はてなキーワード: ポアソンとは
(Ω, ℱ, (ℱ_t)_t≥0, ℙ) を完備確率空間とし、ℋ = L²(Ω, ℱ, ℙ) をヒルベルト空間とする。
状態変数を無限次元ヒルベルト空間 𝒳 の要素 x_t ∈ 𝒳 とする。
dx_t = A(x_t)dt + B(x_t)dW_t
ここで、A: 𝒳 → 𝒳 は非線形作用素、B: 𝒳 → ℒ₂(𝒰, 𝒳) はヒルベルト空間値作用素、W_t は 𝒰-値のシリンドリカルウィーナー過程である。
代表的主体の価値汎関数 V: 𝒳 → ℝ を以下のように定義する:
V(x) = sup_α∈𝒜 𝔼[∫₀^∞ e⁻ᵖᵗ ⟨U(c_t, l_t), μ⟩ dt | x₀ = x]
ここで、𝒜 は許容制御の集合、ρ > 0 は割引率、U: 𝒳 × 𝒳 → 𝒳 は効用作用素、μ は 𝒳 上の測度、⟨·, ·⟩ は内積を表す。
最適性の必要条件として、以下の無限次元 HJB 方程式が成立する:
ρV(x) = sup_{c,l} {⟨U(c,l), μ⟩ + ⟨A(x), DV(x)⟩ + ½tr(B(x)B*(x)D²V(x))}
ここで、DV と D²V はそれぞれ V のフレシェ微分と二階フレシェ微分、B* は B の共役作用素である。
ρV(x) = sup_{c,l} {⟨U(c,l), μ⟩ + ⟨A(x), DV(x)⟩ + ½tr(B(x)B*(x)D²V(x))}
Y(x) = F(K(x), L(x))
C(x) + I(x) = Y(x)
DU_c(C(x), L(x)) = DV(x)
DU_l(C(x), L(x)) = DV(x)F_L(K(x), L(x))
ここで、F, K, L, C, I はすべて 𝒳 上の非線形作用素である。
N(dt, dm) = ∑_i δ_{(T_i, M_i)}(dt, dm)
ここで、(T_i, M_i) は価格改定のタイミングと大きさを表す二重確率点列、δ はディラックのデルタ測度である。
dπ_t = (𝒜π_t + 𝒦y_t)dt + 𝒮dW_t^π
ここで、𝒜 は線形作用素、𝒦 は非線形作用素、𝒮 はヒルベルト空間値作用素、W_t^π は 𝒳-値のシリンドリカルウィーナー過程である。
di_t = Θ(ī - i_t)dt + Φ_π dπ_t + Φ_y dy_t + Σ dW_t^i
ここで、Θ, Φ_π, Φ_y, Σ はすべてヒルベルト空間上の線形作用素である。
ケインズ派モデルの一般均衡は、以下の確率偏微分方程式系の解として特徴付けられる:
dx_t = 𝒜(x_t, π_t, i_t)dt + ℬ(x_t, π_t, i_t)dW_t
dπ_t = (𝒜π_t + 𝒦y_t)dt + 𝒮dW_t^π
di_t = Θ(ī - i_t)dt + Φ_π dπ_t + Φ_y dy_t + Σ dW_t^i
N(dt, dm) = ∑_i δ_{(T_i, M_i)}(dt, dm)
y_t = 𝒴(x_t) - 𝒴*
𝔼[dV(x_t, π_t, i_t)] = ρV(x_t, π_t, i_t)dt - ⟨U(C(x_t), L(x_t)), μ⟩dt
1. 状態空間: 新古典派モデルでは実物変数のみで状態を記述するが、ケインズ派モデルでは名目変数(インフレ率、名目金利)も含む無限次元空間を考慮する。
2. 確率過程: 新古典派モデルは主に無限次元拡散過程を用いるが、ケインズ派モデルではマーク付きポアソン点過程も導入し、不連続な価格調整を表現する。
3. 均衡の特徴づけ: 新古典派モデルでは無限次元HJB方程式を用いるが、ケインズ派モデルでは確率偏微分方程式系を用いる。
4. 作用素の性質: 新古典派モデルでは主に非線形作用素を扱うが、ケインズ派モデルでは線形作用素と非線形作用素の組み合わせを扱う。
5. トポロジー: 新古典派モデルは主にヒルベルト空間のトポロジーを用いるが、ケインズ派モデルではより一般的なバナッハ空間やフレシェ空間のトポロジーを考慮する必要がある。
正確に言えば、私の関心を俗世に繋ぎとめておく軛として配偶者より適当な仕組みがこの社会に存在しないんだ。
心底では他人に関心がなくて、素面では他人と対等の付き合いしか信じることができないからしがらみとしての結婚が必要なんだ。
結婚でなくてもいいが、しがらみが。
あなたがたの言いたいことはこうだ。他人に興味がない社会的欠陥動物が無理して結婚など目指すな。一理ある。
結婚に向かない人というか、一人でいることが最も心地よく、もしかすると周りにとっても善であるような性質の人間がいることは承知しているし、私もそのようであるという自覚がある。
だが同時に、いみじくも『最強伝説黒沢』でゲストキャラのおっさんが独白するように、人間は強制されてかろうじてまともだ。私もそのようであるという自覚がある。
人間に目指すことができるのはせいぜい短期的な報酬だけだ。長期的な野心を抱く人間も短期目標の積み重ねそれ自体を報酬として野心を維持しながら長期目標を目指すのであって、我々はそういう作業ができる人間のことを解決力とか実行力があるとか呼んでいる。
私はまとまったカネを要する種類の欲をまったく持たないので、短期的に私が心地よいようにするとあまりにも失う社会性の量が過大になってしまう。後に社会に復帰するのに必要な弾性ごと失うほどに。
もし社会性を完全に捨て去った私が幸福の最大値を目指すなら、私のすべき行動は今すぐ退職して生活保護費を申請し、読書と惰眠、自慰、あるいはPCで完結する創作趣味に明け暮れながら自殺までの時間を気ままに遅延することになる。
今現在の私が不本意にもそのような理想的生活状況にないのは、既にして私は本当には一人ではないからだ。
カネを必要としていない私が曲りなりにも職に就いているのは、あえて両親を泣かせたくはないというのと、学生時代に得た数少ない友人との付き合いに負い目を作りたくないという気分が理由のおおよそになる。
資産を持たず、浮世を捨てたほうが心地よいと信じているのにそうしないのは、数少ない私が気にかける人がもし困窮したときに私が伸ばせる手がなくなるからという、いうなれば不安のためだ。
これは災害的、ポアソン的なイベントに対する備えのようなもので、「その時」に至るまでの報酬は何もない。
マメな友達付き合いというのも好まないから、本当にない。ただ生活の荒野があるだけだ。この空白地帯を超える術をしがらみの慣性力のほかに私は知らない。
ところで、ここまでの話に配偶者は登場しなかった。既にいる私の気にかける人たちが目的であり、同時にしがらみであったからだ。
次に私が恐れているのは?いずれ私が生活に摩耗する間に彼らの存在が後者として機能しなくなったのに、前者としてのみ残ってしまうような事態を恐れている。
私は多分、両親や友人を無視することを容易に合理化できる。自己都合で私を生み落とした両親がどうなっても究極的には自業自得だし、対等な立場であるべき友人の人生にお節介であまり立ち入るべきでもない。
とはいえ自分の内心についての予断はロクなものではなく、いざその時を迎えて、実際に私が不幸ではないかどうかは、したい賭けではない。今はそういう判断をしている。
いや、あなたがたの言いたいことは分かる。互いに迷惑をかけるのが健全な人間関係だと。
しかしながら、互酬的なフェアネスを想像することは難しい。私が物理的に距離の遠い彼らに対して望むことなどほとんど何もないから。
書いてるうちに気づいたがつまり、どこかで生きている友人に対して、勝手に幸せになってほしいと勝手に思っているという事態が私の友人関係の内実なのではないか。それはどうなんだろうか。
ともかく私は両親には義理と友情を感じているが、おそらく愛してはいない。友人に抱く情はいくぶん愛かもしれないが、強いしがらみを望んではいない。
必然的に私は物質的にはフェアでありつつ、同時にその枠の外に置くことのできる一方的で独善的な、強い愛の対象を求めざるを得ない。私の言語では独善的なものだけを愛と呼んでいるといったほうが近いかもしれない。
思うに、それは観念的なものではどうしても強度が不足していて、臭気芬々たる、不愉快極まる肉の質量でなければ私のような凡人を長く捕らえておくことは難しいんだろう。
今いる友人たちをそのようなものに貶めるよりは、いずれそのようになるものと思って新たな人との付き合いを求める方が、かろうじて私は我慢ができるはずだと今は考えている。現実的な相手とのすり合わせ可能性を踏まえても。
ハタチあたりの頃に私は人に対して愛しているといった言葉遣いをしたことが一度だけあるが、それさえもやっとネットの友人で顔も知らぬ半回り上の男を相手にしてのことでだ。
彼はこの世に数少ない愛すべき人たちが肉のある人間であることが残念でならないといつも考えていて、私もまったく同意見だった。
現在の彼は私が単に気にかける友人のひとりで、ここ数年私はアプリで知り合った女性の一人と習慣として会話を続けている。アプリ自体は疲れたのでやめた。
お互い遠くに住んでいるわけではないと知りながら、半年に一度のペースを超えては会う気にもならず、焦点のぼけた会話の中から彼女の趣味のよさを探そうとしている。そんなのをずっとやっているだけで精一杯なんだ。
しがらみを追い求めるふりをしながら、回避的にしがらみから逃げ続けているわけで、傍目には奇行としか言いようがない。
私が同じところで回って何も進んでいかずとも爪は伸びるし身体が衰えるのを感じる。今夏には低い視力がまた落ちていたが、道行く他人の顔をよく見ずに済むように矯正視力は0.6で止めた。
分裂した私の間でいたちごっこを続けつつ、結局は騙しだまし、私が死ぬまで私の延命を続けるようなおもしろくもない羽目になるような予感がしている。現実はひどい。
今日はオブザーバブルと状態の関係、リー代数、ポアソンブラケット、などを学びました。
「○○を超えるものを作ったことがないくせに○○を批判するなど愚か」
公共のサービスに改善点があれば、誰でもそれについて指摘できた方が良いでしょう。
○○に入るのが"Twitter"であるならば「反ユダヤ主義の投稿が拡散するようなFor you機能は改善すべき」と言えたほうが良いのです。
なぜ特定のものを作れる能力で張り合う必要があるのでしょうか (例: これを作る能力がないくせに批判するな、等)
本質を見れば、物事をみんなの力で改善していこうという話なのです。
民主主義を否定する論法は、自分の立場を守るために他人の発言を無視したり、軽視したりするものです。
前回の結果とは独立事象だからどこの売り場で買っても同じ確率でしょう
サイコロを振って6が出たとしても、2回目にふって6が出る確率は1/6で変わらないよね?
6が2回出る確率は 1/36 だ。一見すると低い確率に見えるね。でも
6の後に5が出る確率も
6の後に4が出る確率も
同様に1/36なんだ
宝くじの話に戻すと
に分けて考えるから低く見えるだけだと思う
余談:
ちなみに経験則として「上手いことが(or不幸なことが)何度も起こる確率は少ない」
というのがあると思うけれど、これはたぶんポアソン分布のこと。
30代のオッサンなんだけど、
いわゆる、大学院入試レベルの数学やら物理やらというのは、マアマアできる。
いわゆる、イプシロンデルタだの、一様収束だの、解析力学だの、熱力学だの。
そういうのは、一応理解できる。そのレベルまでは、割とサックリ行って、3か月くらいだった。
関数解析、多様体、リー代数。物理で言えば、シュレディンガー方程式、ソリトン。こういうやつらだ。
1900年前後の物理と数学、このあたりで一気にレベルが上がる。アインシュタインあたりね。ネーター定理とかの保存量とかが出てくるあたりがヤバイ。ポアソンカッコがヤバイ。数学と物理が抽象度を上げて一気に交じりだす。
1960年前後の数学となると、そっから更に難易度が上がる。レーザーとかが出来たせい(レーザーの光は量子力学の理屈からできた)で、実験系と理論系が相互に影響あたえあってるのがあるらしい(ちなみに、大抵の場合、実験系が圧勝らしい)。
実験系の話も、ギリギリ分かる程度だけど、理論系は鬼のように難しい。
ヤバイだろ。現代の人たちってどのレベルにいるんだろ。数学は流石にそんなにゴリゴリ進まないと思うけど(数学の年表みると、数年間隔は保っている)。理論物理はヤバそう。なんたって、実験系の物理のレベルがいまだに毎年レベルが上がり続けている。レンズとか光(レーザーの改善とか)とかがレベルアップし続けているから、新しい観測がドンドン生まれている(ノーベル物理学賞は光系の実験系やMRI系の波動への授与がかなり多い)。
いわゆる数学で食っている人も、「数学は小説と違うから、1日1ページでも理解できたらいい」とかそういう感じらしい。
どんだけ頭よくても、「記述の意味が分からない」時というのはあるらしい。
こんな事あるのかな。かなりビックリしている。
悔しい。
昨日(11/26)統計検定を受けたので軽く振り返ろうと思います。
自分は理系の修士卒ですが、統計を(もっと言うと数学を)あまり使わない専攻の出身でした。
しかし、思うところがあって就職では違う業界に進み、数理的なコンサルなどをしている会社に入りました。
公式教科書と過去問を買って勉強しました。自分は教科書と過去問をメインにやりました。
数学がとてもよくできる会社の同期と定期的に勉強会をして分からないところを教わりました。
公式教科書は悪評も散見されますが、少なくとも試験にでる部分についてはよくまとまっていると思いました。
ただ、紙面の都合か、分かりにくいところは適宜ネットや他の本で意味を調べました。
それを読んでこの教科書に戻ってくるとなるほどと思うこともありました。
過去に受験した会社の先輩は、竹村先生の本がいいと言っており、
自分も余裕があったらそういう正統派の本も読んでみたいと思っていましたが結局読まずじまいでした。
・本番のでき
難易度は去年並だったと思います。二年前三年前よりは簡単になっています。
午前の統計数理は選択した3問が全部6,7割のできでした。受かってたらいいなという感じです。
午後の統計応用はポアソン過程の問題に突撃し撃沈し、二問目は完答、三問目はいけたと思ったら途中から間違っていました。
多分おちました。
・感想
統計検定は意味ないという人、意味ないけど楽しいという人、いいよねという人など様々な人が周りにいましたが、
自分にとっては確率論と数理統計の入門になって良かったと思いました。
なんと言っても2か月前には尤度の意味も分かってなかったぐらいですから。
・今後
今回統計を勉強していく中で、これを基礎にして興味がわく分野がでてきました。
他には、漸近理論や情報量基準の話、もっといって最終的には情報幾何につながっていることがなとなく見えました。
簡単なところからいろいろ興味ある分野を勉強していきたいなと思いました。
何か作ってみたいですし、
最近、テレ朝が首都直下地震は常に70%の確率だと伝えている。
30年以内に70%と言われているんです
つまり、今かもしれないし30年後かも
常に、70%の確率ということ
しかし、その根拠になっている報告書をよくよく見ると、今日明日70%の確率という話ではなく、年数が増えるごとにだんだん確率が高くなっている。
今後10年以内の発生確率 30%程度 今後20年以内の発生確率 50%程度 今後30年以内の発生確率 70%程度 今後40年以内の発生確率 80%程度
つまりどういうことかと言うと、平均27.5年で地震が起きるんだから、長く住めば住むほど確率高くなるよねと言っているに過ぎない。
今から30年後までに70%の確率で首都直下地震が発生すると言っているのではありません。平均27.5年で発生する地震をポアソン分布に当てはめると、30年間というスパンではその発生確率は70%だと言っているに過ぎません
603 : 132人目の素数さん 2012/09/12(水) 19:57:33.30
誰かこれ教えてくれ
2011年~2012年にかけて、とある地域に住む18歳以下の男女36万人中、8万人をサンプリング調査した所、大変珍しい病気が1件見つかった。
1975年~2007年の統計データによると、この病気の罹患率は年間あたり0.18人/10万人だった。
問1)1975年~2007年の罹患率(10万人あたり0.18人)を用いて、罹患人数0~5人の範囲で確率分布を求め、8万人中1人が罹患するケースの確率を答えなさい。
問2)その結果から、1975年~2007年の罹患率と2011年~2012年の罹患率に変動があったと見做せるか、客観的に論じなさい。
611 : 132人目の素数さん 2012/09/13(木) 09:28:30.25
>>603
8万人を2011~2012年の1年間(正確には1年半だけど)だと
ポアソン分布のパラメータλは0.18*0.8*1=0.144になる。
計算すると
P(0人)=86.6%
P(1人)=12.5%
P(2人)=0.9%
以上から、とりあえず、一人見つかっただけでは、なんとも言えない。
ただし、来年も同じように調査をして、やっぱり一人見つかったら、
その罹患率では考えにくくなる。(2つの調査が独立として1.55%)
正直これだけではよくわからない。
結論も変わってくる。
自覚症状がないので、このような調査をしなければ、
という結果だったので、それがどこまで正しいかも含めて
どうなのよ?