「オーソドックス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: オーソドックスとは

2019-05-10

「誤字脱字報告が来たから筆を折った話」を校正してみた

https://anond.hatelabo.jp/20190426211521

「誤字脱字報告が来たから筆を折った話」を校正してみました。

文意が通らない部分、口語体が悪目立ちする部分もありますが、指摘はしていません。

なお、当方校正者ではなく、バイト面接すら通らない30代の無職です。専門家ではないので校正の質は低いと思います。ご容赦ください。

———

女性向け同人の字書きだったんだけど、二年ぐらい前の話を書かせてほしい。

はてな匿名ダイヤリー文章を書くのに許可は入りませんが、「書かせてほしい」はママOK?)

まぁタイトルの通りなんだけど。

正確には「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った」です。

(「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った話」にしたほうがタイトルと対になりますが、ママOK?)

筆を折ったのは決して送ってきた人のせいだけじゃない。正直当事の私には同人上がるいい理由でもあったんだと思う。

(「報告を送ってきた人」にする? 「当事」は「当時」にする? 「同人上がる」から同人から上がる」にする?)

小説同人やってる人は解ってくれると思うんだけど、誤字脱字誤変換自分の本からでてくることよくあることだ、と思う。

(「小説同人やってる」から同人小説をやってる」にする? 「解ってくれる」は後にひらがなの「わかる」も出てきますママOK? 「誤字脱字誤変換」は「誤字脱字」にする? 誤字脱字と誤変換意味かぶりますが、あえて意味を分けて使ってるのであれば、ママOKです。「でてくる」とありますが、統一されていないので、「出てくる」にする? 「てくることよくあること」から「出てくることはよくあること」にする?』

そりゃなるべく無いほうがいいに決まっているし、誤字脱字誤変換を減らす努力ちゃんとしてるつもりだった。

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

読者に恵まれていたのか、そこそこ長い同人生活の中で誤字脱字を指摘してくる人にもその人以外にはいなかった。

(「指摘してくる人にも」から「指摘してくる人は」にする?)

いやこれは、私が弱小サークルだったので単純に頒布数の問題かもしれないけど。

(「いやこれは、」から「いや、これは」にする? 「私が弱小サークルだったので」は修正がいると思われますので、「私が」を取るか、「私のサークルは弱小サークルだったので」にする? 筆者に確認要)

二年前、私は同人小説がそこそこつよいジャンル活動していて、同人生活の中でも一番数を刷っている時期だった。楽しく活動できたのは参入から一年ぐらいだけで、それ以降は本を出すことに少し追い詰められてもいたと思う。

(「つよい」はママOK?)

いままでになく相手にしてもらえて舞い上がってたんだよね。ジャンルカップリングのおかげだってわかっていても、頑張って書いたものが読んでもらえるのが嬉しくてたまらなかった。

(「いままで」は「今まで」で統一する? 「わかっていて」は「解っていて」に統一する?)

誤字脱字誤変換完璧になくした本がすばらしいことは解っているけれど、でない神本よりでるくそ本の言葉を信じて馬鹿みたいに小説を書いてた。2,3ヶ月に一回のイベントには必ず新刊をだしたし、その間にピクシブ更新もした。今にして思えば本当にめちゃくちゃ頑張ってたと思う。どんな時間の使い方してたのか自分でもよくわからんレベル

(「誤字脱字誤変換」はママOK? 「なくした」は「無くした」に統一する? 「解る」はママOK? ”でない神本よりでるくそ本”はかぎかっこでくくり、「でない神本よりでるくそ本」にする? 「くそ本」はママOK? 不適切表現ですが、あえて用いるならママOKです。「2,3ヶ月」は後に出てくる年数表記統一し、「二、三ヶ月」にする? 「新刊をだしたし」は「新刊を出したし」で統一する? 「ピクシブ」の正式名称は「pixiv」ですが、ママOK? カタカナ表現でも間違いではありません。「どんな時間の使い方してた」は「どんな時間の使い方をしてた」にする?)

で、そんな感じで本を出してれば時々感想をくれる人がいる。私は感想を頂くのが大好きで、基本的に頂いた感想には全て返信してたんだわ。

手紙ツイッターIDとかがないものは流石にできなかったけど、そういう時は「感想のお手紙ありがとうございます!すごく嬉しいです!ちゃんと読んでます!」とツイートすることで読んだよという報告をしてた。

(「ツイッター」の正式名称は「Twitter」ですが、ママOK? カタカナ表記でも間違いではありません。感嘆符の後にはスペースを入れる?)

その中に感想と一緒に誤字脱字誤変換を報告してくる人が一人いた。以下Aさんとする。

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

Aさんは本の奥付に記載しているメールアドレス感想を送ってくれる人だった。

最初の一通目は、他の人たちと同じ感じで、この本のここが好きだとか、このやりとりはすごくツボだった、とか私が貰って嬉しいと思うタイプ感想だった。

(「最初の一通目」は重複表現なので、「最初」か「一通目」にする? 「このやりとりはすごくツボだった、とか」は「このやりとりはすごくツボだったとか、」にする?)

から私はそれにいつもどおり、普通の返信をした。感想が嬉しいです。は、もちろんだし、本文のやり取り気に入って頂けてよかったです、とか。そういうたぶん、オーソドックスな返信なんじゃないかな。他の人と比べたことがないので解らないけれど。

(「感想が嬉しいです。は、」「感想が嬉しいです、は」にする? 「本文のやり取り気に入って」は「本文のやり取りを気に入って」にする? 「そういうたぶん、」は「たぶん、そういう」にする?)

私の返信に対してAさんは「感想を送るのが初めてだったので、気持ち悪いって思われなくて良かったです。喜んでもらえて送ってよかったと思いました!」と返信をくれた。

そこに、誤字脱字報告が記載されていた。

いやみったらしく指摘するわけではなくて、メール本文の中に「誤字脱字を見つけたのでご報告しておきますね」と短く添えて。

それを受信してまぁ、正直「いやぁ、紙媒体に誤字脱字指摘してどうすんの?それ言われても修正できないんだけど」と思った。

ピクシブならまだいい。すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。とかなんとか言っておけばいいから。

(「ピクシブ」はママOK? ”すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。”はかぎかっこでくくり、「すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね」にする? 文の語尾の句点は取る?)

だけど紙媒体印刷されているので修正できるわけがない。再版の予定があるなんて一言ツイートしていないし、なんならまだ在庫あった。

Aさんに悪気がないのはわかっていたけど、ちょっとだけ心がざらついた。でも「今後誤字脱字の報告はしてくれなくていいです」と正直に返す気にもなれなかった。だって、間違いなく善意なのだ

(「わかっていた」は「解っていた」に統一する?)

Aさんは、本を読んだ感想を私に送ってくれる人だ。初めて感想を送ったという一文が嘘か本当かはわからないけれど、本当ならきっと緊張もしただろう。私がAさんなら緊張して手汗がびしゃびしゃになると思う。

読んで、感想を考えて、作者に伝える。それってすごく時間がかかることだ。Aさんはその時間を私に割いてくれる人なのだ

から私は「せっかく手にとって頂いたのに誤字脱字がありすみません。今後はより気をつけますね。感想と報告ありがとうございました!」と返した。私の返信にAさんから特に返信は無かった。そりゃそうだ。返信するところがないのだから

(「手にとって」は「手に取って」で統一する? 「誤字脱字がありすみません。」は「誤字脱字があり、すみません。」にする?)

きつい文面かな?いやでもこれ以外になんて返したらいいんだよ。そんな風に悩みもしたが、これっきりになるならそれはそれで仕方がないし、正直誤字脱字報告がまた来ても萎えると思ったので割り切った。

(「そんな風に」は「そんなふうに」にする?)

まぁお察しとの通り、Aさんはその後も必ず感想と一緒に誤字脱字を報告してきた。

(「お察しとの通り」は「お察しの通り」にする?)

私が新刊を出すたびに、必ず誤字脱字誤変換の報告が来る。これが地獄かと思った。

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

私の本は誤字脱字誤変換がある。それは解っている。だから、私は自分にできる限りの校正をした。

(「誤字脱字誤変換」はママOK? 「私は自分にできる限り」は「私は自分でできる限り」にする?)

締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、さらに三日前には仕上げるようにしていた。

(「締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、」は意味が通らないので修正要です。「修正作業で遅れてもいいように締め切りは常に早割りを狙って、」にする? 筆者に確認要)

友人にデータを渡して、校正に入ってもらってもいた。

自分でチェックだってする。縦書き本文を横書きに流し込んでみたり、フォントを変えてみたり。長い文字数の本はできないこともあったが、短い本を出すときは音声読み上げ機能で読み上げてみたりもした。

毎回来るAさんの指摘が悔しくて、絶対に次は誤字脱字誤変換の無い本を作ろうと思った。

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

友人三人に見てもらい(友人1→私が修正→友人2→私が修正→友人3→私が修正という手順)、縦書き横書き印刷して読み返した。音声読み上げも毎日少しずつやって、早割りを捨てて校正をした本にもやっぱり誤字脱字誤変換存在した。

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

そしてAさんは感想と一緒にそれを指摘してきた。

いやなんかもう「逆にすごくないか?」と思った。思って、そこでぽっきり心が折れてしまった。

Aさんは最後まで善意だったと思う。私も嫌なら「誤字脱字誤変換の報告は今後一切不要です」と一言伝えればよかっただけの話だとも思う。

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

でも、善意なのだ。おそらくこの人は善意でやっていて、それを拒絶することが私には出来なかった。

自分私生活犠牲にしつつ作った本を、お金を払って手に取ってくださる方がいる。その上に感想もくれる。それってすごく恵まれていることだ。だけど、毎回必ず指摘がついてくる。

これがウェブ媒体なら、あるいは紙媒体でも早々に完売して再版の予定があるとかならまた違ったのだろう。でも、私が刷っている本は在庫を抱えている。私がどんなに強く願っても修正はできないのだ。誤字脱字誤変換修正して頒布することは、不可能なのだ

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

どうにもできない現状に指摘がくるというのは私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。

(「くる」は「来る」で統一する?)

でもAさんに直接言う勇気は持ち合わせていない。ちょうど仕事も忙しくなり始め、疲れていた私が下した判断が「もう同人誌作るのをやめよう!」だった。

(「疲れていた私が下した判断が」は「疲れていた私が下した判断は」にする?)

タイトル一言で済む話をここまで長くだらだら書くの、小説書いてたからだと思う。

(「ここまで長くだらだら書くの」は「ここまで長くだらだら書くのは」にする?)

私の同人誌もずっとこんな感じだった気がするね。

ここまで読んでくれた人がいたらありがとう

これを読んで誰かに感想を送ろうとしてる人が居たら、本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ。もしかしたら嬉しい場合もあるかもしれないけど、疲れてるところには案外心にくることもあるって、知っておいてね。

(「感想を送ろうとしてる人が居たら」は「感想を送ろうとしてる人がいたら」にする? 「誤字脱字誤変換」はママOK?)

同人誌は基本的素人趣味で作っているものだ。誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら、商業を読んだほうがいいです。商業でもたまにあるぐらいだから同人誌で完璧になくすことがどれだけ難しいかは察してほしいなって思います

(「誤字脱字誤変換」はママOK? 「商業」は「商業誌にする?)

私はもう同人誌を作るのをやめてしまったけれど、筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね。

(「誤字脱字報告新刊のたびに」は「誤字脱字報告を新刊のたびに」にする?)

こうやって書いたから、本当に悪用する人がでてくるかもしれないけど、誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ。完璧じゃないから本を出さないのはもったいないって心を強く持って欲しい。

(「でてくる」は「出てくる」に統一する? 「誤字脱字誤変換」はママOK?)

※この文章に誤字脱字誤変換の指摘は一切不要です。

(「誤字脱字誤変換」はママOK?)

———

全ての誤字脱字は拾いきれていないと思います

2019-04-26

誤字脱字報告が来たから筆を折った話

女性向け同人の字書きだったんだけど、二年ぐらい前の話を書かせてほしい。

まぁタイトルの通りなんだけど。

正確には「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った」です。

筆を折ったのは決して送ってきた人のせいだけじゃない。正直当事の私には同人上がるいい理由でもあったんだと思う。

小説同人やってる人は解ってくれると思うんだけど、誤字脱字誤変換自分の本からでてくることよくあることだ、と思う。

そりゃなるべく無いほうがいいに決まっているし、誤字脱字誤変換を減らす努力ちゃんとしてるつもりだった。

読者に恵まれていたのか、そこそこ長い同人生活の中で誤字脱字を指摘してくる人にもその人以外にはいなかった。

いやこれは、私が弱小サークルだったので単純に頒布数の問題かもしれないけど。

二年前、私は同人小説がそこそこつよいジャンル活動していて、同人生活の中でも一番数を刷っている時期だった。楽しく活動できたのは参入から一年ぐらいだけで、それ以降は本を出すことに少し追い詰められてもいたと思う。

いままでになく相手にしてもらえて舞い上がってたんだよね。ジャンルカップリングのおかげだってわかっていても、頑張って書いたものが読んでもらえるのが嬉しくてたまらなかった。

誤字脱字誤変換完璧になくした本がすばらしいことは解っているけれど、でない神本よりでるくそ本の言葉を信じて馬鹿みたいに小説を書いてた。2,3ヶ月に一回のイベントには必ず新刊をだしたし、その間にピクシブ更新もした。今にして思えば本当にめちゃくちゃ頑張ってたと思う。どんな時間の使い方してたのか自分でもよくわからんレベル

で、そんな感じで本を出してれば時々感想をくれる人がいる。私は感想を頂くのが大好きで、基本的に頂いた感想には全て返信してたんだわ。

手紙ツイッターIDとかがないものは流石にできなかったけど、そういう時は「感想のお手紙ありがとうございます!すごく嬉しいです!ちゃんと読んでます!」とツイートすることで読んだよという報告をしてた。

その中に感想と一緒に誤字脱字誤変換を報告してくる人が一人いた。以下Aさんとする。

Aさんは本の奥付に記載しているメールアドレス感想を送ってくれる人だった。

最初の一通目は、他の人たちと同じ感じで、この本のここが好きだとか、このやりとりはすごくツボだった、とか私が貰って嬉しいと思うタイプ感想だった。

から私はそれにいつもどおり、普通の返信をした。感想が嬉しいです。は、もちろんだし、本文のやり取り気に入って頂けてよかったです、とか。そういうたぶん、オーソドックスな返信なんじゃないかな。他の人と比べたことがないので解らないけれど。

私の返信に対してAさんは「感想を送るのが初めてだったので、気持ち悪いって思われなくて良かったです。喜んでもらえて送ってよかったと思いました!」と返信をくれた。

そこに、誤字脱字報告が記載されていた。

いやみったらしく指摘するわけではなくて、メール本文の中に「誤字脱字を見つけたのでご報告しておきますね」と短く添えて。

それを受信してまぁ、正直「いやぁ、紙媒体に誤字脱字指摘してどうすんの?それ言われても修正できないんだけど」と思った。

ピクシブならまだいい。すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。とかなんとか言っておけばいいから。

だけど紙媒体印刷されているので修正できるわけがない。再版の予定があるなんて一言ツイートしていないし、なんならまだ在庫あった。

Aさんに悪気がないのはわかっていたけど、ちょっとだけ心がざらついた。でも「今後誤字脱字の報告はしてくれなくていいです」と正直に返す気にもなれなかった。だって、間違いなく善意なのだ

Aさんは、本を読んだ感想を私に送ってくれる人だ。初めて感想を送ったという一文が嘘か本当かはわからないけれど、本当ならきっと緊張もしただろう。私がAさんなら緊張して手汗がびしゃびしゃになると思う。

読んで、感想を考えて、作者に伝える。それってすごく時間がかかることだ。Aさんはその時間を私に割いてくれる人なのだ

から私は「せっかく手にとって頂いたのに誤字脱字がありすみません。今後はより気をつけますね。感想と報告ありがとうございました!」と返した。私の返信にAさんから特に返信は無かった。そりゃそうだ。返信するところがないのだから

きつい文面かな?いやでもこれ以外になんて返したらいいんだよ。そんな風に悩みもしたが、これっきりになるならそれはそれで仕方がないし、正直誤字脱字報告がまた来ても萎えると思ったので割り切った。

まぁお察しとの通り、Aさんはその後も必ず感想と一緒に誤字脱字を報告してきた。

私が新刊を出すたびに、必ず誤字脱字誤変換の報告が来る。これが地獄かと思った。

私の本は誤字脱字誤変換がある。それは解っている。だから、私は自分にできる限りの校正をした。

締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、さらに三日前には仕上げるようにしていた。

友人にデータを渡して、校正に入ってもらってもいた。

自分でチェックだってする。縦書き本文を横書きに流し込んでみたり、フォントを変えてみたり。長い文字数の本はできないこともあったが、短い本を出すときは音声読み上げ機能で読み上げてみたりもした。

毎回来るAさんの指摘が悔しくて、絶対に次は誤字脱字誤変換の無い本を作ろうと思った。

友人三人に見てもらい(友人1→私が修正→友人2→私が修正→友人3→私が修正という手順)、縦書き横書き印刷して読み返した。音声読み上げも毎日少しずつやって、早割りを捨てて校正をした本にもやっぱり誤字脱字誤変換存在した。

そしてAさんは感想と一緒にそれを指摘してきた。

いやなんかもう「逆にすごくないか?」と思った。思って、そこでぽっきり心が折れてしまった。

Aさんは最後まで善意だったと思う。私も嫌なら「誤字脱字誤変換の報告は今後一切不要です」と一言伝えればよかっただけの話だとも思う。

でも、善意なのだ。おそらくこの人は善意でやっていて、それを拒絶することが私には出来なかった。

自分私生活犠牲にしつつ作った本を、お金を払って手に取ってくださる方がいる。その上に感想もくれる。それってすごく恵まれていることだ。だけど、毎回必ず指摘がついてくる。

これがウェブ媒体なら、あるいは紙媒体でも早々に完売して再版の予定があるとかならまた違ったのだろう。でも、私が刷っている本は在庫を抱えている。私がどんなに強く願っても修正はできないのだ。誤字脱字誤変換修正して頒布することは、不可能なのだ

どうにもできない現状に指摘がくるというのは私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。

でもAさんに直接言う勇気は持ち合わせていない。ちょうど仕事も忙しくなり始め、疲れていた私が下した判断が「もう同人誌作るのをやめよう!」だった。

タイトル一言で済む話をここまで長くだらだら書くの、小説書いてたからだと思う。

私の同人誌もずっとこんな感じだった気がするね。

ここまで読んでくれた人がいたらありがとう

これを読んで誰かに感想を送ろうとしてる人が居たら、本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ。もしかしたら嬉しい場合もあるかもしれないけど、疲れてるところには案外心にくることもあるって、知っておいてね。

同人誌は基本的素人趣味で作っているものだ。誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら、商業を読んだほうがいいです。商業でもたまにあるぐらいだから同人誌で完璧になくすことがどれだけ難しいかは察してほしいなって思います

私はもう同人誌を作るのをやめてしまったけれど、筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね。

こうやって書いたから、本当に悪用する人がでてくるかもしれないけど、誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ。完璧じゃないから本を出さないのはもったいないって心を強く持って欲しい。

※この文章に誤字脱字誤変換の指摘は一切不要です。

2019-04-09

富士通下請け仕事してた時の話

この記事を読んで思い出した、少し前の話

ただ思い出したこと書きなぐるだけなので、内情がどうとかそういうのは知らない

http://tnaoto.hatenablog.com/entry/2019/04/09/070227

その頃俺は富士通パナソニック下請け現場に入る、所謂人売りIT企業SESって言うの?)にいて

どの現場も多かれ少なかれ酷い事はあったんだけど、富士通現場は本当に最低だった

製造工程から参加してたんだけど、俺の主な仕事Oracleプロシージャで作られたシステム連携処理を

富士通の用意しためちゃめちゃ使いにくいExcelフォーマット文字にして起こすこと

円柱の図で表したテーブルを矢印と線を使って繋げて取得元テーブル表現

取得項目は図の右に表を書いて、条件と結合は全てSQLをそのままコピーして「項目Aと項目Bを結合」って日本語に書き直してた

それを200本くらい?作る仕事

それはまぁ酷いとは言え人売りIT企業としてはオーソドックス仕事じゃないですか?

でもプロシージャは毎日書き変わっていて、自分がどれを設計書に起こせば良いかからなくてさ

確認するには富士通の奴に聞かないとダメなのね

でもあいつら朝来ないんだよ、早くて11時くらい、遅いと18時とかかな。連絡無しに来ない日もあったな

そのくせ会議大好きで、日次ミーティング絶対にやらなきゃならないってルールなんだよ

始まる時間あいつらの思いつき。でも絶対に定時後。

もう嫌で嫌でしょうがなかったなー

結局一年半くらいやったのかな

最後会社自体辞めて終わり

はてなにいるとキラキラしたエンジニアを良く見るけど

俺の知ってるIT業界ってこういうのなんだよね

富士通やPやHやNの下請けで、大企業の古臭いシステムを泥臭く作って、何か起きた時の言い訳のために無意味Excelファイル量産して。

あー、もう二度と戻りたくない

2019-04-05

自炊初心者のための食材評価主食主菜編)

承前自炊初心者のための食材評価



 今回は前回取り上げなかった主食系(炭水化物ソースとなる食材)及び主菜系(タンパク質ソースとなる食材)について述べる。これらの食材の保管に関しては、野菜類に比べると楽であることが多い。保存性の高いものが多かったり、加工品の場合賞味期限が明記してあるためだ。生肉類は例外だが、冷凍保存での運用によってカバーできる。
 このカテゴリー食材の扱いで注意すべきは、どの食材選択するかによって作る料理の大枠が決定してしまうところである野菜類以上に「メニューの相性」が問題になってくるのだ。それを頭に置きながら、生活リズムや嗜好に合わせた、自分なりの自炊スタイル模索していってもらいたい。



主食


白米
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
CAABAC

 白米の主食食材として優れた点は、何よりその汎用性の高さにある。和食洋食中華ほとんどの料理に無理なく合わせられるうえ、炊飯器という文明の利器によって調理も(多少時間はかかるが)手軽、調理後の米飯冷凍保存と相性が良い。白米をベース献立を組み立てるのは日本家庭での食事の組み立てとしてオーソドックスだが、一人暮らし自炊においても初心者に優しい選択肢といえよう。栄養的にはパンなどと比べてビタミンB群がやや少ないが、主菜系の食材で補うことが可能


食パン
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
CBDAAB

 日本一般家庭の主食食材として、白米の次に多く用いられているのが食パンであろう。だが白米と違い、その汎用性は高いとはいえない。洋食系以外だと合わせるメニューがどうしても限定されるため、食パンを主軸に献立を組み立てるのは自炊初心者にはややハードルが高い。朝食のみ食パンという運用でもよいが、そうすると「朝食に夕食の残りを使う」という選択肢が使いにくくなるかもしれない。カロリーあたりの費用は白米よりやや安価で、パン屋などで「食パンの耳」が手に入ればさら安価になる。


スパゲティ
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
CABCAA

 スパゲティ日本食に高度に順応し、使い方を多様化させてきた食材の一つである和食系や中華系の味付けとも相性は悪くなく、初心者にとっても使い勝手の良い食材といえる。一食を一皿に完結させてしまうのが簡単であるため、洗い物の手間を減らしやすいのも利点。ただし、一皿完結のスタイル一般的なスパゲティレシピだと炭水化物系に栄養が偏りやすい難点があるので、野菜などの具の量は麺に対して意識的に多めにするとよい。スパゲティ本体を茹でるのとソースを作るのでコンロが2つ必要になるのも欠点だが、ギャル子ちゃん式の茹で方採用すればコンロ1つでも済む。


インスタントラーメン(袋麺)
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
CADBAD

 インスタント名前のとおり、調理の手間の少なさで優位性がある。鍋で野菜などの具材を軽く炒めてから水を入れ、麺と付属の粉末スープを後から入れて茹でれば、手間をあまり増やさずに野菜も摂れる。最大の難点は他の選択肢に比べて割高なことであろう。粉末スープ塩分はかなり多いので、食塩過剰摂取が気になる人は粉末スープを半分だけ入れるという運用をするとよい。その場合の粉末スープの余りは、炒め物やスープを作る際の味付けに転用できる。


うどん(ゆで麺)
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
CDCABB

 うどんといえば和風のだし汁かカレーうどん焼きうどんといった調理法が一般的だが、トマトソースなどとも相性が良く、汎用性はそれほど悪くない。創意工夫次第で色んなうどん料理を作れる。ゆで麺は保存性に難があるが、そのぶん調理の手間が省ける。保存性を重視するなら乾麺うどんを使おう。



主菜


鶏卵
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
ABCBAA

 良質なタンパク質だけでなく各種ビタミンカルシウムも多く、高い栄養価を誇る。安く手に入る食材でもあり、卵殻膜という雑菌に対する優れたバリアによって保存性にも優れる。ただし、購入の際に殻にヒビが入ったり割れしまうこともしばしばあり、その場合は保存性がガタ落ちするため、割れものは早めに加熱調理すること。


豚小間切れ肉
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
BAABBC

 タンパク質ビタミンB群を豊富に含み、多くのジャンル料理に幅広く活用できる。基本的冷凍のまま解凍せずに調理できるのもポイントが高い。評価欄の保存性も冷凍での運用を前提にしているが、冷蔵庫冷凍室がない場合は取り回しが難しくなるので注意。類似品に「豚切り落とし肉」があるが、こちらもほぼ同じ運用でよい。


ベーコン
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
CBCABD

 肉類には珍しくビタミンCが豊富だが、1食あたりだと摂取量は大したことはないのでビタミンC源としては期待できない。1食分ごとに細かく包装してある商品もあり、初心者には便利。ただし、ベーコンを使う料理の多くは豚小間切れ肉でもかなり代用でき、その方が安上がりなのは念頭に置いておこう。


魚肉ハム
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
BBBABB

 通常のハムベーコンなどより割安で、賞味期限もやや長く、ビタミンB2ナイアシンカルシウムが多く含まれる。味は通常のハムより淡泊だが、その分色んな料理に合わせやすい利点を持つ。塩分がやや多いので、気になる人は料理の味付けに注意。


豆腐
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
CEDAAA

 豆腐の最大の利点は、切って醤油をかけるだけで1品作れてしまう圧倒的な手軽さにある。和食系のメニューを中心にするなら運用やす食材栄養的には、タンパク質含有量は肉類に劣るものの、鉄分カルシウム豊富という利点がある。一方で、調理バリエーションが限られること、足の早さなど弱点も多い。水に浸して冷蔵するのが基本の保存法だが、それでもあまり長くは保存できない。なお、冷凍するとスポンジ状になり食感が大きく変化するので注意(高野豆腐に近くなる)。ただ、敢えて凍らせた豆腐をメインに運用していくという選択肢もある。


納豆
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
AAEAAA

 タンパク質含有量豚肉を凌ぎ、カルシウム鉄分食物繊維も多いなど、栄養価は非常に優秀である。値段的にも手頃で、保存可能期間も長い。汎用性の低さだけが唯一にして最大の欠点である米飯にかけて食べる以外では、納豆トースト納豆スパゲティ納豆味噌汁などがよく使われる使用法であろうか。すぐに使い切らなくていい食材なので、買い置きしておいてもそれほど問題はない。


鶏胸肉
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
AACDAA

 疲労回復効果のあるイミダゾールペプチド類が豊富に含まれ脂肪の少ない優秀なタンパク源であることで知られるが、パサパサになりやす調理が難しいことでもよく話題になる食材。豚小間切れ肉と違い塊で売られているため、最初に小分けにしてから冷凍保存する必要があり、初心者が手を出しにくい一因となっている。だが、パサパサ感は煮物スープ系に使う場合はさほど問題にならず、値段も豚より安上がりのため、うまく使えれば自炊生活の強い味方となってくれる。冷蔵庫冷凍室がない場合に取り回しが難しくなるのは豚小間切れ肉と同様。


牛乳
栄養価保存性汎用性調理容易性入手容易性経済
BEDAAC

 豊富カルシウムを含むことで知られ、直接飲用にする以外に料理に使われる場面も多い。だが、非常に足が早いため、調理用に買い置きしておくとすぐに腐ってしまうことも珍しくない。使う前日か当日に購入するのが無難で、1L入りの紙パックは避けた方が良いだろう。飲用にしないのであれば液状の牛乳ではなく粉末状のスキムミルクを使うという選択肢もあり、これならば保存性が一気に増して取り回しが楽になる。

2019-03-24

愚痴垢が嫌いなのにみてしま

今いるジャンル愚痴垢という存在が大嫌いになった。コスプレ肯定的ではないからとレイヤー晒しとかの時はなんとも思わなかったのに、今いるジャンル愚痴垢がやばすぎてガチバルサン焚きたい。

好きな界隈で小さな問題を積み重ねた結果、大問題が生じてしまった。本当でなくとも取り返しがつかないもので、騒動の超初期からはみてない私でものらりくらりとしていた時期や声を上げた人が叩かれ撤退したときはあった。それでも問題のまずさが他の方面にも広がるにつれ、問題解決に向かおうとする傾向になってきた。解決のためのツイートrtされやすくなり、その後問題に関わる人が逃亡することはあれど、解決できるんじゃないかと願っていた。諸事情解決する前に終了宣言が出てしまったけど、今でも解決してほしいと願うことしかできない。

それでも愚痴垢という存在がなければ解決できたんじゃないかなと思ってしまう。自界隈の攻が受にされている超大手の界隈にはいい思いをされてないことは確かだけど、その界隈や他のcp界隈だろうと推測できる愚痴垢ばかりだ。いいね欄や問題が起きた時にあるcpだけ責めないからこそ推測してしまう。こっちはツイッターでもはてブにも自界隈のオーソドックスな風潮として二次創作の嘘を突かれたり、マシュマロという形で突撃されてたりする。

かに超初期〜初期の頃は追い出したり、発言しないということをツイートしてた創作者もいたし、かつてミーハーファンが全く関係ない人に凸ったということもあった(その時期いなかったけど)。だから愚痴垢とかいう触れたくないものが嫌いになった。

なのに、色んな愚痴垢を見に行ってしまう。無断転載している垢や自演箱を置いてる垢をみてまだ生きてるのかと残念に思う気持ちが少ししかなくて、どこまで堕ちるんだろうと愉しんでいる自分がいる。潰れたら残念に思うかもしれない。これ以上視界も、脳味噌も、神経の一つでさえ、愚痴垢をみて穢したくないのに、みてしまう。崇高なことを言っていても、その正体は他cp者ということが実際あった。許されないことをした。だから責められるのは当然と考えても、それ自cp邪魔から排除しようとしてるんじゃと思ってしまう。真面目に辛い。それでその他cp固定のファンが苦手になったりと影響がありすぎた。でも愚痴垢をみてしまう。やめたいけどやめられない。どうしよう

ドルオタチケットの買い方

地上アイドル数組と地下数組通ったくらいなのでほんの一例です

沢山買う(申し込む)

本人確認なしの場合に限る

抽選が激戦のため

 ファンクラブに複アカ持ってたり、親類、知人に頼みまくる。

 オタクネットワークがあるため、激戦チケットは余らない。身内優先でさばいて余ればツイッター等で募集かける。

 高値で売るやつも居る。やめてくれ。

 あと激戦っぽいことが予想されて結果そうでもなかった場合とか、知らん人は売り切れだからと諦めるけど、チケット自体は余ってたりしてモヤる。

良席(良番)確保のため

 抽選機会を増やせば当然、ステージとの距離が縮まる可能性が高まる低まるビスマルク

  当日まで座席からない等対策してるとこもあるが少数。

 当然余るので、定価~格安で売って次の資金に。チケット余るのも仕方なし。

 キャパに余裕ある時はいいが、枯れた場合などモヤっとする。

 そこそこ良い席を高値で売って、その金に自己資金を足してさらに良い席を買うなどというのも横行してるグループある(あった?)らしい。

応援布教のため等

 チケット余るだろうなーって時、とりあえず買う。

 デカめの箱に挑戦する「埋めるぜ○○」でありがち。

 とにかく買って、少しでも行きそうな人を誘ってみたりする。(安価だったり無料で)

 オタク馬鹿から社交辞令の「今度機会があれば見に行ってみたい」を鵜呑みにする。

 実際一般人誘うと苦い顔される。あと、他所オタク誘ったり、誘い合いみたいなのもあるが大体はハマらずに帰ってくる。

 アイドル本人が手売りしたり、チケットになんらかの特典が付いたりして運営オタクが一人で複数チケットを買うことを期待してたりする。

 売る方も買う方も建前は、友達誘って……なのだが、そう上手くは行かない。

 なんにせよアイドル本人から「増やん、沢山チケット買ってくれてありがとう」と言われたらとりあえず幸せ

複数枚買う

 1申し込みあたり2~4枚とか買えることが多い。その中で自分以外のチケットも買う。

 信ぴょう性はないが2枚とか4枚買うと席が良くなるというおまじない

 あと、買い忘れ、予定が不明、入金時お金無い等で申し込めなかったオタ仲間のための保険

 常にクレカの限度額いっぱい層が多数居るので、ほんとに4000円が払えないことも多々ある。

 ライブ近くになるとチケット代はおろかTシャツタオル等を買う余裕ができてたりする。

 なので1~2週間前に呼びかけると行きたいし行けるけどチケット無いオタク結構確率存在してる。

 日頃の布教活動が実って、申し込み時には興味なかった一般人や他現場のオタが同行者になるケースも。

 彼氏彼女が出来て理解してほしいから連れてくパターンもあるらしいが、レアだと思う。多分引かれる。

 過去に激戦のライブが多かったグループだと、2人で2枚ずつ申し込んで当たった方のチケットで二人行くとか、当選した〇日のチケット落選した△日のチケットを交換したりとそういうのが癖になってたりするので、なんとなくで2枚とか4枚とか買う人も居たりする。

 外れなさそうなチケットだと代表者が人数分申し込むオーソドックス

1枚買う

 普通

買わない

 結構多い。知り合いが多く、人望があると、全員1枚しか買えなくて、本人確認があるライブ以外は大体誰かが拾ってくれる。

 ツアー場合評判聞いてから良さげだったら当日で行けばいいかーとか。

 あと、ライブよりもオタとの交流が楽しくなってる場合もあり、誘われたら行くスタイルもまかりとおる。

2019-03-15

anond:20190316135724

いまのところラノベレーベルは大雑把に三つに分かれています

以前からラノベを扱っている文庫レーベル

少年向け:電撃文庫富士見ファンタジア文庫スニーカー文庫MF文庫Jファミ通文庫ガガガ文庫GA文庫講談社ラノベ文庫HJ文庫ダッシュエックス文庫

少女向け:コバルト文庫ビーン文庫ビーズログ文庫一迅社文庫アイリス講談社X文庫ホワイトハート

主にWeb小説書籍化を扱っている新興の大判レーベル

MFブックスカドカワBOOKSHJノベルスGAノベルガガガブックス・アーススターノベルGCノベルズ・レジェンドノベルス…

ライト文芸」と呼ばれる青年向けの文庫レーベル

メディアワークス文庫富士見L文庫集英社オレンジ文庫新潮文庫NEX講談社タイガ

「あえて突拍子もないファンタジーラブコメを読みたい」ということなら、最大手電撃文庫から探すのが無難だと思います

ガガガ文庫なんかは、いわゆるマニア受けする作品が多くて、変わり種を読みたいときに良いですね。

逆に「やはり落ち着いた恋愛小説などを読みたい」ということなライト文芸系を漁るのが良いと思います

既存ラノベレーベルのなかで言うと、ファミ通文庫あたりは青春もの恋愛ものに力を入れていたりします。

個人的オススメ作品はこのあたりですね。



読者の人気投票企画を二つ。

ひとつめは「好きラノ」。

Twitterを使って大々的にやっているもので、幅広く票が集まっています

https://lightnovel.jp/best/

もうひとつは「マニラノ」。

あえて投票条件を絞ったもので、マニア寄りの投票結果になっています

http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2019/01/06/190911

参考にしてみてください。

ついでにラノベの便利サイトを二つ。

ひとつめは新刊情報サイトラノベの杜」。

ラノベの杜

まあこちらは本格的にラノベにハマらないかぎり必要ないとは思いますが。

もうひとつニュースサイトラノベニュースオンライン」。

ライトノベル総合情報サイト ラノベニュースオンライン – ライトノベルに関するニュースを紹介

人気投票を毎月やってたりするので、そちらを参考にしてもいいかも。

2019-03-12

anond:20190311105933

『「はてなブックマークの人気コメントの致命的欠陥」の致命的欠陥』でマウントしてスターを稼ぐ最もオーソドックスタイプ

 

『「「はてなブックマークの人気コメントの致命的欠陥」の致命的欠陥」の致命的欠陥』を指摘するメタマウント野郎

マウント対象はてブコメントである性質上、ブコメトップにはなれない宿命を持つ。

 

「正しいデータこちら」と言って信頼度の高い統計データを示すURLを貼ることでスターを稼ぐタイプ情報価値の高さで勝負する。

 

タケノコ魔人タケノッコーン」って居たよな、とまったく関係ないが一部の人に刺さるネタで攻めるタイプ

 

「ふーむ」さん。スター獲得能力を捨て、相手もやもやさせることにステータスを全振りした異形のはてなブックマカー。

2019-03-11

幸せとか不幸せとか他人尺度で決めんな

 割と色んなことがあったと思う。この二十四年前後、多分稀有タイプ経験を散々してきているような気がしないでもない。その中で価値観として未だ存在するのは、やっぱり他人幸福も不幸も、その人だけのものであるということだ。社会のものさしで見て、これは不幸だ、これは幸福だと定義付けられる事柄事象は沢山あるのだけれど、結果的にそれを定義するのって体験した当の本人しかない。幸福も、不幸も、それが良いことか悪いことかなんて、当事者が決めるしかないと思うから

 という長ったらしい説明をするのには訳がある。私は今援助交際で得た収入で遊び暮らしいるからだ。

 特段可愛いわけではない。美人なわけでもないし、魅力もないと思う。強いて言うなら援助交際なんてしなさそうな真面目系の雰囲気で、コミュニケーション力はそれなりにあるから相手を持ち上げることも上手いらしくて、あとはセックスを楽しんでいるからっていう、それだけの理由で男の人が春を買ってくれている。勿論周りの知り合いはこんなことをしているなんて皆知らないし、私も言うつもりはない。だって、私が上記価値観をどんなに強く主張したって、周りが理解してくれるわけがないのだから

 仕事はきちんとしている。朝から夕方まできっちり働いて、日頃の生活費はそこから捻出している。むしろ微々たるものだが貯金も出来ているほどだ。じゃあなんで援助交際なんかするのかって言われると、理由はまぁ様々あるのだが、やっぱり自分好奇心を一番満たしてくれるのが援助交際からっていう理由が強いと思う、

 人は本能に従っている時が一番その人の中身を曝け出している時だと私は思う。食事を摂っているとき、寝ているとき、そして性欲を満たしているとき。どんなに真面目な顔をしている人でも、ちょっと喋ってホテル行ったらめちゃくちゃドMだったりするときもあるし、逆にチャラそうだなって思いつついざベッドに入ると、凄くオーソドックスセックスをする人だっている。外見や地位や年齢なんて、服を脱いでしまえば全部関係なくなってしまうのだ。そこにあるのは男と女と性欲だけなのだから

 貞操観念は勿論がばがばだ。正直こういうことを定期的にやり始めた辺りから恋人を作る気も結婚をする気もなくなってしまった。いや、元々私の恋愛対象女性寄りだから良いんだけど。仕事忙しいし趣味楽しいから、一人でも全然今は楽しい。後々寂しくなったりしたらその時考えようかと思う。

 ただ、面倒なのはやっぱり会った男性の中で「可哀想だね、こんなことしないとご飯食べられないんだ」みたいなことを言ってくる人が本当にうざいなと思う。相手は私が日中普通に仕事をしていることも、別に援助交際で食ってるわけじゃないということも知らないし、春を売ってる子の中には明日ご飯を食べられるかも分からないような子も沢山いるからそういうことを言っているんだっていうのも理解出来るけれども。何だかさも「俺は君に同情していますよ」みたいなスタンスが腹立つのだ。まるで春を売るのが不幸みたいな、そんな風にも聞こえて仕方が無い。

 自分尺度他人幸福や不幸を図るという感覚は割と横行気味だけど、図るまではしても仕方ないにせよ、それを口に出すの、今一度思いとどまって欲しいなと思う。それ、あなた勝手押し付けてるものさしの可能だってあるのだから

 あとコンドームしない輩と、ホテル行ってから金を払わずセフレになることを強要してくる輩はもれなく全員性病になれ。

2019-02-26

ボヘミアン・ラプソディをやっと見た

軽くネタバレっぽいかも。


本当に圧倒された。

まさに力技で見せつける映画だったなあと。


いや、冷静に見ればストーリーのものはすげー凡庸

なのでこれだけだったら、最近邦画かにありがちな、低予算コスプレ学芸会になっていた可能性すらある。


でもこの映画はそうならなかった。

しろ上述のような脚本にツッコんでる批評なんか吹き飛ばすような、観客から熱狂的支持を勝ち取ったわけで。

その原動力は、紛れもなくQueen音楽凄さ

そして、その音楽を核にした演出でグイグイ迫ってくる映像美。もちろん極めつけはラスト20分の長尺のアレである

素晴らしい音楽の前には、どんなことも些細な問題になるのは間違いないと思わせてしまう、打ちのめされるような美声ビート

からこの映画を見れば、誰でも必ずQueen音楽歴史的価値を再認識することになるだろう。

というか単純に、Queenサウンドが頭の中でリフレインして止まらなくなること請け合い


で、そういう内容になったのは、監督役者が二転三転した上に、撮影が始まっても監督ガーという事件が起きたりで、脚本自体は超無難オーソドックスにするしかなかったのかなーという気もしている。

それにフレディ・マーキュリーというパーソナリティ関係上、作り方を間違えれば往年のロックファンのみならず、LGBTクラスタからも厳しい批評が待っていただろうし。

まあ、よく作ったなあという感じ。

2019-02-21

都内の人どこのジム行ってるんだろ

何かぱっとしないんだよな

やっぱ狭いからか

 

都心から電車で30分以上行ったところにあるようなオーソドックスジムの方が良いわ

やっぱ都心ほどいい施設が見つからない

住むところじゃないっていうのはマジだったわ

2019-01-04

anond:20190104145029

例えば、オーソドックスな呼吸瞑想10分やるアプリがあるとして、それは瞑想ではないと?ちゃん不安効果があることは証明されてるのに?

うん

例えば「本格的ウエイトトレーニング」って言いながらラジオ体操やらせたとする。

ラジオ体操でもたぶん運動しないよりは何らかのいい効果はあると証明できる。

からラジオ体操ラジオ体操としてやりたい人はやればいいけど

「これがウエイトトレーニングなんだ!」っていうのは「違います」になるし「勘違いを招くからウエイトトレーニングと名乗るのはよくないです」ってなる。

無駄ハードル上げすぎると、初心者が気後れするだけだぞ。

瞑想」というなら瞑想を紹介するべきで

それがハードル高いと言われたらどうにもならない。

瞑想じゃないもの瞑想ですって教えるのは反対。


っていうかアプリで10分ちょっとリラックス法をするのなんかと瞑想とは効果が比べ物にならないよ。

なんでアプリ固執するのかわからない。

anond:20190104144818

例えば、オーソドックスな呼吸瞑想10分やるアプリがあるとして、それは瞑想ではないと?ちゃん不安効果があることは証明されてるのに?

無駄ハードル上げすぎると、初心者が気後れするだけだぞ。

2018-12-25

爆音現実逃避

イヤホン/ヘッドホンから爆音音楽聴くことにはまっている

はまる理由は二つ。

一つは、映画で観た天才キャラの真似をすることで、自分天才になれると信じているから。

発達障害検事が難事件解決していく映画で、主人公は幼少期のトラウマから障害持ち。

極めて凡人な私と作品の中にしか存在しない空想天才を重ね合わせ、薄っぺら天才を演じようとしている。

したことない、一般的な悩みを抱えた自分を認められず、そこから逃げ出す一つの手段

二つ目は、爆音音楽を聴いている最中は、私を苛立たせるいくつかの大きい問題を、その時間だけ忘れられるから

これは思いもよらなかったことで、鼓膜が爆音振動している間は仕事のこととかを考えずに済む。

何故かはわからないが、メカニズムなどどうでもよい。

朝でもよいし、夜でもよい。

とにかく、考えたくもないことから一瞬でも逃げられることが大事で、そのおかげで今日という日をまた生き延びることができている。

聴く曲は気分によって変わる。

一般的(と信じている)な気分の良い日は、オーソドックスなポップ。

極めて前向きな歌詞とアップテンポメロディにあわせ、私の気分も上がっていく。

気分が上がらない日、もしくは死にたいなどと考えてしまう日は、歌詞意味を持たない(かのような)曲。

一番は平沢進で、次点神聖かまってちゃん

特に平沢進お気に入り

時間のある時は、あわせて映画も見る。当然、今敏

まらない日常に、少しの癒しになっているのだろうか。

2018-12-23

anond:20181223182722

一気に並べてみる

オーソドックスな書きかた

int i;
int space;
for (int i = 0; i < 8; i++)
{
	for (space = 0; space < i; space++)
	{
		printf(" ");
	}
	printf("Hello world\n");

}

すまん <は半角の<に置き換えてくれ(w)

バッファをつかってループを1つ削る

	int i;
	int space;
	char buffer[8];
	char buffer2[8];
	memset(buffer, 0, 8);
	memset(buffer2, 0, 8);
	for (int i = 0; i < 8; i++)
	{
		memset(buffer, 0x20, i);
		printf("%sHello world\n",buffer);

	}

memsetも削ってみる

	int i;
	int space;
	char buffer[8];
	char buffer2[8];
	memset(buffer, 0, 8);
	memset(buffer2, 0, 8);
	for (int i = 0; i < 8; i++)
	{
		buffer[i] = 0x20;
		printf("%sHello world\n",buffer);

	}

この場合特に影響はないが一般的にはmemsetを使う使わないは大きな影響になるので

memsetを削る場合は注意が必要

C++を使ってみる

	std::string space;
	for (int i = 0; i < 8; i++) {
		printf("%sHello world\n", space.c_str());
		space += " ";
	}

C++を使ってみるの別回答

	std::string space_org;
	for (int i = 0; i < 8; i++) {
		std::string space = space_org + " ";
		printf("%sHello world\n", space.c_str());
		space_org = space;
	}

考察

ざつにかんがえても 書き方いろいろ 

それぞれメリット デメリットが有る

まり まぁ どれがいいというよりは

状況に応じてかき分けていく必要がある

学校の授業などだと

アルゴリズムの話で

ヒープソート マージソート クイックソート比較みたいな話があるけど

そこまで難しい話にいかなくても

ハローワールドだけ見てかつ雑に考えてもこのぐらいは

書き方がたくさんある

どれを書くか?どれがいいか? 考えると面白い

2018-12-17

最近スマートフォンって高いですよね

でもその分、機能もどんどん上がってきてはいますが。

例えば、同じメーカーの最新CPU有機ELディスプレイを搭載し、メモリ4GBで10万円、6GBで15万円という2つのスマートフォンがあったとすれば、あなたはどちらを買いますか?

最近ゲームが求めてくるハードスペックも上がっているので、メモリは多いに越したことはないです。メモリが少ないと、マップを開き、ブラウザを開き、メッセージアプリを開き、そしてメインのアプリを立ち上げたりすると、バックグラウンドに回したアプリがいつの間にか終了されている…タスクキルになったりします。とは言え、メモリのためにあと5万円も出費するのは痛いですし、普段操作なら4GBで充分と言えば充分です。まぁそれは、何に重きを置くかの選択なのでしょう。

ちなみに、値段が逆だとすればどうでしょう。4GBで15万円、6GBで10万円です。まぁこれは愚問ですかね。

では、これらはすべて今話題中国製だとすればいかがですか。そもそも中国製と聞いた時点で自分絶対買わないって? まぁそう言わずに。最新CPU台湾製有機ELディスプレイ韓国製であることも共通していますもっとも、今はグローバル社会で、どこで生産するかなんてあまり意味のないことではありますが。OEMなどもありますからね。

さて、話の流れから分かるかもしれませんが、これらは実際に存在するスマートフォンなのです。4GBで15万円も、6GBで10万円も実在しています。一体どんな価格設定なんだと思いますよね。前者がぼったくり価格なのはもちろんですが、後者もそれはそれで安すぎる気もします。ところが他のものと見比べてみると、どうやら後者の方がよりオーソドックスに近い値段設定であるようです。

それでは最後名前を明かしましょうか。前者がApple iPhone XS Maxで、後者Huawei Mate 20 Proです。

最新CPU:7nmプロセスルールSoC 台湾TSMC

有機ELディスプレイ韓国SAMSUNG

糸偏がヘタクソだった(追記

社会人になってからめっきり字を書く機会が減ってしまたから忘れていたんだけど、子供の頃私は糸偏が綺麗に書けなかった。

仕事上なにかを書くときアルファベットなことが多くて、丁寧に字を書くことなんて滅多にないから忘れていた。さっき珍しく部署内の人への書き置きを書いていて思い出した。

小学生の頃、フランス日本人学校に通っていた時期があった。駐在年数の長い子が多い学年で、みんな少し日本語おかしかった。いろんな地域方言や、英語仏語独語単語が滅茶苦茶に混ざったニホンゴで会話していた。珍しく出入り(転入帰国)の少ない学年だったこともあって、とにかく言語への頓着が薄かったんだと思う。

「書き」に関しても同じで、綺麗に文字を書こうという意識が、少なくとも私にはあまりなかった。高学年になれば「日本にいた頃習字教室に通っていました」というような子がひとりふたりいたんだろうけど、残念ながら低学年のクラスには母国スキルを蓄積している子はいなかった。両親がこどもちゃれんじと青い鳥文庫を根気強く与えてくれなかったらどうなっていたんだろうと思うとゾッとする…高かっただろうにありがとう。まだ英語和訳みたいな文章書いちゃうけど、なんとかなってるよ。

小2の春だったかな、そんな学年に日本から転校生がやってきた。訛りのない標準語を話す、おっとりした女の子だった。口数の少ないおとなしい子だったけど、私たちにとって彼女台風みたいな革命児だった。

彼女私たちに「日本」をたくさん持ち込んでくれた。まず、たまごっち。誰かの誕生日パーティーの席で耳慣れない電子音にざわつく私たちの前で、彼女は恥ずかしそうに「ごめん、私のたまごっち…」とポシェットからさなおもちゃを取り出した。衝撃だった。彼女がそれを操作するのを、みんなで息を潜めて凝視した。平城京スマホをいじったらあんな感じの視線を浴びると思う。彼女まさか同い年の子供がたまごっちを知らないとは思いもしなかったみたいで、徐々に衝撃から解放された同級生たちから質問攻めにされて目を丸くしていた。その日から彼女たまごっちは学年中(2クラス35人くらいだったかな)の関心の的で、毎朝進化たかおやじっちは来たか、何か変わったことはなかったかと聞かれていた。私は彼女と同じ通学バスだったので、朝家まで迎えに行くついでに、玄関で見せてもらっていた。いま思うとまじでうざいな。

次に衝撃的だったのが、あたしンち海外生活する子供にとって、日本漫画はとてつもなく貴重だった。小説日本語の発達を懸念した親に買ってもらえるけど、漫画はなかなか入手できなかった。誕生日や、一時帰国中に買ってもらった子はヒーローだった。数少ない母国の娯楽なので、家にある漫画は片っ端から共有した。ガッシュコロッケNANAGALS!犬夜叉コナンボーボボ神風怪盗ジャンヌ、ケシカスくん、フルバナルト、もうとにかくなんでも読んだ。

でも所詮小学生不条理ギャグ漫画とマセた少女漫画ファンタジーバトル漫画しかなかった私たちラインナップに、彼女のお母様が好きだという「あたしンち」が加わった。

ただの日常漫画だけど、それが私たちには衝撃だった。なんせ、知らないのだ、日常を。スーパータイムセールも、放課後の買い食いも、制服給食も、私たちにとっては未知の世界常識だった。おしゃれな少女漫画じゃ描写されない日常ネタは最高のエンターテイメントだった。ディスカバリーチャンネルでも見てるみたいだった。

レモン石鹸ミックスベジタブル、二枚組のトイレットペーパーなんて概念は完全にあたしンちから学んだ。お子さんを連れて海外赴任されるご予定のある親御さんは、日常漫画アニメにすぐアクセスできる環境を整えておくといいと思う。本当にどんな教科書よりためになった。

最後、本筋からだいぶ逸れちゃったけどこれが一番書きたかたことで、彼女は硬筆の書写がとても上手だった。小学校入学から教室に通っていたらしい。

先述の通り「綺麗な文字」という概念がすっぽ抜けてた子供だったので、彼女漢字練習帳はあまりにも衝撃だった。で、「組」だったか「紙」だったか忘れたけど、びっしり並んだ完璧な糸偏を見たとき彼女への憧れがMAXになった。大人みたいな字を、同い年の子が書けるんだ!すごい!かっこいい!私も書きたい!それと同時に、もしかして日本を離れている私は母国の子供に比べて知識技能に遅れを取っているんじゃないか不安にもなった。その日家に帰って最初に両親にその目標を伝えて、大喜びの2人に日本スーパーで小さな漢字ドリルを買ってもらった。糸偏だけじゃなく、苦手だった「女」も「海」も「方」も「子」もたくさん練習した。

日本語を書くことに抵抗がなくなったのはあれがきっかけだったと思う。周りの同級生彼女の綺麗な書き文字オーソドックス標準語に感化されて、国語学習に意欲的になった。本当に、彼女私たちに大きな革命を起こしてくれたんだ。

他にもナルミヤの子供服とかプロフィールシートとか、転校生ちゃん私たちに教えてくれたものはたくさんあったんだけど、どれもあの日本人学校っていう特殊コミュニティにいた私たちには衝撃だった。これが生まれたのが全部自分母国なんだって思うとゾクゾクした。いつか帰るのが堪らなく楽しみになった。そんな8歳の思い出である

………なんてことを、久しぶりにペンで丁寧に文字を書きながら走馬灯のように思い出していた。細田さん、締切日変更の連絡がありました。お席にお戻り次第メールボックスをご確認ください。



12/19 追記

たくさんの反応をいただいて驚きました。訥々と昔語りをしてしまって今更ながら恥ずかしいです。目を留めてくださってありがとうございました。

以下、だらだらと長い蛇足になります。まとめるのが下手でごめんなさい。

日本人学校について

紛らわしい書き方をしてしまってすみません。ひと学年ふたクラス、合計して35人弱でした。正確な人数は覚えていません…というか、何ヶ月かに一度は転校生の出入りがあるので常に変動的でした。日本人学校の規模としては大きい方なのではないかと思います

これは余談なのですが、フランス日本人学校はかなり郊外にありまして、在籍する小学1年生から中学3年生までのほぼ全員がスクールバスで通学していました。大型バスで、人数の多い地域複数台。あんなに大きな国なのに日本人学校は一校しかなくて、かなり遠くから通っている子もいました。渋滞で遅れて3限目にやっと到着、なんてのはしょっちゅうだったように記憶しています

これは後に両親から聞かされた話なのですが、「自分の国の学校があるんだからうちに来なくてもいいでしょう」と日本人の編入拒否する現地校が多かったようです。生徒数が多かった理由ひとつかもしれません。

漫画について

漫画は片道1時間以上の通学バスの中で読みました。先述の通り乗車している児童生徒の年齢幅が広いので、有象無象ジャンルが飛び交います。…飛び交うというのは言葉通りで、読了後は座席に膝立ちをして、「愛してるぜベイベ2巻読みたい人!」と叫ぶとどこかの座席から返事とともに頭がひょっこり出てきて、その子目掛けて投げる、という方法漫画の貸し借りをしていたんです。自分のものですらない漫画を。今思うと血の気が引きます子供とはいえ酷い扱い方…猛省です。何十人規模での読み回しに耐えた漫画は手元に戻ってくるときにはボロボロでした。高学年の男の子たちはアドバンスパワプロやってたなあ。

私が渡仏していたのは2001年から2005年頃までなので、その間もしくは以前の漫画は幅広く読みました。素敵な体験でした。

・現地での生活について

日本人学校に通っていると、現地の子供と接する機会はほぼありません。現地の習い事等に通っていれば別かもしれませんが…。地元サッカーチーム水泳クラブに入っている子もいたような気がします。フランス語の授業もありましたが、あくま第二外国語的扱いで、あまり熱心な内容ではありませんでした。

転校生ちゃんについて

まさしく、私のヒーローヒロイン)です。近所だったこともあってとても仲良くしてもらいました。私が先にフランスを離れてしまい、年賀状のやり取り程度はしていましたが、いつの間にか疎遠になってしまいました。当時の友人たちとはSNSで繋がって十数年ぶりに再会して飲みに行ったりすることもありますが、残念ながら彼女の話は聞いたことがありません。元気にしているといいな。

・不肖、私自身のことについて

渡仏前後に別の国で生活しましたが、それぞれ現地校へ通う機会に恵まれたので日本人学校で過ごしたのはフランスだけでした。あの日々がなければミックスベジタブルどころか起立、気をつけ、礼すら慣れない状態帰国していたことになります。本当にありがたいことです。親からもこどもちゃれんじから漫画からも学ぶことのできない日本独自学校文化、たくさんありますよ…前へならえとか体操隊形に開けとか…。逆上がりや二重跳び、跳び箱なんかは日本人学校の体育でできるようになっておいて心底よかったと思います

それなりの年齢で帰国して普通に大学まで卒業させてもらい、今はメーカー海外営業をしています。いろんな国に住んだし、仕事海外へ渡る機会も多いですが、私には日本が一番合っていると感じています

細田さんの締め切りについて

部署での案件が絡み、1週間後ろ倒しになったとのことでした。優しい先輩ですよ。

2018-12-14

西洋ファンタジーが苦手。いわゆる指輪物語とかそういうオーソドックスなやつ。

SFは好きで、宇宙人とか他の惑星種族とかは出て来てもすんなりと受け入れられるのに、エルフだとかオークだとか、どうも西洋ファンタジー世界キャラ文化がまず受け付けない。スペース(宇宙)要素がないからか?

魔法を使うアニメとか、呪術を使う中国やら日本東洋ファンタジーは好きなんだけど、西洋ファンタジーのそういう不可思議な要素も見ててしっくりこない。

ハリーポッターは一応映画は全作見ているし嫌いではないが、見ているとなんというかこう、モヤモヤするモノを終始感じていた。だからストーリー的には楽しんだけど、設定とか魔法など他のファンみたいに見ててもワクワクする事はなかった。

今だとゴブリンスレイヤー西洋ファンタジー感ある作品だけど、正直ストーリー面白いので好き。

ただ、やっぱりキャラだとか、あの世界の文化がどうも抵抗感があって全てを受容できない。見続けるけどね。

あと、このピンポイント問題はもはや個人的性癖問題から仕方ないけど、子供の頃からエルフ耳が苦手なのでエルフキャラはどうも好きになれない。だからその手のエロもあまりピンと来ない。

からなのか、ゲームでもTESシリーズオブリビオンスカイリム等)はそういう世界観なのでそんなに惹かれない。エロMODで遊べるという理由で惹かれはするけど。

反面、フォールアウトシリーズSFバリバリあるので好き。

ファンタジーでも神話だとか、上記も書いたけど東洋ファンタジーはとても好き。西洋とは何が原因でこんなに好き嫌いが別れるんだろうか。

ディズニーUSJは、昔からその手の作品見て育ってないと、ディズニーランドUSJに全く魅力感じないって聞いた事あるけど、これもそういう理由か?<幼少期から西洋ファンタジーに馴染みがない

(実際、私も子供の頃からディズニーなどに馴染みがないのでランドUSJに全く惹かれない。)

2018-12-07

追記有】イマジナリーフレンドと生きている

イマジナリーフレンドと呼ぶと格好付けになる。実際はただの架空の友人。

私は幼少期から親の都合で関東転々としていて、同じ家に5年以上住んでいたことが1度しかない。最長で8年。

そんなわけだから新天地友達を作っても、どうせ長続きしないだろうと諦めて越すと同時に縁を切ってしまう。虚しい。

携帯を手に入れてからは人と繋がることが容易くなり、1年に1度でさえも会う事は無いけれど連絡は時折とる、そんな知り合いも増えてきた。

それでも虚しいし、寂しい。

小中高と同じ出身人達を見ると胸が苦しい、幼馴染という概念が羨ましくて仕方ない。

同級生達が卒業式後の打ち上げの話をしているのを見て喉を掻き毟りたくなった。

片鱗は以前からあったけど、はっきりと自覚して架空の友人を作り上げたのは高校転入時だ。東京から他県の田舎寄りの高校に転校した。

前の土地ではどんな風に友達と過ごしてた、とかオーソドックス転校生への質問だったと思う。

私はAという友達とどこそこでよく買い物をした、映画を見た、食事をした、そう答えた。

今にして思えば見栄なんだけど、架空の友人を作る人なんて大概虚栄心じゃないか

Aは最も長く過ごした土地で出来た仲の良い同性の友人で、私の一番の理解者でもある。8年ほど前に生まれ存在だが、設定からいえば16年ほどの付き合いだ。

人生の半分以上を共にした人間。もはや家族に近い感情を抱いている。

彼女に救われている一方で、彼女に囚われているとも自覚している。

彼女存在することで救われているから、彼女存在しないことを突き付けられる度に、絶望しそうになる。

私はツイッターアカウントをいくつか持っていて、その中には俗に言うリア垢が存在する。

私だけではなく、Aのアカウントもある。

実在性を上げる為だ。

誰のためでもなく私の私による私のための生産性のない行為

私が新作の映画を見ればAは「私も気になってたんだよね」と呟いてくれる。

私が誰かと食事をすればAは「どこのお店?今度連れてってよ」とリプをくれる。

そんなかんじだ。

別にAが私と会話をする為のアカウントではなく、Aはこの本を好むだろうと感じた本を読んで感想を呟いたり、彼女ならこんな曲を好むだろうと他人伝いで見つけた知らないバンド新譜を買って写真をあげたりする。

直近だと、出演作もろくに知らない俳優写真イベントに飛び入りで参加などした。Aが好みそうな顔をしていたから。

時折よく会話をしている鍵垢は誰?と聞かれる。他人の会話覗いていることよく口に出来るな、と思いつつも自分でも同じことをしているのでなんとも言えない。(みんな見てるよね?)

過去に住んでいた土地親友、と答えている。

彼女は私の中で生きていて、嘘はついていない。

彼女は私なくして存在する事はできないし、私も彼女なくして生きる事はできない。

大学も出て社会人になっていい歳してなにをしているんだろう、とも思う。

今日も私はイマジナリーフレンドと生きている。

追記

私と彼女生活「日常」の一コマで、平生の延長線上にあるものだ。だからトラバブクマコメで、漫画映画といった「非日常」的要素を挙げられて驚いている。

自分にとっては大したことない行為(勿論私の中で占める割合は大きい行為)でも、他人にとってはフィクションに該当するんだな。当たり前のことなのにアハ体験価値観アップデートが行われた。

このエントリ?を書くためにアカウントを取得したので、返信の仕方がわからない。追記方法も間違っている気がする。

からも反応が無いまま消えるのだろうとわかりつつも、彼女を私の中で生かし続ける後ろめたさからこのエントリを書いた。

でもありがたいことに(?)少し反応をいただけて、その瞬間だけでも擬似的に彼女他人の中で存在することができたから、嬉しい。

ブクマコメに「自分死ぬと同時に彼女死ぬんだし」という言葉があった。

私が死ぬ彼女死ぬという言葉ガツンと後頭部をバットで殴られたような感覚。そうか、私が死ぬとAも死ぬんだ

本人にそんな意図ないのはわかってるんだけど、なんとなく長生きしようかなと思えた、ありがとう。これが言いたかっただけ。

それだけの追記です。

2018-11-28

anond:20181128024805

ようこそ、ベジタリアン世界へ。元々魚は食べなくはないが肉は一切口にしないベジタリアンです。肉使ってない料理ほとんどない中華アジア系エスニックの店は、基本的に食べるものがないです。友達と飲みに行くときは、冷奴とか厚揚げとか枝豆があるオーソドックス居酒屋ほとんど。最近ヴィーガン対応の店も増えてきたけど、そのへんにそうそうあるわけではないから、日常選択肢にならないんですよね。

元増田糖質避けたいようだし、魚受け付けないとなると出汁が厳しいかもしれないけど、私は、外食は、そばうどんが多いです。きつね(油揚げ)、とろろわかめ大根おろしなど。卵が食べれるのなら、月見そばうどんという選択肢もあり。

あとは既出だけどイタリアンスパゲッティアラビアータペペロンチーノなど、またリゾットピザなど、野菜乳製品しか使っていないメニューはけっこうある)、インドネパールカレー店員さんに「ベジタリアンです」と言うと話が早いよ)、お好み焼きもんじゃ焼きかつおぶしさくらえびダメでも、店の人に言えば抜いて作ってもらえる)。食材としては、じゃがいも料理アボカド料理は、特にベジ向けのお店でなくても、かなりの確率でベジ対応じゃないかなと思います

あと、牛丼吉野家に「ベジ定食」ってのがあるみたいですよ。私は店内の肉の臭いで気分が悪くなるので吉野家には入れないんだけど……。チェーン店なら「てんや」が野菜だけで食事ができます。天つゆが魚の出汁なので、それがだめな場合は、「マイ塩」を持って歩くべし。天ぷら専用なら、抹茶塩やカレー塩を持ってると通な感じ(「てんや」にはオーバースペックかも)。

ベジタリアン協会」が、レストランリストを出してるから、それも参考になると思います

http://www.jpvs.org/menu-restaurant/

2018-11-24

タンパク質は腹持ちがいいという驚愕事実

摂食障害過食症)なんだけど、まあわかりやすく言うとDE・BUなんだけど、なんで過食するかって腹が減るからなんだよね。もう常に食べてないと腹ペコあおむし。それがさあ、これ以上太るといろいろやばいって医者に言われるとこまで来てしまい、しゃーなしにオーソドックスダイエットはじめたのね。タンパク質食って筋トレしてテキトーに歩く。んでびっくりしたんだけどタンパク質ってすごい腹持ち良くてあんまりお腹すかない。必要タンパク取ったらマジで胃のスペースが余ってなくて過食する余裕がない……今まで朝飯食って10時ごろこっそりおやつ食べる必要あったけど、今もそりゃ食べたいけど飢餓感がない。すごい。

2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

基礎が大事ということへの違和感

競技歴がもう10年はとうに超えていて、トップレベル選手とも親交があるけれど、いまだに基礎が何かがわからない。

立つ、構える、重心を動かす、歩く、走る、飛ぶ、着地する、打つという動作についていまだにいい方法を探り続けている。

2週間ぐらい研究すればやりかたは大きく変わるし、人によっての個性もかなり大きい。

子供指導するときオーソドックスなやりかたを教えるけど、保身のためにそうしているだけでそれがベストとは思っていない。

オーソドックスなやりかたは相手から見てわかりやすいので、結局センスがいい人が勝つやり方だ。

基礎が大事というより、自分のやり方を練って練ってというのを強調したほうが、スポーツがよいものになるのではと考えたりする。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん