http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/09/17/073849
たしかに多数決は民主主義の必須でも根幹でもないので賛成です。
一方で日本の野党側とか論壇のすごくダメなところは「それは民主主義的に間違ってるからやめろ」という筋の批判をしちゃうことだと思うんですよね。
新聞も平気で「民主主義に反してるから悪」みたいなことを書くんですが、歴史的に見て民主主義が絶対善っていうこともないですし、そのそも永続が保障されてるわけでもない。憲法なんて軍事クーデターでも起きれば停止されちゃうわけです。それは世界中の軍事政権見ればすぐわかるわけですよ。
確かに日本でそういうことはおきそうにないわけです。民主主義も憲法も壊れそうにない、つまりは強度が高いように見えます。だけど、強度が高い=硬いからといって武器のように振り回してよいものじゃないのです。民主主義も憲法も参加者の合意で維持されているのに過ぎないものですから、参加者の一定割合が「じゃあいいよ、もうやめよう」って言った瞬間に壊れちゃうものなのです。もちろん、その時はすべての参加者つまり国民が大ダメージを受けますが、そういう選択をした国は、ここ最近50年だって世界中にあるのです。
多数派っていうのは多数決において強者ですし、強者が自制して弱者に慮るのが民主主義の精髄だとおもいます。それに対して弱者がとるべき道というのは決して「強者は弱者に配慮すべきだ。それが民主主義の精髄だから」と発言することではないです。弱者が民主主義や憲法を盾にした時点で分断が始まってしまうのです。それは弱者が自己の立場でいう利益誘導でしかないからです。弱者こそ公益をもって強者を説得できなければ民主主義は成り立たないわけで、強者の側にも弱者の側にも高潔さが必要とされちゃうのが民主主義です。
(議会政治などの民主主義的な対立の場で)民主主義的かどうか? ってのを持ち出した時点で民主主義の壁際に立ってると思ったほうがいいと思います。本当に民主主義的な話し合い、議論というのは、自分サイドも相手サイドも民主主義そのものには賛成しててそういうものを武器として使うはずもない、という信頼のうえで成り立つものだからです。