はてなキーワード: 考察とは
痴漢冤罪にあった時にどうするかと言うのは時々語られることがある。
だが、基本どの方法もやはり女様バンザイ警察司法の前では分が悪い。
逃げる。名刺おいて立ち去る。その場で堂々名誉棄損で訴えると反論するなど
もちろんその最悪の事態に当たった際の対応も考えておくべきだが、
より重要なことはそれに当たらないために万全の対応を取っておくことだ。
A)まず、電車に乗らない。
お金が許すならまず会社から徒歩圏内に住むことが最大の予防だ。
自転車でもよいと言いたいところだが近くに駐輪場がなかったり会社が自転車通勤を禁じていることもよくあるので注意が必要。
なのであえて徒歩圏とする。電車に乗らなければ女様から冤罪を食らうこともない。
以下はどうしても電車を使わなければならない普通のリーマン向けである。
B)時間を早くする。
この時間はもうどうしようもない。冤罪を避ける工夫それ自体が困難になるのである。
よってこの時間を避ける。時間がある程度自由のきくフレックスならあえて遅く9時以降と言うのも選択肢である。
C) 始発に乗って座る。
立っているとやはり冤罪にあいやすい。満員電車で立つのはどうにも体勢が安定しないし、
女様を避けるのもなかなか難しい。
ふらっと倒れてそれで痴漢よ!と言われて人生を失った人もたくさんいるだろう。
それを避けるにはやはり座るのが一番だ。
ただ、悪夢の日本の通勤地獄で安定して座る方法は始発に並ぶほかあるまい。
通勤時間のピークではそれでも座れないことが多々ありこの方法に頼るのはそこまで楽ではない。
何より駅の都合でそれが使えない人も多くいるだろう。
このBやCでも難しいということも残念ながら多々ある。
もちろん空気を読まずに乗ってくる迷惑なのはいるがそれでも比較的少ない。
もちろん本当は比較的すいてる車両を選べと言いたいところだが、
どこでも混んでいる都会(特に東京圏)の通勤車両でそれはいうだけ空しいことだ。
E)ドア前は避けた方が良い。
ドア前は冤罪を受けやすいようだ。なぜなら痴漢もその場所が多いと言われる。
要するに他の痴漢のやらかしたことのになぜか無関係の他人を犯人扱いするという女たちが大量発生することが容易に予測できるのだ。
なのでドア前は避けよう。何が何でもせめてこじ開けてでも車両の中ほどに移動すべきだ。
端もあまりよくない。中ほどが良い。万が一席が空いたらラッキーすぐ座れ。
ドア前から動けないほど人が多いのであればその電車は避けて次の電車を選ぼう。
F)全て女様に近づかない方がいいのは当然だがその中でも
華美な女と周りをじろじろ見まわす女には特別の警戒を持って絶対に近づかない。
そういう女は非常に悪い意味で自意識が高い。冤罪率が高いと判断すべきである。
G)女様を見ない。
近づかないことも当然だが女様に目を合わせてはいけない。
外や上を見ておくのが本当は一番良いが、
最悪でも携帯をポチポチいじるくらいかゲームか読書くらいして他に興味のないということを周りに示せ。
ひょっとしたら電車内で携帯ぽちぽちとか見苦しいとかいうバカがいるかもしれんが無視してかまわない。
冤罪の危険よりはましである。ま、これをやる場合乗り過ごしには気をつけろ。
H)駅を出るまで油断するな。
少なくとも移動の時は「降ります!」と声を上げ手を上げて移動するべきだ。
女様に自分が降りるからどいてくれと気付かせるのだ。ま、それでもどかない女が多々いるが。
うかつにぶつかると冤罪を食らう。遠回りしてでも避けよう。
○針生雄吉君 ぜひともそれは強調していただきたいわけであります。エイズに対してはコンドームです。それから、避妊の効果についてはビルないしは低用量ビル、そういうふうにはっきり教えてあげなければわからないわけです。コーラで洗浄すれば妊娠しないなどという、それぐらいの程度の知識しか持っていないというのがティーンエージャーの一般的な誤った不正確な情報であるとも言われているわけでございますので、そういうことに関しましてはエイズの予防教育と同じぐらいの重要性を持って文部省は対処すべきであろうと思います。
最後に、質問ではなくて私の主張の一つとして申し述べたいことがあるわけであります。それは性教育への東洋医学思想の応用ということであります。
御存じのように、青春の悩みのテレホン相談なんかでも常に二〇から三〇%でトップを占めております中学生、高校生の性に関する悩みのベストワンは、男子の場合は射精に関するものであります。性教育は射精教育なりとまで言われておるわけであります。特に、これは特別な例でありますけれども、教育ママが我が子のそういった射精、自慰というような、そういう我が子の悩みを見かねて母子相姦にまで至ったなどというおぞましい事態も発生しておるわけであります。
マスターべーション、オナニー、自慰について文部省のこの手引の中にも、「仲間から教えられたり、マスコミ等で知ったり、自ら発見するなどして、多くの男子が自慰(マスターべーション、オナニー)を経験するようになり、それに対する不安や悩みを克服しなければならない。最近は女子もかなりの者が自慰を経験するようになっているといわれる。」と、その重要性は指摘しておりますけれども、この手引書の「性に関する指導事例とその考察」の中では、ケーススタディーの中ではマイナス面への配慮を求めつつも、「男子の自慰(マスターべーション、オナニー)は一般的な性行動で、多少の不安や葛藤を持ちながらもほとんどの男子は、自分なりの判断や意志力でコントロールし克服していく。」であるとか、あるいは総理府のアンケート調査の答えでは、自慰については当然だと思う、やむを得ない行為と答えている者が男子高校生の七〇・九%を占め、罪悪感を持っている者、よくない行為だと思う者は一・一%にすぎないという、そういう総理府のアンケート結果を引用しているなど、射精あるいは自慰というものがその個人にとって将来悪い影響を与える可能性が強いという立場はとっていないんです。むしろ、「自慰は無害だという表層的な指導に終わらず」云々という表現などに見られるように、自慰は無害であるというそういう考え方の傾向がにじみ出ているように感ずるのであります。
それに対する、自慰というものが有害である、無害である、有害論、無害論というものはいろいろな場面で言われておりますけれども、一つの東洋医学的な思想の考え方としては、必ずしもこれは東洋医学の代表的なものではございませんけれども、有名だという点で、皆さんがよく御存じだという点で引用したいと思うのであります。
江戸時代の儒医学者であります貝原益軒のあちわした「養生訓」というものの中に、東洋医学の一つの考え方としてこんなものがございます。私の主張を申し上げる上で参考までに申し上げたいと思うのであります。
腎は五臓の本、碑は滋養の源也。ここを以て、
し。保ち養って堅固にすべし、本固ければ身安
し。という、一回お聞きになっただけではわからないと思います。
年若き時より、男女の欲ふかくして、精気を
多くへらしたる人は、土付きさかんなれ共、下
て、必短命なり。つつしむべし。と、こうあります。
二十歳以前をいはざるは、意あるべし。二十
歳以前、血気生発して、いまだ堅固ならず。此
持しばしばもらせば、発生の気を損じて、一生
いずれにしても、この東洋医学的な考え方からいうと、非常にあり余って困る人は時々ガス抜きをするのは結構であるけれども、要するに生命の根本としてのそういった腎、東洋医学では泌尿生殖器の働きを腎という言葉で表現するわけでありますけれども、それを大切にしていけば長生きもできるし、健康にもなるし、寝たきりにもならないんだと、こういう教えがあるわけなんです。そういった物の見方に対しても目を向けていくということが非常に大切だと思います。
最後に、大臣、もしよろしければそういった東洋医学的な考え方に対する大臣としての個人的な御所見をお聞きして終わりたいと思います。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 先生から御質問の通告がありまして、先生からいただいたものでありましょうか、貝原益軒の「養生訓」の一部を先ほど読んでおりましたが、正直言ってまだ理解できない部分もあります。東洋医学という考え方は私も非常に興味がありますし、東洋医学の先生に何度もお会いをしたこともあります。西洋医学と全く物の見方が違いますから、東洋医学の場合は科学的というよりも、何か生命とか、あるいは人間のあるべき姿のようなものと健康というものを結びつけて理解しようとする傾向があるように私は理解をしておるわけでございます。
ただいまの貝原益軒の「養生訓」につきましても、単に科学的に物を言ったというよりも、人生かくあるべしという貝原益軒の人生観、あるいは人生訓のようなものと彼流の性についての考え方が結びついたものと思いますので、大変興味を持って読ませていただいたところでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/123/1170/12303101170002c.html
ssig33.com - イスラム国に行こうとしてた(とされる人)について
「ほわせぷ」と呼ばれるISISに志願した北大生のツイッター@gravestone11のアカウント名は「障害者」と表記されている。
ISIS北大生こと「ほわせぷ」の発言を追っていくと、彼が何故このような事件を巻き起こしたのが、彼自身の言葉から推察できる何かが存在している。
「ほわせぷ」は「障害者」を自称しているが、障害とは、自閉症であり、しかしながら、数学科の院生という非常に頭のいい高機能自閉症だったようだ。
「ほわせぷ」にイスラム教徒ジャーナリスト常岡浩介氏が行った事前インタビューにおいて、ISIS北大生は以下のように回答している。
「イスラム国」戦闘員事件 北大生の男「なれないなら自殺する」(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース
イスラム過激派組織「イスラム国」で戦闘員になるために、北海道大学生の男がシリア入りを計画していた事件で、男は、ジャーナリストのインタビューに、「義勇兵になれないなら自殺する」と話していたことがわかった。
シリア行きを計画していた北大生は「そこには戦場があって、全く違う文化があって。イスラムという強大な宗教によって、民衆が考えて行動している。このフィクションの中に行けば、また違う発見があるかな。それくらい」と話した。
「ほわせぷ」の回答を見て怒りを感じる人達もいるだろう。
「フィクション」じゃない。中東で起きていることは「リアル」だ。馬鹿にもほどがある。自殺する可能性?甘ったれてる。ぜひどうぞ。むしろ積極的にお勧めします。
現実のISISで起きている戦争をフィクション扱いするインタビューの回答に怒りを寄せる声。私たち健常者にとっては当然の反応だと思われるが、ここで「ほわせぷ」のツイッター上での発言を追ってみよう。
健常者はどうやら人間関係とストーリーという二種類のフィクションを他者の肉体の上に見えているようで、最近は前者に時間的連続性を与えた物が後者なのか、前者と後者は別個に存在しているのか毎日考えている
何故別個に考え始めたかというと、若頭のシャンプーを使った人がいて、前者が出来ていてかつ正常な認知と思考力があるのに後者が出来てないからです
アジトの障害者がどれぐらいフィクションが見えてないかというと人間が死んでいたベッドを変えるのがダルいという理由で使い続ける男が居て一日の少なくない時間を横になりながら淫夢動画を煙草を吸いながら見ているぐらいなので、本物の障害者には霊は通じない
健常者は集団や組織における力関係を何となく察する能力など、様々な見えないものを見る力が存在していて、障害者はそれが欠損しているので人間の上にフィクション、ストーリーが構成出来ないので共感や感動が起こらないのではないかと思っている
彼は「フィクション」という単語を多用して、「人間の精神機能」について考察を行っている。彼の考察の対象は「発達障害者」と「健常者」の差異だ。
キーワードとなるのは、インタビューでも回答された「フィクション」である。
「ほわせぷ」の推察によると、発達障害者は「フィクション」が見えていないらしい。フィクションとは、人間関係に関するものであるようだ。
更に彼の発言を追っていく。
障害者の価値判断という事を考えた場合、マジで抽象的なものや概念が見えず、社会通念上知っているが重要さがまったく肌で理解出来てない事の山のせいで無計画さの現象が出来ている感じがしてきた
見えてない上に身体により管理する領域が狭く、健常者と比べたときに”自己”というものが極めて歪になってる人間にとってコミュニケーションのコストを下げる方法はフィクションの溝を生めるために意識的に設定を積み重ねる事で、だからアスペルガーの発言は素直に聞けないという話なのではないか
人間は社会的な生き物なので正常な状態として所属している集団内に向けて力関係を認識する能力、集団の意思決定に参画する能力、集団を維持して協調する器官が生まれつき備わっていて、それらの機能不全により現象的に表出してくるのが個人概念なんじゃないかと最近思ってる
まずなんでこんな事を言い出したかというと通常の人間は何となく集団の力関係がわかる器官があるという話を聞いて、そういうものは目配せや敬語、発言の影響力や見た目などから類推するものだと思っててビックリしてたけど、暫くしてそれは障害だと気付いた
自分について知ることでどうなったかというと例えば秋葉原駅の前で壁に向かってノーザンクロスを気持ち悪い動きをしながら絶叫してる障害者を見たときに彼よりも自分の方が恐らくPDDがキツいという事実と立ち向かわなければいけなくなる
どうやら彼は「社会性」において自分には理解できないものがあると実感していたようだ。抽象的な概念について、社会的な通念を理解しているが、共感や感動が起こらない。集団内に向けて力関係を認識する能力、集団の意思決定に参画する能力、集団を維持して協調する能力、そのような「障害者」には実感することの出来ない「社会的な能力」を、彼は「フィクション」と称して、欠如していると考えていた。
さて、インタビューに対するツイッター上の「怒りの声」に戻ってみよう。
ISIS北大生の、「リアルの感じなさ」に対する怒りの声が表明されている。
この「リアルの感じなさ」こそが、ISIS北大生が、生き辛さ、人生の失敗の原因としていた「自らに生まれつき欠如していたもの」だったとしたら。
何故、彼はこのような事件をしでかすまで、精神科に受診するなりして、通常の治療を受けなかったのであろうか?
発達障害として典型的な症状が出てきちんと分類されるの機能が低い証っぽいし、高機能ならよくわからない能力で代替した上で斜め上の方向に異常性が伸びていくので良さがある
彼自身によると、自閉症者として生まれながらも、生まれつきな能力の高さ、ある種の別の能力が極めて発達しているなら、正常な能力の欠如を自覚して埋め合わせることなく克服して、異常性を高めながら社会に参入してしまう。
なるほど、彼は重度の自閉症者でありながらも、数学科の院生という高度な知性を持っていた。
「ほわせぷ」を知るツイッター上の人々では、彼は「非常に頭がよく」「異常者である」というのが共通認識となっているようだ。
てかほわせぷは超異常者だというのが皆の共通認識なんですかね
なんかほわせぷ氏に関して「サヨクなのか?」とか「ネトウヨなのか?」とかそんなこと言ってる奴がいるけど、彼はそういう常識的枠組みで語れるような人間じゃないから。異常者だから。
とりあえずほわせぷ氏は知能には全く問題がないどころかむしろ高いはずなので、会話にならないのは知能ではなく人格に問題があったのでしょう。
「ほわせぷ」ってアカウント、初めて知ったんですけどちらっと調べて「常識で動かない」「めちゃくちゃ頭がいい」「多分逮捕程度じゃ何にもない」とかそういうのがバンバン出てきてもうキャラが立ちすぎてギエーってなってる
生まれ持った障害を、生まれ持った極めて高い知性でリカバリできてしまった末路が、ISIS戦闘員事件であるなら、哀れというほかないだろう。
私が斉藤を叩き続けた甲斐もあってブックマークコメントには厳しい意見が多い。
これがもし私が斉藤を見逃して好き勝手をやらせていたら、今頃この記事のブックマーク数は2倍、ブックマークコメントには斉藤賛美(「斉藤さんお疲れさま!」)があふれ返っていたことだろう。
自分のやんちゃな下半身を棚に上げ、がんの奥さんを放っぽり出そうという男がなぜか感傷に浸っているその姿は醜悪・下劣・無責任の極地にあるが、
昔からサイコパス(はしご?とかいう女とか)に甘いはてなーは、こういう人間にすぐに惚れこみ甘やかそうとするので、私がいちいち頑張らないといけないのである。
私の頑張りもあってか、はてなの空気は動き、斉藤を全肯定するような風潮は無くなったのである。
ともあれ、今回の離婚は一応は円満離婚のようであるが、奥さんの心中が本当はどうなのかは誰にもわからないし、ああいったツーショットを載せるというのは
うがった見方をすればアヘ顔ダブルピース(同意してるって見せろ!望んでいると見せろ!)をさせているとも取れるし、やはり私の斉藤への嫌悪感・疑念は募る一方である。
私にできることは、今後も斉藤を監視し続け、斉藤の発言の整合性・矛盾を考察し、また斉藤の毒牙にかかりそうな女性が居れば、それを未然に防ぐことだけである。
斉藤とリアルで関わっている斉藤の会社の社員たちは全然頼りにならなさそうなので、斉藤から女性を守れるのははてなーしか居ない。
みんなで今後も頑張ろう!オー!
齊藤貴義 https://twitter.com/miraihack
はてなブックマーク - 12年間つきあった妻と火曜日に別れます - はてな村定点観測所 http://b.hatena.ne.jp/entry/www.open.sh/entry/20141005/1412474056
(文:masudamaster)
.
単発、週払いというのに惹かれて始めたバイトだが、
他にバイトした飲食やイベントと比べ学びが大きかったので書いてみる。
「新商品やリニューアル商品このくらい仕入れていただければ、販売員を付けますよ!」と営業をかける。
今度はメーカーは試食販売員派遣会社に「この商品ここのスーパーに何名販売員を派遣して欲しい」と伝えて仕事が発生する。
仕事の流れとして、まずバイトは試食販売員派遣会社の事務所において販売にあたって必要な知識を学ぶ。
販売する商品についてだけでなく、他社の似たような商品との違いや、必要であればメーカーについても教えてもらう。
他に、当日必要なもの(調理器具などは基本的に持ち込む。費用は会社から出る。)の確認などを行う。
これにも給与は発生するが、1回事務所に来て説明聞くといくら、だったので何回かの分をまとめて説明を聞いていた。
時給が欲しいな、と考えたことはあったが、発売前の試供品などももらえるので(自分で売る商品は必ず自分も試す)私はまぁまぁ納得していた。
当日はメーカーの人間として振る舞う。裏の従業員入り口から入り、メーカー名を名乗る。
が、もちろんスーパーの人は派遣のバイトだということは知っている。試食販売員はスーパーで「マネキンさん」と呼ばれていた。
はじめて聞いた時には私はなんつー呼称だ、差別用語じゃないのか!?とびっくりしたがすぐに慣れた。
・・・だけでなく、お客さんの反応や、売り場の観察なども行う。
販売後にはシートを提出するのだがそこには、そのスーパーの客層で多いのはどんな人か
お客さんはどんなことを言っていたか、買った人、試食したけど買わなかった人、試食しなかった人
年齢性別などわけてけっこう細かく記入する欄がある。
他に、他社の商品で何が売れていたのか、なども書いていた。いわゆるマーケティングである。
考えてみれば新商品ひとつとってもメーカーには、企画から開発、デザインや宣伝などを行った多くの人がいる。
私はそういう人たちの思いを(勝手に)背負って、仕事をしていた。
どのような言葉をかけると「売れる」のかについてもよく考察し、
時期も場所もドンピシャでさらにテレビCM投入中の大企業の新商品を売るのだから南極で氷を売るよりも何倍も簡単そうだけれど
これが意外と難しかった。
勉強したら即結果が出るはペーパー試験のみという現実を向き合いながら仕事をした。
売れっ子の試食販売員に教わったり、参考になるかわからなかったが柳原可奈子のコントも見た。
そのかいあってか私の販売成績は、「てんでダメ」なとこから「平均よりちょい、上」ぐらいまで成長した。
お客さんと直に会話を交わすことで営業の訓練にもなり、
マーケティングはもちろん、業界や企業研究まで幅広く行うことができる職業なのであった。
それだけに数々のデメリットとして
丸一日拘束されて日給が7500円なことと、
とにかくスーパーは寒く、真夏でもタイツ着用必須にもかかわらず冷え性が悪化するため女性には辛い
7時間半にもわたり、スーパーの一画で笑顔で大きな声を出し、ヒール(スニーカー不可)で立ちっぱなしがきつい
などの「あっ、これは長く続ける仕事じゃねーな」感が非常に残念でもあった。
まぁ、これだけ考えて勉強しても、売上は売れっ子にかなわず(完全に自分の力不足)
マーケティング分析はとても楽しいけれど自分は営業は向いてないなーということも痛感し、就活の際は営業は除外した。
そのため就活に対しても役に立ったと言えるし、今後の仕事についても、役立てられるアルバイトだったと思う。
【追記】
もともと販売員のことをマネキンと言う、という事実を知りませんでした。
当時は「販売員なんてメーカーから派遣されるお人形さんのようなもの」というニュアンスで「マネキンさん」と呼ばれていると思い、
「人間のことを人形扱いなんて!」と差別的な意味を含む言葉と勘違いしていました。
ご指摘ありがとうございます。
これは派遣会社によりますね。自社で販売員を持ってるスーパーもありますし、
おばちゃんが多いところはおばちゃんにメリットのある会社があると思うので。近場でコンスタントに仕事ができるとか。
私のいたところは本当に自由に仕事したいなーってとき、入れるときだけ仕事ができる代わり派遣先は結構広範囲でしたので若い女の子が多かったです。
説明するのに
東洋は「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」(論語)というような消極的関与が理想なのに対し、
西洋は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(聖書)ような積極的関与が理想ということになっている
というのは、随分前からよく聞いたが、
西洋にもゴッフマンのいうような「儀礼的無関心」とかJ.S.ミルの「愚行権」という考察もあるし、
東洋にも、というかまさに論語自体にも「義を見てせざるは勇なきなり」というのもあるから、
そんな単純な話じゃないと思う。
いま学食で、いいオジサマたちが気持ちよさそうにものすごく主語の大きい話をしてて、それで、その話とは直接関係ないけど、上のようなことを考えた。
※まあ、内容的には似たような感じ。世の中を二分論で説明できれば苦労しないし、あなたの研究分野だってそんな単純なはずはないのだが、と思う。
とにかく見るのが辛くなったらゲームしたりゲーム動画見たりして
当り前だけど、アニメでイライラする時は作画崩壊とか脚本の役不足的な要素も多分にあるんだけど
一番は集中力の欠如が原因だろう。
例えば、1話から一気に見続けられるアニメって日常系の作品(ex.みなみけとか男子高校生の日常とかご注文はうさぎですか?とか)が該当すると思う。
何故なら余計な頭使わなくて済むのが最も集中力を連続的に持続する事が出来るためだ。
逆に宇宙SFモノとか推理モノならネタが満載だし大人数が登場するし、何より単語量が多くて知恵熱出したりするから耐えられない。
特に推理・ミステリー・オカルト系は先が気になる反面、いちいち考察しながら感想しなくては行けなくなる。
普通アニメブログを何年かやってる人は容量を掴んでる人が多い割にその実、めんどくさがりも多いから、一度でもこの回を見忘れたり
見切ると感想も当然切られていくし、それが多くなり易い弊害もある。
最悪そのクールは何も感想してなくて野ざらし状態のブログサイトもちらほら見える。はてなダイアリーでアニメブログをやってる人は特にこの傾向が強い。
そして日常的に記事は出すけど中々感想に踏み切れないまま、記事タイトルだけが寂しく放置されたまま何か月経つと言う事もままある。
アニメ初心者ほど色んな作品に手を出しては文章量も短いから続くけど、長年やってるアニメブロガーは多くが自分の見たい作品を趣味ごとにチョイスして分けて見るもので、
整理整頓が好きではないけど長年の経験からカテゴリ分けを丹念に、今までやってきたからと惰性で編集して毎日過ごす人も多い。
このアニメが面白い、今日このアニメ神回だったと他のブログで見るや突然更新し出すのも惰性アニメブロガーの特徴だといえる。
話を戻すが、アニメは視聴だけでも段々飽きが出てくる。
稀に超大作でガンダムとか、進撃の巨人とかまどかマギカとかラブライブやうたプリみたいな人目を引くアイドルアニメがブログ界隈どころかメディアでも話題になったりすると
視聴してやるかという尊大な気持ちで見て興奮して感動する人も少なからずいる。
そういう連中の中にはアニメブロガーがいて、アニメで倦怠感を覚えて一時的にブログから離れてた人だっているはずだ。
そいつらがまたキーボードを叩こうというのならば、それはそれでいいと思う。
そう言う人間は一度でもアニメを見始めたら途端過去のアニメの感想はどうだったかなと気になり始めて最後にはやっぱりもう一度視聴して感想しようという気持ちになる人が殆どだろう。
要するに倦怠感を覚え出したらとりあえず一呼吸するとかこまめに休憩を取ったり全く別の事をしたりするのが一番だ。
最も簡単な事のようで実は誰かに言われないと理解出来ないのがこれで、もう何年もブログ更新してないアニメブロガーが最も陥ってるのがこれなのだ。
誰かがまたやって下さい、もう感想しないんですかとコメントをしてくれたら、もしかしたら何年か経ってきっかけが出来たらそれを励みにアニメブログをやり出すかもしれない。
気長に待ってるユーザーもいるわけだから、せめて記事に「しばらく休みます。探さないで下さい」みたいな気の利いたあとがきを残してくれた方が本人も後腐れがなくてすっきりする、という事もある。
親は教育熱心なひとで、物心ついたときから近所の公立図書館に連れられて育った。
一方、実質母子家庭のような家庭環境で、そこまで裕福でもなかったうえに、完璧主義者の母親であったので、自分でお小遣いをもらって好きなものを買うという環境でもなかった。
母については、わたしたちのために苦労してきたのだなと申し訳なく思うし他にも色々思うところはあるのだけれども、それは本題ではないのでここには書かない。
とにかく、娯楽のない状況だったので、図書館で本を借りるか、サンテレビの野球中継を見るかくらいしかお金のかからない趣味はなかった。友達に漫画を貸してもらったりもしたけれども。正直、そのことをさして不満にも思わなかった。
(我が家にお小遣い制度というものはなく、欲しいものがあればその都度申告して買ってもらうという方式だった。本だけは何も文句を言われなかった。ありがたいことだと思うけれども、正直この制度は欠点も多いなと思っていて、わたしは今でも本なら自分で選んで買うことができるのに、服を自分で選ぶことができない。いつかお金持ちになったら、ドンキでいいなと思った雑貨を罪悪感を抱くことなく好きなだけ買いたい)
持てる限りの記憶力をハリー・ポッターの登場人物のプロフィールと呪文の暗記に注ぎ込んだ小学時代。はやみねかおるも好きで、小学6年生のとき図書室で『踊る夜光怪人』を見つけて、この世にこんな面白い本があるんだと思った。
中学生のころに森博嗣を好きになり、京極夏彦や西尾維新を夢中になって読んだ。今思えば、お前森博嗣とか大してよくわかりもしないまま読んでただろという感じだし、今でもだいぶわかってないと思うんだけどさ。荻原規子も茅田砂胡も乙一も島田荘司も恩田陸も読んだ。辻村深月が大好きだった。とにかく、中学高校時代と、講談社ノベルスに関わりのありそうな本はたいがい手を出した。近所の公民館でパソコンスペースがあったので、時間があるときにはハリポタやダレン・シャンのイラストや考察サイトをめぐって過ごした。
高校生の頃『活字倶楽部』という雑誌をたまたま見つけ、そこで『銀河英雄伝説』という小説があることを知った。当時は絶版だったので、近所の図書館の地下書庫から出してもらって一気読みした。そのままの勢いで友人に「とにかく、最初の20ページは飛ばしてもいいから読め! 2巻までは読め!」とすすめた。銀英伝が好きすぎて、その夏にすくってきた金魚すくいの金魚たちに提督たちの名前をつけた。
「おかあさん、ヤンが死んでる!」
ちなみに銀英伝ではないが「巽」と名づけた金魚もすぐに死んでしまった。今の実家では、フリッツとオスカーとアーダルベルトだけが生きているんだけれども、どの金魚もそろそろ寿命という感じだ。
進学させてもらって、大学生になってからはもう少し色々読んだ。
際立った傑作というのはない気がするんだけれども、カポーティが一番好きだ(正直『冷血』は好きじゃないしもっと彼らしい作品があるだろうと思う。ちくまから出ている短篇集がいちばん好き)。サリンジャーも好きだし、4月に亡くなってしまったけれどアリステア・マクラウドという作家がもっと知られたら良いのにと思う。
3年ほど前、人生で読める本は限られているなということに気付いて、それからは注意深く本を選ぶことにしている。最近好きなのは皆川博子と津村記久子とコナン・ドイルだけど、だから何だというわけでもない。
そんなわたしも、四捨五入してもう30という年になってしまった。
好みのタイプは?という話題になり「本が好きで穏やかで裏表があんまない誠実なひとがいいな」と答えたら「聖☆おにいさんのブッダでいいんじゃね?」と返され、
「ルーピンは現実にいねーんだよ」と別の友人に説教され、正直今に至るまで毎日小説のことばっかり考えてて自分あたまおかしいんじゃないかなって思う。
これはただの、本を読むくらいしか趣味のなかった女の回想みたいなもので、なんのオチがあるわけでもない。
ただ、わたしは毎日ばかみたいに小説のこと――主に、その登場人物のことばかり考えながら生きている。
腐った妄想をしているわけでもなく、『白鳥異伝』の菅流かっこいいよなあ、とか考えながら生きている。
ハリー・ポッターの本命キャラが殺されたことを未だにねちねち言う。
島田荘司の作風の変化を残念に思い、既刊を全部読むのが勿体無くて法月綸太郎をちびちびと読む。
ちなみに、こんな感じの人間だったので、高校途中まではオタク仲間とつるんでいたんだけれども、一番好きなジャンルが違ったので在学中から疎遠になった。同じように本が好きな友人が1、2人いるので、彼女たちとは今でもよく話す。それは幸福なことだと思う。正直、他にも同じような本の趣味をしている同級生はいたし、当時はよくその話をした。ただ、彼女たちがわたしと同じように、未だに毎日現実かそれより重いレベルで小説の登場人物について考えているとは到底思えないので、積極的に連絡をとろうとは思わないし、話題が切り出せない。自意識過剰なんだろうけど、そんなふうに、未だに地に足を十分つけるわけでもなくふらふらしている自分をときどき怖く思う。
ジャンルを変えればどこにでもごろごろしている話なんだとはわかっている。長い上に固有名詞がだらだら出てきていやみったらしいのはわかっている。
追記:
ブコメありがとうございます。正直コメントがついたとしても「キャラ読みしかしてない腐女子」的なことしか言われないかなと思っていたので、共感してくださる方がいてびっくりしています。本当に、子どもに本ばっかり読ませても、子どもの性格によっちゃ、いつまでもこんな感じで現実に地に足つかない感じになる可能性もあるわけで、何事もほどほどが一番だと思います。黒出目金のジークフリードは早いうちに昇天し、コメットのフリッツは年をとってだいぶ動きが緩慢になってきました。
この世代のオタクの女の子には、アニメではなく講談社ノベルスや電撃、角川某レーベル系の文庫本、その他とにかく面白そうな小説を読んで、感想をお互いに共有しながら育ってきた子がいるのだということを少しでも知っていただけるとうれしいです。ミステリ界隈ではキャラ萌えだろうとよく批判されますが、みんな各々好きな読み方をして、好きな作家の新刊は未だに追いながらも、各々それなりに幅広く読んでいる感じです。今でも。すいませんだらだらと。
あらすじ。
そこはメグマ波という怪電波で人を狂わせる人間のいる組織だった。
クラスメートを追うと、メグマ波を見せるからオモイデ教に入れと言われる。
主人公はクラスメートと付き合ってた教師を狂わせるように依頼する。
しばらくして実際に教師が狂ったので、主人公はオモイデ教に入る。
教団の人間に会うと、メグマ波を操る素質があると言われる主人公。
どうやって狂わせるのかの見学も兼ねて、クラスメートと一緒に別のとある新興宗教に殴りこみをかけにいって潰すのを見た。
次はとあるビルで集団炎上自殺してた新興宗教の人間がいたからそこに行った。
オモイデ教はメグマ波を使える精鋭を集めて対抗しようとするが、主人公含め数人以外が全員やられてしまう。
クラスメートもそこにいた。
教祖はたまたま能力が覚醒して、自分にやさしい世界をつくるために他人を洗脳するのに能力を使っていた。
主人公の力で教祖をつぶしてクラスメートの洗脳をとくこともできたが、結局何もしなかった。
しばらくして教祖とクラスメートが二人で自殺しているのが見つかった。
終わり。
本筋だけだとこんなもんな気がする。
あとは登場人物の長広舌を振るうのが多かった。
グミ・チョコレート・パインを先に読んでたからなおさらそう感じた。
主人公の影も薄いし。
あとがきで連載ものだったって知って、なるほどだからムラがあるのかって思った。
自分BOXとかゾンとかが出てきたから、グミチョコのスピンオフ的な感じに捉えた。
考察とかいろいろあるんだろうけど、それ見ちゃうと先入観が入っちゃうから、
終わり。
「ブログ書くときは適度に突っ込みどころを入れるようにしてます!」
みたいなことを書いてて、その時はなんとも思わなかったけど、ちょっとして、「え?それって釣り宣言?」と思ってもっかい読んでみようとしたらブクマは消えてた。
それを見て、身内ループの暗黙のルールみたいなものがあるのかなと思った。
・身内というかブロガー同士はそこは触れずに全肯定コメントでブクマする。
もしも身内が突っ込んでしまうと、後続の一般読者は突っ込む必要が無いので、ブクマしなくなってしまう。これは彼らに取って損失だろう。
ここでの釣りは炎上大バズを狙うのではなく、マイルドなフックによる適度なアクセス向上を狙う必要がある。
高知の人なんかはドカンドカン炎上させればいいだけなので、体裁を気にしなければわりと簡単なのかもしれない。読者たちが "日常ストレスを感じているがなんとか折り合いをつけている" ような要素について、「なんでそんなことしてんのー?ばかみたーい!」とか言えば簡単に火はつくだろう。
対して、マイルドな釣りを狙う層はそう簡単ではない。いろいろあると思うけど、一例を挙げるとこんな感じじゃないだろうか。
・トピックについて、あるスコープで真剣に論じる(体を装う)。
・そのスコープでは辻褄があっている。
・ただし、そのスコープからはある要素(複数かもしれない)をあえて外しておく。
こうすることで一見真剣に論じていて辻褄もあっているが、読んだ人はなにかもやっとする。なぜかを考えるとスコープに必要な要素が無いことがわかる。スコープから外れているということはブロガーは気づいていないのかな?と思う。そうしたら指摘したくなるのが人情だろう。人が気付いていないことを自分は気づいた!。ドヤ顔でコメントしてブクマする。そのコメントでスターまでもらえちゃったりすれば承認欲求はビンビンに満たされる。
こうしたブクマカーの習性を積極的に身内ループに取りこむことで、ループは身内以外を巻き込んで肥大していくことができる。
今頃になって岡田斗司夫を引っ張り出してくるのもこの類型と言えるかもしれない。
そもそも突っ込みどころ満載な岡田斗司夫の著書をぼく影響受けちゃいました!な感じで "真剣な体で" 論じて見せる。ずいぶん昔流行ったこともあるので、過去にそれらについて考察したことがある人は今頃岡田斗司夫を持ち出されたら突っ込みたくもなるだろう。さらに、岡田斗司夫を知らない人たちも矛盾や不足に気付けばコメントしてしまうだろう。
-------
ここでおれが書いたことは別に新しいことではないのかもしれない。すでに何度も考察されたのかもしれない。しかし、こうした身内ループ++ エントリがそれなりにバズっている状況を考えると、実はあまり考察されてこなかったのかもしれないし、忘れられたのかもしれないし、あきらめられたのかもしれない。それはわからない。
表現の自由をどうこう言って反発するのもいいが、
私の意見としては子供が見てトラウマになるような映像は教育に”良い”影響があると思うから規制には反対だ。
悪夢にうなされたり、エロすぎて目に焼き付いて取れなくなる経験は大人になるために絶対必要である。
殴られもぜずに大人になった奴がどこにいるのか!
さて、なぜこのような暴論が幅を利かせているのか。
もしかしたら、この問題を扱う新しい切り口を見つけたかもしれないので報告する。
アニメなどの表現にはある程度の規制は必要だが、今のままで十分である。
にも関わらず、なぜ暴力的とも言える過剰な表現規制を唱える人が出るのか。
それは、人間の心理の持つ”慣れ”という性質にから来るのではないか。
人間は同じ刺激を受け続けると、徐々に慣れて何も感じなくなる。
より詳しくは以下の文献を参考にされたし。
Thompson, Richard; Spencer, William (1966). "Habituation: a model phenomenon for the study of neuronal substrates of behavior". Psychological Review. No.1 73: 16–43.
http://www.cns.nyu.edu/~david/courses/perceptionGrad/Readings/ThompsonSpencer-PsychRev1966.pdf
アニメの表現規制を唱える人々は、馴化によって現状でも十分表現は規制されているという認識を持てないでいるのではないか?
おそらく、昨今のアニメ表現規制を推進したい人々は、過去にも同じように何らかの表現規制の運動に参加していたはずである。
自分たちの運動が実を結んで社会を動かしたというのは、言いようのない快感であっただろう。
だがそれも、2度、3度と繰り返す度に馴化によって何も感じなくなってしまったのではないか?
一度オナニーを覚えたら、定期的にせずにはいられなくなるようなものだ。
ダイエットという問題を克服した快感が忘れられず、ダイエット中毒になって骨と皮だけになる女子高生だっている。
同じことではないか?
彼らが理性的な表現規制不要論に耳を貸さず、なんら科学的、統計的な根拠のないアニメと犯罪の因果に固執する原因となってはいないだろうか?
私には彼らこそ、十分な休養を取りながら広い社会と交わり、自らの偏狭的な関心と生産性のない快楽主義を克服すべき存在に見える。
「自分がスーパーサイヤ人を目指すと仮定した際に、クリリンとも付き合うべきなのか?」という問題が話題になりました。
元記事は炎上目的くさいのでリンクは、はらないので、ぐぐってください。
(記者でぐぐると「可燃系メディア」の方だったので、危険物取り扱い免許のない方はけっして近づかないでください)
ここでは、原作ドラゴンボールをもとに意識の高いサイヤ人の皆さんがどうしたら、スーパーサイヤ人になれるか考察します。
地球人やナメック人では無理です。もし、自分がサイヤ人でなければ、クリリンとかと付き合おうが付き合うまいが無理です。あきらめてください。
次にスーパーサイヤ人の条件を考えましょう。
「変身に必要とされる条件は、一定以上の戦闘能力と穏やかで純粋な心、あるいは純粋な悪の心を兼ね備え、極端な危機感や強い怒り、悲しみに苛まれていること」
共通すべき項目としては、他人との関係性が引き金となってスーパーサイヤ人として覚醒しているのが読み取れます。
そして、原作を読むと地道に修行するより、スーパーサイヤ人になることで大きく成長する事がわかります。
あと、トランクス(子供)、孫悟天の例をみるに近くにスーパーサイヤ人がいたほうが目覚め易いようです。
なので、近くにスーパーサイヤ人のいる場合、彼と付き合いましょう。この場合、クリリンと付き合う必要はないと思います。
もし、近くにスーパーサイヤ人がいない場合は、他人との関係性が重要なキーになります。
あの自分大好きベジータですら、悟空が強くなってなければスーパーサイヤ人には、なれていないでしょう。
こういうときは、幅広く交友関係をもったほうがいいでしょう。当然クリリンさんとも付き合いましょう。
まとめると次の通りです。
・近くにスーパーサイヤ人がいる千年に1度の幸運の持ち主の場合は、どっちでもいいです。
意識の高い系のサイヤ人の皆さんは、この入門書を片手にスーパーサイヤ人を目指しましょう。
---------
ちなみに人生論として、ドラゴンボールを使うなら、世界最強のサイヤ人のだれもが勝てなかったブゥを、戦闘力の劣るサタンが一般の人間の協力をあおいで、元気玉で倒せたという事実を持ち出すべきでしょう。
どんなに強くなっても、周りの人間(戦闘力たったの5のゴミでも)の協力がなければ、大きな事は出来ないということを教訓とすべきです。
自分はホッテントリにある色々なブログを見ながら、この人の文才はすごいな、こんな深い考察や豊富な知識が透けて見えるような
スマートで面白い文章は書けないなと毎日考えている。この人達に比べると自分は間違いなく文才のない凡人で、それを認めるのはとても怖い。
そんなモラトリアンが始めたのは、魂を削って書くことだ。魂を削って書くとは、自分の恥ずかしいところ、嫌なところと向き合って書き出す作業だ。
なぜそんな事を始めたかというと、文才のない自分でも、自分と似たような人から多少は反響のある文章が書けるのではないかと思ったからだ。
これは書いている最中とても辛い。
ロリコンかもしれない、尼や価格で反響を調べないと買えない、ある程度出来たら満足する性格で向上心が持続しないなど、
自分の恥ずかしいところ、嫌なところはたくさんある。こういうものと向き合って書く作業は苦行だ。
が、なぜかは知らないが、書き終わるととても楽になるし読み返して面白い。
削られた魂を吸い取られたような気持ちになるが、そもそも嫌な部分なので増田に置いていけるのであればありがたい。
ただ、これでは形式が違う懺悔だ。
もしかしたら、いまの自分に必要なのは、増田よりもキリスト教かもしれない。
昨日、やっとうちの小4と小2の夏休みの宿題が終わった。親泣かせといわれる、読書感想文と自由研究もばっちり終わった。今年も自分と旦那のこれらに対する熱の入れようは半端じゃない。
・作者、課題図書の選者の意図、テーマを読み取り(親:子=99:1)、
・一度物語を分解し(100:0)、
・それに対して自分の心情を描画させ(50:50)、
・作文にまとめる(50:50)、
自由研究も、
・テーマ決め(親:子=50:50)、
・観察結果(50:50)、
・考察(70:30)、
・まとめ・感想(30:70)、
のような割合で親が関与している。なおかつ自由研究の大テーマは兄弟ともに毎年同じにして、前年度までの研究に対しての積上げ研究にしているので年を追うごとに深みのある内容になり、こちらも毎年何かの賞に入れている。
こんなに親が係われば、賞に入るのなんか当たり前だろうと思うかもしれないが、実際、市区町村を勝ち抜き、県レベルの賞に入ってくるのは、小学生とはいえかなり高度なものが多く、自分で発想~アウトプットまで親の関与なしにそのレベルまで仕上げられる子供はほとんどいないだろう。
うちの子たちも含め、かれらはそこそこの教育レベルの家庭にあり、考える力(=生きる力)を身に着けて社会に出ていくことは予想できる。なぜなら自分たちの親がそうだったからだ。教育に関心のある親の元で育ち、夏休みの宿題は嫌々ではあるが、親によってきちっとした仕上がった作品を夏休み明けに持っていくと、先生やクラス中から羨望の眼差しでみられ(その後の授業参観の時には、県へ出品しているため自分の作品だけ展示されないという小さい問題はあったが)、大きな自信につながったことも言うまでもない。現在社会工学系の研究を仕事にしているダンナについては、(我々凡人は)研究は自分一人だけでやるものではないという持論があるらしく、卒論~博士論文、現在に至るまで指導者や同級生、同僚からのアドバイスを、仲間と一緒に確認してまとめただけだ、といっている。
ところで、子供の宿題を親がやるのはおかしいという意見がある。「自分の事は自分でさせる」「親の勉強してどうするんだ」「子供のためにならない」等々。主義として本気でそう思って、そういう方針で子育てしている人はそれでいいと思う。けど、忙しくてできない、という理由で子供に目をかける暇がないという人は、夏休みのうち、週末ぐらいは子供の宿題を手伝ってあげれば、勉強の方法に触れることによって、新しい発見があるかもしれないし、高クオリティーの提出物は、子どもの自信につながると思う。
主人公の孫悟空が天才少女ブルマと出会い、祖父の形見であったドラゴンボールの残りを探すところから始まる冒険潭である。
今回はタイトルの通りに意趣を少し外してOP歌詞に目を向けてみようと思った次第である。聞いてもらえると嬉しい。
ドラゴンボールOPは全部で4つだ。無印、Z前編、Z後編、GTとある。
> 胸わくわくの愛が GISSIRI
そう、ドラゴンボールは冒険潭なのだ!妖怪変化、仙人などワクワクする様な冒険にあふれていた。
続いて、Z前半の歌詞だ。
大人になった悟空が主人公となる作品であり、息子の悟飯も登場することになる。
戦いに明け暮れ、子づくりまでする有様である。
胸がパチパチして、タマが騒ぐとは全くもって嘆かわしい。
嘆かわしいなどという状況を超えてしまった。
いっぱいのおっぱいに元気になるなどなんとうらや、いや、情けない。
この頃の悟空はまさに恐妻チチの監視から離れ、あの世で好き放題だったわけである。
これにはお察しとしか言えまい。
胸でもおっぱいでもないが、心はやはり胸部にあるという説を押したい(適当)
どうやら賢者モードになったのか、と思ったが、この頃の悟空はピラフ一味によって少年時代に戻された状態である。
どうやって悟空が生き返ったのか覚えていないが、チチの恐妻っぷりに怯え竦みながらただ強さを追い求めたのであろう。
非常に純粋な状態に戻ったと言えるのではないだろうか?
降ってきた仕事が達成できないと判断した時には、きっぱり断ることができていた。
そして、部下や同僚に対してキツかった。
できないメンバーがいると怒り、文句があると他の社員から話が聞こえる場所でもお構いなしに説教劇場を繰り広げた。
当然の理由があったのだと説明しても、相手が悪いという結論で押し切るまで説教し続けた。
負担がかかっているメンバーに更に負担をかける事にも躊躇がなかった。
そして賑やかなのを嫌い、同僚や部下が雑談でもしてようものなら、必ず文句を言った。
そのオフィスは、いつのまにやら水を打ったように静かな職場になった。
皆、彼を半ば恐れていた。
それでも仕事は達成した。複数の案件を掛け持ちしても回してのけた。
彼は会社を蝕む癌だった。
厳しいが結果を出すリーダーと言えば聞こえがいいが、
そんなリーダーの下で誰が働き続けたいと思うだろうか。
3回や5回、転職した所で経歴の傷にもならない。
技術さえ身につければどこへでも行ける以上、嫌な相手の下で働き続ける選択肢はない。
それでも働き続けるのは、転職するだけの技術を持っていない人や、年齢的に転職がアウトの人だけだ。
優秀な人材ほど、短期間でやめていく。
そういう業界で会社を育てたければ、優秀な人材が辞めようと思わないくらいの待遇を用意するか、
辞める数だけまた優秀な人材が入社してくるような環境を作るしかない。
そんな業界で、「一緒に働きたくない人間が幅を利かせている」というのがどれほどのマイナスか。
実際、その職場で育った若手はすぐ辞めた。育ってなくても辞める人間も多かった。
私は彼の下で働くのは二度とゴメンだし、転職した理由の1、2割は、この先何年も彼のいる職場で働きたくなかったからだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140817161450
真似して書いてみた。
オンオフ問わず、おいしい場所にめざとく顔を出して存在感を示す一方、
目の付け所を少し捻っただけで内容ゼロなこけおどしコメントしか出さない。
斜に構えたコメントを出して、その文化人にマウントしようとする。
実際に何者なのかを説明できる人が誰もいないという謎めいた人物。
テキブルー 転調(id:mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2)
ありきたりな自意識や価値観、精度の低い論考しか書けない上に、
些細な誤解すら恐れて思考の過程を細大漏らさず説明してしまうので、
長く締まりのない文章を、それでも我慢して最後まで読んだ結果、
要点がどこにも無いことに気付かされる悪質な文芸。
テキフレンチ コオロギ(id:Lee1Q84)
テキブラウン 夕タヌキ(id:forafareta13)
つい先ほど、増田で晒されているのを見て知ったデブ差別ブロガー。
オフ喜利、ひだけーだい、大人たばこ養成講座あたりに似た匂いがする。
急ながら、要監視対象として追加しておく。
ゲンレッド 齊藤貴義(id:netcraft)
はてな民らしからぬ主体性と行動力がもたらした多様な人生経験談は、
ゲンイエロー ガラニート(id:galaneet)
ワンテーマでブログをやると面白くなる事実の手本を示している。
ゲンピンク ℃-uteが見せてくれた奇蹟(id:idealogos)
仕事や広告の内容から、アイドルの売り出し戦略について考察したり。
どれも独自の視点で語られていて、読みごたえがある。
変に見栄を張らず、正直に語る点では女性に軍配が上がるのではないか。
ゲングリーン こぺんた
はてなの良い生物ブロガーを知らないので、外部の人を紹介する。
同じ趣味を持つ人なら、この人のすごさがわかるだろう。
フィールドワークをしている生物ブロガーのテキストは、短く素っ気ないもののほうが面白い。
画像に収められた野生の美こそが価値の中心だから、下手な文芸はいらないし、
ある場所である生物を撮影したという事実が、すでに何十何百の言葉を語っている。
語らないことで語る。間接的、暗示的に語る。
http://luvlife.hatenablog.com/
何の変哲もない身辺雑記ブログは、書き手も読み手も隠れ家の気分に
浸れることが唯一の魅力であり、人気が出ることはブログの死に等しい。
この人はそれがわかっている。
小学校時代からのコミュ障をこじらせて十数年。痛い目に何度もあいながら一通りコミュニケーションの技術を身につけて、大学も出て就職もして、なんとかまともに人と会話が出来るようになったが、根本的な人嫌いだけは治らない。
寂しいという感情は人並みに持ち合わせている。だが人嫌いのせいでなかなか他人と接点を持てない。
多くの人と会話してつながりを作っていった方が良いのは分かっているが、今まで一人でいた時間が長過ぎて一人で過ごしても平気でいられる術を体得してしまい、そこに依存してしまっている。
職場では本心を出さずにビジネスとして機械的に流す会話が出来るようになり、家に帰ってもテレビやネットを見ていれば寂しさは紛らわせるし、必要なものは一人で買い物してファーストフードで食事すれば生きていくことは出来る。
しかし寂しさだけは一人ではどうにもならない。数年前付き合っていた彼女との愛しい会話や体の接触が忘れられないし、今でも夢に見る。本当は好きな人とイチャつきたい。
テレビのバラエティ番組を流しながら2chやSNS、はてブをしていればなんとか紛らわせられるが、寂しさを紛らわせる為だけの行為なので中身は何も無い。何も身に付かず情報を体に流すだけの時間。本当に無駄だ。出来れば寂しさを解消して心の余裕を持った上で、本当の意味での考察や楽しみを持ちたい。
そう思って俺は寂しさを噛みしめる練習を始めることにした。寂しさをごまかさず、寂しいと心の底から感じること。
まず俺はテレビや音楽を消した。笑い声や音楽が流れていると楽しい集団の輪の中にいるような錯覚がしていたが、リモコンでOFFした途端、静寂が部屋の中に充満した。
次にネット。暇さえあれば2chやSNSを覗いてリアルタイムで物事が動いている様子を感じていたが、ひたすら見るのを我慢した。まるで時が止まったかのように何も起こらない。
俺の日常はなんて空虚だったんだろうか。まるで何も無い。今まで寂しさを紛らわせる為だけに俺の頭を通り過ぎていった情報、音楽たちは、俺の周りにリアルに存在する空間からは無関係だった。
俺はとりあえずベッドに寝転がり、窓の方を向き、ガラス戸から差し込む日の光が壁に当たっているのを確認し、エアコンのかすかな音を聞いて、孤独に怯えた。これでいいと思った。
今年の夏コミに行けないので、ガッカリしながら俺の楽しみ方を書いておく。
<はじめに>
夏のコミケは、やめたほうが良い。昼間の暑苦しいところで両手に1.5kgずつの重り(ペットボトルで考えてみると分かりやすいかも)をつけながら緩やかに3~4時間連続で歩き続けても、救急車の世話にならない程度に体調管理できる覚悟がないとキツイ。逆に言えば、それができるなら問題ない。
<心構え>
基本は2つ。『誰も助けてくれない』と『他人に迷惑をかけないようにする』の2つ。
『誰も助けてくれない』については、みんな自分が見たいところを探して歩いているため、他人に聞いても答えが得られにくいということ。もちろん医療班もいるし、コミケスタッフもいるし、心優しい人も多いだろう。が、体調不良で倒れてすぐに誰かが駆けつけてくれるとは限らないため、早め早めに休んだり水分補給することを重点に置くこと。
さらに言うと、コミケ会場は基本的にケータイが接続しづらい。そのため、他の人と待ち合わせるときはケータイが無い時代に戻ったと考えて行動したほうが良い。目立つものを目標にして待ち合わせ時刻を事前に共有しておく、ということ。
『他人に迷惑をかけないようにする』は、マナーを守ると同義。いつ開催不可になってもおかしくないという性質もそうだが、マナーを守ることで無駄な争いを避け、身を守ることにもつながる。前述のとおり、トラブルがあっても助けてもらえるとは限らないから。
具体的な方法としては、超巨大な値切り不可フリーマーケットを歩くようなもんだと考えればよい。品物を手に取るときは声をかける、通行の邪魔にならないように通路の真ん中で立ち止まることを避ける、小銭をなるべく用意しておく、など。お互いに不快にならないように気をつければ、スムーズに行動ができる。
<前日まで>
出来ればカタログは買っておいた方がいい。諸注意も読んでおいたほうが良いが、何日にどのジャンルがどのあたりに固まってるかをあらかじめ知っておけば、ある程度スムーズに行動ができる。
他に用意しておくべきなのは当日の水分補給用の飲料、タオル、小銭など。夏冬限らず、人が多くて気温が高いため水分補給用の飲料は必須。一応ビッグサイト内に自販機があるものの、ぬるい飲料がほとんどな上に気軽に買えるとは限らない。1リットル持って行った方が安全。タオルも同様の理由。
小銭が必要なのは前述のとおり、基本的には巨大なフリーマーケットだから。100円単位以上のお金があったほうが良い。エロい同人誌は1000円単位のものが多いが、その他同人誌は300円とか500円なので、それを考えたうえで小銭を持って行くとよいかと。
<当日>
だいたい11時~12時頃をめどに会場に到着すればよい。徹夜組とか始発組なんてのは、サークル参加者だったり超売れ筋のを買う人だけでいい。そもそも10時開場だから、10時ちょうどに到着してもすぐに入れるわけじゃないし。体力がないと数時間待ち続けるのはつらい。
会場内に入ったら、適当にふらついて買えばいい。好きなジャンルの本があるなら、そのあたりを。特にないならば旅行・評論・情報あたりが個人的にオススメ。エッセイ漫画とか、旅行の感想本とか、美味しい定食屋マップとか。
俺が買って面白かったなと思うのはだいたい以下の通り。
工業高校の日常を綴ったコラム、ゲームバー(ゲームが楽しめるBAR)の紹介本、北海道の缶コーヒーのレビュー本、IT業界への転職手順を紹介する実体験本、家庭教師の人が描いた日常4コマ漫画、ドイツ小説から読み解くヒトラー時代の日常考察本、ロケットの構造解説本、30kgダイエットした話の本、同人誌にバーコードを載せるやり方を解説した本、技術系女子の日常本、プレゼンのパワポデザインについてのコラム本、サイゼリア考察本、などなど。どれもこれもだいたい100~500円。
これらの本は基本的に同人ショップにも置かれないし、ネット通販も行われない。が、こういう同人誌に出逢いやすいのがコミケという会場。コミケを扱ったフィクション作品だと人が波のようにエロ本を買いあさってることが多いが、この手の日常系本を売ってるゾーンは基本的に穏やかで平和。
アニメとか漫画に興味がない人でも、旅行・健康・日常などといったコラム系のは気楽に買える価格でたくさん売ってるので、一度行ってみるのもアリではないかと。
<最後に>
『軽い気持ちでコミケに行くな!』とよく言われてるのは、冒頭で述べたように、「暑苦しい場所で、すぐに助けてくれる可能性が低い」という部分を甘く見ている人が多いから。体調管理に十分気をつけて(ちょっと多いかなと思うレベルでの水分補給・早めのトイレ休憩など)行動すれば、コミケはかなり楽しい場所だと思う。夏休みに余裕がある人は一度行ってみてもいいんじゃないでしょうか。
○昼食:ツナ缶+のり弁
○夕食:豆腐のすき焼き風煮込み(豆腐を焼くという過程がパッケ裏に乗っていたが、上手くできなかった)+卵焼き+ご飯
○調子
散歩したさきで今時珍しいゲーム屋さんに入り、XboxOneのカタログをもらってきた。
面白そうなソフトがたくさんのっていて、テンションが上がった。
○デッドライジング1
ストーリーは分かっているので、ケース1のムービーは全飛ばしでスタート。
ケース02に備えてレベル上げ、と思い救助者を助けに行くも、
これがもうかーなーり難しい!
ゲームあるあるとして「救助」とか「護衛」ってのは難易度が高いってのがあると思うんですが、もうまさに典型。
フランクさんが格好いいだけに、見捨てるのは情けないなあ、やだなあ、と思うのですが、リセットする勇気もなくだらだらプレイ中です。
○ハッピーウォーズ
星の欠片とハッピーカードの無料券がキャンペーンで無料で貰えたので、ガチャを回しました。
砲台命中目当てで、僧侶シールを張って頭防具のガチャを回したところ……
結果は、疾走+付きの頭防具でしたー。まあ当りっちゃあ、当りなんですが微妙ですね。
何が微妙ってもうすでに持ってるんですよねえ。
疾走は、ウォールと比べると、序盤中盤終盤問わずいつでも使える優良スキルだし、
聖なる鎧とは一長一短ですが、僕は疾走の方が優れてる点が多いと思っています。
この聖なる鎧、疾走どっちのパフを優先するのか問題は、僧侶については結構大事だと思うので、いつか深く考察したい。
ゴールドリストバンドを獲得して、残るはチャンピオンと戦うためにポイント稼ぎ。
という所まできました、人気ランキングも98位まであげ、100位以内の実績を獲得。
ある男が自殺をした。結果的には死至らず未遂で済んだ。けれど閉鎖病棟に入院することとなった。
過去に自殺をして注目を浴びたメンヘラはいたものの、それは個人を超えて影響を与えることは少なかったし、メンヘラ以外の人にまで波及することはなかった、
彼は哲学に通じており、物事に対する考察が鋭く、文章による表現力も持ち合わせていた。そして何よりも行動力があった。
彼はメンヘラをコンテンツ化し、コミュニティを作り上げることに成功した。彼の高い能力によるところと、SNSの発達によるところが大きかったのだろう。
彼自身がメンヘラであったかは定かでは無いが、彼の書いたところによると妹がメンヘラであり、自身もスマートドラッグを常用していたという。
メンヘラというのは承認欲求が強く、メンヘラのコンテンツ化は功を奏した。
その中心人物ともあれば、当然のことメンヘラ女子を食うなんてことは容易かった。彼は多くの女性と関係を築いた。
彼の築き上げたものは徐々に露出も増え注目を浴びた。その道程は順調に思えた。
男と交友の深かったメンヘラの女性が人間関係のもつれから自殺をしたのである。飛び降り自殺だった。
彼女は独特の感性と文才を持ち合わせ、自身をコンテンツ化する能力が非常に高かったため、男の作ったコミュニティの中心人物となった。
飛び降りる直前、彼は女性と通話したという。これから死ぬという女性に彼は「死ぬな。生きろ。」とは言えなかった。
それ以降彼は彼女の幻影に苦しむことになる。夢に彼女が出てきたり、高いところを見ると自殺願望がでてきたそうだ。