2014-08-28

魂を削って書いている人は宗教必要なのかもしれない

自分ホッテントリにある色々なブログを見ながら、この人の文才はすごいな、こんな深い考察豊富な知識が透けて見えるような

スマート面白い文章は書けないなと毎日考えている。この人達に比べると自分は間違いなく文才のない凡人で、それを認めるのはとても怖い。

そんなモラトリアンが始めたのは、魂を削って書くことだ。魂を削って書くとは、自分の恥ずかしいところ、嫌なところと向き合って書き出す作業だ。

なぜそんな事を始めたかというと、文才のない自分でも、自分と似たような人から多少は反響のある文章が書けるのではないかと思ったからだ。

これは書いている最中とても辛い。

ロリコンかもしれない、尼や価格反響を調べないと買えない、ある程度出来たら満足する性格向上心が持続しないなど、

自分の恥ずかしいところ、嫌なところはたくさんある。こういうものと向き合って書く作業は苦行だ。

が、なぜかは知らないが、書き終わるととても楽になるし読み返して面白い

削られた魂を吸い取られたような気持ちになるが、そもそも嫌な部分なので増田に置いていけるのであればありがたい。

ただ、これでは形式が違う懺悔だ。

最近反響副産物になりつつある。

しかしたら、いまの自分必要なのは増田よりもキリスト教かもしれない。

キリスト教って懺悔だけでも入信しても良いのだろうか、、、増田よりも五感を駆使して懺悔するあたり、

楽な気持ちになる効果は多そうだ。敬虔増田信者自分にとって、適正はある気がするのだけど。

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