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2017-11-02

anond:20171102201332

篠原三代平が提唱した言葉実例として、命名のきっかけとなったのが、1972年から1973年の間に起こった日本の繊維製品輸入の急増である日本企業が、低賃金収益性の高い東南アジア諸国技術供与し、現地企業合弁会社などを設立して生産を増やした結果、1年間に日本の繊維製品輸入量は3倍以上に激増した。篠原は、アジア中進国の発展が日本に及ぼす輸出拡大効果を「正のブーメラン効果」と呼び、追い上げ脅威論といった「負のブーメラン効果」と比較して優るとも劣らないと指摘している[1]。やぞ

こうですか?わかりません

2017-08-12

様々な文明が混在する火星歴史統一たかった

古代

19世紀6月

ロンドン南西ウォーキング付近に巨大な円筒が墜落。15日間の戦闘の後、微生物によって火星人は全滅する (宇宙戦争)

1958年

米国探査衛星ヴァイキング1号」が火星に到達。生物らしき影(BETA)が映った画像データ地球送信される。後に軌道から観測により火星全体に生息していることが確認される(マブラヴ オルタネイティヴ)

1972年

アポロ計画最中に月で地球火星を繋ぐ古代文明遺産ハイパーゲート」が発見された。地球レイガリア博士を中心とする調査団を火星派遣する。その後、火星古代火星文明テクノロジーアルドノア」が発見される(アルドノア・ゼロ)

1973年

ソビエト連邦打ち上げ探査機マルス3号が火星に着陸する。

1973年

アメリカ打ち上げバイキング1号が着陸し、火星表面の映像地球に電送する。

1976年8月10日

ドラえもん火星にあるコケ進化加速ダイヤルを最高にセットした「進化放射線」を当て、10億年分進化させて生物を作り出す。

進化した火星人地球UFOでやってくるが汚れた地球と野蛮な地球人危機意識を感じ、火星を捨て他の惑星移住する(ドラえもんハロー宇宙人」)

1996年10月3日

人類地球を飛び出し火星進出。蒼いSPTレイズナーを駆る少年アルバトロ・ナル・エイジ・アスカ人類が接触(蒼き流星SPTレイズナー)

2014年

火星皇女であるセイラムパレード中にテロリストに襲撃される。

19ヵ月後、ヴァース帝国月面基地地球連合軍が総攻撃をかける。地球火星の和平が宣言され戦争終結(アルドノア・ゼロ)

2018年

地球は異星との交流が進み、国際連合ならぬ星間連合にも加盟して、多くの惑星から観光客がひっきりなしに訪れる一大観光惑星となっていた(漫画版21エモン)

2039年

NASA調査隊が火星のタルシス台地で異星文明遺跡発見し、突然現れた地球外知的生命体タルシアンに全滅させられる(ほしのこえ)

2071年

宇宙開拓時代を迎えた人類太陽系内に生活圏を広げており、悪化する治安への対策として、指名手配犯を捕まえる賞金稼ぎ、いわゆる「カウボーイ」たちが活躍している(カウボーイビバップ)

2075年

人類宇宙開発を進め、火星には実験居住施設もあり、星野八郎太が宇宙ゴミを拾っている(プラネテス)

2077年

品種改良された苔とゴキブリを使ったテラフォーミング計画が開始(テラフォーマーズ)

2165年?(宇宙世紀0120年?)

ジオン公国の残党である火星独立ジオン軍オールズモビル』が蜂起。翌121年、第13独立機動艦隊火星に到着。最終的にオールズモビルは、自らが使用した秘密兵器反動に自らの基地が耐えられなかった為に自滅(機動戦士ガンダムF90)

2196年

機動戦艦ナデシコ発進。翌年1月火星へ到着(機動戦艦ナデシコ)

2201年

8月9日、「火星後継者」が蜂起。8月20日ナデシコC、火星極冠遺跡上空にボソンジャンプシステムを掌握。「火星後継者降伏。(機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-)

2300年代

火星テラフォーミングされ水の惑星となり、アクアと呼ばれていた(AQUAARIA)

2599年

火星ゴキブリ駆除・清掃するために地球を発った宇宙船バグズ2号の乗組員15名は、火星にて異常進化を遂げたゴキブリテラフォーマー」の襲撃に遭う(テラフォーマーズ)

2620年

アネックス1号によって小町小吉艦長とする計100名の乗組員が火星に送り込まれる(テラフォーマーズ)

3005年

7世紀ぶりに火星への有人飛行を成し遂げた人類。水も酸素もない、廃墟と化したかつての入植地において、宇宙飛行士達は一人の女性発見する(BIOMEGA)

年代不明

終わり

火星古代文明多すぎ。テラフォーミングされすぎ。地球と戦いすぎ。

2017-07-31

オリンピック都市開催だぞ

オリンピックは国ではなく、都市主催する行事だ。そこを勘違いしている人が多すぎる。

そういう点で、東京都というのは微妙だ。

1940年に開催されるはずだった東京大会は、東京府東京市開催都市だったが、

1964年大会ではすでに東京市消滅していたので、東京都が開催「都市」扱いだったが本来趣旨からは外れているだろう。

それに対して、ワールドカップは国単位で行われる。サッカーロシア大会がまもなく開かれる。

しかし、1980年オリンピックソビエト連邦大会ではなく、モスクワ大会だし、1972年ミュンヘン大会西ドイツ大会ではない。

そう、ミュンヘン大会では選手村テロ集団に襲撃されるという悲劇があった。

念のため付け加えておくが、1968年メキシコ大会メキシコシティーメキシコ市で行われたか国名ではない。

最近オールジャパンで」という紋切り型常套句を耳にするが、一都市行事勝手国家レベル行事格上げするのは勘違いもはなはだしい。

たかだかオールウキョウで」くらいの遠慮が必要だ。

ちなみに、ワールドカップではなぜかイギリスイングランドウェールズスコットランド北アイルランドが別々に出場するが、

オリンピックでは「グレートブリテン」として出場する。

あと入場式直前になって国名表記問題ボイコットする例が何度もあった。

2017-06-29

まんこ

まんことは、女性器のことを指す。英語ではcunt、pussy、riseスラングが相当する。接頭語「お」を付けて「おまんこ」と表現されることも多い。

以下については特記無き場合には、女性器そのものでなく、日本語における「まんこ」と言う語について解説する。 以下に詳しく表記されているように、テレビラジオなどの公共放送媒体においては放送禁止用語対象であり、ゲームなどにおけるプレイヤーの命名においては入力禁止用語に設定されていることが多い。これに対して男性器の俗称であるちんこ」「ちんちん」などの語は放送禁止用語にされていることは少ない。「ちんちん」は物質のものを指す用語であるのに対し「まんこ」は性行為を行なうことを指す用語でもあるため、特に女性軽視の象徴的な言語定義されている。 同等の語としては、古語日本語方言於いて福岡県博多地方を中心に現在でも用いられる「(お)ぼぼ」[要出典][1]や、近畿地方から瀬戸内地方で広く用いられている「おめこ」や「おちゃこ」、沖縄県現在でも用いられる「ホーミー」[要出典]等が挙げられる。

1921年に発行された『言泉』では、「まんこ」は陰門の小見出し扱いだった。しかし、現在では知名度が逆転し『広辞苑』第六版に収録された。また、斎藤光ら『性的なことば』では、まんことの単語全国区のものとなったのは比較的近年のことであり、1972年大阪紅萬子デビューしていること、1978年京都大学レガッタ大会において、「夕焼けおまんた」というチームが出場したが大した騒ぎにもならなかったこと、更に1984年には1966年昭和41年)生まれ香川県出身であるタレント松本明子全国放送で、「おまんこ」と発しテレビ局を出入り禁止になる事件もあり、以上を根拠に、少なくとも関西圏では、めこはともかくまんこは周知されていなかったとし、全国に「まんこ」の影響が及ぶのは1988年頃の事ではなかったかと結んでいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%93 より引用

まんこからまんを抜く

まんはカタカナでかくとマン

マン英語でかくとman

man男性という意味

ここにただの「こ」になったのに対して「ちん」をつける

「朕」は貴族一人称

ではちんことは・・・貴族のもの

すべてはまんこから始まったといっても過言ではない・・・

まんこ

2017-05-10

毛沢東が死んだのが1976年田中角栄日中国交正常化したのが1972年だろ

それですらもう50年近く前じゃないの

実際に大躍進やってたのなんていつ頃だよ

断交することと絶縁すること

ときおり「断交すれば」というシミュレーションを目にする。

断交しても経済的問題はないという筋書きが多いのだが、1972年出来事をもう忘れたのかという気がする。

今はもうないがかつて日本アジア航空という会社があった。

半官半民の日本航空が、国交を断絶した「地域」へ航空機を飛ばすのはまずいということでつくられた子会社だ。

しかし、どこから見ても鶴丸印の航空機である

日本大手電機メーカーが、その断交した(はずの)「国」の資本に吸収されたのはいつのことだったか

国交を断絶することがイコール絶縁することにはならないのだ。

もし、そう思い込んでいるならアメリカ映画の見過ぎだ。

かつて、日本空港免税店にこっそり貼られていたポスターに気がついた人も多いだろう。

キューバ製の葉巻をアメリカに持ち込もうとすると、税関没収されます

アメリカキューバ場合一般化するのは無理があると思う。

日本が国交のない国へ経済制裁を加えることができるのは、貿易が行われているかである

国交がないので貿易もないという完全に没交渉二国間で、経済的制裁を加えることはできない。

日本と月は国交もなければ貿易も行われていない。

日本が月に経済制裁を加えることができないのと理屈は同じだ。

2017-04-03

40超えてtwitterやってるジジババ

40超えたジジババのツイートは本当に気持ち悪い(ここで言うのは公開ツイートに対して)

まず気持ち悪いのはbio(自己紹介文)に「生年月日生まれの~です」って定型文だ(例:1972年8月8日まれオヤヂです(*^_^*)・・・

年を喰ってるのは圧倒的にディスアドバンテージなのにそれを堂々と書いてるのが生理的に無理。茶でも汲んでろ

次にユーモア若い人に比べて圧倒的にない。

もう未来も見え切ってる人間に無理な話だが猫と酒と政治といったクソマジメ&ユーモアの欠片もない話を連投してる割合若い人に比べて圧倒的に高い。

twitter機能をまるで理解していない。加齢臭が移るから若い人の見ていないところで発信してほしい。

最後に40にもなって若い人に対して意見しようとしてる姿勢がキショい。

1020代若い人達ちょっと世間知らずなこと言ってしまうのは当たり前なのに我が物顔で「俺も若い時は~」って感じの意見をするジジババが多すぎる。

次世代生産者若者なのにもう消費していくだけ(これは少し極論)のジジババが味わってきた加齢集たっぷり人生観押し付け行為害悪以外の何物でもない。

これだけ言っているが僕は年上の人が嫌いな訳ではない。現に僕は両親を尊敬しているしユーモラスな大人も数多く知ってる。

でも、twitterに常駐してるジジババに関しては7,80%は僕の嫌いなタイプの年上だろう。

今日入社式入社時を思い出したであろうジジババが大量にタイムラインに溢れ、目障りすぎたのでこんなに棘のあることを言ってしまった。稚拙文章申し訳ないです。

でも、僕は30切る前くらいにはtwitterはやめて結婚生活仕事趣味にその時間を割り当てるのが適切な人の在り方だと考えるしこれからも変わらない。

趣味twitterならもう知らん。

※追記

twitter他人の為じゃなく自分の為にやるもんだ!という意見を頂きましたが全くその通りです。いわゆる「生理的に無理!」ってだけです。

あと、ガキのツイートも同じくらい面白くないという意見についてですが上にも書いています10代の学生は未成熟なのでつまらないのは許容されるべきだと思います(これも個人意見ですけど)

2016-12-03

[]

豊田市藤岡民俗資料館に行ってきましたわ。

昭和29年建築の旧藤岡中学校の校舎を流用した資料館です。

室内はやや肌寒く、昔の授業環境を実感できました。

屋外に藤岡地区最後の一機となった水車が展示されているのですが、

こちらは陶器づくりに使う原料を砕く「トロンミル(一部の表記トロミル)」を

動かす為のものでした。

陶器の原料をえるための藤岡鉱山も近くにあったそうです。

採掘される花崗岩が風化した土のことを「サバ土」と呼んだとのことで、

とたんに親近感がわきましたわ。あとで確認したところ地質学でいう真砂土と同じもののようです。

平成26年に起きた広島土砂災害でも「サバ土」の保持力の低さが話題になりましたけど、

火山温泉噴火をもたらすように、土地利益不利益を同時にもたらす例のひとつですわね。

校内の「棒の手(この地方、土着の武芸ですわ)」の展示を追うと、

藤岡町では1972年猿投神社への演武奉納が途絶えるほどの大災害が起きています

別の展示の年表によればその正体は豪雨による土砂崩れでした。

おそらくサバ土のえられる土地質がこの災害関係していたのでしょう。

ですけど、サバ土には罪はなく、ただそこにあるだけ。

特質をよく知り賢く利用してほしいですわ。

サバ仲間からのお願いですわ。

2016-08-23

閉会式を観た感想

「ちょーうまい

「すごい!」

「最高」

 私のタイムラインがそんな絶賛でうめつくされた。

 あるフォロワーさんのひとりなどは「ぜひ味わってほしいのでネタバレ厳禁です!」と事実上オススメコメントまで。

 ほーーーー、これは味わわねばなるまい。

 いったいどんな味かな、どんな料理かな……? 

 アツアツのカツ丼や脂のしたたるステーキ想像しながら、私はレストランのれんをくぐった。

「こちらが本日ランチでございます」 

 ウェイターであろう、むさくるしいヒゲを生やした中年男性料理を運んできて、わくわくをつのらせる私の前でクロッシュを取った。

 そして、現れたのは……


 まるごとのりんごである


 いや、能く見れば生ではない。

 ところどころシミのような紋が浮き出ており、全体的にしなびている。

 印象としては、リンゴ飴の飴部分を取り去ったものに近い。

 これは……


青森県五所川原市名物りんごの丸っこ漬け!!! 


 丸っこ漬けは9月下旬から行われる除袋時の落ちたふじりんご(まだ生食は無理)を活用して、翌年の田植え時のおやつ用として漬けたあおもり食の文化伝承である!!!

 生りんごを食べるようにそのままかじったり、皮をむいて切って食べる。昔は物が無く、特に田植え時の5月は収穫物の無い時なので、漬けたりんごは大切なおやつだったといわれる!(以上 http://www.umai-aomori.jp/cook/kyodoryori/densyo/104.phtml より引用

 しかも、不朽のブランドふじ」の最高級品を贅沢に使用している!!!!

 なんちゅうことや……これに比べたら山岡はんの大森靖k、もとい「大林」は天カスや……


 私が驚愕に打たれていると、ひげのウェイター(衛生のためか「M」と書かれた帽子を着用している)が気遣うようにそっと脇から付け合せのうめぼしを置いてくれた。

 客人にたいする奥ゆかしいOMOTENASHIの心、これこそCOOL JAPANの精髄である


 で、丸っこ漬けを実際食べてみると、モソモソしてるようなシャリシャリしてるような、しょっぱいような甘いような味である

 お弁当箱に入れて他の食材コンタミされたあのしなびたりんごを思い出す。

 ……こんなもんか?

 周囲を見渡してみると、右翼っぽいあんちゃんからライト左翼っぽい感じの人間まで「うめーうめー」と叫び声をあげている。

 一緒に来ていた私の夫も「いやーうまいなー、ぜひツイートしてこの感動をひろめなきゃ!」と丸っこ漬けと過疎の街五所川原市を讃えまくった。


 一方の私はといえば……

 いやまあ? 

 普通に美味しかったですけど?

 みんな二十世紀梨とか紅玉しか喰ったことないの???


 まあ個人の好みの問題でさーね。好きだと言ってる人を責めるつもりはありません。


 ちなみに参考。:

 「1964年東京オリンピック」→さくらんぼパン

 「1936年ベルリンオリンピック」→大トロ

 「1972年ミュンヘンオリンピック」→ベーグル

 「1980年モスクワオリンピック」→パピコの右半分

 「1984年ロサンゼルスオリンピック」→パピコの左半分

 「1940年東京オリンピック」→ネッシーの刺し身

   

2016-06-26

シールズ琉球スピーチを聞いて思うこと

沖縄を返してください、私たち奴隷ではないのです。」というスピーチを「痛いニュース」で読んだ。で、ずっと考えていた。なぜ、沖縄アメリカ軍基地があるのだろうかと。ぼんやりと調べまくって、外務省HP1972年にある「沖繩返還協定」の条文第3条を読んだ。

この条文には

【第3条】

1. 日本国は,1960年1月19日ワシントン署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約及びこれに関連する取極に従い,この協定の効力発生の日に,アメリカ合衆国に対し琉球諸島及び大東諸島における施設及び区域使用を許す。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1972/s47-shiryou-4-1.htm

アメリカ合衆国に対し「琉球諸島及び大東諸島における施設及び区域使用を許す。」ってちゃんと書いてあります。要するに好きに使っていいという協定を結んでいるのだからアメリカが好きに使っているのは当然のことであって、情理や心をゆさぶ感情論基地があるわけではないことがわかる。ではなぜ、この不利な協定をそのままにしているのだろうか?とスピーチすればいいのに、返してくださいと感情論で訴えても、ここ40年以上がそうだったように(感情論で訴え、成果がでなかった)、今回も成果は出ないのだろうなと思いました。

テコの原理の如く、どこを動かすと、どこが動くのかを理解したあとに動くほうが成果は出やすいです。

PS:

琉球大学研究員さんも条文と同じことを書かれています

http://yugafu-uchina.seesaa.net/article/263265726.html

沖縄県民大会価値はないのに、それを現地の知性が放置している理由がよく分かりません。その理由をお聞きしたいですね。

C.C

2016-05-06

石原慎太郎歴史捏造体質

かつては田中角栄を「金権政治」と批判していた石原慎太郎が、田中角栄の本を書いて、「角栄がいかに素晴らしい政治家だったか」を吹聴して歩いている。

そのこと自体にそれほど関心はなかったのだが、先日たまたま慎太郎

角栄は素晴らしい政治家だったのに、アメリカに逆らったから、ロッキード事件人格まで否定された」といった趣旨のことを新聞紙上でのたまっていた。

アメリカに逆らったからかどうかは置くとしても、田中角栄ロッキード事件政治生命を絶たれた、というような、雑な理解をしている人は多い。

酷いのになると、ロッキード事件のせいで首相を辞めたのだと思っている奴までいる始末だ。

ちょっと当時のことを調べれば、事はそんな単純な話ではないこと位、すぐわかるのに。

まず、「ロッキード事件のせいで首相を辞めた」は完全な間違い。

事件が発覚したのは、角栄辞任後である

太閤と呼ばれたの田中角栄総理就任したのが1972年7月。その時の支持率70はパーセントを超えたという。

その後、日中国交回復を成し遂げたあたりまでは良かったが、その後支持率は降下しはじめる。

なぜなら、自らの主導した「列島改造計画」による地価高騰やオイルショックによって引き起こったインフレ(当時「狂乱物価」といわれたらしい)に

有効対策を打てなかったからだ。

気が付けば、支持率20パーセント前後まで低迷。

そこに追い打ちをかけたのが、文芸春秋掲載された立花隆の「田中角栄研究」と児玉隆也の「悲しき越山会女王」という論文だ。

いわば「文春砲」のルーツである。まあ、こちらは「週刊文春」じゃなくて、月刊の「文芸春秋」だけれど。

ちなみに、そのひと月前には、石原慎太郎田中角栄批判論文ものっていたらしい。

もともと金政治家との評判が高かったところへ、事前の期待ほどの成果を上げず、国民失望を買いつつあった田中角栄は、

外国人記者クラブ」の会見で袋叩きにあい、その後、辞任を表明する。

アメリカ上院ロッキード事件が発覚したのは、そのあとの話である

田中角栄という人は、多分、焼け野原になった日本復興を推し進め、同時にその利益

雪に閉ざされた故郷新潟に力づくで誘導することで、首相上り詰めた人なのだろう。

そんな「コンピューター付きブルドーザー」には、

自由主義経済第2位の経済大国を率いていくためのプログラムは、組み込まれはいなかったんじゃなかろうか。

ロッキード事件があってもなくても、早番行き詰っていたのだろう。

慎太郎は、ロッキード事件角栄人格まで否定されたというが、

別にロッキード事件政界から石もて追われたとか、そんなことがあったわけではない。

まあ、朝日新聞あたりは、人格まで否定していただろうが。

ロッキード事件後も、「闇将軍」として自民党で一番結束の固さを誇る派閥を率いていたし、

中曽根康弘なんかは、その内閣があまりにも田中角栄の影響力が強すぎて、「田中曽根内閣」などと揶揄されていた。



以下、個人的な思い出になるが、田中角栄ロッキード事件の第一審で有罪判決を受けたころのことは

幼心になんとなく覚えている。

元総理の現職国会議員有罪判決を受ける」という、日本憲政史上初めてのニューステレビは沸き立っていた。

一方で、田中角栄という人は、選挙で絶大な強さを誇り、新潟三区トップ当選し、選挙民が万歳する様子も

必ずニュースで放映されていた。

自分父親は、朝日新聞を信奉して世の中をみる昭和インテリ気取りだったから、

こうしたニュースを苦々しくながめ、

「ああいうのが日本を悪くする」「新潟田舎からあんな奴がいつまでもトップ当選するのだ」などと言っていた。


田中角栄にとどめを刺したのは、ロッキード事件でもアメリカでも文春でもなく、

DAIGOのじいさん(竹下登である

将軍の下についていては、何時までたっても総理大臣になれないことに不満を持った竹下は、

田中派から独立して自分派閥(創政会)を立ち上げる。

配下裏切りに心乱れ、毎晩オールドパーを浴びるほど飲んでいた田中角栄は、創政会立ち上げの20日後、

脳梗塞に倒れる。

田中角栄の魅力の一つに、その類まれなる演説があったのだが、

脳梗塞言語障害が残った彼に、その力を再び発揮するのは不可能だった。


石原慎太郎という人は、まさに同時代政治家として生きていたのだから、こうした経緯を知らないはずはないのだが、

意図的なのか、都合のいい忘却体質なのか、こういうことを全て無視して適当なことを言う。

本人が言うだけならいいのだが、それをありがたがって拝聴するバカいるからタチが悪い。 

歴史ねつ造、というのは、主に第二次大戦以前のことについてよく言われるワードだが、

石原慎太郎角栄に関する発言を見ていると、「ああ、こうして日々新たな歴史ねつ造されていくのだな」というのが良くわかる。

自分の都合のいいことだけをとりあげて、自分理想の世界をどうしてもつくりたいのならば、

本当に「小説の中」だけにしてほしいもんだ。

せっかく政治家引退して、専業の小説家に戻ったのだから

2016-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20160415213731

夫婦1人あたりの子供の数は減少していない

完結出生児数(夫婦の最終的な平均出生子ども数)は減少している

まり夫婦の子供の数は減少している

1940年4.27人、1972年2.20人、1987年2.19人、2010年1.96人

婚姻率の減少の原因は、若い男性貧困

これは正しい

2015-09-25

新・3大競馬大番狂わせ

1919年 マンノウォー VS アップセット

マンノウォーと言えば、アメリカ史上最強馬の座と「ビッグレッド」の愛称を、セクレタリアトと共に分け合う名馬であります

マッチレース相手に100馬身差を付けて勝利したというほどの彼が、唯一負けた相手アップセットなのであります

upsetとは英語で「番狂わせ」の意でありますが、その用法が全米に広まったのが、まさに番狂わせマンノウォー勝利たこアップセットからなのであります

1970年 ニジンスキー VS ササフラ

世紀の大種牡馬ノーザンダンサーが産んだ、伝説的なバレエダンサーの名を持つ名馬、それがニジンスキーなのであります

無敗でセントレジャーSを制した彼は、晴れてイギリス三冠馬となったのでありますが、その直後の凱旋門賞においてササフラに敗れてしまったのであります

疲労のせいで負けたのではないかと言われたこから凱旋門賞と日程が近いセントレジャーへの出走はますます減り、そのためニジンスキー以降は三冠馬が出ていないのであります

1972年 ブリガディアジェラード VS ロベルト

コナン・ドイル小説主人公にちなんで名付けられた、このブリガディアジェラードという名馬は、まさにイギリス英雄だったのであります

好敵手ミルリーフを破って優勝した2000ギニーを含めてデビューから無敗の15連勝、欧州記録の16連勝に並ぶために臨んだレースで、しかロベルトに敗れ去ったのであります

これによりロベルトイギリスの全国民からまれる悪役となったのでありますが、皮肉にも種牡馬となってからロベルトの方が大活躍したのであります

というわけでこれらを新・3大競馬大番狂わせとさせていただきます

ご静聴ありがとうございました。

2015-07-26

6月23日の、報道ステーションの「日米地位協定」の報道で感じたこと

報道内容についてはこちらを参照してください。

http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/episodeID=868159/

>http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/episodeID=868159/#23118200>

2004年米軍ヘリ墜落事故、この事故日本主権に大きな疑問を投げかけた。墜落から1時間事故現場大学周辺は米軍により強制封鎖された。報道だけでなく日本当局まで閉めだされた。当時現場にいた浜川消防長は不合理とコメント。今回報道ステーションイタリア取材米軍による事故があったが対応はまったく違った。沖縄の墜落事故で障害になったのは日米地位協定の不平等日米地位協定には米軍の捜索や差し押さえには米軍同意必要規定されている。サンフランシスコ講和条約沖縄は本土から切り離されアメリカ軍政下に。1972年に本土に返還されるが基地は残ったまま。その結果沖縄日米地位協定の不平等に苦しみ続けている。米軍事故を起こしても公務中と判断されれば第一次裁判権は米側にある。民事裁判で訴えた場合米軍責任があっても日本政府賠償金の25%を負担しなくてはいけない。沖縄では先月からきょうまで1ヶ月弱で米兵11名が強盗致傷や飲酒運転などの疑いで逮捕。空を見上げても 不条理は渦巻いている。地位協定により米軍機は日本の航空法の適用外になっている。米軍自由に訓練できるのは沖縄だけでなく日本全国どこでも可能。この後紹介するドイツイタリアでは自由な飛行は許されていない。

この不平等条約改定するために何が必要なのだろうと考えながら報道ステーションを見ていたのですが、

>http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=659/episodeID=868159/#23118386>

イタリアではすべての米軍基地イタリア軍司令官管理下に置かれる。

日本も軍を持って日本軍管理下米軍基地を置けば良いんじゃないのかな?と感じました。

イタリアドイツにおいてこのような問題が発生していない及び解消していて、日本が何故解消できないのかを考えると、最も大きな違いは軍を持っていないことなのではないでしょうか。

米国との不平等関係改善するためにも米国から渡された平和憲法改正して、米国と対等な関係を築くために日本軍を保持して、日本国内米軍基地日本軍管理下に置くことで日米地位協定改定実施できないものでしょうか。

2015-02-12

御巣鷹ちょろり

流れ

7年前、バルクヘッドが割れ

やっつけで直した

事故当日、やっつけで直した箇所が吹っ飛んだ

衝撃で垂直尾翼も吹っ飛んだ

垂直尾翼には油圧4系統すべてが通っていたので、油が全部流出した

「油圧(ハイドロ)全部だめ」

しりの方向舵・昇降舵、大きい羽のスポイラ(揚力調整)・エルロン(補助翼、バルク(傾き)調整)などすべて操作不能

WIKI

事故後の日本航空[編集]

事故当時、日本航空はそれまでの半官半民の特殊会社体制から完全民営化へと移行する方針を決定していたが、本事故の影響による経営悪化安全体制経営姿勢に対する社会から批判を受けて、政府主導により抜本的な体制刷新が行われた[31]。1985年12月、当時カネボウ会長だった伊藤淳二が日航副会長に就任(後に会長へ昇格)し、経営体質の改革や長年の懸案であった同社の労働組合問題の解決に取り組むとともに「絶対安全確立」を新たな経営方針の一つとして掲げ、機付整備士制度の導入や技術研究所の設置などの施策が行われた[32]。

2006年4月24日羽田空港整備地区日本航空安全啓発センターが開設された[33]。同センターには本事故の残存機体の一部(後部圧力隔壁、垂直尾翼前側、後部胴体の一部、座席フライトデータレコーダ、コックピットボイスレコーダなど)を含め、事故に関する資料が展示されている。社内向けの施設であるが一般にも公開されており、事前に申し込みをすれば見学することができる。なお、センター内は特別場合を除き撮影禁止となっている。

747SRは日本航空がローンチカスタマーであったが、事故を受けて同型機は全て売却された。なお、スペースシャトル輸送機の改造ベースとしてJA8117を購入したNASAは受け取った機体の整備技術に敬意を表し、JALの整備部に表彰状を贈っている[34]。また、JA8118はボーイング金属疲労試験機として購入した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

類似事故事件[編集]

パンアメリカン航空845便離陸衝突事故 - ボーイング7471971年進入灯に接触し、4本の油圧配管のうち床下を走る3本を破断。ボーイング747初めての人身事故内田幹樹は著書の中で、この事故後に適切な設計変更がされていれば123便の油圧喪失は防げたのではと語っている。

アメリカン航空96便貨物ドア破損事故 - DC-101972年。飛行中貨物扉が与圧に耐えられず脱落。急減圧により床下の操縦索を損傷。このときの機長は油圧のみで操縦する第3世代の機種に不安を抱いており、油圧喪失時の操縦を研究していた。

大韓航空機撃墜事件大韓航空007便) - ボーイング7471983年INS故障ソ連領空侵犯ミサイルを発射される。ミサイル尾翼命中し操縦索や油圧系統を損傷し、急減圧が発生して緊急降下を試みたが墜落した。

ユナイテッド航空232便不時着事故 - ダグラスDC-101989年。本事故の教訓から油圧系統が全滅した場合の操縦方法を研究していたパイロットが搭乗していたため、着地は不完全であったもの空港への帰還に成功した。

アメリカン航空587便墜落事故 - エアバスA300-600R2001年。離陸直後に、方向舵の過剰操作により垂直尾翼が脱落して墜落。乗客・乗員全員と地上にいた5人が死亡し、1人が負傷した。

チャイナエアライン611便空中分解事故 - ボーイング7472002年1980年に起こしたしりもち事故で修理していた胴体後部の外壁が、金属疲労破壊され墜落した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85


対策

垂直尾翼がふっとんでもコントロールを失わない設計は可能なのか

それは実現されているのか

そうですね操縦システム誘導に関するもの、整備に関するもの、機体強度に関するものなど色々あると思いますが例えば、機体に関してですが各翼に付いている昇降舵や方向舵の油圧系統は昔、全てつながったような1系統だった為に1ヶ所が破損した場合全ての機能がアウトになりましたが、現在では右と後の組、左と後の組、などの様に2重またはそれ以上にして1ヶ所が破損した場合でも他の系統で補える様にして万が一の時でも危険性を少なくする様な設計がされているようです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11130243796

→どういう配管からどういう配管になったのか図で見てみたい

→いま垂直尾翼が吹っ飛んだとしても大丈夫なのか???

垂直尾翼がふっとばない対策としては何かなされうるのか???


その他

陰謀論寄りですが図解がわかりやす

慰霊の日 お墓参りと日航機事故 鎮魂と日航の無念|夢老い人の呟き

2015-01-25

『旅の重さ』(小説)と『スプートニクの恋人』について

http://anond.hatelabo.jp/20150122235652

村上春樹の『スプートニクの恋人』に『旅の重さ』という映画と似た部分があるという話。

そもそもこの映画素九鬼子という作家の同名小説『旅の重さ』(1972年)が原作になっている。2つの小説を比べてからものをいったほうがよいだろう。

スプートニクの恋人』と映画『旅の重さ』のモチーフに重なる部分があるといえばあるのだけど、『スプートニクの恋人』を原作小説『旅の重さ』の該当部分と比べると、そんなに似てはいないと思う。


問題になるのは2つの場面:

1.大人の女である役者とまだ少女主人公が、裸で海水浴をする場面。

2.旅役者の女と主人公が身体を合わせる場面。


1.大人の女である役者とまだ少女主人公が、裸で海水浴をする場面。

映画では旅役者の政子が「ねえ、泳ごうか」と、主人子を誘って海へ入ることになっているが、原作小説では逆で、主人公が政子を誘って海へ入る。政子の奔放さのほうが強調された形になっている。


映画該当部分:

http://youtu.be/cVxXT7S4G0I?t=40m13s


原作小説該当部分:

政子とちうこの女は、わたしに旅役者にだけはなるなと言うの。[…]

 わたしはこの女をさそって海へ行ったの。女は海水着を持ってないので、パンツひとつで水にとびこんだわ。わたしも真似をしてパンツひとつ彼女の後に続いたの。彼女の泳ぎの上手いことは、とてもわたしやママの比じゃないわ。もぐりだろうと背泳ぎだろうと何でもござれなの。泳いでいるうちに長い髪がとけて背や胸にまつわりついてね、人魚のようだと言うと、可愛らしいことを言ってくれるねえだって。女があまり遠くへ行くので、わたしは怖くなって退却したの。砂に腹這いになって小さくなった女の姿を眺めていたの。[…]

やがて女は戻ってきたわ。わたしは改めて女の胸の豊かさに目を見張ったわ。それから無意識にじぶんの胸を両手でかくしたの。あまりの貧弱さにじぶんがかなしくなってきてね。すると女は、かくさんでもええがねえ、と言ってわたしの手を力いっぱい引張るの。それから女はこんなことを言ったの。あんた、二十じゃと言うたんは嘘じゃろ。その体付をみたらわかるこっちゃないの。ほやきんど心配せんどきよ。そななことはちょっともどうちゅうことあれへんのじゃけんね。――

素九鬼子, 『旅の重さ』, 筑摩書房, 1972, pp.83-84)




2.旅役者の女と主人公が身体を合わせる場面。

映画では二人が体を合わせるのは一度だけ、だが原作小説では、二度である



映画該当部分:

http://youtu.be/cVxXT7S4G0I?t=51m18s


原作小説該当部分:

つのまにやら女はわたしを抱いたままで草の上に横になっていたわ。ふたりはお互の肌を愛撫し合い、唇と唇を合せていたの。女の煙草の味のする唇を激しくなめると、女は力の入った手をわたしのズボンの中に入れたの。わたしは女の乳房に顔を埋めていたの。性欲の火花がこみ上げてきて、わたしは泣きじゃくったわ。ふたりの体に性欲の稲光が充電し合い、だんだんと激しい落雷となっていったわ。それから陶酔に焼焦がされたふたつの体がひきつったまま、青草の上にひとつになってころがっていたの。

(p.108)

 とうとうふたりは二日前のあの藁ぐろまでやってきたわ。それからふたりは例の如くにもつれて倒れたわ。政子の力をこめた指の乱暴な痙攣が青空を泳ぐ。剥げかかったマニキュアが、しおれた花びらのように大空でもがいている。

 ここでも、わたしはじぶんの無力をいやというほど感じさせられたの。政子がわたしの体の上で身をよじっているとき、わたしはただ彼女の呻きの澄切った声と、重くてしなやかな足のくねりと、宙をあえぐ細い長い指と、わたしの唇をこすりながら揺れ踊る巨大な乳房とに圧倒されていたの。

pp.115-116)




『旅の重さ』という小説映画も、いまでは殆ど忘れられており、つくられた時代相応の古さを感じさせるが、なかなか素敵だと思う。この映画が『スプートニクの恋人』にどこか似た部分を感じさせるとすれば、この映画が公開された70年台初頭の空気村上春樹という作家小説がどこかに残しているということではないのかな。

2015-01-22

『旅の重さ』と『スプートニクの恋人

最近70年代日本映画が好きで、よく観る。

映っている風景とか、生活とか、人間関係を眺めていると、いまの日本よりもゆったりしているというか、こまやかなところがあって、懐かしいというか、そこはかとなく憧れを持ってしまう感じだ。



『旅の重さ』という1972年作品は、母子家庭から家出した主人公(女)が、四国お遍路さんをしながら、いろいろな人と出会っていく話だ。

少女と大人の女の中間にいるような主人公の独特なありかたを描こうとしているようで、当時としてはかなりきわどかっただろう性的描写もある。



とくに印象的だったのは、旅芸人の一座と合流した主人公が、女優の一人と海水浴をするシーンだ。

奔放な大人の女という感じの女優が、人気のない入江へ走って行って、服を脱ぎ捨てて海に入っていく。

主人公最初のうちは戸惑っているのだけれど、やがて自分パンツ一枚になって、海に入って二人で遊ぶ。

その後、主人公女優にすっかり心を打ち明けて、泣きながら抱きつくうちに、二人は身体を重ねる。



この一連の流れを観ていて、村上春樹の『スプートニクの恋人』が思い浮かんだ。

すみれは憧れのミュウギリシアの島に行って、全裸海水浴をする。

結局上手くいかないのだけれど、すみれミュウと身体を重ねようとして、一夜を過ごす。



この映画小説の一部分に出てくるレズビアン的な関係は、細かいところは違っているはずなのに、全体的な雰囲気としてはとてもよく似ているように感じる。

村上さんは若い頃『旅の重さ』を観て、後年にこのイメージがどこか心の片隅に残っていたということはなかったのだろうか。

こういう影響関係は、だれか研究している人がいたりするのだろうか。

知っている人がいたら教えて欲しいと思った。

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

ヒロイン

ほとんどの場合ラノベヒロイン必要不可欠である水島飯田は主張する。反例はもちろんあるが、ヒロインを据えたラノベがそうでないラノベよりも圧倒的に多いことは事実である

このヒロインについて、水島は「フラッグシップヒロイン」という独自単語を用いて説明している。フラッグシップヒロインとは、その出会いによって、主人公は平凡な日常から日常へと放り込まれる、という点で特徴を持つヒロインである水島はこのフラッグシップヒロインは一人であるべきで、また傍若無人タイプが好ましいと言う。日常が非日常へと変わるのは多くの物語で最初の1度であり、従ってそういった存在は必然的に一人であらざるをえないと言えること、前述の人物間のギャップを想定する場合ヒロイン傍若無人であるならば主人公は面倒見のいい親切な人物となり、このような人格は読者の倫理観を満足させやすく、ゆえに感情移入させやすい、という点で効率的である。ゆえにこの水島の指摘はこれまでの内容とも矛盾しない。

一部の例外を除いて、ヒロイン主人公に惚れなければならない。榎本はヒロイン主人公に惚れる理由はしっかりと、読者に分かる形で描写するべきだという。一目惚れ場合は「外見に惚れ、次に魂に惚れなおす」という形で段階を分けるべきだとする。

突如登場したこの「魂」についての説明は一切ないが、筆者が理解する限り、この「惚れる理由」や「魂」とは主人公の「行為」であり、精神的な何かではない。

クーンツ登場人物個性とは「行為」によって示されるべきだと言う。これは例えばヒロインは優しい性格の持ち主だ、と説明することよりも、読者がヒロインを優しい性格だと感じる行為描写することの方が好ましい、という指摘である

中の人物はテレパシー能力が無い限り他人の思考を読み取ることはできず、その人物設定の書かれた地の文を読むこともできない。ゆえにその行為によってのみ、どういう人物であるかを理解していくことになる。もちろんクーンツや榎本が指摘するように、それらの行為には動機必要である。現実と異なり、なんとなくで登場人物が行動していくことは読者は作家の思考放棄であり、ご都合主義だとみなす。

従って主人公ヒロインが惚れるに足る行為をなさねばならず、それは作中で明示的に描写されなければならない。

さらに、この指摘は主人公ヒロインに惚れることについてもまったく同じである美少女であるツンデレであるといった属性があるから主人公が惚れるのではなく、当該人物の行為によって主人公は惚れる必要があるのであり、さらにその行為が読者にとっても惚れうるものであればこそ、魅力的なヒロインとして意識づけられるものだろう。

登場人物オリジナリティ

水島登場人物オリジナリティなど不要であり、パクればいいとする。一方で五代/榊はそれを「チグハグで安っぽいもの」と批判する。両者の主張は実のところ特に対立するものではない。

西谷は次のような指摘をしている。

ライトノベル作家を目指している人の原稿を読むと、大ヒットした小説に登場したキャラクター名前だけを変えて自分小説に登場させ、自分ではそれに気がついていないことが多いのです

五代/榊が批判しているのはまさにこうした模倣だと筆者は考えている。水島意識的に模倣しており、さらにそれはバレないようにするべきだ、と言う。バレない模倣とは一体なにかについて水島特に踏み込まないが、この点で大塚既存キャラクター抽象化し、別の値で具体化することが正しい模倣だという。例えばオッドアイという属性を「左右で異なる目を持つ」と捉え、そこから「左右で見える世界が違う」と具体化する。

確かにこれは既製品の加工、変形に過ぎない。ゆえに大塚オリジナリティとは「パターンの組み合わせ」「パターンの再発見なのだとする。この2つは、クーンツの「われわれは古い物語の要素を新しく配列し直しているだけなのだ」という指摘、また榎本の「オリジナリティとは「全く新しいもの」ではなく「読者たちが知らないもの、見たことのないもの」の呼び名だ」という指摘を端的に表していると言えるだろう。

一方、様々な属性ランダムに組み合わせ、新たなパターンの組み合わせを発見しようというワナビは珍しいものではない。スクール水着巫女の組み合わせはこれまでにない!オリジナリティだ!といったそれに対し、大塚は「設定の上だけで奇をてらった個性オリジナリティを追求しても意味がない」と指摘する。

繰り返しになるが、大塚はそれが「主題」と深く結びついていることが必要不可欠であるとする。主題関係性を持たせられず、物語上の必然性もない「オリジナル属性」に価値は無いと言っていいだろう。

プロット

プロットについての学術定義としては例えばフォースターが有名であるが、それらを踏まえてプロット定義明確化した文献はフィールドぐらいしか確認できなかった。

よって本稿においては各説の最大公約数的に機能する定義として、「世界」や「登場人物」の変化を「出来事」とした上で、プロットとは「出来事配列」と定義することとした。

さてこの「プロット」について論じるにあたっては、当然ながらプロット不要論と向き合わねばならない。

プロットに重きを置かない理由はふたつある。第一に、そもそも人生に筋書きなどないから。第二に、プロットを練るのと、ストーリーが自然と生まれ出るのは、相矛盾することだから

キングはこのようにプロットを練る必要などないとする。

このキングの著作を高く評価し、手本としても例に挙げているクーンツプロットに関して次のように述べている。

作家にとって望ましいのは、ただひたすら登場人物たちの進んでいく方向に、ストーリーを方向づけていくことであるというのだ。どこやらあいまいなこの方法に従えば、より「自然」なプロットが得られるというのだ。ばかげた話である

作家登場人物小説の方向や狙いをすべてまかせてしまえば、必ずみじめな結果におわる。

ただしクーンツもごく一部の天才であればプロットを練らずとも名作を書きうるだろうとしていることは事実である。よってキングをその例外であるとすれば上記の見解の相違は回避可能となる。

ところが同様にプロットなど考えたりしないという主張は、例えば宮部みゆきや五代によっても主張されている。彼女らがクーンツより文才溢れる天才であり、キングと同格なのだとすることはさすがに暴論であろう。

しかしここでもこれは単なる手順上の相違に過ぎないと筆者は考えている。

まずキングは「原稿を寝かせる」ことを非常に重視している。書き終えた原稿キングは6週間寝かせるが、それは「プロットキャラクターの穴がよく見えるようになる」からだという。こうしてプロットの欠陥を認識し、書き直し、そしてまた6週間寝かせる。キングは欠陥を認識しなくなるまでこれを繰り返す。

確かにキングプロットを事前に練っていないが、これは推敲における徹底したプロットの練り直しに他ならない。もちろんキングが筆の赴くままに書いてもそれなりの内容を書くことができる、という前提はあるだろう。しかキングもまたプロットを最終的に納得いくまで練り込んでいるという事実は、単純にプロットなど不要だとする主張とは明らかに一線を画している。

宮部もまた、書き終えた後での推敲段階で物語の全面改稿を含む大幅な変更がありうること、よって発表後の現行を改訂できない連載小説などは「よく失敗」すると自嘲し、従って自分のやり方は非効率であるから真似するべきではない、と述べている。

このように彼らの意見をまとめると、プロットを先に練って書くことは確かに必須ではないが、それはプロットを練らないことを意味するものではなく、推敲段階で徹底して練り直さねばならない、ということと理解できる。先にプロットを練ることの効果は後で練るより執筆量の少ない段階で修正できることにあり、効率が良いという点に集約できるだろう。

プロットの手順

以上のように整理したところで、ではプロットを練ればそれだけで自動的に良いプロットになるのか、といえばそうではない。重要なのは魅力的なプロットを作り上げることで、練るという行為それ自体ではない。

練り方という点でラノベ作家陣は様々な「プロットの作り方」を提案している。その内容には「どのように作るか」という手順と「どのようなプロットであるべきか」という構造についての両方の側面があり、極端に言えば前者についてはどうでもよく、明確に意識するべきは後者であると筆者は考える。

従って手順について詳細に踏み込む必要は無いと考えているが、似て非なる様々な内容が提案されている点を簡単に紹介したい。

キング同様、西谷は「最初のシーンから順に次のシーンへと書いていく」というシンプルプロット作成手順を提案しており、そのメリットスケールの大きい物語ができること、デメリット時間がかかることだとしている。

他方、西谷は「主題をもとにして最初のシーンを考え、次にクライマックスとなるシーンを考え、その両者をつなぐシーンを考えていく」という手順も提案している。こちらは前者より物語構造を決めやすく、早く書き上げられる手順だという((この指摘はプロット不要に関する筆者の解釈とも合致するところである))。

水島の提案はこの西谷後者の説に類似しているが、「ヒロイン出会う事で主人公の平凡な日常がどのように変化するのか」「クライマックスで何をするのか」「ラストはどのように終わるのか」を最初に決め、次にその間を繋ぐ出来事を作っていくとするものである

榎本は「(人物)が(行動)をして、(結果)になる」を最小プロットとして位置づける。その上で登場人物たちの目的、遭遇する事件葛藤、対立、成長といった要素を盛り込みつつ、まず200字で作成するという。200字で納得のいくものが作れたら次に400字、800字と同様に徐々に増やしていく。これによって効率的プロット作成できるとしている。

大塚は上記とは全く異なり、下記の項目それぞれについて、暗示的な意味を付したカードオリジナルでもタロットのような既製品でも問題ない)をランダムに割り振ることでプロット作成できるとする。

割り振られたカードの暗示から想像を膨らませることで具体化するという。また、これとは別にグレマスの行為モデル主体、援助者、敵対者、送り手、対象受け手の6種の役割をもつ人や物によって物語構造化できるとする説)によってもプロットは作れるとしている。

これ以外ではさら物理的な手順への言及もあり、例えば榎本は単語帳やExcelで各アイディアカード化してこれらを並べ替えながら考えるのだとしていたり、大塚も場面単位で時刻、場所、人物、行動をカードに書き、それを時間軸に沿って並べて考えるのだ、としている。最後1972年初版であるクーンツの指摘を挙げて本項を終わる。

プロットカードとかストーリー構成リストとかの奇妙な発明品は、どれもかつて、作家アイディアを得るための手助けをすると称して売られたものであり、この手のもの現在もなお売られている。が、実際のところ、そんなものはまともな作家にとって、まったく無価値に等しい。


プロット構造

ラノベ作家陣によるプロット構造に対する言及曖昧なものが多く、またまとまった説明になっていないものが少なくない。

いくつか断片的にこの点について言及している部分を拾い上げると、例えば西谷は「キャラクターに新鮮みがあること」「魅力的なストーリーであること」「類似作品差別化できていること」といった要件を上げており、「魅力的なストーリー」とは何かという点については「主人公に苦労させる」「強い悪役を出す」「魅力的な仲間を出す」「新しい場所を訪ねる」としている。作中でそれぞれの出来事の起こる順番への言及特にない。

水島は順序について言及しているが、「タイトルも含めて最初に読者をツカむ」「ラストシーン一歩手前で盛り上がる」「ラストは短くだらだらせず、良い読後感を与える」「それ以外は読者が飽きないよう時々盛り上がるようにする」というもので、具体性に乏しいと言わざるを得ない。

あえて言えば「どんでん返し」と「天丼」への言及があり、「どんでん返し」はクライマックスの決着、直前、ラストシーン最後のいずれかに位置することで効果的に機能するが、当たれば評価を大きく上げるが外れると大きく下げる点に注意が必要だとしている。「天丼」は意外性があり、重要なことを最初は大袈裟に、二回目は間を空けた上でぼそっということで効果的に機能するとしている。

確かにこれらの要素は盛り上げるための1つの技術ではあるだろうが、プロット構造における要素とは言い難い。

さて、榎本は次のような構造プロットが持つことが望ましいとする。

クーンツもまた、古典的プロット成功パターンとして以下のようなプロット構造を推奨する。

念のため触れておくとクーンツミステリにはまた注意すべきプロット上の必須要素があるとして、それを15項目に別にまとめている。つまり上記だけであらゆるジャンルプロット必要十分条件であるとしているわけではなく、様々なジャンル必要十分条件最大公約数として機能するのだ、という指摘であると筆者は解釈している。

大塚プロット構造については後述するヒックスのそれが参考になるとして作中で丸ごと引用している。しかし同時にプロット本質的構造アラン・ダンデスを参考に「主人公の欠落が明かされる」「主人公は欠落の回復目的とする」「主人公は欠落を回復する」の三段階であるとしており、これは榎本やクーンツの主張をさら抽象化したものだと言いうるだろう。

ところでクーンツの主張するプロット構造は「三幕構成」と呼ばれるものである((三幕構成とは序破急であるという言説はラノベ作家の本でもよく見かけるのだが、あれは世阿弥風姿花伝における序破急概念を正確に理解した上でそう言っているのだろうか。まさか読んだこと無いけど字面的にたぶん同じだろといった糞みたいな思考で「教科書」と自称するものを書いているはずはないので、風姿花伝の解説書、待ってます))。榎本は「起承転結」を用いて説明するが、上記のように両者はそれほど乖離したものではない。この三幕構成はとりわけハリウッド映画脚本原則として確立されており、その端緒ともいうべきフィールド、そして大塚乙一などが参照するヒックスについて本稿では整理する。

フィールドプロット理想的構造を三幕構成によって説明する。三幕構成とはあらゆる物語はAct1, Act2, Act3の3つに分割可能だとする考え方である(その意味でいえばクーンツもまた「クーンツの三幕構成」というべき独自の三幕構成を定義しているというべきである)。これはパラダイムであり、ゆえに三幕構成は史上最高傑作にもメアリー・スーにも等しく存在する。

フィールドはこの三幕構成を下敷きに、次のような役割を持つ出来事が順に配列されることが望ましいとしている。

PlotPoint1と2はそれぞれ各Actの最後に、次のActへの橋渡しとなる機能が求められている。またMidPointはConfrontationの真ん中で起こることが望ましいされている。さらにはそれぞれのActはいずれも小さな三幕構成で出来ており、すなわちフラクタル構造であることが望ましいという(フラクタル構造への言及は榎本なども指摘するところである)。

映画脚本における理論であることからフィールドはMidPointが上映時間のちょうど中央で起きることが望ましい、としている。

クーンツがあげる「ついに最悪の事態に陥る」はMidPointのようにも思われるが、クライマックスのようにも思われ、それが作中の後ろにあるのか中央にあるのか言及がないため、判断しかねるところである。これに対してフィールドは明確にそれを作品中央で発生するべきだ、としている点で、クーンツのそれをもう一歩先に進めたものだと言いうるだろう。

なお、MidPointは必ずしも派手なものである必要は無い。例えば映画マトリックス」におけるMidPointはネオ救世主ではないとオラクルに告げられる場面である。争いの無い静かな場面であり、生命の危機に直面しているわけではない。しか物語をこれまで動かしてきた大前提崩壊した瞬間である。MidPointはこのようにもはや後戻りができず、先の絶望的状況の回避方法が読者に容易に想像できない出来事であることが期待されているものであり、派手な出来事 Permalink | 記事への反応(1) | 20:47

2014-11-18

佐藤優創価学会平和主義」を読んだ。佐藤優にしてはつまらないと思うが、物語としては面白く読んだ。


集団的自衛権の話があったので、個人的公明党には興味を持っていた。

公明党護憲だったはずなのに今回は解釈改憲に協力したので、いろいろ批判もされていたが

その実態はけして「与党椅子が惜しくて自民迎合した」というような単純なものではなかったらしい。

公明党側が意図したのは、閣議決定と従来の政府見解1972年見解)との論理的整合性を取ること、

言い方を変えれば、閣議決定1972年見解から逸脱させないことだった。


そもそも「改憲は難しいので解釈変更で代用する」というのが安倍首相の目論見だったが

それに対して公明党は、内閣法制局を抱き込んでギリギリまで閣議決定を骨抜きにした上で

「これは従前の政府見解基本的論理を変更するものではない。そもそも基本的論理にかかわる解釈変更は行えないし、その場合改憲必要

とぶちあげた。

安保関連法案は来年以降だからまだ最終的な結論は出ていないが、

現状では集団的自衛権は確かに骨抜きにされているように見えるし、

骨抜きにされてなお強行した安倍首相の異様さばかりが際立っている。


佐藤優はこれを「安倍首相トラウマ」と評している。

偉大な祖父・岸信介が果たせなかった「米国と対等の国になる」という悲願に憑かれているのだと。

そのきわめて個人的妄執に憑かれ暴走する安倍首相掣肘できたのは、

民主でも社民でもなくもちろん共産でもなく、公明党だけだった。


残念に思うのは、

選挙がどうなるのかわからないけど、どう転んだところで

安保関連法案の審議で社民共産がなんらかの役割を果たすことはないだろうということだ。

「たしか野党必要です」そのとおり。

しか共産党は結局のところ夢想的な理想主義に閉じこもってなんら現実にかかわろうとしなかった。

一方、政教一致カルト政党揶揄され続けた公明党は、解釈改憲に協力しながらそれを骨抜きにするという泥臭い闘争を選んだ。

どちらが「たしか野党」だったか、考えるだけ空しい。

2014-07-04

日本音響研究所がやっぱり怪しい件

先日ちょっと話題になっていた、日本音響研究所が怪しい件。

NHK だけでなく、他のマスコミも以前から音声関係の事案についてはここへコメントを求めることが多い。

自分も上の指摘を読んで気になって、調べてみると怪しい点がいくつも出てきたのでまとめておく。

元所長の怪しさ

ここの元所長である鈴木松美氏についての Wikipedia 記事を見てみると、無料サイト作成サービスを利用した新しい妙なサイトリンクが貼ってある。どうも有限会社日本音響研究所を辞めた後で、似たような名称の「音響研究所」なるものを独り立ち上げたらしい。

そして Wikipedia「鈴木松美」の変更履歴ノートを見てみると、最近の、実に味わい深い編集合戦の様子が見られる。

まず Master jal と名乗るアカウントが、2013-08-21に「2012年9月日本音響研究所を退社。」と、何のソースもなしに書き込む。この後、IP 118.6.184.30 の人と Master jal がお互いの記述を削除したり書き換えるという編集合戦が始まる。

Master jal に「元日本音研究所所長」「日本音響研究所を退社」という記述を書き込まれるたびに、前者を「現在音響研究所所長」と書き換えて、かつ後者記述を削除する行為を続けていた IP 118.6.184.30 の人は、なんと自らが鈴木松美氏本人だとここで明言しているのだが、その本人がアダム・スミス大学の記事にあった「ディプロマミル」へのリンクと、「ミシガン州による、公式ディプロマミルリスト」へのリンクを削除しているのが分かる。履歴を見れば丸分かりなのだが、アダム・スミス大学ディプロマミル学位を金で買える実体のない大学)だと知られたくないのだろうか。

この2者に加え、もう1つ MasterOnken と名乗るアカウント編集合戦に加わっているが、このアカウントは前述した鈴木松美氏の新サイトアドレスを何のソースもなく連絡先として唐突に書き込んでおり、加えて編集内容から察するに IP 118.6.184.30 と同一人物(=鈴木松美氏本人)ではないかと思われる。他にも同様の指摘をしている方がいた。

Master jal の正体は分からなかったが、この Wikipedia 編集合戦2013年9月から10月にかけて繰り広げられ、一時は記事が保護対象になっていたようだ。

さらWeb検索してみると、2000 年代2ちゃんねる無線板で「ファントム」という荒らしがたびたび鈴木松美氏を一方的糾弾していたことが分かった。松美氏のアマチュア無線行為(真偽不明)の非難と、肩書にあるアダム・スミス大学ディプロマミルだという指摘をしていたが、いかんせんこの人物は糾弾コピペマルチポストしまくって荒らし報告されていたようなので、信頼性マイナスである。なお、Wikipedia編集合戦はこの当時からあったようで、経歴に書き込まれるディプロマミルについての記述を頻繁に削除していた IP アカウントが見られる(例えばこれとか)。

ちなみに音声分析・声紋鑑定の分野では、元科警研副所長の鈴木隆雄という方がいるらしい。同じ鈴木姓なので鈴木松美氏と混同されがちだが、まったくの別人である鈴木隆雄氏の WikipediaWebサイトを見る限り、こちらは実にそれなりの経歴をもち、まともなメンバーと一緒に活動しているようだ。隆雄氏の鑑定実績と、松美氏が過去分析したという事件事故リストを見ると色々と被っているが、公的に鑑定をしていたのは隆雄氏らしい。松美氏の Wikipedia 記事の履歴を見ると、鈴木隆雄氏の名前記述されたことも何度かあるようだが、なぜかその後すべて削除されていた。

なお、これとはまた別の鈴木姓の音声科学専門家鈴木誠史という方もおり、こちらは元郵政省通信総合研究所(現・情報通信研究機構所長を務めた人物なので、混同に注意。

昔の詳しいことは不明だが、以下のような映像が残っているということは、松美氏にも事件事故時の音声分析はそれなりにできていたの……かな。

――と思ったのだが、アキノ暗殺事件については Wikipediaこの版この版を見ると、結局正式証拠としては採用されなかったのだろうか? という疑問が浮かぶ。誰か詳しい人、教えて下さい。

現在日本音響研究所の怪しさ

不思議なのが、現在日本音響研究所サイトを見ると、退任したとはいえ松美氏の名前がどこにもないこと。サイトで紹介している著書などは松美氏の著作なのだが、そこには著者である松美氏の名が出ていない。何かあったのだろうか。2013年こういう怪情報が出ているが、真偽は不明。

ちなみに松美氏の息子で現所長の鈴木創氏の経歴は、旧サイトのスタッフ紹介ページで見ることができる。こちらには現サイトには書かれていないアダム・スミス大学名前がばっちりと載っている。

日本大学 文理学部 応用物理学卒業

Adam Smith University 理学研究科 修士課程

Adam Smith University 理学研究科 博士課程

Adam Smith University 心理学研究科 博士課程

スタッフ吉田靖氏も、同じく旧サイトの紹介ページにある経歴にアダム・スミス大学名前が。すでに修士号を持っているのならそれで十分な気もするが。

武蔵工業大学 人間工学部 人間工学卒業

武蔵工業大学 人間工学部 人間工学修士課程

Adam Smith University 工学研究科 博士課程

2014-06-16

世界で起きていること

ウクライナ内戦は、1991年ソ連崩壊時に確定した国境の否定

イラク内戦は、1918年第一次世界大戦終結時にイギリスフランスによって引かれた国境の否定

中国尖閣諸島への圧迫は、1951年サンフランシスコ講和条約締結時に条約参加国(実質米国)によって引かれた国境の否定

(そして中国沖縄への主張は、1972年米国による沖縄返還の否定)

今起きてることは、過去100年の歴史の結果への異議申し立て活動ですかね。米国内の世論財政状況によって、米国モンロー主義に傾かざるを得ないのを見ての動きでしょうか。

2014-04-23

メンヘラ時代が来る!!!!!!

ロスジェネ1972年~82年生まれ)系のメンヘラ男は、尊大で批判的で始終イライラと当たり散らしてる系と、対人関係回避した結果として貧困孤独に苛まれている系がいる。合併例もある。しかしあくまで「男性的な性格」だ。

さとり世代1987年~97年生まれ)系のメンヘラ男は、女性化が著しいと感じる。特徴的なのは異性から見た性的価値自己客体化。ロスジェネ男は「男は金を稼ぎ、女は体を売る」という旧来的な価値観で途中まで育っていながら、不況により突然放り出されてロールモデル不在の絶望を味わった世代だが、さとり男は最初から「男も稼げるとは限らない」という環境で育っている。稼げる男が勝ち組に限られてしまった今の時代、並~並以下の男たちはどうやって自分という人間の"需要"を確保するか?という難題を突き付けられた。その結果としての「対同性コミュ力偏重文化」と、「女性から見てオレの性的価値ってどうよ?」という性的価値自己客体化だ。コミュ力重視と性的価値の客体化は元々女性的な特徴であり、同年代女性も似たような価値観を維持していることからさとり世代には「総女性化」が起きていると思われる。さとり男の見た目が「男の娘」になっているという話ではない。異性の求める姿に己を最適化し、自己主張の強い生き方を「ダサい」「イタい」とする潮流だ。大学生活板発祥の「まじめ系クズ」などの造語からも、「いわゆる女性的な依存心」を持つ若い男性の姿が透けて見える。

結果として若者の多いインターネットでは、典型的な女メンヘラのとるような行動を取ってしまさとり世代の男が散見される事態となっている。ツイートを見ているだけでは、病んで不安定になっている若い女にしか見えないが、書いているのは男。そういう傾向があらわれだしている。彼らは女性化することで、男性的攻撃性・回避志向を持つロスジェネよりも仲間を作りやすいが、根本にある依存心と不安が彼らを内側から苦しめ続ける。

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