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2021-07-20

アニメ憂国モリアーティを見ている。

シャーロック・ホームズの方は映像化されまくりだけど、モリアーティの方って見ないよな。

自分シャーロキアンじゃないのでモリアーティのこともさっぱり分からないけども。

これは面白い作品だなと思う。犯罪コンサルタント…ね。

ちょっと黒執事臭がするなー。

アルバート兄さんが生き辛そう過ぎてかわいそう。家族根本的にソリが合わないのはキツイよね。

でもまあ望ましい世界に至る手段(義理兄弟たち)を得て幸せにはなったか

少なくとも胸糞生活とはおさらば出来たしな。

あと、OP畠中祐歌唱力がすごい。知らんかった。

なのにEDが変。合ってない。選曲失敗。

2021-02-21

赤毛組合

この事件の発生年代については、1890年10月9日に「赤毛組合」が解散したと明記されているが、シャーロキアンの間では、発生を1887年1888年1889年1890年とする説がある[1]。「赤毛組合」は「ワトスン博士の日付の間違いの最も顕著な例」と評される作品でもある[3]。作中の記述によれば、ウィルスンが組合員の募集を知ったのは1890年4月27日付『ザ・モーニングクロニクル英語版)』紙の広告で、その広告を読んだワトスンはちょうど2ヶ月前だと発言している。ウィルスンは翌日から仕事を開始し、その8週間後に組合解散張り紙を見たと書かれているのである。 まず、1890年4月27日日曜日で、当時日曜日には新聞が発行されていないうえ、『ザ・モーニングクロニクル』紙は既に廃刊となっていた[4]。解散10月9日と書かれているので、2ヶ月前や8週間後では計算が合わない。また、この1890年10月9日木曜日だが、ホームズ今日土曜日で逃亡に2日の余裕ができるため、今夜犯行に及ぶはずだと推理しているのである

正典60編の事件を発生年代順に並べた『詳注版 シャーロック・ホームズ全集』を発表したベアリンググールドの説では、新聞広告1887年8月27日土曜日のもので、事件は「赤毛組合」が解散した1887年10月29日土曜日から30日の日曜日までとしている。短編の冒頭に「去年の秋」(発表は『ストランド・マガジン1891年8月号)とある点については、発表のかなり前に事件原稿にまとめていたのだと解釈した[4]。 リチャード・ランセリン・グリーンオックスフォード全集注釈で、4月27日新聞広告について、ドイル原稿では AG8月)となっていたのを、AP4月)と読み間違えて発表されてしまったのだろうとしたが、発生年については触れていない[5]。

2020-07-27

スノトラに命を救われた嵐担の話

‪スノトラで命を救われた方の沼落ちブログを読んで、私も命救われたしな…と思い、私もスノトラに対する気持ちアウトプットしようと思いました。‬

‪嵐担なので地に落ちるまでの嵐に関するお話が長いです。‬

‪全体的にちょっと長めかもですがご容赦ください。‬

2019年1月27日日曜日だった。私がその報道を見たのは確か18時ごろだったと思う。LINEニュースの速報だ。嵐が活動休止するのだという。‬

‪私は嵐が好きだ。担当松本潤くん。彼のビジュアルから入ったものの、好きなところは数えきれず、ストイックさや直向きさ、とても可愛らしいところ、でも魅せ方をしっかりわかっているところなど挙げたらキリがない。‬

‪潤くんとの出会いは遡ること19年前。当時小学2年生だった私のクラスではみんながみんな嵐が好きだった。‬

‪そして、シャーロキアンの母の影響でミステリーが好きだった私は当然のように金田一少年の事件簿も好きだった。‬

レンタルビデオ屋に行けば専らディズニー堂本剛金田一を借りていた。‬

‪そうして二代目実写版金田一少年を見た私は、人生の生きがいに出会う。‬

しかしながら、それ以降は好きな芸能人を聞かれると、ほぼ毎回松本潤と答える程度で強くは追っていなかった。‬

‪追っていなかったものの、嵐が出ていたならばテレビは見たりしていた。‬

‪そんな私が、中学卒業から高校1年にかけて何のきっかけでもなく松本潤に強い感情を抱くようになる。中学では、松潤のこと好きだなと思う程度だった女が、ある日突然、嵐の大ファンになるのだ。こわい。親も驚いたと思う。‬

‪今考えると当時の嵐は10周年に向けて動いており、私も世間の熱気に当てられたのかもしれない。‬

‪それ以降は嵐が出ていたならばリアルタイムで見ていても録画をし、円盤に焼き、雑誌はほぼ全て買い、切り抜きしてファイリングし、ジャニーズショップにも足繁く通った。‬

‪また、当時はK2やA2、N3と言った掲示板全盛期でもあり、登下校時には毎日のように掲示板を見て楽しんでいた。アタス子とか覚えてる方いますか?‬

‪そうして、青春を嵐と共に過ごした私は事務所担寄りのオタクへと変質し、生き甲斐松本潤、ひいては嵐となった。‬

‪時は過ぎ、高校卒業大学入学大学卒業を経て上京就職転職をし、嵐にめちゃめちゃ注力しているわけでもないが、やはり生き甲斐は潤くんであった、2019年1月27日。私は目の前が真っ白になった。‬

‪その頃にはもう嵐が大好きで仕方がなく、彼らがステージの上でキラキラした衣装を身につけて歌っているの見ると反射的に泣く程度にはクソデカ感情が育っていた。‬

あの日はちょうど埼玉での泊まり込みの出張最終日で翌日の朝に帰京し、事務所作業の予定だった。‬

出張中の移動は主にレンタカーなので、休憩に立ち寄ったセブンイレブン駐車場で私はあの速報を見た。その日の仕事は22時半頃までだったが常に泣きそうな中、ふと緩んでしまうと泣いてしま状態仕事をした。‬

仕事が終わり、宿泊先のホテルに入った途端、封を切ったように、涙が出た。‬

‪嗚咽を漏らしながら泣き、見苦しくも友達電話をした。‬

‪その日は日曜日。翌日は月曜日である。つまりNEWS ZERO櫻井翔が出るのだ。‬

‪最早、どうしたらいいのかわからなかった。人はショックすぎることがあると頭が真っ白になるというのは本当なんだと体感し、また泣いた。‬

‪一人で過ごすことはできなくて、28日の夜には私用で上京していた友達に、ZEROまでの時間、飲みに付き合ってもらった。‬

‪そして泣きながら見ZERO櫻井翔は言ったのだ。有働さんに「復活はあり得ますか?」と聞かれた櫻井翔は答えた。「あり得ます。」と断言した。希望だと思った。‬

‪翌29日はちょうど仕事休みだった。朝起きてまた泣いた。ボーッとつけていたワイドショーでその類の報道が流されまた泣いた。あの3日間は生まれた時以来、人生で一番泣いた日だったのではと思う。‬

‪私はやば目のオタクなので、潤くんが結婚した時など、嵐に関してショックな出来事があってもダメージを軽減しようと、常からイメージトレーニングをしていた。例えば、潤くんの婚約発表、披露宴結婚記者会見、おそらく50年以上先にはなるだろうが一番辛い告別式などである

ただその中で何よりも想定していなかったことが活動休止であった。嵐として5人が並ぶ日が来なくなるなど、微塵も考えていなかったのである。‬

‪そこから私の虚無の日々が始まる。多くの方もそうだろうが、私は辛い時には音楽を聞いたり、推しを見たりすることが多い。‬

しかし、今その辛い原因は他でもない私の生き甲斐なのだ。潤くんを見たところでまた泣いてしまう。嵐の曲を聞いたところでまたさらに泣く。‬

‪だからといって他の曲や推しでは代替えできなかった。‬

‪後押しして欲しい時にはファイトソングを聴き、辛いことがあればHappinessを聴いた。夏を感じた日にはSummer Splash!を聴き、気持ちの整理がつかない時には、感謝カンゲキ雨嵐を聴いた。‬

‪嵐によって開けられた穴は、他では代替えできないほどに大きなものだった。‬

‪嵐がSNSを始め、サブスクを解禁した時もそれはそれで嬉しかったが、やはり辛かった。‬

2021年なんてこなければいいと思ったし、もう全てがどうでも良かった。

嵐が活動休止する2020年12月31日までは前を向いて生きようと思っていたが、それ以降は本当にどうなろうが、どうでも良かった。‬

いくら櫻井翔が明言してくれたところで、希望があったとしても、やはり不安は拭えず、生き甲斐が例え一時的であっても無くなることの恐怖が強かった。‬

‪日を追うごとにその感情は強くなり、2021年以降の自分が全く想像できなくなった。‬

‪この頃は本当にたくさんの人に心配をかけたと思うし、ジャニオタでもないリア友からLINEやリプをたくさんもらった。今思うと、とてつもなく申し訳ない。‬

‪そんな風にカスみたいに生きていた時でも嵐がテレビに出ていれば当然見る。そうやって見ていた、あれからちょうど10ヶ月後の 2019年11月27日。その日放送ベストアーティストで私は天使出会う。‬

‪当時、Jr.について詳しくは知らないものの、ジャニオタの端くれとして1月Snow ManSixTONESデビューするらしいというのは知っていた。が、しかし私が知っていたのはSnow Manラウールという単語のみで、 顔と名前が一致していたのは、B.I.shadowであった SixTONES松村北斗と髙地優吾のみであった。‬

‪そんなほぼ無知な私が見たのは、D.D.のコココガチャで魅せ方をよく熟知した、金髪の、足の長い子だった。一目で目を奪われた。こんな子がいたのかという衝撃は凄まじく、やっとラウールという名前と顔が一致した私は、個性的な9人のメンバーに引っ張られ急転直下スピードSnow Manに落ちていく。‬

‪当時のSnow Manデビュー前であり、未来があって、輝きに満ちていた。‬

楽しいと思った。嵐が決めたことや嵐を決して否定するわけではないが、後ろを向けば期日が見えていた推し事と、先が続いているような感覚を得られる推し事はやはり大きく違った。

‪もし、嵐が出ないのであれば見ることができないと思っていた2020年カウントダウンコンサートも、それ以降の歌番組も、Snow Manが出るならば見ることができると思った。‬

自担を追うってこんなに楽しいことなんだ。‬

‪全く見えなかった私自身の未来も同時に見えたような気がした。‬

‪そして友達に誘われ、Snow Man目的で見た素顔4で私はまた出会いを果たす。‬

‪私はディズニーが好きでパークに行きたくて上京した。そんな女なので当然ミュージカルも好きである。そしてTravis Japanの夢のHollywoodは非常にツボな曲であった。‬

楽曲衣装が好きだなあと思いながら見ていた夢ハリで、センターの子がいきなり「みんなで一緒に〜!!」と会場に向けて煽り始めた。煽ること自体おかしくもないが、その煽りの後に続いたのはコールアンドレスポンス等ではなく、タップダンスであった。タップダンス!?みんなで一緒に!?!?と私は大層混乱した。混乱しながらもこれがきっかけでTravis Japanダンス動画等を見るようになる。‬

‪今の時代は非常に素晴らしく、ジャニーズJr.オリジナル楽曲でさえもYouTubeジャニーズJr.公式チャンネルに上がっていたりする。しかも定点カメラダンス動画だって上がっているのだ。すごい。‬

‪そこで私はTravis Japanダンスに特化したグループだということ知った。‬

‪統率の取れたシンクロダンスや、ジャンルの幅広く取り入れられている振り、そしてしっかりと身についている歌唱力や、耳に残る歌詞に心奪われた。‬

‪そして来たる外出自粛期間。例に漏れテレワークとなった私はTravis JapanYouTube動画を全て見た。第一印象が「みんなで一緒に〜!」だった宮近海斗くんは時々ボケるのが可愛らしい、ダンスばりうまなリーダーだと知った。他にも才色兼備でたまにボケるのがまたかわいい川島如恵留くん、何をしてもかわいい上に自分で「俺かわいいから」と言って憚らない七五三掛龍也くん、顔が小さく手足が長いのにヒモ気質中村海人くん、ボケ役なのにリアコ枠でふとした時にとてもかっこいい吉澤閑也くん、独自感性をしっかりと持っているかわいいお顔の松倉海斗くん、魅せる時は魅せるのにちょっとおバカかわいい松田元太くん。

そして思う。私、この子たちはちゃめちゃに好きだわ…と。‬

‪ところで、ジャニーズブログをやっている。会員登録をし、月額料金を払えば所属タレントのうち、ブログが開設されている子のものは全て読めるのだ。ありがたい。‬

‪そこで嵐やSnow Manブログを読んでいた私は、当然のようにTravis Japanブログ、とらまるを読むようになる。‬

Travis Japanは甲乙つけがたいほどに7人全員が好きだと思ってしまい、いわゆる箱推し状態である。なのでとりあえず全員のブログを読む。当たり前である。‬

ブログを読み進めているうちに、川島如恵留くんの文面に興味をそそられるようになった。‬

‪如恵留くんの展開するアイドル観、勉強観、その他全てにおいて、人間として尊敬に値すると強く感じた。‬

‪さて、皆様は7月27日現在の最新の定期更新分は拝読済みだろうか。‬

‪最新の定期更新分で如恵留くんはこう書いている。‬

‪「貴方が辛い時に、生きていきたいと思える理由の一つに、僕らの存在が力になれたら」‬

‪それを読んだ時、ラウールSnow Manに会えるまで2021年なんてクソだと思っていたこと、Travis Japanに会うまで全てがどうでも良いと思っていたことを、恥じた。‬

‪また、如恵留くんがそう言ってくれるなら2021年以降も生きようかなと思った。‬

‪結局生き甲斐だった嵐の穴は大き過ぎて、ひとグループじゃ埋められず、Snow ManTravis Japanのふたグループ出会うまで埋め切ることはできなかったけれど、私は今とても楽しく生きているし、来年以降も楽しく生きることができるのだろうなと思う。‬

ラウール担として恥ずかしくないよう、ずっと二の足を踏んでいたダイエットにも取り組むようになったし、如恵留くんを見習って勉強をしようかなという気持ちにもなっている。‬

アイドルって本当にすごい。‬

‪私はきっと来年アイドルを追うことができるのだろう。本当に楽しい。‬

アイドルによって開けられた穴はアイドルによって塞ぐことができるのだと体感した。‬

‪今現在も嵐、Snow ManTravis Japanともに色々なことがあるし、このご時世、グループの存続に関して全く持って問題ないなんてことはなく、薄ぼんやりした不安を抱きながら日々を過ごしているけど、スノトラの16人に出会えるまでのことを考えると、なんてことはないなと思う。‬

毎日が楽しく、笑顔で過ごせる。私は今日アイドルに生かされ、明日アイドルのことを想うのだ。‬

‪嵐に色々あってから本気で死ぬことも考えたが、本当に生きていて良かったと思う。ありがとうSnow ManTravis Japan、そして嵐。本当に大好きです。‬

2020-05-17

https://jp.quora.com/tamori-san-ha-nani-ga-su-goku-te-geinou-kai-de-oogosho-atsukai-sa-re-te-iru

ファンフアンという年寄りが多いとは思ってたが、発音するときだけだと思ってた

でもこれを見る限り、本当にフアンだと思ってるんだな・・・

最初シャーロキアンみたいな感じでタモリフアンみたいな言い方があるのかと思ったわ

2018-05-11

anond:20180511130740

いや、先増田ホームズを挙げたのは、推理小説的な意味じゃなくて、

シャーロキアンらの「ホームズ実在人物としてその行動を検証する遊び」のことを指してるんだろ。

指輪物語ガンダムも同様。

ストーリーや設定を考察して、裏設定を邪推したり、ミッシングリンクを埋めたり、矛盾があればそれを解決するような理屈を捻り出す。

そういう遊びは昔からあって、そのうえでエヴァブームの特徴を挙げるなら、

本編がグダグダで終わったぶん考察がより捗った点と、パソコン通信インターネット上で考察が行われた点だよ。

2015-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20150715014005

(づつきです)

通常のネット当局から禁ぜられ程なく使えなくなったが、「もう一つのネット」は問題なく作用した。

珠洲子は住まいのある東京都北区赤羽(Akabane東京都地名。濁音化せずに日本語で書くとAkahane。ハネhaneは元来ハニhaniであり、ハニは「土」を意味する。すなわち赤いハニ(red soil)が地名の由来となっている)から脱出するまで1度だけ襲撃を受けた。都内から離れた後は襲撃はなく、追手はひとまず撒けたことになる。襲撃した相手はハーバード大学3刀流の使い手だった。この流派2050年代にネットが身体の操縦に役立つ技術になった際、ヨーヨー・マビルマーク・ザッカーバーゲイツアダムシニアジュニア3世を名乗る、ハーバード大学を後に退学になる男によって創始された。3つの刀を間違った日本の文化に即して扱うもので、その内の一つは特に電子的に管理し中空に浮かせておくのが特徴だと師匠から教わった。『名探偵ホームズ』には「バリツ」という武術が登場する。シャーロキアンのこれでもかって程の執拗かつ綿密な研究のおかげで、「バリツ」が19世紀ロンドンで実際に教示されたことは21世紀後半の現代ではよく知られている。日本作法伝言ゲーム面白意味を持つ。ハーバード大学3刀流はこの時代の「バリツなのだ


珠洲子はこうした刺客(Shikakuここでは珠洲子を追捕するために派遣されたエージェント)を2秒半ほどで退けた。刀が落ちて金属音を立てるのを尻目(Shirime)に聴きながら、珠洲子は師匠(Sishou)の事を思い出した(remember)。珠洲子の師匠の一人は陳老師(Chen-raoshi、チンさん)という名前で、昔幕府があった場所の名の付いた優秀な弟子を手掛けたことで知られる。珠洲子もそのまた優秀な弟子だ。

「教えの歴史的な古さが強さをもたらすのでない。当然新しいからと言って勝つわけではない。よかったのう!」

チンさんの教えはよく分からないこともあったけれど、この言葉は間違っていない。歴史の重みはある種、不必要だ。必要なのは揃っている道具で今考えることだ。

2時間42分後、珠洲子は岐阜県関市に到着した。明治昭和平成さらにその次と次の元号の時に行政区の変遷があり関市も随分様相を変えた。人も変わった。ここには鷲見(すみ)太郎という政治家がいる。彼女は彼に会いに来た。事前に「もう一つのネット体系」を経由し短報を送っておいた。鷲見はネットが身体を操作し始めた50年代に先鋭的に反対を唱えた男で、のち中央政界で1期務め、現在岐阜県議の職にある。珠洲子の主人は、鷲見にアポイントを取るよう手筈を整えていた。珠洲子は鷲見の邸宅に予告通り忍びこんだ。鷲見は報せを受けてから警備を敢えて「普通」にして待っていた。政治家邸宅における警備を縫うことは「普通」は不可能しかし21時4分現在書斎にいる鷲見の眼前に可愛らしい女性が難なく現れ、彼に簡単なブリーフィングを伝えていた。当然、ブリーフィングよりも忍びこんだ事実の方が、より雄弁に「もう一つのネット」の機能彼女任務とを物語っていた。


「私の反ネット勢力のツテを頼りたいのだろう」「左様です」「あまり役に立たないと思う」「何故です…」「かつてネットが身体の制御に使用されようとしたとき、多くの人が危険だと唱えた。その内に先鋭化して回線切ってネットを捨てるべきと考える者が現れた。」「…」「スイッチのようにオンとオフだけで考えてはならなかったのだ」「?」「ネットを捨てるべきと言った連中はその内コンピュータ不用と言い、テレビ暇つぶし携帯ゲーム害悪だと訴え、車も複写機も信号機も要らない、電子的なデバイスをあれこれと捨てようとした」「…」「そしてついに眼鏡がいらない、とかスリッパが要らない、もっと自然に過ごそう! とか言い始めた」「…」「そうなると火薬羅針盤もいらないし、文字もいらないし衣服もいらないし石器も言語も要らなくなる…ということに多くの人間は、どこかの段階で、気づいた」「??」「人間は道具を使う。ネットに異を唱えたはいいが、どこまで自分が道具を持ち、使っていたのか。そこに無自覚に、ネットだけをつついていたんだ」「反ネット勢力の名簿はいただけないのですか?」「勿論差し上げよう。だが今話したごときの懊悩、えっと悩みね。…悩み。道具に関する悩みを私や私と同じような人間は共有している。だから私の同胞では…ネットストップしようと考えただけの時代人間ではダメだ。おわかりいただけたかな?」「…わかりました」


鷲見の邸宅から去り、関市吾妻町の、関市が幾度も合併する前からあるホテルに赴く。「もう一つのネット」でホテルチェックインし、「もう一つのネット」で架空銀行口座から架空資金ホテルに支払う。自分の部屋でモルツビールを空けながら10時のニュースを見つつ、鷲見からもらったリスト網膜で走査する。

2缶目がもう少しで飲み干せるぐらいの時に、関係者の中に元カレMoto-kare昔の男性の交際相手)の名前を見付けた。「???

 
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