はてなキーワード: 独自とは
最近のインターネットはそのサイト独自の文化が消えつつあるように感じる。
私は2ちゃんねる(今は5ちゃんだが)やTwitterをよく使っていたのだが、
現在はサイト独自の文化や面白さというものが感じられなくなった。
どこのサイトやSNSを見ていても似たような話で溢れており、気疲れするために昔ほど見ないようになってしまった。
昔は各サイトの文化やネットミームを、外に持ち出すなという風潮が強かったように感じている。
よく目についたもので言うならばニコニコネタがTwitterのネタでスレ立てするならば叩かれることが多かったのだが、
今でならスレ立てすら他のサイトのネタを使っているということがよくある。
これらはTwitterや2chだけではなく、noteやyoutubeと私が使っているサイトでは同じ話題やネタが何度も繰り返し使われている。
一箇所でバズった内容を、反応付きでどこかのサイトで拡散され、その反応でバズったものが再度展開されるというのがよくある流れだ。
インターネット利用者が増えており、誰でもどのサイトでも使うようになっているからこそ、
この流れは当然のことなのだと思う。
昔の風潮は閉鎖的であり、オープンな今の環境こそ喜ばしい状態なのだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20220721/k00/00m/010/194000c
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/823f0ceb61000186658521477c9353799879bfb6
共同代表が関わってんだからもうダメだろ。しかし維新が実質自民党の補強政党でしかないことがよく分かる事案だ。維新は人類の敵。
貼ったの母親じゃん
とくに事件性なし
たぶん拉致被害者とかだろ
生きてるとは思うが、念のため合掌
1994年9月、当時27歳の嵐真由美さんは出産のために東京都墨田区にある実家に戻っていました。
そして9月2日の19時ごろ当時1歳の娘を実家に残して外出し、そのまま行方不明となってしまいます。
「同級生に会いに行く」とだけ言い残して行方不明となった真由美さんは、そのまま戻ってくることはありませんでした。
「洋子のはなしは信じるな」
この言葉が広まったきっかけとなったのは、ニュース番組「スーパーJチャンネル」でした。
この番組では、未解決事件を番組独自で調査する人気コーナーがありました。当時この事件も未解決事件として取り上げられ、そこでこの事件が取り上げられることになったのです。
番組取材班は真由美さんの実家に取材に出向きます。テレビで特集し拡散することで真由美さんが見つかる可能性もあると考えた家族は、この取材を受け入れました。
しかし、インタビュー映像を取っていたディレクターがある異変に気づきます。
話題になったのは真由美さんの父親がインタビューを受けているシーン。それまで特に変わった様子はなかったものの、突然母親と思わしき人物が父親の背後、カメラにも映る場所に「洋子のはなしは信じるな」と書かれたメモを張り付けたのです。
「洋子」とは真由美さんの姉のことで、実家に暮らしていた洋子さんもこの取材でインタビューを受けていたのです。
カメラにもばっちり映ったこのメモについて、番組スタッフも違和感を感じますが「不可解なものがあったほうが視聴率がとれそうだ」というディレクターの判断により、そのまま放送されることとなります。
https://www.sankei.com/article/20220820-2BRPLYN47NIDBMUJDVNOD3MIBY/
韓国政府が4日の日韓外相会談で、輸出管理で優遇措置を与える「ホワイト国(優遇対象国)」への復帰を日本側に求めたことが20日、分かった。いわゆる徴用工訴訟問題をめぐり韓国最高裁による日本企業資産の「現金化」に向けた手続きが進む中で、日本側の前向きな姿勢を引き出すことで尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の「解決策」に韓国国内の理解を得る狙いがあるとみられる。日本側は徴用工問題とホワイト国復帰は別問題として要請に応じない姿勢を示した。
これを「せっかく我が国が譲歩するきっかけを作ってやったというのに日本はこの絶好の機会をふいにした!」と逆恨みするのがあの国の理解不能なところなんだよな。
近藤誠の言う事を信じたせいでがんの標準医療を拒否して亡くなった人が大勢いるからという理由で近藤誠及びその支持者を口汚く罵っている医師があまりにも多いが。
でもさ、近藤誠は何も悪くないでしょ?
だって制度上認められていたんだから。その範囲で独自の診療方針を行っていたにすぎない。
近藤誠を叩く医師達って学校の校則で髪染め自由となっていたから髪をピンクや水色に染めて登校した生徒に対して非常識だと叩くみたいな理屈だと思う。
制度上認められているならばその権利を行使する事は何も悪くはないと思います。髪を地味な色にしてほしければ、ちゃんとルールで決めましょう。
標準医療のルールを守るべきならば先に規格を統一し、全ての医師に対して規格を守るようきちんと義務を課すべき。少なくとも医療のように人の命が関わる分野では、個々の医師に独自の方針なんて許しちゃ駄目でしょ。悪いのは近藤誠じゃなくて日本の医療制度。
何も近藤誠のような有名人に限った話じゃなく、無名の町医者だって現代医療の常識に反した医療を行っている可能性はある訳だけどそれはどうでもいいの?
そりゃあ統一協会だのオウムだのといったカルト宗教や、医師免許を持たない怪しげな肩書きの自然派療法に頼るのは問題外だけど。
近藤誠はそういうのとは違うでしょ。
きちんと日本の法律の元で医師免許を取得しそれを持ち続けてきたんだから、患者がその近藤誠を信じるのは何らおかしくないし寧ろそうじゃなかったらおかしいです。その医師免許は飾りか?って事になるから。
大体、なんであくまで素人でしかない患者に対して、完璧な医療リテラシーを持つ事を求めるの?
そんなに簡単に完璧な医療知識が得られるならば、高いお金と長い時間をかけて医学部に行く意味なくない?
医学部に通い国家試験を通った医師を、素人である患者が信じる事の一体何が悪いのかさっぱり
何度でも言うけれど近藤誠の件で問題があるとしたら近藤誠個人でもそれを信じた患者でもなく、日本の医療制度とその制度を維持したままでネットで個人攻撃して解決になると思っている医療クラスタだよ
https://twitter.com/georgebest1969/status/1205303445302829056
↓
https://note.com/hiroyukimorita/n/n24e495fd03e2
いつまで日本は騒いでるんですかね…
再投稿したら再投稿更生学校に自費で通わされたんだけど、ここがとにかく酷い。無法地帯と言ってよい。
どこの会社が委託しているのかわからないが、とにかく酷い。マネーバリューがあるとかないとか言う以前の話。
毎朝5時に竹刀で叩き起こされて冷水浴をした後、体育館に並んで朝礼で「再投稿は甘え」を50回唱和させられる。疲れて少しでも背筋が曲がってきたら竹刀で背中を叩かれて、最初からやり直し。
午前中は学科で再投稿にあたらない独自の投稿とは何かを「理論」で学ばされる。新しいものを生み出すにはこれまでの作品を知らなければならないとかで日本文学史を覚えさせられる。そのせいでだいぶ俳句の「月並」とかに詳しくなった。
自費でかなりの金額を払っているのに昼食はいつも食堂でお粥と沢庵と焼いたウインナー一本。ヤカンから番茶は飲み放題。
午後は実作で、再投稿にあたらない独自のエントリを増田に各自投稿する。教室内でだれがどのエントリを投稿しているか、お互いにわからないので、少しでも似たものがあるとお互いに「再投稿は甘え」と書き込み合う。これが際限なく続く。毎日やっていると心が病んでくる。
というルーチンを半年続けさせられて最近ようやく出てきたんだけど、やっぱり再投稿は基本的人権だと自分は思っている。これを再投稿しているとまた更生学校に入れられるのかもしれないが。
日本人不動産オーナーってバカしかいないので普通に外国人を差別する。住む場所が見つからない外国人が頼るのは誰か、それは中国人である。中国人は独自のネットワークを持っていて人数が多いこともあり差別を受けた外国人の受け皿になっている。このことはどんどんと広まっている。日本はしょうもない差別を続けているとそのうち中国人に負ける。外国人差別を今すぐやめろ。
こどものためと称して200円台のJDMを集めてトラックで走らせてるおじさんだが、ホットウィール独自の文化について調べたいと思ってたところに面白い増田が読めました。ありがとうございます。
あまりなろう系を馬鹿にしてばかりも良くないので、小説投稿サイトでランキング上位にくるものをいろいろと読んでみた。
全体のランキングと日時のランキングも確認したので、傾向と対策はバッチリだと思う。
流行った話の後追いが多い。多すぎる。
特に女性向けの短編は登場人物の名前、設定、話の展開と似たようなものが多すぎる。
男性向けも後追いばっかだが、こちらは読んでるとやけに熱が入った描写が出てきたりして、作者の性癖なのかコンプレックスなのかと邪推してしまう。
また、男性向けは似たような設定とは言え独自用語で世界観を作るのに対して女性向けはある程度世界観が共有化されている。
とはいえ男性向けでも魔術回路やら真祖と死徒やらTYPE-MOON用語は平気で飛び出すので必須教育なのだろう。
全体としての傾向は似たようなものだったが、それでもサイト毎に傾向は違うと思ったので書いてみる。
有名どころ。書籍化もされているような作品はレベルも高く、有名どころも多いので暇つぶしには良い。
とはいえなろう系の悪印象のパブリックイメージは大体通用する。
最近の傾向としては1話完結の短編で作品のアブストラクションを書いて、それが評価されたら連載版にするのが多い。まあ長々話書いて評価されなかったら悲しいというのは分かるが、保険をかけてる感じであまり好きではない。
「ネタはあるがひとまず話は終わり、要望があれば連載版とでいろいろ書きます」とか言うの見ると「最初から書けや!!!」と思う。
こちらもなろう系のパブリックイメージに従うが、ガッツリオリジナルの中身で勝負するぜという気概を感じる作品が比較的多い。気概があるのと面白いのが連動しないのは作品作りの辛いところやね。
最近の傾向としては短発でのギャグ話が流行りがちというか……尺八様が評価されるようなサイトだもんな……と感じる。
インターネットのノリには一番適している。
なんというか若者の主張というか……なんかメッセージ性込めたかったんだろうがよく分からない作品を読むたびに背筋がぞわぞわする。
最ヤバ。文章力最下層。
角が立つ言い方だが腐女子のおふざけサイト。オメガバースとBLのR18比率が高すぎる。それらのジャンルが悪いというわけではないが、作品のクオリティや作者の振る舞いが最も低く感じるサイトだった。
まず「完結済み」と書いてある話が完結していない率が高い。投げ出すなー!
作品の文字数もめちゃくちゃ少ない。多ければ良いというものではないが2000文字以下が多すぎる。それで何が書き表せる。他の話と似たような話だから問題ないですねそうですね。
今まで見た日次ランキング入りの最低話数は92文字。散文かよ。
日次ランキング一位のタグに「真剣に読んだら負けw」って書かれてたのをみたときにそういうサイトなんだなと思った。なんだかなあ……
https://twitter.com/nijico/status/1558838940257632256
ファンがつどって本を売るイベントの多くはカテゴリー名「同人誌即売会」です。
売り手を「サークル」、買い手を「一般参加者」といいます。本を買うときは通常サークル側で「出場、ブースを出す」するか一般参加者側で「当日買いに行く」どっちかの方法で参加します。(サークルと一般あわせて全員が参加者であり、お店とお客ではないことにご留意ください)
まず同人誌即売会すべてがコミケではないのでご注意を。その行為は「準チョコレートスナック菓子すべてをタケノコの里と呼ぶ」ような行為。争いのもとです。
また参加にあたっては各運営のサイトをよ~~~~~~く隅々までよんで参加してくれ。
ルールをまもらないと、犯罪やトラブルに巻き込まれてもだれに責任をおしつけることもできないぞ。
真名:コミックマーケット。開催回数ごとにC●●●と数字をつけて特定して呼びます。「2022年の夏のコミックマーケット」=「こないだの夏コミ」=「コミックマーケット100」=「C100」です。秋コミはない。
年二回(盆暮れ)開催ですから次は2022冬コミのC101だね。
運営は「コミックマーケット準備会」の名でツイッターしてます。オールジャンルで2~3日間の連日開催です。
※連日開催でも基本的には総入れ替え制(日付が違うと同じ場所でも違う店に代わっている)なので日付をまちがえてはいけない。
東京都から指導が入っておりコロナ下では事前に入場整理券を買えて時間通りに到着してないと一般入場者も入れません。つまりコンサートチケットみたいなやつが必要です。
真名:「コミックシティ」。 ※誤用でシティもなにもかもひっくるめてコミケと呼ぶ若い人も多い。
大きいの(拡大開催)を「スーパーコミックシティ」「スパコミ」「超都市」などと呼びます。スパコミは連日開催(総入れ替え)。他は1日のみの開催期日のことが多いです。
他にもイベント冠名とかがいっぱいある。「スーパーコミックシティ星に願いを2022」とか。この場合「星に願いを」などと冠名のほうで呼ばれる場合があります。
あとものすごく複雑な経緯のすえに、3月のコミックシティだけは「春コミ」と略称するケースがある。(真コミケと紛らわしい)
コミケの1週間あとに大阪インテ会場でやるのが夏冬のスパコミ。
あと連休にあわせ年6回くらいやってます。10月(体育の日)3月(お彼岸)5月(ゴールデンウィーク)とかあるはずだ。
運営は「赤ブーブー通信社」略称「赤ブー」です。男性向けの「青ブーブー通信社」ってもうやめたんだっけ?
オールジャンルではないです。赤ブーは女性向けジャンルメイン。
独自の制度として「プチオンリー」というのがあります。全然プチじゃない謎の包括イベントで、イベントインイベントです。
大事なことはジャンル者の中ではこのプチオンリーの名称がコミックシティの代名詞になってたりします。「シティに出ます」といわずに「プチオンリーに出ます」というわけ。
それもジャンルごとに凝った命名があって、アニメ名称そのままではないので一度、赤ブーのサイトにいって自分のジャンルはなんというプチオンリー名でやってるのか用語をよく確かめてください。
と言っても原作名とプチオンリー名の対応が一覧表で載っているわけではなく、そのプチオンリーがあったイベントだけ「プチオンリーのリスト」の形で載ってます。
じゃあマイナーな原作のファン作品をどうやって探せばいいかというと、「ケットコム http://ketto.com/ 」という同人イベント検索サイトでの横断検索が便利です。
なおシティへの一般参加はコミケほどは入場制限が厳しくないです。企業ブースが少なく転売者が少ないせいかもしれない。
東京で年に2回くらいやってるオリジナル系。つまり二次創作やアニメ系のファンブックは一切売ってないです。
逆にいえば本人のオリジナル設定・オリジナルキャラでさえあればよい。
たまには商業誌でオリジナルでBLやってる方の外伝とか打ち切られたやつの続編とか見ごたえあります。
最近はTRPGのシナリオやゲームブック、キャラシートとかも盛んなのかもですね。(見てきたかのように言う)
東京に住んでたら行くけど規模が小さめなので地方民には辛いやつ。
運営は上2つとは違うらしい。
運営者がスタジオYOU。地方でやってくれるのでアニメ漫画の好きな中高生が気軽に出られる。
手作りグッズやコスプレによる交流も盛んで学校を超えた地方全体の文化祭のような雰囲気。
感染対策状況や開催状況などについて増田は全然経験なくてわからない。つぶれてないといいなぁ
男性向けなどに多い。コミケのない時期に、赤ブーもプチオンリー開催してくれないようなジャンルがファンの集いをひらきたくて手弁当でやってるのが「オンリーイベント」。
つまり箱が小さいので知る人ぞ知る。ケットコムで同行の士を探してくれ。
それかコミケだの大規模イベントでジャンルの人をみつけてその人にコミケ会場ではなしかけて尋ねろ「次どのイベントでますか」と。
最近コロナだから自腹オンリー減ってる。シティのプチオンリーがやっぱり楽ちん。
上の各種イベントがコロナで直前中止になったら一斉にかけこむ。
正直、ピクシブと虎とブースへのリンク集的。あまりまとまってなくて見づらい。執念と疲れない目が必要。
ピクスクと、赤ブーオンラインが二大オンラインイベントサイト。
ピクスクはなんと1サークルだけでもオンラインオンリーイベントを開催できてしまうのだ。力量さえあればだが。
正直今回のC100の鬼行列はもうオンラインイベでいいじゃんとみてておもった。
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今のところの規模感は
『がん医療 独自の主張でベストセラー 医師の近藤誠さん死去』
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220814/k10013770761000.html
ってニュースに驚いたけれど、
個人的にはこの人の主張については、がん治療反対には賛同出来ないけれど生活習慣病などへの健康診断についての反対には賛同出来るって立場だったから
複雑だ
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784166611171
「日本人の多くは「健康」のため職場健診や人間ドックを受診していますが、欧米には存在しません。「より健康になる」とか「寿命をのばす」という効果を証明するデータがないからです。
著者の近藤誠さん本人も、慶大病院で在職した40年間、執行部から強い圧力がありながらも、一度も受けませんでした。検診は有効というデータがないからです。にもかかわらず、
日本では、医学的な根拠がないままに、1972年の「労働安全衛生法」で健診が義務化され、今日に至っているのです。日本の平均寿命は世界のトップクラスですが、奇妙なのは、
男女間で平均寿命に6歳もの差があることです。女性よりも職場で健診機会の多い日本の男性は、まさに「健診で寿命を縮めている」可能性があるのです。」
それにしても73歳という平均よりは若い年齢で亡くなった事によって、反対派はますます勢いづくんだろうな……
まあ当人の主張が「健康診断が寿命を伸ばすというエビデンスはない」というものだったので、
こうやって当人が身をもって「健康診断しないと寿命を縮める」というエビデンスを作ってしまった以上は仕方がないのかな。
ピカブイから最新のアルセウスまで書きます。主に第八世代を追記修正しました。
第三世代~第五世代:anond:20220812150701
第六世代~第七世代:anond:20220812184049
第七世代と第八世代の間に発売された「ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ・Let's Go! イーブイ」のことを
便宜上7.5世代と呼ぶ人もいる。ピカブイ限りのシステムもあるので参考程度に書く。
今作からイーブイの声が悠木碧のものになった。これは第八世代でも継続される。
ピカブイは一応初代のピカチュウバージョンをリメイクしたゲームという体裁だが
ポケモンGOとの連動を強く意識したゲームで、システムにもポケモンGOの影響がある。
ポケモンGOではポケモンを博士の研究所に送ったときにもらえるアメでポケモンを強化するが、
ピカブイでも同じようにアメをもらえ、ポケモンをレベルとは別に強化できる。
これは本編では導入されなかったが、第八世代では経験値アメという似て非なるアイテムが導入された。
ポケモンGOでのポケモンゲットはタッチパネルを使ってボールを投げるの方式だったが、
ピカブイではSwitchのJoy-Conを使って投げる動作を行うこともできる。
でも面倒なのでSwitchの携帯モードでボタンを押す方式のゲット方式にする人が多いと思う。
今まではポケモンセンターに行かなければパーティを編成できなかったが、
ピカブイではポケモンセンター外でもポケモンの入れ替えが可能になった。
メガシンカとZワザが廃止された代わりに導入された戦闘中1度だけ使える特殊システム。
ポケモンが数ターン巨大化して、その間はわざも「ダイマックスわざ」に変化する。
どのポケモンで、どのタイミングでダイマックスを切るかという駆け引きは結構好評だったと思う。
また、ポケモンによっては「キョダイマックス」という特別なすがたに変化して、
わざも通常のダイマックスわざとは違う「キョダイマックスわざ」を使うことができる。
今回はエメラルド・プラチナやウルトラサンムーンのようなマイナーチェンジは発売されなかったが、
その代わりに有償の追加ダウンロードコンテンツとして「鎧の孤島」と「冠の雪原」が遊べるようになった。
前回のウルトラサンムーンが「DLCみたいな内容なのにフルプライスなのはおかしい」と言われていたし、
料金も2000円ちょっとで以前と比べてかなり良心的になったと個人的には思う。
ガラル地方にはワイルドエリアというオープンワールド風フィールドがある。
ポケモンもシンボルエンカウントとなったがあくまでオープンワールド「風」なので
別にポケモンに襲われて死ぬ事は無い。後述のアルセウスでは死ぬ。
ワイルドエリアにあるポケモンの巣から光の柱が出ているときに、
倒せばそのポケモンを捕まえるチャンスが与えられ、またいろんなアイテムも手に入る。
これがまた大縄飛びを面倒臭くしたようなゲームで、正直面白くなかったんだよね…
DLC「冠の雪原」で歴代の伝説のポケモンと出会うチャンスもあるダイマックスアドベンチャーも追加された。
例えばルビサファで初登場した「マッスグマ」にはガラルのすがたがあるけれど、
そこからさらに「タチフサグマ」というポケモンに進化するようになった。
つまり従来のマッスグマには進化が与えられないわけだ…そこはちょっと悲しいね。
ちなみに伝説のポケモンのリージョンフォームが登場したのも第八世代で、
初代に登場したファイヤー・サンダー・フリーザーのリージョンフォームが登場した。
サンムーンまでに809種類ものポケモンが追加されてしまったので、いよいよ限界が来てしまった。
ポケモンは開発期間がビジネス上の都合で制約がある(ゼルダのように4年も5年も開発期間を裂けられない)ため
全てのポケモンを新しい作品に連れて行くことは今後できないという話だ。
例えばサンムーンで初登場した「ネッコアラ」は最新作の剣盾やアルセウスには連れて行けない。
ただ、リストラされてもポケモンHOMEのようなクラウドサービスには残せておけるため
今後リストラされたポケモンが復活するまでHOMEで寝かせることはできる。
とくせいパッチを使用するとポケモンのとくせいを隠れとくせいに変更できるようになった。
また、ミントで性格のステータス補正を別の性格のものに変更できるようになった。
これらによって厳選難易度が落ちた。
正直、とくせいパッチにしろミントにしろもっと早く実装して欲しかった要素だ。
俺はそういうの疲れちゃったからポケマスやってるよ。
わざレコードはマックスレイドバトルなどで手に入れることができる。
「Pokémon LEGENDS アルセウス」は今のところポケモン本編最新作だが、
従来のシリーズとは大きく違っているため便宜的に8.5世代とする。
次回作のスカーレット・バイオレットでも電子音が継続されるらしい。
なんと今回はポケモンと戦闘に入るまでが3Dアクションとなっている。
モンスターボールを自分で狙って捕まえられ、相手が気づかないうちに遠くから狙い獲ることもできる。
ただしポケモンもプレイヤーを襲うし、プレイヤーの体力が尽きると持っていたアイテムをフィールドに落としてしまう。
ヒスイで最初に出会うラベン博士も「ポケモンは怖い生き物です!」と言っている。
オヤブンと呼ばれるオーラをまとったポケモンは特に強く、プレイヤーにはかいこうせんを撃ってくるものもいる。
ポケモンを逃がしたり捕まえたりすると通称ガンバリアイテムと呼ばれるアイテムをもらえる。
今作のポケモンにはガンバレベルという個体値的なパラメータが設定されているのだけれど、
ガンバレベルはガンバリアイテムを与えていくと最終的にMAX(10)まで上昇する。
従来の個体値や努力値(ポケモンを倒すと取得できるいわゆる基礎ポイント)を統合させたような仕組みで、
今後はこれでもういいんじゃねえかという気持ちになってくる。
他にもいろいろあるけど、正直書き切れないわ。勘弁してくれ。
インドって菜食主義が浸透してるんだけど、バラモンは菜食で、カーストが低くなるほど肉とか卵とか食うんだわ
まあ牛は食わんけどさ、菜食主義って昔っから金持ちの特権なのよ
貧乏人は飢えちゃうから肉食うけど、なんかそれを金持ちが「あいつら汚れてるわ」とか「おまえら地獄行きだぞ」とか煽り倒してめちゃくちゃ差別して搾取してきたわけよ
現代の日本人はさすがに肉食わなくても飢えないけど、金持ちの道楽ってところは変わってないよね
この「金持ちの道楽じゃん」って、別に俺が考え出した俺独自の批判じゃないけど、君の提示してくれたビーガンFAQには回答が見当たらないので、回答を求めます。
なんか追記修正してたら文字数制限で正常に書き込まれなくなってきたからピカブイ以降はまた別記事にします。
第三世代~第五世代:anond:20220812150701
ピカブイ・第八世代・アルセウス:anond:20220812213515
マイナーチェンジのお蔵入りなどもあって個人的に一番地味な印象の世代。
また、今作からピカチュウの鳴き声が大谷育江のものに変更された。
実はDSに移行した第四世代の時点でフィールドの一部は3Dになっていたが、
イベントムービーやタイトルのような例外を除いてポケモンはずっとドット絵のままだった。
しかし3年以上の時間をかけてXYまでに登場する全721種類のポケモンの3Dモデルを作成し
3DSに移行した第六世代でついにポケモンが完全に3Dになった。
ただしバクフーンが戦闘中のごく一部でしか首から火を吹き出さなくなって見た目がただのでかいイタチになってしまう、
一部の浮いてるポケモンが宙吊りされたような変なモーションになってしまうなど副作用も少なくなかった。
ドラゴンタイプが強かったのでその対策のために追加されたのがフェアリータイプ。
かつてのエスパータイプに対するあくタイプのようにドラゴンのわざが無効となっている。
イーブイのフェアリータイプの進化形態「ニンフィア」が登場したのもこの世代。
フェアリータイプが追加されたことにより相性が追加されているが、
ゴーストやあくタイプのわざをはがねタイプのポケモンが受けた場合従来はいまひとつ、つまり半減だったが、
第六世代からは等倍となってしまった。これは明確なはがねタイプに対する弱体化だ。
このモードで仲良くならないとイーブイはニンフィアに進化しない。
この手のふれあいミニゲームは第七世代でも「ポケリフレ」という形で残り、
メガストーンを持たせたポケモンが戦闘中にさらに進化できる仕組みが追加された。
ただしこのメガシンカシステムには特定のポケモンでないとメガシンカできないという大きな問題があり、
必然的にメガシンカ可能なポケモンがリザードンやガブリアスなどといった人気ポケモンに偏ってしまった。
リザードンやミュウツーに至っては2種類もメガシンカが追加されている。(メガリザードンX、メガリザードンYなど)
これにはメガシンカには専用の3Dモデルが存在するため全てのポケモンには追加できないと言った事情もある。
また対戦ではメガガルーラが猛威を振るって「ガルットモンスター」などと揶揄されるほどで
お世辞にもゲームバランスはよくなかった。
第六世代以降戦闘中に1度だけしか発動できない特殊なシステムが毎回登場する。
とくせいが複数あるポケモンのとくせいを現在とは違うものに変更できるようになった。
厳選難易度が落ちた。第六世代以降この手の厳選作業の緩和が段階的に行われるようになった。
第二世代~第五世代までのはがくしゅうそうちがはポケモンに持たせる道具で、もたせたポケモンに経験値を分配する仕組みだったが
第六世代から戦闘に参加したポケモンは全ての経験値を得られ、それ以外の全ての手持ちポケモンは50%の経験値を得られるようになった。
これにより育成が容易になった。
ピカブイ以降はがくしゅうそうちが廃止され、全てのポケモンに経験値が均等に配分されるようになった。
以前、フシギダネとか最初の三匹は野生で出てくるという話を聞いた記憶があり、それにめちゃくちゃビックリした記憶がある。調べていないので真偽は不明なのだが・・・。
これはおそらくフレンドサファリかもしくは第七世代の島スキャンの事だと思われる。ここではフレンドサファリについて解説する。
フレンドサファリという施設では自分の3DSで登録した友達のフレンドコードに基づいて特定のポケモンが現れる。
隠れ特性のポケモンの入手が可能であり、初代とXYの御三家(最初にもらえる三匹)もフレンドサファリで現れる。
ただし自分自身のフレンドコードでどのポケモンが出るのかを調べるには友達と協力する必要がある上
出てくるポケモンの格差(現れるポケモンが今作初登場の隠れ特性でないなど)が激しいなど問題があり、
いろいろと面倒臭く評判は良くなかった。自分でも書いててわけわかんなくなってきた。
ポケモンを預けることで見ず知らずの人とランダムにポケモンを交換できるシステム。
適当に預けていてもわらしべ長者式にレアなポケモンと交換できるチャンスがあるためそこそこ人気だった。
個人的には末期に改造ポケモンの温床となっていたイメージがある。
第七世代からの要素だと思い込んでたけど第六世代からあったわたしかに!
第五世代の次ぐらいにキャラ人気が高い世代だと個人的には思っている。
あとロトムがうるさい。
前回のメガシンカの反省から生まれた新しい特殊システム。(メガシンカも引き続き使える)
一度だけわざを「Zワザ」という特別なわざに変化させることができるようになった。
Zワザにはどのポケモンでも使える汎用Zワザと特定のポケモンが使える専用Zワザの2種類があって、
リージョンフォームは従来のポケモンの亜種とも呼べるすがたで、「(地方名)のすがた」と表現される。
例えばアローラ地方の強い日差しを浴びたアローラの姿のナッシーは非常に首が長く、
第五世代でわざマシンが使い捨てで無くなり、いよいよ存在意義が疑われていたひでんマシンがついに廃止された。
その代わりに現地のポケモンに協力してもらうポケモンライドが導入された。
ひでん要員にパーティを圧迫されずに済んで喜ぶプレイヤーがいれば
ひでん要員としてパーティに加えられなくなってしまった可哀想なポケモンもいる。
なお、第八世代相当であるダイパリメイクではひでんマシンが復活している。
すみません、ダイパリメイクではポケッチによるポケモンライド形式でした。
ポケモンには通称「個体値」と呼ばれるポケモンの個体ごとの強さの値が存在する。
各ステータスごとに0~31までの32段階あるためプレイヤーは基本全ての値がMAXの31あるポケモンが欲しいわけだ。
(必要な部分だけMAXなら良い場合も少なくなかったり、個体値が0であることで有利になるパターンももちろんある)
そのためにセーブデータの改造に手を出すプレイヤーも少なくなく、世界大会に出場したプレイヤーですら改造していたという。
第六世代ではあかいいとのような個体値厳選の緩和要素も追加されたが焼け石に水だった。
この深刻な改造汚染に歯止めをかけるために導入されたのが王冠で、
クリア後にレベル100のポケモンに王冠と引き換えに「すごいとっくん」をさせることで金の場合は全ての値が、銀の場合はひとつの値がMAXとなる。
第七世代では3DSのカメラ機能を使ったQRコード読み込み機能があり、
どこだろう?
個人的には
・大き目の本屋
・オタ系ショップ
・大き目の家電量販店
があり
・飯がうまい
・家賃がそれほど高くない
オリオン通りのフェスタビルに各種オタショップが揃っているし、
メガドンキがあるし、駿河屋あるし、ヨドバシあるし、おっきなシネコンも2つある(多少距離はあるが、LRTが出来るので交通の便はよくなりそう)
アニメだと東京のキー局は全部映るし、独立系のとちぎテレビにアニプレ枠があり、まろに☆えーるみたいな独自路線もあるし、GWにはアニメ系のイベントもある。
東京に有料特急使わず乗り換えなしで行けるのもプラス。しかも始発(2時間かかるが)
で、悪くなかった。
確かにアラは目に付きまくるが、まあ本来2時間で終わるさらば宇宙戦艦ヤマトを、2クールで作れと言われたらあれ以上にやるのは難しいだろうな、という感はあった。
自分は「2」は見てないのでそっちとの比較はしないが、個人的には2199よりも満足感が高かった。
というか、自分は2199の随所に不満があり、そっちで期待値を爆下げしてたので、2202が意外と悪くなく感じたのだろう。
2199の何に不満を持ったかと言えば、真っ先に思い浮かぶのが「波動砲封印」。これである。
なんかイスカンダル姉妹が二人とも波動砲嫌いで、何でも昔イスカンダルが波動砲で宇宙に覇を唱えた事を悔いているからとか。
しらねえよアホ。それをやったのはイスカンダルであって地球じゃねえ。
なんでお前らの反省で地球が縛りプレイしなきゃなんねーんだよ。
波動砲封印したせいで外敵に敗れて地球が滅びたらお前責任取れんのか?
沖田艦長は何か使わない約束しちゃったけど、あれほとんど戦争終わってたからOKしただけだろ。バラン星より前にそれ言われてたらOKしたかよ。沈むぞヤマト。
まあそんなこんなで波動砲封印しちゃって、その悪影響が2202まで引きずってたわけだが、
ご存じのとおり、2202の後半なんて数百発の波動砲が飛び交う波動砲天国である。(というか、波動砲くらいしか相手に有効な攻撃が無い)
2202の冒頭では、「波動砲を使いたくない古代と、波動砲を使いたい地球連邦軍」という対比になっていたが、
「波動砲がなきゃ敵に勝てないと骨身にしみてる古代と、かすっただけでも比喩抜きで地球が木端微塵になりかねない波動砲を封印したい地球連邦」という図式の方が自然だ。
波動砲撃ちまくりになったら困るのは地球なのだ。この辺、旧作のさらばでも何も考えずに波動砲艦隊作った辺り、幾ら核兵器の比喩とはいえ扱いが雑だなあという感が強い。
まあ、それはともかく、通常兵器では殺していいけど波動砲では殺しちゃダメ、というイスカンダル姉妹の独特の価値観は、普通の空襲で死んだ人は特集しないくせに広島長崎で死んだ人は毎年特集して語り継いでる日本へのオマージュかと思われるがとにかくアホらしい。
人道を掲げるならいっそのこと「兵器は何一つ使うな」くらい言えば良いものを、そこまで言えない辺りに底の浅さがにじみ出ている。
だいたい、あの姉妹はイスカンダルの座標すら地球に教えてくれず、試練とかふざけたことを言ってて、本当に地球を救う気があるのかも怪しいのだが、
この辺の高貴なるイスカンダルの高貴なるお遊戯は旧作には出てこないわけなので、2199で追加された新設定であると思うと腹立たしさも倍率ドンである。
まあ、リメイク作品の作り手の常として、「旧作を極力リスペクトしつつ、旧作の矛盾点は解消したい」という欲があった事は想像に難くないので、「なんでイスカンダルとガミラスが二重星だと最初に言っといてくれんのや」という旧作の不満点を解消しようとしてそうなったのだろうが、
そんなちまい矛盾を解消するためにスターシャを人類に試練を課す女みたいな妙な位置づけにして世界観をぶっ壊してしまうのは本末転倒ではないのか。
旧作のひおあきら版なんて、スターシャ様はイスカンダルを爆破してガミラスを巻き添えにする烈女ぶりを見せており、そこまで献身的に助けてもらっちゃうと、さらばで地球連邦の増長ぶりに腹を据えかねた古代の怒りも理解できるのである。
イスカンダルは自分を犠牲にしてまで地球を救ってくれたのに、テレサのメッセージを他人事としてブッチするとか、地球はそこまで恩知らずかという古代の怒り、失望、そういったものも理解できるわけで、それがさらばのラストで「今度こそ地球は目覚めるだろう」という、地球文明自体の成長と、そのためのヤマトの犠牲という図式に収まるわけなのだが、
リメイク版では2199のイスカンダル女がイスカンダル価値観を押し付けてくる傲慢さを見せつけているせいで、その辺の図式がパァである。
というか、イスカンダルもガミラスも本来異星人であり、地球と理解し合える部分なんて「点と点」でしかないのが当たり前なのだが、2199では何を血迷ったのかガミラスと地球の戦いを、ガミラスが恒久平和を目指してるとか、地球側から先制攻撃したとか、お前、「戦争はどっちにも正義がある」的なDD論を持ち込もうとしてるやろというSFも糞もない地球的価値観を設定をぶち込んできたのだ。
このガミラスの地球人化は話が進むにつれてどんどん進行し、なんかドメルが良い家庭人的な扱いになってたりとか、かわいい少女宇宙人がでてきたりとか、もう目も当てられないほど地球的なガミラス像が展開されている。
旧作も最終的にそういう方向に行ってしまうのだが、少なくともデスラーが「愛」とか馬鹿な事を言い出すのは新たなる旅立ち以降の話であって、話が通じないから大砲で会話するという異文化コミュニケーションの基本は旧作の方が押さえていたと言えるだろう。
あと古代守の特攻シーンもなあ。旧作の、負け続けて逃げ続けて、負け疲れた人がとうとうブチ切れて「死んでやる」と言い出したような救い難さがなりを潜めて、皆で笑顔で軍歌を合唱しながら特攻である。戦争やった事ない人の軍人ロマンやな、という感が強い。(私も戦争やった事なんてないけど)旧作の方が「負けっぱなしの軍人が死に場所を求めた」感があって、良い感じにやるせなかったのだ。この辺は「バカめ」も同じで、あれは本来、指示を受けた通信手の方でも真意が理解できないタイプの、どんだけ負けまくっても諦めない男・沖田十三がどんな人間かを示すセリフのはずなのだが、2199では部下の方も心得顔で得意満面の返答である。スタッフにバカめと言ってやれ。
あとはもう、戦争やってんだか青春やってんだか分からんお前ら本当に軍人かと言いたくなるようなヤマト学園ぶり(これは2202にも引き継がれている)とか、まあ色々あって2199には大変失望させられた。
テレサの位置づけが微妙過ぎて、なんなのあの人って感が強かったのとか、なんか「一日稼げば一日分の艦隊作って持ちこたえられる」みたいな事言ってた割に、最後バルゼー艦隊が何の抵抗も受けずに地球上空を押さえちゃったの何でなのとか(なんか私が見落としたんだろうか・・・)、トランジット波動砲とかいうの、他の地球艦にも装備して2,3発撃ち込めば終わってたんじゃないのとか、斎藤の名セリフとか無理やりねじ込んでキーマンとか華々しく死なせた割に、あの特攻なんも意味ねーじゃんというかもう、そこで死なせるなら加藤と同じ場所でも良かったじゃんとか、加藤も加藤で、お前そんな選択はいくら何でも無いやろとか、お前そんな死亡フラグ立てまくる事ないやろとか、まあ、色々言いたいことはあるのだが、
旧作の海原雄山みたいな傲慢な爺さんであったズォーダーや、キャラ立ってたくせに退場シーンすら存在しないサーベラー(関係ないけど、アメリカだと古代×サーベラーのカップリングが割と鉄板だとか20年ばかし前に聞いた覚えがある)なんかに大胆な設定を付与して、旧作とは全然別物ながら「異質な異星人」として存在感出しまくってたのが大変良かった。この辺、地球人化が著しいガミラス人とは対照的である。
旧作で存在した「アンドロメダを征服した帝国が首都星一個破壊されたくらいで終わるわけないやろ」という矛盾点(これはガミラスもそうだけど)を、ゴレムとかいうシステムで解消した事とか、旧作の地球連邦艦隊のあまりにアレな負けっぷりが解消されてたのも良い。
時間断層とかいう取って付けたような設定も、当初は「一年でそんなに復興するわけないだろ」という旧作の矛盾点を解消するためだけのギミックかと思ったら、終盤ではそれをフル活用して「勝てないけど負けない」という異形の戦術を編み出す所までSFしてくれたのは意表を突かれて大満足だった。独自の設定を前提として、現実ではありえない合理性を編み出してこそSFである。小賢しいワームホールとか波動なんちゃら理論なんか幾らそれっぽいのを出そうが、そんなものはSFではない。別の合理性を構築してこそSFなのだ。
2202については、双方の戦法がデタラメである事を批判する声もあるようだが、もともと「知らない文明同士の戦争」でまともな戦法なんてあるわきゃ無いのである。とりあえず隠し玉を用意しつつ、ちまちま突っついて相手の手の内を探る以外の何ができる。相手がどんな兵器持ってるか分からないのに、陣形とか笑止である。密集陣形が良いのか、散兵戦術が良いのか、機動戦術が良いのか、野戦築城が良いのかなんて、相手がどういう兵器を持っててどんくらいの数がいるのか分からなければ、判断できるわけもないのだ。
ガミラス戦争でガミラス側が陣形を多用できたのは、ガミラスが地球側の戦力を読み切っていたからと、相手がヤマト1艦だけだったからであろう。
そもそも、地球もガトランティスもワープ持ってるのだから、先に手の内を晒した方が著しく不利なのだ。どこでもドア持ってるやつ同士の戦いで陣形が何の意味があるというのか。
有効な戦法があるとすれば、「あとどれだけ増援が来るか分からない」という状態を維持することで、相手方に全力を出させない事くらいだろう。全力攻撃で目の前の相手を殲滅しても、その隙をついた後だしジャンケン攻撃で我が方が殲滅を食らっては意味がないからだ。要するに戦力の逐次投入が最適解だ。
という事で、ガトランティスの戦法のなさっぷりは別に不満は無い。
山南も良いキャラしてて、特に前半の「イスカンダルに行った連中は浮世離れしてて・・・」みたいな発言は良かった。確かに、あの世界では銀河系の外まで行った地球人はヤマトの諸君だけであり、ほとんどの地球人は太陽系の外どころか、生まれた星の外に出た経験がある人すらどれだけいるか怪しいレベルなのだ。
そのせいで、ヤマトの諸君の感覚と、一般的な地球人の感覚にはかなりのズレがあると考えるべきで、上記の発言はその辺の地球人側の感覚を端的に表している。
主にDXとかノーコード(ローコード)周りについてコンサル目線で書いておく
表でこんなことを書こうものなら会社クビになる可能性あるのでここに書いておく
(なんでこんな世の中になっちまったんだよw)
DXって別にIT化するだけの意味じゃないんだけど、それすらできてないからIT化って意味で以下注意点かいておく
というより、DXやりたいって言ってる人のほとんどがDXができる状態じゃない
床が見えないほど散らかってる部屋でルンバが使えないように、前提となる条件をクリアできてない
それがもう絶望的にできてない
体感としては8割以上できてない
多分自分たちのやってる仕事が良くわからないし、行き詰ってるからDXという魔法の言葉に救いを求めてるんじゃないかな
まず自分たちがやってる仕事に対して、「どんな仕事をしていますか?」「その仕事をやる理由は何ですか?」という質問に答えられるようにする
人が増えて、長くやってる会社は目的がわからないルール、意味のない仕事が増えていく
これを整理できないと何も前に進められないです
収入印紙を貼る理由なんて良くわからない人がばかりなのにルールだからと貼っている
程度問題ではあるけれども、なんでこの仕事やる必要あるんだ?この会議に出る意味はなんだ?
先にそっちなんとかしてください
次に問題になるのは誰がやるかってこと
「IT部門の若手にやってもらう!」とか気軽に言う人が多いんだけど
これできる人って
ウルトラスーパー超絶優秀な人です
いやマジで
1000人にひとり見つかれば良い方
この業界に20年以上いるけどこれちゃんと出来る人、今まで一人しか会ったことない(その人はさっさと起業してしまいました)
ある程度大きな会社だと一人じゃできないから、仕様策定、運用、試験だったりを分割して誰かに任せる必要があるんだけど
責任感を持ってやってくれて、業務をよく理解している人を選定して説得する必要があります
これすごい難しいです
対人スキルが全方位カンストしてるような人じゃないと務まらないです
IT界隈だとプログラミング能力に秀でた人が優秀な人とイメージされやすいですが、この手の仕事ができる人も同じくらい評価されても良いと思うんすけどね
間接部門だからと出世コースに乗れない閑職扱いになってませんか?
もしそういう認識ならはっきり言って無理です
現場で活躍できなくてもITで活躍出来る可能性もゼロではないかと思いますが、
現場でNG出された方は要領だったり対人スキルに難がある場合が多く、その人がITツールを導入しても混乱を生んで余計な費用がかかるだけです
業務整理が出来て、IT化に着手する場合(まあ実際は役員のメンツとかそういう理由で、業務把握もままならないまま突き進むんでしょうけど)
「やらなくても良い作業を止める」、「SaaSで出来ないか検討する」、「ノーコード開発で頑張る」の順で検討してください
当たり前ですが、やらなくても良い仕事を止めるのが開発もなく、運用費もかからない即効性があって一番良いです
無駄な会議や書類、これらを探して削るところから始めてください
どこもやってる勤怠管理や会計処理等は既存のサービスで充足するはずです
SaaSで実現できなくて、ノーコードで開発する必要がある場合(ほとんどないと思いますが)
ノーコード開発をやってみるとわかるんですが、結構細かいところは出来ない場合が多く100%カバーするようなシステムを作る場合は
すげー大変になることがあります
結局の所ノーコードとは言っても形を変えたプログラミングなので複雑にすればバグも多く発生します
テストしにくい分コードを書くよりも悪くなるケースもあると思います
なので70~80%くらいカバーできれば良い
エッジケースだったり発生頻度の低いオペレーションはバッサリ切る
そんな感じでシンプルになるように努めてください
ノーコードの想定するユースケースを無理やり捻じ曲げてプラグインだらけの独自システムは地獄です
(そうは言っても、こだわりが強いのか、冷蔵庫をエアコンとしても使えるようにしたいみたいな人が多いんだよなぁ・・・・)
ここまで言うと、ノーコードって微妙なの?流行らない?って思うかもしれないですけどノーコードは流行ります
プログラミング言語もセキュリティも覚えることが多すぎて、みんなノリでやってます
セキュリティ対策なんて意味わからんチェックシートを大して理解してない人がYES/NOつけてるだけで実装はボロボロ
たくさんのライブラリは毎日のようにアップデートされ、膨大な工数をかけてアップデートしてます
誰も触れなくなります
というわけでフルスクラッチ開発で内製化とか現実的じゃなさすぎます(金が有り余ってるならやってもいいですが)
ノーコードでも属人化して、ブラックボックス化するのは一緒ですが
セキュリティアップデートとか、セキュリティ対策は幾分楽になるので、まだマシです
ちなみに今SIerにシステム開発頼むのは悪手なので止めときましょう
プログラマーの腕に激しく依存していて、プロダクトの品質が同じ会社でも全然違うみたいな状況はいずれ改善されていくと思います
カンナとノコギリを使って家建てる大工が少なくなって、プレカットの建材を運んで組み立てる家ばかりになったように
(つーか実際もう、ID管理とかメール送信は外部サービス使うのが主流になってきていて、どんどんコード書かない方向にシフトしてる気はしてる)
前述の内容と少し被りますけど、半分くらい作ったらさっさとユーザーに使ってもらったほうが良いです
負荷テストとか、UIとか拘るのは良いんですけど、方針レベルで間違ってた場合は全部やりなおしになるので、
早い段階で使ってもらうようにしてください
多少バグがあっても良いので早めにイメージを擦り合わせたほうが結果的に早く終わります
バグってるものをユーザーに使わせたら怒られるとかいう人いるんですけど、
使う人と作る人が気兼ねなく話せるような関係じゃないと開発はうまく行かないので撤退しましょう
席を隣にして談笑できるくらいには仲良くしてください
いきなりbubble, outsystemsみたいなガチなやつから入らないほうが良いです
kintoneとかairtableみたいなやつから使ってみるのをオススメします
あと選ぶ際に、営業にいろいろ聞く前にまず自分で使ってみること
最初から営業に聞いちゃうと、「頑張ればできます」みたいな回答しか返ってこない
実際に使ってからセミナー行くとか、営業と話して聞いてみるの方が良いと思います
システム作ったあとに、効果があったのかきちんと検証してください
大学受験して合格発表を確認しないようなことあるのか?と思われるかもしれないですが、
ということなのか単にめんどくさいのか分からないですが、ちゃんとやりましょう
いい加減な検証もやめてください
コンコルド効果で捨てられなくなって負の存在として生き続けます
そうならないように作る前から、効果検証の方法と撤退ラインを決めておくと良いと思います
保守なんて誰もできないです
10年もすれば、担当者も業務も変わってドキュメントは不整合だらけ
20年に一度作り直す式年遷宮は技術継承の意味合いが強いと聞いたことがありますが、それと同じでシステムを10年以内に作り直す気持ちでいた方が良いです
最低限のドキュメント更新とかアップデートは必要ですが、維持に多大な工数がかかるとか、修正に時間がかかるようになったら作り直してください
色々書きましたけど、業務把握が一番大変でそれができれば割となんとかなります
自分たちの仕事を管理できないから、システムを作って解決しようとするからおかしいんです
それって業務整理とシステム開発という2つの大仕事を並行してやることになるので、そりゃ混乱もします
あと業務整理を自分たちで出来ないからコンサルにお願いしてやってもらうっていう事言う人いますけど止めたほうが良いです
コンサルからしてみれば他人事ですし、あなたの会社について世界で一番詳しいのはその会社に属している人です
その人たちがお手上げだと、外部の人間だって十中八九うまくできないです
仕様さえ明確に作ることが出来るなら、ツールの違いやら、プラットフォームの違いなんかは些細なことなんですよ
まあそれはそれで、大変ですけど仕様さえ決まってるなら何とかなります
というわけで各位頑張っていただければ
この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ。
清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口をTwitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。
続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」を書くかは未定。
つまり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが
最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。
とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ
を先に見ていることが前提。
の説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。
1998年 国際大学協会(IAU)声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」による定義です。
「学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由」
人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の載っているような形で説明している。
「一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」
「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」
世間一般の用法という文脈なわけですから、当然、スライドの引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、
同じく 辞書的定義 が与えられようとしているものと解釈されます。
実際に与えられた定義を見てみましょう。
ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります。
と非常に具体的な形になっています。
世間一般の用法として紹介される割には、議論のあり得るところで
「こういうのは多数派も少数派もない、学問の独立って話なんですが、多数派からの圧力は特に抵抗しにくいので」
というふうに説明するほうが世間の認識とあっているように思える。
とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部からの圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書的定義のままだと受け取ることもできる。
ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います。
「現代の誰かが主張している「学問の自由の侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生が定義していると読める箇所を、少し文言を修正の上、抜き出します。
見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生のブログで挙がっている
「中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全な外科的処置である」
などと同じ形式となっている。
ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、
中絶の例ならば、中絶の 辞書的定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、
清水先生は、この文脈での「学問の自由の侵害」とは 辞書的定義 の学問の自由の侵害とは全く異なるものだと論じていることです。
(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリックの解説なので
どう辛いのかについては、「批判対象の曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)
これらは学問の自由の侵害の定義として読むことができるものであり、
先に導入された説得的定義「社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。
ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書的定義)」学問の自由ではない、という論証。
しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。
先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書的定義と認めました。
逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生の独自見解です。
すなわち、この時点で辞書的定義として導入された学問の自由という概念が
「学問の自由を〜と私は定義します!」という約定的定義へとすり替えられているのです。
一旦まとめると、
「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、
「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的な定義の中に紛れこませる(定義のすり替え)」
学問の自由とは
「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの」
まさに、
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
そのものですね。
この一節は憲法学の理論を援用しているため、少し強引ですが理論的定義を示したものとも言えるでしょう。
実際、この定義を根拠に「学問の自由の侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、
要は憲法学の理論「憲法は原則としては国家権力を監督するものであり、私人間効力の議論も私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。
権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、
そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。
ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、
正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で
直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります。
ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。
清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、
書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、
Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。
ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセル・カルチャー」の事例が話されているのですが
これも抽象的な定義の操作に時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。
詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、
これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」に譲り、
当記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります。
清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、
とりあえずここは論点にせず、清水先生の解説をそのまま採用します。
ABORの主張は、
「ナチスの政治哲学の擁護であるとか、あるいは進化論の否定であるとか、 そういうものを学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」
「ナチス肯定論文を学問の自由で擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?
むしろ、何が相手だろうと自由であると肯定する、過激な自由論者ほど否定する内容です。
「大学でナチスの擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか。
まとめると、
最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論の余地のないことしか言っていません。
じゃあなんで議論になるのか。
清水先生の立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が
清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります。
このちょうどいい2人については講演では全く触れない。
特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、
「ちょっとわからない」「詳しくない」「法律の専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」
との返事。
「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。
訴訟の原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば
この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。
またこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。
せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラ・パワハラを長年犯してきた超一流哲学者が大学から追放されたことを、学問の自由で擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。
文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しか出さない。
それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書的定義には触れないで、
何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。