はてなキーワード: 大佐とは
12月2日に鋼の錬金術師を観てきたので感想を残します。叩くようなレビューを期待されてる方には悪いですが、かなり好意的な内容です。
実写化という点で、はじめは私も食わず嫌いしてました。劇場に足を運んだのも、正直怖いもの見たさと特典欲しさです。つまらなくても特典がある!面白かったらその分得するから!みたいな気持ちで観に行きました。
先にねたばれの無い範囲で簡単に書くと、鑑賞前は原作と同様の流れの内容を想像していて、あの旅をどこまで描くんだろうと思ってたんですけど、原作の山場や重要な場面をすくいあげてそれらを繋ぐストーリーを生み出した感じでした。
そのために原作の改変部分は多かったですが、このストーリーを紡ぐ上で必要なものでしたし、なにより描かれるシーンにはハガレンへの愛を感じる演出があちこちに見られて楽しかったです。
原作をよく知る人ほど、このシーン、この演出…!っていうわくわく感が楽しめると思います(監督も原作の大ファンとのことですが、どうやら本当ですね…)。
この作品について良くない意見をかなり目にするんですけど、これもしかして実写という表現を選んだばかりに酷評を受けてるのでは…もし同じ内容でアニメ作品だったらこんなに叩かれてないのでは…と思ってます(アニメ1期のときもそうでしたけど、原作と異なる展開をするお話に対して原作ファンは、反射的に否定的な気持ちを持つことが少なくないように感じるので…)。でもハガレンに初めて触れる方にとってきっとアニメより実写の方が近寄りやすいですよね…!難しいところです…。
しかしながら初めての方にはちょっと展開が早いかなと思いました。理解が追いつかないというか、噛み砕けない部分があったのでは?映画の内容はどちらかというと原作を知っている方向けかなと思いました。
他にも人物のバックグラウンドとかあの時間内で語りきれていない部分はかなりあるので、映画の前にでも後にでも、原作も読んでもらえると嬉しいな~。
いずれにせよ、原作世界とは異なる「IF」を覗くような気持ちで気楽に楽しんでほしいです。とりあえず観てほしい(そしてできれば肯定的な意見を持つ方とわちゃわちゃ感想を言い合いたい)!
これ以降にはねたばれを含む感想を書きますので、映画観賞前の方は観賞後にお読みください。
【ストーリーについて】
多少気になる表現もあったんですけど(後述)脚本は結構良いと思いました。ハガレンは兄弟が体を取り戻す方法を探る物語なので、そのひとつのキーアイテムである賢者の石をストーリーの軸に持ってこられたんだと思うんですけど、2時間ちょいであそこまで石関連のあれこれ描いてひとつの話として成立させてるのは、ま~これよく脚本書いたな~って思いました。ほんとこれ素直にすごくないですか。ただほんとに時間(尺)がないので物語は旅というか兄弟のめちゃくちゃ忙しい数日間みたいな印象を受けました。欲を言えばもうちょい兄弟の親しげなシーンとか欲しかったな~前後編にでもしないと本当に時間が厳しいですけどね…。
場面別に感じたことを挙げていくと、なんといってもキメラを完成させたタッカーをエドが追い詰めていく場面、間の取り方が完璧でしたよね!不気味なキメラと、真実を暴く台詞と台詞の絶妙な間、あの緊迫感はそう簡単に醸し出せるものではないです…感服…。
そして兄弟の喧嘩の場面!これはもう…CG技術に関しての思いは後ほどまとめて書きますが、これほんと、エドが生身の左手で殴りましたよね!この演出で私はあっエドだ!そしてエルリック兄弟だ!ってぐいっと引き込まれました…!エドはこの状況なら絶対左手使うよね…!その後のアルの「痛いよ」も含めてあそこは本当に良いオリジナルシーンでした!ほんと監督ありがとうございます…!原作によっぽど愛情がないとこの発想できないですよ…!
あと捕まったエドとホークアイが見張りにハッタリをかけ脱出するシーンも、あそこめちゃくちゃハガレンでしたね!本当にエドが考えそうな手段で観ていてニヤッとした…!
それから、ヒューズの死の直前にロイと電話が通じた演出も嬉しかった。原作ではあの時2人は言葉を交わすことができなかったので、会話の内容に関わらず本当にありがたいというか、ヒューズへの救いになっていると思います。
あとウィンリィのかばんにデンのマスコットがついてたの気づいた方いますか?あれテンションあがった!
否定的な意見としては、シナリオの進行上仕方のないことなんですが、アルが自分の記憶に疑念を抱く流れで、キメラニーナを挟まないでほしかったな…という気持ちが残っています…かなり個人的な気持ちですが、ニーナの最後にはアルの感情に余計なものがない状態(純粋にニーナとアレキサンダーを悼む気持ち)であってほしかったので…。
それからかなり細かいところになりますが、ウィンリィに関して、兄弟の旅に同行するにあたって理由付けの台詞が一言でもあれば良かったなとは思っています(私の聞き漏らしであればごめんなさい)。シナリオ上ウィンリィの存在は兄弟の仲直りでも重要な役割を担ってるし、機械鎧は2度壊れたしで全体を通して必要なんですが、ただなにかはっきりとした理由があったらと…。
あと対エンヴィーのシーン、ロイの手元から炎がブオオーッと出てたのはちょっとクスッとしちゃった、火炎放射器みたいで…。
・“気になる表現”について
お母さんの錬成に対して幼少アルがあんまり乗り気じゃなさそうに描写されていたのが気になってたんですけど、あれはエドが大佐に声を荒らげてまで(自分の体そっちのけで)アルの体を取り戻すことにこだわる要因として描写したのかなと思ってます。自分が巻き込んだ結果アルがああなったから、と。
それからラストの「人として死ねるのね」って発言については、原作でホムンクルスであることに誇りを持っていたラストの発言としてかなり引っかかっていたんですけど、エドがお母さんの墓前で人体錬成を思いついた時、「人体錬成」ではなく「人造人間」って言葉を使っていましたよね、あくまで仮定ですが、あの映画の中でのホムンクルスたちはお父様が作った存在ではなく人体錬成の結果生まれた存在なのかなと、それでラストのあの発言に繋がるのかなと思ってます(そういえばアニメ1期のラストも、人間として存在すること・人間として死ぬことを望んでましたね)。それから、石を抜き出されたラストが再生しなかったことからホムンクルスが石を核にして作られたわけではないと推測すると、この映画ではホムンクルスのもつ石は生命維持装置のような位置付けなのかなと思っています。(この考えでいくと、将軍が作った人造人間たちは簡易版ホムンクルスということになるのか…?)
想像以上でしたね。まずアルフォンスですよ…!旧缶詰工場で兄弟が寄り添うシーン、エドの顔がはっきりと鎧に写りこんでるのあれほんとすごくないですか!?技術ありがたい~!アルの動きに関しては、CGにありがちな軽さというか重みのなさを心配してたんですけどいやもう杞憂…あそこまでガシャガシャ動くとは思ってなかったので感動しました…。重そう硬そうで最高だし、原作でアルを前にしたキャラクターが散々思っているであろう「うわでかっ」感をここまで味わえるとは思ってませんでした!
それから回想で登場した錬成に失敗したお母さんの姿はかなり気色悪くてよかった!あんなん夢にも出るわ~!
ていうかキメラニーナですよ…!手を舐めたあの舌はつくりもの?犬かなにかの本物の映像なの?かなり生々しくてあれほんと鳥肌立った…。先にも触れましたがここは緊張感ある俳優たちの演技も本当に素晴らしくて、本当に最高の(最悪の)シーンでしたね!
ただ一点、お母さん錬成中の風ブワワーッのところ、観客を引き込むための見せ場として、迫力はあったけどちょっと大げさすぎたというか、うーんこうなったか…と思って観てました。原作通りだとすこし画が地味だったからああなったのかな…?
【キャラクターたちについて】
外見は実写化作品を観るにあたって原作ファンがまずぶつかる壁なんですけど、原作者はキャラクター(中身)がしっかりしていれば、と外見は気にしていなかったとのことなので、私もあまり意識しすぎないように観てました。…でもホークアイの前髪もうちょっとなんとかしてほしかったよ~!ヒューズはほんとにヒューズで最高だった…あのにこにこ顔だよね~!エドとウィンリィのやりとりを見てる時の忍び笑いもほんとに好き!
舞台挨拶で(キャラクターを演じる際に気をつけたことは?という質問に対して)松雪さんが「人間に見えないよう演じた」と仰っていたのでラストをよく見ていたんですが、圧巻の演技力による人間離れした妖艶さというか、私の語彙が無く的確な表現ができないんですが、あれは確かにラストでした、色欲のホムンクルス存在してました…。
そしてロス少尉も美しい…好き…。登場する時間さえあれば、アームストロングやハボックの姿も見たかったな~!
アル役の水石さんの演技も結構好きです。アニメに馴染みがあるとどうしても大ベテラン釘宮さんが演じるおちゃめで明るい声が浮かぶんですけど、実写ではアルフォンスのまじめさを濃く演出したのかな~と解釈してます。ところでアル、最初全然喋らなかったのはなにか狙いがあったんでしょうか、登場シーンさえ無言でしたが…。
子役はね…特に兄弟、うん…。一部を回想にして演技力のある山田さんが演じるのは良かったです!
それから衣装!エドのコートがひらっひらっとするの見てて楽しかった!あとホークアイが将軍の人造人間を殲滅後に暗い道を走っていく引きのシーンも、軍服の裾が広がってきれいだったな~。
私は趣味でコスプレをしてるんですけど、衣装って普通の洋服と同じ動きではきれいに見えないんですよ、ただ着るだけじゃなく衣装が映える立ち方動き方というのがあって、(入場特典冊子で監督も触れていましたが)特にエド役の山田さんはそれをよく意識されて動いてるなあと感じました。原画展で一部の衣装が公開されていましたが、そもそもこの衣装たちもめちゃくちゃ作り込まれてるんですよね!魅せる衣装だな~と思って調べてみたら、担当されたのは普段舞台用の衣装を作製されている方だそうで納得しました。いいな~着てみたいな~!
とても長くなってしまいましたが、強く残った感想としてはこんな感じでしょうか。
映画鑑賞前にこの感想をここまで読んでいる方少なからずいると思うんですけど(なので結末は書きませんでした)、実写だから、っていう理由で観ないのは本当にもったいないですよ~!
なにより鋼の錬金術師が、原作連載中の頃のように、アニメ放送中の頃のようにまた世間を賑わせるなら、ひとりのファンとしてとても嬉しいので!ぜひ観てみてください!
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました!
ここからは本編とは関係ない話で、中継で舞台挨拶を見ていて思ったことなんですけど、監督と俳優の降壇後すぐに席を離れた女性たちが結構な数いて、持ち物から察するに山田さんのファンの方なのかな、映画を観ずに帰ってしまったように見えたんですけど…。山田さんをはじめ出演した映画のお披露目のご挨拶にきた俳優たちに対してその行動はめちゃくちゃ失礼だからね!アイドルが好きなのはいいですよ、でもそこにいるのは俳優としての山田さんと、山田さんと一緒に映画を作り上げた方々なので、そしてあなたたちが座ってた椅子は映画を楽しみにする人のために用意されたものなので、まじでわきまえてください…。なにしに来たの…。
あっあと舞台挨拶会場と映画館にいた女性たち、赤コート率高くて萌えました。多いだろうなと思って私は赤い帽子で我慢したんですけど、それでもかなりの人と被りましたね。みんなハガレン好きなんだね…。
あとはアル役の水石さんがガッチガチに緊張してたのをかなり覚えてる…好感度高い…。
〈おわり〉
それ以上でもそれ以下でもない。
昔、私がキャスバル・レム・ダイクンと呼ばれていた頃、20歳を越えたキシリア・ザビに「性」を教えてもらった。
しかし、地球に逃げ延びてエドワウ・マスと名を変えてからは、11歳〜14歳の女の子に心から興味を持ったものだよ。
なんとか合法的に裸を見ようと、プールや温泉の清掃アルバイトに応募しまくったのは、自分の若さゆえの過ちというものだ。
シャア・アズナブルを名乗りジオンの士官学校に通い始めた頃には、逆に30歳を越えた女性の色気の素晴らしさに目覚めた。
そしてザビ家への復讐を果たした私は虚しさを覚え、今度は18歳のJKを求めるようになった。
自衛隊に入ってから、漫画やアニメなどの創作物における軍人の階級によく注目するようになった。
少年漫画なんかでよく大佐とか少佐とか出てくるけど、実際の自衛隊の1佐とか本当にごく稀にしかいない。
そしてほとんどの1佐がおじさん(おじいさんと言っても過言ではない)である。ハガレンのロイ・マスタング大佐は29歳らしいが、あんなイケメンの青年1佐とかはまずもって自衛隊には存在しない。まぁフィクションは嘘が無きゃ面白くないし、ファンタジー要素強めな漫画とリアルを比べても仕方ないけども。
もしもパッと見で青年に見える1佐なんて人がいたとしたら、防衛大学校を主席に近い成績で卒業してその後の数度にわたる教育課程も全てトップでクリアした超人だろう。残念ながらそんな神様のような人にお目にかかったことは未だない。もしかしたら日本のどこかに数人かいるかもしれない。
リアルとフィクションのギリギリの境目で階級に説得力があるのは、エヴァの葛城ミサト。ミサトさんは超エリート。29歳で1尉→3佐はまだギリギリでありうる。実際、30歳の1尉の人には一度会ったことがある。
エリートコースを突き進んだ新進気鋭の若手幹部もさることながら、長年キャリアを積んだ自衛官が中年から幹部試験を受けて任官する場合も数多い。若い3尉よりもむしろ、お年を召されている3尉、2尉といった方をたくさん見かけるように思う。
幹部にも色々ある。防衛大を出たての22歳の3尉と、20年以上自衛隊生活を重ねてから幹部になった中年3尉の序列が同じなんてことザラにある。だから「こんなに老けてるのに1尉なの?昇進遅すぎじゃない?」みたいな見方は早計だ。若くて出世が早い=有能、という等式は必ずしも成り立たない。
創作物の中では、部隊を指揮し全体を統括する立場にある幹部たちが主要人物となることが多い。そりゃそうだ。そもそも大佐とか少佐とか肩書きがカッコいいし。キャラクターにしやすいだろうし。組織を動かせる力は即ちストーリーを動かす力につながるし。
色々な漫画・アニメで、イケメンでエリートの大佐とか、とんでもないカリスマを持った少佐とかが登場するのは、面白いフィクションを創るという上で当然のなりゆきと言える。
そんな輝かしい彼らの陰に隠れて、定年間際のおじいさん大佐がいたり、そもそも幹部にもなれない(あるいは目指そうともしない)膨大な数の部下がいたりすることを勝手に空想するとなんだか面白い。
ヘルシング(漫画)はきちんとそのあたりを描写していたのが流石だなと思った。
当たり前だが現実の自衛隊とフィクションの軍隊との間には、階級における温度差みたいなものがある。
フィクションの軍人はみんな往々にして超人じみたエリートだ(じゃないとお話がつまらなくなる)。ワンピースのコビーの出世スピードなんてまさしく超人の域だ。
現実じゃこんなのあり得ない!リアリティが無い!みたいなことを言いたいのではなくて、現実は現実としての、フィクションはフィクションとしての面白みがあるなぁとしみじみ思うのです。
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。
敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日
「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。
戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。
「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。
戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。
英語話者は皮肉や冗談が好きな人が多く、語った言葉と意図している内容が違うことがよくある。日本語と同じように、空気を読んで相手の意図を探る必要がある。
たとえば映画「サウンド・オブ・ミュージック」で、マリアと大佐が初めて出会うシーン。ここでマリアは勝手にボールルーム(パーティーで踊るための部屋)に入り込み、一人で踊っている所を大佐に見られてしまう。マリアは驚いてそそくさと部屋を出るが、この時、大佐はマリアにこのように言う。
In the future, you'll kindly remember there are certain rooms in this house which are not to be disturbed.
直訳
「今後、あなたは親切にも覚えてくださるでしょう、この家にはいくつかの乱してはいけない部屋があることを」
「今後も用のない部屋には入らぬように」
「覚えといてください、許可なく用のない部屋を覗かぬように」
フォーマルな英語なので、「入るな」の婉曲表現として「乱してはいけない」(not to be disturbed)と言っている。この"disturb"は「部屋に入って掃除をしないで下さい」とホテルの部屋のドアノブに吊るしておくサイン"DO NOT DISTURB"で使われる言葉だ。さらにkindly remember(親切心から覚える)と相手への配慮をしているように見えるが、このkindlyは実際はすごく皮肉を込めている単語で、言いたいことは「勝手にその辺の部屋に入るな」である。(*1)
このような皮肉は、日本語にしても文化の違いにより伝わらないため、日本語版では直接その意を述べている。
英語でも日本語でもそうだが、文を見ただけではその文の意味することは分からず、言葉を発した人の意図などの非言語的な要素を補って理解する必要がある。
英語話者が「今のは皮肉や冗談じゃなくて言葉通りの意味だ」と言いたいときの定番フレーズとして"I mean it"がある。
英語にはこのような定番フレーズが無数にある。あまりにも自然に使われているので、イディオムとして認識されていないが、実際は慣用によって、その意味するところが文字通りの意味から離れている。
特に口語ではそういった定番フレーズはかなりの割合を占めているので、避けては通れないのだが、その意味を知らない英語学習者は「I mean it? 私はそれを意味している・・・?」などと混乱してしまうことになる。
meanが「意図して言う」という意味になることを知っている学習者なら、「私はそれを意図して言っている」という意味だと分かるだろう。だが、「それ」とはなんだろうか。
日本語では「自分がさっき言った内容」を指して「それ」と表現することはないので、日本語を介した英語理解はここで限界を迎えることになる。
しかし映画を見ている時に、役者が真剣な顔をして"I mean it"と言っているのをみて、さらに言われた相手がうろたえながら、さっき語った内容について反論を始めたならば、"I mean it"は「俺は本気で言っているんだ」と言っていたことが分かるだろう。
日本人が英語を日本語を介して理解するのには限界がある。しかし、空気を読み、非言語的な要素を感じ取ることで、意味していることを理解できる場合がある。
そして、使用されている状況から"I mean it"というフレーズの真剣さを感じ取り、それが頻出することから定番フレーズであると知ることが出来る。そこまで分かれば、真剣に「今のは本気だ」と言いたい時に、自然と"I mean it"というフレーズが口から出てくるようになる。フレーズを自分のものとし、スピーキングでも使うことができるようになる。
これはネイティブがやる語彙の増やし方と同じだ。ネイティブは新しい表現に出会うと、状況からその意味を読み取り、なんとなく理解する。その表現に何度か出会えば、いままでに出会った状況を加味して、無意識レベルで総合的に意味を判断し、表現の完全な理解に至る。その表現を気に入ったらすぐに自分でも使うので、新しい表現をみんなが気に入ると流行語になる。
ネイティブは知らない表現に出会っても、意味を理解するために辞書を引くことはあまりない。新しい表現であればそもそも辞書には載っていない。
なぜ辞書を引かなくても意味がわかるのか、不思議に思うかも知れないが、人間の脳には本来そういう能力が備わっている。我々日本人も、子供の頃に日本語を習得するために辞書を引いたということはほとんどないのではないだろうか。
さらに言えば、言葉の本当の意味は辞書を引いてもわからない。辞書を引き、言葉の意味を別の言葉で説明しているのを見ても、腹に落ちるような理解が出来ることは稀だ。たとえ腹に落ちたと思っても、実際には説明を理解して納得できたというだけで、本当に言葉の意味を理解できたわけではない。言葉を本当に理解して自分のものにするには、状況から感じ取って自分の物にするしかない。
このように自然に語彙を増やす方法については、こちらに詳しく書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170526220542
文法的に正しく、意味も合っているけれど、自然でない言い方というのがある。
Lang-8で非ネイティブスピーカーの日本語を読んでいると、たとえば「今日私はコンピューターをしたい」といった文に出会う。文法や意味がおかしいということではないが、「コンピューターをしたい」という言い方はせず、「パソコンをしたい」というのが自然だ。
これは英語でも同じで、発せられた言葉が自然かは文法や意味ではなく、慣用によって決まる。みんながそういう言い方をするなら自然な表現であり、しないなら不自然だ。
たとえば冷静になれ、と言いたい時に、英語では"Keep our cool"という言い方をする。私達の冷たいをキープしましょう、というような文法的におかしなフレーズだが、みんなが使っているので自然な表現だ。
これに対して冷静という言い方がわからず、平常心になれと言おうとして"Be a normal mind"と言ったとしよう。
文法がおかしいわけではないし、normalやmindの意味を誤解しているわけでもないのだが、"normal mind"は「正常な精神」を意味している。"Are you suggesting I'm insane?"(あなたは私がイカれてると言いたいのですか?)などと怒らせてしまうことになりかねない。
「慣用されている自然な表現であるか」も、文そのものからは分からない非言語情報になる。そしてこの自然さを感じ取れないと、ライティングやスピーキングでおかしな文を作ってしまうことになる。
イディオムというのは慣用されることでもとの意味から離れてしまった表現のことであるが、そもそも慣用されていない表現は不自然になる。「コンピュータをする」のような、使われていない表現は、その言語の表現として正しいものとは認められない。
言葉というものは、単語と文法で構成されたものではなく、実際は慣用の集積である。そして全ての言語表現が、文字通りの意味から少しだけ離れているか、大きく離れている。文字通りの意味から大きく離れたものはイディオムと呼ばれ、少ししか離れていないものは呼ばれない。
英語をやりこんでいくと、全フレーズがそのフレーズに固有の感覚を持っていることを感じるようになってくる。それはネイティブたちの間で概ね共通した、そのフレーズに出会った時の体験から来ている。
つまり、同じような時にネイティブは同じような表現を使うので、ネイティブたちは同じような場面で同じような表現をしているのを見ることになる。こういった共通の体験により、その表現に固有の感覚が生まれ、それはネイティブたちの間で共有される。
なので、全てのフレーズにこめられた感覚を理解し、自分の中に取り入れていくべきだ。そのためには膨大な学習が必要になる。
しかし、たとえば、「なんでそうなるの?」と言った場合、我々日本語ネイティブの間では、あるコメディアンが自動的に想起される。そのコメディアンに固有の感覚が「なんでそうなるの?」というフレーズにはこびりついている。しかし、それを外国人が感じ取るのは、限りなく難しい。ノンネイティブがここで完璧を目指しても、克服不可能な壁に当たるだけなので、ある程度で妥協せざるを得ない。
そこまで目指さずとも、まともな英語表現をするためには、その表現が慣用されているかどうかを知っていなければならない。「コンピュータをする」は使われないが「パソコンをする」は使われる、ということを知っていれば、「コンピュータをする」を避けて「パソコンをする」と言える。しかし、これにも膨大な学習が必要だ。
後半 http://anond.hatelabo.jp/20170529005228
**1 文法で考えると、ここでのyou'llはWill you ~?(~してくれますか?)のひっくり返っていないバージョンで、返事を求めない、有無を言わせない依頼、つまり命令文だ。You willが命令文になる場合にはwillを強く発音すると言われているが、別に強くしなくても良い。この場合はWILLの強い感じが状況とそぐわないので、You'llと引っ込んでいる。なのでyou will(you'll) kindlyは「~していただきます」といったような、丁寧な命令文になるが、kindlyは丁寧すぎて言外に何か含んでいる時に使うことが事が多い単語で、このように皮肉に使われたりもする。 ただ、こういう変な文は文法で考えるとやたら難しくなる。意味は雰囲気でわかるはずなので、この解説自体忘れて、you will kindlyはバカ丁寧な命令表現とフレーズ単位で感覚的に覚えてしまうのが得策だ。
ルジャンドルはフランスのウラン(Oullins)に生まれ、ランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家でエコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のとき、ニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララ・ヴィクトリア・ミュロックとブリュッセルで結婚した。結婚後すぐに米国に移住し、帰化した。
1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊の兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊の少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘に従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。
負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニアの荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日、ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリスの病院に入院したが、その間にも南軍の最後の攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨークに移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日に名誉除隊したが、1865年3月13日には准将に名誉進級した。
1866年7月13日、ルジャンドルは厦門の米国領事に任命された。7月にニューヨークをリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパ、アジア大陸を旅行し12月に厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門、基隆、台北、淡水および高雄に責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引の抑制に尽力した。
1867年3月12日、米国船ローバー号が台湾で遭難し、その乗員が台湾原住民に殺害されるローバー号事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾の中国側当局に問題解決の圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドルが台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。
ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍のヘンリー・ベル少将が懲罰作戦を実施したが、これも失敗した。さらに情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。
中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊を派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日に台湾に送られた。ルジャンドルは砲艦の派遣をベル提督に要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドルは9月4日に台湾に上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。
ルジャンドルは直ちに本来の任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民の酋長と難破した欧米の船員の安全を保証するための条約を協議した。
1871年9月6日、琉球(宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー号事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日、ルジャンドルは先に結んだ条約を日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドルは北京駐在の米国公使フレデリック・ロウ(en)とも不仲になってしまった。
1872年、厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドルは日本に立ち寄り、明治政府に台湾問題の武力解決を提唱した。これは副島種臣外務卿の意見とも一致しており、ルジャンドルは米国領事の職を辞し、1872年12月12日、外交および軍事顧問として明治政府に雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島民殺害事件の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として北京へ派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉は部分的には成功であったが、引き続きルジャンドルは1874年の台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドルは駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人の資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日、台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通が長崎に向かった。結局遠征部隊は5月18日に長崎を出港したが、ルジャンドルは大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドルは交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事に職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海で収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。
ルジャンドルは1890年まで日本に滞在し、大隈重信の個人的な顧問を務めた。
1890年3月、ルジャンドルは日本を離れ、朝鮮王高宗の顧問となった。1899年9月1日に漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。
みなさん、こんにちは!ここに来ることができ、とてもうれしく思います。今回の日本訪問で、我々は、日米両国の素晴らしい同盟関係を再確認しています。ですので、皆さんに感謝を伝えたく、ここに立ち寄りたいと思っていました。兵士の皆さん、家族の皆さん、ありがとうございます。皆さんは、日米同盟の中核を担っています。感謝いたします。
「ウォーターボーイ」ことブシェー大佐、ガルザ最上級曹長、ありがとうございます。大勢の人たちがいますね。下士官、上級下士官、将校、一般兵士、国防省の文民職員。家族の皆さん、声を聞かせてください!
黄川田外務大臣政務官、福田市長、国会議員の方々、園田海将補、自衛隊員の皆さん、この場にお越しいただいた日本の友人の方々に、感謝申し上げます。素晴らしい、岩国市民の方々にも、お礼申し上げます。母国を遠く離れて使命を果たしている米国兵士への皆さんからの温かい歓迎は、わが国にとって、非常に大きな意味を持ちます。皆を代表してお礼を申し上げます。ありがとう。
なるべく手短に話をしたいと思います。というのも、できる限り多くの皆さんと握手をしたいからです。先に注意しておきますが、自撮りはご遠慮ください。そうすると、一日中ここにいなければならなくなるからです。
しかし、まずなによりも、米国大統領として、米軍兵士の皆さんの最高司令官であることは、この上ない名誉であることを、申し上げたいと思います。皆さんは米国民を守り、世界中で平和と安全を促進しています。「戦没者追悼の日」の週末を皆さんと迎える機会をうれしく思います。なぜなら、この日は、危険と犠牲が皆さんの仕事の一部であることを思い出させ、自由のために命を捧げた人々を決して忘れず、敬意を払わなければならないことを、再認識させてくれるからです。
大統領として私は、米国が再びアジア・太平洋地域で主導的な役割を果たせるよう、取り組んできました。なぜなら、この地域は、我々が共有する安全保障と繁栄にとって不可欠だからです。そのためには、安全保障での協力が必要です。貿易協定、人々の間で築かれる関係が必要です。そして、優秀な、日本の自衛隊員と協力して、米軍兵士が域内で実施する、誇りある奉仕活動が必要となります。
ご存知のように、今日の午後、私は広島を訪れます。これは、第二次世界大戦で命を落とした、全ての人々を追悼する機会であり、核兵器をもはや必要としない世界の平和と安全を求める決意を確認する機会でもあります。広島訪問は、最も痛ましい亀裂でさえも埋め、かつて敵同士にあった日米がパートナーとなるだけでなく、最も緊密な友人となり、最も強固な同盟国となることが可能だということを示す証左となります。
日米同盟の強さは、ここ岩国で端的に示されています。岩国基地は、両国の信頼、協力および友好関係を示す好例です。米国海兵隊は、自衛隊と力を合わせ、平和を守り、域内のパートナーと連携し、人道支援および災害救援を行っています。皆さんは、フィリピンとタイを襲った洪水やバングラデシュに壊滅的な被害をもたらしたサイクロンの対応にあたりました。2011年の東日本大震災では、救助・救援活動で、極めて重要な役割を果たしました。日米は共に、域内で、数え切れない数の人命を救ったのです。このことは、我々の大きな誇りです。
ここでの皆さんの奉仕は、自由、民主主義、人権、法の支配といった、今日、日米両国が共有する価値観に根ざしています。その結果、日米同盟は両国だけの安全保障にとって不可欠となっただけでなく、域内および世界において、欠くことのできない安定の源であり、繁栄の土台となっています。皆さんは、我々の生活の質を支える礎なのです。
最後に、日米同盟の本質を如実に語る、素晴らしいエピソードをひとつご紹介します。テッサ・スノー大尉はどこにいますか? この場にいるはずですが、、あっ! いましたね。スノー大尉は、オスプレイのパイロットで、先月の熊本地震の際、自身の飛行隊を率い、被災者へ人道支援を行い、物資を届ける任務を遂行しました。ある日本人一家は自宅の倒壊を恐れ、何日も屋外で過ごすことを余儀なくされました。皆さんの取り組みにより、その一家をはじめとする多くの被災者が、食料や水など必要な物資を受け取ることができたのです。
さて、その一家ですが、6月に女の子が生まれる予定です。テッサの任務のおかげで助かったことを知り、生まれてくる子どもに、テッサにちなんだ名前をつけると決めたそうです。家族は、誠実さ、勇気、責任感、進んで他人を助けようとする気持ち、といったテッサと同じような素養を備えた大人に育ってほしいと願っているそうです。
これらは、海兵隊の基本的価値観ではないでしょうか? 幾世代にもわたって、米軍兵士を特徴づけてきた素養であり、日米両国が持つ最も優れたものの象徴でもあります。皆さんの奉仕によって、人間の尊厳と自由に対する日米が共有する決意は、この地域および全世界で、存続していき、この地域は繁栄していくでしょう。そして、我々はどこに行っても、希望を広め続けていくでしょう。私は皆さんを誇りに思います。日本側に感謝いたします。米軍をこの上なく誇りに思います。
皆さんと皆さんの家族に神のご加護がありますように。そして米国に神のご加護がありますように。皆さん、ありがとうございました。
人を殺すことは罪になるのか?
罪にならない殺人が存在していたとしても、殺されるときはどんな人でも苦しむだろう。
人を殺し、苦しみを与えることに、一体どんな価値があるのだろうか?
謎は深まるばかりである。
ベン・ブルース・ブレイクニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年 - 1963年3月4日)は、アメリカ合衆国の陸軍軍人・法律家。東京裁判においては、東郷茂徳、梅津美治郎の弁護人を務めた。
開廷早々の管轄権問題では、国際法に戦争に関する法規があることから戦争は犯罪ではないと主張し、検察側立証段階では、有効な反対尋問を行った。
「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。
我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。
何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。
個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。
それは殺人罪ではない。
たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)
キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。
我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。
原爆を投下した者がいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。
その者達が裁いているのだ。
と発言、
1947年3月3日にも、イギリスとソ連のパリ不戦条約違反を主張するとともに、原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第四項が禁止する兵器だと指摘した。
更に、太平洋戦争段階の外交部門の主任を務めた山本熊一を証人に立たせて、「近衛手記」や野村吉三郎電報を駆使し、日本が日米交渉に最後まで努力したことを立証しようとした。
また、米国議会の真珠湾攻撃調査の委員会での証言や、開戦当時諜報担当だったブラットン陸軍大佐を証人に立たせてアメリカの電報傍受の事実を指摘した。
ドイツ軍のソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツ・グルッペン)によるすさまじい組織的殺戮作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人の絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。
「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパのドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決』遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段の計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」
この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議を召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民局ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。
「ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。
1941年12月11日、日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツはアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類を連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦の様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツを戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界の世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。
ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録はニュルンベルク国際軍事法廷に証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分がゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。
「総統の意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方に追放し、その跡地に対して行われることになった…
ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」
ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域のユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツの占領国や同盟国とは別にイギリス、ソ連のヨーロッパ地域、また中立国のポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、アイルランド、トルコといった、ドイツが占領する予定だった国も含まれていた。
ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーはアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後の証言で「ヒトラーがユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実、東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害—特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務に対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所を対応させる必要があった」。
この会談の直後、アイヒマンはアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。
ガスを使った殺害はナチ・ドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画は1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式な組織として医師を擁する医療関係の諸機関(大学・研究所・病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。
かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体は特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会側から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。
しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである。
絶滅作戦としての最初のガス実験は1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍の戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間で捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車か冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊なパイプが排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。
「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連のドイツ占領地域では1941年の12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。
1941年12月8日。占領下ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初の絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿の中央広場で、人びとは垣根に囲まれた区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」
「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれた場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年春から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティ(ヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。
1941年11月。ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議でハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人である。ハイドリヒは1942年5月にチェコのレジスタンスに暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファースト・ネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官兼警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツの東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者のウクライナ兵部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近の住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。
ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室へ直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人が 処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。
ルブリン近郊のマイダネク収容所はユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。
強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国領ポーランド南部、シレジア地方に建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランド名オシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎の敷地に強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校と政治犯を収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍需工業に囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所、アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所の建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所(アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体はガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム=火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体はガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所は絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所へ移送された。他に子ども、双生児、脊髄に障害を持つ遺伝病患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。
生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。
厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓にさらす、むち打ちなど懲罰の苦痛を与える−この種の非道な所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人用バラックからは毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツ・ビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。
これ読んで思ったんですけどね。
この人の同僚が「俺だって鬱病言って家でぬくぬくしたいわっ」と言った時、俺がその場にいたら拍手してただろうな。
この人に突撃してアカウント凍結に追い込んだ「自称心の優しい病人(笑)」の奴らはマジで糞だわ。
あれって身動き取れないぐらいガチの病人と、ただ甘えて怠けてるだけの自己憐憫野郎が混在しているから、平行線のままだと思うんだよね。
まぁ論争なんて大体そんなもんだけどさ。
そして、「何も悪いことはしてないのに鬱になってしまった人」には配慮してあげるべきだし、じっくり休んで治療してほしいと思う。
きちんと歩道を歩いていたのに交通事故に遭って半身不随になったようなもんだ。
気の毒だわ。
ただ、単なる怠けとか不摂生がこじれて鬱になった奴には同情しない。
というか、かなり見下している。
こいつらは馬鹿以下だろ。
俺が勤めている職場にも鬱病の奴がいるんだよ(同じ職場といっても別会社だし、職種も違うが)。
一緒に仕事をしていると、こいつがクビになってきた理由がよくわかる。
まず、ロクに返事をしない。
こちらが用件を伝えているのにちっちゃい声で「ふぁん」って言うんだぜ?
なんだよ「ふぁん」って。
それ返事なの?何語?それともオリジナル擬音?もしかして「はい」のつもり?
施設警備の仕事なんて、こういっちゃ悪いけど「受付と巡回と点検と報告」ぐらいのもんなんだよ。
誰でもできる。
木下の仕事ぶりは、ま~びっくりするぐらいミスが多いし、ミスした後も言い訳してごまかすんだよ。
と言ってる小学生と変わらんわ。
救いようがないことに、木下は自分じゃ何にもできないくせに、他人に対して態度が横柄なんだよ。
「アイツら仕事おせーっすよねwww使えねーなぁwww」
と言って俺に同意を求めてきたり。
お偉いさんが来た時は、さりげなく後ろに回ってカンチョーポーズしたり。
落し物を受け取りに来た人に
「アンタ、ぼーっとしてるから物落とすんだよ。気をつけなよ」
と偉そうに注意したり。
と誰も意見求めていないのに地域差別しはじめたり(ちなみにその場には名古屋出身の人がいた、木下は気がついてなかったようだが)。
年上と喋ってるとき基本的にタメ語混じりだし、どうしようもねぇわ。
木下のミスを俺達がフォロー(別会社なのに・・・)した時なんか、特に最悪だったな。
普通は「私のせいで仕事を増やしてしまい、申し訳ありません」とか言うじゃん?
「みなさん、働き者ですねぇ(しみじみ)」
だとよ。
こちとらお前の尻拭いしてやってんだよ、このボケが!
で、そんな出来事が積もり積もって、木下の上司である警備隊長がとうとうブチ切れた。
隊長のほうが三才も年下だから、普段はある程度加減した説教してるんだけど、その時ばかりはマジで殺す勢いで怒ってたな。
勤務態度も人格もそれまでの生き方も将来も何もかも否定していた。
まぁそりゃそうだ、糞の役にも立たないどころか、他会社の俺たちにまで迷惑かけてんだから、徹底的に怒らないと示しがつかない。
さすがのアホ木下もこたえたらしく、下を向き、両拳を握り、真っ赤な顔をして、小刻みにプルプル震えていた。
そして一言こう漏らしたんだ。
「俺、うつ病なんですよ」
衝撃の告白の後、木下は隊長に反論した。奴の言い分はこんな感じ。(⇒は俺の心の中の反論)
『木下の主張1』
自分は基本的な業務と言葉遣いはできているからそこまで怒られる筋合いは無い。
⇒実際はできていない。
『木下の主張2』
某警備会社は残業月100時間超えが当たり前のブラック企業だから、こきつかわれて寝不足でフラフラしている。だからミスするのは仕方ない。
⇒たしかに某社は糞ブラックだが、お前は残業時間が無い研修中の時からミスしてただろ。態度が横柄なのは残業関係ないし。他の社員はこなせているんだから木下だけできないのはおかしい。そもそも防犯の仕事でミスは許されない。能力的に無理なら辞めるしかない。誰もこいつに続けてほしいと思ってないし、辞表を出せば代わりの人間が派遣されるからすぐにやめられる。
『木下の主張3』
鬱病になったのは違法レベルの残業と、隊長のパワハラのせいだ。あと高血圧も会社のせいだ。
⇒その会社を選んだのはお前自身だし、注意されてるのもお前が無能だからだろ。そもそも周りの人間がどれだけお前に耐えているのかわかってんのか?なんで被害者面してんだ?残業が嫌ならとっととやめろ。そもそも警備の仕事は精神病の人間がやっちゃいけないという法律あるだろ。そして木下の血管よ、破裂しろ!
少しでも注意すると、自殺をほのめかしたり、これ見よがしに精神安定剤を飲むからだ。
ミスをカバーし続ける隊長は、それこそ鬱になるぐらい疲れを溜め込んでいった。
それからしばらく日々は過ぎ、奴のそんな態度を見るに見かねた俺は
「木下さん、お仕事辛いんでしたら、うちの会社に転職されたらどうですか?うちの会社は残業もありませんし、いくつか資格を取れば入社は容易ですよ」
と木下に言った。
隊長も「よくぞ言ってくれた」という顔で俺を見た。
俺はマッドマックス怒りのデスロードのあのシーンのように、隊長に親指を立てた。
ところが木下は
「いや、俺は鬱だし、資格勉強とかできないんすよ。今、欝で記憶力が低下してるから学習障害だし。そもそも鬱だから何かやろうという気にならないんすよ。転職どころか会社やめるのも無理。ホントにしんどいんすよ、まぁ健常者にはわからないでしょうけど、ふぁん」
と言ったのだ。
は?
「鬱だから何もできないけど、ゲームやったりアニメ見たりすることはできる」、こんなこと言ってる自称鬱の甘ったれはネットにも掃いて捨てるほどいるよな。
奴が言うには、鬱で飯を作るのも面倒だからチキンラーメンとかジャンクフードしか食べる気がしないのだという。
おいおい、インスタント食品はどう考えても体と脳に悪いだろ。
インスタント食品みたいに手軽に食える健康食品だってあるだろ。
なんでそういうの食わないでチキンラーメンなの?
例え俺が日清の社員だったとしても、お前にチキンラーメン食われたら腹立つわ、ボケ!
というわけでもうお気づきでしょうが、木下は「鬱」を免罪符にしているだけなんですよ。
無能な自分を正当化するために「鬱」を振りかざしているんです。
奴にとって鬱とは水戸黄門の印籠なのです。
木下の頭の中の木下像は、「心が優しくて繊細、限界ギリギリまでがんばる真面目で責任感が強い人間」なのでしょう。
実際はただの「せんとくん」だけどな。
まぁ奴から見た他の人間は「鬱を甘えだと思ってる偏見厨」といった感じですか。
「うつは甘えではなく、病気なんだ。感受性豊かな心の優しい人間がかかる病気なんだ!」
とか言って元気にレスバトルしてるわけだ。
ちゃんとした人間だったら、もし自分が窮地に立たされた場合、最低限の努力をすると思うんです。
仕事でミスをしたら素直に謝って次から同じミスをしないようにするし、他人から信頼されてなければ態度を改めて誠意を見せるし、仕事がきつすぎたり向いてないと思ったら病気になる前に辞めるようにするし、転職したいと思ったら資格勉強したり職業訓練受けたりするし、血圧とか尿に異常が出たら食事に気をつけたりする。
俺だって糞みたいな能力しかもってないが、そういう最低限の努力ぐらいはするよ。
そういった努力をなんもせず、人のせいにして甘ったれて生きてきた奴が鬱病になり、今度は鬱を理由に甘え始めるわけです。
そんなにかわいそうだと思われたいのか?
馬鹿丸出しだな!
えーと、長々と書いてしまいましたが、冒頭に戻りまして。
おそらく、会社を休んだ人は木下みたいな奴だったんじゃないかな。
あーそうそう、木下の近況ですが、あいつ最近ますます鬱が悪化したようで、青ざめた顔でいつもうつむいてますよ。
もう言い訳する気力もないみたい。
まぁそろそろアレするんでしょうね。ハハハ。
本日付で増田を退職します。1年間という短い間でしたがありがとうございました。
今年一年はずっと増田で日銭を稼ぐ日々でしたが今思うと何でもないような事が 何でもなかったと思う。
私が増田で携わったのはアナル開発で残ったのはエネマグラだけでした。
めんどくさいので以下書いた増田。よいお年を
アナルが開発済みな上に30本以上エネマグラを所持していたことが妻にばれた
Q. ベンダーフリーは肛門をも開放する思想だと知っていますか?
ゆとりアナル:ゆるふわ系。ガバガバとは違う さとりアナル:賢者タイムが..
いやでも外資系アナルって言うと普通の人より開発進んでそうじゃない?
自己レスだが未完結じゃねーか。ケツ出せよ http://anond.hatelabo.jp/c/連載増田小..
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たぶんもう終わってるよ http://anond.hatelabo.jp/20150618102133
う~ん、この違和感はなんなんだろう。 んー、と頭を捻って考えても見るが..
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転職エージェントとの面談なら服装は自由でOK 極端な話スーツにノーネクタ..
その通りだと思う。 俺はスマホをいじりたいがために便意を催してるよ。
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「俺は、リーダーのジョン・増田大佐。通称ハンニバル。奇襲ブコメと騙り..
私のfacebookの前で、お知らせしないでください。私はあなたをしりません。友..
じゃあNettouochiにブックマークされることを寝とられるって言うわ。
この前スーパーで買い物中に旦那が「舐めろー舐めろー」と言ってきたので..
アラフォーニート職歴無しコミュ症の俺がコンビニに転生して店員になった..
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は パンティー見たい
右上のお知らせのところにしいたけが並ぶとスターもらったのかしいたけも..
グーチョキパーでグーチョキパーで何作ろう?何作ろう?右手が”チョキ”で左手も”チョキ”で、
高校野球の女子マネージャーが真柴の『フリッカー』を 体得したら
誰か「オークのちんぽでマジイキすると日常に戻れなくなるのでおすすめし..
東京喰種 東京レイヴンズ 東京ミュウミュウ 東京ESP 東京トイボックス 東京自..
おわり
サウンドオブミュージックのセブンティーンの歌がまじかわいい。正式名称はぐぐるのがめんどいからセブンティーンの歌ね
何がかわいいってどうみても女の子のほうが余裕があって上手なところ。
男の子が、君はまだ16でもうすぐ17だけど、まだまだ世間知らずだよ!男の扱いも知らないでしょ!君は誰か年上でかしこくて、導いてくれるような人が必要だ。僕は君より年上でもうすぐ18になるから、君をフォローしてあげるってドヤドヤ顔でいうのだけど、その後完全に女の子に手玉に取られている件について。
女の子がしばいがかった感じで私は何も知らないし、男の人への接し方もわからないし、甘い言葉なんて囁かれたら全部信じてしまいそう。独身と女たらしのみわけもつかないの、たしかに私を導いてくれる先輩が必要だわっていうんだけど、表情としぐさが完全に小悪魔でかわいいー!!!!!
小さいころに見たときは、歌だけ印象に残ってたけど、大人になってから改めてみると大佐のでれっぷりににやにやしてしまうし(マリアを見る目が本当に優しくて、口元がにこにこしてかわいいの!最初は誰に対しても皮肉っぽい笑い方しかしなかったのに!)、ナチスドイツのことを色々考えさせられるし、やはり名作だね。朝のNHKで特集していて気になってDVD借りてきた。誰か詳しい人と語り合いたいよー!!!