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2015-09-20

民主主義の壁際

http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/09/17/073849

しか多数決民主主義必須でも根幹でもないので賛成です。

一方で日本野党側とか論壇のすごくダメなところは「それは民主主義的に間違ってるからやめろ」という筋の批判をしちゃうことだと思うんですよね。

新聞も平気で「民主主義に反してるから悪」みたいなことを書くんですが、歴史的に見て民主主義絶対善っていうこともないですし、そのそも永続が保障されてるわけでもない。憲法なんて軍事クーデターでも起きれば停止されちゃうわけです。それは世界中軍事政権見ればすぐわかるわけですよ。

確かに日本でそういうことはおきそうにないわけです。民主主義憲法も壊れそうにない、つまりは強度が高いように見えます。だけど、強度が高い=硬いからといって武器のように振り回してよいものじゃないのです。民主主義憲法参加者合意で維持されているのに過ぎないものですから参加者一定割合が「じゃあいいよ、もうやめよう」って言った瞬間に壊れちゃうものなのです。もちろん、その時はすべての参加者まり国民が大ダメージを受けますが、そういう選択をした国は、ここ最近50年だって世界中にあるのです。

多数派っていうのは多数決において強者ですし、強者が自制して弱者に慮るのが民主主義の精髄だとおもいます。それに対して弱者がとるべき道というのは決して「強者弱者配慮すべきだ。それが民主主義の精髄だから」と発言することではないです。弱者民主主義憲法を盾にした時点で分断が始まってしまうのです。それは弱者自己立場でいう利益誘導しかないからです。弱者こそ公益をもって強者を説得できなければ民主主義は成り立たないわけで、強者の側にも弱者の側にも高潔さが必要とされちゃうのが民主主義です。

議会政治などの民主主義的な対立の場で)民主主義的かどうか? ってのを持ち出した時点で民主主義の壁際に立ってると思ったほうがいいと思います。本当に民主主義的な話し合い、議論というのは、自分サイドも相手サイドも民主主義のものには賛成しててそういうもの武器として使うはずもない、という信頼のうえで成り立つものからです。

2015-09-16

60年安保ときも、ほとんどの国民は冷めていたんだろう

歴史的事件を振り返るときセンセーショナル映像写真が使われがちだ。

そして、僕達は、そこに映っていることが全てであるかのように錯覚する。

「60年安保では、極めて強い反対運動が起きました!」と言われて、暴動のような群集の映像

写真バーンと出されると、それがその時代の当たり前だったかのように感じてしまう。

そうか、当時の日本人はみんな反対したのかと。

でも、違うんだろうね。

今僕らが、シールズの連中ががなり立てているのを冷めた目で見ているように、

60年安保現実もそんなもんだったんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20150916221243

なるほどなあ。それなら大工見積もりも十分利益ができるんだなあ。

そういう規制が儲けの種になってたりするんだろうか?

個人的には、歴史的理由とか、共通にするには難しい制限が他にもあって、ある種の共通化の壁になったりするんじゃないかなとも思う。

http://anond.hatelabo.jp/20150910222900

枝にするか迷った。

こういう話題は表層の問題がどこになるかは別として、確かに昔からあったし、今の方がある意味よほど酷い。

この手の話で毎回思うのは「そもそも同人とは」っていう話が置いてけぼりになってる事。

別な枝にあったけど、同人はその辺の合法かつ真っ当な趣味と違って「オリジナル」でない限り2次(n次)創作

まり「借り物」を下敷きにしている。だから縛りも多いし過去歴史的な経緯を踏まえて立ち回らないといけない。

今頃になってイベント運営の某企業必死になって販売ではありません、頒布ですと言葉に気をつけているのはちゃんと理由があってやってる。

これらを置き去りにして儲けが出ないとやる気がでないとか、見てもらえない(捌けない)なら作る意味がないと言う人はとっても多い。

もうぼちぼち化石扱いされる位長くやってるので「場があるだけでまず御の字」だと思ってる。

一瞬発生させるだけなら多分そんなに難しくはないけれど、あれこれ思慮を巡らせないと「維持していく事はできない」。

短慮や無思考で場は維持できない。誰かが雑な事をすれば誰かが割を喰ってでも維持してる。

相場に限らず、少しずつでいいから考えを巡らせていって欲しいと思ってるし、若い人にはそれとなくそういう話はしてる

2015-09-15

革命の原因と主体、あるいはデモ革命を起こせるか

清教徒革命庶民から伸長した富裕層の不満と王の経済政策における失錯

名誉革命貴族間の宗教的対立、弱体化していた王権への引導

アメリカ独立戦争事実上、一大国家が樹立されてんのにガキ扱いされて代表送れないとかおかしいじゃん?という全国民的な不満がボストン港をティーポットに

フランス革命→飢えた庶民を知識層が煽っていたらコントロールできなくなった

明治維新支配者層下流が外圧によって吹き上がった

ロシア革命→産革以降の資本主義のひずみに対応できなかったことによる庶民貧困と不満

イラン革命国民宗教弾圧されたことによる

戦後中南米各国→アメリカ様の気分


このうち庶民デモ暴動から直接革命に繋がったのは、米独立戦争フランス革命ロシア革命イラン革命

特にフランス革命ロシア革命は、腹減ったからパンよこせデモから始まってるんだよね。

この前、選挙学者?の西田亮介が出演したラジオ番組安保デモを評して、「ああい日常とかけ離れたイシューでやるよりは、もっと生活に密着したことでデモやるほうがいいんじゃねえかな」などとぼんやりした発言して荻上チキりんやtwitterのみなさまから鋭いツッコミを受けてたけど、彼は彼なりにこういう背景を踏まえたうえで言ってたんじゃないかと思う。

デモが本当に革命を起こすとしたら、現体制代替となる思想が広まったときではなく、大多数の都市部貧困層が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたとき(あるいは思想信条宗教的に同様の状況に立たされたときしかない。

その切実さは今の日本には、もちろんない。

歴史的に言って、革命とは「やりたいから」起こるのではなくて、「必要から」起こる。外圧とか白色テロル的な場合を除けばね。


しかしまあ、SEALsの人がこの前の小林よしのりとの対談で言ってたとおり、いまどき誰も「デモ革命」なんて求めてないんだろうけれど。

サカモト教授チップチューンではないほう)も、そんなつもりで「フランス革命」と言ったのではないだろうし。


パルミジャーノ

2015-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20150911123434

地下に潜るだけ。

税収なくして暴力団資金源になるよ。

歴史的実例多数。

http://anond.hatelabo.jp/20150911102506

実際にロリコン近親相姦もかなりの割合存在して、歴史的に見れば許容されてきてもいるんだから

たとえ現代において倫理的禁止されていたとしても、そういう性的視線存在することそのもの否定はできないでしょ。

性的な目で見るのがおかしい」ではなく「性的な目で見るのは仕方ないが手を出すのはおかしい」と書くべき。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-09-08

Charlotte見て思ったが、だーまえ作品江戸しぐさのような恐ろしさを感じる

なんかCharlotte見てたら、1話Angel Beats!の二の舞いになりそうな匂いがプンプンして、あー見なくてよかったという気持ちしかなれなかった。一時期のKey作品面白いっていう評判は他の人にはともかく、少なくとも僕個人でそれが信じられたのは京アニのおかげなんだろうね。一昔前の京アニ作品もそうだし、ハガレン1期のアニメ版もそうだし、原作にはストーリーがなくてまとまりにくいものにうまく落とし所を見だしぱにぽになんかもそうだけど、アニメシリーズ構成脚本ってクリエイティブなことよりうまく噛み砕いてくれることがすごいんだろうなぁ~と正直思った

僕がアバン見た時に「あ、この設定というか、この言い回し変だ」と思った作品が殊の外人気だから、試しに見てみたんだけど…やっぱり開始6分で設定の破綻を感じてる。コピーしかできない奴が受験で1位って…。それって正解がわかってるってことだろ?2位以下にならないとおかしいはずなのに

あと、マドンナ存在って言うキャラ死ぬほど聞くんだけど、これも実在しないんだよなぁ…。例えば、GTOみたく「ドジっ子アイドルなっちゃいました」とか、コクラセみたく「いいところのお嬢様で送り迎えがつく人がいるんだ」みたいな誰がどう見ても浮いてる理由必要なのにそれがないとか…

トドメ事故ったのを救った時に女の子が「一組のだれだれくんが助けてくれた」ってこの台詞も変なんだよなぁ…。なぜクラス言った?

いやさ、僕がノベルゲーとか小説にハマれない理由って理由付けや情報開示の順番がわざとらしくて「あームダだなぁ~」と思うものがあるから。ムダならムダ、メタならメタで突っ込んでくれればいいんだけど、それがスルーされると、嫌な意味での突っ込みどころとして頭のなかに残って嫌になるんだよなぁ

この、テストで100点とったっていう理屈がだからおかしいんだって。おおよそ正しい答えなり、途中式なりを見抜く方法を知ってなきゃ、仮に他人の答案をカンニングできたとしても、それをカンニングによって100点を取り続けたり、学年トップになることは不可能。最低でも途中式を見抜く学力はある

と、これ、ここまでAパートの話なんだけど、この矛盾にいらついて普段の僕ならここでこのアニメを切る。これが流行ってるとしたらみんな頭悪いんだろうなぁ~みたいな感想を抱きながらね。あるいは、頭が悪いかどうかではなく「きっと1クールも経れば、忘れ去られるアニメだろう」と思うか

ちなみに、僕がグダグダ言ってるアニメAngel Beats!と同じ脚本の人(有名な人だけどあえて名前は出さないで作品名を出してる当たりご理解いただきたい)なので、「あー数年の間に増えたにわかオタクか、作家名でアニメを見てどうやってでも擁護したい人が盛り上げてんだ」が感想。この脚本家には前科がありまして、最後まで見れば面白くなる・矛盾点はあるけど我慢しようと思って多くの人が見てたら、終盤の感動的なシーンが設定の雑さゆえに矛盾してて成り立たないと言うヘマを数年前にもした人なんです…それでお察しな気が

ちなみに、Angel Beats!のどこがおかしいかについては、ドナーカード意味もちゃんと検索してない、ドナーがどういう条件で提供されるのかも確認してないいい加減な脚本家ドナーカードにできないことをドナーカードによって達成したという嘘っぱちの設定を作ったこと。犯罪的な捏造だよ。天使ちゃんと音無くんは心臓提供した・されたの関係と言う話になってるけど、音無くんは衰弱死・餓死みたいな状態でとてもドナーとして成立しない死に方してる。だから転用なんかとてもできないし、それ以前に脳死じゃないドナーは使える部分が限られているか心臓移植できないのよね…ストーリーの根幹である部分の前提に現実的な設定を使う以上調べて欲しいといいますか、詳しい描写まではいらないけど、5秒で検索したらわかるようなウソは入れないで欲しい気はします…

そこら辺のところがわかったうえでもなおAngel Beats!がいい話だと言ってるバカアニメの話はできないと改めてはっきり言っておきたい。作中に出てきたから言うけど「こんなのが売れるなんて世も末だな」とABの時から私はそう思ってました

妹のキャラクター年齢不詳。兄よりも歳上であるかのような言い回しが多いけど、これは伏線?それとも雑設定からくるもの

KANONやABだけではなく、アレだけ評判がいいリトバスもですか…。しかも、作者が患っている病気で…。流石にわざとやっているのではないかと疑わしくなってきましたなぁ…。 奇跡ゴリ押しされた挙句他人事のように「なんか泣けるような胸を打つような近さはないけど、テレビ的なわかりやすいいい話とはこういうものなのだろう」とKANONに対して思ったので、「お伽話」は言い当て妙だと思います

よりポピュラー病気システムを扱えば扱うほど「間違った知識の流布」「当事者を傷つける問題」に進展しかねないところがあるため、危うい傾向だと思えました特にドナーカードの話は免許取ってから日が浅い時期だったのでなおさら気になりました

いやさ、「だーまえ作品における病気はいい話のための演出なんだ」と言うのはわからんでもないさ。ただ、普段「うつは甘え」「サプリで治る」みたいなウソを振りまかれてる躁鬱病患者としてはああいものってすごく怖いんですよ…。ドナーカード免許取って人間なら近しい話だからすごく怖いし…。例えば、「うつは甘えだ!私は君を甘やかさない」と心を病ませながらも自分仕事場で面倒を見て、厳しきして社会復帰させたらそれはいい話かもしれない。だが、それはリスクを負ってくれる人が前提で「うつは甘えだ」と厳しいところに投げ込む風潮がマスコミだーまえ作品の影響でできたらどうさ?

大体の鍵っ子は、実は自分が感動したシーンとギャグぐらいしか案外覚えていないのかもしれない。あと人物同士の関係考察とかはするけど、現実に基づいた設定の考察はあまりしてないのかもですね。更に言うと、多分keyの全作品に共通するかもしれないのですが、後半だけ見れば問題ないってぐらい、前半はギャグ日常(現実的ではないですが)の塊なんです。あまり伏線積極的に張って行かないレベルでね

寓話以上世界仰天ニュース未満ぐらいの位置の何かだと思わないととても安心して見られない感じはあります京アニ作品として矛盾ギャグが気にならない形の物ではそこまで気にならなかったのですが、近年の麻枝准自らが脚本した作品は…。例えば、Wikipedia読んでもちんぷんかんぷん日本にはほとんど患者がいない難病多発性硬化症」みたいなものだーまえ演出をなさるんだったらまだ批判浴びないし、なんとなくそんな病気があるんやろう…みたいなのがあるけど、ドナーカードポピュラーすぎるもん!ちなみに、うつ病よりも関わっている人が多いドナーカード日本中8000万人の人(運転免許の裏はドナーカードなので免許保有者だけでもおおよそ8000万人)が関わりがあります

超極論を言えば、だーまえ逮捕されるべきだったとさえ思ってますだってドナーに関わる人間はおおよそ8000万人。免許の裏のドナーカードだけで日本国民3分の2。それにありもしない間違った知識を流布したり、価値観押し付けようと言うのだから怖いと感じないほうがどうかしてる。リプライを見た限りKANONリトバスでも同じ脚本家が同じような病気矛盾点を調べないで、創作物に流用しているそうです。Charlotte脚本家に限った傾向なので脚本家全体の衰えとして捉えるのはちょっとむずかしいですが…すいません。流石に極端なたとえですし、「もし、あん調子うつ病を扱ったら」というエクスキューズが抜けてるので、不十分なツイートになってしまいました

この話、だーまえさんの作品が人気を取るたびに僕を含めた誰かが「ざっけんなコラー」と言っても言っても騙される人が後を絶たないから繰り返ししてるけど、したところで得るものないからこのへんでやめます。僕以外に…つうよりももう鍵っ子の間で議論され尽くしているであろうテーマなのに、意外と周りで盛り上がるのな…

まぁ、うまる見て「あの秀才キャラ、悩みがないキャラがハナについてギャグだけを純粋に楽しめなくて少し苦痛」みたいなことを言って「そこ!?」的な返事が帰ってきた偏屈人間の言うことだからなぁ…。きっと受け入れられないんだろうなぁ

江戸しぐさ歴史的には間違ってるけど、いい話だからいいじゃない!だーまえ作品(とりわけAB)→病気患者が利用する制度を調べてないから間違ってるけど、ふんわりといい話だからいいじゃない。が重なる。僕が感じてた怖さはそういうことか!。遠い昔の話ならそれでも被害者は少ないのですが、それをポピュラー病気医療制度でやってしまうため、実際の江戸しぐさより被害者が出そうで怖く、またいい話だという言い分も江戸しぐさ的な押し売り稚拙さが絡むため、賛否が分かれる…というところでしょうか

2015-09-03

とある佐野の一生

佐野源次郎は世の中が大嫌いだった。

この世の中のありとあらゆるものを憎んでいた。

それは小学校の頃に図工で描いたオリジナルの絵を、クラスのみんなに「パクリや!」と言われ、

いじめられた事も原因のひとつであろう。

佐野は世の中に復讐をしようと思っていた。

僕を鼻で笑う女子ども、僕に蹴りを入れてくる男子ども、

将来大きな事を成し遂げて、復讐しようと思っていた。

しか佐野は小柄な体格で成績も並程度で、これといって特別な才能が無かった。

高校になってお笑いを目指してみた時期もあったが、その才能がないことに気付いた。

そんなある日の美術の授業中、ふとデザイン雑誌ロゴを真似して描き、提出してみた。

すると美術教師がそれを見て言った。

佐野、このデザインいいよ。お前はデザインの才能があるんじゃないか!」

そのひとことが、彼の人生を決定づけた。

佐野大学受験もほったらかして、来る日も来る日もデザイン雑誌に載っているデザイン切り貼りを繰り返した。

当時はパソコンを持っていなかった為、雑誌バックナンバーも大量に取り寄せ、切り貼りをした。

「これだ、俺はこれを究めて日本一になって、馬鹿どもを見返してやる!」

佐野一浪の末、T美術大学へと進学した。

「俺にはゼロから作る才能はない。だが切り貼りをする能力だけは世界一を目指す!」

大学時代も決してゼロからものづくりをすることをせず、常にパクリ続けた。

PCもいち早く導入し、インターネットから効率よく画像を取ってくる術を磨いた。

佐野デザインゼロから作ることをハナから放棄していた為、一般的デザイナーしからぬ性格になっていた。

まり、深く物事を突き詰める職人性格ではなく、あっけらかんとして、自分デザインの変更も厭わないし、こだわりがなかった。

それが功を奏したのか、はたまた兄のコネなのか、佐野大手広告代理店にあっさりと就職が決まることとなる。


「俺はゼロから作らない。考えない! そのぶん、営業とパクリを究めるんだ」

佐野の快進撃はすごかった。何せデザインを考える時間はほぼゼロなので、ライバルよりも圧倒的に社内政治に力を注げるのだ。

佐野は先輩に気に入られ、業界内であっという間に有名になっていった。

たか順風満帆に見える佐野人生だったが、佐野過去復讐を忘れていなかった。

「世の中の全てに復讐してやる」

その気持ちは忘れていなかった。

数年後、ついにそのチャンスが来た。

東京オリンピックロゴ選考委員長に、自分コネのある人物が選ばれたのだ。

佐野はその選考委員長にお願いし、自分の知り合い複数人選考委員メンバーに入れて貰った。

もちろん、多額の報酬と引き換えに。

選考は建前上製作者の名前が伏せられるため、予め佐野は「俺の作品は棒と▲ふたつのTだから!」と伝えておいた。

鷹崎「佐野くん、任せておけ。僕はきみに入れるからな!」

長島「うちも佐野さんに入れるけん、任しときー!」

そして佐野作品は見事、五輪ロゴに選ばれた。

自分で作る能力がないため、今回もパクリで提出をせざるを得なかった。

だが、それが佐野の本当の狙いであった。

・・・それから5年後。

ついに東京オリンピックが開幕間近となった。東京お祭りムードである

そんな中、ひとりの男がインターネットに物凄い告白をした。

エンブレムは、パクって作りました

世間はどよめいた。「まさか!」と皆が信じられなかった。

ロゴの展開例も、パクリです。僕が作った昔の作品も、全て、すーべてパクリです!」

男はインターネットにすべてのパクリ元を載せ、自らの罪を告白した。

パクられた海外アーティストたちは激怒し、すぐに訴訟を起こした。

エンブレムを使用していた企業団体は大混乱に陥り、とんでもない事態となった。

国立競技場も何故か無理矢理エンブレムの形で作っており、もはやすべてが手遅れだった。

日本ものすごい損害賠償を支払うことになり、世界中の信頼を失い、五輪歴史的に類を見ないお葬式ムードとなった。

罪を告白した男は、すでに海外にとんでおり、そのまま行方がわからなくなった・・・

かくして男の復讐成功したのである


後日談

ヨーロッパの山奥に、あるアジア系世捨て人が住んでいるという。

仙人のようなその男はたまに市場に姿を現し、フランスパンだけを買って行くらしい。

偶然市場に来ていた日本人旅行者女性が、彼に話しかけた。

「あの、日本人ですよね?」

・・・

「ずっとこの辺に住んでいるんですか?」

・・・

「誰かに似てますよね? 言われません? ・・・誰に似てるんだろう」

男は少し考え、ひとことポツリと言った。

・・・まったく似てないよ」

それから男は山奥に戻っていったという。


2015-08-20

フリーゲーム界隈では今でもツクールコミュニティが残っているみたいだけど、

かつてのMacにおいてはハイパーカードツクール的な立ち位置になっていたよね。

歴史的にこの二つのコミュニティはどのように関わってきたんだろう?

フリーゲームに詳しい青二才さんが解説してくれるかな?

福島「ですから日本スイスのような平和中立国を目指すべきなんです。」

田原スイス国民皆兵制で、一般家庭に自動小銃が有る国だよ。」

福島「いえ、例えばスウェーデンみたいな中立国もあるわけですし…」

田原スウェーデンナチに協力して中立を守った国だし、今では武器輸出大国だよ。」

福島「えーと、ベルギーのように歴史的中立を貫いた国もあるんです。」

田原ベルギーみたいに何度も外国軍蹂躙されてもいい?」

福島「え~?でも~、侵略するより侵略される方がイイですし~…」

田原有事立法というのは、どこかがもし攻めて来たらどうするのか、

どう対応するのかという法案ですよ。

社民党はこんな物いらないって言う訳?」

福島戦争の為の法律は要らないと思います。」

田原 「そうじゃない、どこかが攻めて来た時のために…」

福島 「いや戦争の為の法律ですよ。」

田原ちょっと待って、じゃぁもしどこかが攻めて来たら殺されりゃぁ良いっていう話し? 降伏する?」

福島 「うーん…、戦争が起きないように努力する事が政治の責任じゃないですか~」

田原 「いやだから日本戦争する気は全く無いでしょ、今でもない!」

福島 「ただですねぇ有事法制はそんな単純な法律ではない訳ですよ。

米軍活動を円滑にしたり、国民保護法制という名でいろんな人の権利制限する…」

田原ちょっと待ってよ、

敵が攻めて来た時にね、国民人権自由とかでどこ動いて行っても良いですよ。

とはならないし、そりゃ規制しますよ、当然。」

 

解説者 「福島さんじゃあね、万が一攻められた時に、

社民党国民をどうやって守るのかという具体的な案が無いじゃないですか? どうするんですか?」

 

福島 「うーん、ただ…例えば…非核構想をやるとかですね…」

田原ちょっと待って! つまり敵が攻めて来るなんて事は有りえない!

こんな夢みたいな事を自民党は言って、どんどん日本軍国主義化してると、こういう事?」

福島 「…そうですね、私は北朝鮮などを仮想敵国にしながら、

どんどんどんどん軍事国家の道を歩んでいると思います。」

田原北朝鮮と仲良くするんだって…」

福島 「そうです。そういう努力必要だと思います。」

田原 「っとなると社民党いらなくなっちゃうよ」

福島 「ぃやそんな事は無いですよ、だって憲法9条改憲したいと言うのが今強く出ていて」

 

解説者 「あの福島さんね、僕は社民党に頑張ってもらいたいと思う。でもとてもついていけない…」

 

福島警察官拳銃使用は絶対反対。犯罪者と言えども人権はある訳ですし、

犯人には傷一つ付けてはいけない。

たとえ凶器を持った凶悪犯と言えども警察官は丸腰で逮捕に向かうべき」

田原 「そんな事して、警察官が殺されたら?」

福島 「それは警察官職務ですし~」

(「ええっ~」と言う驚きの声が怒濤のように スタジオ中に響き渡る) 

その声にまずいと思ったか福島が続ける。

 

福島 「それに犯人がそんなに抵抗するんだったら無理して逮捕する必要は無いと思うんですよ、

逃がしても良い訳ですし~」

田原 「じゃっ、逃がした犯人が別の所でまた人を殺したら?」

福島 「それはそれで別の問題ですし~」

2015-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20150715014005

(づつきです)

通常のネット当局から禁ぜられ程なく使えなくなったが、「もう一つのネット」は問題なく作用した。

珠洲子は住まいのある東京都北区赤羽(Akabane東京都地名。濁音化せずに日本語で書くとAkahane。ハネhaneは元来ハニhaniであり、ハニは「土」を意味する。すなわち赤いハニ(red soil)が地名の由来となっている)から脱出するまで1度だけ襲撃を受けた。都内から離れた後は襲撃はなく、追手はひとまず撒けたことになる。襲撃した相手はハーバード大学3刀流の使い手だった。この流派2050年代にネットが身体の操縦に役立つ技術になった際、ヨーヨー・マビルマーク・ザッカーバーゲイツアダムシニアジュニア3世を名乗る、ハーバード大学を後に退学になる男によって創始された。3つの刀を間違った日本の文化に即して扱うもので、その内の一つは特に電子的に管理し中空に浮かせておくのが特徴だと師匠から教わった。『名探偵ホームズ』には「バリツ」という武術が登場する。シャーロキアンのこれでもかって程の執拗かつ綿密な研究のおかげで、「バリツ」が19世紀ロンドンで実際に教示されたことは21世紀後半の現代ではよく知られている。日本作法伝言ゲーム面白意味を持つ。ハーバード大学3刀流はこの時代の「バリツなのだ


珠洲子はこうした刺客(Shikakuここでは珠洲子を追捕するために派遣されたエージェント)を2秒半ほどで退けた。刀が落ちて金属音を立てるのを尻目(Shirime)に聴きながら、珠洲子は師匠(Sishou)の事を思い出した(remember)。珠洲子の師匠の一人は陳老師(Chen-raoshi、チンさん)という名前で、昔幕府があった場所の名の付いた優秀な弟子を手掛けたことで知られる。珠洲子もそのまた優秀な弟子だ。

「教えの歴史的な古さが強さをもたらすのでない。当然新しいからと言って勝つわけではない。よかったのう!」

チンさんの教えはよく分からないこともあったけれど、この言葉は間違っていない。歴史の重みはある種、不必要だ。必要なのは揃っている道具で今考えることだ。

2時間42分後、珠洲子は岐阜県関市に到着した。明治昭和平成さらにその次と次の元号の時に行政区の変遷があり関市も随分様相を変えた。人も変わった。ここには鷲見(すみ)太郎という政治家がいる。彼女は彼に会いに来た。事前に「もう一つのネット体系」を経由し短報を送っておいた。鷲見はネットが身体を操作し始めた50年代に先鋭的に反対を唱えた男で、のち中央政界で1期務め、現在岐阜県議の職にある。珠洲子の主人は、鷲見にアポイントを取るよう手筈を整えていた。珠洲子は鷲見の邸宅に予告通り忍びこんだ。鷲見は報せを受けてから警備を敢えて「普通」にして待っていた。政治家邸宅における警備を縫うことは「普通」は不可能しかし21時4分現在書斎にいる鷲見の眼前に可愛らしい女性が難なく現れ、彼に簡単なブリーフィングを伝えていた。当然、ブリーフィングよりも忍びこんだ事実の方が、より雄弁に「もう一つのネット」の機能彼女任務とを物語っていた。


「私の反ネット勢力のツテを頼りたいのだろう」「左様です」「あまり役に立たないと思う」「何故です…」「かつてネットが身体の制御に使用されようとしたとき、多くの人が危険だと唱えた。その内に先鋭化して回線切ってネットを捨てるべきと考える者が現れた。」「…」「スイッチのようにオンとオフだけで考えてはならなかったのだ」「?」「ネットを捨てるべきと言った連中はその内コンピュータ不用と言い、テレビ暇つぶし携帯ゲーム害悪だと訴え、車も複写機も信号機も要らない、電子的なデバイスをあれこれと捨てようとした」「…」「そしてついに眼鏡がいらない、とかスリッパが要らない、もっと自然に過ごそう! とか言い始めた」「…」「そうなると火薬羅針盤もいらないし、文字もいらないし衣服もいらないし石器も言語も要らなくなる…ということに多くの人間は、どこかの段階で、気づいた」「??」「人間は道具を使う。ネットに異を唱えたはいいが、どこまで自分が道具を持ち、使っていたのか。そこに無自覚に、ネットだけをつついていたんだ」「反ネット勢力の名簿はいただけないのですか?」「勿論差し上げよう。だが今話したごときの懊悩、えっと悩みね。…悩み。道具に関する悩みを私や私と同じような人間は共有している。だから私の同胞では…ネットストップしようと考えただけの時代人間ではダメだ。おわかりいただけたかな?」「…わかりました」


鷲見の邸宅から去り、関市吾妻町の、関市が幾度も合併する前からあるホテルに赴く。「もう一つのネット」でホテルチェックインし、「もう一つのネット」で架空銀行口座から架空資金ホテルに支払う。自分の部屋でモルツビールを空けながら10時のニュースを見つつ、鷲見からもらったリスト網膜で走査する。

2缶目がもう少しで飲み干せるぐらいの時に、関係者の中に元カレMoto-kare昔の男性の交際相手)の名前を見付けた。「???

2015-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20150815102231

観客を喜ばせるのが目的なら100m走世界各国のデブに走らせてゲラゲラ笑わせたり美男美女集めて水着にでもさせてればいいと思うよ

歴史的祭典だからその時できる最高のものを使うことに何の異議があるのやら

2015-08-13

また米軍関係沖縄ヘイト高めてる・・・・・・

ニュースでの米軍事故を見て、また沖縄非難されるんだろうなと思いつつ。

好きではない出身地だけど、安易バッシング受けてるの見るのもちょっとなぁ。

  

沖縄は「反戦」ってキーワードから左翼に群がられるけど、そう単純な感情でもないと思うのです。

年配の方は特に

 

もちろん被害者意識被差別意識もあると思う。

日本全体酷い目見たけど、市街地・陸戦は悲惨エピソードてんこもりからね。

  

けど以前に話を聞いた方は、別のことも語っていた。

戦争に加担していた後ろめたさについてを。

軍により殺された命も多いが、自分たち同調したことにより失われた命も多いと。

 

時代だったから」で済ませない、犠牲が身近すぎた。

から命どぅ宝。

他人事ではなく、みんな等しく命大事に。

 

近隣諸国との軋轢や防衛にかかる諸々。

小難しいことはわからなくても国防大事さは県民は一応理解はある(歴史的にね)

けどちょっとは、態度だけでも意を汲んで欲しい。

基地が不可欠だろうと「当たり前」という態度でトラウマ押し付けられて気分良いわけがないだろうよ。

2015-08-03

ワンピースがよく理解できない

ワンピースとは主人公ルフィ海賊王になるまでを描いた冒険活劇と理解されてると思う。

ただそもそも海賊王とはなんなのか。世間には騎士王やら英雄王やら様々な王がいるが海賊王とはなんなのか。百獣の王といった表現から考えて、海賊で一番地位の高い身分と考えられるだろうか。

だかそうするとその基準問題になる。この作品では海賊王は明確に定義されており、「ワンピース」と呼ばれる秘宝を手にしたもの海賊である

例えば私がなんらかの秘宝を手にして、それが膨大な価値があれば、この資本主義社会で高い地位を得られるかもしれない。例えば考古学者が歴史的に非常に価値のある財宝を手にしたら大きな業績となり、学会での地位が高くなるかもしれない。

しか海賊である。力こそ正義海賊である。財宝を手にしたところで地位なぞ向上するのだろうか。

海賊王がよく分からないとこの作品目的がよく分からなくなってくる。例えばドラゴンボールでいえば七つのドラゴンボールを手に入れることが目的である。七つのドラゴンボールを得ることでどんな願いも叶えることができる。

だがワンピースを手に入れることによる効果海賊王になれる。それだけであるワンピースを手に入れたところでなにやらよくわからない海賊王になれるだけなのである

海賊王に俺はなる」などと言われても問題海賊王はなんなのかよく分からないのだからどうしようもない。「ハイパーメディアクリエイターに俺はなる」と言っているのと同じである

2015-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20150802010712

真面目に答えちゃうが、冬は偏西風が強くて花火が上げられないのと、空気乾燥してて燃えカス火災に繋がりやすから夏にやってんだよ。

冬の花火安全から本当に許可下りないよ。

歴史的に見れば、川開き海開きの合図であり、またお盆の死者供養の意味もあったから、冬に花火を上げる理由は昔はないわけで。

2015-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20150731112548

報道英紙ガーディアンインタビュー掲載されました

image

イギリス新聞ガーディアン」に、反五輪の会のインタビュー掲載されました。

The troubled history of Zaha Hadid’s Tokyo Olympic stadium project

(“The Guardian”,Oliver Wainwright,Friday 17 July 2015 14.27 BST)

以下に、日本語訳掲載します。

■■■■■

問題だらけのザハ・ハディド東京五輪新国立競技場プロジェクトの沿革

オリバー・ウェインライト

2015年7月16日

ガーディアン

東京都心の明治公園に、それはそれは巨大な銀河系自転車ヘルメットのような格好で、白いアーチを描きながら、低層の環境に覆いかぶさってそそり立つように現れる予定だった。このザハ・ハディドデザインによる2020年夏季オリンピックの競技場は、今や叶わないものとなった。2520億円(13億ポンドまたは20ドル)までのぼった建設費は、計画当初の予算のほぼ倍に達している。近代における競技場の中でも一番高く、このなんとも過大なアリーナの計画はついに中止された。

多くの人は、今回決定した白紙撤回は2年遅れでやってきたと感じている。2013年の計画発表当時から、あらゆる方向から厳しい批判を受けてきたこのデザイン最初からボツになる運命にあったようなものだ。発表直後から日本でも最も著名な建築家陣がこぞってシンポジウムを開き、反対署名を集め、抵抗心丸出しでこの計画を叩いた。彼らは「周辺の住宅地等の環境と完全に不釣り合いな怪物」と述べている。

彼らは、競技場の予定地は、建築物の高さ20メートル制限がある歴史のある場所であり、ハディドのデザインによるとこの場所に高さ70メートルものぼる競技場が明治神宮を上から眺めるような形で建てられることになる、という点を強調した。プリツカー賞受賞者の槇文彦をはじめ、伊東豊雄隈研吾藤本壮介といった建築家名前を連ねた反対署名は、8万人もの署名を集めた。この数は予定されていた大競技場の収容人数とちょうど同じ数だ。

署名活動に加えて、バルセロナ五輪の競技場を担当した磯崎新による猛烈な攻撃が続いた。磯崎はハディドのデザインを「歴史的誤謬」と呼び、「後世に恥をさらすことになる」と警告した。2020五輪企画担当する日本スポーツ振興センターへの長い公開状のなかで、彼は「歪んだ」建設計画が「列島の水没を待つ亀のような鈍重な姿」と述べた。

東京世界最初の例を実現するチャンスがあるのにもかかわらず」と記し、この建設計画はオープニング・セレモニーのための無駄な装飾品を造るという欲によってのみ動かされていることを指摘した。磯崎はさらに、いかに競技場の規模の縮小が可能になるかを詳細にわたって提案したが、オープニング・セレモニーにおいては、皇居のそばに規模の小さな臨時特別会場を建て、江戸城の外壁を使ってドラマチックな背景にすることなどを挙げた。しかしこのライトで低コストな気の利いた提案はすべて政府側に無視された。

それにもましてハディドは、自分建築デザイン批判する者に対し「彼らにとっての恥だ」と述べながら素早く反撃した。「これは彼らの街に建つものです」と理解をただよわせながら、「でもこの競技場をあの場所に建てることに反対するのなら、初めから五輪開催地候補になんてなるべきではなかった。ただの偽善者だ。新競技場計画がつぶれた原因は彼らの問題だ。国立競技場外国人建築家に作らせることを拒んでいるが、日本人世界中起業しているではないか。」と話した。

しかし、反対派の主張は建築界や専門家の内部抗争などの領域はるかに超えたところで展開されている。地元の反対派グループは、新競技場がもたらす影響により都心でも数少ない自然の残されている場所破壊することになる、と腹を立てている。この地域1900年代初頭に孤立した島国日本近代化に導いた明治天皇を偲んで植えられた銀杏の木や庭園が多くある場所である

神宮外苑国立競技場未来へ手わたす会共同代表清水伸子は「ここはオアシスのような場所です。」と話す。「ここは散歩したり、おしゃべりしたり、ピクニックのできる場所。新競技場ができたら、こんな公園と緑が失われてしまう。ありえないことです。」

環境問題はさておき、さら地域の怒りをもたらしたのは、ハディドの新競技場計画にしたがい、周辺の都営霞ヶ丘アパートから約300戸もの住民強制退去を強いられたことだ。退去令はアパート住民に限らず、公園内で寝泊まりするホームレスの人々にも襲いかかった。「年配の方々がたくさん住むこの場所で、新たな住居への移動によるストレスは大変なものです。」五輪圧力をかける反五輪の会メンバー小川てつオはこう話す。「霞ヶ丘の住民あいだには、実に強いコミュニティー感覚がある。でも強制移住によってこれが壊されてしまます。」

実際のところは、現状よりもはるかに低コストで周辺への影響も小さい代替案も存在していたのである。旧競技場は1964年オリンピックの会場でもあり、54000人収容できる。1936年ベルリン五輪1932年1984年ロサンゼルス五輪成功した例があるように、実在する競技場を改築または再利用して開催する手もあったのだ。

伊藤豊雄は代替案まで提案したが、これはもし国立競技場解体されてさえいなければ、実現したかもしれなかった。結局、ハディド作の宇宙船の着陸帯をもうけるために、国立競技場は今年の5月には瓦礫の山へと化していた。

東京テンプル大学ジェフキングストンは、「ホワイトエレファントになるのを待っているような状態だった」と話している。「東京わずかな緑地帯を損なってまで建てても、ここまで巨大な競技場が必要になるようなイベントほとんど存在しない。多少の費用で古い競技場を改築すれば、新競技場よりはその後の管理もずっと少なくて済んでいたはず。税金を納める人にとって、これは迷惑しかならない贈答品をもらうようなものです。」

ザハ・ハディド建築事務所スポークスマンは、予算が急騰したのはデザインのせいにされるべきではない、と話す。しかし同事務所は今後も競技場に関する仕事を続ける予定だと述べている。

「先の予算上昇はデザインに原因がある、と言われていますがこれは事実と異なります。このデザインは、基準どおりの資材を使い、建設業者の技術範囲日本スポーツ振興センター予算内に収まるように設計されています。」とハディド事務所声明のなかで述べている。加えて、「新競技場の実際の課題は、東京建築業界の年間費用上昇、そして定められた期限に対応した予算を打ち出す、という点でした。」と述べた。

これは2012年ロンドン五輪委員会がメイン競技場の配備において避けようとした問題だ。当時は相当な批判を浴びたにもかかわらず、通常行われる国際競合を廃止した上、時間予算の削減を考慮して、建築業者のリードする企業連合によってすすめられた。

時間通り完成はしたものの、ロンドン競技場の建設費もまた収拾がつかなくなるほどに跳ね上がった。当初の予算だった2億8千万ポンド(約535億円)から、4億9600ポンド(約948億円)にまで昇った。解体される計画だったが結局のところまだ残されており、今はサッカー競技場にするために改築中だ。この改築費も含めた総工費予算は7億ポンド(約1339億円)にまで上がってしまった。

もともとは「コンパクトオリンピック」と称されていたが、東京の開催委員会スリム理想像に沿った制御をするために、ロンドンと似たような道を辿っている。ハディドの過剰なデザインが、いま拡大しているこの高価な試みに対する不満分子の中心だ。安倍晋三首相支持率最近になり新たな降下をみせているが、政府関係者によると五輪に対する世論悪化が原因のひとつだという。五輪開催までわずか5年となった今、五輪推進派は、まだ旧競技場が残っているうちに自国建築家たちの必死の警告を受け止め、彼らの極めて思慮深いアドバイスに耳を傾けるべきだった、と後悔しているのではないか。

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http://hangorin.tumblr.com

2015-07-30

「好きな本ってなんですか?」なんて聞かれると困る

何かの折に(最近だと又吉直樹芥川賞受賞の話題など)「好きな本ってなんですか?」などと聞かれると困る

どういう答えを期待して聞いてるんだ?

試されている感が尋常じゃない

もし安倍晋三にそんな質問して空想から科学へとか答えられたらどうするの?

好きな本がとんがってたらどうするの?

ジョークで言っているつもりかもしれないけど、そのジョークちゃんと拾えるの?

アイドルグループ推しメンを聞くのとはわけが違うんですよ?

聞き手の期待するレベル教養範囲で、自分に期待されている答えを出すのは難しい

あと、好きな本で上げた本が割と名著なのに相手の読んだことはない(教養ベルで内容は知ってる)で中身について話はじめてしまったときの相手の顔から出るいたたまれない空気か辛い

空想から科学へは歴史的重要な本であることは間違いないと思います

2015-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20150723092622

そもそも女が結婚しなくても生きていけるなんてことが、歴史的にも世界的にも稀なのだから、それを足かせだと言うのは間違ってると思うけどね。

[]日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種

[チョン・ジェハク コラム]平壌ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!

2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員

今でも鳥肌が立つのは、私たち民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本私たち民族に対する悪意は先に天だと見る。

日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本私たち民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省姿勢で如実にあらわれるというだろう。

そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。

特に亡国的だと呼ばれる地域感情日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たち日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。

1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たち民族永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。

日本1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民略語)をたてて、私たち民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神抹殺するために学校私たち国語を奪ったし、伝統文化に対する否定的意識を教えた。

花札流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たち怠惰国民に成っていった。

しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件日帝植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。

民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。

同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。

これに対し日本は湖南(ホナム)排斥目標地域感情生産し始めた。

植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。

日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝韓半島を離れて私たち民族大同団結あざ笑うことになったことだった。

湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。

日帝が狙ったそのままであった。さら全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。

暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。

そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道キョンサンド軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。

その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国葛藤実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。

日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初北朝鮮対南工作にあって、その次がまだ地域差別実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。

筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情日帝陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。

もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。

私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮自由民主体制に移ってくることができる。そして私たち韓国北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。

したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たち民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。

原文 韓国語

http://www.dailyjn.com/news/articleView.html?idxno=27662

エキサイト翻訳

http://www.excite-webtl.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fwww.dailyjn.com%2Fnews%2FarticleView.html%3Fidxno%3D27662&wb_lp=KOJA&wb_dis=2&wb_chr=

2015-07-22

TwitterRTランキングを占拠してる例のアレ

刀の種類が変わっただけでこんなに嘆き悲しみ憤る人が多いなんて運営側予測不可能だろ…

ショック過ぎて電車の中で泣き出した人とかいるらしいけどはっきり言って病院行った方がいいんじゃないかと

別に突拍子もない改悪という訳じゃなくて、そっちのが歴史的に正しいんだろ?

元鞘に収まっただけだろ?ならいいじゃん。

しろお前らが大切にしてるキャラの方がショック受けてるんじゃないの?

主様は私自身ではなくて私の種族を見ていたのか~的な。

2015-07-21

平沢勝栄中国脅威論をおおっぴらに主張しているけど

http://news.livedoor.com/article/detail/10211795/

平沢氏によると、現在南シナ海中国が進出してきているという。そのために、日米同盟信頼関係を強化して、中国への抑止力を高めることが、安全保障関連法案目的であることを主張した。

その後、司会の荻上チキ氏がリスナーからの「平沢勝栄氏が出演されるということなので、中国の脅威を”過度”に象徴してこの法案必要性を説くだろうと思います。聞きたいのは、中国の脅威に対する、今回のの安保法制の具体的な必要性はなんなのでしょうか」という質問を紹介した。

質問を受けて、平沢氏は「『過度に』って言ってましたけどね、どうかしてるんじゃないですか。今の南シナ海現実を、この方はあまりにも知らなすぎます」と強い口調で反論した。

平沢氏は、第2次世界戦後から中国南シナ海に進出してきていることを説明し、歴史的にもさまざまな国で大国が去った後に進出していることを力説した。

一方、安部首相ホルムズ海峡の話しかしておらず、中国については触れないスタンスであるらしい。

それが国民への説明不足という形で批判されている。

では平沢勝栄との、この差はなんなのだろうか。

政府としては首相けがかしこまっていれば済む話なんだろうか。

そもそもどういう仕組になっているのかよくわからない。

2015-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20150719120421

Q1. アメリカの味方であることで、戦争に巻き込まれることにはならないの?

戦争に巻き込まれる」という言葉意味によるんじゃないかな。

日本は独力で国防できないのでどこかの国に味方になってもらう必要がある。その国にもまた敵もあれば味方もある。

どこの国に味方になってもらっても、その国の戦争に巻き込まれることはありえる。

メリットデメリット比較して一番有利な相手がアメリカだという判断日本はしてきた。

Q2. アメリカに守ってもらうだけじゃなくって、もっと協力するのが恩義~みたいな話があるけど、

基地を置いたり予算を分けたり、後方支援することで恩は返してるんじゃないの?ていうかどこまで協力しなきゃならないものなの?

恩義というのは変な言葉だと思うが、現状の法律だと、日本を守るために米兵が死に、しか自衛隊が反撃できないとかそういう場合がありえる。見殺しね。要するに。

基地とか、予算とか、後方支援とかは結局、金の問題でしょ。金で血や命を掛けてもらうのは、米国デモクラシーの国なので無理。

じゃあ、どこまで?ってところだが、これは難しい問いだね。

相互の力関係で決まる。

まりにも日本にとってのデメリットが大きくなってきたら、日本が自前で核武装したりするかもしれない。

それは米国にとっても望ましくないので、米国も無法なことは要求しづらい。

から日本国民が「自分の国は自分で守る!米国の助けなぞいらん。自衛隊は100万人だ核も持つ」とかいい始めたら、むしろ米国要求は下がるかもしれない。

自主防衛の方が安くつく(血も金も含めた総合評価として)としたら、日米安保などいらないので、それが理論的な上限になると思うけど、そこに近いところまでいってしまったらほとんど同盟意味をなしていないと思う。

Q4. そもそも隣国は本当に戦争を起こす気でいるの?

それはその隣国に聞こう。

「ありませんよー」と答えると思う。

それを信じて、彼らが攻めてこない前提で備えをしないのは正しいことだろうか?

Q5. 戦争全面的に反対している国を攻めたりしたら、戦争に反対している全世界の人から非難を受けることになるだろうし、

経済制裁とかを加えられる可能性なんかもあるんじゃない?

だったら最小限の武力しか持たず、戦争に反対し続けることが、最大の防御とは言えないのかな?

安保法制ができても、自衛隊は最小限の武力しか持てないし、日本戦争に反対し続けることは変わらない。

Q6. 歴史的に、本当に小さな出来事戦争に発展することってあったじゃない?

アメリカと一緒に戦いに行って、自衛隊が誤って、あるいは命令されて、誰か重要な人物を殺してしまったりして、

それがきっかけで恨みを買って、アメリカより日本が第一の標的にされる、なんてことは起こり得ないのかな?

大きな戦争に発展するには大きな背景が必要で小さな事件きっかけにすぎない。

そもそも「一緒に戦いに行く」というのはどういう状況?そんな議論安保法制に含まれていないと思うのだけど。

どんな問いでも「ありえないの」ということを言うならば前提に矛盾しないかぎりどんなことだってありえることになる。

そういう事態をさける一番確実な方法は、自主防衛だろうね。自衛隊を100万人(で足りるかどうかしらんけど)にして核兵器で武装してどことも同盟もしない。

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