる
万が一見てくれる人が自分よりずーっと上手くて接点なかったはずのセミプロ級の人かもと思うと自分も力量を磨く気になれる
そこから他のジャンルに移動しようとしても自分の中に空いた穴にぴったりはまる形のものはそうそうなくて
(偶然のタイミングの積み重ねでこそ燃え上がるって部分がある。ちなみにカンコレは自分は全然だった)
10年くらい小さいパーツをこれでもないあれでもないとはめてみたりしている
でもそれは自分の中から情熱が湧いてるんじゃなくてこたつに入ってちょっと暖まってるだけ
(おそらく、人気ジャンルイェーイしてるときも全員がキラじゃなくて、サポートにまわってる人もいたんじゃないか)
そうこうしてるうちにまたドカーンってくることがあるかもしれない
☆矢みたいに20年後のリバイバルもあるだろう
あ、あと女性向けかけるなら刀ラブに移行してみたら。
システムほぼ同じだけどところどころ違うしまた初心からやりなおして自分の中を見定めれば。
と慰めてはみたけど
http://matome.naver.jp/odai/2142215556611676701
https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/559165294556377088
原稿の段階においてはこれまでより表面的な文章それ自体に関する事柄が重要となる。冲方はこの段階を「肉書き」「皮書き」の2段階に分けるが、原稿の執筆と推敲をそれぞれ意味しているに過ぎない。本稿では表現上の混乱を招くだけであるため、特に冲方の分類には従わない。
さて、西谷のように本一冊を使ってこれを解説したているものも存在するが、その内容は全て基礎的な日本語文法の復習であり、独自の知見は少なく、例えばうなぎ文などを交えた日本語文法それ自体に関する細やかな議論があるわけではなく、また修辞技法に関する詳細な分類と効果について言及しているわけでもない。会話文の閉じカッコの前に句点は付けない、中黒ではなく三点リーダを偶数個使う、といった些末な作法をめぐるこれらの内容について本稿では特に言及しない。
文法、作法上の間違いではないが避けた方が好ましい表現についても、断片的ながらそれぞれの作家ごとに主張されている。例えば水島の「同じ語尾を連続して使わない」「台詞以外で「である」「なのだ」という語尾を使わない」「三点リーダと感嘆符の多用を避ける」、榎本の「三行以上にわたる一文は避ける」「会話の順番を固定し、誰がしゃべっているのかフォローの文なしでも理解できる方が良い」、西谷の「物事が起こった順番に書く」などである。
とはいえこれらは絶対に避けねばならないものではない。例えば同じ語尾を重ねることは畳語法として効果的に機能しうる一つの技術である。会話の順番を固定する、というのも、例えば5人の登場人物の会話順が完全に固定されて順に発言しているような状態が自然な会話文として望ましいとは思えない。それぞれ場合によって使い分けられるべきであろう。
よって本項では各作家によって提案されたいくつかの修辞技法についてを断片的ながら俯瞰するにとどめる。
水島は「明るい文」「ラノベ文体」として、「難しい表現を使わず、何が起こったのか一目でわかる」こと、「読者がハイスピードかつリズミカルに読める」ことが望ましいとする。
具体例として次の例を挙げている。
「すごい美少女だ!」
俺は驚き、つい声を上げた。と、同時に……、
――ドカーン
背後で、謎の爆発が!
なぜ難しい表現を避けるのかといえば、「読者は気合いを入れて読んではくれない」「メインターゲットとなる読者である中高生は学校の登下校、勉強の合間などに読むので、集中して読んでくれない」からだとする。「ラノベは読み飛ばされるのが宿命」だと水島は言う。これに近しい意図を持つ指摘としては、榎本による「ガイド」の提案がある。ガイドとは榎本独特の表現であるが、「シーン冒頭に「これがどういうシーンなのか」がわかる描写を書き込む」もので、つまりそのあとの文を読み飛ばされても何が起きたのかざっくりとは理解してもらえる、という効果が期待されているものである。
何が起こったのかわからないような文章を避けるべきなのは当然だろうし、テンポ悪くだらだらと薀蓄を書き連ねたようなものは(それをウリにしている作家もいることは事実だが)大体の場合避けるべき、というのはさほど違和感のない話である。
とはいえ学校の登下校、勉強の合間などに遊ぶテレビゲームや携帯ゲームは集中されないのか、といえばそうではないだろう。読者が集中してくれないのではなく、読者の集中を誘うだけの内容が無いからではないのか。
読者はバカだからバカでもわかるように書きましょう、というのは、逆に言えば中身の無さ、文才の無さを読者に責任転嫁しているに過ぎないとも考えられる。筒井は様々な実験的小説を書いてきたが、それは「読者の理解力に対する理解があってこそであった」と自分の読者ならわかってくれるという確固たる自負が見て取れる。もちろんそれは既に作家としての名声を確立した後だからこそ、という面は否定できないが、作家から読者をバカにしていく、という水島の姿勢はいささか理解に苦しむところである。
クーンツは作家に与えられたチャンスは最初の3ページだという。第一文から始まる3ページで面白いと思わなければ読者はそこで読むのをやめる。そして読者を3ページで魅了するための技術として、過激なアクションに始まること、ユーモアを含ませ、一度冷静に状況説明をしてから再度緊迫した場面展開に話を戻す、という手順を紹介している。
一方で西谷は望ましい書き出しについて、いくつかのラノベの冒頭を並べてその傾向を述べており、主人公の描写、自己紹介、考え方から始まるタイプと、主人公の目に映るものを描写する書き出すタイプの2通りのいずれかが望ましいとしている。
また忌避すべき典型例として「壮大な書き出し」を挙げている。例えば人類の9割が滅んだ世界であることを厳かに説明するような文章は避けるべきと言い、それくらいなら他愛もない会話からはじめ、その途中で人類の9割が滅んだことを明かす方が望ましいとしている。
人類の9割が滅んだ、とは物語背景となる情報であり、重大だが具体的な動作を連想させる情報ではない。それに比べると会話文は動作とひもづくものであり、その意味ではクーンツの「アクションに始まる」という内容と大きく矛盾するものではない。
しかしながら、これも絶対的に忌避されるべきかといえば難しい。
例えば名作と名高い「猫の地球儀」は
と、まさしく壮大な書き出しで始まる。「同じ語尾を連続して使わない」に余裕で違反する3連続の接続助詞「で」に加え、何の説明もなく独自の専門用語を第二文目で出すなど言語道断である。
しかし筆者は、上述の水島のドカーンをはるかに凌駕する圧倒的な魅力をこの書き出しに感じる(もちろんそうは思わない人もいるだろうし、それを否定する意図はない)。
作家に与えられたチャンスは最初の3ページだ、というクーンツの主張には、一読者としての経験則的に筆者も同意できるところではある。しかしではどういった書き出しが望ましいのか、といえば一概にこうでなければダメだ、というのは難しいように思われ、筒井による「いい書き出しかどうかは結局のところ作品全体の出来に左右される」という指摘がもっとも妥当であるように思われる。
従って、アクションから入ろうが主人公の身の回りから入ろうが壮大な書き出しで始まろうが、3ページで読者を作品世界に没頭させる内容が実現できればそれで問題は無いと言えるだろう。
頭に浮かんだ順に適当に書いていくと散漫な記述になりがちであるとして、西谷は「自分が描こうとする場面を実際に図に書いて、どういう順番で描写するかを決める」のが効果的だとする。この主張はその場に存在する様々なものを具体的に詳細に想定しているかどうかの事前確認という意味合いが強い。
また、「目に見えるものだけを書いていると、リアリティーのない文章になってしまう」として五感への意識を促す。嗅覚については言及されることが少ないが、特に音については場所、方向、登場人物の存在を示す役割を果たす効果的なものだとする。また西谷独特の主張として、足下の変化は触覚という点で効果的であると主張する。
こうした西谷の指摘に加えて榎本による「静止したものだけでなく動作する物を混ぜる」という指摘を考慮すると、情景描写の臨場感とはその情景における時間経過ではないか、と筆者は考えている。
止まった絵ではなく、音や匂いを含めた一定の時間の流れを含めた「図」が望ましいという意味では、作家は西谷の言うような「図」ではなく「絵コンテ」を書くべきだと言ってもいいだろう。
仮に作家が自分の想像を完全に文章化でき、そこから読者が作家の想像通りに完全に場面を想像できるとした場合、静止画が再生されるよりも動画が再生された方が臨場感が高いのは言うまでもないし、そこにに音や匂いも付与されているのであれば、臨場感はさらに高くなるだろう。
絵コンテという考え方はまたカメラワークへも影響すると考えられるが、映像作品におけるカメラワークのセオリーとこうした娯楽小説における情景描写の順序や方法の類似点、相違点については十分な調査と検討が必要と思われ、本項では今後の検討課題として割愛したい。
より良い場面の切り替えについて、クーンツによる指摘に触れておきたい。クーンツは「ひとつの場面が終わったら、すぐさま読者を次の場面へ案内しなければならない」こと、そして簡潔さを重視する。例えば主人公は一人自室でテスト勉強をしている場面Aと、学校でテストを受けている場面Bを連結させるとする。この間にはもちろんさまざまな出来事、例えば寝て起きて朝ごはんを食べて家を出て電車に乗って学校に到着する、といった過程があるはずだが、それらをだらだら書くべきではなく、場面Aが終わった次の文ではテスト中の主人公を描くべき、という。
これは場面の切り替えにやっつけ仕事めいた過程を描く必要は無い、という単純な指摘に留まらず、各場面はプロット上必要不可欠な要素であるべきで、必要のない場面を含めるべきではない、とも理解できる。例えば場面Aのあと電車でヒロインと遭遇させる必要があるのであればそれを場面Cとして独立させ、プロット上場面AとBの間に配置すべきである。
クーンツは会話は全体の20~30パーセントは必要だとする。一方で30ページ以上続く会話文も問題であるとしており、当然であるがバランスが必要である。
その場に登場人物が2人しかいないときに、いちいちどちらの発言か説明しないと読者が理解できないようならその会話が悪い、という指摘や、「「言った」という動詞が連発しないよう、表現を工夫する、などというのは過ちである」というのはなかなか面白い指摘と言えるだろう。クーンツは発言内容が重要なのであれば、それ以外の「言った」という表現を「尋ねた」「口を開いた」「聞いた」など必死に工夫する価値はないとする。一方でアクションシーンでは動詞の選択は重要だとしており、その場で強調すべき要素とそうでない要素を区別することを要求している。英語と日本語の違いはあれど、これは文章のメリハリを付ける上では面白い指摘と言いうるだろう。
ヒックスは会話の機能として、「ストーリーを前進させること」と「登場人物を明らかにすること」を挙げるが、特に後者については人物の性格を読者に理解させる重要な要素だ、と換言できるだろう。
このようにクーンツ、ヒックスはともに会話文を重要な位置づけにあるとみなすが、一方でラノベ作家陣からの指摘として、榎本は「キャラクターの会話ばかりで「そのシーンはどういう状況なのか」「今どうなっているのか」が全く書かれていない作品」を批判する。
この点については筒井が「描写や展開が面倒なのですべて会話で片付けようとする」ことを批判しており、何のために会話文を書いているのか、という目的意識に違いがあるように考えられる。すなわち情景描写が苦手だから、間が持たないから、といった問題を正面から解決するのではなく、会話文で埋めることでごまかすようなことが榎本や筒井の批判するところと言いうるだろう。
説明するまでもないが、小説では一人称体、もしくは三人称体が多く用いられる。この人称に関しては、どの創作技術本でもありがちなミスとして、一人称体にも関わらず語り手の知り得ない情報を記述してしまう、という点がよく指摘されるところである。
一方で三人称体は登場人物の知りえない情報を記述することができるという利点があるが、一人称体がその語り手が同化する先の人物への感情移入を惹起しやすいのに対し、三人称体はその点で劣ると言えるだろう。
このことから水島は、「楽しさ重視のコメディは一人称」が望ましく、「複雑なストーリーは三人称が向いている」としている。では一人称体と三人称体を組み合わせて書けばいいのではないか、という意見については、それは読者の理解の混乱を招く手法として否定し、また三人称体においても実質的には「主人公が今どうなっているか」を中心に描くことが望ましいとしている。
一方で飯田は三人称体をとるメリットは「キャラクターそれぞれの内面が描ける」点にあるとしている。実際「インフィニット・ストラトス」を例に、飯田は一人称体と三人称体の混濁を否定せず、それどころか「主人公の一人称視点と、ヒロイン寄りの三人称視点を使い分けて全ヒロインからの愛され感をもたらしている」と高く評価している。
とはいえ三人称体として振る舞いつつ登場人物それぞれの視点に入ったり、といった視点を「神の視点」と表現し、これは避けるべきものだとする論調は少なくない。
一切言及されていないが、現実には三人称体に一人称表現が入り込む技法は自由間接話法と呼ばれて存在し、主人公の知る由もない情報を描けるという三人称のメリットと、感情移入を容易にする一人称のメリットを同時に享受できる極めて強力な技法である。
なぜ言及がないのかといえば、これを多用する作家はさほど多くなく、むしろ全く使わない作家の方が多いことから、おそらくはプロの作家自身、これを人に説明できるほどうまく扱える自信が無い、ということが原因ではないかと思われる。
他方、これと似て非なる技法に「神の視点」があり、これについて触れたものとして、クーンツは「ストーリーの途中で作家が登場人物を批評したり意見を述べるのは19世紀の時代遅れな手法」としており、もはや使うべきではない技法だとしている。
端的に言えば「あぁ、神よこの男を憐れみたまえ」といった大仰なそれに対する指摘であるが、例えばH.P.ラヴクラフトなどは意図的かつ効果的にこの神の視点を用いていたように筆者は考えているし、町田康の有名な「あかんではないか」などは見事にこれを活用した好例と言いうるだろう。
筒井はこれを「劇化された語り手」であるとしているが、これについてはまた詳細かつ精密な議論が必要であることから本稿では割愛する。
水島は夢や過去の回想について、これらは今誰が何をしているのかがわかりにくくなる、述べており、またこの点についてはヒックスも同様の指摘をしている。「バック・ストーリーの情報を提示するのに最も効率が悪く気の効かない方法が、フラッシュバックである」と、フラッシュバックはドラマの勢いを失わせるものだと注意を促している。
一方で、筒井による「遅延・妨害」に関する記述はある意味でこのフラッシュバックの効果を逆用したものとも言いうるだろう。具体的内容としては、「読者の疑問を宙づりにしたまま進行させる」ものである。特にクライマックスの直前など、いよいよ事態が緊迫し抜き差しならない状況であることを描いたところで、突如穏やかな場面に切り替えて「あれはどうなっているんだ」と読者の不満をあえて買い、じらした上で緊迫した事態の展開に再度移る、ということでより大きな満足感を読者に与える効果があるとする。
クーンツもその冒頭において、過激なアクションの次に一度冷静な場面を挟み、再度戻る、という手法を提案しているが、効果としては似たようなものだろう。
推敲の重要性を否定するものは一つとしてない。しかしどう推敲するか、という点について具体的に述べているものはそれほど多くは無い。例えばキングによる6週間空け、そして1割削減する。ワナビにとっては6週間も余裕がないことの方が多いだろうが、一定の時間を空けて自分自身で読み直すことの効果は少なくないだろう。
冲方は推敲の要点として、「冒頭とラストにインパクトと引きを作る」「事件とはあまり関係のない人間の登場を減らす」「専門用語は前半は少なく、後半は多くする」という推敲の指針を挙げる。最初の2点はプロットレベルでの書き直しが要求される内容でもあるだろうし、そもそも事件(物語)に関係ない人物を登場させる意味はなにか、という疑問もあるが、専門用語の配分などは参考になるだろう。
最後に、推敲は一度で終わるものではない。アイディア、プロット、原稿まで順に進めるとこれまで述べてきたが、推敲によって再度プロットへ、またはアイディアまで戻ることはいずれの説においても当然のこととして主張される。
最もネット対戦に適したゲームをたった1つだけ挙げろと言われれば、真サムライスピリッツを推す。レイテンシ耐性が高い事に加え、スト2並かそれ以上の立ち合いのルールであり、さらにダッシュ投げや登り大斬りが実質的な必殺技となっている点、コマンド必殺技をほとんど使わない点、そして連続技がほとんど存在しない点など、特筆すべき点が多い。ビジュアルエフェクトも美しく、特に大斬り命中時の時間制御系演出(ヒットストップ&ヒットスロー)による重さの表現は、同シリーズの後続作品にも見られない出色の出来。キャラクタ間バランスはお世辞にも良いとは言えず、不特定多数とプレイするなら右京地獄が避けられないところだが、身内対戦ならその事は特に問題にはならないだろう。
-
A+Bの大斬り、C+Dの大蹴りを出せないとゲームにならないので、同時押しに不安がある入力デバイスを使う場合は、同時押しボタンの設定をしておく。またこれに加え、ズィーガーをはじめとする一部キャラはB+C、忍者はB+C+Dの設定が必要。
立ち合いでは小/中の斬りまたは蹴りの先端を当てるようにして相手を押さえ込み、同時にダッシュ投げを併用する。ダッシュ投げはダッシュ後相手に隣接しそうになったらレバーを前に入れたまま中/大の斬りまたは蹴りボタンを連打する事で簡単に出せる。斬りと投げは一対になっており、積極的にダッシュ投げを仕掛けないと、相手はガードで安定するので斬りも当たらなくなる。ジャンプ攻撃は後出しの登り斬りで撃墜されやすいので積極的には仕掛けない。逆に相手が飛んできた場合は登り大斬りで撃墜に行って大ダメージを狙う。地上大斬りはほとんどの場合先撃ちはせず、相手が大きな隙を見せた時に使う。
相手を画面端に追い詰める事は、多くの格闘ゲームで有利に働くが、このゲームにおいてはマイナスの面が多い。このゲームでは端を背負った相手は攻撃を食らったりガードした時の硬直が短くなるので、普通なら当てれば反撃されない打撃が相手が端にいると当てても反撃されたり、ジャンプ攻撃をガードさせた次の瞬間着地で投げられたり、三連殺が絶対に繋がらなかったりする。そのためなるべく相手を端に追い詰めないで戦った方が有利となる。
クレジットが無限だからと言ってダラダラとプレイすると、格闘ゲームというのは全く面白くない。またこのゲームに限った話ではないが、大抵のゲームはキャラ性能のバランスが良くないので、単に勝ち抜き戦にすると強いキャラが延々と居座る事になり、やはり面白くない。これを避ける方法は色々あるが、とりあえず例として、このゲームをやる時に個人的に使っているルールを書いておく。
5戦の中で最低3キャラ以上使用する。
勝ち抜き戦ではなく、勝っても負けてもリセットして次の試合に行く。
0. 十兵衛 : ナコルル
1. 狂死郎 : ナコルル
2. 半蔵 : 幻十郎
3. 十兵衛 : 右京
4. 半蔵 : シャルロット
使用キャラを登録して対戦表を作る過程は自作のIRC Botで自動化している。
-
S 右京、幻庵
B 十兵衛、アースクエイク、ズィーガー、ガルフォード、半蔵、幻十郎、覇王丸、王虎、和狆
C ナコルル
基本的に「斬り合いが強い→斬り自体が当たる可能性が高く、さらに相手を黙らせられるのでいつでもダッシュ投げに行ける」という図式が成り立つ。
B以下は優劣付けがたいが、上位5人は確実に頭一つ抜けてキャラ性能が高い。B以下のキャラでA以上のキャラに勝つのはなかなか困難。
幻庵は純粋な性能だけなら「若干強い」ぐらいだが、致命的なバグ持ち。
このゲームではダッシュ投げが非常に強いため、飛び込みからの当て投げしかガードを崩す選択肢がないキャラは不利。
-
ほぼ上下中斬りのみで斬り合いは最強の部類。右京の中斬りは非常に長いリーチのまま一般的なキャラの小斬りの速度で出ている。戻りも速い。ツバメ返しは出始めにも出終わりにも隙がなく、このゲーム最強の飛び道具。残像踏み込み斬りも連続技用・裏落ち用として便利。ツバメ・残像共に命中すると転倒し、その度に選択攻撃になって、読み負けるとまた転ぶ。性能面での弱点は、突然死しやすい事と、幻庵を投げれない事ぐらい。怒り時の攻撃力上昇幅が全キャラ中1位。
上下小中斬り及び中大スラで斬り合いが強い上、しゃがんでいると大半のキャラクタに投げを食らわないという致命的なバグがある(しゃがんだ幻庵を投げられるのは、シャルロット、ズィーガー、覇王丸、半蔵、和狆のみ)。それでいて自分の投げは全キャラ中最強の威力(26)。近大斬りがズィーガーの対空パンチをさらに強化したような超威力の対空技なので飛び込みにも強い。空蝉は本家忍者の物より高性能で連続技は食らわない。気絶もしない。しゃがみを投げられないキャラを相手に本気で待つと完全なクソゲーになる。このゲームの汚点の1つ。
-
上下小/大斬り、中足払いなどで斬り合いはトップクラス。他キャラの中斬りと同じ速度で大斬りが出て、威力はちゃんと大斬りクラス。登り大斬りは十兵衛の中斬りに似ており、登り対空としては最強の部類。投げの威力も23で安定。弱点は攻めにくさで、ジャンプが驚異的に山なりなせいで攻撃の基点がダッシュに限られ、動きがワンパターンになりやすい。
上下小中斬り、下小蹴り、下大斬りなどで斬り合いは最強の部類。ジャンプが全キャラ中で最も速く、相手の中斬りと同時に跳ねればほぼ命中確定。弱点は投げの威力が全キャラ中最低(14)だという事で、そのせいでダッシュもジャンプも投げの圧力に欠け、削り能力が皆無である事もあって、ガードで固まられると非常に崩しにくい。左右が入れ替わった瞬間にパワーグラデーションが暴発しやすいのも無視できない弱点。これをやらかすとほぼ死ぬ。武器破壊技はガードされても怒りが消えるという特殊な仕様を考慮しても五光斬と1・2を争う強さ。しゃがんだ幻庵を投げられる唯一の上位キャラだが、前述の通り投げの威力が低い事に加え、しゃがみ前進している幻庵にしゃがみ突きが当たらないという大きな問題があるので、有利ではない。
ほぼ下中蹴りと大スラのみで上位と斬り合える。大スラの強さが異常で、ダメージがでかく(17)、移動距離が長く、最後の最後まで判定が残っていて、埋まるように出さなければほとんど反撃は受けない。投げの威力も全キャラ中第4位(24)で、ダッシュも速い。さらに大スラ/投げ共に命中するたびに起き上がりをいちいちガブルで削る事ができる。特に画面端での削り量は洒落にならない。あと何気に大斬りのリーチもかなり長い。弱点は、幻庵を投げられない事、全キャラ中で最も気絶しやすい事、千葉麗子の声がウザい事、そしてズィーガー。
-
ここから下の連中は上位の連中とまともに斬り合うと死ぬので、個々のツールでそれをどうカバーするか、という戦い方になる。
このゲームで一番標準的な位置にいるキャラ。下位グループの中では最も斬り合いが強く、同じ下位グループ相手なら小斬りと上下中斬り及びJ中斬りで優位に立てる。また前後垂直J中斬り、遠大斬り、近中斬りの併用による対空がかなり強く、どういう位置関係で飛ばれてもほとんど一方的に落とせる。プレッシャーを与えるツールとして水月刀もまあまあ便利。ダッシュも速い。全体的に安定しているが、攻撃がほとんど中斬り及び威力の低い投げ(威力17)となるため、一気に勝負を決めたり一気に逆転したりする事ができず、誰と戦っても長時間削り合う事になる。また上位に対しては斬り合いで不利なため、心眼刀なしに優位を取る事は難しい(チャムチャムは取らせてもくれないが…)。怒り時の攻撃力上昇幅が全キャラ中2位。
色物っぽい見た目に反して意外と普通。動きの鈍重さのわりに技の出し入れは速く、遠大斬り、下中斬り、遠小斬りを距離に応じて使い分ければ斬り合いは強い。ジャンプも素早く尻が出っぱなしなので飛び込みも強い。と、ここまでは強そうだが、相手がガードで固まると尻投げぐらいしか選択肢がなくなるのを代表として、身長が高すぎる&対空技がしょぼいので飛び込みに弱い、食らい判定がでかいのでツバメ待ちが地獄、アース専用で中段になる登り攻撃がある、アース専用の痛い連続技を食らう、密着した相手に向かって感覚的に武器を振っても当たらない、斬りを連打するとファットチェーンソーに化けて死ぬ、レバーを入れたまま尻を出すとファットバウンドに化けて死ぬ、しゃがみ状態から立ち上がって斬りを出すとファットブレスに化けて死ぬ等、弱点も山盛り。
主人公っぽく見えて斬り合いが弱い。遠中斬りは十兵衛の中斬りに見た目が似ているが、食らい判定が前に出すぎる傾向があり、上位と斬り合うとやたらに潰される。実際にはもっと遠い間合いの方が有利だが、そこまで行くと一足でダッシュ投げに行くには遠くなってしまうので、結局どの距離でも決め手を欠く。決め手を得るにはそれこそダッシュ前転伏せ下大斬りとかダッシュ弧月斬が必要。烈震斬は2回(威力4)削って反撃は受けにくいので削り技としては優秀。また後出しで容易に水月刀を飛び越すため十兵衛キラーとして使える。怒り効率が良いので全体的に怒っている時間が長いのは利点。
遠小斬り、上下中斬り、垂直J大斬りのお陰で斬り合いはまあまあ強い。ただしこの中で一番強い下中斬りは出の速さに比して戻りが非常に遅く、キャンセルしないと当ててもリーチの長い攻撃(一部キャラは大斬り)で反撃を受ける上、キャンセルタイミングが変なせいでキャンセルミスしやすいため注意が必要。ツールは三連殺で、中間距離から走り込んでガードを崩すという点ではダッシュ投げと役割が被っているが、投げと違って気絶を狙えるのが強み(大斬りが当たった直後に三連殺で命中を取れば大抵のキャラは気絶)。ただし格闘ゲーム史上最も入力がシビアな3連技となっており、本当に当たった瞬間にキャンセルして次を出して行かないと途中からガードされ、大斬りクラスの反撃を1.5倍のカウンターダメージと共に受けて、場合によっては一発で気絶して吹っ飛ぶ。また、画面端の相手には絶対に繋がらない、小刻みに牽制技を出している相手には当たらない、跳ね回られても当たらない等、繋がりやすさ以前の問題も多い。総じて敵のアクションと衝突した場合の当たり強さはダッシュ投げに大きく劣る。入力ミスで中以上の光翼陣が暴発するのもネックで、これが出たら死を覚悟せねばならない。もう1つの特徴としては、上位グループの5名に対してのみ、近下大斬り→大斬り、及び中足払い→大斬りといった危険な連続技が入るという、偶然にしては出来すぎた事実があり、キャラ性能で不利な相手に対して高い逆転性を持つ。五光斬は当たり判定発生が速い上に上半身無敵でガードされても隙がなく、おそらくこのゲームで最強の武器破壊技。あと覇王丸と同じく怒り効率が良い。
斬り合いは忍者並の弱さ。一番マシな遠中斬りと中足払いも他キャラの通常技に比べて見劣りする。ダッシュも遅く、ジャンプ攻撃もロクな物がない。それをカバーするためにヴルカーンを使う事になる。削りを嫌って飛び込んできた相手を落とすのが主ダメージ源で、その象徴は近大斬り1段目による相打ち対空だが、ちゃんと出してもジャンプ攻撃のタイミング次第では一方的に負ける上、絶対に返せない飛び込みを持っているキャラも約半数いるため、それらに対してはヴルカーンのリスクだけを背負い込む形になって非常に辛い。起き上がりへのヴルカーン削りは決まれば中斬りクリーンヒット程度のダメージを与えるが、確定ではなく、レバー上入れっぱなしで逃げられるので、削ると見せかけて登り大斬りを出して相手が飛んだ瞬間殴り落とす等の選択攻撃が必要。通常技のクソさを必殺技でカバーしてプレッシャーを与え、飛ばせて落とすという事で、スタイルとしてはスト2初期のリュウ/ケンに似ている。チャムの大スラガード後に中足払いからコップ3段が入るという理由でチャムキラーとして有名。
斬り合いは並以下。マシなのは立ち小蹴り、下大蹴り、立ち中斬り辺り。尻飛び込みが非常に強いので、主たるダメージ源はそこからの当て投げと、当て投げに見せかけた再ジャンプ、及び尻が当たった時の下大蹴り(連続技。遠下大斬りも行ける場合があるが近下に化けてガードされやすい)。要するにほとんど当て投げキャラ。ジャンプが速いのはいいのだが、低すぎて空中衝突に弱いので、飛ぶ時は尻オンリーではなく大斬りとの併用が必要。蹴りによる投げの威力は幻庵に次いで全キャラ中第2位。
斬り合いは最低クラス。ナコルル以外の誰と斬り合っても余裕で負けると考えて良い。最長リーチの中斬りが戻り速度の面で腐っているので、長さで頼りになる技は大足払い。下大斬りは減りがでかく出も速いが、リーチがないので普通の斬り合いでは届かないし、根元を当てないと中斬り並みの威力しか出ない。斬り合いのクソさをカバーするツールは豊富で、最速のダッシュ投げ、ぶっ放しダッシュ大斬りからの気絶択一、モズキャンセル、犬、K斬りバックスタブ等色々揃っており、やっていて楽しいキャラではある。
ガルフォードとコンパチで斬り合いは糞、そしてツールが減少。近大斬りは使い道のない糞技になっているし、犬はいない。爆炎龍も弱体化されすぎて使っても不利になる事が多い。代わりに得られた物は大モズ1発で40持って行けるという点と地斬の2つ。もはや完全な投げキャラであり、投げで転倒を取ったあと起き上がりモズ択一(起き上がりを大モズで吸う or 登り大斬り)でダメージを稼げないと、他で何をやってもまず勝てない。ダッシュ投げはモズを狙うとボタン連打で出せなくなる上、専用の糞モズ(威力28)に化けやすいので、自信がなければ普通の蹴り投げが無難。地斬は基本的に使えないが、一部の連続技(三連殺の2→3段目、及び中斬り→水月刀)を見てから抜けられるため、その時だけ有用。
さらにツールが減った忍者。牽制はダッシュ投げ、主力もダッシュ投げ。マゾい。下位相手は何とかなるが上位は…
-
◎ 右京(下)、幻庵、狂死郎、覇王丸
○ チャムチャム(2段)、アースクエイク(2段)、幻十郎(少し遅い)、ズィーガー(短い)、シャルロット(威力19)
-
25以上 幻庵、和狆大P投げ、王虎K投げ
15以上 大半
一般的な大斬りの威力は30程度、強い大斬りで35程度、一般的な中斬りの威力は15程度。基本的に蹴りで出した方が外した時の隙が少ないので、どれで投げても威力が変わらない場合は中蹴りで安定。問題になるのは和狆、ズィーガー、ナコルルで、蹴りで投げると前者2人は16、ナコルルは14まで威力が下がってしまうので、他のキャラに比べて外した時のリスクが大きめ
後ろを向き背中を眺めて見たら苔が付いていた。平穏。この平穏はいつまで続くのか。幻想だよなこれって。大地震でドカーン大津波とかでザバーンて。現実とか日常ってすぐこわれてしまう。いまはただただ穏やかだ。すごーく穏やか。曜日すら忘れてしまうよ。あ、雨が降る。穏やかな小雨で甲羅が涼しい。むむ、痒い。痒いぞ。甲羅が痒い。そしてこの中は蒸せるし疲れる。出られない閉塞感もある。ああ、それはあるじも同じか。
あぁ今日は主はなにを考えているのだろう。たまには甲羅干しでもして欲しいものだ。いや、むしろ干せ。なに考えてやがるんだ。俺だって生きているんだぞ。甲羅干しの権利だっておれにはある。おれは権利だけを主張する亀とは違うんだ。人間様に飼われている義務があるんだ。ああむずかゆい。心も体もむずかゆい。そこで甲羅干しなんだよ。人間もお天道様浴びると健康になるだろ。ちなみにおれを含めた一般に見た亀は甲羅干しをすると背中の微生物や細菌がいなくなってむずかゆい気持ちも晴れるのだ。これは一般論だ。例外はない。ともかく一度ここから出せ。おれは自由を感じとりたいのだ。自由は掴み取るものだ。いつか脱走してやるこの野郎。甲羅干しをさせてくれ。むしろ自由から自由になりたい。自由を考えさせられるこの気持ちはなんだ。自由という概念をぶっ壊してくれ。
ああ、今日も雨。山ではヤマアジサイが満開だろうなあ。ああ、まだ世の中は七月でも梅雨だ梅雨だ景気が梅雨だって騒いでいるけど私は甲羅が気になって仕方が無い。甲羅が痒いのはまぁ置いておいて、世間では社会保障がどうとか税金がどうとか言われてる。おれは小学四年生の亀。年金も健康保険も信用しない。政府を信用できない。安心したい。老後も悠々自適に暮らせる安心が欲しい。セーフティネットが欲しい。若いうちは安価な労働力として使われていいけれどせめてセーフティネットはおくれよ。おれは政治とか経済とかを語る亀だ。日本の政策形成過程や統治構造なんかもわかってる。バレバレよ。とまぁ、ここで純文学を踏襲するわけだ。ギミックよ。これギミックよ。セカイと世界をつなぎたい。とりあえずあずまんはまじリスペクト。あと補足だけどdisって言葉。あずまんが誰かをdisってるとか半分以上がネタなんだぜ。あずまんまじ頭よすぎ。しかも思想とか未来とかについて誰よりも真剣に考えていると思う。他に見たことがない。これだけ通信ツールが増えて言葉や物に触れる機会が増えたけどあずまん以上に考えていそうな人はあんまし見たことない。最近お金にうるさいけど。そして感覚的にだけど。とまぁ、こんな感じよ。まぁあれだ。いまは甲羅が痒いことが動物的に「ほんとう」は大事でいまその目の前の「問題」を解決することが一番なのかなぁって思っちゃうことってどうなのかなぁ。
甲羅は果たしてどこまでが繋がっていてはたして体の一部なのか。そんなこともわからない。自分の体のことだってまったくわからないんだぜ。梅雨の時期は甲羅と背中の間が蒸れるのだ。けっこう辛いのだ。甲羅の表面とさらには地肌と甲羅の間が痒いのだ。甲羅と背中には間があるのかなぁ。痒い感覚はある。あるじは悠々自適にゴルフとかにいってやれ虫にさされ辛い辛いとか雑草アレルギーでかゆいかゆい言うけれど私だって痒いのだ。甲羅干しネタでここまでつなげるとは思わなかったよおれも。甲羅干ししてくれよブラザー。ああ、いつもいつもあるじはわがままだな。早く1人で暮らせよな。結婚もしやがれってんだ。亀の私も1人こうやって天涯孤独でこのプラ舟の中でプカプカ浮いてる。わたしもあるじ同様守るべき家族もいないし依存するものもない。けっこうさみしいのだ。ただ気は楽だがな。ああ、餌をくれ。餌をくれたまえあるじよ。おなかすいた。
あいつ餌も忘れてやがるな。絶対に許さない。絶許。暴れてやる。あぁ、腹がへっては暴れられん。困ったもんだぜマイブラザー。全国のニホンイシガメたちよさぁたちあがれ(運動感)
そういえば最近あるじは血圧が高いそうだ。病気って怖いよな。最近は放射能汚染が気になる。細胞分裂できないってまじやばくね?まぁ日常が失われるくらいならもういっそ死んでもいいけどな。疲れたよ。あるじは血圧で悩んでる。メタボだしデブだ。血圧が高いってことはいいものを食べている証拠だ。動物を喰ってる。植物も喰ってる。スッポンも喰ってたな。鬼畜。畜生だな。おれも喰われるのか…それにしてもあるじはわがままだ。ああ、甲羅が痒いし腹が減った。くそわがままあるじめ。まぁおれとほかの亀を見分けられたり、声かけてくれたり、たまにはいいやつだがな。でも嫌いか好きかといわれればどちらの感情もある。
吉田「ああ、そう。うん…………俺は何時に行けばいいの? うん……ああ、わかった」
これまで、1000人以上にインタビューしてきた。
誰かの400戦無敗みたいなハッタリじゃない。
でもそれは、700人を過ぎた辺りから、いちいち数えているヒマがなくなったからってだけの話だ」
「インタビューの依頼を受ける」
BG 回想。資料を机に並べる吉田
調べて、調べて、調べて……もういいかと思ったところから、更に調べる」
そこまでやらなければ、伝わらない」
「何がって? それは……
え?『怖くありませんか』?
ああ、それは無い。
「インタビューする相手のことを調べつくすと、ある瞬間、
突然相手の姿が、浮かび上がってくる――はは、そうだな。
『3D映画みたいに』な」
「そうすると分かるんだ。
相手が、何を望んでいるか。
どうすれば『伝わる』のか……」
「そうすれば、後は簡単だ。
インタビュー当日、相手に伝えてやるだけでいい。
『私は、あなたが、大好きです』――ってな。
机には、これまで自分が行ってきたインタビューの掲載誌が広げられている。
「空手家、ヤクザ、格闘家、劇画原作者、プロレスラー、ケンカ自慢の有名人……
もちろん、ハッタリもかなり混ざってる、武勇伝。
しかし、絶対にハッタリじゃない……ハッタリに出来ないものがある」
「それは――恐怖。
BG 回想。歯を食いしばり、必至に何かに堪えている様な表情のインタビュー相手(複数)。
『あれか』と思い浮かぶようになり、
次々と結びついていって、それで――決め手は、あれだった」
「依頼は一週間後。
月曜日の14時。
相手は――」
吉田、後ろを振り向く。
シャクシャクシャクッ!
「変わらない。やることはいつもと同じだ。
相手を調べつくして、そして――」
吉田、呟く
「不覚――屈辱!」
「とうとう分からなかった!」
「どうする?(部屋で見た勇次郎の幻を思い出しながら)あんなの
を相手に、どう伝える?」
「『あなたが好きです』って――どうやって?」
部屋に招き入れられて、吉田、硬直する。
勇次郎「よお。楽しみにしてたぜ。俺より、俺に詳しいんだってな?」
吉田の背後に文字「ア・ナ・タ・ガ・ス・キ・デ・ス」
「わかった。
しかし――いや!
やるしかない!
やらなきゃ――死ぬ!
生き物としての俺が!
吉田「おdsfjfdlksfjdskjfdskljfsっ!!!」
吉田モノローグ「この人を喜ばせるには!!! これしかない!!!!!!!」
吹っ飛ばされて転がり、壁にぶつかって止まる吉田。
勇次郎「分かってるじゃねえか……俺の喜ばせ方をよ」
似たりと笑って言った後、どこか神妙な顔になって勇次郎
勇次郎「なんというか、その……『伝わって』? きたぜ?」
<了>