はてなキーワード: 儀礼的無関心とは
柏の異常さはさ、上京民の乏しさに依るんじゃないかと思うんだよね。
田舎って、たまにやんちゃな人たちがいたところで、人間が疎だから衝突が起こりにくいじゃん。逆に都市では人が密だからさ、ちょっとしたことでトラブルになるし、それを避けようとして都市ならではのモラルが醸成されていくわけよ。別に都市のほうがモラルが高いというわけではなくてさ、事なかれ主義的であったり、あるいは儀礼的無関心なんかも、都市で生きるには合理的な行動様式ではあるはずなんだ。
普通はさ、田舎から都市に出ることで、その都市の文化を享受して自らが都市住民に変質していくことが多いと思うんだよね。
でも柏はさ、千葉茨城の中途半端なところから人が集まってるのよ。彼らは田舎から心機一転で越してきたわけではない。昔から知っている、地元よりもちょっと便利な街に居を移したに過ぎない。だからメンタリティも行動様式も変わらない。田舎の生活ならそれでもいいのかもしれないけど、でも40万都市でのあり方ではないんだよ。
恥ずかしながらね。
アメリカ人は大戦の早期終了のために原爆を落とした、と思ってるらしい。
戦死者を少なくとどめるために原爆投下を選択した、と主張してる。
授業でそれを聞いたクラスの仲間はどう思ってたんだろう?
子供心に、原爆を落としてくれて「ありがとう」って思ったのかな。
日本が先制攻撃で侵略したのが元凶だから、大量殺戮も仕方ない、むしろありがとう、と。
子供の頃は未来は、友だちとドンドン右肩上がりに仲良くなる、と信じてた。
このまま仲良くなって、あらゆる話題を腹を割って話せるようになる、と。
でも現実は違った、大人になってからは友だちとセンシティブな話はしなくなった。
絵描き趣味の友だちが性的消費とか、お絵かきAI をどう思ってるのか知らない。
知りたくもない。
頭の中ではたぶん、友だちを含むあらゆる知り合いに、利用目的別にタグがついてる。
仕事の相談に使えるか、音楽の話はできるか。愚痴を聞いてくれるか、などなど。
「重い」タグは誰にも付いてない。
どうしてこうなっちまったんだ、俺たちは。
疑問は宙を漂う。
眞子氏が小室氏と出会ったICUという大学では、入学式で新入生みんなが「学校生活において世界人権宣言を遵守すること」を誓う学生宣誓に署名する。
https://www.icu.ac.jp/globalicu/pledge/
みなさんは、その世界人権宣言の中身ってどんなものか知ってますか。
第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。
第二条
1 すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
2 さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。
第四条
何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。
第五条
何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。
第六条
すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。
第七条
すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。
第八条
すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。
すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。
第十一条
1 犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。
2 何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。
第十二条
何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。
第十三条
これで全部。眞子氏の境遇に照らしてみれば、皇籍離脱前の彼女の人権がどれだけ制約されていたかが改めてわかる。民主主義国家を標榜する日本で、大半の日本国籍の人々が当然のように享受している人権の多くが制約された、とても特殊な立場の人が、自らこの大学への編入を選び、4年間の教養教育で人間中心主義(humanism)の理念と気風を涵養され、立派に「人間」になった。というか、人間としての自覚を得た。そういうことなのだ。
ちなみに天皇は敗戦後に「人間宣言」したと言われているけど、実は「ぼかぁ人間なんです、すまんかった」などとは言ってない。原文の官報詔書『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(1946/1/1)、別名『新日本建設に関する詔書』に書かれている該当箇所は
朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
となっている。「天皇は現御神で、日本国民は優越民族で、世界を支配する運命にある」という戦前に言ってたことは「架空なる観念」でした、としか言っていないのだ。じゃあ現御神ではなくなった天皇が戦後どうなったかといえば、「日本国及び日本国民統合の象徴」になった。それはもはや神ではないし、といってただの人間=日本国民でもない。それは「日本は一体である」という(敗戦後にギリギリの交渉の結果残すことができた)国民国家のファンタジーをまるごと引き受ける、人間ではない何かだ。天皇と皇族は「平和憲法を遵守する新国家」を象徴する「何か」として、常に国民をいたわり思いやる理知的で心優しいファミリーの役回りを多世代にわたって演じ続けることになった。それって、ありていに言えば「人形」でしょ。
かつてのように神聖不可侵でもなく、かといって市民・国民としての人権を与えられてもいない「人形」は、やがては人々のおもちゃにされてしまう。今はみんながそれを使って「人形遊び」という娯楽に興じている。政治家や宮内庁職員や皇室ジャーナリストや評論家らが「本人が言った言葉」とその解釈のあいだにいくらでも恣意的な読み替えを挟み込むのも、メディアが皇居というドールハウスの内情について真偽不明のゴシップを書き立てるのも、辛酸なめ子や倉田真由美が赤の他人同士の結婚について大仰に憂いたり消耗したり絶望したりしてみせるのも、本質は人形遊びだからだ。相手が人間ではないから、そういう非人間的な扱いをしても許されるし、人形のほうが「与えられた役柄」を勝手に逸脱し始めたら嘆いたり憤ったりしてもいいのだ。
本件をイプセンの『人形の家』をひいて論じていたのは、意外なことに山口真由ぐらいだったけど、今回の騒動を見ていて、天皇家が「人形の家」ではないと言い切れる人はだいぶ減ったんじゃないか。人形の家には人間は住めない。だから、人間になった眞子氏は人形の家を出た。
窮屈な人形の家を、人間が住めるような間取りと風通しにしてやらない限り、そのうちまた同じことが起こるだろう(直近では、同じ大学で同じように「人間」に目覚めてしまった佳子氏にも同じことが起きるかもしれない)。風通しを良くするには、これまで75年にわたって「人形遊び」をしてきた我々自身がこの遊びを卒業して、その他の「市井のなんでもない人々」に接する時と同じような儀礼的無関心を貫くことなんじゃないかと思う。ことさらの敬愛も嫌悪もいらない。ただの人間として扱い、他のただの人間に抱くような尊重の念を持って接しよう。
主観的にモテるのは事実。自分の経験は欧州北方の観測範囲だけど。
日本人の男は、まず女に声をかけない。そもそも現代日本は知らない人には儀礼的無関心を保つ文化なので仕方ないが(一方知り合いならセクハラを恐れて声をかけない方向に進化してる)、理由はともかく、結果として接触がない。
一方、欧州人は気軽に初見の人に声をかけるし、それが年齢の釣り合う男女なら自然に男女のお誘いになる。あっちの文化は男女の役割がはっきりしてカップル文化なので、シングルの人は隙あらばカップルになろうとしてて、男はとにかく声をかけまくる。
人生で数回(平均値)しか声をかけない日本男子と、一日に何人にも声をかける欧州男子、統計的にどちらがモテ(どっちからモテ)、どちらがマッチングするかは明白である。
また性別役割がはっきりしてる文化なので、男性のエスコートがすごい。職場では男女同権だがプライベートではナイト、その切替がすごい。褒め文化もすごいので、口に出す言葉もすごい。男性から大切にされることに慣れてない日本女性はすぐ落ちる。
結果として、日本では月に1度もお誘いがかからない女が、あっちでは1日に何度も誘われ、10人と目が合えば2人には誘われ、デートに応じれば姫扱いみたいな状態になる。これを主観的モテと言う。
客観的モテとは、彼らにとって同国人である欧州女性と比べて日本女性がモテているのかということだが、あたしゃ欧州女性になったことがないので知らん。モテてるけど、それが当たり前で育ったから当たり前なんだろう。
日本人は、世界の人種の中でも最も女性寄りの体の持ち主である。メジャーなアジア人である中国人はもっと体格がよいし、日本より細いアジア人もいないわけではないが、肌が白く滑らかで女性的な印象を与えるのは日本人である。コーカソイドの目から見ると、日本女性はより女性らしく、日本男性もまた女性らしく見える。
また性格の細やかさや細部にこだわる美意識、凝ったファッションや清潔な生活様式など、その行動も女性的な印象を与える。
というわけで、日本女性は自国女性より女性らしく見え、古風な女性らしさを好む人々に受けが良い。日本男性は・・・・・ゲイにモテるから落ち込まないで!
よく若く見えると言われるが、実は顔よりも体の差がすごい。白人の肌は間近で見るとブレミッシュで美しくないし、触っても滑らかさはない。正直、自分が男の側だったらキツかったと思う。その点、日本女性が脱ぐと感動される。リピーターも非常に多い(アジア人専門の白人さんの出来上がりである)。
コーカソイドは成長が長く続き、ティーンエイジャーの頃は細いが、その後も体格が変わり続け、体が厚く腕や脚も太く、非常にガッチリしてくる。そんな彼らの目から見ると、永遠にティーンエイジャーの体を持つ人種、それが日本人(アジア人)である。
ネットで付近の喫茶店を調べ、他が混んでいたり予算オーバーだったりしたので仕方なく入ったが、30歳童貞の冴えないオタクが一人で立ち入るにはオシャレ過ぎるカフェだったので、少し後悔した。
客層は20代〜30代が多く、カップルだったり女子数人で来ている客がほとんどだった。たまたまスムーズに入れたが、中はほぼ満席のよう。
自分が通された席の隣は、小学生低学年くらいの男の子とその母親らしき人だった。男の子は、何やら問題集を解いているようだった。
ケーキセットを頼み、つい今しがた観た映画を反芻しながらコーヒーを啜っていると、隣から、カフェには似合わない怒り声が聴こえてきた。
見ると、その男の子が問題を解けないことに、母親が怒っているようだった。
「なんでわからないの!」「○○すればいいだけでしょ!考えなくてもわかるじゃん!」「さっきも同じこと言ったよね!」「○○に決まってるでしょ!」「さっさとやりなさい!やれ!」
とてもキツい口調だった。
男の子の方は、「いやだ!」「わかんない!」と口ごたえをしていた。何回か「教えてよ…」とも言っていたが、「さっき言ったじゃん!」で全て怒られてしまっていた。何度も泣きそうになっていた。
よく聞き取れなかったが、小学生低学年には酷な思考や態度のレベルを要求しているようだった。
それがずっと続いていた。
とても、見ていられる状況ではなかった。
30歳童貞コミュ障オタク。女性とまともに会話もできないし、子供とコミュニケーションを取る方法も知らない。
これが創作作品であれば、正論らしきものを言うギャルが出てきて母親がハッとなるか、渋めの初老男性が出てきて母親を諭す展開なのだろうが、あいにくここは現実だ。
店員さんは特に触れようとしない。メンバーを見てもアルバイトらしき人しか見当たらない。まわりの客も、そそくさと帰る人が多いようだった。
真横にいる自分が何とかする?どうやって?なんて声をかける?
もし声をかけて母親がさらにヒステリックになったらどうする?変な言いがかりを付けられたらどうする?もし仮にその場をおさめられたとして、その子が家に帰ったあと、「恥をかかされた!」とさらに怒られはしないか?児童虐待で通報?地元でもないし、その親子の情報もわからない。どうする?どうすればいい?
結局、自分も早めにケーキを平らげ、そそくさと店を出るしかできなかった。
その後もしばらく、あの男の子は怒られ続けているのだろう。
母親の方も、好きで怒っているわけではないことくらいわかる。おそらく、母親の方も相当追い詰められているのだろう。
結局、何も解決することができないまま、儀礼的無関心を貫いてその場を去った。
自分には何ができたのだろうか。どうすべきだったのだろうか。
今晩の寝覚めは悪そうだ。
手始めに新宿OIOIでセール品として売られてたコート(http://belsel.main.jp/baby2/P13CO341_1.jpg)を買った。
これを着てどこかに行きたいが、周りから好奇の目で見られそうである。
いくら大都会東京とはいえ、あまりに周りから浮いた服を着ていると周囲の耳目を集めてしまうのは当然である。
自分が一番恐れているのは、スマホのカメラで盗撮されて「うわこいつ痛ーい」とネットに書きこまれることである。
一度写真や動画をアップロードされたら最後、自分の意に反して未来永劫デジタルタトゥーとして盗撮写真が残り続ける。
その場で笑いものにされたぐらいならまだしも、それが延々と続くのは流石に耐えられない。
スマホカメラの普及以降、ちょっと変わった人を盗撮して晒し者にしてその人を嗤う風潮が強まってきているように思える。
もしかしたら自分も、先日買ったコートを着ていたら「このアラサーSAOのキリトにでもなりきっているつもりなの?きんもーっ☆」みたいなキャプションを添えられ、twitterのようなSNSで未来永劫笑い者にされたり愚弄されてしまうかもしれない。
それが一番怖いのだ。
この手の盗撮はわいせつ目的の盗撮ではないため、迷惑防止条例で検挙できるわけでもない。
儀礼的無関心も、SNSで煽られる承認欲求の前では風前の灯火だ。
結局他人の権利(肖像権など)や尊厳を重んじましょうという基本的な道徳の話になってくるが、そういうことに考えが及ばない御仁が多いのも事実である。
気が滅入る。
局部丸出しの全裸みたいな法に反する格好でもないし、買ったコートは写真と違い男性向けの右前仕様である(それ以外は写真と同じ)。
せめて関心も見せず放っておいてくれ。
説明するのに
東洋は「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」(論語)というような消極的関与が理想なのに対し、
西洋は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(聖書)ような積極的関与が理想ということになっている
というのは、随分前からよく聞いたが、
西洋にもゴッフマンのいうような「儀礼的無関心」とかJ.S.ミルの「愚行権」という考察もあるし、
東洋にも、というかまさに論語自体にも「義を見てせざるは勇なきなり」というのもあるから、
そんな単純な話じゃないと思う。
いま学食で、いいオジサマたちが気持ちよさそうにものすごく主語の大きい話をしてて、それで、その話とは直接関係ないけど、上のようなことを考えた。
※まあ、内容的には似たような感じ。世の中を二分論で説明できれば苦労しないし、あなたの研究分野だってそんな単純なはずはないのだが、と思う。
では、前回のブックマークコメントを参照しながら自論を展開していきたいと思います。
simplemind だが「誰かの悪口を言ったら返ってくる」のは本当に「基本」だろうか?街で「年収○○万円の男なんてw」とdisっても普通怒られたりはしない。「disりっぱなし」は(残念ながら)常識的には正常な「態度」なのでは
http://b.hatena.ne.jp/simplemind/20131224#bookmark-174706694
素晴らしい指摘だと思います。
たとえば私が喫茶店でジュースを飲んでいたとして、そこで隣のテーブルに居る女性2人組が大声で
「年収○○万円の男なんてゾッとするよねー」
とお喋りしていたところで、それに対して私が議論を吹っかけたり、殴りかかったりすることはまずありません(非常識な彼女らにビックリしてチラ見はしてしまうでしょうが)。
私が公衆トイレでおしっこしてるときに、隣でションベンしてるおじさんがオナラをこいたところで、私は「屁ぇこくなよ!」とは言えません。
おじさんと私は友達ではないのですから (ダウンタウンの浜ちゃんは職業病で、そのような状況のときにおもわずツッコんでしまったそうです)。
ところがこれがネット上になると話が変わってきます。「年収○○万円の男なんてゾッとするよね」「結婚しない人間って何考えてるんだろうね」
とブログで言っている女性が居れば、私は彼女達を非難します。また、いつもホットエントリに入っている屁のように臭いブログがあれば、猛烈に叩きます。
もちろん絶対に叩く!というわけではなく、その日の気分によって叩く叩かないは変化しますが。
我々はなぜ街中だと非常識な人間をスルーするのでしょう。我々はなぜネットだと、特にブログやツイッターになると、非常識な人間を見たときに叩きたくなるのでしょう。
私はこの問題を考えているときに、「儀礼的無関心」という言葉を知りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%80%E7%A4%BC%E7%9A%84%E7%84%A1%E9%96%A2%E5%BF%83
私たちは電車に乗っているとき、他人を凝視しません。それは、たとえば特に電車内のマナーにうるさい日本だけではなく、アジア・アメリカや欧州南米でもそれは同じでしょう。
Daniel Powterというカナダ人歌手の「Bad day」という曲のPVを見ると、これには男女の主人公が居るのですが、
男の主人公は電車内で、歴史を感じさせるような老夫婦を尊敬の眼差しを持って見つめます。
女性主人公は幸せそうなカップルを少しうんざりした様子で見ます。けれどここで重要なのは、彼らは決して無礼な態度では観察していないということです。
「お前何見とるんや」
と因縁をつけられない程度の態度で他者を観察しているのです。もしパッと目が合ったら私たちは目を逸らしますよね。
これは現実での振る舞いとして適当でしょう。私たちはそうやって日々を生きています。儀礼的無関心を遂行しているのです。
インターネットではどうでしょうか。我々はいくらでも他者を観察できます。ネットでは「お前何見とるんや」と言われることはまずありません。
他者をいくら観察しようが、いくらイヤらしい意地悪な目で見ようが、その行為の代償を払う必要はありません。
私を含め、古参インターネットユーザーたちはこの2つの世界を行き来していました。儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会。
ところが昨今、特に2013年はそれが大きく変化した年となりました。
2013年を語る上で欠かせないのが、ツイッター冷蔵庫侵入事件です。
デジタルネイティブの若者たちは、コンビニの冷蔵庫に侵入しアイスを靴で踏みつけたり、レストランの備品に自分の身体を擦り付けたり、スーパーの売り物の食品に乗っかって遊んだりして、
そうした行為をスマホで撮影し、ツイッターにアップしました。そうした写真は瞬く間にネット上で拡散されて、ネット社会と現実社会の両方で大きな議論が巻き起こりました。
我々が外食したり、また食品を買ったりするとき、実はそれにはどこの馬の骨とも分からないDQNたちの体液がついてる可能性というものが大きく可視化されました。
主要紙もネットユーザーもバカッターバカッターと彼らDQNを糾弾しました。
「悪ふざけするのは良いとして、ネットに公開するということは全世界に公開するということだ。考えてやらないと。」
「目立ちたいだけだよ。有名になりたい馬鹿たちなんだよ。」
はてな民は偉そうに言っていました。
しかし私はどうも違和感を持っていました。「そもそもあのDQNたちは全世界に公開してたつもりなんて1ミリも無かったのでは?」
たとえば、私がコンビニで買い物をしていたとして、そのときちょうどあのDQNが靴で冷蔵庫の中のアイスを踏みつけていたとします。
私は彼に注意などしません。注意して、彼の仲間たち3人くらいに囲まれたらどうするのでしょう。怖いです。
私はここで必殺「儀礼的無関心」を放ちます。ギャーギャー騒いでる若者たちをスルーするのです。
本当は注意するべきなのでしょう。しかし生活していくなかで、そういうリスクはなかなか背負えません。
みなさんもそうだと思います。関わりたくないことには儀礼的無関心を遂行してやり過ごすでしょう。
さて、それがインターネットで繰り広げられていたらどうでしょう。
冷蔵庫のアイスを踏みつけたDQNたちは写真を撮り、それをツイッターに上げます。彼らは、たぶん仲間内だけに見せるつもりなのです。
「健太が冷蔵庫に侵入した結果www」てなもんです。青春の一ページです。
そうこうしているうちに、偶然にも私はその写真を見つけてしまいます。「あ!あのときのあいつらや!」
私は、現実で儀礼的無関心を強要されたあのときの惨めな気持ち、後ろめたさがよみがえって来ます。
「許せん!」
私だけではありません。DQNに儀礼的無関心を強要された人たちは山ほど居ます。そういう人たちが、DQN健太くんの冷蔵庫侵入写真を見たらどう思うでしょうか。
「恨み晴らさでおくべきか」
となるのは必然ではないでしょうか。
また、そういう恨みが無かったとしても、我々の誰もが買う可能性のある商品に不衛生ないたずらをしかける彼らの姿は、人々をとても不安にさせます。
そう、ここはインターネットです。コンビニで彼らを見たときのように儀礼的無関心をする必要はありません。鬨の声を上げるのは今です。
我々は彼らの個人情報をゲットします。お店の情報をゲットします。お店に電話し、彼らの家に電話し、ネット上に彼らの情報をバラまきます。
怒り狂った2ちゃんイナゴたちは暴れ周り、その結果お店は潰れ、DQNたちの就職難易度はとても高くなりました。
騒ぎが終わった後、DQNたちはどう思ったでしょうか。「ダチでもねぇ奴が勝手に俺らの写真を覗き見して勝手に大騒ぎしていった」と思うのではないでしょうか。
「現実ではスルーするくせに何でネットだと食いついて来るわけ?」とも。
これは儀礼的無関心が必要な現実社会と、儀礼的無関心が義務ではないネット社会との狭間で起きた事件です。
若者たちは混乱しています。「現実では何も言われないからネットでも大丈夫だと思ったのに・・・」
そしてこれはサードブロガーやはてな女子の問題に繋がって行くのです。
「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
ということを平気で言います。しかもそれを、日本のネット上でも最も気難しい人たちの居る「はてな」でそれを行います。
これはハッキリ言って場違いです。「年収○○万円の男なんてゾッとする・・・」「結婚しない奴の意味がわからんwww」「30代でオシャレしてるOLwwwあたしゃああならんわよw」
なんてのは、普通はオフラインで言うことです。誰にも聞かれないところで、女子会でやるべきです。喫茶店でやるべきです。
オフラインなら、我々は儀礼的無関心をできます。「酷いこと言うんだなぁ・・・」とは思いますが、彼女らを打ち倒そうとは思いません。
ところが彼女らは冷蔵庫侵入DQNと同じように、オンラインでそれを公開してしまいます。
オンラインでそんなものを公開してしまえば、はてなの妖怪たちが黙っているわけがありません。小難しい理屈を並べ立て、罵詈雑言を浴びせます。
「ほぉーそんなこと言うってことは喧嘩(議論)する気なんやな?オモロなってきたで!」てなもんです。
「友達でもない人が勝手にアタシのブログを覗き見して勝手に怒ってる・・・」
「女子会でこんな話しても誰も怒らないのに何でネットでは怒られるの?」
こう言われてしまうと、妖怪はバツが悪くなって攻撃の手を止めてしまいますし、さらに疑問がむくむくと沸いてきます。
「なんで議論する気ないのにそんなこと言ったの?ここは儀礼的無関心から解放されて忌憚なく議論する場だよ?」
上の言い方では少し強過ぎるかもしれません。もっと適切に言うと「反響が欲しくないのなら何で公開したの?」
ということです。
つまりはてな女子たちは、ブログで何を書こうが、現実と同じように、儀礼的無関心を他の人がしてくれると思っているのです。
冷蔵庫に侵入した若者たちと同じように。しかしその態度は、私にはとても無責任なものに思います。
「私は誰かに関心を持って悪口言うけど、みんなは私に無関心を装ってね?」といったところでしょうか。
はてな民はそれを了承しませんでした。だからはてな女子筆頭の体調わる子は苛烈な攻撃を受け退場して行きました。
「俺は好きなこと言うけど俺に好きなことは言うな」という態度のサードブロガーや虚構新聞も苦戦を強いられています。
この虚構新聞の苦戦に関しては、ネトウヨがネットの外に出て行ったことに強く関連しているので、後日それについて論じたいと思っています。
以上が、私の「現実とネットによる儀礼的無関心の違い」といったところでしょうか。
この儀礼的無関心の取り扱いの違いが、今後どうなっていくのかも後日論じたいと思っています。
「綺麗な格好」をしているひとをみて「無関係の人間が邪な劣情を抱くのは許されないとする」という仮定
なんか、もめ元記事の内容がトンデモなのでね。
ミニスカ着るなとか。
そうすっと、仮定としてその自由に対するのは、劣情そのものが悪ってなるのではないかなぁって。
でも、もしかしたら意中の人には劣情を抱いてほしいかも知れず、男性側に主導権を持たせずにそれを実現するなら、無関係の人は儀礼的無関心を貫けってなりますかね。
んで、それができない人を投獄。(男性側を規制)
私個人としては、男性全員について、過度の飲酒を規制するとか、夜の出歩きを規制するとか、ありだと思いますよ。
おそらく、そこまでしないと、女性への安全は保障できないと思っていますし、これでもまだ、身内による犯罪は防ぎきれないとも考えています。
擁護派がそれを上げてないのは、その辺の事情は、この件には意味が無いからじゃないかと。
とにかく理由はどうあれ衆目を集めてしまって、その結果として悪意が集まったときに、傷つくって事に対しての話なんだから。
がしかし、今回の場合作品的に明確な悪意を持って「晒し」が行われたので、この意見は空虚に響く。
「隠れろ」、「隙を見せるな」との意見もある。
これもまぁ、今回の件では虚しい。
身内バレだからだ。
やるといったら、ID/pass制にして、コントロールだろうか。
面倒だが、検索除けを強要するような社会なら、この程度の手間、誰も惜しむまい。
「そもそも表現するな」との意見もある。
これも真理だ。
やっていることは世間一般からすると背徳的なことであり、本人に自覚もある。
バレればどうなるかの予想も付くのだから、一番簡単な防御はそもそも表現しない事。
最低でも、本人とリンクする情報は一切消去し、オンだけの付き合いに終始すればリスクコントロールもある程度できる。
1 空気読め陣営であるというレッテルの貼り付けあいになってる応酬も一部にあって、なんか、空気読めというのは悪という空気が出来てるのが、変な感じ。
2 あとのほうで、カウンターとして、チェーンのマニュアル主義批判とそれを肯定するのが奴隷根性だ、みたいな話が出てる。でも、儀礼的無関心とかいってるひとがいうように、個別対応してもらえないのをそういうひとは別に権力におもねって「安いから我慢」してるわけじゃなく、積極的に「マニュアル対応しろ」と要求してる、そういうお客のニーズを持ってる、わけなんだから、マニュアル対応を批判するなら「利益優先のお店とそれに盲従する自立心のない客」という構図は間違いで「マニュアル対応を求める客とそれに迎合するチェーン」という構図であるべきなんじゃないかなあ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090416115341
`lemonbiyori 増田, 生活 "疑う主体を誤魔化さないで欲しい。"悪意に対してここまで冷静でいられることに感嘆する。`
冷静かぁ?
国籍ベースでなじられたからって国籍ベースで自尊心を持とうとか考えちゃってる脊髄反射君じゃないのこれ。国籍を自尊心だのルーツ感だのの拠り所にしちゃろくな事にならんよ。帰化しなくてもしても増田は増田っつーか、国籍は事務手続き上の属性にすぎんよ。扱いが変わろうが、今まで国籍を元になじられたことが許せなかろうが、それを自意識の根拠に積極的にすえちゃいかん。
んで、「帰化しないの?」という質問する方も同じく、そんな自意識を突っついてやれだのと思った時点で、自分もまた国籍を自意識の拠り所にしてるわけで不毛極まりない。
不毛な在り様に自分から居ついた手合いはホストゲストを問わず単に不毛なだけなので、話の中で自分語りを越えてそうな辺りとか、主語がやたらデカくなってくる部分は儀礼的無関心でスルーが一番じゃね。
許せなかったら、誰かとうまいもん食って飲んで、一時的にしろ国籍による関係から抜け出せばいいよ。ほんの少しは許せるようになるんじゃないか。あとそういうエントリを右から左へ流すこと、エスタブリッシュメント層に会わないこと。ろくなもんじゃないよ。
[はてブ]2006年12/31までに指摘されたはてブに関する問題まとめ
はてなブックマーク - [はてブ]2006年12/31までに指摘されたはてブに関する問題まとめ
その他の参考
今日のCNETの記事へのブクマの集まり具合からもわかるとおり、夏以降にリリースされる新はてブへの期待は高まっている。その期待の中には、現はてブにおける既存の問題がどれくらいクリアされるのだろうかという期待も含まれている。ということで、2006年12/31までに指摘された、はてブに関して、問題と指摘された事項まとめてみた(観測範囲の都合上、全部はフォローしきれていない点はご容赦いただきたい)。現在までに、これらの問題に対しては多くの方が考察済みで、問題とは言い難いものもあるし、システム的にはどうしようもないユーザの姿勢に依る問題もある。また、現在までにシステムとして対応済みのものも含まれている。
今夏に新はてなブックマーク登場--その進化と情熱:インタビュー - CNET Japan
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20372715,00.htm
■システムに関する問題
■人気エントリに関する問題
■コメントに関する問題
■お気に入りに関する問題
■その他の問題
転職していった元同僚の女性(30代)が、「ブログ始めたのー」とメールで連絡をくれたので、読みに行くようになった。
最初は慣れない職場での笑い話とかそういう他愛もない話が多かったんだけど、ある時入社してきた「新人クン」がとても好みのタイプだったらしく、一目惚れしてしまったとか、彼のはにかんだ表情を見るたびに胸がときめくとか、彼に冗談で下の名前で呼ばれて思わず頬を染めてしまったとかそういうカユい内容が増えてきて、ちょっと見るのが辛くなってきた。
彼女が独身だったら全然気にならなかったんだけど、彼女は人妻だから。なんだか浮気してるところを目撃しているのに秘密を隠すのに加担してるような気分になったのだった。
そういうわけでブログを見に行く頻度もどんどん落ちていったんだけど、彼女からちょっとした問合せのメールが来て、メールのsignatureのリンクから1ヶ月ぶりぐらいにブログを見に行ってみたら、なんと彼女の配偶者から、「今日は携帯を忘れたのでこっちに書いておくけど今日は帰宅が遅くなるから」というコメントがついてて(さすがに「新人クン」について言及した記事じゃなかった)、このブログ、ダンナさんも読んでたのかー!と驚いた。
返事を書くついでに思わず「それにしても、あのブログ、ダンナさんも読んでたんだねー。新人クンにときめいてる、ていう内容とか、ダンナさんに見られたらやばいんじゃないの?てハラハラしてたんだけど、心配するようなことじゃなかったようでほっとした。互いに信頼している夫婦関係のようでなによりです」って書いたら、その一文が彼女の逆鱗に触れたらしくて、問合せに対して答えたことへの返事すら返ってこなかった。
その時は、自分でそういう文章を書いて読ませてたくせに率直な感想を書いたら何で怒るの?と思ってたんだけど、後々考えると、そういうことをわざわざ文章で指摘してしまった自分も空気が読めなかったかなと思う。儀礼的無関心に徹するべきだったんだよね。