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はてなキーワード: パリ市とは

2018-02-12

重要はてな利用者名称変更に関するお知らせ

                 2018年2月12日

           はてな利用者名称選定協議会

関係者各位

 従来より、株式会社はてな(以下、はてな)の提供する各種サービスを利用する方々の呼称を「はてなー」としてきましたが、この呼称1990年代半ばに安室奈美恵氏のファンを「アムラー」と呼んだことからファン層を「〇〇ラー」と呼ぶ習慣が転じたものです。

 「アムラー」の流行から20年以上が経過し、はてな利用者高齢化が進み、収益性への寄与が弱まっていることから、このたび、利用者層の若返りを目的とし、はてな利用者のあたらしい呼称を制定することとしました。

呼称変更の概要

呼称はてなー

呼称:はてにゃん(hatenien, 男性利用者)、はてにぇんぬ(hatenienne, 女性利用者


●新呼称説明

 フランス語特定地域に住む人々の呼称を参考とし*、はてなという場所に住む人の名称としたものです。フランス語には男性名詞と女性名詞があり、はてな利用者の新呼称男性女性に分かれています

*例:パリ市Paris)の住民パリジャン(parisien, 男性)、パリジェンヌparisienne, 女性


発音留意事項

 フランス語単語は多くの場合語頭の「h」は無音で、次の母音から発音しますが、hatena場合日本語はてな」のローマ字表記が由来であるため、有音のhとして発音することを推奨しています

 はてなのサービス上で所謂フランスパンバケット正式名称バゲット)と誤って呼ぶ傾向が一部に見られます。このたびの新呼称につきましては、正しい呼び方を徹底するため、利用者の皆様のツイッターまたはブックマーク上での周知徹底をお願いいたします。

はてな利用者名称選定協議会について】

はてな利用人口の年齢構成バランスの取れたものとするため、高齢者に偏りがちな利用方法の再検討を行い、フランス語の正しい使用とともに提言を行う任意団体です。

 

<<お問い合わせ先>>

はてな利用者名称選定協議会

広報増田


anond:20180212064319

2016-04-09

AV強要問題若林先生、間違いです。伊藤和子弁護士

矛盾に気づいてください

このBLOG結論

1.悪質な印象操作を行っているのは伊藤和子氏であり、ブログロジックフランス買春禁止法案とと同じ

2.リベラルサヨクであるはずなのに偏見があるのは若林である

====

まず引用

としている。

矛盾

ところが、引用されている伊藤和子弁護士ブログの下のほうを読んでみると、

タレント事務所プロダクションは、以前はAV女優雇用契約や、労働者派遣契約を締結していたこともあるようですが、AV出演は、「職業安定法」や「労働者派遣法」上の「公衆道徳有害業務」に該当するとされ、募集派遣行為処罰対象となっています

(裁判例もあります。詳細はこちらの中里教授論文に詳しい)

としている。

 つまり伊藤弁護士は、AV女優が出演するのは自由意志だが、派遣すること自体違法だと主張している。

 しか過去のツィートで

とまで言っている。

結論

 これはフランスで成立した買春禁止法と同じロジック。つまり売春無罪だが買春有罪というロジックである

 フランスで成立した法案北欧型と呼ばれ、非常に問題が多く批判されている。アムネスティすら間違いだといっている。(参考にソースを示した)

 ところが、伊藤和子弁護士が使っているのはまさにこのロジックであり、AVに出演するのは自由意思であるが、撮影自体違法だといっているわけである。つまり結果的ポルノ違法で壊滅させるべき存在とみなしているのにすぎない。そもそもポルノ壊滅主張する中見里氏を引用している時点でラジカルフミニズムに染まっているのは明らかではないか。にも関わらず人を嘘つき呼ばわりするのは、さすが弁護士が三百代言とはよく言ったものである若林はなぜ同じソースを見てそれに気づかないのか。事実関係をよく確かめるのはまず若林自身ではないか。北条かやDISにのって、こんなことを言うのは売名乙としか言いようがない。一刻も早く自らの誤りに気がつき、訂正をすべきだ。

参考

((普通女子大生売春!?女性貧困はここまできた http://diamond.jp/articles/-/89294))

 元の記事

((「秋葉原には児童ポルノ児童買春が溢れている」を巡る荒井禎雄氏と伊藤和子弁護士のやり取り http://togetter.com/li/896556))

 ライタージャーナリストはきちんと取材してから書くものだと思ってた、特に誰かを批判するときはその人の見解を把握してからね。ところが全くの見当違いで、残念なこと極まりない。残念どころか、私がデマ拡散しているというのは、明らかに事実に反し、名誉を棄損しているので放置できない←この時も伊藤和子氏は同じことをいっている

((人権団体の「AV女優強制出演」報告書が各方面から非難される理由【1】http://n-knuckles.com/case/society/news002204.html))

((元AV女優川奈まり子さんが語る「出演強要問題業界課題<上>https://www.bengo4.com/internet/n_4489/))

「『AV出演が合法ではない』という誤った印象を与える」「AV業界の人たちを路頭に迷せかねない『危険な決めつけ』だ」と(伊藤和子が関与するHRNの)報告書批判した。

(買春違法売春処罰せず フランス法案通過http://www.cnn.co.jp/world/35080858.html))

ツイッターではパリ市から「悪いのは客だということがやっと理解された」と評価する声がある一方で、売春合法だが買春違法という内容に対して「まるでパン屋商品を陳列するのは許しても、客が買うことは許さないというようなもの」と批判する声もある。

((【Q&A】セックスワーカーの人権擁護を求めるアムネスティの考え http://www.amnesty.or.jp/news/2015/0819_5526.html))

7.アムネスティはなぜ北欧モデルを支持しないのか

北欧ではセックスワーカーを直接犯罪対象とせず、買春業者だけを犯罪としている国々がある。いわゆる北欧モデルである。このアプローチでは、買春売春場所の賃借などが依然として犯罪行為であるため、セックスワーカー安全を危うくし、虐待危険さらす結果となっている。警察には相変らず目をつけられ、警察刑法適用してセックスワークを根絶しようとしている。←ヒューマン・ライツ・ウォッチ伊藤がAVでやろうとしているのは北欧モデルのAV版

若林偏見があるのは誰か言ってみよ!

伊藤先生批判するライターはみんな嘘つき扱いでツッコミを受けるとごまかしている

伊藤女優からの抗議を全て無視する

<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>

 当然ながら、改善したほうがいいというのは派遣禁止ではない。支持の声ではなく批判の声だ。ウソをついてはいけない。

誤った穂花の事例のまとめサイトから引用

 弁護士まとめサイト引用するのもそもそもおかしいが、穂花は消えたのではなく、映画監督俳優として活躍している。引用したサイトは間違った結論を出している。

 現在下村愛と改名して活躍である。下記FB

https://www.facebook.com/pages/%E7%A9%82%E8%8A%B1-Honoka/406066709457352

伊藤弁護士過去発言報告書には載っていないとはぐらかしているだけでHRNとして発言させた理由について説明していない。極めておかしい。

 報告書に書かなくても、公式なHRNの発言として見出しにまでなっている以上、このような言い訳は通らない。現に未だに見出しの訂正をしていないのである

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2015-11-17

turimotonaoki

妄想に突っ込んでも詮無いが、その見識は「移民」や「テロリスト」を記号的に見た偏見じゃないのか。

今回のテロ事件容疑者の3兄弟はいずれもベルギーに住むイスラム系フランス人だし。

 

 

暴動を起こした移民に向かって「社会クズ」と吐き捨てた

 

暴動を起こす様な人間フランス人のみならず真っ当な移民にとっても社会クズだろう。

 

 

キラキラ輝くパリジェンヌパリジャンたちとは対照的

移民たちはパリ郊外に住まわされ

 

そもそもパリ市人口225万人はフランス人口6108万人の3%でフランス人の97%もパリ以外に住んでいるのだから移民パリに住めない事を特別悲しむ必要は無い。

 

 

>夢も希望もない日々を

 

フランスは貧しい移民の子でも大統領に成れる世界にも稀な国だという事をサルコジ大統領が身を以て証明している。こんなに夢の有る話は無い。

http://anond.hatelabo.jp/20151116222802

2013-09-23

なぜフランス革命は分かりにくいのか

フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である

のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています

平民(第三身分)は、農民都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わず家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワ民衆との境界層です)。しかブルジョワ民衆意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。

ブルジョワ民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります

実際にフランス革命の流れを追ってみます

革命が始まるまで

普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオン総裁政府軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます

しかしその当時フランス社会構造がどのようなものフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります

わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきますブルジョワ民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた

などを読んでみてください。

またもっと伝統的な、革命の精神を称揚するタイプの解説として

があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。

革命の始まり(1789年 5月~10月)

(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)

1789年5月5日ヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。

しか7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵組織します。

7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まりバスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます

新たに組織されたパリ市当局ブルジョワ民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります

一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります

自由主義貴族だけでなくブルジョワ議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます

8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます

これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます

しかし王は特権廃止の法令人権宣言批准せず、9月末には治安維持名目ヴェルサイユ軍隊を集結させます

10月5日食糧危機を訴えるパリ民衆ヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令人権宣言批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会パリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内政治分裂も本格化していきます

91年憲法の制定まで(89年末~91年9月) (革命勃発後1年目、2年目)

(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)

議会パリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます

1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます

また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります

さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こりますカトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるものフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります

91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります

これを受けて、外国支援された亡命貴族が攻めてくる、外国侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制しかます

7月には主要な政治組織であるジャコバンクラブが、王の廃位共和制要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。

8月にオーストリアプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます

そうしたなか9月3日立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。

開戦、王権停止(1791年10月~1792年8月) (革命勃発後3年目)

(インフレ物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます国内の多数が開戦を支持するなかオーストリア宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会召集を決議します)

憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員ほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派フイヤン派議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます

なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります

また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります

議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義あくまで守るのか、民衆要求を受け入れるのかも問題になっていきます)

これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治イニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉対外戦争あおります民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。

92年3月、フイヤン派大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリア宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争ナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。

しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆政治的組織化されていきます

そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。

ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会召集を決議します。これでフランス共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります

王の処刑、戦争の拡大、ジロンド派の没落(1792年8月~1793年6月) (革命勃発後4年目)

(戦争フランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土占領します。93年1月には国民公会裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土占領国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります議会ではジロンド派山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派逮捕議会から追放されます)

8月10日王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命裏切り者排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。

そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。

この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります

一方、この事件国外からの印象を非常に悪いものします。宥和政策を取っていた隣国スペイン首相宥和政策撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます

戦況にも変化が生じますフランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパ情熱と苦悩』)。

そのヴァルミーの戦いと同日、国民公会が開会します。

普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められていますフイヤン派出馬していないので議会におらず、共和制穏健派ジロンド派共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派ジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)

ジロンド派経済的政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則あくまで重視し、山岳派革命の推進と防衛のためには民衆要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。

……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。

93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派一党独裁(ただし基盤の脆弱独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります

 
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