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はてなキーワード: 遠征隊とは

2024-06-20

ジョージ・ワシントンからジョン・サリバン少将への命令、1779/3/31

貴方に指揮を委せたこ遠征は、インディアン六部国家のうち、敵対的部族とそれに関わる者および追随者に対して向けられるものである。直接の目標は彼等の集落を徹底的に破壊し、年齢・性別に拘わらず、できるだけ多くの捕虜を取ることである。かれらの畑にある穀物破壊し、今後も栽培できなくすることが重要である

(中略)

インディアン領土の中心にある幾つかの基地を、十分な糧食を持った遠征隊全軍で占領し、そこから部隊派遣して、最適な戦法で周辺の入植地を全て滅ぼすこと。単に制圧するのではなく、破壊すること。

(中略)

しかし、彼等の村を完全に破壊する前に、和平の申し出はどのようであれ聞き入れるべきではない。彼等が我々に対して害をなせないようにし、彼等が受ける厳しい懲罰によって、彼等の脳裏に恐怖を植え付けることが、我々の今後の安全保証のためになるからである

https://founders.archives.gov/documents/Washington/03-20-02-0661

2020-03-28

n番部屋事件って知ってる?

俺は実は最近まで知らなかった。在日の(女性の)知り合いの話に出てきて知ったんだが……世の中の闇を覗き込んだような心地になったよ。

韓国でこの1、2年位か……大問題になっている事件個人情報ネタ複数女性脅迫して心理的支配し、自撮り関係者を直接その女性のところに送り込みレイプするなどして撮影した画像動画ネタにして、ロシア製のTelegramというインスタントメッセージ暗号化プライバシーを維持、全てのファイルフォーマットの送受信が可能)でチャットルームを作って公開する。チャットルームは1番、2番……のように複数作成され、好みの女性、より過激コンテンツを求めるユーザが次々と複数ルームで金を落とすように作られていることから「n番部屋」と呼ばれているらしい。

世間では単一事件と思われているようだが、実際には数十のチャットルームが乱立し続けているような状況だそうで、その中でも、

辺りが中心人物とされているらしい。大きく分けると「n番部屋系列」と「博士部屋系列」に分かれるということか。

とにかく、関わった人数があまりに多過ぎること(アカウントの重複を考慮しないと20万を超えるという話もあるが、実際には数万人程度が関わっているといわれている)、性的搾取対象にされていた女性の多くが中学生からの年齢層であること、運営者側も若い人物が多いこと、そして何より、このシステムを作った人物が未だ特定されていないこと……いやー、闇が深過ぎ。こんなことがあった、というか、あるんだなあ。

2017-10-18

艦これをやめて、アズールレーンを始めて感じたこ

最近急上昇中のゲームアズールレーン」

艦これに飽きて、この手のゲームはもうやらないつもりだった。

しかし、ツイッターでもラインでも話題が絶えないので、ついつい始めてしまった。(サンディエゴちゃんが私の一押し)

任務自動受注である

これは艦これが不親切なだけである 特に月曜日は出撃任務だけで枠を取られて、遠征任務を受注できないまま遠征隊が帰ってきてしまった、なんてこともあった 

アズールレーンは全部の任務が受注状態なので安心して任務遂行できる

キラ付け、疲労、補給、などなど面倒な作業存在しない

艦これシミュレーションゲームアズールレーンはシューティングゲームなので重きを置いてる箇所が違うということだろう

情報の通知が親切

艦これ運営はこれに関して、本当にどうにかした方がいいと思う

アズールレーンはログインするたびに重要情報第一に見せるようにしてる(当然、今後表示しない、というチェックボックスはある)

艦これツイッターを定期的に覗かないと情報が入ってこないし、情報重要度を意識してないせいか重要情報が、どうでもいい情報に埋もれることもある

まとめサイトでチェックした方がマシ

数字だけじゃ比較できない強さ

アズールレーンは同型艦でも姉妹艦によってスキルが異なっているので、コモン艦でもオンリーワンの強さがある

また重視する項目は個人によって違うため、議論が熱くなりすぎることがしばしばありそう

・重ねの概念がある

艦これではダブったレア艦は扱いに困ったものだが、アズールレーンは重ねの概念があるためダブったとしても無駄にはならない

しろダブらないとカンストしない 

ダブらなかっても、金鰤使えば凸できるので絶対にダブらないと駄目ってわけじゃないのがまたいい

2017-05-19

ルジャンドルフランスウラン(Oullins)に生まれランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家エコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のときニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララヴィクトリア・ミュロックブリュッセル結婚した。結婚後すぐに米国移住し、帰化した。

南北戦争[編集]

1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。

負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニア荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリス病院入院したが、その間にも南軍最後攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨーク移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日名誉除隊したが、1865年3月13日には准将名誉進級した。

中国[編集]

1866年7月13日ルジャンドル厦門米国領事に任命された。7月ニューヨークリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパアジア大陸旅行12月厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門基隆台北、淡水および高雄責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引抑制に尽力した。

1867年3月12日米国ローバー号が台湾遭難し、その乗員が台湾原住民殺害されるローバー事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾中国側当局問題解決圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドル台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。

ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍ヘンリーベル少将懲罰作戦実施したが、これも失敗した。さら情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。

中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日台湾に送られた。ルジャンドル砲艦派遣ベル提督要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドル9月4日台湾上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。

ルジャンドル直ちに本来任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民酋長と難破した欧米の船員の安全保証するための条約協議した。

1871年9月6日琉球宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日ルジャンドルは先に結んだ条約日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドル北京駐在米国公使フレデリックロウ(en)とも不仲になってしまった。

日本[編集]

1872年厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドル日本に立ち寄り、明治政府台湾問題武力解決提唱した。これは副島種臣外務卿意見とも一致しており、ルジャンドル米国領事の職を辞し、1872年12月12日外交および軍事顧問として明治政府雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島殺害事件の処理交渉特命全権公使外務大臣として北京派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉部分的には成功であったが、引き続きルジャンドル1874年台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドル駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通長崎に向かった。結局遠征部隊5月18日長崎を出港したが、ルジャンドル大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドル交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。

ルジャンドル1890年まで日本滞在し、大隈重信個人的顧問を務めた。

韓国[編集]

1890年3月ルジャンドル日本を離れ、朝鮮王高宗顧問となった。1899年9月1日漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。

2014-05-09

イベント終わってるけど、このE-5試行錯誤が楽しかったので書き留めておく。

メンバー赤城改74・榛名改70・比叡改二78・金剛改二80・陸奥改77・加賀改75)

レベル空母が3つ揃わず烈風を持ってなかったので空母2の制空権優勢が取れない状況。

初め、加賀赤城に艦戦ガン積みや航戦入れたりしてみたが優勢を取れず、

代わりに加賀赤城にはダメコンを装備させた。

加賀(零式62/紫電改二/烈風改/ダメコン) 赤城(彗星一二/零式52/紫電改二/ダメコン)

これで、道中に艦攻ダメコンでガン積みよりは道中の大破率は下がったけど、ボス戦では制空権拮抗

そこでボスには夜間連撃が大ダメージを狙えたのでレベルの高い金剛80と陸奥78に2つある46を積んで,

夜戦連撃の順番が最後になるように4,5においた。これで昼にボスを少し削って

この2人のどちらかの夜間連撃が入れば撃沈できたけど、ほかの2人だと倒しきれないことも。

ようするにスナイプ頼みです。S勝利なんてありません><

最後大天使金剛でしたが、愛しのむっちゃんがとても頑張ってくれました。大好きです。

金剛陸奥[他](41/46[41]/3式/観測)

このときボス戦で昼連撃できないのに偵察機戦艦に積むか迷いましたが、道中では昼連撃するのでそのままにすることに。

キラキラは3重つけててたんだけど、朝からキラ付けする余裕がなくなったので

徐々に消えていって最後はみんなキラ無しの状態のまま出撃してました。

キラキラが消えてから命中が1〜2割減ったような体感はあったけど、労力に見合ってるか微妙な気がします。

最後キラ無しで倒せてしまったので必要だったかどうかもよくわかりません。

陣形は道中・ボス戦全て単縦陣

今回、縦だと道中で1発大破がぎりぎり中破に収まって、撤退率が下がった気はする。

レベル次第だし、攻略中にレベルがあがったからかもしれない)

(ここまでの戦略固まったのは、今日の3時頃)

支援艦隊テンプレ駆逐軽空母戦艦

中支援はお守り程度。朝からは余裕がなかったのでやめて決戦のみ

決戦支援調子がいいときは浮遊要塞x2を沈めてくれたけど 悪い時はカスダメ

キラキラは朝まではつけてたけど、なくなっても決戦はきてくれたしあんまりからなかった。

>>15-17

このあと遠征隊が帰ってきたりしたので3重キラとかせずに出撃してみたら

ボスを撃沈したのでそれから必死にオリョクル回しと、補欠の艦を補給しないように

とっかえひっかえして任務をこなし、最後チョコ解体して出撃してました。

偶然にも補給艦潜水艦任務が残ってたのが大きかったです。


595+4 :名無しさんお腹いっぱい。@転載禁止 [] :2014/05/08(木) 16:00:15.17 ID:kl6RyplG

E5 @4.5メモリ バケツ80 資源12919/11307/21798/3920

退路なし 猶予なし 我突撃

↓(zzz)

126+7 :名無しさんお腹いっぱい。@転載禁止 [] :2014/05/09(金) 10:38:27.66 ID:RecWXGYm (9/11)

http://mmoloda-kancolle.x0.com/image/76132.jpg

大天使


(クリア後の興奮と勢いで書いた長文)

 
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