はてなキーワード: オーソドックスとは
たとえば、商業と同人の一番の違いって、「厳密な締め切りがない」「イラストに対する細かなリテイクがない」「好きなものを描ける」あたりだと思うんです。だから、そういった「イラストレーターさんにとっての片手間・息抜き」になるような発注ができると、多分喜んで描いてもらえるのでは、とは少し思っています。基本的に、イラストレーターさんは描くことが好きなひとたちだと思うので、「描くのが苦痛」にならないような発注ができると、お互いにとって幸せな依頼になる。これは商業だとやりがい搾取になるからできない=同人だからできることだと思います。
うーんどうだろう
厳密な締切がない→ある。なんなら本当は融通がきくけど早割がいいから(発注者が数千~1万円程度得する)という理由で早まる。越えようもんならその分負担してくれない?みたいな空気出される or ○○さんの表紙が間に合わないので発行延期ですと発表される恐怖
細かなリテイク→する人はめちゃくちゃしてくる。元増田のように言わないくせに不満抱える場合も多い(商業なら仕事として当然言ってくれることも)そして金額アップは確実にない。商業のほうがまだそのあたり限度ありそう。
好きなもの描ける→だいたい苦手な構図の指定がくる。絵を描かない人の「こんなのが理想~!」っていうのはだいたい絵を描く人が嫌がるものなのかもしれない…。好きなものは面倒じゃないものなので背景は単色にとかやると、ご存知の通り「ひどい!あんまりだ!」という反応が待ってる
「描くのが苦痛」にならないような発注→そう、これを安易にやろうとして「おまかせ」という言葉が飛び交うわけだが、それが増田の落ち度としても語られてたよね
やっぱり「ある程度の仲の良さ」が全てな気がする。リテイクいえる空気か、安くても許せるか、作品を熟読して反映しようという気力が生まれるか、全部。
個人的には一緒に泊まりで遊んだことがある相手なら二つ返事でOKというかんじです。
このひと、「表紙を描いてもらいたい」んじゃなくて、「こちらがあれこれ指定しなくても自分の話を汲み取って表紙を描いてもらえるほど自分の小説を愛してもらいたかった」のでは…??
なんて意見がバズってたけど、多分そのとおりで、あれの問題は金額でも依頼方法でもなく、人気絵描きにそのくらい好かれたかったって話だったんだと思います。
大ファンの相手の作品を発表前に読ませてもらえるだけで得したって思えるし、この話がいかに最高か伝えたいという気持ちで張り切ってしまうのは、それだけ好きだからなので。
そういうやりとりを見て、自分もああされたいと思っちゃったんだろうなあ。
なので「字書きが人気絵師にバリクソ好かれるオーソドックスな方法」みたいなの書いてくれる人がいれば、増田は救われるかもしれない。
動摩擦力よりも静止摩擦力の方が大きいから、動かし始めの方がエネルギー消費するってやつ。
やんなきゃいけないことも、やり始めの段階が一番エネルギー消費するから、逃げちゃうんだよな。
オーソドックスだけど、やるべきことを細分化して、やり始めのハードルを下げてあげるのがいいと思う。
困難は分割せよって言うし、プロジェクト管理の手法にもWBSってのがある。
まぁどうやったら気軽に着手できるか、最終的には自分の性格を分析するしかないよね。
フロー状態に入ることが習慣づいているモンテッソーリ教育を受けた子なんかは、集中することが快感になってるからこういう逡巡はないって聞く。
うらやましいよな。
私立の高校で教師してる。生徒は真面目で大学進学希望者がほぼ全員なものの、勉強は少し苦手な子が多い。トップ層は偏差値60くらいの大学へ行くくらいの分布。
で、タイトル。今まではオーソドックスに、どこ出るか分かんねーから範囲はまんべんなく勉強しろよーという感じで指導してきた。真面目な子たちだから努力はある程度してくれる。でも結果が出ず、黄チャート(自分は数学の教師)すらままならない三年生になってしまうこともしばしばだった。
そんで、もう思い切って、この問題とこの問題とこれとあれとが出ます。数字と、少しだけ条件はは変えます。論述は厳しくチェックしますみたいに実験的に変えた。
すると、全体的に模試を含め数学の成績が上がった。とにかく基本を素振りのように頭に叩き込ませることにちょっとだけ成功できたのかな……どうだろう……って感じ。
出す問題は黄色チャートから選んだ。なぜこうなるか、問題を絞ったことで定義や定理や考え方からじっくり説明できた。ただこれだけじゃ難関大学は厳しいんだけどね。できることが限られてる……
あ~私と同じようなことをしている人がいる。私はノートとかメモ帳とか大判の付箋(罫線入りで、職場の消耗品の付箋より2倍ぐらい大きいやつ)とかついつい買ってしまう。
どうせ108円の代物なのになぜか勿体なくて使えないこと多数。職場では味気ないノートに時系列でメモを書きなぐっているが、本当は付箋かルーズリーフに書いて、内容の分類別に並べ替えたりするのが有効なんじゃないかと思っている。
「バレットジャーナル」なる手帳術が流行っているようでやってみたいけど、スケジュールから何から全部手書きで、目次まで自力で作らないといけないという恐るべき代物である。これだと普通のノートを手帳にできるんだが、「手帳を書く」という行為自体を楽しめないと無理。
で、付箋の話に戻るけど、オーソドックスなところで「お買い物リスト」とか書いてみたらどうかな。ビジネス雑誌の手帳術だと「叶えたい目標を書く」とかあるけど、それはどこまで実現可能か微妙なので。あと、「時間があれば行ってみたい場所」とかリストにしておくのも良いかも。特に日帰り圏内でちょっと時間ができたら行けるところが良いんじゃないだろうか。
思いつきでいろいろ書いたけど、大きなお世話だったらごめんなさい。
ワートリ面白いですね。
面白いですが、ランク戦がついに最終ラウンドで、この先は遠征選抜の話と、遠征編が予想されるため、B級の未登場隊はさすがにもう出番がある可能性は薄そうです。
瞬殺されたあの二隊もまあ未登場みたいなもんですが、一応登場してるので書きません。
隊長とオペの二人部隊という、特徴的にも程があって、語りたいことが多すぎる。
漆間隊長のトリガー構成もサイレンサー、ダミービーコン、カメレオンなどの隠れたり撹乱したりの装備が入っていて、どんな戦い方をするのかとても気になる。
作中では未だに未登場ながら、ランクがどんどん落ちている様が描写されていたり、鈴鳴第一、那須、柿崎との対戦で二点とってたりと、気になる描写がとてもある。
二人部隊って構成は、ワートリで避けられがちだった「隊員同士の恋愛」的にも妙に気になるところもあったりと、とにかく色々と気になる。
ガンナー1位では? なんて妄想もあったけど、今月号でガンナー界隈の話題で触れられることもなかったから、登場してほしいけど予定はまだなさそう。
ただ、ランク戦の次は遠征選抜で、これはB級隊員もチームやそれと関係なく選ばれると言われているんだよね。(村上とか東さんとか)
それだけに遠征選抜編みたいな工程があるなら、そこで出てくる可能性もあるのかしら。
レッドバレット、トラッパー、ダミービーコンと珍しい要素特殊なトリガーが揃っている割に、B級15位と振るわない成績。
「知恵と工夫が間違った努力になっちゃった玉狛第2」みたいな印象。
ただ、こういうチームが下位にいるのは、ワートリの世界観の厚みをとても感じて好き。
レッドバレットなんか三輪とかチカとかの強いキャラが使ってるし、ユウマの黒トリガーでもコピーして使われてたりで、作中でデメリットも散々強調されているものの「強武器」のイメージがとてもあるけど、
こうやってB級15位の隊長も使っていることを考えると、確かに相応のデメリットがあって使いこなすのが難しいんだろうなあという印象。
そんな世界観の厚みを感じるだけに、松代隊から見た結成したシーズンにA級に王手をかけれてる玉狛第2がどう映って見えるのか? みたいな描写があると面白そう。
なんなら、修を高評価する太鼓持ちキャラ…… まで行くとやりすぎか。
トラッパーの箱田くんは、A級未登場キャラ喜多川真衣ちゃん登場回と目される「トラッパーこたつ会議編」に内定決まってるから、普通に登場しそう。(トラッパーこたつ会議編、まじでやらないかなあ。それこそ修のトラッパー転身はよく言われる話題だけに、トラッパー界に新しい波こない?)
オペの桜子はかなり出番あるけど、未だに他のメンバーは未登場の海老名隊。
オールラウンダー、スナイパー、アタッカーのかなりオーソドックスなメンバー編成。
作中で中位に上がったことが明言されているけど、未だ未登場。
トリガー構成にあまり取っ掛かりは無いけど、茂手木くんのスコピ+グラスホッパーの構成はユウマや緑川で散々活躍してるわりにあまりいないから、これも「作中で強いキャラが使ってるから強そうだけど、当然使い手による」系を示唆してて面白い。(他は香取ぐらいかな、オールラウンダーだからまたちょっと違うけど
おそらく、サブの方にしか入れてないから、乱反射はまだ使えなさそう。
B級下位唯一の五人チームであることに加えて、サイレンサーを全員装備していてかつバッグワームをサブの一番上にもってきているなど、割と取っ掛かりがあるチーム。
このサブにバッグワーム、サイレンサーの順序で並べるのは、あの漆間隊長と同じ構成なのも、何かしらの意図を感じなくも無い。(実は常盤隊から漆間隊が独立した、はたまたその逆? とか?)
サイレンサーにこだわりがあるあたり、 そういうコンセプトチームなのかもだけど、いかんせんサイレンサー自体がまだ未登場なのでよくわからない。
五人チームも「三人で戦うより四人で戦う方が有利でしょ」とオペレーターの負担というデメリットが言われててもなお思うことへの反証として、こうして下位にいるのはそれらしさを感じる。
ただ、三人チームの茶野隊より順位が下なのはさすがに色々と理由づけがしりたいかも。
トリガー構成にも殆どとっかかりがないし、語れることがないな。
ちょっと思ったのが、丸井のスタアメーカーは、常盤隊のサイレンサー対策とかだと面白そう?
(諏訪のスタアメーカーが風間対策みたいな妄想をよく聞くけど、それも込みで、そもそもスタアメーカーはそういうのの対策になるのかな?)
海老名隊長も早川隊長も、隊長だけあってB級下位ながらオールラウンダーは名乗れてるんだよね。
ある程度点数を稼がないとオールラウンダーにはなれないから、まあ少なくとも近中両方のトリガーを装備しながらオールラウンダーではない巴あたりよりは強いの、かなあ?
テクニックは勿論、顔やスタイル、性格に至るまで俺の理想とするオキニの嬢で、向こうもLINE交換提案してくれるほど仲良くしてくれてたので、卒業と聞いたときはかなり胸に来た。
でも、写メ日記よりも先に引退報告のメッセージを送ってくれたのは嬉しかった。
どうせ最後なら何か思い出を作りたいと思い、オプションで初めて「撮影」をやってみることにした。
今思えばこれが間違いだった。
指名予約は滞りなく進み、なんとか店の最終時間にねじこんでもらえることになった。
プレイルームに足を踏み入れた瞬間に寂寥感を抱いた。夜中の静かな時間ということもあり、寂しさがこみあげてきてなんだか泣きそうになった。
向こうも少しくらいは寂しさを感じてくれているのか、「もう会えなくなるなんて寂しい」って3回は言ってくれたと思う。目が合うと自然にキスしていた。
嬢は30代前半の人妻だけど、夫には風増で働いているとは伝えずに働いているらしい。
とても穏やかな性格だけど、指名するたび少しずつSっぽいところが見えてきて、そこが好きだった。
彼女の柔らかい身体に包まれながら唾液の交換・・・その様子も、スマホでしっかりと撮影しました。自撮り棒の脚立に固定してマッサージされている様子も撮影。運良く嬢の献身的な様子を沢山映すことが出来た。
引退プレイに沢山思い出を残せるよう、時間はじっくり遊べるよう指定した。全身をローションまみれにしてもらい、前立腺の刺激に取り掛かってもらった。
「アナル舐めもしてあげよっか?」って聞かれたけど、最後にキスもしたかったので遠慮した。
まずは前立腺の前に、オーソドックスな愛撫である指の出し抜き。興奮してると、これだけでドライオーガズムに達せそうな感じ。
美女に肛門を責められる羞恥を堪能していたところ、違和感を覚えた。
最近はアナル責めにも慣れてきて、肛門を刺激された際の猛烈な便意も楽に耐えられるようになったハズなのに、その日に限ってどうしても我慢できない感じの便意だった。
さらに嬢が「浣腸プレイにしよっか?」と突然追い打ちをかけてきた。
流石に漏らしそうだったので最初は断った。でも便意に耐えながらの愛撫があまり気持ちよくなく、もったいない気持ちになったので後から頼んでみることにした。
予想通り、すぐに盛大な音を出して実が出てきた。
もちろん俺の排便の一部始終もきっちりスマホで撮影されている。
なぜか風俗嬢の引退プレイで俺が主演の浣腸プレイを動画で撮影をしているシュールなことになった。
なんでオッケーしてしまったのか・・・浣腸されて直腸に液体の入った僕は、嬢の目の前で、盛大に放出してしまった。
嬢も「こんな強烈な光景は初めて」と言って乾いた笑いを浮かべてたので、印象には残せたかもしれない。
とても有終の美とは言い難い、強烈な性体験だった。
どうやら最近は元同業者とでも言うべき引きこもりが何やらとんでもない事をしでかしたようで、元は引きこもりである俺も(関係はもうないが)ヒヤヒヤするご時世だ。
というのも、俺は32歳まで引きこもっていたという過去を持っているからだ。
10年ばかし経って、当時の記憶も曖昧(というか何もやっていないからほとんど思い出がない)だが俺が引きこもりだったときの事を簡単に書き残そうと思う。
「どうして、引きこもってるの?」
そして満足な回答が得られないと
「なにが、きっかけ?」
とくる。
確かに、何らかのきっかけがあったのは間違いない。だが引きこもり自身、もはやきっかけを思い出せないことも多い。あとは惰性で引きこもる、というわけだ。
俺自身もそうだった。何が原因で高校を行かなくなったのかはわからない。冷静に客観視すれば、当時家庭環境がゴタゴタしていたのにアテられたのかもしれない。
それに関しては別にいい。とにかく、俺は高校を中退して引きこもり生活に突入した。
引きこもりといえば、どいつもこいつも似たような生活をしているようなイメージだな、実はそれぞれが全く違う生活を送っている。
一日中部屋にこもっているオーソドックスな引きこもりもいれば、外を徘徊する引きこもりもいれば、酒を飲みまくる引きこもりもいるし、暴力を振るう引きこもりもいる。
それらの引きこもりはなぜそれぞれ違うのか?その要因は?その答えは親だ。
親が引きこもりに理解がある/諦めている、あるいは拒絶している、無視している、など…。引きこもり1人1人によって親の態度は違う。これは当たり前だが、重要なことだ。
https://anond.hatelabo.jp/20190426211521
文意が通らない部分、口語体が悪目立ちする部分もありますが、指摘はしていません。
なお、当方は校正者ではなく、バイトの面接すら通らない30代の無職です。専門家ではないので校正の質は低いと思います。ご容赦ください。
———
女性向け同人の字書きだったんだけど、二年ぐらい前の話を書かせてほしい。
(はてな匿名ダイヤリーは文章を書くのに許可は入りませんが、「書かせてほしい」はママでOK?)
まぁタイトルの通りなんだけど。
正確には「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った」です。
(「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った話」にしたほうがタイトルと対になりますが、ママでOK?)
筆を折ったのは決して送ってきた人のせいだけじゃない。正直当事の私には同人上がるいい理由でもあったんだと思う。
(「報告を送ってきた人」にする? 「当事」は「当時」にする? 「同人上がる」から「同人から上がる」にする?)
小説同人やってる人は解ってくれると思うんだけど、誤字脱字誤変換が自分の本からでてくることよくあることだ、と思う。
(「小説同人やってる」から「同人小説をやってる」にする? 「解ってくれる」は後にひらがなの「わかる」も出てきますがママでOK? 「誤字脱字誤変換」は「誤字脱字」にする? 誤字脱字と誤変換は意味がかぶりますが、あえて意味を分けて使ってるのであれば、ママでOKです。「でてくる」とありますが、統一されていないので、「出てくる」にする? 「てくることよくあること」から「出てくることはよくあること」にする?』
そりゃなるべく無いほうがいいに決まっているし、誤字脱字誤変換を減らす努力はちゃんとしてるつもりだった。
読者に恵まれていたのか、そこそこ長い同人生活の中で誤字脱字を指摘してくる人にもその人以外にはいなかった。
(「指摘してくる人にも」から「指摘してくる人は」にする?)
いやこれは、私が弱小サークルだったので単純に頒布数の問題かもしれないけど。
(「いやこれは、」から「いや、これは」にする? 「私が弱小サークルだったので」は修正がいると思われますので、「私が」を取るか、「私のサークルは弱小サークルだったので」にする? 筆者に確認要)
二年前、私は同人小説がそこそこつよいジャンルで活動していて、同人生活の中でも一番数を刷っている時期だった。楽しく活動できたのは参入から一年ぐらいだけで、それ以降は本を出すことに少し追い詰められてもいたと思う。
いままでになく相手にしてもらえて舞い上がってたんだよね。ジャンルやカップリングのおかげだってわかっていても、頑張って書いたものが読んでもらえるのが嬉しくてたまらなかった。
(「いままで」は「今まで」で統一する? 「わかっていて」は「解っていて」に統一する?)
誤字脱字誤変換を完璧になくした本がすばらしいことは解っているけれど、でない神本よりでるくそ本の言葉を信じて馬鹿みたいに小説を書いてた。2,3ヶ月に一回のイベントには必ず新刊をだしたし、その間にピクシブの更新もした。今にして思えば本当にめちゃくちゃ頑張ってたと思う。どんな時間の使い方してたのか自分でもよくわからんレベル。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「なくした」は「無くした」に統一する? 「解る」はママでOK? ”でない神本よりでるくそ本”はかぎかっこでくくり、「でない神本よりでるくそ本」にする? 「くそ本」はママでOK? 不適切な表現ですが、あえて用いるならママでOKです。「2,3ヶ月」は後に出てくる年数表記と統一し、「二、三ヶ月」にする? 「新刊をだしたし」は「新刊を出したし」で統一する? 「ピクシブ」の正式名称は「pixiv」ですが、ママでOK? カタカナ表現でも間違いではありません。「どんな時間の使い方してた」は「どんな時間の使い方をしてた」にする?)
で、そんな感じで本を出してれば時々感想をくれる人がいる。私は感想を頂くのが大好きで、基本的に頂いた感想には全て返信してたんだわ。
お手紙にツイッターのIDとかがないものは流石にできなかったけど、そういう時は「感想のお手紙ありがとうございます!すごく嬉しいです!ちゃんと読んでます!」とツイートすることで読んだよという報告をしてた。
(「ツイッター」の正式名称は「Twitter」ですが、ママでOK? カタカナ表記でも間違いではありません。感嘆符の後にはスペースを入れる?)
その中に感想と一緒に誤字脱字誤変換を報告してくる人が一人いた。以下Aさんとする。
Aさんは本の奥付に記載しているメールアドレスに感想を送ってくれる人だった。
最初の一通目は、他の人たちと同じ感じで、この本のここが好きだとか、このやりとりはすごくツボだった、とか私が貰って嬉しいと思うタイプの感想だった。
(「最初の一通目」は重複表現なので、「最初」か「一通目」にする? 「このやりとりはすごくツボだった、とか」は「このやりとりはすごくツボだったとか、」にする?)
だから私はそれにいつもどおり、普通の返信をした。感想が嬉しいです。は、もちろんだし、本文のやり取り気に入って頂けてよかったです、とか。そういうたぶん、オーソドックスな返信なんじゃないかな。他の人と比べたことがないので解らないけれど。
(「感想が嬉しいです。は、」「感想が嬉しいです、は」にする? 「本文のやり取り気に入って」は「本文のやり取りを気に入って」にする? 「そういうたぶん、」は「たぶん、そういう」にする?)
私の返信に対してAさんは「感想を送るのが初めてだったので、気持ち悪いって思われなくて良かったです。喜んでもらえて送ってよかったと思いました!」と返信をくれた。
そこに、誤字脱字報告が記載されていた。
いやみったらしく指摘するわけではなくて、メール本文の中に「誤字脱字を見つけたのでご報告しておきますね」と短く添えて。
それを受信してまぁ、正直「いやぁ、紙媒体に誤字脱字指摘してどうすんの?それ言われても修正できないんだけど」と思った。
ピクシブならまだいい。すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。とかなんとか言っておけばいいから。
(「ピクシブ」はママでOK? ”すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。”はかぎかっこでくくり、「すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね」にする? 文の語尾の句点は取る?)
だけど紙媒体は印刷されているので修正できるわけがない。再版の予定があるなんて一言もツイートしていないし、なんならまだ在庫あった。
Aさんに悪気がないのはわかっていたけど、ちょっとだけ心がざらついた。でも「今後誤字脱字の報告はしてくれなくていいです」と正直に返す気にもなれなかった。だって、間違いなく善意なのだ。
(「わかっていた」は「解っていた」に統一する?)
Aさんは、本を読んだ感想を私に送ってくれる人だ。初めて感想を送ったという一文が嘘か本当かはわからないけれど、本当ならきっと緊張もしただろう。私がAさんなら緊張して手汗がびしゃびしゃになると思う。
読んで、感想を考えて、作者に伝える。それってすごく時間がかかることだ。Aさんはその時間を私に割いてくれる人なのだ。
だから私は「せっかく手にとって頂いたのに誤字脱字がありすみません。今後はより気をつけますね。感想と報告ありがとうございました!」と返した。私の返信にAさんからは特に返信は無かった。そりゃそうだ。返信するところがないのだから。
(「手にとって」は「手に取って」で統一する? 「誤字脱字がありすみません。」は「誤字脱字があり、すみません。」にする?)
きつい文面かな?いやでもこれ以外になんて返したらいいんだよ。そんな風に悩みもしたが、これっきりになるならそれはそれで仕方がないし、正直誤字脱字報告がまた来ても萎えると思ったので割り切った。
(「そんな風に」は「そんなふうに」にする?)
まぁお察しとの通り、Aさんはその後も必ず感想と一緒に誤字脱字を報告してきた。
(「お察しとの通り」は「お察しの通り」にする?)
私が新刊を出すたびに、必ず誤字脱字誤変換の報告が来る。これが地獄かと思った。
私の本は誤字脱字誤変換がある。それは解っている。だから、私は自分にできる限りの校正をした。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「私は自分にできる限り」は「私は自分でできる限り」にする?)
締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、さらに三日前には仕上げるようにしていた。
(「締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、」は意味が通らないので修正要です。「修正作業で遅れてもいいように締め切りは常に早割りを狙って、」にする? 筆者に確認要)
自分でチェックだってする。縦書き本文を横書きに流し込んでみたり、フォントを変えてみたり。長い文字数の本はできないこともあったが、短い本を出すときは音声読み上げ機能で読み上げてみたりもした。
毎回来るAさんの指摘が悔しくて、絶対に次は誤字脱字誤変換の無い本を作ろうと思った。
友人三人に見てもらい(友人1→私が修正→友人2→私が修正→友人3→私が修正という手順)、縦書きと横書きで印刷して読み返した。音声読み上げも毎日少しずつやって、早割りを捨てて校正をした本にもやっぱり誤字脱字誤変換は存在した。
そしてAさんは感想と一緒にそれを指摘してきた。
いやなんかもう「逆にすごくないか?」と思った。思って、そこでぽっきり心が折れてしまった。
Aさんは最後まで善意だったと思う。私も嫌なら「誤字脱字誤変換の報告は今後一切不要です」と一言伝えればよかっただけの話だとも思う。
でも、善意なのだ。おそらくこの人は善意でやっていて、それを拒絶することが私には出来なかった。
自分が私生活を犠牲にしつつ作った本を、お金を払って手に取ってくださる方がいる。その上に感想もくれる。それってすごく恵まれていることだ。だけど、毎回必ず指摘がついてくる。
これがウェブ媒体なら、あるいは紙媒体でも早々に完売して再版の予定があるとかならまた違ったのだろう。でも、私が刷っている本は在庫を抱えている。私がどんなに強く願っても修正はできないのだ。誤字脱字誤変換を修正して頒布することは、不可能なのだ。
どうにもできない現状に指摘がくるというのは私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。
(「くる」は「来る」で統一する?)
でもAさんに直接言う勇気は持ち合わせていない。ちょうど仕事も忙しくなり始め、疲れていた私が下した判断が「もう同人誌作るのをやめよう!」だった。
(「疲れていた私が下した判断が」は「疲れていた私が下した判断は」にする?)
タイトルの一言で済む話をここまで長くだらだら書くの、小説書いてたからだと思う。
(「ここまで長くだらだら書くの」は「ここまで長くだらだら書くのは」にする?)
私の同人誌もずっとこんな感じだった気がするね。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
これを読んで誰かに感想を送ろうとしてる人が居たら、本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ。もしかしたら嬉しい場合もあるかもしれないけど、疲れてるところには案外心にくることもあるって、知っておいてね。
(「感想を送ろうとしてる人が居たら」は「感想を送ろうとしてる人がいたら」にする? 「誤字脱字誤変換」はママでOK?)
同人誌は基本的に素人が趣味で作っているものだ。誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら、商業を読んだほうがいいです。商業でもたまにあるぐらいだから、同人誌で完璧になくすことがどれだけ難しいかは察してほしいなって思います。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「商業」は「商業誌にする?)
私はもう同人誌を作るのをやめてしまったけれど、筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね。
(「誤字脱字報告新刊のたびに」は「誤字脱字報告を新刊のたびに」にする?)
こうやって書いたから、本当に悪用する人がでてくるかもしれないけど、誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ。完璧じゃないから本を出さないのはもったいないって心を強く持って欲しい。
(「でてくる」は「出てくる」に統一する? 「誤字脱字誤変換」はママでOK?)
———
全ての誤字脱字は拾いきれていないと思います。
女性向け同人の字書きだったんだけど、二年ぐらい前の話を書かせてほしい。
まぁタイトルの通りなんだけど。
正確には「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った」です。
筆を折ったのは決して送ってきた人のせいだけじゃない。正直当事の私には同人上がるいい理由でもあったんだと思う。
小説同人やってる人は解ってくれると思うんだけど、誤字脱字誤変換が自分の本からでてくることよくあることだ、と思う。
そりゃなるべく無いほうがいいに決まっているし、誤字脱字誤変換を減らす努力はちゃんとしてるつもりだった。
読者に恵まれていたのか、そこそこ長い同人生活の中で誤字脱字を指摘してくる人にもその人以外にはいなかった。
いやこれは、私が弱小サークルだったので単純に頒布数の問題かもしれないけど。
二年前、私は同人小説がそこそこつよいジャンルで活動していて、同人生活の中でも一番数を刷っている時期だった。楽しく活動できたのは参入から一年ぐらいだけで、それ以降は本を出すことに少し追い詰められてもいたと思う。
いままでになく相手にしてもらえて舞い上がってたんだよね。ジャンルやカップリングのおかげだってわかっていても、頑張って書いたものが読んでもらえるのが嬉しくてたまらなかった。
誤字脱字誤変換を完璧になくした本がすばらしいことは解っているけれど、でない神本よりでるくそ本の言葉を信じて馬鹿みたいに小説を書いてた。2,3ヶ月に一回のイベントには必ず新刊をだしたし、その間にピクシブの更新もした。今にして思えば本当にめちゃくちゃ頑張ってたと思う。どんな時間の使い方してたのか自分でもよくわからんレベル。
で、そんな感じで本を出してれば時々感想をくれる人がいる。私は感想を頂くのが大好きで、基本的に頂いた感想には全て返信してたんだわ。
お手紙にツイッターのIDとかがないものは流石にできなかったけど、そういう時は「感想のお手紙ありがとうございます!すごく嬉しいです!ちゃんと読んでます!」とツイートすることで読んだよという報告をしてた。
その中に感想と一緒に誤字脱字誤変換を報告してくる人が一人いた。以下Aさんとする。
Aさんは本の奥付に記載しているメールアドレスに感想を送ってくれる人だった。
最初の一通目は、他の人たちと同じ感じで、この本のここが好きだとか、このやりとりはすごくツボだった、とか私が貰って嬉しいと思うタイプの感想だった。
だから私はそれにいつもどおり、普通の返信をした。感想が嬉しいです。は、もちろんだし、本文のやり取り気に入って頂けてよかったです、とか。そういうたぶん、オーソドックスな返信なんじゃないかな。他の人と比べたことがないので解らないけれど。
私の返信に対してAさんは「感想を送るのが初めてだったので、気持ち悪いって思われなくて良かったです。喜んでもらえて送ってよかったと思いました!」と返信をくれた。
そこに、誤字脱字報告が記載されていた。
いやみったらしく指摘するわけではなくて、メール本文の中に「誤字脱字を見つけたのでご報告しておきますね」と短く添えて。
それを受信してまぁ、正直「いやぁ、紙媒体に誤字脱字指摘してどうすんの?それ言われても修正できないんだけど」と思った。
ピクシブならまだいい。すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。とかなんとか言っておけばいいから。
だけど紙媒体は印刷されているので修正できるわけがない。再版の予定があるなんて一言もツイートしていないし、なんならまだ在庫あった。
Aさんに悪気がないのはわかっていたけど、ちょっとだけ心がざらついた。でも「今後誤字脱字の報告はしてくれなくていいです」と正直に返す気にもなれなかった。だって、間違いなく善意なのだ。
Aさんは、本を読んだ感想を私に送ってくれる人だ。初めて感想を送ったという一文が嘘か本当かはわからないけれど、本当ならきっと緊張もしただろう。私がAさんなら緊張して手汗がびしゃびしゃになると思う。
読んで、感想を考えて、作者に伝える。それってすごく時間がかかることだ。Aさんはその時間を私に割いてくれる人なのだ。
だから私は「せっかく手にとって頂いたのに誤字脱字がありすみません。今後はより気をつけますね。感想と報告ありがとうございました!」と返した。私の返信にAさんからは特に返信は無かった。そりゃそうだ。返信するところがないのだから。
きつい文面かな?いやでもこれ以外になんて返したらいいんだよ。そんな風に悩みもしたが、これっきりになるならそれはそれで仕方がないし、正直誤字脱字報告がまた来ても萎えると思ったので割り切った。
まぁお察しとの通り、Aさんはその後も必ず感想と一緒に誤字脱字を報告してきた。
私が新刊を出すたびに、必ず誤字脱字誤変換の報告が来る。これが地獄かと思った。
私の本は誤字脱字誤変換がある。それは解っている。だから、私は自分にできる限りの校正をした。
締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、さらに三日前には仕上げるようにしていた。
自分でチェックだってする。縦書き本文を横書きに流し込んでみたり、フォントを変えてみたり。長い文字数の本はできないこともあったが、短い本を出すときは音声読み上げ機能で読み上げてみたりもした。
毎回来るAさんの指摘が悔しくて、絶対に次は誤字脱字誤変換の無い本を作ろうと思った。
友人三人に見てもらい(友人1→私が修正→友人2→私が修正→友人3→私が修正という手順)、縦書きと横書きで印刷して読み返した。音声読み上げも毎日少しずつやって、早割りを捨てて校正をした本にもやっぱり誤字脱字誤変換は存在した。
そしてAさんは感想と一緒にそれを指摘してきた。
いやなんかもう「逆にすごくないか?」と思った。思って、そこでぽっきり心が折れてしまった。
Aさんは最後まで善意だったと思う。私も嫌なら「誤字脱字誤変換の報告は今後一切不要です」と一言伝えればよかっただけの話だとも思う。
でも、善意なのだ。おそらくこの人は善意でやっていて、それを拒絶することが私には出来なかった。
自分が私生活を犠牲にしつつ作った本を、お金を払って手に取ってくださる方がいる。その上に感想もくれる。それってすごく恵まれていることだ。だけど、毎回必ず指摘がついてくる。
これがウェブ媒体なら、あるいは紙媒体でも早々に完売して再版の予定があるとかならまた違ったのだろう。でも、私が刷っている本は在庫を抱えている。私がどんなに強く願っても修正はできないのだ。誤字脱字誤変換を修正して頒布することは、不可能なのだ。
どうにもできない現状に指摘がくるというのは私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。
でもAさんに直接言う勇気は持ち合わせていない。ちょうど仕事も忙しくなり始め、疲れていた私が下した判断が「もう同人誌作るのをやめよう!」だった。
タイトルの一言で済む話をここまで長くだらだら書くの、小説書いてたからだと思う。
私の同人誌もずっとこんな感じだった気がするね。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
これを読んで誰かに感想を送ろうとしてる人が居たら、本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ。もしかしたら嬉しい場合もあるかもしれないけど、疲れてるところには案外心にくることもあるって、知っておいてね。
同人誌は基本的に素人が趣味で作っているものだ。誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら、商業を読んだほうがいいです。商業でもたまにあるぐらいだから、同人誌で完璧になくすことがどれだけ難しいかは察してほしいなって思います。
私はもう同人誌を作るのをやめてしまったけれど、筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね。
こうやって書いたから、本当に悪用する人がでてくるかもしれないけど、誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ。完璧じゃないから本を出さないのはもったいないって心を強く持って欲しい。
この記事を読んで思い出した、少し前の話
ただ思い出したこと書きなぐるだけなので、内情がどうとかそういうのは知らない
http://tnaoto.hatenablog.com/entry/2019/04/09/070227
その頃俺は富士通やパナソニックの下請けで現場に入る、所謂人売りIT企業(SESって言うの?)にいて
どの現場も多かれ少なかれ酷い事はあったんだけど、富士通の現場は本当に最低だった
製造工程から参加してたんだけど、俺の主な仕事はOracleプロシージャで作られたシステム間連携処理を
富士通の用意しためちゃめちゃ使いにくいExcelフォーマットで文字にして起こすこと
円柱の図で表したテーブルを矢印と線を使って繋げて取得元テーブルを表現
取得項目は図の右に表を書いて、条件と結合は全てSQLをそのままコピーして「項目Aと項目Bを結合」って日本語に書き直してた
それを200本くらい?作る仕事。
それはまぁ酷いとは言え人売りIT企業としてはオーソドックスな仕事じゃないですか?
でもプロシージャは毎日書き変わっていて、自分がどれを設計書に起こせば良いか分からなくてさ
でもあいつら朝来ないんだよ、早くて11時くらい、遅いと18時とかかな。連絡無しに来ない日もあったな
そのくせ会議大好きで、日次ミーティングは絶対にやらなきゃならないってルールなんだよ
もう嫌で嫌でしょうがなかったなー
結局一年半くらいやったのかな
富士通やPやHやNの下請けで、大企業の古臭いシステムを泥臭く作って、何か起きた時の言い訳のために無意味なExcelファイル量産して。
あー、もう二度と戻りたくない
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
C | A | A | B | A | C |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
C | B | D | A | A | B |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
C | A | B | C | A | A |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
C | A | D | B | A | D |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
C | D | C | A | B | B |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
A | B | C | B | A | A |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
B | A | A | B | B | C |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
C | B | C | A | B | D |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
B | B | B | A | B | B |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
C | E | D | A | A | A |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
A | A | E | A | A | A |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
A | A | C | D | A | A |
栄養価 | 保存性 | 汎用性 | 調理容易性 | 入手容易性 | 経済性 |
B | E | D | A | A | C |
今いるジャンルで愚痴垢という存在が大嫌いになった。コスプレに肯定的ではないからとレイヤー晒しとかの時はなんとも思わなかったのに、今いるジャンルの愚痴垢がやばすぎてガチでバルサン焚きたい。
好きな界隈で小さな問題を積み重ねた結果、大問題が生じてしまった。本当でなくとも取り返しがつかないもので、騒動の超初期からはみてない私でものらりくらりとしていた時期や声を上げた人が叩かれ撤退したときはあった。それでも問題のまずさが他の方面にも広がるにつれ、問題解決に向かおうとする傾向になってきた。解決のためのツイートはrtされやすくなり、その後問題に関わる人が逃亡することはあれど、解決できるんじゃないかと願っていた。諸事情で解決する前に終了宣言が出てしまったけど、今でも解決してほしいと願うことしかできない。
それでも愚痴垢という存在がなければ解決できたんじゃないかなと思ってしまう。自界隈の攻が受にされている超大手の界隈にはいい思いをされてないことは確かだけど、その界隈や他のcp界隈だろうと推測できる愚痴垢ばかりだ。いいね欄や問題が起きた時にあるcpだけ責めないからこそ推測してしまう。こっちはツイッターでもはてブにも自界隈のオーソドックスな風潮として二次創作の嘘を突かれたり、マシュマロという形で突撃されてたりする。
確かに超初期〜初期の頃は追い出したり、発言しないということをツイートしてた創作者もいたし、かつてミーハーなファンが全く関係ない人に凸ったということもあった(その時期いなかったけど)。だから愚痴垢とかいう触れたくないものが嫌いになった。
なのに、色んな愚痴垢を見に行ってしまう。無断転載している垢や自演箱を置いてる垢をみてまだ生きてるのかと残念に思う気持ちが少ししかなくて、どこまで堕ちるんだろうと愉しんでいる自分がいる。潰れたら残念に思うかもしれない。これ以上視界も、脳味噌も、神経の一つでさえ、愚痴垢をみて穢したくないのに、みてしまう。崇高なことを言っていても、その正体は他cp者ということが実際あった。許されないことをした。だから責められるのは当然と考えても、それ自cpに邪魔だから排除しようとしてるんじゃと思ってしまう。真面目に辛い。それでその他cp固定のファンが苦手になったりと影響がありすぎた。でも愚痴垢をみてしまう。やめたいけどやめられない。どうしよう
地上アイドル数組と地下数組通ったくらいなのでほんの一例です
・抽選が激戦のため
オタクネットワークがあるため、激戦チケットは余らない。身内優先でさばいて余ればツイッター等で募集かける。
高値で売るやつも居る。やめてくれ。
あと激戦っぽいことが予想されて結果そうでもなかった場合とか、知らん人は売り切れだからと諦めるけど、チケット自体は余ってたりしてモヤる。
・良席(良番)確保のため
抽選機会を増やせば当然、ステージとの距離が縮まる可能性が高まる低まるビスマルク。
当然余るので、定価~格安で売って次の資金に。チケット余るのも仕方なし。
そこそこ良い席を高値で売って、その金に自己資金を足してさらに良い席を買うなどというのも横行してるグループある(あった?)らしい。
チケット余るだろうなーって時、とりあえず買う。
デカめの箱に挑戦する「埋めるぜ○○」でありがち。
とにかく買って、少しでも行きそうな人を誘ってみたりする。(安価だったり無料で)
オタク馬鹿だから、社交辞令の「今度機会があれば見に行ってみたい」を鵜呑みにする。
実際一般人誘うと苦い顔される。あと、他所のオタク誘ったり、誘い合いみたいなのもあるが大体はハマらずに帰ってくる。
アイドル本人が手売りしたり、チケットになんらかの特典が付いたりして運営もオタクが一人で複数枚チケットを買うことを期待してたりする。
売る方も買う方も建前は、友達誘って……なのだが、そう上手くは行かない。
なんにせよアイドル本人から「増やん、沢山チケット買ってくれてありがとう」と言われたらとりあえず幸せ。
1申し込みあたり2~4枚とか買えることが多い。その中で自分以外のチケットも買う。
信ぴょう性はないが2枚とか4枚買うと席が良くなるというおまじない。
あと、買い忘れ、予定が不明、入金時にお金無い等で申し込めなかったオタ仲間のための保険。
常にクレカの限度額いっぱい層が多数居るので、ほんとに4000円が払えないことも多々ある。
ライブ近くになるとチケット代はおろかTシャツ、タオル等を買う余裕ができてたりする。
なので1~2週間前に呼びかけると行きたいし行けるけどチケット無いオタクが結構な確率で存在してる。
日頃の布教活動が実って、申し込み時には興味なかった一般人や他現場のオタが同行者になるケースも。
彼氏彼女が出来て理解してほしいから連れてくパターンもあるらしいが、レアだと思う。多分引かれる。
過去に激戦のライブが多かったグループだと、2人で2枚ずつ申し込んで当たった方のチケットで二人行くとか、当選した〇日のチケットと落選した△日のチケットを交換したりとそういうのが癖になってたりするので、なんとなくで2枚とか4枚とか買う人も居たりする。
外れなさそうなチケットだと代表者が人数分申し込むオーソドックス。
普通。
結構多い。知り合いが多く、人望があると、全員1枚しか買えなくて、本人確認があるライブ以外は大体誰かが拾ってくれる。
いまのところラノベのレーベルは大雑把に三つに分かれています。
少年向け:電撃文庫・富士見ファンタジア文庫・スニーカー文庫・MF文庫J・ファミ通文庫・ガガガ文庫・GA文庫・講談社ラノベ文庫・HJ文庫・ダッシュエックス文庫…
少女向け:コバルト文庫・ビーンズ文庫・ビーズログ文庫・一迅社文庫アイリス・講談社X文庫ホワイトハート …
MFブックス・カドカワBOOKS・HJノベルス・GAノベル・ガガガブックス・アーススターノベル・GCノベルズ・レジェンドノベルス…
メディアワークス文庫・富士見L文庫・集英社オレンジ文庫・新潮文庫NEX・講談社タイガ…
「あえて突拍子もないファンタジーやラブコメを読みたい」ということなら、最大手の電撃文庫から探すのが無難だと思います。
ガガガ文庫なんかは、いわゆるマニア受けする作品が多くて、変わり種を読みたいときに良いですね。
逆に「やはり落ち着いた恋愛小説などを読みたい」ということならライト文芸系を漁るのが良いと思います。
既存のラノベレーベルのなかで言うと、ファミ通文庫あたりは青春もの恋愛ものに力を入れていたりします。
ひとつめは「好きラノ」。
Twitterを使って大々的にやっているもので、幅広く票が集まっています。
あえて投票条件を絞ったもので、マニア寄りの投票結果になっています。
http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2019/01/06/190911
参考にしてみてください。
まあこちらは本格的にラノベにハマらないかぎり必要ないとは思いますが。
ライトノベル総合情報サイト ラノベニュースオンライン – ライトノベルに関するニュースを紹介
人気投票を毎月やってたりするので、そちらを参考にしてもいいかも。
割と色んなことがあったと思う。この二十四年前後、多分稀有なタイプの経験を散々してきているような気がしないでもない。その中で価値観として未だ存在するのは、やっぱり他人の幸福も不幸も、その人だけのものであるということだ。社会のものさしで見て、これは不幸だ、これは幸福だと定義付けられる事柄、事象は沢山あるのだけれど、結果的にそれを定義するのって体験した当の本人でしかない。幸福も、不幸も、それが良いことか悪いことかなんて、当事者が決めるしかないと思うから。
という長ったらしい説明をするのには訳がある。私は今援助交際で得た収入で遊び暮らしているからだ。
特段可愛いわけではない。美人なわけでもないし、魅力もないと思う。強いて言うなら援助交際なんてしなさそうな真面目系の雰囲気で、コミュニケーション力はそれなりにあるから相手を持ち上げることも上手いらしくて、あとはセックスを楽しんでいるからっていう、それだけの理由で男の人が春を買ってくれている。勿論周りの知り合いはこんなことをしているなんて皆知らないし、私も言うつもりはない。だって、私が上記の価値観をどんなに強く主張したって、周りが理解してくれるわけがないのだから。
仕事はきちんとしている。朝から夕方まできっちり働いて、日頃の生活費はそこから捻出している。むしろ微々たるものだが貯金も出来ているほどだ。じゃあなんで援助交際なんかするのかって言われると、理由はまぁ様々あるのだが、やっぱり自分の好奇心を一番満たしてくれるのが援助交際だからっていう理由が強いと思う、
人は本能に従っている時が一番その人の中身を曝け出している時だと私は思う。食事を摂っているとき、寝ているとき、そして性欲を満たしているとき。どんなに真面目な顔をしている人でも、ちょっと喋ってホテル行ったらめちゃくちゃドMだったりするときもあるし、逆にチャラそうだなって思いつついざベッドに入ると、凄くオーソドックスなセックスをする人だっている。外見や地位や年齢なんて、服を脱いでしまえば全部関係なくなってしまうのだ。そこにあるのは男と女と性欲だけなのだから。
貞操観念は勿論がばがばだ。正直こういうことを定期的にやり始めた辺りから、恋人を作る気も結婚をする気もなくなってしまった。いや、元々私の恋愛対象は女性寄りだから良いんだけど。仕事忙しいし趣味も楽しいから、一人でも全然今は楽しい。後々寂しくなったりしたらその時考えようかと思う。
ただ、面倒なのはやっぱり会った男性の中で「可哀想だね、こんなことしないとご飯食べられないんだ」みたいなことを言ってくる人が本当にうざいなと思う。相手は私が日中普通に仕事をしていることも、別に援助交際で食ってるわけじゃないということも知らないし、春を売ってる子の中には明日ご飯を食べられるかも分からないような子も沢山いるからそういうことを言っているんだっていうのも理解出来るけれども。何だかさも「俺は君に同情していますよ」みたいなスタンスが腹立つのだ。まるで春を売るのが不幸みたいな、そんな風にも聞こえて仕方が無い。
自分の尺度で他人の幸福や不幸を図るという感覚は割と横行気味だけど、図るまではしても仕方ないにせよ、それを口に出すの、今一度思いとどまって欲しいなと思う。それ、あなたが勝手に押し付けてるものさしの可能性だってあるのだから。
本当に圧倒された。
まさに力技で見せつける映画だったなあと。
なのでこれだけだったら、最近の邦画とかにありがちな、低予算コスプレ学芸会になっていた可能性すらある。
でもこの映画はそうならなかった。
むしろ上述のような脚本にツッコんでる批評なんか吹き飛ばすような、観客からの熱狂的支持を勝ち取ったわけで。
そして、その音楽を核にした演出でグイグイ迫ってくる映像美。もちろん極めつけはラスト20分の長尺のアレである。
素晴らしい音楽の前には、どんなことも些細な問題になるのは間違いないと思わせてしまう、打ちのめされるような美声とビート。
だからこの映画を見れば、誰でも必ずQueenの音楽の歴史的価値を再認識することになるだろう。
というか単純に、Queenのサウンドが頭の中でリフレインして止まらなくなること請け合い。
で、そういう内容になったのは、監督や役者が二転三転した上に、撮影が始まっても監督ガーという事件が起きたりで、脚本自体は超無難でオーソドックスにするしかなかったのかなーという気もしている。
それにフレディ・マーキュリーというパーソナリティの関係上、作り方を間違えれば往年のロックファンのみならず、LGBTクラスタからも厳しい批評が待っていただろうし。
まあ、よく作ったなあという感じ。