はてなキーワード: 大韓航空機撃墜事件とは
2011年(東日本大震災)や1945年(第二次世界大戦)を不謹慎だという連中に全てにぶちぎれた増田がすべての年を不謹慎の年と扱うリスト
それがオールアンラーッキーイアーズ(All anrakki iaazu)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
年 | 出来事 | 年 | 出来事 | |
2023 | 岸田文雄襲撃事件(まだ6月なので) | 1993 | 北海道南西沖地震 | |
2022 | ロシア・ウクライナ | 1992 | ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 | |
2021 | スエズ運河封鎖事故 | 1991 | 電通事件 | |
2020 | コロナウィルス | 1990 | イトマン事件 | |
2019 | 京都アニメーション放火殺人事件 | 1989 | エクソンバルディーズ号原油流出事故 | |
2018 | 福岡IT講師殺害事件 | 1988 | 東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 | |
2017 | WannaCry | 1987 | ブラックマンデー | |
2016 | 相模原障害者施設殺傷事件 | 1986 | チェルノブイリ原子力発電所事故 | |
2015 | ISIL | 1985 | 日本航空123便墜落事故 | |
2014 | マレーシア航空17便撃墜事件 | 1984 | ボパール化学工場事故 | |
2013 | ロシア隕石落下 | 1983 | 大韓航空機撃墜事件 | |
2012 | 大津市中2いじめ自殺事件 | 1982 | ホテルニュージャパン火災 | |
2011 | 東日本大震災 | 1981 | 戸塚ヨットスクール事件 | |
2010 | sengoku38 | 1980 | ジョン・レノン銃殺事件 | |
2009 | 中央電視台電視文化センター火災 | 1979 | スリーマイル島原子力発電所メルトダウン | |
2008 | リーマン・ショック | 1978 | 制服警官女子大生殺人事件 | |
2007 | バージニア工科大学銃乱射事件 | 1977 | テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 | |
2006 | シンドラー・エレベーター | 1976 | ロッキード事件 | |
2005 | JR福知山線脱線事故 | 1975 | クアラルンプール事件 | |
2004 | 新潟県中越地震 | 1974 | ウォーターゲート事件 | |
2003 | コロンビア号空中分解事故 | 1973 | 大場政夫死去 | |
2002 | 日本人拉致問題 | 1972 | 血の日曜日事件 | |
2001 | アメリカ同時多発テロ事件 | 1971 | 全日空機雫石衝突事故 | |
2000 | 西鉄バスジャック事件 | 1970 | よど号ハイジャック事件 | |
1999 | 東海村JCO臨界事故 | 1969 | アポロ病 | |
1998 | エシェデ鉄道事故 | 1968 | 黒い赤ちゃん | |
1997 | ポケモンショック | 1967 | 四大公害病 | |
1996 | トランス・ワールド航空800便墜落事故 | 1966 | 黒い霧事件 | |
1995 | 阪神・淡路大震災 | 1965 | 第二次印パ戦争 | |
1994 | 中華航空140便墜落事故 | 1964 | ブルーボーイ事件 |
一部はツッコミどころとして用意したんだけど、その割には例示してくんないので代わりにだしてやるヨ
ただ今後はちゃんと例示するように
東側がどんどん衰退していった80年代に冷戦まっただ中感なんかないです。せいぜいモスクワ五輪とロサンゼルス五輪のボイコット合戦くらい。すでに日中平和友好条約は結ばれているし、ソ連はブレジネフ長期政権が終わってからアンドロポフ、チェルネンコと立て続けに死んで迷走気味になっていたし、当時の戦争と言えばイラン・イラク戦争。日本国内の左翼の活動も衰退気味。80年代にあった緊張感ある出来事なんて大韓航空機撃墜事件と大韓航空機爆破事件くらいのもの。特に金賢姫が逮捕されて北朝鮮による日本人拉致問題の手がかりとなった大韓航空機爆破事件などは北朝鮮の実態が見えるきっかけとなったので、終わりよりも始まりの印象の方が強い出来事でした。
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やっつけで直した
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事故当日、やっつけで直した箇所が吹っ飛んだ
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衝撃で垂直尾翼も吹っ飛んだ
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垂直尾翼には油圧4系統すべてが通っていたので、油が全部流出した
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「油圧(ハイドロ)全部だめ」
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おしりの方向舵・昇降舵、大きい羽のスポイラ(揚力調整)・エルロン(補助翼、バルク(傾き)調整)などすべて操作不能
事故当時、日本航空はそれまでの半官半民の特殊会社体制から完全民営化へと移行する方針を決定していたが、本事故の影響による経営の悪化、安全体制や経営姿勢に対する社会からの批判を受けて、政府主導により抜本的な体制の刷新が行われた[31]。1985年12月、当時カネボウの会長だった伊藤淳二が日航副会長に就任(後に会長へ昇格)し、経営体質の改革や長年の懸案であった同社の労働組合問題の解決に取り組むとともに「絶対安全の確立」を新たな経営方針の一つとして掲げ、機付整備士制度の導入や技術研究所の設置などの施策が行われた[32]。
2006年4月24日、羽田空港整備地区に日本航空安全啓発センターが開設された[33]。同センターには本事故の残存機体の一部(後部圧力隔壁、垂直尾翼前側、後部胴体の一部、座席、フライトデータレコーダ、コックピットボイスレコーダなど)を含め、事故に関する資料が展示されている。社内向けの施設であるが一般にも公開されており、事前に申し込みをすれば見学することができる。なお、センター内は特別の場合を除き撮影禁止となっている。
747SRは日本航空がローンチカスタマーであったが、事故を受けて同型機は全て売却された。なお、スペースシャトル輸送機の改造ベースとしてJA8117を購入したNASAは受け取った機体の整備技術に敬意を表し、JALの整備部に表彰状を贈っている[34]。また、JA8118はボーイングが金属疲労試験機として購入した。
パンアメリカン航空845便離陸衝突事故 - ボーイング747、1971年。進入灯に接触し、4本の油圧配管のうち床下を走る3本を破断。ボーイング747初めての人身事故。内田幹樹は著書の中で、この事故後に適切な設計変更がされていれば123便の油圧喪失は防げたのではと語っている。
アメリカン航空96便貨物ドア破損事故 - DC-10、1972年。飛行中貨物扉が与圧に耐えられず脱落。急減圧により床下の操縦索を損傷。このときの機長は油圧のみで操縦する第3世代の機種に不安を抱いており、油圧喪失時の操縦を研究していた。
大韓航空機撃墜事件(大韓航空007便) - ボーイング747、1983年。INSの故障でソ連を領空侵犯しミサイルを発射される。ミサイルは尾翼に命中し操縦索や油圧系統を損傷し、急減圧が発生して緊急降下を試みたが墜落した。
ユナイテッド航空232便不時着事故 - ダグラスDC-10、1989年。本事故の教訓から油圧系統が全滅した場合の操縦方法を研究していたパイロットが搭乗していたため、着地は不完全であったものの空港への帰還に成功した。
アメリカン航空587便墜落事故 - エアバスA300-600R、2001年。離陸直後に、方向舵の過剰操作により垂直尾翼が脱落して墜落。乗客・乗員全員と地上にいた5人が死亡し、1人が負傷した。
チャイナエアライン611便空中分解事故 - ボーイング747、2002年。1980年に起こしたしりもち事故で修理していた胴体後部の外壁が、金属疲労で破壊され墜落した。
垂直尾翼がふっとんでもコントロールを失わない設計は可能なのか
それは実現されているのか
そうですね操縦システムや誘導に関するもの、整備に関するもの、機体強度に関するものなど色々あると思いますが例えば、機体に関してですが各翼に付いている昇降舵や方向舵の油圧系統は昔、全てつながったような1系統だった為に1ヶ所が破損した場合全ての機能がアウトになりましたが、現在では右と後の組、左と後の組、などの様に2重またはそれ以上にして1ヶ所が破損した場合でも他の系統で補える様にして万が一の時でも危険性を少なくする様な設計がされているようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11130243796
→どういう配管からどういう配管になったのか図で見てみたい