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はてなキーワード: 喧騒とは

2023-04-07

注文住宅間取り

1F 23坪

17畳LDK、13畳(妻と娘の寝室兼子供部屋)、風呂トイレ

2F 10坪

6畳2部屋(俺の部屋と息子の寝室)、トイレ、WIC

平屋で建てたかったが、さすがに4台分の駐車場を確保するとそこまでの広さはなかった。

子供がとにかく寝起きが悪いのと、まだ目の届くところにいて欲しいのと、リビングを散らかされないように子供部屋を1Fにした。

子供部屋は将来区切れるようにドアは二つ付いてる。

当初は妻と子供二人が子供部屋で寝ていたが、上の息子は暗くして寝たい、下の娘は常夜灯で寝たいで喧嘩して、上の息子が2階の部屋で寝るようになった。

2階の1室は俺の部屋なので、男は2階、女は1階の住み分けになってる。

ほぼほぼ満足してる。子供普段1階の目の届くところにいるが、リビングは散らからないし、勉強も1階でする。

俺は2階の部屋に引き籠って子供喧騒を気にしないで済む。

妻と子供二人が1階にいることが多いけど、1階を広くしたので、そこそこ距離を保って過ごせる。

妻は多少不満だろうが、子供はあと10年ぐらいで出て行くから、そしたら1階を好きに使えばいいし、俺が2階に上がれなくなったら、二人で1階に住むけど、各々個室は作れるので、それほど息苦しくなく過ごせる予定。

1階と2階が同じ広さの総2階建てより、建築費用は100万ぐらい高額になったが、空間有効活用できる間取りになったと思う。

デメリットは娘の部屋がリビングの隣なので、中学高校の6年ぐらいは嫌がられるかもしれないぐらい。

2023-04-05

子供の頃に夢でよく訪れたショッピングモールには過去が染み付いている

数年ぶりに夢に出た。

変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。

俺がよく歩き回るのは本屋CDショップが一緒になった妙にサイバーインテリアフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代ゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティティ系のアトラクションもある。スノーボードハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊シューズレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモード任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚施設に紐付いている。

祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父視力を測る機械の前に座って、奥で店員老眼鏡を調整するのを待っている。

増田、お前の目は半分じいちゃんとおんなじなんだ」

そう言って祖父自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感けが残って泣きそうになっている。

SATY実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラス女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。

「あれ、マッスンまたSATY? じゃあ途中まで一緒に行こ」

そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末教室はいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中特別美人でも秀才でもない普通女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理大福ひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。

高2のある日、たった一度だけだが、広末SATY用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイ材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから屋上植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末ぶどうシャーベットだった。広末一口あげるといって自分スプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。

夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物ジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中こちらに背を向けて座っていた。

高3になると俺と田中文系広末理系選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。

夢の中の田中高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たもの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒地元就職した彼女上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中マンションゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。

夢の中の田中スミノフハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。

マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」

田中視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係バランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。

気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中ヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。

目が覚めると泣いていた。

もう10年ほど職場人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。

SATYに行きたいと思う。

2023-03-23

もういいやって思った。



もういいやって思った。

28歳、大学院卒、フリーターバツイチ鬱病罹患

もういいやって思った。

自分の答えが欲しくて大学院まで行った。なんとか生きていく意味を見つけたと思ったのもつかの間、うつ病罹患してしまった。

就職後の職場でのパワハラが原因だった。

けれどもよく考えれば、うつ病に罹らなくても、仕事は辞めていただろうと思う。ずっと昔から、働くことなんてクソだと思っていたし、案の定、クソそのものだった。

よく社会不適合者という言葉を聞くが、真に差し迫った社会不適合者というのは、子どももいるのにまともに働くことができず、つまりは、守るものがあるのに自分の力の無さのせいで仕事を続けることができないというのが、それだ。

うつ病は、治ったと思った。クリニックに通院してはいるが、およそ二年間事務アルバイトを続けることができた。しかし今、辞めそうになっている。正社員になろうという話しを持ちかけられ、それを承諾してしまった。結果、責任のある業務が増え、後輩ができ、辛いと感じることが増えた。

仕事を辞めようにも、今年で30歳になる。転職歴は5回ほどある。どれも、数ヶ月働いては辞めてを繰り返していた。今の職場を辞めてしまえば、もう障害者雇用くらいしか残されていないだろう。

ただ今がつらいということだけで、逃げてしまっていいのだろうか。そのうち、つらい気持ちはなくなるだろうか。逃げ癖がついてしまっているから、逃げて逃げて逃げて、その結果が今だ。また繰り返してしまっていいのだろうか。向こう何十年、耐えるにはあまりにも苦しすぎる。

就職タイミング子どもを授かった。こんな人間が家庭を持ったのだから、最悪な結果しか招かない。自分のことで精一杯なのに、子どもを育てられるわけがなかった。もう4歳にもなる息子には、申し訳ない気持ちしかない。できることはしたいが、できることがあまりに少なすぎる。

息子には本当に幸せになってほしい。元嫁さんにも。

こんな奴を夫にしてしまたことを後悔しているだろう。本当に申し訳ない。自分の腕で幸せにできなかったことが、虚しくてたまらない。

そして今、過去を思い出して悲しくなった。青春青春らしい、ちゃんとした青春だった。もうあそこには戻れない。あの淡い、駆け抜けるような熱情に包まれた生は、もう戻ってこない。

ずっと若いままで居られると思っていた。いつまでも子どものままでいたかった。大人になんてなりたくなかった。さらには、うつ病になってから記憶曖昧で、気づけば5年ほども経過している。自分はあの頃から、同じ場所で足踏みしているだけだった。心も身体も、何ひとつ進歩していない事実のせいで、現実とのバランスが保てない。

やりたいことはある。やってみたいことが、けれど、生きていくために割かなければならない時間と心が、気持ちを前向きにはさせてくれない。

何にも煩わされず、喧騒に晒されず、生きていきたかった。楽しいことよりも辛いことのほうが多い。もう疲れた

そんなわけだから、もういいや。

最後に海を見にいこう。

2023-03-15

東京適応できなくなりつつある

子供のころは、バスが1時間に1本しか来ないような山奥の村落に暮らしていた。大学進学で地方都市に出た後、就職で初めて東京に来た。その東京暮らし20年以上になる。

若い頃は東京での生活適応できていたが、今になって東京での生活に徐々に適応できなくなりつつある。


東京の何が問題かというと、第一に人の多さだ。俺はもともと人混みが苦手だが、歳を取るごとにそれが一層加速している。

新宿のような場所行きたくないのはもちろんだが、それよりマシな23区の外れの住宅街のような場所でもだいぶ人が多いと感じる。

俺がもともと暮らしていたのは、小学校の全校児童が30人にも満たないレベル過疎地なのだ

東京でも午前5時頃に散歩すると誰もいなくて快適だが、そのぐらい人がいない状態でないと俺は安らぎを感じないのだ。


第二の問題は、目と耳に入る情報の多さだ。どこもかしこ看板標識広告だらけで、脳がそれらの情報処理に追い付かない。そこら中から話し声や音楽が聞こえて頭がクラクラする。

子供の頃は、夜になると街灯の明かりもないような森の中の道を通って学校に通っていた。よく晴れた夜は星空がよく見え、虫の音だけが響いていた。

不思議なことに、東京喧騒が苦手な俺でも、虫の音ならいくらうるさくても平気だ。それら星空と虫の音に俺はずっと癒されていたのだと今になって思う。

東京にはその癒しがない。緑の多い公園などは東京にもあるが、あんなのは作り物で、本物の野山には遠く及ばない。人も多くてとても癒しにはならない。


そんなことで、外に出るのが嫌になり休日はすっかり引きこもるようになってしまった。若い頃は環境の変化にまだ適応できていたが、歳を取るとやはり自分田舎人間なのだと強く思う。


じゃあ田舎に帰るかというと、問題は三つある。

一つは田舎に帰っても仕事がないこと、

一つは20年以上も外に出た自分はもはや余所者なので田舎生活にも今さら馴染みにくいこと、

一つは妻が生粋東京まれ夫婦そろって移住するのがまず無理なことだ。

もし子供がいたら教育問題もあっただろう。

妻が東京まれなことが特に問題で、この問題夫婦で分かり合うことがまるでできないし、他のどこへ移住するにしても妻の方が耐えられなくなる。


そんなわけで東京でずっと耐えているが歳を取るごとに東京への苦手意識はどんどん加速している。そのうち耐えられなくなりそうだ。

2023-02-26

anond:20230226160131

catGPTの「猫が寝ている情景を歌ったかわいい詩をつくってください」

ねこちゃん寝ている

そんな姿が愛らしい

ふわふわとした毛並み

深い眠りに浸っている

胸が落ち着くような

そんな風景を見ていると

心がやすらぎを感じる

ねこちゃんの寝顔に癒やされる

時にはお腹を出して

まったりと寝ている姿に

ほっこりとした気持ちになる

ねこちゃんいるからこそ、心が豊かになる

ねこちゃん寝ている

そんな姿が愛らしい

ふわふわとした毛並み

深い眠りに浸っている

「猫が寝ている情景をテーマにしたかわいい詩をつくってください」

白い毛並み くっきりと浮かぶ 

深い眠りの中 猫がいる 

柔らかい枕に 頭を預けて 

かに眠る 猫がいる

ふくらんだ腹を ゆったりと揺らし 

心地よい安らぎに 包まれた瞬間 

何もかも忘れて 無邪気な寝顔に 

見とれてしまう 猫がいる

夢の中を 駆け巡るのかな 

ふわふわと 羽を広げるのかな 

気にせずに 眠り続ける 

世界中喧騒を 忘れる猫がいる

癒しを与えてくれる その姿に 

心が和らぐ 人がいる 

眠る猫の側で ほんの少し 

世界喧騒を忘れ 休憩する

やがて目覚める 猫はまた 

世界を駆け回る けれども 

いつもそこにある その存在は 

心を癒し 安らぎを与えてくれる

2023-02-21

会話の通じないキチに遭遇したときの3大コマンド

JAXA説明無視して失敗でーすと叫んじゃう記者とかさ

日本語らしき言語を話すけど会話が成立しない人って一定数いるじゃん

ハナから相手の話を理解する気のない人も含んでいいわ

そういうときどうしてる?

教科書的には「それは個性です認めあいましょう、特性にあった対応しましょう」なんだろうけどさ

駅のホームで延々と大声で駅員の真似事しちゃう人に絡まれときとか

SNSでいきなり巻き込みリプ何十件も送ってきてアイツは無視した!酷いやつだ!と喧騒されたときとか

仕事で何言っても否定ばかりして何ら建設的な意見を言えない人と組まされたときとか

記者会見で頓珍漢なことを叫ぶ自称記者に詰められたときとかね。

本気でどうしてるのかみんなの処世術を知りたい。

3大コマンド

・逃げる

無視する

論破する(←相手の思うツボ)

あと一つは?

2023-02-09

田舎が本当に求めてるのは移住者じゃないって話

田舎住民が欲しいのは生活を維持する為の労働力なんよ。

それに対して都会から移住者って多くの人が、自分地域社会労働力提供するって発想がない。

だって都会だったらお金解決できちゃう事だから、みんなでお金出し合うなり行政から支援して貰うなりすればいいじゃんってなっちゃう。

でも、最寄りの街(地方都市から車で5時間とかかかる様なド田舎だと、インフラ整備や防災対策災害時の初動対応などは基本的に住んでる人間自力でやるしかないんだよね。

ブコメで見かける「人雇えばいいじゃん」って言われても、雇おうにもそもそも余ってる人がいないのが限界集落なんだ(だからこそ限界集落なんだがな)。

そんなマンパワーが枯渇してる限界集落にとっての移住者って、ものすごく期待されてる存在なんよ。

から提供する家も用意できる物件の中ではかなり良い(国道に一番近くて、駐車スペースも確保できるとか)のを選んでたりする。

もちろん提供する家ってのは99%空き家から、どこかしら傷んでる。

それを修理して住める状態にする為に、集落人間が総出で手伝ったりする。

集落住民からしたら移住者移住してくる前から、有形無形の投資を行ってるんだよ。

例えるなら弱小野球チームやサッカークラブがなけなしの予算から、大枚叩いて助っ人外国人を獲得しようとしている様なもんなんだ。

そこまで期待してた移住者が、事あるごとに都会と集落比較する自称ロハスフリーライダー野郎だったらそら住民はブチ切れる。

グリーンウェルかよ! ってなる。

でも当たり前だが仮にそいつが腐れロハス野郎だったとしても、移住者は悪くない。

だって移住してくる人達行政から都合の良い話しかされてないからね。

平成の大合併ってあったでしょ。

あれで村役場とか町役場とか廃止されて、代わりに週一くらいで役人が来る出張所が置かれてるってとこ多いんだよ。

要するに自分が住んでる訳でもない役人実態も知らないのに適当に言いくるめて移住者連れてきて、移住が上手くいけばそれで自分の手柄、上手く行かなかったら「あんなところを紹介してすいませんでした」って頭下げればそれで悪いのは心の狭い住民だって話になっちゃう。

ブコメで叩かれてる福井池田町は、言葉を選ぶべきだったとは思うけど内容自体大分誠実な方だと思う。

限界集落ってのは人類社会の端っこで、人類社会の外敵ってのは自然のもので、限界集落自然との戦いの最前線なんだよ。

欲しいのは共に戦う戦友であって、物見遊山のお客様じゃない。

限界集落生活するのに向いてるのって「俺は都会での暮らしでは生を実感できない…」みたいなタイプの人なんだと思うんだ。

「都会の喧騒疲れた田舎ゆっくりスローライフしたい…」みたいな人には向いてないんだ。

そういう人向けには田舎リゾートを作って、観光事業として行うべきなんだと思うよ。

2023-01-26

別子山に着任して最初の印象は「とにかく気持ちがいい」と柳生さん。青い空と緑、そして澄んだ空気

「都会の喧騒から離れ、日々心穏やかに暮らせていることが何よりも楽しい」と話す。

https://life.city.niihama.ehime.jp/citizen_interview/9585/

数か月後、この地域から逃げるように引っ越す前日に、公営住宅火事にあって消火活動荷物が酷い目にあうとは、

まったく予想だにしていなかったのであった。

2023-01-13

anond:20230113115118

しかも「まとも」なおじさんおばさんはそんな喧騒を遠目で見ているだけだから、ヤバめの中年けが大騒ぎで学級会を開いているという悲しい状況

2023-01-02

直近のインターネット喧騒セーフティネットについて思うこと

2022年から世間を賑わせている例の件について思うところを書いておこうと思う。

初めに自分の考えを書き記しておく。私自身は社会的弱者保護施策必要、かつ各種施策税金で支えるべきだというスタンスだ。現在俎上に上がっているのは女性支援施策のあり方についてだが、女性はどうしても様々な面で男性より不利な状態に置かれやすいのは間違いなく、それをケアする仕組みは必要であると思う(ただ、件の組織肯定している訳では無いことは留意して頂きたい)。括弧書きで記したように私は件の組織否定的に捉えている。かつ、その組織の裏側にいる人・団体組織にも否定的見解を持っている。増田を使って”なぜ彼らを否定したいのか”という気持ちを整理したい。

どのような人が保護必要としているか

まず、被保護者となり得る人物について記したい。これは某ブログにも書かれているが、一言でいえば人間として「どうしようも無い人」である普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する(下手すると数分後のことすら考えない)等々である。皆様の周りにも居ないだろうか。こういう人を助けようとした経験がある人は分かってくれるとは思うが、経験の無い人にはどれだけ熱心に諭しても伝わらない。経験の有無で事象解像度が大きく変わる。

普通に生きていて、普通に生活している人であれば困窮しても誰かに助けて貰える(”普通”の定義は細かく定めない。義務教育課程のクラスの中の8割に共通するような属性イメージしてもらいたい)。この”普通の人”は社会の共助の仕組みで大概救われるのである。仮に助けて貰えなかったとしても個々の尽力で社会福祉にたどり着くことも可能自助でなんとかなるのである。全員とは言い切れないが、大半は救われる。

共助の枠組みで救えない人。例えば虚言癖を持っていてお金にだらしなく、働く意欲も無い。口を開けば文句ばかり言ってる他責性の強い人を想像して欲しい。彼女(彼)をどうやって救えば良いだろうか?

女性容姿に恵まれていれば救われる方法はある。風俗店で働いている女性にはこういう人がちらほら見受けられる。容姿が良いのでランキング上位に入ることもあるが、性格が災いして指名が付きにくい(結果として店を頻繁に変える)という印象。ホストにもこういう人がいるが、仕事がハマれば馬鹿みたいに稼ぐこともあるのが世の不思議。粗末に扱われたい女性寄生して金を吸い上げるのだが、最終的にどこに行きつくのかは知らない。

ホストは兎も角、こういうどうしようもない人を税金で救うのは私は仕方がないと思っている。これらの人を救おうとするならば、聖人並みの精神力を持ち、当人人生を狂わされる覚悟で取り組まないといけない。正直そこまでやれないし、税金でアウトソースできるのなら是非やっていただきたい。世の中の多くの社会人は同意いただけるのではないだろうか。

貧困ビジネス」とは何を揶揄しているのか

今回のいざこざの中で「貧困ビジネス」という単語が飛び交っている。この単語グラデーションがあり、人によってとらえ方が異なる。酷い事例はふるまいよしこ氏が語っていたようなタコ部屋。上述のどうしようもない人を集めて生活保護申請させ、そこから利ザヤを得るというものだ。人を人として扱っておらず人権問題である。こういうことは許されるべきでは無い(ただ、ここにも色々な事情はある)。

ここで前段に記した”保護必要としている人”を振り返りたい。自助・共助で救えない人を救うべきであると書いたが、ここにもグラデーション存在する。単純化するために「周りが助けてくれる人」、「自分自身対処できる人」、「どうしようもない人」の3区分に分けて考えたい。

自分自身対処できる人」というのは「どうしようもない人」と比較すると話も出来るし周りにも迷惑もかけないが、税金による保護必要とする対象である。こういう手間のかからない人を集めて保護費を申請し、自身保有する物件に住まわせることができれば殆どノーリスク安定的収益が得られる。原資は税金。限りなく失敗する確率の低い優良ビジネスだ。こういうことをやってる輩に対し、SNSでは「貧困ビジネス」と揶揄しているように思う。

閑話休題

正味な話、日々どうしようもない人を助けていたらSNSアニメ絵クレーム付けたり、「表自!表自」とか騒ぐ気力なんて削がれるのではないか。人のモチベーションの源泉なんて様々だし、何言ってるかわからない人と対峙することでエネルギー湧いてくる人もいるかもしれないが…。

貧困ビジネス」は誰を救うのか

前段で書いた「揶揄される貧困ビジネス」を行っている人・団体組織安定的収益源を拡大するためにより多くの予算を求めるだろう。しかし、その活動で本当に救うべき人に手を差し伸べているのだろうか?「貧困ビジネス」で得た収益弁護士に渡し、上に書いた「自分自身対処できる人」を救うことで実績を稼いではいないだろうか。それで救われる人もいるのだから全部止めろとは言わない。ただ、どういう風にお金を使っていて、誰を救っているのかは明確にして欲しい。救いやすい人を助け、利益を仲間内で回していないことを証明して欲しいのだ。

6000万円の寄付はなぜ集まったのか

大きく2つの理由があるのではないか。一つは当該団体及びそのサポーターに「社会人として必要な実務能力」と「社会人として必要常識」が欠けていながら、上から目線かつ自身の過ちを認めないような態度をとっていること。「社会人として必要な実務能力」と言っているのは支出ちゃんと品目ごとに整理して帳簿を綺麗にするというようなもの。また、「社会人として必要常識」は領収書を取っておくとか、プレスリリースを書き換えたらちゃん公表するとかを指している。

真面目にやってる人から金を集めて、使う側は適当にやってよいは許されない。しかも「社会正義のために使ってるから適当でも良いでしょ」というような態度…。こういう部分も「社会人として必要常識」が欠けていると言いたくもなる。

二つ目社会弱者保護を謳っている団体本来やるべきことに注力せず、「間接的に影響を及ぼしている」という言い分で様々な分野に喧嘩を売っていることであるアニメ絵規制したら保護すべき人々が救われるとは思えない。閑話休題で書いたが、本業を真面目にやってたら喧嘩売る気力も残らないくら疲弊するだろうに、日々喧嘩を売る相手を探しては噛みついてくる。そりゃ喧嘩を売られた側は意味が分からない(本来活動とどうつながるのか?という疑問が出てくる)し、そもそも本業ちゃんとやってるのか証明しろとも言いたくなる。

最後

ここまで書いて、「どのような人が保護必要としているか」の段落で書いた「どうしようも無い人」が頭に過った。

普通に生活することが難しく、大抵の人ができるような当たり前のことがやれない。相手迷惑を顧みずに自己弁護に終始する。平気な顔で嘘をつく。明日のことを考えずに行動する』

これは今回非難されている側に当てはまる部分が無いだろうか。私はこういう人を公助で救ってほしいと思いながら、一方では存在を強く否定したい気持ちもあるのだ。

この問題がどこにたどり着くか全く分からない。私としては心に矛盾を抱えつつも、「どうしようもない人」も救われる社会を望んでいる。

2022-12-14

無断リンク禁止からリンクフリーへの足跡

最近はてな内でインターネット老人会やおい腐女子部の方が過去を振り返っていたので、それに関連して無断リンク禁止からリンクフリーへ至った足跡記憶を振り返りながら記そうと思う。
ただし、当該エントリリアクションでも触れられている通り、まだまだ規模が小さかったとは言え個人視点で見れば広大なインターネットの全てを捕捉するのは難しく微妙個人間で差異があるものと思われる。
違いがあれば私はこうだったと教えてもらえると更におもしろくなるかも知れない。

さて、若者の皆さんはインターネットオンラインコミュニティではその当初「実名文化」であったことをご存知だろうか?
実名文化となった要因は様々あると考えられるけど、大きく影響を示した要因の1つは「JUNET」であると言われれば、まぁ納得はするのではないだろうか。少なくとも影響ゼロではないだろうなと。

JUNETは学術ネットワークで、その主要コンテンツ今日における電子掲示板群と非常に似通ったものがあり、つまり話題カテゴリごとに整理されたページが存在したのだ。
建前上、JUNETはごく真面目な学術ネットワークだったので書き込み責任は個々人にあり、書き込み責任持ってもらうため実名制が取られていたとされる。
電子掲示板群で「である」調の文体もJUNETで使われていた文体であり、由来は論文に使われていた文体なのだ

まぁ実名であっても責任?なにそれ?みたいな感じで至るところへ噛み付いたり、唐突にまったく脈絡なく関係のない話をはじめ、それを指摘され叱られたら逆ギレして大暴れする抜き身のナイフみたいな方が居たんだが・・・そのことについては別の機会に。
えっソイツどうなったかって?今でもTwitterで元気に至るところへ噛み付いてレスバしてるけど?
私の年甲斐もなく落ち着かない性分はなかなかだと自覚してるが彼女には負ける。私はそろそろ落ち着かないとと思ってるがキミはそのままで良いと思うよ。

まぁそんなこんなで日本インターネットはその当初実名文化であり、TCP/IPWWWデファクトスタンダードとなりWindows 95社会現象になるほど売れた時代ホームページ開設ブームなんてものがあった。
まぁブームと言っても現在に比べればまだまだ小規模のものではあったが、個人が自宅からウェブアクセスし、何ならウェブサイトを公開するというのは中々に特別感があったのだ。

そのホームページ開設ブーム期のホームページ実名文化の影響下にあり、住所から氏名、電話番号家族構成、勤め先などなどを載せているホームページが数多く存在した。現代個人情報保護の感覚からすると実におおらかと言える。
言ってみれば、その当時のホームページは後の時代に登場する「前略プロフィール」みたいなものだったのである
書いてある内容も個人日記帳しか実像へかなり近い個人日記帳のようなものであった。実名で交友関係がわかったし、ホームページ管理者学生であれば甘酸っぱい恋の悩みとかを隠すこともなく実名で書いていた。
この当時のホームページはあまりにもリアルすぎる個人情報の塊であり「ホームページ管理者が広く公開していないURLを無断で他所転載することはネチケットに反していた」という古の文言現代で記すこととなる。

現代感覚からしてみると「広く公開していないURLって何なんだよ」と言いたくなるし、情報技術から見れば「ローカルDNSサーバでも立てたのかな?プライベートIPアドレスならば個人利用だと事実上無限みたいなもんだ」と広く公開していないプライベートURL可能性を探り始めるが、当時の人の感覚からするとインターネットなんてドマイナーなのでインターネットを使ってる時点で隠しているつもりだったのだ。
実にバカバカしいと現代人は感じるかも知れないが当時の大半のインターネットユーザは至って真面目に本気でそう考えていた。

例えば過去時代NTTハローページという個人電話番号を膨大に載せていた冊子を発行していた。
この個人情報公開情報であるが、電話番号所有者に無断で何ら関係しない他所へ公開した場合倫理的問題いか?と言われれば現代人でも問題と感じるはずだ。現代では特殊詐欺とかあるしね。
じゃあ何でNTTはそんなもん発行していたのか?と言えば、当時の電話番号を取得するには加入権というもの必要であり、加入権は金融商品としての側面を持っていたこからハローページへ記載されているということはNTTがその個人の信用をある意味担保しているという判定が得られることがあったのだ。
まぁつまり電話番号すら持ってないヤツは信用ならんから取引しないという考え方がマジで存在したんだ。

現代の、それこそ若者感覚からするとNVNOで気軽に電話番号を入手できてしまう今では考えられない価値観だ。
ちなみに加入権の反動からか約20年前に契約書すら必要のないプリペイド携帯電話詐欺が横行するっていう失敗があったので約20年前が最も電話番号価値は低かった。

まぁそんなこんなで、URL公開情報であっても勝手に使うのはダメなんだ、URL無断転載禁止なんだ、無断リンク禁止なんだという価値観時代存在したが、それが急速に失われて「リンクフリー」が台頭する時代が来る。
リンクフリーが何故一気に広まったのか?と言えば「Yahoo!」が日本国内で営業開始したからであった。

当時のYahoo!ディレクトリ型と呼ばれるウェブ検索エンジン方式で、これはハローページなどと同様に人力でURL情報収集して掲載するという形のウェブ検索エンジンだった。
掲載されるには審査必要で、Yahoo!掲載されるということはウェブサイト一定価値と信用を与えてくれるものだった。まるで本当にハローページみたいだ。
この価値が失われるのは「Google」がロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンを開発したからであったが、リンクフリーGoogleが登場する前から使われ始めている。

リンクフリーYahoo!が登場したからだけでは実は説明しきれず、Yahoo!が人気サイトランキング形式掲載するようになったからというのが実際の答えである
人気ランキング存在するようになると競争が生まれる、当時のウェブサイトにおいてはアクセス数(≠ユニークユーザ数)こそが人気の指標であり、URL無断転載禁止無断リンク禁止スローガンはこの人気争いの中で邪魔になっていった。

そして同時にインターネット芸人みたいな人たちも続々と登場するようになり、個人の赤裸々な情報が詰まった日記帳のようなホームページは段々と廃れていき、匿名インターネット芸人が笑い話やお涙話で人気を集めるようになった。
うつまりテキストサイトブーム」の到来である

テキストサイトの思い出についてはこのエントリを読むインターネットユニークユーザ諸氏の方が詳しいしバラエイティに富んでいると思われるので任せた。

ディレクトリウェブ検索Yahoo!の登場は別にテキストサイトだけへ影響を及ぼしたわけでなく、2ちゃんねるの元になった電子掲示板群「あめぞう」の前身であるあめぞうリンク」は「リンクサイト」と呼ばれる種別ウェブサイトであった。
そのほか後年にはリンクサイトの発展型であるランキングサイト」も登場しており、ここまで来るともはや牧歌的インターネットなど想像も付かないような喧騒が起きるようになり、更に現代では当時を喧騒表現しても良いのか迷う程度に現代インターネット闘争本能が強すぎる人たちが多く生息している。
アーマードコアの新作発表されたしそっちでやれよ。

URL無断転載禁止無断リンク禁止派の最後抵抗はやはりGoogleによるクローリングだろう。
前述したロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンウェブページからウェブページへのページリンク自動的収集するというもので、人力で登録していたYahoo!よりも収集効率が物凄く高かった。
しか自動収集するからこそウェブサイト管理者からすると謎のアクセスが急激に増え、何なら当時「Google」という単語など知る由もなかったので特にリンクを多く持っていたウェブサイト管理者からするとDDoSアタックか?と疑念を抱かせる程度には迷惑千万だった。

もちろん静かに間内だけで楽しんでいるようなウェブサイト管理者としても急にアクセスが増えることは不快感しかなく、Googleの人気が増えていくに連れてリンクされない権利を求めるユーザもまた増えていったのだ。
この件であまりにも叩かれすぎたGoogleウェブ検索エンジン検索結果に記載されない「noindex」という施策を取ることとなり現代でも運用されている。
ただしこのnoindex、性善説運用されておりウェブクローリングする側がnoindexを無視すりゃ普通にクローリングできるので完璧解決手段ではない。

まぁこんな感じでテキストサイトあたりから日本インターネット匿名文化へ傾倒するようになりリンクフリー一般的になっていったのだ。何ならリンクフリーって言葉すら見なくなる程度にはリンクフリーが当たり前の価値観であるインターネットになった。

そう言えば、はてなブックマークでも無断リンク禁止勝手ウェブブックマークするなという意見が取り沙汰されたこともあったが、その辺の思い出話はブクマカのほうがよく記憶しているだろうし任せた。

いやはやインターネットというのはここ数十年で大きく変容したものだと懐かしんで私の昔話を終えよう。

2022-12-11

人付き合いが苦手だ

学生の時はそこそこ友達がいたけれど、社会人になり友達ゼロになり寂しい毎日を送っている

原因は自分から友達になろうとしないことなのはわかっている

だけれど、自分みたいなもんが友達になろうと擦り寄ってきていると思われるのが怖くてなかなかいけない

自分から絡んでいける人間が羨ましくて仕方がない

それでも人寂しいから音声配信とかを聞くのだけれど、配信友達を優先し過ぎてグダグタになってる女とか、女を狙っているであろう男の甘え声混じりの相槌の声などが聞こえてきて嫌になって聞くのをやめてしま

家事ガチャガチャ音とか、あくび混じりの声とか、スーパー喧騒とか、他に聞いている人が聞いたら不愉快に思うだろうなと思う行為を、躊躇することなく行える人間人間味があるとか構ってくれてうれしーとか思われて友達が増えていくのだろうなと思う

軽はずみな粉かけの試行回数を増やしていけば、それなりに友達できそうだなと思うが、そういう人間になりたくないから詰んでるな

2022-12-04

日本共産党は今こそ海外サッカーファンアプローチすべき

ワールドカップ日本代表の健闘を良く思っていない層が2つある。

一つはご存知日共産党複数議員日本代表冷水をかけようとして自分達が炎上している。サッカー場建設にひたすら難癖をつけてくるのはもはや様式美である人間の鎖を遣った鈴鹿建設予定が正式に消えたので成果も出せている。

もう一つは海外サッカーファン所謂海外厨」と呼ばれる層であるが、彼らも今回の健闘を良く思っていない。ドイツ戦に対して「勝っちゃいけない」とまで言った明石家さんま代表的存在だが、あの層は欧州サッカーを異様なほど崇拝していて、それに日本人が入り込んだり結果を出すことに対して強い抵抗を示してくる。

10年近く前の話だが、エルゴラッソというサッカー専門紙スタッフが当時マンチェスター・ユナイテッドに居た香川真司などを指して「欧州プレイする日本人サッカー選手は安っぽい」とTwitter発言して大炎上した事例があった。これは海外サッカーファンスタンダードな考え方である。当該スタッフ実名ツイートしたため主に国内サッカーファンから批難されたが、海外サッカーファンからはむしろ「その通り」「よく言ってくれた」と称賛されていたくらいだ。

彼等は日本サッカーの発展を望んでいない。むしろ崇拝する欧州サッカー邪魔になるので消えてくれとすら思っている。

まり日本共産党海外サッカーファン日本サッカーの衰退を望んでいると言う点で利害が一致するのだ。

からワールドカップに関する言動でただでさえ低い支持率が落ちている日本共産党は、海外サッカーファン層に今からアプローチすべきなのだ。利害が一致しているし、海外サッカーファン達は割と発信力もある。明石家さんま小柳ルミ子など、広告塔になれるクラスの人も沢山いる。

それと、今話題日向坂46影山優佳海外サッカー信奉者である。少し前まではJリーグファンに取り入るために「○○選手が好き」「○○というチームが好き」などいろいろ発信していたが、○○の内容がコロコロ変わるなど話に一貫性がなく、一部Jリーグファンからは既に2021年の時点で見切られている。一方で欧州サッカーに関しては今も昔も言動が一致。つまり彼女は残念ながら海外厨の一人でしかないが、共産党にとっては味方かつ強烈な武器になり得る存在だ。W杯喧騒が終わった頃を見計らってアプローチすれば面白いだろう。

日本共産党サッカー場のない(共産党が考える)平和日本を取り戻すために、海外サッカーファン日本人サッカー選手達に邪魔されない欧州サッカーを取り戻すためにタッグを組む。

こうすれば、日本共産党は主流にはならないが意外と支持率は上がるのではないだろうか。

2022-10-23

朽ちたブランコや回転遊具

郷里の山沿いの里(郡部・町・村)には今も結構有る

眺めていると半世紀位前の子供達の喧騒や姿が聴こえ・見えるような気がして

何とも言えない気持ちになる(´;ω;`)

2022-10-11

anond:20221010151042

2歳のこどもがいて、ショッピングモールスタバにも子連れで入る親です。

比較対象図書館とすると、入った瞬間に静かで子どもを連れて行く場所ではないと感じる。

ショッピングモールスタバは入っても店外と変わらない喧騒なので、そこに配慮しようとは思わない。(子供と近い音量で話をしている人もいる)

増田が行っているスタバが店外と比べてとても静かなのであれば、それは親側に配慮がない。

なぜテイクアウトしないのか。

それは、店外には案外ゆっくり座れる場所がないから。ショッピングモールファミリーだらけでフードコートや空きスペースも争奪戦が激しい。あと、ファミリー子供を背負ったり荷物が多かったりで基本的に疲れていて極力歩きたくない。

一方で案外スタバ内のほうがサクッと座れる場合もある。その場合テイクアウトでなく、イートインで、となる。

anond:20221010151042

へー。スタバでガキの鳴き声聴いたことないなあ。ショッピングモールの中のスタバでも

たまたま聴かずに済んでるだけなんだろうけど

どっちにしろショッピングモールスタバは嫌だなあ。なるべく行きたくない。狭くて人多くてゴミゴミしてるから

行くときは疲れ切って甘汁を飲んで休まないと死にそうになるから利用してるだけ

(じゃあ広々したフードコート行けって話だけど…元々行く習慣が無いから行かないな。よくわからなくてこわい。そしてそれこそ確実にガキの鳴き声と叫び声が聴こえそう)

スタバ嫌いつっても、地元に有るような郊外型のやたら巨大で天井高くてパーソナルスペース確保しまくれる様なスタバで腰を落ち着けることは無い

常にテイクアウト。家とか別の場所で飲む

ということで「どこのスタバでも腰を落ち着ける気にならない」

ガキの鳴き声以前に、あんなところで仕事だの勉強だの絶対出来ない。職場や家じゃないと無理。ぼっちじゃないと

カフェ喧騒とか、余計に集中力を削ぐ。他人がうざい

スタバ疲労回復使用する場所だ。雑に休む感じ

2022-08-07

ブルアカアークナイツ

ロンメンのまちも変わらねえなあ

俺だよ俺

ブルーアーカイブだよ!

ここで熱々のヨースタージョークを一つ

ブルーアカイブこの前、ブルー同窓会のお誘いがあったけど断ったんだ

なんでかって?

ブルー同窓会にはブルーフィルム野郎いるからさ

なんてったってApple申請は厳しいからなあ

アークナイツイベント喧騒の掟

騒がしい夜に譲れないルール

さあ始めようか

CMで有名なのはブルーアカイブアークナイツのどっちかいつもわからなくなる

2022-07-06

どちらにせよTwitterはかつてのゲハ板のものになりつつある

その構造で儲けていた人間悪事が露呈して炎上が起きるまでこの喧騒は止まらないし

炎上しても結局中途半端しか潰せず鎮火したようで何も状況は変わらないところまでワンセットなんだろうな

2022-06-26

真っ黒な票を投じようと思う

選挙はおおむね祭礼である

人々は粛々と列をなして、それぞれの祈りを票に託す。

票は数えられ、皆の合意という幻想神格付与される。

祭礼当日の静かな朝。

前日までの喧騒は姿を消す。

投票所はいつも葬儀場に似た匂いをまとっている。

ならば、喪服を仕立てていこう。

黒々とした喪服を。

私のすべてを塗りつぶしてしまうような。

区切られたブースの中で、私は孤独な思いを綴るだろう。

張り出された名簿に、書き写したい名前は一つもない。

それでも、私はこの祭礼に真摯に向き合いたいのだ。

私の思いはやがて、小さな投票用紙の余白のすべてを奪い去るだろう。

真っ黒な票を投じようと思う。

たとえどこにも届かないとしても。

心を埋め尽くす感情をそのままに、包み隠さぬ祈りを込めて。

2022-06-24

anond:20220624222407

いいよね!

あの辺のみなとみらい喧騒から少し離れた感じが良い。女神橋もできたし。

桟橋の方のピア21も一回行ってみたい

2022-06-12

anond:20220611203422

三十代半ばまでプログラマーだったけど、やりたいことがあって別の業界転職した。

自分新卒のころ、その業界知名度は今よりもずっと低かったから、どうすればその道に進めるのかずっとわからないでいた。だからおっさんになってから転職した。

 

最初は小さな会社だった。

大企業から案件おこぼれをもらって、それで基礎を学んだ。仕事量は多いけど、手取り 20 万なかった。

 

仕事に慣れたころ、会社経営が傾き始めた。他部署の業績悪化が足を引っぱり、テコ入れ精神論を売りにする外部のコンサルを雇うようになった。

自分のいた部署は堅実に売上を伸ばしていたのだけど、そのことが逆に経営からまれ最後部門ごと他社へ移籍することとなった。

図らずもまた一から出直しとなった。

 

次も小さな会社だった。

営業部の力が強く、どの営業担当から案件を回してもらうかで社内での立ち位置が変わった。

営業担当も互いに自分の影響力を伸ばそうと躍起になっていたから、社内はコップの中の嵐というより序列を争うホストクラブのようだった。

 

自分のいた部署は古いマンションの一室をあてがわれた。

ここでも基本的仕事内容は変わらなかったけど、プログラミングでの開発やブログ記事執筆もやった。資産管理や部屋の掃除(引き出しはGの排泄物でいっぱいだった)なんかもやった。

書いた記事はまずまずの PV だったと思う。業務上必要から ISMS も取得したし、案件入札に必要になるからと自前で資格も取った。給料は 5,000 円アップした。

半年くらいいると、世事に疎い自分にも徐々に社内の様子がわかってきた。要は自社経営IT スクールの受講生を、自社運営の就職サイトで他社に斡旋する、あるいは IT スクール講師をさせる、そういうカラクリエコシステムと呼んでいた。

 

ある日、上司に昼飯に行こうと誘われ、料理を待つ間に派遣先を告げられた。社内にいる人間人件費がアレだから外に出て稼いで来い、そう営業からお達しがあったと言う。

こうして入社から一年派遣社員となり、送別の昼飯はワリカンだった。

 

派遣先大企業系列会社だった。

仕事内容は変わらず、むしろそれだけに専念できてよかった。

プロパーどうしは人間関係がちょっとスギスしており、派遣社員プロパーに取り入りつつ、ちょっとした手抜きや仮病は見逃してもらっているようだった。

自分は自社の喧騒から距離をおけるようになった分、業務に集中するよう努めた。ただ、毎月サブロク協定の上限まで残業させられるので、月によっては時給換算で 1,000 円ちょっとになってしまうのが痛手だった。

生活のため食費を削っていたし、職場は密閉状態だったから、風邪インフルで倒れないよう健康にだけは気をつけた。

自分以外の派遣社員はみな二十代で、業務中もゲームに興じる廃課金ユーザーが多かった。意外だったのは、自分たちを派遣先に送り込んだ上司は何のケアもしない高給取りの無能呼ばわりされていたことだった(自分は非常に高スペックな人だと認識していた)

 

年を越して、4/1 から自社に引き揚げて開発プロジェクトに投入されるという話が進んでいることを知った。どうも次年度の契約派遣先と折り合いがつかず、交渉が決裂したようだ。派遣先課長が「あなた会社営業さんはなんであんな(強気)なんスかね?どうにかなんないんスか?」とこぼしていたが、何の権限もない自分にはどうしようもなかった。

ただ、自社に戻って開発をしたり、上司営業と顔を合わせてやりとりをする自分はどうしても想像できなかったので、自社の場当たり的な方針依存するわけにもいかないだろうと強く自分に言い聞かせていた。

 

タイムリミットが迫るにつれ、次年度の希望を聞かれる機会が何度かあった。自分業務優先で返事を先延ばしにしながら、周囲に悟られないよう履歴書を用意したり、面接を申し込んだりして少しずつ転職活動を進めていた。

 

年度末を迎え、担当営業からメールで次の配属先の発表があった。自分最後まで希望を伝えなかったこともあり、おつかれさまでしたの一言だけだった(これは自分が悪いのでしかたがない)上司とは結局、送別の昼飯以降は会うことがなかったように思う。

 

数日後、本社に出向いて退職手続を済ませ、4 月中旬までに希望の 1 社に絞って面接をくりかえしたり、SPI を受検したり、必要書類を揃えたり、そこそこ忙しかった。

 

翌月、大企業入社した。

給料は今の業界に来る前の水準に戻った。

ここまでくるのに 4 年ほどかかったけど、正直言うと本当に大変だったのはここからだったと思う。

まわりの若い同僚はこれまで見てきた人たちと違って教えられたことをすぐに再現できたり、適切に応用することができる人たちばかりなので、そこからさらに 4 年間は取り残されないよう無理をしたと思う(実際、ちょっと体を壊してしまった)

 

今はその業務から離れ、別のところに出向している。

今の職場仕事量が多くて辛抱の毎日だけど、もう少しがんばってみようと思っている。

 

……

 

ちょうど 10 年くらいになるので、これまでの整理の意味で振り返っておこうと思った。

就職氷河期世代から貯金だけはするようにしていて、老後の備えは何とかなるかもしれない。

おっさんになって人生をやり直す形になってしまったけど、いつも懸命だったし、自分との約束は守れたんじゃないかな(と思いたい)

 

あと、今週で IEサポートが終了するので、お気をつけください。

2022-06-01

理想の住処

たまに思い描く。そこはどこかにある海辺の町で、都会の喧騒や賑わいとも縁のない、この時代から切り離されているような場所で、自分は今の生活の何もかもを捨ててそこで暮らしてる。たぶんAIRARIAビーチボーイズと何かが混ざった感じの願望だと思う。最近そういう作品出会わないんだけどアンテナ低いのかな。それもと時勢なのかな。

2022-05-30

anond:20220530101326

俺もゾーニング問題だと思う。

小梨夫婦のころ、U15立ち入り禁止の高級旅館に泊まっていたけれど、もっとそういう場所があってもいいとは思う。

どこだったか忘れたが、あるところから上のフロア一定年齢以上のお客様のみの立ち入り可みたいになっている飲食店街などもある。

そういうところは大人たちのお楽しみの場として子供喧騒とは無縁に楽しめると思う。

まあ、何を勘違いたか、そういう年齢制限があるような高級サービス子供を連れてくるのは野暮だと思う。

逆に、ろくに金も出さずに高級サービスばかり要求する人には「値段相応だよ。おじいちゃん。」って思う。

いやー、ファミレスで「この店は客に〇〇せんのかね!」と要求しているおじいちゃんがいて、それが欲しいならここじゃなくて、高級店だろうなと思ったことがあったもので。

まあ、静かに映像作品を楽しみたいなら個室ビデオ店にでも行けよ、おっさん

...というオチOK?

2022-05-29

高校生に手を振り返したら喜ばれた

修学旅行の子供たちに手を振り返した。

車窓の向こうでわぁっと楽しそうにはしゃぐ彼と彼女たち。電車は動き、楽しそうな喧騒を乗せて見えなくなっていった。

電車は「新宿」とか「八王子」とか「特別急行」とか、色々電子表示がされてるが、その日見た表示は「修学旅行」だった。

修学旅行?一瞬脳が混乱したが、車内を見てみるとくだけた格好をした子供達がわいわい楽しそうにしている。修学旅行いけるようになったんだな…という想いと、「修学旅行」という表記電車にあるんだなという驚きが同時に胸に去来する。

グリーン券でも買うかとホームで足を進めると、横目に見える車内の子供達の一部が引率らしきピンク立体マスクをしたお姉さんと共に笑顔こちらに向かって全力で手を振ってる。

あ、これは「外にいる大人の人に反応してもらうゲーム」的なやつだ!と気付いた。学校の外に出て浮ついた雰囲気の中行われる無邪気な遊びの標的になってしまった。

いや、別に嫌なわけではない。気恥ずかしいのだ。

見知らぬ大人だけど見知らぬ子供達に自然に反応を返すその社会性が自分には備わってないのではないかという恐れもある。

そもそもスマホはてブを見てるし反応を返すのとか笑顔を作るのとか、目を切ってちゃんと反応してますよという動作を挟む必要がある、難易度が高い(歩きスマホは良くない)。

車窓越しの子供達のピュア目線、動き、期待、学校の外で何か起こるんじゃないかという浮ついたわくわく感。それに俺は、答えられるのか?

とか色々一瞬のうちに脳内で考えを巡らせてたらスマホを見ながら手だけ振るめちゃくちゃ挙動不審で行儀の悪い反応をしてしまった。

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