はてなキーワード: ファンサービスとは
二次創作のエロ同人作家から全年齢の商業漫画家になった人って、何であんな態度変わるんだろう
同人垢は「この名前で商業デビューしましたので、商業垢フォローお願いします」を最後に更新停止
商業垢で呟くことは自分の作品の裏設定語りか、同レベルの底辺新人プロ作家とのイチャイチャ
昔同人誌出してたジャンルに新展開があっても一切無視、流行も追わず
「友人以外は通知切ってますすみません」とか言って読者からのリプは無視
連載してる漫画アプリのコメント欄も「批判が怖いので」とか言って読まない
「特別にいいねやRTしに行きますので、宣伝ツイートして下さい!」
「単行本売れなかったら打ち切りになっちゃうので買って下さい!」
って言うけど、そんな時だけ態度良くしてもいきなり熱烈な信者がつくわけもなく打ち切りへ
一方、アニメ化や実写化を経験してるベテラン週刊漫画家のツイッターを何人か見てみると、
クソ忙しくて地位も名誉もあってファンサービスなんか面倒くさいはずなのに、意外と読者にフレンドリーに返信したり、
世間の流行をチェックして「あの作品見たよ」とか「これ体験してみたよ」とかツイートしてる
話が死ぬほど面白くて絵もある程度上手いんだったら読者ガン無視でもやっていけるだろうが、
①日本語が甘い
③聞いててこっちが恥ずかしくなってくる
さて、好きな韓国アイドルグループがある。韓国人が多いが、英語や中国語を喋れるメンバーもいるので割りとグローバルだと思う。日本のファンも沢山いる。
彼らのことは大好きだ。セルフプロデュースと銘打って、ダンスの振り付け、作詞作曲等、プロと力を合わせて彼ら自身でコンテンツを作っている。まじアニメなんじゃないの?ってくらい凄い。そして日本を愛してくれている。韓国というとやはり反日教育だとかあんまり良い噂は聞かないが、がんばって日本語覚えてくれたり、アプリの生放送中に流れた簡単な日本語をさっと読んでくれたりする。ちなみに日本で流行ったバブリーダンスをライブで披露してくれるファンサービスなんかもあったりした。すごいな。
しかし、もう日本語で歌わなくていいよ、と言いたい。頑張って日本語でシングルを出してくれる。それも一度きりじゃなくて、何度も続けて日本語verで歌ってくれている。これは本来ならやらなくて良い行為だ。いつも母国語の韓国語で歌ってるのを買っているから、別にわざわざ日本語で歌わなくたって大丈夫だよ。
彼らは、レコーディングのチェックも彼ら自身で行う。作詞作曲をする韓国人アイドルメンバーが、プロデューサーのように指示を出し、確認する。ここで驚きなのが、日本語のチェックも韓国人がやるのである。そうとう日本語を勉強してくれているのは痛いほど分かるし、ありがたい。でも、やはりネイティブではないので、日本語を母国語とする私が聞くと、失礼だが恥ずかしくなって聞くのをやめてしまう。典型的な例をだすと、日本語の「ツ」がほとんど「チュ」になってしまう。韓国人の話す日本語モノマネでよく見ると思う。
そして外国語だと大体意味が分からないので、どんな内容かあまり理解せず聞くことができる。洋楽などもそうだが、意味が分からないから良いのである。彼らのキャッチーなメロディーの歌詞を和訳した字幕がYouTubeで出るのだが、結構日本のアイドルとそう変わらないチープなことばかり書かれていてがっかりした。それから私は歌詞の日本語訳は見ないことにしている。だって大体「君が好きだ」とか「落ち込んだりすることもあるけど前を向こうよ」とかありきたりなのである。あと日本語訳が単にださい。外国だからもっとカッコイイこと言ってるんだろうなという幻想を保つため、歌詞は見ない。MVとコンセプトだけで十分だ。
ただ感動したのが、韓国人、中国人、アメリカ人がいるこのグループで、日本語verの冒頭を歌うのが中国人だったということだ。冒頭の歌詞の四文字目に日本語の「ち」があるのだが、中国人の発音は素晴らしかった。日本の溶けるような柔らかい発音だった。
あとラップは日本語と相性が良くない。刺すような鋭さがあるラップが好きなのだが、なかなか日本語だと難しい。もちろん日本でもラップ文化はあるし某ラップアニメは目の付け所がシャープだなあと思う。
わざわざ日本語で歌わなくても買うんで、歌いやすい言葉で歌ってくださいな、という感想。
20代後半。映画やアニメはそこそこ見るけど、今回のエヴァ騒動には違和感を覚えている。人々が無駄にネタバレを恐れ、ネタバレをみせることで興奮していることに対してだ。自分はネタバレを見ようが見なかろうが、その映画への評価が変わるとは思えない。人の意見をみたり結末を知ったところで、映画を見る頃には殆どを無意識に忘れているわけだし、そのネタバレが本当だとしてちょっとした答え合わせ程度にしか思わない。
エヴァの感想を見ても、結局全てを自分の目で見る以上に大事なことはない。
エヴァが25年にも渡って続いたコンテンツなのだから特別だということはわかる。自分が生まれた少し後にはじまり社会現象になったことは理解しているし、育った環境の中でも数年に一度はコラボ企画を見るような寿命の長い作品だ。そしてこの映画は邦画の中では珍しい、原作がありながら結末やあらすじがいっさいわからない状態で公開された作品だ。ドラえもん映画も似て入るが、基本的にあれらは一定のストーリーラインが定まっているから、題名と登場人物だけである程度はあらすじが想像できるし結末はより簡単にわかる。
結末やあらすじを公開していないのは、おそらくファンサービスとしてでありマーケット戦略なのだろう。
だけど自分のように、あらすじ程度は知っておいても問題ない人間も多い。あるいはあらすじだけでなく「誰が死ぬのか」「誰が勝つのか」などの重要な要素を先に知りたい層がかなりいることも把握している。
ネタバレを過剰に警戒するあまり人々が映画館に足を運ぶことは、結果的に自分のような映画好きには好意的に見える。だが今のエヴァネタバレ抑制現象には違和感しかない。ネタバレを嫌いTwitterをオフにするほどのものなのか。あらすじがわかっても自分の目で確かめることで別の見方があることをなぜ理解しないのか。結末を見る前にわかっていても、それは単なる事実であって映画の価値には当たらないのに。
よく聞くのが「最初の衝撃や感動を大事にしたいから」というものだ。わからなくはないが、知りたいという欲求が飢餓状態でみるほど映画というものが素晴らしいものとは思わない。映画は自分が楽しむために見るのであって、他の人の意見に左右されたり、他者の言動を抑制してまでみるものじゃない。ネタバレがあろうと楽しめることを知っているし、先に知っていることで別の理解や楽しみを見つけることは多々ある。
「推理小説で犯人が先にわかっていたらつまらないじゃないか」とも言われた。しかし推理小説は自分が推理するものではない。ハラハラ・ドキドキを楽し見たい人には悪いけど、自分はあくまでも物語を楽しみたいだけなので最初に誰が犯人でどうやって殺人をしたのかがわかったところで、楽しめなかった作品は一つもない。いや、一個だけあるがそれはかなり特殊な小説だから例外だろう。
映画、特にエヴァのように長い期間生き続けてファンが多い作品だからかもしれないが、結末をわかっていることで価値が下がるわけでもないと思っている。
だからといってこちらが積極的にネタバレをする気はない。それを嫌う人間は多いからだ。だけど自分は問題ないし、結末やある程度のあらすじを伝えて貰っても結構だ。
こういってはなんだけど、ネタバ
れを過剰に嫌う人々
つまり、自分のように一つの映画作品としてフラットに楽しむ人間には
理解できないのだ
【追記】
すいません
単にエヴァネタで書いたつもりが、一部の人に不快な思いをさせてしまうとは
ったです
釣りは誰にでも判別できるようでなければ意味がない、と言われたような気もしますが実際は全く言われたことないですね、今思いつきました
ということで釣りと気づかずマジレスというか読解力をフルに働かせようと奮闘した方はお疲れさまでした
ちなみに意外と本文自体はそれほど自分の考えから遠くもなく、ネタバレしても多くは問題ないと思っています
謝るぐらいなら釣りしようとするな
あなたも釣られましたか?それは災難ですね。やはりエヴァ関連は釣りやすいのかと。もっと修行していい記事にします
不自然極まりない改行があるのは見ればわかるんだけど、デスクトップパソコンという環境下においてのみ成立するような長文の縦読みは自動改行で整形されるサイトでは時代遅れ
言い訳はいいのですよ。ieさんのような滅びが確定しているブラウザに比べたらマシです
全てが終わってから後出しコメントしている方にはわからないかもですが、何とも思いません
ただ反省すべき点は抑えました
afurikamaimai この増田が死にますように。/けどトラバにいちいち嚙みつくあたり律儀だしえらい。ただのかまってちゃんかもしれないけど。
これからも元気に生きていきます。今回の失策は、単なる嫌みをネタとして笑う方向に持って行けなかったことでしょうか?オチが見えづらく、わかった後で快・不快の論争になるとは思いませんでした。
すべてに言えますが、釣りとは反応して貰えることが全て。良い釣りかどうかに関わらず反応してしまった人は全て釣られたんですよ
・特に村での暮らしはファンサービス満点で、大人になった同級生に
慰められるあたりは結構感動した。
レイは凶暴な女(リリス)じゃなくなったけど村編が良かったならポカ波で別に良かったのでは感
パヤオも「エヴァンゲリオンみたいな正直な映画を作って何もないことを証明してしまった」って言ってたけど
庵野以外がメンヘラが健全な関係作れる訳ないじゃん(anond:20210310172852) したら大炎上だったと思う
==================
宮崎:(前略)庵野の最大の取り柄は、正直に作ることだと思うんだよね。
いいながら色んなスタッフが引っ張ってきた設定集みたいなものに
承認印を押して、公式化していくフローを観ていくような映画だったな。
特に後半。
・特に村での暮らしはファンサービス満点で、大人になった同級生に
慰められるあたりは結構感動した。
・保守的と言われようとも、大人になることをきちんと丁寧に描いていた。
・とはいえ、新劇はアスカとレイのキャラが旧劇と違い過ぎていて、
ずっと違和感が拭えなかった。シンでも結局……
・アスカ:PTSD少年の口に無理やりレイション捻り込んだり、そっくりさん死ぬのを
黙ってみてたりとか、ツンデレじゃなくて単に非人道的なだけでは……
・アヤナミ:どのアヤナミも「知能にハンディキャップがある方」になっていて
受入れがたかった。母の面影を持つミステリアスな少女はどこに……
保守的な結論であっても、丁寧に人間を描こうとする意思を感じた。
(たとえそれがテンプレであってもある個人が確固たる意思を持って
・Qでの投槍回収タイム始まる。
何故、ニアサーの原因シンジくんにされてるのか(みんなのやりきれない思い
何故、ゲンドウは……
何故、梶さんは……
何故、……
何故、……
何故、……
NAZE、……
・でも、こっちとしてはそもそも庵野さんがQで投槍したからじゃねえっすかみたいな。
・ここにきて「俺が責任取るから」って言われても、まあ、そりゃそうでしょとしか。
・最後はシンジ君が真のパイロットになって世界からエヴァを無くすEND。
→最後にまどかちゃんが真の魔法少女になって世界から魔女を無くすENDを
10年前に見た俺らとしてはよ……?
・真希波 ENDってやばくね?DQ5の公式嫁がデボラに書き直されたのと等しい。
・アニメーション映画としてやっちゃいけなかったのでは?という箇所多し。
→シンクロ率∞パーセントを言葉で説明(見た目は破のエヴァ初号機のママ)
→などなど
・「もうエヴァ待たなくていい」「庵野さん本当にお疲れさまでした」「これで終われる」「ありがとう」
という気持ちが溢れてきたのは確か。
・でもそれってどうなの?まず「面白かった!」かどうかが大事なのでは?普通に考えて。
・とはいえ60歳の色々と背負っているおじさまに30歳後半の大人が、様々なものを仮託するのも
もう色々ときついし、無茶だし、適当ではないので、とにかく「お疲れ様でした」という感じ。
まず舞台は宇宙世紀0079の地球にある国「SIN-TOKYO」ですね。ここまでは基礎知識。
ここでは巨大戦闘兵器エヴァーってのが開発されてて宇宙からくる悪の使徒帝国と闘うってのはみなさんご存知だとおもうので割愛します。
本来であればロボットにのる人間が主人公なんですが、シン・ゴジラみたいに今回の主人公はその都市に住む宇宙災害対策課NERVの職員のシン。
相方はエヴァーのパイロットのリオン。この二人が繰り広げるドタバタハートフルギャグコメディに映画館は笑いに包まれてました。
特にリオンの「エヴァー、売るよ」は有名なセリフだと思うのですが、今回の映画は至る場所でいいますねw ちょっとくどいと感じる人がいるかもしれないので注意です。
まず最初になんか◆の使徒がせてめくるところからはじまります。
ここでシンの「逃げちゃダメだ」がいきなり炸裂!ファンサービスを忘れてませんね。会場も「9年ぐらい立っても大丈夫だな」とホッとしたとおもいます。
宇宙災害対策課としてはとにかく冷静に市民に避難させるところなんですが、Bブロックのミサトさん家のペンギンがなかなか避難しない模様。
シンが「俺にいかせてください!」というのですが職員の安全を第一に考えるゲンドウは中々首を縦にはふりません。
リオン「ほら これでここも安全じゃなくなったぜ」ってセリフに痺れました。
いつものリオンらしい強引さに会場の女性ファンはメロメロですね。
シンがBブロックのミサトさん家につくとペンギンが立てこもってました。
なんか◆の使徒がもうそこまで迫ってきている…ペンギンを説得するシン。
そこでエヴァーにのったリオンが再び登場!「ペンペン聞いてるか?エヴァー、売るよ!」でましたこのセリフ。
リオンの大立ち回りで避難が完了。おなじみ「ローリングエヴァーバスターライフル」でなんか◆の使徒は倒しました。
ここでもう1時間過ぎてることに気がつく。体感3分ぐらい。それぐらいのめり込みました。
隠す意味ないから最初に言うけどジャンプでやってる「ぼくたちは勉強ができない(以下ぼく勉)」の「武元うるか」ね。
ぼく勉がどういう漫画かっていうのはこの前(anond:20200724234926)書いたから省略するけどまあヒロイン5人分のエンド描いたラブコメ漫画ってことだけわかってくれればそれでいい。
ぼく勉は去年の年末に連載が終わったんだよ。最終巻の21巻は3月4日に発売されて、特装版には20巻と同じくヒロインの個別ルートのボイスドラマが付いてんの。一人25~50分くらいの。
これはまあいいファンサービスだと思うよ。俺もまあ普通なら普通に喜べたと思うよ。
ヒロイン5人のうち、うるか一人だけボイスドラマがないとかいうふざけたことがなければ。案の定だよね。
まあ別にわかってたんだよ。ジャンプの告知で21巻が最終巻って書いてたのに4人分しか発表されてないし、ファンブックが出るような人気作でもないからああそういうことなんだなって。
ただ最終回の後、作者へのお疲れ様のリプライの中に、「お疲れさまです、何か機会があればうるかの単独カラーかアニメか音声が欲しい、それとできればファンブックも見たい」って感じのリプがあったんだよ。作者はほぼ全リプしてたからそれにもリプしてたんだけど、それがこれ。
ありがとうございます!
そのへんはぼくの一存ではなんとも…(笑)— 筒井 大志@ぼく勉20巻発売中! (@Taishi_Tsutsui) December 22, 2020
これだけ軽く言うんだからもしかしたらサプライズ的にファンブックとその特典とかで発表されるかもくらいの期待があったんだよ。
頭の中の冷静な部分はそんなサプライズする意味ないからありえねえとか言ってたけどでもまあ多少の期待はしたよね。そこまでじゃないだろうとは思ってたよね。期待した俺が馬鹿だったけど。
それでまあ本当になかったということで改めてなんだけどさ。
(笑)って何? (笑)ってつける必要ある? どういう反応なわけ? うるかだけ表紙での単独カラーもボイスドラマもないからうるかのも見たいですって要望の一体どこに笑える要素があんの?
自分から5人ともヒロインですとか言い出したくせに、そのうちたった一人だけボイスドラマが出ないことに対する葛藤や痛痒を微塵も感じさせないこの軽さ。人の気持ちがわからねえのかな。逆にわかってやってんのかもしれねえけどさ。
作者にリプライしてない、ただツイートしただけの最終回に対する批判的な意見はエゴサしてまで「勉強になります」とかリプライして晒し上げるくせに、こういう要望とかうるかの扱いが悲しいって感想には一切まともに向き合わねえの。ごまかすか無視。こういう不誠実さがマジで無理。
というかマジで理解できないんだけど5人ともヒロインですって作品で一人だけボイスドラマ出さないとかどういうプロセスをたどればそういう結論になんの? ひと言も説明ねえんだぜこれ。
CDじゃなく配信だから容量の問題じゃない。各ヒロインのルートの巻にあわせて特典に付けてるわけでもない。他のヒロインのルートでうるかの台詞もあるらしいから構成や声優の問題でもない。
これ嫌いだから出しません以外に解釈のしようある? 俺にはとても思いつかねえんだけど。
一存ではなんともとかまるで他人事のようにほざいてるけど、5人ともヒロインですって作品で4人だけボイスドラマ作りましょうなんて狂った企画誰が提案できるんだよ。
もし仮にそういう企画が出されたとして、原作者以外に最終的なゴーサイン出せるやつがいるわけねえんだからお前の決断だろ。
したり顔でアニメでやっただろとか言われそうだから先に言っておくけど、アニメでやったのは原作とは似ても似つかない何かでしかないからな。出来不出来の話じゃなく単純に原作と全く違う展開のアニオリだから。
原作は卒業式当日に天気が大荒れで飛行機が遅れるから、うるかはオーストラリアで水泳の大会に出るために卒業式に行かないで空港に行くの。そんで成幸が卒業式抜け出して空港まで行ってうるかに告白するの。
アニメでやったのは
・原作をなぞった文化祭の後、最後の5分で突然数ヶ月時間が飛んで受験に合格して卒業式が始まり、また数ヶ月時間が飛んで空港でうるかの留学を見送る。
・他のみんなはすで集まってる中、空港に遅刻した成幸が慌てて転び、その手をうるかが取って文化祭の花火の瞬間で手をつないでいたジンクス(花火が上がった瞬間に手をつないでいた相手と恋人になる)の相手がうるかだと明かされる。
・飛行機の中でうるかが、空港で成幸が、それぞれ繋いでいた自分の手を見つめる。
これを5分でやっただけだから。告白なんて当然ないし、付き合っていることが示唆されるような描写もないから恋人にもなってない。頬を赤らめたりするような明確な好意の描写もない。いちゃつくどころか会話すらない。好意的に見て将来付き合うんだろうなって想像できるくらいだよ。
こんなもんが付き合うまでと付き合ってからを描いた原作のボイスドラマの代わりになるわけねえだろ。
アニメがあるからっていうやつは作者が何話もかけて描いたストーリーと数分でやっつけたこれを作者は同レベルだと思ってるって言ってるようなもんだけどわかってんのかな。作者に対する最大級の侮辱だろ。
うるかだけないといえば、ぼく勉って単行本だと1話毎にその回のその後的なものをおまけで描いてて、当然各ヒロインの最終回の後にも最終回のその後みたいなカット描いてんの。結ばれた後はこんな生活を送ってます的な。
これもうるかだけねえの。代わりにあるのがパラレル始まりますよ、他のヒロインのルートもありますよって告知。これもう喧嘩売ってんだろ。無神経で済むレベルじゃねえわ。
あと特典じゃないけど、ジャンプでぼく勉最終回のとき各ヒロインのミニ抱き枕を抽選でプレゼントしてたの。まあ俺は当たらなかったんだけどそれはそれとして。
https://www.shonenjump.com/p/sp/2020/tekigentei_bokuben-dakimakura/
このページ見ればわかるけど他の4人は各キャラ単独のカラー絵だけ使ってるのにうるかだけ裏面全部集合絵なの。
ああ、うるかだけ単独カラー絵なかったんだなって思うじゃん? まあ確かにないんだよ。本当に単独なのは表に使われてるこの1枚だけだったはず。その時点でムカつくんだけどさ。
準単独みたいなうるかがメインのカラーはあるんだよ。うるかがサンタの格好してて他のヒロインはSD絵のやつとか、15巻の表紙で成幸と肩組んで走ってるやつとか。雨の中傘さして成幸と2人でバス待ってるのもそうかな。
それ使わないでわざわざ他のヒロインも大きく描かれてる絵使ってんの。15巻の表紙はうるかだけ切り抜いて使ってるけど、切り抜きがありならあえて貴重なうるかが大きく描かれてる絵を切り抜かねえで他のカラー絵から切り抜けよ。
これ別に好きなキャラ以外が当たるような懸賞じゃないんだよ。好きなキャラを選んで応募する形式だからそのヒロインのファンしか応募しないの。だから他のキャラのファンが当たってもみたいな気遣いは必要ないし、実際他のキャラの抱き枕はそうなってんの。なのにうるかだけ他のキャラも大きく描かれた絵使われて割食ってんの。なんでこういうことすんのかな。どういうつもりなんだろうなほんと。
この前無限に死体蹴りされるとか書いたけどまさかこの作品でまたブチ切れることになるとは思わなかったわ。比喩のつもりだったのに現実になるからいっそすげえよ。
最終巻も出て何の告知もないから今後の展開もまずないし。普通にきつい。
ちなみにうるかのカラーイラストはこの間作者がTwitterで上げてたよ。いい絵だから見るといいよ。でも他のヒロインは単行本の表紙で手に取れるのにうるかは画像で見れるだけってさあ。
まあ見れた事自体は嬉しいからこれ以上言わねえけどさあ。描いた時期的に無理なんだろうけど、でもせめて抱き枕のイラストには使ってほしかったよ。
作者はうるか嫌ってないでしょ。
前も言ったけど人の心の中なんかそりゃわかんねーよ。
ただ作者がやってることは嫌いだと判断するのに十分だろ。
え、この作者のやってることが創作上の規範に反してるから怒ってると思ってんの?
ボイスドラマ一人だけハブられてたり幕間がなかったり色んな面で損してるから切れてるんだけど。そのくらいわかんない?
それともハブっちゃいけないという規範はないから怒るなって言ってるのかな。法の奴隷か何か?
つーか規範以前に作者自身が平等だとか言ってるのに露骨に扱い違うんだから普通怒るわ。
右ページに幕間入れたら左には何を入るのかな……みたいな。
作者様に名前を覚えられているぼく勉を代表するファンの方の想像するうるかの幕間がない理由。
人の神経を逆なでする目的ならセンスある。だいぶイラッときた。
万が一仮に、作者はこういう理由で入れられなかったんだからしょうがないって擁護するつもりで言ってるならサイコパスの素質あるよ。
俺は別に観てないけど、どっかの有名なVTuberがノーブラ衣装を披露したんだってさ。
その子の経緯を勝手に考えると、なんかエロ漫画にありがちじゃん、って思ったよね。
俺が知ってるその子の経緯は、最初は清楚系だったけど普通に素を出し始めて、下ネタとか連発し始めたりしたとか。
知らんけど。
「見られること=シコられることに興奮してさらなる刺激を求めていって次第に露出度が上がっていって最終的に度を越す」
みたいな、いかにも配信者モノのエロ漫画にありがちなアレだよね。
VTuberってエロ画像に結構寛容なところあるじゃん、知らんけど。
だからVTuber自身もある程度自分のエロ画像を見てきたりするんだよね。
まあここで言う「自分」っていう言葉はこの場合結構複雑だけど。
でも一応、この時点ではデジタルにおける唯一の身体のはずじゃん。
で、「自分でシコる人が多くいる」という事実に、気を良くする女性と気を良くしない女性の割合がどれだけかはやっぱ知らんけど、性質的にVTuberにおいては前者がかなり多いと思うんだね。
ついにそれだけじゃ我慢できなくなって、いよいよ直接的な表現にいくわけ。
VTuberにおけるエロ画像とは思えば不思議なもので、「中の人」は我々と同じ次元に存在する人間であるということを暗に了解しながら、「現実」というストーリーからイメージ=キャラクターのみを抜き出して、性的消費するっていう、これまでにはあまり見られなかったエロの在り方だった。
だから中の人にとっては、素の姿を晒して配信をするよりも幾分は乖離するけれども(VTuberの中の人の大半はもともと配信者だったと仮定して)、それでもたしかに「自分」がシコられてるっていう、なんか不思議な感覚にあったと思う。
ノーブラ衣装も、「中の人」自身がノーブラであるわけではない。でも「自分」としてノーブラなわけであって、たしかにその浮き出た乳首は視聴者にとっては意味のある乳首なんだね。シコれる身体は、シコり人にとって存在する身体だから。
ただ「見られて興奮する」が必ず成り立つとは限らないからね。純粋なファンサービスである可能性もある。ただどちらにせよ、「ファンにシコってもらう」ことは前提だから。
さてその衣装でファンがシコるとき、普通のエロ画像よりもシコリティが高かったんじゃないかなと思う。
それは、普段のエロ画像が極めて「フィクション」であることに対して、その衣装は「オフィシャル」であり、そして「リアル」な「ストーリー」と接続しているから。
つまり、自分がそのストーリーの登場人物の一人になっているという点が、強い感情移入を引き起こすんだろうなと。
最初に示した「見られて興奮した結果次第に過激になっていく」みたいなストーリーはあくまで仮想のもので、現実と一致するとは限らない。
それでも、そうしたエロ漫画的構造への酷似を、おそらくは視聴者側の大半も分かっているんだと思う。そう意識していなくても、これまでの経験が無意識にそのテンプレを喚起しているのかもしれない。
もちろんそれを知らない人(アダルト童貞)にとっちゃそれ以上の刺激だろうけど(リアル無知シチュって感じ)。
彼らはね、これまで見てきたエロ漫画の登場人物の一人になってるんだよ。
VTuberが絵であるがゆえに、エロ漫画性が余計に強く再現されているっぽいし。
現実という三次元身体は、デジタルデバイスを前にして、その視線のみを二次元的に変換する。つまりこの電脳空間上において、エロ漫画が成立しているといえる。
彼らは、コマの外から、そして同時にコマの中からシコることのできる、二重の視点を獲得した。
そりゃエロいよ。
それを聞いて最初に思ったのは、ああ、あれ「最後にやりたいことやった」くらいだったんかな、って。
美しかったわ。
エロ漫画風にいうと、性調教され尽くしたアイドルが、満員のファンに囲まれるステージ上で、突然全裸になって「今日でアイドル引退しましゅ!最後にありのままのえっちな○○を見てくだしゃいいい♡♡」って言いながらめっちゃ激しいオナニーし始めるみたいな、そんなラストシーンを連想した。
エロ漫画の中のファンは、うおおおおと言いながらその場でシコり始める。
そしてオーガズムと射精が同時に起こり、届くはずのない精液がアイドルに大量にぶっかかる。
みたいな。
知らんけど。
こちらへの投稿は初めてで、また自分は作文が得意ではなく、ただの(夢女子の)戯言といえばそうかもしれない。でも「王様の耳はロバの耳」の如く、吐き出して心を整理しなければ心が死んでしまうところだったので許してほしい。
自分はとある刀剣のゲームが好きなアラサーである。ゲームそのものは元々ブラウザのものであるが、自分のゲーム歴はスマホ版が出てしばらくしてから始めたので4年半くらいだろうか。始めたきっかけは同じ県出身で好きなイラストレーターがキャラクターデザインをしていたことだった。ただし当時は期間限定登場キャラクターだったため、始めた頃にはそのイベントは終了していて、それを知って崩れ落ちたのだが。
さて今年はゲーム開始6周年、そのゲームの存在は6年前の当時はちらっと知っていた程度ではあった。でもどうしても擬人化というのに対しては色物だからと苦手意識があった。テレビで刀の展示が特集されて「会いに来たよ〜」とか言って映っている女子も苦手だった。だがこの辺りは同族嫌悪なのかもしれない。自分も元々漫画などが好きなオタクで、マスコットやキーホルダーなど好きなものを鞄や携帯にジャラジャラ付けたい収集癖のあるオタクではあったのだが、人型イラストのないイメージグッズならともかく、ひと目でわかるキャラクターが描かれたグッズには抵抗があった。
そんな折、まだゲームも始めていない頃、地元の本屋で刀の雑誌を見かけた。キャラクターが全面に押し出されたものではなく、有名な刀剣を扱った図鑑だった。今引っ張り出したらゲーム実装刀の名前が表紙にズラっと書いてあるし、発行年月日も2015年6月とあったからゲーム開始直後に出た本といえばそうなんでしょう、審神者(ゲームプレーヤーの総称)を狙ったといえばそうかもしれない。その本で、運命の出会いがあった。
でもピンナップとして取り上げられるくらい、綺麗な刀だった。
自分の生まれ月が名前に入る、名の響きも姿も、美しい刀だった。
また刀工も同じ県だというのもあって、気にならないわけがなかった。
1番美しいと評判なのは別の刀だけど、刀に興味を持つきっかけになったのは間違いなくこの刀だった。
自分は、趣味の合う友人達とTwitterのグループDMでひたすらに騒いでいた。キャラクターのデザインもまぁ悪くは無いなと思っていた。ひたすらやかましかったので申し訳なかったとは思う。
でも後にキャラクター紹介の文面を見てびっくりした。別の方がはてなブログに書いてらしたように「なぜそんな内容をピックアップした!?」とは思った。自分がリアルにそのお刀と対面できたのは1、2年ほど前のたった1回、現在収蔵の美術館がある県の外に住んでいる関係もあって自分はろくに美術館周回もできてないので、その投稿者の方ほど熱狂的かというとそうでもないかもしれない。でも同じ美術館にある別の刀との回想など楽しみにしていたのもあって、実装後すぐには無かったので残念ではあった。そのあたり今後あったらええなとは思っている。
さてそのお刀であるが、つい先日、ミュージカル出演というのが明らかになった。ゲームで最近登場した、同じ刀工で別のお刀の姿もお披露目された。
周りがキャーキャー騒ぐ中、自分はというと……本当は、来ないでほしかった。
このようなゲーム発のミュージカルや舞台はいわゆる2.5次元と言われ、最近ではTVにも出てくるようになって発展が目覚ましいといえる。こうしたものから名前が知られてテレビ番組にも出てくる俳優の方も増えつつあると思う。間違いなく見目も整ってるし、こうした俳優さんの活躍は嬉しい。
ミュージカルの方は先日5周年を迎え、記念のミュージカルが上演された。このコロナ禍の中、運営側も感染対策をしっかりして、またライブビューイングや配信など、ファンに向けたサービスをよくやってくださった。ただ残念なことに現地では、今回はいつもある客降りがなく、また来場者も声出しができずにペンライトを振ったり拍手のみだった。きっと皆さんもっと騒ぎたかったことだろう、愛を叫びたかったことだろう。
━━ただ申し訳ないのだが、おかげで自分は今回、安心して配信を視聴できたのである。
書き方が悪く、性格悪いなという自覚はあるが、自分は客降りでのファンサービスやファンの歓声が苦手だ。観劇の上で、自分以外の存在があるのが苦手なのかもしれない。ライブビューイングや映画における応援上映なども行けず楽しめない、強火な同担拒否勢なのである。まぁひょっとしたら騒ぐのや人の目があるのが苦手と言うだけかもしれない、でもアーティストのライブは平気だったりするので本当になんなんだ自分、メンヘラなのか。
……まぁ刀剣絡みではないのだが、リアルでは自分の推し(ただのシスコンなので申し訳ない)である妹が「実家に彼氏を連れていく」とか言っていたのもあるので、正直荒れている。自分に浮いた話もない癖に年齢が年齢だけあって焦っているのかもしれない。ただ自分は、信頼していた既婚者大学OBと一緒に出かけたタイミングで突然キスされたのが原因で人間不信と男性恐怖症になったので、もう普通の恋愛はできないとは思っている。ごめんね、家族。ほんまはちゃんと自分の子に自分の愛すべきお刀を代々伝えてってほしいと思っていたが、結婚もできなさそうでまして子供なんてと思うので、自分が死んだら妹の家に相続してもらうとしようか。多分あっちの家の方が家柄もしっかりするだろうし、美術系好きな血筋ではあるから、しっかり守ってくれるさ。とりあえず自分が今後障害になりそうだったら、姿消すなりして迷惑かけないようにしようと思う。ま、生きてる限りはしっかり守り刀してもらうつもりですが。
もう行け、僕は少し泣く。
……話が逸れてしまった。救いといえば、どの作品でも「とある本丸」と明記していてくれることだろうか。よそはよそ、うちはうち。ましてただのゲームといえばそうなのだ、ただのフィクションなのだ。ならば自分の役目は、フィクションはフィクションなりに、その物語ごと愛すことだろうか。自分は周りと同じように楽しめないかもしれないけれど、今後ますますの発展、お祈りいたします。
通勤中イヤホンでランダム再生で近侍曲を聴いていることも多いのだが、同じ美術館所蔵の短刀の曲が流れると、やっぱりあの刀を思い出す。
長文乱文失礼しました。
ぶっちゃけこれがどういった経緯で書かれたのかは本人のお気持ちのことなので他人にはわからないが、どうも艦これ界隈において多数の二次設定が乱立してはそれが公式に逆輸入され初期のキャラ付けが崩壊することを嘆いたものであると推察されている。
確かに艦これ界隈においては「空母は大食い(特に赤城)」「◯◯はママ(複数いる)」などのファン設定が共有されていき、それが公式へと逆輸入されていっている。これはアニメにおいて赤城が大食いカレーを食べているシーンを思い出せば瞬時に理解していただけるだろう。
そもそも創作物の制作サイドは二次創作の設定を拾って取り入れたがる場合と、初期のイメージを守ろうとする場合のどちらかに分岐していく運命にある。
気をつけたいのは、「ファンにとってのそのキャラクター」を作中で描こうとした結果のファンサービスであって、公式逆輸入を繰り返す運営が単に悪ノリをしてるわけでも、初期設定を貫く運営が二次創作におけるキャラ改変を嫌っているということでもないことだ。あくまで作品とファンが相互に幸せになる形を模索した結果にすぎず、好みの問題、not for meの類となりそこに絶対正義はない。
とはいえ個々人の感情においては「俺が不快だからな許せねえ」が絶対正義となるのも事実であり、内心の自由が保証されている国でそこに踏み込んで平地に均せということに正義はない。
事件はアニメ「ポケットモンスター サンアンドムーン」第13話「アローラパンケーキ大レース!」において起こる。
なんとそこにはしょんぼりした垂れ目で情けない顔をしたあのカイロスがいるではないか!
カイロスは昔から「レアだけどパっとしない」「クワガタというよりアリジゴク」「ストライクは強くなったぞ」「ライバルのヘラクロスは普通に強いぞ」とネタにされ続け、メガシンカによりようやく日の目を見たときでさえ「対抗馬だったヘラクロスへの殺意が具現化した姿」と言われてしまうほどのネタキャラぶりである。
そんな姿と強気な吊り目のギャップが魅力のカイロスが何故か垂れ目にされるウサミちゃんの画像のインパクトはなかなかのものがあり、あのウサミちゃんの画像がポケモンアニメ事件より前にバズった際には多くの界隈で「なんで突然カイロス?」「これはカイロスなのか?」「流石にキャライメージが変わりすぎだろ」「カイロスは繊細じゃないよ~」「カイロスはそんなんじゃないよ~」と言われまくっていた。
元々ネタ扱いしていいポケモンという立ち位置が強かったカイロスにコレが起きてしまったせいで、カイロスのキャライメージに「そんなんじゃないよ~」は強く埋め込まれることになった。
強気な顔つきと攻撃的なメガシンカ初代やGOにおけるレアリティなどの要素から一転直下して「そんなんじゃないよ~」と言い出す姿はネタキャラとしては最高に美味しいためある意味セーフというのが多数の意見だが、一部には「カイロスは実はカッコイイ」「クワガタやぞ?」「漢の相方」といった価値観のファンもおり、そういった「強いカイロス」のマニアにとっては強い逆風が吹くことになってしまった。
この事件における最もインパクトが強いところは、公式逆輸入を最悪と謳ってる本人が公式に逆輸入されるネタを提供し、キャラクターイメージを変化(まあカイロスは元々ネタキャラだからセーフみたいなのは今は置いといて)させてしまったことである。なぜ適当な動物キャラにしなかったのか。どうしてカイロスだったのか。どうしてあんな描き方をしたのか。作者の無配慮が産んだ悲劇にして現代インターネットの喜劇である。
我々が「カイロスはそんなんじゃないよ~」から学ぶべきことは、自分が誰かの無配慮に怒るとき、自分の怒りに意識を向けすぎると、今度は自分が誰かにとっての無配慮になってしまうから気をつけねばならないということだ。ここまで読んでくれた皆さんは是非そんなんカイロスを他山の石として持ち帰って欲しい。
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
小説家のA先生は自分の作品に社会問題ネタを入れるのが特徴で、私はA先生の作品を何作も買って読んできた読者だ。ファンと言ってもいい。
TwitterでA先生のアカウントを見つけた時、私は嬉しく思ったのと同時に、不安にもなった。
プロアマ問わず、字書きがSNSで失言して騒がれる様子をこれまで何度も見てきたからだ。
そして嫌な予感は的中した。
喧嘩腰で政治的主張を繰り返すA先生は、他のTwitter民に嘲笑されまくっていたのだ。
残念な事に、A先生は「思い込みで政治を語る」タイプの人だった。
この手の政治語り屋は右向きだろうが左向きだろうが自分の思い込みで語るから
「その主張、実際のデータに反してますよね?」「なんかそういうデータあるんですか? 偏見だけで語ってませんか?」「実際は真逆なんですが……」
ちなみに、A先生はTwitterが日本で流行る前からプロとして活躍してきた作家だ。
現実世界の社会問題を物語の中に組み込むという手法をずっと続けてきたせいなのだろうか、「自分は政治をよく理解している」と勘違いしてしまったのかもしれない。
思い込みの激しい愚者が周囲に被害を撒き散らして最後には社会的に不必要な悪として制裁される……っていうのがA先生の作品のお決まりのパターンで、
正直しつこいくらい何度も見てきたけど、まさか作者自身がこんなに偏見こじらせてる人だったとは……。
A先生は批判に負けず、厳しい口調で自分の考えをツイートし続けた。
自作品語りなんてほとんどせず、新刊の宣伝より政治語りの方に熱心になっていた。
着実にTwitter内で敵を増やし、悪い意味で知名度が高まっていき、
そのうちフォロワー数の多い有名な政治語りアカウントからも反論されるようになって、A先生はさらに多くの人々に自身の無知を晒す事となった。
ファンの自分はというと、A先生を擁護する気にはなれなかった。
浅い知識と激しい思い込みで自信満々に政治を語り、主張の対立する相手を徹底的に蔑む姿に、正直幻滅してしまった。
「あの人、本当に小説家なんですか?www」「小説家ってバカでもなれるんだなwww」と空リプされているのを見た時はさすがにかわいそうだと思ったけど。
んで、A先生とは全く関係ないB先生の話になるんだけど、この若手の小説家さんはA先生とは対照的だった。
・ツイートの大半が自分の新作の宣伝あるいは過去作の話、あるいは自作品に関連したネタツイート(読者へのファンサービス的な)。
Twitterを読者を増やすための場と割り切ってる感じで、個人的にはこっちの方向性の方が好き。
賞を取ったデビュー作が凄く面白くて元々好きな作家さんだったけど、Twitterを見てもっと好きになった。
新刊は必ず予約して買うようにしている。
クリエイターはSNSで自由に語ればいいと思う。そしてそれを見たユーザーは何らかの意見を表明してもいいし、無言で離れていってもいい。
ぶっちゃけて言うと過去作の方が面白かったって思いながら読んでたし、ファンを辞めるきっかけを与えてくれて結果的には良かったのかもしれない。
エールロスよー。
今回ばかりは泣けたわーってまだ今日の最終回は見てないんだけど、
まとめてそれらの通知してくれるありがた迷惑なネタバレをまったく考慮しないニュース配信はやめて欲しいの。
スマートフォンにネタバレ防止機能が無いのは何故かしらって思ってしまうわ。
そっち付ける方が可及的速やかにやって欲しくない?
おかげでニュースサイト避けでニュースサイトも全うな運営が出来ないんじゃないかしら?
中でもすごく不思議だったのは
裕一さんが作曲するときに一切楽器をほとんど使わなくて出来ちゃうのは
ドラマ的というか、
そう言う産みの苦労の描写は一切無いところが、
そう言った苦悩も見たかったなと思いつつ、
ジョン万次郎さんが乗ってアメリカに行ったでお馴染みの万事順風満帆号で行く感じで、
まあ良いと言えばいいんだけど順調な話しで
あんまり不安になることはなかったかなーってところが感想よね。
だから、
そう言った苦悩がなかった分
裕一さんの苦悩がなかった分それが必要だったのかしら?
よくよく考えてみたら岩城さん死ななくても物語的には良かったんじゃないの?っても思うの。
志村けんさんのことは残念でならないけど、
最終回を見たいような見たくないような、
これほどまでにNHKホールを朝ドラで使ったことあるかしらとも思うぐらい画期的な
もうほんと本編ぜんぜん関係ないところがいいわ。
笑っちゃうけど。
むちゃくちゃだけど、
ファンサービスとしては大満足よね。
また帰ってから録画見るのが楽しみだわ。
うふふ。
うーんタムハマゴサンドにしようかと思ったけど
たくさん急須で出したので
半分水筒に持ってきました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
問題はここだよな。これがなけりゃ「有名税じゃね?」とか「表現の自由やろ」で済むんだけど。
お前ら非実在女キャラが出てきたときに何て言ってた? ねえ何て言ってた? って話になるわけで。
ほんと腐フェミの韓流アイドル・洋画沼率高すぎてヤバい。あとバチェロレッテ見すぎ。バチェラーやテラスハウスも見てるやつそれなりにいて草しか生えない。リアリティショーとかいう生身の人間を骨の髄までしゃぶり尽くす搾取コンテンツ見ながら架空の女キャラに文句言ってるのマジウケる~って感じ。あいつらの人権感覚マジでどうなってるんだろうな。
あと、男オタってAKBや女性声優のエロ本とかあんまり描かないよなって思ったけど、男オタク文化圏は二次元と三次元が割と離れてるっていうのと(二次元のオタク、だいたい三次元が嫌いなんだよな。2.5次元が男性向けでは低調なのもそれが理由やろ)、そういうやべーことするやつは直接アイドルや声優に加害に行くっていう違いがあるのかね。声優に変態アプローチかまして問題になってるの、たいてい男だしな……
実際低調やんけ。俺の知ってる女オタはたいてい2.5見てるし女向けの雑誌やアニメイトの陳列棚ではむっちゃ2.5の特集組まれてたりするけど、俺の知ってる男オタで2.5見てるやつなんてレアケースだよ。レヴュースタァライトとかアサルトリリィとかの舞台やってるけど、あれが女向けの2.5と同じくらい男の間で流行ってるなんて聞いたことねーぞ。
さすがにそれは不当に厳しすぎる。いい大人が自分の意志で同意している以上それは同意。Yes means Yes. 嫌なら自己決定権を行使して「nmmnは訴えます」と言えばいい話。「本当は嫌だったけど別れ話を持ち出されたら困るからセックスに応じた」は有効な性的同意だろ、常識的に考えて。
昔、2ちゃんの半角文字板とかでは女性アイドルのエロ作品が多かったが、児ポが厳罰化するに伴い消えていった。男オタが三次に興味ないのではなく、2000年代に(未成年)実在女性のポルノが許されない社会に変わったのだ
そういう流れは知らなかったんだけど、なんか理屈がおかしくね? 18歳以上のアイドルの消費は児ポにはあたらないから児ポの厳罰化で廃れる理由がないし、仮に児ポ規制で年齢を問わず実在アイドルファンのポルノが許されない社会に変わったというのなら、なんで男性アイドルのポルノは生き延びてるの? 当たり前だけど、児ポ法が規制している「児童」には男子児童も含むよね……
女性の地位が低い国で女性の表象をおもちゃにするのはけしからん! とか言ってる腐フェミ見たときは草生え散らかしたわ。未だに同性婚すら認められておらず「ホモっぽい」がいじめの理由になるゲイの地位が低すぎる国で男性同性愛をおもちゃにしてる連中がよく言えるよなって。腐フェミには恥の概念が備わってないんじゃないか。
沼の外から見えるのが「問題ないと思ってる人たち」だけなのでは。ただ他人の性的消費という自覚が麻痺するのはやばいよな。タイBLドラマなんかは本人たちのファンサービスも多いらしく、距離感を掴み損ねるのかも
いや、別に韓流アイドルも洋画沼もリアリティショーも好きにすればいいと思うんだけど、男性向けコンテンツの女性描写に文句言ってるフェミがそれにハマってる率高すぎるのを見てると「はぁ?」ってなるって話(もちろんドルオタや洋画好きやリアリティショー視聴者の全員がそういうフェミやポリコレ厨ではないのはわかるし、フェミではない人たちをどうこう言うつもりはないよ)
タイBL、あれ性的消費というよりも性の消費の方がポリコレ的にはヤバいよね。出てる俳優の多くがGかBの当事者だってんならともかく、そうじゃないか、あるいはそのへんを曖昧にして匂わせで釣りに来てるなら、ポリコレ的には“クィア・ベイティング”の誹りは免れない。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47877196
別にポリコレとか興味ないしって言うなら気にする必要どこにもないんだけど、ポリコレに意識高い系腐女子がタイBLにハマってるのは割と見かけるから、見かける度にこいつバカじゃねーのって思ってるわ。
そもそも論として、『ムーラン』の制作陣にアジア人がいない! って中国系アメリカ人の俳優がキレてた流れでいくと、ポリコレ的にはBLの制作陣が女だらけなのはありえない、って話になるんだよなぁ。ポリコレ派腐女子、存在自体が自己矛盾すぎる……
男性の性的消費を批判する声の少なさ、ひとに欲情されることは喜ぶべきことってガチで信じてる男性が多いからかなあと暗澹としていたのですが、これからなのかもしらんね。
ほんと疑問なんだが、こういうこと言うやつって個人主義や自由主義っていう観念が頭の中にないの?
性的に消費されるのが嫌なら、そもそも性的消費の対象であることが自明なアイドルなんかにならなければいいし、アイドルであったとしても耐えられない性的消費があるなら個別に嫌だと言えばいい。本人が明白に嫌だと言っていないのに、わざわざ外野が「そのアイドルの消費は性的消費ですよ!」とか批判しないといけない理由がどこにある?
もっと言えば、性的消費されて喜ぶ男もいれば嫌がる男もいるだろうけど、前者が積極的に性的消費されに行ってるのに後者が文句を言う権利はどこにもない。「男全体」をなんで後者が代弁できると思うのか。「男性の性的消費」なんてものはなく、個別の男への個別の性的消費があるだけだ。そして、架空の男を消費している分には、実在する男としては何も迷惑がかからないんだから放っておけばいいだろう。一緒になって楽しむとかならともかく、わざわざ批判しに行くのは馬鹿のやることだ。
だから、腐女子の人たちが男を性的消費してたり勝手にカップリングしてたりする分には、モデルにした実在人物から抗議が出ない限り彼女らの自由だし、同じ男だからという理由で文句を言う筋合いはなかろうと思うよ。同じ口で「女を性的消費するな」とか「マイノリティの表象を好き勝手するな」とか言われると「ああん? どの口でそれを言うんだ?」ってなるだけ。
鬼滅の良さは「マニアック感」を出しつつ設定はマニアックではない(覚えなきゃいけないことは少ない)&一見ショッキングだけど救済措置を用意してフォローしてる」のがヒットした理由じゃないかと思う。キャラは大胆に殺して「これは今までの普通のマンガと違う!」と特別に思わせつつも天国描写とかでファンを傷つけすぎない(進撃は傷つけすぎた感じ)。学園パロディつけて死亡済キャラ萌えしてたファンも逃がさないし、殺しまくって話題にした後、二次創作で人気のキャラをくっつけての最終回発情期と転生のコンボでファンサービスも欠かさない。意外と多い「これは他のマンガとは違うの!と言いたいがきつかったりマニアックすぎる展開は嫌」という層をがっちりつかんだ、凄くよく考えられてたシステマチックな頭のいいマンガだと思う。
つまり、アニメ化前は「話は面白いけど伏線とかミスリードとか考察要素とかそこまでないし設定は大味なので、アンケート出すような設定に矛盾があったら萎えちゃうような層」にはそこまで受けなかった。しかし、そういうジャンプアンケート層には多いが世間一般では少ない層には打ち切りにならない程度に受け、BLEACHとかNARUTOみたいな専門用語とか技の仕組みとか出されてもなあって層には「これはマニアックで私位しか好きじゃないかもという特別感と、求めてるマニアックすぎない王道な面白さ」が両方満たされる漫画としてヒットしたんじゃないかな。
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
科学的考証の正しさについては正直どうでもいいと思っているんだけれど、「のび太の新恐竜」に腹が立っているという点は自分も同じ。
下記、ネタバレを回避しようとはしていないので未鑑賞の方はご注意です。
川村元気の脚本のレベルは高い。多少趣味に合わない「感動の押し売り」成分が混じっているとしても、本作はエンタメとして、かなりの完成度だと思ってる。観客の満足度が高いのも当然だ。
だからこそ。
「新恐竜」は、「恐竜」とほぼ同じ冒頭から始まる。某所でたまたま見つけた「恐竜の卵の化石のように見える石」にタイムふろしきを被せてみたら、恐竜が生まれる、そういう序盤。
ここで、生まれるのが「ぴー助」ではなく、「キュー」と「ミュー」だった、というのが新恐竜の展開。つまりこの瞬間に、ぴー助はパラレルワールドに飛ばされ、この世から消えた。のび太の記憶からも消えたことになる。
なんでこんなことができるのか。
「恐竜」に感動した、昔の子供の思い出はどうでもいいと思っているのか。
「新恐竜」なのだから、タイトルも違うのだから、ぴー助の記憶もある世界で、全く別の発端から始まるストーリーで何がいけなかったのか。川村さん、あなたなら十分それで、面白い話が書けるはずだろう。
それでいて、中盤では「ファンサービスです!」とでもいわんばかりに、ぴー助が謎のゲスト出演を果たすのだ。
ぴー助はのび太を知っている。でものび太の記憶にぴー助はない、ということが明らかな描写で。並行世界に飛ばされた者の悲哀しか、そのシーンからは感じられなかった。なんなんだこの仕打ちは。
別に川村元気に限らず、「ドラえもん」の元締めたちは伝統を大事にしていない。例えば、自分が最初に腹立たしさを感じたのは、世間では名作と名高い「ひみつ道具ミュージアム」だった。
同作では、ひみつ道具の数々が、未来の世界でも“選ばれた魔法使い”によって作られた“魔法のアイテム”であるということが明かされる。
これにより、22世紀では皆が当たり前に使っている日用品であり、未来では当たり前に量産化された技術だという、幼い頃に認識していた世界観はぼろぼろに破壊された。
今のドラえもんが、むしろ全盛期の人気を取り戻しつつあり、皆に好意的に受け取られていることは知っている。自分は二次創作に寛容な立場であり、気に入らない人は見なければいいだけだということは認識しているから、別に抗議の声を上げるつもりはない。
でも、年頃の子供がいる以上、自分にこの作品から離れて暮らすことは許されていない。その度に不快感は湧き上がるので、ちょっとだけ愚痴ってみてもいいかなと思った次第。
最近、ポケモンのアニメを見返す機会があった。というか自粛期間中あまりにも暇だったので何か長いアニメないかなあと探していたらポケモンにたどり着いてしまい、そこからだらだら続けていた感じなのだが。
それで結構しっかり見てしまって、子供の時に追っかけていた頃とは、特によく言われる『シリーズごとの設定のリセット』について、少し違うイメージを持ったのでなんとなく書き出してみる。
まず、無印~AG~DPは基本的に一続きの話であった、ということ。
ポリゴンの例のアレや当初構成を務めた首藤氏の離脱、あるいは単なる世情の変化など、放送時期それぞれの事情に合わせて多少設定のブレはあるが(細かい部分ではAGバトルフロンティア編で里帰りしたカントーの街が無印に比べて妙に小奇麗になっていて面白かった)話としてはかなり直接的に繋がっている。
無印→AG、AG→DPの移行も記憶にあったイメージより全然シームレスだった。今でも衝撃的なお別れ回としてよく挙がるR団のアーボックとマタドガスの離脱回は、無印終盤ではなくなんとAG6話で、ピカチュウ以外のサトシの手持ちもシリーズ跨ぎでついてきたり(AG→DPのエイパム)、一旦控えになった過去シリーズの手持ちがシリーズ移行後レギュラー復帰したり(無印→AGのゴマゾウ/ドンファンなど)、研究所ボックスがあるからこそ、特に各シリーズ終盤での大きな戦いにおける手持ち入れ替えは逆にかなり流動的にやっているという印象。
AGフロンティア編なんてほぼ全編通して研究所預け組含めての総力戦で、なんだ無印組全然現役じゃんと思いながら見ていた。
公式戦に関しても、「優勝していない」という事実に隠れがちだが一応各シリーズごとに成果自体はちゃんと挙げている。
AG:ベスト8、(紆余曲折あったものの)バトルフロンティア完全制覇
かつ前シリーズの公式戦の結果が次シリーズでサトシ自身の成果・経歴として語られる場面も多々ある。
それどころかAGで達成してしまった『フロンティア完全制覇』が、DPで軽視・無視されるどころかある意味物語自体に非常に濃い影を落とす大ネタとして使われていた……のは、知っていたとはいえ改めて目の当たりにすると結構テンション上がってしまった。そこでこれ持ってくるか!みたいな。
で、BW以降。
XYとSMは逆にイメージしていた以上に完全にそれぞれ独立した話になっていた(XYは導入こそBWデコロラ編の延長だが本当に一話最初の導入だけで、以降はXY単体で話が完結している。SMのカントー帰省編もあくまで正しくファンサービスという感じで、そこまで本編自体への影響は感じなかった)。
個人的にXYは映像のカロリーの高さや物語のシリアスさ、連続性でテレビシリーズというよりかは物凄く長い劇場版ぽかった。SMはコンセプトを際立たせた分ちゃんと独立した日常ものテレビアニメという感じ。この二つは路線自体が正反対なので完全にお好みで、という印象。どちらがどうという訳ではなくて見る側がアニポケに求める要素にしっくり来るか来ないかというだけだと。
ただどちらも前提として無印~AG~DPで語られた物語を包括している気配は残っていた。が、話自体が独立しているので、あくまでも気配にとどまっているというか、包括した要素を切り出して描写している……ので、結果的にどちらも単体作品として見ごたえがあった。
ちゃんとスッキリ完結しているなあというか、この二つはとにかく1シリーズごとに一つの物語作品として纏まっているので、過去ネタを気にしないでも普通に楽しめるという意味ではそれぞれとても見やすかった(要素を切り出す方向性が、今までの物語で培われたヒーロー性を強調したXYと物語が培われる中でも変わらない歳相応の少年らしさを強調したSMで、こういった部分でもほぼ真逆なのがちょっと面白かった)。
BWはやはり立ち位置が若干特殊というか、開始当初はR団のイメージ変更やサトシがDPまでに積み上げてきた背景の「語られなさ」から見て、サトシ自身のリセットというよりかはアニメ自体の『新シリーズ』化を狙ったように思えた。
……が、結局後半になって過去手持ちや過去レギュラーが再登場してきたのでよくわからなくなってしまった。
勿論震災の影響で大きく話の構成が崩れたのはリアルタイムで経験しているので、色々と勿体なかったな……という感じ。当初の路線通りで行けば、BWもXYやSMのようにDPまでとは切り離された一つの独立作品として語られたのではないかという予感はある。
それはそれとして、R団がイメージ変更した影響か、日常回のマンネリが大きく解消されていたのは凄く良かった(というよりDPまでの日常回がある意味マンネリ極めすぎてしまっていて、そこは思い出補正の強さを悪い意味で実感してしまった)。あとオーキド邸の集合写真最高でした……。
以上踏まえて新無印について。
結局過去シリーズをだらだら見てしまったので新無印も何だかんだで見てしまっている。原作ゲームのストーリーからついに完全に切り離されたこともあり、正直方向性が見えずふわふわしているという印象が強い。
敢えて過去シリーズとの連続性を排除し、一つのシリーズとして完結するように描かれてきた最近の作品の方向性と違って、新無印では当初から過去シリーズのゲストが度々再登場している。一方で過去シリーズで積み立てたサトシ自身の経歴が語られることはあまりなく、手持ちの再登場もほとんどない。
ただしBW開始当初のようにサトシの背景自体が「語られない」という訳ではなく、過去キャラの登場から直接的に描写される部分も含めて、過去シリーズの存在は意識されているように見える。
ただ、こういうふわっとした方向性の方が、原作ゲームの新作が出るなどの世情の変化に対応しやすくて良いのかもしれない。
少なくとも新無印は今のところ妙に気負わなくて良い分とても見やすい。原作ゲーム共々色々とアニメもまた変化していくのだろうが、それもそれでまた楽しみということで。
……あとやっぱりDP編は余裕があったら無印AGも(せめて公式戦関連は)見てから見た方が良いなと改めて実感した。DP自体クソ長いしそこまでも超大長編だけど、それまでの10年分の総決算としての色がとにかく濃かった。DPだけでも十分面白いとは思うんだけどね。